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■ロレートシナリオ
バックミラーに殿下はもう映っていない。
聖アルフォンソ学院の正門前まで、殿下をお送りしてきた。
私は、先程、車中で言われたことを思い返していた。
「今度、ロレートに連れて来たい友達が居るんです。
カーディスに紹介したいなって前から思ってたんですが、あの、ダメでしょうか?」
陛下に伺っておきます、とお答えした。
が、あの御方のことだ。断る筈がない。
今度、殿下をお迎えに来る時は、ご学友もお乗せすることになるだろう。
あの殿下のご学友だ。何も心配することはないだろう。きっと優秀で真面目な御方だ。
そのようなことを考えながら、公用車で空港へ向かう矢先、きらりと光る長髪を見た。
誰かの手によって路地裏に消えていった。
嫌な予感がして、私は車を停めた。
「俺様がイイコト教えてやったのに、お礼はないのか、お礼は」
「アリガトウ、ゴザイマス…」
路地裏に近付くと、知らない声と知っている声が聞こえてきた。
身を潜めて様子を覗う。長い黒髪の男が見えた。
気障な白いコートにピンクのワイシャツ。
どう見ても、普通のビジネスマンなどではない。
得体の知れない男が、相手の顎を持ち上げる。
「んな棒読みのセリフなんか要らねえんだよ。解ってんだろ、アイヴィー?」
「ちょ、近いよ、顔が。濃い顔が近いからっ」
「近くないと、お礼が貰えないだろうが」
「真っ昼間から沸いてんじゃねえ…ガキどもに見付かったら」
「見せ付けてやるさ」
「キョーイク上、良くないからっ」
黒髪の男がアイヴィー様に更に近付く。私は堪え切れず、声を上げた。
「閣下!」
二人が私を見る。
「ラルちゃん!?」
「なんだあ?」
「貴様、閣下から手を離せ」
黒髪の男は、低い声で笑った。
「おっと。こっちにも金髪美人が。へえ。なかなか俺好みのツラしてるじゃねえか」
「わっ、ラルちゃんヤバイ! 俺のことはイイから逃げてっ!」
「閣下を置いて逃げるなどできません!」
「いい度胸だな、金髪美人。ああ、その軍服、ロレートか。
成程。あんたはジョシュア・グラントのおもり役ってところか?」
「言葉を慎め。殿下を愚弄するつもりか」
「へえ。美人な上に強気なところもあるんだな。ますますソソる」
黒髪の男が、こちらに歩いてくる。
私のことを足許から髪まで舐めるように眺め、せせら笑った。
「何が可笑しい」
「お前、ドMだろ? そのツラ見りゃ解るぜ」
男が私の頬に手を伸ばそうとした時、アイヴィー様が動いた。
「スキありっ!」
私の左手首を取る。
「ラルちゃん、逃げるよっ。走って!」
黒髪の男が叫ぶ。
「おい、お礼は?」
「あんがとー!」
私はアイヴィー様に腕を引かれるまま、その場を逃走することになった。
どのくらい走っただろう。後ろを振り向くと、男の姿は見えなかった。
アイヴィー様は海の見える公園のようなところで足を止めた。
「はー。この辺まで来ればダイジョブかなー。ラルちゃんもなかなか足速いねー」
「あの、アイヴィー様、先程の男は?」
この辺境の島で警備のトップに立つ御人が、逃げるしかない相手が居るとは思わなかった。
アイヴィー様は頭を少し掻く。
「あー。ええっと、なーんて言ったらイイんだろうなー、あのヒトは」
歯切れ悪く話し始めた。
「物凄い良く言うと、同業他社? でもホントは異業種っつーか…」
関係性が解らない。
「まあ、ひろーく見ると、ラルちゃんとおんなじ、かな? いやー、ちょっとカラーが違うけど」
「私と同じ?」
「うん。かいつまんで言うと。マージナルプリンスの一人が、
ボディーガードとして雇ってるマフィアさんなんだ」
ナイショの話なんだけどね、とアイヴィー様が語ったところによると、
あの男はアイヴィー様が頼んでもいないのに、大いに『情報提供』をしてくれるらしい。
マフィア独自のルートから得た裏情報。
それは、マージナルプリンスを守る上で、かなり貴重なニュースソースになるそうだ。
実際、マフィアから囁かれた情報のおかげで、助けられた例も幾つかあるらしい。
島に居る時のマフィアは、雇い主のマージナルプリンスを守り、
警備組織には、諜報活動をしてくれる、『協力者』でしかない。
その為、今では無闇に彼の手を振り解くことができないそうだ。
驚愕の事実を聞かされ、私は言葉が出なかった。
遙か頭上を轟音が通り過ぎていく。アイヴィー様が額に手を翳す。
「ゲッ。ゴメン、ラルちゃん…」
「どうなさいました?」
「ラルちゃんさ。ヒコーキ、乗んなくて良かったの?」
私は空を見上げる。銀色の機体が、遠く過ぎ去っていく。
「あははっ、お前でもたまにはバカやるんだな、レイナ」
携帯電話の向こうで、同僚のエメリーが爆笑している。
その日、私は最終便に乗り遅れ、ロレートに帰れなくなったのだ。
「悪かったな。陛下にちゃんと伝えてくれよ」
「解ってる…あ、陛下」
まずい。
「ええ、レイナ閣下からのお電話です。少しトラブルがあったそうで…」
エメリーが事情を伝えている。私は黙って待つしかなかった。
簡潔な説明が終わるとエメリーは「閣下とお話しになりますか? 陛下」と言い出した。
ああ、というお声が微かに聞こえた。エメリーの意地の悪い声が続く。
「閣下? 陛下と変わりますね?」
携帯が受け渡された気配がする。
「ラルヴィス?」
陛下のお声。私は反射的に頭を下げた。
「申し訳ありません、陛下。明朝のフライトで戻りますので」
「一日くらい構わんさ」
携帯越しのお声は、お叱りの口調ではなく、何でもない、という口調だった。
「それより、ラル。お前、今夜はどうするんだ? 島のゲストハウスにでも泊まるのか?」
「それが…」
責任を感じたアイヴィー様が「うちに泊まって」と申し出て下さった。
この島で、他に知り合いが居ない私は、お言葉に甘えさせて頂くことになってしまった。
今、私はアイヴィー様のリビングから電話をしているのだ。
私の車も、ご自宅の前に停めさせて頂いている。
目の前に居るアイヴィー様が『貸して』と手を出すので、携帯電話を渡した。
「あー、王様? うん。俺ー。オヒサシブリー。
あのさ、ラルちゃんのこと怒んないでよ? 俺が悪いんだから。
うん。ラルちゃんが、マフィアさんから俺のこと守ってくれたんだよ?
ホント、ホント。そーゆーわけで、今夜はラルちゃん、お預かりさせてね?
え? はははっ。何の心配してんの、王様。
王様を敵に回すわけないじゃん。ダイジョーブ。無事にお返ししますー。はーい。じゃーねー」
テーブルにはアイヴィー様の手料理が並んだ。
自信なさそうに置かれた皿は、どれも美味しそうだった。
アイヴィー様がビールを手酌しようとしたので、私は止めた。
「お注ぎします、アイヴィー様」
「え? あ、うん。ありがと…」
瓶を傾ける。金色の水がグラスに満ちていく。
注ぎ終わると、アイヴィー様は不思議そうに私を見ていた。
「何か?」
「あ、ううん…ラルちゃんみたいなヒトに、そーゆーふうに下手に出られると、ヘンな気分になっちゃうよ。
なんか、俺が王様になったみたいっていうかさ、そういうの、俺にはしなくてイイから。フツーにしてて?」
「…普通、ですか?」
「あ…ラルちゃんって、王様にはフツーにお酌したりしてんの?」
「はい」
「…そーなのか…くそう。王様め…羨ましいな、ちょっと」
「えっ?」
「あー、すいません、何でもナイです…。えと、ラルちゃんも飲むでしょ?」
「いいえ。私は」
「王様も居ないんだから、潰れちゃってもヘーキだよ? ベッド、そこだし。ね?」
突然、電子音が鳴り響いた。
「あちゃー。こんな時にマジかよー、もー! ばかー!」
腕時計に向かって叫んでいた。
「アイヴィー様?」
「あー、ゴメンネ。俺、ダンスパーティーにご招待されちゃったから、
ちょっと出てくるけど、ラルちゃんはうちでゆっくり…」
「警備の仕事ですね?」
「ん。そんなに数も多くないから、朝までには帰れると思うし」
「お供致します。私も武官です。お手伝いさせて下さい」
「そんな、ダメだよ…ラルちゃんにケガなんかさせたら、俺、王様に怒られちゃう」
「せめてもの宿泊料です。身体でお支払いします」
アイヴィー様は口許を手で覆った。
「…参ったなあ。んじゃ、絶対ケガしないでねっ」
→10-1
バックミラーに殿下はもう映っていない。
聖アルフォンソ学院の正門前まで、殿下をお送りしてきた。
私は、先程、車中で言われたことを思い返していた。
「今度、ロレートに連れて来たい友達が居るんです。
カーディスに紹介したいなって前から思ってたんですが、あの、ダメでしょうか?」
陛下に伺っておきます、とお答えした。
が、あの御方のことだ。断る筈がない。
今度、殿下をお迎えに来る時は、ご学友もお乗せすることになるだろう。
あの殿下のご学友だ。何も心配することはないだろう。きっと優秀で真面目な御方だ。
そのようなことを考えながら、公用車で空港へ向かう矢先、きらりと光る長髪を見た。
誰かの手によって路地裏に消えていった。
嫌な予感がして、私は車を停めた。
「俺様がイイコト教えてやったのに、お礼はないのか、お礼は」
「アリガトウ、ゴザイマス…」
路地裏に近付くと、知らない声と知っている声が聞こえてきた。
身を潜めて様子を覗う。長い黒髪の男が見えた。
気障な白いコートにピンクのワイシャツ。
どう見ても、普通のビジネスマンなどではない。
得体の知れない男が、相手の顎を持ち上げる。
「んな棒読みのセリフなんか要らねえんだよ。解ってんだろ、アイヴィー?」
「ちょ、近いよ、顔が。濃い顔が近いからっ」
「近くないと、お礼が貰えないだろうが」
「真っ昼間から沸いてんじゃねえ…ガキどもに見付かったら」
「見せ付けてやるさ」
「キョーイク上、良くないからっ」
黒髪の男がアイヴィー様に更に近付く。私は堪え切れず、声を上げた。
「閣下!」
二人が私を見る。
「ラルちゃん!?」
「なんだあ?」
「貴様、閣下から手を離せ」
黒髪の男は、低い声で笑った。
「おっと。こっちにも金髪美人が。へえ。なかなか俺好みのツラしてるじゃねえか」
「わっ、ラルちゃんヤバイ! 俺のことはイイから逃げてっ!」
「閣下を置いて逃げるなどできません!」
「いい度胸だな、金髪美人。ああ、その軍服、ロレートか。
成程。あんたはジョシュア・グラントのおもり役ってところか?」
「言葉を慎め。殿下を愚弄するつもりか」
「へえ。美人な上に強気なところもあるんだな。ますますソソる」
黒髪の男が、こちらに歩いてくる。
私のことを足許から髪まで舐めるように眺め、せせら笑った。
「何が可笑しい」
「お前、ドMだろ? そのツラ見りゃ解るぜ」
男が私の頬に手を伸ばそうとした時、アイヴィー様が動いた。
「スキありっ!」
私の左手首を取る。
「ラルちゃん、逃げるよっ。走って!」
黒髪の男が叫ぶ。
「おい、お礼は?」
「あんがとー!」
私はアイヴィー様に腕を引かれるまま、その場を逃走することになった。
どのくらい走っただろう。後ろを振り向くと、男の姿は見えなかった。
アイヴィー様は海の見える公園のようなところで足を止めた。
「はー。この辺まで来ればダイジョブかなー。ラルちゃんもなかなか足速いねー」
「あの、アイヴィー様、先程の男は?」
この辺境の島で警備のトップに立つ御人が、逃げるしかない相手が居るとは思わなかった。
アイヴィー様は頭を少し掻く。
「あー。ええっと、なーんて言ったらイイんだろうなー、あのヒトは」
歯切れ悪く話し始めた。
「物凄い良く言うと、同業他社? でもホントは異業種っつーか…」
関係性が解らない。
「まあ、ひろーく見ると、ラルちゃんとおんなじ、かな? いやー、ちょっとカラーが違うけど」
「私と同じ?」
「うん。かいつまんで言うと。マージナルプリンスの一人が、
ボディーガードとして雇ってるマフィアさんなんだ」
ナイショの話なんだけどね、とアイヴィー様が語ったところによると、
あの男はアイヴィー様が頼んでもいないのに、大いに『情報提供』をしてくれるらしい。
マフィア独自のルートから得た裏情報。
それは、マージナルプリンスを守る上で、かなり貴重なニュースソースになるそうだ。
実際、マフィアから囁かれた情報のおかげで、助けられた例も幾つかあるらしい。
島に居る時のマフィアは、雇い主のマージナルプリンスを守り、
警備組織には、諜報活動をしてくれる、『協力者』でしかない。
その為、今では無闇に彼の手を振り解くことができないそうだ。
驚愕の事実を聞かされ、私は言葉が出なかった。
遙か頭上を轟音が通り過ぎていく。アイヴィー様が額に手を翳す。
「ゲッ。ゴメン、ラルちゃん…」
「どうなさいました?」
「ラルちゃんさ。ヒコーキ、乗んなくて良かったの?」
私は空を見上げる。銀色の機体が、遠く過ぎ去っていく。
「あははっ、お前でもたまにはバカやるんだな、レイナ」
携帯電話の向こうで、同僚のエメリーが爆笑している。
その日、私は最終便に乗り遅れ、ロレートに帰れなくなったのだ。
「悪かったな。陛下にちゃんと伝えてくれよ」
「解ってる…あ、陛下」
まずい。
「ええ、レイナ閣下からのお電話です。少しトラブルがあったそうで…」
エメリーが事情を伝えている。私は黙って待つしかなかった。
簡潔な説明が終わるとエメリーは「閣下とお話しになりますか? 陛下」と言い出した。
ああ、というお声が微かに聞こえた。エメリーの意地の悪い声が続く。
「閣下? 陛下と変わりますね?」
携帯が受け渡された気配がする。
「ラルヴィス?」
陛下のお声。私は反射的に頭を下げた。
「申し訳ありません、陛下。明朝のフライトで戻りますので」
「一日くらい構わんさ」
携帯越しのお声は、お叱りの口調ではなく、何でもない、という口調だった。
「それより、ラル。お前、今夜はどうするんだ? 島のゲストハウスにでも泊まるのか?」
「それが…」
責任を感じたアイヴィー様が「うちに泊まって」と申し出て下さった。
この島で、他に知り合いが居ない私は、お言葉に甘えさせて頂くことになってしまった。
今、私はアイヴィー様のリビングから電話をしているのだ。
私の車も、ご自宅の前に停めさせて頂いている。
目の前に居るアイヴィー様が『貸して』と手を出すので、携帯電話を渡した。
「あー、王様? うん。俺ー。オヒサシブリー。
あのさ、ラルちゃんのこと怒んないでよ? 俺が悪いんだから。
うん。ラルちゃんが、マフィアさんから俺のこと守ってくれたんだよ?
ホント、ホント。そーゆーわけで、今夜はラルちゃん、お預かりさせてね?
え? はははっ。何の心配してんの、王様。
王様を敵に回すわけないじゃん。ダイジョーブ。無事にお返ししますー。はーい。じゃーねー」
テーブルにはアイヴィー様の手料理が並んだ。
自信なさそうに置かれた皿は、どれも美味しそうだった。
アイヴィー様がビールを手酌しようとしたので、私は止めた。
「お注ぎします、アイヴィー様」
「え? あ、うん。ありがと…」
瓶を傾ける。金色の水がグラスに満ちていく。
注ぎ終わると、アイヴィー様は不思議そうに私を見ていた。
「何か?」
「あ、ううん…ラルちゃんみたいなヒトに、そーゆーふうに下手に出られると、ヘンな気分になっちゃうよ。
なんか、俺が王様になったみたいっていうかさ、そういうの、俺にはしなくてイイから。フツーにしてて?」
「…普通、ですか?」
「あ…ラルちゃんって、王様にはフツーにお酌したりしてんの?」
「はい」
「…そーなのか…くそう。王様め…羨ましいな、ちょっと」
「えっ?」
「あー、すいません、何でもナイです…。えと、ラルちゃんも飲むでしょ?」
「いいえ。私は」
「王様も居ないんだから、潰れちゃってもヘーキだよ? ベッド、そこだし。ね?」
突然、電子音が鳴り響いた。
「あちゃー。こんな時にマジかよー、もー! ばかー!」
腕時計に向かって叫んでいた。
「アイヴィー様?」
「あー、ゴメンネ。俺、ダンスパーティーにご招待されちゃったから、
ちょっと出てくるけど、ラルちゃんはうちでゆっくり…」
「警備の仕事ですね?」
「ん。そんなに数も多くないから、朝までには帰れると思うし」
「お供致します。私も武官です。お手伝いさせて下さい」
「そんな、ダメだよ…ラルちゃんにケガなんかさせたら、俺、王様に怒られちゃう」
「せめてもの宿泊料です。身体でお支払いします」
アイヴィー様は口許を手で覆った。
「…参ったなあ。んじゃ、絶対ケガしないでねっ」
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