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■オーギュスト×アンリ
■先生なんか大キライ 続編
「これまで学んできたように、錬金術師は万物に共通物質が存在すると考えていた」
金曜日の聖アルフォンソ学院。
第二化学室に夕暮れの光が差し込んでいる。
静かな教室に講師の声が響いている。後方からだ。
「全てのものは第一質料と四大元素の組み合わせによって成り立っている。
さらに、それらは第五元素によって結びついている、とね」
講師の話が講義内容から大分反れている。
今日の授業は、天使を崇拝する宗教について、だった筈だ。
受講生のアンリは、またかと思う。
彼の話がいつのまにか横道に入るのは、よくあることだ。
そういう時は大抵、彼は窓の向こうを見ている。今のように。
講義が終わるまで後数分。今日はこのまま終わってしまうだろう。
アンリも夕焼けを眺めながら、一応は講師の戯言を聞いてあげていた。
「古代ギリシャの哲学者アリストテレスも、この四元素説の継承者だった。
万物が第一質料と四大元素が元になっている。
ならば、第一質料と四大元素の調合で万物が創出できる。
黄金も、不老不死の霊薬も、そして人体さえ、創造は不可能ではない。
錬金術師達は、真剣にそう信じ、日夜、研究を重ねていた」
この講師は教室の中を歩き回る習性がある。
今はテキストも持たずに、教室の左端に佇んでいる。
彼は教科書に頼らず説明できる。授業開始時、「今日は何ページのところだね」と言う時に、
ちらとページ数を見るくらいで、講義をしている時は殆ど見ない。
教科書を片手に乗せている時も手持ち無沙汰でなんとなく持っている、といったかんじだ。
練れた声はゆっくりと窓際から教壇に向かう。
「これは、人が神になる為の術だと言える。だから、決して公にはできない。
わざと不可解な書物を残し、それに値する者のみが受け継ぐよう隠された。
『錬金術は、堕天使から人間に授けられた秘術』という言い伝えがあるのも無理はないね」
教室の中央、教壇に帰って来れないままだった。
鐘の音は淡々と講義終了を告げた。
彼は、おや、と顔を天井に向ける。
少し早歩きで教壇に向かう。
「すまない。雑談をしていたら終わってしまったね。では続きはまた今度。
そう言えば、シュヌーシアではまた風邪が流行りだしたらしいね。
季節の変わり目だから諸君も気を付けて。では、ごきげんよう」
「オーギュ。僕と賭けをして」
他の生徒が居なくなった時。アンリは講師にそう持ち掛けた。
黒板を消し終わった講師が、こちらを向く。
「面白そうだね。何を賭けるのかな?」
「僕が勝ったら、君の隠れ家に案内して」
「おや。それは負けられないね。では私が勝ったら?」
「好きにすれば」
「では今度の休日、つまり明日のことだが、私と仲良くランデブーして貰おうかな?」
講師はわざわざフランス語を用いた。英語ではそれをデートと言う。
「君が勝ったらね」
「自信がありそうだね? 何で勝負するんだい?」
悔しいけれど、言葉、知識では彼に敵わない。
体力も彼の方が勝っているので不可能。
ならば、僕のフィールドで戦うしかない。
卑怯でも何でも、僕が負けないことが最優先。
彼と勝負して勝てそうなものは、これしかなかった。
「チェス」
「アンリの得意分野じゃないのかい?」
「やるの、やらないの?」
「アンリからのお誘いを、私が断ると思うかね?」
「言っておくけれど、手加減したら、もう部屋には来させないから」
「解ったよ。では互いにフェアプレイで楽しいゲームにしようね?」
差し出された右手。握手を求めているようだ。
僕が何をしても、何を言っても、彼はいつも余裕で。
彼と話していると、いちいち子ども扱いされているようで腹が立つ。
「僕は、絶対に負けないから」
パンと軽く叩いてやった。
翌日。
宵闇の下、講師と生徒は、島の旧市街を歩いていた。
講師は明るい灰色のスーツ。生徒は紺系の私服。
生徒の機嫌は滅法悪い。講師は楽しそうに微笑する。
「アンリ、私は『仲良くランデブー』と言った筈だけど? 手も繋いでくれないのかい?」
「絶対イヤ。『手を繋いでランデブー』とは言ってなかったでしょ」
「そうか。では最初に言っておけば良かったね」
講師と生徒の賭けチェスは、講師の圧勝だった。
ゲーム開始から三分ほどでアンリは難色を示した。
シュヌーシア寮のミハイルともゲームしたことがあるが、
あの時よりも早く負けを感じたかもしれない。
どうしてこの小さな島に、チェスの天才が揃っているのだろう。
講師のライトグレイのスーツは、暗い街中ではシルバーに見えた。
生徒はネイビーのジャケットを羽織っている。
中は淡いブルーのドレスシャツ。ストライプ柄のカジュアルなものだ。
黒いパンツのポケットに両手を入れ、講師の後方を歩いている。
「で、僕を何処へ連れて行くつもり?」
「私の隠れ家に」
「えっ?」
生徒は立ち止まる。講師が振り向く。
「アンリがあんまり一生懸命だからね。でも、隠れ家のうちのひとつだけ、だよ?」
人差し指を立て、穏やかな笑顔を見せる。
プライドの高い生徒は呻くように言った。
「僕が負けたのに…ルール違反だ」
「そうかい? では今の話はなかったことにしようかな」
歩き出した背中。思わずライトグレーの裾を掴む。
講師の足が止まる。生徒はパッと手を離す。
右下を向きながら呟いた。
「…行かないとは、言ってない」
旧市街の複雑な細道を何度も曲がった。
街の奥まで来たようで、アンリが初めて見る景色が続いた。
歩き慣れている足取りに付いて行く。
「此処だよ」
辿り着いたのは、丸いランプが灯る一角。
地下への階段を降りて、講師が古びた扉を押す。
カランと錆付いたベルの音がして、ドアが開いた。
木のブラウンで統一された、薄暗い空間。
ジャズが流れる落ち着いた場所だった。他に客は居ない。
生徒は入り口で立ち尽くしている。
「此処が、君の隠れ家?」
「そう、大人の遊技場だ」
講師は慣れた様子で中に入っていく。
「アンリ、プレイしたことは?」
「ないよ、ビリヤードなんて」
其処には長方形のテーブルが六つ並んでいた。
テーブルの端には穴が空いている。テレビなどでは見たことがあるビリヤード台だった。
「では丁度良かったね。この先、君のビジネスパートナーに誘われることもあるだろうし」
「それは、そうかもしれないけれど」
講師は、店の主人らしい老人と少し言葉を交わし、細長い棒を二本貰う。
老人は店の奥へと姿を消した。講師は部屋の隅へ向かう。
「さあ、おいで、アンリ。早速、今宵の授業を始めよう。
今日はビリヤードの神秘について勉強するよ。教科書では第九章だったかな?」
「出鱈目なこと言わないで。第九章は数秘術でしょう?」
講師はボールのセッティングをしながら、黒板の前に居る時と同じように話し始めた。
「ビリヤードの起源は、紀元前400年頃という説がある。
中世ヨーロッパでも大いに流行した貴族のスポーツなんだよ」
講師は生徒に細長い棒を一本持たせる。
「これがキュー。こちらのブロックはチョーク。ショットミスを防ぐ為に付ける物だよ」
彼も一本持ち、もう片方の手に緑のサイコロのような物を持った。
棒の先端にそれをこすり付けている。
彼の動作は流れるようで、かなり手馴れているのだと知れた。
テーブルから白いボールを手にする。
「ビリヤードはキューでボールを突いて、このポケットと呼ばれる穴に落とす遊びだ。
とてもシンプルで、かつ、何処までも技術を高めることができる。例えば、こんなふうにね」
テーブルの上にはカラフルなボール。八つの玉がダイヤ型に並んでいる。
彼はその前に白いボールを置く。
テーブルの正面に立つと、すっと身を屈め、キューを突いた。
飛び出した白いボールがカラフルなボールを次々に弾く。
ボールが転がる音を聞きながら、講師はテーブルに軽く凭れる。
いつものように穏やかな顔で、生徒に微笑みかける。
「今日は、一からゆっくり教えるよ。手取り足取り、ね?」
生徒は自分の目を疑う。
まるで吸い込まれるように、全てのボールがポケットに入った。
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■先生なんか大キライ 続編
「これまで学んできたように、錬金術師は万物に共通物質が存在すると考えていた」
金曜日の聖アルフォンソ学院。
第二化学室に夕暮れの光が差し込んでいる。
静かな教室に講師の声が響いている。後方からだ。
「全てのものは第一質料と四大元素の組み合わせによって成り立っている。
さらに、それらは第五元素によって結びついている、とね」
講師の話が講義内容から大分反れている。
今日の授業は、天使を崇拝する宗教について、だった筈だ。
受講生のアンリは、またかと思う。
彼の話がいつのまにか横道に入るのは、よくあることだ。
そういう時は大抵、彼は窓の向こうを見ている。今のように。
講義が終わるまで後数分。今日はこのまま終わってしまうだろう。
アンリも夕焼けを眺めながら、一応は講師の戯言を聞いてあげていた。
「古代ギリシャの哲学者アリストテレスも、この四元素説の継承者だった。
万物が第一質料と四大元素が元になっている。
ならば、第一質料と四大元素の調合で万物が創出できる。
黄金も、不老不死の霊薬も、そして人体さえ、創造は不可能ではない。
錬金術師達は、真剣にそう信じ、日夜、研究を重ねていた」
この講師は教室の中を歩き回る習性がある。
今はテキストも持たずに、教室の左端に佇んでいる。
彼は教科書に頼らず説明できる。授業開始時、「今日は何ページのところだね」と言う時に、
ちらとページ数を見るくらいで、講義をしている時は殆ど見ない。
教科書を片手に乗せている時も手持ち無沙汰でなんとなく持っている、といったかんじだ。
練れた声はゆっくりと窓際から教壇に向かう。
「これは、人が神になる為の術だと言える。だから、決して公にはできない。
わざと不可解な書物を残し、それに値する者のみが受け継ぐよう隠された。
『錬金術は、堕天使から人間に授けられた秘術』という言い伝えがあるのも無理はないね」
教室の中央、教壇に帰って来れないままだった。
鐘の音は淡々と講義終了を告げた。
彼は、おや、と顔を天井に向ける。
少し早歩きで教壇に向かう。
「すまない。雑談をしていたら終わってしまったね。では続きはまた今度。
そう言えば、シュヌーシアではまた風邪が流行りだしたらしいね。
季節の変わり目だから諸君も気を付けて。では、ごきげんよう」
「オーギュ。僕と賭けをして」
他の生徒が居なくなった時。アンリは講師にそう持ち掛けた。
黒板を消し終わった講師が、こちらを向く。
「面白そうだね。何を賭けるのかな?」
「僕が勝ったら、君の隠れ家に案内して」
「おや。それは負けられないね。では私が勝ったら?」
「好きにすれば」
「では今度の休日、つまり明日のことだが、私と仲良くランデブーして貰おうかな?」
講師はわざわざフランス語を用いた。英語ではそれをデートと言う。
「君が勝ったらね」
「自信がありそうだね? 何で勝負するんだい?」
悔しいけれど、言葉、知識では彼に敵わない。
体力も彼の方が勝っているので不可能。
ならば、僕のフィールドで戦うしかない。
卑怯でも何でも、僕が負けないことが最優先。
彼と勝負して勝てそうなものは、これしかなかった。
「チェス」
「アンリの得意分野じゃないのかい?」
「やるの、やらないの?」
「アンリからのお誘いを、私が断ると思うかね?」
「言っておくけれど、手加減したら、もう部屋には来させないから」
「解ったよ。では互いにフェアプレイで楽しいゲームにしようね?」
差し出された右手。握手を求めているようだ。
僕が何をしても、何を言っても、彼はいつも余裕で。
彼と話していると、いちいち子ども扱いされているようで腹が立つ。
「僕は、絶対に負けないから」
パンと軽く叩いてやった。
翌日。
宵闇の下、講師と生徒は、島の旧市街を歩いていた。
講師は明るい灰色のスーツ。生徒は紺系の私服。
生徒の機嫌は滅法悪い。講師は楽しそうに微笑する。
「アンリ、私は『仲良くランデブー』と言った筈だけど? 手も繋いでくれないのかい?」
「絶対イヤ。『手を繋いでランデブー』とは言ってなかったでしょ」
「そうか。では最初に言っておけば良かったね」
講師と生徒の賭けチェスは、講師の圧勝だった。
ゲーム開始から三分ほどでアンリは難色を示した。
シュヌーシア寮のミハイルともゲームしたことがあるが、
あの時よりも早く負けを感じたかもしれない。
どうしてこの小さな島に、チェスの天才が揃っているのだろう。
講師のライトグレイのスーツは、暗い街中ではシルバーに見えた。
生徒はネイビーのジャケットを羽織っている。
中は淡いブルーのドレスシャツ。ストライプ柄のカジュアルなものだ。
黒いパンツのポケットに両手を入れ、講師の後方を歩いている。
「で、僕を何処へ連れて行くつもり?」
「私の隠れ家に」
「えっ?」
生徒は立ち止まる。講師が振り向く。
「アンリがあんまり一生懸命だからね。でも、隠れ家のうちのひとつだけ、だよ?」
人差し指を立て、穏やかな笑顔を見せる。
プライドの高い生徒は呻くように言った。
「僕が負けたのに…ルール違反だ」
「そうかい? では今の話はなかったことにしようかな」
歩き出した背中。思わずライトグレーの裾を掴む。
講師の足が止まる。生徒はパッと手を離す。
右下を向きながら呟いた。
「…行かないとは、言ってない」
旧市街の複雑な細道を何度も曲がった。
街の奥まで来たようで、アンリが初めて見る景色が続いた。
歩き慣れている足取りに付いて行く。
「此処だよ」
辿り着いたのは、丸いランプが灯る一角。
地下への階段を降りて、講師が古びた扉を押す。
カランと錆付いたベルの音がして、ドアが開いた。
木のブラウンで統一された、薄暗い空間。
ジャズが流れる落ち着いた場所だった。他に客は居ない。
生徒は入り口で立ち尽くしている。
「此処が、君の隠れ家?」
「そう、大人の遊技場だ」
講師は慣れた様子で中に入っていく。
「アンリ、プレイしたことは?」
「ないよ、ビリヤードなんて」
其処には長方形のテーブルが六つ並んでいた。
テーブルの端には穴が空いている。テレビなどでは見たことがあるビリヤード台だった。
「では丁度良かったね。この先、君のビジネスパートナーに誘われることもあるだろうし」
「それは、そうかもしれないけれど」
講師は、店の主人らしい老人と少し言葉を交わし、細長い棒を二本貰う。
老人は店の奥へと姿を消した。講師は部屋の隅へ向かう。
「さあ、おいで、アンリ。早速、今宵の授業を始めよう。
今日はビリヤードの神秘について勉強するよ。教科書では第九章だったかな?」
「出鱈目なこと言わないで。第九章は数秘術でしょう?」
講師はボールのセッティングをしながら、黒板の前に居る時と同じように話し始めた。
「ビリヤードの起源は、紀元前400年頃という説がある。
中世ヨーロッパでも大いに流行した貴族のスポーツなんだよ」
講師は生徒に細長い棒を一本持たせる。
「これがキュー。こちらのブロックはチョーク。ショットミスを防ぐ為に付ける物だよ」
彼も一本持ち、もう片方の手に緑のサイコロのような物を持った。
棒の先端にそれをこすり付けている。
彼の動作は流れるようで、かなり手馴れているのだと知れた。
テーブルから白いボールを手にする。
「ビリヤードはキューでボールを突いて、このポケットと呼ばれる穴に落とす遊びだ。
とてもシンプルで、かつ、何処までも技術を高めることができる。例えば、こんなふうにね」
テーブルの上にはカラフルなボール。八つの玉がダイヤ型に並んでいる。
彼はその前に白いボールを置く。
テーブルの正面に立つと、すっと身を屈め、キューを突いた。
飛び出した白いボールがカラフルなボールを次々に弾く。
ボールが転がる音を聞きながら、講師はテーブルに軽く凭れる。
いつものように穏やかな顔で、生徒に微笑みかける。
「今日は、一からゆっくり教えるよ。手取り足取り、ね?」
生徒は自分の目を疑う。
まるで吸い込まれるように、全てのボールがポケットに入った。
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