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Marginal Prince Short Story
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■イワン×ミハイル×ソクーロフ×アイヴィー
■ミハイルシナリオベース
聖アルフォンソ学院 保健室。
最新鋭の設備が揃う診療所。この島の命を預かる場所とも言える。
部屋の主は医師免許を持っている、れっきとしたドクターだ。
長い髪は一つに束ね、鋭い眼光は眼鏡が覆っている。
レンズの奥から覗くのは、紫紺の瞳。深みのある色だった。
相手の心の底まで見透かすように、時折強かに輝くことがあった。
指は細く長い。怪我の治療など繊細な作業に適した指。
かつて、洗脳・自白のエキスパートと呼ばれていた。
心理学界に革命を起こそうとした人物は、
組織を迫害され、この孤島に流れ着いた。
現在は、辺境の王子達が集う月桂樹の館で、
此処で彼等を身体的、心理的にサポートすることが日々の務めだ。
聖アルフォンソ学院の保健医兼カウンセラー。
スタニスラフ・ニコライエヴィッチ・ソクーロフ。
彼の評判は実に様々だ。親しみを込めて「博士」と呼ぶ者から、
「信頼できるドクター」「俺のヒーロー」、
果ては「サディスト」などと呼ぶ者まである。
保健室のドアがノックされた。
掛時計を見ると、ある生徒のカウンセリングが始まる時間だった。
机に広げていたカルテ。視線でひと舐めしてから、博士は許可を与える。
「入りたまえ」
「こんにちは、ソクーロフ博士」
金髪の少年。髪にはなだらかな波がある。生徒の心を表しているようだ。
歩幅が狭く、もじもじとした歩き方。表情には自信や情熱の類がない。
伏し目がちで、相手の目より、手や足許を見る回数が多い。
自分に誇りが持てない子。一目見て、気弱な性格だと解る表情。
悪いわけではない。彼の場合、そうなるしかなかったのだろう。
高等部第一学年のミハイル・リューリコヴィッチ・ネフスキー。
医師は穏やかな博士の顔を貼り付ける。ミハイル用の仮面だった。
「よく来たね、ミハイル。其処に座りたまえ」
「はい、博士」
素直に従う。ミハイルのカウンセリングを始めてからもう一年になる。
このクランケとカウンセラーは、しっかりと信頼関係が結ばれていた。
部屋は絵画が飾られている。突飛な色彩などはなく、全て落ち着いた色合い。
広々とした風景画や暖かな人物画でまとめられていた。
「さて。今日はどんな話をしようか。ミハイル、何か話したいことはあるかい?」
「あ、はい。イワン兄さんと電話でお話したんです」
「ほう。君のお兄さんから電話が」
ミハイルは地下組織の家に生まれている。年の離れた兄が二人。
下の兄は父親と反目し、自ら組織を起こしている。
イワン・フョードロヴィッチ・ネフスキー。
通称『月下の悪魔』と呼ばれる人物がミハイルの兄だった。
ソクーロフは笑顔の仮面を崩さず、相槌を打つ。
「良かったね、お兄さんとどんな話をしたんだい?」
「今度会いに来てくれるって。ワーニャが、
 ぼくに会いたいって…ぼく、うれしくって」
頬をピンク色に染めて、心から喜んでいる様子だった。
ワーニャというのはイワンの愛称だ。
ロシアでは家族や友人間でイワンをそう呼んでいる。
急にミハイルの表情が変わる。「あっ」と言って口を押さえた。
異変を逃さず、カウンセラーは尋ねた。
「どうしたんだね、ミハイル?」
「あ、えっと…ごめんなさい。ぼく…」
「ミハイル。カウンセリング中に聞いたことはね、私は誰にも言わないよ。
 この話は保健室から出ることはないから、安心して話しなさい」
時と場合に依るがね、と心の中だけで付け加える。
ミハイルはほっとしたように笑顔を見せた。
絶対的な信頼は、時に息苦しいものだ。ミハイルの口が開く。
「あの…電話があったこと、『誰にも言っちゃダメだぞ』って言われてたんです」
嬉しさのあまり、思わず約束を忘れてしまったのだろう。
安心させるように、カウンセラーは言葉を重ねた。
「大丈夫だよ、ミハイル。私には話しても平気だよ。
 では今日のカウンセリングは、お兄さんの話を聞いても良いかい?」
「はいっ」
嬉しそうに微笑んだ。ミハイルは兄が好きらしい。
カウンセラーは、クランケに気付かれずに、催眠状態へと誘導した。
ミハイルのカウンセリングでは、催眠まで使うことは滅多にないのだが。
イワンについて聞き出すなら、予防線を張っておくに越したことはない。
若い頃は後先考えずに行動したものだが。
年を重ねるうちに保守的な生き方も学んだようだ。
ミハイルは深い催眠に落ちた。
信頼関係の強さに比例し、今は何でも私の質問に答えてくれる状態だ。
普段は意識下に眠っている記憶も呼び起こすことができる。
一歩間違えば、クランケを廃人にすることも可能だ。
幼少期まで記憶を遡って、ミハイルに尋ねた。
「ミハイルは、戦争ごっこが好きだったね?」
「そう。ワーニャが好きな遊び…ぼくも好き」
「勝ったり負けたりする遊びなのかい?」
「はい…たくさん、敵を倒すと勝ちです。
 最初はワーニャがよく勝って…ぼくもだんだん勝てるようになって…」
「そう。勝つ為にはどうしたら良いのかな?」
「よく見ていると…相手が何を考えているか解ると、勝ちます。チェスと似てるから。
 ワーニャは『ミーシカは賢いな』っていつも褒めてくれました」
「お兄さんのことが好きだった?」
「だいすき。お父さんもドミトリー兄さんも怖いけど、
 ワーニャだけはぼくと遊んでくれたから」
ミハイルは純真な笑顔を見せる。
カウンセラーは声には出さず、息を吐き出した。
イワンがミハイルと遊んでいたのは、可愛い弟だったからではないのだろう。
自分の組織を持つことを、当時から計画していたのかもしれない。
おそらく、戦争ごっことは将来、実際に人を殺めることを目的としたシミュレーション。
地下組織の頭脳として育てる為の遊び。何も知らない、まだ幼いミハイルに。
「博士は…ワーニャに似てます」
ミハイルはゆっくりと椅子から立ち上がる。
「私が?」
「博士は優しくて…でも時々怖くて…ほんとにワーニャみたいで…すき」
ふらふらと歩いて、カウンセラーの前で、ぺたと床に座り込んだ。
焦点の定まらない瞳が、ぼうっと主治医を見つめている。
「ぼく、博士がすきです…」
転移が起こってしまった。
カウンセリングの現場では発生し易い転移現象。
治療者は立場上、患者に対して真摯に耳を傾ける。
其れ故に、クランケがカウンセラーへ信頼以上の感情を持ってしまう現象だ。
カウンセリングは治療者と患者の距離が遠過ぎれば前に進まないが、
近過ぎても適切な治療は行えない。
更にミハイルは、兄を投影して、医師を見ている。
兄への愛情までもが医師に転移している。
「ミハイル、今日のカウンセリングはここまでだ」
カウンセラーは指を鳴らした。
クランケは操り人形の糸が切れたように前方へ傾く。
ソクーロフが差し出した腕にぐったりと凭れた。規則的な呼吸。眠っている。
保健室のベッドにミハイルを運ぶ。その身体は軽い。
催眠を掛けて正解だったようだ。目を覚ました時には、
イワンについて聞き出したことは全て忘れているだろう。
ミハイルに毛布を掛ける。金色の細い髪が目に入り、
それを撫でようと自然に手が持ち上がった。
逆転移、という単語が脳裏に過ぎる。
治療者が患者へ行き過ぎた好意を抱く現象。
宙に浮いた手で、医師は腕を組む。
逆転移までには至っていないと思うが。
ミハイルは話をする機会が多いせいか、他の生徒より親しい存在ではあった。
先もそうだ。イワンの話を聞いて、
許せない、という感情が沸き起こっていた。
「…月下の悪魔」
その異名は相応しいようだ。人の道を外している悪魔だ。
紛い物の愛情をちらつかせ、己の欲望を満たす為だけに、
何も知らない幼い子供を利用した。
医師は、闇に葬られた史実を思い出した。
聖アルフォンソ学院の卒業生。
兄の私欲の為に、殺人兵器として利用された毒薬遣い。
結果、弟は毒草を用いて、兄を殺めた。
そのような悲劇を此処で繰り返してはならない。
PCの前に向かった。眼鏡にPC画面が反射している。
其処に映し出されているのは、生徒達の詳細な個人情報。
これを扱える人間は学院の中でも数人だ。
自分が持っているデータから必要なものを全て集めて、一枚のカードに収めた。
作業が終わった頃、保健室のドアが鳴った。
コンコンコンと軽快な音が3回。誰が訪ねて来たのか、それで解る。
保健医は特に返事をしなかった。
窓際に立って、白衣のポケットに手を入れる。
カウンセリング中は自粛していた煙草を取り出す。
手の中で、ぽっと小さな炎を点らせ、窓を細く開ける。
ドアから覗いたのは金髪。
ミハイルと似た色だが、こちらは波がなく、すらりと長い。
「こんちわー。ソクちゃん、ベッド貸して?」
保健室の扉を開けたのはアイヴィー。カウンセラーの同僚とも言える。
生徒代表の手足となり、学院の生徒達を守ることが任務。
知り合ってからもう6年にもなる。もっと長く居るような気もする。
表向きは学院専属のタクシードライバー。
本業は、この島の警備責任者。保健医と同様に、この島の命を預かる存在だ。
それほどの重役だと知っている者は極少数だった。
アイヴィーは保健室の自分の指定席を見やる。
「あれ? 俺のベッドに先約?」
ベッドに横たわる少年を見つけた。金色に輝く巻き髪と、小さな身体。
保健室の常連だ。カウンセリングで訪れている姿を何度か見掛けていた。
「ミハイルじゃん。どしたの? 倒れた?」
カウンセラーは紫煙を吐き出す。白い煙が生き物のように立ち昇る。
「起こすな。記憶を抹消して、眠らせたばかりだ。
 身体に負担を掛けてしまった。私の不手際だ」
「ソクーロフ…」
反省の言葉を口にするなど、この医師にしては珍しいことだった。
お前どうしたんだよ、と尋ねる前に博士は話題を転換した。
「アイヴィー。お前にひとつ、プレゼントをやろう」
「あら? めずらし」
警備責任者は博士が居る窓際へ近付く。
歩きながら煙草を取り出して、火を点ける。
隣に立って、一度呼吸する。煙が身体に回る感覚が心地好い。
微笑みながら、長年の相棒に尋ねる。
「ね。それって、ソクちゃんの愛、こもってんの?」
博士は薄く笑った。
「ああ」
手渡したのはSDHCメモリーカード。薄い長方形。
アイヴィーは親指と人差し指に挟む。
「ちょっとー、ソクちゃんの愛って3cm? ちっちゃくない?」
「最大容量は4GBだぞ?」
「うーわー。重い愛だなー。俺ってば、か弱いから潰れちゃう」
「受け止められないのなら勝手に潰れていろ」
「冷たっ」
医師は軽く笑って、壁に凭れる。
このタクシードライバーは、冗談ばかり口にする男だった。
下らない話も深刻な話も、至って軽い口調で話す。
医師は煙草を口から離して、息を吐いた。
指の先で上がる白煙。その動きを追うのは面白い。
同じ銘柄の煙草でも、同じ動きは二度とない。
その日その日で、空気も風も違うからだ。人の心と同じだ。常に変わる。
空は青く澄んでいた。大きな雲が、ゆったりと流れている。
今日の天気は快晴。煙草は美味い。
聖アルフォンソ島に来てから、煙草が美味いと感じられるようになった。
これ以上、何を望めば良いのだろう。ふと、そんなことを想う自分に出会う。
「んー。今日はイイ天気だねー。絶好の煙草日和?」
隣に居るタクシードライバーは、青空を眺めながら、腕を上げて伸びをしていた。
カウンセラーは銜えていた煙草を離す。人差し指を自分の唇に当てる。
「天気は、関係ないだろう」
「いーや。あるねっ」
風が吹いて、僅かに開いた窓の向こうへひゅるりと吸い込まれた。
医師は笑みを消して、警備責任者に伝える。
「イワン・フョードロヴィッチ・ネフスキー。奴の動向に注意しろ」
警備責任者はベッドで眠る少年に目をやる。
「ネフスキーって…ミハイルの?」
「ああ、兄だ。ミハイルに電話をした。近いうちに接触してくる」
警備責任者はSDHCメモリーカードを眺める。
銀色の板には、イワンに関するデータが詰まっているのだろう。
「誘拐、ね」
医師は頷く。
「おそらく。ロシアへ連れ去るつもりだろう」
もう驚くことではなかった。辺境の王子は攫われ易い人種の集まりだ。
一人一人が抱えている特殊事情のせいで、その身を狙う輩が後を絶たない。
「裏方は大忙しだなー、おかげさんで。今年は当たり年だねー。
 ソクちゃんは、ますます人使い荒いしー」
メモリーカードを胸ポケットに入れる。重さはない。
この仕事は肩書きの割りに重責を感じたことがなかった。
息苦しさを伴う任務ではない。昔々と違って迷いがない。
マージナルプリンスどもをお守りする。それだけだ。
よっ、と掛け声を上げて、壁から身を起こす。
博士の机にある灰皿に、吸殻を置かせて貰う。
保健室から出る前に、アイヴィーは少年の前でしゃがんだ。
「ミハイル、かーわいっ」
幼さの残る寝顔に思わず微笑む。
ミハイルを見つめながら、起こさないように、そうっと柔らかい金髪を撫でた。
「心配要らないぜ? ミハイル」
眠っている少年に、というよりはこの子の主治医に聞かせる為に。
警備責任者は笑って、寝顔に誓う。
「お前さんのことは、カッコイイお兄さん達が守るからな♪」


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