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■何でもない日(5) 続編
「司令、ドクターをお連れしました」
翌日。一時間目の授業が始まった頃に、ソクーロフ博士が警備本部にやってきた。
「昨夜は私の都合で、キャンセルして悪かったね」
いえ、と副司令官のクロイツが言う。
「ドクターが、ドクターのお仕事を優先されるのは当然ですから」
司令官が尋ねる。
「ラビットはもう平気なの?」
「ああ。昨日は吸入薬で発作は治まったからな。
今朝も、ここに来る前に、ラビットの様子も見てきたが」
「どうだった?」
今朝、警備は改めてシュヌーシア寮へ報告を入れていた。
今回の侵入者は全員捕えたので心配要らないこと、
そして、ラビの母親が生きていたという話は嘘だったことを伝えたのだ。
「悪くはない。警備からの報告を聞いたあとは涙したようだがね」
「……そう、だよね、やっぱり」
司令官は声を落とした。
「だが、今日は発作を起こすまでには至らなかった。
ラビットのメンタルケアは引き続き行うから、あとはこちらに任せてくれればいい」
「ん。ありがと」
アイヴィーは、ソクーロフの目許を覗きながら、
「ね、あんたは昨日ちゃんと寝た? もしかして、ずっとラビットの」
「徹夜に近い君達に心配される程ではない。それで、私のクライアントは?」
副司令官が答える。
「取調室です。準備はできています」
「ありがとう。では早速、始めたいと思うが。良いかね、司令官?」
「お願いします、ドクター」
司令官と副司令官が居る部屋から、ガラス越しに取調室が見える。
ここの取調室は、マジックミラー越しに見学できる仕様になっていた。
真っ白な部屋の中央に、ひとつだけ椅子がある。
椅子に座っているのはダークスーツを着たスキンヘッドの男だ。年齢は30代前後だろう。
奥のドアから白衣を着たソクーロフ博士が入ってきた。
スキンヘッドの男の傍へゆっくりと歩いていく。
男が座る椅子の真横に立ち、静かに語り掛ける。
10分と経たないうちに、博士の手によって男は催眠状態に入った。
「お名前は?」
博士に尋ねられて、大の男がまるで素直な子供のように答えた。
「マイヤー」
「マイヤーだね」
こういう時、博士の声は酷く優しい。ゾクリとするほどに。
「君は、誰に言われて、ここに来たのかな?」
「サルヴァトーレ様に」
見ていたアイヴィーは「えっ」と驚いた。
「ディーノじゃないのかよ? でも、サルヴァトーレって、どっかで聞いた名前だな」
隣で副司令官が嘆息する。
「まさかとは思いますが、以前、貴方が危険視していた家の者では?」
苛立ちを滲ませた吐息だった。上司への憤りではなく、自分への。
「今になってその名を聞くなんて」
取調室で博士が質問を続ける。
「サルヴァトーレ様というのは?」
スキンヘッドの男が答える。
「……私達シーゲル・ファミリーの、アンダーボス」
アイヴィーは思わずガラスに触れていた。
「シーゲルかよ!?」
博士は一瞬、マジックミラーのほうに視線を送ったが、すぐにインタビュアーに戻った。
「サルヴァトーレ様から、この島のことを聞いたのかい?」
「いいえ」
「では、この島の存在は、どうやって知ったのかな?」
博士に操られるまま、男はあの夜の出来事を話した。
シーゲル・ファミリーが根城にしているレストラン『リストランテ・フィガロ』で、
定例の集会を行っていた時のことだ。その夜は部外者が二人現れた。
ドアを開けたのはグレイのスーツを着た眼鏡の男だった。白スーツの男が店内に入ってきた。
すかさずドアの傍に居た見張り番が追い出しにかかった。
「お兄さん達、クローズの札が見えなかったのか?
悪いが、今日は俺達の貸し切りなんだ。さあ、帰った、帰った」
ところが、白スーツの男は物怖じするどころか笑ったのだ。
それを見て、マイヤーは席を立とうとした。しかし、自分の腕に誰かの手が触れた。
黒に染められた爪。サルヴァトーレの手だった。
「僕が行きます」
そう呟いて、アンダーボス自ら仲裁に向かった。
「な、なんだ、てめえ」
見張り番が相手の胸倉を掴もうとした時。
「およしなさい」
サルヴァトーレに止められ、見張り番は肩が跳ねるほど驚いていた。
「大変失礼致しました。彼はうちで一番若いマフィオーソで、
教育が足りず、申し訳ありません。彼に見張りを言い付けたのは僕です。
お叱りは僕がお受けします。彼はどうかお許し下さい」
「お前が、ここのアンダーボスか」
「はい。サルヴァトーレ・シーゲルと申します。
貴方はマンゾーニ・ファミリーのアンダーボスさんですね?」
「ああ。ディーノ・マンゾーニだ」
名を聞いて、見張り番はヒッと短い悲鳴を上げた。
シチリアマフィアの中でも血塗られた歴史を持つマンゾーニ。
そのNo.2に無礼な態度を取ったのだ。
マンゾーニとシーゲル、どちらの人間から殺されても可笑しくはない。
事の重大さに気付いた顔から、さーっと血の気が引いていく。
ディーノの傍らに居る眼鏡の男が、すっと前に出る。
「ご心配には及びません。うちの兄貴は懐がでっかいですから。ね、兄貴?」
「ああ。新入りなら仕方ねえなあ。血の気が多い野郎は伸びるぜ。これからもその調子でな?」
シーゲルのNo.2は丁重に礼を述べた。
「寛大なお言葉、ありがとうございます。さ、お前は向こうへ行っていなさい」
「は、はい。すみませんでした! 失礼します!」
頭を下げ、奥へ引っ込んでいった。
「感謝します。このようなことで、業界内でも残虐で有名なマンゾーニ・ファミリーに、
目を付けられたくはないですからね。しかし、今宵はどうなさいました?
我々が集う店に、アンダーボス自らお越しになるとは。
他にも、うちの者がそちらに何か失礼をしましたでしょうか?」
「いいや」
「では、この店自慢の赤ワインの評判でもお聞きになりました?」
「へえ、そんなのがあんのか。なら、飲ませて貰いてえなあ。
丁度、こっちには酒の肴になるおもしれえ話があんだよ」
「面白い話、ですか。生憎、ボスは今日不在で、僕が伺っても良いお話でしょうか?」
「俺は、お前に話があって来たんだぜ? サルヴァトーレ」
「僕に?」
「たまにはアンダーボス同士の密会ってのもイイじゃねえか。
聞きてえだろ? お前の席の隣、空いてるか?」
「もちろんです。どうぞ、こちらへ」
カウンター席の端へ案内した。
サルヴァトーレ、ディーノ、その連れという並びで席に着いた。
「マスター、僕からこちらのお客様にワインを」
「か、畏まりました」
初老のマスターは、ディーノをちらりと盗み見てから、ワインボトルを手に取った。
ディーノはひょいと片手を挙げる。
「あー、メニュー表くれるか。俺、なんかハラ減ってきた。フィオもなんか食うだろ?」
眼鏡の男は苦笑している。
「アウェイなのに、マイペースですね、兄貴は」
マンゾーニの二人がメニュー表を見ている間に、
シーゲル・ファミリーの舎弟がサルヴァトーレに近付いてきた。
サルヴァトーレはディーノに「すみません。少し失礼します」と断って、席を外した。
壁側に移動してきたサルヴァトーレと舎弟の話し合いが、マイヤーの耳にも漏れ聞こえてくる。
「ダンナ、止めて下さい。マンゾーニなんかと話すことなんてないでしょう」
舎弟の訴えに、アンダーボスは冷静に答える。
「あのマンゾーニ・ファミリーが話があるとおっしゃってるんですよ?
お話も聞かずに追い返すなんて無礼が通用するとは思えませんが」
「ですが、いくらマンゾーニのアンダーボスと言っても、
連れは弱っちそうな眼鏡の優男だけじゃないすか。
あっちはたった二人、こっちは十二人ですぜ。いっそ、ここでやっちまうってのも」
「無知とは最大の勇気ですね。お前達十人が束になっても、あの優男さんにさえ敵いませんよ」
「えっ……」
「彼等のお相手は僕がします。お前達は外して下さい。
僕は可愛いお前達を無駄死にさせたくはないのです。解りますね?」
「でもダンナ」
「君は、僕に同じことを二度言わせるつもりですか?」
舎弟は息を呑む。サルヴァトーレは微笑した。
「心配しなくても大丈夫ですよ」
サルヴァトーレは、カウンター席に戻ってくる時に、長身の男を呼んだ。
「マイヤー、来て下さい」
スキンヘッドの男がやってくる。マンゾーニの二人に一礼した。
「マンゾーニさん、彼だけ、同席をお許し頂けますか? マイヤーと申します。僕の右腕です」
「いいぜ? こっちも一人連れてるしな。こいつは」
「自分はフィオラノと申します。初めまして。よろしくお願い致します」
「こちらこそお願いします。フィオラノさんのお噂はかねがね」
「へえ。おめーも有名になったもんだなあ、フィオ」
初老のマスターがワイングラスを差し出す。
「お待たせしました、当店のオリジナルワインです」
ディーノがグラスに手を伸ばす。色は限りなく紫に近い赤。
ワイングラスの中で一度だけ揺らし、口付けた。コクコクと喉仏を鳴らして。
「あー、ウマイじゃねえか、コレ!」
「お口に合いましたか。良かった」
サルヴァトーレは笑顔を見せた。
「ところで。お父上のカルロ氏はご健勝ですか?」
「親父に何か用か?」
「いえ、言葉の通りですよ。うちの父も大分年でしてね、
最近はよく腰が痛いと言うものですから。マンゾーニさんのお父上はお元気かなと」
「そういうことか。確かに昔のようにピンピンしちゃあいないが、頭はまだまだキレるぜ?」
「流石はドン・カルロ。『シチリアの毒牙』は、
衰えていないようですね。お元気そうで何よりです」
「おい、フィオ。こいつ、悪いヤツじゃねえぞ」
「もう。兄貴はボスを褒められると弱いんですから」
サルヴァトーレはまた笑った。
「ああ、すみません。余計なお喋りに付き合わせてしまって。
マンゾーニさんが僕にお話があるんでしたよね。お聞かせ願えますか、その面白いお話」
「ああ。ハラワタよじれるぜ?」
まるで店全体が静まり返ったように、ディーノの話に聞き入った。
「本当ですか?」
その事実は、シーゲルのNo.2を驚かせた。
「ああ。マジだぜ?」
サルヴァトーレは落ち着きを失い、動揺を隠せないでいる。
ディーノは旨そうに葉巻を吹かしながら、
「どーよ? ちょーおもしれえ話だろ?」
「ええ。面白過ぎますよ」
サルヴァトーレの悪癖が出たとマイヤーは思った。
アンダーボスなのだから、人前で子供染みた癖は控えるよう言っているのだが。
サルヴァトーレは親指を齧っていた。
「マルセロのご子息がご存命で、地図に載らない島に居るだなんて」
「ねえ、クロイツ。これってさあ」
自白する男をガラス越しに見ていたアイヴィーは、苦い顔をしていた。
「シーゲルに島の情報を流したのがディーノってことだよねえ?」
「そのようですね」
「あーいーつーめー!」
その夜、生徒代表室でミーティングが行われた。
出席者は、生徒代表のジョシュア、ソクーロフ博士、
警備本部からパソコン越しに参加している司令官のアイヴィーだ。
司令官から侵入者についての報告が終わると、次はソクーロフが話し手となった。
「ラビットのカウンセリングと、侵入者達の証言から解ったことだが、
元々シーゲルは、ラビットの行方を探していたようだ」
「うっそ。マジで!?」
パソコン画面に映るアイヴィーも驚いていた。
「シーゲルとマルセロは、表立って争うことはなかったが、内部ではいがみ合っていたようだ。
マルセロの先代ボスを焼き殺したのがシーゲルだと噂されるのと同じように、
マルセロは密かにシーゲルにスパイを送り込んでいるのではないかという噂もあったそうだ。
それから、アイヴィー。今朝のニュースは見たかね?」
司令官は下唇を噛む。
「あー、アレでしょ? 朝見て目ぇ覚めたわ」
そこで博士は生徒代表の表情を伺う。途惑っていた。
「ジョシュアはまだ知らないようだね」
失礼、と言ってジョシュアの横からマウスとキーボードを操作した。
アイヴィーが映っているウインドウを小さくし、脇に寄せる。
新たなウインドウでニュースサイトを開き、その記事を見せた。
「今朝、こういう報道があったんだ」
シチリアでシーゲル・ファミリーの次期ボスが捕まったニュースだった。
同時に構成員の多くが捕まり、もはやシーゲルは壊滅状態だというのだ。
聖アルフォンソ島にシーゲルが上陸しようとしたのと同じ日に。ソクーロフは淡々と話した。
「今回、シーゲルを壊滅させたことで、ラビットを、
そしてマルセロ家を守れたと言っても過言ではない。
この島にラビットが居る。敢えて正しい情報を相手に吹き込み、
そこへ現れたところを確実に一網打尽にする。
失敗するリスクがある中、この作戦を実行するには、相当の勝算と勇気が必要だ。
つまり、この計画の立案者は、警備への信用が篤かったとも考えられる。
もしくは、他にも何か手を打っていたか。
どちらにせよ、お前は彼等に礼を言うべきかもしれないな」
「誰にさ?」
「それは、お前も聞いていただろう? シーゲルにラビットの所在地を話したのは」
「ニュース、見たよ」
学院の通信室。完全防音のプライベートブースに一人の生徒が居た。
白く細い手が受話器を持っている。冷たくて甘いバニラボイスが呟かれる。
「シーゲル・ファミリーが壊滅したそうだね?」
受話器の向こうからは、笑いを含んだ、低いしゃがれ声。
「ああ。そういや、そんなニュース、やってたな」
「僕に白を切るつもり? シーゲルを潰したのは、君達でしょう?」
向こうはフッと笑うだけだった。
「君は、この僕を駒のひとつにしたんだ」
今日のバニラボイスは酷く冷えている。
「あの電話。ラビット・マルセロを島で見たと僕に伝えたのは、
僕に警戒心を植え付け、この島の警備レベルを上げさせることが目的だったんだ。
島に侵入してくるシーゲルを、警備組織が確実に捕らえられるように」
アンリは、ジョシュアから侵入者の正体はシーゲルだったと聞いた。
その時になってやっと今回の全貌が見えた。
ラビットの誘拐。それを実行したかったのはシーゲル家だけ。
彼等は、シーゲル家を潰したいマンゾーニに利用されたのだと。
「マンゾーニにとって邪魔な存在だったのは、マルセロではなくシーゲルだったんだね。
だから、わざとシーゲルにマルセロの一人息子が島に居る情報を流した。
島への侵入者は警備組織が捕まえる。彼等はそれが仕事だもの。
君は、自分の思惑通りに、警備組織を動かした。
そして、構成員が聖アルフォンソ島とシチリアに二分された時期を狙って、
君達は、シチリアに残ったシーゲル家を潰したんだ」
「ひでぇ言い草だなあ。それじゃあまるで、俺様が悪党みたいじゃねえか」
マフィアのくせに。
「俺達がやったって証拠があるんなら、サツに突き出せばいいさ」
「僕は無駄なことはしない主義だ。君が爪痕を残してるわけがない。
それに、君達を警察に売ることは、僕にとっての不利益が大き過ぎる」
せっかく手にした剣と盾をこんなことで失いたくない。
それに、一度内情を見せた人間を、そう易々と手放して赤の他人になってくれるとは思えない。
「そう言ってくれると思ったぜ、お姫様。俺達はまだ付き合い始めたばっかだもんなあ」
そう言って、自分で笑ったあとで、彼は自分が行ったことを認める発言をした。
「マルセロのガキを助ける為に、おめーが動いてくれるかが一番の賭けだったが。
ホントに思い通りに警備に連絡してくれるとはな。さすがパパだ」
「彼の策だったの?」
「そうさ。『ああ見えて、あのバンビーノは心根は優しく、甘い子供だ』ってな?」
「子供……」
「パパは天才だ。パパの言うことはいつだって正しい」
カルロ・マンゾーニ。ご老体のくせに未だボスの座に君臨し続けるだけのことはあるか。
「やっぱアレか? あのガキを助けようとしたのは、
マージナルプリンス同士の友情ってヤツか? 泣かせるじゃねえか。見直したぜ?」
「何、似合わないこと言ってるの。僕は借りを返しただけだ」
「借り?」
「君には関係ない。こんなふざけた真似、次はないよ」
「今のお電話、伯爵家の姫さんですかい?」
「ああ」
ディーノが携帯電話を閉じる。赤いフェラーリの後部座席に一人で悠々と座っていた。
ハンドルを握るフィオラノはミラーでディーノの表情を確認する。
ニヤリと笑っていた。“別れ”の電話ではなかったようだ。
「うちとのビジネスを切られるまでには至らなかったようですね? 安心しました」
ディーノは足を組みかえる。今日はブラックのレザージャケット。
襟のみブラウンで、シンプルながらダンディズムを感じさせるデザインだ。
アルマーニの黒ラベルが細身の身体にぴたりと合っている。
「んなことまだ気にしてたのかあ? 意外と気が小せえんだなあ、おめーは」
「兄貴がスーパーポジティブですから、自分は自然と慎重になってしまうんですよ。
でも、姫さんのご機嫌はいかがでした? 相当ご立腹だったように聞こえましたけど?」
「なんかニャアニャア鳴いてたが、要は俺の声を聞きたかっただけだろ」
フィオラノは笑った。
「お熱いことで。ごちそうさまです」
「妬くな、妬くな。それより、車、もっと飛ばせよ、フィオ。
今日は久し振りにママの手料理が食えるんだからな!」
「あ、そうだ。すみません。言い忘れていましたが、今日はマダムが、
兄貴のお好きなペペロンチーノを作って下さるそうですよ?
だから、寄り道しないで真っ直ぐ帰っていらっしゃいと」
「マジか! てか、フィオ、んな大事なこと言い忘れてんじゃねえよ!」
「すみません。つい、うっかり」
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「司令、ドクターをお連れしました」
翌日。一時間目の授業が始まった頃に、ソクーロフ博士が警備本部にやってきた。
「昨夜は私の都合で、キャンセルして悪かったね」
いえ、と副司令官のクロイツが言う。
「ドクターが、ドクターのお仕事を優先されるのは当然ですから」
司令官が尋ねる。
「ラビットはもう平気なの?」
「ああ。昨日は吸入薬で発作は治まったからな。
今朝も、ここに来る前に、ラビットの様子も見てきたが」
「どうだった?」
今朝、警備は改めてシュヌーシア寮へ報告を入れていた。
今回の侵入者は全員捕えたので心配要らないこと、
そして、ラビの母親が生きていたという話は嘘だったことを伝えたのだ。
「悪くはない。警備からの報告を聞いたあとは涙したようだがね」
「……そう、だよね、やっぱり」
司令官は声を落とした。
「だが、今日は発作を起こすまでには至らなかった。
ラビットのメンタルケアは引き続き行うから、あとはこちらに任せてくれればいい」
「ん。ありがと」
アイヴィーは、ソクーロフの目許を覗きながら、
「ね、あんたは昨日ちゃんと寝た? もしかして、ずっとラビットの」
「徹夜に近い君達に心配される程ではない。それで、私のクライアントは?」
副司令官が答える。
「取調室です。準備はできています」
「ありがとう。では早速、始めたいと思うが。良いかね、司令官?」
「お願いします、ドクター」
司令官と副司令官が居る部屋から、ガラス越しに取調室が見える。
ここの取調室は、マジックミラー越しに見学できる仕様になっていた。
真っ白な部屋の中央に、ひとつだけ椅子がある。
椅子に座っているのはダークスーツを着たスキンヘッドの男だ。年齢は30代前後だろう。
奥のドアから白衣を着たソクーロフ博士が入ってきた。
スキンヘッドの男の傍へゆっくりと歩いていく。
男が座る椅子の真横に立ち、静かに語り掛ける。
10分と経たないうちに、博士の手によって男は催眠状態に入った。
「お名前は?」
博士に尋ねられて、大の男がまるで素直な子供のように答えた。
「マイヤー」
「マイヤーだね」
こういう時、博士の声は酷く優しい。ゾクリとするほどに。
「君は、誰に言われて、ここに来たのかな?」
「サルヴァトーレ様に」
見ていたアイヴィーは「えっ」と驚いた。
「ディーノじゃないのかよ? でも、サルヴァトーレって、どっかで聞いた名前だな」
隣で副司令官が嘆息する。
「まさかとは思いますが、以前、貴方が危険視していた家の者では?」
苛立ちを滲ませた吐息だった。上司への憤りではなく、自分への。
「今になってその名を聞くなんて」
取調室で博士が質問を続ける。
「サルヴァトーレ様というのは?」
スキンヘッドの男が答える。
「……私達シーゲル・ファミリーの、アンダーボス」
アイヴィーは思わずガラスに触れていた。
「シーゲルかよ!?」
博士は一瞬、マジックミラーのほうに視線を送ったが、すぐにインタビュアーに戻った。
「サルヴァトーレ様から、この島のことを聞いたのかい?」
「いいえ」
「では、この島の存在は、どうやって知ったのかな?」
博士に操られるまま、男はあの夜の出来事を話した。
シーゲル・ファミリーが根城にしているレストラン『リストランテ・フィガロ』で、
定例の集会を行っていた時のことだ。その夜は部外者が二人現れた。
ドアを開けたのはグレイのスーツを着た眼鏡の男だった。白スーツの男が店内に入ってきた。
すかさずドアの傍に居た見張り番が追い出しにかかった。
「お兄さん達、クローズの札が見えなかったのか?
悪いが、今日は俺達の貸し切りなんだ。さあ、帰った、帰った」
ところが、白スーツの男は物怖じするどころか笑ったのだ。
それを見て、マイヤーは席を立とうとした。しかし、自分の腕に誰かの手が触れた。
黒に染められた爪。サルヴァトーレの手だった。
「僕が行きます」
そう呟いて、アンダーボス自ら仲裁に向かった。
「な、なんだ、てめえ」
見張り番が相手の胸倉を掴もうとした時。
「およしなさい」
サルヴァトーレに止められ、見張り番は肩が跳ねるほど驚いていた。
「大変失礼致しました。彼はうちで一番若いマフィオーソで、
教育が足りず、申し訳ありません。彼に見張りを言い付けたのは僕です。
お叱りは僕がお受けします。彼はどうかお許し下さい」
「お前が、ここのアンダーボスか」
「はい。サルヴァトーレ・シーゲルと申します。
貴方はマンゾーニ・ファミリーのアンダーボスさんですね?」
「ああ。ディーノ・マンゾーニだ」
名を聞いて、見張り番はヒッと短い悲鳴を上げた。
シチリアマフィアの中でも血塗られた歴史を持つマンゾーニ。
そのNo.2に無礼な態度を取ったのだ。
マンゾーニとシーゲル、どちらの人間から殺されても可笑しくはない。
事の重大さに気付いた顔から、さーっと血の気が引いていく。
ディーノの傍らに居る眼鏡の男が、すっと前に出る。
「ご心配には及びません。うちの兄貴は懐がでっかいですから。ね、兄貴?」
「ああ。新入りなら仕方ねえなあ。血の気が多い野郎は伸びるぜ。これからもその調子でな?」
シーゲルのNo.2は丁重に礼を述べた。
「寛大なお言葉、ありがとうございます。さ、お前は向こうへ行っていなさい」
「は、はい。すみませんでした! 失礼します!」
頭を下げ、奥へ引っ込んでいった。
「感謝します。このようなことで、業界内でも残虐で有名なマンゾーニ・ファミリーに、
目を付けられたくはないですからね。しかし、今宵はどうなさいました?
我々が集う店に、アンダーボス自らお越しになるとは。
他にも、うちの者がそちらに何か失礼をしましたでしょうか?」
「いいや」
「では、この店自慢の赤ワインの評判でもお聞きになりました?」
「へえ、そんなのがあんのか。なら、飲ませて貰いてえなあ。
丁度、こっちには酒の肴になるおもしれえ話があんだよ」
「面白い話、ですか。生憎、ボスは今日不在で、僕が伺っても良いお話でしょうか?」
「俺は、お前に話があって来たんだぜ? サルヴァトーレ」
「僕に?」
「たまにはアンダーボス同士の密会ってのもイイじゃねえか。
聞きてえだろ? お前の席の隣、空いてるか?」
「もちろんです。どうぞ、こちらへ」
カウンター席の端へ案内した。
サルヴァトーレ、ディーノ、その連れという並びで席に着いた。
「マスター、僕からこちらのお客様にワインを」
「か、畏まりました」
初老のマスターは、ディーノをちらりと盗み見てから、ワインボトルを手に取った。
ディーノはひょいと片手を挙げる。
「あー、メニュー表くれるか。俺、なんかハラ減ってきた。フィオもなんか食うだろ?」
眼鏡の男は苦笑している。
「アウェイなのに、マイペースですね、兄貴は」
マンゾーニの二人がメニュー表を見ている間に、
シーゲル・ファミリーの舎弟がサルヴァトーレに近付いてきた。
サルヴァトーレはディーノに「すみません。少し失礼します」と断って、席を外した。
壁側に移動してきたサルヴァトーレと舎弟の話し合いが、マイヤーの耳にも漏れ聞こえてくる。
「ダンナ、止めて下さい。マンゾーニなんかと話すことなんてないでしょう」
舎弟の訴えに、アンダーボスは冷静に答える。
「あのマンゾーニ・ファミリーが話があるとおっしゃってるんですよ?
お話も聞かずに追い返すなんて無礼が通用するとは思えませんが」
「ですが、いくらマンゾーニのアンダーボスと言っても、
連れは弱っちそうな眼鏡の優男だけじゃないすか。
あっちはたった二人、こっちは十二人ですぜ。いっそ、ここでやっちまうってのも」
「無知とは最大の勇気ですね。お前達十人が束になっても、あの優男さんにさえ敵いませんよ」
「えっ……」
「彼等のお相手は僕がします。お前達は外して下さい。
僕は可愛いお前達を無駄死にさせたくはないのです。解りますね?」
「でもダンナ」
「君は、僕に同じことを二度言わせるつもりですか?」
舎弟は息を呑む。サルヴァトーレは微笑した。
「心配しなくても大丈夫ですよ」
サルヴァトーレは、カウンター席に戻ってくる時に、長身の男を呼んだ。
「マイヤー、来て下さい」
スキンヘッドの男がやってくる。マンゾーニの二人に一礼した。
「マンゾーニさん、彼だけ、同席をお許し頂けますか? マイヤーと申します。僕の右腕です」
「いいぜ? こっちも一人連れてるしな。こいつは」
「自分はフィオラノと申します。初めまして。よろしくお願い致します」
「こちらこそお願いします。フィオラノさんのお噂はかねがね」
「へえ。おめーも有名になったもんだなあ、フィオ」
初老のマスターがワイングラスを差し出す。
「お待たせしました、当店のオリジナルワインです」
ディーノがグラスに手を伸ばす。色は限りなく紫に近い赤。
ワイングラスの中で一度だけ揺らし、口付けた。コクコクと喉仏を鳴らして。
「あー、ウマイじゃねえか、コレ!」
「お口に合いましたか。良かった」
サルヴァトーレは笑顔を見せた。
「ところで。お父上のカルロ氏はご健勝ですか?」
「親父に何か用か?」
「いえ、言葉の通りですよ。うちの父も大分年でしてね、
最近はよく腰が痛いと言うものですから。マンゾーニさんのお父上はお元気かなと」
「そういうことか。確かに昔のようにピンピンしちゃあいないが、頭はまだまだキレるぜ?」
「流石はドン・カルロ。『シチリアの毒牙』は、
衰えていないようですね。お元気そうで何よりです」
「おい、フィオ。こいつ、悪いヤツじゃねえぞ」
「もう。兄貴はボスを褒められると弱いんですから」
サルヴァトーレはまた笑った。
「ああ、すみません。余計なお喋りに付き合わせてしまって。
マンゾーニさんが僕にお話があるんでしたよね。お聞かせ願えますか、その面白いお話」
「ああ。ハラワタよじれるぜ?」
まるで店全体が静まり返ったように、ディーノの話に聞き入った。
「本当ですか?」
その事実は、シーゲルのNo.2を驚かせた。
「ああ。マジだぜ?」
サルヴァトーレは落ち着きを失い、動揺を隠せないでいる。
ディーノは旨そうに葉巻を吹かしながら、
「どーよ? ちょーおもしれえ話だろ?」
「ええ。面白過ぎますよ」
サルヴァトーレの悪癖が出たとマイヤーは思った。
アンダーボスなのだから、人前で子供染みた癖は控えるよう言っているのだが。
サルヴァトーレは親指を齧っていた。
「マルセロのご子息がご存命で、地図に載らない島に居るだなんて」
「ねえ、クロイツ。これってさあ」
自白する男をガラス越しに見ていたアイヴィーは、苦い顔をしていた。
「シーゲルに島の情報を流したのがディーノってことだよねえ?」
「そのようですね」
「あーいーつーめー!」
その夜、生徒代表室でミーティングが行われた。
出席者は、生徒代表のジョシュア、ソクーロフ博士、
警備本部からパソコン越しに参加している司令官のアイヴィーだ。
司令官から侵入者についての報告が終わると、次はソクーロフが話し手となった。
「ラビットのカウンセリングと、侵入者達の証言から解ったことだが、
元々シーゲルは、ラビットの行方を探していたようだ」
「うっそ。マジで!?」
パソコン画面に映るアイヴィーも驚いていた。
「シーゲルとマルセロは、表立って争うことはなかったが、内部ではいがみ合っていたようだ。
マルセロの先代ボスを焼き殺したのがシーゲルだと噂されるのと同じように、
マルセロは密かにシーゲルにスパイを送り込んでいるのではないかという噂もあったそうだ。
それから、アイヴィー。今朝のニュースは見たかね?」
司令官は下唇を噛む。
「あー、アレでしょ? 朝見て目ぇ覚めたわ」
そこで博士は生徒代表の表情を伺う。途惑っていた。
「ジョシュアはまだ知らないようだね」
失礼、と言ってジョシュアの横からマウスとキーボードを操作した。
アイヴィーが映っているウインドウを小さくし、脇に寄せる。
新たなウインドウでニュースサイトを開き、その記事を見せた。
「今朝、こういう報道があったんだ」
シチリアでシーゲル・ファミリーの次期ボスが捕まったニュースだった。
同時に構成員の多くが捕まり、もはやシーゲルは壊滅状態だというのだ。
聖アルフォンソ島にシーゲルが上陸しようとしたのと同じ日に。ソクーロフは淡々と話した。
「今回、シーゲルを壊滅させたことで、ラビットを、
そしてマルセロ家を守れたと言っても過言ではない。
この島にラビットが居る。敢えて正しい情報を相手に吹き込み、
そこへ現れたところを確実に一網打尽にする。
失敗するリスクがある中、この作戦を実行するには、相当の勝算と勇気が必要だ。
つまり、この計画の立案者は、警備への信用が篤かったとも考えられる。
もしくは、他にも何か手を打っていたか。
どちらにせよ、お前は彼等に礼を言うべきかもしれないな」
「誰にさ?」
「それは、お前も聞いていただろう? シーゲルにラビットの所在地を話したのは」
「ニュース、見たよ」
学院の通信室。完全防音のプライベートブースに一人の生徒が居た。
白く細い手が受話器を持っている。冷たくて甘いバニラボイスが呟かれる。
「シーゲル・ファミリーが壊滅したそうだね?」
受話器の向こうからは、笑いを含んだ、低いしゃがれ声。
「ああ。そういや、そんなニュース、やってたな」
「僕に白を切るつもり? シーゲルを潰したのは、君達でしょう?」
向こうはフッと笑うだけだった。
「君は、この僕を駒のひとつにしたんだ」
今日のバニラボイスは酷く冷えている。
「あの電話。ラビット・マルセロを島で見たと僕に伝えたのは、
僕に警戒心を植え付け、この島の警備レベルを上げさせることが目的だったんだ。
島に侵入してくるシーゲルを、警備組織が確実に捕らえられるように」
アンリは、ジョシュアから侵入者の正体はシーゲルだったと聞いた。
その時になってやっと今回の全貌が見えた。
ラビットの誘拐。それを実行したかったのはシーゲル家だけ。
彼等は、シーゲル家を潰したいマンゾーニに利用されたのだと。
「マンゾーニにとって邪魔な存在だったのは、マルセロではなくシーゲルだったんだね。
だから、わざとシーゲルにマルセロの一人息子が島に居る情報を流した。
島への侵入者は警備組織が捕まえる。彼等はそれが仕事だもの。
君は、自分の思惑通りに、警備組織を動かした。
そして、構成員が聖アルフォンソ島とシチリアに二分された時期を狙って、
君達は、シチリアに残ったシーゲル家を潰したんだ」
「ひでぇ言い草だなあ。それじゃあまるで、俺様が悪党みたいじゃねえか」
マフィアのくせに。
「俺達がやったって証拠があるんなら、サツに突き出せばいいさ」
「僕は無駄なことはしない主義だ。君が爪痕を残してるわけがない。
それに、君達を警察に売ることは、僕にとっての不利益が大き過ぎる」
せっかく手にした剣と盾をこんなことで失いたくない。
それに、一度内情を見せた人間を、そう易々と手放して赤の他人になってくれるとは思えない。
「そう言ってくれると思ったぜ、お姫様。俺達はまだ付き合い始めたばっかだもんなあ」
そう言って、自分で笑ったあとで、彼は自分が行ったことを認める発言をした。
「マルセロのガキを助ける為に、おめーが動いてくれるかが一番の賭けだったが。
ホントに思い通りに警備に連絡してくれるとはな。さすがパパだ」
「彼の策だったの?」
「そうさ。『ああ見えて、あのバンビーノは心根は優しく、甘い子供だ』ってな?」
「子供……」
「パパは天才だ。パパの言うことはいつだって正しい」
カルロ・マンゾーニ。ご老体のくせに未だボスの座に君臨し続けるだけのことはあるか。
「やっぱアレか? あのガキを助けようとしたのは、
マージナルプリンス同士の友情ってヤツか? 泣かせるじゃねえか。見直したぜ?」
「何、似合わないこと言ってるの。僕は借りを返しただけだ」
「借り?」
「君には関係ない。こんなふざけた真似、次はないよ」
「今のお電話、伯爵家の姫さんですかい?」
「ああ」
ディーノが携帯電話を閉じる。赤いフェラーリの後部座席に一人で悠々と座っていた。
ハンドルを握るフィオラノはミラーでディーノの表情を確認する。
ニヤリと笑っていた。“別れ”の電話ではなかったようだ。
「うちとのビジネスを切られるまでには至らなかったようですね? 安心しました」
ディーノは足を組みかえる。今日はブラックのレザージャケット。
襟のみブラウンで、シンプルながらダンディズムを感じさせるデザインだ。
アルマーニの黒ラベルが細身の身体にぴたりと合っている。
「んなことまだ気にしてたのかあ? 意外と気が小せえんだなあ、おめーは」
「兄貴がスーパーポジティブですから、自分は自然と慎重になってしまうんですよ。
でも、姫さんのご機嫌はいかがでした? 相当ご立腹だったように聞こえましたけど?」
「なんかニャアニャア鳴いてたが、要は俺の声を聞きたかっただけだろ」
フィオラノは笑った。
「お熱いことで。ごちそうさまです」
「妬くな、妬くな。それより、車、もっと飛ばせよ、フィオ。
今日は久し振りにママの手料理が食えるんだからな!」
「あ、そうだ。すみません。言い忘れていましたが、今日はマダムが、
兄貴のお好きなペペロンチーノを作って下さるそうですよ?
だから、寄り道しないで真っ直ぐ帰っていらっしゃいと」
「マジか! てか、フィオ、んな大事なこと言い忘れてんじゃねえよ!」
「すみません。つい、うっかり」
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