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■ハルヤ×ドニ
■愛のアルフォンソ劇場 第五幕「会えなくなって」 続編
ウーティス寮 ハルヤの部屋。
ハルヤはベッドで倒れていた。
枕に顔を押し付けて、動けないでいる。
でも、晩ご飯前の、この時間はとてもお腹が空く。
きゅっきゅっきゅー、とヘンなお腹の悲鳴が聞こえた。
「…『二番目に安いスープ』、食べたいなあ」
シュヌーシアのキッチンに行って何か食べさせて貰っていたのが、
遠い昔の出来事のように思える。最近は行けなくなってしまった。
ドニを困らせるし、カミーユには言えないことだ。
お腹が空いたらウーティスのキッチンに行けば良いことなのに。
カミーユは何でも作ってくれるって解ってるのに。
仰向けになる。窓の向こう、白い雲が綿菓子に見えた。
「ハルヤ様」とドアの向こうから声が聞こえた。
飛び起きて、ドアを開けた。
四角い顔に割れた顎。コック姿のカミーユ・ルブランだった。
「ハルヤ様、お腹は空いていませんかっ?」
「あ、うん。丁度、おなかすいたなって思ってたとこで…」
「良かったです。では早速キッチンへどうぞ」
「え、ちょっと、カミーユ?」
ウーティス寮キッチンはいつ来てもピッカピカだ。
綺麗好きで完璧主義のシェフが常日頃磨いているからである。
シェフはハルヤに籠を差し出した。
「一本目のワサビが採れたんです。アボカドマグロ丼をお召し上がりになりますか?」
籠の中にまだ少し泥が付いているワサビが一本乗っていた。
ゴツゴツした根から、大きな葉がいっぱい付いてる。草と泥の匂い。
カミーユが植物園で育ててくれた本ワサビ。春に見た花が実を結んだ。
一本目のワサビはハルヤ様のお好きなアボカドマグロ丼にしましょう、と言われていた。
「ハルヤ様、今日は丁度、超高級マグロがありますので。こちらで炙り漬けに」
「あ、いや、いつものでフツーに作って貰えれば良いから…」
「エコロジーですね、ハルヤ様。モッタイナイという日本文化の賜物ですな」
ハルヤは曖昧な微笑を浮かべる。
早くて安い味の方が嬉しいだけなんだけどな、と心の中で呟いた。
「だけど、すごいよね、カミーユ。本当にワサビ作っちゃってさ」
「ハルヤ様の為ですから」
練りワサビとか粉ワサビで良いよ、って言わなかったっけ俺。
カミーユが我が子を見るような目でワサビ見つめている。
「ハルヤ様に召し上がって頂けるなんて、光栄なことだ。
今までよく生き抜いてくれた。ありがとう、ダニエル」
シュヌーシア寮キッチンは酸味の香り。夕食の準備中だった。
シェフのドニ・ドームは小さな木の椅子に座って、頬杖を吐いていた。
黄色の腰巻エプロンとバンダナ。
明るい見た目とは裏腹に表情は暗い。
最近この椅子に座って、息を吐いていることが多くなっていた。
シェフは顔を上げた。
キッチンに足音が近付いて来る。外からだ。
シェフは思わず立って、黄色いエプロンの端を握っていた。ドアが開く。
「よっ。コックさん」
手を挙げていたのは金髪のタクシードライバー。
シェフは手の力が抜けた。
「…こ、こんにちは、アイヴィーさん。お久し振りです…」
「うん。ん? ドニ、元気ないじゃん」
「いえ。ちょっと、夏バテなのかもしれませんね」
「ああ、あちーからなー、ここんとこ」
常春のアルフォンソ島だが、ここ数日は気温が高かった。
おかげで「海まで乗せてくれ」というマージナルプリンスどもがわんさか。
王子様方の専属タクシードライバーは、幾度も海と学院を往復していた。
アイヴィーも遊ぼうと腕を引かれて、ビーチバレーに参加させられたりもした。
「俺、ちょっと日焼けしたかもなー。まっちろお肌だったのにー」
「何か冷たい飲み物でもお出しします。ちょっと待ってて下さいね」
「お、サンキュー」
シェフがくれたグラスには、薄い茶色の水が入っていた。
ブルーのストローを吸ってみる。
アイヴィーは、アイスティーかな、と思って飲んだが、なんか違った。
「コックさん。何ですか、コレ?」
「あ、これはムギチャです。日本のご家庭では、夏に良く飲まれるものなんですよ」
「ほー」
「あ、そうだ。アイヴィーさんのパン、この前、朝食で生徒さんに食べて頂きました」
「げっ。あのぐちゃぐちゃパンを?」
「はい。教えて頂いたレシピ通りに」
「王子サマ方のお口には合わなかっただろ? グルメな舌だろうからな」
「大好評でしたよ。また作ってねってリクエストされましたし」
「うっそ。何でもイイのか? マージナルプリンスどもめ」
「アイヴィーさんのパンが美味しいということですよ。
遅くなっちゃいましたけど、あの時のお礼に何か召し上がって行きませんか?」
「ああ。覚えてくれてた? 実はそれが目当てで来たんだ。
今日、まだ何も食ってなくてさー。晩メシは何なの? なんか匂いするけど」
「今日はテマキズシなんです。お好きなネタを選んで、召し上がって下さい」
「スシかー。イイ時に来たなー」
大皿には刺身の他、ツナマヨ、アボカドなどの様々な具材がずらりと並んでいる。
隣の寿司桶にはこんもり盛られた酢飯。甘い香りがする。
「へえ。お前さんもジャパニーズフードにかぶれてきたんだ?」
「えっ、いえ、そんな…テマキズシも家庭料理ですから」
「そういや、家庭料理がスキなんだもんな、ドニは」
「はい…」
皿の準備を始めたシェフは、あっ、と叫んだ。
「どうしよ…買い忘れちゃった」
「何を?」
「ソイソースが少ししかなくて…テマキズシには絶対必要なのに」
「そう落ち込むなよ。夏バテさんのせいだろ?」
ウーティス寮キッチン。
ハルヤはカミーユがアボカドマグロ丼を作るのを見ていた。
料理をしている人の背中を見ることは、なんとなく好きだった。
作り方はハルヤも大体知っていた。
マグロの赤身を5ミリ程度に切っていく。
醤油、酒、砂糖を鍋に入れ、少し温めて混ぜる。
冷めてから赤身を浸けるので、その間にアボカドを選ぶ。
皮が緑のものではなく、黒いもの。
黒いアボカドを、幾つか手で触れて感触を確かめていた。
厳選したひとつを持って、まな板の前に立つ。
皮の剥き方は、さすが一流シェフだけあって、綺麗だった。
くるくる巻かれた黒いリボンが伸びていく。
職人芸をこなしながら、シェフが話し掛ける。
「ハルヤ様は、日本に居らした時、よく召し上がっていたんですか?」
「うん。母が仕事に行く前とかに作ってくれて」
「そうですか。お母様の味には及ばずとも、私、精一杯お作りしますから」
レベルは超え過ぎちゃってるくらいなんだけどな、とハルヤは密かに思った。
薄切りにしたアボカドにレモン汁をかける。
これで変色しないのだとハルヤは知っていた。母親も同じようにしていた。
後はご飯の上にマグロとアボカド、
そして、おろし立ての本ワサビを盛り付け、醤油を掛ければ完成だった。
戸口が開き、やや高めの声が呟かれた。
「ハルヤ様…」
二人は見つめ合ったのも束の間、すぐに視線を逸らした。
本ワサビを下ろしていたカミーユが顔を上げる。
「ドニ。どうした?」
「あ、あの、夕食に使うソイソースが、足りなくって…」
「そうか。ではこれを一本持って行け。返すのは明日でも良いぞ」
「はい、ありがとうございます。すみません」
「構わんさ。シェフ同士、協力するのが当然じゃないか」
「カミーユさん…あ、ありがとうございます。じゃ、失礼しますっ」
醤油のボトルを抱え、後輩シェフは猛ダッシュで帰って行った。
「ん? 何を慌てているんだ、ドニのヤツ。――ああ、すみません、ハルヤ様。
お待たせして。あと少しで完成ですから」
「ごめん。それ、夕食の時に出して貰っても良いかな?」
「え? それは構いませんが」
「あの、明日までの宿題があるの忘れてたんだ。ご飯は夕食まで我慢するよ」
「さすがはハルヤ様。勉強熱心ですね。解りました。では夕食はたくさんご用意しましょう」
「う、うん。じゃあまた後で」
シュヌーシア寮キッチン。
アイヴィーは食べ物を前にして、『待て』をしていた。
食べ物に匂いが付いては悪いかと思い、煙草も吸わずに。
残り少ないムギチャをストローで吸っていた。
やっとシェフがソイソースを抱えて帰ってきた。
「おー。おかえりーって、ドニ?」
「アイヴィーさん…」
「なんだ? しょんぼりして。カミーユになんか怒られた?」
「いいえ、カミーユさんはボクにも優しくして下さるのに…ボクは」
「ボクは?」
「…いけないことばかり考えて」
「え。イケナイこと?」
「ボクのを食べて欲しいなんて」
「ちょ、ドニ、ダイタン…」
その時、二人以外の声が飛び込んで来た。
「俺もだよ、ドニ。カミーユのより、ドニのが食べたい」
キッチンの戸口にハルヤが居た。ドニが後ずさる。
「ハルヤ様? ア、アボカドマグロ丼を召し上がるんじゃ…」
「うん。夕食の時に食べることにしてきた」
「どうして…ハルヤ様、今がすごくお腹が空く時なのに…それに一番お好きな物じゃないですか」
「そうだけど、俺、本当はドニに『二番目に安いスープ』を作って欲しかったんだ」
「えっ」
「だけどドニを困らせるから、言えなくて。ごめんね、ドニ」
「ボクも、ハルヤ様に食べて欲しかったです。
美味しいよってまた言って欲しかったんです。でも、いけないことだから」
「いけなくても、やっぱり時々は食べさせて欲しいな。ドニの料理、好きだから」
アイヴィーは苦笑した。
「なんかよく解んねえけど、めでたしめでたし、か?」
「あれ? アイヴィー、居たの?」
「居ました居ましたー。ドニー、俺のテマキズシはまだですか?」
「あっ、すみません! 今ご用意しますっ」
「手巻き寿司? ね、ドニ。俺にも食べさせてくれる?」
言えなかった言葉が交差する。
「夕食前ですから、少しだけですよ?」
「うん」
シェフは、はにかんでこう申し出た。
「あの、ハルヤ様、ひとつ、ボクに作らせてくれますか?」
「うん。ありがと」
シェフは迷わず、手巻き寿司の具材を選んだ。
さいの目に切られた黄緑の果物。
手早く巻いて、ハルヤに小皿と一緒に差し出す。
ハルヤが、それをワサビ醤油にちょんと付けて口に運ぶ。
慣れ親しんだトロの味がした。
季節はすっかり夏だった。
聖アルフォンソ学院は一年を通して授業を受けられるが、
島の外の夏休みに合わせて、休暇を取る生徒も多い。
ハルヤももうすぐ夏休みに入る。
今年は寮のみんなと一緒に日本に遊びに行こうか、なんて話が出ていた。
寮を一歩出ると、眩しい太陽に出迎えられる。今日の夏空も真っ青だ。
「今日も暑いなー」
キャンパスを歩いて行く。ウーティスから少し離れた建物。
近くには最新の医療設備が整う保健室がある。
ハルヤはよくお世話になっているが、今日はそこまで行かない。
保健室の手前、ギリシャの海運王からの寄付で建てられたという立派な寮。
その裏口に回る。暫く通っていなかった小道には、夏の黄色い花が咲いていた。
近付くにつれ、甘い香りが流れてくる。もうすぐおやつの時間。
ハルヤは戸口からひょこっと顔を出した。
「ドニ、今日は何作ってるの?」
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■愛のアルフォンソ劇場 第五幕「会えなくなって」 続編
ウーティス寮 ハルヤの部屋。
ハルヤはベッドで倒れていた。
枕に顔を押し付けて、動けないでいる。
でも、晩ご飯前の、この時間はとてもお腹が空く。
きゅっきゅっきゅー、とヘンなお腹の悲鳴が聞こえた。
「…『二番目に安いスープ』、食べたいなあ」
シュヌーシアのキッチンに行って何か食べさせて貰っていたのが、
遠い昔の出来事のように思える。最近は行けなくなってしまった。
ドニを困らせるし、カミーユには言えないことだ。
お腹が空いたらウーティスのキッチンに行けば良いことなのに。
カミーユは何でも作ってくれるって解ってるのに。
仰向けになる。窓の向こう、白い雲が綿菓子に見えた。
「ハルヤ様」とドアの向こうから声が聞こえた。
飛び起きて、ドアを開けた。
四角い顔に割れた顎。コック姿のカミーユ・ルブランだった。
「ハルヤ様、お腹は空いていませんかっ?」
「あ、うん。丁度、おなかすいたなって思ってたとこで…」
「良かったです。では早速キッチンへどうぞ」
「え、ちょっと、カミーユ?」
ウーティス寮キッチンはいつ来てもピッカピカだ。
綺麗好きで完璧主義のシェフが常日頃磨いているからである。
シェフはハルヤに籠を差し出した。
「一本目のワサビが採れたんです。アボカドマグロ丼をお召し上がりになりますか?」
籠の中にまだ少し泥が付いているワサビが一本乗っていた。
ゴツゴツした根から、大きな葉がいっぱい付いてる。草と泥の匂い。
カミーユが植物園で育ててくれた本ワサビ。春に見た花が実を結んだ。
一本目のワサビはハルヤ様のお好きなアボカドマグロ丼にしましょう、と言われていた。
「ハルヤ様、今日は丁度、超高級マグロがありますので。こちらで炙り漬けに」
「あ、いや、いつものでフツーに作って貰えれば良いから…」
「エコロジーですね、ハルヤ様。モッタイナイという日本文化の賜物ですな」
ハルヤは曖昧な微笑を浮かべる。
早くて安い味の方が嬉しいだけなんだけどな、と心の中で呟いた。
「だけど、すごいよね、カミーユ。本当にワサビ作っちゃってさ」
「ハルヤ様の為ですから」
練りワサビとか粉ワサビで良いよ、って言わなかったっけ俺。
カミーユが我が子を見るような目でワサビ見つめている。
「ハルヤ様に召し上がって頂けるなんて、光栄なことだ。
今までよく生き抜いてくれた。ありがとう、ダニエル」
シュヌーシア寮キッチンは酸味の香り。夕食の準備中だった。
シェフのドニ・ドームは小さな木の椅子に座って、頬杖を吐いていた。
黄色の腰巻エプロンとバンダナ。
明るい見た目とは裏腹に表情は暗い。
最近この椅子に座って、息を吐いていることが多くなっていた。
シェフは顔を上げた。
キッチンに足音が近付いて来る。外からだ。
シェフは思わず立って、黄色いエプロンの端を握っていた。ドアが開く。
「よっ。コックさん」
手を挙げていたのは金髪のタクシードライバー。
シェフは手の力が抜けた。
「…こ、こんにちは、アイヴィーさん。お久し振りです…」
「うん。ん? ドニ、元気ないじゃん」
「いえ。ちょっと、夏バテなのかもしれませんね」
「ああ、あちーからなー、ここんとこ」
常春のアルフォンソ島だが、ここ数日は気温が高かった。
おかげで「海まで乗せてくれ」というマージナルプリンスどもがわんさか。
王子様方の専属タクシードライバーは、幾度も海と学院を往復していた。
アイヴィーも遊ぼうと腕を引かれて、ビーチバレーに参加させられたりもした。
「俺、ちょっと日焼けしたかもなー。まっちろお肌だったのにー」
「何か冷たい飲み物でもお出しします。ちょっと待ってて下さいね」
「お、サンキュー」
シェフがくれたグラスには、薄い茶色の水が入っていた。
ブルーのストローを吸ってみる。
アイヴィーは、アイスティーかな、と思って飲んだが、なんか違った。
「コックさん。何ですか、コレ?」
「あ、これはムギチャです。日本のご家庭では、夏に良く飲まれるものなんですよ」
「ほー」
「あ、そうだ。アイヴィーさんのパン、この前、朝食で生徒さんに食べて頂きました」
「げっ。あのぐちゃぐちゃパンを?」
「はい。教えて頂いたレシピ通りに」
「王子サマ方のお口には合わなかっただろ? グルメな舌だろうからな」
「大好評でしたよ。また作ってねってリクエストされましたし」
「うっそ。何でもイイのか? マージナルプリンスどもめ」
「アイヴィーさんのパンが美味しいということですよ。
遅くなっちゃいましたけど、あの時のお礼に何か召し上がって行きませんか?」
「ああ。覚えてくれてた? 実はそれが目当てで来たんだ。
今日、まだ何も食ってなくてさー。晩メシは何なの? なんか匂いするけど」
「今日はテマキズシなんです。お好きなネタを選んで、召し上がって下さい」
「スシかー。イイ時に来たなー」
大皿には刺身の他、ツナマヨ、アボカドなどの様々な具材がずらりと並んでいる。
隣の寿司桶にはこんもり盛られた酢飯。甘い香りがする。
「へえ。お前さんもジャパニーズフードにかぶれてきたんだ?」
「えっ、いえ、そんな…テマキズシも家庭料理ですから」
「そういや、家庭料理がスキなんだもんな、ドニは」
「はい…」
皿の準備を始めたシェフは、あっ、と叫んだ。
「どうしよ…買い忘れちゃった」
「何を?」
「ソイソースが少ししかなくて…テマキズシには絶対必要なのに」
「そう落ち込むなよ。夏バテさんのせいだろ?」
ウーティス寮キッチン。
ハルヤはカミーユがアボカドマグロ丼を作るのを見ていた。
料理をしている人の背中を見ることは、なんとなく好きだった。
作り方はハルヤも大体知っていた。
マグロの赤身を5ミリ程度に切っていく。
醤油、酒、砂糖を鍋に入れ、少し温めて混ぜる。
冷めてから赤身を浸けるので、その間にアボカドを選ぶ。
皮が緑のものではなく、黒いもの。
黒いアボカドを、幾つか手で触れて感触を確かめていた。
厳選したひとつを持って、まな板の前に立つ。
皮の剥き方は、さすが一流シェフだけあって、綺麗だった。
くるくる巻かれた黒いリボンが伸びていく。
職人芸をこなしながら、シェフが話し掛ける。
「ハルヤ様は、日本に居らした時、よく召し上がっていたんですか?」
「うん。母が仕事に行く前とかに作ってくれて」
「そうですか。お母様の味には及ばずとも、私、精一杯お作りしますから」
レベルは超え過ぎちゃってるくらいなんだけどな、とハルヤは密かに思った。
薄切りにしたアボカドにレモン汁をかける。
これで変色しないのだとハルヤは知っていた。母親も同じようにしていた。
後はご飯の上にマグロとアボカド、
そして、おろし立ての本ワサビを盛り付け、醤油を掛ければ完成だった。
戸口が開き、やや高めの声が呟かれた。
「ハルヤ様…」
二人は見つめ合ったのも束の間、すぐに視線を逸らした。
本ワサビを下ろしていたカミーユが顔を上げる。
「ドニ。どうした?」
「あ、あの、夕食に使うソイソースが、足りなくって…」
「そうか。ではこれを一本持って行け。返すのは明日でも良いぞ」
「はい、ありがとうございます。すみません」
「構わんさ。シェフ同士、協力するのが当然じゃないか」
「カミーユさん…あ、ありがとうございます。じゃ、失礼しますっ」
醤油のボトルを抱え、後輩シェフは猛ダッシュで帰って行った。
「ん? 何を慌てているんだ、ドニのヤツ。――ああ、すみません、ハルヤ様。
お待たせして。あと少しで完成ですから」
「ごめん。それ、夕食の時に出して貰っても良いかな?」
「え? それは構いませんが」
「あの、明日までの宿題があるの忘れてたんだ。ご飯は夕食まで我慢するよ」
「さすがはハルヤ様。勉強熱心ですね。解りました。では夕食はたくさんご用意しましょう」
「う、うん。じゃあまた後で」
シュヌーシア寮キッチン。
アイヴィーは食べ物を前にして、『待て』をしていた。
食べ物に匂いが付いては悪いかと思い、煙草も吸わずに。
残り少ないムギチャをストローで吸っていた。
やっとシェフがソイソースを抱えて帰ってきた。
「おー。おかえりーって、ドニ?」
「アイヴィーさん…」
「なんだ? しょんぼりして。カミーユになんか怒られた?」
「いいえ、カミーユさんはボクにも優しくして下さるのに…ボクは」
「ボクは?」
「…いけないことばかり考えて」
「え。イケナイこと?」
「ボクのを食べて欲しいなんて」
「ちょ、ドニ、ダイタン…」
その時、二人以外の声が飛び込んで来た。
「俺もだよ、ドニ。カミーユのより、ドニのが食べたい」
キッチンの戸口にハルヤが居た。ドニが後ずさる。
「ハルヤ様? ア、アボカドマグロ丼を召し上がるんじゃ…」
「うん。夕食の時に食べることにしてきた」
「どうして…ハルヤ様、今がすごくお腹が空く時なのに…それに一番お好きな物じゃないですか」
「そうだけど、俺、本当はドニに『二番目に安いスープ』を作って欲しかったんだ」
「えっ」
「だけどドニを困らせるから、言えなくて。ごめんね、ドニ」
「ボクも、ハルヤ様に食べて欲しかったです。
美味しいよってまた言って欲しかったんです。でも、いけないことだから」
「いけなくても、やっぱり時々は食べさせて欲しいな。ドニの料理、好きだから」
アイヴィーは苦笑した。
「なんかよく解んねえけど、めでたしめでたし、か?」
「あれ? アイヴィー、居たの?」
「居ました居ましたー。ドニー、俺のテマキズシはまだですか?」
「あっ、すみません! 今ご用意しますっ」
「手巻き寿司? ね、ドニ。俺にも食べさせてくれる?」
言えなかった言葉が交差する。
「夕食前ですから、少しだけですよ?」
「うん」
シェフは、はにかんでこう申し出た。
「あの、ハルヤ様、ひとつ、ボクに作らせてくれますか?」
「うん。ありがと」
シェフは迷わず、手巻き寿司の具材を選んだ。
さいの目に切られた黄緑の果物。
手早く巻いて、ハルヤに小皿と一緒に差し出す。
ハルヤが、それをワサビ醤油にちょんと付けて口に運ぶ。
慣れ親しんだトロの味がした。
季節はすっかり夏だった。
聖アルフォンソ学院は一年を通して授業を受けられるが、
島の外の夏休みに合わせて、休暇を取る生徒も多い。
ハルヤももうすぐ夏休みに入る。
今年は寮のみんなと一緒に日本に遊びに行こうか、なんて話が出ていた。
寮を一歩出ると、眩しい太陽に出迎えられる。今日の夏空も真っ青だ。
「今日も暑いなー」
キャンパスを歩いて行く。ウーティスから少し離れた建物。
近くには最新の医療設備が整う保健室がある。
ハルヤはよくお世話になっているが、今日はそこまで行かない。
保健室の手前、ギリシャの海運王からの寄付で建てられたという立派な寮。
その裏口に回る。暫く通っていなかった小道には、夏の黄色い花が咲いていた。
近付くにつれ、甘い香りが流れてくる。もうすぐおやつの時間。
ハルヤは戸口からひょこっと顔を出した。
「ドニ、今日は何作ってるの?」
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