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■ソクーロフ×ディーノ×ソクーロフ
■陛下と殿下と24 続編
「ん。じゃ、各自ヨロシク。お疲れさんっ」
追憶の塔 第一会議室。
警備組織と学院スタッフによる、定期ミーティングが終了した。
議長を務めていた金髪の男がやって来る。警備組織の司令官アイヴィーだ。
「お疲れ、ソクちゃん。ガッコまで送ってくよ」
「ああ」
司令、と後方から声を掛けられる。ドイツから引き抜かれた軍人。
副司令官のラインハルト・クロイツだ。
「司令は、この後、理事会とのネットミーティングですよ」
「え? それ、明日じゃなかった?」
「ですから、変更になりましたと今朝お伝えしたじゃないですか。やはり聞いてなかったんですね」
「あれ。ゴメンゴメン。んー。ねえ、クロちゃんさ、代わりに出といてくんない?」
「嫌ですよ、この忙しいのに面倒臭い」
「俺だって面倒臭いよっ」
「お偉方のお相手は貴方の役目でしょう。違いますか?」
司令官を黙らせた眼鏡の男はソクーロフに尋ねる。
「ああ、すみません、ドクター。お帰りの車をご用意します」
「構わないよ。ありがとう、クロイツ」
「いえ。ご足労頂き、ありがとうございました、ドクター」
「あっ、送ってけなくてゴメンな、ソクちゃん」
「そう残念そうな顔をするな」
「してないっ!」
学院までの帰り道。旧市街の辺りでソクーロフは知った顔に出会った。
さながら美女と野獣だ。一人は、学院で姫扱いされている男子生徒。
隣に居るのは部外者だ。彫りの深い顔に、ダンディズムな髭。
高等部二年のアンリと、彼のボディガードだと言うシチリアマフィアだ。
ソクーロフにとってはどちらも興味深い人物だった。
身を潜めて様子を覗う。二人は話をしているが、遠くて聞こえない。
野獣が姫の肩に腕を回した。姫はその手を振り払う。何か言い放ち、去って行った。
アンリの後ろ姿が見えなくなったのを確認し、ソクーロフは男に近付いた。
「また、警備の穴を擦り抜けたのかい、ディーノ・マンゾーニ?」
顔見知りのソクーロフを見たマフィアは、ニヤリと笑った。
「ああ。面倒だからな、来る度にいちいちチェックされんのは」
聖アルフォンソ島の警備レベルは世界でもトップクラスの筈だが、
このマフィアは、それを度々破って上陸してくる。
流石は犯罪のスペシャリスト。警備網のどこに綻びがあるか、貴重な指摘をしてくれる。
彼等のいたちごっこは、互いのスキルアップに役立つだろう。
「俺が来てるってアイヴィーにチクんのか? 先公さんよ」
「君を捉えられず悔しがる顔を見るほうが面白いよ」
「この変態眼鏡が」
「君には言われたくないね」
「俺は眼鏡じゃねえもん」
渋い声で幼いことを言う。
「じゃあ、お前でもいいや。どっか晩メシ食えるとこ案内してくんねえ?
あのクソガキにも店教えろっつったんだが、逃げられちまってな」
ソクーロフは、兼ねてよりこのマフィアとゆっくり話したいと願っていた。
断る理由などなかった。マフィアの好みを尋ねる。
「イタリアンが良いのかい?」
「冗談。どうせママのペペロンチーノには敵わないだろうからな」
「中華料理はどうかな?」
「おっし。中華にするか」
「少し遠回りになるが、こちらの道から行こう」
「俺とゆっくり散歩を楽しみたいのか?」
「警備組織の監視カメラに映らないようにする為だよ」
「こりゃあいいナビゲーターだ」
ソクーロフは愛用している中華料理店に案内した。
内装は薄暗く、アジアンテイストなインテリアで統一されている。
店に入ったところで、すぐに顔見知りの若い店員が来た。
「あ、センセ、いらっしゃーい。あれ、今日はアイヴィーと一緒じゃないんだ?」
「ああ。新しい、友人でね」
「ふーん」
「奥の席は空いているかな?」
「うん。どうぞー」
店内には、中国の伝統的な弦楽器、二胡を用いた楽曲が流れている。
この音楽がなければ、ソクーロフは度々通うようにはならなかっただろう。
壮大な川を思わせる、緩やかな曲調。ここで紫煙を燻らすひとときは、日常を忘れさせてくれる。
「うめえな、このプリプリエビチリ」
連れの男は、音楽に耳を傾ける様子もなく、一心にガツガツと料理を平らげていた。
本当に空腹だったようだが、食事をしている姿は妙に子供っぽい。
この男は見た目が強面なので、幼さの残る中身とのギャップが凄まじい。
加えて彼の持つ肩書きは、幾度も完全犯罪を成し遂げてきた、マンゾーニ家の次期ボス。
犯罪者を相手に面談を重ねてきた研究者の観察対象として飽きない人物だった。
ソクーロフは早々に食事を休止し、さり気無く、自分の手をテーブルの下に移動させる。
店内の時計を見ながら、人差し指と中指で手首の動脈に触れた。
やはり標準値より早い。
犯罪者を前にした研究者は、獲物を発見したハンターの如く、血が騒いでいた。
研究者の血を落ち着かせる為にポケットから煙草を出す。
自分でも可笑しい程の職業病だ。頭の中で止めどなく質問事項が浮かんでくる。
マンゾーニ家とサン・ジェルマン家ではどんな契約を交わしたのか。
以前あった、コルシカマフィアの変死事件は、君達の仕業ではないか。
一体どんな手を使って、完全犯罪を行ってきたのか。
今後、狙う標的は誰なのか。
質問を取捨選択することさえ、もどかしい。
誰にも監視されずに、有能な犯罪者と話ができる。この貴重な機会を有効活用しない手はない。
「おい、ソクちゃん」
「ああ、何だい?」
「なんか気持ち悪ぃぞ、急にニヤニヤして」
「そうかい? すまない」
「なあ。もうエビチリ要らねえのか? 俺、全部食うぞ?」
「良いよ、口に合ったようで良かった」
赤い料理が乗った大皿を、マフィアのほうへ押してやる。
「けれどきっと、そのプリプリエビチリより、お母さんのペペロンチーノのほうが美味しいんだろうね?」
「そりゃ、ママの料理が世界一に決まってる。うちのママに敵う女なんか、この世に居やしねえ」
イタリア国民は一般的に、家族を何より大切にしていると言われる。それはこの男にも当て嵌るらしい。
マフィアという裏の道を歩きながらも、心根が曲がっていないのは、
ご両親から注がれた愛情故なのかもしれない。
「自慢のお母さんなんだね。お父さんのカルロ・マンゾーニ氏とも仲が良いんだろう? 君は」
「当たり前だろ。そういや、お前の親父は医者なのか?」
質問された研究者は、トンと灰を落とした。
「そうだよ」
「なら、俺と一緒じゃねえか。パパのことが好きで同じ医者になったんだろ?」
「医師を親に持った子供はね、少なからず、暗黙のプレッシャーを感じるものなんだよ。
自分も医師にならなくてはいけない、というね」
「なあ、お前のママは何が得意?」
「何だい、突然」
「お前、ロシア出身だっけ? なら、やっぱボルシチか? ピロシキか?」
「そうだねえ…」
研究者は煙草を口にする。
医師である父と、リトアニア貴族出身であることだけが誇りだった母。
己のことしか見えていなかった両親。彼等は互いに、保身の為、同じ家に住んでいた。
あの女性は、自分に何を作ってくれただろう。
答えを探している間に、吹かした筈の紫煙は、綺麗に消えていた。
「どうした、ソクちゃん。そこ、焦らしプレイするところか?」
「いや。もう覚えていないよ。母の味なんて」
「はあ?」
「私は一人暮らしが長いから」
「つまんねえオトコ。フツーはこの話で盛り上がらないことねえぜ?」
「ここはシチリア島じゃないからね。君の国から遠く離れた、聖アルフォンソ島だ」
「お前も、あのクソガキと同じだな」
「アンリと、私が?」
「あー。腹いっぱい食ったら眠くなってきた」
その台詞も、ごしごしと目許を擦る仕草も、子供なのに。
見上げてくる目は、人を小馬鹿にしている。
食事の終わったマフィアは背広からシガーケースを取り出した。
三本入りの革箱から一本抜き取っていた。
葉巻の頭部には、銘柄を示すシガーリングが巻いてある。
マフィアの物は赤地のラベルに白十字。
「その葉巻、デンマークで随分前に廃番になったものと似ているね」
ソクーロフが、あるシガーメーカーの名前を口にすると、
マフィアは、あっさり「それだ」と言った。
「では、どうして君が持っているんだい?」
「数が少ねえから、オールドファンだけに売ってんのさ。
うちのパパと、シガーメーカーの社長が、古い付き合いなんだ」
「成程」
「詳しいじゃねえか、ソクちゃん。お前は葉巻もやるのか?」
「若い頃、興味本位で少し手を出したことがあるだけだよ」
マフィアは、手にしていた葉巻を差し出した。
「一本、やろうか?」
「いや、いいよ。私にはこれがあるから」
煙の昇るメンソールを見せると、
マフィアは「あっそ」と言って差し出した葉巻を引っ込めた。
二枚刃のギロチンカッターで、葉巻の頭を切り落とす。
シガーライターはゴールド。
彼の浅黒い手に握られていると、不思議とそう嫌味な色に見えない。
葉巻の足と火は45度角。回しながら炙り、黒く焦がす。
均一に炭化させたら、葉巻の頭を咥える。
ゆっくりと吹かしながら、遠火で燃やす。
一連の動作を、マフィアは実にスマートにこなした。
「ああ、そうそう、聞きたかったんだけどよ」
「どうぞ?」
「あんた、自白・洗脳のプロフェッショナルなんだろ?
ヒトの記憶ってヤツは、どこまで操作できるモンなんだ?」
「そんなことを聞いて、どうするんだい?」
「あんたが手に入れば、俺達の仕事もやり易くなんじゃねえかと思ったわけよ」
「面白いことを言うんだね、マンゾーニ」
「ああ、面白いだろ? サイコーにな」
「君達の犯罪に手を貸せと言うのかい? この私に」
「ガキの相手を六年も続けてりゃ、いい加減、研究職に復帰したいだろ?」
「私の職歴を調べたのか」
「保健室の優しいセンセ役にも、疲れてきたんじゃねえのか?
俺達なら、好きなだけ研究させてやるぜ、どんなに非合法なやり方でもな」
「生憎だが、無謀な勧誘だよ、マンゾーニ。仮に、私が君達の元で研究を始めたとしても、
そんな非合法なデータを用いた論文は発表できないんだよ、どの学会にもね」
薄く開いた口から白煙が覗いた。
「発表したいから研究してんのか? お前の場合は、研究したいから研究してんだろ?」
マフィアは、なあ、と眠たげな声を出す。
「どっか泊まれるトコねえ? サイアク、お前の家でもイイ」
「私が住んでいるのは学院の宿舎だ。門番が君を通す筈がない」
「んなもん、ブッ倒せばイイじゃねえか」
「そんなことをしたら、警備組織が飛んでくるよ」
「飛んできたアイヴィーも一緒に部屋に連れ込もうぜ?」
「自己中心的な発想だね」
「自由なのさ。法も常識も俺達には必要ない」
「では、君達が必要としているのは、何なんだい?」
「美学」
マフィアが吹かす煙は、煙草のそれより重い。
ゆっくりと研究者のほうに流れてきた白煙は、
コーヒーとキャラメルのような、甘い甘い香りがした。
「マンゾーニ」
「ん?」
「その葉巻、私にも一本貰えるかい?」
fin
■陛下と殿下と24 続編
「ん。じゃ、各自ヨロシク。お疲れさんっ」
追憶の塔 第一会議室。
警備組織と学院スタッフによる、定期ミーティングが終了した。
議長を務めていた金髪の男がやって来る。警備組織の司令官アイヴィーだ。
「お疲れ、ソクちゃん。ガッコまで送ってくよ」
「ああ」
司令、と後方から声を掛けられる。ドイツから引き抜かれた軍人。
副司令官のラインハルト・クロイツだ。
「司令は、この後、理事会とのネットミーティングですよ」
「え? それ、明日じゃなかった?」
「ですから、変更になりましたと今朝お伝えしたじゃないですか。やはり聞いてなかったんですね」
「あれ。ゴメンゴメン。んー。ねえ、クロちゃんさ、代わりに出といてくんない?」
「嫌ですよ、この忙しいのに面倒臭い」
「俺だって面倒臭いよっ」
「お偉方のお相手は貴方の役目でしょう。違いますか?」
司令官を黙らせた眼鏡の男はソクーロフに尋ねる。
「ああ、すみません、ドクター。お帰りの車をご用意します」
「構わないよ。ありがとう、クロイツ」
「いえ。ご足労頂き、ありがとうございました、ドクター」
「あっ、送ってけなくてゴメンな、ソクちゃん」
「そう残念そうな顔をするな」
「してないっ!」
学院までの帰り道。旧市街の辺りでソクーロフは知った顔に出会った。
さながら美女と野獣だ。一人は、学院で姫扱いされている男子生徒。
隣に居るのは部外者だ。彫りの深い顔に、ダンディズムな髭。
高等部二年のアンリと、彼のボディガードだと言うシチリアマフィアだ。
ソクーロフにとってはどちらも興味深い人物だった。
身を潜めて様子を覗う。二人は話をしているが、遠くて聞こえない。
野獣が姫の肩に腕を回した。姫はその手を振り払う。何か言い放ち、去って行った。
アンリの後ろ姿が見えなくなったのを確認し、ソクーロフは男に近付いた。
「また、警備の穴を擦り抜けたのかい、ディーノ・マンゾーニ?」
顔見知りのソクーロフを見たマフィアは、ニヤリと笑った。
「ああ。面倒だからな、来る度にいちいちチェックされんのは」
聖アルフォンソ島の警備レベルは世界でもトップクラスの筈だが、
このマフィアは、それを度々破って上陸してくる。
流石は犯罪のスペシャリスト。警備網のどこに綻びがあるか、貴重な指摘をしてくれる。
彼等のいたちごっこは、互いのスキルアップに役立つだろう。
「俺が来てるってアイヴィーにチクんのか? 先公さんよ」
「君を捉えられず悔しがる顔を見るほうが面白いよ」
「この変態眼鏡が」
「君には言われたくないね」
「俺は眼鏡じゃねえもん」
渋い声で幼いことを言う。
「じゃあ、お前でもいいや。どっか晩メシ食えるとこ案内してくんねえ?
あのクソガキにも店教えろっつったんだが、逃げられちまってな」
ソクーロフは、兼ねてよりこのマフィアとゆっくり話したいと願っていた。
断る理由などなかった。マフィアの好みを尋ねる。
「イタリアンが良いのかい?」
「冗談。どうせママのペペロンチーノには敵わないだろうからな」
「中華料理はどうかな?」
「おっし。中華にするか」
「少し遠回りになるが、こちらの道から行こう」
「俺とゆっくり散歩を楽しみたいのか?」
「警備組織の監視カメラに映らないようにする為だよ」
「こりゃあいいナビゲーターだ」
ソクーロフは愛用している中華料理店に案内した。
内装は薄暗く、アジアンテイストなインテリアで統一されている。
店に入ったところで、すぐに顔見知りの若い店員が来た。
「あ、センセ、いらっしゃーい。あれ、今日はアイヴィーと一緒じゃないんだ?」
「ああ。新しい、友人でね」
「ふーん」
「奥の席は空いているかな?」
「うん。どうぞー」
店内には、中国の伝統的な弦楽器、二胡を用いた楽曲が流れている。
この音楽がなければ、ソクーロフは度々通うようにはならなかっただろう。
壮大な川を思わせる、緩やかな曲調。ここで紫煙を燻らすひとときは、日常を忘れさせてくれる。
「うめえな、このプリプリエビチリ」
連れの男は、音楽に耳を傾ける様子もなく、一心にガツガツと料理を平らげていた。
本当に空腹だったようだが、食事をしている姿は妙に子供っぽい。
この男は見た目が強面なので、幼さの残る中身とのギャップが凄まじい。
加えて彼の持つ肩書きは、幾度も完全犯罪を成し遂げてきた、マンゾーニ家の次期ボス。
犯罪者を相手に面談を重ねてきた研究者の観察対象として飽きない人物だった。
ソクーロフは早々に食事を休止し、さり気無く、自分の手をテーブルの下に移動させる。
店内の時計を見ながら、人差し指と中指で手首の動脈に触れた。
やはり標準値より早い。
犯罪者を前にした研究者は、獲物を発見したハンターの如く、血が騒いでいた。
研究者の血を落ち着かせる為にポケットから煙草を出す。
自分でも可笑しい程の職業病だ。頭の中で止めどなく質問事項が浮かんでくる。
マンゾーニ家とサン・ジェルマン家ではどんな契約を交わしたのか。
以前あった、コルシカマフィアの変死事件は、君達の仕業ではないか。
一体どんな手を使って、完全犯罪を行ってきたのか。
今後、狙う標的は誰なのか。
質問を取捨選択することさえ、もどかしい。
誰にも監視されずに、有能な犯罪者と話ができる。この貴重な機会を有効活用しない手はない。
「おい、ソクちゃん」
「ああ、何だい?」
「なんか気持ち悪ぃぞ、急にニヤニヤして」
「そうかい? すまない」
「なあ。もうエビチリ要らねえのか? 俺、全部食うぞ?」
「良いよ、口に合ったようで良かった」
赤い料理が乗った大皿を、マフィアのほうへ押してやる。
「けれどきっと、そのプリプリエビチリより、お母さんのペペロンチーノのほうが美味しいんだろうね?」
「そりゃ、ママの料理が世界一に決まってる。うちのママに敵う女なんか、この世に居やしねえ」
イタリア国民は一般的に、家族を何より大切にしていると言われる。それはこの男にも当て嵌るらしい。
マフィアという裏の道を歩きながらも、心根が曲がっていないのは、
ご両親から注がれた愛情故なのかもしれない。
「自慢のお母さんなんだね。お父さんのカルロ・マンゾーニ氏とも仲が良いんだろう? 君は」
「当たり前だろ。そういや、お前の親父は医者なのか?」
質問された研究者は、トンと灰を落とした。
「そうだよ」
「なら、俺と一緒じゃねえか。パパのことが好きで同じ医者になったんだろ?」
「医師を親に持った子供はね、少なからず、暗黙のプレッシャーを感じるものなんだよ。
自分も医師にならなくてはいけない、というね」
「なあ、お前のママは何が得意?」
「何だい、突然」
「お前、ロシア出身だっけ? なら、やっぱボルシチか? ピロシキか?」
「そうだねえ…」
研究者は煙草を口にする。
医師である父と、リトアニア貴族出身であることだけが誇りだった母。
己のことしか見えていなかった両親。彼等は互いに、保身の為、同じ家に住んでいた。
あの女性は、自分に何を作ってくれただろう。
答えを探している間に、吹かした筈の紫煙は、綺麗に消えていた。
「どうした、ソクちゃん。そこ、焦らしプレイするところか?」
「いや。もう覚えていないよ。母の味なんて」
「はあ?」
「私は一人暮らしが長いから」
「つまんねえオトコ。フツーはこの話で盛り上がらないことねえぜ?」
「ここはシチリア島じゃないからね。君の国から遠く離れた、聖アルフォンソ島だ」
「お前も、あのクソガキと同じだな」
「アンリと、私が?」
「あー。腹いっぱい食ったら眠くなってきた」
その台詞も、ごしごしと目許を擦る仕草も、子供なのに。
見上げてくる目は、人を小馬鹿にしている。
食事の終わったマフィアは背広からシガーケースを取り出した。
三本入りの革箱から一本抜き取っていた。
葉巻の頭部には、銘柄を示すシガーリングが巻いてある。
マフィアの物は赤地のラベルに白十字。
「その葉巻、デンマークで随分前に廃番になったものと似ているね」
ソクーロフが、あるシガーメーカーの名前を口にすると、
マフィアは、あっさり「それだ」と言った。
「では、どうして君が持っているんだい?」
「数が少ねえから、オールドファンだけに売ってんのさ。
うちのパパと、シガーメーカーの社長が、古い付き合いなんだ」
「成程」
「詳しいじゃねえか、ソクちゃん。お前は葉巻もやるのか?」
「若い頃、興味本位で少し手を出したことがあるだけだよ」
マフィアは、手にしていた葉巻を差し出した。
「一本、やろうか?」
「いや、いいよ。私にはこれがあるから」
煙の昇るメンソールを見せると、
マフィアは「あっそ」と言って差し出した葉巻を引っ込めた。
二枚刃のギロチンカッターで、葉巻の頭を切り落とす。
シガーライターはゴールド。
彼の浅黒い手に握られていると、不思議とそう嫌味な色に見えない。
葉巻の足と火は45度角。回しながら炙り、黒く焦がす。
均一に炭化させたら、葉巻の頭を咥える。
ゆっくりと吹かしながら、遠火で燃やす。
一連の動作を、マフィアは実にスマートにこなした。
「ああ、そうそう、聞きたかったんだけどよ」
「どうぞ?」
「あんた、自白・洗脳のプロフェッショナルなんだろ?
ヒトの記憶ってヤツは、どこまで操作できるモンなんだ?」
「そんなことを聞いて、どうするんだい?」
「あんたが手に入れば、俺達の仕事もやり易くなんじゃねえかと思ったわけよ」
「面白いことを言うんだね、マンゾーニ」
「ああ、面白いだろ? サイコーにな」
「君達の犯罪に手を貸せと言うのかい? この私に」
「ガキの相手を六年も続けてりゃ、いい加減、研究職に復帰したいだろ?」
「私の職歴を調べたのか」
「保健室の優しいセンセ役にも、疲れてきたんじゃねえのか?
俺達なら、好きなだけ研究させてやるぜ、どんなに非合法なやり方でもな」
「生憎だが、無謀な勧誘だよ、マンゾーニ。仮に、私が君達の元で研究を始めたとしても、
そんな非合法なデータを用いた論文は発表できないんだよ、どの学会にもね」
薄く開いた口から白煙が覗いた。
「発表したいから研究してんのか? お前の場合は、研究したいから研究してんだろ?」
マフィアは、なあ、と眠たげな声を出す。
「どっか泊まれるトコねえ? サイアク、お前の家でもイイ」
「私が住んでいるのは学院の宿舎だ。門番が君を通す筈がない」
「んなもん、ブッ倒せばイイじゃねえか」
「そんなことをしたら、警備組織が飛んでくるよ」
「飛んできたアイヴィーも一緒に部屋に連れ込もうぜ?」
「自己中心的な発想だね」
「自由なのさ。法も常識も俺達には必要ない」
「では、君達が必要としているのは、何なんだい?」
「美学」
マフィアが吹かす煙は、煙草のそれより重い。
ゆっくりと研究者のほうに流れてきた白煙は、
コーヒーとキャラメルのような、甘い甘い香りがした。
「マンゾーニ」
「ん?」
「その葉巻、私にも一本貰えるかい?」
fin
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