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Marginal Prince Short Story
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■アイヴィー オーギュスト アンリ
聖アルフォンソ学院 校舎内。
廊下には一人分の足音。アイヴィーはうなじの辺りで手を組みながら歩いていた。
生徒代表室でのミーティング帰り。擦れ違う生徒は一人も居ない。
今は授業時間。真面目な生徒達はお勉強中だ。
例年、簡単なミーティングは、なるべく生徒代表が空講の時間に行うようにしていた。
その方が生徒代表の負担も少なく、また、
授業時間にタクシーを呼ばれることは殆どないアイヴィーにも都合が良かったからである。

(時間空いちゃったなー)

今日のミーティングはサクサク進み、予定よりも早く終わってしまった。
生徒代表ジョシュアは引き続き、理事会とのネットミーティング中。
警備責任者であるアイヴィーにも聞かせられない機密事項のようだった為、失礼してきた。
廊下の窓は、ほんのりオレンジに染まっている。
この時間が終われば、今日の講義は全て終了だろう。
ふわ、と眠気に襲われ、欠伸を噛み殺す。

(保健室にでも寄ってくかなあ)

夏季休暇が終わった頃から、睡眠が足りていない。
聖アルフォンソ島にマージナルプリンス達が戻ってきた途端、
悪いおぢさん達も島に遊びに来るようになったからだ。
昨日も深夜に呼び出されて、派手に踊り明かしてしまった。
王子達が悪いわけではないのは解っているが、ぼやきたくもなる。

(…マージナルプリンスどもめ)

もひとつ欠伸を飲み込んだ時、知っている声が聞こえてきた。
同じオトコなのに、自分よりずっとオトナな渋い声。

「トマス・チャーノックはイギリスのケント州出身で…」

教壇に立っている紳士。
片手に教科書を持ってるのに、それに頼る様子もない。

(…あ。センセだ)

ちゃんとオシゴトしている彼を見るのは初めてだった。
オーギュスト・ボージェ教授。神秘学の先生だ。
センセはホントに先生なんだ、と当たり前のことを思った。
タクシードライバーで警備責任者なんてことをやっていると、
教授陣の日常を見る機会は殆どなかったからである。
生徒達の前に立っていると、あの胡散臭いヒトも、やっぱり教授に見えるから不思議だ。
アイヴィーは硝子越しの教室をそっと眺める。
呆れる程、静かで真面目な授業風景だ。
しかし、受講者の面子を見て、それもその筈だと納得できた。
アルファルドに住む孤高の王子達が多い。
もう大人のお兄さんになってしまった自分は、このたった一枚の硝子を超えることができない。
先生が黒板に向かう。緑の板に白いリボンが綴られていく。

「チャーノックはね、詩人でもあったんだよ」

そう言って先生が振り向いた時、目が合った。

***

アンリは頬杖を突いていた。眠いからである。
机にはノートを広げているが、あまりメモは取っていなかった。

「トマス・チャーノックはイギリスのケント州出身で…」

教授は星周りの悪かった錬金術師について概説している。
アンリにとっては既知の人物だった。
元々知っているのではなく、先週から昨夜まで予習していたからだ。
神秘学の授業は週一回。予習するだけの時間は十分ある。
授業前に、ある程度の予備知識を得ておきたかった。
博識な、あの変人に付いていけないなんて事態は、プライドが許さないからである。
自分でも持て余す程、高いプライドを持ってしても、
あの唇からはアンリの知らない情報が出てくる。
教師と生徒なのだから、知識量に差があるのは当たり前なのに、悔しかった。

「チャーノックはね、詩人でもあったんだよ」

黒板から振り返った教授は、ふと廊下側を見た。
一瞬だったが、おや、という顔をした。教授の視線を追う。
そこには、別に、何もなかった。

(可笑しいな…オーギュ、何か見たみたいだったのに)

アンリは再び教授のほうに視線を戻す。

「1557年、彼は軍隊に召集される。当時は、資産家であれば、
お金の力で徴兵を免れることもできたのだけどね、平民出身の彼には叶わないことだったんだ」

教授は何事もなかったように授業を進めた。
アンリは頬杖を外して、もう一度、廊下を見やる。
何もない。誰も居ない。

(何が見えたんだろう…)

気のせいだったのだろうか、否、と揺らいでくる。
もしかしたら、とアンリは思う。
彼には、僕にも見えないものが見えるのだろうか。

(…そんなわけないか)

頬杖を突く。
少しの間、忘れていた眠気がまたやってきた。
ああ、眠い。彼の声がいけないんだ。

***

アイヴィーは思わず、その場でしゃがんでいた。
別に何も悪いことしてないのに。後頭部を壁に預けて、ひと息吐く。
板の向こうから、先生の声がする。

「1557年、彼は軍隊に召集される。当時は、資産家であれば、
お金の力で徴兵を免れることもできたのだけどね、平民出身の彼には叶わないことだったんだ」

フツーに授業に戻ってる。
目が合ったと感じたのは自分だけで、
向こうはコッチに気付かなかったのだろうか、とさえ思った。
見なかったことにしてくれただけかもしれない。
どっちにしても、マージナルプリンスには――多分――見付からなくて良かった。
ただのタクシードライバーだと思われてる自分が校舎内をウロウロしてるのは可笑しいのだ。
そう言えば、保健室でお昼寝をしようとしていたんだったと思い出す。
しかし、せっかく貴重な時間に居合わせたのだから、
もう少し、先生の授業を聴講していきたい。
神秘学なんて変わった授業、学生時代に一度も受けたことがないし。
我ながら可笑しな絵だ。
ガッコの廊下にオトナが一人、お尻を着いて小さく膝を抱えてる。

「成功寸前までいっていた実験も、
中座せざるを得なくなったチャーノックは、高価な実験器具を自ら叩き壊してしまう」

壁の向こうから先生の声。
教室も廊下も静かだから結構聞こえる。
低い、単調な声を聞いているだけで、
ちょっと生徒の気分になれるのが可笑しかった。

(てゆうか、チャーノックって、どちらさん?)

それまでの講義をきちんと聞いていなかったのだから仕方がないが、講義の内容が良く解らない。
学生時代よりも耳を澄まし、割と一生懸命に聞いているのに、理解できない。

「1581年、賢者の石を手にしないまま、天に召される」

先生の声が遠くなってきた。
膝に置いた腕。その上に顎が乗ってしまう。
眠たい。強烈に。

(ヤベ…こんなトコで、眠ったら…)

廊下の窓からオレンジ色の毛布を浴びていた。
全身を包み込むように、ぽかぽか、あったかくて。
平坦な子守唄が、気持ち、良くて……


fin
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