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■テオ×クラウス
■背景: 1ページ目は海、 かいぞくごっこ
「お前の家は…城か?」
クラウスは巨大な邸を見上げて言った。
青空の下、白壁に真夏の太陽が照り映えている。
この国の旗と同じ、青と白の世界。
国旗にある9本の青と白は、『自由か死か』を意味する9音節、
『エレフセリア・イ・サナトス』に由来する。
と、我ながら固い頭が、この国の基本情報を引き出していた。
「うん。お城なのだよ、我が家は」
隣に居るギリシャ人は太陽にも負けない笑顔で答える。
「ご近所の皆さんには『メネシス城』と呼ばれているんだ」
時は八月。
聖アルフォンソ学院は一年を通して授業を受けることができるが、
この時期は、外界に合わせて、夏季休暇を取る生徒も多い。
国へ帰省したり、旅行に出掛けるなどして休暇を楽しむのだ。
高等部一年のクラウスは、学院に残って頭と体の自己鍛錬に励もうとしていた。
ところが、同じシュヌーシア寮に住む中等部三年のテオ・メネシスに、
「夏だよ! バカンスの季節だよ!」と叫ばれ、
ギリシャにあるメネシス家までご招待されてしまったのである。
白壁の屋敷から一人の青年が現れた。
細いシャープな眼鏡が、人柄を表しているかのように見えた。
立ち居振る舞いに隙がない。第一印象から、有能な男だと思わせる。
紺のベスト、ワイシャツにグレイのタイと正装に身を包んだ男。
まるで一流ホテルのボーイのようだ。
鈍い色の金髪を高いところで一つに結わえていた。
二十台後半か、三十台に入ったくらいだろうか。
「ご学友のクラウス・フォン・モール様ですね」
彼は流暢な英語で丁寧に挨拶した。後にテオから聞いた話では、
メネシス家は世界各国からゲストを招く機会が多い為、
家人も英語が話せるらしい。おかげでテオは、
小さい頃からギリシャ語と英語を同時に覚えていったらしい。
金髪の男がクラウスに頭を下げる。
「遠いところ、ようこそお越し下さいました。
私はテオ様の専属執事を務めさせて頂いております、ゼノ・エリティスと申します。
御用の際は、お気軽にお申し付け下さいませ」
やはり、ここは城で、自分の友人は王子様だったのだろうか。
海運王と呼ばれる資産家だとは知っていたが、
よもや専属の執事が居るなどとは予想もしていなかった。
友人はクラウスの横から駆け出して、執事に抱き着いた。
「ただいま、ゼノ! 久し振りだねっ!」
先程まで鉄壁だった男は、少し表情が緩んだように見えた。
「おかえりなさいませ、テオ様。少し背が高くなりましたか?」
「えっ! よく解ったね、ゼノ!」
一瞬、クラウスの中で、巻き起こった突風。今の感情は何だったのだろう。
「テオ様、お知らせがございます」
「ん? なんだい?」
「急に、旦那様と奥様が、お取引先のパーティにご招待されまして、
今日の午前にご出発されました。お帰りになるのが、四日後で」
「ええっ!? 父上と母上に会えないのかい!?」
「すみません。お二人もテオ様にお会いになるのを楽しみにされていたのですが。
お姉様とテオ様宛に、お手紙をお預かりしています」
白い封筒がテオに渡される。
一読後、テオはクラウスにも見せてくれた。
『可愛いダフネと可愛いテオへ』から始まる手紙には、
何度も「ごめんね」と書かれており、両親も泣く泣く出発したらしいことが伺えた。
内容的には『クラウスさんと楽しい夏を過ごして下さい』と締められていたが、
手紙の最後に、バツのマークが3つ並んでいた。
どういう意味だろうとクラウスは思う。メネシス家特有の暗号だろうか。
「ゼノ、姉上は!? 姉上は来れるのだねっ!?」
「はい。お姉様は夕食の頃にご到着されるかと」
「そうか。良かったー」
テオは盛大に安堵した様子だった。
専属執事が荷物を持ち、先頭を歩く。
続いてテオ、クラウスの順で屋敷に入る。
何様式の建物なのかは解らないが、天井が無駄に高い。
かなり古いサーフボードなどが廊下の壁に横向きに飾られていた。
海運王と呼ばれるせいか、単に趣味なのか、海に関係する装飾品が目立った。
擦れ違う使用人が皆、「テオ様」「テオ様」と友人に笑顔を向ける。
テオは一人一人に笑顔と言葉を返していた。
屋敷内を紹介されつつ、『テオの部屋』だという一室に辿り着く。
呆れるほど、でかい部屋だった。
幼少期に使われた物か、玩具の類まで棚に並んでいる。
本棚には絵本全集らしき薄い背表紙がぎっしり並んでいたりする。
こいつのメルヘン思考の元凶はこれかもしれない。
執事はアイスコーヒーとアイスティーを用意して、部屋から下がった。
初めてのソファに座る。少し落ち着かない気分で、黒い液体を喉に流した。
テオは口をすぼめてストローを啜っていた。
「ゼノの淹れてくれる紅茶は美味しいなあ」
コーヒーの味が、いつもと違う。
「クラウス? 疲れた? うちに来るまで何時間も掛かったものね」
「別に疲れてはいない」
確かに長時間の移動ではあったが、テオと長い間二人きりで居るのは苦痛ではなかった。
手を打つ音がした。テオが何かを思い付いた時の癖だ。
「クラウス。夕食までシエスタしようか、ここで」
テオは柔らかそうなベッドに座り、両手を付く。
「このベッドは広いから、二人いっしょでも大丈夫だよ?」
「遠慮する」
「遠慮は要らないよ、クラウス。ギリシャではシエスタは当たり前の休息なのだから。
私も家に着いたら、なんだか眠たくって…」
語尾は手で隠された欠伸に消えた。
「なら、お前は馴染みのベッドでシエスタしてろ。疲れただろ」
「ではクラウスはどうするんだい? あ、解った! 私の寝顔を愛でたいのだね?」
「誰が愛でるか。俺は少し外を散歩してくるさ。初めての土地を見て回るのは嫌いじゃない」
「うーん。せっかくの二人旅なのに、いきなり別行動というのは残念だけれど…」
「3泊4日の日程だ。まだ時間はあるだろう? 夕食は19時からだったな。それまでには戻る」
テオはまだ不満そうにしていたが、睡魔には勝てないようで、解ったよ、と折れた。
「では夕食までに帰って来るのだよ、クラウス」
「ああ」
「そうだ。ギリシャ観光に自転車を使うかい?」
「あるのか? 借りられるのならありがたいが」
「ではちょっと待っておくれ」
テオは受話器を取った。
「もしもし。ゼノ? 自転車を一台、クラウスに用意してくれるかな?」
テオをベッドに残し、クラウスは屋敷の外に出る。
専属執事に案内された『車庫』という場所には、
高級車から三輪車まで様々な乗り物が陳列されていた。
幾つか在った自転車の中からマウンテンバイクを選び、ギリシャ観光に出た。
知らない街を散策しながら、今夜、夕食に同席するという女性のことを考えていた。
夏なので実家に帰ってくるというテオの姉。クラウスよりも幾らか年上で、人妻。
少し前に、彼女がメディアで騒がれたこともあるらしい。
石油王の子息が海運王の令嬢と政略結婚したというニュース。
大変なセレブ婚で、その費用総額などの派手さが報じられたそうだ。
資産家の結婚話などクラウスには全くの興味範囲外だったので、
自分の記憶の中では、そう言えばそんなニュースも見たことがあるような、という程度。
いつだったか、寮のサロンで、その話になったことがある。
「テオの姉ちゃんって、すっげー美人なんだよな!」などと言う寮生に、
テオ本人が「そうなのだよ。それに優しくて…」と更に賛辞を重ねていた。
クラウスは今も、彼女の顔を思い出せないままだった。
テオと血が繋がっているのだから、きっと金髪なのだろう。
性格はどうだろうか。もし性格もテオと似ていたら――
いや、もう少し常識があるだろう。そう願いたい。
目には、流れゆくギリシャの街並みを映しながらも、
彼女のことばかりに思いを巡らせてしまった。
クラウスには姉も妹も居ない。
厳格なドイツ軍人の家系に生まれ、聖アルフォンソ学院に入る前も男子校に通ってきた。
女性に対する免疫が高いとは決して言えなかった。
女性と一緒に食事をする、という機会も今までに殆どなかったのである。
このまま一人旅を続けても、あまり観光にならないような気がしてきた。
マウンテンバイクをUターンさせ、早めに城へ戻ることにした。
メネシス城に戻ると、テオはシエスタを終え、すっきり目覚めた顔になっていた。
元気良く腕を振るテオの案内で、ダイニングルームに向かう。
その広い一室には、高い天井にシャンデリアが輝いていた。
壁際には絵画や壺などの美術品が置かれている。テオが言うには、
「メネシスが応援しているアーティストの皆さんから贈られたプレゼント」だそうだ。
つまりは、無名の芸術家達が作った、市場価値では未知数の作品なのだろう。
有名人好きなメネシス一族は、芸術家の卵達に金を気前良く投じている。
その行為を『自分達で有名人に育てる、という一種の遊びに興じているのだろう』
と揶揄するメディアも少なくない。
しかし、メネシスの次期当主である、クラウスの友人は作品を愛でながらこう言った。
「どれも味があって素晴らしいだろう? 私にはとても作れないよ」
テオとクラウスは大きなテーブルの端に付く。現在18時半。
姉は到着していなかった。夕食の時間にはまだ30分あるので、遅れているとは言えない。
専属執事は、おそらくクラウスに気を遣って、
「先にお食事を始めていましょうか?」と言ってくれたのだが、
「姉上が来るまで待っても良いかな?」と言うテオに、クラウスが了承したので、
お茶を飲みながら暫し歓談となった。
その間、クラウスはテオに「ギリシャのサイクリングはどうだった?」と聞かれて、
やや曖昧に返事をしていた。あとは、テオがこの家に居た頃の昔話などを語っていた。
話が少し途切れると、テオは頬を両手で支えながら言った。
「ゼノー、姉上はまだかなあ?」
クラウスは、話を振られた専属執事を見やる。
彼は何故か僅かに笑っていた。
「もう少しでお着きになりますよ、テオ様」
テオが不思議そうに尋ねる。
「ゼノ? どうしたんだい?」
「いえ。何でも。あ、いらっしゃいましたね」
ドアが開いた。
皆が振り向く。一人の女性が現れた。
テオがガタッと立ち上がり、女性を目掛けて突進する。
「あねうえー!」
決して小さくはない弟を受け止めて、彼女は優しく微笑んだ。
寮生がかつて言っていた『テオの姉ちゃんはすっげー美人』はお世辞ではなかったらしい。
肩より長い金髪には、弟と同じ緩い波。肌は褐色のテオよりやや白い。
クラウスは口にこそ出さなかったが、女神のようだ、と思った。
本物の女神になど逢ったこともないのに、そうとしか思えなかった。
弟は自分の姉に見惚れるように、感嘆の声を上げていた。
「ああ、姉上! 今日はまた一段とお美しい! 夏の高原に咲く白百合のよう!」
「ありがとう。テオは夏のエーゲ海に昇る太陽のようですね」
クラウスは驚愕した。姉も過剰表現を口にするのか。
まさに似ているのか、この姉弟は。
「それはもう! 姉上に会えましたからね。あ、姉上、ご紹介します」
この人に紹介されるのかと姿勢を正そうとした。
テオがクラウスの方に手を示す。
「こちらが私の最愛の人、クラウスです!」
クラウスの右肩が下がる。そして、テオに小声で詰め寄った。
「おいっ!?」
「どうしたんだい、クラウス?」
「そ、そんな紹介の仕方があるかっ!?」
「え? どう紹介すれば良かったんだい?」
「解らないなら、見ておけ」
クラウスは、咳払いして、自己紹介した。
「初めまして。自分は、聖アルフォンソ学院高等部第一学年、
クラウス・フォン・モールです。よろしくお願いします」
テオの首が右に傾く。
「貴方らしい挨拶ではあるけれど、やはりそれでは色々と物足りない気が」
「充分だ」
テオの姉は上品に笑った。優雅なのにどこか少女のように見える微笑だった。
クラウスの顔を真っ直ぐに見つめ、ややスローな口調で話す。
「私はテオの姉のダフネと申します。お会いできて嬉しいです、フォン・モールさん。
あの、私もお名前で、クラウスさん、とお呼びして良いでしょうか?」
「はい。それは、お姉さんのお好きに」
「ありがとうございます、クラウスさん…ああ、なんて響きの良い名前でしょう」
クラウスの視線が左を向く。
(どこかで聞いた台詞だな)
テオの姉は、右手を自分の胸に当てた。
「クラウスさん、私のことも名前で呼んで下さいますか?」
クラウスは俯いた。動いたものを目で追っただけで、
悪意はないとは言え、女性の胸許に一瞬目を奪われた自分が恥ずかしかった。
「クラウスさん? すみません、お嫌でしたか?」
「…あ、いいえ。それでは、ダフネさんとお呼びします」
テオの姉は、まあ、と嬉しそうに笑った。
「クラウスさんって、テオの言っていた通り、とっても素敵な方ですね」
「解って下さいますか! さすがは私の姉上っ!」
クラウスの眉間に皺が寄る。
(…この姉弟が何を解り合っているのかさっぱり解らん)
すると、テオの姉は、クラウスの皺を見つけて、更に微笑んだようだった。
「貴方が、テオの話によく登場する、本物のクラウスさんなのですね。
ずっとお話してみたいと思っていました。
この子からクラウスさんのことをいつも聞いていたからでしょうか、
今日初めてお会いしたのに、なんだか懐かしく感じてしまいます」
「あの、俺の話を聞いたというのは、どんな…」
「ロマンチックな出会いから、普段の貴方のことなどたくさん伺いました」
「出会い…って、まさか」
「海で溺れたテオを王子様のキスで救って下さったのでしょう?
その節は、本当にどうもありがとうございました」
「…違います! それは人工呼吸です」クラウスの耳が赤くなる。
「おい、テオ! 何故、そんなことまで話しているんだ、お前は!」
「だって大事な1ページ目じゃないか。外せないよ」
弟と友人と姉の晩餐は、終始賑やかに過ぎていった。
「ああ、楽しかった! ねっ、クラウス!」
夕食後、テオの部屋。
テオとクラウスは、それぞれにディナーの後味を感じていた。
テオは心身ともにおなかいっぱいで大満足といった顔だ。
「…俺は、なんだか疲れたぞ」
マイペースな二人に挟まれたクラウスはツッコミ疲れだった。
「姉上にクラウスを紹介出来て良かった! ぜひとも会わせたいと思っていたのだよ。
思った通り、姉上もクラウスのことを好きになってくれたし! 良かった良かった!」
「表現を誤るな。彼女が俺を――お前の友人として理解したというだけだろう」
自分のことを『弟の友人』という以外に見る筈がない。
彼女は人妻なんだぞ、と自分に言い聞かせていた。
「おや。どうしたんだい、クラウス。物想いな溜め息など吐いて。
あっ、解った! 私の姉上に心奪われてしまったのだろう?」
テオは笑って、クラウスを見やる。
クラウスは目を丸くして、絶句していた。
テオは慌てて、クラウスを揺さぶる。
「クラウス! 私と言う者がありながら!」
「バカ、離せっ」
「確かに、私の姉上は素晴らしい女性だよ?
私も子供の頃は、姉上と結ばれることを夢見ていたものだ。
けれど、クラウス! 私達は既に出逢った時から、口付けを交わした仲で」
「だから、それは人工呼吸だと何回」
「まさか姉上が恋敵になってしまうとは。一体私はどうしたら」
「お前は少し落ちつけ」
「今日は、とても楽しい夕食でした」
「ようございましたね、ダフネ様」
姉の部屋。ナイトキャップティーを持ってきた執事と姉が話していた。
「あの子が、クラウスさんに夢中になるのが、よく解りました。
メネシスの血はのんびりしているところがあるから、凛々しい方に弱いのでしょう」
「お気に召されたようですね、テオ様のご学友のことが」
「はい。私、クラウスさんのことが好きになってしまいそう」
執事は人妻を嗜める。
「ダフネ様」
「冗談です」
執事は眼鏡を押し上げる。表情は手に隠れている。
「…そのようなお戯れはあまり感心しませんよ。私の前ならばまだ良いですが」
姉はティーカップを両手で包みながら、無邪気な笑顔を見せた。
「だって、クラウスさん、似ているんだもの」
fin
■背景: 1ページ目は海、 かいぞくごっこ
「お前の家は…城か?」
クラウスは巨大な邸を見上げて言った。
青空の下、白壁に真夏の太陽が照り映えている。
この国の旗と同じ、青と白の世界。
国旗にある9本の青と白は、『自由か死か』を意味する9音節、
『エレフセリア・イ・サナトス』に由来する。
と、我ながら固い頭が、この国の基本情報を引き出していた。
「うん。お城なのだよ、我が家は」
隣に居るギリシャ人は太陽にも負けない笑顔で答える。
「ご近所の皆さんには『メネシス城』と呼ばれているんだ」
時は八月。
聖アルフォンソ学院は一年を通して授業を受けることができるが、
この時期は、外界に合わせて、夏季休暇を取る生徒も多い。
国へ帰省したり、旅行に出掛けるなどして休暇を楽しむのだ。
高等部一年のクラウスは、学院に残って頭と体の自己鍛錬に励もうとしていた。
ところが、同じシュヌーシア寮に住む中等部三年のテオ・メネシスに、
「夏だよ! バカンスの季節だよ!」と叫ばれ、
ギリシャにあるメネシス家までご招待されてしまったのである。
白壁の屋敷から一人の青年が現れた。
細いシャープな眼鏡が、人柄を表しているかのように見えた。
立ち居振る舞いに隙がない。第一印象から、有能な男だと思わせる。
紺のベスト、ワイシャツにグレイのタイと正装に身を包んだ男。
まるで一流ホテルのボーイのようだ。
鈍い色の金髪を高いところで一つに結わえていた。
二十台後半か、三十台に入ったくらいだろうか。
「ご学友のクラウス・フォン・モール様ですね」
彼は流暢な英語で丁寧に挨拶した。後にテオから聞いた話では、
メネシス家は世界各国からゲストを招く機会が多い為、
家人も英語が話せるらしい。おかげでテオは、
小さい頃からギリシャ語と英語を同時に覚えていったらしい。
金髪の男がクラウスに頭を下げる。
「遠いところ、ようこそお越し下さいました。
私はテオ様の専属執事を務めさせて頂いております、ゼノ・エリティスと申します。
御用の際は、お気軽にお申し付け下さいませ」
やはり、ここは城で、自分の友人は王子様だったのだろうか。
海運王と呼ばれる資産家だとは知っていたが、
よもや専属の執事が居るなどとは予想もしていなかった。
友人はクラウスの横から駆け出して、執事に抱き着いた。
「ただいま、ゼノ! 久し振りだねっ!」
先程まで鉄壁だった男は、少し表情が緩んだように見えた。
「おかえりなさいませ、テオ様。少し背が高くなりましたか?」
「えっ! よく解ったね、ゼノ!」
一瞬、クラウスの中で、巻き起こった突風。今の感情は何だったのだろう。
「テオ様、お知らせがございます」
「ん? なんだい?」
「急に、旦那様と奥様が、お取引先のパーティにご招待されまして、
今日の午前にご出発されました。お帰りになるのが、四日後で」
「ええっ!? 父上と母上に会えないのかい!?」
「すみません。お二人もテオ様にお会いになるのを楽しみにされていたのですが。
お姉様とテオ様宛に、お手紙をお預かりしています」
白い封筒がテオに渡される。
一読後、テオはクラウスにも見せてくれた。
『可愛いダフネと可愛いテオへ』から始まる手紙には、
何度も「ごめんね」と書かれており、両親も泣く泣く出発したらしいことが伺えた。
内容的には『クラウスさんと楽しい夏を過ごして下さい』と締められていたが、
手紙の最後に、バツのマークが3つ並んでいた。
どういう意味だろうとクラウスは思う。メネシス家特有の暗号だろうか。
「ゼノ、姉上は!? 姉上は来れるのだねっ!?」
「はい。お姉様は夕食の頃にご到着されるかと」
「そうか。良かったー」
テオは盛大に安堵した様子だった。
専属執事が荷物を持ち、先頭を歩く。
続いてテオ、クラウスの順で屋敷に入る。
何様式の建物なのかは解らないが、天井が無駄に高い。
かなり古いサーフボードなどが廊下の壁に横向きに飾られていた。
海運王と呼ばれるせいか、単に趣味なのか、海に関係する装飾品が目立った。
擦れ違う使用人が皆、「テオ様」「テオ様」と友人に笑顔を向ける。
テオは一人一人に笑顔と言葉を返していた。
屋敷内を紹介されつつ、『テオの部屋』だという一室に辿り着く。
呆れるほど、でかい部屋だった。
幼少期に使われた物か、玩具の類まで棚に並んでいる。
本棚には絵本全集らしき薄い背表紙がぎっしり並んでいたりする。
こいつのメルヘン思考の元凶はこれかもしれない。
執事はアイスコーヒーとアイスティーを用意して、部屋から下がった。
初めてのソファに座る。少し落ち着かない気分で、黒い液体を喉に流した。
テオは口をすぼめてストローを啜っていた。
「ゼノの淹れてくれる紅茶は美味しいなあ」
コーヒーの味が、いつもと違う。
「クラウス? 疲れた? うちに来るまで何時間も掛かったものね」
「別に疲れてはいない」
確かに長時間の移動ではあったが、テオと長い間二人きりで居るのは苦痛ではなかった。
手を打つ音がした。テオが何かを思い付いた時の癖だ。
「クラウス。夕食までシエスタしようか、ここで」
テオは柔らかそうなベッドに座り、両手を付く。
「このベッドは広いから、二人いっしょでも大丈夫だよ?」
「遠慮する」
「遠慮は要らないよ、クラウス。ギリシャではシエスタは当たり前の休息なのだから。
私も家に着いたら、なんだか眠たくって…」
語尾は手で隠された欠伸に消えた。
「なら、お前は馴染みのベッドでシエスタしてろ。疲れただろ」
「ではクラウスはどうするんだい? あ、解った! 私の寝顔を愛でたいのだね?」
「誰が愛でるか。俺は少し外を散歩してくるさ。初めての土地を見て回るのは嫌いじゃない」
「うーん。せっかくの二人旅なのに、いきなり別行動というのは残念だけれど…」
「3泊4日の日程だ。まだ時間はあるだろう? 夕食は19時からだったな。それまでには戻る」
テオはまだ不満そうにしていたが、睡魔には勝てないようで、解ったよ、と折れた。
「では夕食までに帰って来るのだよ、クラウス」
「ああ」
「そうだ。ギリシャ観光に自転車を使うかい?」
「あるのか? 借りられるのならありがたいが」
「ではちょっと待っておくれ」
テオは受話器を取った。
「もしもし。ゼノ? 自転車を一台、クラウスに用意してくれるかな?」
テオをベッドに残し、クラウスは屋敷の外に出る。
専属執事に案内された『車庫』という場所には、
高級車から三輪車まで様々な乗り物が陳列されていた。
幾つか在った自転車の中からマウンテンバイクを選び、ギリシャ観光に出た。
知らない街を散策しながら、今夜、夕食に同席するという女性のことを考えていた。
夏なので実家に帰ってくるというテオの姉。クラウスよりも幾らか年上で、人妻。
少し前に、彼女がメディアで騒がれたこともあるらしい。
石油王の子息が海運王の令嬢と政略結婚したというニュース。
大変なセレブ婚で、その費用総額などの派手さが報じられたそうだ。
資産家の結婚話などクラウスには全くの興味範囲外だったので、
自分の記憶の中では、そう言えばそんなニュースも見たことがあるような、という程度。
いつだったか、寮のサロンで、その話になったことがある。
「テオの姉ちゃんって、すっげー美人なんだよな!」などと言う寮生に、
テオ本人が「そうなのだよ。それに優しくて…」と更に賛辞を重ねていた。
クラウスは今も、彼女の顔を思い出せないままだった。
テオと血が繋がっているのだから、きっと金髪なのだろう。
性格はどうだろうか。もし性格もテオと似ていたら――
いや、もう少し常識があるだろう。そう願いたい。
目には、流れゆくギリシャの街並みを映しながらも、
彼女のことばかりに思いを巡らせてしまった。
クラウスには姉も妹も居ない。
厳格なドイツ軍人の家系に生まれ、聖アルフォンソ学院に入る前も男子校に通ってきた。
女性に対する免疫が高いとは決して言えなかった。
女性と一緒に食事をする、という機会も今までに殆どなかったのである。
このまま一人旅を続けても、あまり観光にならないような気がしてきた。
マウンテンバイクをUターンさせ、早めに城へ戻ることにした。
メネシス城に戻ると、テオはシエスタを終え、すっきり目覚めた顔になっていた。
元気良く腕を振るテオの案内で、ダイニングルームに向かう。
その広い一室には、高い天井にシャンデリアが輝いていた。
壁際には絵画や壺などの美術品が置かれている。テオが言うには、
「メネシスが応援しているアーティストの皆さんから贈られたプレゼント」だそうだ。
つまりは、無名の芸術家達が作った、市場価値では未知数の作品なのだろう。
有名人好きなメネシス一族は、芸術家の卵達に金を気前良く投じている。
その行為を『自分達で有名人に育てる、という一種の遊びに興じているのだろう』
と揶揄するメディアも少なくない。
しかし、メネシスの次期当主である、クラウスの友人は作品を愛でながらこう言った。
「どれも味があって素晴らしいだろう? 私にはとても作れないよ」
テオとクラウスは大きなテーブルの端に付く。現在18時半。
姉は到着していなかった。夕食の時間にはまだ30分あるので、遅れているとは言えない。
専属執事は、おそらくクラウスに気を遣って、
「先にお食事を始めていましょうか?」と言ってくれたのだが、
「姉上が来るまで待っても良いかな?」と言うテオに、クラウスが了承したので、
お茶を飲みながら暫し歓談となった。
その間、クラウスはテオに「ギリシャのサイクリングはどうだった?」と聞かれて、
やや曖昧に返事をしていた。あとは、テオがこの家に居た頃の昔話などを語っていた。
話が少し途切れると、テオは頬を両手で支えながら言った。
「ゼノー、姉上はまだかなあ?」
クラウスは、話を振られた専属執事を見やる。
彼は何故か僅かに笑っていた。
「もう少しでお着きになりますよ、テオ様」
テオが不思議そうに尋ねる。
「ゼノ? どうしたんだい?」
「いえ。何でも。あ、いらっしゃいましたね」
ドアが開いた。
皆が振り向く。一人の女性が現れた。
テオがガタッと立ち上がり、女性を目掛けて突進する。
「あねうえー!」
決して小さくはない弟を受け止めて、彼女は優しく微笑んだ。
寮生がかつて言っていた『テオの姉ちゃんはすっげー美人』はお世辞ではなかったらしい。
肩より長い金髪には、弟と同じ緩い波。肌は褐色のテオよりやや白い。
クラウスは口にこそ出さなかったが、女神のようだ、と思った。
本物の女神になど逢ったこともないのに、そうとしか思えなかった。
弟は自分の姉に見惚れるように、感嘆の声を上げていた。
「ああ、姉上! 今日はまた一段とお美しい! 夏の高原に咲く白百合のよう!」
「ありがとう。テオは夏のエーゲ海に昇る太陽のようですね」
クラウスは驚愕した。姉も過剰表現を口にするのか。
まさに似ているのか、この姉弟は。
「それはもう! 姉上に会えましたからね。あ、姉上、ご紹介します」
この人に紹介されるのかと姿勢を正そうとした。
テオがクラウスの方に手を示す。
「こちらが私の最愛の人、クラウスです!」
クラウスの右肩が下がる。そして、テオに小声で詰め寄った。
「おいっ!?」
「どうしたんだい、クラウス?」
「そ、そんな紹介の仕方があるかっ!?」
「え? どう紹介すれば良かったんだい?」
「解らないなら、見ておけ」
クラウスは、咳払いして、自己紹介した。
「初めまして。自分は、聖アルフォンソ学院高等部第一学年、
クラウス・フォン・モールです。よろしくお願いします」
テオの首が右に傾く。
「貴方らしい挨拶ではあるけれど、やはりそれでは色々と物足りない気が」
「充分だ」
テオの姉は上品に笑った。優雅なのにどこか少女のように見える微笑だった。
クラウスの顔を真っ直ぐに見つめ、ややスローな口調で話す。
「私はテオの姉のダフネと申します。お会いできて嬉しいです、フォン・モールさん。
あの、私もお名前で、クラウスさん、とお呼びして良いでしょうか?」
「はい。それは、お姉さんのお好きに」
「ありがとうございます、クラウスさん…ああ、なんて響きの良い名前でしょう」
クラウスの視線が左を向く。
(どこかで聞いた台詞だな)
テオの姉は、右手を自分の胸に当てた。
「クラウスさん、私のことも名前で呼んで下さいますか?」
クラウスは俯いた。動いたものを目で追っただけで、
悪意はないとは言え、女性の胸許に一瞬目を奪われた自分が恥ずかしかった。
「クラウスさん? すみません、お嫌でしたか?」
「…あ、いいえ。それでは、ダフネさんとお呼びします」
テオの姉は、まあ、と嬉しそうに笑った。
「クラウスさんって、テオの言っていた通り、とっても素敵な方ですね」
「解って下さいますか! さすがは私の姉上っ!」
クラウスの眉間に皺が寄る。
(…この姉弟が何を解り合っているのかさっぱり解らん)
すると、テオの姉は、クラウスの皺を見つけて、更に微笑んだようだった。
「貴方が、テオの話によく登場する、本物のクラウスさんなのですね。
ずっとお話してみたいと思っていました。
この子からクラウスさんのことをいつも聞いていたからでしょうか、
今日初めてお会いしたのに、なんだか懐かしく感じてしまいます」
「あの、俺の話を聞いたというのは、どんな…」
「ロマンチックな出会いから、普段の貴方のことなどたくさん伺いました」
「出会い…って、まさか」
「海で溺れたテオを王子様のキスで救って下さったのでしょう?
その節は、本当にどうもありがとうございました」
「…違います! それは人工呼吸です」クラウスの耳が赤くなる。
「おい、テオ! 何故、そんなことまで話しているんだ、お前は!」
「だって大事な1ページ目じゃないか。外せないよ」
弟と友人と姉の晩餐は、終始賑やかに過ぎていった。
「ああ、楽しかった! ねっ、クラウス!」
夕食後、テオの部屋。
テオとクラウスは、それぞれにディナーの後味を感じていた。
テオは心身ともにおなかいっぱいで大満足といった顔だ。
「…俺は、なんだか疲れたぞ」
マイペースな二人に挟まれたクラウスはツッコミ疲れだった。
「姉上にクラウスを紹介出来て良かった! ぜひとも会わせたいと思っていたのだよ。
思った通り、姉上もクラウスのことを好きになってくれたし! 良かった良かった!」
「表現を誤るな。彼女が俺を――お前の友人として理解したというだけだろう」
自分のことを『弟の友人』という以外に見る筈がない。
彼女は人妻なんだぞ、と自分に言い聞かせていた。
「おや。どうしたんだい、クラウス。物想いな溜め息など吐いて。
あっ、解った! 私の姉上に心奪われてしまったのだろう?」
テオは笑って、クラウスを見やる。
クラウスは目を丸くして、絶句していた。
テオは慌てて、クラウスを揺さぶる。
「クラウス! 私と言う者がありながら!」
「バカ、離せっ」
「確かに、私の姉上は素晴らしい女性だよ?
私も子供の頃は、姉上と結ばれることを夢見ていたものだ。
けれど、クラウス! 私達は既に出逢った時から、口付けを交わした仲で」
「だから、それは人工呼吸だと何回」
「まさか姉上が恋敵になってしまうとは。一体私はどうしたら」
「お前は少し落ちつけ」
「今日は、とても楽しい夕食でした」
「ようございましたね、ダフネ様」
姉の部屋。ナイトキャップティーを持ってきた執事と姉が話していた。
「あの子が、クラウスさんに夢中になるのが、よく解りました。
メネシスの血はのんびりしているところがあるから、凛々しい方に弱いのでしょう」
「お気に召されたようですね、テオ様のご学友のことが」
「はい。私、クラウスさんのことが好きになってしまいそう」
執事は人妻を嗜める。
「ダフネ様」
「冗談です」
執事は眼鏡を押し上げる。表情は手に隠れている。
「…そのようなお戯れはあまり感心しませんよ。私の前ならばまだ良いですが」
姉はティーカップを両手で包みながら、無邪気な笑顔を見せた。
「だって、クラウスさん、似ているんだもの」
fin
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