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■警備組織副司令官
「そーだねー。その辺は一回クラウスに相談してからかなー。
キビシイからね、今年の生徒代表は」
聖アルフォンソ島、警備司令本部。
定時の退勤間際、我が組織の若き司令官は仕事の電話をしていた。
相手は、学院の保健教師であり、
我々の協力者でもある、ドクター・ソクーロフだ。
司令の周りには私、副司令のラインハルト・クロイツを含め、
数名の部下がデスクでそれぞれの仕事をしていた。
このところ、島は平穏そのものな為、
取り立てて急ぎの仕事はない。緩急の差が激しい業務だ。
「あ、ねえ、ソクちゃん。ところでさー、晩メシもう食べたー?」
司令の電話が業務連絡から逸脱し始めた。
組織の電話を私的に利用することは禁止されているというのに。
最近の司令は、こうして度々、規律を破る。
「じゃあさ、これからご一緒しない?
うん。コッチももうすぐ帰れそうだから、
終わったらソッチ迎えに行ってイイ?」
部下の一人が肘で隣に居る仲間を小突く。
突かれたほうの男は笑って、司令を見上げた。
「じゃあ、行くね。ハーイ。んじゃ、あとでー」
そう言って司令は受話器を置いた。
同年代の部下達が、ニヤニヤしながら言う。
「良いですね。アイヴィーさんは仕事帰りにデートですか」
「エエッ!? 何言ってんのー?
今の聞こえてたでしょ? 相手、ソクちゃんだよ?」
「ほら、やっぱりデートじゃないですか」
「ち、違うよ、もー!」
慌てて否定する司令を見て、部下達が笑う。
からかわれてるいるのだ。司令は耳を少し赤くしている。
「えと、じゃあ俺、そろそろ帰るからね」
部下達は「お疲れ様でーす」と笑顔で見送っていた。
司令の姿が見えなくなると、部下達はこんなことを話していた。
「最近、ホンット多いよな、博士と飲むの」
「多い多い。俺達のことは全然誘ってくんないのに」
「あと、新しいマージナルプリンスが、司令の家に通ってんだろ?」
「良いよなー。俺達なんか誰も行ったことねえのに」
「俺も一回、アイヴィーさんと飲んでみたいよ」
「俺も俺も。けど、司令が相手じゃコッチからは誘いづらいし」
「酔ったアイヴィーさんってのを、一度見てみたいんだけどなー」
「そりゃやっぱ、素面の時よりカワイイことになってんじゃねーの?」
「バカ。相手は司令官だぞ」
「お前も笑ってんじゃん」
「なんだ、やっぱみんなカワイイって思ってたのか」
「そりゃ、前の司令がアレだったしな」
「ああ、あん時は、ずっとピリピリしてたからなー、ここも」
「司令一人変わるだけで、こんなに良くなるなんてなー」
「ゲーテ司令とは、普通に話したりなんてできなかったし」
「俺もゲーテ司令には、挨拶と『はい』しか言ってない気がする」
先代の司令官、ジークフリート・フォン・ゲーテ。
私と同じドイツ出身の元軍人。
職務にとても厳しい方で、部下の中には、
「いつも威張り散らす、嫌なドイツ人」などと囁く者もあったが。
あの方こそ、司令官の名に相応しい御方だった。
「アイヴィーさんに代わって、大分やりやすくなったよ」
「年も近いしな」
「でもさ、実力じゃ誰もアイヴィーさんに敵わねえんだよな」
「そこはやっぱ司令官の格ってやつ?」
「普段とのギャップあり過ぎだろ。いつもはあんなカワイイのに」
「だから、オトコ相手にそう何度もカワイイって言うなっての」
「いやー、俺、アイヴィーさんが相手なら」
「貴方達」
私が声を発すると、彼等の肩は一斉に飛び上がった。
「私語が過ぎますよ。仕事が足りませんか?」
「い、いえっ」
「失礼しました!」
本来ここは、どこよりも、上下関係が厳しく、完全なる縦社会である筈。
三年前まではそうだった。若き司令官が来るまでは。
以来、職場の雰囲気は明らかに変わった。
若き司令官は何故か、部下達とフランクな関係を築き、保っている。
威厳の欠片もない。
非番の夜、私は旧市街に足を運んでいた。
珍しく今夜は飲みたい気分で、
久し振りにバーに行くかという気になった。
どの店が良いだろうかと思いながら、
夜の街を歩いていると、見覚えのある店が目に入った。
それは一度だけ来たことのにある、あのバーだった。
あの夜以来、この店に来たことはない。
今日だって意図してこの店へ向かっていたわけではないのに。
私は吸い寄せられるように、そのドアを開けていた。
「いらっしゃいませ」
丸い眼鏡をかけた、ロマンスグレイのマスターは、
カウンターの中でグラスを磨いているところだった。
ホワイトシャツに赤いチェックのベスト。
襟元には黒い蝶ネクタイ。マスターの出で立ちは、
前に来た時のまま、何ひとつ変わっていないように見えた。
「お好きな席へどうぞ」
店内に私以外の客は居なかった。一人で来ているので、
カウンター席に向かう。左端の椅子を引いた。
本棚のように、目の前に広がるボトルの数々。
オレンジ色の暗い明かりを浴びて、仄かに輝いている。
「どうぞ」
マスターが私の前に水とメニューを差し出す。
「お決まりになりましたら、お申し付け下さい」
ゆったりと落ち着いた良い声だ。
ありふれた台詞の中にも、優しさが滲み出ている。
ブランデーのカクテルを頼んだ。
オーダーを終えると、癖のようにスマートフォンを取り出し、
何か緊急の連絡は入っていないか、
世界のニュースの中で、我々に関係のある出来事が、
報道されていないか等のチェックをしていた。
それらが全て済んだあとで、
そう言えば今日は休日だったな、と気付いた。
カクテルをシェイクする音が聞こえてきた。
私はスマートフォンを脇に寄せる。
小気味の良いリズムに耳を傾けながら、そっとマスターを眺めた。
すっと伸びた背筋は、彼の老いを感じさせない。
振る度に、銀色のシェイカーが、キラ、キラと光る。
そこだけ映画のワンシーンのようだ。
ここは変わっていない。マスターの穏やかな横顔も。
それでも皺の一つくらいは増えたのだろうか。
私は水が入ったグラスに手を伸ばした。透明で薄い上等なガラス。
シェイクの音がゆるやかに止まるのを聞きながら喉を潤す。
ただの水でさえ、美味しいと感じさせる店だ。
「お待たせ致しました。サイドカーでございます」
琥珀色のショートカクテルが差し出された。
「ありがとうございます」
グラスに顔を近づける。ふわりとオレンジの香り。
一口飲むと、熱いブランデーが心地好く喉を焦がす。
ああ、至高の時間だな、と感じた。
「あの、失礼ですが」
マスターに声をかけられた。
そっと私の顔を覗き込むにようして、こう言った。
「クロイツさん、ではありませんか?」
驚きの余り、私は言葉を返すのが随分遅れたと思う。
ここには一度来たことがあるだけ。それも三年も前のことだ。
誰か、他のクロイツと間違えているのではないかと一瞬考えたが、
私の顔を見た上で、その名を当てたのだから、
他の人間と間違えている可能性は極めて低い。
「ゲーテさんと一緒においでになった、クロイツさんではありませんか?」
誰と来たかまで当てられた。マスターは本当に覚えているのだ。
やっと私が「はい、クロイツです」と返事をすると、
マスターは目尻に皺を寄せた。
「ああ、やはり、そうでしたか。
お久し振りですね。お元気でしたか?」
「ええ。私のことなど、良く覚えておいででしたね」
「これがね?」
マスターは少し自慢げな顔をして、
人差し指でロマンスグレイの頭を指す。
「大切なお客様のことは、
忘れないようにできているみたいなんですよ」
大切なお客様、とマスターは言った。
たった一度しか来たことのない客のことを。
マスターは嬉しそうな顔をして、こう続けた。
「クロイツさんがうちに来て下さるなんて、もう何年振りでしょうか。
最後にいらしたのは、ゲーテさんがまだ島にいらした頃ですから」
「三年前です」
「ああ、もう三年も経ちましたか。早いですね」
「ええ」
三年前。次の司令官として、この島に来たのは、
まだ二十そこそこという髪の長い男だった。
→
「そーだねー。その辺は一回クラウスに相談してからかなー。
キビシイからね、今年の生徒代表は」
聖アルフォンソ島、警備司令本部。
定時の退勤間際、我が組織の若き司令官は仕事の電話をしていた。
相手は、学院の保健教師であり、
我々の協力者でもある、ドクター・ソクーロフだ。
司令の周りには私、副司令のラインハルト・クロイツを含め、
数名の部下がデスクでそれぞれの仕事をしていた。
このところ、島は平穏そのものな為、
取り立てて急ぎの仕事はない。緩急の差が激しい業務だ。
「あ、ねえ、ソクちゃん。ところでさー、晩メシもう食べたー?」
司令の電話が業務連絡から逸脱し始めた。
組織の電話を私的に利用することは禁止されているというのに。
最近の司令は、こうして度々、規律を破る。
「じゃあさ、これからご一緒しない?
うん。コッチももうすぐ帰れそうだから、
終わったらソッチ迎えに行ってイイ?」
部下の一人が肘で隣に居る仲間を小突く。
突かれたほうの男は笑って、司令を見上げた。
「じゃあ、行くね。ハーイ。んじゃ、あとでー」
そう言って司令は受話器を置いた。
同年代の部下達が、ニヤニヤしながら言う。
「良いですね。アイヴィーさんは仕事帰りにデートですか」
「エエッ!? 何言ってんのー?
今の聞こえてたでしょ? 相手、ソクちゃんだよ?」
「ほら、やっぱりデートじゃないですか」
「ち、違うよ、もー!」
慌てて否定する司令を見て、部下達が笑う。
からかわれてるいるのだ。司令は耳を少し赤くしている。
「えと、じゃあ俺、そろそろ帰るからね」
部下達は「お疲れ様でーす」と笑顔で見送っていた。
司令の姿が見えなくなると、部下達はこんなことを話していた。
「最近、ホンット多いよな、博士と飲むの」
「多い多い。俺達のことは全然誘ってくんないのに」
「あと、新しいマージナルプリンスが、司令の家に通ってんだろ?」
「良いよなー。俺達なんか誰も行ったことねえのに」
「俺も一回、アイヴィーさんと飲んでみたいよ」
「俺も俺も。けど、司令が相手じゃコッチからは誘いづらいし」
「酔ったアイヴィーさんってのを、一度見てみたいんだけどなー」
「そりゃやっぱ、素面の時よりカワイイことになってんじゃねーの?」
「バカ。相手は司令官だぞ」
「お前も笑ってんじゃん」
「なんだ、やっぱみんなカワイイって思ってたのか」
「そりゃ、前の司令がアレだったしな」
「ああ、あん時は、ずっとピリピリしてたからなー、ここも」
「司令一人変わるだけで、こんなに良くなるなんてなー」
「ゲーテ司令とは、普通に話したりなんてできなかったし」
「俺もゲーテ司令には、挨拶と『はい』しか言ってない気がする」
先代の司令官、ジークフリート・フォン・ゲーテ。
私と同じドイツ出身の元軍人。
職務にとても厳しい方で、部下の中には、
「いつも威張り散らす、嫌なドイツ人」などと囁く者もあったが。
あの方こそ、司令官の名に相応しい御方だった。
「アイヴィーさんに代わって、大分やりやすくなったよ」
「年も近いしな」
「でもさ、実力じゃ誰もアイヴィーさんに敵わねえんだよな」
「そこはやっぱ司令官の格ってやつ?」
「普段とのギャップあり過ぎだろ。いつもはあんなカワイイのに」
「だから、オトコ相手にそう何度もカワイイって言うなっての」
「いやー、俺、アイヴィーさんが相手なら」
「貴方達」
私が声を発すると、彼等の肩は一斉に飛び上がった。
「私語が過ぎますよ。仕事が足りませんか?」
「い、いえっ」
「失礼しました!」
本来ここは、どこよりも、上下関係が厳しく、完全なる縦社会である筈。
三年前まではそうだった。若き司令官が来るまでは。
以来、職場の雰囲気は明らかに変わった。
若き司令官は何故か、部下達とフランクな関係を築き、保っている。
威厳の欠片もない。
非番の夜、私は旧市街に足を運んでいた。
珍しく今夜は飲みたい気分で、
久し振りにバーに行くかという気になった。
どの店が良いだろうかと思いながら、
夜の街を歩いていると、見覚えのある店が目に入った。
それは一度だけ来たことのにある、あのバーだった。
あの夜以来、この店に来たことはない。
今日だって意図してこの店へ向かっていたわけではないのに。
私は吸い寄せられるように、そのドアを開けていた。
「いらっしゃいませ」
丸い眼鏡をかけた、ロマンスグレイのマスターは、
カウンターの中でグラスを磨いているところだった。
ホワイトシャツに赤いチェックのベスト。
襟元には黒い蝶ネクタイ。マスターの出で立ちは、
前に来た時のまま、何ひとつ変わっていないように見えた。
「お好きな席へどうぞ」
店内に私以外の客は居なかった。一人で来ているので、
カウンター席に向かう。左端の椅子を引いた。
本棚のように、目の前に広がるボトルの数々。
オレンジ色の暗い明かりを浴びて、仄かに輝いている。
「どうぞ」
マスターが私の前に水とメニューを差し出す。
「お決まりになりましたら、お申し付け下さい」
ゆったりと落ち着いた良い声だ。
ありふれた台詞の中にも、優しさが滲み出ている。
ブランデーのカクテルを頼んだ。
オーダーを終えると、癖のようにスマートフォンを取り出し、
何か緊急の連絡は入っていないか、
世界のニュースの中で、我々に関係のある出来事が、
報道されていないか等のチェックをしていた。
それらが全て済んだあとで、
そう言えば今日は休日だったな、と気付いた。
カクテルをシェイクする音が聞こえてきた。
私はスマートフォンを脇に寄せる。
小気味の良いリズムに耳を傾けながら、そっとマスターを眺めた。
すっと伸びた背筋は、彼の老いを感じさせない。
振る度に、銀色のシェイカーが、キラ、キラと光る。
そこだけ映画のワンシーンのようだ。
ここは変わっていない。マスターの穏やかな横顔も。
それでも皺の一つくらいは増えたのだろうか。
私は水が入ったグラスに手を伸ばした。透明で薄い上等なガラス。
シェイクの音がゆるやかに止まるのを聞きながら喉を潤す。
ただの水でさえ、美味しいと感じさせる店だ。
「お待たせ致しました。サイドカーでございます」
琥珀色のショートカクテルが差し出された。
「ありがとうございます」
グラスに顔を近づける。ふわりとオレンジの香り。
一口飲むと、熱いブランデーが心地好く喉を焦がす。
ああ、至高の時間だな、と感じた。
「あの、失礼ですが」
マスターに声をかけられた。
そっと私の顔を覗き込むにようして、こう言った。
「クロイツさん、ではありませんか?」
驚きの余り、私は言葉を返すのが随分遅れたと思う。
ここには一度来たことがあるだけ。それも三年も前のことだ。
誰か、他のクロイツと間違えているのではないかと一瞬考えたが、
私の顔を見た上で、その名を当てたのだから、
他の人間と間違えている可能性は極めて低い。
「ゲーテさんと一緒においでになった、クロイツさんではありませんか?」
誰と来たかまで当てられた。マスターは本当に覚えているのだ。
やっと私が「はい、クロイツです」と返事をすると、
マスターは目尻に皺を寄せた。
「ああ、やはり、そうでしたか。
お久し振りですね。お元気でしたか?」
「ええ。私のことなど、良く覚えておいででしたね」
「これがね?」
マスターは少し自慢げな顔をして、
人差し指でロマンスグレイの頭を指す。
「大切なお客様のことは、
忘れないようにできているみたいなんですよ」
大切なお客様、とマスターは言った。
たった一度しか来たことのない客のことを。
マスターは嬉しそうな顔をして、こう続けた。
「クロイツさんがうちに来て下さるなんて、もう何年振りでしょうか。
最後にいらしたのは、ゲーテさんがまだ島にいらした頃ですから」
「三年前です」
「ああ、もう三年も経ちましたか。早いですね」
「ええ」
三年前。次の司令官として、この島に来たのは、
まだ二十そこそこという髪の長い男だった。
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