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Marginal Prince Short Story
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■オーギュスト×アイヴィー
「あれ。なんかイイ匂いがするんですけど?」
深夜に近い帰宅。
独り暮らしの筈なのに、夕食ができてるかんじの匂いがする。
キッチンを覗いてみる。誰か居た。
フォーマルなウイングカラーシャツは、ちょっと腕まくり。
ダークブラウンのベスト。ジャケットは着てない。
クロスタイは、まだ付けてた。
聖アルフォンソ学院 神秘学 特別講師。オーギュスト・ボージェ先生。
お住まいは教職員の宿舎メルキュール館であって、海辺のコテージではない。
先生は、なんかフツーにお料理中で味見とかしてた。
「まーた勝手に入っちゃって。何してんのさ、センセ」
「ああ、おかえり。アイヴィー。遅かったね、お疲れ様」
「あ、ただいまあ…って、不法侵入で捕まえちゃうよ?
忘れてるのかもしんないけど、俺、警備の責任者なんですけど?」
「私を捕まえたいのなら君の好きにしてくれて構わないよ。
けれど、無駄ではないかな? 君は既に私の心を拘束済みだ」
「…拘束なんてしてないよ。むしろ放し飼いっていうか」
「それに今日は、栄養が偏っている君の為に、何か美味しいものをと思ってね。
ビーフシチューとサラダを作って待っていたんだよ?
あ、後は赤ワインがあるよ。料理に少し使ったから」
とろりとしたビーフシチューを少し掬って小皿に乗せる。
「アイヴィー、少し、味を見てくれるかい? 君好みの味になっているかな?」
受け取ってみる。小皿の中は艶々と光っている。
濃厚な香り。それだけでおなかが鳴りそうだ。
ずず、と吸う。あたたかい料理が空っぽの胃に沁み込む。
フッと笑われた音がした。
「口許を汚して…可愛いね。私に拭って欲しいのかな?」
「えっ? いいよ、自分でっ…」
そっと肩に手を置かれて、もう目の前にセンセの顔があって。
深夜のキッチンで、息遣いが漏れる。
ビーフシチューの香りも感じなくなるほど、あんたの舌を感じていた。
身体の力が抜けてしまいそうで、ウイングカラーシャツの肩を掴む。
それを察したように、センセの手は俺の腰を支えた。
このままベッドに連れて行かれるのかと思った。
が、とてもキリの悪いところで唇は離された。
「…ちょ、センセ」
「さて。味見はこのくらいにして、ディナーにしよう」
先生が何事もなかったかのように料理を運び始める。
俺は傍にあった冷蔵庫に背を預けた。
息を整えながら、先生の背中を見つめる。
濡れた唇を手の甲で拭いながら、聞こえないように呟いた。
「…味見のレベルじゃねえっつの」

最初の頃は、顔だけ知ってる先生だった。こんな胡散臭い人に興味なんてなかった。
たまに俺のタクシーに乗った時に少し話すぐらいで、他の先生達との差はなかったのに。
いつからか、学院の特別講師とタクシードライバーは妙なカンケイになっていた。
それからというもの、この家にふらりと現れては、
家主に美味しいディナーとブランチを作って去っていく可笑しな先生だ。
初めてちゃんと話したかな、っていうのは、外で先生を見かけた時。
夜の旧市街を先生が一人で歩いてて。俺はそこらで晩ご飯にするところだった。
学校の先生がこんなとこで何してんのかなーと思って、ちょっと声を掛けてみた。

「セーンセ、こんばんは」
「ああ、こんばんは」
「どうしたの、こんな時間に?」
「偶には外で食事をと思ったのだけれど、店をよく知らなくてね」
じゃあ、って俺は思ったわけだ。
「俺が美味しいとこ連れてってあげよっか? でもセンセのお口に合うか保証できないからね?」
「おや。案内してくれるのかね?」
「俺、タクシードライバーだから。迷子は放っておけないよ」
「迷子…成程ね」

それで、初めて一緒にご飯食べたんだと思う。
今にして思えば、ちょっと可笑しい。
夕食を食べに来たのに行く宛てが全くないなんて、すっとぼけた返事だ。
本当なのか、何か隠して嘘を吐いたのか、よく解らない。
最初からミステリアスな雰囲気のある人だった。
神秘学なんて、オカルトの先生だからかもしれないけど。
物の考え方とか、目の付け所とか、人とちょっと違う。
ラザニアの話からいつのまにか錬金術入門講座とかになってたりする。
そういう時は背後に黒板が見えそうなくらい、先生の喋り方をしてて眠たくなる。
この人、頭大丈夫なのかなと普通に思う時もある。
先生の話を聞いていると時々、自分が生徒だった頃に戻ったような気分になる。
先生が教えてくれたこと、日常生活の中で思い出してる時がある。
俺の考えてることは、よく当てられてしまうのに。
俺は先生のことをよく知らない。
先生は自分の話をしない。学院に来る前、何処で何をしてたのかとか。
過去の話題になると、知らない間にゴーレムの作り方とか教えてくれてたりする。
動く土人形とかには興味ないんだけど。

「アイヴィー、さあ、座って?」
先生がリビングで待ってる。
テーブルにディナーの準備ができていた。
俺は冷蔵庫からゆっくりと背を起こす。
金髪の後ろで手を組んでリビングに向かう。
「はーい」
俺ん家でビーフシチュー。
テーブルで湯気を見たのは久し振りかもしれない。
キッチンに直行したから気が付かなかったが、
部屋がなんとなく綺麗になっている気がする。
そう言えば、今朝キッチンに放っておいた食器類がさっきはなかった。
全ての犯人は、俺の向かいで上品にディナーを食べている。
「これ、カミーユのよりウマイんですけど」
「ルブラン・シェフかい? それは恐縮だね」
ぽつぽつ話しながら食事が進んでいった。
俺が食べ終わってスプーンを置くと、先生は赤ワインを持ってきてくれた。
「ちなみに。ビーフシチューは少し多めに作っておいたから、明日以降もよかったらどうぞ?」
「そりゃご丁寧にどーも」
手土産のボトルはいつも高そうで美味しい。
俺が買うような安いワインとは、やっぱり違う。
食後のワインを飲みながら、俺はこの変わった人を眺めていた。
このセンセは話題が豊富だ。
学院の生徒の話から、専攻分野の他も色んなことをいっぱい知っている。
俺より5歳は上だと思うけど、この人はとても大人で、5年以上の差を感じる。
手先は器用で料理もやたら上手い。ワインを飲み干してテーブルに置く。
何も言わずに、俺のグラスを取って注いでくれる。
「センセってさ」
「ん?」
先生は、とくとくと流れるワインを見ながらと相槌を打った。
俺は頭が少し重くなってきて、両手で頬杖を付く。
「チョークよりフライパン持ってた方が良いんじゃないの?
なんか、こじんまりとしたレストランのシェフとか似合いそうだよ? 『隠れた名店』みたいなさ?」
先生は紳士的な微笑を見せてグラスを差し出す。
「喜ぶべきか、悲しむべきか。それが問題だね。私は先生には向いていないのかな」
「いや、すごい先生っぽいトコもある」
俺は受けったワインに口付ける。
「例えば、なんだろう?」
「話が長いトコとか、突然、ナントカ術の話したりとか、
都合の悪い話になると難しいこと言って、はぐらかしたりとか」
「それは申し訳ないね」
顎から片手を外して、先生を指差す。
「口ばっかで反省してないトコも」
「意地悪だね、アイヴィーは」
「センセに言われたらオシマイだよ」
ポケットに手を入れて、煙草を出した。
先生は吸わない人なので、ワインを手酌していた。
昔は吸っていた時期もあったのだがね、そう言っていたことがあったけど、
俺が聞けたのはそこまでだ。あんたは過去を話さない。
だけど、なんとなく。
何か大きな罪を犯した人なんだろうと感じていた。
俺も、そうだから。

ワイングラスに口付けている先生と目が合った。
「アイヴィー? 君はいつまで煙草と口付けを交わすつもりなのかな?」
その低い声だけで、俺の身体はビクと疼く。
さっきの『味見』を思い出してしまう。ふうと白い煙を吹かす。
「俺が煙草にフられるまで」
「成程。ではそれまで待つとしよう。
傷心はゆっくり慰めてあげるから、安心しなさい?」

明日も美味しい朝ごはんを食べることになりそうだ。


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