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■テオ×クラウス
「今日の講義もとても格好良かったよ、クラウス」
テオとクラウスが共に受けている帝王学の終了後。
教室を出て、長い廊下を歩きながら話していた。
「お前、真面目に講義を聞いているのか?」
「聞いているとも。今日は特に、明君と暗君の差異について論じたところが、
素晴らしかったなあ。一生貴方に付いていきたいと思ったよ」
「思わんでいい」
クラウスは高等部第二学年、テオは高等部一年。
後に二人とも生徒代表という王になるとは知らずに受けていた講義。
クラウスは、帝王学は修めておきたいと願って受講を決めた。
では私もご一緒したいなとテオが言ってきた為、二人揃っての受講となった。
クラウスが念の為「俺は、ノートは一切貸さないぞ」と釘を刺したところ、
返ってきたのは笑顔で「うん。解っているよ」とのこと。
言葉通り、テオからノートを要求されたことは一度もなかった。
テオもメネシス家の次期当主として、帝王学を学んでおきたいと思っているのだろうか。
しかし、この友人は、本人に面と向かって言うことはないが、
学問への知的好奇心が高い人種とは思えないのだ。
テオの好奇心は専ら『楽しいこと』に向かっている。
こと娯楽に関しては、クラウスが太刀打ちできない能力を持つ。
海運王の家だけあって、マリンスポーツの類は遊び尽くしている。そのくせ飽きていない。
クラウスもトライアスロンを趣味とするだけあって泳力には自信があったのだが、
テオも海に入れば自由に泳ぐ。ただ、二人の泳ぎ方には違いがあった。
黙々とスピード重視で泳ぎ続けるクラウスはシャチのようで、
意外と肺活量があり潜水に長けるテオは優雅な人魚のようだった。
海を愛する男は、今は片手にテキストを持ち、クラウスと肩を並べている。
「さて、クラウス。放課後のコーヒータイムにしようか?」
「え、ああ」
「今日はね、イタリアの新しい豆なのだよ」
帝王学の後、テオは毎回やけに機嫌が良い。
何がそんなに楽しいのか、満面の笑顔で話している。
今日の講義が終わりだから浮かれているのだろうかとクラウスには疑問だった。
テオが帝王学を受講した理由は、
優秀な成績を生み出すノートが傍にあるからではなかった。
講義中、実直で爽快な発言を聞くこと、
生真面目に板書する横顔を眺めることが許されれば、それで充分。
今日の講義も大満足に過ごせたと、いつも満面の笑顔だった。
クラウスが先に階段を降りて行く。その少し後をテオが続く。
テオの目前には、スポーツマンらしく短く切った髪。
晒された項。少し日に焼けてきたなとテオは密かに思う。
以前プレゼントしたトライアスロンバイクを使ってくれているようだ。
校舎から寮までの間、テオの方に、より多くの挨拶が掛けられる。
シュヌーシア寮に止まらず、ウーティスの生徒達や、
通りすがりのアルファルドの鳥にまで気さくに挨拶を返していた。
シュヌーシア寮サロンに、のどかな時間とエスプレッソの香りが流れる。
サロンの隅には高価なエスプレッソマシンがある。
以前、クラウスが何気なくエスプレッソが好きだと言った二日後に、
このサロンにドンと置かれていて大層驚かされた品だ。
深い苦みをストレートで飲めるのはこの寮ではクラウスただ一人。
テオは彼にエスプレッソ用の白い小さなカップを渡す。
このデミタスは、フランス語で『半分のコーヒーカップ』を意味する。
隣に座ったテオのカップは、学院の紋章がついた通常の大きさ。
黒い水面には黄金色の泡。クレマと呼ばれるものだ。
テオはエスプレッソの美味しさを示す泡に、グラニュー糖を静かに入れる。
その刹那、砂糖は繊細な泡の上に乗る。
雪のような白が、じゅわとコーヒー色にその身を溶かす瞬間。
砂糖がなんとも幸せそうで、いつも焦がれるように見守ってしまう。
テオは特別、コーヒー党というわけではなかったが、
クラウスにコーヒーを淹れるついでに自分も飲むようになり、
徐々にこの香りにも惹かれていったし、ミルクを攪拌する時に見られる、
美しい螺旋模様を愛でることも楽しみだった。
テオはコーヒーカップの芸術を鑑賞しながら、いつも思うことがあった。
きっと、エスプレッソがクラウスで、自分はミルクなのだろうと。
この黒は、きりりと凛々しく、深い味わいがある。
その苦味を一度知ってしまえば毎日会いたくなる。
たったひとくち飲んだだけで、全身の力が抜けるような幸福に包まれる。
ミルクがなくとも、エスプレッソは単独で充分立っていられる。
テオのカップは、すっかりカフェ・ラテ色になっていた。
一口飲む。喉を流れるまろやかな苦み。いつものように、ああ、と息を吐く。
「全く、この赤い実を見て飲んでみようと最初に思った人は天才だね。
実の種子を焙煎して抽出したものを飲もうなんて、どうして考え付いたのだろう」
「確かに、な」
コーヒーの木には、コーヒーチェリーと呼ばれる赤い実が生る。
実には、薄茶色の二つの種子が入っている。
その生豆をローストして初めて、よく見られる焦茶色のコーヒー豆になる。
「その天才さんのおかげで、私は今、夢のような時間が過ごせるのだね」
夢のよう。テオの口からよく聞く言葉だった。
ささいなことにも、いちいち感動を表明する。
「お前は朝から晩まで、夢の中に居るようだな」
冗談で言ったつもりだった言葉には、あまりに素直な返事があった。
「うん。そうだね。私は寝ても覚めても夢の中に居るのだろうね」
カフェ・ラテとの口付けを交わし、顔を上げると、
疑問を苦い顔に張り付けているクラウスと目が合った。
にこりと笑って、メネシス家の帝王学とも言うべき、大切な言葉について話し始めた。
「小さい頃、両親に『人生は夢』だと教わったんだ。
夢を楽しむために人は生まれてきたのだと」
テオの唇は、クラウスの辞書にない言葉を多用する。本当に。
9気圧で抽出した、ダークローストの芳香。
クラウスはデミタスに口付けたまま、友人の言葉を聞いていた。
「私はね、今、最も楽しい夢を見ているのだと思う。
この聖アルフォンソ島で、シュヌーシア寮で、貴方の隣で」
夜。クラウスは夢を見た。
テオが眠っている夢だった。
雲の上のような空間に一人で。
小麦色の寝顔。
黄色やピンクの花が落ちる、綺麗で儚い楽園。
ひだまりの中、真っ白な毛布にくるまって。
気持ち良さそうに夢を見ていた。

fin
「今日の講義もとても格好良かったよ、クラウス」
テオとクラウスが共に受けている帝王学の終了後。
教室を出て、長い廊下を歩きながら話していた。
「お前、真面目に講義を聞いているのか?」
「聞いているとも。今日は特に、明君と暗君の差異について論じたところが、
素晴らしかったなあ。一生貴方に付いていきたいと思ったよ」
「思わんでいい」
クラウスは高等部第二学年、テオは高等部一年。
後に二人とも生徒代表という王になるとは知らずに受けていた講義。
クラウスは、帝王学は修めておきたいと願って受講を決めた。
では私もご一緒したいなとテオが言ってきた為、二人揃っての受講となった。
クラウスが念の為「俺は、ノートは一切貸さないぞ」と釘を刺したところ、
返ってきたのは笑顔で「うん。解っているよ」とのこと。
言葉通り、テオからノートを要求されたことは一度もなかった。
テオもメネシス家の次期当主として、帝王学を学んでおきたいと思っているのだろうか。
しかし、この友人は、本人に面と向かって言うことはないが、
学問への知的好奇心が高い人種とは思えないのだ。
テオの好奇心は専ら『楽しいこと』に向かっている。
こと娯楽に関しては、クラウスが太刀打ちできない能力を持つ。
海運王の家だけあって、マリンスポーツの類は遊び尽くしている。そのくせ飽きていない。
クラウスもトライアスロンを趣味とするだけあって泳力には自信があったのだが、
テオも海に入れば自由に泳ぐ。ただ、二人の泳ぎ方には違いがあった。
黙々とスピード重視で泳ぎ続けるクラウスはシャチのようで、
意外と肺活量があり潜水に長けるテオは優雅な人魚のようだった。
海を愛する男は、今は片手にテキストを持ち、クラウスと肩を並べている。
「さて、クラウス。放課後のコーヒータイムにしようか?」
「え、ああ」
「今日はね、イタリアの新しい豆なのだよ」
帝王学の後、テオは毎回やけに機嫌が良い。
何がそんなに楽しいのか、満面の笑顔で話している。
今日の講義が終わりだから浮かれているのだろうかとクラウスには疑問だった。
テオが帝王学を受講した理由は、
優秀な成績を生み出すノートが傍にあるからではなかった。
講義中、実直で爽快な発言を聞くこと、
生真面目に板書する横顔を眺めることが許されれば、それで充分。
今日の講義も大満足に過ごせたと、いつも満面の笑顔だった。
クラウスが先に階段を降りて行く。その少し後をテオが続く。
テオの目前には、スポーツマンらしく短く切った髪。
晒された項。少し日に焼けてきたなとテオは密かに思う。
以前プレゼントしたトライアスロンバイクを使ってくれているようだ。
校舎から寮までの間、テオの方に、より多くの挨拶が掛けられる。
シュヌーシア寮に止まらず、ウーティスの生徒達や、
通りすがりのアルファルドの鳥にまで気さくに挨拶を返していた。
シュヌーシア寮サロンに、のどかな時間とエスプレッソの香りが流れる。
サロンの隅には高価なエスプレッソマシンがある。
以前、クラウスが何気なくエスプレッソが好きだと言った二日後に、
このサロンにドンと置かれていて大層驚かされた品だ。
深い苦みをストレートで飲めるのはこの寮ではクラウスただ一人。
テオは彼にエスプレッソ用の白い小さなカップを渡す。
このデミタスは、フランス語で『半分のコーヒーカップ』を意味する。
隣に座ったテオのカップは、学院の紋章がついた通常の大きさ。
黒い水面には黄金色の泡。クレマと呼ばれるものだ。
テオはエスプレッソの美味しさを示す泡に、グラニュー糖を静かに入れる。
その刹那、砂糖は繊細な泡の上に乗る。
雪のような白が、じゅわとコーヒー色にその身を溶かす瞬間。
砂糖がなんとも幸せそうで、いつも焦がれるように見守ってしまう。
テオは特別、コーヒー党というわけではなかったが、
クラウスにコーヒーを淹れるついでに自分も飲むようになり、
徐々にこの香りにも惹かれていったし、ミルクを攪拌する時に見られる、
美しい螺旋模様を愛でることも楽しみだった。
テオはコーヒーカップの芸術を鑑賞しながら、いつも思うことがあった。
きっと、エスプレッソがクラウスで、自分はミルクなのだろうと。
この黒は、きりりと凛々しく、深い味わいがある。
その苦味を一度知ってしまえば毎日会いたくなる。
たったひとくち飲んだだけで、全身の力が抜けるような幸福に包まれる。
ミルクがなくとも、エスプレッソは単独で充分立っていられる。
テオのカップは、すっかりカフェ・ラテ色になっていた。
一口飲む。喉を流れるまろやかな苦み。いつものように、ああ、と息を吐く。
「全く、この赤い実を見て飲んでみようと最初に思った人は天才だね。
実の種子を焙煎して抽出したものを飲もうなんて、どうして考え付いたのだろう」
「確かに、な」
コーヒーの木には、コーヒーチェリーと呼ばれる赤い実が生る。
実には、薄茶色の二つの種子が入っている。
その生豆をローストして初めて、よく見られる焦茶色のコーヒー豆になる。
「その天才さんのおかげで、私は今、夢のような時間が過ごせるのだね」
夢のよう。テオの口からよく聞く言葉だった。
ささいなことにも、いちいち感動を表明する。
「お前は朝から晩まで、夢の中に居るようだな」
冗談で言ったつもりだった言葉には、あまりに素直な返事があった。
「うん。そうだね。私は寝ても覚めても夢の中に居るのだろうね」
カフェ・ラテとの口付けを交わし、顔を上げると、
疑問を苦い顔に張り付けているクラウスと目が合った。
にこりと笑って、メネシス家の帝王学とも言うべき、大切な言葉について話し始めた。
「小さい頃、両親に『人生は夢』だと教わったんだ。
夢を楽しむために人は生まれてきたのだと」
テオの唇は、クラウスの辞書にない言葉を多用する。本当に。
9気圧で抽出した、ダークローストの芳香。
クラウスはデミタスに口付けたまま、友人の言葉を聞いていた。
「私はね、今、最も楽しい夢を見ているのだと思う。
この聖アルフォンソ島で、シュヌーシア寮で、貴方の隣で」
夜。クラウスは夢を見た。
テオが眠っている夢だった。
雲の上のような空間に一人で。
小麦色の寝顔。
黄色やピンクの花が落ちる、綺麗で儚い楽園。
ひだまりの中、真っ白な毛布にくるまって。
気持ち良さそうに夢を見ていた。
fin
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