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Marginal Prince Short Story
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悪魔の神秘10 続編
つい先程までホームパーティを行っていたホールは、しんと静まり返っている。
ホールの片隅に、一脚だけ置かれた白い椅子。
そこに一人の少年が身を屈め、頭を抱えるようにして座っている。

その傍らには彼の父親。胸が潰れんばかりに心配していることが解る表情だ。
両の手を組み、天に祈りながら我が子を見つめている。
僕を含め数名のギャラリーが見守る中、少年の正面に神父が立っている。

神父は紫色をした儀式用のストールを首から下げ、
右手には聖書の祈りが綴られた赤い本、左手には金色の十字架を持っている。
それらはまるで武器のように見えた。
いや、神父にとっては実際に、あれが盾と矛なのかもしれなかった。
死地へ向かう兵士のような、覚悟を決めた顔付きで、彼は赤い経典を開いた。

神父は少年に祈りの言葉を捧げ続けた。
ホールに聖書の言葉だけが響いたのは、おそらく一分程だけだった。
呻くようにして、少年が苦しみ始めたのだ。
徐々に呼吸が荒くなっていく。それには目もくれず、神父は祈り続けた。
聖書の言葉と子供の呻き声。
決して交わらない両者の協奏曲は、ある時、突如として終わった。

「うるせえ」

誰かがそう言った。神父は祈りを止めない。

「うるせえって言ってんだろ」

低い、しわがれ声は少年の口から発されていた。
ばっと顔を上げ、血走った目をぎらつかせながら周囲を見回す。

「薄汚い人間どもが揃ってやがる」

ハンと舞台役者のように笑う。

「こりゃあいい。どいつもこいつも俺様が見られて興奮してやがる!

このガキの心配してる奴なんか一人も居やしねえ!」
腹を抱えて笑っていた。神父が皆に声を飛ばす。

「耳を貸してはなりません。あれは嘘を吐き、人を騙します」

「嘘なんか吐かねえよ! お前ら人間とは違ってなあ!」

少年は神父を睨み付けたあと、周りを見回し、一点で止まった。

「そこにも居るじゃねえか」

少年が見ていたのは、僕だった。薄ら笑いを浮かべながら彼はこう言った。

「大嘘吐き野郎の末裔だろう、てめえ」

「……どういう意味? 君は何を言っているの?」

「ああ」

少年の言語が切り替わる。

「こっちの言葉じゃなきゃ解らなかったか?」

それはフランス語だった。アミィは話せないと言っていたのに。
あれは嘘だったのだろうか。僕は肉親に確かめる。

「カイム社長、彼はフランス語を話せますか?」

「話せるわけないじゃないですか! アミィはフランスなんて行ったこともない!」

父親は絶叫するように言った。

「悪魔です! 今、喋っているのはアミィじゃない。悪魔なんです!」

「そうさ」

アミィがニヤリと笑う。

「んなことも解らねえのか。お前は本当にマヌケだな。

お前はバカなんだよ! 騙されてることにも気付かねえで!
クククッ! お前だけが何も知らねえのさ!」

「君、悪魔とまともにやりあってはいけません。下がって」

神父の制止を僕は無視した。
僕が何を知らないのか、今、問い質さなくてはと感じたから。

「君が僕の何を知っているというの」

「知ってるさ。人間なんかと比べ物にはならないぜ。悪魔は何でも知ってんだよ」

アミィは僕を見て笑ったあと、すうっと目を閉じた。
そして、再び、その目が開いた時、彼は僕に向かってこう言ったんだ。

「帰って来なければ、良かったのに」

冗談でも、からかうでもなく。
ただ、本当に、ぽつりと。

「無事に帰ってこられるとは、やはり悪魔だな」

何故、知っている?

何故、この子供が、あの人の言葉を知っている?

まるで、あの人が乗り移ったかのように。
言葉も言い方も、あの時の父と同じだった。
動けないでいる僕を見て、少年は腹を抱えていた。甲高く薄汚い声がホールで反響する。

「ヒャハハハ! 見たか、あの間抜け面!」

尚も嫌な声が響き渡る。それは明らかに人のものではなく、悪魔の嗤い声だった。

「アンリさん」

フィオラノが僕の左肩を押すようにして、僕の前に出る。
周囲には、秘書が身を盾にして年若い社長を守っているように見えただろう。
その時、僕はフィオラノに肩を触れられて、反射的にビクリとなった自分に苛ついていた。

「下がっていて下さい」

神父はテーブルの上から何かを取った。
僕の盾になるようにして、少年と僕の間に立ちはだかる。

「鎮まれ」

少年に向かって何かをかけた。ギャアアと叫び声が上がる。
神父の右手に握られていたのは青い小瓶。聖水が入っていた物だ。
少年は椅子から崩れ落ち、床に倒れた。

「熱い! 燃えちまう!」

頭を押さえながら、床をのた打ち回っている。

「汝、名乗りなさい」

「嫌だね」

「名を」

「誰が言うか」

「聖なる水よ、彼の者を清めたまえ」

神父はそう唱えながら、聖水を浴びせた。小瓶に入っていた水の量は元々少量で、
少年の服を僅かに濡らす程度だったにも関わらず、少年はギャアアと咆哮を上げる。

「悪魔よ。お前の名前を言いなさい」

「……ハ、ハル」

「ハル? 貴様、ハルファスか」

少年は答えず、神父を睨み付ける。

「ハルファスなのだな」

少年はギリギリと奥歯を噛み締めていた。
神父は首にかけていた紫のストールを少年の右肩に当てた。
びくん、と少年の身体が跳ねる。

「触るな! 止めろ!」

「ハルファスよ」

「いやだ! やめてくれ!」

厳粛に神父は唱えた。

「神の名に於いて、お前に命じる。去れ、ハルファス!」

「ギャアアアア」

叫び声がホールにこだまする。
床に倒れたまま、少年は大人しくなった。
ここまで、実際には二十分もかかっていなかったのだろうが、
僕にはたった一秒がとても長く感じられた。
現実感がなくて、まるで、どこかの小劇場に迷い込んでしまったかのような感覚。
僕は、舞台上の二人芝居を傍観しているような、そんな気持ちだったんだ。

「アミィ!」

父親が駆け寄る。床に倒れている我が子を抱き起こす。

「大丈夫か、アミィ」

小さな手がぴくりと動く。ゆっくりと目を開けた。

「……パ、パパ?」

「アミィ! もう大丈夫だぞ。神父様がお前を救って下さった」

父親は少年を抱え、椅子に座らせた。

「パパ……」

少年は苦痛に顔を歪めながら、声を発していた。

「……だめ……だめっ!」

少年は渾身の力で父親を突き飛ばした。
床に倒れた父親は目をぱちくりさせている。

「……どうしたんだ、アミィ」

その時、ガクンと少年の首が項垂れた。
再び顔を上げた時、少年はギロリと目を向いた。

「カイムさん、離れて!」

神父の叫びとほぼ同時に、ホールに異変が起きた。
チカチカと照明が点滅し始めたのだ。皆が天井を見上げる。
照明がひとつだけ点滅していた。天使の飾りが付いているシャンデリアだけが。

「クソガキが」

その声で皆が一斉に同じ人物を見た。

「俺様に抵抗しやがって」

また少年の声色が変わっていた。子供の声ではない。
先程のしわがれ声と似ているが、先より更に低い。父親は混乱していた。

「神父様、どういうことです。悪魔は祓われたのではないのですか!?」

「ええ。ハルファスは祓いました。しかし」

神父は息を吐く。

「もう一体、憑いていたようです」

少年は妖艶に首を傾げる。

「ハルファスを祓うとは。なかなかやるな、神父」

カラになっている青い小瓶を見ながら、

「しかし、どうする? 聖なる水とやらは、もう無いようだが?」

「お前はハルファスではないな? お前の名前は?」

「教えるものか」

神父は祈り始めた。

「聖ガブリエルよ、我らの為に祈りたまえ」

「失せろ、協会の犬が」

「聖ミカエル、聖ラファエルよ、我らの為に祈りたまえ」

「ああ、うんざりだ! 吐き気がする!」

「パードレ・ピオよ、我らの為に祈りたまえ」

「聖者の名前しか言えないのか、バカ神父!」

神父は祈り続け、少年は神父を罵倒し続けていた。
聖なる言葉は悪魔には効果があるらしい。
徐々にではあるが、悪魔は目に見えて疲弊してきた。

「我らを癒やしたまえ、主よ。神の子アミィを癒やしたまえ」

「うるせえ! このガキは俺のもんだ!」

「アミィは神の子だ、お前のものではない」

「俺のもんなんだよ」

「神はアミィを愛している。神よ、我らの為に祈りたまえ」

「黙れ、黙れ、黙れ!」

「名前を言いなさい」

「教えるものか。ハルファスを追い出した奴なんかに」

「やけにハルファスを気にしているな?」

「それがどうした」

「成程。それでか。――やけに鳥が飛んでいると思ったんだ」

少年は憎しみをぶつけるように神父を睨んでいる。

「悪魔よ、お前の名を当ててみせよう」

金色の十字架を少年の額に向ける。

「神の名に於いて命じる。去れ、マルファス」

「グッ、グアアア!」

「聖なる神よ! マルファスを祓いたまえ!」

少年は椅子の上で、大きく身体を反らせた。
弓なりに突き出した腹から、まるで悪魔が出て行くように。
獣の断末魔がホールに響き渡る。
少年の身体は全身の力が抜けたように椅子に凭れかかっていた。

荒い息を吐き出している。その間隔が徐々に長く落ち着いてくると、
吐息は涙声に変わっていった。ただの、子供の泣き声に。
神父はそれを見て、ほうっと長い息を吐く。
疲弊しながらも、優しい顔つきで少年を見つめている。

「神父様、終わったのですか?」

子供の父親が神父に問う。神父はゆっくり頷く。

「ええ。終わりました」

椅子に座ったまま泣いている少年の前で、神父は膝を着く。
下から少年の顔を覗き込むようにして、見上げた。

「アミィ君?」

神父が優しい声で呼びかけると、
少年は手で涙を拭きながらも、はい、と返事した。

「終わりましたよ。もう大丈夫です」

「……ほんと?」

「はい」

「ほんとに?」

「はい。アミィ君に、悪魔はもう憑いていません」

「しんぷさまっ!」

少年が神父の胸に飛び込む。その衝撃で椅子が横に倒れた。
飛び込まれた神父は尻餅を着くことになったが、
少年の身体はしっかりと受け止めていた。
神父は少年を抱き留めながら、優しく頭を撫でていた。


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