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■シルヴァン×ハルヤ レッド×アンリ
■聖アルフォンソ島探訪「植物園」より
------------------------------------
聖アルフォンソ島 植物園。
世界中から生徒が集まるこの島には、
世界各国から取り寄せた草木が植栽されていた。
生徒達は生まれ故郷に咲く花を見て、遠い祖国に想いを馳せていた。
主に亜熱帯地方のものが多いが、アジアの植物を集めたエリアもあった。
ニッポンコーナーには梅の木を始め、季節の花が咲いていた。
茶室も隣設されており、此処だけ日本庭園のようだった。
瓦屋根の小さな家。畳の部屋に縁側と、
平成の時代では見られないような、古き良き日本建築だった。
茶道具も一式備えられ、此処で句会が行われたこともある。
ハルヤは茶室から、日本庭園を眺めていた。
六月の今は紫陽花(アジサイ)、菖蒲(アヤメ)など青い花が美しく咲いていた。
お抹茶を飲みながら、此処でぼんやりするのが好きだった。
六月の梅の木には青い実や、黄色く熟した実が生っていた。
そろそろ収穫しても良いかもしれない。
梅の実でカミーユに何か作って貰おうかなと考えたりしていた。
日本では梅雨の時期なのだろうか。梅が熟す時に降る雨、
だから梅雨と書くと言っていたのは母様だったかな。
夏の日本庭園は池に咲く花が綺麗だった。
池には大きな葉の中で、紅い睡蓮(スイレン)、
黄色の河骨(コウホネ)がぽつぽつ浮かんでいる。
河骨は地下茎が白骨に似ているから、その和名が付いた。
その為に、弔事用の切手には河骨が描かれているんだろう。
そう教えてくれたのは父様だった。
「ハルヤ。やっぱり此処に居たんですね」
お茶室にシルヴァンが顔を覗かせた。
この前教えた通り、ちゃんと靴を脱いで上がってきた。
「おや。それはグリーンティですか?」
「うん。抹茶って言うんだよ。これはね、色々ルールがある飲み物なんだ」
「ルール? 面白そうですね! 教えて下さいっ!」
「良いよ。じゃあ、ちょっと見ててね」
ハルヤは茶碗を持つと、母親から習った通りにやってみせた。
茶碗を畳の上に置いたところから始める。
「先ず、茶碗を右手で取って、底に左手を添える。
それで『お茶』に一回礼をするんだ。
茶碗を回して、茶の色とか見た目を味わってから、
一口飲む。此処で味と香りを味わう。
残りは一口と半分で飲み切る…まあ。こんなかんじ」
シルヴァンは、ハルヤの洗練された動きに感動すら覚えた。
姿勢の良い正座にも、流れるような手の仕草にも。
ハルヤは何でもないように振舞っていたが、
じっと座っていられない自分には到底できないことだった。
「ハルヤ、スゴイです! ゲイシャさんみたいでした!」
「…まあ。芸者さんから習ったことだからね」
祇園で芸妓をしていた母を持つ息子は、
手放しの賞賛に照れ笑いをした。
「正式なお茶の飲み方はこうなんだけど。めんどくさいよね」
「えー! 儀式的なところがニッポンの良さじゃないですかー!」
「そっか。あ。シルヴァンも飲んでみる?」
ハルヤが差し出した茶碗に、一瞬たじろいで両手で受け取った。
正座に座り直して、背筋を正す。
ハルヤと同じように、茶碗を自分の前に置いた。
「えっと、茶碗を右手で取って、底に左手を添えるんでしたね?」
今初めて聞いたばかりの作法を全て記憶したらしい彼は、
ハルヤの言葉を暗唱しながら、ひとつひとつ再現していく。
茶碗を回すスピードが若干速くて多かったが、
ハルヤは面倒だったので、特に指摘しなかった。
シルヴァンが茶碗を口に運ぶと、すぐに口から離した。
「うわっ…信じられないくらいニガイんですけど…僕、回し過ぎましたか?」
「いや。元々そういう味。てゆうか、回しても味は変わんないよ」
「恐るべしです…ニッポンにこんな恐ろしいドリンクがあったなんて…」
完全に怯えている人を見て、ハルヤはくすくすと笑った。
ニッポン大好き、サムライ大好き、なシルヴァンにも苦手な物があったみたいだ。
ハルヤは、ちょっとイジワルなことを思い付いた。
「全部飲まなきゃ、サムライじゃないよ、シルヴァン?」
「えええー!?」
シルヴァンは動揺しまくりの表情で、抹茶とハルヤを交互に見つめた。
暫く迷った後、ぽつりと言った。
「…解りました」
「シルヴァン?」
「僕、飲みますっ! 僕のサムライ・ダマシイ見てて下さいっ!」
一気に飲み干したシルヴァンは、
喉に纏わり付く苦味に渋い表情を見せた。
「やっぱりニガイです…」
「すごい。よく飲めたね、シルヴァン。日本でも飲めない人、多いのに」
「ええっ!? でもさっき、飲まなきゃサムライじゃないって」
「ゴメン。そう言ったら飲むかなあと思って。
ほんとに飲んだからビックリしちゃった」
「そんな…僕、飲めたのにサムライじゃないんですか…」
「いや、侍は抹茶を飲んでたからね。そんなに間違いでもないかな」
「ホントですか! 僕、サムライですか!」
「ん。サムライ、サムライ」
ハルヤは可笑しそうに頷いた。
「…馬鹿なのかな、彼等」
アンリは冷たい毒を吐いた。
聞こえてきた茶室の会話に呆れ果てていた。
向かいに座って居るレッドが、やれやれと肩を竦める。
「んな、ばっさり切ることねーだろ」
「そもそも『抹茶を飲めたらサムライだ』という定義が成立しないでしょう?」
「イイじゃねーかよ、別に。あいつ等が楽しいならさ」
お茶室が見える位置には日本と同じ気候のイタリアコーナーがあった。
ハルヤの控えめな声は時々聞こえなかったが、
シルヴァンの派手な声は此処まで届いていた。
オリーブの木陰には、オープンカフェがあった。
パラソルの下でレッドはオレンジジュース、アンリはアイスティーを飲んでいた。
コーヒー色をした木製のテーブルに、
はらりと小さな白い花弁が乗った。オリーブの開花期は六月上旬まで。
春の終わりから咲き始め、初夏には散る。本格的な夏を見ずに枯れる花だ。
傍には、夏のイタリアでよく見掛ける夾竹桃(キョウチクトウ)が
赤紫の花を咲かせている。ふわりとした花弁は、柔らかなバラのように見えた。
イタリアの離島シチリアに祖父の家があるレッドと、
商談で訪れることの多いアンリにとっては、馴染みのある花だった。
アンリが此処で本を読んでいると、時々レッドに会う。
今日もアンリが静かな午後を過ごしていると、勝手に相席された。
そのうちに、ニッポンコーナーから騒がしい声も聞こえてきた。
今年はどうも周りが煩くて敵わない。
アンリはストローから唇を離す。
ストローを細い指で回すと、氷がゆっくりと回った。
楽しげな声が飛ぶ日本庭園を眺める。
同じ寮に住む生徒が笑っていた。
「彼、あのお調子者の扱いが上手くなったものだね」
「あん?」
「あんな交渉術まで使えるようになったんだ」
「交渉術?」
「『飲まなきゃサムライじゃない』という台詞は、
あのサムライマニアと交渉するには有効だ。
命題としては不明瞭で馬鹿げているけれどね。
入学当時はそれはそれは大人しい子だったのに。
煩いのが傍に居るせいで馬鹿なこと言うようになったのかな?」
「煩いって、俺とシルヴァンのことかよ!?」
「他に誰が?」
「毒遣いの方が煩いっつーの!」
「君には敵わないよ、レッド」
「ったく。でも、そうなんだよなあ。最近さ、立場逆転してるトコあんだよ」
「逆転?」
「今までは、シルヴァンがハルヤを振り回してるってかんじだっただろ?」
「まあね」
「でも最近は逆なんだよ。ハルヤの言動にシルヴァンが騒ぎ過ぎてるっていうか。
なんかさ、孫が可愛くて仕方ないおじいちゃんみたいになってんだよな」
「随分、年の近い祖父が居たものだね。
シルヴァンは君より馬鹿になったのかな?」
「人のこと、バカバカ言うなっ!」
ニッポンコーナー 茶室。
抹茶の渋味に苦しむ人を見て、ハルヤは「あ。そだ」と声を上げた。
「苦くない抹茶あげるね。ちょっと待ってて?」
ハルヤはシェフに「すみません。さっきのもうひとつ」とオーダーして、
シルヴァンの前に戻って来た。
「苦くない抹茶って、ジュースみたいに甘いんですか?」
「飲み物じゃないんだ。宇治金時だよ」
「…ウジキントキ、ですか?」
「うん。抹茶のかき氷。…あ。かき氷って解るかな?」
「はい。ニッポンの伝統的なスウィーツですよね? ハロハロみたいな!」
「…ハロハロ?」
「フィリピンのデザートですよ。氷の他に、果物とか、あんこ、ナタデココ、
アイスなどを、パフェグラスに全部入れて、ハロハロして食べるんです。
あ、タガログ語なんですけど、halohaloって『まぜこぜ』という意味なんですよ」
説明しながら、掻き回す仕草をしてみせる。
これが『ハロハロして』という動作なのだろう。
「ふうん。なんかいっぱい入ってるんだね、ハロハロって」
「ウジキントキも、ハルヤがシェフにリクエストしたんですか?」
「ううん。さっき突然貰ったんだ。『ハルヤは好きそうだから』って、
俺の為に作ってくれたみたい」
シェフの気持ちも解らないではない。
おなかを空かせた表情も、おなかいっぱいの表情も、
シェフ本能を刺激するのだろう。
「…ハルヤって、シェフキラーですよね」
「ん?」
「ハルヤの為なら喜んで尽くすじゃないですか、シェフ」
ハルヤの入学後、アボカドマグロ丼はメニュー化し、
ウーティス寮の夕食時に和食が並ぶようにもなった。
植物園の売店で売っている、みたらし団子風の『魔女のボンボン』は、
ハルヤの皿は、他の人より多く入っていたとか、
こっそり和菓子を貢ぐシェフを見たという目撃証言もある。
華奢な身体を持ちながら大食漢で、いつも幸せそうに食べるハルヤ。
シェフ達にとってはアイドルのような存在に違いない。
ハルヤはシェフから受け取ったお盆を置く。
「シルヴァン。これが宇治金時だよ」
山型に堆く盛られた氷は、抹茶色に染まっていた。
山の裾にはバニラアイス。そして『金時』という意味のあんこ。
濃緑の山は白玉団子が雪のように降っていた。
「わお。美味しそうですねっ!」
「ん。これは甘いから大丈夫だと思うよ。抹茶はさっきと同じのなんだけどね」
「では、イタダキマスー♪」
シルヴァンは抹茶色の氷を口に入れる。
「あっ、苦くないですね。甘くて美味しいです!」
「良かったね」
「ハルヤにも、オスソワケします♪」
イタリアコーナー カフェ。
先程よりも温度の下がった声が呟かれた。
「…馬鹿みたい。苛々する。なんなの、彼等」
「イライラすることかよ。仲良いだけじゃん」
差し出されたスプーンに困っている照れ屋と楽しそうなお調子者。
アンリは茶室から視線を引き剥がした。
自分には関係のないことなのに。
あの二人を見ていると、時々、行き場のない苛立ちに襲われる。
よく理由が解らないのも腹立だしかった。
怒りを吐き捨て、自分の前にある宇治金時を食べることにする。
アンリにとっては緑色のお菓子は珍しかった。
バニラと一緒に一口食べる。
「見た目はグロテスクだけど、味は悪くないね、これ」
「お前、いつのまに!?」
「君が馬鹿面を晒している間に頼んできたの」
「いつ、誰が、バカ面だって?」
「年中、君が」
アンリは再び濃緑の氷菓子を舐める。
バニラアイスと一緒に食べれば甘いが、確かに抹茶単独では苦そうだ。
餡はクリームとは違い、あっさりとした甘味だった。
「ズリィぞ! 俺にも食べさせろっ!」
「欲しいなら自分で頼んでくれば?」
「ヤだねっ」
アンリの手からスプーンを奪う。
さっと氷を掬って、口に入れた。
「甘いじゃん♪」
「…馬鹿。それ、責任取って、君が食べて」
「お前、最後まで食べろよ!」
「要らないよ。君が口を付けたのなんか」
「とか言って、ホントは食べさせて欲しかったり
するんじゃねーの? あいつ等みたいに」
「ふざけないで。そんなことしたら馬鹿が移る。失礼するよ」
「お前も一生に一回くらい、バカになってみればイイのに」
アンリの足が止まる。
背を向けたまま、一言だけ反論した。
「…僕は、馬鹿じゃない」
小さく呟いて、テーブルから離れて行った。
一人残ったレッドは椅子の上で大きく伸びをする。
木の椅子がミシと軋んだ。
目を閉じて、徐々に消え行く靴音に耳を澄ましていた。
あいつはバカになろうとしてもなれない人間だ。
シルヴァンのように手放しで相手を賞賛することも。
ハルヤのように照れながらでも、素直な笑顔を見せることも。
アンリには死んでも出来ない芸当なのだろう。
ハルヤは時が経つにつれ、次第に周囲へ心を開いていった。
アンリも出会った頃よりは話すようになったが、
屈折した態度や毒舌は今も抜けない。
高等部二年の俺達が、此処に居られるのは来年までだ。
それまでに、あいつから毒舌以外の言葉を聞けるだろうか。
レッドは身を起こして、歩き始める。
「…バカになれないヤツの方が、馬鹿だっつの」
誰も居なくなった木のテーブルには飲み残されたアイスティー。
その水面に白い花が一片落ちた。
オリーブは、もって五日しか咲けない花だった。
ニッポンコーナー 茶室。
ハルヤは、すっと腰を上げる。
「さてと。そろそろ寮に戻ろっか、シルヴァン」
「ハイ!」
シルヴァンが立ち上がろうとすると、足首がグキと鳴った。
可笑しな方向に曲がっている。
びりびりと痛くて、足の感覚が掴めない。
「あ、あのっ、ハルヤ?」
「なに?」
「僕の足、なんかヘンです」
「ああ…正座してたから、しびれちゃった?」
「あれっ? 足が動かないです…って、わあっ!」
畳の上に二人が倒れ込む。
バランスを失ったシルヴァンが、ハルヤを巻き込んで転んだ。
咄嗟ではあったが、なんとか自分が下敷きになる体勢は取れた。
腕の中の人に詫びる。
「ご、ごめんなさい。ハルヤ、大丈夫ですか?」
「ん…」
ゆっくりと目を開けたハルヤは、近過ぎる顔に頬を染めた。
衝撃の余り、声が続かない。身を硬くしたまま、相手を見ていた。
「おーい、お前等。そういや次のライブだけどさー」
イタリアからニッポンへ歩いて来たレッドが茶室を覗く。
畳の上で横たわる二人と目が合う。
レッドの中で何かがカチンと爆ぜた。
「お前等、バカかっ!?」
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■聖アルフォンソ島探訪「植物園」より
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聖アルフォンソ島 植物園。
世界中から生徒が集まるこの島には、
世界各国から取り寄せた草木が植栽されていた。
生徒達は生まれ故郷に咲く花を見て、遠い祖国に想いを馳せていた。
主に亜熱帯地方のものが多いが、アジアの植物を集めたエリアもあった。
ニッポンコーナーには梅の木を始め、季節の花が咲いていた。
茶室も隣設されており、此処だけ日本庭園のようだった。
瓦屋根の小さな家。畳の部屋に縁側と、
平成の時代では見られないような、古き良き日本建築だった。
茶道具も一式備えられ、此処で句会が行われたこともある。
ハルヤは茶室から、日本庭園を眺めていた。
六月の今は紫陽花(アジサイ)、菖蒲(アヤメ)など青い花が美しく咲いていた。
お抹茶を飲みながら、此処でぼんやりするのが好きだった。
六月の梅の木には青い実や、黄色く熟した実が生っていた。
そろそろ収穫しても良いかもしれない。
梅の実でカミーユに何か作って貰おうかなと考えたりしていた。
日本では梅雨の時期なのだろうか。梅が熟す時に降る雨、
だから梅雨と書くと言っていたのは母様だったかな。
夏の日本庭園は池に咲く花が綺麗だった。
池には大きな葉の中で、紅い睡蓮(スイレン)、
黄色の河骨(コウホネ)がぽつぽつ浮かんでいる。
河骨は地下茎が白骨に似ているから、その和名が付いた。
その為に、弔事用の切手には河骨が描かれているんだろう。
そう教えてくれたのは父様だった。
「ハルヤ。やっぱり此処に居たんですね」
お茶室にシルヴァンが顔を覗かせた。
この前教えた通り、ちゃんと靴を脱いで上がってきた。
「おや。それはグリーンティですか?」
「うん。抹茶って言うんだよ。これはね、色々ルールがある飲み物なんだ」
「ルール? 面白そうですね! 教えて下さいっ!」
「良いよ。じゃあ、ちょっと見ててね」
ハルヤは茶碗を持つと、母親から習った通りにやってみせた。
茶碗を畳の上に置いたところから始める。
「先ず、茶碗を右手で取って、底に左手を添える。
それで『お茶』に一回礼をするんだ。
茶碗を回して、茶の色とか見た目を味わってから、
一口飲む。此処で味と香りを味わう。
残りは一口と半分で飲み切る…まあ。こんなかんじ」
シルヴァンは、ハルヤの洗練された動きに感動すら覚えた。
姿勢の良い正座にも、流れるような手の仕草にも。
ハルヤは何でもないように振舞っていたが、
じっと座っていられない自分には到底できないことだった。
「ハルヤ、スゴイです! ゲイシャさんみたいでした!」
「…まあ。芸者さんから習ったことだからね」
祇園で芸妓をしていた母を持つ息子は、
手放しの賞賛に照れ笑いをした。
「正式なお茶の飲み方はこうなんだけど。めんどくさいよね」
「えー! 儀式的なところがニッポンの良さじゃないですかー!」
「そっか。あ。シルヴァンも飲んでみる?」
ハルヤが差し出した茶碗に、一瞬たじろいで両手で受け取った。
正座に座り直して、背筋を正す。
ハルヤと同じように、茶碗を自分の前に置いた。
「えっと、茶碗を右手で取って、底に左手を添えるんでしたね?」
今初めて聞いたばかりの作法を全て記憶したらしい彼は、
ハルヤの言葉を暗唱しながら、ひとつひとつ再現していく。
茶碗を回すスピードが若干速くて多かったが、
ハルヤは面倒だったので、特に指摘しなかった。
シルヴァンが茶碗を口に運ぶと、すぐに口から離した。
「うわっ…信じられないくらいニガイんですけど…僕、回し過ぎましたか?」
「いや。元々そういう味。てゆうか、回しても味は変わんないよ」
「恐るべしです…ニッポンにこんな恐ろしいドリンクがあったなんて…」
完全に怯えている人を見て、ハルヤはくすくすと笑った。
ニッポン大好き、サムライ大好き、なシルヴァンにも苦手な物があったみたいだ。
ハルヤは、ちょっとイジワルなことを思い付いた。
「全部飲まなきゃ、サムライじゃないよ、シルヴァン?」
「えええー!?」
シルヴァンは動揺しまくりの表情で、抹茶とハルヤを交互に見つめた。
暫く迷った後、ぽつりと言った。
「…解りました」
「シルヴァン?」
「僕、飲みますっ! 僕のサムライ・ダマシイ見てて下さいっ!」
一気に飲み干したシルヴァンは、
喉に纏わり付く苦味に渋い表情を見せた。
「やっぱりニガイです…」
「すごい。よく飲めたね、シルヴァン。日本でも飲めない人、多いのに」
「ええっ!? でもさっき、飲まなきゃサムライじゃないって」
「ゴメン。そう言ったら飲むかなあと思って。
ほんとに飲んだからビックリしちゃった」
「そんな…僕、飲めたのにサムライじゃないんですか…」
「いや、侍は抹茶を飲んでたからね。そんなに間違いでもないかな」
「ホントですか! 僕、サムライですか!」
「ん。サムライ、サムライ」
ハルヤは可笑しそうに頷いた。
「…馬鹿なのかな、彼等」
アンリは冷たい毒を吐いた。
聞こえてきた茶室の会話に呆れ果てていた。
向かいに座って居るレッドが、やれやれと肩を竦める。
「んな、ばっさり切ることねーだろ」
「そもそも『抹茶を飲めたらサムライだ』という定義が成立しないでしょう?」
「イイじゃねーかよ、別に。あいつ等が楽しいならさ」
お茶室が見える位置には日本と同じ気候のイタリアコーナーがあった。
ハルヤの控えめな声は時々聞こえなかったが、
シルヴァンの派手な声は此処まで届いていた。
オリーブの木陰には、オープンカフェがあった。
パラソルの下でレッドはオレンジジュース、アンリはアイスティーを飲んでいた。
コーヒー色をした木製のテーブルに、
はらりと小さな白い花弁が乗った。オリーブの開花期は六月上旬まで。
春の終わりから咲き始め、初夏には散る。本格的な夏を見ずに枯れる花だ。
傍には、夏のイタリアでよく見掛ける夾竹桃(キョウチクトウ)が
赤紫の花を咲かせている。ふわりとした花弁は、柔らかなバラのように見えた。
イタリアの離島シチリアに祖父の家があるレッドと、
商談で訪れることの多いアンリにとっては、馴染みのある花だった。
アンリが此処で本を読んでいると、時々レッドに会う。
今日もアンリが静かな午後を過ごしていると、勝手に相席された。
そのうちに、ニッポンコーナーから騒がしい声も聞こえてきた。
今年はどうも周りが煩くて敵わない。
アンリはストローから唇を離す。
ストローを細い指で回すと、氷がゆっくりと回った。
楽しげな声が飛ぶ日本庭園を眺める。
同じ寮に住む生徒が笑っていた。
「彼、あのお調子者の扱いが上手くなったものだね」
「あん?」
「あんな交渉術まで使えるようになったんだ」
「交渉術?」
「『飲まなきゃサムライじゃない』という台詞は、
あのサムライマニアと交渉するには有効だ。
命題としては不明瞭で馬鹿げているけれどね。
入学当時はそれはそれは大人しい子だったのに。
煩いのが傍に居るせいで馬鹿なこと言うようになったのかな?」
「煩いって、俺とシルヴァンのことかよ!?」
「他に誰が?」
「毒遣いの方が煩いっつーの!」
「君には敵わないよ、レッド」
「ったく。でも、そうなんだよなあ。最近さ、立場逆転してるトコあんだよ」
「逆転?」
「今までは、シルヴァンがハルヤを振り回してるってかんじだっただろ?」
「まあね」
「でも最近は逆なんだよ。ハルヤの言動にシルヴァンが騒ぎ過ぎてるっていうか。
なんかさ、孫が可愛くて仕方ないおじいちゃんみたいになってんだよな」
「随分、年の近い祖父が居たものだね。
シルヴァンは君より馬鹿になったのかな?」
「人のこと、バカバカ言うなっ!」
ニッポンコーナー 茶室。
抹茶の渋味に苦しむ人を見て、ハルヤは「あ。そだ」と声を上げた。
「苦くない抹茶あげるね。ちょっと待ってて?」
ハルヤはシェフに「すみません。さっきのもうひとつ」とオーダーして、
シルヴァンの前に戻って来た。
「苦くない抹茶って、ジュースみたいに甘いんですか?」
「飲み物じゃないんだ。宇治金時だよ」
「…ウジキントキ、ですか?」
「うん。抹茶のかき氷。…あ。かき氷って解るかな?」
「はい。ニッポンの伝統的なスウィーツですよね? ハロハロみたいな!」
「…ハロハロ?」
「フィリピンのデザートですよ。氷の他に、果物とか、あんこ、ナタデココ、
アイスなどを、パフェグラスに全部入れて、ハロハロして食べるんです。
あ、タガログ語なんですけど、halohaloって『まぜこぜ』という意味なんですよ」
説明しながら、掻き回す仕草をしてみせる。
これが『ハロハロして』という動作なのだろう。
「ふうん。なんかいっぱい入ってるんだね、ハロハロって」
「ウジキントキも、ハルヤがシェフにリクエストしたんですか?」
「ううん。さっき突然貰ったんだ。『ハルヤは好きそうだから』って、
俺の為に作ってくれたみたい」
シェフの気持ちも解らないではない。
おなかを空かせた表情も、おなかいっぱいの表情も、
シェフ本能を刺激するのだろう。
「…ハルヤって、シェフキラーですよね」
「ん?」
「ハルヤの為なら喜んで尽くすじゃないですか、シェフ」
ハルヤの入学後、アボカドマグロ丼はメニュー化し、
ウーティス寮の夕食時に和食が並ぶようにもなった。
植物園の売店で売っている、みたらし団子風の『魔女のボンボン』は、
ハルヤの皿は、他の人より多く入っていたとか、
こっそり和菓子を貢ぐシェフを見たという目撃証言もある。
華奢な身体を持ちながら大食漢で、いつも幸せそうに食べるハルヤ。
シェフ達にとってはアイドルのような存在に違いない。
ハルヤはシェフから受け取ったお盆を置く。
「シルヴァン。これが宇治金時だよ」
山型に堆く盛られた氷は、抹茶色に染まっていた。
山の裾にはバニラアイス。そして『金時』という意味のあんこ。
濃緑の山は白玉団子が雪のように降っていた。
「わお。美味しそうですねっ!」
「ん。これは甘いから大丈夫だと思うよ。抹茶はさっきと同じのなんだけどね」
「では、イタダキマスー♪」
シルヴァンは抹茶色の氷を口に入れる。
「あっ、苦くないですね。甘くて美味しいです!」
「良かったね」
「ハルヤにも、オスソワケします♪」
イタリアコーナー カフェ。
先程よりも温度の下がった声が呟かれた。
「…馬鹿みたい。苛々する。なんなの、彼等」
「イライラすることかよ。仲良いだけじゃん」
差し出されたスプーンに困っている照れ屋と楽しそうなお調子者。
アンリは茶室から視線を引き剥がした。
自分には関係のないことなのに。
あの二人を見ていると、時々、行き場のない苛立ちに襲われる。
よく理由が解らないのも腹立だしかった。
怒りを吐き捨て、自分の前にある宇治金時を食べることにする。
アンリにとっては緑色のお菓子は珍しかった。
バニラと一緒に一口食べる。
「見た目はグロテスクだけど、味は悪くないね、これ」
「お前、いつのまに!?」
「君が馬鹿面を晒している間に頼んできたの」
「いつ、誰が、バカ面だって?」
「年中、君が」
アンリは再び濃緑の氷菓子を舐める。
バニラアイスと一緒に食べれば甘いが、確かに抹茶単独では苦そうだ。
餡はクリームとは違い、あっさりとした甘味だった。
「ズリィぞ! 俺にも食べさせろっ!」
「欲しいなら自分で頼んでくれば?」
「ヤだねっ」
アンリの手からスプーンを奪う。
さっと氷を掬って、口に入れた。
「甘いじゃん♪」
「…馬鹿。それ、責任取って、君が食べて」
「お前、最後まで食べろよ!」
「要らないよ。君が口を付けたのなんか」
「とか言って、ホントは食べさせて欲しかったり
するんじゃねーの? あいつ等みたいに」
「ふざけないで。そんなことしたら馬鹿が移る。失礼するよ」
「お前も一生に一回くらい、バカになってみればイイのに」
アンリの足が止まる。
背を向けたまま、一言だけ反論した。
「…僕は、馬鹿じゃない」
小さく呟いて、テーブルから離れて行った。
一人残ったレッドは椅子の上で大きく伸びをする。
木の椅子がミシと軋んだ。
目を閉じて、徐々に消え行く靴音に耳を澄ましていた。
あいつはバカになろうとしてもなれない人間だ。
シルヴァンのように手放しで相手を賞賛することも。
ハルヤのように照れながらでも、素直な笑顔を見せることも。
アンリには死んでも出来ない芸当なのだろう。
ハルヤは時が経つにつれ、次第に周囲へ心を開いていった。
アンリも出会った頃よりは話すようになったが、
屈折した態度や毒舌は今も抜けない。
高等部二年の俺達が、此処に居られるのは来年までだ。
それまでに、あいつから毒舌以外の言葉を聞けるだろうか。
レッドは身を起こして、歩き始める。
「…バカになれないヤツの方が、馬鹿だっつの」
誰も居なくなった木のテーブルには飲み残されたアイスティー。
その水面に白い花が一片落ちた。
オリーブは、もって五日しか咲けない花だった。
ニッポンコーナー 茶室。
ハルヤは、すっと腰を上げる。
「さてと。そろそろ寮に戻ろっか、シルヴァン」
「ハイ!」
シルヴァンが立ち上がろうとすると、足首がグキと鳴った。
可笑しな方向に曲がっている。
びりびりと痛くて、足の感覚が掴めない。
「あ、あのっ、ハルヤ?」
「なに?」
「僕の足、なんかヘンです」
「ああ…正座してたから、しびれちゃった?」
「あれっ? 足が動かないです…って、わあっ!」
畳の上に二人が倒れ込む。
バランスを失ったシルヴァンが、ハルヤを巻き込んで転んだ。
咄嗟ではあったが、なんとか自分が下敷きになる体勢は取れた。
腕の中の人に詫びる。
「ご、ごめんなさい。ハルヤ、大丈夫ですか?」
「ん…」
ゆっくりと目を開けたハルヤは、近過ぎる顔に頬を染めた。
衝撃の余り、声が続かない。身を硬くしたまま、相手を見ていた。
「おーい、お前等。そういや次のライブだけどさー」
イタリアからニッポンへ歩いて来たレッドが茶室を覗く。
畳の上で横たわる二人と目が合う。
レッドの中で何かがカチンと爆ぜた。
「お前等、バカかっ!?」
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