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Marginal Prince Short Story
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■オーギュスト×アンリ ←ソクーロフ
予鈴が鳴った。もうすぐ講義が始まる。
聖アルフォンソ学院の生徒達は教科書を片手に、
広いキャンパスを移動していた。
講義のない者は、各自好きな場所へ向かう。
ナイチンゲールや森の動物達は、
鐘の音に囚われず、日々の生活を送っていた。

第二化学室。此処は神秘学の教室だ。
生徒達は皆、既に着席している。
講師が来るまでの時間、友人と語らう様子もあまり見られない。
他人への不干渉が美徳だと感じている生徒が大半だった。
アンリは、ちらと掛け時計を眺める。講義開始2分前。
遅いな、と思う。
この講義の講師なら普段はもう来ている時刻だ。
彼は、講義前に目が合うと必ず、一瞬だが、自分に微笑みかける。
そして鐘が鳴ると、教室全体に視線を映す。
他の生徒とは、そんなアイコンタクトは取らない。

アンリはあまり意味もなく、窓から空を眺めていた。
今日最後の時間割。太陽はもうすぐ暮れゆく。
講義が終わる頃には夕焼けだ。
このシーズンは、日が落ちるのが早い。
流れる雲を追っていると、講義開始の鐘が鳴った。
各教室から講師の声が聞こえ始めるこの時刻。
神秘学の教室はまだ静かだった。
講師のくせに遅刻なんて、生徒に失礼だ。

数分後、慌しい足音が聞こえて来た。
あんなにバタバタと走ってくるような講師ではない。
「すみません! 遅れましたっ」
勢い良く頭を下げたのは、顔だけ知っている男。
制服から学生課の職員らしいと知れた。
大きい丸眼鏡を掛け直しながら、声を張り上げる。
「えっと、ボージェ教授からのご連絡をお伝えします。
 本日の神秘学は休講です。突然で申し訳ない、とのことでした」
騒ぎ出す生徒は居なかった。
髪の長い生徒が、不機嫌な溜息を洩らした程度だ。
アンリは、ねえ、と職員に尋ねた。
「休講の理由は?」
「先生が体調を崩されたそうです。先程、保健室から連絡がありました」

聖アルフォンソ学院の保健室はシュヌーシア寮の傍にある。
そこに住む病弱な生徒達に都合が良いからだ。
最新の設備が整う、立派な医療施設。利用するのは生徒だけではない。
電話を終えた白衣の男は、ベッドルームへ入った。
白い寝台が三つ並んでいる。窓に近い一台に患者が身を沈めていた。
闇に近い髪色。肌は白い。40前後にしては見目麗しい紳士。
誰とどんな話題でも話せる。その内容から相当博学だと伺える。
人当たりは良いが、特別仲の良い教授は居ない。
メルキュール館の中でも『変わった人』だと噂される一、二の人物。
今は高熱に浮かされ、保健医の手中にある、ただの患者だ。
保健医は優しく声を掛ける。
「ボージェ教授。学生課に連絡しておきましたよ?」
横たわる講師は熱い吐息と共に礼を述べた。
「ありがとうございます。すみません、お手数をお掛けしまして」
「病人の世話をするのが私の仕事ですから。39度2分で教壇に立たれては困りますよ」
講義開始20分前、ボージェ教授が此処へ訪ねて来た。
少し頭痛がするので薬を頂けませんか、と。
保健医は教授を一目見て、熱を測らせた。
体温計を見せ、休講にするよう勧めたのは保健医だった。

休講になった教室。
生徒達は文句のひとつも言わず、退室していく。
たった一人の人間が居ないだけで、この時間は成り立たない。
アンリも席を立った。
教室を出て、寮とは逆方向へ向かう。
ウーティス寮からは少し離れたその場所。
アンリが此処に来るのは年に一度、定期健診の時だけだ。
多少の体調不良では絶対に足を運ばない。
こんなところにカウンセリングに通う人の気が知れなかった。
ドアの前に立つ。軽く息を吐いてからノックした。

「おや。よく来たね、アンリ。君が訪ねて来るとは一体何事かな?」
不気味なほど快く出迎えたのは白衣の男。この学院の保健医だ。
長い髪を一つに束ねている。心の奥底まで見透かす様な目。
アンリにとっては天敵とも言える相手だった。用件だけ口にする。
「神秘学の講師が、来ていると聞いたんだけど」
眼鏡の奥で瞳が細くなる。
「いらっしゃるよ。さあ、入りたまえ、アンリ」
片手で促される。仕方なく保健医の後に続いた。

神秘学の特別講師はベッドに横たわっていた。
朱に色付いた頬。知性的な目は熱っぽく潤んでいる。
素人目から見ても病人だと解った。
「思ったより悪そうだね、オーギュ」
「アンリ?」
教え子の姿を見つけると、講師は儚げに微笑んだ。
「今日はごめんね。休講にしてしまって」
生徒は講師のベッドへ歩いていく。
「全くだ。当日になって急に。いい迷惑だよ」
「すまない。わざわざ様子を見に来てくれたのかね?」
「本当に病欠か確かめに来ただけだ」
冷たく言い放つ生徒を、講師は嬉しそうに見つめた。
「ありがとう。優しい子だね、アンリは」
毛布から伸びた手は、アンリの頭を撫でる。
薬指が頬に触れた。いつもの心地好い温度とは違った。
「手、熱い」
講師が手を離す。
「ああ、すまない。少し熱があるそうでね」
「どのくらい?」
「39度、だったかな?」
「何処が少しなの」
「大丈夫だよ。博士に薬を頂いたから」
「その薬、信用できるの?」
「私が毒薬を処方するとでも思ったかい?」
講師と生徒の後方から含み笑い。
保健医は二人の遣り取りを興味深く見守っていた。
病人は諭すように教え子に言う。
「アンリ、失礼だよ。博士に謝りなさい?」
生徒はぷいと髪を揺らし、担当教諭の言葉を無視した。
講師は保健医に詫びる。
「すみません、博士。この子は少々…噛み癖のある子で」
生徒は病人を睨み付ける。
「躾の悪い犬みたいに言わないで」
保健医は愉快だと言わんばかりに微笑んでいる。
「アンリの噛み癖は私もよく存じていますよ、ボージェ教授。
 ただ、私は貴方と違って、噛んで貰うこと自体、稀ですがね?」
保健医が近付くと、アンリはベッドへ一歩、後ずさった。
見逃さず、その様子を捉えた保健医は、それ以上は進まなかった。
「アンリ。教授には適切な解熱剤を差し上げたから、
 明日には良くなる。安心したまえ」
「別に、心配なんかしてない。気分が悪くなってきたから失礼するよ」
保健医は微笑して、腕を組んだ。
「気分が悪いのならゆっくり休んでいきなさい? 此処は保健室なのだから」
「此処に居るから、気分が悪いの」
バタンとドアが閉まる。担当教諭は教え子の非礼を詫びた。
「重ね重ね、すみません。ソクーロフ博士」
「いいえ。私はとても楽しめました。それにしても、妬けましたよ?」
「え?」
「ボージェ教授はアンリと随分親しいようですね。
 貴方が神秘学を専攻しているからでしょうか?」
「幸いなことに、神秘学はアンリの好きな学問ですから」
「ええ。ですが、それだけとも思えないのですがね」
眼鏡を押し上げる。口許には不敵な微笑が浮かんでいた。
「今日のところは、寝込みを襲うような真似は止めておきましょうか。仮にも貴方は病人だ」
博士は遮光カーテンを引く。途端に部屋は薄暗くなった。
「少しお喋りが過ぎましたね。お休み下さい、教授」
「ええ。ありがとうございます」
教授は目を閉じた。


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