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Marginal Prince Short Story
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マージナルクリスマス 続編
2日目6:再びテオの部屋 の補完
クリスマスの夜。
メネシス城、とご近所に言われる豪華な建築物。
海運王の住む城でも今宵はクリスマスパーティ。
親戚や関係者に加え、個人的に呼び寄せた有名人など大勢招いた盛大な催し。
次期当主テオ・メネシスは自宅の長い廊下を走っていた。
今日は学院を卒業してからは初めてのクリスマス。
右手にはクリスマスカラーのラッピングを施した小箱。
雪の色をした燕尾服。胸ポケットには赤い薔薇。
燕の尾をはためかせながら一直線に駆け抜ける。
ホールに到着すると、キキキーと急ブレーキを掛けた。

会場の扉は既に開いていた。広いパーティホール。まだゲストは到着していない。
家の者達が最終チェックを行い、メネシスにごく近しい人間が歓談していた。
テオは目当ての人物を探す。片隅で使用人と親しく話している後ろ姿。
緩やかな天然のパーマが美しい、金髪の女性。
「姉上っ!」
振り向いた女性は、上品なイブニングドレス。上半身はグレイ、腰から下は黒。
柔らかな布は美しいボディラインに寄り添っている。
裾の方にだけ施されたフリルからは、綺麗な足首が覗く。
女性の場合、夜会の衣装は肌を見せるほどフォーマルとなる。
ドレス自体は肩や背中が大きく開いているが、
彼女はベージュのシフォンボレロを羽織っていた。
年齢の割にはかなり落ち着いた装い。
幼い頃から派手なものよりも、控えめなデザインを好む人だった。

「ああ、私の姉上はなんてお美しいのだろう、まるで冬の夜に咲くジャスミンのよう」
テオの唇は身内の美貌を感じたままに表現していた。姉はくすくすと微笑む。
「大きくなっても変わりませんね、テオ」
「はい。私は姉上の弟ですから。おかえりなさい、姉上」
弟は姉の前で跪き、そっと手を取って口付けた。
当人達だけでなく、周囲も笑顔になる。
毎度見られる姉弟愛の光景を微笑ましく見ていた。
弟は立ち上がって、手に持っていた小箱を差し出す。
「姉上、メリークリスマス!」
姉は微笑みつつも、少し戸惑ったような表情だった。
「ありがとう。でも、ごめんなさい。私、何も用意していなくて」
弟は笑顔になって、わざと、「おや!」と大きな声で話した。
「では姉上には罰を受けて頂かなくては。次の二つから選んで下さい?」
「何かしら?」
弟は人差し指を立てる。
「一番、私の髪を撫でる。二番、私とハグ。さあ、どちらにしますか、姉上?」
姉は笑顔になる。弟の頭に手を伸ばし、子供の時と同じように撫でた。
「一番ですね? ありがとうございます」
「いいえ。一番と二番です」
テオは久し振りの姉の香りに包まれ、心地好さに陶酔していた。
弟は既に姉の背を超えてしまっている。
姉弟の姿は、恋人同士の熱い抱擁にも見えた。

再会の喜びを満喫した弟は、プレゼントを開けて下さいとせがんだ。
姉がラッピングを解く。現れたのは宝石箱。
蓋を開けると、オルゴールが鳴った。
それは二人にとって、懐かしい音楽。姉が愛した曲だった。
柔らかく笑った姉を見て、弟はほっと胸を撫で下ろす。
「姉上、今日はネックレスをされていませんね。これを付けて頂けませんか?」
箱の中には、ペリドットのネックレスも添えていた。
姉の了承を得て、弟はネックレスを持ち、いそいそと姉の後ろに回る。
背後に立ってみると、感度の高い18歳は立ち眩みを覚えた。
羽織っているベージュのボレロからは、グレイのドレスと素肌が透けて見えた。
更に、親切な姉は長い金髪を片方に避けた。晒された、色香のある首筋。
背中から抱き締めたい衝動に襲われたが、何とか踏み止まった。
「…姉上、もう少し、ご自分の魅力をですね…」
「えっ?」
「いえ、すみません。今、お付けします」
どきどきしながら首許に近付いた。
銀のチェーンを止めると、たたたと正面に回った。

次期当主の専属執事がホールに現れたのは、
似合う似合うと弟が姉を褒めちぎっていた時だった。
執事を始め、会場で仕事中の使用人はパーティ用の濃紺の衣装を着用していた。
男性は燕尾服、女性はメイド服。
どちらもメネシスと親交のある老舗ブランドが製作した上物だ。
動き易く、控えめなデザインの中にも、細部に洒落た遊び心。
濃紺の布地には、よく見ると黒のストライプが入っているし、
ボタンはアンティークな金色で、さりげなくメネシスの紋章が彫られている。
襟や袖口の裏地は違う布だった。ちらりと覗くその場所は白地で、
燕尾服はグレイの縞、メイド服には小さな花柄が入っていた。
この専属執事はフォーマルな衣装が似合う男だった。
金色の長い髪は、普段通り高い位置で結わえ、シャープな眼鏡を掛けていた。

互いに夜会服に身を包んだ、姉と執事の目が合う。
その様子を見た弟は途端に「おおっと!」と大きな声を上げた。
「すみません、姉上。私、叔父様方の挨拶がまだでした。行って参ります」
次期当主は、専属執事との擦れ違いざま、耳許で何か囁いた。
「いいね?」と笑って両親と歓談中の親戚にところへ駆けていった。
残された二人は、テオの後ろ姿を見送り、少し苦笑した。

先に口を開いたのは執事だった。
「おかえりなさいませ、ダフネ様」
胸に手を置いて、軽く礼をする。
元、主人と世話係という主従関係に相応しい挨拶だった。
姉もにこやかに微笑み返す。
「ただいま、ゼノ。久し振りですね。元気でしたか?」
「はい。変わりありません。ダフネ様はお元気でしたか?」
「はい。変わりありません」
執事の言葉をそのまま返し、お嬢様は楽しそうだった。
しかし、執事の表情は明るくない。
お嬢様の周囲には、あの男の姿がなかった。
石油王の子息。現在は当主となった男だ。
ホスト側の使用人代表として尋ねる。
「ダフネ様、今日、ご主人様はご一緒ではないのですか?」
「ええ。急な仕事が入ったそうで、今宵は私だけで行ってきなさい、と言って下さって」
「そう、ですか。あの、では私はこれで失礼致します。楽しいクリスマスを」
「ゼノ」
立ち去ろうとした執事が呼び止められる。
「何でしょう?」
執事に向けられたのは、幼い頃の面影が残る微笑。
「パーティの後で、私の部屋に紅茶をお願いできますか?」
右手を胸に置き、一礼する。
「畏まりました、ダフネ様」


おそらくギリシャの中でも最も上品で華やかな夜。
メネシスのクリスマスパーティが終わった。
出席者の多くが、メネシス邸のゲストルームに泊まっていく。
明朝、ブランチを召し上がって帰られるのだ。メネシスのお嬢様も宿泊される。
ご主人様と来られるご予定だったので、ゲストルームを用意していたが、
今宵はお一人でいらしたので、お嬢様の部屋にお通しした。
石油王の邸に嫁ぐまで使われていた部屋だ。当時のまま保存維持されている。

お嬢様は白いソファに身を預けている。
昔はテオ様と三人でよく座っていたロングソファだ。
もうあのイブニングドレスは着ていない。
ラフな寝巻に着替えられ、メイクも落としている。
素顔のままで充分美しい。ドレスより、この姿の方がずっといい。
それは執事のごく個人的な感想であり、ご本人に伝えることではない。
お嬢様の素顔を見たのが久し振りだったせいか、
浅ましいことに、少しどきりとしたということも、お伝えしない。
この唇は、何でも正直に仰る『メネシスの唇』ではないのだ。

執事は燕尾服からは着替えていたが、寝巻ではなく、
白いウイングカラーシャツに紺色のベストという普段の格好をしていた。
髪も下ろしておらず、きっちり結わえ直したぐらいだ。
私服で現れても、この御方が怒るような人ではないのは重々承知した上で、
敢えて専属執事としての制服を身に付けた。

執事はお嬢様に見守られながら紅茶の準備をしていた。
お嬢様が座っているロングソファから離れた場所。
テーブルの前に立って、一人分のセイロンをポットに入れる。
湯を注ぎ、リーフの抽出を待つ間、お嬢様に確認する。
「ミルクと、砂糖はお二つでよろしいのですか?」
お嬢様は嬉しそうにふんわりと微笑した。
「今も覚えていてくれるのですね」
「お傍でお仕えさせて頂きましたから」
冷たいミルクを先にカップに入れ、それから熱い紅茶を注ぐ。
他の方にお出しする時は、ミルクは事前に常温に戻しておくのだが、
この方はあまり熱いとすぐに飲めない。
ミルクを冷たいまま注ぐと、貴女にとって丁度良い温度になった。

シュガーポットの中には、白と茶の角砂糖。
もう何年も前から、この家で使われている砂糖だ。
真四角ではなく、角は丸みを帯び、大きさもそれぞれ違う。
ホワイトシュガーをひとつ、ブラウンシュガーをひとつ、カップに落とす。
紅茶とミルクの中で砂糖が溶けていく。
匙で混ぜるとシャリシャリと音がして、やがて消えていく。
いびつなキューブが小さくなるのを眺めながら、ふと思う。
この砂糖は、いつか貴女が小石のようで可愛いと仰ったものだった。

完成したカップをお渡しする。お嬢様は昔と変わらずお礼を言われる。
ミルクティ色の水面を嬉しそうに眺めて、一口飲まれる。
少しの沈黙の後、両手でカップを包み込む。
「美味しいです。やっぱり、ゼノのミルクティが一番美味しい」
「大袈裟ですね、相変わらず」
「また、ゼノのミルクティが飲める日まで、元気でいられる気がします」
向こうの家で何かあったのだろうか。
そう訊ねようとすると貴女が先に口を開いた。
「ねえ、ゼノ? 先程から気になっていたのだけど」
「はい?」
「パーティが始まる前に、あの子に何か言われたでしょう?」

テオ様が姉と執事を残して、その場を去ろうとした時。
執事の耳元に何か囁いて、「いいね?」と笑顔で念を押していた。
「もしかして、何かお仕事を頼まれましたか?
 忙しいのなら、無理に私の相手をしなくても」
「ああ、いえ。仕事と言いますか…」
「あ、ごめんなさい。言えないことなら良いの」
「いいえ。テオ様は『姉上のご滞在時は姉上がゼノの主人だよ?』と仰ったのです」
「まあ、あの子ったら」
「テオ様が偉そうにご命令になることは、殆ど貴女に関することですよ」
「あの子は昔から優しい子ですからね」
「さて。ご主人様」執事は頭を下げて申し上げた。
「我が主の命により、今宵、私は貴女のもの。ご命令があれば、何なりとどうぞ」
それなりに覚悟をして述べた。
今宵は何を命じられても、出来得る限り応えたいと思った。
「うーん。そうですねえ…」
珍しく少し緊張して、お言葉を待つ。
お嬢様は小首を傾げて、少し考えた後、こう仰った。
「ではミルクティのおかわりをお願いします。それから、ゼノの分も」
「…全く、変わらないのは貴女もですね」

お嬢様に二杯目のカップをお渡しし、自分もカップを持つ。
腰を下ろす場所に迷う。座れる場所はお嬢様が居るロングソファかベッドだ。
なるべくなら貴女の隣に座りたくなかったが、もう一つの選択肢は有り得ないので、
仕方なく、失礼します、と断ってお隣に座る。
お嬢様との距離は半人分ほど空けた。

同じソファに並んで、偶然にも同じタイミングでカップに口付けた。
ミルクティのまろやかな口当たりに、少し緊張が弛緩する。
貴女はしみじみと仰った。
「こうしていると、此処に居た頃を思い出します。
離れて暮らしても、またゼノとミルクティを飲めるなんて夢のよう」
「お好きですね、ミルクティ。ダフネ様は昔から頼まれることが多かったですし」
「ええ。貴方がミルクティを零した時から好きになったの」
「どうして、そんなことでミルクティを好きになるのです。嫌いになるならまだ解りますが」
「好きになったのは、ミルクティだけではないもの」
優しい笑顔。執事は一瞬、言葉に詰まる。
この人が投げてくる飛び道具は、いつも突然で困る。
「…貴女は…また急にそのようなことを」
「あんなに慌てたゼノは初めて見たから。貴方はいつも完璧だったでしょう?」
「あの時は、たまたま、です」
「ゼノも覚えているの? あの時のこと」
「当たり前です」
あの楽しそうな笑顔をどうして忘れることができるだろう。


もう随分前のお茶の時間。
私は淹れたばかりのミルクティをお渡ししようと、真っ白なテーブルまで運ぶところだった。
トレイに乗せた紅茶のカップ。
カチャカチャとソーサーとカップが音を立て、ミルクティ色の水面は揺れていた。
庭に着いて目にした光景。
柔らかな太陽の下。噴水のあるお庭で、金髪の少女が白いお花を眺めていた。
ただそれだけのことが、まるで楽園を描いた絵画のように見えた。
私に気付いた貴女は、私を見て微笑んだ。
紅茶をお渡ししなくては、と差し出した手からするりと抜けた。
スローモーションのように、カップからミルクティが零れる。
カップは少女の白いワンピースに落ちてしまった。
シルクの布がミルクティ色に染まっていく。
それまで大したミスもしたことがなかったのに。
自分にとっては大失態で、その時の私はパニック状態だった。

「すみません、ダフネ様! どうしよう、お召し物が…」
しかし貴女は何でもないというように微笑んでいた。
「いいのよ、ゼノ」
「でも、これはダフネ様がお気に入りのワンピースで」
「服は洗えば良いでしょう? それより、ゼノは火傷をしていない?」
「え?」
「私の服なんかより、ゼノの方が大事。ねえ、指、平気?」
「あ、ええ、平気です」
「そう。良かった」
失敗を犯した世話係を叱ることさえしなかった。
貴女はいつも通り落ち着いていて、私一人が慌てていた。
そんな私を見て、貴女は可笑しそうに笑ったのだ。
目を丸くした私に、貴女は笑いを堪えながらこう言った。
「ごめんなさい。そんなにビックリしてるゼノは初めてだったから」


その時、ふわりと浮かんだ気持ち。
認めざるを得なかった。
お仕えするべきこの少女に、抱いてはいけない感情。
本当はもっと前から、胸の中にあった。
だが、それはあってはならないこと。無理矢理、胸の奥底へ沈めていた。
思えば、ミルクティを零したあの日から、主従の距離は密かに縮まっていった。

だが、たった一日を境に、主従関係は終わったのだ。
貴女が居なくなった当時は、毎日が暗闇のようだった。
日々の仕事はこなしながらも、一人になると絶望に飲み込まれていた。
やはり、貴女を連れて何処かへ逃げれば良かったのではないか、
そう何度も思ったが、ご家族を愛する貴女に離縁させるようなことなどできなかった。

貴女と私は、住む家が違っても、完全に会えなくなるわけではなかった。
メネシスは昔からパーティの多い家。
長女として生まれた貴女は、パーティがあればご出席される。
毎日顔を合わせていた頃とは違い、たまに会うだけになると、
逆に、貴女のお傍に居た頃の方が夢だったのではないか、と思えてくるのだ。
貴女のお傍に居ることは当たり前のことだと思っていた。
しかし、この広い世界で、貴女と私の生きている時間が重なったこと。
貴女と共にあった日々。それは奇蹟としか言いようがない。
年月を重ねるうち、そう思えるようになった。

けれど、変えられないこともあった。
ミルクティを零したあの日から、――いや、きっと貴女がお生まれになってからずっと。
どうしようもなく、私は変わっていないのだ。
この先も、他の女性に心奪われることは一生ないのだろう。
許されないことだと知りながら。
会えない場所に生きていても。
貴女だけを愛してる。

幼い頃から貴女は無邪気で、心の内では常に振り回されていた。
貴女は知らないだろう。
日に日に魅力的になる貴女のお傍で、
私は平静を装っていただけだということを。
それは大人になっても変わらない。
貴女は今も無防備な笑顔で会話を楽しんでいる。
「ゼノが失敗したのはあの時くらいですね。考え事でもしていたの?」
「おそらく、寝不足だったのでしょう」
正答は紅茶と一緒に飲み込んだ。


深夜、ミルクティを片手に時が緩やかに流れていく。
昔話と沈黙。それをもう何度も繰り返している。
元々温めに作ったミルクティは、とっくに熱を失っているのに、
どちらのカップにも中途半端な量のミルクティが残っていて、
二人ともそれを飲もうとしなかった。
ただ持っているだけのカップ。
底には粉状のリーフが沈殿してるだろう。
残り僅かな水面。
紅でも白でもない色を眺めながら、ゆっくりと言葉を交わしている。
二人の距離は半人分空いたまま、縮まらず、広がらない。

『おやすみなさい』その一言でこの時間は終わるのに。
お嬢様は仰って下さらない。それは自分も同じだった。
『早くお休みにならないと、貴女のお身体に障ります』
何度も喉まで出掛かって、どうしても口にできないでいた。


fin
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