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■ミイラの神秘12 続編
●13 エピローグ
レースのカーテンを少しだけ開ける。
バートンが警察に連行されていくのを、僕達はホテルの部屋の窓から見送った。
警部に付き添われて、彼はパトカーに向かって歩いていく。重い足取りだ。
彼の背が曲がっているのは、その背に絶望を背負っているからかもしれない。
「ボージェ教授。どうして人を殺してはならないの?」
背後に居る教師に尋ねた。
「事件が解決したら、答えを教えるって言っていなかった?」
「そうだったね。では教えよう」
大人の低い声が僕の頭上から聞こえてくる。
「答えは『人を殺してはいけない、というルールを破っているから』だよ」
僕は教師を振り返る。彼は淡々と解説した。
「人を殺してはならない。そのルールを破ることがいけないことなんだ。
殺人を罪と見なすルールがあるからね、現代には」
僕は冷笑した。
「本質的な回答とは言えないけれど、間違いではないか」
殺せば殺す程、英雄となった時代もある。
子供が読む教科書に『国の為に死ね』と書かれていた時代がある。
その風潮は現代にはない。
現代では人を殺すことは罪になる。だから殺してはならない。
「解り易い答えだね。非情なまでにシンプルだ」
バートンがパトカーに乗り込むのが見えた。罪人を乗せた車がホテルを出ていく。
僕はそっとカーテンを閉めた。
僕とオーギュストは当初の予定通り昼前にホテルを出発した。
「自分が居ない間に、まさかアンリさんが殺人事件に巻き込まれるなんて」
ホテルから空港まで車で移動中。今日の運転手はフィオラノだった。
「アンリさん、お怪我はありませんでしたか?」
「見ての通りだよ」
「ご無事で何よりです。今回は一日目しかお側に付けず、すいやせんでした」
「フィオが謝るこたねえさ」
しゃがれた声が割り込んでくる。ディーノだ。
「お前には別の仕事を頼んでたからなあ」
後部座席には、左からディーノ、僕、オーギュストの順番で座っていた。
「ホテル周辺を張ってたダンテの話じゃ、事件のどさくさに紛れて、
昨日、ホテルに入ろうとしてたネズミが居たらしいぜ?」
「本当?」
「心配すんな。ネズミ野郎はダンテが駆除済みさ」
「そう」
車の窓からパレルモの街並みが見えた。
空港に近付くに連れ、海が見えてくる。港町の景色は美しい。
かつてのシチリアでは、政権さえマフィアが影で糸を引いていた時代があり、
公共事業や建築業との癒着があったとも言われている。
当時建設されたパレルモ市街地にある高層アパート群。
その下にはマフィアの餌食になった者達が今も眠っている。
コンクリートの中にはバラバラになった手足が埋められていると。
そんな噂が現在もまことしやかに囁かれる街。
噂は真実なのか。今も行われていることなのか。
昨日の“ネズミ”はどうやって駆除されたのか。
僕の隣に居る男は、それらを全て知っているのだろう。
チラリと見上げたら、たまたま目が合った。
「ん? お礼のキスがしたいってか? センセーの前で大胆なヤツだなあ」
マフィアは笑っていた。
一時間ほどでパレルモ空港に着いた。
僕達四人は観光客やビジネスマンと擦れ違いながら、搭乗口に向かっていた。
今日のディーノは白いスーツに白いハット。目立つ。
彼の先導で歩いている僕達は、端から見たら、どんな集団だと思われるのだろう。
やはり国外へ出張しようとしているマフィアの一味だろうか。
この中で一番年下の僕は、ディーノの弟分だと見なされるのだろうか。腹が立つ。
「なあ、ホントにもう帰っちまうのか、センセー?」
オーギュストがディーノに絡まれている。
「シチリアの旨いメシは食ったのかあ?」
「料理はホテルで頂いたよ。美味しいスプマンテもね」
彼等の後方を僕とフィオラノが歩いていた。
僕は二日前から気になっていたことがあった。今なら丁度良いタイミングだ。
前方を歩く二人に聞こえないよう、僕は静かに言った。
「フィオラノ。聞きたいことがあるんだけど」
「あ、へい。何でしょう?」
「僕とオーギュストって、似てる?」
カタコンベで会った老夫婦。ご婦人は僕達のことを「似てる」と言った。
利発な目許は特にそっくりだと。
学院の連中には、似ているなんて今まで言われたことがなかったから、
第三者の目からどう見えるのか聞いてみたかった。フィオラノはきょとんとしながら、
「ええっと、それはお顔が似てるかってことですかい?」
僕は頷く。フィオラノは僕の顔と前方を歩くオーギュストの横顔を見比べた。
「うーん。お二人ともお綺麗なお顔立ちだとは思いますが、
似てるかって言うと、似てるようなー、似てないようなー」
「はっきりしないね」
「ただ、言われてみますと、少し」
「似てるの? どこが?」
「いえ、どこがって言われると、うまく言えないんですけど、雰囲気、ですかねえ」
「何それ?」
「気高さって言うんでしょうか。お二人ともお上品だなあっていうのは感じてました」
「そう」
顔を上げると、ディーノがオーギュストの肩に腕を回していた。
初対面の時はオーギュストのことを「いけすかねえ奴」とまで言っていたのに、
今日のディーノは、オーギュストに対して嫌に馴れ馴れしい。
「なんなら、俺様の知り合いがやってるウマイ店に案内してやってもイイんだぜ?」
「ありがとう。でも明日は授業があるから。今日帰らなくてはいけないんだ」
「俺様よりクソガキどもの相手がイイってか。つれねえセンセーだなあ」
「私もディーノ君とは一度ゆっくりワインでも酌み交わしたいと思っているんだがね」
「俺もだぜ? センセーとはイロンナ話をしてみてえんだよなあ、例えば」
ディーノはオーギュストの耳許に唇を寄せ、何か囁いた。僕の位置からでは遠くて聞こえない。
何事かを耳打ちされたオーギュストは、フッと微笑んでいた。
「フライトは正常ですね」
フィオラノはフライトスケジュールを見上げていた。
欠航や大幅な遅れもない。この分なら、夜のうちに島に帰れそうだ。
「アンリさん、搭乗まであと20分ほどお時間ありますが、お飲物でもお持ちしましょうか?」
「構わなくていいよ。本でも読んでるから。君達、今日はもう」
帰ってくれていいよ、と言葉が続かなかった。
フライトスケジュールを伝える電子時刻表の近くに、テレビのニュース番組が映っていた。
交通事故のニュースだった。見慣れ過ぎて、普段は何も感じないくらいのニュースなのに。
その時の僕は、足が止まり、テレビから目が離せなかった。
「どうしたんだね、アンリ」
オーギュストの声で我に返った。彼がこちらにやってくる。
「オーギュスト、あれ」
彼もテレビを見上げた。
「あれは、カタコンベで会ったご夫婦だね」
僕とオーギュストのことを似ていると言ったご婦人と夫だ。
彼が運転する車が事故を起こして、夫婦共に死亡。
アナウンサーは淡々と、高齢者の交通事故が増えていると伝えていた。
「どうして、彼等が」
「なんだ、お前の知り合いか?」
ディーノが後ろに立っていた。
「知り合いという程では、ないけれど」
「ありゃあ社長さんだぜ?」
その時、ディーノは微かに嗤った。僕の脳に幾つかの仮説が浮かぶ。
もし、カタコンベで老夫婦と出会ったことが偶然でなかったとしたら。
ご婦人がスリに遭ったことも、
彼女の財布を取り返し、ご婦人と面識を持ったことも、
全てが偶然でなく、仕組まれたことだったとしたら。
「ディーノ。まさか、フィオラノに任せたことって」
「聞きてえのか?」
僕は思い出す。僕達をカタコンベに誘ったのは、フィオラノだった。
僕達はイタリアを出国して、聖アルフォンソ島に戻ってきた。
空港まで迎えに来たタクシーのドライバーは、金髪の煩い人だった。
オーギュストは彼にドライトマトとオリーブオイルを渡していた。
どうして彼にイタリア土産を渡す必要があるのか解らない。
大人達がパスタの話をしている間、僕は窓のほうを見ていた。
空港から市街地までは海沿いの道。夜の海。静寂の景色が続く。
暗い海には金色の三日月が浮かんでいた。
正門前で煩いドライバーから離れられた。
車から降りると、僕を迎えるように、葉の香りを感じた。
正門からキャンパスまで立ち並ぶ木々。この島にしかない亜種の月桂樹。
外出先から戻ってきてこの香りを吸うと、帰ってきたんだなと思う。
教職員の宿舎メルキュール館に住むオーギュストとは、校舎の前で別れた。
僕は一人で、第一学生寮に向かった。
僕が島の外に出ると、寮生は無駄に毎回心配している。
今回も例に洩れず、寮のサロンに僕が顔を見せると、
五人の寮生は僕を待ち受けていたかのように、わっと寄ってきた。
「アンリだ! 無事だったんだね! おかえり、アンリ!」
泣きそうな笑顔で出迎えたのは、日本から来た一年生。
「心配したよ、シチリアで猟奇殺人事件が起こったってニュースでやってたから」
眼鏡の日本人が続く。
「もしかしてアンリがまた巻き込まれてるんじゃないかって」
「ああ、巻き込まれたよ、思いきり。容疑者扱いされたし」
「アンリが犯人だったの!?」
「だったら、帰ってこれないよ」
「そ、そっか。そーだよね」
一年生は照れ笑いした。
「じゃあ、どんな巻き込まれ方をしたんですか?」
「聞かせろよ、アンリ。刑事役のオファーが来た時、参考にするからさ」
「明日にして。今夜はもう眠りたい。間抜け面見たら、疲れてきた」
「誰のことだ、誰のー!? こっちは心配して待ってたっていうのによー!」
「レッド。話は明日ゆっくり聞かせて貰うとして、今日はもう休ませてあげよう?」
「ちぇー」
「アンリ」
お人好しは僕を優しく見つめた。
「今夜は何の心配しないで、安心してゆっくりおやすみ」
やっと僕の部屋に辿り着いた。
ドアを閉め、歩きながらネクタイを緩める。
電気を付けないまま、倒れるようにして、ベッドに身を預けた。
これまで色々なホテルに泊まってきたけれど、
どこのスイートルームのベッドより、このベッドが一番落ち着く。
シャワーを浴びるのは明日の朝にして、今夜はこのまま眠ろう。
今回は本当に疲れた。目を閉じたら、すぐに眠れるだろうと思ったのに。
この三日間の出来事が次々と思い出されて、落ち着かない。
無口な男かと思いきや、片言しか英語が話せないマフィア。
かつて愛した人の遺体を見せられ、殺害容疑までかけられた男。
愛の果て、彼女を所有する為に殺した男。
そして、父親のエゴでミイラにされた少女。
三日の間に擦れ違った人達の顔や声が、浮かんでは消えていく。
「スーツも脱がずに眠るのかね?」
突然、声がして、僕は目を開けた。
そこに立っていたのは、いつも僕の部屋に勝手に入ってくる人物だった。
「……オーギュスト」
時計の秒針がチクタク時を刻んでいる。
夜の森からは、遠くで鳥が鳴いているのが聞こえた。ナイチンゲールだろう。
あのさえずりは、夜に聞いても耳障りじゃない。
暗い部屋で、僕はベッドに横たわったまま尋ねた。
「ねえ、ボージェ教授」
「ん?」
「ロザリア・ロンバルドをミイラにした人の名前、何ていったっけ?」
「死体防腐処理師のアルフレッド・サラフィア氏だよ」
「そのミイラ師も、目指したところは同じだったのかもしれないね、錬金術師と」
「錬金術師と?」
「ミイラ師も、錬金術師も、根本にある思想は同じような気がする。
どちらも永遠の身体を求めてることに変わりはないから」
「成程。確かに似ているのかもしれない。両者が目指したのは不老の身体だ」
「うん」
時計の針は、一秒ずつ時を進めている。
「ところで、君、さっき別れたばかりなのに、何しに来たの?」
彼は微笑むだけで答えない。
「用事がないなら、もう自分の部屋に帰ったら? 僕、疲れたから、早く眠りたいんだけど?」
「そうだね。今回は本当にお疲れ様」
そう言うと、オーギュストは僕の頭を撫でた。優しく、温かい手。
こういうのは好きじゃない。頭を撫でられるなんて、あの人にもされたことないのに。
「おやすみ、アンリ」
急に眠たくなってきて、僕は目を閉じた。
fin
●13 エピローグ
レースのカーテンを少しだけ開ける。
バートンが警察に連行されていくのを、僕達はホテルの部屋の窓から見送った。
警部に付き添われて、彼はパトカーに向かって歩いていく。重い足取りだ。
彼の背が曲がっているのは、その背に絶望を背負っているからかもしれない。
「ボージェ教授。どうして人を殺してはならないの?」
背後に居る教師に尋ねた。
「事件が解決したら、答えを教えるって言っていなかった?」
「そうだったね。では教えよう」
大人の低い声が僕の頭上から聞こえてくる。
「答えは『人を殺してはいけない、というルールを破っているから』だよ」
僕は教師を振り返る。彼は淡々と解説した。
「人を殺してはならない。そのルールを破ることがいけないことなんだ。
殺人を罪と見なすルールがあるからね、現代には」
僕は冷笑した。
「本質的な回答とは言えないけれど、間違いではないか」
殺せば殺す程、英雄となった時代もある。
子供が読む教科書に『国の為に死ね』と書かれていた時代がある。
その風潮は現代にはない。
現代では人を殺すことは罪になる。だから殺してはならない。
「解り易い答えだね。非情なまでにシンプルだ」
バートンがパトカーに乗り込むのが見えた。罪人を乗せた車がホテルを出ていく。
僕はそっとカーテンを閉めた。
僕とオーギュストは当初の予定通り昼前にホテルを出発した。
「自分が居ない間に、まさかアンリさんが殺人事件に巻き込まれるなんて」
ホテルから空港まで車で移動中。今日の運転手はフィオラノだった。
「アンリさん、お怪我はありませんでしたか?」
「見ての通りだよ」
「ご無事で何よりです。今回は一日目しかお側に付けず、すいやせんでした」
「フィオが謝るこたねえさ」
しゃがれた声が割り込んでくる。ディーノだ。
「お前には別の仕事を頼んでたからなあ」
後部座席には、左からディーノ、僕、オーギュストの順番で座っていた。
「ホテル周辺を張ってたダンテの話じゃ、事件のどさくさに紛れて、
昨日、ホテルに入ろうとしてたネズミが居たらしいぜ?」
「本当?」
「心配すんな。ネズミ野郎はダンテが駆除済みさ」
「そう」
車の窓からパレルモの街並みが見えた。
空港に近付くに連れ、海が見えてくる。港町の景色は美しい。
かつてのシチリアでは、政権さえマフィアが影で糸を引いていた時代があり、
公共事業や建築業との癒着があったとも言われている。
当時建設されたパレルモ市街地にある高層アパート群。
その下にはマフィアの餌食になった者達が今も眠っている。
コンクリートの中にはバラバラになった手足が埋められていると。
そんな噂が現在もまことしやかに囁かれる街。
噂は真実なのか。今も行われていることなのか。
昨日の“ネズミ”はどうやって駆除されたのか。
僕の隣に居る男は、それらを全て知っているのだろう。
チラリと見上げたら、たまたま目が合った。
「ん? お礼のキスがしたいってか? センセーの前で大胆なヤツだなあ」
マフィアは笑っていた。
一時間ほどでパレルモ空港に着いた。
僕達四人は観光客やビジネスマンと擦れ違いながら、搭乗口に向かっていた。
今日のディーノは白いスーツに白いハット。目立つ。
彼の先導で歩いている僕達は、端から見たら、どんな集団だと思われるのだろう。
やはり国外へ出張しようとしているマフィアの一味だろうか。
この中で一番年下の僕は、ディーノの弟分だと見なされるのだろうか。腹が立つ。
「なあ、ホントにもう帰っちまうのか、センセー?」
オーギュストがディーノに絡まれている。
「シチリアの旨いメシは食ったのかあ?」
「料理はホテルで頂いたよ。美味しいスプマンテもね」
彼等の後方を僕とフィオラノが歩いていた。
僕は二日前から気になっていたことがあった。今なら丁度良いタイミングだ。
前方を歩く二人に聞こえないよう、僕は静かに言った。
「フィオラノ。聞きたいことがあるんだけど」
「あ、へい。何でしょう?」
「僕とオーギュストって、似てる?」
カタコンベで会った老夫婦。ご婦人は僕達のことを「似てる」と言った。
利発な目許は特にそっくりだと。
学院の連中には、似ているなんて今まで言われたことがなかったから、
第三者の目からどう見えるのか聞いてみたかった。フィオラノはきょとんとしながら、
「ええっと、それはお顔が似てるかってことですかい?」
僕は頷く。フィオラノは僕の顔と前方を歩くオーギュストの横顔を見比べた。
「うーん。お二人ともお綺麗なお顔立ちだとは思いますが、
似てるかって言うと、似てるようなー、似てないようなー」
「はっきりしないね」
「ただ、言われてみますと、少し」
「似てるの? どこが?」
「いえ、どこがって言われると、うまく言えないんですけど、雰囲気、ですかねえ」
「何それ?」
「気高さって言うんでしょうか。お二人ともお上品だなあっていうのは感じてました」
「そう」
顔を上げると、ディーノがオーギュストの肩に腕を回していた。
初対面の時はオーギュストのことを「いけすかねえ奴」とまで言っていたのに、
今日のディーノは、オーギュストに対して嫌に馴れ馴れしい。
「なんなら、俺様の知り合いがやってるウマイ店に案内してやってもイイんだぜ?」
「ありがとう。でも明日は授業があるから。今日帰らなくてはいけないんだ」
「俺様よりクソガキどもの相手がイイってか。つれねえセンセーだなあ」
「私もディーノ君とは一度ゆっくりワインでも酌み交わしたいと思っているんだがね」
「俺もだぜ? センセーとはイロンナ話をしてみてえんだよなあ、例えば」
ディーノはオーギュストの耳許に唇を寄せ、何か囁いた。僕の位置からでは遠くて聞こえない。
何事かを耳打ちされたオーギュストは、フッと微笑んでいた。
「フライトは正常ですね」
フィオラノはフライトスケジュールを見上げていた。
欠航や大幅な遅れもない。この分なら、夜のうちに島に帰れそうだ。
「アンリさん、搭乗まであと20分ほどお時間ありますが、お飲物でもお持ちしましょうか?」
「構わなくていいよ。本でも読んでるから。君達、今日はもう」
帰ってくれていいよ、と言葉が続かなかった。
フライトスケジュールを伝える電子時刻表の近くに、テレビのニュース番組が映っていた。
交通事故のニュースだった。見慣れ過ぎて、普段は何も感じないくらいのニュースなのに。
その時の僕は、足が止まり、テレビから目が離せなかった。
「どうしたんだね、アンリ」
オーギュストの声で我に返った。彼がこちらにやってくる。
「オーギュスト、あれ」
彼もテレビを見上げた。
「あれは、カタコンベで会ったご夫婦だね」
僕とオーギュストのことを似ていると言ったご婦人と夫だ。
彼が運転する車が事故を起こして、夫婦共に死亡。
アナウンサーは淡々と、高齢者の交通事故が増えていると伝えていた。
「どうして、彼等が」
「なんだ、お前の知り合いか?」
ディーノが後ろに立っていた。
「知り合いという程では、ないけれど」
「ありゃあ社長さんだぜ?」
その時、ディーノは微かに嗤った。僕の脳に幾つかの仮説が浮かぶ。
もし、カタコンベで老夫婦と出会ったことが偶然でなかったとしたら。
ご婦人がスリに遭ったことも、
彼女の財布を取り返し、ご婦人と面識を持ったことも、
全てが偶然でなく、仕組まれたことだったとしたら。
「ディーノ。まさか、フィオラノに任せたことって」
「聞きてえのか?」
僕は思い出す。僕達をカタコンベに誘ったのは、フィオラノだった。
僕達はイタリアを出国して、聖アルフォンソ島に戻ってきた。
空港まで迎えに来たタクシーのドライバーは、金髪の煩い人だった。
オーギュストは彼にドライトマトとオリーブオイルを渡していた。
どうして彼にイタリア土産を渡す必要があるのか解らない。
大人達がパスタの話をしている間、僕は窓のほうを見ていた。
空港から市街地までは海沿いの道。夜の海。静寂の景色が続く。
暗い海には金色の三日月が浮かんでいた。
正門前で煩いドライバーから離れられた。
車から降りると、僕を迎えるように、葉の香りを感じた。
正門からキャンパスまで立ち並ぶ木々。この島にしかない亜種の月桂樹。
外出先から戻ってきてこの香りを吸うと、帰ってきたんだなと思う。
教職員の宿舎メルキュール館に住むオーギュストとは、校舎の前で別れた。
僕は一人で、第一学生寮に向かった。
僕が島の外に出ると、寮生は無駄に毎回心配している。
今回も例に洩れず、寮のサロンに僕が顔を見せると、
五人の寮生は僕を待ち受けていたかのように、わっと寄ってきた。
「アンリだ! 無事だったんだね! おかえり、アンリ!」
泣きそうな笑顔で出迎えたのは、日本から来た一年生。
「心配したよ、シチリアで猟奇殺人事件が起こったってニュースでやってたから」
眼鏡の日本人が続く。
「もしかしてアンリがまた巻き込まれてるんじゃないかって」
「ああ、巻き込まれたよ、思いきり。容疑者扱いされたし」
「アンリが犯人だったの!?」
「だったら、帰ってこれないよ」
「そ、そっか。そーだよね」
一年生は照れ笑いした。
「じゃあ、どんな巻き込まれ方をしたんですか?」
「聞かせろよ、アンリ。刑事役のオファーが来た時、参考にするからさ」
「明日にして。今夜はもう眠りたい。間抜け面見たら、疲れてきた」
「誰のことだ、誰のー!? こっちは心配して待ってたっていうのによー!」
「レッド。話は明日ゆっくり聞かせて貰うとして、今日はもう休ませてあげよう?」
「ちぇー」
「アンリ」
お人好しは僕を優しく見つめた。
「今夜は何の心配しないで、安心してゆっくりおやすみ」
やっと僕の部屋に辿り着いた。
ドアを閉め、歩きながらネクタイを緩める。
電気を付けないまま、倒れるようにして、ベッドに身を預けた。
これまで色々なホテルに泊まってきたけれど、
どこのスイートルームのベッドより、このベッドが一番落ち着く。
シャワーを浴びるのは明日の朝にして、今夜はこのまま眠ろう。
今回は本当に疲れた。目を閉じたら、すぐに眠れるだろうと思ったのに。
この三日間の出来事が次々と思い出されて、落ち着かない。
無口な男かと思いきや、片言しか英語が話せないマフィア。
かつて愛した人の遺体を見せられ、殺害容疑までかけられた男。
愛の果て、彼女を所有する為に殺した男。
そして、父親のエゴでミイラにされた少女。
三日の間に擦れ違った人達の顔や声が、浮かんでは消えていく。
「スーツも脱がずに眠るのかね?」
突然、声がして、僕は目を開けた。
そこに立っていたのは、いつも僕の部屋に勝手に入ってくる人物だった。
「……オーギュスト」
時計の秒針がチクタク時を刻んでいる。
夜の森からは、遠くで鳥が鳴いているのが聞こえた。ナイチンゲールだろう。
あのさえずりは、夜に聞いても耳障りじゃない。
暗い部屋で、僕はベッドに横たわったまま尋ねた。
「ねえ、ボージェ教授」
「ん?」
「ロザリア・ロンバルドをミイラにした人の名前、何ていったっけ?」
「死体防腐処理師のアルフレッド・サラフィア氏だよ」
「そのミイラ師も、目指したところは同じだったのかもしれないね、錬金術師と」
「錬金術師と?」
「ミイラ師も、錬金術師も、根本にある思想は同じような気がする。
どちらも永遠の身体を求めてることに変わりはないから」
「成程。確かに似ているのかもしれない。両者が目指したのは不老の身体だ」
「うん」
時計の針は、一秒ずつ時を進めている。
「ところで、君、さっき別れたばかりなのに、何しに来たの?」
彼は微笑むだけで答えない。
「用事がないなら、もう自分の部屋に帰ったら? 僕、疲れたから、早く眠りたいんだけど?」
「そうだね。今回は本当にお疲れ様」
そう言うと、オーギュストは僕の頭を撫でた。優しく、温かい手。
こういうのは好きじゃない。頭を撫でられるなんて、あの人にもされたことないのに。
「おやすみ、アンリ」
急に眠たくなってきて、僕は目を閉じた。
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