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■クラウス
早朝のシュヌーシア寮。生徒達はまだ夢の中。
シンとした廊下を歩いている生徒が一人居た。
高等部三年で生徒代表のクラウスである。これから日課のランニングに出かけるのだ。
寮のロビーまで来ると、ソファに座っている生徒が居た。
「おはよう、クラウス」
高等部二年のテオだ。パジャマ姿である。
「今朝も行くのかい? 早朝ランニング」
「ああ。ところで、テオ。お前はどうしてこんな時間に起きている?」
「今日は早くに目が覚めたから、貴方のランニングウエア姿を愛でてから、
もう一眠りしようと思ってね? ああ、今日はターコイズブルーのウエアなのだね。
凛々しいよ。夜の海に輝くマツサカウオみたい」
「俺のことは愛でなくていい」
「そう言えば、クラウスはいつも、どの辺りを走っているの?」
「幾つかルートはあるが。今日は学院の裏側にある丘の上まで行って帰ってくるコースを走る。
聖アルフォンソ島いちの朝陽が見られる丘なんだ」
「ほう。それは素晴らしい。良いコースを発見したねえ」
「いや、このコースは俺が見つけたものじゃない。貰い物だ」
「ランニングコースを貰ったのかい?
なんて素敵なプレゼントなのだろう。その話、もっと詳しく聞きたいな」
当時、クラウスは高等部一年。学院に入学した直後の話だ。
入学初日は色々あり、あっと言う間に一日終わった。
翌朝、クラウスは早朝に目覚めた。
祖国ドイツとの時差の影響で、少し眠たかったが、潔くベッドから出て身支度を始めた。
ドイツに居た時は、早朝ランニングをする習慣があった。
この島に来ても、可能であればランニングを続けたいと希望していた。
生徒手帳に記載されている校則は既に熟読済み。
夜間については、外出は原則禁止(届け出があれば外出可)という記載があったが、
早朝の外出については特に書かれていなかった。決まりはないということだろうか。
そこがはっきりしないと、早朝ランニングはできない。
昨夜のうちに確認しておけば良かったのだが、過ぎてしまったことは仕方がない。
「早朝ランニングをしてもいいかって? お前、それマジで言ってんの!?」
「素晴らしいことだね、クラウス! なんて健康的な爽やか青少年なのだろう!」
「義務でもないのに、朝っぱらから走りたいとか」
「シュヌーシアで、そんなこと言ってきたの、クラウスが初めてじゃないかなあ?」
「クラウスって、走るのそんな好きなの?」
「つーか、身体痛めつけるのがスキなタイプ?」
ここはシュヌーシア寮のダイニングルーム。
朝食時に、早速、寮生達に聞いてみたところ、
散々な感想(大袈裟な賞賛も含む)が寄せられた。
しかも、「早朝ランニングは可能か」という質問に対する回答がひとつもない。
「あの、それで、早朝の外出は可能なんでしょうか?」
寮生達は顔を見合わせていた。
「別にイイんじゃない?」
「だよな。ダメって生徒手帳に書いてないんなら」
「他の寮では、走ってる奴も居るんじゃなかったっけ?」
「あー、走りそうな奴居るよな、何人か」
「別に規則破りでも黙っててやるから、走ってこい、走ってこーい!」
この寮には正確な情報を持っている生徒が居ないらしい。
そこでクラウスは生徒代表のジブリールに確認することにした。
放課後、彼が住むアルファルド寮に行った。
寮内に入ったら、何故かオウムが飛んでいて驚いたが、
その後、生徒代表には会えて「もちろん構わない」と難なく許可を貰えた。
ジブリール曰く、これまでも早朝の走り込みをしていた生徒は居るそうだ。
生徒代表からも許可された。翌朝から早速始めよう。
明日着るランニングウエアを用意してから、眠りについた。
翌朝4時45分に起床した。その後の予定は、5時に寮を出発、6時までには寮に戻る。
シャワーを浴び、朝の読書をしてから朝食に出る予定だ。
ランニングの時間は通常、ストレッチを含めて30分程度が適切だが、
今日は第一回目のランニングだから、かなり余裕をもったタイムスケジュールにした。
走るコースは昨夜、島の地図を参考に大体決めたが、
島の散策を兼ねて、実際の景色を見ながら、コースを考えていきたいと思っていた。
机に広げた地図を確認しながら、ランニングウエアに着替える。
色は上下とも黒。ノースリーブのランニングシャツに、短めのランニングパンツ。
このシャツは、肩に白のラインが入っている程度のシンプルなデザインだが、
吸水性と通気性に優れ、プロのランナーも使うものだ。
ランニングウエアに袖を通すのは三日振りだが、随分着ていなかったように感じる。
予定通り5時に部屋を出た。
寮の廊下を歩いている時は、誰とも擦れ違わなかった。皆まだ眠っているのらしい。
外に出ると、まだぼんやり明るい程度だった。
真夏だが、早朝だけあって、まだ暑くはない。早朝だけの特別な心地良さだ。
寮の前でストレッチをしたあと、クラウスは走り出した。
正門まで続く一直線。日中であれば人が行き交う道だが、この時間に居るのはクラウスだけだ。
月桂樹のアーチになっている通路を真っ直ぐ駆けていく。
鳥の声と自分の足音だけがする。
そう思っていたら、左前方からバサリと何かが落ちた音がした。
月桂樹の葉が生い茂る枝。それが丸一本、木から落ちたのだ。
葉が枝ごと落ちるなど、自然な現象とは考え難い。
誰か居るのか。クラウスは木の上を見上げた。
葉に紛れて、人影があった。その人物はクラウスに気付き、木から飛び下りた。
ハンチング帽を押さえながら降ってきて、慣れた様子で着地した。
生徒ではない。無精髭を生やした大人の男。クラウスより十歳程上だろうか。
「高いところから失礼致しました。葉や枝でお怪我はなさいませんでしたか?」
「怪我はしていません」
「安心致しました。ああ、ご挨拶が遅れましたね」
ハンチング帽を取って、胸に置く。
「私は森番のバロウズと申します。月桂樹や他の動植物の飼育、管理などを
担当させて頂いております。お見知り置きを」
「自分は、先日入学した高等部一年のクラウス・フォン・モールです。
よろしくお願いします、バロウズさん」
「バロウズで構いませんよ。貴方はマージナルプリンスなのですから。
ところで、そのお召し物、クラウス様も早朝ランニングですか?」
「はい」
「そうでしたか。行ってらっしゃいませ、クラウス様」
バロウズに見送られ、月桂樹の並木道を走って行く。
正門に着いた。門番に朝の挨拶をするとともに、
生徒手帳を提示し、これから学院周辺を走ってくることを伝えた。
朝食までには戻ること、今後も早朝ランニングをする予定であることも説明した。
「畏まりました。ご丁寧にご説明頂きまして、ありがとうございます」
門番の警備スタッフは、敬礼して見送ってくれた。
クラウスは正門を出て、右の道を走った。
趣味がトライアスロンであるクラウスにとって、走ることは決して苦ではなかった。
きりりとした朝の空気は身が引き締まるし、走ることは気持ちが良い。
走っている間、余計なことは考えない。只ひたすらに前を向いて、腕を振り、足を踏み出す。
誰にも、何にも縛られない、自分だけの時間。走ることは、自由を感じる瞬間だった。
別れ道に差しかかった。どちらに行くんだっただろう。
立ち止まって、ウエストポーチから地図を取り出した。
「お前、イイ足してんなー。よく走り込んでる足だ」
前方から声をかけられ、顔を上げる。
ランニング姿の青年が居た。
短髪は限りなく白に近い金色。日々運動していることが解る肉体。
年はクラウスより上のようだ。島民だろうか。
青年は腰に手を置きながら、クラウスが持っている地図を覗き込んだ。
「ふうん。ランニングコースなら、それより良いコース、俺が教えてやるよ?」
「え? でも」
「大丈夫。朝食までには帰れる。お前、新しいマージナルプリンスだろ?」
「どうして」
「そんくらいの年で、地図持ってる奴なら、新入生に決まってるさ。
さあ、付いてきなっ。俺様の足に付いてこられれば、だけど?」
青年が走り出す。クラウスは地図をしまい、彼の背中を追いかけた。
彼に案内されたのは、学院の裏手に位置する小高い丘だった。
このコースなら、行き帰り含めておそらく30分程度。
上り下りがあり、適度なトレーニングにもなる。
何よりここ、丘の頂上まで来ると、広く景色が見渡せた。
アルフォンソ島の街並みが見え、その向こうには大きな海が広がっている。
ここまで案内してくれた青年は、草の上に足を投げ出して座っている。
彼の白銀色の髪が揺れる。気持ち良さそうに全身で風を浴びていた。
「海が見えるコースってイイだろ?」
クラウスは彼の傍らに立っていた。
「はい。良い景色ですね」
「だろだろっ? 俺が見つけたコースなんだぜ?」
どうだすごいだろう、といった様子で言われた。
「なあ、お前、明日も走るのか?」
「はい。雨でなければ」
「じゃあ、明日はもうちょい早く来てみな。ここから朝焼けが見られるんだ。
海から朝陽が昇って、海の上の雲が赤く光るとこなんて、ゲキアツなんだぜ!」
彼の言葉通りにクラウスは想像してみる。見てみたい、と思った。
「このコース、お前にくれてやるよ」
「え?」
「お前、イイ足してるしなっ」
左手で足をパンと叩かれた。
「感謝しろよ? 俺様だけのコースだったんだからな!」
「あ、ありがとうございます」
「イイってことよ。じゃあ俺、ちょっと寄り道して帰るから。
お前、ここからの帰り道は解るか? 解らねえなら付いていってやるけど?」
「大丈夫です。来た道を戻るだけですから解ります」
「へえ。記憶力、良いんだな、クラウスは」
「えっ。どうして、俺の名前」
「知ってるさ。お前がシュヌーシアに入った新入生だろ?
ジブリールに学院案内されてるの、チラッと見かけたしな」
「じゃあ、貴方も聖アルフォンソ学院の生徒だったんですか?」
「ああ。今日まで……いや、昨日までか。俺、今日卒業だから」
「今日、ですか?」
「最後に、島の景色を目に焼き付けておきたくってさ。もう二度と来れねえだろうし。
最後に挨拶しときたい人とか居たから、今日は特別早起きして、
島のあちこちを走り回ってたんだ。
そしたら、地図見ながら迷子になってる新入生と出くわしたってわけよ」
「あれは道を確認してただけで、別に迷子になってたわけでは」
「ハハハッ。そーゆーことにしといてやるよっ」
青年が立ち上がる。お尻に付いた砂を払う。
「先輩。名前を教えて下さい」
「名前? 今日卒業する奴のことなんて覚えなくていいさ。
これからは嫌でも俺の名前をなんかで見られるかもしんねーし」
彼はカラリと笑う。
「なーんてな! 名前も告げずに去っていくっての、一度やってみたかったんだよ!
んじゃ、これからの三年間、楽しめよ、クラウス!」
先輩は一人で走って行った。
追いかけたい気持ちはあったが、もうその背中を追ってはいけない気がして。
クラウスは学院へ帰る道に向かって走り出した。
寮に着いた。クラウスは真っ先に、ある寮生の部屋へ行った。
ドアをノックしても反応がない。起床時間にはまだ早いし、眠っているのだろう。
一瞬迷ったが、クラウスはドアを開けた。
ベッドの中にテオの寝顔があった。熟睡中のようだ。
「テオ。すまないが、起きてくれ、テオ」
「ん、んー」
「テオ」
「ん。えっ。クラウス? 私はまだ夢を見てるのかな」
「夢じゃない。朝早くから起こしてすまん。
だが、どうしても今すぐ聞きたいことがあるんだ」
「なんだい?」
「今日卒業する生徒が、誰か解るか?」
クラウスは正門前に駆け付けた。
門の前に、体格の良い後ろ姿が見える。
プラチナブロンドの短髪。背格好を見ても、間違いなく、今朝一緒に走った人だ。
彼の向こうには、タクシーとドライバーが見えた。
あの車に乗って空港に向かうのだろう。祖国へ帰還する為に。
「あれ? ひょっとして、クラウス?」
先輩がこちらに気が付いた。
「なんだよ。わざわざ見送りに来てくれたのか?」
クラウスは先輩の傍へ歩いていく。
「はい」
「今日初めて会ったばっかだっつーのに。律儀っつーか、バカ真面目な奴だなあ、お前は」
「貴方の名前、シュヌーシアの奴に聞きました」
本当は先月卒業する筈だったが、家庭の事情でひと月延期になった生徒が、一人居ると。
「ウーティス寮のエドガー・ラッセルさん、ですよね?」
「おいおい。違うだろ、クラウス」
「え?」
「マージナルプリンス同士は、学年に関係なく、ファーストネームで呼び合う決まりだろ?
俺は今日で卒業しちまうけど、卒業生同士だって、この習慣は永遠に守り続けるものなんだぜ?」
「そうでした。すみません、エドガー」
「ハハッ。やっぱお前、バカ真面目だなー」
「あの、エドガー。俺、貴方に一言、伝え忘れたことがあって、会いに来ました」
「ん? なんだよ?」
クラウスは頭を下げた。
「ご卒業、おめでとうございます」
エドガーは目を丸くしたあと、吹き出す。腹を抱えて笑う。
「ちょ、お前、それを言うだけの為に?」
「はい」
「ハハハッ! おっまえ、おもしれーなー!」
笑い過ぎて、涙が流れたのか、手の甲で涙を拭いている。
泣かれるまで笑われるとは思わなかったクラウスは戸惑った。
一頻り笑い終わると、彼は言った。
「俺、一か月、居残りしてたのは、お前に会う為だったのかもな」
エドガーは校舎のほうを見やる。月桂樹の並木道の向こうには、大きな学舎。
「卒業が一か月も延期になった時は、マジ意味解んねえって思った。
最後の最後までゴタゴタしやがるから、ヤンとは一緒に卒業できなかったし。
なんで俺だけと思っちまったけど、悪いことばっかりじゃなかったんだよな。
卒業を延期してなかったら、俺はお前と会えなかった」
クラウスはエドガーと目が合う。先輩の瞳は青く澄んでいた。
「今日で卒業するのが惜しくなってきたぜ。
お前とは30分くらいしか一緒に居られなかったのが残念だ」
エドガーはぼそりと呟いた。
「30分だけだったけど、これもシュヌーシアなのかもな」
それまでタクシーに凭れて、一服していたドライバーが時間を告げた。
「悪い、エドガー。空港に向かうには、そろそろギリの時間だ」
「ああ。待たせて悪かったな、アイヴィー。すぐ行く」
エドガーはクラウスに手を差し出した。
「わざわざ見送りに来てくれて、ありがとな、クラウス。
聖アルフォンソ学院は、世界一の学校だ。お前なら最高の三年間が過ごせるさ。
このエドガー・ラッセル様が保証してやるっ!」
後輩は、差し出された手を握る。先輩の手は大きく、がっしりとした手だった。
「ありがとうございます。卒業してもお元気で」
「お前も元気でな!」
エドガーがタクシーに乗り込む。
卒業生を乗せた車が見えなくなるまで、新入生は見送っていた。
翌朝。クラウスは前日より少し早く起床した。
海から昇る朝陽を見る為に。
「ああ、なんて清々しい! まさに朝の太陽のような思い出だね!」
シュヌーシア寮のロビー。
話を聞いたテオは感動しているようだ。
「そのランニングコースはエドガーから受け継いだ物だったのだね!
聖アルフォンソ島いちの朝陽をプレゼントされたと言ったほうが良いかなあ」
「あれ? テオとクラウスだ」
中等部一年のレオンが通りかかった。パジャマ姿で、まだ眠そうな顔だ。
天然パーマの上に寝癖が付いて、くちゃくちゃな髪をしている。
レオンは、ランニングウエア姿のクラウスとパジャマ姿のテオを見て、
「あんたら、そんなとこで何してんの? 朝メシ行かないの?」
クラウスは腕時計を見た。もう朝食の時間だ。
「走れなかった……」
愕然とするクラウスを見て、テオは楽しそうに笑っている。
「あはは、すまない、クラウス。私と話していたせいで、時間が過ぎてしまったね。
でも、いいんじゃないかい? 毎朝走っているのだから。たまにはお休みしても」
「良くない!」
fin
早朝のシュヌーシア寮。生徒達はまだ夢の中。
シンとした廊下を歩いている生徒が一人居た。
高等部三年で生徒代表のクラウスである。これから日課のランニングに出かけるのだ。
寮のロビーまで来ると、ソファに座っている生徒が居た。
「おはよう、クラウス」
高等部二年のテオだ。パジャマ姿である。
「今朝も行くのかい? 早朝ランニング」
「ああ。ところで、テオ。お前はどうしてこんな時間に起きている?」
「今日は早くに目が覚めたから、貴方のランニングウエア姿を愛でてから、
もう一眠りしようと思ってね? ああ、今日はターコイズブルーのウエアなのだね。
凛々しいよ。夜の海に輝くマツサカウオみたい」
「俺のことは愛でなくていい」
「そう言えば、クラウスはいつも、どの辺りを走っているの?」
「幾つかルートはあるが。今日は学院の裏側にある丘の上まで行って帰ってくるコースを走る。
聖アルフォンソ島いちの朝陽が見られる丘なんだ」
「ほう。それは素晴らしい。良いコースを発見したねえ」
「いや、このコースは俺が見つけたものじゃない。貰い物だ」
「ランニングコースを貰ったのかい?
なんて素敵なプレゼントなのだろう。その話、もっと詳しく聞きたいな」
当時、クラウスは高等部一年。学院に入学した直後の話だ。
入学初日は色々あり、あっと言う間に一日終わった。
翌朝、クラウスは早朝に目覚めた。
祖国ドイツとの時差の影響で、少し眠たかったが、潔くベッドから出て身支度を始めた。
ドイツに居た時は、早朝ランニングをする習慣があった。
この島に来ても、可能であればランニングを続けたいと希望していた。
生徒手帳に記載されている校則は既に熟読済み。
夜間については、外出は原則禁止(届け出があれば外出可)という記載があったが、
早朝の外出については特に書かれていなかった。決まりはないということだろうか。
そこがはっきりしないと、早朝ランニングはできない。
昨夜のうちに確認しておけば良かったのだが、過ぎてしまったことは仕方がない。
「早朝ランニングをしてもいいかって? お前、それマジで言ってんの!?」
「素晴らしいことだね、クラウス! なんて健康的な爽やか青少年なのだろう!」
「義務でもないのに、朝っぱらから走りたいとか」
「シュヌーシアで、そんなこと言ってきたの、クラウスが初めてじゃないかなあ?」
「クラウスって、走るのそんな好きなの?」
「つーか、身体痛めつけるのがスキなタイプ?」
ここはシュヌーシア寮のダイニングルーム。
朝食時に、早速、寮生達に聞いてみたところ、
散々な感想(大袈裟な賞賛も含む)が寄せられた。
しかも、「早朝ランニングは可能か」という質問に対する回答がひとつもない。
「あの、それで、早朝の外出は可能なんでしょうか?」
寮生達は顔を見合わせていた。
「別にイイんじゃない?」
「だよな。ダメって生徒手帳に書いてないんなら」
「他の寮では、走ってる奴も居るんじゃなかったっけ?」
「あー、走りそうな奴居るよな、何人か」
「別に規則破りでも黙っててやるから、走ってこい、走ってこーい!」
この寮には正確な情報を持っている生徒が居ないらしい。
そこでクラウスは生徒代表のジブリールに確認することにした。
放課後、彼が住むアルファルド寮に行った。
寮内に入ったら、何故かオウムが飛んでいて驚いたが、
その後、生徒代表には会えて「もちろん構わない」と難なく許可を貰えた。
ジブリール曰く、これまでも早朝の走り込みをしていた生徒は居るそうだ。
生徒代表からも許可された。翌朝から早速始めよう。
明日着るランニングウエアを用意してから、眠りについた。
翌朝4時45分に起床した。その後の予定は、5時に寮を出発、6時までには寮に戻る。
シャワーを浴び、朝の読書をしてから朝食に出る予定だ。
ランニングの時間は通常、ストレッチを含めて30分程度が適切だが、
今日は第一回目のランニングだから、かなり余裕をもったタイムスケジュールにした。
走るコースは昨夜、島の地図を参考に大体決めたが、
島の散策を兼ねて、実際の景色を見ながら、コースを考えていきたいと思っていた。
机に広げた地図を確認しながら、ランニングウエアに着替える。
色は上下とも黒。ノースリーブのランニングシャツに、短めのランニングパンツ。
このシャツは、肩に白のラインが入っている程度のシンプルなデザインだが、
吸水性と通気性に優れ、プロのランナーも使うものだ。
ランニングウエアに袖を通すのは三日振りだが、随分着ていなかったように感じる。
予定通り5時に部屋を出た。
寮の廊下を歩いている時は、誰とも擦れ違わなかった。皆まだ眠っているのらしい。
外に出ると、まだぼんやり明るい程度だった。
真夏だが、早朝だけあって、まだ暑くはない。早朝だけの特別な心地良さだ。
寮の前でストレッチをしたあと、クラウスは走り出した。
正門まで続く一直線。日中であれば人が行き交う道だが、この時間に居るのはクラウスだけだ。
月桂樹のアーチになっている通路を真っ直ぐ駆けていく。
鳥の声と自分の足音だけがする。
そう思っていたら、左前方からバサリと何かが落ちた音がした。
月桂樹の葉が生い茂る枝。それが丸一本、木から落ちたのだ。
葉が枝ごと落ちるなど、自然な現象とは考え難い。
誰か居るのか。クラウスは木の上を見上げた。
葉に紛れて、人影があった。その人物はクラウスに気付き、木から飛び下りた。
ハンチング帽を押さえながら降ってきて、慣れた様子で着地した。
生徒ではない。無精髭を生やした大人の男。クラウスより十歳程上だろうか。
「高いところから失礼致しました。葉や枝でお怪我はなさいませんでしたか?」
「怪我はしていません」
「安心致しました。ああ、ご挨拶が遅れましたね」
ハンチング帽を取って、胸に置く。
「私は森番のバロウズと申します。月桂樹や他の動植物の飼育、管理などを
担当させて頂いております。お見知り置きを」
「自分は、先日入学した高等部一年のクラウス・フォン・モールです。
よろしくお願いします、バロウズさん」
「バロウズで構いませんよ。貴方はマージナルプリンスなのですから。
ところで、そのお召し物、クラウス様も早朝ランニングですか?」
「はい」
「そうでしたか。行ってらっしゃいませ、クラウス様」
バロウズに見送られ、月桂樹の並木道を走って行く。
正門に着いた。門番に朝の挨拶をするとともに、
生徒手帳を提示し、これから学院周辺を走ってくることを伝えた。
朝食までには戻ること、今後も早朝ランニングをする予定であることも説明した。
「畏まりました。ご丁寧にご説明頂きまして、ありがとうございます」
門番の警備スタッフは、敬礼して見送ってくれた。
クラウスは正門を出て、右の道を走った。
趣味がトライアスロンであるクラウスにとって、走ることは決して苦ではなかった。
きりりとした朝の空気は身が引き締まるし、走ることは気持ちが良い。
走っている間、余計なことは考えない。只ひたすらに前を向いて、腕を振り、足を踏み出す。
誰にも、何にも縛られない、自分だけの時間。走ることは、自由を感じる瞬間だった。
別れ道に差しかかった。どちらに行くんだっただろう。
立ち止まって、ウエストポーチから地図を取り出した。
「お前、イイ足してんなー。よく走り込んでる足だ」
前方から声をかけられ、顔を上げる。
ランニング姿の青年が居た。
短髪は限りなく白に近い金色。日々運動していることが解る肉体。
年はクラウスより上のようだ。島民だろうか。
青年は腰に手を置きながら、クラウスが持っている地図を覗き込んだ。
「ふうん。ランニングコースなら、それより良いコース、俺が教えてやるよ?」
「え? でも」
「大丈夫。朝食までには帰れる。お前、新しいマージナルプリンスだろ?」
「どうして」
「そんくらいの年で、地図持ってる奴なら、新入生に決まってるさ。
さあ、付いてきなっ。俺様の足に付いてこられれば、だけど?」
青年が走り出す。クラウスは地図をしまい、彼の背中を追いかけた。
彼に案内されたのは、学院の裏手に位置する小高い丘だった。
このコースなら、行き帰り含めておそらく30分程度。
上り下りがあり、適度なトレーニングにもなる。
何よりここ、丘の頂上まで来ると、広く景色が見渡せた。
アルフォンソ島の街並みが見え、その向こうには大きな海が広がっている。
ここまで案内してくれた青年は、草の上に足を投げ出して座っている。
彼の白銀色の髪が揺れる。気持ち良さそうに全身で風を浴びていた。
「海が見えるコースってイイだろ?」
クラウスは彼の傍らに立っていた。
「はい。良い景色ですね」
「だろだろっ? 俺が見つけたコースなんだぜ?」
どうだすごいだろう、といった様子で言われた。
「なあ、お前、明日も走るのか?」
「はい。雨でなければ」
「じゃあ、明日はもうちょい早く来てみな。ここから朝焼けが見られるんだ。
海から朝陽が昇って、海の上の雲が赤く光るとこなんて、ゲキアツなんだぜ!」
彼の言葉通りにクラウスは想像してみる。見てみたい、と思った。
「このコース、お前にくれてやるよ」
「え?」
「お前、イイ足してるしなっ」
左手で足をパンと叩かれた。
「感謝しろよ? 俺様だけのコースだったんだからな!」
「あ、ありがとうございます」
「イイってことよ。じゃあ俺、ちょっと寄り道して帰るから。
お前、ここからの帰り道は解るか? 解らねえなら付いていってやるけど?」
「大丈夫です。来た道を戻るだけですから解ります」
「へえ。記憶力、良いんだな、クラウスは」
「えっ。どうして、俺の名前」
「知ってるさ。お前がシュヌーシアに入った新入生だろ?
ジブリールに学院案内されてるの、チラッと見かけたしな」
「じゃあ、貴方も聖アルフォンソ学院の生徒だったんですか?」
「ああ。今日まで……いや、昨日までか。俺、今日卒業だから」
「今日、ですか?」
「最後に、島の景色を目に焼き付けておきたくってさ。もう二度と来れねえだろうし。
最後に挨拶しときたい人とか居たから、今日は特別早起きして、
島のあちこちを走り回ってたんだ。
そしたら、地図見ながら迷子になってる新入生と出くわしたってわけよ」
「あれは道を確認してただけで、別に迷子になってたわけでは」
「ハハハッ。そーゆーことにしといてやるよっ」
青年が立ち上がる。お尻に付いた砂を払う。
「先輩。名前を教えて下さい」
「名前? 今日卒業する奴のことなんて覚えなくていいさ。
これからは嫌でも俺の名前をなんかで見られるかもしんねーし」
彼はカラリと笑う。
「なーんてな! 名前も告げずに去っていくっての、一度やってみたかったんだよ!
んじゃ、これからの三年間、楽しめよ、クラウス!」
先輩は一人で走って行った。
追いかけたい気持ちはあったが、もうその背中を追ってはいけない気がして。
クラウスは学院へ帰る道に向かって走り出した。
寮に着いた。クラウスは真っ先に、ある寮生の部屋へ行った。
ドアをノックしても反応がない。起床時間にはまだ早いし、眠っているのだろう。
一瞬迷ったが、クラウスはドアを開けた。
ベッドの中にテオの寝顔があった。熟睡中のようだ。
「テオ。すまないが、起きてくれ、テオ」
「ん、んー」
「テオ」
「ん。えっ。クラウス? 私はまだ夢を見てるのかな」
「夢じゃない。朝早くから起こしてすまん。
だが、どうしても今すぐ聞きたいことがあるんだ」
「なんだい?」
「今日卒業する生徒が、誰か解るか?」
クラウスは正門前に駆け付けた。
門の前に、体格の良い後ろ姿が見える。
プラチナブロンドの短髪。背格好を見ても、間違いなく、今朝一緒に走った人だ。
彼の向こうには、タクシーとドライバーが見えた。
あの車に乗って空港に向かうのだろう。祖国へ帰還する為に。
「あれ? ひょっとして、クラウス?」
先輩がこちらに気が付いた。
「なんだよ。わざわざ見送りに来てくれたのか?」
クラウスは先輩の傍へ歩いていく。
「はい」
「今日初めて会ったばっかだっつーのに。律儀っつーか、バカ真面目な奴だなあ、お前は」
「貴方の名前、シュヌーシアの奴に聞きました」
本当は先月卒業する筈だったが、家庭の事情でひと月延期になった生徒が、一人居ると。
「ウーティス寮のエドガー・ラッセルさん、ですよね?」
「おいおい。違うだろ、クラウス」
「え?」
「マージナルプリンス同士は、学年に関係なく、ファーストネームで呼び合う決まりだろ?
俺は今日で卒業しちまうけど、卒業生同士だって、この習慣は永遠に守り続けるものなんだぜ?」
「そうでした。すみません、エドガー」
「ハハッ。やっぱお前、バカ真面目だなー」
「あの、エドガー。俺、貴方に一言、伝え忘れたことがあって、会いに来ました」
「ん? なんだよ?」
クラウスは頭を下げた。
「ご卒業、おめでとうございます」
エドガーは目を丸くしたあと、吹き出す。腹を抱えて笑う。
「ちょ、お前、それを言うだけの為に?」
「はい」
「ハハハッ! おっまえ、おもしれーなー!」
笑い過ぎて、涙が流れたのか、手の甲で涙を拭いている。
泣かれるまで笑われるとは思わなかったクラウスは戸惑った。
一頻り笑い終わると、彼は言った。
「俺、一か月、居残りしてたのは、お前に会う為だったのかもな」
エドガーは校舎のほうを見やる。月桂樹の並木道の向こうには、大きな学舎。
「卒業が一か月も延期になった時は、マジ意味解んねえって思った。
最後の最後までゴタゴタしやがるから、ヤンとは一緒に卒業できなかったし。
なんで俺だけと思っちまったけど、悪いことばっかりじゃなかったんだよな。
卒業を延期してなかったら、俺はお前と会えなかった」
クラウスはエドガーと目が合う。先輩の瞳は青く澄んでいた。
「今日で卒業するのが惜しくなってきたぜ。
お前とは30分くらいしか一緒に居られなかったのが残念だ」
エドガーはぼそりと呟いた。
「30分だけだったけど、これもシュヌーシアなのかもな」
それまでタクシーに凭れて、一服していたドライバーが時間を告げた。
「悪い、エドガー。空港に向かうには、そろそろギリの時間だ」
「ああ。待たせて悪かったな、アイヴィー。すぐ行く」
エドガーはクラウスに手を差し出した。
「わざわざ見送りに来てくれて、ありがとな、クラウス。
聖アルフォンソ学院は、世界一の学校だ。お前なら最高の三年間が過ごせるさ。
このエドガー・ラッセル様が保証してやるっ!」
後輩は、差し出された手を握る。先輩の手は大きく、がっしりとした手だった。
「ありがとうございます。卒業してもお元気で」
「お前も元気でな!」
エドガーがタクシーに乗り込む。
卒業生を乗せた車が見えなくなるまで、新入生は見送っていた。
翌朝。クラウスは前日より少し早く起床した。
海から昇る朝陽を見る為に。
「ああ、なんて清々しい! まさに朝の太陽のような思い出だね!」
シュヌーシア寮のロビー。
話を聞いたテオは感動しているようだ。
「そのランニングコースはエドガーから受け継いだ物だったのだね!
聖アルフォンソ島いちの朝陽をプレゼントされたと言ったほうが良いかなあ」
「あれ? テオとクラウスだ」
中等部一年のレオンが通りかかった。パジャマ姿で、まだ眠そうな顔だ。
天然パーマの上に寝癖が付いて、くちゃくちゃな髪をしている。
レオンは、ランニングウエア姿のクラウスとパジャマ姿のテオを見て、
「あんたら、そんなとこで何してんの? 朝メシ行かないの?」
クラウスは腕時計を見た。もう朝食の時間だ。
「走れなかった……」
愕然とするクラウスを見て、テオは楽しそうに笑っている。
「あはは、すまない、クラウス。私と話していたせいで、時間が過ぎてしまったね。
でも、いいんじゃないかい? 毎朝走っているのだから。たまにはお休みしても」
「良くない!」
fin
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