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■ヒトリの夜3 その後
その夜、私、ソクーロフはアイヴィーと飲んでいて、
一軒目のビアバーを出たところだった。
食事はもう済ませたし、このまま帰るか、
それとも二軒目に行こうか、というところだった。
「ソクちゃーん、このあと、どーするー?」
連れも考えることは同じようだ。
向こうの口調が舌足らずになってきたので、
今夜はもう引き上げたほうが良いだろうかと思った時、
知っている人物を見かけた。
バーの前に立ち、一人で店を見上げている姿を。
その横顔が、普段の彼とはまるで違った為、
私は酷く興味を惹かれた。
数秒後、彼は店を去り、どこかへ消えた。
「どっかさー、もう一軒くらい……居ない。もうソクちゃーん」
立ち止まっていた私の元にパタパタと戻ってきた。
「どったの?」
「次は、あそこへ行くぞ」
ウッディな一軒家を顎で示す。もう常連と言えるバーだ。
そこに居るマスターは、我々が学院の教師と、
ドライバー兼警備担当者であることを知っていた。
「ああ。あのマスターのお店か。イイね。行こ行こっ」
肩を押されながら、私達はその店へ向かった。
「こんばんはー」
連れの酔った明るい声が響く。
この店はいつ来ても静かなところが良い。
今日も客入りは数組程度。ここには何度も来ているが、
店内が騒々しかったり、満席だったことは一度もなかった。
カウンターには丸眼鏡をかけた初老のマスターが一人。
白いシャツに赤いチョッキ。襟元は黒いリボンタイが結ばれている。
私達の顔を見たマスターは、いつもの優しい笑顔で、
「ああ、いらっしゃい」と言ってくれた。
木製のカウンター席に座った私は、
酒を注文するより先にマスターに尋ねた。
「先程まで、クロイツがここに居ませんでしたか?」
マスターは少し驚いたような顔をする。
言って良いのだろうか、という迷いが伺えた。
それでこそ、ここのマスターだ。
彼は口が堅い。客の情報について、他人に言って良いラインと、
決して言ってはいけないラインがきちんと解っている。
私は「今、彼が店の前に居るのを見かけたんですよ」と言葉を添えた。
するとマスターは観念したようで、白状してくれた。
私の隣をチラリと見たあとで。
どうやら、今日、連れが居たことが幸いしているらしい。
私一人だったなら、マスターは白状してくれなかったかもしれない。
「はい。確かにクロイツさんがいらっしゃいました」
「え!? クロちゃん居たの? ちょっとソクちゃん!
どーして俺に教えてくれなかったのさー!」
「お前に教えてどうする? 一人で飲んでいた男の邪魔をする気か?」
「あ、いや……」
「マスター。クロイツは、この店に良く来ていたんですか?」
少し迷ったあとで、マスターは控えめながらも話してくれた。
「いえ。クロイツさんがいらしたのは随分お久し振りでした」
「成程。だから、今までここで会うことがなかったんですね」
「ふうん。クロちゃんもココ知ってたんだー。
じゃあ今度、クロちゃん誘って一緒に来てみよっかなー?
あ、でも、クロちゃんと飲んだら、
俺、ずーっと怒られちゃうかなあ?」
マスターが目をぱちくりする。
「クロイツさんに? アイヴィーが何を怒られるんだい?」
「あ、いやー、日頃の行い、とか?
部屋の整理整頓をして下さい! みたいな。
普段使ってないトコまで綺麗にしなさいって言うんだもーん」
「アイヴィー。お前はクロイツと飲みに行ったことはないのか?」
「うん。俺が島に来たばっかの時に、
一回誘ってみたことはあるんだけど断られちゃったから。
仕事以外で、貴方とご一緒する理由が感じられませんが、って」
物真似が微妙に似ていない。
「クロイツと二人きりで飲むことに気がひけるなら、
私が同席してやろうか?」
「そ、それはクロちゃんがカワイソ過ぎるんで、止めときます」
「悪いようには、しないつもりだが?」
「いやっ、ホントに。お気持ちだけで結構ですんで」
それは残念だ。かねてより、クロイツとはじっくり、
話をしたいと思っているのだが、なかなかその機会が訪れない。
「では、いつか二人で来れば良い。
あとはマスターにお任せします」
「おやおや。当店にできるのは、
美味しいお酒と少しのお食事をお出しすることだけですよ」
とんでもない謙遜だ。ここには貴方が居る。
ある種、プロのカウンセラーでも敵わない力と、
長年の経験を持った貴方が。
「そっか。マスターが居てくれれば何とかなるかも」
アイヴィーもそう呟いていた。
こいつもマスターを信用しているのだろう。
「じゃあ俺、今度クロちゃん誘ってみよっかな。
クロちゃんのゴキゲンが良さそうな時に。
マスター、そん時はヨロシク。クロちゃんから俺を守ってね!」
マスターの目尻に皺が刻まれる。
「はい。お二人のお越しをお待ちしております」
アイヴィーとクロイツは、司令と副司令という近い立場ではある。
しかし、未だに、彼等の間に親しさは感じられない。
どちらかと言えば、クロイツのほうが、
司令官との接触を遮断しているように見受けられる。
だが、この店で二人が飲んだなら、少なからず変わるだろう。
きっと良い方向に。その現場を観察できないのが残念だ。
「オーダーが遅れましたね。すみません。
今夜は、私の質問に答えて下さったお礼も兼ねて、
稀少なウイスキーを頂けますか?」
「あ、はい。畏まりました」
「じゃあ良く解んないけど、俺もソレー」
「良いのか? お前には勿体無い程、
高価なウイスキー、という意味だぞ?」
「……じゃあ俺、コロナ」
奴は瓶ビールを注文していた。
fin
その夜、私、ソクーロフはアイヴィーと飲んでいて、
一軒目のビアバーを出たところだった。
食事はもう済ませたし、このまま帰るか、
それとも二軒目に行こうか、というところだった。
「ソクちゃーん、このあと、どーするー?」
連れも考えることは同じようだ。
向こうの口調が舌足らずになってきたので、
今夜はもう引き上げたほうが良いだろうかと思った時、
知っている人物を見かけた。
バーの前に立ち、一人で店を見上げている姿を。
その横顔が、普段の彼とはまるで違った為、
私は酷く興味を惹かれた。
数秒後、彼は店を去り、どこかへ消えた。
「どっかさー、もう一軒くらい……居ない。もうソクちゃーん」
立ち止まっていた私の元にパタパタと戻ってきた。
「どったの?」
「次は、あそこへ行くぞ」
ウッディな一軒家を顎で示す。もう常連と言えるバーだ。
そこに居るマスターは、我々が学院の教師と、
ドライバー兼警備担当者であることを知っていた。
「ああ。あのマスターのお店か。イイね。行こ行こっ」
肩を押されながら、私達はその店へ向かった。
「こんばんはー」
連れの酔った明るい声が響く。
この店はいつ来ても静かなところが良い。
今日も客入りは数組程度。ここには何度も来ているが、
店内が騒々しかったり、満席だったことは一度もなかった。
カウンターには丸眼鏡をかけた初老のマスターが一人。
白いシャツに赤いチョッキ。襟元は黒いリボンタイが結ばれている。
私達の顔を見たマスターは、いつもの優しい笑顔で、
「ああ、いらっしゃい」と言ってくれた。
木製のカウンター席に座った私は、
酒を注文するより先にマスターに尋ねた。
「先程まで、クロイツがここに居ませんでしたか?」
マスターは少し驚いたような顔をする。
言って良いのだろうか、という迷いが伺えた。
それでこそ、ここのマスターだ。
彼は口が堅い。客の情報について、他人に言って良いラインと、
決して言ってはいけないラインがきちんと解っている。
私は「今、彼が店の前に居るのを見かけたんですよ」と言葉を添えた。
するとマスターは観念したようで、白状してくれた。
私の隣をチラリと見たあとで。
どうやら、今日、連れが居たことが幸いしているらしい。
私一人だったなら、マスターは白状してくれなかったかもしれない。
「はい。確かにクロイツさんがいらっしゃいました」
「え!? クロちゃん居たの? ちょっとソクちゃん!
どーして俺に教えてくれなかったのさー!」
「お前に教えてどうする? 一人で飲んでいた男の邪魔をする気か?」
「あ、いや……」
「マスター。クロイツは、この店に良く来ていたんですか?」
少し迷ったあとで、マスターは控えめながらも話してくれた。
「いえ。クロイツさんがいらしたのは随分お久し振りでした」
「成程。だから、今までここで会うことがなかったんですね」
「ふうん。クロちゃんもココ知ってたんだー。
じゃあ今度、クロちゃん誘って一緒に来てみよっかなー?
あ、でも、クロちゃんと飲んだら、
俺、ずーっと怒られちゃうかなあ?」
マスターが目をぱちくりする。
「クロイツさんに? アイヴィーが何を怒られるんだい?」
「あ、いやー、日頃の行い、とか?
部屋の整理整頓をして下さい! みたいな。
普段使ってないトコまで綺麗にしなさいって言うんだもーん」
「アイヴィー。お前はクロイツと飲みに行ったことはないのか?」
「うん。俺が島に来たばっかの時に、
一回誘ってみたことはあるんだけど断られちゃったから。
仕事以外で、貴方とご一緒する理由が感じられませんが、って」
物真似が微妙に似ていない。
「クロイツと二人きりで飲むことに気がひけるなら、
私が同席してやろうか?」
「そ、それはクロちゃんがカワイソ過ぎるんで、止めときます」
「悪いようには、しないつもりだが?」
「いやっ、ホントに。お気持ちだけで結構ですんで」
それは残念だ。かねてより、クロイツとはじっくり、
話をしたいと思っているのだが、なかなかその機会が訪れない。
「では、いつか二人で来れば良い。
あとはマスターにお任せします」
「おやおや。当店にできるのは、
美味しいお酒と少しのお食事をお出しすることだけですよ」
とんでもない謙遜だ。ここには貴方が居る。
ある種、プロのカウンセラーでも敵わない力と、
長年の経験を持った貴方が。
「そっか。マスターが居てくれれば何とかなるかも」
アイヴィーもそう呟いていた。
こいつもマスターを信用しているのだろう。
「じゃあ俺、今度クロちゃん誘ってみよっかな。
クロちゃんのゴキゲンが良さそうな時に。
マスター、そん時はヨロシク。クロちゃんから俺を守ってね!」
マスターの目尻に皺が刻まれる。
「はい。お二人のお越しをお待ちしております」
アイヴィーとクロイツは、司令と副司令という近い立場ではある。
しかし、未だに、彼等の間に親しさは感じられない。
どちらかと言えば、クロイツのほうが、
司令官との接触を遮断しているように見受けられる。
だが、この店で二人が飲んだなら、少なからず変わるだろう。
きっと良い方向に。その現場を観察できないのが残念だ。
「オーダーが遅れましたね。すみません。
今夜は、私の質問に答えて下さったお礼も兼ねて、
稀少なウイスキーを頂けますか?」
「あ、はい。畏まりました」
「じゃあ良く解んないけど、俺もソレー」
「良いのか? お前には勿体無い程、
高価なウイスキー、という意味だぞ?」
「……じゃあ俺、コロナ」
奴は瓶ビールを注文していた。
fin
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