×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
■ジョシュア×アンリ
■シリアス
---------------------
夜の森は恐ろしい。
ただでさえ『森』が怖いのに。
どうして僕は、こんなところに居るんだろう――
気が付いた時、アンリは月桂樹の森に居た。
寮の明かりが遠い。
森の奥まで来ているらしい。
また呼ばれたんだ、この森に。
知らない間に、森に来て居るのはこれが初めてではない。
この森は、アルフォンソ王が創ったという伝説があるせいか、
とても強い力を帯びている。
僕の目は、常人には見えないものを映し出し、
心の奥に秘めた言葉すら読み取る。
僕は、悪魔の子だから。
誰も気付かない存在を感じる。
幼い頃からそうだった。
夜中、家から姿を消す僕は、決まって当時の記憶を失っている。
どうして出歩いたのかと問い質されても、『森に呼ばれたから』としか答えられない。
――あれは人の子ではない。悪魔の子だ。
大人達は気味悪そうに囁き合って、
僕の言葉を受け止めてくれる者は誰一人として居なかった。
この学院に、来るまでは。
「アンリ」
「ジョシュア...どうしたの、こんなところで?」
「探しに来たんだよ。
クリスマスパーティーが始まるのに、君が何処にも居ないから」
「パーティーのメンバー集めまで君の仕事?
ご苦労様だね、生徒代表殿」
「俺は、約束を守らなくてはいけないからね」
「約束?」
「君は呼ばれるんだろう? この森に」
ジョシュアは、真っ直ぐにその言葉を口にした。
幼い頃、誰にも信じて貰えなかった、僕の言葉を。
「君は、入学直後も、寮から姿を消した時があったよね。
何時間も探して、やっと見つけた時。
たった一人で、夜中の月桂樹の森に居た。
君は、森まで来た記憶を持っていなくて。
震える声で『森に呼ばれた』と言った」
「僕、そんなこと言ったかな? 4年も前のこと、よく覚えているね」
「忘れる筈が無いよ、あの夜を」
***
4年前。
ジョシュアは森でアンリを見つけた後、
まだ小さい手を引いて、ウーティス寮に戻った。
その間、ジョシュアは、幼い子どもに何も話し掛けなかった。
彼は、声も出さずに泣いていたから。
聞きたいことは山程あったけれど、
何も尋ねず、まだ震える小さな手を握っていた。
寮では、バトラーが心配して待っていた。
二人の無事な姿を見ると、ほっとした様子で「おかえりなさいませ」とだけ言った。
ジョシュアは、バトラーにホットチョコレートを頼み、
自分の部屋にアンリを連れて来た。
とりあえず、椅子に座らせる。
アンリは俯いたまま、自分の手をきつく握っている。
手を広げたらまた震えだすのではないか、と恐れているように見えた。
かろうじて泣き止んでいたが、
金色の瞳に溜まった涙は、いつ零れてもおかしくない状況だった。
これでは、何を言っても泣かせてしまうな。
ジョシュアは、アンリから話し出すのを待つことにした。
部屋には、時計の音だけが響く。
最初は全く動かずに居たアンリが、時が経つに連れ、表情が変わっていく。
どうしてこの人は何も言わないんだろう、とその顔には書いてあった。
先に沈黙を破ったのは、アンリだった。
「あの…」
「なに?」
「なんで、何も聞かないの? どうして森に居たの、とか」
「俺からは聞かないよ。君が、言いたいことを言えば良い」
「え?」
「君が、言いたくないのなら、言わなくて良いんだ。
もちろん、この部屋に居るのが嫌なら、自分の部屋に戻っても構わない。
此処ではね、君の好きにして良いんだよ、アンリ」
アンリは、言葉を失う程、驚いていた。
自分が森に行った後は、必ず質問責めに合い、
罵声を浴びせられ、影ではコソコソと囁かれる。それが毎度のことだった。
だから今回も、また色々聞かれるのだろうと覚悟していた。
なのに、この人は「自分からは聞かない」「嫌なら出て行っても良い」と言った。
どうして?
では何故、僕を此処に連れて来たの?
いつもなら、大人が口にしない言葉まで解るのに。
こんなに解らない人は初めてだ。
疑問符が浮かび続ける中、ドアをノックする音が聞こえた。
ジョシュアが扉を開けると、微かに甘い香りがした。
アンリの視線が、バトラーの手元に注目する。
白のティーポットとカップが2つ並んでいる。
「失礼致します。お飲み物をお持ちしました」
「ありがとう、バトラー。今日は色々心配させてしまったね」
「いいえ。お二人ともご無事で何よりでした」
「うん。そうだね。あ、後は俺がやるよ」
優秀な執事は、何も問わず、頭を下げる。
「畏まりました。おやすみなさいませ、ジョシュア様、アンリ様」
静かに扉が閉まった。
ジョシュアは、ティーポットを手に取って、2つのカップに注ぐ。
甘い、チョコレートの香りが流れてくる。
実際に味わなくとも、味の保証が出来そうだ。
カップをアンリの前に置くと、幼い瞳が見上げてくる。
「これはね、とても美味しいホットチョコレートなんだ。
飲んで良いよ。でも嫌なら、無理に飲まなくて良いからね」
幼い瞳が、ぱちくりと動く。
まただ。また、この人は、僕の自由にして良いと言った。
アンリは、目の前に出されたものに対して、
『君の自由にしていい』と言われたことなど無かった。
今まではそれを強要されるか、ずっと待たされるか、
それとも、目の前で奪われるか。
自分の自由に任されたことなど憶えていない。
今、目の前に居る人が、自分のカップに口付ける。
ただ、それだけの動作が、とても優雅に見えた。
アンリの前に置かれたカップからは、湯気が立ち上っている。
もう部屋中にカカオの香りが漂っていた。
アンリが、それまで握っていた手をゆっくり開く。
吸い寄せられるように、カップへと手を伸ばした。
両手で口元に運ぶ様子を、ジョシュアは静かに見守っていた。
アンリが、恐る恐る一口飲む。
こくっと喉が動いて、小さく息を吐いた。
その表情からは、もう先までの緊張した様子が消えていた。
ホットチョコレートは、その細い指先以外も温めてくれたらしい。
もう一口、もう一口と飲んでいき、すぐに全部飲んでしまった。
「気に入ったかい?」
幼い少年は、首を縦に動かす。
「そう。良かった。
島の食べ物はみんな変わった名前を持っているけれど、
これは特に個性的な名前でね、
『天使も惑う悪魔の誘惑』って言うんだ。面白い名前だよね」
ガタンと音がした。
アンリが、突然、カップをテーブルに置いたのだ。
それまで大事そうに抱えていたのに、まるでカップに怯えたように手から離した。
「どうしたの、アンリ?」
「てんし…あくま…」
この子の瞳が、急に恐怖と嫌悪に染まった。
飲み物を怖がっている?
いや、天使と悪魔という言葉自体に怯えているのか?
ジョシュアは、できるだけ優しく、同じ言葉を返す。
「天使と、悪魔?」
「やだ…天使も、悪魔も。どっちもぼくのことだから、嫌い….」
アンリの瞳から、ぽろぽろと雫が零れ落ちる。
「みんな僕のこと、天使って言うのにっ…
本当は、悪魔だって思ってる…
僕のこと嫌いんだ、みんな、みんなっ!」
ジョシュアは、泣き出す子どもを見つめながら、
学院の理事に言われた言葉を思い出した。
今度、入学するサン・ジェルマン家のご子息は、特別な子でね。
彼を君が居る寮に入れたいんだ。いいかね?
はい。構いませんが、特別、というのは?
人の心が読めるそうだよ。それに、誰の目にも映らないものが見える。
どうやら、実の父親にも疎まれているようなんだ、
『お前は、悪魔の子だ』と。
子どもは、泣き続けている。
ジョシュアは無意識に手を伸ばしていた。
小さな身体が、腕の中に収まる。
アンリは、何が起こったか解らない。
涙は止まり、息をすることも、忘れた。
頭の上から柔らかい声が降って来る。
「俺は、君のこと、悪魔だなんて思わないよ」
嘘だ! そう叫ぼうとしたのに、アンリは声が出なかった。
解ったからだ。
この人は、嘘を言っていない。
僕のことを、嫌っていない。
「今まで辛い想いをしたんだね、アンリ。
でも、もう大丈夫。
この学院に居れば、もう怖いことなんて無いんだよ?」
優しい声。
この人なら、僕の言葉を信じてくれるかもしれない。
いや、信じてくれなくてもいい。
――君が、言いたいことを言えば良い。
この人は、さっきそう言った。
だから、僕が、言いたいことを言うだけだ。
アンリは、今まで自分で禁じてきた言葉を口にする。
「…森に、呼ばれるの」
「森に、呼ばれる?」
「気が付いた時には、もう森に居るの…
どうしてなのか解らないの…
僕が行きたくて行っているんじゃないっ。
森が勝手に、僕を呼ぶんだよ。
嘘じゃないんだ。お願い、信じてっ! 信じてよ…」
信じてくれなくてもいいと思って言ったのに。
僕の口は「信じて」と叫んでいた。
ずっと、信じて欲しかった。
悪魔なんて呼ばないで欲しかった。
アンリ、と僕の名で呼んで欲しかっただけなのに。
「そうか。アンリは、自分の意思で、森に行っているわけではないんだね?
良かった。それなら簡単だね」
「…僕の言葉、信じてくれたの?」
「信じるよ。君がこんなに必死で言っているのに、
嘘だと思う人なんか居るのかい?」
ジョシュアは、小さな子どもを、強く抱き締める。
「君が何に呼ばれても、必ず俺が迎えに行く」
「...ほんと?」
「うん。約束する。もう大丈夫だよ、アンリ」
***
月桂樹の森に、冷たい夜風が吹く。
アンリの身体は、とっくに冷えている。
早く寮に帰らないと、体調を崩しそうだ。
「さて、生徒代表殿。そろそろ寮に戻った方が良いよね?
全員強制参加のクリスマスパーティーに、
二人も姿が見えないと、彼等はまた騒ぎ出すから」
「うん…そうだね」
アンリの携帯が震える。
メールが来たようだ。携帯を開ける。
「ああ、もう騒ぎ出してるみたいだね。ほら、ユウタからメール。
僕達に、早く戻って来いってさ。君にも来てるんじゃない?」
ジョシュアの携帯も光っていた。おそらく同じ内容だろう。
少し迷ったが、携帯を開かずにポケットに仕舞った。
数歩先に進んでいたアンリが振り向く。
「どうしたの、ジョシュア?」
「…パーティには、少し遅れて行こう」
「何を言うの? 僕を連れ戻しに来たのは君でしょ?」
「俺はパーティーのメンバーを集めに来たんじゃない。
君を探しに来たんだよ。だから…」
アンリの目に、赤い瞳が映る。
強く気高い色の宝石に、一瞬、自分が映った。
ふわっと優しい香りに包まれる。
次に見たのは、月夜を背景にした月桂樹。
冷たい風が吹いて、大きな木がさわさわと揺れた。
枝葉の隙間から、月が妖しく輝いている。
月が、葉の影に隠れながら、僕達を見下ろしている。
「…ジョシュア。僕達、見られてるよ? 森と月にね」
「良いんだよ。森にも、月にも知って欲しいから。
君を守る者が居ることを。
何度攫われても、俺が必ず取り戻す。
何処に居ても迎えに行くよ、アンリ」
「わざわざ血筋に合った台詞を言う必要は無いんだよ?
それとも、君まで僕をお姫様扱いするつもり?」
「そう、だね。君が俺だけの姫で居てくれるなら」
「…勝手だね」
アンリの瞳にもう一度、赤い宝石が映る。
深い赤だ。
奥深くには澱んだ黒が潜んでいる。
強い色なのに。
一瞬で壊れそうな危うさをも秘めている。
このまま傍に居たら、魅入られてしまいそうだ。
いいや。もしかしたら、あの夜から――
アンリの携帯がまた震える。
しかし、その振動には気付かなかった。
ジョシュアのポケットから、携帯の光が瞬いている。
その騒がしい光でさえ、アンリの瞳には映らない。
月桂樹の森に、もう風は吹いていなかった。
「アンリ……」
夜の森は恐ろしい。
ただでさえ『森』が怖いのに。
僕は、ずっと此処に居たい、と願っていた。
fin
■シリアス
---------------------
夜の森は恐ろしい。
ただでさえ『森』が怖いのに。
どうして僕は、こんなところに居るんだろう――
気が付いた時、アンリは月桂樹の森に居た。
寮の明かりが遠い。
森の奥まで来ているらしい。
また呼ばれたんだ、この森に。
知らない間に、森に来て居るのはこれが初めてではない。
この森は、アルフォンソ王が創ったという伝説があるせいか、
とても強い力を帯びている。
僕の目は、常人には見えないものを映し出し、
心の奥に秘めた言葉すら読み取る。
僕は、悪魔の子だから。
誰も気付かない存在を感じる。
幼い頃からそうだった。
夜中、家から姿を消す僕は、決まって当時の記憶を失っている。
どうして出歩いたのかと問い質されても、『森に呼ばれたから』としか答えられない。
――あれは人の子ではない。悪魔の子だ。
大人達は気味悪そうに囁き合って、
僕の言葉を受け止めてくれる者は誰一人として居なかった。
この学院に、来るまでは。
「アンリ」
「ジョシュア...どうしたの、こんなところで?」
「探しに来たんだよ。
クリスマスパーティーが始まるのに、君が何処にも居ないから」
「パーティーのメンバー集めまで君の仕事?
ご苦労様だね、生徒代表殿」
「俺は、約束を守らなくてはいけないからね」
「約束?」
「君は呼ばれるんだろう? この森に」
ジョシュアは、真っ直ぐにその言葉を口にした。
幼い頃、誰にも信じて貰えなかった、僕の言葉を。
「君は、入学直後も、寮から姿を消した時があったよね。
何時間も探して、やっと見つけた時。
たった一人で、夜中の月桂樹の森に居た。
君は、森まで来た記憶を持っていなくて。
震える声で『森に呼ばれた』と言った」
「僕、そんなこと言ったかな? 4年も前のこと、よく覚えているね」
「忘れる筈が無いよ、あの夜を」
***
4年前。
ジョシュアは森でアンリを見つけた後、
まだ小さい手を引いて、ウーティス寮に戻った。
その間、ジョシュアは、幼い子どもに何も話し掛けなかった。
彼は、声も出さずに泣いていたから。
聞きたいことは山程あったけれど、
何も尋ねず、まだ震える小さな手を握っていた。
寮では、バトラーが心配して待っていた。
二人の無事な姿を見ると、ほっとした様子で「おかえりなさいませ」とだけ言った。
ジョシュアは、バトラーにホットチョコレートを頼み、
自分の部屋にアンリを連れて来た。
とりあえず、椅子に座らせる。
アンリは俯いたまま、自分の手をきつく握っている。
手を広げたらまた震えだすのではないか、と恐れているように見えた。
かろうじて泣き止んでいたが、
金色の瞳に溜まった涙は、いつ零れてもおかしくない状況だった。
これでは、何を言っても泣かせてしまうな。
ジョシュアは、アンリから話し出すのを待つことにした。
部屋には、時計の音だけが響く。
最初は全く動かずに居たアンリが、時が経つに連れ、表情が変わっていく。
どうしてこの人は何も言わないんだろう、とその顔には書いてあった。
先に沈黙を破ったのは、アンリだった。
「あの…」
「なに?」
「なんで、何も聞かないの? どうして森に居たの、とか」
「俺からは聞かないよ。君が、言いたいことを言えば良い」
「え?」
「君が、言いたくないのなら、言わなくて良いんだ。
もちろん、この部屋に居るのが嫌なら、自分の部屋に戻っても構わない。
此処ではね、君の好きにして良いんだよ、アンリ」
アンリは、言葉を失う程、驚いていた。
自分が森に行った後は、必ず質問責めに合い、
罵声を浴びせられ、影ではコソコソと囁かれる。それが毎度のことだった。
だから今回も、また色々聞かれるのだろうと覚悟していた。
なのに、この人は「自分からは聞かない」「嫌なら出て行っても良い」と言った。
どうして?
では何故、僕を此処に連れて来たの?
いつもなら、大人が口にしない言葉まで解るのに。
こんなに解らない人は初めてだ。
疑問符が浮かび続ける中、ドアをノックする音が聞こえた。
ジョシュアが扉を開けると、微かに甘い香りがした。
アンリの視線が、バトラーの手元に注目する。
白のティーポットとカップが2つ並んでいる。
「失礼致します。お飲み物をお持ちしました」
「ありがとう、バトラー。今日は色々心配させてしまったね」
「いいえ。お二人ともご無事で何よりでした」
「うん。そうだね。あ、後は俺がやるよ」
優秀な執事は、何も問わず、頭を下げる。
「畏まりました。おやすみなさいませ、ジョシュア様、アンリ様」
静かに扉が閉まった。
ジョシュアは、ティーポットを手に取って、2つのカップに注ぐ。
甘い、チョコレートの香りが流れてくる。
実際に味わなくとも、味の保証が出来そうだ。
カップをアンリの前に置くと、幼い瞳が見上げてくる。
「これはね、とても美味しいホットチョコレートなんだ。
飲んで良いよ。でも嫌なら、無理に飲まなくて良いからね」
幼い瞳が、ぱちくりと動く。
まただ。また、この人は、僕の自由にして良いと言った。
アンリは、目の前に出されたものに対して、
『君の自由にしていい』と言われたことなど無かった。
今まではそれを強要されるか、ずっと待たされるか、
それとも、目の前で奪われるか。
自分の自由に任されたことなど憶えていない。
今、目の前に居る人が、自分のカップに口付ける。
ただ、それだけの動作が、とても優雅に見えた。
アンリの前に置かれたカップからは、湯気が立ち上っている。
もう部屋中にカカオの香りが漂っていた。
アンリが、それまで握っていた手をゆっくり開く。
吸い寄せられるように、カップへと手を伸ばした。
両手で口元に運ぶ様子を、ジョシュアは静かに見守っていた。
アンリが、恐る恐る一口飲む。
こくっと喉が動いて、小さく息を吐いた。
その表情からは、もう先までの緊張した様子が消えていた。
ホットチョコレートは、その細い指先以外も温めてくれたらしい。
もう一口、もう一口と飲んでいき、すぐに全部飲んでしまった。
「気に入ったかい?」
幼い少年は、首を縦に動かす。
「そう。良かった。
島の食べ物はみんな変わった名前を持っているけれど、
これは特に個性的な名前でね、
『天使も惑う悪魔の誘惑』って言うんだ。面白い名前だよね」
ガタンと音がした。
アンリが、突然、カップをテーブルに置いたのだ。
それまで大事そうに抱えていたのに、まるでカップに怯えたように手から離した。
「どうしたの、アンリ?」
「てんし…あくま…」
この子の瞳が、急に恐怖と嫌悪に染まった。
飲み物を怖がっている?
いや、天使と悪魔という言葉自体に怯えているのか?
ジョシュアは、できるだけ優しく、同じ言葉を返す。
「天使と、悪魔?」
「やだ…天使も、悪魔も。どっちもぼくのことだから、嫌い….」
アンリの瞳から、ぽろぽろと雫が零れ落ちる。
「みんな僕のこと、天使って言うのにっ…
本当は、悪魔だって思ってる…
僕のこと嫌いんだ、みんな、みんなっ!」
ジョシュアは、泣き出す子どもを見つめながら、
学院の理事に言われた言葉を思い出した。
今度、入学するサン・ジェルマン家のご子息は、特別な子でね。
彼を君が居る寮に入れたいんだ。いいかね?
はい。構いませんが、特別、というのは?
人の心が読めるそうだよ。それに、誰の目にも映らないものが見える。
どうやら、実の父親にも疎まれているようなんだ、
『お前は、悪魔の子だ』と。
子どもは、泣き続けている。
ジョシュアは無意識に手を伸ばしていた。
小さな身体が、腕の中に収まる。
アンリは、何が起こったか解らない。
涙は止まり、息をすることも、忘れた。
頭の上から柔らかい声が降って来る。
「俺は、君のこと、悪魔だなんて思わないよ」
嘘だ! そう叫ぼうとしたのに、アンリは声が出なかった。
解ったからだ。
この人は、嘘を言っていない。
僕のことを、嫌っていない。
「今まで辛い想いをしたんだね、アンリ。
でも、もう大丈夫。
この学院に居れば、もう怖いことなんて無いんだよ?」
優しい声。
この人なら、僕の言葉を信じてくれるかもしれない。
いや、信じてくれなくてもいい。
――君が、言いたいことを言えば良い。
この人は、さっきそう言った。
だから、僕が、言いたいことを言うだけだ。
アンリは、今まで自分で禁じてきた言葉を口にする。
「…森に、呼ばれるの」
「森に、呼ばれる?」
「気が付いた時には、もう森に居るの…
どうしてなのか解らないの…
僕が行きたくて行っているんじゃないっ。
森が勝手に、僕を呼ぶんだよ。
嘘じゃないんだ。お願い、信じてっ! 信じてよ…」
信じてくれなくてもいいと思って言ったのに。
僕の口は「信じて」と叫んでいた。
ずっと、信じて欲しかった。
悪魔なんて呼ばないで欲しかった。
アンリ、と僕の名で呼んで欲しかっただけなのに。
「そうか。アンリは、自分の意思で、森に行っているわけではないんだね?
良かった。それなら簡単だね」
「…僕の言葉、信じてくれたの?」
「信じるよ。君がこんなに必死で言っているのに、
嘘だと思う人なんか居るのかい?」
ジョシュアは、小さな子どもを、強く抱き締める。
「君が何に呼ばれても、必ず俺が迎えに行く」
「...ほんと?」
「うん。約束する。もう大丈夫だよ、アンリ」
***
月桂樹の森に、冷たい夜風が吹く。
アンリの身体は、とっくに冷えている。
早く寮に帰らないと、体調を崩しそうだ。
「さて、生徒代表殿。そろそろ寮に戻った方が良いよね?
全員強制参加のクリスマスパーティーに、
二人も姿が見えないと、彼等はまた騒ぎ出すから」
「うん…そうだね」
アンリの携帯が震える。
メールが来たようだ。携帯を開ける。
「ああ、もう騒ぎ出してるみたいだね。ほら、ユウタからメール。
僕達に、早く戻って来いってさ。君にも来てるんじゃない?」
ジョシュアの携帯も光っていた。おそらく同じ内容だろう。
少し迷ったが、携帯を開かずにポケットに仕舞った。
数歩先に進んでいたアンリが振り向く。
「どうしたの、ジョシュア?」
「…パーティには、少し遅れて行こう」
「何を言うの? 僕を連れ戻しに来たのは君でしょ?」
「俺はパーティーのメンバーを集めに来たんじゃない。
君を探しに来たんだよ。だから…」
アンリの目に、赤い瞳が映る。
強く気高い色の宝石に、一瞬、自分が映った。
ふわっと優しい香りに包まれる。
次に見たのは、月夜を背景にした月桂樹。
冷たい風が吹いて、大きな木がさわさわと揺れた。
枝葉の隙間から、月が妖しく輝いている。
月が、葉の影に隠れながら、僕達を見下ろしている。
「…ジョシュア。僕達、見られてるよ? 森と月にね」
「良いんだよ。森にも、月にも知って欲しいから。
君を守る者が居ることを。
何度攫われても、俺が必ず取り戻す。
何処に居ても迎えに行くよ、アンリ」
「わざわざ血筋に合った台詞を言う必要は無いんだよ?
それとも、君まで僕をお姫様扱いするつもり?」
「そう、だね。君が俺だけの姫で居てくれるなら」
「…勝手だね」
アンリの瞳にもう一度、赤い宝石が映る。
深い赤だ。
奥深くには澱んだ黒が潜んでいる。
強い色なのに。
一瞬で壊れそうな危うさをも秘めている。
このまま傍に居たら、魅入られてしまいそうだ。
いいや。もしかしたら、あの夜から――
アンリの携帯がまた震える。
しかし、その振動には気付かなかった。
ジョシュアのポケットから、携帯の光が瞬いている。
その騒がしい光でさえ、アンリの瞳には映らない。
月桂樹の森に、もう風は吹いていなかった。
「アンリ……」
夜の森は恐ろしい。
ただでさえ『森』が怖いのに。
僕は、ずっと此処に居たい、と願っていた。
fin
PR
≪ 王子達の、始まらないクリスマス。
*HOME*