聖アルフォンソ学院、通信室。
プライベートブースのキーを受付に戻す。職員に会釈され、僕は通信室をあとにした。
通信室のある校舎から寮まで戻るには、森の前を通ることになる。
もう夜の9時を回っている。辺りは真っ暗だ。僕の足音だけが聞こえる。
生温かい風に頬を撫でられた。夜の森が揺れている。
バサバサッと音がした。
見上げると、鳥が一羽、森から飛んで行っただけだった。
動物達の鳴き声が聞こえる森を横切って、第一学生寮に着いた。
自分の部屋に戻った僕は、ベッドに横たわった。自然に溜め息がひとつ出た。
先程、電話で聞いたイタリア訛りの英語が耳に残っているかのようだ。
今度また商談でイタリアに行くことになったから、
外出時の護衛を頼んでいるビジネスパートナーとの打ち合わせをしていた。
僕のボディガードはシチリアンマフィア、マンゾーニ・ファミリー。
僕と電話で話すのはファミリーのNo2。ドン・カルロの愛息、ディーノ・マンゾーニだ。
「でー、センセーは来ねえのか、センセーは?」
用件を話し終えたあと、マフィアはこんなことを言い出した。
「俺は一回、センセーとサシで飲んでみてえんだよ。
なあ、センセーは、酒、結構イケるクチなんだろー?」
「オーギュストなら、連れて行かないよ」
「なんでえ。センセーの出し惜しみしてやがんのかあ?」
「ねえ。どうして、君がオーギュストを気にするの」
「俺はセンセーともっと仲良くなりてえんだよ。
センセーだって、俺と酒飲みたいって、この前言ってたしな」
南イタリアの港町、パレルモで彼等は出会った。
僕が商談でパレルモに行く際に、オーギュストが観光目的で付いてきた。
マフィアと教師が顔を合わせた場所は、僕とオーギュストが泊まっていたホテルの部屋。
僕がシャワーを浴びている間に、ディーノが勝手に入ってきて、
部屋に居たオーギュストと鉢合わせてしまったのだ。
僕がシャワーから上がったら、オーギュストはディーノに胸倉を掴まれていた。
最初は、それほどオーギュストに対して喧嘩越しだったくせに、いつのまにか態度は変わり、
この頃は「センセーと飲みてえ」とまで言うようになっていた。
どうしてディーノがオーギュストなんかに興味を持つようになったのかが解らない。
「なあ。またセンセー、連れてこいよー?」
「お断りだね。君がオーギュストと、
仲良くなる必要なんてないでしょう。もう切るよ。さよなら」
そこで僕は電話を切った。
僕はベッドの上で、もうひとつ溜め息を吐いていた。
「今夜はご機嫌斜めなのかな。大きな溜め息を二回も吐いたりして」
突然、声がした。部屋の奥に神秘学担当教師が立っていた。
「……オーギュスト」
暗がりから彼が近付いてくる。
「通信室に行っていたようだけれど。電話の相手は……ディーノ君、かな?」
「君には関係ない」
強く言い返しても、この教師には何の効果もない。
普段通りの落ち着いた口調で、教師は話を続ける。
「ディーノ君と話したということは、また海外出張かい? 良ければまた一緒に」
「良くない」
「おや。ディーノ君は電話で言っていなかったかね? 私を連れて来いと」
「言ってない」
「おやおや。今日は本当にご機嫌斜めだね。日が悪いようだから出直すよ」
そう言って、その夜は神秘学教師自ら退散した。
今思えば、この時、確かに彼は「出直す」と言っていた。
海外出張当日。
今回の行き先はイタリアの首都ローマ。現地に着いた僕は、早速、商談先に向かった。
今日の商談相手はラボラス・カイム氏。ローマを本社とする、ある会社の社長だ。
仕立ての良いスーツが似合っている。白髪混じりでグレイに近い髪は50歳代相応だろう。
会うのは今日が初めてだけど、評判通り、物腰の柔らかな社長だった。
商談は予定通りに終了。悪くない手応えを感じながら、
さあホテルに帰ろうと思ったところだった。
「サン・ジェルマンさん、明日の夜は、まだローマにいらっしゃいますか?」
「はい。その予定ですが?」
「明日は我が家でホームパーティを行うのですが、
よろしければ、レストラン代わりにお越し頂けませんか?」
そういうのは面倒だから断ろうと思った。
理由は、申し訳ありませんが先約がありますので、
とかでいいかなと考えていた時、彼の携帯電話が鳴った。
「すみません。少々お待ち頂いてもよろしいですか」
と言われたので、僕は頷いた。彼は席を立ち、壁際に移動して話し始めた。
「カイムです。あっ、はい……ええ、明日の18時からです。
……はい、もちろんです……はい、お待ちしております」
電話を終えて、彼が戻ってきた。椅子に座りながら、
「すみません、神父様からの電話で」
「神父?」
てっきり仕事関係の人間だろうと思っていたら、予想外の相手だった。
「いつもお世話になっている神父様も、
明日のパーティにお呼びしているんですよ。実は、私の息子が悪魔憑きでしてね」
僕は思わず、えっ、と聞き返した。すると彼は手の平を横に振り、
「ああ、ご心配には及びません。神父様は、信用できる悪魔祓い師ですから」
商談帰りの車中。僕は溜め息を吐きながら、
「僕が心配してるのは、僕が商談相手を間違えたんじゃないかってこと」
隣で僕の話を聞いていたマフィアが笑う。
「おめーは、とんだ自己チューだな」
「君に言われたくない」
「そりゃコッチのセリフだっての」
彫りの深い顔立ち、うっとおしい口髭に顎髭。
この濃いイタリア顔をした男がディーノ・マンゾーニ。
今日の装いは濃い紫のドレスシャツ。
近くで見ると光る素材で花柄の模様まで入っているのが解る。
彼の服の趣味はいつ見ても派手過ぎて理解できない。紫のワイシャツだなんて。
ボタンは上から三つか四つ開けており、素肌が胸許近くまで見えている。品のない。
ボディーガードを依頼している人間でなかったら、近寄りたくもない。
「悪魔憑きかあ。俺様はまだ見たことはねえが、
そんな話なら大して珍しいことでもないぜ? なんせイタリアは悪魔が棲む国だからな」
何を言い出すんだ、この紫。
「冗談でしょう?」
「いえいえ。これが本当なんですよ、アンリさん」
そう言ったのは今、ハンドルを握っている優男。
マンゾーニ・ファミリーの舎弟、フィオラノだ。
彼の装いは真っ白のワイシャツ。開けているボタンは二つ。許せる範囲だ。
「司教が正式に認めた悪魔祓い師が、イタリア全土に300名居て、
年間50万人が悪魔憑きの相談に訪れると言われているんです」
「そんなに?」
「ええ。50万人の中でもホンモノは少ないみたいですが。
神父様に告げられるそうですよ。『貴方には悪魔が憑いている』と。
災厄や病気が悪魔のせいにされちまうんです」
「馬鹿馬鹿しい。21世紀にもなって、悪魔のせいにするなんて」
「ですよねえ。で、そのホームパーティ、出席されるんですかい?」
「まあ、試しにね。フィオラノ、君は僕と一緒に来て。僕の秘書として」
「おや。自分ですかい? 『畏まりました、社長』てなかんじですかね?」
「フィオをご指名かあ? 俺は呼んでくれないのか、俺は」
「君は無理でしょう」
「フィオにできて俺にできないってかあ? 俺様に無理なことなんかねえぞ!」
「鏡見てから言ってくれる?」
「ああん!?」
「まあ、まあ、お二人とも」
フィオラノが止めに入る。
「兄貴に秘書なんて脇役は似合わない、って意味ですから。今回はどうぞ自分にお任せ下さい」
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