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Marginal Prince Short Story
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■オーギュスト×アンリ
■エンジュ、アンリシナリオベース
聖アルフォンソ島 植物園。
その一画を神秘学の講師と受講生が散歩していた。
ふいに講師が立ち止まる。ある花の前で身を屈めた。
「美しいものには毒があると言うけれど。この花しかり、人間しかりだね」
彼が愛でていたのは紫の花。猛毒トリカブト。
隣に立つ教え子は、講師を軽く睨み付ける。
「それ、誰かへの悪口?」
「一般論だよ、一般論」
穏やかに微笑み、また歩き出す。
生徒は不満を露わにしながらも、講師の後に続いた。

日曜の午後、アンリはオーギュストに誘われて植物園まで足を運んでいた。
「他に何か用事があるかね?」と聞かれ、「別にないけど」と返したからだ。
今日、ウーティスの寮生達は皆、出払っていた。
一人で図書館にでも行こうかと学院内を歩いているところで、講師と遭遇したのである。
日曜の植物園には、ちらほらと人が居る。
緑豊かな島の中でも、とりわけ新鮮な酸素と草木の香りで満ちている場所だった。
アンリは此処で考え事をしながら歩くことがあった。
緑に囲まれていると、脳がすっきりと澄んでいく。
気のせいというだけではないのだろう。
今月はトリカブトの花が見頃だった。
教授が言ったようにこの紫は美しく、かつ、人の命を奪うほどの毒を内包する。
ここ一帯は『アンジェロのハーブ園』と呼ばれる。
聖アルフォンソ島内では、『美しき毒遣い』と名高いアンジェロ・ボルジア。
ボルジア家は美貌と非道を併せ持つ。
この一家に嫌われた者は、皆、原因不明の死を遂げた。
歴史から葬られた末弟アンジェロは聖アルフォンソ学院の卒業生だ。
この植物園に残された記録によると、在学当時は此処でハーブを育てていたらしい。
そして、アンジェロの実兄チェーザレの遺体から、
此処で栽培されていた植物に酷似したものが発見されたという研究もある。
また、ボルジア家が衰退するきっかけは、父ロゴリード・ボルジアの急死。
原因としてはマラリア説が主流だが、毒殺を唱える説もある。
チェーザレとロドリーゴが、政敵に飲ませる筈の毒を、
手違いで煽ってしまった、というものだ。
並べる杯を誤った者、が居るらしい。
あるいは、関与していたのは花園の主だったのかもしれない。
アンリは花を鑑賞しながら、そんなことを思い出していた。
アンジェロの園に住む花達には全て何らかの毒性があった。
トリカブトの前方に咲いているのはパッシフローラだ。
花弁は中央から外側に向けて、紫、白、青の斑模様。なんとも美しく異様な彩りだ。
花の前面には迫り出した3本の雄蕊。
その高揚した紫が、花を更にグロテスクに見せている。
やがて実るのは色濃い赤に覆われた果物。中は派手な黄色だ。
果実は無毒だが、葉には幻覚を見せるハルマラ等が含まれている。
アンリは足許のパッシフローラを見下ろす。
「この葉が有毒だったなんて、此処で初めて知ったよ。
果実のパッションフルーツは美味しいのにね」
「これはアルカイド系の毒物だからね、神経系の沈静作用を持つために、
神経症不眠症、痙攣などの薬草だった歴史もあるんだよ」
博識な横顔を見上げる。
「何でも知ってるんだね、君は」
「そう聞いたことがあるだけだよ、昔ね」
知識の泉。そう形容しても過言ではない。
何の分野に於いても、オーギュストとは圧倒的な知識の差がある。
年齢の差というよりは、知力の差だろう。もはや、敗北感も感じない。
「ねえ、ボージェ教授?」 講師の少し前を歩く。
「君は、チェーザレがアンジェロに毒殺された、という説も知っているのかな?」
「聞いたことはあるよ。アンリは、植物園の研究資料を読んだのかね?」
「うん。アンジェロの研究者が書いたものをね」
「主な歴史書には、チェーザレは戦死した、と記述されているからね。
書物というものは人間が書いた物だから、全てが真実とは限らない。
専門家と呼ばれる者が、思い込みと不十分なデータを用いて、
机上で捏造した歴史もこの世にはあるからね」
神秘学の講義中にも聞いたことがある台詞だった。
教科書を鵜呑みにしてはいけないよ、とこの教師は言うのだ。
彼は講義で、一つの物事に対して、今ある説を幾つも並べ立てる。
その種類は実に様々だ。如何にも尤もらしい説から、
先ず在り得ないような説まで、同列に淡々と紹介する。
どれが正しいのか彼は明言せず、生徒達に委ねる。
そのまま講義は終わってしまうものだから、
初めて彼の講義を聞く者は大抵、首を傾けて教室を出て行く。
次回の講義まで残っている生徒の方が稀だ。
あの先生は可笑しなことばかり言っていて、
結局どれが答えか解らない、とでも思うのだろう。
皆には、彼の話は変人の戯言にしか聞こえないらしい。
おかげで、変わった講師の講義には変わった人種しか集まらない。
アンリにとっても、彼は変わった人ではあるけれど、退屈はしない。
正解がないものは自分の好きなように考える事ができる。
アルフォンソ王と同じだ。彼も謎に包まれている。
次に見えてきた花は、ジキタリス。白い釣鐘状の花は愛らしい。
英名には、見目に相応しい『狐の手袋』、『妖精の帽子』など、
メルヘンチックな名が並んでいるが、これも毒草であり、
心臓麻痺、視覚障害などの中毒症状を引き起こす。
花の内側にある赤ワインにも似た泡沫模様が血飛沫に見えないこともない。
「チェーザレか…懐かしい人だね」
教授はぽつりと言った。教室でも時折見せる、何処か遠くを眺める横顔。
彼の講義は、生徒に聞かせるものというよりは、
ただの独白のように聞こえる時がある。
視線は花に向いているが、焦点は合っていないようだった。
「オーギュスト。懐かしい、ってどういうこと?」
「ルネッサンス期の話だからね。チェーザレ・ボルジア。彼は有能な人だった」
講義と同じように滔々と語り始めた。
「参謀にもルネッサンスの名高い人物が揃っている。
建築に手を貸したのはレオナルド・ダ・ヴィンチだ。
チェーザレは父母に溺愛されたせいか、少々癇癪持ちではあったけれどね」
「そうなの?」
「うん。例えば、彼は妹を愛していた、彼女の夫を殺めるほどにね。
思う通りにならないなら、残虐非道な手段をも使い、自己の理想へと突き進む。
君主としては確かに、カリスマ性の高い人と言えるね。
敵も多かった。彼は自分を狙う者を笑顔で食事に誘う。
大勢で楽しい晩餐会を開催するんだ」
それがどんな絵だったか、アンリには容易に想像できた。
テーブルにはさぞ豪華な料理が並んでいたことだろう。
帰宅後、やがて苦しみ出すとは知らずに。
華やかな衣装を纏い、招待客は談笑していたんだ、毒殺魔と一緒に。
「成程。彼は絵の具を使わずに描くことができたんだね、『最後の晩餐』を」
ボルジア家の者は、毒の調合により、息が止まるまでの時間を自在に操れたという。
当時の医学では検出できない毒物だった為に、そう簡単には足が付かない。
彼等の思うまま、邪魔者が一人、また一人と倒れていく。
客人が皆帰った後、チェーザレは、妖艶に嗤っていたことだろう。
時には目の前で悶え苦しむ形相を肴に、美酒でも呷っていたのかもしれない。
アンリは冷たい笑みを浮かべる。それは自嘲を示すものだった。
「僕は、毒で殺されることはないだろうね」
「どうして、そう思うんだい?」
「だって、毒殺というのは、相手を信じることが前提だもの。
敵に出された料理を食べる。食べても大丈夫だと信じた、ということでしょう?」
そこまで言うと笑みは消えた。氷の表情だけが残る。

「だから、僕は平気。信じない。僕には信じるという機能が欠けているから」

俯く生徒を教授は見守っていた。『信じない』と言った時の声。
その言葉は本音の裏返しなのではないか、と講師は感じた。
信じるだけ無駄だと学んでしまった。
どんなに信じても、得られなかったものがあるからだ。
美しい花。その奥に毒を抱えている。
幼い頃に植え付けられた毒が未だにこの子を蝕んでいる。
けれど、アンリは花とは違う。花にないものを身に付けている。
講師は生徒に必要な言葉を掛ける。
「君は、殺されることはないよ、アンリ」
「不確定なことだ。断定なんかできないよ」
講師は教え子の頭に手を置く。
この美しい髪や傲慢さはチェーザレに少し似ているかもしれない。
繊細で傷付き易い内面はアンジェロ似か。
末弟は父や兄が実行してきた暗殺計画の一翼を担いながらも、苦しんでいた。
唯一の家族から毒薬の調合を強いられること、
それは、当時の彼にとって、避けられないことだった。
チェーザレの没後、アンジェロはイタリアから聖アルフォンソ島に戻ってきた。
そして、此処で、立ち尽くしていたのだ。
かつて此処にいた自分が慈しみ、育てていたハーブ園。
花の美しさに微笑みながらも、瞳からは涙が零れていた。
声にならない声で「ごめんなさい」と何度も呟きながら。
可憐に咲く花の前で、今まで犯してきた過ちを懺悔していた。
アンジェロの涙は、どの歴史書にも残っていない。
講師の胸にだけ刻まれている、遠い日の記憶だった。
当時の自分の名前は何だっただろう。彼には「先生」と呼ばれていた筈だが。
講師は現在の教え子の髪を撫でる。かつての教え子アンジェロにもそうしたように。
「アンリには聡明な頭脳がある。それにマフィアのお友達も居るんだろう?」
生徒の目付きが変わる。嫌そうな表情を露見させ、容赦なく切り捨てた。
「お友達じゃないよ、あんな暑苦しいイタリアーノ」
「そう言えば、君の寮にもイタリア出身の子が居たね?」
「ああ。僕はことごとく、イタリアーノとはそりが合わない定めらしいね」
友人の話を持ち掛けるとアンリは肩を竦めつつも、表情が僅かに変わる。
この子に植えられた毒は、聖アルフォンソ島に来てから確実に癒されている。
フランスに居る頃よりずっと、アンリは自由に振舞えるようになった。
今、君は『解毒剤』となるものに囲まれている。
講師にとっても、それは喜ばしいことだった。
本人が自覚しているのかは解らないけれど。
アンリは、気分を害した、と言わんばかりに花園から歩き出した。
「彼等を思い出しただけで疲れたな。君のせいだ。責任取って」
教授は苦笑というよりはむしろ、微笑ましく生徒の背を見つめていた。
「ではニッポンコーナーの茶室で休んでいくかい?」
「カフェの方がいい。茶室には紅茶がないもの」
「はいはい」
咲き誇るハーブ達の間を講師と生徒が歩いていく。
傾いた日差しがあたたかい。そろそろお茶の時間だった。


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