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Marginal Prince Short Story
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■ハルヤ×ドニ
■ハルヤの食いしん坊万歳より
聖アルフォンソ学院は昼休みの時間だった。
太陽は高く、空は青い。
一年を通して温暖なこの島は常春。
他国に比べ、大きな気温変化はないが、
やはり季節感というものはある。
春に入り、色とりどりの花が咲き始めていた。

シュヌーシア寮キッチンでは、昼食の皿洗い中。
此処のシェフ、ドニ・ドームは春の陽気に誘われて、
鼻歌交じりにシャボンを眺めていた。
スポンジと皿が擦れ、キュッキュッと軽やかな音がする。
皿洗いが終わったら今日は植物園にお散歩に行こうかな、
アランさんも誘ってみようかな、などとご機嫌だった。
ドニのシェフスタイルはまるでカフェのボーイのようだ。
半袖の白いコックシャツにジーンズ。その上には黒の短い腰巻エプロン。
首許にはコックチーフ、頭にはスカーフを三角巾にして巻いている。
今日は春色の気分だったので、どちらも淡いピンク色だ。
背は中等部の生徒よりも少し高いくらい。
コロコロと小さくて丸い童顔。これでも二十代後半。
私服でいると生徒に間違われる小さなコックさんだ。
流し台では清潔なシャボンの香り。
奥の調理場からは今日の夕食の匂い。
弱火でコトコト煮込んでいるクリームシチューだ。

「ああ、いい匂い。シュヌーシアは今夜、シチューなんだ?」

ひょこっとキッチンに生徒が顔を出す。シュヌーシアの生徒ではない。
「ハ、ハルヤ様!?」
「こんちは、ドニ」
シェフは慌てて皿洗いを中断する。
腰巻きエプロンで慌しく手を拭きながら、生徒の傍に駆け寄った。
「ダ、ダメじゃないですか! ボクのトコ来ちゃ」
眼鏡の生徒はそんな挙動不審なシェフをきょとんとした様子で見ていた。
「だって、美味しそうな匂いするし」
「もう…と、とにかく、こちらへ」
誰かに見付かってはいけないので、とりあえず生徒を中へ入れる。
辺りに人の影がないことを確認してからドアを閉め、ちょっとほっとする。

「ドニ、今、皿洗い中だったんだね。なんだったら、俺、手伝おっか?」
「そそそ、そんな! 生徒さんに皿洗いなんてさせられませんよ!」
「そう? 俺、別に皿割らないよ? 家では毎日してたから」

聞いた話によると、この生徒は父親は健在だが母一人、子一人で育ったらしい。
東洋の出身のせいか、何処か神秘的で、はんなりとした雰囲気を持つ。
シェフと親しくして下さった去年の生徒代表は、
彼のことを『東洋の黒い真珠』と呼んでいた。
その名付けは大袈裟ながらも、的は決して外していない。
シェフにもそう呼びたい気持ちはなんとなく解るものだった。

シェフ達の間で、この生徒は実はとても有名だ。
この綺麗な細身で異常と言っても良いくらいの大食漢。
更には、あの頑固なカミーユさんにも言うことを聞かせてしまう人。
故郷でよく召し上がっていたという、好物のアボカドマグロ丼を再現する為に、
あの高級主義のカミーユさんの意見をことごとく却下し、素朴な味を追求した。
普段は大人しいハルヤ様は、食べ物のことになると、強引な一面があるらしい。

最近、この不思議な生徒が此処に訪れるようになった。
本来であれば、生徒は寮のシェフの料理しか食べられない。
他の寮のシェフと言葉を交わすこともないのが普通。
ましてや、キッチンにまで訪れるなんて、殆どないことだろう。
第一、この生徒はウーティス寮のカミーユ・ルブランシェフが、
目に入れても痛くないと思っている大切な生徒だ。
黒い瞳は、奥の鍋が気になるのか、ちらちら見ている。

「あ、あの、ハルヤ様? 今日はどうなさったんですか?」
「うん。ドニにね、お願いがあって…でも、その前にシチューの味見したいな」
「え…ハルヤ様、お昼は召し上がらなかったんですか?」
「ん? 食べたよ? でも、いい匂いしてるから、おなか空いてきちゃった」
無邪気な微笑みを向けられる。少し照れたような柔らかい笑顔だ。
「ねえ、ドニ。ダメ、かな?」
ちょっと首を傾げたポーズ。こ、断れない。
「じゃ、じゃあ、ちょっとだけですよ?」
「うん」

シェフが鍋の前に立って、蓋を開ける。ふわと香る、シチューの匂い。
まだ完成形ではないが、匂いは美味しそうだ。
シェフより背の高い生徒が背後から覗いている。
シェフはシチューを小皿に少し取る。
それを渡そうとして、あっと気付く。
「すみません。今、スプーンをお持ちします」
「あ、良いよ。このままで」
シェフの手から奪って、口許に運ぶ。
小皿を傾けて啜っている。こくりと動く喉を見つめてしまった。

上を向いていたお顔が正面に戻る。
唇に付いたシチューを舌でぺろと舐め取る。
「美味しいね。ドニの料理って、ほんと美味しいよ」
「あ、ありがとうございます…」
生徒は名残惜しそうに小皿を見る。皿に少し付いているシチュー。
すると、小指を出して、シチューを拭った。
細い指にとろりとした白。まだ煮込みが足りないので水分が多い。
下に垂れて来る液体を、指ごと口に入れた。
舐め終わると、ハルヤ様は銜えていた指を離す。
小皿をシェフに差し出し、笑顔を見せる。
「ドニ、おかわり」
「も、もうダメですっ。シュヌーシアの晩ご飯がなくなっちゃいますよ」
おかわりは冗談だったようでハルヤ様は楽しそうに笑った。
「ありがと、ドニ。美味しかったよ」

シェフは受け取った小皿の中をつい見てしまう。
指の跡が僅かに残っている。視線を逸らし、流しに小皿を置いた。
「えっと、それで、ハルヤ様、ボクにお願いというのは?」
「ああ、そうそう。あのね、今、テスト期間でしょ?」
「え、ええ」
「それで、ドニに今日の夜食を頼みたいんだ。夜中、勉強しながら食べたくって」
「そういうことでしたら、ハルヤ様はカミーユさんにお願いして頂かないと。
ハルヤ様のお願いなら、喜んで何でも作って下さいますよ?」
「それは、解ってるけど…俺…」
眼鏡の生徒は俯く。
「じゃあ、カミーユさんに」
「あのさ。クリスマスパーティの時、各寮のシェフがディナーを作ってくれたでしょ?」
「は、はい」
普段は自分が住む寮のシェフの味しか味わえないが、
そのパーティの時は特別に、三人のシェフの料理が並べられた。
生徒達には違う寮の味が楽しめるまたとない機会。
この企画は大変に好評で、またやって欲しいというリクエストが多かった。
ハルヤは、ぼそぼそと呟く。

「あの時ね、俺、ドニのが一番好きだった」
シェフの頬がポッと染まる。
「そ、そんな…」
「ほんとだよ? 俺の舌がカミーユに慣らされてるからっていうより、
なんていうのかな、懐かしいかんじなんだ、ドニのって。初めてじゃないみたい。
ドニの味は、ずっと前から知っていたような気がするんだ」

シュヌーシアのシェフは世界の家庭料理を得意分野とする。
この島に来た皆さんは、ご家族の住む土地から遠く離れて暮らしている。
そんな生徒さん達にとって、自分の料理がせめてもの支えになれば。
そう思いながら、日々のメニューを考えてきた。
懐かしいかんじがする、というハルヤ様の言葉。
ドニは感動すら覚えていた。

「あ、ありがとうございます、ハルヤ様…嬉しいです、あの、ほんとに」
「じゃあ、今夜、お願いして良いかな?」
「は、はい…あ、じゃなくて、ダメです! ハルヤ様にはカミーユさんという素晴らしい方が」
「ドニ」
生徒は思わずシェフの腕を掴む。
「カミーユなんて、関係ないよ。俺はドニに」
「でも…こんなこと、もし、カミーユさんに知られたらっ」
「ドニじゃなきゃダメなんだ。『二番目に安いスープ』は」

聖アルフォンソ島ではそう呼ばれているが、
これはチキンヌードルだ。命名理由はシェフにも解らない。
自分が島に来た時には既にこの名前だった。
夜食には最適のメニューと言えるだろう。
シェフの頭の中ではレシピのおさらいと、
材料があるかのチェックが勝手に始まっている。
二番目に安いスープは、細かく刻んだ葱をたくさん入れると、
美味しいし、風邪の予防にもなる。確か葱はある。
食料庫には麺もあるし、どうやら作れそうだ。
そう言えば今日は卵もある。卵とじにしようかな。
そこまで考えて、ああ、いけないいけない、と思う。
シェフは腰巻エプロンの端っこを握っていた。

「あの、ハルヤ様…ボクなんかより、
カミーユさんの方が美味しく作って下さると思いますよ?」
生徒は苦笑しつつ、事情を説明した。
「あー、実はさ、前はカミーユに頼んだことあるんだよ。
でも、カミーユが作ると『二番目に安い』どころか、
『一番目に高いスープ』になっちゃうんだよね。
超高級地鶏で鶏ガラスープ作るところから始めちゃっててさ。
なんか、名前の雰囲気ゼロなんだよね」
「ああ…成程です」
「だからね、ドニに作って欲しいんだ。二番目に安いスープ。
きっとドニなら、俺が好きな味に作ってくれるから」

あたたかい笑顔。
そんなに信用して頂けるなんて、シェフとしては光栄なことだ。
自分には勿体無い。本当ならば、これはカミーユさんが見るべきものだ。
「ハルヤ様…でもボク…」
「もしかして、材料ないの? 今日は作れない?」
不安そうにシェフを見つめる。
そんな顔を向けられて嘘が吐ける筈もなく。
「あ、いえ…材料なら、あります…」
「じゃ、作れる、よね?」
「はい…」
「ありがと。楽しみだよ、ドニの二番目に安いスープ」
すっかり笑顔になって、戸口に向かう。
ドアを閉める前に、もう一度振り向いた。
「じゃ、今夜、待ってるから」

眼鏡の生徒がウーティス寮へ帰っていく。
一人になったシュヌーシアのキッチン。
シェフは生徒に掴まれた場所に触れてみる。
ハルヤ様が言って下さったことは、とても嬉しい。
こんなに自分の料理を求められる日が来るなんて。
だけど、カミーユさんのことを考えると心苦しい。
カミーユさんにはいつもお世話になってるし、尊敬する先輩だ。
でも、ハルヤ様はカミーユさんよりボクの方が好きだと言ってくれた。
シェフの胸は早鐘のようにドキドキと鳴り響く。

「どうしよう、ボク…作って良いのかな、二番目に安いスープ」


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