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■シルヴァン×ハルヤ 春臣×春也
■関西弁は大目に見て頂けると幸いです。
-----------------------------
聖アルフォンソ島 植物園。
此処には1本だけ梅の木が在った。
あたたかい春の日。
講義が終わった後、ハルヤは一人、梅の前に居た。
もう何週間か前から、時々足を運んでいた。
蕾から、花弁が散るまで、少しでも長く見ていたくて。
講義中も「今日は幾つ、蕾が開いたかな」と、
梅のことを考えている時もあった。
やっぱり、好きなんだ。
満開となった花達を見上げる。
柔らかな夕陽を受けて、白い肌がオレンジに染まっている。
「綺麗だよ」
思わず零れた言葉に、自分で驚く。
こんなところ、誰かに見られたら、変な奴だと思われる。
まるで、梅を口説いてるみたいだ。
「本当に。今年も見事に咲きましたね」
「シルヴァン!?」
「すみません、驚かせてしまって。実は、結構前から居たのですが」
「ホント? ごめんね、気付かなくて」
「いえいえ。よろしければ、ご一緒にお花見しても良いですか?」
「うん」
シルヴァンは、ハルヤの隣で花を見上げる。
梅は、まさに見頃だった。
殆どの花が開いている。
これからは散るばかりだろう。
はらはらと舞う儚げな様子が愛おしい。
「これだけ美しいと、日本が恋しくなってしまいますよね」
「えっ」
「おじい様の家に、梅の木があるんでしたね?」
「ああ、うん。梅香流なんて名前だから、他の梅もあちこち見たよ。
母様が祇園で芸妓をして居た頃は京都の梅も見たかな」
「桜の名所とは聞いたことがありますが、梅も綺麗なんですね?」
「うん。特に北野天満宮は、梅に縁がある場所で…」
ハルヤは口を閉ざす。
そう言えば、昔、行った。
梅の名所と謳われる北野天満宮に。
あれは確か、2月の終わり。
春也がまだ幼い頃。
祇園で日舞梅香流の舞台があった。
梅の時期となる毎年2月に、梅の演目を披露していた。
家元の梅ヶ枝春海を始め、愛弟子である春也の両親、
そして春臣、春也も舞台に立った。
無事盛況に終わり、明日、和歌山に戻ることになっていた。
春海が小さな兄弟を呼び寄せる。
「春臣、春也。今日の舞台、良かったで。お疲れさん」
温かいしわくちゃの手に頭を撫でられる。
兄弟は顔を見合わせて、花のように笑う。
「明日なんやけどな、和歌山に戻るまで時間あるから、
お前達は、天神さんとこにお参りしたらどうや?」
「テンジンさん? って、男の人?」
春也が首を傾げる。
父の近春が「確かに、男だね」と優しく笑う。
「神社のことだよ、春也。北野天満宮は、天神さん、とも呼ばれていてね。
学問の神、菅原道真が祠られているんだ」
「道真!? あの、じい様がお話してくれた、梅が好きな人?」
「おお。よう覚えてたな、春也」
春海は家元の顔から遠く離れた、ただの好好爺の顔になる。
「お歌も覚えてるよ。ぼく、道真すきだもん」
「そうかそうか。なら、道真の梅を見せて貰い?
そこにはな、2000本の梅の木がある」
「2000? じい様のおうちよりもたくさんあるの?」
「ああ。素晴らしい眺めやで。
わしも行きとなって来たわ。あかんかな、近春?」
「あきませんよ、家元」
春也の父は苦笑しながら、自分の父を窘める。
近春は、春臣と春也の肩に手を置く。
「本当は私達も一緒に行けたら良いんだが。
明日、お客様から昼食会に呼ばれていてね…。
天神さん、二人で行けるかい?」
「うんっ! にいさまと一緒なら大丈夫! ねっ、にいさま!」
弟から絶対の信頼を受け、兄は肩を竦める。
「…父様、地図ある?」
翌日。
よく晴れた朝。
春臣は左手に地図、右手に弟の手を持って、
迷いながらも目的地に辿り着いた。
北野天満宮 梅苑。
立札には『入苑料(茶菓子付) 大人500円 小人250円』と書いてある。
入口で春臣が二人分払い、入苑券を受け取る。
「苑内の茶室で半券を渡して下さい。お茶とお菓子をご用意してます」
係の者にそう言われ、兄は二人分の券をポケットに入れていた。
梅苑は、見渡す限り梅に囲まれた場所だった。
「にいさまっ! 見て! 梅の道!」
枝垂れ梅の並木道。
白梅と紅梅が永遠に並んでいるのを見て、春也は嬉しくなる。
自分達兄弟が『梅ヶ枝家の紅梅と白梅』と呼ばれているからだ。
此処の紅梅と白梅も兄弟なのかもしれない、と春也は思う。
梅苑は決して満開とは言えなかった。
早咲きの花は咲いていたが、まだまだ蕾も多かった。
擦れ違いざま、「お花、咲いてないね」と言う無邪気な声も聞いた。
しかし、春也は今来れて良かったと思った。
まだ小さい蕾は丸みを帯びていて、飴玉みたいに見えた。
梅の花を舐めたら、やっぱり梅干しの味がするのかな?
兄に聞いてみようと姿を探す。
兄は梅の花を見ていなかった。
梅の木の根元を見つめて、しゃがんでいる。
春也も兄の隣で同じ姿勢を取る。
「にいさま? なに見てるの?」
「ホトケノザ。可愛いやろ?」
木の根元に、小さな花が咲いていた。
梅の苑の中で、異色を放つ紫の花。
誰もが梅に気を取られ、素通りしていた。
それは確かに、梅に劣らず美しい花だった。
兄は小さな花を愛しげに見つめている。
「この花、春也に似てる」
「ぼく?」
「そう思うたら、梅よりずっと可愛いな」
兄が腰を上げる。
立ち上がると、向こうの方に座敷が見えた。
「あ。あれが茶室かな。ん? 春也、いつまで座ってんだ?」
梅苑の奥。
紺の座敷に傘を備えた茶室があった。
春臣は入苑の際に貰った半券を取り出す。
半券は、梅こぶ茶と梅を模した菓子に変わった。
ほんのりピンクに色付いた柔らかな煎餅だ。
青空の下、目前に広がる梅の庭を見ながら、
兄弟は梅こぶ茶をすする。
「うわあ。このお茶おいしいね、にいさまっ」
「ああ」
春臣は、贅沢な時間を過ごしていると感じた。
ぽかぽかと温かい日差し。
可愛いらしい花。
弟の笑顔。
これ以上、何を望めば良いのだろう。
「ねえ、にいさま」
「ん?」
「道真、今はしあわせなんだね」
弟は、自身も幸せそうな表情で、
地面まで届かない足を交互に揺らしている。
「春也。どうして、そう思うんだ?」
「だって、昔は、梅に会えなくて寂しい、ってお歌を詠んだんでしょう?
でも今は、こんなにたくさんの梅と一緒なんだもん。
道真、もう寂しくないよね。よかった」
「ほう。ええこと言うな、嬢ちゃん」
向かいの席で、おじいさんが楽しそうに笑う。
彼は、春臣と春也を微笑ましげに見つめる。
「こっちの蕾も可愛らしいな、似合いの美男美女や」
春也は、頬を紅梅のように染め、兄の背に顔を隠す。
春臣は動じる様子無く、くすくすと笑った。
「おおきに。褒めてもろて良かったな、ハルコ?」
「ちょっと、何言ってるの、にいさまっ!」
「あははっ、妹やったんか。すまんすまん」
「いや、あのっ」
春臣は宥めるように、春也の頭をぽんっと撫でる。
「兄さん達、どっから来たん?」
「和歌山です」と春臣が答える。
「そら、ええとこやなあ。おいでやす。和歌山言うたら、梅の国やないか」
「梅の国?」
「ハルコ、和歌山は梅の収穫量が日本一なんや。
日本の梅の6割が和歌山生まれ」
「ほう。利口な兄さんや」
「俺達、特別、梅好きですから。おじいさんも梅、好き?」
「ああ。大好きや。昔通っとった学校に、綺麗な梅があってな。
梅を見ると学生時代を思い出す。ところで、お子達は昨日も此処に来たんか?」
「いえ。今日が初めてですが」
「そら残念やな。昨日は梅花祭やったのに」
「ばいかさい?」
「道真は誕生日が6月25日、命日が2月25日と言われてる。
それで此処は、毎月25日は縁日が出るんや」
「昨日が命日なんですか、道真の」
「ああ。それで2月25日は、梅花祭言うて、梅のお祭するんや。
さっき、嬢ちゃんが言ってたように、道真は梅が大好きやったからな」
「そっかあ。お祭り行きたかったね、にいさま」
「なら、今度は2月25日に来ようか?」
「ほんとっ!?」
「ああ。また来よう」
子供の時に交わした、ささやかな約束。
以来、あの梅苑には行っていない。
行けないのだろうか、梅のお祭に。
「ハルヤ…」
シルヴァンに眼鏡を取られた。
視界がぼやけて、少し眩暈がする。
「な、なにすんのさ、シルヴァン…」
「ハルヤにこんな顔をさせるなんて、罪深い梅ですね…」
シルヴァンの指が、ハルヤの目元に触れる。
彼の指は濡れていた。
「…うそ…俺、泣いて…」
驚いて、目を瞬くと、頬に一筋の水が伝った。
ハルヤは無理に笑いながら、涙を拭う。
今にも壊れそうな笑顔が、痛々しい。
「ごめん。梅を見て泣くなんて、どうかしてるよね、俺」
「いいえ。泣きたい時は泣いた方が良いですよ。泣き顔は見ませんから」
シルヴァンは、ハルヤを胸に引き寄せる。
「…伝説のように、飛んで来たら良かったですね」
幼子をあやすように、優しく背を撫でると、
張り詰めていた糸が切れたのか、
腕の中から、すすり泣く声が聞こえてきた。
時折、震える肩。
不規則に刻まれる呼吸。
それでも大きな声は上げずに
止まらない涙を零していた。
普段、感情が乱れることのない彼を、
これほど揺り動かす、梅。
忍び泣きの最中。
呟かれた名前に、シルヴァンは聞こえない振りをした。
花が舞う。
梅は変わらず美しい。
泣き声が止まった頃。
シルヴァンは、腕の中の人に囁く。
「ハルヤ。僕も見たいです、京都の梅」
「え?」
「今からタクシーを呼んで、空港に向かいません?」
「今から?」
「はい♪ こういうの、善は急げ、と言うんでしたよね?」
「言うけど…明日の講義、どうすんのさ?」
「良いじゃないですか、講義の1つや2つ♪」
「ちょ、ちょっと…」
「あっ! 何なら、桜の時期まで京都に滞在しちゃいましょうか?」
ハルヤに本物の笑顔が戻る。
「そんなに急ぐことないよ、シルヴァン」
「そうですか?」
「卒業してからでも遅くないじゃん。
春になれば、必ず梅は咲いてくれるんだから」
「じゃあ、連れてってくれるんですね、京都に!」
「そうだね。行こっか」
「楽しみですっ!」
梅の木の中に、夕陽が沈んで行く。
花は、金色に輝いていた。
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■関西弁は大目に見て頂けると幸いです。
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聖アルフォンソ島 植物園。
此処には1本だけ梅の木が在った。
あたたかい春の日。
講義が終わった後、ハルヤは一人、梅の前に居た。
もう何週間か前から、時々足を運んでいた。
蕾から、花弁が散るまで、少しでも長く見ていたくて。
講義中も「今日は幾つ、蕾が開いたかな」と、
梅のことを考えている時もあった。
やっぱり、好きなんだ。
満開となった花達を見上げる。
柔らかな夕陽を受けて、白い肌がオレンジに染まっている。
「綺麗だよ」
思わず零れた言葉に、自分で驚く。
こんなところ、誰かに見られたら、変な奴だと思われる。
まるで、梅を口説いてるみたいだ。
「本当に。今年も見事に咲きましたね」
「シルヴァン!?」
「すみません、驚かせてしまって。実は、結構前から居たのですが」
「ホント? ごめんね、気付かなくて」
「いえいえ。よろしければ、ご一緒にお花見しても良いですか?」
「うん」
シルヴァンは、ハルヤの隣で花を見上げる。
梅は、まさに見頃だった。
殆どの花が開いている。
これからは散るばかりだろう。
はらはらと舞う儚げな様子が愛おしい。
「これだけ美しいと、日本が恋しくなってしまいますよね」
「えっ」
「おじい様の家に、梅の木があるんでしたね?」
「ああ、うん。梅香流なんて名前だから、他の梅もあちこち見たよ。
母様が祇園で芸妓をして居た頃は京都の梅も見たかな」
「桜の名所とは聞いたことがありますが、梅も綺麗なんですね?」
「うん。特に北野天満宮は、梅に縁がある場所で…」
ハルヤは口を閉ざす。
そう言えば、昔、行った。
梅の名所と謳われる北野天満宮に。
あれは確か、2月の終わり。
春也がまだ幼い頃。
祇園で日舞梅香流の舞台があった。
梅の時期となる毎年2月に、梅の演目を披露していた。
家元の梅ヶ枝春海を始め、愛弟子である春也の両親、
そして春臣、春也も舞台に立った。
無事盛況に終わり、明日、和歌山に戻ることになっていた。
春海が小さな兄弟を呼び寄せる。
「春臣、春也。今日の舞台、良かったで。お疲れさん」
温かいしわくちゃの手に頭を撫でられる。
兄弟は顔を見合わせて、花のように笑う。
「明日なんやけどな、和歌山に戻るまで時間あるから、
お前達は、天神さんとこにお参りしたらどうや?」
「テンジンさん? って、男の人?」
春也が首を傾げる。
父の近春が「確かに、男だね」と優しく笑う。
「神社のことだよ、春也。北野天満宮は、天神さん、とも呼ばれていてね。
学問の神、菅原道真が祠られているんだ」
「道真!? あの、じい様がお話してくれた、梅が好きな人?」
「おお。よう覚えてたな、春也」
春海は家元の顔から遠く離れた、ただの好好爺の顔になる。
「お歌も覚えてるよ。ぼく、道真すきだもん」
「そうかそうか。なら、道真の梅を見せて貰い?
そこにはな、2000本の梅の木がある」
「2000? じい様のおうちよりもたくさんあるの?」
「ああ。素晴らしい眺めやで。
わしも行きとなって来たわ。あかんかな、近春?」
「あきませんよ、家元」
春也の父は苦笑しながら、自分の父を窘める。
近春は、春臣と春也の肩に手を置く。
「本当は私達も一緒に行けたら良いんだが。
明日、お客様から昼食会に呼ばれていてね…。
天神さん、二人で行けるかい?」
「うんっ! にいさまと一緒なら大丈夫! ねっ、にいさま!」
弟から絶対の信頼を受け、兄は肩を竦める。
「…父様、地図ある?」
翌日。
よく晴れた朝。
春臣は左手に地図、右手に弟の手を持って、
迷いながらも目的地に辿り着いた。
北野天満宮 梅苑。
立札には『入苑料(茶菓子付) 大人500円 小人250円』と書いてある。
入口で春臣が二人分払い、入苑券を受け取る。
「苑内の茶室で半券を渡して下さい。お茶とお菓子をご用意してます」
係の者にそう言われ、兄は二人分の券をポケットに入れていた。
梅苑は、見渡す限り梅に囲まれた場所だった。
「にいさまっ! 見て! 梅の道!」
枝垂れ梅の並木道。
白梅と紅梅が永遠に並んでいるのを見て、春也は嬉しくなる。
自分達兄弟が『梅ヶ枝家の紅梅と白梅』と呼ばれているからだ。
此処の紅梅と白梅も兄弟なのかもしれない、と春也は思う。
梅苑は決して満開とは言えなかった。
早咲きの花は咲いていたが、まだまだ蕾も多かった。
擦れ違いざま、「お花、咲いてないね」と言う無邪気な声も聞いた。
しかし、春也は今来れて良かったと思った。
まだ小さい蕾は丸みを帯びていて、飴玉みたいに見えた。
梅の花を舐めたら、やっぱり梅干しの味がするのかな?
兄に聞いてみようと姿を探す。
兄は梅の花を見ていなかった。
梅の木の根元を見つめて、しゃがんでいる。
春也も兄の隣で同じ姿勢を取る。
「にいさま? なに見てるの?」
「ホトケノザ。可愛いやろ?」
木の根元に、小さな花が咲いていた。
梅の苑の中で、異色を放つ紫の花。
誰もが梅に気を取られ、素通りしていた。
それは確かに、梅に劣らず美しい花だった。
兄は小さな花を愛しげに見つめている。
「この花、春也に似てる」
「ぼく?」
「そう思うたら、梅よりずっと可愛いな」
兄が腰を上げる。
立ち上がると、向こうの方に座敷が見えた。
「あ。あれが茶室かな。ん? 春也、いつまで座ってんだ?」
梅苑の奥。
紺の座敷に傘を備えた茶室があった。
春臣は入苑の際に貰った半券を取り出す。
半券は、梅こぶ茶と梅を模した菓子に変わった。
ほんのりピンクに色付いた柔らかな煎餅だ。
青空の下、目前に広がる梅の庭を見ながら、
兄弟は梅こぶ茶をすする。
「うわあ。このお茶おいしいね、にいさまっ」
「ああ」
春臣は、贅沢な時間を過ごしていると感じた。
ぽかぽかと温かい日差し。
可愛いらしい花。
弟の笑顔。
これ以上、何を望めば良いのだろう。
「ねえ、にいさま」
「ん?」
「道真、今はしあわせなんだね」
弟は、自身も幸せそうな表情で、
地面まで届かない足を交互に揺らしている。
「春也。どうして、そう思うんだ?」
「だって、昔は、梅に会えなくて寂しい、ってお歌を詠んだんでしょう?
でも今は、こんなにたくさんの梅と一緒なんだもん。
道真、もう寂しくないよね。よかった」
「ほう。ええこと言うな、嬢ちゃん」
向かいの席で、おじいさんが楽しそうに笑う。
彼は、春臣と春也を微笑ましげに見つめる。
「こっちの蕾も可愛らしいな、似合いの美男美女や」
春也は、頬を紅梅のように染め、兄の背に顔を隠す。
春臣は動じる様子無く、くすくすと笑った。
「おおきに。褒めてもろて良かったな、ハルコ?」
「ちょっと、何言ってるの、にいさまっ!」
「あははっ、妹やったんか。すまんすまん」
「いや、あのっ」
春臣は宥めるように、春也の頭をぽんっと撫でる。
「兄さん達、どっから来たん?」
「和歌山です」と春臣が答える。
「そら、ええとこやなあ。おいでやす。和歌山言うたら、梅の国やないか」
「梅の国?」
「ハルコ、和歌山は梅の収穫量が日本一なんや。
日本の梅の6割が和歌山生まれ」
「ほう。利口な兄さんや」
「俺達、特別、梅好きですから。おじいさんも梅、好き?」
「ああ。大好きや。昔通っとった学校に、綺麗な梅があってな。
梅を見ると学生時代を思い出す。ところで、お子達は昨日も此処に来たんか?」
「いえ。今日が初めてですが」
「そら残念やな。昨日は梅花祭やったのに」
「ばいかさい?」
「道真は誕生日が6月25日、命日が2月25日と言われてる。
それで此処は、毎月25日は縁日が出るんや」
「昨日が命日なんですか、道真の」
「ああ。それで2月25日は、梅花祭言うて、梅のお祭するんや。
さっき、嬢ちゃんが言ってたように、道真は梅が大好きやったからな」
「そっかあ。お祭り行きたかったね、にいさま」
「なら、今度は2月25日に来ようか?」
「ほんとっ!?」
「ああ。また来よう」
子供の時に交わした、ささやかな約束。
以来、あの梅苑には行っていない。
行けないのだろうか、梅のお祭に。
「ハルヤ…」
シルヴァンに眼鏡を取られた。
視界がぼやけて、少し眩暈がする。
「な、なにすんのさ、シルヴァン…」
「ハルヤにこんな顔をさせるなんて、罪深い梅ですね…」
シルヴァンの指が、ハルヤの目元に触れる。
彼の指は濡れていた。
「…うそ…俺、泣いて…」
驚いて、目を瞬くと、頬に一筋の水が伝った。
ハルヤは無理に笑いながら、涙を拭う。
今にも壊れそうな笑顔が、痛々しい。
「ごめん。梅を見て泣くなんて、どうかしてるよね、俺」
「いいえ。泣きたい時は泣いた方が良いですよ。泣き顔は見ませんから」
シルヴァンは、ハルヤを胸に引き寄せる。
「…伝説のように、飛んで来たら良かったですね」
幼子をあやすように、優しく背を撫でると、
張り詰めていた糸が切れたのか、
腕の中から、すすり泣く声が聞こえてきた。
時折、震える肩。
不規則に刻まれる呼吸。
それでも大きな声は上げずに
止まらない涙を零していた。
普段、感情が乱れることのない彼を、
これほど揺り動かす、梅。
忍び泣きの最中。
呟かれた名前に、シルヴァンは聞こえない振りをした。
花が舞う。
梅は変わらず美しい。
泣き声が止まった頃。
シルヴァンは、腕の中の人に囁く。
「ハルヤ。僕も見たいです、京都の梅」
「え?」
「今からタクシーを呼んで、空港に向かいません?」
「今から?」
「はい♪ こういうの、善は急げ、と言うんでしたよね?」
「言うけど…明日の講義、どうすんのさ?」
「良いじゃないですか、講義の1つや2つ♪」
「ちょ、ちょっと…」
「あっ! 何なら、桜の時期まで京都に滞在しちゃいましょうか?」
ハルヤに本物の笑顔が戻る。
「そんなに急ぐことないよ、シルヴァン」
「そうですか?」
「卒業してからでも遅くないじゃん。
春になれば、必ず梅は咲いてくれるんだから」
「じゃあ、連れてってくれるんですね、京都に!」
「そうだね。行こっか」
「楽しみですっ!」
梅の木の中に、夕陽が沈んで行く。
花は、金色に輝いていた。
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