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Marginal Prince Short Story
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■ソクーロフ×ヤン
聖アルフォンソ学院 保健室。
最新鋭の設備とサディスティックな保健医の居る部屋。
保健医は電話中だった。
「誰か来たようだ。続きは今夜」
相手に有無を言わさず、素早く電話を切る。
間もなく保健室のドアは軽快にノックされた。
「入りたまえ」
「失礼しまーす」
「こんにちは、ソクーロフ先生」
先に入って来たのはウーティス寮の最高学年、エドガー・ラッセル。
立派な若い肉体と金色の短髪。
その後ろから、顔を出したのは今年度の生徒代表、ヤン・ハシェク。
よく怪我をする子で保健室の常連だ。
サイズが合っていない紺色のカーディガン。
散髪に行き遅れている灰色の髪はいつもの通りだが。
この日のヤンは眼鏡をしていなかった。
右頬に赤い線が引かれている。何か鋭利な物が通った痕だ。
「おや、ヤン…その傷はどうしたんだね?」
「聞いてくれよ、博士! このバカ、また眼鏡割ったんだ」
エドガーは簡易ベッドにどかっと座る。こちらは付き添いらしい。
医師は立ち尽くしている患者に席を勧める。
おずおずと申し訳なさそうに医師の前に座った。
「眼鏡を割った? では何か数えていたのかね?」
「そーなんだよ! もうこいつ頭の中、数字ばっかなんだ!」
エドガーは立腹しているようだ。元々感情豊かな子ではあるが、
今回は目立つ場所に傷を作ったヤンに腹を立てているのか、
いや、それを防げなかった自分が許せない、と言った方が正確なようだ。
保健医は患者の頬に手を添える。
「ではこの傷はレンズで切ったものなのだね?」
「はい。すみません、先生」
「謝ることはない。また数学のことを考えていたのだろう?
 興味を深めることは良いことだ。
 君は数学のこととなると、周りが見えなくなってしまうが、
 恐るべき集中力だとも言える。怪我の治療は私に任せなさい。
 君が好きなことを止める必要はないよ、ヤン」
患者はほっとしたように微笑んだ。
「ありがとうございます、先生」
「では消毒をしよう。少し、滲みるよ?」
「はい」
保健医は消毒液にガーゼを湿らせる。
それをピンセットで持ち、ヤンの頬に付けた。
傍で見ていたエドガーが顔を歪ませる。
ヤン本人は少し遅れて眉を顰めた。
保健医は絆創膏を貼る。
「よく我慢できたね、ヤン。そうだ。暫くカウンセリングをしていなかったね。
 これから少し時間を貰えるかな?」
「あ、はい」
「エドガー。すまないが、ヤンを少し借りるよ」
「どーぞどーぞ。カウンセリングついでに、
 こいつのバカをちょっとでも治しといてくれると嬉しいです」
からかう友人に、ヤンは慣れた様子で笑う。
「いじわるだなあ、エドは」
エドガーは明るい笑顔で、ドアへと向かった。
「じゃ、俺は寮に帰るから。またな、ヤン」
「ん。ありがと、エド。また明日ね」
短い金髪はドアの向こうに消えた。

「さて、と」
立ち上がったカウンセラーは窓のカーテンを引いた。
保健室が薄暗い空間となる。暗闇に戸惑った生徒が口を開く。
「せんせ? あの、どうして…」
机のライトを灯す。小さなオレンジの光。
「カウンセリングの手法のひとつだよ。
 人間は、暗闇に恐怖すると同時に、
 安心をも覚える生き物だと言われている。
 ヤン、ゆっくりと息を吸ってごらん?
 そうだ、ゆっくり吐いて。ではもう一度」
生徒は言われるがままに、深い呼吸を繰り返す。
「よし。次はこのペンライトを見てごらん?」
ヤンの瞳は素直にオレンジの光を追う。
振り子のように揺れる光。
いち、に、さん……
小さく開いた口が、数を数えている。
灰色の瞳は徐々に虚ろになっていった。

「ヤン。生徒代表の仕事には慣れてきたかい?」
「はい、ぼちぼち、です」
ぼうっとした声でヤンは質問に答える。
カウンセラーはクライアントの様子を観察しながら、質問を深める。
「先月、知能検査をしただろう? 結果が出たよ」
「そう、ですか」
「どんな検査をしたか覚えているかな?」
「たくさん、計算しました」
「楽しかったかい?」
「はい。僕、またやりたいなあ」
「素晴らしい成績だったよ。まさに数学の天才だね」
「そんな…僕、数字を見るのが好きなだけですから」
「卒業後は数学の勉強を続けるのかな?」
「はい。そうだといいなって思ってます」
「君の父上は、数学の研究者だったね? どんな人なのかな?」
「いつも変なカーディガン着てて、数学のことばっかり考えてる人でした。
 何かぶつぶつ言いながら、家の中とか庭とか歩いてて。
 『お父さん、何してるの?』って聞いたら、怒られるんです。
 『花の数を数えてたのに、どこまで数えたか忘れてしまった』って。
 目に入ったもののを数えるクセがあったんです。
 だから僕、お父さんに遊んで貰ったこと、あんまりなくて。
 でも時々、数学の話、してくれた時がありました。
 その時のお父さんは子供みたいな顔してて、楽しそうでした。
 でも僕は、その時まだ数学が嫌いでした。
 僕、やきもち、妬いてたのかな、数学に」
「ほう。では何故、君は数学が好きになったのかな?」
「お父さんが亡くなった後、遺品の整理してたんです。
 お父さんの数学の本がでてきて。僕、ちょっと読んでみました。
 それで、数字を見ていたら、僕、泣いちゃったんです。
 お父さんから、もっと数学の話聞いておけば良かったなって思って」
「君はいつから数を数えることが癖になったんだい?」
「えっ…分かりません。気が付いたら数えてるんです、いつも」
「父上が亡くなった後からかい?」
「はい…そうだと思います」
ソクーロフは窓を眺め、ぽつりと独りごちた。
「成程。君もまた、父の残像を追った息子というわけか。
 父と同じ道を辿った先には、一体何が見えるのだろうね」
空には4つ、雲があった。
「せんせ?」
「今日のカウンセリングは此処までにしよう。忘れなさい、ヤン」
指を鳴らす。
ヤンの灰色の瞳がまたたく。
虚ろだった瞳が元に戻る。きょろきょろと辺りを見た。
「あ、れ…僕…」
保健医は生徒の頬に手を置いて、穏やかに言った。
「ヤン。頬の傷はこれでもう良いよ」
ヤンは頬を触る。
「絆創膏…あ、そうか。僕、眼鏡壊しちゃって、
 エドに怒られて…あれ? エドは?」
「エドガーなら先に寮に帰ったよ。そろそろ夕食の時間だね。君も戻りなさい」
「あ、はい、先生。ありがとうございました」
「どういたしまして。またおいで、ヤン」
保健室のドアが閉まる。
カウンセラーは眼鏡を押し上げる。
眼鏡の奥の瞳にはもう穏やかさは映っていない。
整頓された棚からヤンのカルテを引き抜く。
白衣の胸ポケットからボールペンを取る。カチリと音を鳴らす。
冷徹な瞳でカルテに今日の記録を書き残す。
保健室にボールペンと紙が擦れる音が響く。
其処に記されている文字列。
―― 異常なまでに数を数える習癖あり ――
その隣に『亡父と同じ』と記して、丸で囲んだ。
カルテを閉じる。パタンと無機質な音がした。
カウンセラーは椅子の背に凭れる。
「数学の天才、か」
白衣の胸ポケットにボールペンを差した。


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