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Marginal Prince Short Story
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■アンリ
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「ねえ。このケーキ、もうひとつ、いい?」
「はい、アンリ様」

メイドは、フィナンシェを小さな主人の皿に乗せた。
貝を模ったフランスの伝統的な焼菓子で、
アーモンドと蜂蜜、ブルターニュ産のバターをたっぷり使っている。
温かい香りが漂う午後のティ-タイムだった。

彼女の主人は5歳になったばかりのサン・ジェルマン家の子息。
肌は雪のように白く、髪は亡き母に似せたセミロング。
そのせいか、外に出れば女の子と見紛われることも多かった。
「ありがと」と真っ白な手がフィナンシェの皿を受け取る。

「アンリ様、お気に召しましたか?」
「うん。あのね、小鳥さんと一緒に食べるの」

メイドは首を捻る。
この屋敷の旦那様は大の動物嫌いで、その類は一切飼育していなかった。
もちろん、鳥も含めてだ。ご令息は隠れて飼っていたのだろうか。
もし、万が一にでも旦那様に見付かれば大変なことだ。
実の親子とは思えない程、厳しい御方でどんな折檻を受けるか解らない。
メイドは慎重に尋ねる。

「…小鳥、ですか?」
「うん。其処に居る、白い小鳥さん」

ご令息の言葉は、メイドをますます困惑させた。

「アンリ様、何を仰っているのです? 此処にはアンリ様と私しか」

小さな主人は、きょとんと小さな顔を傾げる。
互いに不思議そうな顔をして、広い部屋に沈黙が降りる。
何を思ったか、子供は部屋の隅に、てててと歩いていく。

「この小鳥さんね、昨日お友達になったんだ」

子供は何もない空間に向かって指を差していた。

メイドは、その場では「よろしゅうございましたね」と話を合わせた。
「お友達」という言葉を嬉しそうに口にした主人に対し、
他の言葉を口にすることができなかった。
この子には、友達らしい存在が一人も居なかったからだ。

小さな主人は可愛らしく頷いて「あっ」と小さな声を上げる。
服の裾を引っ張って、他に誰も居ないのに、耳打ちする。

「…あの、ね。小鳥さんのこと、パパには内緒にして欲しいの。
パパ、きっと嫌いだから。小鳥さん、追い出されちゃうから。ね、お願い」

メイドは即席の笑顔を貼り付けて「ええ。畏まりました」と返した。
やっと安心したように笑顔になった。この子の笑顔と寝顔は天使そのものだった。

天使は、床の上にフィナンシェの皿を置いた。
しゃがんで白い膝に腕を乗せる。
メイドの目には何も映っていない、その空間を見つめながら、
「食べていいんだよ?」と優しく声を掛けていた。


他人に知れたのは、その時。
僕の瞳が可笑しいと、最初に気付いたのはメイドだった。
尤も、僕の瞳はもっと幼い時から、可笑しかったのだけど。
その頃は、子供の言うことだからと、メイドも相手にしていなかったのだろう。
当時の僕は、自分の目が人と違うものを映しているという自覚がなかったから、
目に映るもの全てを口にしていた。
そのうちに、幼い僕は父の前でも喋った。

メイドに連れられて、自分の部屋に戻ろうとした時。
少しだけ扉が開いていた父の部屋。
その隙間で黒い影が飛んだのが見えた。鴉のように見えた。
父も鳥が好きになったのかもしれない。
幼い僕は咄嗟にそう思ってしまった。
冷静に考えれば、そんな可能性は限りなく低いのに。
僕が抱いていた幻想が理性に負けた。
メイドの傍を離れて、幼い僕は父の部屋へ飛び込んだ。

「パパ! パパにも鳥のお友達が居るの?」
「鳥? 貴様、何のことを言っている?」
「パパの後ろに居る黒い鳥さん。パパのお友達?」
「ふざけるな。鳥なんか居ないだろう。黒い鳥などと不吉なことを…」
「だって、ほら、此処にっ」
「貴様、いい加減に」
「旦那様。アンリ様は嘘を言っていません」
父の手が振りあがる前に、メイドが僕の前に立った。
「何だ、お前にも見えると言うのか?」
「いいえ。ですが、アンリ様は、以前からこのように仰られていて」
「何だと」
「私共も皆、最初は半信半疑でしたが。
このご様子では、アンリ様の目には本当に見えているのではないかと。
アンリ様は…伯爵の血を強く引いているのではないでしょうか?」

父はメイドの頬を叩いた。
乾いた音が鳴り響く。広い部屋に反響する程だった。
僕を庇ったメイドの頬が、赤く腫れる。唇からは血が流れた。
父は唸るように言った。

「…伯爵の名を口にするなと、あれだけ言っているだろう!」
「パパ、止めてっ!」

飛び出した僕を見ると、父は口許を歪めた。
その薄笑いには、憎悪と嫌悪だけが滲んでいた。
彼は僕の髪を思い切り引っ張った。

「この悪魔が…」

振り払うように髪を離し、小さな身体は床に叩き付けられた。


そして幼い僕はやっと学んだ。自分の瞳にしか映らないものがあるのだと。
見えたものを口にすると周囲の反感を買い、迷惑をかけるのだと。
特に、父に言えば、ますます嫌われるのだと知って、
僕は発言を控えるようになった。

徐々に、誰の目にも映るもの、自分にしか見えないものの区別が付くようになる。
周りの物より、少し透明できらきらと輝いているもの、
それが僕の瞳にしか映らないようだと解ってきた。

幼少期から、僕は自分の部屋に居ることが多かった。
窓のレースカーテンを少し開ける。
屋敷から少し離れたところに、森と自然公園が見える。
子供達の遊ぶ声が微かに聞こえた。
僕は彼等の輪の中には入れなかった。
「サン・ジェルマンの子とは遊んではいけない」と、
彼等の親が言っているらしかった。今なら、それも無理はないと解る。
祖父や父から被害を被っていたのだろう。
経済的な損害だったかもしれないし、暴言を浴びたのかもしれない。

レースカーテンを閉める。もうすぐ時間だった。
孤独で父に怯える毎日。その中で、束の間ながらも楽しい時間があった。
「失礼します、アンリ様」
メイドがティーポットを持って、部屋に入ってくる。
「お紅茶をお持ちしました」
「ありがと。ねえ、一緒に見よう? これね、とっても面白いの」
「アンリ様、すっかりこのドラマがお気に入りですね?」
テレビ画面には、犬と戯れている少年が映っている。
このドラマは、今思えばありがちなホットストーリーだったが、
当時の僕には憧れでしかない、あたたかい光景が其処にはあった。
「うん。コリン役の子、僕とおんなじ年なんだって。すごい演技力だよね」
少しませた言い方にメイドは微笑んで「そうですね」と相鎚を打っていた。
このドラマを見終わった後はいつも、ほんのりと心が温まる。
奮闘する少年を見て、涙を流したこともあった。
次回予告を見て、次はどんな話だろうと想像する。
それは同年代の遊び相手が居ない僕にとって、楽しい遊びだった。
ドラマの最終回がいつまでも来なければいい、と願っていた。


ある日、父が海外出張で、長く屋敷を空けた時があった。
暫く怒られなくて済むとほっとしながらも、何処か寂しくも思った。
僕は一人で屋敷を探検していた。物置と呼んでいた地下倉庫に入った。
此処にはサン・ジェルマン家に代々伝わる、書物や曰く付きの代物が眠っていた。
世に出せば値が付けられない程貴重であったり、
または呪われると批難されるような品々が、まるでゴミのように陳列されている。
僕は玩具を探していた。何か一人遊びに使えそうなものはないかと、品々を見ていく。

「これは、どうかな?」

突然の声に、驚いて振り向くと、僕はもっと驚いた。
其処に居たのは、見知らぬ紳士。
しかも、中世ヨーロッパの貴族のような格好をしていた。
40歳から50歳前後の、端整な顔立ちで微笑んでいる。
紳士は僕にカードの束を差し出していた。
その柔らかな笑みと優雅な物越しに少し緊張が解ける。

「ほら、見てご覧? とても綺麗な絵柄だろう?」

紳士はカードの表を僕に見せた。
それには天使や悪魔など神々の絵が描かれていた。
初めて見る筈なのに、何処か懐かしく感じられる。
「綺麗…」
「これはタロットカードと言うんだ。気に入って貰えたかな?」
「うん」
「では目が覚めたら、もう一度おいで。此処に置いておくからね?」
青い箱の上に、カードを置いた。
「…目が覚めたら?」
「ああ。私からのプレゼントだ。きっと役に立つよ、アンリ」
「どうして…僕の名前、知っているの?」
「知っているよ、過去から未来まで、何でもね。私は長生きだから」
「何でも?」
「そう。私にしか見えないものがあるんだ、君と同じようにね?」
「見えないもの…どうして、そのこと知っているの?」
「私は、君の中に流れている者だから」
「ごめんなさい…僕、おじさまの言っていること、よく解らない…」
「それで良いのだよ、アンリ」
「あ、あの…おじさまは、誰なの?」
紳士は微笑んで、僕の頭を撫でた。
優しい手だった。
「私に会ったことは、誰にも言ってはいけないよ?」
「どうして?」
「私と君とは秘密の友人だ。良いだろう?」
「お友達? 僕とお友達になってくれるの?」
「ああ。もちろん。君に、大切な友人ができるまでね」
「大切な、友人?」
「そう。すぐに彼だと分かるよ? 彼の額には」

目を開けると天井が見えた。
僕は自分のベッドに居た。
すぐに起きて、物置に向かった。
青い箱の上には、タロットカードがあった。


13歳になった僕は、此処、聖アルフォンソ学院に入学した。
入学初日、当時の生徒代表に連れられて、学院内を歩いていた。

月桂樹が生い茂る森。
僕の足は止まった。
視界の隅に透明な光が映った。
僕にしか、見えない光。

木の下で、目を閉じている生徒。
彼の額。
その輝きはこれまでとは比較にならない。
高貴な光。

貴方の予言した通りに。
僕の瞳に映った。

「月桂樹の王冠が見える…」


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