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■ロレートシナリオ
「大した毒舌美人だな、アンリ。明日の朝食も一緒にどうだ?」
「僕、朝は機嫌悪いよ?」
「それはぜひ愛でたいな」
「悪趣味な王様」
若き社長はクスリと笑って、食後酒に口付けた。
陛下とサン・ジェルマン様は顔を合わせた途端、軽口の応酬となった。
お二人を引き合わせた殿下は、そのご様子を微苦笑しながら見守っておられた。
陛下と殿下と、殿下のご学友の晩餐は母校の話題に端を発し、とても話が弾んでいた。
年は違えど、マージナルプリンス同士、やはり通ずるものがあるのだろう。
学院の昔と今。生徒代表室の様子。学院の友人の話。会社経営と世界の経済情勢について。
お話の中で、サン・ジェルマン様は、不幸にもお父上を亡くされ、
17歳ながらご当主であられると私は知った。
さながらこの会食は、トップ会談である。
ロレート公国の王、聖アルフォンソ学院の生徒代表、投資会社の経営責任者。
皆様の後方で控えている私などとは器が違う。
この場で、聖アルフォンソ学院の生徒ではないのは、私だけだ。
「なんだか、暑くなってきたな」
社長の雪のような頬は、僅かに色付いていた。
食後酒に陛下に勧められたロゼワイン。
その淡いピンクが仄かに透けて見えているかのようだ。
サン・ジェルマン様が、ちらりと殿下に視線を送る。
「少し外の風に当たりたいな。ねえ、王様? 庭を案内してくれない?」
「やれやれ。仰せのままに、美人社長」
陛下は笑いながら、腰を上げる。本当に庭をご案内されるらしい。
私はお供しようと一歩踏み出した時、陛下に名を呼ばれた。
「野暮な真似をするつもりか?」
私は踏み出した足を引く。
「失礼致しました、いってらっしゃいませ」
社長は殿下に「じゃ、20分ほど王様を借りるね」と言って庭に向かった。
晩餐の終わった広い一室に、殿下と私が残された。
殿下のコーヒーカップが空いている。
「殿下、もう一杯コーヒーをお飲みになりますか?」
「あ、いいえ。あの、ラルヴィスさん」
焦茶色の水面に視線を落としながら、私を名前でお呼びになった。
「すみません。いけないことだとは思うんですが、
カーディスが戻ってくる前に、貴方と行きたいところがあるんです」
「どちらでしょう?」
深紅の瞳が正面を向く。
「カーディスの寝室に」
「えっ?」
「貴方のピアノを、この前カーディスに聞かせていた曲を、俺にも聞かせてくれませんか?」
***
夜の庭園は、昼間とは雰囲気が変わっていた。
真四角のタイルでできた通路に沿って、白く丸いライトが灯っている。
その白光を受け、綺麗に剪定された木々が、ぽうっと光っているのだ。
暗闇の中でぼんやりと光る木々は、幻想的でさえあった。
「ふうん。なかなか悪くない庭だね」
「ああ。腕の良い庭師が手入れしてくれているからな」
タイルの上を歩いている二人分の足音。
17歳の後輩が先を歩き、その後ろを36歳の先輩がゆっくり追い駆ける。
冷たい夜風が、少し火照ったアンリの頬を撫でていく。青い香りがした。
見上げると、古代ギリシャの時代から栄光の証と崇められている葉が鳴っていた。
「月桂樹もあるんだ。さすがは、古くから聖アルフォンソ学院に
子息を輩出してきた、由緒正しきロレート大公家だね?」
「まあな。だが、残念ながら、これは島にあるものと全く同じものではない。
あの月桂樹はあの島でしか育たない亜種だそうだからな。それで、アンリ?」
王はポケットに手を入れる。
「俺と無理に二人きりになって、何を話したいんだ?」
後輩も歩くのを止め、後ろを振り向く。先輩は軽い笑みを浮かべ、
「優等生には刺激の強い話か?」
アンリもポケットに手を入れて、話し始めた。
「僕、ジョシュアに貴方の話を聞いてから、興味深い人物だなって思ってたの」
「お前のような悪ガキに興味を持って貰えるとは光栄だな」
アンリは国王を軽く睨んでから、本題となる質問を投げ掛けた。
「ねえ。王様はグラントのこと、これっぽっちも憎くないの?」
「俺が?」
「悪いけれど、率直に言わせて貰うよ。僕が王様と同じ立場なら、
きっと、クリスティーナ嬢のことを憎んだだろうから。
貴方の兄上がグラントの令嬢にさえ出会わなければ、貴方は平和に暮らせた筈だ。そうでしょう?」
「心配するな、アンリ。俺はジョシュアを、
お前の友を傷付けるつもりも、誰かに傷付けさせるつもりもない」
琥珀の瞳は王の心を探るように、きっ、と見据えている。
「本当かな? これから毎日あの令嬢と同じ、緋色の瞳を向けられても?」
「当たり前だろう」
「どうして?」
王の長い髪が夜風に揺れる。決まっている、と王は笑った。
「あいつは、王などという面倒事を引き継いでくれる、大切な後継者だからさ」
***
「素敵でした。聞かせて下さって、ありがとうございます」
王の居ない、王の寝室で開かれたささやかな演奏会。
僭越ながら演奏者を仰せ付かったのは私。
曲が終わり、頭を下げると、殿下は拍手までして下さった。
「やっぱり優しい音ですね、ラルヴィスさんのピアノは。すごく癒されました」
称賛を浴びて私は戸惑っていた。
陛下は度々私に弾けとお命じになるが、
拍手やお優しいお言葉を頂いたのは、大分昔のことだ。
「拙い演奏をお聞き頂き、ありがとうございました」
「拙いなんて」殿下は私の手を取った。
「ラルヴィスさんのピアノを眠る前に聞けたら、
きっと良い夢が見られると思います。とても安心する音色でした」
あたたかい手の温もり。殿下は、あっ、と言って手を離した。
「すみません、俺…」
「あ、いえ」
ピアノの前で私達は立ち尽くしていた。時計の秒針がコツリと音を立てる。
私は今更ながら、この時間に罪悪感を覚えた。
陛下の許可もなく、殿下をお通ししてしまったことも、陛下以外の御方の前でピアノを弾いたことも。
他の人間にピアノを聞かせるな、と言われたことはなかったが、
それでも、今までこの指は陛下だけのものだったのだ。私は白と黒の鍵盤に蓋をする。
「殿下、そろそろここを出ましょう。陛下がお庭から戻られます」
私はピアノの前から離れ、出口へ向かう。ドアを開けるのは臣下の役目だ。
「ラルヴィスさん」
殿下のお声が、左の耳許で聞こえた。
ドアノブに置いた右手が、殿下の右手で押さえられている。
「俺の寝室にもピアノがあったら、また弾いてくれますか? 俺の為に」
主にそう尋ねられて、否と言える臣下が居るだろうか。
「殿下が、お望みであれば」
臣下はご用意せざるを得ない。
→16-2
「大した毒舌美人だな、アンリ。明日の朝食も一緒にどうだ?」
「僕、朝は機嫌悪いよ?」
「それはぜひ愛でたいな」
「悪趣味な王様」
若き社長はクスリと笑って、食後酒に口付けた。
陛下とサン・ジェルマン様は顔を合わせた途端、軽口の応酬となった。
お二人を引き合わせた殿下は、そのご様子を微苦笑しながら見守っておられた。
陛下と殿下と、殿下のご学友の晩餐は母校の話題に端を発し、とても話が弾んでいた。
年は違えど、マージナルプリンス同士、やはり通ずるものがあるのだろう。
学院の昔と今。生徒代表室の様子。学院の友人の話。会社経営と世界の経済情勢について。
お話の中で、サン・ジェルマン様は、不幸にもお父上を亡くされ、
17歳ながらご当主であられると私は知った。
さながらこの会食は、トップ会談である。
ロレート公国の王、聖アルフォンソ学院の生徒代表、投資会社の経営責任者。
皆様の後方で控えている私などとは器が違う。
この場で、聖アルフォンソ学院の生徒ではないのは、私だけだ。
「なんだか、暑くなってきたな」
社長の雪のような頬は、僅かに色付いていた。
食後酒に陛下に勧められたロゼワイン。
その淡いピンクが仄かに透けて見えているかのようだ。
サン・ジェルマン様が、ちらりと殿下に視線を送る。
「少し外の風に当たりたいな。ねえ、王様? 庭を案内してくれない?」
「やれやれ。仰せのままに、美人社長」
陛下は笑いながら、腰を上げる。本当に庭をご案内されるらしい。
私はお供しようと一歩踏み出した時、陛下に名を呼ばれた。
「野暮な真似をするつもりか?」
私は踏み出した足を引く。
「失礼致しました、いってらっしゃいませ」
社長は殿下に「じゃ、20分ほど王様を借りるね」と言って庭に向かった。
晩餐の終わった広い一室に、殿下と私が残された。
殿下のコーヒーカップが空いている。
「殿下、もう一杯コーヒーをお飲みになりますか?」
「あ、いいえ。あの、ラルヴィスさん」
焦茶色の水面に視線を落としながら、私を名前でお呼びになった。
「すみません。いけないことだとは思うんですが、
カーディスが戻ってくる前に、貴方と行きたいところがあるんです」
「どちらでしょう?」
深紅の瞳が正面を向く。
「カーディスの寝室に」
「えっ?」
「貴方のピアノを、この前カーディスに聞かせていた曲を、俺にも聞かせてくれませんか?」
***
夜の庭園は、昼間とは雰囲気が変わっていた。
真四角のタイルでできた通路に沿って、白く丸いライトが灯っている。
その白光を受け、綺麗に剪定された木々が、ぽうっと光っているのだ。
暗闇の中でぼんやりと光る木々は、幻想的でさえあった。
「ふうん。なかなか悪くない庭だね」
「ああ。腕の良い庭師が手入れしてくれているからな」
タイルの上を歩いている二人分の足音。
17歳の後輩が先を歩き、その後ろを36歳の先輩がゆっくり追い駆ける。
冷たい夜風が、少し火照ったアンリの頬を撫でていく。青い香りがした。
見上げると、古代ギリシャの時代から栄光の証と崇められている葉が鳴っていた。
「月桂樹もあるんだ。さすがは、古くから聖アルフォンソ学院に
子息を輩出してきた、由緒正しきロレート大公家だね?」
「まあな。だが、残念ながら、これは島にあるものと全く同じものではない。
あの月桂樹はあの島でしか育たない亜種だそうだからな。それで、アンリ?」
王はポケットに手を入れる。
「俺と無理に二人きりになって、何を話したいんだ?」
後輩も歩くのを止め、後ろを振り向く。先輩は軽い笑みを浮かべ、
「優等生には刺激の強い話か?」
アンリもポケットに手を入れて、話し始めた。
「僕、ジョシュアに貴方の話を聞いてから、興味深い人物だなって思ってたの」
「お前のような悪ガキに興味を持って貰えるとは光栄だな」
アンリは国王を軽く睨んでから、本題となる質問を投げ掛けた。
「ねえ。王様はグラントのこと、これっぽっちも憎くないの?」
「俺が?」
「悪いけれど、率直に言わせて貰うよ。僕が王様と同じ立場なら、
きっと、クリスティーナ嬢のことを憎んだだろうから。
貴方の兄上がグラントの令嬢にさえ出会わなければ、貴方は平和に暮らせた筈だ。そうでしょう?」
「心配するな、アンリ。俺はジョシュアを、
お前の友を傷付けるつもりも、誰かに傷付けさせるつもりもない」
琥珀の瞳は王の心を探るように、きっ、と見据えている。
「本当かな? これから毎日あの令嬢と同じ、緋色の瞳を向けられても?」
「当たり前だろう」
「どうして?」
王の長い髪が夜風に揺れる。決まっている、と王は笑った。
「あいつは、王などという面倒事を引き継いでくれる、大切な後継者だからさ」
***
「素敵でした。聞かせて下さって、ありがとうございます」
王の居ない、王の寝室で開かれたささやかな演奏会。
僭越ながら演奏者を仰せ付かったのは私。
曲が終わり、頭を下げると、殿下は拍手までして下さった。
「やっぱり優しい音ですね、ラルヴィスさんのピアノは。すごく癒されました」
称賛を浴びて私は戸惑っていた。
陛下は度々私に弾けとお命じになるが、
拍手やお優しいお言葉を頂いたのは、大分昔のことだ。
「拙い演奏をお聞き頂き、ありがとうございました」
「拙いなんて」殿下は私の手を取った。
「ラルヴィスさんのピアノを眠る前に聞けたら、
きっと良い夢が見られると思います。とても安心する音色でした」
あたたかい手の温もり。殿下は、あっ、と言って手を離した。
「すみません、俺…」
「あ、いえ」
ピアノの前で私達は立ち尽くしていた。時計の秒針がコツリと音を立てる。
私は今更ながら、この時間に罪悪感を覚えた。
陛下の許可もなく、殿下をお通ししてしまったことも、陛下以外の御方の前でピアノを弾いたことも。
他の人間にピアノを聞かせるな、と言われたことはなかったが、
それでも、今までこの指は陛下だけのものだったのだ。私は白と黒の鍵盤に蓋をする。
「殿下、そろそろここを出ましょう。陛下がお庭から戻られます」
私はピアノの前から離れ、出口へ向かう。ドアを開けるのは臣下の役目だ。
「ラルヴィスさん」
殿下のお声が、左の耳許で聞こえた。
ドアノブに置いた右手が、殿下の右手で押さえられている。
「俺の寝室にもピアノがあったら、また弾いてくれますか? 俺の為に」
主にそう尋ねられて、否と言える臣下が居るだろうか。
「殿下が、お望みであれば」
臣下はご用意せざるを得ない。
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