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Marginal Prince Short Story
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3日目:太陽が沈む時 続編
ゼノ衣装デザイン:蔦様
メネシスの邸には日常が戻りつつあった。
午前は次期当主のご友人方を丁重にお送りし、
午後には家の者達がつつがなく客室の片付けを行った。
部屋の掃除、洗濯、ベッドメイキング。
ゲストの多い家なのでメイド達には普段と特別変わりないことだった。
今回のお客様はお綺麗な方ばかり、と楽しげに噂している者達は居たが。
彼等にはまた客人が来て去っていったに過ぎないのだ。
磨かれた廊下を歩きながら、次期当主の専属執事はそんなことを考えていた。

一日が終わり、執事は自室に戻った。地位と比べれば小さな部屋らしい。
初めは、幼い姉弟の世話係としてこの家に入ったのが、今や次期当主の右腕。
願い出れば、もっと大きな部屋を与えられる地位にあった。
実際、既に違う部屋に移るかと聞かれたこともあるのだが、
住み慣れた部屋に不自由も感じていないので、このままだった。
後は明日に備えて眠るだけだ。
眼鏡を外す。細型のシャープなデザインで視野は狭い。
レンズに覆われていない緑翠の瞳は憂いを帯びていた。
紺色のベストを脱ぐ。上等な布で肌触りが良い。
この家の使用人は皆、メネシスと親交のある老舗ブランドが、
特注で製作したものを着用していた。
嵌めていたアームバンドを取る。渋味のある落ち着いた金色。
ウイングカラーシャツは礼服にも用いられるフォーマルなもの。
胸の位置にはプリーツが入り、釦は当然のように全て留まっている。
一番上の釦を外す。襟から覗く白い首筋には一本の銀色の光。
釦を外しながら、頭の中ではまた余計なことを考えている。
原因は解ってる。東洋の姫君。あの御方のせいだ。
おかげで私の主人は夕食も召し上がれなかったし、
私は、遠い過去ばかり思い出している。


例えば、あの日。
海運王の家は朝から慌ただしかった。
通称メネシスパーティと呼ばれる大きな饗宴の日だった。
年に何度か、親戚や関係者を招待する享楽的な催し。
テーブルには贅を尽くした料理が並ぶ。
この場で美酒を片手に新しいビジネスが生まれることもざらだ。
ギャラリーではメネシスが手を掛けた芸術家の作品が展示される。
招かれた美術商に見初められて、後に名を馳せる者も居た。

メネシスのお子様は二人。ご両親に似た美しい幼い姉弟。
弟のテオ様は三歳。大きな瞳に、ぷっくりとした頬が可愛らしい。
天然の巻き髪は黄金色。触り心地の良い髪はよく人に撫でられていた。
やっと喋れるようになってきて、お喋りが楽しくて堪らない時期だった。
今日のパーティではテオ様が、お客様の前でご挨拶されることになっていた。
テオ様は今、お着替え中。
くりくりとした目は、目の前にある眼鏡レンズをじいっと眺めていた。
眼鏡を掛けている青年が、姉弟の世話係であるゼノ・エリティス。
世話係も金髪だが、テオ様よりも少し色が明るい。クセはなくストレート。
この時、二十歳。仕事振りはそつがなく、完璧主義のきらいがあった。
話をして気を引きながら、ミニチュアなタキシードを着せていく。
「テオ様、今日がご挨拶の日ですよ。覚えていますか?」
「ごあいさつー? あ、『ておです、さんさいです』」
「そうです。もう完璧ですね」
「てお、かんぺきー」
今日もご機嫌が良く、順調に身支度が進んでいく。
首許に小さなネクタイを結んでいると、突然、視界が暗くなった。
眼鏡レンズに、小さな人差し指が触れていた。
「あ、あの、テオ様?」
きらきらとした笑顔で眼鏡を突いている。
「これっ、なまえ、なあに?」
最近のテオ様は、物の名前を覚えること、周囲の人の真似をすることを好まれる。
家の者達は、まねっこ好きなテオ様の前で、可笑しなことができなくなった。
大きなまんまるの目は、人のちょっとした仕草を捉える。
弟は姉が大好きで、姉と同じ扱いにされると喜んだ。
何でも「ておも」と叫び、周囲を困らせることもあった。
「ぜのー、これ、なまえっ」
「眼鏡です」
「めー、がー、ね?」
「はい」
「めがねー」
新しく覚えた言葉で悦に入る。眼鏡から手をぱっと離された。
その隙に世話係は眼鏡を外し、レンズを拭いた。
すると今度は、眼鏡を掛けていない顔が珍しいのか、じいっと見つめる。
眼鏡フレームを指差した。
「ておも、めがね、ここっ」
ご自分の目許に手でぱちぱち触れる。
「テオ様は眼鏡をしなくても良いのですよ?」
「めがねー、いっしょー」
世話係は仕方なくご命令に従う。そっと眼鏡を掛けて差し上げる。
眼鏡をかけたテオ様は、きょとんとした顔になり、頭がぐらりと揺れた。
世話係は慌てて、頭を支える。その頭が、いやいやと振られたので静かに外した。
ちょっとした恐怖体験をしたテオ様は、眼鏡を見る目が少し怯えていた。
世話係は微笑んで、眼鏡を差し出す。
「テオ様、もう一度、お貸ししましょうか?」
首を激しく横に振り、眼鏡を押し返した。
「めがね、ぜのの」
「ありがとうございます」
返された眼鏡を元あった位置に戻した。

ドアがノックされた。
どうぞ、と世話係が言うと、白のロングドレスを纏った少女が現れた。
パーティの日はお姉様もこのような衣装をお召しになる。
髪はテオ様と同じブロンド。柔らかなパーマがきらきらと美しい。
ドレス姿は見慣れている。決して華美なデザインではない。
なのに、少女の姿に目を奪われた。
テオ様は世話係の腕を擦り抜けて、駆け寄る。
「あねうえっ! かわいー!」
「ありがとう、テオ」
「かわいー! かわいー!」
ドレスに顔を埋めてから、ぱっと顔を上げる。
「あっ!」
「どうしたの、テオ?」
何を思ったか弟はくるりと反転して棚に向かう。その前に座る。
絵本がびっしり入った本棚から、一冊ずつ本を出して、ぽいと後ろに除ける。
首を捻りながら動作を繰り返している。探しているものが見付からない様子だ。
世話係はピンと来て、棚の中からその一冊を抜き出した。
テオ様に「これですか?」と見せると、びしっと指を差して「これっ」と仰った。
弟はその絵本を抱えて、お姉様の元へ走っていく。
目の前まで来ると、両手で絵本を掲げた。
「あねうえっ、いっしょ!」
表紙にお姫様が描かれている絵本。
お姉様がお召しのドレスと色が似ていた。世話係がテオ様の通訳をする。
「このお姫様のようにお美しい、と仰っているのでしょう。
昨日、この絵本を読んで差し上げたので」
「そう。ありがとう、テオ。テオもとっても可愛い」
いいこいいこして貰った弟は、てへへへと笑う。
次に、お姉様の頭を指差した。肩までの金髪は綺麗なウエーブ。
頭の右と左には艶々とした飾り紐。
「あねうえっ、ここ、なあに?」
「リ、ボ、ン」
「り、ぼ、ん?」
「そう。リボン」
「りぼん、ておも、ておもっ、ここ!」
「うん。じゃあ、後でしてあげる」
「あとで?」
「パーティが終わったらテオの番。順番よ、テオは守れる?」
「てお、じゅんばん、まもれる!」
「偉い子ね、テオ」

メネシスパーティが開幕した。ホールはお客様でいっぱいだ。
テオ様はお姉様と一緒にステージに上がった。世話係は舞台下から見守っていた。
お客様方は、テオ様のことを将来はこの家の当主になると解って見ている。
メネシス家のご長男は、お姉様が持って下さるマイクの前でご挨拶した。
「ておです! さんさいです!」
自信満々に差し出した手は、三本ではなく、四本指になっていた。
小指を親指で押さえることが、まだできなかった。
お姉様は微笑みながら、「大きな声で言えたね、テオ」と頭を撫でる。
それを合図に、会場は笑顔と拍手に包まれた。

その後、お姉様とテオ様の元には、たくさんのお客様が挨拶に来られた。
テオ様は全く人見知りをせず「ておです!」と笑顔で繰り返していた。
お客様は『お優しいお姉さん』『利発なお坊ちゃん』と褒め称え、お世辞か本心か、
「うちの息子のお嫁さんに欲しいくらいですよ」と言う赤ら顔の輩が居た。
ダフネ様の困った微笑を見て、世話係が口を開こうとした時だった。
テオ様が、その輩とお姉様の間に立ちはだかった。
「だめっ! あねうえ、ておのおよめさん!」
世話係は昨日、絵本を読んで差し上げたことを心の底から良かったと思った。
『お姫様は王子様と結婚しました』で終わる物語だったのだ。
テオ様に、ケッコンってなあに、と尋ねられ、
お好きな人といつまでも一緒に居ることですよ、と教えていた。
「あねうえ、ておとケッコンするの! ねっ、あねうえっ?」
赤ら顔の男は「それは失礼しました」と豪快に笑いながら、その場を立ち去った。

「おやすみなさい、父上、母上」
ホールではまだ宴が続いていたが、まだ小さいご姉弟は先に退席する。
お姉様が両親の頬にキスをすると、彼等からも頬にキスを受けていた。
「おやすみ、ダフネ。いいゆめを」
それを見た弟は、おぼつかない足取りでやってくる。
ぐい、と両親の服をひっぱり、最近の口癖を言った。
「ておも、ておも!」
はいはい、と笑いながら両親は幼い息子にキスをしていた。
頬にキスをされた幼い子供は「いっしょー」と喜んでいた。
世話係はその微笑ましい家族の様子を遠巻きに見ていた。
両親におやすみを言って、戻ってきた姉弟を連れ、ホールを出て行く。

会場を出ると、廊下は少し涼しかった。
世話係はお二人を部屋まで送る。
姉と弟の部屋は別々ではなかった。
邸は広く、個人の部屋を与えることは出来るのだが、
姉が弟を大層可愛がっていた為、同じ部屋にして欲しいと願ったのだ。
姉は弟と手を繋いで、廊下を歩いている。
まだ歩くのが遅い弟に合わせ、かなりゆっくりとしたペースだ。
部屋に着くと、世話係はドアを開ける。
手を繋いだ姉弟が入るのを見てから、自分も入りドアを閉めた。
カーテンがまだ開いていた。するすると引く。
明日のお召し物の用意をしながら、ご姉弟の会話を聞いていた。
「あねうえっ、りぼん、りぼんー」
ダフネ様はご自分のリボンを片方外して、テオ様の髪に付けていた。
まだ短い黄金の髪にリボンが結ばれる。
「はい、できた」
弟を鏡の前に連れて行く。
鏡にはお揃いのリボンをつけた姉弟が映る。
テオ様は鏡に近付いて、指差した。
「てお、あねうえ、いっしょー」
嬉しそうな笑顔から、ふわわわ、と欠伸をされた。

「テオ、いらっしゃい。パジャマに着替えましょう」
上等な布で作られた黄色の布を腕に通している。
弟は姉がボタンを留めてくれる様子を見ていた。
くりくりとした大きな目が、自分の胸許をじいっと見ている。
「あねうえ、あねうえっ」
「はい?」
小さな指がパジャマに付いている丸い物を指差した。
「これっ、なまえ!」
「ボ、タ、ン」
「ぼ、た、ん?」
「うん。ボタン」
「ぼたん…」
幼い弟は覚えたての言葉に、めちゃくちゃな音程を付けて繰り返した。
「ぼ、たー、んっ、ぼ、たー、んっ♪」
「テオは歌が上手ね」
「てお、じょーず!」
姉は弟の行動を何でも褒めた。
何か失敗した時も決して叱らず、ここまでは出来たね、と指摘していた。
この姉が両親にそう育てられていた。
おかげで弟も失敗を恐れず、どんなことにも興味を持った。
今は得意げに『ボタンの歌』を歌っている。
世話係は明日のお召し物の用意を整え、退室しようとした。
「私はこれで失礼致します。おやすみなさいませ、ダフネ様、テオ様」
弟は世話係の様子を真似て、ぴょこんと頭を下げる。
「おやすみ、なさいませっ」
世話係は微笑んで、もう一度頭を下げる。
「待って、ゼノ。忘れ物があります」
お姉様に呼び止められた。
世話係は辺りを見渡すが、忘れている物などない。
「ゼノ、少ししゃがんで?」
「え? は、はい」
よく解らないまま、言われた通りにする。
ちゅ、と頬に何か触った。
驚いて顔を上げると無邪気な少女の笑顔。
「ゼノにも、おやすみのキスです」
「…ダフネ様。私にまで、なさらなくても」
「おやすみのキスは、いけないこと?」
「それは…」
ぐい、と世話係の服がひっぱられた。
握っていたのは弟だ。
子供の力は意外と強いもので、思わず上体が曲がる。
あっ、と思った時にはもう、頬は上書きされていた。
弟は満面の笑顔だった。
「いっしょー!」


メネシスのありふれた日常。
明日も明後日も、繰り返されるものだと思っていた。
けれど、この先には二度とない。
私はご姉弟の世話係から、次期当主の専属執事になっていた。
執事は胸元に下がるネックレスをそっと握る。
目を閉じて、心を落ち着かせてから、その言葉を唱える。
いつからか就寝の儀式になっていた。
「おやすみ。いいゆめを」
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