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Marginal Prince Short Story
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■オーギュスト×アンリ
「星を眺めていて、空に吸い込まれるような感覚に襲われたことはないかね?」

神秘学の授業中。特別講師の声が後方から教壇に向かって歩いてくる。
僕は右頬を支えながら、彼の戯言を聞いてあげていた。
後ろの席からは、ついに微かな寝息が聞こえ始める。
今日の授業では仕方ないと言えるだろう。
僕だって眠い。悪いのは彼だ。

「星の魔力に堕ちてしまう前触れかもしれないよ?
きっと占星術師達は、美しい星のウインクに心奪われてしまったのだろうね」

そう微笑みながら、神秘学の権威は夜空の中を歩いていた。
紺のジャケットに歪んだおおくま座が映り、消えていく。

「――さて。我々は捕らわれないうちに、夕暮れの教室に帰るとしよう」

教授は明かりのスイッチを付ける。
それまでプラネタリウムと化していた教室が一気に明るくなる。
急激な光を受けて、僕は一瞬くらりとした。

「以上で、占星術の章はおしまい。面白かったかな?」

六月の神秘学は、占星術がテーマだった。
変わり者の教授は、最近購入した玩具の自慢をしたかったのか、
プラネタリウムの小さな機械を教室に持ち込み、講義をしていた。
おかげで生徒達には、神秘的な異空間と大いなる睡魔が提供された。

右手で額を支えていると、次第に視界が回復してくる。
ノートを閉じようとした時、教授は珍しいことを言い出した。

「仕上げに、今度は諸君が、自由に星を占ってみないかね?」

教授は黒板へ向き直り、白いチョークでこう綴った。

場所:天文台の遺跡にて
日時:土曜日 20時~

彼は黒板の左端に佇む。窓の向こうを見ていた。

「この時期は、肉眼で二重星が見られるし、
天気も良さそうだから、ささやかな占星の会をしようかなと思ってね。
なに、ただ星を愛でるだけの会だから、構えることはないよ。
かつて、学院の創設者達がそうしたように、
同じ場所から、同じ星を眺めてみるのも、一興だと思ってね。
この会への出席は成績には関係しないから、自由に参加して欲しい。
もちろん、神秘学を受けていないお友達と一緒に来てくれても構わないよ。
あ、そうそう。眼鏡やコンタクトの人は忘れずに持ってくるようにね?」


初夏の夜。天文台には30名ほど集まっていた。
神秘学の受講生の他、その連れらしい生徒、それにバトラーやシェフ達まで居た。
さすがに大人達は遠くに立っていて、遠慮している様子だったが。
彼等は教授が誘ったのだろうか。
思ったより人が多くて帰りたくなる。
しかし、此処まで来て帰るのも癪だった。

大体の生徒達は遺跡の中央で座っていた。
ストーンサークルの中心に人が集っている光景は、なかなかに儀式的だ。
僕は群れには加わらず、遺跡に凭れて立っていた。
ウーティスの連中は連れていない。占星術と程遠い面々だからだ。
涼しい夜風に横髪を撫でられ、耳に掛ける。
教授は愛用の懐中時計を閉じて「時間だね。ようこそ、神秘の夜へ」と皆の前に立った。
今宵の出で立ちは落ち着いたブラウンのスーツにクロスタイ。
オーギュスト・ボージェという人間を今日初めて知った者達にも、
そこまでは『優しそうな先生』に見えたかもしれない。けれど、ボージェ教授は、
「せっかくだから占星術について少し話そうか」と語り出してしまったのだ。

「天文学は、占星術から派生、発展した学問なんだ。
星を占う為に必要だった天体観測器や数学の研究が進み、
また、航海術や暦学の発展にも大きく貢献する。
遥か昔から星の瞬きに魅了された人間が居たんだね」

神秘学の受講生達は、また始まった、と嘆息し、
初対面の生徒達は、ぽかんとした表情で、変わった教授を見ていた。

「占星術は古代バビロニアから既に盛んで、イスラム文明で発達する。
アフラシャブの丘には六分儀の原型があるからね」

薄い唇は常のように軽薄に語っている。難解な単語に何の解説もないのだ。
『バビロニア』とはメソポタミア文明の古代帝国。
地理的に言えばイラクのことだ。
『アフラシャブの丘』は現在のタジキスタン西部。
8世紀頃の古代都市遺跡にある場所だ。
『六分儀』とは、かつて航海術に使用されていた天体観測器具。
それなりの知識がないと、彼の戯言には付いていけない。
これでは、気まぐれに授業見学に来た生徒も退散するに決まっている。
今日の彼を見て、神秘学に興味を持つ者も居ないだろう。

「イスラムの流れとは別に、中国文明では独自の占星術が誕生、成長していった。
占星術は後にヨーロッパに広まり、国の政治まで左右するようになる。
王侯貴族に雇われた占星術師は、主人に星の導きを囁いていた」

トップに立つ者には、決断を下してくれる者が居ない。
自己の最終判断に対して、背中を押してくれる者が欲しいとか、
命令そのものを欲しているトップも中には居るだろう。
Oui ou Non(是か非か)を星に委ねたくなる気持ちも解らないではない。
僕も――稀だけれど――タロットから答えを貰う時がある。

「これは何も、中世に限ったことではないがね。現代でも――ああ、すまない。
話が長くなりそうだから歴史については以上にして。視線を空に戻そう」

教授は夜空に人差し指を向ける。生徒達が一斉に空を見た。

「私からは、ひとつだけ、今宵の貴重な星をご紹介しよう。
北斗七星が見えるかい? スプーンの形をしている、あれだね」

座っている生徒が「どこどこ?」と友達に聞いている声が聞こえた。
あどけない様子だったので、シュヌーシアの中等部だろうと思った。
教授は、全員が星を見付けたのを確認してから話を続けた。

「スプーンの柄、手で持つ方だね。その先端から数えて二番目の星。
これをミザールという。等級は2.2だから、結構明るいだろう?
よく見てごらん? ミザールに寄り添っている小さな星があるんだよ。名はアルコルだ」

僕も柄の第二星に目を向ける。
だが、白く丸い光が見えるだけで、小さな星など見えなかった。
目を凝らすと、なんとなく突起があるようにも感じるが、よく判別できない。
しかし、生徒達の中では見える者の方が多いようで、
空に何本か指が向けられていた。教授は皆が落ち着いたところで話し始める。

「アルコルは、アラビア語で『かすかなもの』という意味だ。
彼等のように二つに重なって見えるものを二重星と言うんだ。
二重星の多くは、望遠鏡や双眼鏡がないと、分離が区別できない。
レンズを使わずに二重に見える星はこの時期では彼等くらいなんだ。
また、一等星が少ない時期だから、暗い星も比較的見易いんだよ。
アルコルは四等星だから、目の良い人、視力が1.0以上あれば見られると思うよ。
かつて、この星が視力検査に使われたこともあるんだ」

どうやら僕の視力は1.0ないらしい。
目に悪いことばかりしているのだから仕方がない。

「珍しい二重星を、昔の占星術師はどう占ったのだろうね」

そう言って教授は空を仰いだ。
僕は二重に見えない星を眺めながら、ふと思うことがあった。
教授は地面に視線を落としていた。

「この世において、奇異なものは忌み嫌われ、
不吉なエピソードを付けられてしまうことが間々ある。
東洋では、あの小さな星が見えなくなると死ぬ、という言い伝えもあったんだよ。
老いて目が悪くなるから、と考えれば、あながち偽りとも言えないがね。
もちろん、まだ若い諸君は心配ないから、気にすることはないよ?
――――おっと。今日は大人の皆さんもいらっしゃるんだったね。
伝説ですから、どうぞご心配なく」

バトラーがおろおろしている。変人の戯言のせいでお気の毒に。
教授は教室に居る時と同じようにゆっくり歩き始める。
生徒達は気付いて、彼の動きを追う。
草原を踏む彼の革靴の音。
その音が聞き取れるようになった時、彼はこう呟いた。

「本当はね、ミザールとアルコルとの間には、0.3光年の距離があるんだよ。
実際は遠く離れているのに、地球から見ると、
二つの星の方向が同じだから、重なって見えるだけなんだ」

中等部の子が首を傾げる。
教授も生徒の様子を見て、己の不足に気付いたらしい。

「よく解らなかったかい? 申し訳ない。そうだね、例えば」

教授は両手を拳にした状態で、まっすぐ前に出した。

「私の右手がミザール、左手がアルコルだとしよう。
今は私の肩幅と同じくらい、二つの星は離れているね?」

うん、と中等部が頷く。
素直な子らしい。神秘学の受講生には居ないタイプだ。
教授は少年に言った。

「そして、君が地球に居る人だ。いいかね? では、星の位置を変えてみよう」

教授は手を動かさないまま、足だけを90度回転させる。
あっ、と少年は言った。
少年から見て、二つの拳は縦一列に重なって見えた。
教授の横顔が微笑む。
ふっと夜風が通り過ぎる。さやさやと草原が揺れた。

「さて。私の話はここまでにして、あとは諸君の第六感にお任せしよう。
自由に星を占ってご覧? これはなかなか創造性を必要とする作業だよ?
自分だけの星座を作ってみるのも良いかもしれないね。
ああ、それから。シェフの皆さんに、紅茶の差し入れを頂いたんだ。
美味しいものを飲みながら星を見る。贅沢な夜だね。
シェフ、どうもありがとうございます」

教授が謝辞を述べると、シェフ三人のうち、二人が一礼した。

「では諸君。良い星夜を」

すぐに寮に戻る生徒は居なかった。
紅茶はシェフとバトラーが協力して給仕していた。
生徒達はシェフの元や、落ち着いて星が見える位置に散っていった。
紅茶を片手に星を眺めたり、草原に寝そべって天体観察をしている。
僕も紅茶は欲しかったが、シェフ周辺は混雑していた。

僕は遺跡から少し離れた場所に向かう。
手頃な石があったので其処へ腰掛けた。
明るい北斗七星はよく見える。
ぼうっと眺めていると、甘い香りが流れてきた。
振り向くと、紙コップを両手に持った教授が居た。

「はい。アップルティーだそうだよ?」

あたたかい紙コップ。夜気に晒していた手には丁度良い温度だった。
教授は僕の左隣に腰を降ろす。紙コップとキスをしながら、夜空を眺めていた。
周りに電灯のひとつもない空は、寒々しいほど広い。

「アンリはできたかね、星占い」

砂糖と溶け合った酸味。
外で飲む甘いアップルティーも悪くはない。

「まあね」
「伺えるかい?」

僕はミザールを眺めながら、先程、胸に浮かんだ考えを述べた。

「アルフォンソ王は、ヨーロッパ以外から来たのかも」
「ほう。それは、どうして?」
「別に。天文学が進んでいたのは中国文明やイスラム文明って習ったばかりだから」

君からね、と胸の内で付け加えた。

「成程。面白い占いができたね。この集いの意味があったよ」
「僕は来なければ良かったと後悔していたところだよ」
「おや。何かお気に召さなかったかね?」
「僕、アルコル、見えなかったのだけれど?」

どうしてくれるの? と目で問いながらアップルティーに口付ける。
この会に参加して良かったことは、これが飲めたことくらいだ。

「先程、アルコルは視力検査に使われたと話しただろう?」

話が見えない。この教授は話し方が回りくどくて嫌だ。
僕は紙コップの縁を噛んでいた。

「この視力検査は軍の入隊試験に使われたものなんだよ」

意外と結論から話していた。教授は穏やかに続ける。

「星が見えれば合格。死期が近付くということだ。
つまり、あの星が見えたら死ぬ、とも言える訳だね」

見えなかったら死ぬ、見えたら死ぬ。
不吉な説を勝手に付けられて、
アルコルはさぞ迷惑に思っているだろう。

「なんだ。はっきりしない話」

僕の溜め息から仄かに果実の香りがした。
教授は夜空を眺めている。高い頬骨は彼をより知性的に見せる。

「物事は得てして白黒を付け難いものだよ? 何しろ世界は」
「『神秘で満ち溢れているのだから』でしょう? いい加減、その口癖直したら?」
「すまない。心掛けるよ」
「それも口癖?」

彼の目許に皺が寄る。

「手厳しいね、アンリは」

こういう時の彼を見るのはあまり好きじゃない。
ホームドラマで見た父親のような顔をしているから。
どうしても目を背けてしまう。冗談を言う時の明るめの声がする。

「では、アンリがその唇の癖を直せたら、私も直すよう努めるよ。
つまり、そのくらい難しいこと、ということだ」
「僕の口癖?」

彼は人差し指を立てて、僕の紙コップを指し示す。
憎らしいことに、わざとゆっくり言われた。

「噛み癖」

紙コップの縁はギザギザに歪んでいた。
教授は微笑んで、すっと腰を上げる。

「失礼。嫌われないうちに、静寂の夜をお返ししよう。
ボンヌ・ニュイ、アンリ」

僕以上にネイティブな「おやすみ」を言われた。
そのまま去るのかと思ったが、二、三歩進んだところで、戻ってきた。

「まだ、何か言い足りないの? ボージェ教授」
「うん。誤解のないように、念の為伝えておくよ」

彼は遺跡には背を向けた状態で、少し身を屈める。
人差し指を一本立て、そっと僕の唇に触れた。

「私は、この噛み癖も含めて愛おしいと思っているからね?」

教授が生徒達の元へ戻っていく。彼の傍に小柄な大人が近付いてきた。
好奇心旺盛なシェフに捕まって、星の講釈を頼まれているようだった。

僕はもう一度、北斗七星を仰ぐ。
僕の目に映るのはミザールだけで、やはりアルコルと離別して見えない。
白は穏やかな色にも冷たい色にも見える。
心が落ち着くようで、胸の奥底は何処かざわめいている。
ただ、黒と白のコントラストは美しかった。
闇夜に映える、眩い白光。
ふっと空に吸い込まれるような錯覚に陥った。


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