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Marginal Prince Short Story
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■クラウス
思えば、最初にその類の話を聞いたのは、先日、クラウスが学院の図書館に行った時だ。
借りていた世界史の参考文献を持って、返却コーナーに向かった。
すると、司書が話しているのが、クラウスの耳に入った。
「――ええ。また無くなりましたよ」
もう一人の司書が苦笑する。
「困ったものですね。この前、補充したばかりだと思っていたのに」
「本当に」
その時は、場所が図書館だったから、本が紛失した話かと思った。

校舎の廊下でも、クラウスは似たような話を聞いた。
「ほう。では、ボージェ教授も」
「ソクーロフ博士の『妖精』も、もう無くなりましたか」
先生方との擦れ違いざまには、そんな会話を聞いた。

更にはアイヴィーも何かを無くしていた。
それは、授業が終わり、クラウスがシュヌーシア寮に帰ってきた時。
「ドニー。アレ無くなっちゃったー」
寮のキッチンがある辺りで、アイヴィーは確かにこう言っていた。
「あれ? 居ないのー? ドーニー」
当時のクラウスは、知った顔を見て、ただ話しかけただけだった。
「ん? アイヴィーじゃないか」
「うひゃあ! ク、クラウス!?」
「何をそんなに驚いている。うちの寮のシェフに用事でもあるのか?」
「んー。ま、まあ、ちょっとー」
具体的なことは教えて貰えなかったのだ。
今思えば、この時のアイヴィーの様子は可笑しかった。
「えっとー。ドニ、今、居ないみたいだねー。お買い物でも行ってんのかなー?」
「シェフなら、うちの中等部を連れて、植物園に出かけている筈だ」
「植物園?」
「確か、スイートポテトの収穫だったか。
昨日、中等部の連中が『明日はお芋掘り』だと騒いでいたからな」
「へえ。楽しそ。じゃあ今日はドニには会えなそーだな」
「伝言があるなら、俺が引き受けるが?」
「いやー、クラウスには言えな……」
「ん?」
「あ、いやいや。別に大したことじゃないから、また出直すよ。じゃあな、クラウス」
そそくさとアイヴィーは立ち去った。

クラウスが生徒代表室に向かう途中、学生課を横切る時にも、三人の職員が話していた。
「もう無くなったよ」
「ああ。こっちも無い」
「気が付いたら無くなってるんですよね、いつも」
学生課でも何かが無くなっているのか。
同じ時期に、校内での紛失が頻発しているのだとしたら、
生徒代表として見過ごせない事態である。クラウスは、学生課の職員達に尋ねた。
「何か、学院の物が紛失したんですか?」
職員達は揃って慌て出した。
「こ、これはクラウス様!?」
「生徒代表に心配して頂くような話ではありませんので!」
「そうです! 私どものごく個人的な話ですので、クラウス様はどうかお気になさらず!」
「……そうですか。それなら、良いのですが」
あまりに必死な様子に気圧されて、それ以上は問い質せなかった。


「クーラーウース?」
夕食後のシュヌーシア寮サロン。
クラウスが考え事をしていると、テオの顔が目の前にあった。
しかも、クラウスの眉間を指で伸ばされている。クラウスは少し仰け反った。
「な、なんだ、どうした、テオ。そんなに顔を近付けるな、眉間の皺を伸ばすなっ」
テオが隣のソファに座る。
「どうした、は私の台詞だよ? 先程から何度呼んでも、ずっと難しい顔をして」
「そうだったのか? すまん」
「良いよ。それより、何をそんなに思い悩んでいたんだい?
私が聞いても良いことだったら、聞かせて欲しいな」
クラウスは組んでいた腕を解く。
「お前、何か、無くした物はあるか?」
「え? 子供の頃には持っていた奔放さ、とか?」
お前は今でも充分過ぎるほど奔放だ、とクラウスは呟く。
「俺が言っているのは、そういう心理的な話ではなく、物理的な話だ」
「物理的に無くした物かい? うーん。別に何も無くしてないと思うけれど。
クラウス、何か無くなってしまったのかい? 私も探すのを手伝うよ!」
「いや、俺じゃないんだ。実はな」
頭の中を整理する為にも、クラウスは先程考えていたことをテオに話してみることにした。

「ふむふむ。成程。つまり、こういうことだね?」
テオは、コーヒーカップをソーサーに戻す。
「ここ最近の間に、少なくとも、司書さんや学生課の職員さん、
ソクーロフ博士にボージェ教授、そしてアイヴィーまでもが、何かを無くしていると」
「そうだ」
「不思議なのは、何かを無くしたアイヴィーが、ドニを訪ねていることだね」
「ああ。ドニも関係者である可能性は高いな」
「それに、ボージェ教授が仰ってた『妖精』というキーワードも気になるねえ」
「そうだな」
「これは……事件だね! 事件だよ、ホームズ!」
テオに何かヘンなスイッチが入ってしまった。
「そうと決まれば、早速、明日の放課後から捜査開始だよクラウス・ホームズ!
捜査にはもちろん、このテオ・H・ワトスンがお供するからね!」
「落ち着け、テオ。まだ事件と決まったわけでは」
「あ、バトラー! 鹿撃ち帽とインバネス・コートって、学院の衣装部屋にあったかい?」
シュヌーシア寮の執事は微笑みながら答える。
「はい、ございますよ、テオ様」
「……ホームズの衣装を用意されても、俺は着ないからな?」
「そんな謙遜しなくとも、クラウスなら絶対に似合うよ! ふふ。楽しみだなあ!
あ、そうだ、バトラー! パイプと虫メガネもあったかなあ?」
完全に相談相手を間違えた、とクラウスは肩を落としていた。

就寝時間になり、クラウスは自室に戻った。
電気を消して、ベッドに入る。
暗い天井を見ながら、テオの言葉を思いだしていた。
――子供の頃には持っていた奔放さ、とか?――
目を閉じる前、クラウスはふと思う。
心理的な意味でなら、俺は何を無くしただろう。


「おはようございます、クラウス様。今、お帰りですか」
翌朝。日課の早朝ランニングから戻ってきた時、
月桂樹の森の傍で、ハンチング帽の男性に声をかけられた。森番のバロウズだ。
ランニングをしていると、しばしば会うので職員の中では親しい存在だった。
「ああ。おはよう、バロウズ」
森番は右手に月桂樹らしい枝を持っていた。
「毎朝、ランニング、お疲れ様です」
「いや。俺の場合は趣味のようなものだからな。
バロウズこそ、朝早くから剪定(せんてい)の仕事をしているじゃないか。
ここは日中は生徒が通る道だから、木の剪定は早朝に行っているんだろう?」
「ああ、これのことですか? でも、今日は剪定の日ではないんです。
バロウズは手にしている枝を見ながら、
「実は、シュヌーシアのシェフに、料理に使う月桂樹の葉を一枝分程、
選んでおいて欲しいと頼まれていたのものですから。
木々のチェックのついでに、良さそうな葉を選んでおりました。
確か、煮込みハンバーグに使う予定だと申しておりました」
つまり、今日もしくは近日中に煮込みハンバーグがシュヌーシア寮の食卓に上るということか。
しかし、料理に使う葉なら、一枝分は多過ぎるのではないか。
料理についてクラウスは詳しくなかったが、一枚や二枚で足りそうな気もした。
クラウスの疑問が顔に出ていたのか、それを読み取ったようにバロウズは微笑した。
「生徒のクラウス様にお教えして良いものか解りませんが」と前置きした上で、
「残りの葉は、薬酒に使うのですよ。ホワイトリカーに葉を漬け、
三か月程熟成させると、琥珀色の月桂樹酒になるのです」
「月桂樹酒……この葉は酒にもなるのか」
「はい。月桂樹酒は、疲労回復や精神安定に効果があると言われ、
もちろん料理の隠し味にも使われていますが、
香りの良さと仄かな苦味が、昔から学院の教職員には人気がありまして。
いつの頃からか、森番が選んだ月桂樹の葉で、シェフが月桂樹酒を作る伝統があるのです。
夏の葉で作った物を今月上旬に配布したのですが、早い方はそろそろ飲み切ってしまう頃です。
今度は冬に配布する為に、この、秋の葉で作るのですよ」
「ふうん」
「月桂樹酒は、クラウス様には、お気に召さない伝統でしたでしょうか?」
「ん?」
「クラウス様は今や生徒代表。聖アルフォンソ学院の教職員として不甲斐ない、
と私どもに処罰を与えることも可能ですよ」
「いや。そこまでしようとは思わん。俺は酒をやらないからよくは解らんが、
月桂樹酒は、昔から、大人達の楽しみになっているんだろう?」
「寛大なお言葉、ありがとうございます」
「俺が禁止したところで、どこかでこっそり伝統が受け継がれていきそうな気もするしな」
「おや。現実主義ですね、クラウス様」
「この前、世界史の講義でも学んだことだが、20世紀前半はアメリカを始め、
数か国で禁酒令が施行されたが、10年程で解除されている。
無謀な弾圧は民の反感を招き、犯罪が横行するだけだと歴史が物語っている」
「成程」
「しかし。先生方がそんなことをしていたとは、今まで知らなかっ……」
あっ、とクラウスは思う。
「バロウズ。今年、その月桂樹酒を作っているシェフは、うちのドニ・ドームシェフか?」
「え? ええ。そうですが?」
「それから、教職員に人気と言ったな。その酒は、図書館の司書や学生課の職員にも、
ソクーロフ博士やボージェ教授、それからアイヴィーにも渡している物なのか?」
「はい、もちろんです。『妖精の涙』は、ご希望の方には配られる物ですから」
「えっ? 妖精? 今、妖精と言ったか?」
「あ、はい。月桂樹酒のことは、この島では『妖精の涙』と呼ばれています。
ギリシャ神話で、月桂樹に身を変えた妖精ダフネになぞらえて、その名が付いたのでしょう」
そういうことか。大人達の会話に上っていた『無くなった物』は月桂樹酒のことだったようだ。
アイヴィーがドニを訪ねていたことにも、それなら理由が付く。
溜め息を吐いたクラウスを見て、バロウズは苦笑した。
「――ああ、つまらない話でお引き留めして申し訳ございません。
クラウス様はこれから朝食でしたね」
「いや。助かった。ありがとう、バロウズ」
「え? 私、クラウス様にお礼を言って頂けるような話をしましたか?」
「ああ」
クラウスは笑った。
「おかげで、今日の放課後に、コスチュームプレイをしないで済みそうだ」


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