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■ソクーロフ×アイヴィー テオ×クラウス
少し暗くてカルテが読み辛い。
見上げると窓の向こうは薄暗くなっていた。
机上の時計を見ると、間もなく夕食という頃合いだった。
そろそろ切り上げて、宿舎の部屋に戻るか。
白衣の保健教師が腰を上げようとした時、
保健室のドアが三回ノックされた。
どうぞ、とは言わずにドアを見ていると、
開いた隙間から出てきたのは、黄色い箱だった。
続いて、間抜け面がひょこっと顔を覗かせた。
「ヤッホ、ソクちゃん。じゃーん。おみやげー」
見せびらかすように、箱を突き出していたのは、
学院の専属ドライバー兼警備司令官を任されている男だった。
「ちょちょちょ! 何なの、その冷たい目は!?
ソクちゃんなら食べるかなーと思って、
シュークリーム持ってきてあげたのに!」
「お前が私に手土産持参で来たと言うのか?
第一、シュークリームには遅過ぎると思うが。
……余程、頼みにくい仕事の依頼か、それとも」
「仕事はカンケーないよ、全然!
てゆうか、俺も貰い物でさ。
コレ、テオから貰ったんだ、さっき」
「テオから? 何故お前が?」
「あ、聞きたい? じゃあ話してあげるから、
美味しいコーヒーお願いしまーっす!」
保健医は腰を上げる。
「帰れ。今すぐ」
「あー、もー! 自分で淹れるから、話聞いてよー!
テオに会ったあとアンタに会うと温度差、激し過ぎるわ!」
聖アルフォンソ島の中心街、フィンシャル。
その街角に、全体が黄色い小さな店がある。
店の前に立っている、同じ色の旗には、
『できたてシュークリーム専門店』とある。
「はい。毎度どうもねー」
店員からカウンター越しに、黄色い箱を二つ差し出される。
ありがとうございますと言って、テオは受け取った。
「寮の皆の分のおやつを買い行きたいんだ」
と言うので、アイヴィーは車で街まで乗せてきた。
右手に縦に長い箱、左手に小さめの箱を持ち、
テオの両手は塞がっていた。
「テオ。箱、持ってやるよ。貸しな?」
「ああ、ありがとう、アイヴィー」
アイヴィーが手を差し出すと、小さい箱のほうを渡された。
「いや、じゃなくて。ソッチの大きいほう」
「おや。ジェントルマンだねえ、アイヴィーは」
「何言ってんだよ。荷物持ちで俺を連れてきたんだろ?」
「えっ? まさか。たまにはアイヴィーと一緒に
街を歩きたいなあと思っただけだよ?
やはり、大きいほうは私が持とう、私達の分だし。
アイヴィーは小さいほうを頼めるかい? はい」
「お、おう」
「テオちゃん、テオちゃん」
頭に黄色のバンダナを巻いている女性店員は、
自分の唇に人差し指を立て、テオにウインクした。
「シュークリーム、一個おまけにサービスしといたよ?
いつもご贔屓にしてくれるから、おばちゃんからプレゼント」
「本当ですか!? ああ、なんてお優しい!
どうもありがとうございます、マダム。寮の皆も喜びます!」
「あら、マダムだなんて。ただのおばちゃんよー」
「いいえ。男にとって、全ての女性は気高く、美しい存在ですよ」
「またまたー。テオちゃんったら、いつもお上手なんだから」
「おや。本当のことですよ?」
「フフフッ。ありがと。じゃあテオちゃん、また来てね!」
「はい、また伺います。あ、マダム。
よろしければ手の甲を見せて頂けませんか?」
「手の甲? 良いけど、どうしたの?」
差し出された右手に、テオはそっと触れる。
「柔らかくて、美しい手ですね。
長く男子校に居るとよく解りますよ。
この手は女性の――プリンセスの手です」
彼女の手を恭しく掲げたあと、
すっと引き寄せ、手の甲に口付けを落とした。
彼女は「あらあら、まあまあ」と言いながら口をパクパクさせていた。
「おや? すみません、驚かせてしまいましたか?」
「そりゃ驚くわよう。こんなおばちゃん相手に、
そんなお姫様にするようなこと……」
「男にとって、全ての女性は気高く、美しいプリンセスですよ?」
「まあ……」
「本日は優しいお心遣い、どうもありがとうございました。
またお会いできるまでどうぞお元気で、プリンセス」
またねー、とほっぺをピンクにしたおばちゃんに
手を振られながら、俺達は店をあとにした。
「まー、これで目的の買いモンは終了だな」
「うん」
店から離れたあとで、アイヴィーは切り出した。
「あー、あのさー、テオ?」
「ん? なんだい?」
アイヴィーは頬をポリポリかきながら言った。
「さっきみたいな……ああいうのは、
あんまり、やんないほうがイイと思うぜ?」
「え? ええと、すまない。ああいうの、って?」
テオは何の話をされているのか解らない様子だった。
アイヴィーは苦笑しながら、こう言った。
「いや、お前さん。さっきチューしちゃったろ?
シュークリーム屋のおばちゃんの手にさ」
「ああ、うん。……え? あれはいけないこと?」
「そう思うけどねー、フツーは」
「でも、あれはマダムが私に親切にして下さったから、
彼女への感謝と敬意を表して」
「うん。まあ、そーなんだけど。ナンていうかー。
上流階級のお嬢様相手ならまだしも、
フツーの一般市民相手には、やり過ぎかなーって思うワケよ」
「そうか……そう言えばゼノにも注意されたことがあったような。
ああ、ゼノと言うのは、メネシス家に居る私の執事なのだけど。
彼からも昔、無闇にして良いことではありませんよ、
と言われた気がするよ」
「前科あんのかよ」
「すまない。マダムにもご迷惑だったかなあ」
「メイワクではなかったと思うけどさ。
お前さんみたいなマージナルプリンスにあんなことされて、
あのおばちゃんも悪い気はしなかっただろうしな」
テオはまだきょとんとした顔をしていた。
「まー、それはイイとして。これからどーする?」
アイヴィーはiPhoneで時刻を確認しながら、
「放課後になるまで、もうちょいくらいなら時間あるけど?」
「そうだねえ。ではもう少しこの辺りを――」
テオの言葉が途中で止まる。
アイヴィーがその視線を追うと、寂しげな光景が目に留まった。
商店街のアーケードには道の中央にベンチが置かれている。
年齢は7歳前後だろうか。ベンチに子どもが一人でポツンと座っている。
ブランブランと揺れる自分の足先を見つめていた。
聖アルフォンソ学院は13歳以上でなければ入学できない。
それ以下の子どもであれば島民となる。
この辺りに住んでいる子なのだろう。
アイヴィーは子どもの様子を見る。
装いは青いジーンズに黒いジャンパー。
目立つのは頭に被っている濃いグリーンのキャップ。
ひとつに束ねられた淡いブラウンの髪が、
馬のしっぽのようにキャップの後ろから、ぴょんと短く出ている。
髪を下ろしたら、肩に届くくらいの長さかもしれない。
この距離では少々遠くて性別まで判断できない。
アイヴィーは子どもからテオに視線を戻す。
やはりテオもあの子を見ているようだ。
「どーした、テオ。もしかして、あの子、知り合い?」
いや、とテオの豊かな金髪が横に揺れる。
「けれど、あの子、私がシュークリームを買う前から、
ずっと、あのように悲しげにしていたから。
何があの子を悲しませているのだろうと思って」
テオの言葉にアイヴィーは驚かされた。
はしゃいでシュークリームを買いに来たように見えたが、
意外と周りが見えていることに。
「へえ。俺は全然、気付かなかったけど」
アイヴィーは子どもを再び見る。
光景は変わらず、暗い雰囲気のままだった。
「もしや迷子だろうか?」
「買い物中のお母さんでも待ってるんじゃねえか? お?」
子どもがふと顔を上げた。何かを見ている。
その視線の先にあったのは宝石店だった。
店の前にはガラス越しにアクセサリーなどが飾られている。
子どもは宝石店のほうを見たあと、
再び俯き、肩を落としたように見えた。
「今さ、あの宝石屋見てなかった?」
「うん。そのように見えたね」
「え。じゃあ、まさかとは思うけどー。
あの子……宝石が欲しかったり?」
「ああ。そうかもしれないね」
「マジで? 子どものおサイフじゃムリだろー、いくらなんでも。
つーか、宝石なんて、俺なんか全然興味なかったぞ、ガキの頃、
ってか今もだけど。最近の子は随分とお目が高いモンだ」
アイヴィーは子どもから視線を外す。
「んで、話、元に戻しますけどー。
俺達はもうちょいこの辺ブラブラする?
特に買うモンないんなら、もう寮に帰るか?」
子どもはまだ俯いており、テオはそんな子どもを見つめていた。
「――やっぱり私、あの子とちょっと話してくるよ」
「えっ!?」
「すまない。アイヴィーは車で待っていて構わないから」
「ちょ、おいっ! 待てって、テオ!」
軽く舌打ちしてアイヴィーはテオを追い駆けた。
アイヴィーがテオに追い付いた時には既に遅く、
テオは子どもに話しかけてしまっていた。
「こんにちは」
テオは片膝を着いて、そう言った。
子どもと視線の高さを合わせる、ということを、
あいつは無意識にやっているのだろうか。
子どもはすぐに振り返った。
さっきまでは男の子かなと思っていたが、
近くで見ると解る。小さくても男のそれとは違う顔。
ボーイッシュな装いをしていても、
間近で見たその顔は、間違いなく女の子の顔だった。
警戒した目で見上げられたテオは、
シュークリームの箱を左手に持ち変え、右手を胸に置いた。
「もしかして、何かお困りではないですか?
随分と悲しそうなお顔をしていたように見えたので」
話は前に進もうとしている。
アイヴィーはテオの少し後ろに立って、
成り行きを見守るしかないようだった。
テオは下級生を相手にしている時より優しい声で言った。
「もし、私にできることがあれば、
お手伝いしますよ、可愛いプリンセス?」
「ぷりんせす?」
そう発された声は女の子の声だった。
「ええ。貴女のことですよ、プリンセス」
うわ、また言ってる、とアイヴィーは思った。
つい先程までおばちゃんを「プリンセス」と呼んでいた口が、
今度は年端もいかないお嬢ちゃんをお姫様扱いしている。
全く、守備範囲の広いことだ。この天然の王子サマは。
「あたし、プリンセスなんかじゃない」
少女は首を横に振り、ぶっきらぼうに言った。
「男にとって、全ての女性は気高く、美しいプリンセスですよ?」
少女は小さな頭を傾けるのを見て、テオは微笑んだ。
「それで、プリンセスは何をお困りですか?」
少女は先程まで見ていた物を指差した。
それは見るからに高そうなペンダントだった。
赤い宝石で作られたバラの花がペンダントトップに鎮座している。
その周辺のチェーンは薄いピンク色の宝石が飾られていた。
あんなのを首から下げてたら、ちょっと重そうだ。
少女はペンダントを恨めしそうにチラと見た。
「あれ欲しいの。でも買えなかった。それじゃ全然足りないって」
所持金が足りなかったらしい。
それはそうだろう、とアイヴィーは胸の中で呟いた。
普通の子どもに手の届く品じゃない。
いや、大人でもなかなか手が伸びないゼロの数だ。
テオはペンダントを少し眺めただけで、こう言った。
「ガーネットとローズクォーツですか。
成程、良い組み合わせですね。気品だけなく可愛らしさもある。
まるで……そう。プリンセス、貴女のように」
アイヴィーは「ゲッ」と言った。
「お前さん、ちょっと見ただけで宝石の名前なんか解んのかよ?」
「え? 色合いでそうかなと思ったのだけど。違ったかな?」
「いや、俺には全く解んねえけど」
そう言えば、とアイヴィーは思い出す。
テオはギリシャで有数の資産家、メネシス家の坊ちゃん。
ご実家の宝石箱には、さぞたくさんのアクセサリーがあり、
幼い頃から、そういう物を目にする機会があって、
自然と宝石の目利きができるまでになったのかもしれない。
これが家柄の違いってやつだろうか。
「プリンセス? もしや、どなたかへの贈り物、ですか?」
「えっ? お嬢ちゃんが自分で付けたかったんじゃなくて!?」
少女は頷いた。
「おばあちゃんにあげたかったの。もうすぐお誕生日だから」
「おばあ様へのバースデープレゼントでしたか。
ああ、なんて心の優しいプリンセスだ。
貴女の優しさは、まさにローズクォーツ。
あのピュアで優しい薔薇色そのものですね」
「あのー、お嬢ちゃん?」
アイヴィーは屈んで、ペンダントを指差しながら、
「おばあちゃんがさ、アレが欲しいって言ってたの?」
「この前、ここを通った時、『綺麗ね』って言ってた」
だったら、おばあちゃん本人はあれを綺麗と思っただけで、
実際に欲しいとは思っていなかったかもしれない、とアイヴィーは思う。
テオは優しい笑顔で言った。
「プリンセスは、おばあ様が大好きなのですね?」
少女はこっくりと頷く。
「うん。大好き。だから、あげたいの、おばあちゃんに」
アイヴィーは首を傾げる。お嬢ちゃんの気持ちは解った。
が、しかし。こんなちっちゃいお嬢ちゃんが、
誕生日プレゼントとしてあんな高価な品を持ってきたら、
おばあちゃんはひっくり返って腰を打っちゃうかもしれない。
それをこの子に解るように伝えるには一体どうすれば良いだろう。
「ねえ、プリンセス。実は私も、プリンセスと同じ年の頃に、
美しいペンダントを贈りたいと思ったことがあるのですよ、姉上に」
「おにいちゃんの、おねえちゃん?」
「ええ。私の姉上は、それはそれは優しく美しい姉上で、
絵本の中に出てくるお姫様のような人なのです」
身内の人間を惜しげなくベタ褒めするテオを見て、
アイヴィーは改めてテオは本物だなと思う。
しかし、テオの言葉に嘘がないのはアイヴィーも解っている。
いつかのテレビや生徒資料で見たテオの姉は、
本当に美人さんで、おしとやかな顔をしたお嬢様だった。
「私は姉上の本当に大好きで、次の誕生日には、
姉上に似合う、美しいペンダントをお贈りしたいと思っていました。
絵本の中に居るお姫様達が身に付けているような、
美しいダイヤモンドのペンダントを」
「あたしと似てる……」
「ええ。似ていますね」
「それで、どうしたの?」
「私はプレゼントを選ぶ為に宝石店に行きたいと言ったのですが、
家の者に止められ、私は違うプレゼントを贈ることにしたのです」
「違うプレゼント? どうして?」
「宝石より、もっと喜ばれるプレゼントがありますよ、
と教えて貰ったからです。そして私は、
そのプレゼントを姉上に贈り、本当に喜んで貰えたのです」
「何? 何をあげたの?」
テオはふわっと微笑む。
「知りたいですか? プリンセス」
「知りたい!」
「良いですよ。お教えしましょう。特別ですよ?」
アイヴィーはつられるようにして笑った。
その時のテオの顔といったら。テオ風に何かに例えるなら、
『パンケーキのような笑顔』というんだろうか。
甘くて焼きたてで、ふわっふわなヤツ。
少女と笑顔でバイバイしたあと、
とっくにおやつの時間を過ぎていることに二人して驚いた。
すっかりテオと打ち解けた少女は意外とお喋りで、
テオがまた聞き上手で話し上手でもあるから、
初対面だというのに久し振りに会った友達みたいに
話が盛り上がってしまったからだ。
「ヤッベ! もうこんな時間かよ。おい、帰るぞ、テオ」
「そうだね。アイヴィー、大急ぎの安全運転で頼むよ!」
「ハハッ。あいよっ」
二人は大慌てで駐車場へ向かい、車に乗り込んだ。
ご要望通り、大急ぎの安全運転で、
聖アルフォンソ学院正門前に到着。
アイヴィーは運転席から降り、後部座席のドアを開ける。
「夕食には間に合いそうだね」
テオが車から降りる。
「今日は本当にありがとう、アイヴィー」
「おう。忘れモンないかー? っておい!?」
後部座席を見ると、小さな黄色い箱が残っていた。
そう言えば、シュークリームを買った時、
テオは長い箱と小さい箱の二つを持っていた。
アイヴィーは箱を持ち上げて、
「テオ! 小さいほう忘れてんぞ!」
振り返ったテオが笑う。
「良いのだよ。そちらはアイヴィーの分だから」
「えっ?」
「いつもありがとう、アイヴィー。ではまた」
テオの後ろ姿を見ながら、
アイヴィーは掲げていた箱を下ろす。
「いつもありがとう、ねえ」
アイヴィーは黄色い箱を開けてみる。
そこにはシュークリームが二個も入っていた。
fin
少し暗くてカルテが読み辛い。
見上げると窓の向こうは薄暗くなっていた。
机上の時計を見ると、間もなく夕食という頃合いだった。
そろそろ切り上げて、宿舎の部屋に戻るか。
白衣の保健教師が腰を上げようとした時、
保健室のドアが三回ノックされた。
どうぞ、とは言わずにドアを見ていると、
開いた隙間から出てきたのは、黄色い箱だった。
続いて、間抜け面がひょこっと顔を覗かせた。
「ヤッホ、ソクちゃん。じゃーん。おみやげー」
見せびらかすように、箱を突き出していたのは、
学院の専属ドライバー兼警備司令官を任されている男だった。
「ちょちょちょ! 何なの、その冷たい目は!?
ソクちゃんなら食べるかなーと思って、
シュークリーム持ってきてあげたのに!」
「お前が私に手土産持参で来たと言うのか?
第一、シュークリームには遅過ぎると思うが。
……余程、頼みにくい仕事の依頼か、それとも」
「仕事はカンケーないよ、全然!
てゆうか、俺も貰い物でさ。
コレ、テオから貰ったんだ、さっき」
「テオから? 何故お前が?」
「あ、聞きたい? じゃあ話してあげるから、
美味しいコーヒーお願いしまーっす!」
保健医は腰を上げる。
「帰れ。今すぐ」
「あー、もー! 自分で淹れるから、話聞いてよー!
テオに会ったあとアンタに会うと温度差、激し過ぎるわ!」
聖アルフォンソ島の中心街、フィンシャル。
その街角に、全体が黄色い小さな店がある。
店の前に立っている、同じ色の旗には、
『できたてシュークリーム専門店』とある。
「はい。毎度どうもねー」
店員からカウンター越しに、黄色い箱を二つ差し出される。
ありがとうございますと言って、テオは受け取った。
「寮の皆の分のおやつを買い行きたいんだ」
と言うので、アイヴィーは車で街まで乗せてきた。
右手に縦に長い箱、左手に小さめの箱を持ち、
テオの両手は塞がっていた。
「テオ。箱、持ってやるよ。貸しな?」
「ああ、ありがとう、アイヴィー」
アイヴィーが手を差し出すと、小さい箱のほうを渡された。
「いや、じゃなくて。ソッチの大きいほう」
「おや。ジェントルマンだねえ、アイヴィーは」
「何言ってんだよ。荷物持ちで俺を連れてきたんだろ?」
「えっ? まさか。たまにはアイヴィーと一緒に
街を歩きたいなあと思っただけだよ?
やはり、大きいほうは私が持とう、私達の分だし。
アイヴィーは小さいほうを頼めるかい? はい」
「お、おう」
「テオちゃん、テオちゃん」
頭に黄色のバンダナを巻いている女性店員は、
自分の唇に人差し指を立て、テオにウインクした。
「シュークリーム、一個おまけにサービスしといたよ?
いつもご贔屓にしてくれるから、おばちゃんからプレゼント」
「本当ですか!? ああ、なんてお優しい!
どうもありがとうございます、マダム。寮の皆も喜びます!」
「あら、マダムだなんて。ただのおばちゃんよー」
「いいえ。男にとって、全ての女性は気高く、美しい存在ですよ」
「またまたー。テオちゃんったら、いつもお上手なんだから」
「おや。本当のことですよ?」
「フフフッ。ありがと。じゃあテオちゃん、また来てね!」
「はい、また伺います。あ、マダム。
よろしければ手の甲を見せて頂けませんか?」
「手の甲? 良いけど、どうしたの?」
差し出された右手に、テオはそっと触れる。
「柔らかくて、美しい手ですね。
長く男子校に居るとよく解りますよ。
この手は女性の――プリンセスの手です」
彼女の手を恭しく掲げたあと、
すっと引き寄せ、手の甲に口付けを落とした。
彼女は「あらあら、まあまあ」と言いながら口をパクパクさせていた。
「おや? すみません、驚かせてしまいましたか?」
「そりゃ驚くわよう。こんなおばちゃん相手に、
そんなお姫様にするようなこと……」
「男にとって、全ての女性は気高く、美しいプリンセスですよ?」
「まあ……」
「本日は優しいお心遣い、どうもありがとうございました。
またお会いできるまでどうぞお元気で、プリンセス」
またねー、とほっぺをピンクにしたおばちゃんに
手を振られながら、俺達は店をあとにした。
「まー、これで目的の買いモンは終了だな」
「うん」
店から離れたあとで、アイヴィーは切り出した。
「あー、あのさー、テオ?」
「ん? なんだい?」
アイヴィーは頬をポリポリかきながら言った。
「さっきみたいな……ああいうのは、
あんまり、やんないほうがイイと思うぜ?」
「え? ええと、すまない。ああいうの、って?」
テオは何の話をされているのか解らない様子だった。
アイヴィーは苦笑しながら、こう言った。
「いや、お前さん。さっきチューしちゃったろ?
シュークリーム屋のおばちゃんの手にさ」
「ああ、うん。……え? あれはいけないこと?」
「そう思うけどねー、フツーは」
「でも、あれはマダムが私に親切にして下さったから、
彼女への感謝と敬意を表して」
「うん。まあ、そーなんだけど。ナンていうかー。
上流階級のお嬢様相手ならまだしも、
フツーの一般市民相手には、やり過ぎかなーって思うワケよ」
「そうか……そう言えばゼノにも注意されたことがあったような。
ああ、ゼノと言うのは、メネシス家に居る私の執事なのだけど。
彼からも昔、無闇にして良いことではありませんよ、
と言われた気がするよ」
「前科あんのかよ」
「すまない。マダムにもご迷惑だったかなあ」
「メイワクではなかったと思うけどさ。
お前さんみたいなマージナルプリンスにあんなことされて、
あのおばちゃんも悪い気はしなかっただろうしな」
テオはまだきょとんとした顔をしていた。
「まー、それはイイとして。これからどーする?」
アイヴィーはiPhoneで時刻を確認しながら、
「放課後になるまで、もうちょいくらいなら時間あるけど?」
「そうだねえ。ではもう少しこの辺りを――」
テオの言葉が途中で止まる。
アイヴィーがその視線を追うと、寂しげな光景が目に留まった。
商店街のアーケードには道の中央にベンチが置かれている。
年齢は7歳前後だろうか。ベンチに子どもが一人でポツンと座っている。
ブランブランと揺れる自分の足先を見つめていた。
聖アルフォンソ学院は13歳以上でなければ入学できない。
それ以下の子どもであれば島民となる。
この辺りに住んでいる子なのだろう。
アイヴィーは子どもの様子を見る。
装いは青いジーンズに黒いジャンパー。
目立つのは頭に被っている濃いグリーンのキャップ。
ひとつに束ねられた淡いブラウンの髪が、
馬のしっぽのようにキャップの後ろから、ぴょんと短く出ている。
髪を下ろしたら、肩に届くくらいの長さかもしれない。
この距離では少々遠くて性別まで判断できない。
アイヴィーは子どもからテオに視線を戻す。
やはりテオもあの子を見ているようだ。
「どーした、テオ。もしかして、あの子、知り合い?」
いや、とテオの豊かな金髪が横に揺れる。
「けれど、あの子、私がシュークリームを買う前から、
ずっと、あのように悲しげにしていたから。
何があの子を悲しませているのだろうと思って」
テオの言葉にアイヴィーは驚かされた。
はしゃいでシュークリームを買いに来たように見えたが、
意外と周りが見えていることに。
「へえ。俺は全然、気付かなかったけど」
アイヴィーは子どもを再び見る。
光景は変わらず、暗い雰囲気のままだった。
「もしや迷子だろうか?」
「買い物中のお母さんでも待ってるんじゃねえか? お?」
子どもがふと顔を上げた。何かを見ている。
その視線の先にあったのは宝石店だった。
店の前にはガラス越しにアクセサリーなどが飾られている。
子どもは宝石店のほうを見たあと、
再び俯き、肩を落としたように見えた。
「今さ、あの宝石屋見てなかった?」
「うん。そのように見えたね」
「え。じゃあ、まさかとは思うけどー。
あの子……宝石が欲しかったり?」
「ああ。そうかもしれないね」
「マジで? 子どものおサイフじゃムリだろー、いくらなんでも。
つーか、宝石なんて、俺なんか全然興味なかったぞ、ガキの頃、
ってか今もだけど。最近の子は随分とお目が高いモンだ」
アイヴィーは子どもから視線を外す。
「んで、話、元に戻しますけどー。
俺達はもうちょいこの辺ブラブラする?
特に買うモンないんなら、もう寮に帰るか?」
子どもはまだ俯いており、テオはそんな子どもを見つめていた。
「――やっぱり私、あの子とちょっと話してくるよ」
「えっ!?」
「すまない。アイヴィーは車で待っていて構わないから」
「ちょ、おいっ! 待てって、テオ!」
軽く舌打ちしてアイヴィーはテオを追い駆けた。
アイヴィーがテオに追い付いた時には既に遅く、
テオは子どもに話しかけてしまっていた。
「こんにちは」
テオは片膝を着いて、そう言った。
子どもと視線の高さを合わせる、ということを、
あいつは無意識にやっているのだろうか。
子どもはすぐに振り返った。
さっきまでは男の子かなと思っていたが、
近くで見ると解る。小さくても男のそれとは違う顔。
ボーイッシュな装いをしていても、
間近で見たその顔は、間違いなく女の子の顔だった。
警戒した目で見上げられたテオは、
シュークリームの箱を左手に持ち変え、右手を胸に置いた。
「もしかして、何かお困りではないですか?
随分と悲しそうなお顔をしていたように見えたので」
話は前に進もうとしている。
アイヴィーはテオの少し後ろに立って、
成り行きを見守るしかないようだった。
テオは下級生を相手にしている時より優しい声で言った。
「もし、私にできることがあれば、
お手伝いしますよ、可愛いプリンセス?」
「ぷりんせす?」
そう発された声は女の子の声だった。
「ええ。貴女のことですよ、プリンセス」
うわ、また言ってる、とアイヴィーは思った。
つい先程までおばちゃんを「プリンセス」と呼んでいた口が、
今度は年端もいかないお嬢ちゃんをお姫様扱いしている。
全く、守備範囲の広いことだ。この天然の王子サマは。
「あたし、プリンセスなんかじゃない」
少女は首を横に振り、ぶっきらぼうに言った。
「男にとって、全ての女性は気高く、美しいプリンセスですよ?」
少女は小さな頭を傾けるのを見て、テオは微笑んだ。
「それで、プリンセスは何をお困りですか?」
少女は先程まで見ていた物を指差した。
それは見るからに高そうなペンダントだった。
赤い宝石で作られたバラの花がペンダントトップに鎮座している。
その周辺のチェーンは薄いピンク色の宝石が飾られていた。
あんなのを首から下げてたら、ちょっと重そうだ。
少女はペンダントを恨めしそうにチラと見た。
「あれ欲しいの。でも買えなかった。それじゃ全然足りないって」
所持金が足りなかったらしい。
それはそうだろう、とアイヴィーは胸の中で呟いた。
普通の子どもに手の届く品じゃない。
いや、大人でもなかなか手が伸びないゼロの数だ。
テオはペンダントを少し眺めただけで、こう言った。
「ガーネットとローズクォーツですか。
成程、良い組み合わせですね。気品だけなく可愛らしさもある。
まるで……そう。プリンセス、貴女のように」
アイヴィーは「ゲッ」と言った。
「お前さん、ちょっと見ただけで宝石の名前なんか解んのかよ?」
「え? 色合いでそうかなと思ったのだけど。違ったかな?」
「いや、俺には全く解んねえけど」
そう言えば、とアイヴィーは思い出す。
テオはギリシャで有数の資産家、メネシス家の坊ちゃん。
ご実家の宝石箱には、さぞたくさんのアクセサリーがあり、
幼い頃から、そういう物を目にする機会があって、
自然と宝石の目利きができるまでになったのかもしれない。
これが家柄の違いってやつだろうか。
「プリンセス? もしや、どなたかへの贈り物、ですか?」
「えっ? お嬢ちゃんが自分で付けたかったんじゃなくて!?」
少女は頷いた。
「おばあちゃんにあげたかったの。もうすぐお誕生日だから」
「おばあ様へのバースデープレゼントでしたか。
ああ、なんて心の優しいプリンセスだ。
貴女の優しさは、まさにローズクォーツ。
あのピュアで優しい薔薇色そのものですね」
「あのー、お嬢ちゃん?」
アイヴィーは屈んで、ペンダントを指差しながら、
「おばあちゃんがさ、アレが欲しいって言ってたの?」
「この前、ここを通った時、『綺麗ね』って言ってた」
だったら、おばあちゃん本人はあれを綺麗と思っただけで、
実際に欲しいとは思っていなかったかもしれない、とアイヴィーは思う。
テオは優しい笑顔で言った。
「プリンセスは、おばあ様が大好きなのですね?」
少女はこっくりと頷く。
「うん。大好き。だから、あげたいの、おばあちゃんに」
アイヴィーは首を傾げる。お嬢ちゃんの気持ちは解った。
が、しかし。こんなちっちゃいお嬢ちゃんが、
誕生日プレゼントとしてあんな高価な品を持ってきたら、
おばあちゃんはひっくり返って腰を打っちゃうかもしれない。
それをこの子に解るように伝えるには一体どうすれば良いだろう。
「ねえ、プリンセス。実は私も、プリンセスと同じ年の頃に、
美しいペンダントを贈りたいと思ったことがあるのですよ、姉上に」
「おにいちゃんの、おねえちゃん?」
「ええ。私の姉上は、それはそれは優しく美しい姉上で、
絵本の中に出てくるお姫様のような人なのです」
身内の人間を惜しげなくベタ褒めするテオを見て、
アイヴィーは改めてテオは本物だなと思う。
しかし、テオの言葉に嘘がないのはアイヴィーも解っている。
いつかのテレビや生徒資料で見たテオの姉は、
本当に美人さんで、おしとやかな顔をしたお嬢様だった。
「私は姉上の本当に大好きで、次の誕生日には、
姉上に似合う、美しいペンダントをお贈りしたいと思っていました。
絵本の中に居るお姫様達が身に付けているような、
美しいダイヤモンドのペンダントを」
「あたしと似てる……」
「ええ。似ていますね」
「それで、どうしたの?」
「私はプレゼントを選ぶ為に宝石店に行きたいと言ったのですが、
家の者に止められ、私は違うプレゼントを贈ることにしたのです」
「違うプレゼント? どうして?」
「宝石より、もっと喜ばれるプレゼントがありますよ、
と教えて貰ったからです。そして私は、
そのプレゼントを姉上に贈り、本当に喜んで貰えたのです」
「何? 何をあげたの?」
テオはふわっと微笑む。
「知りたいですか? プリンセス」
「知りたい!」
「良いですよ。お教えしましょう。特別ですよ?」
アイヴィーはつられるようにして笑った。
その時のテオの顔といったら。テオ風に何かに例えるなら、
『パンケーキのような笑顔』というんだろうか。
甘くて焼きたてで、ふわっふわなヤツ。
少女と笑顔でバイバイしたあと、
とっくにおやつの時間を過ぎていることに二人して驚いた。
すっかりテオと打ち解けた少女は意外とお喋りで、
テオがまた聞き上手で話し上手でもあるから、
初対面だというのに久し振りに会った友達みたいに
話が盛り上がってしまったからだ。
「ヤッベ! もうこんな時間かよ。おい、帰るぞ、テオ」
「そうだね。アイヴィー、大急ぎの安全運転で頼むよ!」
「ハハッ。あいよっ」
二人は大慌てで駐車場へ向かい、車に乗り込んだ。
ご要望通り、大急ぎの安全運転で、
聖アルフォンソ学院正門前に到着。
アイヴィーは運転席から降り、後部座席のドアを開ける。
「夕食には間に合いそうだね」
テオが車から降りる。
「今日は本当にありがとう、アイヴィー」
「おう。忘れモンないかー? っておい!?」
後部座席を見ると、小さな黄色い箱が残っていた。
そう言えば、シュークリームを買った時、
テオは長い箱と小さい箱の二つを持っていた。
アイヴィーは箱を持ち上げて、
「テオ! 小さいほう忘れてんぞ!」
振り返ったテオが笑う。
「良いのだよ。そちらはアイヴィーの分だから」
「えっ?」
「いつもありがとう、アイヴィー。ではまた」
テオの後ろ姿を見ながら、
アイヴィーは掲げていた箱を下ろす。
「いつもありがとう、ねえ」
アイヴィーは黄色い箱を開けてみる。
そこにはシュークリームが二個も入っていた。
fin
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