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Marginal Prince Short Story
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2日目6:再びテオの部屋 続編
ギリシャ旅行三日目。
三泊四日の日程では今日が最後の夜となる。
弟達はさぞ豪華な持て成しを受けているのだろう。
日本に居るユウタの姉は、遠い国のことを考えていた。
時計を見る。此処では夜が深まる頃、向こうでは日が暮れる頃。
日本とギリシャの時差も初めて知った。
たった二日前に知り合った人、その境遇、過剰なたくさんの言葉が思い浮かぶ。
自分の机には鳴らない携帯が居座っている。
おととい、昨日、と電話が鳴った時刻が近付くにつれ、携帯が気になる。
旅行の最終日なのだから、今日は彼等だけで楽しんでいるのかもしれない。
本当はそうあるべきだと、ふと思う。
電話が来るかもしれないと思うことの方が可笑しい。
そう思い直し、パジャマに着替えようとした時だった。
聞き慣れたメロディ。
ユウタの携帯から。電話ではない。メールだ。
携帯を開く。画面に映し出されたのは英文。
綴られていた英語は至ってシンプルなメッセージを伝えるものだったが、
間違っても自分の弟には書けない文章だ。
例え署名がなかったとしても、書いたのが誰か解った。

Dear Thumbelina(親愛なるサンベリーナへ

miss you     会いたいよ
call me     電話してくれるかい?

Theo XXX     テオ キスキスキス)


「サンベリーナ! メールを読んでくれたのだね、ありがとう!」

姉が電話を掛けると、またアップで小麦色の顔が映った。

「今日は少し遅い時間になってしまったから、起きているか心配だったんだけど、
良かったよ、また姫に会えて。今日も一段とお美しいね。
お目に掛かる度に愛らしくなっているよ?
一体どんな魔法を私に掛けているんだい、サンベリーナ?
ああ、そのオリエンタルスマイルもなんてミステリアスな!」

昨日と変わらない笑顔が眩しい。
相変わらずのハイテンションな声で迎えられた。
昨日のテオは少し元気がなかったので今日はどうだろうと思ったが、
彼は笑顔の似合う人だ。まだ会ったばかりなのに、テオの笑顔を見ていると、
もうずっと前から、彼のことを知っていたような気持ちになるのが不思議だった。
彼もまた、自分に対してかなり打ち解けて話しているように見える。
出会った時から、好意的な言葉を浴びるように受けている。
ただ彼の場合は、誰にでもこのような対応をするような気がする。
彼と話すのは今日でまだ三回目だが、
日本の感覚とは程遠い言葉のセンスの持ち主だというのは充分解る。
自分のことに多少なりとも興味があり、嫌いではないのだろうとは思うが。
彼の言葉がどれも過剰な余り、それをどう解釈して良いのか解らない。
彼にとってはただの挨拶と同じなのかもしれない。

「サンベリーナ?」

考えごとをしていたユウタの姉はちょっとビックリして、はい、と応じる。
姫の名で呼ばれて、もう普通に返事している自分にも少し驚いた。
日本では誰もそんな風には呼ばない。
ウーティス寮のみんなも、##NAME1##、と言う。
彼だけが特別な名前で呼ぶ。
彼の目には現代版おやゆび姫と映ったらしい。
携帯を通して出会わなければ、そう呼ばれることもなかったのだろう。

「すまない。やはり今日は時間が遅かった? 迷惑、だったかな?」

画面にはどうしようと書かれた不安な顔が映し出されている。
大丈夫ですよ、と答えると嬉しそうな笑顔に変わった。
待っていた、と正直に伝えるのは、
いけないことのような気がして黙っていた。
今日のテオは白いワイシャツに深緑のジャケットを着ていた。
燕尾服でこそないが、学院の制服を彷彿とさせる色だ。
彼の学生時代の姿が思い浮かぶようだった。
あと一年早く会えていたら、何か変わっただろうか。

「今日はね、私の船でサンセットクルーズをしているんだ。
みんなも居るよ。ほら、向こうに見えるだろう?」

携帯画面がそちらに向けられる。
豪華客船では立食パーティ中のようだ。夕陽を指差したりしながら、
ウーティスの生徒達が寮のサロンに居る時と同じように戯れる姿が見える。
テオは後輩達を見守る卒業生の目をしていた。

「やはり良いものだね。『学院の生徒同士はファーストネームで呼び合う』というのは
聖アルフォンソ島を旅立ってから、その慣習のありがたみを深く感じたよ。
相手を名前で呼ぶことは、本当は大好きなんだ。呼び方ひとつで親しみが深まる気がしてね」

聖アルフォンソ学院の生徒は学年に関係なく、名前で呼び合う。
祖国に戻ればその機会を失う生徒が多いからだろう。
身分の高い子息が珍しくないのだ。弟の友達には王子が二人も居る。
この誰にも気さくな彼も、邸では『テオ様』と呼ばれていた。
けれど、ユウタの姉のことは、姫の名で呼ぶばかりで、
まだ名前では呼ばれていない気がする。
テオはハルヤのことも『東洋の黒い真珠』と呼んでいたし、
ファーストネームで呼ぶことも、特別な呼び名を付けることも好きなのかもしれない。
画面にはクルーズを楽しむウーティスのメンバー達。
ある者はグラスや皿を片手に、ある者は仔犬のようにじゃれあっている。
こちらを監視するかのような視線も見受けられた。

「少し移動した方が良さそうだね?」

苦笑するテオの声が聞こえ、携帯画面が揺れる。
彼等から見えない場所へ歩いているようだ。携帯にはテオが映る。

「サンベリーナと二人で話したいと言ったら、みんなを困らせてしまった。
ゼノにも姫とはもう話してはいけないと言われてる。
だけど、少しでも姫の傍に居たくて、メールを書いた。
姫が許してくれるのなら、もう一度会いたくて…今日が最後だから」

テオの表情が翳るのと同時に、画面は海の方へ向けられた。
赤い太陽が水平線の中央にある。半月の形。

「ご覧、サンベリーナ。あれがエーゲ海に沈む夕陽だよ。ギリシャが誇る美だ。
今日の私が姫にお贈りできる、最も美しい景色だよ」

線香花火の残り火が半分ぽうっと海に浮かんでいるようだ。
太陽の周りには、ちらほら白い薄雲。
夕陽に近い雲から朱色に染め上げられている。
広い空の中で、雲はオレンジのオーロラのようだった。
空の高いところは、かろうじて青を残していた。
夜になる少し前。この僅かな時間だけ見える景色なのだろう。

「ギリシャの朝陽は、どうあっても日本の朝陽に追い付くことはできないのだね。
この国が一歩、時を進めれば、姫の国もまた一歩進んでしまう。
永遠に七時間という距離に阻まれている。
どんなに想い焦がれても越えられない壁というものは、あるものね」

海には赤い縦のラインが引かれている。船に近付くにつれ光の幅が広い。
水平線と船の丁度真ん中には横のライン。その位置の波が最も赤い。
夕陽が海に赤い十字を刻んでいる。
太陽の麓は紺青。その暗い色が空と海を切り離しているかのように見えた。

「いけないね。夕陽を見ていると、どうも感傷的になってしまうよ。
そうだ。姫の国は今、夜だったね? 今宵は月が見えるのかい?」

ユウタの姉は窓際に寄り添う。
カーテンを開けると、闇夜に消え入りそうな細い月が出ていた。
見えました、とテオに伝えた。

「では私も見たいな、姫が今、見ているものを」

ユウタの姉は窓を開ける。部屋にひやりと夜気が吹き込む。
気恥ずかしさを抱えながら、寒空に腕を伸ばす。
あんなに細い月が携帯のカメラに映るのだろうかと思い、見えますか? と尋ねた。

「ありがとう、姫。少しの間、そのままで居てくれるかい?」

そう言ったきり、テオは黙っていた。
ユウタの姉もテオに月を見せたまま、月を見上げる。
今夜の月は本当に消えてしまいそうだ。
あまりにも沈黙が続いたので、ユウタの姉は腕を伸ばすのを止め、携帯を覗き見る。
画面にテオは居なかった。代わりに映っているのは緑と白。
呼び掛けると、やや遅れて反応があった。

「すまない。もう少し姫を抱き締めさせて」

緑と白は彼のジャケットとワイシャツの色だった。
テオの顔が見えなくとも、その声でどんな表情をしているのかは想像が付いた。
切なく、苦しい声でテオは呟いた。

「サンベリーナという呼び方、もし、気を悪くさせていたらすまない。
携帯画面に映った貴女を見た時、なんて小さく愛らしい姫なのだろうと感じて…
だからサンベリーナだと思ったんだ。それに、貴女をファーストネーム呼んだら、
きっと、今以上に愛おしくなる。貴女から、離れられなくなってしまうと思ったから」

彼は少し黙っていた。
姉もどう声を掛けて良いのか解らない。
今日は時間の進み方がとても遅く感じた。一秒一秒が重い。
沈黙の後、テオは口を開いた。

「私、昨夜、絵本を読み返してみたんだ。
昔々あるところに美しいチューリップが咲きました、という物語を」

テオはその童話について語った。
子供のない女性が魔法使いから手に入れた種。
植えるとチューリップの花が咲き、中に小さな小さな姫が座っていた。
姫はその美しさからヒキガエルやコガネムシに誘拐される。
しかし、可笑しな生き物だと捨てられ、一人ぼっちになってしまう。
夏、空にはツバメが飛んでいて、綺麗な声で歌っていた。
その美しい歌声を支えに、姫は宛てもなく彷徨い歩く。
秋、疲れと飢えで倒れてしまうが、ノネズミのおばあさんに拾われる。
恩人のおばあさんから、お金持ちのモグラの家との結婚を勧められる。
モグラは姫をひと目で気に入り、結婚話はまとまってしまう。
モグラの家までのトンネルには瀕死のツバメが居た。
この鳥は、夏の間、歌声を聞かせてくれたツバメかもしれないと思った姫は、
あたたかい毛布を作り、密かにツバメの元へ運び、介抱していた。
そして結婚式の日。悲しみに暮れる姫の所に、
元気になったツバメがやってきて、こう言うのだ。
「これからあたたかい国に行くところです。貴女も一緒にお連れしましょう」
姫はツバメの背に乗り、共に花の国へ行く。
そこで姫は、花の王子様と出会い、幸せに暮らす。
めでたし、めでたし、で終わる物語だ。
しかし、テオの声はハッピーエンドを語るものではなかった。

「私にとってこれは、ただの童話ではないのだよ。
この物語の姫は、私の姉上と重なる部分があるんだ。
姉上も見知らぬお金持ちと結婚した。
でも、花の国へ連れて行ってくれるツバメは来なかった」

画面はまだ緑と白を映し出している。少し画面が揺れる。

「姉上には、想い人が居たんだ。婚約者とは別に。
けれど、身分が違い過ぎると周囲に反対された。男はどうしたと思う?
彼はね、身を引いた。本当はとても優しい男なのに、
姉上にわざと冷たく当たって嫌われるように振る舞った。
姉上はね、彼のことを嫌いになどならなかったよ。
解っていたんだ。彼の意図を汲み、決められた婚約者の家へ嫁いだ。
二人は現在、別々の場所に暮らしているけれど、
互いを大切に想う心は、昔から変わっていない。
彼等はたったひとつ、揃いのネックレスを隠し持っているのだよ。
トップには小さな銀色の葉。彼は今も常に身に付けてる。
離れていても、許されなくても、相手を想うことはできるんだ」

画面に少し光が差し込む。携帯がテオの胸から離れていく。
やっと映ったテオは船に凭れて、優しく微笑んでいた。

「サンベリーナ、貴女という人に出会えたことを、私は幸福に思うよ」

彼の背景には細い夕陽。海に沈む直前の姿だ。
水平線は朱色の糸のようだった。その上の空は夜の色に染まり始めている。
テオは太陽と海に背を向けていた。

「本当なら、私は、姫に名を呼んで貰うことさえなかった。
ユウタは、私と入れ違うように学院に入ったのだから。
姫と出会えたことは奇跡と言っていい。
サンベリーナ、このような奇跡を、何と言うか知っているかい?」

姉は知っていた。意味も解っている。
シュヌーシア。ギリシャ語で『共にある奇跡』
姉がその言葉を伝えると、テオは微笑んで頷いた。

「そう。我が聖アルフォンソ学院 第三学生寮の名だ。私の大好きな言葉なのだよ」

テオは少し俯いた後、空を仰ぐ。黄金の髪がふわりと潮風に煽られた。
船に背を預けるのを止め、背筋を正す。しゃんとした声で言った。

「星も出てきたし、太陽は海に沈む時間だね」

先までは夕陽を浴びてオーロラのように見えた雲も、
今では綿埃と同じような灰色に変わっていた。
今日という日が終わりを告げようとしている。
水面は既にオレンジの輝きを失い、暗い影の色をしていた。
テオは片手を胸に置く。
向けられた笑顔は綺麗だったが、声からは明るさが消えていた。

「姫が傍に居てくれた時間は幸福だった。とても救われたよ。ありがとう。
貴女にこれからもたくさんの幸せが降り注ぐよう祈ってる。ではね、姫」

画面はテオを映し続けていた。
ボタンを押そうとしているのに彼は動かない。
二人とも沈黙したまま、一秒一秒が重く、過ぎていく。
彼の背景には暗くなっていく空。赤い水平線がもう消えてしまう。
サンベリーナ、と呼ばれた。

「すまない。もう一度だけ、姫への口付けを、許してくれるかい」

姉は手を差し出した。
ありがとう、と言って彼は手を取る。
そっと寄せられた唇。
手の甲にその柔らかい感触が伝わるような気がした。
テオはゆっくりと顔を上げながら伝える。優しい声だった。

「さよなら、愛しい人」


テオは電話を切った。
ぐらと上体が後ろに傾く。船に背を預け、項垂れる。
携帯を持つ手がだらりと下がる。
最後に見た、黒い真珠。
この世で最も美しい宝石に、自分の手では届かない。
テオの目には太陽も海も映っていない。
足許だけだ。高級な材質で作られた綺麗な床。
海運王の子息だから手にできた自分の船。
船がなくては翼をもがれた鳥のようだと思ってきた。
船は此処にあるのに。
何故、羽根を抜かれたような想いをしている。

「どうして、私は」

頬を潮風にひやりと撫でられる。
海の風をこんなに冷たく感じたことはない。

「メネシスに生まれたのだろう」
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