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Marginal Prince Short Story
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■ソクーロフ アイヴィー
「楽しかったか? フィンシャル・バザーは」
学院のタクシードライバーはハンドルを握りながら、後部座席にそう尋ねた。
聖アルフォンソ島、最大の街フィンシャルでは、年に四回、広場でバザーが行われる。
島民も生徒も楽しみにしているイベントだ。
「楽しかったよ! 掘り出し物がたくさんあったんだ! 素晴らしいね、リサイクルは!」
今日の乗客はシュヌーシア寮の三人。元気良く答えたのは、高等部二年のテオ。
「で、なんか、イイモン買えたのか?」
ドライバーにそう聞かれ、テオは座席から乗り出した。
「そうなのだよ! 見ておくれ、アイヴィー! このデミタスカップ!」
運転中のドライバーは赤信号で止まってからチラッと視線を落とす。
白のシンプルなデザイン。エスプレッソ用の小さなカップが二つ。
「ペアのカップが欲しいなと思っていたところだったんだ」
「へえ。そいつは良かったな」
「うん!」
大事そうに抱えて、後部座席に凭れた。アイヴィーは他の二人に尋ねる。
「レオンとラビットも、お買い物したのか?」
「うん。あのね、優しいおじいさんが居てね」
中等部一年のラビットが、ぼそぼそ話し出したところで、同じく一年のレオンが、叫んだ。
「あー! ちょっと、車止めてー!」
「ど、どうした?」
「あそこ! アイスクリームの車が停まってる! 俺、あれ、食いたい!」
ピンク地に白の水玉模様の移動販売車。あたたかくなってくると見掛ける車だ。
ラビットとテオも釘付けになっている。
「アイス? 僕も食べたい!」
「私も! アイヴィー、向かってくれるかい?」
運転手は「わーったよ」とハンドルを切った。


月が月桂樹の森を照らしている。
生徒が歩いていない森では、あちこちで夜行性の動物達の目が光っていた。
森の中腹にある泉。その傍らに場違いな木が一本だけ佇んでいる。
冷たい夜風が葉を一枚落とした。真っ暗な水面が揺れ、満月がぼやける。
森から少し離れた建物には人工の光が灯っている。
保健室の窓にはまだ明かりが付いているのが見えた。
とっくに勤務時間が終わっているにも関わらず、保健医はここに居た。
スタニスラフ・ニコライエヴィッチ・ソクーロフ。
学院の保健教師兼、カウンセラーは、
気に入りのクラシック・セレクションを掛けながら、机に向かっている。
頬を拳で支えながら、途切れ途切れにペンを走らせる。
カチャ、と音がしてカセットテープが止まる。A面が終わったようだ。
それを聞いてカウンセラーはペンを置いた。
部屋の中が肌寒いのに気付いて、ゆっくりと窓辺に向かう。
室内室外温度計の数値を眺めた後、窓の外を見上げた。
今夜の月は位置が低い。畏怖を感じさせる、大きな満月。
アメリカのロマンチストな精神科医が唱えた、非科学的な理論が思い出される。
“月は人を狂わせる”
黒にくっきりと浮かぶ白。昨日雨が降ったせいか、夜空が澄んで見える。
音楽のない部屋で一人、保健医は呟いた。
「嫌な夜だ」
保健室のドアがノックされた。コン、コン、コン、と小気味良く三回。
入りたまえ、と言う気が失われる。黙っていても勝手に開くと解っているからだ。
「ソークーちゃん。あー、居た居たー」
ドアを開けた金髪の男は、ニコニコと入ってくる。
アイヴィーと名乗っている、学院の専属ドライバー兼、警備担当者だ。
「ねえ、ねえ。カレー、好きー?」
保健室に居たのは保健教師一人。白衣の男はつまらなさそうに、
「なんだ?」
「あのね、フィンシャルに新しいカレー屋さんができたんだって。今晩、味見に行かない?」
「新しい店か」
「カレーだけじゃなくて、焼きたてのナンもウマイって街で評判になってた。
コックさんは本場のインド人らしいよん。もうウマイの間違いなしってかんじ」
「客のフリをして新店舗の視察か、ご苦労なことだな」
「正式な視察は終わってるよ」
「ほう。二度行かなくてはいけない理由でも?」
「無い無い。俺がカレー食べたいだけ」
「なら、一人で行け」
「もー、んなイジワル言ってないでさー」
保健室の固定電話が鳴る。顔を見合わせた後、保健医は受話器を取った。
アイヴィーは静かに見守る。保健医はこれだけ言った。
「解った。すぐに行くよ。クラウス、部屋の窓を半分程開けておいてくれるかい? うん。頼むよ」
受話器を置くと、すぐに革鞄に必要な物を揃え始めた。
「シュヌーシアにお呼ばれしちゃった?」
金髪の男が尋ねると、保健医は背中を向けたまま、
「ああ。ラビットが発作を起こした。あの子は生まれつき、小児喘息を持っている」
手早く用意を終えた保健医が振り向く。
「カレー屋には行けないぞ」
「あ、うん。そだね。じゃあ俺は……」
「待て。誰が帰って良いと言った? お前も来い。手伝え」
「えっ? でも俺、医師免許持ってないし」
「お前はタクシー代わりだ。おそらくラビットを保健室に運ぶことになる。お前が背負え」
金髪の男はフッと笑う。
「ソクちゃんってば、いっつも俺のカラダ目的」
「他にお前の使い道があるか? 行くぞ」


第三学生寮シュヌーシア。保健室から一番近い寮だ。
ドアを開けたところで、クラウスが待っていた。
今年の生徒代表は、このシュヌーシア寮の最高学年だ。
場違いなタクシードライバーを見て、眉間に皺を寄せる。
「助手として連れてきたんだ。ラビットを保健室に運ぶ為にね」
ソクーロフ博士がそう言うと、一応、納得してくれたみたいで、
クラウスは「こちらです」とラビットの部屋まで案内してくれた。
歩きながら医師はクラウスに尋ねる。
「ラビットの発作に気付いたのは君かい?」
「いえ。レオンです。ベッドに入った時に、宿題があったことに気付いたようで、
ラビットに答えを写させて貰おうと、部屋を訪ねたんです」
生真面目な眉間に皺が寄る。
「おかげで発作の発見が早かったわけですが、
宿題の答えを写そうなどと考えた点については、後で俺から叱っておきます」
ラビットの部屋の前には、パジャマ姿の生徒達が居た。
廊下から、心配そうに部屋の中を伺っている。
そのうちの一人が、医師の到着に気付く。
「あっ! 先生が来たよ!」
生徒達は、ほっとした表情を見せた。
身体の弱い生徒が多いこの寮では特に、この医師は絶大な信頼を得ていた。
生徒の間を通って、クラウス、ソクーロフ、アイヴィーが部屋の中に入る。
寮では見慣れぬタクシードライバーの登場に、生徒達は一瞬「えっ?」という顔をするが、
そんなことより今は、と博士の一挙一動に視線が集まった。
部屋の中は肌寒かった。医師の言い付け通り、窓はきっちり半分開けられている。
おかげで室内は既に換気され、空気は澄んでいる。
ラビットはベッドの上で横になっていた。
雪のように透き通る肌に、サラサラとした栗毛。
ベッドの傍には、テオとレオンが居た。
「博士! ラビが! ラビがぁー!!」
テオが縋り付くように医師に迫る。
「寝る前になって、急に苦しみ出して!」
心配で胸が潰れそうと言わんばかりに目に涙を浮かべている。
「落ち着きなさい、テオ。私が来たのだから」
「ああ! なんて頼もしいお言葉!」
ラビットはウサギのぬいぐるみを抱き締めながら、苦しそうに肩を上下させている。
息を吐く時に、ヒュー、ヒュー、という喘鳴(ぜんめい)がしている。
ラビットは紫色に近い唇で「せん、せ……」と切れ切れな声で医師を呼んだ。
ソクーロフはベッドの前で膝を着き、優しい顔を見せる。
栗毛をそっと撫でながら「大丈夫だからね」と言った。
医師が患者の診察している間、周りの生徒達は息を飲んで見守っていた。
「一時的な発作のようだから、薬を飲めばすぐに良くなるよ。さあ、君達」
生徒達を振り向く。優しい先生の笑顔を見せる。
「ラビットを心配してくれてありがとう。後は私に任せて、君達は部屋に戻って休みなさい?
今夜は冷えるから、あたたかくして寝るんだよ?」
先生にそう言われた生徒達は、名残惜しそうにしながらも、
「はーい」「おやすみなさーい」と言うことを聞いて、部屋に戻って行った。
ラビットをアイヴィーの背に乗せる。
クラウスが医師に頭を下げる。
「ありがとうございます、博士。いつもすみません」
「良いんだよ。いつも迅速に知らせてくれてありがとう、クラウス」
「いえ。後輩の面倒を見るのは上級生の責任ですから」
「毎年思うが、シュヌーシアは面倒見の良いお兄さんに恵まれて、弟達は幸せだ。ではラビットをお預かりするよ」
「はい。よろしくお願いします」


保健室。薬を飲んだ後、ラビットの呼吸は次第に元に戻っていった。
今はベッドで規則的な寝息を立てている。先生の手が生徒の頭をそっと撫でる。
「おやすみ、ラビット」
電気を消した。
医師が二階のベッドルームから下りてくる。
診察室には買い出しから戻ったアイヴィーが居た。
缶コーヒーを飲みながら、簡易ベッドに腰掛けて寛いでいる。
ソクーロフの顔を見て、ひょいと缶を掲げる。
「眠った? ウサギちゃん」
「ああ」
「ヨカッタ」
医師は自分の椅子に座る。保健室の異変に気付いた。
「おい、この匂いは」
普段は薬の香りがする診察室が食べ物の匂いで侵されている。
デスクには、ビニール袋が乗っていた。アイヴィーは笑顔で「じゃーん」と取り出した。
二人分のカレーとナン。ラッシーと呼ばれる、ヨーグルトドリンクまである。
「お前、新しいカレー屋とやらまで行ってきたのか?」
「うん。テイクアウトもできんだね。美味かったら通っちゃおうかなー。ソクちゃん、中辛と辛口どっちがイイ?」
「どちらでも」
「じゃー、中辛ね。俺、辛口にチャレンジする」
ガサガサと袋から出した。


夜中の診察室で、大人二人がカレーを食べている。
「まだあったかいね」などと、はしゃぎつつ、
アイヴィーはカレーとラッシーを交互に口に運んでいた。
「ラビットはさ、よくこうやって発作を起こすの?」
ソクーロフは特にテンションが上がる様子なく、黙々とナンをちぎって、上品に食している。
「いや。ラビットは間欠型だ」
「カンケツ型?」
「毎日、発作を起こすのではなく、時々しか起こらないという意味だ。
喘息の重症度から言えば、最も軽症のグループに位置する」
「じゃあ、今日はなんで」
「複数の要因が考えられる。外的要因で言えば、先ずは気候だな。
今日は昨日より5度も気温が低い上に、雨上がりで湿度が高い。喘息の発作を誘発する確率の高い日だ」
アイヴィーはラッシーのストローを銜えながら聞いていたが、あっと言って離した。
「だから、俺がカレー屋さん行こうって言った時、一人で行けって……」
「それから、あのぬいぐるみ」
「あ、ウサギの?」
「ああ。今日のバザーで貰った物だと言っていた。
ラビットが気に入って見ていたら、それならタダでいいよ、と言われたそうだ。
少し汚れていた。あれからホコリやダニを吸い込んだのかもしれない。
他に何か心理的な負荷が掛かった可能性もある」
アイヴィーは、ひー、と舌を出す。
「ね、やっぱ交換して?」
「何を」
アイヴィーは自分のカレーを差し出す。
「辛口、カラかった。俺、そっちの中辛食べたい」
カレーがトレードされる。
交換したカレーをアイヴィーがひと口食べる。
「あ、コッチのがウマイ」
ソクーロフは辛口を食べても、表情が変わることもなく、黙々と口に運んでいた。
「それを食べたら、お前はもう帰って良いぞ。用済みだからな」
「使い終わったらポイ捨てかよ。リサイクルの時代なんだぞ、今は」
「お前に優しくする必要はない」
酷いオトコ、とアイヴィーは笑った。
「ソクーロフ先生は? ホントに今夜は寝ないで看るつもり?」
「当たり前だ。夜間の喘息は、二、三度繰り返す可能性があるからな」
アイヴィーは腕時計を眺める。
「じゃあさ、三時間ずつ、俺と交代で寝るっての、どう?」


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