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■ロレートシナリオ
***
王は寝室の窓から月を眺めていた。
いつからか、クセのように月を見てしまう。
今宵の月は、酷く欠けていた。
ノックの音に振り返ると、前髪が左目に掛かった。
「お待たせしました」
予想通りの声。入れ、と告げる。
開いた扉から見えたのは、少し毛先が跳ねた髪。
ウイスキーに合いそうなダークチョコレート色にも見えた。
「とりあえず、ワインをお持ち致しました。古くて、赤いのを」
「良い物を選んできたな」
「肴はチーズと、レイナ閣下の悪口、でいかがでしょう?」
王は笑みを見せる。
「お前のグラスも持って来ているか? エメリー」
「ええ。もちろん」
この夜、レイナは邸に居なかった。
明朝、学院までジョシュアを迎えに行く為、出国している。今頃は雲の上だろう。
王は機嫌良く杯に口付けていた。臣下も機嫌が悪いようにはとても見えなかった。
「なかなか強いな、エメリー」
「陛下には及びません」
「よく言う」
王が煙草を咥えると、臣下はさっと火を差し出す。
口髭がオレンジの炎に照らされる。
上唇を覆うようにできた影は、幻のように消えた。
寝室に紫煙が昇る。ひと息吐いた王は、煙草の箱を滑らせた。
「エメリー。我慢することはない。今宵は口煩いのも居ないしな」
「さすが。陛下はお優しい。ではお言葉に甘えて」
臣下は、頂戴致します、と言って一本抜き取る。王の前で煙草を咥えた。
口内でワインの酸味と煙草の苦味が混ざり、新たな旨味が創出される。
身体には害をもたらすだけの、中毒性の高い旨味、だからこそ美味い。
ソムリエがこの様子を見ていたら、さぞ軽蔑の眼差しを浴びせただろう。
ワインの香りを汚すニコチンは御法度だからだ。
茶髪の臣下がしみじみと言う。
「赤に合う一番の肴は、やっぱり煙草ですね。他の奴等には馬鹿にされるんですけど」
「ほう。子供だな。この毒の味が解らんとは」
「陛下だけですよ、そう言って下さるのは」
主から同意を得た臣下は、恭しくワインボトルを傾ける。
グラスはまだ空になっていなかったのだが、なみなみと注ぎ足した。
「最近、陛下が寝室に私をお呼びになること、増えましたね」
「そうか?」
「そうですよ。ま、レイナ閣下が居ない夜が、増えただけですけど。
自業自得ですよ、陛下。レイナ閣下を殿下の側に置いたのは陛下なんですから」
臣下は微笑を浮かべる。
「本当はご退屈でしょう? 私がお相手では。
あ、良いんですよ、隠さなくても。私は全然傷付きませんから」
「退屈そうに見えたか? 俺は有意義な夜を過ごしているつもりなのだがな」
「信じませんよ。お上手ですからね、陛下は」
「お前も、嫌なら嫌と言って良いぞ。俺も傷付かないからな」
「意地悪ですね、陛下。私は光栄ですよ? おかげでこんな古いワインがタダで頂けるので。
だけど、さっき廊下でラテに睨まれました」
「ホワイトか」
「あいつ、拗ねてるんですよ、陛下がなかなかラテを『ご注文』にならないから」
カーディスの側役は、全部で六人。執務の補佐、護衛を担う。
身の回りの世話についても彼等に任せている。この王が周りに、はべらせるのは男ばかり。
おかげで、浮いた噂のひとつも、王を狙う女もない。
六人のうち、最も王に近しい存在が側近ラルヴィス・レイナ。
側役の中でおそらく、王に最も心服している――と人目に映り易い――のはホワイトだ。
長髪長身の優男。その髪は敬愛する陛下に似せたのだろうと思われる。
普段は温厚で真面目だが、陛下のこととなると、やや神経質になるのが玉に瑕だった。
フルネームはブラウン・ホワイト。親が面白がって付けた名前らしい。
そのどっちつかずな姓名は、まるでカフェ・ラテ色。ラテはイタリア語でミルクを指す。
イメージや語感が彼の雰囲気にぴたりと合うので、気安い同僚達は彼を『ラテ』と呼んでいた。
「まあ、陛下のお気持ちも解りますよ。ラテじゃ従順過ぎて、物足りないんでしょう?
かと言って、私では生意気で喋り過ぎる。だから、レイナ閣下くらいが丁度良いんだ…当たりでしょう?」
陛下は軽く笑うだけで、肯定も否定もしなかった。
「そう僻むな、エメリー」
「僻んでません」
「今宵は、お前と大人の話がしたくてな」
「陛下が私と?」
「ああ」
臣下は笑顔を見せながら、余裕のある怖がり方をする。
「何だろう、怖いな」
「他言しないと誓うか?」
臣下は胸に手を置いて、頭を下げる。
「仰せのままに」
「よし。ラルヴィスにも、まだ言うなよ」
主が告げた言葉。
それまで、流れるように喋っていた臣下を、ぴたりと止めた。
「絶句しているな、エメリー。お前の忌憚無い意見を聞かせてくれないか?」
「陛下が『ロレートの為に』なんて…似合いません」
「正直な奴だな。ラルヴィスと親しいだけのことはある。
俺はお前達のそういうところが一番気に入っているんだ」
「陛下、お戯れではないんですか?」
「俺が酒に飲まれて、つまらんジョークを言っているように見えるか?」
問われて、また言葉を失う。王は静かに言った。
「俺の願い通り、上手く事が進んだ場合、エメリー、お前に…」
臣下は遮って、テーブルに両手を着いた。
「お断りします!」
立ち上がった振動でワイングラスが赤い波を立てる。
「どうしてラテじゃないんです? どうして俺が」
「お前が先程、自分で言っただろう?」
王はグラスに口付けた。
「俺には陛下の高尚なお考えがちっとも理解できません。
こんなことをして、一体誰が得をするんです?」
「決まっているだろう」王は窓を見上げる。
「ロレートの国民さ。これが、俺がロレートの為に出来る、最後の務めだ」
「陛下は『規格外の王』でしょう? 何、王様っぽいこと言ってるんですか?」
「お前も規格外の臣下だな。そんなことで王を叱る臣下が居るか」
エメリーは主の足許に跪いて、申し立てた。
「どうか、今一度お考え直し下さい、陛下」
主は臣下の頭部を見下ろし、薄く笑う。
「酷い嫌われようだな、俺も」
ぱっと顔を上げた臣下は、火を吐くように叫んだ。
「嫌いなんかじゃありません。今まで言ったことなかったですけどね、
これでも俺だって、あんたのことは、どの国より良い王様だと思ってる。
だから何年もお仕えしてんでしょうが。嫌な野郎にワインを注ぐと思いますか、この俺が」
王は可笑しそうに笑う。
「物凄い説得力だ」
「笑いごとですか?」
「すまん。感情的なお前を見るのは久しいものでな。
お前は普段から、そうしていればいいものを」
「口煩い上官の下に居るもんで。せめて人前では礼儀を弁えろって言われてるんです」
国王は残り少ない酒を飲み干す。空いたグラスは満たされない。
「陛下、考え直すおつもりは?」
「悪いが、ない。以前から考えていたことだ」
「本当に、レイナに決めさせるんですね?」
「ああ。それは約束する」
臣下は歯を噛み締め、顔を歪める。
「レイナには、いつ?」
「近いうちに。俺から言う」
王は窓を眺める。
欠けた月。何度見ても変わらない。
「残酷ですよ、陛下」
「エメリー。お前は、俺を買い被り過ぎだ」
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王は寝室の窓から月を眺めていた。
いつからか、クセのように月を見てしまう。
今宵の月は、酷く欠けていた。
ノックの音に振り返ると、前髪が左目に掛かった。
「お待たせしました」
予想通りの声。入れ、と告げる。
開いた扉から見えたのは、少し毛先が跳ねた髪。
ウイスキーに合いそうなダークチョコレート色にも見えた。
「とりあえず、ワインをお持ち致しました。古くて、赤いのを」
「良い物を選んできたな」
「肴はチーズと、レイナ閣下の悪口、でいかがでしょう?」
王は笑みを見せる。
「お前のグラスも持って来ているか? エメリー」
「ええ。もちろん」
この夜、レイナは邸に居なかった。
明朝、学院までジョシュアを迎えに行く為、出国している。今頃は雲の上だろう。
王は機嫌良く杯に口付けていた。臣下も機嫌が悪いようにはとても見えなかった。
「なかなか強いな、エメリー」
「陛下には及びません」
「よく言う」
王が煙草を咥えると、臣下はさっと火を差し出す。
口髭がオレンジの炎に照らされる。
上唇を覆うようにできた影は、幻のように消えた。
寝室に紫煙が昇る。ひと息吐いた王は、煙草の箱を滑らせた。
「エメリー。我慢することはない。今宵は口煩いのも居ないしな」
「さすが。陛下はお優しい。ではお言葉に甘えて」
臣下は、頂戴致します、と言って一本抜き取る。王の前で煙草を咥えた。
口内でワインの酸味と煙草の苦味が混ざり、新たな旨味が創出される。
身体には害をもたらすだけの、中毒性の高い旨味、だからこそ美味い。
ソムリエがこの様子を見ていたら、さぞ軽蔑の眼差しを浴びせただろう。
ワインの香りを汚すニコチンは御法度だからだ。
茶髪の臣下がしみじみと言う。
「赤に合う一番の肴は、やっぱり煙草ですね。他の奴等には馬鹿にされるんですけど」
「ほう。子供だな。この毒の味が解らんとは」
「陛下だけですよ、そう言って下さるのは」
主から同意を得た臣下は、恭しくワインボトルを傾ける。
グラスはまだ空になっていなかったのだが、なみなみと注ぎ足した。
「最近、陛下が寝室に私をお呼びになること、増えましたね」
「そうか?」
「そうですよ。ま、レイナ閣下が居ない夜が、増えただけですけど。
自業自得ですよ、陛下。レイナ閣下を殿下の側に置いたのは陛下なんですから」
臣下は微笑を浮かべる。
「本当はご退屈でしょう? 私がお相手では。
あ、良いんですよ、隠さなくても。私は全然傷付きませんから」
「退屈そうに見えたか? 俺は有意義な夜を過ごしているつもりなのだがな」
「信じませんよ。お上手ですからね、陛下は」
「お前も、嫌なら嫌と言って良いぞ。俺も傷付かないからな」
「意地悪ですね、陛下。私は光栄ですよ? おかげでこんな古いワインがタダで頂けるので。
だけど、さっき廊下でラテに睨まれました」
「ホワイトか」
「あいつ、拗ねてるんですよ、陛下がなかなかラテを『ご注文』にならないから」
カーディスの側役は、全部で六人。執務の補佐、護衛を担う。
身の回りの世話についても彼等に任せている。この王が周りに、はべらせるのは男ばかり。
おかげで、浮いた噂のひとつも、王を狙う女もない。
六人のうち、最も王に近しい存在が側近ラルヴィス・レイナ。
側役の中でおそらく、王に最も心服している――と人目に映り易い――のはホワイトだ。
長髪長身の優男。その髪は敬愛する陛下に似せたのだろうと思われる。
普段は温厚で真面目だが、陛下のこととなると、やや神経質になるのが玉に瑕だった。
フルネームはブラウン・ホワイト。親が面白がって付けた名前らしい。
そのどっちつかずな姓名は、まるでカフェ・ラテ色。ラテはイタリア語でミルクを指す。
イメージや語感が彼の雰囲気にぴたりと合うので、気安い同僚達は彼を『ラテ』と呼んでいた。
「まあ、陛下のお気持ちも解りますよ。ラテじゃ従順過ぎて、物足りないんでしょう?
かと言って、私では生意気で喋り過ぎる。だから、レイナ閣下くらいが丁度良いんだ…当たりでしょう?」
陛下は軽く笑うだけで、肯定も否定もしなかった。
「そう僻むな、エメリー」
「僻んでません」
「今宵は、お前と大人の話がしたくてな」
「陛下が私と?」
「ああ」
臣下は笑顔を見せながら、余裕のある怖がり方をする。
「何だろう、怖いな」
「他言しないと誓うか?」
臣下は胸に手を置いて、頭を下げる。
「仰せのままに」
「よし。ラルヴィスにも、まだ言うなよ」
主が告げた言葉。
それまで、流れるように喋っていた臣下を、ぴたりと止めた。
「絶句しているな、エメリー。お前の忌憚無い意見を聞かせてくれないか?」
「陛下が『ロレートの為に』なんて…似合いません」
「正直な奴だな。ラルヴィスと親しいだけのことはある。
俺はお前達のそういうところが一番気に入っているんだ」
「陛下、お戯れではないんですか?」
「俺が酒に飲まれて、つまらんジョークを言っているように見えるか?」
問われて、また言葉を失う。王は静かに言った。
「俺の願い通り、上手く事が進んだ場合、エメリー、お前に…」
臣下は遮って、テーブルに両手を着いた。
「お断りします!」
立ち上がった振動でワイングラスが赤い波を立てる。
「どうしてラテじゃないんです? どうして俺が」
「お前が先程、自分で言っただろう?」
王はグラスに口付けた。
「俺には陛下の高尚なお考えがちっとも理解できません。
こんなことをして、一体誰が得をするんです?」
「決まっているだろう」王は窓を見上げる。
「ロレートの国民さ。これが、俺がロレートの為に出来る、最後の務めだ」
「陛下は『規格外の王』でしょう? 何、王様っぽいこと言ってるんですか?」
「お前も規格外の臣下だな。そんなことで王を叱る臣下が居るか」
エメリーは主の足許に跪いて、申し立てた。
「どうか、今一度お考え直し下さい、陛下」
主は臣下の頭部を見下ろし、薄く笑う。
「酷い嫌われようだな、俺も」
ぱっと顔を上げた臣下は、火を吐くように叫んだ。
「嫌いなんかじゃありません。今まで言ったことなかったですけどね、
これでも俺だって、あんたのことは、どの国より良い王様だと思ってる。
だから何年もお仕えしてんでしょうが。嫌な野郎にワインを注ぐと思いますか、この俺が」
王は可笑しそうに笑う。
「物凄い説得力だ」
「笑いごとですか?」
「すまん。感情的なお前を見るのは久しいものでな。
お前は普段から、そうしていればいいものを」
「口煩い上官の下に居るもんで。せめて人前では礼儀を弁えろって言われてるんです」
国王は残り少ない酒を飲み干す。空いたグラスは満たされない。
「陛下、考え直すおつもりは?」
「悪いが、ない。以前から考えていたことだ」
「本当に、レイナに決めさせるんですね?」
「ああ。それは約束する」
臣下は歯を噛み締め、顔を歪める。
「レイナには、いつ?」
「近いうちに。俺から言う」
王は窓を眺める。
欠けた月。何度見ても変わらない。
「残酷ですよ、陛下」
「エメリー。お前は、俺を買い被り過ぎだ」
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