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■何でもない日(1) 続編
何でもない夜が明け、また何でもない朝が来た。
今日は金曜日。週に一度の神秘学がある日だ。
「これ、借りてた本。返す」
講義が終わり、他の生徒が居なくなった後で、僕は教授に本を返した。
黒板を消し終わった教授が僕の傍まで来る。
「面白かったかい?」
「あまり」
教師は紳士的な微笑みを見せる。
「アンリのお口には合わなかったか。では他の本を貸そう。研究室に寄ってくれるかね?」
僕は彼と目を合わさず、テキストをブックバンドでまとめる。
「今日はダメ。用事があるから」
「おや。ご機嫌斜めのようだね、アンリ。もしや、彼とケンカでもしたのかい?」
「ケンカ? 誰と?」
「ユウタだよ。彼から貰ったウサギのお守り、今日はどうして付けてないんだい?」
普段はブックバンドに、ウサギのマスコットをぶら下げているのだが、今日はない。
「なくしただけ」
僕は教室を後にした。
放課後のウーティス寮サロン。
生徒達は今日一日の授業を終え、皆自由にくつろいでいた。
今、サロンに居るのはジョシュア、アルフレッド、ハルヤ、ユウタの四人。
その中で一人だけキョロキョロと落ち着かない様子の生徒が居る。高等部一年の日本人、ユウタだ。
「まだかなあ」
その小さな呟きに眼鏡の日本人が気付く。クッキーをほうばっていたハルヤだ。
「誰か待ってるの?」
ユウタはこくんと頷く。
「アンリを。勉強教えて貰おうと思って」
「へえ。珍しいね、アンリになんて」
「うん。もう少し仲良くなれたら良いなって。
俺、アンリには相手にされてないってかんじでしょ?」
「うーん。そんなことないと思うけど。てゆうか、去年に比べたら、
アンリ、大分話してくれるようになったし。昔はもっと無口だったらしいよ?」
「そうなの?」
「おい、ユウタ、勉強なら俺に聞けよ!」
アルフレッドがユウタの肩に腕を回してウインクした。
「演劇の基礎から女の子の口説き方まで、何でも教えてやるぜ?」
「それって、守備範囲がかなり限定されてるような」
「あーっ!? お前まで俺をバカ扱いすんのかー?」
「してないよー。でも、俺が知りたいのは情報学だし、レッドだとちょっと不安かなって」
「バカにしてんじゃねーかよー!」
「あははっ。レッド、くすぐったいよー」
最上級生のジョシュアが苦笑しながら、やんわりと仲裁に入る。
「アンリなら少し遅れて来るかもしれないよ、ユウタ。神秘学の後だからね」
「え、どうして神秘学の後だと遅くなるの?」
「教授の研究室に寄って行くことがあるんだよ。アンリは神秘学の教授とは親しいから」
「ああ、あの不思議な先生か。そう言えば仲良さそうだったな」
廊下で先生とアンリが二人で話してるのをユウタは見かけたことがある。
アンリが先生に何か毒づいているみたいだった。それを先生は微笑みながら聞いていたのだ。
「あの先生は、どうやってアンリと仲良くなったのかな?」
「あいつの一番好きな講義が神秘学だからだろ? 俺にはさーっぱり解らない授業だったけどな」
アルフレッドが手の平を空に向けて、首を横に振る。
いかにも外国人なオーバーリアクションも、アルフレッドがやると、様になっていた。
「研究室に行ったんなら、もう少し待ったら帰ってくるかな、アンリ」
「アンリでしたら、街へおでかけみたいでしたよ?」
突然、ユウタの背後からシルヴァンの声がした。いつのまにかサロンに入っていたようだ。
「シルヴァンはアンリを見たの?」
「はい、先程、門の近くで擦れ違いましたから」
そう言いながらアルフレッドの隣に座る。
「ってことは、シルヴァン! お前、教室に来ねえと思ったら、街に行ってたのか!?」
「ええ、ちょっと。アイヴィーのパスタが急に恋しくなりましてね」
「シルヴァン、アイヴィーのパスタ食べたの? それなら俺も誘って欲しかったな」
「すみません、ハルヤ。でも、パスタは食べられなかったんです。
アポなしで行ったら、お留守だったみたいで。今度は一緒に食べに行きましょうね?」
「ハルヤだけじゃなくて俺も誘えよ!」
「解ってますよ、レッド。今度はみんなで行きましょう」
聖アルフォンソ島の新市街。
シュヌーシア寮のシルフェ、レオン、ラビが一緒に買い物に来ていた。
シルフェは右手に細長い箱を持っている。
街まで出てきたついでに、シュークリーム専門店で、寮生へのお土産を買ったのだ。
「やっぱ、街に来る時は制服に限るよなー」
今日のシルフェはご機嫌だ。その隣を歩くレオンは、少しご機嫌斜めな様子で、
「なんでだよ?」
「マージナルプリンスは、文字通りこの島の王子サマだからさ。
さっきのシュークリーム屋でも二個多く入れて貰えたろ?」
「制服はカンケーなくね? てめーがキザなセリフとか言って、
店のおばちゃんをたぶらかすから、オマケしてくれたんだろ?」
「珍しいじゃん? レオンが俺のこと褒めてくれるなんて」
「バカにしてんだよ。つーか、なんでシルフェまで来んだよ」
「ラビとのデート、ジャマしちゃった?」
「デ、デートなんかじゃねえ!」
「なら、イイじゃん。ん?」
ラビの視線にシルフェが気付く。雑貨店のウインドウを見ていた。
「ラビ。その店、気になるのか?」
「あ、うん、ちょっと」
「なら、遠慮しないで言えよ。おい、レオン!」
前方を歩くレオンを呼び止めた。
「あ?」
「ラビが、ここ見たいってさ。寄ってこうぜ」
「ここぉ? オンナが行く店じゃねえの?」
「じゃー、俺とラビだけで入ろーっと。行こうぜ、ラビ」
「ちょ、俺も行くー!」
店内にはアメリカ風のカントリー雑貨やぬいぐるみなどが綺麗にディスプレイされていた。
レオンは辺りを見回して、あからさまにイヤな顔をした。
「うっわ。ここ、完全にお嬢様とかマダムが来る店じゃん。俺達、場違い過ぎね?」
居心地悪そうにしているレオンに対し、シルフェは余裕で歩いている。
「可愛いカノジョへのプレゼントを買いに来ましたーてな顔してりゃあいいんだよ。
ラビは慣れてるかんじだな? こういう店、好きなのか?」
「えっとね、ママがこういうお店好きなの。
イタリアに居た時は、ママがよく連れてってくれたから。懐かしいなって思って」
「ふうん。ラビのママなら、なんか似合いそうな気がする」
ラビとシルフェがそんな話をしている間、レオンは一人で機嫌の悪い顔をしていた。
店の中を歩いていると、ある場所でラビの足が止まった。
ウサギの置き物がたくさん並んでいるコーナーだ。
「お前、ウサギ好きだなー。リサイクル市に行った時もウサギのぬいぐるみガン見してたし」
「ウサギ好きは、ラビだけじゃないぜ。ウーティスには三人も居る」
「三人も?」
「あ、僕、解るよ。シルヴァンとアンリとユウタでしょ?
みんな、同じウサギさんが好きなんだよ」
「ああ。シルヴァンは、パーティでもウサギの着ぐるみ着てたしな」
「あとね、アルファルドにも、同じウサギさんが好きな人居るよ。
ウサギさんのチョコをね、いっぱい買ってたの。僕、見たんだ」
「そんなに、人気あったのか、そのウサギ。てか、どんなの?」
「赤い目で、お口が大きいの。ちょっとコワイかんじ。僕はもっとカワイイほうが好きだなあ」
たくさんのウサギの前で、シルフェが尋ねる。
「ラビは、この中でどれが一番好きなんだ?」
木製のテーブルの上に20個程陳列されているウサギの置き物。
手作りの品らしく、笑顔や泣き顔など、ひとつひとつ顔の表情が違った。
「うんっと。えっと、僕はこれが好き!」
笑顔のウサギを指差した。
「イイねえ、可愛くて。レオン、ちなみにお前は?」
「俺? そうだなあ、俺はこの怒ってるかんじのヤツ」
「すさんでるなあ、お前は。ココロがすさんでる」
「お前に言われたくねえし」
その後も店を一回りしたが、ラビは結局、何も買わなかった。
「そろそろ出ようぜ」とレオンが言った時、
シルフェは「ここでちょっと待ってな」と言って、一人で店の奥に向かった。
「シルフェ、どうしたのかなあ」
「トイレじゃね?」
二人の元に帰ってきたシルフェは、小さなプレゼントをラビに差し出した。
「え? なあに? シルフェ」
「開けてみな?」
簡易包装の袋を開ける。中から出てきたのは、笑顔のウサギ。
先程、ラビが好きだと言った置き物だった。
「それ、ラビに似合うし、欲しそうだったからさ。俺からプレゼント」
「いいの?」
「ああ。高いモンでもなかったし」
「ありがと! 大事にするね」
「てめえは……何カッコつけてんだよ、シルフェ!」
「お前は俺サマを見習えよ。男ならプレゼントのひとつやふたつ、
このくらいスマートにできないとな? 特に大切な人へは。
将来、役に立つこと言ってやってんだから覚えておけよ、レオン」
「でも、プレゼントって……誕生日でも何でもない日にかよ?」
「昨日もパーティをやってみせただろ? 何でもない日だからサプライズになるんだろうが。
プレゼントされて嬉しくないヤツが居るか? ほい」
ラビにあげたものと同じ袋をレオンに差し出した。
「何コレ。俺にもかよ?」
包みを開ける。中身はレオンが好きだと言った怒り顔のウサギだった。
「お前はラビのついで、だけどな」
シルフェはレオンの頭をポンと叩く。
「次は本屋に行っていいか? 俺、読みたい雑誌あるんだ」
新市街のオープンカフェ。
顎鬚を蓄えたイタリア顔の男と、フランス人形のような美少年。
前者は彫りが深く浅黒い肌、後者は陶器のような白肌。年齢で言えば三十代と十代だろう。
あまりにも対照的な二人組が、ひとつの丸テーブルに着き、向かい合って座っている。
近くを通った客に振り向かれたり、指を差されてヒソヒソ囁かれてる。
その視線に対し、美少年は完全無視の姿勢を貫いていたが、いい加減うんざりしていた。
「何故こんな目立つ場所を選んだの?」
イタリア男は葉巻を吹かした。甘い香りが立ち昇る。
「この前ちょっと寄った時、ここのパニーニがウマかったからさ」
彼の名は、ディーノ・マンゾーニ。シチリアマフィア、マンゾーニ家の次期ボス。
向かいに居る美少年、アンリ=ユーグ=ド=サン・ジェルマンが、
ボディーガードとして雇っているのが、このマフィアだった。
「大体、たったこれだけのことを話すのに、
何故、君と顔を合わせる必要があったの? メールで十分じゃない」
葉巻の先は白い灰。その奥が赤く燃えている。
「前から言ってんだろ? 愛とビジネスについて語る時は、
相手の顔をじっくり見つめながらじゃねえとな。パパもよくそう言ってる」
このファザコンが。アンリは舌打ちしたい気分だった。アンリは席を立つ。
「話はもう終わったよね。失礼するよ」
「待てよ、お姫様」
手首を掴まれた。
「島の警備網を擦り抜けて、わざわざ会いにきてやったのに、一人寝させるつもりか?」
「君が勝手に来ただけでしょう。手を離して」
「へいへい。じゃあ」
手首を引き寄せる。
「またな、お姫様」
手の甲に口付けをして、手を離した。
オープンカフェという公衆の面前で、何をしてくれる。
アンリは反対の腕の袖口で、けがされた手の甲を拭く。
マフィアを鋭く睨み付けたが、同級生達を凍らせる眼光も、この男には効かなかった。
「帰る。君もさっさとイタリアに帰って」
炎を吐き付けるようにそう言って、立ち去った。
マフィアは椅子に凭れて、笑った。
「ツレねえなあ、うちのお姫様は」
灰皿に置いていた葉巻を持つ。まだ大分長い。
たっぷりと煙を吸い込む。キャラメルとコーヒーの香り。厚い白煙を空にも分けてやった。
「さあて、今日は急いで帰る用事もねえし。久し振りに金髪の愛人宅にでも泊まってやるかなあ」
その頃、保健室に遊びに来ていたアイヴィーは、急に身震いした。
保健室の先生がそれに気付く。
「どうした?」
「い、いや、急に寒気が。どうしたんだろ。カゼでもひいちゃったかなあ、俺」
「知っているか? 日本の言葉に『バカはカゼをひかない』という言葉があるらしいぞ?」
「そーなんだー。って、なんで今ソレ言ったの?」
アイヴィーの携帯電話が鳴った。
サブディスプレイに表示された『D』を見て、アイヴィーはギョッとする。
以前、無理矢理、電話番号とメールアドレスを交換させられた。
だけど、あいつの名前をそのままで登録するのは、どうにも憚られて、
イニシャルのアルファベット一文字だけにしたのだが、
こうして表示されると、まるで悪党のコードネームのようだ。
「電話だろう? 出ないのか?」
ソクーロフにそう言われて、ここが職場ではなく、
保健室なのは不幸中の幸いかもしれないと感じた。
携帯電話は「早く出ろ」と言わんばかりに鳴り続けている。
アイヴィーは小さな機械を握りしめて、
「ソクちゃん、ちょっとコッチの部屋貸してっ。入って来ないでね!」
アイヴィーは診察室からカウンセリングルームに移る。
部屋の内側からカギを掛けて、携帯電話を耳に当てた。
「も、もしもし?」
「よう、アモーレ? 俺が居ない間、泣いてなかったか?」
特徴的な低音のしゃがれ声。イタリア訛りの英語。
間違いなくディーノ・マンゾーニだ。
条件反射的にアイヴィーはイラッとくる。
「何の用デスカ?」
「お前んちの冷蔵庫にビールあるか?」
「……な、なんで、んなことあんたに気にされなきゃ」
「俺様が、今夜お前んち泊まるから」
「は、はあー!? ちゅうことは、おまっ、今、島に居んのかよ!?」
「居るから、ビールあるかって聞いてんだろ?」
「てめっ、ど、どうやって島に入ったんだよっ!?」
「あん? それが人にモノを聞く態度か?」
「それが島に不法侵入したヤツの態度かああ!? いい加減、捕まえんぞっ!?」
「うるせーなー、耳元で。俺様と久し振りに話せたのが嬉しいからって、そんなにガッツクなよ。
おめーと会うの久し振りだからよ、寂しい想いをさせた分、
今夜はたっぷり慰めてやろうと思ってんだぜ?」
「遠慮します! 結構です! つか、今すぐお帰り頂きたいんですけど!?」
「クッ。キャンキャン吠えやがって、そんなにシッポ振って喜ぶなよ」
「あー、相変わらず話が通じねー。……けど、まあ、そうだな」
「ん?」
「丁度、あんたに聞きたいことあっから、今回はトクベツに宿泊を許可してやってもいい」
「クソ生意気だな、てめーも。で、聞きたいことって? 愛の言葉か? 欲しがるねえ」
「んなもん欲しがってねえよ! まあ、お宅の業界事情っつーか」
マルセロ家、という名前は明かせないが、アイヴィーが聞きたいのはマルセロ家周辺についてだった。
先日、ラビットを連れ戻しにやってきたマルセロ家の者達。
自白させた供述の中で、次期ボスを奪還しようと島にやってきたのは、
家長制を重んじる保守派だけだったことが解ったのだ。
現在、ボス代理を務めるラビットの叔父、従兄弟を推しているのは、革新派らしい。
構成員が多いだけあって、ファミリー内の統制が難しいのだろう。
このまま悪化すれば、内部分裂の危険性があるかもしれない。
マルセロ家やその周辺で、何かキナ臭い話が上がっていないか、
シチリアマフィアに確かめておきたかった。
「えと、最近のシチリアマフィア界で、なんかヘンな動きとかないかなーって。どう?」
「話してやってもいいけどよ、そんな言い訳が必要か?
理由がなくたって、俺様はお前んちに泊まってやるぜ?
それよりビールはあるのか、ビールは?」
「あるよ。コロナだけど、いいの?」
「メッシーナが良かったが、それでもいいか」
「シチリアビールなんか、あるわけないし。てゆうか、どっちも似たような味じゃん」
「全然違うだろ。味は解らねえんだな? 舌の感度はイイ筈だが?」
アイヴィーが何も言い返せずにいると、笑われた。
「んじゃ、あとで夜這いに行くからシャワーを浴びて待っ……」
明らかに話の途中だった。しかし、それ以降の言葉が聞こえてこない。
「ディーノ?」
受話器の向こうは黙ったままだった。
「おい、ディーノってば」
「……マージナルプリンス、か」
「ど、どした?」
「こりゃ、今日のお泊まりはオアズケだ」
「あ? ああ!?」
「すぐうちに帰らねえといけなくなっちまった。残念だが、お楽しみはまた今度だ」
つい先程まで、今夜泊まらせろと言っていた奴が、
たった一瞬で態度を変え、家に帰ると言い出した。
「どうしたんだよ、急に」
「んな切ない声聞かせんなよ。帰り難くなっちまうだろ? 俺だってツライんだぜ?」
「お構いなく帰って下さい! けど、なんで」
「またな、アモーレ」
マフィアは電話を切り、携帯電話の電源ごと落とした。
電話中、ディーノの視界に入ったのは、覚えのある緑色。
雑貨店から出てきたガキ三人が着ていた濃緑の燕尾服だった。そして、あの顔。間違いない。
三人は呑気な様子で歩いていたが、突然、立ち止まった背の高いガキが、
他の二人を庇うようにして、進行方向を変えた。
そいつは手を挙げ、傍に停まっていたタクシーを呼び寄せた。
連れの二人を追い立てるように車内に乗せたのだ。
ディーノは一部始終を見守り、逃げるように立ち去った車を見送った。
「一人、ビンカン体質が居たか。クッ。まあ、いい。今日は見逃してやるさ」
顎髭を撫でながら、口許を歪ませた。
「デカイ土産話ができたモンだぜ。きっとパパに喜んで貰える」
シルフェ、レオン、ラビの三人は新市街の雑貨店を出た。
レオンは頭の後ろで手を組みながら歩いている。
「つーかさ、雑誌ならライブラリで取り寄せて貰えばいいじゃん?」
シルフェはシュークリームの箱をブラブラさせながら、
「取り寄せたら、学院に着くまで一週間もかかるだろ? ちょっと立ち読みしたいだけだから」
「本屋さんに行くなら、僕も何か本買ってみようかなー」
「ラビまで何言ってんだー? ライブラリで手に入るだろ、本は」
「うん。でも、ライブラリの本を読むのって、なんか緊張しちゃうの。
絶対汚しちゃいけないでしょ? でも、自分の本だと安心して読めるから」
「んなこと気にしてたのかよ、ラビ。
汚しても破いても、『ごめんなさい』で済むだろ、本なんだから」
「でも、やっぱり、みんなの本だから」
「緊張しながら本読んでるなんて、お前くらいだよ。な、シルフェ? ――って、あれ?」
二人の後ろで、シルフェは立ち止まっていた。
いつも余裕の彼にしては珍しく、
何かに怯えたような顔をして、何も落ちてない地面を見つめていた。
「どうしたの? シルフェ」
「あ、いや」
ラビに声を掛けられて、シルフェは我に返った。
見られた。
こっちに飛んでくる鋭い視線をシルフェは感じた。
殺気ではないのに。なんだ、この嫌なかんじ。
誰を見てる? 俺か? いや、俺の命は狙われるようなもんじゃない。それなら、レオンかラビか。
「シルフェ、どうしちゃったの? どこかいたいの?」
上級生は下級生二人の肩に手を回す。
「帰るぞ」
自分でも驚く程、シリアスな声が出た。レオンとラビは顔を見合わせている。
「え? でも、シルフェ、さっき本屋さんに行くって」
シルフェは努めて、声を和らげる。
「見たいテレビがあるの忘れてたんだよ」
「こんな時間に面白い番組なんかやってたかー? てか、雑誌はいいのかよ?」
んなモンどうだっていい、お前らに比べれば。
「ああ。早くしねえと始まっちまう。あ、タクシー!」
そこらに停まっていたタクシーを拾って、すぐさまその場を離れた。
空が夕焼けから夜の色へ染まり始めた頃。
マフィアとの密会を済ませ、寮のサロンに帰ってきたアンリは、待ち構えていたユウタに捕まった。
「あ、やっと帰ってきた! アンリ!」
「何」
アンリ本人に睨んだつもりはないが、ユウタにはそう見えた。
「あ、あのね? 俺、アンリに勉強教えて貰いたいなーと思って。情報学なんだけど」
「情報学ならみんな取っているのだから、僕でなくても」
ユウタとアンリの会話を寮生達が見守っている。
「姉貴に聞いたんだ。勉強で解らないことがあれば、アンリさんに教えて貰いなさいって。
どこが解らないか言えばアンリさんはちゃんと教えてくれるって」
ユウタの姉の名を出され、アンリの態度が少し軟化する。
以前、彼女と電話で話した時、確かにそういう約束をしたのだ。
「それは、言ったけれど」
「ありがと! じゃあ、アンリの部屋で教えて?」
「仕方ないな」
そう言ったあとで、アンリは言い直した。
「――いや、勉強するなら君の部屋でもいいでしょう?」
「え? う、うん」
「ディナーまで、まだ少し時間があるね。今しよう」
サロンを出ていくアンリのあとを、ユウタが追いかけた。
二人が居なくなると、ジョシュアが笑顔を見せた。アルフレッドが首を傾げる。
「どうしたんだよジョシュア、ニヤニヤして。思い出し笑い?」
「いや。本当に良かったなあと思って」
「何がだよ?」
ハルヤもジョシュアを見つめる。ジョシュアは手元のコーヒーカップに視線を落としながら、
「ユウタがウーティス寮に入ってくれて」
本当に良かった、と呟くジョシュアの顔は優しくて。ハルヤは兄の顔を思い出した。
「そりゃあ、俺もユウタが入ってくれたのはラッキーだったと思うけどさー」
アルフレッドは不満げである。
「情報学なら、俺に聞きゃあいいのによー、ユウタの奴」
「僕はユウタが羨ましいですー!」
「え? シルヴァンもアンリに勉強教えて貰いたかったの?」とハルヤ。
「はい! ぜひ神秘学を! サン・ジェルマン伯爵のこと色々教えて欲しいです!」
「それは……難しそうだね」
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何でもない夜が明け、また何でもない朝が来た。
今日は金曜日。週に一度の神秘学がある日だ。
「これ、借りてた本。返す」
講義が終わり、他の生徒が居なくなった後で、僕は教授に本を返した。
黒板を消し終わった教授が僕の傍まで来る。
「面白かったかい?」
「あまり」
教師は紳士的な微笑みを見せる。
「アンリのお口には合わなかったか。では他の本を貸そう。研究室に寄ってくれるかね?」
僕は彼と目を合わさず、テキストをブックバンドでまとめる。
「今日はダメ。用事があるから」
「おや。ご機嫌斜めのようだね、アンリ。もしや、彼とケンカでもしたのかい?」
「ケンカ? 誰と?」
「ユウタだよ。彼から貰ったウサギのお守り、今日はどうして付けてないんだい?」
普段はブックバンドに、ウサギのマスコットをぶら下げているのだが、今日はない。
「なくしただけ」
僕は教室を後にした。
放課後のウーティス寮サロン。
生徒達は今日一日の授業を終え、皆自由にくつろいでいた。
今、サロンに居るのはジョシュア、アルフレッド、ハルヤ、ユウタの四人。
その中で一人だけキョロキョロと落ち着かない様子の生徒が居る。高等部一年の日本人、ユウタだ。
「まだかなあ」
その小さな呟きに眼鏡の日本人が気付く。クッキーをほうばっていたハルヤだ。
「誰か待ってるの?」
ユウタはこくんと頷く。
「アンリを。勉強教えて貰おうと思って」
「へえ。珍しいね、アンリになんて」
「うん。もう少し仲良くなれたら良いなって。
俺、アンリには相手にされてないってかんじでしょ?」
「うーん。そんなことないと思うけど。てゆうか、去年に比べたら、
アンリ、大分話してくれるようになったし。昔はもっと無口だったらしいよ?」
「そうなの?」
「おい、ユウタ、勉強なら俺に聞けよ!」
アルフレッドがユウタの肩に腕を回してウインクした。
「演劇の基礎から女の子の口説き方まで、何でも教えてやるぜ?」
「それって、守備範囲がかなり限定されてるような」
「あーっ!? お前まで俺をバカ扱いすんのかー?」
「してないよー。でも、俺が知りたいのは情報学だし、レッドだとちょっと不安かなって」
「バカにしてんじゃねーかよー!」
「あははっ。レッド、くすぐったいよー」
最上級生のジョシュアが苦笑しながら、やんわりと仲裁に入る。
「アンリなら少し遅れて来るかもしれないよ、ユウタ。神秘学の後だからね」
「え、どうして神秘学の後だと遅くなるの?」
「教授の研究室に寄って行くことがあるんだよ。アンリは神秘学の教授とは親しいから」
「ああ、あの不思議な先生か。そう言えば仲良さそうだったな」
廊下で先生とアンリが二人で話してるのをユウタは見かけたことがある。
アンリが先生に何か毒づいているみたいだった。それを先生は微笑みながら聞いていたのだ。
「あの先生は、どうやってアンリと仲良くなったのかな?」
「あいつの一番好きな講義が神秘学だからだろ? 俺にはさーっぱり解らない授業だったけどな」
アルフレッドが手の平を空に向けて、首を横に振る。
いかにも外国人なオーバーリアクションも、アルフレッドがやると、様になっていた。
「研究室に行ったんなら、もう少し待ったら帰ってくるかな、アンリ」
「アンリでしたら、街へおでかけみたいでしたよ?」
突然、ユウタの背後からシルヴァンの声がした。いつのまにかサロンに入っていたようだ。
「シルヴァンはアンリを見たの?」
「はい、先程、門の近くで擦れ違いましたから」
そう言いながらアルフレッドの隣に座る。
「ってことは、シルヴァン! お前、教室に来ねえと思ったら、街に行ってたのか!?」
「ええ、ちょっと。アイヴィーのパスタが急に恋しくなりましてね」
「シルヴァン、アイヴィーのパスタ食べたの? それなら俺も誘って欲しかったな」
「すみません、ハルヤ。でも、パスタは食べられなかったんです。
アポなしで行ったら、お留守だったみたいで。今度は一緒に食べに行きましょうね?」
「ハルヤだけじゃなくて俺も誘えよ!」
「解ってますよ、レッド。今度はみんなで行きましょう」
聖アルフォンソ島の新市街。
シュヌーシア寮のシルフェ、レオン、ラビが一緒に買い物に来ていた。
シルフェは右手に細長い箱を持っている。
街まで出てきたついでに、シュークリーム専門店で、寮生へのお土産を買ったのだ。
「やっぱ、街に来る時は制服に限るよなー」
今日のシルフェはご機嫌だ。その隣を歩くレオンは、少しご機嫌斜めな様子で、
「なんでだよ?」
「マージナルプリンスは、文字通りこの島の王子サマだからさ。
さっきのシュークリーム屋でも二個多く入れて貰えたろ?」
「制服はカンケーなくね? てめーがキザなセリフとか言って、
店のおばちゃんをたぶらかすから、オマケしてくれたんだろ?」
「珍しいじゃん? レオンが俺のこと褒めてくれるなんて」
「バカにしてんだよ。つーか、なんでシルフェまで来んだよ」
「ラビとのデート、ジャマしちゃった?」
「デ、デートなんかじゃねえ!」
「なら、イイじゃん。ん?」
ラビの視線にシルフェが気付く。雑貨店のウインドウを見ていた。
「ラビ。その店、気になるのか?」
「あ、うん、ちょっと」
「なら、遠慮しないで言えよ。おい、レオン!」
前方を歩くレオンを呼び止めた。
「あ?」
「ラビが、ここ見たいってさ。寄ってこうぜ」
「ここぉ? オンナが行く店じゃねえの?」
「じゃー、俺とラビだけで入ろーっと。行こうぜ、ラビ」
「ちょ、俺も行くー!」
店内にはアメリカ風のカントリー雑貨やぬいぐるみなどが綺麗にディスプレイされていた。
レオンは辺りを見回して、あからさまにイヤな顔をした。
「うっわ。ここ、完全にお嬢様とかマダムが来る店じゃん。俺達、場違い過ぎね?」
居心地悪そうにしているレオンに対し、シルフェは余裕で歩いている。
「可愛いカノジョへのプレゼントを買いに来ましたーてな顔してりゃあいいんだよ。
ラビは慣れてるかんじだな? こういう店、好きなのか?」
「えっとね、ママがこういうお店好きなの。
イタリアに居た時は、ママがよく連れてってくれたから。懐かしいなって思って」
「ふうん。ラビのママなら、なんか似合いそうな気がする」
ラビとシルフェがそんな話をしている間、レオンは一人で機嫌の悪い顔をしていた。
店の中を歩いていると、ある場所でラビの足が止まった。
ウサギの置き物がたくさん並んでいるコーナーだ。
「お前、ウサギ好きだなー。リサイクル市に行った時もウサギのぬいぐるみガン見してたし」
「ウサギ好きは、ラビだけじゃないぜ。ウーティスには三人も居る」
「三人も?」
「あ、僕、解るよ。シルヴァンとアンリとユウタでしょ?
みんな、同じウサギさんが好きなんだよ」
「ああ。シルヴァンは、パーティでもウサギの着ぐるみ着てたしな」
「あとね、アルファルドにも、同じウサギさんが好きな人居るよ。
ウサギさんのチョコをね、いっぱい買ってたの。僕、見たんだ」
「そんなに、人気あったのか、そのウサギ。てか、どんなの?」
「赤い目で、お口が大きいの。ちょっとコワイかんじ。僕はもっとカワイイほうが好きだなあ」
たくさんのウサギの前で、シルフェが尋ねる。
「ラビは、この中でどれが一番好きなんだ?」
木製のテーブルの上に20個程陳列されているウサギの置き物。
手作りの品らしく、笑顔や泣き顔など、ひとつひとつ顔の表情が違った。
「うんっと。えっと、僕はこれが好き!」
笑顔のウサギを指差した。
「イイねえ、可愛くて。レオン、ちなみにお前は?」
「俺? そうだなあ、俺はこの怒ってるかんじのヤツ」
「すさんでるなあ、お前は。ココロがすさんでる」
「お前に言われたくねえし」
その後も店を一回りしたが、ラビは結局、何も買わなかった。
「そろそろ出ようぜ」とレオンが言った時、
シルフェは「ここでちょっと待ってな」と言って、一人で店の奥に向かった。
「シルフェ、どうしたのかなあ」
「トイレじゃね?」
二人の元に帰ってきたシルフェは、小さなプレゼントをラビに差し出した。
「え? なあに? シルフェ」
「開けてみな?」
簡易包装の袋を開ける。中から出てきたのは、笑顔のウサギ。
先程、ラビが好きだと言った置き物だった。
「それ、ラビに似合うし、欲しそうだったからさ。俺からプレゼント」
「いいの?」
「ああ。高いモンでもなかったし」
「ありがと! 大事にするね」
「てめえは……何カッコつけてんだよ、シルフェ!」
「お前は俺サマを見習えよ。男ならプレゼントのひとつやふたつ、
このくらいスマートにできないとな? 特に大切な人へは。
将来、役に立つこと言ってやってんだから覚えておけよ、レオン」
「でも、プレゼントって……誕生日でも何でもない日にかよ?」
「昨日もパーティをやってみせただろ? 何でもない日だからサプライズになるんだろうが。
プレゼントされて嬉しくないヤツが居るか? ほい」
ラビにあげたものと同じ袋をレオンに差し出した。
「何コレ。俺にもかよ?」
包みを開ける。中身はレオンが好きだと言った怒り顔のウサギだった。
「お前はラビのついで、だけどな」
シルフェはレオンの頭をポンと叩く。
「次は本屋に行っていいか? 俺、読みたい雑誌あるんだ」
新市街のオープンカフェ。
顎鬚を蓄えたイタリア顔の男と、フランス人形のような美少年。
前者は彫りが深く浅黒い肌、後者は陶器のような白肌。年齢で言えば三十代と十代だろう。
あまりにも対照的な二人組が、ひとつの丸テーブルに着き、向かい合って座っている。
近くを通った客に振り向かれたり、指を差されてヒソヒソ囁かれてる。
その視線に対し、美少年は完全無視の姿勢を貫いていたが、いい加減うんざりしていた。
「何故こんな目立つ場所を選んだの?」
イタリア男は葉巻を吹かした。甘い香りが立ち昇る。
「この前ちょっと寄った時、ここのパニーニがウマかったからさ」
彼の名は、ディーノ・マンゾーニ。シチリアマフィア、マンゾーニ家の次期ボス。
向かいに居る美少年、アンリ=ユーグ=ド=サン・ジェルマンが、
ボディーガードとして雇っているのが、このマフィアだった。
「大体、たったこれだけのことを話すのに、
何故、君と顔を合わせる必要があったの? メールで十分じゃない」
葉巻の先は白い灰。その奥が赤く燃えている。
「前から言ってんだろ? 愛とビジネスについて語る時は、
相手の顔をじっくり見つめながらじゃねえとな。パパもよくそう言ってる」
このファザコンが。アンリは舌打ちしたい気分だった。アンリは席を立つ。
「話はもう終わったよね。失礼するよ」
「待てよ、お姫様」
手首を掴まれた。
「島の警備網を擦り抜けて、わざわざ会いにきてやったのに、一人寝させるつもりか?」
「君が勝手に来ただけでしょう。手を離して」
「へいへい。じゃあ」
手首を引き寄せる。
「またな、お姫様」
手の甲に口付けをして、手を離した。
オープンカフェという公衆の面前で、何をしてくれる。
アンリは反対の腕の袖口で、けがされた手の甲を拭く。
マフィアを鋭く睨み付けたが、同級生達を凍らせる眼光も、この男には効かなかった。
「帰る。君もさっさとイタリアに帰って」
炎を吐き付けるようにそう言って、立ち去った。
マフィアは椅子に凭れて、笑った。
「ツレねえなあ、うちのお姫様は」
灰皿に置いていた葉巻を持つ。まだ大分長い。
たっぷりと煙を吸い込む。キャラメルとコーヒーの香り。厚い白煙を空にも分けてやった。
「さあて、今日は急いで帰る用事もねえし。久し振りに金髪の愛人宅にでも泊まってやるかなあ」
その頃、保健室に遊びに来ていたアイヴィーは、急に身震いした。
保健室の先生がそれに気付く。
「どうした?」
「い、いや、急に寒気が。どうしたんだろ。カゼでもひいちゃったかなあ、俺」
「知っているか? 日本の言葉に『バカはカゼをひかない』という言葉があるらしいぞ?」
「そーなんだー。って、なんで今ソレ言ったの?」
アイヴィーの携帯電話が鳴った。
サブディスプレイに表示された『D』を見て、アイヴィーはギョッとする。
以前、無理矢理、電話番号とメールアドレスを交換させられた。
だけど、あいつの名前をそのままで登録するのは、どうにも憚られて、
イニシャルのアルファベット一文字だけにしたのだが、
こうして表示されると、まるで悪党のコードネームのようだ。
「電話だろう? 出ないのか?」
ソクーロフにそう言われて、ここが職場ではなく、
保健室なのは不幸中の幸いかもしれないと感じた。
携帯電話は「早く出ろ」と言わんばかりに鳴り続けている。
アイヴィーは小さな機械を握りしめて、
「ソクちゃん、ちょっとコッチの部屋貸してっ。入って来ないでね!」
アイヴィーは診察室からカウンセリングルームに移る。
部屋の内側からカギを掛けて、携帯電話を耳に当てた。
「も、もしもし?」
「よう、アモーレ? 俺が居ない間、泣いてなかったか?」
特徴的な低音のしゃがれ声。イタリア訛りの英語。
間違いなくディーノ・マンゾーニだ。
条件反射的にアイヴィーはイラッとくる。
「何の用デスカ?」
「お前んちの冷蔵庫にビールあるか?」
「……な、なんで、んなことあんたに気にされなきゃ」
「俺様が、今夜お前んち泊まるから」
「は、はあー!? ちゅうことは、おまっ、今、島に居んのかよ!?」
「居るから、ビールあるかって聞いてんだろ?」
「てめっ、ど、どうやって島に入ったんだよっ!?」
「あん? それが人にモノを聞く態度か?」
「それが島に不法侵入したヤツの態度かああ!? いい加減、捕まえんぞっ!?」
「うるせーなー、耳元で。俺様と久し振りに話せたのが嬉しいからって、そんなにガッツクなよ。
おめーと会うの久し振りだからよ、寂しい想いをさせた分、
今夜はたっぷり慰めてやろうと思ってんだぜ?」
「遠慮します! 結構です! つか、今すぐお帰り頂きたいんですけど!?」
「クッ。キャンキャン吠えやがって、そんなにシッポ振って喜ぶなよ」
「あー、相変わらず話が通じねー。……けど、まあ、そうだな」
「ん?」
「丁度、あんたに聞きたいことあっから、今回はトクベツに宿泊を許可してやってもいい」
「クソ生意気だな、てめーも。で、聞きたいことって? 愛の言葉か? 欲しがるねえ」
「んなもん欲しがってねえよ! まあ、お宅の業界事情っつーか」
マルセロ家、という名前は明かせないが、アイヴィーが聞きたいのはマルセロ家周辺についてだった。
先日、ラビットを連れ戻しにやってきたマルセロ家の者達。
自白させた供述の中で、次期ボスを奪還しようと島にやってきたのは、
家長制を重んじる保守派だけだったことが解ったのだ。
現在、ボス代理を務めるラビットの叔父、従兄弟を推しているのは、革新派らしい。
構成員が多いだけあって、ファミリー内の統制が難しいのだろう。
このまま悪化すれば、内部分裂の危険性があるかもしれない。
マルセロ家やその周辺で、何かキナ臭い話が上がっていないか、
シチリアマフィアに確かめておきたかった。
「えと、最近のシチリアマフィア界で、なんかヘンな動きとかないかなーって。どう?」
「話してやってもいいけどよ、そんな言い訳が必要か?
理由がなくたって、俺様はお前んちに泊まってやるぜ?
それよりビールはあるのか、ビールは?」
「あるよ。コロナだけど、いいの?」
「メッシーナが良かったが、それでもいいか」
「シチリアビールなんか、あるわけないし。てゆうか、どっちも似たような味じゃん」
「全然違うだろ。味は解らねえんだな? 舌の感度はイイ筈だが?」
アイヴィーが何も言い返せずにいると、笑われた。
「んじゃ、あとで夜這いに行くからシャワーを浴びて待っ……」
明らかに話の途中だった。しかし、それ以降の言葉が聞こえてこない。
「ディーノ?」
受話器の向こうは黙ったままだった。
「おい、ディーノってば」
「……マージナルプリンス、か」
「ど、どした?」
「こりゃ、今日のお泊まりはオアズケだ」
「あ? ああ!?」
「すぐうちに帰らねえといけなくなっちまった。残念だが、お楽しみはまた今度だ」
つい先程まで、今夜泊まらせろと言っていた奴が、
たった一瞬で態度を変え、家に帰ると言い出した。
「どうしたんだよ、急に」
「んな切ない声聞かせんなよ。帰り難くなっちまうだろ? 俺だってツライんだぜ?」
「お構いなく帰って下さい! けど、なんで」
「またな、アモーレ」
マフィアは電話を切り、携帯電話の電源ごと落とした。
電話中、ディーノの視界に入ったのは、覚えのある緑色。
雑貨店から出てきたガキ三人が着ていた濃緑の燕尾服だった。そして、あの顔。間違いない。
三人は呑気な様子で歩いていたが、突然、立ち止まった背の高いガキが、
他の二人を庇うようにして、進行方向を変えた。
そいつは手を挙げ、傍に停まっていたタクシーを呼び寄せた。
連れの二人を追い立てるように車内に乗せたのだ。
ディーノは一部始終を見守り、逃げるように立ち去った車を見送った。
「一人、ビンカン体質が居たか。クッ。まあ、いい。今日は見逃してやるさ」
顎髭を撫でながら、口許を歪ませた。
「デカイ土産話ができたモンだぜ。きっとパパに喜んで貰える」
シルフェ、レオン、ラビの三人は新市街の雑貨店を出た。
レオンは頭の後ろで手を組みながら歩いている。
「つーかさ、雑誌ならライブラリで取り寄せて貰えばいいじゃん?」
シルフェはシュークリームの箱をブラブラさせながら、
「取り寄せたら、学院に着くまで一週間もかかるだろ? ちょっと立ち読みしたいだけだから」
「本屋さんに行くなら、僕も何か本買ってみようかなー」
「ラビまで何言ってんだー? ライブラリで手に入るだろ、本は」
「うん。でも、ライブラリの本を読むのって、なんか緊張しちゃうの。
絶対汚しちゃいけないでしょ? でも、自分の本だと安心して読めるから」
「んなこと気にしてたのかよ、ラビ。
汚しても破いても、『ごめんなさい』で済むだろ、本なんだから」
「でも、やっぱり、みんなの本だから」
「緊張しながら本読んでるなんて、お前くらいだよ。な、シルフェ? ――って、あれ?」
二人の後ろで、シルフェは立ち止まっていた。
いつも余裕の彼にしては珍しく、
何かに怯えたような顔をして、何も落ちてない地面を見つめていた。
「どうしたの? シルフェ」
「あ、いや」
ラビに声を掛けられて、シルフェは我に返った。
見られた。
こっちに飛んでくる鋭い視線をシルフェは感じた。
殺気ではないのに。なんだ、この嫌なかんじ。
誰を見てる? 俺か? いや、俺の命は狙われるようなもんじゃない。それなら、レオンかラビか。
「シルフェ、どうしちゃったの? どこかいたいの?」
上級生は下級生二人の肩に手を回す。
「帰るぞ」
自分でも驚く程、シリアスな声が出た。レオンとラビは顔を見合わせている。
「え? でも、シルフェ、さっき本屋さんに行くって」
シルフェは努めて、声を和らげる。
「見たいテレビがあるの忘れてたんだよ」
「こんな時間に面白い番組なんかやってたかー? てか、雑誌はいいのかよ?」
んなモンどうだっていい、お前らに比べれば。
「ああ。早くしねえと始まっちまう。あ、タクシー!」
そこらに停まっていたタクシーを拾って、すぐさまその場を離れた。
空が夕焼けから夜の色へ染まり始めた頃。
マフィアとの密会を済ませ、寮のサロンに帰ってきたアンリは、待ち構えていたユウタに捕まった。
「あ、やっと帰ってきた! アンリ!」
「何」
アンリ本人に睨んだつもりはないが、ユウタにはそう見えた。
「あ、あのね? 俺、アンリに勉強教えて貰いたいなーと思って。情報学なんだけど」
「情報学ならみんな取っているのだから、僕でなくても」
ユウタとアンリの会話を寮生達が見守っている。
「姉貴に聞いたんだ。勉強で解らないことがあれば、アンリさんに教えて貰いなさいって。
どこが解らないか言えばアンリさんはちゃんと教えてくれるって」
ユウタの姉の名を出され、アンリの態度が少し軟化する。
以前、彼女と電話で話した時、確かにそういう約束をしたのだ。
「それは、言ったけれど」
「ありがと! じゃあ、アンリの部屋で教えて?」
「仕方ないな」
そう言ったあとで、アンリは言い直した。
「――いや、勉強するなら君の部屋でもいいでしょう?」
「え? う、うん」
「ディナーまで、まだ少し時間があるね。今しよう」
サロンを出ていくアンリのあとを、ユウタが追いかけた。
二人が居なくなると、ジョシュアが笑顔を見せた。アルフレッドが首を傾げる。
「どうしたんだよジョシュア、ニヤニヤして。思い出し笑い?」
「いや。本当に良かったなあと思って」
「何がだよ?」
ハルヤもジョシュアを見つめる。ジョシュアは手元のコーヒーカップに視線を落としながら、
「ユウタがウーティス寮に入ってくれて」
本当に良かった、と呟くジョシュアの顔は優しくて。ハルヤは兄の顔を思い出した。
「そりゃあ、俺もユウタが入ってくれたのはラッキーだったと思うけどさー」
アルフレッドは不満げである。
「情報学なら、俺に聞きゃあいいのによー、ユウタの奴」
「僕はユウタが羨ましいですー!」
「え? シルヴァンもアンリに勉強教えて貰いたかったの?」とハルヤ。
「はい! ぜひ神秘学を! サン・ジェルマン伯爵のこと色々教えて欲しいです!」
「それは……難しそうだね」
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