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■ジョシュア×アンリ
入れ替わってから二日目の朝。ジョシュアが目を覚ました。
髪に触れると、するりと滑らかに通り抜けた。
覚えのある指通り。宵闇の髪。
「そうか。俺、アンリの身体に…」
少し掠れた寝起きの声も、彼のままだった。
昨日のことは全部夢で、朝起きたら元の姿に戻っているかも、
という幻想はあっけなく消え失せた。
とにかく朝は起きなくちゃと思い、身体を起こそうとする。
が、頭がぼうっとして、なんとなく重たい。
普段は早めに寝るようにしているのだが、昨夜は夜中まで眠れなかった。
夜の方が頭が冴えているような感覚さえあったのだ。
アンリはどちらかと言うと夜型で朝には酷く弱い。
朝は頭が回らない、と気だるげに呟く彼が思い出される。
「朝、いつも眠そうなのは、こういうことなんだ…」
なんとかベッドから起きて、鏡の前に立ってみる。
其処には、天使と呼ばれる顔があった。
琥珀の瞳。真っ白な肌。自分のものより好きな身体だけど。
「俺は、見ている方が良いな」
朝食後、二人はアンリの部屋で、今日の作戦会議をした。
「アンリ、俺達が入れ替わってること、今日もバレないように過ごすのかい?」
「当たり前でしょう」
ジョシュアは少し心苦しかった。昨日一日は何とか遣り通せたが、
どうしても、みんなに嘘を吐いている、という想いが拭い取れない。
「ねえ、アンリ」
「はい、これ。今日のテキスト」
教科書を渡される。そして彼の手は、自然にタロットに触れた。
優雅な手付きで机上に広げたカードをシャッフルしている。
右回りにカードを撫でながら話を続けた。
「今日の難所は神秘学かな」
「ボージェ教授の授業か。難しそうだね」
アンリが入学時から受けている講義。ハイレベルだと評判だ。
冷やかしで授業見学に行った生徒は、すごすごと退散することが多いらしい。
「授業中は発言しないことだね。ボロが出るから」
「解った。気を付けるよ」
「まあ、発言したくても、君にはできないと思うけれど。
授業中、何か質問されたら、聞いてなかったとか、度忘れしたことにすればいい。
講義が終わったら、教授に何を言われても、無視して戻って来て。
いい? 『無視』するの、簡単でしょ?」
「あ、う、うん。やってみるよ」
「…そんなに気負いすることじゃない」
彼はシャッフルを止める。一枚、タロットを捲った。
「やっぱり、このままで良いみたいだね。そんな気がしたんだ」
カードをこちらに向ける。
水辺に浮かぶ天使。
両手にひとつずつ壷を持っている。天使は壷から壷へ水を注いでいた。
「Temperance(節制) 無理に動くな、って」
第二化学室。ジョシュアは神秘学の授業に出席していた。
このクラスはアルファルドの生徒が多いせいか、とても静かだった。
ボージェ教授の低くて落ち着いた声だけ。
教授は終始、突拍子もない話を穏やかに論じている。
どれが伝説で、どれが史実なのか区別が付かない。
また、教授の話はしょっちゅう横道に反れるようで、
今、何の話題なのかもよく解らなかった。
「…つまり、錬金術師は科学者であり芸術家だったとも言える。
パラケルススも医師だったからね。
彼については、以前勉強したから、彼の業績は覚えているかな?」
生徒達はこくりと頷いていた。それを見て教授も頷いた。
「では、彼の名前が本名ではないのは知っていたかな?」
ここでも声は上がらない。頷いている生徒はまばらだった。教授は説明を始めた。
「パラケルススというのは、本人が名付けた愛称のようなものなんだ。
彼は、自分は古代ローマの高名な医者ケルススより優れていると思っていた。
だから、優れるという意味のパラを付けて、パラケルススと名乗った。
彼は著作のタイトルにもパラを付けたくらいだからね」
ところでパラケルススって何をした人ですか、と聞きたいが、できない。
アンリに持たされたテキストを捲ってもみたが、
教科書自体が難解で、一読ではよく解らない。
授業には全く付いていけなかったが、
つい普段の癖で教授の顔を見ながら講義を受けていたのが災いした。
教授と目が合ってしまった。
「アンリは、パラケルススの本名を知っているかな?」
今日初めて知った人物の本名なんて解る筈もない。
「すみません。ちょっと、今、思い出せなくて…」
それまで静かだった教室が俄かにざわざわする。
驚いて振り向いた生徒も何人も居たが、教授は変わらず穏やかだった。
「おや、アンリでも度忘れすることがあるんだね。では…」教室を見渡す。
「レオシュ、ピンチヒッターを頼めるかい?」
ジョシュアは胸を撫で下ろした。
神秘学の終了後。
ジョシュアの隣に一人の生徒が立っていた。アルファルド寮のレオシュ。
すらりと高い背。長いストレートの黒髪。
切れ長の瞳はやや高圧的だが、妖艶に見える。
同性でも見つめられると少しドキリとするタイプだ。
学院内でトップクラスの美人と名高い生徒。
アンリが姫と呼ばれるのに対し、レオシュは女王。
身長はレオシュの方が高いし、纏っている雰囲気の差もあるかもしれない。
女王は机に左手を突いて囁く。テオがセクシーボイスと絶賛する中性的な声だ。
「珍しいな? お前があんな質問に答えられないとは」
「すまない。さっきは助けて貰ったよね。ありがとう、レオシュ」
切れ長の瞳が少し見開く。ジョシュアは台詞を間違えたと気付いた。
アンリはあまり素直にお礼を言ったりしないのに、つい言ってしまった。
女王に不機嫌な瞳を向けられる。不審に思っているのかもしれない。
細い左手は机から離れ、長い髪に触れる。
「別に、お前を助けたつもりはない。私は教授の質問に答えただけだ」
アルファルドの女王は教室を出て行った。
どことなくウーティスの姫を彷彿とさせる人だ。
背中を眺めながら思わず少し笑ってしまった。
「レオシュも君が心配なようだね」
突然の声に驚く。気配さえ感じなかったが、隣に教授が立っていた。
「アンリ、もしかして、今日は具合が悪いのかい? 熱は?」
額に手を置かれる。優しい大人の手だと感じた。
小さい頃、父や母にこうされた時のことを思い出していた。
「熱はないようだね。保健室に行くのが嫌なら、私が介抱しようか?」
今朝、アンリと交わした約束を思い出す。
心苦しいが教授に何を言われても、寮に戻らなくてはいけない。
アンリが言いそうな言葉を必死で探す。
三年間の思い出の中から、頭の中で検索を掛ける。
ずっと傍に居るのだから知らない筈はない。
自分では初めて使う台詞だが、おそらく、これだ。
目上の教授に言うのは申し訳ないが、今は俺がアンリなんだと言い聞かせた。
アンリがよくするように、ちょっと睨んで言ってみる。
「お、お断りだね」
講師は苦笑した。
「相変わらず手厳しいね、アンリは」
この台詞で間違っていなかったようだと俺はほっとした。
後は寮に戻るだけだ。早くアンリの傍に帰りたい。
「じゃあ、失礼するよ、ボージェ教授」
「アンリ」
「…まだ、何か?」
「パラケルススについて、復習を忘れないようにね?」
「あ、はい…」
「では、またね、アンリ」
教室を出てドアを閉める。長い廊下を歩いていく。
ボージェ教授の目線がないところまで行きたかった。
校舎の外に出た。
夕焼けの綺麗なオレンジが見えた。
そこで、やっと肩の荷が降りた気がした。
小さく溜め息を漏らす。
アンリのマネは大変だな、と心から思った。
だけど、なんとなくスッキリしている気もする。
ずけずけ言うのもたまには良いのかもしれない。
「…いや、やっぱり俺は聞いている方が良いな」
とぼとぼとウーティス寮へ歩いていく姿。
その数十メートル上。
教室の窓から教授が見守っていた。
To be continued
入れ替わってから二日目の朝。ジョシュアが目を覚ました。
髪に触れると、するりと滑らかに通り抜けた。
覚えのある指通り。宵闇の髪。
「そうか。俺、アンリの身体に…」
少し掠れた寝起きの声も、彼のままだった。
昨日のことは全部夢で、朝起きたら元の姿に戻っているかも、
という幻想はあっけなく消え失せた。
とにかく朝は起きなくちゃと思い、身体を起こそうとする。
が、頭がぼうっとして、なんとなく重たい。
普段は早めに寝るようにしているのだが、昨夜は夜中まで眠れなかった。
夜の方が頭が冴えているような感覚さえあったのだ。
アンリはどちらかと言うと夜型で朝には酷く弱い。
朝は頭が回らない、と気だるげに呟く彼が思い出される。
「朝、いつも眠そうなのは、こういうことなんだ…」
なんとかベッドから起きて、鏡の前に立ってみる。
其処には、天使と呼ばれる顔があった。
琥珀の瞳。真っ白な肌。自分のものより好きな身体だけど。
「俺は、見ている方が良いな」
朝食後、二人はアンリの部屋で、今日の作戦会議をした。
「アンリ、俺達が入れ替わってること、今日もバレないように過ごすのかい?」
「当たり前でしょう」
ジョシュアは少し心苦しかった。昨日一日は何とか遣り通せたが、
どうしても、みんなに嘘を吐いている、という想いが拭い取れない。
「ねえ、アンリ」
「はい、これ。今日のテキスト」
教科書を渡される。そして彼の手は、自然にタロットに触れた。
優雅な手付きで机上に広げたカードをシャッフルしている。
右回りにカードを撫でながら話を続けた。
「今日の難所は神秘学かな」
「ボージェ教授の授業か。難しそうだね」
アンリが入学時から受けている講義。ハイレベルだと評判だ。
冷やかしで授業見学に行った生徒は、すごすごと退散することが多いらしい。
「授業中は発言しないことだね。ボロが出るから」
「解った。気を付けるよ」
「まあ、発言したくても、君にはできないと思うけれど。
授業中、何か質問されたら、聞いてなかったとか、度忘れしたことにすればいい。
講義が終わったら、教授に何を言われても、無視して戻って来て。
いい? 『無視』するの、簡単でしょ?」
「あ、う、うん。やってみるよ」
「…そんなに気負いすることじゃない」
彼はシャッフルを止める。一枚、タロットを捲った。
「やっぱり、このままで良いみたいだね。そんな気がしたんだ」
カードをこちらに向ける。
水辺に浮かぶ天使。
両手にひとつずつ壷を持っている。天使は壷から壷へ水を注いでいた。
「Temperance(節制) 無理に動くな、って」
第二化学室。ジョシュアは神秘学の授業に出席していた。
このクラスはアルファルドの生徒が多いせいか、とても静かだった。
ボージェ教授の低くて落ち着いた声だけ。
教授は終始、突拍子もない話を穏やかに論じている。
どれが伝説で、どれが史実なのか区別が付かない。
また、教授の話はしょっちゅう横道に反れるようで、
今、何の話題なのかもよく解らなかった。
「…つまり、錬金術師は科学者であり芸術家だったとも言える。
パラケルススも医師だったからね。
彼については、以前勉強したから、彼の業績は覚えているかな?」
生徒達はこくりと頷いていた。それを見て教授も頷いた。
「では、彼の名前が本名ではないのは知っていたかな?」
ここでも声は上がらない。頷いている生徒はまばらだった。教授は説明を始めた。
「パラケルススというのは、本人が名付けた愛称のようなものなんだ。
彼は、自分は古代ローマの高名な医者ケルススより優れていると思っていた。
だから、優れるという意味のパラを付けて、パラケルススと名乗った。
彼は著作のタイトルにもパラを付けたくらいだからね」
ところでパラケルススって何をした人ですか、と聞きたいが、できない。
アンリに持たされたテキストを捲ってもみたが、
教科書自体が難解で、一読ではよく解らない。
授業には全く付いていけなかったが、
つい普段の癖で教授の顔を見ながら講義を受けていたのが災いした。
教授と目が合ってしまった。
「アンリは、パラケルススの本名を知っているかな?」
今日初めて知った人物の本名なんて解る筈もない。
「すみません。ちょっと、今、思い出せなくて…」
それまで静かだった教室が俄かにざわざわする。
驚いて振り向いた生徒も何人も居たが、教授は変わらず穏やかだった。
「おや、アンリでも度忘れすることがあるんだね。では…」教室を見渡す。
「レオシュ、ピンチヒッターを頼めるかい?」
ジョシュアは胸を撫で下ろした。
神秘学の終了後。
ジョシュアの隣に一人の生徒が立っていた。アルファルド寮のレオシュ。
すらりと高い背。長いストレートの黒髪。
切れ長の瞳はやや高圧的だが、妖艶に見える。
同性でも見つめられると少しドキリとするタイプだ。
学院内でトップクラスの美人と名高い生徒。
アンリが姫と呼ばれるのに対し、レオシュは女王。
身長はレオシュの方が高いし、纏っている雰囲気の差もあるかもしれない。
女王は机に左手を突いて囁く。テオがセクシーボイスと絶賛する中性的な声だ。
「珍しいな? お前があんな質問に答えられないとは」
「すまない。さっきは助けて貰ったよね。ありがとう、レオシュ」
切れ長の瞳が少し見開く。ジョシュアは台詞を間違えたと気付いた。
アンリはあまり素直にお礼を言ったりしないのに、つい言ってしまった。
女王に不機嫌な瞳を向けられる。不審に思っているのかもしれない。
細い左手は机から離れ、長い髪に触れる。
「別に、お前を助けたつもりはない。私は教授の質問に答えただけだ」
アルファルドの女王は教室を出て行った。
どことなくウーティスの姫を彷彿とさせる人だ。
背中を眺めながら思わず少し笑ってしまった。
「レオシュも君が心配なようだね」
突然の声に驚く。気配さえ感じなかったが、隣に教授が立っていた。
「アンリ、もしかして、今日は具合が悪いのかい? 熱は?」
額に手を置かれる。優しい大人の手だと感じた。
小さい頃、父や母にこうされた時のことを思い出していた。
「熱はないようだね。保健室に行くのが嫌なら、私が介抱しようか?」
今朝、アンリと交わした約束を思い出す。
心苦しいが教授に何を言われても、寮に戻らなくてはいけない。
アンリが言いそうな言葉を必死で探す。
三年間の思い出の中から、頭の中で検索を掛ける。
ずっと傍に居るのだから知らない筈はない。
自分では初めて使う台詞だが、おそらく、これだ。
目上の教授に言うのは申し訳ないが、今は俺がアンリなんだと言い聞かせた。
アンリがよくするように、ちょっと睨んで言ってみる。
「お、お断りだね」
講師は苦笑した。
「相変わらず手厳しいね、アンリは」
この台詞で間違っていなかったようだと俺はほっとした。
後は寮に戻るだけだ。早くアンリの傍に帰りたい。
「じゃあ、失礼するよ、ボージェ教授」
「アンリ」
「…まだ、何か?」
「パラケルススについて、復習を忘れないようにね?」
「あ、はい…」
「では、またね、アンリ」
教室を出てドアを閉める。長い廊下を歩いていく。
ボージェ教授の目線がないところまで行きたかった。
校舎の外に出た。
夕焼けの綺麗なオレンジが見えた。
そこで、やっと肩の荷が降りた気がした。
小さく溜め息を漏らす。
アンリのマネは大変だな、と心から思った。
だけど、なんとなくスッキリしている気もする。
ずけずけ言うのもたまには良いのかもしれない。
「…いや、やっぱり俺は聞いている方が良いな」
とぼとぼとウーティス寮へ歩いていく姿。
その数十メートル上。
教室の窓から教授が見守っていた。
To be continued
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