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■アンリ×姉貴(新婚モード) ※ドリーム機能版はこちら
「来週の土曜日のことなんだけど」
帰宅したアンリは、ネクタイを緩めながら、そう切り出した。
「ごめん。急だけど、出張になったんだ、海外に」
土曜日は、一緒にパリまで出かける約束をしていた日。
アンリの仕事が忙しくて、既に二度延期されたデートだったので、
##NAME1##は正直がっかりしたが、
それが表に出ないように「仕事じゃ仕方ないよね」と言った。
先日アンリと結婚した##NAME1##は、フランスにあるサン・ジェルマン邸で暮らし始めた。
予想以上に広く、歴史ある邸だった。
アンリは、亡父が経営していた会社や株の所有権は全て放棄したが、
この邸は誰にも譲らなかったのである。
現在は、在学中に起業した会社の経営者として忙しい毎日を送っている。
朝は早く、夜は遅い。家より会社に居る時間のほうが圧倒的に長く、
この頃は特に、##NAME1##は、夫であるアンリと、ろくに会話さえできない日々が続いていた。
そんな中、今度の土曜日は、やっとアンリの手が空くので、
久し振りに二人で過ごそうと約束していたのである。
ヒュルと布が擦れる音がした。
アンリが首からネクタイを抜いていた。
「##NAME1##との約束を、また破ることになるのは、悪いと思ってる。
でも、今後の取引を考えると、どうしても会っておきたい人が居て」
ソファの背に放られた濃紺のネクタイ。
それを見て、ふと##NAME1##は思った。死んだ蛇みたい。
「彼が出席するセレブパーティーが今度の土曜日なんだ」
言いながら、首許のボタンを上から二つ外す。
「次にいつ会えるか解らないし、僕はこのチャンスを逃したくない。だから」
解った、と##NAME1##は言った。そう言うより他になかった。
「ありがとう、##NAME1##。君ならそう言ってくれると思ってた」
##NAME1##だってアンリが忙しいのは解る。妻なのだから。
ここで「嫌だ」とワガママを言って、彼を困らせるようなことは絶対にしたくない。
そんなのは、彼も望んでいないし、自分のプライドが許さない。
「ごめんね、##NAME1##」
突然、背中からそっと抱き締められた。
前に回されたアンリの白い腕が、俯いてる##NAME1##の視界に入る。
ああ、これは白い蛇みたい。
「僕だって、本当は、##NAME1##と一緒に過ごしたかったんだよ?」
首筋で空気の振動を感じた。##NAME1##のうなじに吐息がかかってる。
「だからね? 海外出張だけど、今回は君を家に置いていくつもりはないんだよ?」
えっ、と##NAME1##が言った。
腕の拘束がとける。##NAME1##がアンリのほうを向く。
アンリは微笑していた。
「土曜日は、君も連れて行く。一緒に行こうよ?
目的地を、パリからアテネに変えてしまうけれど。
海外旅行にグレードが上がったとでも思って、許してくれないかな?」
##NAME1##に断る理由はない。
だが、彼は仕事で行くのに、自分が付いていったら邪魔にならないだろうか。
そう尋ねると、彼は「まさか」と笑い、ソファに座った。
##NAME1##も隣に座る。彼は脚を組む。
「実を言うとね? どうしても君を連れて行かなくちゃいけないんだ」
何、その言い方。##NAME1##は少しカチンときた。
アンリのことは好きだが、それでも時々彼の傲慢さや高圧的な態度にイラッとくるのは事実だ。
「君には悪いんだけど、僕と一緒にパーティーに出席して欲しいんだ。
パートナーが居るなら必ず連れて行くことが、暗黙の了解になってるパーティーなんだよね」
アンリは横髪をクルクルと弄びながら、
「伝統的に続いてる、由緒あるセレブパーティーだとかで、
昔の貴族みたいなシキタリがあるんだよ、僕は今時どうかと思うけど」
そんなパーティーに私が行っていいのか。##NAME1##は少しイライラしながら聞いた。
「ああ、平気だよ? 広いホールで行われる立食パーティーだから。
君は綺麗なドレスを着て、僕の隣に立っていてくれるだけでいい。
ビジネスの話をする時は、彼と僕の二人きりで話すから、
君は好きなものでも食べながら待っていて?
ね? 君にとっても、そんなに悪い話ではないでしょう? 来てくれるよね?」
##NAME1##は頷いた。
「ありがとう。助かるよ。パートナーが居ないと格好が付かないパーティーだから」
彼は冷笑していた。##NAME1##の苛立ちが増す。
どうして今日は、こんなに気持ちがざわめくのだろう。
アンリの一挙一動に対して、過敏になっている。
普段は何とも思わない言い方や仕草にさえ、感情が波立つ。
彼は凭れていた背を起こして、##NAME1##のほうを見る。
アンリの顔が間近にある。悔しいが、何度見ても綺麗な顔だ。
「明日の夜、新しいドレスを買いに行こう? 君に似合う物、僕が選んであげる」
土曜日。アンリと##NAME1##は航空機に乗り、フランスから離陸した。
彼がとった席は当たり前のようにファーストクラスだった。
「ごめん。向こうに着くまで一眠りさせてくれる?
今日の準備で、昨日はあまり寝ていないんだ」
そう言って、彼はすぐに眠ってしまい、着陸まで起きなかった。
夜、##NAME1##はドレスを着て、パーティー会場に来た。
アンリが選んだのは、淡いブルーのロングドレスだった。
彼はダークブルーのスーツ。ブルーは彼の好きな色だ。
二人並んで立っていると、同系色なので綺麗に揃って見える。
どちらの衣装も##NAME1##が日本に居た頃には目にしたことがないような値段。
超が付く高級ブランド店で、アンリが購入したものだ。
雲の上でよく眠ったおかげか、アンリは機嫌が悪くない様子だ。
今日の目的である、重要人物とはすぐに会えた。
おひげのおじいさんで、優しそうな雰囲気の人だった。
身なりは上品だし、チラリと見えた腕時計も高価そうに見えた。
アンリがどうしても会いたいと言うくらいだし、かなりのお金持ちのようだ。
「そちらのお嬢さんが、サン・ジェルマン氏の奥方ですか」
##NAME1##が挨拶しようとすると、アンリが先に口を開いた。
「はい。##NAME1##と申します」
##NAME1##は礼だけした。
「ほほう。サン・ジェルマン氏とご同様に、お若くてお綺麗な方ですな」
「妻をお褒め頂き、ありがとうございます」
アンリは礼儀正しく礼をした。
「今日は二階に別室を用意しています。ここで立ち話するのは申し訳ないので、
早速そちらでビジネスのお話をさせて頂きたいのですが」
「そうですな。カネの話はレディに聞かせるモンじゃない。
奥方には寂しい想いをさせてすまないが、旦那様を少しお借りして良いですかな?」
##NAME1##が返事しようとしたのだが、またアンリが答えた。
「構いません。彼女は、僕の仕事も、僕のことも理解していますから」
おじいさんがハハハッと豪快に笑う。
「これはこれは。理解ある奥方に恵まれて羨ましい。
うちの家内は、少し構ってやれないと、すぐヘソを曲げますから」
すると、アンリが軽く微笑したので、##NAME1##は内心ビックリした。
アンリは相手の言葉に合わせて、笑って“あげた”のだろう。
しかし、以前のアンリなら、そんなことはしなかった筈だ。
良くて無反応か、下手すると、
「あっそう」とか「くだらない」とバッサリ切ってしまうような人だった。
社会に出るようになって、彼も人並みの社交術を身に付けたらしい。
ホールに一歩入ってからのアンリは、普段と態度が違うのだ。
不機嫌なくらいがアンリのデフォルトだと思っている##NAME1##には、衝撃である。
愛想の良いアンリが見慣れないせいか、逆に気持ちが悪いくらいだ。
こんなに外面が良くなったとは知らなかった。仕事中はいつもこうなのだろうか。
「それでは別室にご案内します。――##NAME1##」
アンリの声が優しい。
「君は好きな場所で待っていて? 会場に戻ってきたら僕が君を探す。
もし見つけられなかったら携帯に電話するから」
アンリの先導で、彼等はホールから出て行った。
遠ざかっていくダークブルーの背中を、##NAME1##はぼうっと見ていた。
事前に解っていたことだが、知り合いが他に誰も居ない、広い会場で一人きりにされてしまった。
暫くの間、ここに居なくてはならない。待つことくらいならできる。そう長くはかからないだろうし。
料理を食べていればいいのだが、緊張しているせいか空腹ではない。
完全に手持ち無沙汰である。とりあえず何かグラスでも持とうか。
「おやおや。困ったものだねえ、アンリは。美しい姫にこんな憂い顔をさせるなんて」
##NAME1##の前方から声がした。思わず振り返る。
そこに居たのは、見知らぬ男性。彼は胸に手を置いて、こう言った。
「あの子が戻るまで、よろしければ私に、お相手をさせて頂けませんか、姫?」
##NAME1##のことを、いきなり姫と呼んだのは、燕尾服を着た男性だった。
髪は明るい金色で緩い波がある。年はアンリと同じくらいか、少し上だろうか。
アンリの名前を知っていたのだから、知り合いということになる。
取引先の人だろうか。それにしては、随分親しげな様子だったが。
この人は一体誰なのだろう?
##NAME1##の頭上に浮かぶ、透明な疑問符が見えたのか、金髪の男性は微笑んだ。
アンリとは種類が全く異なる、あたたかい笑顔で。
「失礼。自己紹介もせずに、驚かせてしまいましたね。
決して、怪しい者ではありませんから、安心して下さい。私は」
すっと##NAME1##に近付き、囁いた。
「アンリと同じ、マージナルプリンスです」
彼はテオ・メネシスと名乗った。
ジョシュアの前の生徒代表なのだそうだ。
学年で言えば、アンリより二個上の先輩ということになる。
アンリが入寮していたウーティス寮の生徒について、
テオはジョシュアからハルヤまで知っていた。
おそらく、ユウタの入学直前に卒業した生徒なのだろう。
現在はこの国で暮らし、実家の海運業を手伝っているらしい。
終始にこにこしながら、そう話してくれた。
##NAME1##も自己紹介をした。
名前を言うと、ほう、と感嘆の溜め息を吐かれた。
「なんと美しい響きなのだろう。姫の姫は名前も美しいのだね」
大袈裟にも思えるリアクションが返ってきた。
ちょっと変わった人みたいだが、悪い人ではなさそうだ。
正直、聖アルフォンソ学院の卒業生と聞いただけでも、##NAME1##は随分ほっとした。
それに、ジョシュア達とも知り合いなのだ。テオと##NAME1##は互いに、友達の友達と言える。
テオは学院の卒業生達の近況について詳しかった。
アルフレッドが出演した最新映画や、シルヴァンの噂話などに花が咲く。
ハルヤについては、日舞の復帰作が公演された時、テオは日本まで応援に駆け付けたらしい。
そこまで話すのに、おそらく五分も経っていなかっただろう。
その短い間に、##NAME1##はテオのことを古くからの友人のように感じていた。
今日が初対面の筈なのに、まるで親友と久し振りに再会できたかのような気持ちになっていたのだ。
共通の友人が居たせいか、テオの成せる技なのか、その両方かもしれない。
テオという人は、何もかもがアンリとは全く違う。
お喋りが大好きで、人に対しとてもフランク。根っからの社交派タイプといったかんじだ。
表情もコロコロ変わる。何より印象的なのは彼の笑顔だ。
見ている人の気持ちまで、あたためてくれる。
例えるなら、そう、太陽みたいな笑顔だ。
「ところで、アンリは」
一通りウーティス寮生の噂話をしたあと、テオはこう言った。
「アンゲロプロス氏にお話があるようだったけれど、
もしや、今後は娯楽産業にも手を広げるつもりなのかい?
年々素晴らしい業績を上げているのに、更に新規開拓とは。貪欲だねえ、アンリは」
さっきのおじいさんの名前を出したようだが、##NAME1##には「アンゲロ」までしか聞き取れなかった。
えっ、と聞き返した##NAME1##を見て、テオも同じように、えっ、と聞き返した。
「アンゲロプロス氏のこと、姫はアンリに聞いていなかったのかい?」
はい、と答える。テオは表情を曇らせ、ううむ、と唸った。
「ビジネスのお相手だから言わなかったのかなあ?
でも誰に会うかくらい話しても良いと思うけれどねえ」
確かにテオの言う通りである。
##NAME1##は今まで疑問に思わなかったが、教えてくれても良かった筈だ。
テオは、おじいさんの正体について説明してくれた。
「彼はヨルゴス・アンゲロプロス氏。ギリシャが誇る名映画監督だ。
姫も作品名は聞いたことがあるんじゃないかな。『1935年の日々』や『雲の中の風景』が代表作だよ」
聞いたことがある。有名な映画賞を総舐めにした作品だ。
「アンゲロプロス氏は昨年、惜しまれながら映画の世界から引退され、すぐに映画学校を設立された。
けれど、新たな遊び場を見つけたいと仰って、
学校の経営権は昔お世話になったというご友人にあげてしまったんだ」
人差し指を立て、##NAME1##にウインクする。
「そして、これは、まだ噂の段階なのだけれどね?」
ナイショ話をするように、急にヒソヒソ声になる。
「実は、世界のどこかに、今までにないニュータイプの娯楽施設の建設を計画されているとか?」
フフと楽しそうに笑う。
「そんな噂があるものだから、私はてっきり、その計画にアンリが一枚噛むつもりなのかと思ったのだよ」
声の大きさが通常に戻る。
「実は、私の父が、アンゲロプロス氏と知り合いで、私も少しお話をさせて頂いたことはあるんだ。
御年62になられたとは思えないほど、少年のような瞳と好奇心をお持ちでね。
流行に敏感で、今も変わらずアグレッシブな方だ。
彼は、創造と娯楽を司る神様のような人なのだよ!」
アンリがコンタクトを取りたがった人物が、そんなビックネームだったとは##NAME1##は思わなかった。
「アンゲロプロス氏は今までにも若い才能と親しくしてきた御方だから、
きっと、アンリの持つ天性の直感力と絶えまぬ努力に心惹かれたのだろうねえ。
ああ、これは大変に素晴らしいことだよ、姫!
あの二人がタッグを組むとなると、誰も想像しなかった新しいものが出来上がるに違いない!
ワクワクしてきたねえ! もし何か手伝えることがあれば、私も仲間に入れて欲しいくらいだよ!」
通りかかったボーイがテオに飲み物を勧める。
「シャンパンはいかがですか?」
金色のドリンクが細長いワイングラスに入っている。
ボーイは、それを五本、トレイに乗せていた。
「あ、ありがとう。丁度喉が渇いていたんだ。姫もどうかな?」
頂きます、と答える。
テオはボーイから両手でグラスを受け取り、片手を##NAME1##に差し出した。
「乾杯しようよ、姫」
何に乾杯しますか、と尋ねる。
「それはもちろん」
テオは笑って、グラスを少し掲げる。
「貴女のような美しい姫と、共にある奇蹟に」
二つのグラスが鳴った。
「それにしても、先程のアンリは酷い夫だったねえ。姫を悲しませるようなことをして」
##NAME1##を置き去りにしたことを言ってくれているのだろう。
酷い夫、という点については、##NAME1##は否定した。
アンリは仕事の一環で、あの人に会う為だけに来たのだ、と説明したのだが、
テオはいやいやと首を振った。
「姫を一人にしたこともそうだけれど、私はそれ以上に、姫に対する振る舞いが気になったのだよ」
##NAME1##は何も言えなくなる。
「姫に対する思い遣りに欠けていた。
まあ、あの子は昔から、人に冷たく接してしまうところがあったし、
本人に悪気がないのは解っているが。けれど、先程は、姫の憂い顔が何より物語っていた」
テオは##NAME1##の手を握った。
「姫? もしや、普段から、あの子の悪気のない冷たさに困ることがあったんじゃないのかい?」
「ああ、やっと見つけた」
バニラボイスがした。
「遅くなって悪かったね。思ったより話が長引い……」
##NAME1##の傍らに居る人物を見て、アンリは絶句した。
テオは笑顔で片手を挙げた。
「やあ! 久し振りだね、アンリ。大人になって、ますます美貌に磨きがかかったね?」
アンリはあからさまに嫌そうな顔をした。
「……テオ。どうして貴方が、##NAME1##と一緒に居るの」
「ここはギリシャだよ? 私はこのようなパーティーには、大抵、顔を出しているからね?」
「あっそう」
完全に機嫌が悪くなった。けれど、##NAME1##はご機嫌斜めなアンリを見て、なんだか安心した。
愛想の良いアンリから、##NAME1##の知っているアンリに戻ったのが嬉しかったのかもしれない。
アンリは溜め息を吐き出した。思いきり素の状態だ。
「社交界に顔を出し続けていたら、貴方と鉢合わせる日が来るかもしれないとは思っていたけれど」
「うん! 私もいつかきっとアンリに会える日が来ると信じていた! 会いたかったよアンリ!」
ガバッとハグした。アンリが怒り出さないか##NAME1##は心配したが、
意外にも、されるまま抱きつかれている。
満更でもない、というよりは抵抗するのも面倒といった顔をしていた。
「よりによって、今日みたいな日に、貴方に会うとは思わなかったよ」
会いたくなかったようだ。
「あっ! それより、アンリ! 姫に聞いたよ! 全く、君という子は!」
「……何」
「罰として、今夜は私の家に泊まりなさい!」
「……何の罰? 第一、今夜はホテルを取ってある」
「私の家をホテルにすればいいじゃないか! どこのホテルにも負けないよ、うちは!」
「……何を競っているの? 話が見えない。
もうここに用はないし、この人は放っておこう。行くよ、##NAME1##」
手首を捕まれる。しかし、##NAME1##は動かなかった。
「##NAME1##?」
アンリは驚いて、彼女を見つめた。
「君まで何? まさか、僕より彼の言うことを聞くというの? どうして」
アンリが、はっとする。
「テオ、貴方のせいなの? 僕が目を離している隙に」
テオを睨んだ。キツイ眼差しだ。
「##NAME1##のことはたぶらかさないで。彼女は僕と結婚しているの。
彼女に手を出すなら、幾ら貴方でも許さない。##NAME1##は僕のだ」
テオは額を押さえ、芝居がかった調子でふらつく。
「ああ、これだ! だから、姫を悲しませるのだよ、君は!」
テオが立腹してみせる。だが、プンプンといったかんじで可愛らしい。
本気で怒っているわけではないのだ。
「いけないよ、アンリ」
テオは優しく言った。
「それでは、まるでオモチャを取られた子供のようじゃないか?」
「……貴方は、何を言ってるの」
「よしっ! 解らないなら、解るまで教えるから、とにかく私の家においで!」
「だから、なんで貴方の家に」
「決まっているじゃないか! 下級生の面倒を見るのは、
上級生の役目だからだよ。シュヌーシアの伝統だからね!」
「僕はシュヌーシアじゃ」
「ゼノ! そういうわけだから、うちのみんなに電話をしておくれ!
これから、大切なゲストを二人連れて帰るよとね!」
いつから居たのか、テオの背後には、背の高い男性が控えていた。
長い金髪。色はテオよりやや暗い。細いシャープな眼鏡をかけている。
「しかし、テオ様、よろしいのですか? そのようなお節介をしては、ご夫妻にご迷惑では?」
「えっ!? 私、お節介!?」
テオはビックリしている。急にしゅんとなった。
「……ゼノが本当にそう思うのなら、止めようかな、私……」
眼鏡の男性は苦笑した。
「いえ。申し訳ございません。テオ様が仰るように、
今のご夫妻にはテオ様の手助けが必要なのかもしれませんね」
テオの表情がぱあっと明るくなる。
「そうだろう!? ああ、良かった! 私が二人に迷惑をかけているのかと思ったよ!」
アンリがぼそりと言う。
「僕は迷惑なんだけど」
眼鏡の男性が、まあまあと宥める。
「サン・ジェルマン様? ここはひとつ、テオ様のご提案に乗ってみてはいかがでしょう?
当家のゲストルームが、他のホテルに引けを取らないのは事実ですし、
テオ様のご学友から宿泊費を取るような真似も致しません。
そう思えば、サン・ジェルマン様にとっても、悪いお話ではないと存じますが?」
「ところで、貴方は誰なの?」
「ああ、失礼致しました。申し遅れましたが、私」
テオは##NAME1##に話しかける。
「あ、そうだ! 姫? お腹は空いていないかい?
先程はあまり料理を召し上がっていなかったみたいだし。
姫は何がお好きなのかな? うちのシェフはね、とっても腕が良いから、何でも作ってくれるよ?
やはりここはギリシャ料理のフルコースかな? それとも、ジャパンの料理が良い?
オスシも得意だし、アボカドマグロ丼だって用意できるよ!
あれ? アンリー! 早くうちに帰るよー!
帰ったら再会記念パーティーをするんだからね!」
「何を勝手に……なんでパーティーのあとにパーティーしなくちゃならないの」
三人の後方で、眼鏡の男性が微笑んでいる。
携帯電話を取り出し、手短に必要な手配を済ませ、三人のあとに続いた。
会場を出て行こうとする様子を見て、擦れ違った人達がテオに声をかけていた。
「おや。メネシス様、今日はもうお帰りですか?」
「ああ、はい」
テオが足を止めたので、##NAME1##とアンリも止まった。
周囲に居た紳士淑女がわらわらとテオに近寄ってくる。
「お早いお帰りなんですね。残念です」
「まだ夕方ですよ? もう少し良いじゃないですか。
例の件についてご説明させて頂きたかったのに」
「私もテオ様ともっとお話ししたかったですわ」
「私は、まだご挨拶もしていないのに。次はいつお会いできますか?」
大人気である。あっと言う間にテオは取り囲まれてしまった。
輪の外から##NAME1##は呆然と見ていた。すると、隣から冷たい溜め息が聞こえた。
アンリだ。おそらく##NAME1##にしか聞こえなかっただろうが。
彼は確かに小さく毒づいた。敵意しかない声で「ハイエナが」と。
輪の中心に居るテオは、笑顔で応対していた。
「申し訳ありません。今日はお先に失礼しますが、私は来週のパーティーにも伺う予定ですので、
その時にまた皆様とお話しさせて頂ければと思います。
今日は、友人とばったり会ったものですから、
我が家に招いて、再会を祝したいと思いまして。
あ、そちらの人見知りしている子が私の旧友でしてね?
これでも男性なのですよ。美しいでしょう?
実は彼が、かの有名な、フランスで投資会社を営むサン・ジェルマン社長です!」
その姓を聞き、テオを囲んでいた人達は、一斉にザワザワする。
ついさっきまでテオのご機嫌取りをしていた彼等は、
本気かお世辞か解らないが、アンリを褒め称え始めた。
「サン・ジェルマン伯爵家の末裔様でしたか!」
「これは驚きました! 彼があの有名な!」
「永遠の美貌とは本当だったのですね! なんてお美しい!」
「まさかギリシャでお目にかかれるとは!」
わらわらと囲まれてアンリが困ってる。
「ちょっと、テオ」
テオは笑顔で演説を続けている。
「そう! 21世紀の錬金術師とは彼のことなのです!
皆様、どうぞ彼を、アンリ=ユーグ=ド=サン・ジェルマンを、よろしくお願い致します!
さあさ! 彼と名刺交換したい方は一列に並んで下さーい!」
結局、パーティー会場を出たあとは、テオの車に乗って、メネシス家まで連れてこられた。
「一日でこんなにたくさんの名刺が貰えるなんて!」
テーブルの上には、たくさんの名刺が乗っている。
「さすがはアンリ! 人気者だね!」
「要らないし、こんなに」
テオによって急遽開催された、アンリの名刺交換会にて、押し付けられた名刺達だ。
「でも、人脈作りは、アンリのビジネスでも重要だろう?」
「まあ、この一枚が手に入ったのは、ラッキーだったけど」
アンリはひとつだけ手に取り、人差し指と中指で挟んだ。
白地に黒文字の名刺。派手な装飾をした名刺が多い中、そのシンプルさが逆に目を惹く。
「名刺ひとつ見ても、悪くない。君もそう思わない?」
悪くないねと頷きながら、それにしてもカードが似合う人だなあと##NAME1##は思う。
アンリが持つと名刺もタロットカードに見えてくるから不思議だ。
彼は満足そうに、白い名刺を眺めてる。本当に嬉しいみたいだ。
「彼の名刺はこれで良いんだよ。
ハイエナ達と違って、彼は着飾る必要がないから」
どんな人なの、と##NAME1##は聞いた。
すると、アンリは、きょとんとした。
「どうして、そんなこと聞くの? 君、まさか、彼に興味あるの?」
あるわけない。全く知らない人なのだから。
アンリが興味を持っているみたいだから、誰なのか気になっただけだと説明した。
「そう。彼は、ゲームプログラマーだよ。覚えていない? 気弱そうに名刺をくれた若い人だよ」
居た気がする。首許の襟が曲がっていたあの人かもしれない。
「元は有名なゲームの開発チームに居た人なんだけど、最近独り立ちして、自分の会社を作ったんだ。
彼が作るコンピューターグラフィックは、本当に綺麗なんだよ、現実以上に」
ゲームプログラマーに、元映画監督。
テオの読み通り、娯楽産業に手を出すつもりなのかもしれない。
「アンリのお眼鏡に適う人が居たんだね! 良かった良かった!
いやあ、礼には及ばないよ、アンリ」
「うん。貴方の思い付きで無理矢理やらされただけだものね」
「アンリ、アンリ! 私で何かできることがあったら何でも言っておくれ!」
「貴方は、僕が何をしようとしているか解って言ってる?」
「ううん! でもアンリなら、きっと素晴らしいことを考えているに違いないからね!」
「そういうお気楽なところも変わらないんだね。
周りを信じてばかりだと、いつかハイエナ達に食われるよ?」
テオは微笑した。
「私のことを心配して言ってくれたのだね? ありがとう、アンリ。
けれど、彼等のことをあまり悪く言うものではないよ?」
「だって、事実だもの。貴方はお人好し過ぎる」
「アンリも変わらないねえ」
ディナーが運ばれてきた。
アンリも##NAME1##もパーティーでは殆ど食事をしていなかったので、
メネシス家の専属シェフが夕食を用意してくれた。
「アンリ? もう食べないのかい?」
「そんなに、食欲ないから」
「そう言えば、アンリは昔から小食だったものね」
フルコースみたいなものが出てきたらどうしようかと思ったが、出てきたのは、ハンバーガーだった。
ムサカというギリシャ料理を、もっと気軽に食べて貰えるようにアレンジしたものらしい。
味も良く、量も丁度良かった。
テオが事前に「それほどお腹は空いていないんだね?」と聞いてくれたおかげだろう。
「姫? お口に合ったかい? そう。良かった!」
##NAME1##の顔を見て、テオが思い出す。
「ああ、そうだ、アンリ。先程の話だけどね?」
アンリは頬杖を突いている。
「唇」
「え?」
「ソースが付いてる」
「ああ、ありがとう」
テオは白い布でキュキュッと口許を拭いた。
「それで、話というのはね? 姫が着ていたスカイブルーのドレスのことなんだ」
「##NAME1##の? それがどうかしたの?」
「ひょっとして、あれはアンリが選んだものじゃないかと思ってね」
「それのどこがいけないの? 僕は彼女の為に一級品を新調したんだよ?」
「姫が着る衣装なのに、何故、姫に選んで貰わなかったのかが、私には疑問なのだよ。
姫は君の着せ替え人形ではないのだから。
もしかしたら、姫は他のドレスが着たかったかもしれない。
青も綺麗だったが、姫には白や黒のドレスも似合いそうだし」
テオは諭すように優しく語りかける。
「結婚していても、彼女は君の所有物になったわけではないんだ。
例え、君にそのつもりはなくても、君の言動は周りにそう思わせる、私にも、彼女にもね?」
アンリが##NAME1##のほうを見る。
だが、その時、##NAME1##はアンリと目を合わせられなかった。
「いいかい、アンリ? 姫を大切にするということは、必ずしも高価な物を贈ることではないんだ。
どうしたら姫が喜んでくれるかが一番重要なのだよ?
普段も、姫が何を望んでいるか、ちゃんと姫に聞いているかい?
聖アルフォンソ学院は紳士を輩出する学校だ。
君も卒業生なのだから、学校で習ったことだろう?
レディの願いを叶えることは、紳士の喜びだと」
「……習ってない」
ムスッとしたアンリを見て、テオは笑った。
「君が誰より彼女を大切にしているのは私にだって解る。
入学時の君は誰にも心を閉ざしていたが、当時に比べると、君は本当に立派な紳士になった。だって」
にこりと##NAME1##に笑顔を向ける。
「こんなに素晴らしい女性に選ばれたのだもの」
ね、と言って微笑んだ。
翌朝。「もっとゆっくりしていっていいのだよ?」と言うテオを振り切って、
アンリは##NAME1##を連れて、ギリシャから出国した。
フランスに到着すると、アンリの部下が迎えに来ていた。
「僕は会社に寄っていくから、##NAME1##は先に帰ってて」
アンリと別れ、##NAME1##は一人で帰宅した。
夜。家のドアが開く音がした。
玄関に一番近い部屋に居た##NAME1##は、アンリが帰ってきたと思って、迎えに出た。
「よう、久し振りだなあ、嬢ちゃん。ドアまで迎えに来やがって。妬けるじゃねえか」
アンリではない、長身の男が立っていた。
歪んだ黒髪。濃い髭。彫りの深いイタリア顔。
「仕事でフランスまで来たからよ、新妻とイチャイチャしてるとこをジャマしてやろうと思って、
わざわざ寄ったんだが、その様子だとまだ帰ってねえみてえだな、あのクソガキは」
在学中、アンリがボディーガードとして雇っていた男。
シチリアマフィア、マンゾーニ・ファミリー次期ボス。ディーノ・マンゾーニだ。
アンリは父親の没後、身の危険を感じることは減った筈だが、
まだこのマフィアと手を切っていないのだ。
「つーか、ドアのカギ開いてたぞ? 日本の習慣が抜けてねえのか?
平和ボケしてっからなー、あの国は。ダメだろ? 物騒な世の中なんだからな?」
一番物騒なものの侵入を許してしまった。
我が物顔でディーノが勝手にリビングに入っていく。
止める暇もなく、##NAME1##はマフィアを追い駆けた。
マフィアはソファの背に腕を広げ、ドカッと座った。
「ん? 何、んなトコに突っ立ってんだよ? お前もココ来て座んな?」
隣に座れとソファをポンポンと叩く。
逆らうのもマズイ気がして、##NAME1##はマフィアから一人分離れて座った。
そんな様子を見て、マフィアは笑っていた。
「そういや、昨日は俺が傍に居てやれなくて、悪かったなあ。
パパに言われて、フランスに来てたからよ。
だが、お前等にはフィオが付いてたから、こうして無事に帰ってこれただろ?」
フィオというのは、マンゾーニ家の舎弟の一人でフィオラノさんという人だ。
マフィアとは思えないような優しい男の人。
彼が傍に居たとは##NAME1##は気付かなかった。アンリからも言われてなかった。
「フィオに聞いたぜー? 昨日はホテルをキャンセルして、男の家でお泊まりしたんだって?
やるじゃねえか、嬢ちゃん。案外、魔性なんだな?」
マフィアが笑っている。
「今日はコーヒーでも飲ませて貰うつもりだったんだが、気が変わったぜ。ダンナも居ねえことだし?」
あっと思った時には、マフィアの腕が##NAME1##の肩に回っていた。
「イイコトでもすっか?」
玄関のドアが閉まる音がした。足音が近付いてくる。
リビングのドアが開く。
「##NAME1##、またカギが開いてたよ? 何度も言うようだけど、危ないから閉めてと」
アンリの足下に薔薇の花束が落ちた。
fin
「来週の土曜日のことなんだけど」
帰宅したアンリは、ネクタイを緩めながら、そう切り出した。
「ごめん。急だけど、出張になったんだ、海外に」
土曜日は、一緒にパリまで出かける約束をしていた日。
アンリの仕事が忙しくて、既に二度延期されたデートだったので、
##NAME1##は正直がっかりしたが、
それが表に出ないように「仕事じゃ仕方ないよね」と言った。
先日アンリと結婚した##NAME1##は、フランスにあるサン・ジェルマン邸で暮らし始めた。
予想以上に広く、歴史ある邸だった。
アンリは、亡父が経営していた会社や株の所有権は全て放棄したが、
この邸は誰にも譲らなかったのである。
現在は、在学中に起業した会社の経営者として忙しい毎日を送っている。
朝は早く、夜は遅い。家より会社に居る時間のほうが圧倒的に長く、
この頃は特に、##NAME1##は、夫であるアンリと、ろくに会話さえできない日々が続いていた。
そんな中、今度の土曜日は、やっとアンリの手が空くので、
久し振りに二人で過ごそうと約束していたのである。
ヒュルと布が擦れる音がした。
アンリが首からネクタイを抜いていた。
「##NAME1##との約束を、また破ることになるのは、悪いと思ってる。
でも、今後の取引を考えると、どうしても会っておきたい人が居て」
ソファの背に放られた濃紺のネクタイ。
それを見て、ふと##NAME1##は思った。死んだ蛇みたい。
「彼が出席するセレブパーティーが今度の土曜日なんだ」
言いながら、首許のボタンを上から二つ外す。
「次にいつ会えるか解らないし、僕はこのチャンスを逃したくない。だから」
解った、と##NAME1##は言った。そう言うより他になかった。
「ありがとう、##NAME1##。君ならそう言ってくれると思ってた」
##NAME1##だってアンリが忙しいのは解る。妻なのだから。
ここで「嫌だ」とワガママを言って、彼を困らせるようなことは絶対にしたくない。
そんなのは、彼も望んでいないし、自分のプライドが許さない。
「ごめんね、##NAME1##」
突然、背中からそっと抱き締められた。
前に回されたアンリの白い腕が、俯いてる##NAME1##の視界に入る。
ああ、これは白い蛇みたい。
「僕だって、本当は、##NAME1##と一緒に過ごしたかったんだよ?」
首筋で空気の振動を感じた。##NAME1##のうなじに吐息がかかってる。
「だからね? 海外出張だけど、今回は君を家に置いていくつもりはないんだよ?」
えっ、と##NAME1##が言った。
腕の拘束がとける。##NAME1##がアンリのほうを向く。
アンリは微笑していた。
「土曜日は、君も連れて行く。一緒に行こうよ?
目的地を、パリからアテネに変えてしまうけれど。
海外旅行にグレードが上がったとでも思って、許してくれないかな?」
##NAME1##に断る理由はない。
だが、彼は仕事で行くのに、自分が付いていったら邪魔にならないだろうか。
そう尋ねると、彼は「まさか」と笑い、ソファに座った。
##NAME1##も隣に座る。彼は脚を組む。
「実を言うとね? どうしても君を連れて行かなくちゃいけないんだ」
何、その言い方。##NAME1##は少しカチンときた。
アンリのことは好きだが、それでも時々彼の傲慢さや高圧的な態度にイラッとくるのは事実だ。
「君には悪いんだけど、僕と一緒にパーティーに出席して欲しいんだ。
パートナーが居るなら必ず連れて行くことが、暗黙の了解になってるパーティーなんだよね」
アンリは横髪をクルクルと弄びながら、
「伝統的に続いてる、由緒あるセレブパーティーだとかで、
昔の貴族みたいなシキタリがあるんだよ、僕は今時どうかと思うけど」
そんなパーティーに私が行っていいのか。##NAME1##は少しイライラしながら聞いた。
「ああ、平気だよ? 広いホールで行われる立食パーティーだから。
君は綺麗なドレスを着て、僕の隣に立っていてくれるだけでいい。
ビジネスの話をする時は、彼と僕の二人きりで話すから、
君は好きなものでも食べながら待っていて?
ね? 君にとっても、そんなに悪い話ではないでしょう? 来てくれるよね?」
##NAME1##は頷いた。
「ありがとう。助かるよ。パートナーが居ないと格好が付かないパーティーだから」
彼は冷笑していた。##NAME1##の苛立ちが増す。
どうして今日は、こんなに気持ちがざわめくのだろう。
アンリの一挙一動に対して、過敏になっている。
普段は何とも思わない言い方や仕草にさえ、感情が波立つ。
彼は凭れていた背を起こして、##NAME1##のほうを見る。
アンリの顔が間近にある。悔しいが、何度見ても綺麗な顔だ。
「明日の夜、新しいドレスを買いに行こう? 君に似合う物、僕が選んであげる」
土曜日。アンリと##NAME1##は航空機に乗り、フランスから離陸した。
彼がとった席は当たり前のようにファーストクラスだった。
「ごめん。向こうに着くまで一眠りさせてくれる?
今日の準備で、昨日はあまり寝ていないんだ」
そう言って、彼はすぐに眠ってしまい、着陸まで起きなかった。
夜、##NAME1##はドレスを着て、パーティー会場に来た。
アンリが選んだのは、淡いブルーのロングドレスだった。
彼はダークブルーのスーツ。ブルーは彼の好きな色だ。
二人並んで立っていると、同系色なので綺麗に揃って見える。
どちらの衣装も##NAME1##が日本に居た頃には目にしたことがないような値段。
超が付く高級ブランド店で、アンリが購入したものだ。
雲の上でよく眠ったおかげか、アンリは機嫌が悪くない様子だ。
今日の目的である、重要人物とはすぐに会えた。
おひげのおじいさんで、優しそうな雰囲気の人だった。
身なりは上品だし、チラリと見えた腕時計も高価そうに見えた。
アンリがどうしても会いたいと言うくらいだし、かなりのお金持ちのようだ。
「そちらのお嬢さんが、サン・ジェルマン氏の奥方ですか」
##NAME1##が挨拶しようとすると、アンリが先に口を開いた。
「はい。##NAME1##と申します」
##NAME1##は礼だけした。
「ほほう。サン・ジェルマン氏とご同様に、お若くてお綺麗な方ですな」
「妻をお褒め頂き、ありがとうございます」
アンリは礼儀正しく礼をした。
「今日は二階に別室を用意しています。ここで立ち話するのは申し訳ないので、
早速そちらでビジネスのお話をさせて頂きたいのですが」
「そうですな。カネの話はレディに聞かせるモンじゃない。
奥方には寂しい想いをさせてすまないが、旦那様を少しお借りして良いですかな?」
##NAME1##が返事しようとしたのだが、またアンリが答えた。
「構いません。彼女は、僕の仕事も、僕のことも理解していますから」
おじいさんがハハハッと豪快に笑う。
「これはこれは。理解ある奥方に恵まれて羨ましい。
うちの家内は、少し構ってやれないと、すぐヘソを曲げますから」
すると、アンリが軽く微笑したので、##NAME1##は内心ビックリした。
アンリは相手の言葉に合わせて、笑って“あげた”のだろう。
しかし、以前のアンリなら、そんなことはしなかった筈だ。
良くて無反応か、下手すると、
「あっそう」とか「くだらない」とバッサリ切ってしまうような人だった。
社会に出るようになって、彼も人並みの社交術を身に付けたらしい。
ホールに一歩入ってからのアンリは、普段と態度が違うのだ。
不機嫌なくらいがアンリのデフォルトだと思っている##NAME1##には、衝撃である。
愛想の良いアンリが見慣れないせいか、逆に気持ちが悪いくらいだ。
こんなに外面が良くなったとは知らなかった。仕事中はいつもこうなのだろうか。
「それでは別室にご案内します。――##NAME1##」
アンリの声が優しい。
「君は好きな場所で待っていて? 会場に戻ってきたら僕が君を探す。
もし見つけられなかったら携帯に電話するから」
アンリの先導で、彼等はホールから出て行った。
遠ざかっていくダークブルーの背中を、##NAME1##はぼうっと見ていた。
事前に解っていたことだが、知り合いが他に誰も居ない、広い会場で一人きりにされてしまった。
暫くの間、ここに居なくてはならない。待つことくらいならできる。そう長くはかからないだろうし。
料理を食べていればいいのだが、緊張しているせいか空腹ではない。
完全に手持ち無沙汰である。とりあえず何かグラスでも持とうか。
「おやおや。困ったものだねえ、アンリは。美しい姫にこんな憂い顔をさせるなんて」
##NAME1##の前方から声がした。思わず振り返る。
そこに居たのは、見知らぬ男性。彼は胸に手を置いて、こう言った。
「あの子が戻るまで、よろしければ私に、お相手をさせて頂けませんか、姫?」
##NAME1##のことを、いきなり姫と呼んだのは、燕尾服を着た男性だった。
髪は明るい金色で緩い波がある。年はアンリと同じくらいか、少し上だろうか。
アンリの名前を知っていたのだから、知り合いということになる。
取引先の人だろうか。それにしては、随分親しげな様子だったが。
この人は一体誰なのだろう?
##NAME1##の頭上に浮かぶ、透明な疑問符が見えたのか、金髪の男性は微笑んだ。
アンリとは種類が全く異なる、あたたかい笑顔で。
「失礼。自己紹介もせずに、驚かせてしまいましたね。
決して、怪しい者ではありませんから、安心して下さい。私は」
すっと##NAME1##に近付き、囁いた。
「アンリと同じ、マージナルプリンスです」
彼はテオ・メネシスと名乗った。
ジョシュアの前の生徒代表なのだそうだ。
学年で言えば、アンリより二個上の先輩ということになる。
アンリが入寮していたウーティス寮の生徒について、
テオはジョシュアからハルヤまで知っていた。
おそらく、ユウタの入学直前に卒業した生徒なのだろう。
現在はこの国で暮らし、実家の海運業を手伝っているらしい。
終始にこにこしながら、そう話してくれた。
##NAME1##も自己紹介をした。
名前を言うと、ほう、と感嘆の溜め息を吐かれた。
「なんと美しい響きなのだろう。姫の姫は名前も美しいのだね」
大袈裟にも思えるリアクションが返ってきた。
ちょっと変わった人みたいだが、悪い人ではなさそうだ。
正直、聖アルフォンソ学院の卒業生と聞いただけでも、##NAME1##は随分ほっとした。
それに、ジョシュア達とも知り合いなのだ。テオと##NAME1##は互いに、友達の友達と言える。
テオは学院の卒業生達の近況について詳しかった。
アルフレッドが出演した最新映画や、シルヴァンの噂話などに花が咲く。
ハルヤについては、日舞の復帰作が公演された時、テオは日本まで応援に駆け付けたらしい。
そこまで話すのに、おそらく五分も経っていなかっただろう。
その短い間に、##NAME1##はテオのことを古くからの友人のように感じていた。
今日が初対面の筈なのに、まるで親友と久し振りに再会できたかのような気持ちになっていたのだ。
共通の友人が居たせいか、テオの成せる技なのか、その両方かもしれない。
テオという人は、何もかもがアンリとは全く違う。
お喋りが大好きで、人に対しとてもフランク。根っからの社交派タイプといったかんじだ。
表情もコロコロ変わる。何より印象的なのは彼の笑顔だ。
見ている人の気持ちまで、あたためてくれる。
例えるなら、そう、太陽みたいな笑顔だ。
「ところで、アンリは」
一通りウーティス寮生の噂話をしたあと、テオはこう言った。
「アンゲロプロス氏にお話があるようだったけれど、
もしや、今後は娯楽産業にも手を広げるつもりなのかい?
年々素晴らしい業績を上げているのに、更に新規開拓とは。貪欲だねえ、アンリは」
さっきのおじいさんの名前を出したようだが、##NAME1##には「アンゲロ」までしか聞き取れなかった。
えっ、と聞き返した##NAME1##を見て、テオも同じように、えっ、と聞き返した。
「アンゲロプロス氏のこと、姫はアンリに聞いていなかったのかい?」
はい、と答える。テオは表情を曇らせ、ううむ、と唸った。
「ビジネスのお相手だから言わなかったのかなあ?
でも誰に会うかくらい話しても良いと思うけれどねえ」
確かにテオの言う通りである。
##NAME1##は今まで疑問に思わなかったが、教えてくれても良かった筈だ。
テオは、おじいさんの正体について説明してくれた。
「彼はヨルゴス・アンゲロプロス氏。ギリシャが誇る名映画監督だ。
姫も作品名は聞いたことがあるんじゃないかな。『1935年の日々』や『雲の中の風景』が代表作だよ」
聞いたことがある。有名な映画賞を総舐めにした作品だ。
「アンゲロプロス氏は昨年、惜しまれながら映画の世界から引退され、すぐに映画学校を設立された。
けれど、新たな遊び場を見つけたいと仰って、
学校の経営権は昔お世話になったというご友人にあげてしまったんだ」
人差し指を立て、##NAME1##にウインクする。
「そして、これは、まだ噂の段階なのだけれどね?」
ナイショ話をするように、急にヒソヒソ声になる。
「実は、世界のどこかに、今までにないニュータイプの娯楽施設の建設を計画されているとか?」
フフと楽しそうに笑う。
「そんな噂があるものだから、私はてっきり、その計画にアンリが一枚噛むつもりなのかと思ったのだよ」
声の大きさが通常に戻る。
「実は、私の父が、アンゲロプロス氏と知り合いで、私も少しお話をさせて頂いたことはあるんだ。
御年62になられたとは思えないほど、少年のような瞳と好奇心をお持ちでね。
流行に敏感で、今も変わらずアグレッシブな方だ。
彼は、創造と娯楽を司る神様のような人なのだよ!」
アンリがコンタクトを取りたがった人物が、そんなビックネームだったとは##NAME1##は思わなかった。
「アンゲロプロス氏は今までにも若い才能と親しくしてきた御方だから、
きっと、アンリの持つ天性の直感力と絶えまぬ努力に心惹かれたのだろうねえ。
ああ、これは大変に素晴らしいことだよ、姫!
あの二人がタッグを組むとなると、誰も想像しなかった新しいものが出来上がるに違いない!
ワクワクしてきたねえ! もし何か手伝えることがあれば、私も仲間に入れて欲しいくらいだよ!」
通りかかったボーイがテオに飲み物を勧める。
「シャンパンはいかがですか?」
金色のドリンクが細長いワイングラスに入っている。
ボーイは、それを五本、トレイに乗せていた。
「あ、ありがとう。丁度喉が渇いていたんだ。姫もどうかな?」
頂きます、と答える。
テオはボーイから両手でグラスを受け取り、片手を##NAME1##に差し出した。
「乾杯しようよ、姫」
何に乾杯しますか、と尋ねる。
「それはもちろん」
テオは笑って、グラスを少し掲げる。
「貴女のような美しい姫と、共にある奇蹟に」
二つのグラスが鳴った。
「それにしても、先程のアンリは酷い夫だったねえ。姫を悲しませるようなことをして」
##NAME1##を置き去りにしたことを言ってくれているのだろう。
酷い夫、という点については、##NAME1##は否定した。
アンリは仕事の一環で、あの人に会う為だけに来たのだ、と説明したのだが、
テオはいやいやと首を振った。
「姫を一人にしたこともそうだけれど、私はそれ以上に、姫に対する振る舞いが気になったのだよ」
##NAME1##は何も言えなくなる。
「姫に対する思い遣りに欠けていた。
まあ、あの子は昔から、人に冷たく接してしまうところがあったし、
本人に悪気がないのは解っているが。けれど、先程は、姫の憂い顔が何より物語っていた」
テオは##NAME1##の手を握った。
「姫? もしや、普段から、あの子の悪気のない冷たさに困ることがあったんじゃないのかい?」
「ああ、やっと見つけた」
バニラボイスがした。
「遅くなって悪かったね。思ったより話が長引い……」
##NAME1##の傍らに居る人物を見て、アンリは絶句した。
テオは笑顔で片手を挙げた。
「やあ! 久し振りだね、アンリ。大人になって、ますます美貌に磨きがかかったね?」
アンリはあからさまに嫌そうな顔をした。
「……テオ。どうして貴方が、##NAME1##と一緒に居るの」
「ここはギリシャだよ? 私はこのようなパーティーには、大抵、顔を出しているからね?」
「あっそう」
完全に機嫌が悪くなった。けれど、##NAME1##はご機嫌斜めなアンリを見て、なんだか安心した。
愛想の良いアンリから、##NAME1##の知っているアンリに戻ったのが嬉しかったのかもしれない。
アンリは溜め息を吐き出した。思いきり素の状態だ。
「社交界に顔を出し続けていたら、貴方と鉢合わせる日が来るかもしれないとは思っていたけれど」
「うん! 私もいつかきっとアンリに会える日が来ると信じていた! 会いたかったよアンリ!」
ガバッとハグした。アンリが怒り出さないか##NAME1##は心配したが、
意外にも、されるまま抱きつかれている。
満更でもない、というよりは抵抗するのも面倒といった顔をしていた。
「よりによって、今日みたいな日に、貴方に会うとは思わなかったよ」
会いたくなかったようだ。
「あっ! それより、アンリ! 姫に聞いたよ! 全く、君という子は!」
「……何」
「罰として、今夜は私の家に泊まりなさい!」
「……何の罰? 第一、今夜はホテルを取ってある」
「私の家をホテルにすればいいじゃないか! どこのホテルにも負けないよ、うちは!」
「……何を競っているの? 話が見えない。
もうここに用はないし、この人は放っておこう。行くよ、##NAME1##」
手首を捕まれる。しかし、##NAME1##は動かなかった。
「##NAME1##?」
アンリは驚いて、彼女を見つめた。
「君まで何? まさか、僕より彼の言うことを聞くというの? どうして」
アンリが、はっとする。
「テオ、貴方のせいなの? 僕が目を離している隙に」
テオを睨んだ。キツイ眼差しだ。
「##NAME1##のことはたぶらかさないで。彼女は僕と結婚しているの。
彼女に手を出すなら、幾ら貴方でも許さない。##NAME1##は僕のだ」
テオは額を押さえ、芝居がかった調子でふらつく。
「ああ、これだ! だから、姫を悲しませるのだよ、君は!」
テオが立腹してみせる。だが、プンプンといったかんじで可愛らしい。
本気で怒っているわけではないのだ。
「いけないよ、アンリ」
テオは優しく言った。
「それでは、まるでオモチャを取られた子供のようじゃないか?」
「……貴方は、何を言ってるの」
「よしっ! 解らないなら、解るまで教えるから、とにかく私の家においで!」
「だから、なんで貴方の家に」
「決まっているじゃないか! 下級生の面倒を見るのは、
上級生の役目だからだよ。シュヌーシアの伝統だからね!」
「僕はシュヌーシアじゃ」
「ゼノ! そういうわけだから、うちのみんなに電話をしておくれ!
これから、大切なゲストを二人連れて帰るよとね!」
いつから居たのか、テオの背後には、背の高い男性が控えていた。
長い金髪。色はテオよりやや暗い。細いシャープな眼鏡をかけている。
「しかし、テオ様、よろしいのですか? そのようなお節介をしては、ご夫妻にご迷惑では?」
「えっ!? 私、お節介!?」
テオはビックリしている。急にしゅんとなった。
「……ゼノが本当にそう思うのなら、止めようかな、私……」
眼鏡の男性は苦笑した。
「いえ。申し訳ございません。テオ様が仰るように、
今のご夫妻にはテオ様の手助けが必要なのかもしれませんね」
テオの表情がぱあっと明るくなる。
「そうだろう!? ああ、良かった! 私が二人に迷惑をかけているのかと思ったよ!」
アンリがぼそりと言う。
「僕は迷惑なんだけど」
眼鏡の男性が、まあまあと宥める。
「サン・ジェルマン様? ここはひとつ、テオ様のご提案に乗ってみてはいかがでしょう?
当家のゲストルームが、他のホテルに引けを取らないのは事実ですし、
テオ様のご学友から宿泊費を取るような真似も致しません。
そう思えば、サン・ジェルマン様にとっても、悪いお話ではないと存じますが?」
「ところで、貴方は誰なの?」
「ああ、失礼致しました。申し遅れましたが、私」
テオは##NAME1##に話しかける。
「あ、そうだ! 姫? お腹は空いていないかい?
先程はあまり料理を召し上がっていなかったみたいだし。
姫は何がお好きなのかな? うちのシェフはね、とっても腕が良いから、何でも作ってくれるよ?
やはりここはギリシャ料理のフルコースかな? それとも、ジャパンの料理が良い?
オスシも得意だし、アボカドマグロ丼だって用意できるよ!
あれ? アンリー! 早くうちに帰るよー!
帰ったら再会記念パーティーをするんだからね!」
「何を勝手に……なんでパーティーのあとにパーティーしなくちゃならないの」
三人の後方で、眼鏡の男性が微笑んでいる。
携帯電話を取り出し、手短に必要な手配を済ませ、三人のあとに続いた。
会場を出て行こうとする様子を見て、擦れ違った人達がテオに声をかけていた。
「おや。メネシス様、今日はもうお帰りですか?」
「ああ、はい」
テオが足を止めたので、##NAME1##とアンリも止まった。
周囲に居た紳士淑女がわらわらとテオに近寄ってくる。
「お早いお帰りなんですね。残念です」
「まだ夕方ですよ? もう少し良いじゃないですか。
例の件についてご説明させて頂きたかったのに」
「私もテオ様ともっとお話ししたかったですわ」
「私は、まだご挨拶もしていないのに。次はいつお会いできますか?」
大人気である。あっと言う間にテオは取り囲まれてしまった。
輪の外から##NAME1##は呆然と見ていた。すると、隣から冷たい溜め息が聞こえた。
アンリだ。おそらく##NAME1##にしか聞こえなかっただろうが。
彼は確かに小さく毒づいた。敵意しかない声で「ハイエナが」と。
輪の中心に居るテオは、笑顔で応対していた。
「申し訳ありません。今日はお先に失礼しますが、私は来週のパーティーにも伺う予定ですので、
その時にまた皆様とお話しさせて頂ければと思います。
今日は、友人とばったり会ったものですから、
我が家に招いて、再会を祝したいと思いまして。
あ、そちらの人見知りしている子が私の旧友でしてね?
これでも男性なのですよ。美しいでしょう?
実は彼が、かの有名な、フランスで投資会社を営むサン・ジェルマン社長です!」
その姓を聞き、テオを囲んでいた人達は、一斉にザワザワする。
ついさっきまでテオのご機嫌取りをしていた彼等は、
本気かお世辞か解らないが、アンリを褒め称え始めた。
「サン・ジェルマン伯爵家の末裔様でしたか!」
「これは驚きました! 彼があの有名な!」
「永遠の美貌とは本当だったのですね! なんてお美しい!」
「まさかギリシャでお目にかかれるとは!」
わらわらと囲まれてアンリが困ってる。
「ちょっと、テオ」
テオは笑顔で演説を続けている。
「そう! 21世紀の錬金術師とは彼のことなのです!
皆様、どうぞ彼を、アンリ=ユーグ=ド=サン・ジェルマンを、よろしくお願い致します!
さあさ! 彼と名刺交換したい方は一列に並んで下さーい!」
結局、パーティー会場を出たあとは、テオの車に乗って、メネシス家まで連れてこられた。
「一日でこんなにたくさんの名刺が貰えるなんて!」
テーブルの上には、たくさんの名刺が乗っている。
「さすがはアンリ! 人気者だね!」
「要らないし、こんなに」
テオによって急遽開催された、アンリの名刺交換会にて、押し付けられた名刺達だ。
「でも、人脈作りは、アンリのビジネスでも重要だろう?」
「まあ、この一枚が手に入ったのは、ラッキーだったけど」
アンリはひとつだけ手に取り、人差し指と中指で挟んだ。
白地に黒文字の名刺。派手な装飾をした名刺が多い中、そのシンプルさが逆に目を惹く。
「名刺ひとつ見ても、悪くない。君もそう思わない?」
悪くないねと頷きながら、それにしてもカードが似合う人だなあと##NAME1##は思う。
アンリが持つと名刺もタロットカードに見えてくるから不思議だ。
彼は満足そうに、白い名刺を眺めてる。本当に嬉しいみたいだ。
「彼の名刺はこれで良いんだよ。
ハイエナ達と違って、彼は着飾る必要がないから」
どんな人なの、と##NAME1##は聞いた。
すると、アンリは、きょとんとした。
「どうして、そんなこと聞くの? 君、まさか、彼に興味あるの?」
あるわけない。全く知らない人なのだから。
アンリが興味を持っているみたいだから、誰なのか気になっただけだと説明した。
「そう。彼は、ゲームプログラマーだよ。覚えていない? 気弱そうに名刺をくれた若い人だよ」
居た気がする。首許の襟が曲がっていたあの人かもしれない。
「元は有名なゲームの開発チームに居た人なんだけど、最近独り立ちして、自分の会社を作ったんだ。
彼が作るコンピューターグラフィックは、本当に綺麗なんだよ、現実以上に」
ゲームプログラマーに、元映画監督。
テオの読み通り、娯楽産業に手を出すつもりなのかもしれない。
「アンリのお眼鏡に適う人が居たんだね! 良かった良かった!
いやあ、礼には及ばないよ、アンリ」
「うん。貴方の思い付きで無理矢理やらされただけだものね」
「アンリ、アンリ! 私で何かできることがあったら何でも言っておくれ!」
「貴方は、僕が何をしようとしているか解って言ってる?」
「ううん! でもアンリなら、きっと素晴らしいことを考えているに違いないからね!」
「そういうお気楽なところも変わらないんだね。
周りを信じてばかりだと、いつかハイエナ達に食われるよ?」
テオは微笑した。
「私のことを心配して言ってくれたのだね? ありがとう、アンリ。
けれど、彼等のことをあまり悪く言うものではないよ?」
「だって、事実だもの。貴方はお人好し過ぎる」
「アンリも変わらないねえ」
ディナーが運ばれてきた。
アンリも##NAME1##もパーティーでは殆ど食事をしていなかったので、
メネシス家の専属シェフが夕食を用意してくれた。
「アンリ? もう食べないのかい?」
「そんなに、食欲ないから」
「そう言えば、アンリは昔から小食だったものね」
フルコースみたいなものが出てきたらどうしようかと思ったが、出てきたのは、ハンバーガーだった。
ムサカというギリシャ料理を、もっと気軽に食べて貰えるようにアレンジしたものらしい。
味も良く、量も丁度良かった。
テオが事前に「それほどお腹は空いていないんだね?」と聞いてくれたおかげだろう。
「姫? お口に合ったかい? そう。良かった!」
##NAME1##の顔を見て、テオが思い出す。
「ああ、そうだ、アンリ。先程の話だけどね?」
アンリは頬杖を突いている。
「唇」
「え?」
「ソースが付いてる」
「ああ、ありがとう」
テオは白い布でキュキュッと口許を拭いた。
「それで、話というのはね? 姫が着ていたスカイブルーのドレスのことなんだ」
「##NAME1##の? それがどうかしたの?」
「ひょっとして、あれはアンリが選んだものじゃないかと思ってね」
「それのどこがいけないの? 僕は彼女の為に一級品を新調したんだよ?」
「姫が着る衣装なのに、何故、姫に選んで貰わなかったのかが、私には疑問なのだよ。
姫は君の着せ替え人形ではないのだから。
もしかしたら、姫は他のドレスが着たかったかもしれない。
青も綺麗だったが、姫には白や黒のドレスも似合いそうだし」
テオは諭すように優しく語りかける。
「結婚していても、彼女は君の所有物になったわけではないんだ。
例え、君にそのつもりはなくても、君の言動は周りにそう思わせる、私にも、彼女にもね?」
アンリが##NAME1##のほうを見る。
だが、その時、##NAME1##はアンリと目を合わせられなかった。
「いいかい、アンリ? 姫を大切にするということは、必ずしも高価な物を贈ることではないんだ。
どうしたら姫が喜んでくれるかが一番重要なのだよ?
普段も、姫が何を望んでいるか、ちゃんと姫に聞いているかい?
聖アルフォンソ学院は紳士を輩出する学校だ。
君も卒業生なのだから、学校で習ったことだろう?
レディの願いを叶えることは、紳士の喜びだと」
「……習ってない」
ムスッとしたアンリを見て、テオは笑った。
「君が誰より彼女を大切にしているのは私にだって解る。
入学時の君は誰にも心を閉ざしていたが、当時に比べると、君は本当に立派な紳士になった。だって」
にこりと##NAME1##に笑顔を向ける。
「こんなに素晴らしい女性に選ばれたのだもの」
ね、と言って微笑んだ。
翌朝。「もっとゆっくりしていっていいのだよ?」と言うテオを振り切って、
アンリは##NAME1##を連れて、ギリシャから出国した。
フランスに到着すると、アンリの部下が迎えに来ていた。
「僕は会社に寄っていくから、##NAME1##は先に帰ってて」
アンリと別れ、##NAME1##は一人で帰宅した。
夜。家のドアが開く音がした。
玄関に一番近い部屋に居た##NAME1##は、アンリが帰ってきたと思って、迎えに出た。
「よう、久し振りだなあ、嬢ちゃん。ドアまで迎えに来やがって。妬けるじゃねえか」
アンリではない、長身の男が立っていた。
歪んだ黒髪。濃い髭。彫りの深いイタリア顔。
「仕事でフランスまで来たからよ、新妻とイチャイチャしてるとこをジャマしてやろうと思って、
わざわざ寄ったんだが、その様子だとまだ帰ってねえみてえだな、あのクソガキは」
在学中、アンリがボディーガードとして雇っていた男。
シチリアマフィア、マンゾーニ・ファミリー次期ボス。ディーノ・マンゾーニだ。
アンリは父親の没後、身の危険を感じることは減った筈だが、
まだこのマフィアと手を切っていないのだ。
「つーか、ドアのカギ開いてたぞ? 日本の習慣が抜けてねえのか?
平和ボケしてっからなー、あの国は。ダメだろ? 物騒な世の中なんだからな?」
一番物騒なものの侵入を許してしまった。
我が物顔でディーノが勝手にリビングに入っていく。
止める暇もなく、##NAME1##はマフィアを追い駆けた。
マフィアはソファの背に腕を広げ、ドカッと座った。
「ん? 何、んなトコに突っ立ってんだよ? お前もココ来て座んな?」
隣に座れとソファをポンポンと叩く。
逆らうのもマズイ気がして、##NAME1##はマフィアから一人分離れて座った。
そんな様子を見て、マフィアは笑っていた。
「そういや、昨日は俺が傍に居てやれなくて、悪かったなあ。
パパに言われて、フランスに来てたからよ。
だが、お前等にはフィオが付いてたから、こうして無事に帰ってこれただろ?」
フィオというのは、マンゾーニ家の舎弟の一人でフィオラノさんという人だ。
マフィアとは思えないような優しい男の人。
彼が傍に居たとは##NAME1##は気付かなかった。アンリからも言われてなかった。
「フィオに聞いたぜー? 昨日はホテルをキャンセルして、男の家でお泊まりしたんだって?
やるじゃねえか、嬢ちゃん。案外、魔性なんだな?」
マフィアが笑っている。
「今日はコーヒーでも飲ませて貰うつもりだったんだが、気が変わったぜ。ダンナも居ねえことだし?」
あっと思った時には、マフィアの腕が##NAME1##の肩に回っていた。
「イイコトでもすっか?」
玄関のドアが閉まる音がした。足音が近付いてくる。
リビングのドアが開く。
「##NAME1##、またカギが開いてたよ? 何度も言うようだけど、危ないから閉めてと」
アンリの足下に薔薇の花束が落ちた。
fin
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