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Marginal Prince Short Story
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■ジョシュアの電話ベース
■時間軸:小説のショシュア編 続編
聖アルフォンソ学院入学初日。
新入生のジョシュアは生徒代表に連れられて、学院を案内して貰った。
想像以上に広い敷地で、施設から施設までの移動にも時間がかかった。
その道すがら、生徒代表のヤン・ハシェクは、新入生の緊張を解く目的で、
適当な話題を持ち掛ける様子は見受けられなかった。
それでも、ジョシュアが疑問や不安を覚えた時には、
まるで心を見透かしているかのように、ぽつぽつと言葉が掛けられる。
彼の紺色のカーディガンや大きめのワイシャツは、あまり上品な装いではなかった。
線が細いせいで、ひょろ長く見える。外見は健康的とはちょっと言い難い。
彼は最高学年と言っていたから、年齢は18歳前後の筈だ。
ジョシュアより5歳上というだけなのに、
まるで教師のような風貌で、なかなか生徒には見えなかった。
不思議な人だなあ、というのがジョシュアの正直な感想だった。
ヤンはずり落ちてきた眼鏡を直しながら呟く。

「えっと…これで大体回ったかなあ?」

なんとなく問い掛けにも聞こえるが、独り言なのだろうか。
彼は普段から声が大きくないようで区別が難しい。
彼の横顔は生徒と言うよりは、やはり大人に見える。
しかし、話し方は子供っぽい。少々小さな声で、ぼそぼそと話している。
子供と大人の両面を持ち合わせるアンバランスさがある。ヤンはこちらを向いた。
「13歳で此処に来て、色々不安もあると思うけど、
困ったこととかあったら、いつでも聞きに来ていいからね?
僕、シュヌーシア寮の端っこに居るからさ」
「はい」
「まあ、君はウーティスだから、同じ寮のエドの方が近いかな。
エドはね、僕なんかより頼りになる人だから。彼にも何でも聞いてね?」
エド、というのはウーティス寮の最高学年。エドガー・ラッセル。
さっき、寮に行った時、彼に会った。金色の短髪で活発そうな人だった。
彼等の遣り取りを聞いていると、どうやら仲が良いようだ、となんとなく解った。
さらに言えば、生徒代表のヤンの方が、立場が下のように聞こえた。
「それじゃ、君の寮まで送るよ」
学院案内はこれで終わりのようだ。
ジョシュアはお礼を言わなくては、とヤンに向き直る。
今日は日曜日。生徒は休日だ。
生徒代表の任務とは言え、自分の為に時間を割いてくれた。
彼の学院案内は解り易くて、丁寧なものだった。
ちゃんと今日のお礼を言いたい。ジョシュアが口を開きかけたところで、
生徒代表から「あっ」という小さな声が上がった。
「ごめん、ジョシュア」
「はい?」
「僕、忘れてた、大事なこと。今日、一番大事なことだったのに」
ジョシュアが首を傾げていると、ヤンは珍しく微笑んだ。
笑った顔は、風貌よりずっと幼く見えた。
「君に見せたいものがあったんだ。もう少し付き合って貰ってもいいかな?」

前屈み気味に歩く彼の後に続いていくと、其処は講堂のようだった。
ジョシュアが建物を眺めながら歩く。ヤンは後ろを振り返らずに話す。
「此処はね、築200年くらいなんだ。結構新しい建物だよねっ、よいしょっと」
ヤンはあまり腕力がないらしく、両手でドアを押していた。
厳かな音がして、木製の扉が開く。
「さあ、入って。ジョシュア。君におっきなプレゼントが届いてるよ」
広い場所だった。二人の靴音だけが響く。
視界の右側に何か映った。その色彩には覚えがあって。
まさか、という想いで見上げた。

あの絵。

ジョシュアは深紅の瞳を見開いたまま、声を失った。
洪水のように過去の記憶が押し寄せる。
両親と一緒に居た頃、いつも眺めていた。
父も母も大好きだったあの絵。
暫くの間、生徒代表は黙っていた。
やがて、ゆっくりと靴音を響かせて隣に立つ。
「良い絵だね、『アルフォンソ王の戴冠』って」
「あ、あの…」
「そう。君のご実家にあった絵だよ」
「でも、どうして、此処に…」
父の死後、何処かに消えてしまった絵だった。
おそらく母が、目に映らない所へ隠したのだろう。
幸福だった過去を思い出さないように。
生徒代表は絵画を見上げている。
オレンジ色の日差しを浴びて、彼には長い影が出来ていた。
「一応、匿名で学院に寄贈されたものなんだ、君の入学日に合わせてね。
寄贈品だから、形式上は学院の物ってことになるけど。
君が卒業する時には持って帰ってもいいんじゃないかな。
だって、君の家にあったものだもんね?」
ヤンの眼鏡レンズには夕陽が反射している。
「贈り主さんはきっと、君が学院に居る間、
寂しくないようにって思ったのかな。素敵なサンタさんだね」
「これは、グラントの伯父さんが送ってくれたんですか?」
「ごめん。名前はね、言っちゃダメって言われてるから、僕は言えないけど。
君の保証人さんなんだよ。君は誰が保証人なのか、知らされてないらしいね?」
「ええ」
「大丈夫だよ。時が来れば自然と解るよ、誰なのか。全部解る日が来るから」
ジョシュアの頭の中には、血族の顔が数名浮かぶ。
母方のグラント姓の人ではないのだろうか?
だが、父方の血族は既に縁を切られているも同然だ。
では血族以外の誰かだろうか。胸の中は感謝でいっぱいだった。
その人にお礼も言うことができないなんて。

「ねえ。君は『婚約数』って数を聞いたことあるかな?」

「え? いいえ…」

唐突に尋ねられた。婚約数。ジョシュアは初めて聞く単語だった。
数、ということは数学の話なのだろうか。
ヤンの声が僅かに明るくなったような気がする。

「婚約数っていうのはね? 見た目は全然違う2つの数が、
見えない糸で結ばれていることを言うんだ。
1と自分を除いた約数の和が、お互いの数になる組があるんだよ」

ジョシュアは決して数学が苦手というわけではなかったが、訳が解らなくなる。
ヤンがこれから何を話そうとしているのか全く掴めず、戸惑いを隠せなかった。
眼鏡の生徒代表は、深紅の瞳を見つめ、緩やかな口振りで話し始めた。

「1番小さい婚約数の二人はね、48と75」

ヤンは其処に透明な黒板があるかのように、宙に数字を書いていく。

「48はね、1と48を除いた約数が、2、3、4、6、8、12、16、24だから、和は75でしょ?」

ジョシュアにはそれが正答なのかさえ判断できない。
彼は口にするのと同じ速度で暗算しているのか、元々答えを記憶しているのだろうか。
ジョシュアは目の前に居る上級生に、尊敬の念を抱き始めていた。
ヤンの指は魔法の杖のように、軽やかに動く。

「それで、75は、1と75を除いた約数が、3、5、15、25で、和は48なんだ。
ほら、ね? 48のパートナーは75で、75のパートナーは48。ね。なんかすごいよね?」

「すごいですね…」

ふわふわとした口調で、数学教師の如く話しているヤンに対して、
「すごい」とジョシュアは言ったのだが、本人にはそこまで伝わらなかったようだ。
こくんと頷いて、楽しそうにしている。

「うん。すごいよねえ、婚約数って。
見つけた人は、きっと、飛び上がるほど嬉しかったと思うなあ」

ヤンはスローテンポながらも、生き生きと話しているように見えた。
だが、ジョシュアは混乱してきた。一体何の話をしていて数学の話になったんだろう。

「例えば、君が『48さん』だとするでしょ?」

ヤンはジョシュアの胸の前で『48』と宙に描いた。
思わず、ジョシュアは自分の胸を見てしまう。
其処に透明な数字が浮かんでいるように感じた。
次に、彼は大きな絵画に向かって『75』と刻んだ。

「君にこの絵をくれたのは『75さん』だと思うんだあ、僕。
二人は一見、全然違う人なのに、不思議な糸で結ばれているんだよ」

天井の高い講堂では、物静かな声もひとつひとつ拾われる。

「今はまだ、繋がりが見えないかもしれない。
だけどね、結ばれてるんだよ、48と75は。
婚約数の糸は永遠に切れることがない。透明で見えないけど、強い強い糸なんだ」

ヤンはジョシュアを振り返って、微笑する。

「君の『75さん』はね、君のこと、とっても大切に想ってるよ」

眼鏡の奥の灰色の瞳が、とても穏やかな色に見えた。

「ああ、ごめんね。こういう話すると、またエドに怒られちゃうなあ。
『新入りにいきなり言うことじゃないだろ』って。
でも僕、他にどう言っていいか解らないんだ。ごめんね?」

「いえ、あの…ありがとうございます」

「さてとっ」
ヤンは講堂の扉に身体を向ける。
「おなか空いてきたね。そろそろ帰ろっか?
エドに『帰って来るの遅い』って怒られちゃいそうだし」
「はい、解りました」
相変わらず遅い歩みでヤンは前に進んでいく。
外は淡い菫色。空気が綺麗なせいか、高く見えた。
「今日のばんごはん、なにかなあ」
生徒代表はのんびりと独り言を呟いていた。

ウーティス寮まで送ってくれた。サロンのベランダではエドガーが待っていた。
二人の姿を見ると、身軽に走って、こちらにやってきた。
その勢いのまま、エドガーはヤンの頭を小突く。
案の定、ヤンはエドガーに「遅い」と怒られていた。
怒られた生徒代表は灰色の頭を掻きながら「ごめん」と謝っていた。
新入生が生徒代表から寮の最高学年へと引き渡される。
これで今日の生徒代表の仕事はおしまいだ。
エドガーとジョシュアが、ヤンの猫背を見送っていると、
彼の足取りが、よろよろと、ふらつき始めた。
真っ直ぐに歩いていたのが、大きく右側に反れている。
急に酔っ払ったかのようだ。彼に何が起こったんだろう。
ジョシュアは心配になって駆け出そうとした。
その時、隣のエドガーが笑った。
「まーた、なんか数えてやがるな」
「…数える?」
「そ。あいつのクセ。新入り案内が終わったから、気ぃ抜いてんだろ」
エドガーは大きく息を吸って、笑顔のまま叫んだ。
「バカ! 前見て歩け! 転ぶぞ!」
2秒程の時差を経て、ヤンはこちらを向こうとした。
振り向きざま、何かに視線の注意を奪われ、身体が傾いた。
やたらとスローモーションな動きで、ぱたりと転んだ。
ジョシュアは、呆然と生徒代表を見つめていた。
ヤンは上体を起こすと、汚れた衣服を気にする様子はなく、地面の上で正座した。
ズレた眼鏡だけを押し戻し、地面に顔を近付けていた。
すると、ほっとしたような表情に変わる。
次の瞬間には手を着いて、地面に向かって何か話し掛けていた。
「あーありゃ、数えてたのはアリだな」
ジョシュアはエドガーを見上げる。こちらの最高学年は、体育会系の身体付きだった。
「…アリ、ですか? ヤンは昆虫に興味が?」
「いんや、虫じゃなくて。あいつの場合は、数えられれば何でもいいんだわ。
動物でも静止物でもな。目にしたもんは何でも数えたがるんだよ。
あれは、そーゆー習性を持った生き物だから。気にしなくていいぜ?」
それは趣味の類なのだろうか、とジョシュアは不思議に思う。
エドガーはよく伸びる声で叫んだ。
「ヤーン! 大丈夫かー?」
彼は地面に座り込んだまま、軽く手を上げた。
大丈夫、という意味らしい。きっと怪我はなかったのだろう、とジョシュアは思った。
エドガーは新入りに向かって笑い掛けた。
「違うぜ、ジョシュア」
「え? 何がです?」
「あれは『アリは踏まなかったから大丈夫』ってイミさ。バカだろ?」
そう言う笑顔は、愛玩動物でも見ているかのようだった。
バカ、と言ってのけた。
どちらかと言うと、彼が持つ独特の空気は、
天才の部類なのではないかと思っていたのだけど。
今の光景を見た後では、ちょっと解らなくなってきていた。
ヤンは一人で立ち上がって、シュヌーシアに帰っていく。
「俺達も帰るぞ、腹減ったし」
エドガーに連れられて、これから自分の家となるウーティス寮に向かう。
風変わりではあるけれど、美しい建築物だ。玄関には多くの絵。
ヤンはこれらを在校生や卒業生の作品だと説明していた。
「なあ、ジョシュア。さっきから気になってんだけどさ」
「何ですか?」
「それ、なんで胸に差してんの?」
胸ポケットには月桂樹の小枝があった。
森を案内された時、ヤンは何気なく枝を手折り、此処に入れたのだ。
彼に貰いました、と伝えるとエドガーは首を捻った。
ジョシュアにもヤンの行動の意図は解らなかったが、
少し変わった雰囲気の人だし、彼なりの歓迎の印なのだろうと思っていた。
きっと、新入生には皆、こうやって月桂樹をプレゼントしているのだろうと。
「えっと、ヤンはいつも新入生にこうしているんじゃ…」
「いや、初めて。俺が知る限りだけどな」
「そうですか…」
「ま、いいか。メシにしようぜ。お前のこと、皆に紹介するからさ」
他の生徒達に会う。そう思うと、少し緊張が増した。
皆に会う前に、ひとつ聞いておきたいことがあった。
「すみません、エドガー。あの、ヤンは数学が好きなんですか?」
「あっ、また初日から新入りに数学の話したのかよ!
ったく、数学バカが。悪いなー、後でちょっとシメとくわ」
「い、いえ、そんな…」
「あいつ、言いたいこと、言葉じゃ説明できないからって、
数字で言おうとするんだけど、聞かされてる方は余計解らないっつの。なあ?」
エドガーの意見に同意はできるが、ヤンのことも少し解るような気がしていた。
彼は本当に数学が好きなんだと思う。
好きな数字を使って、俺に何かを言おうとしていた。
数学の話をしている彼は、今日見た中で、一番楽しそうに見えた。

―― 君の『75さん』はね、君のこと、とっても大切に想ってるよ ――

見えないけれど、強い絆で結ばれている2つの数のように。
俺にも、誰か、俺を見守ってくれている人が、この世界の何処かに居る。
ヤンはそう伝えたかったのではないだろうか。

あの絵。
懐かしかった。
父が亡くなって以来だから、もう8年になる。
やっぱり自分はあの絵が好きなんだ。
傍にヤンが居なかったら、もしかしたら涙が流れていたかもしれない。
かつての幸福な時間は幻ではなかったと思った。
今はもう取り戻せない時間だけど、確かにあったんだ。
二度と見ることはないと思っていた絵。
これからはいつでも見られるんだ。
明日また見に行こう。
そう思うと、此処での学院生活が少し楽しみになってきた。

エドガーの快活な声がウーティスの廊下に響き渡る。

「ジョシュアー、来いよー。皆、待ってるぜ」
「あ、はいっ」

俺の家族が好きだった絵を、俺に贈ってくれた人。
一人きりの入学初日に、これ以上嬉しい贈り物はない。
俺に、こんなに親切にしてくれる人は誰なんだろう。
いつか、会えるだろうか。俺の『75』に。


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