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■ロレートシナリオ
次期国王が決定してから、もう暫く過ぎた。
国内も徐々に日常の落ち着きを取り戻していた。
ジョシュア殿下への悪質な手紙も、あれ以来届いていない。
陛下にお伝えしなかったのは正しい判断だったようだ。
「本日もお疲れ様でした、陛下。おやすみなさいませ」
また一日が終わり、私は王の寝室から去ろうとした。
「ラル」
私を短く呼んだ。
「何です?」
王は窓の方を向く。
「お前には見えないのか? 今宵は良い月夜だぞ?」
満月なのだろうかと見上げる。違った。
半円よりやや丸く、円には大分足りない。良い月夜、と言うには賛同し兼ねた。
「月が何か?」
「ここ暫く式典の準備や事後処理に追われていたからな。
お前とゆっくり過ごせなかっただろう?」
「式典の有無に関わらず、毎日お側に居るではありませんか」
「月を肴に少し飲みたい。付き合え」
「それは、ご命令でしょうか?」
「ああ」
私は主に頭を下げる。
「畏まりました。ご用意致します」
窓に月。テーブルにワインボトル。
私個人は白の方が好むのだが、主は赤を好むので、赤を選んだ。
トクトクと水音を聞きながら、お注ぎする。
赤黒い液体が満ちると、主にボトルを奪われて、私のグラスに目一杯注がれた。
主がグラスを持ち上げるので私も倣う。
陛下は、月に、と言って私のグラスを鳴らした。
主が飲まれてから、私もグラスに口付ける。
赤ワインに撫でられた痕が熱い。
私はそれほど酒に強くはなかったので、後は舐める程度にしか頂かなかった。
従者が主の御前で泥酔するわけにはいかない。
尤も、相手が主でなくとも、そのような醜態は、自分の前でも、晒したくはない。
王は最初に宣言された通り、月を肴にグラスを傾けていた。
話し掛けられるまで、私も静かに月を観賞していようと思う。
けれど、やはり満月より劣る。まるで、力ない風船のようだ。
肺活量の低い子供が膨らましきれなかったようにも見え、
あるいは、時が経つにつれ萎んできたようでもある。
王が良い月夜と言ったのは、ただの口実だろうか。
月から王に視線を移すと、目が合った。
「久しいな」にやりと笑う。「月とお前を愛でるのも」
「月とお前を、ではなく、月をお前と、では?」
「それでは、愛でる対象が、月だけになってしまうだろう?」
王は椅子に深く凭れた。
「――ああ、至福だ」
国主の至福がこれほどささやかなことで良いのだろうか。
私は思わず言葉を漏らしていた。
「可笑しな御人です」
「ん?」
「月を愛でるお相手なら、従者より姫君の方が宜しいでしょう」
言ってしまってから、何も今、申し上げることではなかったと悔いた。陛下は笑って仰る。
「遠回しに、俺の相手は嫌だと言っているのか?」
ご気分を害された様子はなかった。私は少し逡巡した後、普段から思っていたことを口にした。
「いいえ。心からの疑問です。何故、我がロレート大公は后を選ぼうともしないのでしょう」
次期国王が決まった故、陛下にお世継ぎが居ないことへの批判はもう聞かなくなった。
陛下にお子様がないからこそ、血筋上の王位継承権第一位が甥のジョシュア様であり、
王位継承法を多少修正する程度で次期国王に指名することができたのだ。
もし、陛下にご子息があれば、こう円滑に事は運ばなかったであろう。
陛下は、兄君を失って以来、王位をジョシュア様に継がせることをお考えだったと言う。
だとしても、陛下が后を選ばない理由には成り難い。
『罪人は幸福になってはいけない』そんな戒律が王の中にあるような気がしてならないのだ。
陛下の表情を伺うと、少し重そうな瞼で微笑まれた。ワインか、睡魔のせいだろう。
「そんなことも解らぬのか、俺の右腕は」
「至らず、申し訳ありません。お教え頂けますか? 陛下」
陛下は右の拳で頬を支える。ブロンズグレイの髪が揺れた。
「俺には、お前が居れば良い」
ああ、ワインのせいか。
「そうやって、話をお逸しになる」
陛下は手の中でグラスを揺らし、赤い水面を弄んでいる。
「ポーカーはしていないぞ」
ポーカーフェイスを気取っているわけではない。無表情な顔しか見せられないのだ。
表情筋の衰弱ではなく、つまらない自尊心のせい。
王のお戯れにいちいち頬を染めるような輩ではこの御方の側近は務まらない――そう思いたい。
「少しは動揺して見せろ、ラル」
「実力でどうぞ」
陛下がグラスを置く。
「上等だ」
私は再び半端な月を見た。
あれは、これから満ちるところなのだろうか、欠けるところなのだろうか。
→5-1
次期国王が決定してから、もう暫く過ぎた。
国内も徐々に日常の落ち着きを取り戻していた。
ジョシュア殿下への悪質な手紙も、あれ以来届いていない。
陛下にお伝えしなかったのは正しい判断だったようだ。
「本日もお疲れ様でした、陛下。おやすみなさいませ」
また一日が終わり、私は王の寝室から去ろうとした。
「ラル」
私を短く呼んだ。
「何です?」
王は窓の方を向く。
「お前には見えないのか? 今宵は良い月夜だぞ?」
満月なのだろうかと見上げる。違った。
半円よりやや丸く、円には大分足りない。良い月夜、と言うには賛同し兼ねた。
「月が何か?」
「ここ暫く式典の準備や事後処理に追われていたからな。
お前とゆっくり過ごせなかっただろう?」
「式典の有無に関わらず、毎日お側に居るではありませんか」
「月を肴に少し飲みたい。付き合え」
「それは、ご命令でしょうか?」
「ああ」
私は主に頭を下げる。
「畏まりました。ご用意致します」
窓に月。テーブルにワインボトル。
私個人は白の方が好むのだが、主は赤を好むので、赤を選んだ。
トクトクと水音を聞きながら、お注ぎする。
赤黒い液体が満ちると、主にボトルを奪われて、私のグラスに目一杯注がれた。
主がグラスを持ち上げるので私も倣う。
陛下は、月に、と言って私のグラスを鳴らした。
主が飲まれてから、私もグラスに口付ける。
赤ワインに撫でられた痕が熱い。
私はそれほど酒に強くはなかったので、後は舐める程度にしか頂かなかった。
従者が主の御前で泥酔するわけにはいかない。
尤も、相手が主でなくとも、そのような醜態は、自分の前でも、晒したくはない。
王は最初に宣言された通り、月を肴にグラスを傾けていた。
話し掛けられるまで、私も静かに月を観賞していようと思う。
けれど、やはり満月より劣る。まるで、力ない風船のようだ。
肺活量の低い子供が膨らましきれなかったようにも見え、
あるいは、時が経つにつれ萎んできたようでもある。
王が良い月夜と言ったのは、ただの口実だろうか。
月から王に視線を移すと、目が合った。
「久しいな」にやりと笑う。「月とお前を愛でるのも」
「月とお前を、ではなく、月をお前と、では?」
「それでは、愛でる対象が、月だけになってしまうだろう?」
王は椅子に深く凭れた。
「――ああ、至福だ」
国主の至福がこれほどささやかなことで良いのだろうか。
私は思わず言葉を漏らしていた。
「可笑しな御人です」
「ん?」
「月を愛でるお相手なら、従者より姫君の方が宜しいでしょう」
言ってしまってから、何も今、申し上げることではなかったと悔いた。陛下は笑って仰る。
「遠回しに、俺の相手は嫌だと言っているのか?」
ご気分を害された様子はなかった。私は少し逡巡した後、普段から思っていたことを口にした。
「いいえ。心からの疑問です。何故、我がロレート大公は后を選ぼうともしないのでしょう」
次期国王が決まった故、陛下にお世継ぎが居ないことへの批判はもう聞かなくなった。
陛下にお子様がないからこそ、血筋上の王位継承権第一位が甥のジョシュア様であり、
王位継承法を多少修正する程度で次期国王に指名することができたのだ。
もし、陛下にご子息があれば、こう円滑に事は運ばなかったであろう。
陛下は、兄君を失って以来、王位をジョシュア様に継がせることをお考えだったと言う。
だとしても、陛下が后を選ばない理由には成り難い。
『罪人は幸福になってはいけない』そんな戒律が王の中にあるような気がしてならないのだ。
陛下の表情を伺うと、少し重そうな瞼で微笑まれた。ワインか、睡魔のせいだろう。
「そんなことも解らぬのか、俺の右腕は」
「至らず、申し訳ありません。お教え頂けますか? 陛下」
陛下は右の拳で頬を支える。ブロンズグレイの髪が揺れた。
「俺には、お前が居れば良い」
ああ、ワインのせいか。
「そうやって、話をお逸しになる」
陛下は手の中でグラスを揺らし、赤い水面を弄んでいる。
「ポーカーはしていないぞ」
ポーカーフェイスを気取っているわけではない。無表情な顔しか見せられないのだ。
表情筋の衰弱ではなく、つまらない自尊心のせい。
王のお戯れにいちいち頬を染めるような輩ではこの御方の側近は務まらない――そう思いたい。
「少しは動揺して見せろ、ラル」
「実力でどうぞ」
陛下がグラスを置く。
「上等だ」
私は再び半端な月を見た。
あれは、これから満ちるところなのだろうか、欠けるところなのだろうか。
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