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■2日目5:手を 続編
「ゼノ、ミルクティが飲みたいな」
お休み前にそう頼まれて、専属執事は紅茶の準備をしていた。
次期当主の広い自室。
此処はメイド達によって常に綺麗に掃除されている。
この執事の目から見ても完璧だ。
主人はベッドに腰掛け、紅茶ができるのを待っている。
手はメイキングされたシーツの上。
カップは一つ。ほんの数年前までカップは三つ必要だった。
ミルクティをメネシスの御方は好まれる。
これを淹れる度に浮かぶ光景があった。
庭で遊んでいた子供。
お茶の時間。
淹れたばかりのミルクティ。
それを運ぶまだ若い自分。
噴水の傍のテーブル。午後の日差し。
見惚れて。手を滑らせた。
宙に浮くカップ。それは子供の服に着地した。
上等なお召し物がミルクティ色に染まっていく。
初めての失敗。
完璧主義だった自分。どうすれば償えるのか。
もう此処には置いて貰えないと思った。
何もできず、紅茶がシルクに滲み込んでいくさまを見ていた。
なのに、あなたは。
熱い、と叱ることもなく。
ごめんなさい、と言いながら私を見て笑っていた。
――そんなにビックリしてるゼノは初めてだったから――
あれから何年も過ぎたのに、あの楽しげな笑顔は、
今も鮮明に焼き付いたまま脳裏を離れない。
柔らかな笑顔を記憶の奥底に無理に沈める。
「ねえ。ゼノ」
現在の主人の声。声変わりをしても面影は似ている。
テオはベッドに座ったまま、俯いていた。
「私、これからフィリア嬢と仲良くなれるのかな?」
「大丈夫ですよ。フィリア様もテオ様も素晴らしいお人なのですから。
ご一緒に過ごすうち、次第にお相手のことが解って距離が縮まってくるでしょう」
「そう、かな」
「ええ。テオ様は人と親しくなる才能をお持ちです。
ご婚約者だと意識せず、例えば、学院に来た新入生と接するように、
フィリア様と接してみてはいかがでしょう。
先ずご友人になるところから。ゆっくり始めて良いのですよ」
すらすらと流れるように出てくる言葉。
メネシスに仕える者として正しい台詞は、
自分でも不思議に思うくらい淀みなく話せた。
「そうか。うん、それなら私にもできるかな」
「ええ。できますよ、テオ様なら」
テオは暫く黙っていた。
学生時代より、少しシャープになった輪郭。
物想いに俯くと、幼少時代の面影を残しながらも、
次期当主としての風格が滲み出るようになった。
主人は、やがて顔を上げ、こう言った。
「私、今度、フィリア嬢と会っても良いかな?
これから友人になるのなら、一度くらいは、
二人でゆっくりとティータイムを過ごしてみないとね?」
「テオ様…」
「二人きりになれる場所と、彼女が好きそうなお菓子を用意してくれる?
お茶は私が淹れて差し上げたいな。どんなリーフが良いだろうね」
「やっと前向きなお気持ちになられましたね。もちろん、ご用意させて頂きます」
執事は喜ばしいことだと思いながら、
細い針で刺されるような痛みを感じていた。
こうやってメネシスの御方達は、正しいお相手を選び、
その道を進んでいくのだと、改めて思い知らされたようだった。
「ごめんね、ゼノ」
やけに沈んだ声。
「何がですか? テオ様」
「私、ゼノに迷惑ばかり掛けて、申し訳ないなと思って」
「良いのですよ。私は慣れていますから」
リーフの抽出が終わる。
ポットを傾けると、あたたかな音。
湯気とセイロンの香り。たっぷりのミルクと砂糖は一つ。
カップをお渡しすると、主人は一口飲み、すぐさま感想を述べる。
「ああ、ゼノはミルクティ屋さんでも生業になるねえ」
「恐れ入ります。ですが、やはり大袈裟ではないですか?」
「だって、いつも完璧なまでに私好みの味だもの」
「テオ様に何年お仕えしてきたとお思いですか?」
もう19歳になった主人。
聖アルフォンソ島にご滞在時を除き、ずっとお傍に居る。
テオが居ない六年間。
その間に初めて知らされたこと。
自分の髪色。
テオを次期当主とすることに異論はなかった。
テオは上に立つべき存在だ。
メネシスを、ギリシャを先導していける王だ。
テオが学院を卒業し、邸に戻った時は、
以前のように振る舞えるか心配だった。
幼少期そのままの笑顔を見て、肩の力が抜けた。
テオを一生支えていこうと改めて誓った。
それが許されるなら、この命の意味もあったというものだ。
お前は何も知らなくていい。
太陽の笑顔を失わせるわけにはいかない。
「美味しいよ、ゼノ」
毎回飽きずに賛辞や感謝を述べるメネシスの唇。
何世代も変わらない高尚な唇をテオも受け継いでいた。
「ゼノのミルクティを飲むと、これからもやっていけそうだなと思うよ」
微笑みながら、またカップに口付ける。
執事は主人に背を向けたままだった。
万華鏡のように過去が回りだす。
数か月前のパーティでお会いした時も私にミルクティを頼まれた。
――またゼノのミルクティが飲める日まで元気でいられる気がします――
執事は知らずに自分の胸許を握り締めていた。
指に触れるもの。手の平に小さな痛みが走る。
今ではもう、これを外さないのか、外せないのかさえ解らなかった。
眼鏡に掛かる前髪を除ける気も起こらない。
「同じことばかり言うんだな」
テオはカップを置いて、執事に尋ねる。
「え? なに、ゼノ?」
主人に問われ、クルリと身を翻す。
「いえ。メネシスの唇は相変わらず大袈裟ですね、と申し上げただけですよ」
「ゼノ、ミルクティが飲みたいな」
お休み前にそう頼まれて、専属執事は紅茶の準備をしていた。
次期当主の広い自室。
此処はメイド達によって常に綺麗に掃除されている。
この執事の目から見ても完璧だ。
主人はベッドに腰掛け、紅茶ができるのを待っている。
手はメイキングされたシーツの上。
カップは一つ。ほんの数年前までカップは三つ必要だった。
ミルクティをメネシスの御方は好まれる。
これを淹れる度に浮かぶ光景があった。
庭で遊んでいた子供。
お茶の時間。
淹れたばかりのミルクティ。
それを運ぶまだ若い自分。
噴水の傍のテーブル。午後の日差し。
見惚れて。手を滑らせた。
宙に浮くカップ。それは子供の服に着地した。
上等なお召し物がミルクティ色に染まっていく。
初めての失敗。
完璧主義だった自分。どうすれば償えるのか。
もう此処には置いて貰えないと思った。
何もできず、紅茶がシルクに滲み込んでいくさまを見ていた。
なのに、あなたは。
熱い、と叱ることもなく。
ごめんなさい、と言いながら私を見て笑っていた。
――そんなにビックリしてるゼノは初めてだったから――
あれから何年も過ぎたのに、あの楽しげな笑顔は、
今も鮮明に焼き付いたまま脳裏を離れない。
柔らかな笑顔を記憶の奥底に無理に沈める。
「ねえ。ゼノ」
現在の主人の声。声変わりをしても面影は似ている。
テオはベッドに座ったまま、俯いていた。
「私、これからフィリア嬢と仲良くなれるのかな?」
「大丈夫ですよ。フィリア様もテオ様も素晴らしいお人なのですから。
ご一緒に過ごすうち、次第にお相手のことが解って距離が縮まってくるでしょう」
「そう、かな」
「ええ。テオ様は人と親しくなる才能をお持ちです。
ご婚約者だと意識せず、例えば、学院に来た新入生と接するように、
フィリア様と接してみてはいかがでしょう。
先ずご友人になるところから。ゆっくり始めて良いのですよ」
すらすらと流れるように出てくる言葉。
メネシスに仕える者として正しい台詞は、
自分でも不思議に思うくらい淀みなく話せた。
「そうか。うん、それなら私にもできるかな」
「ええ。できますよ、テオ様なら」
テオは暫く黙っていた。
学生時代より、少しシャープになった輪郭。
物想いに俯くと、幼少時代の面影を残しながらも、
次期当主としての風格が滲み出るようになった。
主人は、やがて顔を上げ、こう言った。
「私、今度、フィリア嬢と会っても良いかな?
これから友人になるのなら、一度くらいは、
二人でゆっくりとティータイムを過ごしてみないとね?」
「テオ様…」
「二人きりになれる場所と、彼女が好きそうなお菓子を用意してくれる?
お茶は私が淹れて差し上げたいな。どんなリーフが良いだろうね」
「やっと前向きなお気持ちになられましたね。もちろん、ご用意させて頂きます」
執事は喜ばしいことだと思いながら、
細い針で刺されるような痛みを感じていた。
こうやってメネシスの御方達は、正しいお相手を選び、
その道を進んでいくのだと、改めて思い知らされたようだった。
「ごめんね、ゼノ」
やけに沈んだ声。
「何がですか? テオ様」
「私、ゼノに迷惑ばかり掛けて、申し訳ないなと思って」
「良いのですよ。私は慣れていますから」
リーフの抽出が終わる。
ポットを傾けると、あたたかな音。
湯気とセイロンの香り。たっぷりのミルクと砂糖は一つ。
カップをお渡しすると、主人は一口飲み、すぐさま感想を述べる。
「ああ、ゼノはミルクティ屋さんでも生業になるねえ」
「恐れ入ります。ですが、やはり大袈裟ではないですか?」
「だって、いつも完璧なまでに私好みの味だもの」
「テオ様に何年お仕えしてきたとお思いですか?」
もう19歳になった主人。
聖アルフォンソ島にご滞在時を除き、ずっとお傍に居る。
テオが居ない六年間。
その間に初めて知らされたこと。
自分の髪色。
テオを次期当主とすることに異論はなかった。
テオは上に立つべき存在だ。
メネシスを、ギリシャを先導していける王だ。
テオが学院を卒業し、邸に戻った時は、
以前のように振る舞えるか心配だった。
幼少期そのままの笑顔を見て、肩の力が抜けた。
テオを一生支えていこうと改めて誓った。
それが許されるなら、この命の意味もあったというものだ。
お前は何も知らなくていい。
太陽の笑顔を失わせるわけにはいかない。
「美味しいよ、ゼノ」
毎回飽きずに賛辞や感謝を述べるメネシスの唇。
何世代も変わらない高尚な唇をテオも受け継いでいた。
「ゼノのミルクティを飲むと、これからもやっていけそうだなと思うよ」
微笑みながら、またカップに口付ける。
執事は主人に背を向けたままだった。
万華鏡のように過去が回りだす。
数か月前のパーティでお会いした時も私にミルクティを頼まれた。
――またゼノのミルクティが飲める日まで元気でいられる気がします――
執事は知らずに自分の胸許を握り締めていた。
指に触れるもの。手の平に小さな痛みが走る。
今ではもう、これを外さないのか、外せないのかさえ解らなかった。
眼鏡に掛かる前髪を除ける気も起こらない。
「同じことばかり言うんだな」
テオはカップを置いて、執事に尋ねる。
「え? なに、ゼノ?」
主人に問われ、クルリと身を翻す。
「いえ。メネシスの唇は相変わらず大袈裟ですね、と申し上げただけですよ」
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