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■バロウズ
その時、私は木槌で月桂樹を静かに叩いていた。
左耳を寄せ、幹の中で反響する音を聞く。
以前と比べると、少し空洞化しているだろうか。
位置を変えて、もう一度。
なるべく樹皮を痛めないように、垂直に木槌を振った。
「でね、そん時は、姉貴が俺のアイス食べちゃっててー」
右耳から、生徒様のお声が聞こえた。
「あはは。本当に仲良いよね、お姉さんとユウタって」
あれは、ウーティス寮のハルヤ様と、先月ご入学されたユウタ様だ。
お二人は本日の授業を終えられ、寮にお戻りになる途中のようだ。
「んもう。良くないってばー。
ハルヤ、今の話、ちゃんと聞いてたー?」
「聞いてたよ。あ」
ハルヤ様と目が合う。私は一礼した。
ハルヤ様は、ユウタ様と私が初対面だと思われたのだろう。
「この人は、森番のバロウズだよ」と紹介して下さった。
「あ、うん。俺もこの前会ったことあるんだ、一回だけ」
ユウタ様とはご入学直後に森で一度お会いしたことがある。
ユウタ様は携帯電話の中にある、お姉様のお写真を大切にされていた。
お綺麗で優しそうなお姉様だった。
「ところで、あのー。それって、何をしているんですか?」
ユウタ様は私が手にしている物をご覧になりながら、
不思議そうにお尋ねになった。私はご説明申し上げる。
「こちらの月桂樹の葉が、少々痛んでおりましたので、
こうして木槌で叩き、幹に耳を当てることで、
幹の内部に悪いところがないか、確認させて頂いておりました」
「えっ。じゃあ、聴診器で心臓の音を聞くみたいに?」
「左様でございますね。似ているのかもしれません」
「スゴーイ! 森番さんってソクーロフ博士みたーい!」
「あ、俺もそう思ったことあるよ。
バロウズって、木のお医者さんみたいだなあって」
「恐れ入ります」
本当は、人間にも木々の声が聞きとれたら良いと思う。
植物も動物も、人間も含め、
全ての生き物に、共通の言語が存在していたら良い。
そうしたら、今よりきっと互いに慈しみ合える世界になる。
そう考えるのは、人間側の私だけだろうか。
動物側のエリザベスなら、どうお考えだろう。
ウサギの貴女と、同じ言葉を交わすことが、
どんなに幸せなことだろうかと私は思う。
「あ、そうだ。ねえ、バロウズ」
ハルヤ様は思い出したように仰った。
「今日さ、あの月桂樹の入浴剤って用意できる?」
「はい。可能でございます」
「じゃあ、久し振りに入ろっかな、月桂樹のお風呂」
「畏まりました。ご用意させて頂きます」
ハルヤ様と私の会話を聞いたユウタ様は、
きょとんとしたお顔をされた。
「月桂樹の入浴剤? そんなのあるの?
日本でよく売ってる、温泉のモトみたいな?」
「ううん。粉の入浴剤じゃなくって、
乾燥させた本物の葉っぱを布の袋に入れたやつなんだ。ね?」
「はい。私がお作りするのは、バスポプリにした月桂樹でございますが、
古くは、古代ローマの時代より、
浴槽一面に月桂樹の葉を浮かべて、
沐浴していたそうでございます。
月桂樹のハーバルバスは、血行促進、疲労回復、
肩こり、腰痛、美容にも良いと言われております」
「えー! スゴーイ!」
「ユウタもさ、今日、やってみる? 月桂樹のお風呂」
「うん! やってみたい!」
「じゃ、バロウズ。ユウタと俺の分、お願いしても良いかなあ?」
「はい。ではお二人分、ご用意させて頂きます。
後程、ウーティス寮のバトラーにお渡し致しますので」
「うん。ありがと」
「ありがとうございます! 夜が楽しみだなー!」
「良い香りだよ。確か、葉っぱ以外にも何か入れてくれてるんだよね?」
「はい。カモミールでございます」
カモミールとの組み合わせがお好きだったのは、
ハルミ様。ハルヤ様のお祖父様だ。
当時の森番が、森番日誌にそう記録していた。
初めて、私がハルヤ様に、月桂樹のバスハーブをお渡ししたのは、
ハルヤ様のご入学から三か月程過ぎた頃だ。
当時のハルヤ様は、すっかり学院に溶け込んでいらした。
そのように見えたのだ。
当時の生徒代表テオ様は、ハルヤ様のお顔を見に、
幾度もウーティス寮に通ってらしたし、
バンドの練習もお忙しく、
ウーティス寮や森から流れてくる演奏は、
日に日に上達されていた。
先輩方や寮生の皆様に愛されていたハルヤ様だが、
時折、お一人でふらりと森にいらしては、
木や空を見上げて、切なげなお顔をなさっていた。
そのお姿は余りにも儚げで、すうっと消えてしまいそうな程だった。
そんな折だ。私が初めてハルヤ様に、
月桂樹のバスハーブをお渡ししたのは。
その作り方を私に教えてくれたのは、
古い森番日誌。ハルヤ様のお祖父様がご在学当時のものだ。
お祖父様のお名前はハルミ様という。
ハルミ様は植物がお好きで、森番にもよく話しかけて下さる方だった。
森番もハルミ様をお慕いしており、
森番日誌には何度もハルミ様のお名前が登場していた。
その中で、ハルミ様と当時の森番が一緒に、
月桂樹のバスハーブを作ったことが記録されていた。
ハルミ様の故郷、日本ではシャワーではなく、
浴槽に張った湯に浸かることが一般的で、
日本の方はそのバスタイムがお好きだという。
ならば、同国ご出身のハルヤ様もバスタイムがお好きなのではと思ったのだ。
当時の記録を元に、私は月桂樹のバスハーブを作り、
ハルヤ様にお渡ししたのだ。
差し出がましいことかと悩みもしたが、
森番日誌を読んでいる私にしかできないことだったし、
当時の森番や、今は亡きハルミ様にも、
きっとお喜び頂けると信じ、私はハルヤ様にお渡しした。
お祖父様が在学中にご愛用されていたものと聞き、
ハルヤ様は興味を示され、使って下さった。
以来、今日のように、ふと思い出したようにご所望になる。
その度に、私の心は暖められるのだ。
ハルミ様がお好きだった香りがお孫様のハルヤ様へ。
そしてハルヤ様からご友人のユウタ様へと伝わっていく。
恐れ多くも、その橋渡し役になれたことを大変に光栄に思う。
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その時、私は木槌で月桂樹を静かに叩いていた。
左耳を寄せ、幹の中で反響する音を聞く。
以前と比べると、少し空洞化しているだろうか。
位置を変えて、もう一度。
なるべく樹皮を痛めないように、垂直に木槌を振った。
「でね、そん時は、姉貴が俺のアイス食べちゃっててー」
右耳から、生徒様のお声が聞こえた。
「あはは。本当に仲良いよね、お姉さんとユウタって」
あれは、ウーティス寮のハルヤ様と、先月ご入学されたユウタ様だ。
お二人は本日の授業を終えられ、寮にお戻りになる途中のようだ。
「んもう。良くないってばー。
ハルヤ、今の話、ちゃんと聞いてたー?」
「聞いてたよ。あ」
ハルヤ様と目が合う。私は一礼した。
ハルヤ様は、ユウタ様と私が初対面だと思われたのだろう。
「この人は、森番のバロウズだよ」と紹介して下さった。
「あ、うん。俺もこの前会ったことあるんだ、一回だけ」
ユウタ様とはご入学直後に森で一度お会いしたことがある。
ユウタ様は携帯電話の中にある、お姉様のお写真を大切にされていた。
お綺麗で優しそうなお姉様だった。
「ところで、あのー。それって、何をしているんですか?」
ユウタ様は私が手にしている物をご覧になりながら、
不思議そうにお尋ねになった。私はご説明申し上げる。
「こちらの月桂樹の葉が、少々痛んでおりましたので、
こうして木槌で叩き、幹に耳を当てることで、
幹の内部に悪いところがないか、確認させて頂いておりました」
「えっ。じゃあ、聴診器で心臓の音を聞くみたいに?」
「左様でございますね。似ているのかもしれません」
「スゴーイ! 森番さんってソクーロフ博士みたーい!」
「あ、俺もそう思ったことあるよ。
バロウズって、木のお医者さんみたいだなあって」
「恐れ入ります」
本当は、人間にも木々の声が聞きとれたら良いと思う。
植物も動物も、人間も含め、
全ての生き物に、共通の言語が存在していたら良い。
そうしたら、今よりきっと互いに慈しみ合える世界になる。
そう考えるのは、人間側の私だけだろうか。
動物側のエリザベスなら、どうお考えだろう。
ウサギの貴女と、同じ言葉を交わすことが、
どんなに幸せなことだろうかと私は思う。
「あ、そうだ。ねえ、バロウズ」
ハルヤ様は思い出したように仰った。
「今日さ、あの月桂樹の入浴剤って用意できる?」
「はい。可能でございます」
「じゃあ、久し振りに入ろっかな、月桂樹のお風呂」
「畏まりました。ご用意させて頂きます」
ハルヤ様と私の会話を聞いたユウタ様は、
きょとんとしたお顔をされた。
「月桂樹の入浴剤? そんなのあるの?
日本でよく売ってる、温泉のモトみたいな?」
「ううん。粉の入浴剤じゃなくって、
乾燥させた本物の葉っぱを布の袋に入れたやつなんだ。ね?」
「はい。私がお作りするのは、バスポプリにした月桂樹でございますが、
古くは、古代ローマの時代より、
浴槽一面に月桂樹の葉を浮かべて、
沐浴していたそうでございます。
月桂樹のハーバルバスは、血行促進、疲労回復、
肩こり、腰痛、美容にも良いと言われております」
「えー! スゴーイ!」
「ユウタもさ、今日、やってみる? 月桂樹のお風呂」
「うん! やってみたい!」
「じゃ、バロウズ。ユウタと俺の分、お願いしても良いかなあ?」
「はい。ではお二人分、ご用意させて頂きます。
後程、ウーティス寮のバトラーにお渡し致しますので」
「うん。ありがと」
「ありがとうございます! 夜が楽しみだなー!」
「良い香りだよ。確か、葉っぱ以外にも何か入れてくれてるんだよね?」
「はい。カモミールでございます」
カモミールとの組み合わせがお好きだったのは、
ハルミ様。ハルヤ様のお祖父様だ。
当時の森番が、森番日誌にそう記録していた。
初めて、私がハルヤ様に、月桂樹のバスハーブをお渡ししたのは、
ハルヤ様のご入学から三か月程過ぎた頃だ。
当時のハルヤ様は、すっかり学院に溶け込んでいらした。
そのように見えたのだ。
当時の生徒代表テオ様は、ハルヤ様のお顔を見に、
幾度もウーティス寮に通ってらしたし、
バンドの練習もお忙しく、
ウーティス寮や森から流れてくる演奏は、
日に日に上達されていた。
先輩方や寮生の皆様に愛されていたハルヤ様だが、
時折、お一人でふらりと森にいらしては、
木や空を見上げて、切なげなお顔をなさっていた。
そのお姿は余りにも儚げで、すうっと消えてしまいそうな程だった。
そんな折だ。私が初めてハルヤ様に、
月桂樹のバスハーブをお渡ししたのは。
その作り方を私に教えてくれたのは、
古い森番日誌。ハルヤ様のお祖父様がご在学当時のものだ。
お祖父様のお名前はハルミ様という。
ハルミ様は植物がお好きで、森番にもよく話しかけて下さる方だった。
森番もハルミ様をお慕いしており、
森番日誌には何度もハルミ様のお名前が登場していた。
その中で、ハルミ様と当時の森番が一緒に、
月桂樹のバスハーブを作ったことが記録されていた。
ハルミ様の故郷、日本ではシャワーではなく、
浴槽に張った湯に浸かることが一般的で、
日本の方はそのバスタイムがお好きだという。
ならば、同国ご出身のハルヤ様もバスタイムがお好きなのではと思ったのだ。
当時の記録を元に、私は月桂樹のバスハーブを作り、
ハルヤ様にお渡ししたのだ。
差し出がましいことかと悩みもしたが、
森番日誌を読んでいる私にしかできないことだったし、
当時の森番や、今は亡きハルミ様にも、
きっとお喜び頂けると信じ、私はハルヤ様にお渡しした。
お祖父様が在学中にご愛用されていたものと聞き、
ハルヤ様は興味を示され、使って下さった。
以来、今日のように、ふと思い出したようにご所望になる。
その度に、私の心は暖められるのだ。
ハルミ様がお好きだった香りがお孫様のハルヤ様へ。
そしてハルヤ様からご友人のユウタ様へと伝わっていく。
恐れ多くも、その橋渡し役になれたことを大変に光栄に思う。
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