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■テオ×クラウス
本棚にはお堅い題名の背表紙が種類別に整列している。
机や床に転がっている物はひとつもない。
『シュヌーシア寮の中で一番綺麗で一番つまらない部屋』だと
揶揄されたこともある程の部屋の主は、
既にブルーの寝間着に着替え、ベッドの中で就寝前の読書中。
手にしているのは、色褪せたオレンジの表紙。
学院の図書館で借りてきた、帝王学の参考文献だ。
コンコン、とノックの音がした。
「どうぞ」と言う前にドアは勝手に開いた。
読んでいた本を避けると金色の髪と丸みのある笑顔が見えた。
「おや。もうベッドに入っていたのかい? クラウス」
後ろ手にドアを閉めながら、テオが部屋の中に入ってくる。
「早いね、今日は。もう眠たい?」
「いや、まだ」
読んでいたページに、えんじ色の紐を挟みながら、
「今日はたっぷり泳いだからな。
いつもより早く眠るべきだと思ったんだ」
本を枕元に置いた。
「ああ、そうか。クラウスは休講の時間、
スイミングに行ったんだものね。
見たかったなあ、『アルフォンソ島のシャチ』」
「だから、その呼び方はよせ」
「貴方にピッタリだと思うけれど。ねえ、エオル?」
本棚の上に置いてあるシャチのぬいぐるみをひと撫でする。
あれはテオが以前どこかの土産としてくれた物だ。
男がぬいぐるみと仲良くするなよ、とクラウスは思うが、
テオだと何故か自然な絵に見えて性質が悪い。
クラウスはベッドに入ったまま、テオを見上げる。
「何か俺に用があって来たのか?」
「ううん、別に」
テオはクラウスが横になっているベッドに腰掛けた。
「眠る前にもう一度、貴方の顔が見たいなと思っただけだよ?」
「……お前、そういうおかしな言い方をするなと
いつも言っているだろう」
「おかしいかなあ? 本当のことなのに」
「おかしい。そう言えば、テオ。
少し、気になったので聞くんだが」
「うん?」
「お前が帰ってきて、シュークリームの箱をバトラーに渡す時、
何かバトラーに耳打ちしていただろう?
街で何か困ったことがあったか?
もしそうなら、俺も聞いておきたいと思ったんだが」
ああ、とテオが笑う。
「あれはバトラーに頼みごとをしていたのだよ。
皆の前で言うには、数が足りないから、耳打ちにしたのだけど」
「数が足りない?」
「うん。『箱の中にひとつだけプリンが入っている。
すまないけれど、それはドニに渡して貰えるかい?
いつもありがとう。早く風邪を治して、
また私達に美味しい料理を作っておくれ、と』ね」
テオはイタズラっぽく笑う。
「ね? 皆の前では言えないことだろう?
『俺もプリンが良かったー』なんて話になったら困るからねえ。
クラウスも、この話は皆にはナイショで頼むよ?」
「シェフにまで見舞いの品を……」
「うん。ドニには早く元気になって貰わないと、
私達はドニの美味しい料理が食べられないからね」
「……俺は自分が恥ずかしい。
実は、先程までお前のことを考えていたんだ」
「えっ?」
「今日の、休講の使い方についてな。帝王学の教授は俺達に、
いち、王として有意義な時間を過ごして欲しいと言った。
俺は己を鍛えることに使いたくてジムに行った」
「うん。とても素晴らしいことだと思うよ」
「いや、今思うと俺よりお前のほうが、
有意義な使い方をしてたんじゃないかと、
考えていたんだ。いち、王として」
「でも、私は街へおやつを買いに行っただけだよ?」
「ああ。だが、お前の話を聞く限り、
お前はずっと誰かの為に行動し、
短い時間で、何人もの人を喜ばせたんだと思う。
シュークリーム屋の店員も、宝石を見ていた少女も、
きっと、お前と話せて良かったと思っただろう。
それから、お前が買ってきた物は、
この寮の奴等全員とシェフも喜ばせた」
クラウスは気が重くなる。これは自己嫌悪だ。
「周囲への気遣いや感謝の気持ちを持って行動すること。
そういうところが俺には欠けていて、お前は圧倒的に優れている。
お前は普段から、誰よりも感謝の言葉を口にしているしな。
帝王学の授業でも、己より他者の為に尽くすことは、
王にとって重要な素養だと習っていたのにな。
俺は一時間を自分の為だけに使った。誰も喜ばせていない。
いち、王として、俺とお前のどちらが、
有意義な時間の使い方をしていたかと聞かれた時、
俺は胸を張って『自分だ』とは言えない。これは大きな反省点だ」
すると、テオは声を上げて笑った。
「おい、何が可笑しい? 俺は真剣に」
「ああ、すまない。本当に貴方は何事も難しく考える人だなあと思ってね。
そういった真面目さが貴方の素晴らしいところだ」
「何が言いたい?」
「私はただ、皆の笑顔が見たかっただけだよ。
それにね、全てに感謝する気持ちは、
私がまだ小さい時に、姉上から習ったことなんだ。
生きていられるのは家族のおかげだけではないのだと」
まるで詩を読むようにテオは話す。
「例えば、この寮でいつも美味しい物が食べられるのは、
料理を作ってくれるドニが居るおかげだろう?
でも、ドニが料理を作れるのは、
野菜を育ててくれる人が居るおかげで、
更に、野菜を育てる為の肥料や道具を作ってくれる人が居る。
けれど、生きていくのに必要なのは食べ物だけではないよね?
衣服や家も作ってくれた人、売ってくれた人が居る。
でも、そうした有形物だけではなく、無形の物もある。
私達生徒が学院で貴重な講義を聞けるのは先生方や、
学院の職員、運営組織の皆さんのおかげだし、
寮で快適に暮らせるのはバトラーのおかげだ。
学院の外に出かけられるのはアイヴィー達、ドライバーの皆さんと、
この島の安全を維持して下さっている警備組織のおかげだし。
月桂樹の森がいつも美しく、居心地の良い場所なのは、
森番のバロウズが毎日、木々や動物達を看てくれているおかげだ。
そして貴方を始め、歴代の生徒代表達が、
この学院と、この島を守ってきてくれたように、
私の目に見えないところでも、たくさんの人達が、
私の毎日を支えて下さっている。
だからいつも全てに感謝する気持ちを忘れないように、
と姉上は私に教えて下さったんだ。
この島に来て、その言葉の意味をより強く感じるようになったよ。
この小さな私は、星の数ほどの人から、
際限なく続く支えがなければ、きっと息をすることもできない」
途中から目を瞑って話していたテオが、ゆっくりと目を開ける。
「だからね、クラウス? 貴方はひとつだけ間違ってる。
大きな思い違いをしているよ?」
「何のことだ?」
「貴方は先程、自分は一時間を自分の為だけに使ったから、
誰も喜ばせていない、と言ったけれど。
貴方が誰も喜ばせていないなんて、
そんなこと有り得ないじゃないか、私が居るのに」
クラウスの眉間に皺が寄る。テオは笑った。
「貴方は常に私を喜ばせているよ? 24時間年中無休でね?」
テオは胸に手を置く。
「貴方という存在が、いつも私の胸を温めてくれる。
明日も明後日も、この先何年経っても、
私の中で唯一光り輝く恒星は、貴方だよ、クラウス」
「大袈裟な……意味が解らん」
「おやおや。いつになったら解ってくれるんだろうね、この人は」
フフッとテオが笑う。
「さて。では今日は私も早めに休もうかな」
テオはベッドから腰を上げる。
「ではまた明日、だね。おやすみ、クラウス」
「ああ、おやすみ」
テオは嬉しそうに笑う。
「クラウスに『おやすみ』を言って貰えたし、
今夜はいい夢が見られそうだよ。
今日も楽しい一日をありがとう、クラウス」
おやすみー、と笑顔で手を振りながらテオは出て行った。
枕元に置いていた、帝王学の本が目に入る。
テオとの話が終わったら続きを読もうと思っていたのに。
そのオレンジ色の表紙に、手を伸ばす気が起きない。
天井を見上げると、大きな息と小さな呟きが零れた。
fin
本棚にはお堅い題名の背表紙が種類別に整列している。
机や床に転がっている物はひとつもない。
『シュヌーシア寮の中で一番綺麗で一番つまらない部屋』だと
揶揄されたこともある程の部屋の主は、
既にブルーの寝間着に着替え、ベッドの中で就寝前の読書中。
手にしているのは、色褪せたオレンジの表紙。
学院の図書館で借りてきた、帝王学の参考文献だ。
コンコン、とノックの音がした。
「どうぞ」と言う前にドアは勝手に開いた。
読んでいた本を避けると金色の髪と丸みのある笑顔が見えた。
「おや。もうベッドに入っていたのかい? クラウス」
後ろ手にドアを閉めながら、テオが部屋の中に入ってくる。
「早いね、今日は。もう眠たい?」
「いや、まだ」
読んでいたページに、えんじ色の紐を挟みながら、
「今日はたっぷり泳いだからな。
いつもより早く眠るべきだと思ったんだ」
本を枕元に置いた。
「ああ、そうか。クラウスは休講の時間、
スイミングに行ったんだものね。
見たかったなあ、『アルフォンソ島のシャチ』」
「だから、その呼び方はよせ」
「貴方にピッタリだと思うけれど。ねえ、エオル?」
本棚の上に置いてあるシャチのぬいぐるみをひと撫でする。
あれはテオが以前どこかの土産としてくれた物だ。
男がぬいぐるみと仲良くするなよ、とクラウスは思うが、
テオだと何故か自然な絵に見えて性質が悪い。
クラウスはベッドに入ったまま、テオを見上げる。
「何か俺に用があって来たのか?」
「ううん、別に」
テオはクラウスが横になっているベッドに腰掛けた。
「眠る前にもう一度、貴方の顔が見たいなと思っただけだよ?」
「……お前、そういうおかしな言い方をするなと
いつも言っているだろう」
「おかしいかなあ? 本当のことなのに」
「おかしい。そう言えば、テオ。
少し、気になったので聞くんだが」
「うん?」
「お前が帰ってきて、シュークリームの箱をバトラーに渡す時、
何かバトラーに耳打ちしていただろう?
街で何か困ったことがあったか?
もしそうなら、俺も聞いておきたいと思ったんだが」
ああ、とテオが笑う。
「あれはバトラーに頼みごとをしていたのだよ。
皆の前で言うには、数が足りないから、耳打ちにしたのだけど」
「数が足りない?」
「うん。『箱の中にひとつだけプリンが入っている。
すまないけれど、それはドニに渡して貰えるかい?
いつもありがとう。早く風邪を治して、
また私達に美味しい料理を作っておくれ、と』ね」
テオはイタズラっぽく笑う。
「ね? 皆の前では言えないことだろう?
『俺もプリンが良かったー』なんて話になったら困るからねえ。
クラウスも、この話は皆にはナイショで頼むよ?」
「シェフにまで見舞いの品を……」
「うん。ドニには早く元気になって貰わないと、
私達はドニの美味しい料理が食べられないからね」
「……俺は自分が恥ずかしい。
実は、先程までお前のことを考えていたんだ」
「えっ?」
「今日の、休講の使い方についてな。帝王学の教授は俺達に、
いち、王として有意義な時間を過ごして欲しいと言った。
俺は己を鍛えることに使いたくてジムに行った」
「うん。とても素晴らしいことだと思うよ」
「いや、今思うと俺よりお前のほうが、
有意義な使い方をしてたんじゃないかと、
考えていたんだ。いち、王として」
「でも、私は街へおやつを買いに行っただけだよ?」
「ああ。だが、お前の話を聞く限り、
お前はずっと誰かの為に行動し、
短い時間で、何人もの人を喜ばせたんだと思う。
シュークリーム屋の店員も、宝石を見ていた少女も、
きっと、お前と話せて良かったと思っただろう。
それから、お前が買ってきた物は、
この寮の奴等全員とシェフも喜ばせた」
クラウスは気が重くなる。これは自己嫌悪だ。
「周囲への気遣いや感謝の気持ちを持って行動すること。
そういうところが俺には欠けていて、お前は圧倒的に優れている。
お前は普段から、誰よりも感謝の言葉を口にしているしな。
帝王学の授業でも、己より他者の為に尽くすことは、
王にとって重要な素養だと習っていたのにな。
俺は一時間を自分の為だけに使った。誰も喜ばせていない。
いち、王として、俺とお前のどちらが、
有意義な時間の使い方をしていたかと聞かれた時、
俺は胸を張って『自分だ』とは言えない。これは大きな反省点だ」
すると、テオは声を上げて笑った。
「おい、何が可笑しい? 俺は真剣に」
「ああ、すまない。本当に貴方は何事も難しく考える人だなあと思ってね。
そういった真面目さが貴方の素晴らしいところだ」
「何が言いたい?」
「私はただ、皆の笑顔が見たかっただけだよ。
それにね、全てに感謝する気持ちは、
私がまだ小さい時に、姉上から習ったことなんだ。
生きていられるのは家族のおかげだけではないのだと」
まるで詩を読むようにテオは話す。
「例えば、この寮でいつも美味しい物が食べられるのは、
料理を作ってくれるドニが居るおかげだろう?
でも、ドニが料理を作れるのは、
野菜を育ててくれる人が居るおかげで、
更に、野菜を育てる為の肥料や道具を作ってくれる人が居る。
けれど、生きていくのに必要なのは食べ物だけではないよね?
衣服や家も作ってくれた人、売ってくれた人が居る。
でも、そうした有形物だけではなく、無形の物もある。
私達生徒が学院で貴重な講義を聞けるのは先生方や、
学院の職員、運営組織の皆さんのおかげだし、
寮で快適に暮らせるのはバトラーのおかげだ。
学院の外に出かけられるのはアイヴィー達、ドライバーの皆さんと、
この島の安全を維持して下さっている警備組織のおかげだし。
月桂樹の森がいつも美しく、居心地の良い場所なのは、
森番のバロウズが毎日、木々や動物達を看てくれているおかげだ。
そして貴方を始め、歴代の生徒代表達が、
この学院と、この島を守ってきてくれたように、
私の目に見えないところでも、たくさんの人達が、
私の毎日を支えて下さっている。
だからいつも全てに感謝する気持ちを忘れないように、
と姉上は私に教えて下さったんだ。
この島に来て、その言葉の意味をより強く感じるようになったよ。
この小さな私は、星の数ほどの人から、
際限なく続く支えがなければ、きっと息をすることもできない」
途中から目を瞑って話していたテオが、ゆっくりと目を開ける。
「だからね、クラウス? 貴方はひとつだけ間違ってる。
大きな思い違いをしているよ?」
「何のことだ?」
「貴方は先程、自分は一時間を自分の為だけに使ったから、
誰も喜ばせていない、と言ったけれど。
貴方が誰も喜ばせていないなんて、
そんなこと有り得ないじゃないか、私が居るのに」
クラウスの眉間に皺が寄る。テオは笑った。
「貴方は常に私を喜ばせているよ? 24時間年中無休でね?」
テオは胸に手を置く。
「貴方という存在が、いつも私の胸を温めてくれる。
明日も明後日も、この先何年経っても、
私の中で唯一光り輝く恒星は、貴方だよ、クラウス」
「大袈裟な……意味が解らん」
「おやおや。いつになったら解ってくれるんだろうね、この人は」
フフッとテオが笑う。
「さて。では今日は私も早めに休もうかな」
テオはベッドから腰を上げる。
「ではまた明日、だね。おやすみ、クラウス」
「ああ、おやすみ」
テオは嬉しそうに笑う。
「クラウスに『おやすみ』を言って貰えたし、
今夜はいい夢が見られそうだよ。
今日も楽しい一日をありがとう、クラウス」
おやすみー、と笑顔で手を振りながらテオは出て行った。
枕元に置いていた、帝王学の本が目に入る。
テオとの話が終わったら続きを読もうと思っていたのに。
そのオレンジ色の表紙に、手を伸ばす気が起きない。
天井を見上げると、大きな息と小さな呟きが零れた。
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