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■シルヴァン×ジョシュア
-------------------------
聖アルフォンソ学院 通信室。
生徒が電話をする時に使用する場所だ。
高セキュリティな盗聴対策が施されている。
ブースは15。ノーマルブースと完全防音のプライベートブースがある。
外部から掛けられた電話は全て交換台に繋がる。
交換台に呼ばれた生徒は指定されたブースに入り、電話をすることになっていた。
ランチが終わった頃。シルヴァンは呼び出しを受け、此処に来た。
交換手に名前を告げ、生徒手帳を見せる。
愛想の良い笑顔の交換手は、オペレータらしい快活な声で対応する。
「シルヴァン・クラーク様ですね、プライベートブースへどうぞ」
「…プライベートブース、ですか?」
思わず聞き返していた。
通常はノーマルブースに案内される筈だ。
プライベートブースは、余程他人には聞かれたくない話の時、
生徒から掛け直す際に使用する部屋だ。
しかし、聖アルフォンソ学院の生徒に聞かれて困る話は殆どない。
此処は『訳あり』の子息が集まる避難場所。
同士を外部に売ろうなどと考えている生徒は先ず居ない。
プライベートブースなどあってないようなものだった。
シルヴァンは2年間この学院に在籍しているが、
完全防音の部屋を利用している生徒を見掛けたのは2度だけだ。
自分に電話を掛けてくるのは、あの人しか考えられないが、
もう話すことなどない筈だ。
聖アルフォンソ祭が無事に終わった今、連絡を取る理由が思い付かない。
交換手はナンバープレートが付いたカードキーを渡しながら言う。
「ええ。先方様から、プライベートブースを、とのご希望でしたので」
「そうですか。ありがとうございます」
カードキーを受け取る。密室へ向かう足取りが早い。
薄い鍵穴にカードを入れる。
ピッと機械的な音がして、重厚な扉のロックが外れる。
扉を閉めると、そこは完全な無音。自分の心音が聞こえそうだ。
目に入るのは、灰色の電話とグリーンのソファ。
電話台には、メモとペンが乗っている。たったそれだけのものが、
バンド練習で使用しているスタジオより分厚い防音壁に囲まれている。
圧迫感を感じない適度なスペースがあるものの、
この個室をやはり息苦しく感じるのは、精神的な理由だろう。
其処にしか座ることができないソファに腰を下ろす。
座り心地の良い椅子が柔らか過ぎると感じられた。
目の前にある灰色の電話。受話器に手を伸ばす。
威厳を秘めた声は、フランクに話し掛けてきた。
「やあ、シルヴァン。元気かね?」
「シュミット大佐…貴方からまたお電話が頂けるとは思いませんでしたよ」
「ほう。それはどうしてかな?」
「僕は貴方のご期待に応えられませんでしたから」
聖アルフォンソ祭に乗じて、暗殺者が侵入するらしい。
その報告を受け、シルヴァンは生徒の側から情報収集を頼まれたが、
謎の男から襲撃を受け、身体に傷を残した。
シュミット大佐は言った。「君には荷が重いようだ」と。
事実上『お払い箱』だと判断されたわけだ。
酷な宣告だった。恩人である彼の期待を裏切りたくはなかった。
自分が不甲斐無くて、その後も独自に情報収集を続け、生徒の護衛に回った。
ターゲットはロレートの王子であるジョシュアだと踏んでいたが、
実際に刃を向けられたのはアンリだった。
結果的に二人とも命を取り止め、後夜祭のライブステージに立つことができた。
自分はバンドでステージに立つことが多いが、
これほどステージに立てることが幸せだと思ったのは後にも先にもないだろう。
聖アルフォンソ祭は終わった。ジョシュアもアンリも生きていた。
今、シュミット大佐から、受ける連絡はない筈だ。
完全防音の部屋を使用する意味も。
シルヴァンは受話器の向こう側に問う。
「シュミット大佐、どうして僕にお電話を? 僕はもう用済みでしょう?」
「まさか。私は、物持ちが良い方でね。 使える物は壊れるまで使う主義だよ?」
耳に吐息が届く。歪んだ口許が見えるようだった。
いつもの冗談だ。彼の家は軽快なジョークが飛び交う明るい家だと知っている。
今は亡き彼の息子が一番、そのセンスに長けていたことを思い出す。
シルヴァンは苦笑しながら、ジョークに乗っかる。
「悪い人。流石、ブライアンのお父上ですね」
「君もブライアンの友人だけのことはあるよ」
幼い時から親しくしていたシュミットおじさんとの
他愛無い会話を続けていたかったが、彼はNATO軍の幹部。
僅かな空き時間を利用して自分との時間を作っていることは想像に難くない。
楽しい時間を過ごしたいのならば、プライベートブースに呼ぶ必要はない。
「それで、ご用命は何です? 大佐」
「今日は君に命を下すつもりはない」
「では、何故」
「良くない噂を耳にしたのでね。 君に知らせておこうかと思っただけだ」
大佐の声は耳元で聞こえるのに現実感が無い。
嫌な胸騒ぎがする。
また心音が早まっていく。
「聖アルフォンソ祭に、ロレートの国王が来たそうじゃないか」
「ロレート、ですって…」
「裏社会の一部では『金のなる木』として、 注目が上がる一方のようだよ」
「では、良くない噂って」
「学院の外に出る時は注意することだね。君の学校に居る、ロレートの王子は」
通信室から出た後、自分でも足取りが覚束無いのが解った。
聖アルフォンソ祭が終われば、彼の安全は保証されるものと思っていた。
島の警備部隊は、他国から有能な軍人をスカウトしている。
アイヴィーもその一人だ。
普段は、ちゃらんぽらんなタクシードライバーだが、その腕は計り知れない。
一回り若い自分よりフットワークが俊敏なのは、経験値の差だろう。
相手の動きを適確に読み、攻撃を受け流す能力に優れている。
彼も属する警備部隊は少数精鋭と言えるが、
少数故、侵入者を取り逃がすことが稀にある。
今年の聖アルフォンソ祭に、ロレート国王カーディス1世が来るとは、
ジョシュアですら予想していなかった。
島民の噂が外へ漏れたのも無理はない。それがこんな形で裏目に出るとは。
次は歴史の特別講義だったが、今の状態ではとても受けられない。
この講義は、レッドとハルヤと一緒に受けている。
彼等の前でいつも通り振舞えるか、自信がなかった。
生徒達が教室を移動する姿を見ながら、校舎の反対側へ向かった。
正門へと続く道は、アーチのように木々が並んでいる。
陽の光が葉の隙間から輝いている。
普段なら、それを美しいと思えるのに。
今日はガラスの乱反射のように見えて、心が動かない。
正門の前まで、ぼうっと歩いてきてしまった。
門番に外出届を渡す。
正門を出ると、幾らか肩の力が抜けた。
ポケットに手を入れて、道路沿いを歩く。
目的地は無い。
歩きながら、これからの対策を考えようと思った。
もう失いたくない。
やっと彼より大切な人に出会えたのだから。
足を止める。
右手を翳して空を見る。
顔に当たる温かさが消え、代わりに黒い影に覆われる。
この島の空は高い。
空気が澄んでいるからだろう。
高く、遠くて。
届かない。
君は一人で。
空に。
――ははっ! ジョークだよ、ジョーク!
昨日聞いたばかりのように。
彼の明るい声は、今も耳に残っているのに。
「本当に、ジョークのような人でしたね」
「シルヴァン」
自分でも解る程、肩が跳ねた。
柔らかく、誠実な声。
誰のものかは解る。
振り返ると、やはり彼が居た。
「ジョシュア…」
「すまない。驚かせてしまったみたいだね」
「あ、いえ…」
滅多に学院の外へ出ない筈なのに。如何して、貴方が此処に居るんだろう。
安全な学院に一刻も早く戻って欲しいが、そう切り出すのは余りにも不自然だ。
これから出掛けるのであれば、一人で行かせて良いのだろうか。
ジョシュアは制服を着ているから、遠出ではないようだが、
兎に角、行き先だけでも知っておきたい。
「ジョシュアが外出なんて珍しいですね。何処に行くんですか?」
歩道の傍を車が駆け抜ける。走行音がやけに大きく聞こえた。
ジョシュアが返した言葉は目的地ではなかった。
「君を追い駆けて来たんだ。外出届を提出している君を見掛けて」
「…僕を、ですか?」
「なんだか思い詰めた表情に見えて…」
見られた。
通信室から出た後の表情を。
よりによって、守るべき人に。
貴方を狙う輩が居ると聞き、動揺と焦燥が露顕していた筈だ。
そんな人間を見かければ、誰であっても、貴方は心を痛める。
「平気かい、シルヴァン?」
真摯な視線が向けられる。
深く赤い瞳。
嘘偽りなく心配してくれているのだと解る。
「すみません、ご心配をお掛けして。平気ですよ」
「俺にできることがあれば、何でも言って欲しい」
シルヴァンは自分の左腕を抱く。
腕が震える程、きつく指を押し付ける。
「あの、本当に、平気ですから」
ジョシュアは「すまない」と俯いた。
「君のあんな表情は初めて見て、放っておけなかったんだ。
でも、学院の外まで追い駆けて来たりして、迷惑だったよね」
「いえ。貴方に余計な心配をさせてしまったのは僕の方ですよ。
ちょっと昔の友人のことを思い出していたんです。
ブライアンという幼馴染が居たのですが、数年前に事故で」
「シルヴァンの幼馴染…」
「まあ、悪友という奴です。悪い遊びは、大体彼から習いました。
ブライアンは人を笑わせるのが好きな奴で。
彼のジョークには、よく振り回されました。
何度、あの口を塞ぎたいと思ったか解りません。
ですが、もう二度と、彼の笑い声が聞けないと思うと」
「シルヴァン…」
「だから、僕」
笑顔を作って、目の前に居る人を見る。
ロレート公国の次期国王。
アルフォンソ学院の生徒代表。
ウーティス寮の仲間。
そんな肩書きが全て無かったとしても。
ジョシュア・グラント。
貴方という人に出会えた。
長く荒んでいた僕を、明るく照らしてくれる人に。
「失いたくないんですよ、これ以上」
深紅の瞳が瞬く。
どう言って良いのか解らない、という顔をしている。
困らせている。
それが解っているのに。
今、彼の思考を占有していることに、暗い悦びを感じる。
ジョシュアの背後にバイクが見えた。
黒のボディに、可笑しなマークが付いている。
バイクに乗っている男は、全身が漆黒に染まっている。
男は片手を離す。
手許だけが銀色に鈍く光った。
「…ジョシュア!」
地面を蹴って、ジョシュアを頭から抱え込む。
渇いた銃声。
耳元で風を切る音。
肩に鈍い痛みを感じ、細い飛沫が自分の頬を汚した。
ジョシュアを抱いたまま、地面の上を転がる。
冷たいコンクリートが、身を打ち突けた。
背後でエンジン音が駆け抜ける。
振り返ると、赤いテールランプがリボンのように流れていった。
他に走行車は居ない。
辺りを見回したが、もう人の気配はなかった。
コンクリートの上で身を起こす。
僕の下に居る人は、その赤い瞳を見開いていた。
その表情は驚きを表すもので、苦痛に歪んでいるわけではなかった。
緑の制服には砂が付着していたが、損傷はないようだ。
シルヴァンは少し肩の力を抜く。
「ジョシュア、お怪我は?」
「ああ、大丈夫」
「そうですか…良かった…」
灰色の道に、赤い雫が落ちる。
僕の左肩からは、肌が覗いていた。
緑の布は切り裂かれ、赤い液体に滲んでいる。
それに気付いたジョシュアが上体を起こす。
「シルヴァン! 肩を撃たれて…」
「大丈夫ですよ。幸い、掠った程度ですから」
ジョシュアは歯を食い縛る。
緑翠の前髪が額を覆う。
「すまない、俺を守る為に…」
「良いんですよ。貴方がご無事なら」
ゆっくりと膝を伸ばす。
彼に右手を差し出す。
「さあ、ジョシュア。早く学院に戻りましょう」
「うん」
ジョシュアが僕の手を取る。
手を引くと、左肩に痛みが走った。
肩を押さえながら、数メートル先に進むと、光るものがあった。
見覚えのある金色の銃弾。
コンクリートの上をゆらりと回っている。
他に薬莢は落ちていない。
銃声も一発だけだった。
此処で殺すつもりだったとは考え難い。
おそらくは只の挨拶だ。
礼儀知らずにも程がある。
アルフォンソ学院の目前で実行するなんて。
身を屈めて、銃弾を拾い上げる。
拳の中で、立ち込める硝煙の匂い。
直径9mm、長さ19mmの薬莢。
貫通力の高い9mmパラベラム弾。
硬い薬莢を握り締めした。
fin
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聖アルフォンソ学院 通信室。
生徒が電話をする時に使用する場所だ。
高セキュリティな盗聴対策が施されている。
ブースは15。ノーマルブースと完全防音のプライベートブースがある。
外部から掛けられた電話は全て交換台に繋がる。
交換台に呼ばれた生徒は指定されたブースに入り、電話をすることになっていた。
ランチが終わった頃。シルヴァンは呼び出しを受け、此処に来た。
交換手に名前を告げ、生徒手帳を見せる。
愛想の良い笑顔の交換手は、オペレータらしい快活な声で対応する。
「シルヴァン・クラーク様ですね、プライベートブースへどうぞ」
「…プライベートブース、ですか?」
思わず聞き返していた。
通常はノーマルブースに案内される筈だ。
プライベートブースは、余程他人には聞かれたくない話の時、
生徒から掛け直す際に使用する部屋だ。
しかし、聖アルフォンソ学院の生徒に聞かれて困る話は殆どない。
此処は『訳あり』の子息が集まる避難場所。
同士を外部に売ろうなどと考えている生徒は先ず居ない。
プライベートブースなどあってないようなものだった。
シルヴァンは2年間この学院に在籍しているが、
完全防音の部屋を利用している生徒を見掛けたのは2度だけだ。
自分に電話を掛けてくるのは、あの人しか考えられないが、
もう話すことなどない筈だ。
聖アルフォンソ祭が無事に終わった今、連絡を取る理由が思い付かない。
交換手はナンバープレートが付いたカードキーを渡しながら言う。
「ええ。先方様から、プライベートブースを、とのご希望でしたので」
「そうですか。ありがとうございます」
カードキーを受け取る。密室へ向かう足取りが早い。
薄い鍵穴にカードを入れる。
ピッと機械的な音がして、重厚な扉のロックが外れる。
扉を閉めると、そこは完全な無音。自分の心音が聞こえそうだ。
目に入るのは、灰色の電話とグリーンのソファ。
電話台には、メモとペンが乗っている。たったそれだけのものが、
バンド練習で使用しているスタジオより分厚い防音壁に囲まれている。
圧迫感を感じない適度なスペースがあるものの、
この個室をやはり息苦しく感じるのは、精神的な理由だろう。
其処にしか座ることができないソファに腰を下ろす。
座り心地の良い椅子が柔らか過ぎると感じられた。
目の前にある灰色の電話。受話器に手を伸ばす。
威厳を秘めた声は、フランクに話し掛けてきた。
「やあ、シルヴァン。元気かね?」
「シュミット大佐…貴方からまたお電話が頂けるとは思いませんでしたよ」
「ほう。それはどうしてかな?」
「僕は貴方のご期待に応えられませんでしたから」
聖アルフォンソ祭に乗じて、暗殺者が侵入するらしい。
その報告を受け、シルヴァンは生徒の側から情報収集を頼まれたが、
謎の男から襲撃を受け、身体に傷を残した。
シュミット大佐は言った。「君には荷が重いようだ」と。
事実上『お払い箱』だと判断されたわけだ。
酷な宣告だった。恩人である彼の期待を裏切りたくはなかった。
自分が不甲斐無くて、その後も独自に情報収集を続け、生徒の護衛に回った。
ターゲットはロレートの王子であるジョシュアだと踏んでいたが、
実際に刃を向けられたのはアンリだった。
結果的に二人とも命を取り止め、後夜祭のライブステージに立つことができた。
自分はバンドでステージに立つことが多いが、
これほどステージに立てることが幸せだと思ったのは後にも先にもないだろう。
聖アルフォンソ祭は終わった。ジョシュアもアンリも生きていた。
今、シュミット大佐から、受ける連絡はない筈だ。
完全防音の部屋を使用する意味も。
シルヴァンは受話器の向こう側に問う。
「シュミット大佐、どうして僕にお電話を? 僕はもう用済みでしょう?」
「まさか。私は、物持ちが良い方でね。 使える物は壊れるまで使う主義だよ?」
耳に吐息が届く。歪んだ口許が見えるようだった。
いつもの冗談だ。彼の家は軽快なジョークが飛び交う明るい家だと知っている。
今は亡き彼の息子が一番、そのセンスに長けていたことを思い出す。
シルヴァンは苦笑しながら、ジョークに乗っかる。
「悪い人。流石、ブライアンのお父上ですね」
「君もブライアンの友人だけのことはあるよ」
幼い時から親しくしていたシュミットおじさんとの
他愛無い会話を続けていたかったが、彼はNATO軍の幹部。
僅かな空き時間を利用して自分との時間を作っていることは想像に難くない。
楽しい時間を過ごしたいのならば、プライベートブースに呼ぶ必要はない。
「それで、ご用命は何です? 大佐」
「今日は君に命を下すつもりはない」
「では、何故」
「良くない噂を耳にしたのでね。 君に知らせておこうかと思っただけだ」
大佐の声は耳元で聞こえるのに現実感が無い。
嫌な胸騒ぎがする。
また心音が早まっていく。
「聖アルフォンソ祭に、ロレートの国王が来たそうじゃないか」
「ロレート、ですって…」
「裏社会の一部では『金のなる木』として、 注目が上がる一方のようだよ」
「では、良くない噂って」
「学院の外に出る時は注意することだね。君の学校に居る、ロレートの王子は」
通信室から出た後、自分でも足取りが覚束無いのが解った。
聖アルフォンソ祭が終われば、彼の安全は保証されるものと思っていた。
島の警備部隊は、他国から有能な軍人をスカウトしている。
アイヴィーもその一人だ。
普段は、ちゃらんぽらんなタクシードライバーだが、その腕は計り知れない。
一回り若い自分よりフットワークが俊敏なのは、経験値の差だろう。
相手の動きを適確に読み、攻撃を受け流す能力に優れている。
彼も属する警備部隊は少数精鋭と言えるが、
少数故、侵入者を取り逃がすことが稀にある。
今年の聖アルフォンソ祭に、ロレート国王カーディス1世が来るとは、
ジョシュアですら予想していなかった。
島民の噂が外へ漏れたのも無理はない。それがこんな形で裏目に出るとは。
次は歴史の特別講義だったが、今の状態ではとても受けられない。
この講義は、レッドとハルヤと一緒に受けている。
彼等の前でいつも通り振舞えるか、自信がなかった。
生徒達が教室を移動する姿を見ながら、校舎の反対側へ向かった。
正門へと続く道は、アーチのように木々が並んでいる。
陽の光が葉の隙間から輝いている。
普段なら、それを美しいと思えるのに。
今日はガラスの乱反射のように見えて、心が動かない。
正門の前まで、ぼうっと歩いてきてしまった。
門番に外出届を渡す。
正門を出ると、幾らか肩の力が抜けた。
ポケットに手を入れて、道路沿いを歩く。
目的地は無い。
歩きながら、これからの対策を考えようと思った。
もう失いたくない。
やっと彼より大切な人に出会えたのだから。
足を止める。
右手を翳して空を見る。
顔に当たる温かさが消え、代わりに黒い影に覆われる。
この島の空は高い。
空気が澄んでいるからだろう。
高く、遠くて。
届かない。
君は一人で。
空に。
――ははっ! ジョークだよ、ジョーク!
昨日聞いたばかりのように。
彼の明るい声は、今も耳に残っているのに。
「本当に、ジョークのような人でしたね」
「シルヴァン」
自分でも解る程、肩が跳ねた。
柔らかく、誠実な声。
誰のものかは解る。
振り返ると、やはり彼が居た。
「ジョシュア…」
「すまない。驚かせてしまったみたいだね」
「あ、いえ…」
滅多に学院の外へ出ない筈なのに。如何して、貴方が此処に居るんだろう。
安全な学院に一刻も早く戻って欲しいが、そう切り出すのは余りにも不自然だ。
これから出掛けるのであれば、一人で行かせて良いのだろうか。
ジョシュアは制服を着ているから、遠出ではないようだが、
兎に角、行き先だけでも知っておきたい。
「ジョシュアが外出なんて珍しいですね。何処に行くんですか?」
歩道の傍を車が駆け抜ける。走行音がやけに大きく聞こえた。
ジョシュアが返した言葉は目的地ではなかった。
「君を追い駆けて来たんだ。外出届を提出している君を見掛けて」
「…僕を、ですか?」
「なんだか思い詰めた表情に見えて…」
見られた。
通信室から出た後の表情を。
よりによって、守るべき人に。
貴方を狙う輩が居ると聞き、動揺と焦燥が露顕していた筈だ。
そんな人間を見かければ、誰であっても、貴方は心を痛める。
「平気かい、シルヴァン?」
真摯な視線が向けられる。
深く赤い瞳。
嘘偽りなく心配してくれているのだと解る。
「すみません、ご心配をお掛けして。平気ですよ」
「俺にできることがあれば、何でも言って欲しい」
シルヴァンは自分の左腕を抱く。
腕が震える程、きつく指を押し付ける。
「あの、本当に、平気ですから」
ジョシュアは「すまない」と俯いた。
「君のあんな表情は初めて見て、放っておけなかったんだ。
でも、学院の外まで追い駆けて来たりして、迷惑だったよね」
「いえ。貴方に余計な心配をさせてしまったのは僕の方ですよ。
ちょっと昔の友人のことを思い出していたんです。
ブライアンという幼馴染が居たのですが、数年前に事故で」
「シルヴァンの幼馴染…」
「まあ、悪友という奴です。悪い遊びは、大体彼から習いました。
ブライアンは人を笑わせるのが好きな奴で。
彼のジョークには、よく振り回されました。
何度、あの口を塞ぎたいと思ったか解りません。
ですが、もう二度と、彼の笑い声が聞けないと思うと」
「シルヴァン…」
「だから、僕」
笑顔を作って、目の前に居る人を見る。
ロレート公国の次期国王。
アルフォンソ学院の生徒代表。
ウーティス寮の仲間。
そんな肩書きが全て無かったとしても。
ジョシュア・グラント。
貴方という人に出会えた。
長く荒んでいた僕を、明るく照らしてくれる人に。
「失いたくないんですよ、これ以上」
深紅の瞳が瞬く。
どう言って良いのか解らない、という顔をしている。
困らせている。
それが解っているのに。
今、彼の思考を占有していることに、暗い悦びを感じる。
ジョシュアの背後にバイクが見えた。
黒のボディに、可笑しなマークが付いている。
バイクに乗っている男は、全身が漆黒に染まっている。
男は片手を離す。
手許だけが銀色に鈍く光った。
「…ジョシュア!」
地面を蹴って、ジョシュアを頭から抱え込む。
渇いた銃声。
耳元で風を切る音。
肩に鈍い痛みを感じ、細い飛沫が自分の頬を汚した。
ジョシュアを抱いたまま、地面の上を転がる。
冷たいコンクリートが、身を打ち突けた。
背後でエンジン音が駆け抜ける。
振り返ると、赤いテールランプがリボンのように流れていった。
他に走行車は居ない。
辺りを見回したが、もう人の気配はなかった。
コンクリートの上で身を起こす。
僕の下に居る人は、その赤い瞳を見開いていた。
その表情は驚きを表すもので、苦痛に歪んでいるわけではなかった。
緑の制服には砂が付着していたが、損傷はないようだ。
シルヴァンは少し肩の力を抜く。
「ジョシュア、お怪我は?」
「ああ、大丈夫」
「そうですか…良かった…」
灰色の道に、赤い雫が落ちる。
僕の左肩からは、肌が覗いていた。
緑の布は切り裂かれ、赤い液体に滲んでいる。
それに気付いたジョシュアが上体を起こす。
「シルヴァン! 肩を撃たれて…」
「大丈夫ですよ。幸い、掠った程度ですから」
ジョシュアは歯を食い縛る。
緑翠の前髪が額を覆う。
「すまない、俺を守る為に…」
「良いんですよ。貴方がご無事なら」
ゆっくりと膝を伸ばす。
彼に右手を差し出す。
「さあ、ジョシュア。早く学院に戻りましょう」
「うん」
ジョシュアが僕の手を取る。
手を引くと、左肩に痛みが走った。
肩を押さえながら、数メートル先に進むと、光るものがあった。
見覚えのある金色の銃弾。
コンクリートの上をゆらりと回っている。
他に薬莢は落ちていない。
銃声も一発だけだった。
此処で殺すつもりだったとは考え難い。
おそらくは只の挨拶だ。
礼儀知らずにも程がある。
アルフォンソ学院の目前で実行するなんて。
身を屈めて、銃弾を拾い上げる。
拳の中で、立ち込める硝煙の匂い。
直径9mm、長さ19mmの薬莢。
貫通力の高い9mmパラベラム弾。
硬い薬莢を握り締めした。
fin
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