■ジョシュアメイン
※本作は3月5日に完成したものでありますことをご了承下さい。
※本作は3月5日に完成したものでありますことをご了承下さい。
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「バトラー、あのさ」
ウーティス寮、ダイニングルーム。
朝食のあと、執事が空いた皿を片付けていると名を呼ばれた。
若き主人が一人で立っていた。
「はい。いかがいたしましたか、アルフレッド様?」
六人居る主人の中でも、快活な主人は、実に言い難そうな顔をして、こう尋ねた。
「俺に、荷物、届いてないか? あ、手紙とか!」
数時間後、執事は他の主人からも同じ質問をされた。
寮全体がそわそわしていた前日と比べ、
2月15日のウーティス寮はなんだか大人しかった。
一見、普段通りにも見えるが、なんとなく皆が意気消沈していた。
それは、この部屋の主も同じようで。
(電話、来なかったな……)
入学時とほぼ変わらないインテリア。
このベッドは、寮生も知らないジョシュアの涙も受け止めている。
5年以上、身を預けてきたベッドの上で、ジョシュアは片膝を抱えていた。
悲しいことや苦しいことがあると、いつも一人でこうしてしまう。
幼い頃からの、癖のようになっていた。
昨日、2月14日は、聖バレンタインデー。
あの人から電話が来るのではないか、とジョシュアは密かに思っていたのだ。
結局、その日は何事も起こらず。
時差を考慮し、翌日まで待ってみようと思いながら、14日の夜をやり過ごした。
しかし、もう15日の放課後である。
バレンタインは終わってしまったのだ。
本当は自分から電話をかけたかったのだが、
日本では女性から愛を伝える日なのだと事前に聞いていた為、
男性から伝えては失礼になるかと思い、何もできなかった。
だが、これで解ったことがある。
貴女にとって俺は、バレンタインに言葉を交わす存在ではない。
きっと、そういうことだ。
もしかしたら、電話を貰っていないのは自分だけで、
他の誰かには電話をしていたのかもしれない。
本当は今すぐにでも声が聞きたい、話しがしたいのに、
彼女の迷惑になりそうで。
こうして膝を抱えることしかできなかった。
「ジョシュアー、居ますー?」
ドアの向こうから寮生の声がした。同じ学年で、ひとつ年上の彼だろう。
ジョシュアはベッドから降りて、ドアを開けた。
「どうしたんだい、シルヴァン」
「あの、ちょっと、入っても良いですか?」
「うん」
シルヴァンはドアを閉めてから、詰め寄った。
「実は! ジョシュアに聞きたいことがあるんです!」
「な、なんだい?」
「昨日、ユウタのお姉さんから、電話貰いました!?」
「ううん。貰ってないよ、俺は」
「えっ!? ジョシュアもですか!?」
「うん」
「てっきりジョシュアかと思ってましたー。違うんですねえ。
では、彼女は誰にも電話をしていないのでしょうか」
「シルヴァン、もしかして、皆に同じこと、聞いて回ったのかい?」
「はい。気になって気になって、仕方がなかったので」
「皆、電話を貰ってないって?」
「ええ。僕の調査ではそうみたいです」
「そう、なんだ」
シルヴァンはそこでフッと笑った。
「ほっとしました?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「僕はほっとしましたけどね。僕にもチャンスは残されているようですし」
長い髪を跳ねさせて、ドアに向かう。
「それじゃ、お邪魔しましたー」
シルヴァンは部屋を出て行った。
残されたジョシュアは暫く立ち尽くしていた。
そして、ベッドに背を預けた。
赤い瞳には、天井が映り、壁が映った。
胸のうちで渦巻くもやから目を逸らすように、ジョシュアは瞳を閉じた。
fin
ウーティス寮、ダイニングルーム。
朝食のあと、執事が空いた皿を片付けていると名を呼ばれた。
若き主人が一人で立っていた。
「はい。いかがいたしましたか、アルフレッド様?」
六人居る主人の中でも、快活な主人は、実に言い難そうな顔をして、こう尋ねた。
「俺に、荷物、届いてないか? あ、手紙とか!」
数時間後、執事は他の主人からも同じ質問をされた。
寮全体がそわそわしていた前日と比べ、
2月15日のウーティス寮はなんだか大人しかった。
一見、普段通りにも見えるが、なんとなく皆が意気消沈していた。
それは、この部屋の主も同じようで。
(電話、来なかったな……)
入学時とほぼ変わらないインテリア。
このベッドは、寮生も知らないジョシュアの涙も受け止めている。
5年以上、身を預けてきたベッドの上で、ジョシュアは片膝を抱えていた。
悲しいことや苦しいことがあると、いつも一人でこうしてしまう。
幼い頃からの、癖のようになっていた。
昨日、2月14日は、聖バレンタインデー。
あの人から電話が来るのではないか、とジョシュアは密かに思っていたのだ。
結局、その日は何事も起こらず。
時差を考慮し、翌日まで待ってみようと思いながら、14日の夜をやり過ごした。
しかし、もう15日の放課後である。
バレンタインは終わってしまったのだ。
本当は自分から電話をかけたかったのだが、
日本では女性から愛を伝える日なのだと事前に聞いていた為、
男性から伝えては失礼になるかと思い、何もできなかった。
だが、これで解ったことがある。
貴女にとって俺は、バレンタインに言葉を交わす存在ではない。
きっと、そういうことだ。
もしかしたら、電話を貰っていないのは自分だけで、
他の誰かには電話をしていたのかもしれない。
本当は今すぐにでも声が聞きたい、話しがしたいのに、
彼女の迷惑になりそうで。
こうして膝を抱えることしかできなかった。
「ジョシュアー、居ますー?」
ドアの向こうから寮生の声がした。同じ学年で、ひとつ年上の彼だろう。
ジョシュアはベッドから降りて、ドアを開けた。
「どうしたんだい、シルヴァン」
「あの、ちょっと、入っても良いですか?」
「うん」
シルヴァンはドアを閉めてから、詰め寄った。
「実は! ジョシュアに聞きたいことがあるんです!」
「な、なんだい?」
「昨日、ユウタのお姉さんから、電話貰いました!?」
「ううん。貰ってないよ、俺は」
「えっ!? ジョシュアもですか!?」
「うん」
「てっきりジョシュアかと思ってましたー。違うんですねえ。
では、彼女は誰にも電話をしていないのでしょうか」
「シルヴァン、もしかして、皆に同じこと、聞いて回ったのかい?」
「はい。気になって気になって、仕方がなかったので」
「皆、電話を貰ってないって?」
「ええ。僕の調査ではそうみたいです」
「そう、なんだ」
シルヴァンはそこでフッと笑った。
「ほっとしました?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「僕はほっとしましたけどね。僕にもチャンスは残されているようですし」
長い髪を跳ねさせて、ドアに向かう。
「それじゃ、お邪魔しましたー」
シルヴァンは部屋を出て行った。
残されたジョシュアは暫く立ち尽くしていた。
そして、ベッドに背を預けた。
赤い瞳には、天井が映り、壁が映った。
胸のうちで渦巻くもやから目を逸らすように、ジョシュアは瞳を閉じた。
fin
■ソクーロフに看病されちゃった9 続編
■カーシャ様、リクエストありがとうございました!
■カーシャ様、リクエストありがとうございました!
「あっ、アイヴィーさん!」
「お、ドニ」
後日。アイヴィーが学院内を歩いていると、シュヌーシア寮シェフに声をかけられた。
今日は黄色のバンダナと腰巻きエプロンをしている。その上から上着を羽織っていた。
「アイヴィーさん、元気になったんですね! 良かった! ソクーロフ先生から、
アイヴィーさんが高熱を出したって聞いた時は心配しましたけど。
もうどこも具合悪くないですか?」
「ああ。もう元気、元気」
「良かったです! あ、そう言えば、美味しかったですか? カーシャ」
「カーシャって、あのオートミールのこと?」
「はい。ロシアではカーシャと呼ばれています。それで、どうでした? お味は」
「うまかったよ」
「そうですか!」
「俺の為に、わざわざ作ってくれてサンキュな、ドニ」
シェフは大きな目をぱちくりさせた。
「えっ? 何言ってるんですか、アイヴィーさん」
「何って、だから、お礼を」
シェフはきょとんとしていた。
「作ったの、僕じゃないですよ?」
fin
「お、ドニ」
後日。アイヴィーが学院内を歩いていると、シュヌーシア寮シェフに声をかけられた。
今日は黄色のバンダナと腰巻きエプロンをしている。その上から上着を羽織っていた。
「アイヴィーさん、元気になったんですね! 良かった! ソクーロフ先生から、
アイヴィーさんが高熱を出したって聞いた時は心配しましたけど。
もうどこも具合悪くないですか?」
「ああ。もう元気、元気」
「良かったです! あ、そう言えば、美味しかったですか? カーシャ」
「カーシャって、あのオートミールのこと?」
「はい。ロシアではカーシャと呼ばれています。それで、どうでした? お味は」
「うまかったよ」
「そうですか!」
「俺の為に、わざわざ作ってくれてサンキュな、ドニ」
シェフは大きな目をぱちくりさせた。
「えっ? 何言ってるんですか、アイヴィーさん」
「何って、だから、お礼を」
シェフはきょとんとしていた。
「作ったの、僕じゃないですよ?」
fin
■ソクーロフに看病されちゃった8 続編
真っ白い天井と、真っ白いベッド。
ブランケットから紫煙の匂いはしなかった。
少々清潔過ぎて、薬臭い空気を吸いながら、
アイヴィーは、昨夜は保健室に泊まったのだと思い出す。
カーテンが身に受けている光の具合から、どうやら朝か昼らしいと知った。
昨夜は正直、身体の調子は良くなかった。
それでも、昨日の仕事が終わるまでは持つだろうと思ってた。
だけど、ソクーロフ先生に保健室まで引きずられてきて、
真っ白いベッドに入ったら、重くてだるい身体が、
ベッドに深く沈んでいく感覚がして、そのあとすぐに寝たんだろうと思う。
何か夢を見たような気がするけど、どんな夢だったか思い出せない。
でも、悪い夢ではなかったようだ。今日はすっきり目覚めたから。
昨日までと比べると、体調はかなり回復したのが解る。
それに、久し振りにしっかり眠れたような気がする。
アイヴィーが身体を起こすと、ブランケットがずり落ちた。
次に、目に入ったものは、酷くはだけた自分のワイシャツ。
「ちょ、えっ!? ええっ!?」
何故か第5ボタンまで開いていて、思わずブランケットを引き上げる。
「なんで、なんで、こんなことに!?」
「起きた途端、煩い奴だな」
「うわあっ! ソクちゃん!?」
いつのまにか白衣の先生が傍に立っていた。
「さて。検温するか」
「それより、こ、このはだけ具合は何なんすか!?」
「ん? 解らないのか?」
「えっ!? ええっ!?」
「夜中の保健室で、私がお前にすることなど、決まっているだろう?」
「えええー!? アンタ、それ、ちょっと」
「熱のせいで、随分、汗をかいていたから、タオルで拭いた」
「イヤあああー!」
「失礼な」
「何してんだよ! んなもん、自分でやるわっ!」
「声が煩い。それで、熱は」
医師の手が患者の額に触れる。
「昨夜よりは下がったか。朝食は、食べられそうか?」
「うん、まあ」
「では、それに着替えて、顔でも洗ってこい。私は食事の用意をしてくる」
その後、医師が運んできたものは丸い皿。
中に入っていたのは、クリーム色のドロッとしたものだった。
「これ、オートミール?」
「ああ。シュヌーシアのシェフに頼んで、用意した」
「わざわざ、ソクちゃんがドニにお願いしてくれたの?」
「シュヌーシアのキッチンは、常に病人食の準備が
万全だからな。さっさと食べないと冷めるぞ」
「あ、うん」
「一人で食べられるのか?」
「え?」
「私に、フーフーして欲しいんだろう?」
「だ、誰がだよっ!? もう、からかうなっつの」
患者は自分の手でスプーンを口に運んだ。
「えっ、これホントにオートミール? なんか甘いよ?」
「それは、そういうものだ。口に合わないか?」
「ううん。変わってるけど、ウマイ。なんか、ほっとする味だなあ。
さすが家庭料理が得意なシェフってかんじ」
「食べ終わったら、薬を飲め。そこに置いてある」
「はーい」
「今日は水を小まめに飲むように」
「はーい」
「それから、今日から三日間、お前は病欠だ」
「はーい……って、えー!? 三日も!?」
「私の判断に、何か意見でも?」
「い、いやー、でも、そーゆーことはクロイツに相談してみないと」
「副司令官は了承済みだ」
「俺の居ないところで、全部決まってるんですね……」
「当然だろう。お前が私より立場が上だとでも思ったか」
「……クッ。言い返せない自分を慰めてあげたいっ!」
「お前の代わりは、副司令官を始め、幾らでも居る。
そんな簡単なことが、お前は解らなかったのか? 思い上がりも甚だしいな」
「またズタボロに言いますねえ」
「三日程度、お前が居なくても、組織は回る。
きちんと静養して三日で全快させろ。
ここでまた無理をして、もっと大きな病に繋がっては」
医師は患者を見下ろして言った。
「私が迷惑だ」
→
ブランケットから紫煙の匂いはしなかった。
少々清潔過ぎて、薬臭い空気を吸いながら、
アイヴィーは、昨夜は保健室に泊まったのだと思い出す。
カーテンが身に受けている光の具合から、どうやら朝か昼らしいと知った。
昨夜は正直、身体の調子は良くなかった。
それでも、昨日の仕事が終わるまでは持つだろうと思ってた。
だけど、ソクーロフ先生に保健室まで引きずられてきて、
真っ白いベッドに入ったら、重くてだるい身体が、
ベッドに深く沈んでいく感覚がして、そのあとすぐに寝たんだろうと思う。
何か夢を見たような気がするけど、どんな夢だったか思い出せない。
でも、悪い夢ではなかったようだ。今日はすっきり目覚めたから。
昨日までと比べると、体調はかなり回復したのが解る。
それに、久し振りにしっかり眠れたような気がする。
アイヴィーが身体を起こすと、ブランケットがずり落ちた。
次に、目に入ったものは、酷くはだけた自分のワイシャツ。
「ちょ、えっ!? ええっ!?」
何故か第5ボタンまで開いていて、思わずブランケットを引き上げる。
「なんで、なんで、こんなことに!?」
「起きた途端、煩い奴だな」
「うわあっ! ソクちゃん!?」
いつのまにか白衣の先生が傍に立っていた。
「さて。検温するか」
「それより、こ、このはだけ具合は何なんすか!?」
「ん? 解らないのか?」
「えっ!? ええっ!?」
「夜中の保健室で、私がお前にすることなど、決まっているだろう?」
「えええー!? アンタ、それ、ちょっと」
「熱のせいで、随分、汗をかいていたから、タオルで拭いた」
「イヤあああー!」
「失礼な」
「何してんだよ! んなもん、自分でやるわっ!」
「声が煩い。それで、熱は」
医師の手が患者の額に触れる。
「昨夜よりは下がったか。朝食は、食べられそうか?」
「うん、まあ」
「では、それに着替えて、顔でも洗ってこい。私は食事の用意をしてくる」
その後、医師が運んできたものは丸い皿。
中に入っていたのは、クリーム色のドロッとしたものだった。
「これ、オートミール?」
「ああ。シュヌーシアのシェフに頼んで、用意した」
「わざわざ、ソクちゃんがドニにお願いしてくれたの?」
「シュヌーシアのキッチンは、常に病人食の準備が
万全だからな。さっさと食べないと冷めるぞ」
「あ、うん」
「一人で食べられるのか?」
「え?」
「私に、フーフーして欲しいんだろう?」
「だ、誰がだよっ!? もう、からかうなっつの」
患者は自分の手でスプーンを口に運んだ。
「えっ、これホントにオートミール? なんか甘いよ?」
「それは、そういうものだ。口に合わないか?」
「ううん。変わってるけど、ウマイ。なんか、ほっとする味だなあ。
さすが家庭料理が得意なシェフってかんじ」
「食べ終わったら、薬を飲め。そこに置いてある」
「はーい」
「今日は水を小まめに飲むように」
「はーい」
「それから、今日から三日間、お前は病欠だ」
「はーい……って、えー!? 三日も!?」
「私の判断に、何か意見でも?」
「い、いやー、でも、そーゆーことはクロイツに相談してみないと」
「副司令官は了承済みだ」
「俺の居ないところで、全部決まってるんですね……」
「当然だろう。お前が私より立場が上だとでも思ったか」
「……クッ。言い返せない自分を慰めてあげたいっ!」
「お前の代わりは、副司令官を始め、幾らでも居る。
そんな簡単なことが、お前は解らなかったのか? 思い上がりも甚だしいな」
「またズタボロに言いますねえ」
「三日程度、お前が居なくても、組織は回る。
きちんと静養して三日で全快させろ。
ここでまた無理をして、もっと大きな病に繋がっては」
医師は患者を見下ろして言った。
「私が迷惑だ」
→
■ソクーロフに看病されちゃった7 続編
翌朝。医師は保健室から電話をかけていた。
「ソクーロフです。副司令官は、今、話せるかな?」
少々お待ち下さい、と警備組織のオペレーターが言った。間もなく相手が変わる。
「お待たせ致しました、クロイツです。博士、司令の具合は」
「大したことはなかったよ。きちんと休めば直に良くなる」
そうですか、と副司令官は言った。
彼は元々無機質な声をしている人間で、今の一言もそれに近いものだったが、
ソクーロフの耳には、普段の彼の声とは僅かに違うように聞こえた。
「博士。司令は、現在も保健室で眠っているのでしょうか?」
「ああ。もう暫くは起きないと思うよ。睡眠薬の効果が強い薬を飲ませたから。
司令官に何か言付けがあったかね?」
「いえ。ありません」
「それで、今日から三日は、司令官を休ませたいんだが、構わないかね?」
「三日間、ですか」
「ダメ司令官が、たった三日、席を外しても、
君が居れば問題ないだろう? それに、他の隊員達に感染しては、
それこそ島の安全を揺るがす問題に繋がりかねないからね?」
「そうですね。了解致しました。司令の業務は私が代行します」
「君には迷惑をかけて申し訳ないね。私の監督不行き届きだった。
学院関係者の体調不良は、全て私の責任だ。
司令官不在の間は、実質、君が司令官となる。
もちろん、君なら司令官以上に務めてくれるだろうね。
よろしく頼むよ、クロイツ司令官?」
「もちろん、博士に言われずとも解っています。
司令が不在でも組織に支障がないよう、私が存在しているのですから」
「そうだね」
「それに、私は、司令の体調不良までが、博士の監督不行き届きとは思いません。
司令の身体は司令のものです。以前から気になっておりましたが、
まるで博士の所有物かのように言われるのは納得できかねます。
もし、本人以外に責任があるというのなら、副司令官である私にあると存じますが」
「すまない。部外者が出すぎたことを言ってしまったね」
「いえ。お話は以上でしょうか」
「ああ」
「それでは私はこれで。失礼致します」
ソクーロフは受話器を置いて、一人ほくそ笑む。
「部外者の態度に対する不快感と、
司令官の不調に気付けなかった己に対する憤り、か」
出会った当初は、不真面目で大雑把な司令官との相性が悪かったようだが、
月日を重ねるうちに、彼を司令官として認めるようになったか、
とソクーロフは思った。そして、置いた受話器を再び持ち上げた。
「ドーム・シェフですか? ソクーロフです。おはようございます」
医師が電話した先は第三学生寮のキッチンだった。
「実は、シェフに頼みたいことがあるのですが」
→
「ソクーロフです。副司令官は、今、話せるかな?」
少々お待ち下さい、と警備組織のオペレーターが言った。間もなく相手が変わる。
「お待たせ致しました、クロイツです。博士、司令の具合は」
「大したことはなかったよ。きちんと休めば直に良くなる」
そうですか、と副司令官は言った。
彼は元々無機質な声をしている人間で、今の一言もそれに近いものだったが、
ソクーロフの耳には、普段の彼の声とは僅かに違うように聞こえた。
「博士。司令は、現在も保健室で眠っているのでしょうか?」
「ああ。もう暫くは起きないと思うよ。睡眠薬の効果が強い薬を飲ませたから。
司令官に何か言付けがあったかね?」
「いえ。ありません」
「それで、今日から三日は、司令官を休ませたいんだが、構わないかね?」
「三日間、ですか」
「ダメ司令官が、たった三日、席を外しても、
君が居れば問題ないだろう? それに、他の隊員達に感染しては、
それこそ島の安全を揺るがす問題に繋がりかねないからね?」
「そうですね。了解致しました。司令の業務は私が代行します」
「君には迷惑をかけて申し訳ないね。私の監督不行き届きだった。
学院関係者の体調不良は、全て私の責任だ。
司令官不在の間は、実質、君が司令官となる。
もちろん、君なら司令官以上に務めてくれるだろうね。
よろしく頼むよ、クロイツ司令官?」
「もちろん、博士に言われずとも解っています。
司令が不在でも組織に支障がないよう、私が存在しているのですから」
「そうだね」
「それに、私は、司令の体調不良までが、博士の監督不行き届きとは思いません。
司令の身体は司令のものです。以前から気になっておりましたが、
まるで博士の所有物かのように言われるのは納得できかねます。
もし、本人以外に責任があるというのなら、副司令官である私にあると存じますが」
「すまない。部外者が出すぎたことを言ってしまったね」
「いえ。お話は以上でしょうか」
「ああ」
「それでは私はこれで。失礼致します」
ソクーロフは受話器を置いて、一人ほくそ笑む。
「部外者の態度に対する不快感と、
司令官の不調に気付けなかった己に対する憤り、か」
出会った当初は、不真面目で大雑把な司令官との相性が悪かったようだが、
月日を重ねるうちに、彼を司令官として認めるようになったか、
とソクーロフは思った。そして、置いた受話器を再び持ち上げた。
「ドーム・シェフですか? ソクーロフです。おはようございます」
医師が電話した先は第三学生寮のキッチンだった。
「実は、シェフに頼みたいことがあるのですが」
→
■ソクーロフに看病されちゃった6 続編
窓の向こうは真っ暗だ。辺りではここだけ明かりが付いている。
真夜中の保健室で、医師は司令官の診察を終えた。
ちなみに耳式体温計で計ったところ、司令官の熱は38.6度。
先程、医師が宣言した数値と全く同じだった。
医師は聴診器を外し、患者に合った薬を選び始める。
「ねー、俺、ホントに保健室でお泊まりするのー?」
診察用の椅子に座っている患者が問いかける。
「ああ。何か問題でも?」
「やだよー。だって夜は時々お化け出るんでしょ、このガッコ」
「それがどうした?」
「否定しないのかよ!」
「今宵は私も保健室に泊まる。何が不服だ?」
「ソクちゃんとお泊まりなんて余計コワイよー」
「私はお化け以上か」
「うちに帰してよー。ちゃんと大人しく寝るからー」
患者はいつのまにか医師の背後に立っていた。
「そのお薬だけちょーだい?」
背後から手を伸ばし、医師の手から薬を抜き取ろうとした。
それに気付いた医師は、薬を持った手を握り、ひらりとかわす。
「ちぇー」
「二階のベッドルームに行くぞ」
「えー。一階で良いよ、いつものベッドで」
医師はフッと笑う。
「な、何よ」
「私の姿が見えないと不安、か?」
「そ、そーゆーわけじゃ……わざわざ移動するのが、
ヤなだけで……じ、自信過剰なんじゃないの!?」
「仕方あるまい。今夜はそのベッドで眠ることを許そう」
「いつも以上に高圧的だな……」
「煩い」
ドン、と右手で押され、ベッドに倒れ込んだ。
「イッタ。もう乱暴だなあ。病人を扱うなら、もっと優しくしてよ、お医者さん!」
「病人らしく振る舞っていなかったのは、お前だろう」
病人は言葉に詰まる。
「あれだけの熱があって、よくあの大勢との立ち回りを演じられたものだな」
「そーだよ。俺はいつもと同じだったし、他の皆にはバレなかったのに」
はあ、と吐いた息は、やっと病人らしい熱い息だった。
「どーして、ソクちゃんにはバレちゃったのかなあ」
医師は窓のほうを見ながら、
「数日前、ミハイルをタクシーに乗せただろう?」
「え、うん」
「その後、ミハイルは風邪を引いて、熱を出した」
「えっ!? そーだったの!?」
「おそらくその時から、お前の身体にはウイルスが潜伏していたんだろう。
しかし、抵抗力が高ければ、ここまで悪化しなかった筈だ。
お前、睡眠と栄養に気は配っていたのか?」
「ギクッ」
「手洗いもしていなかったな?」
「ギクギクッ」
「私の忠告を無視し、抵抗力が弱っていたお前は、
まんまと体調を崩したというわけだ。
だから言っただろう。手洗いは風邪予防の基本だと」
「だってー」
「だってじゃない」
ピシャリと言われて、アイヴィーは叱られた子供のようにしゅんとする。
「警備組織の司令官であるという前に、
一人の社会人として、体調管理は必要不可欠だ」
「ハイハイ。俺が悪かったですよ。スミマセンでした!」
「ああ。そうだ。お前が悪い。薬を飲んで、さっさと寝ろ。この役立たずが」
「ちょ、そこまで言う? なんなの今日は? なんでそんな機嫌悪いの?」
「聞こえなかったのか。早く寝ろ」
「わ、解ったよ。寝れば良いんでしょ、寝れば!」
アイヴィーは薬を水で流し込む。ベッドに入り、ぼそりと呟いた。
「……こんな時くらいは優しくしてくれてもいーのに……ソクちゃんのばかっ」
「何か言ったか?」
「言ってませんっ! おやすみっ!」
ガバッとブランケットを被った。
部屋がしんとなる。それから二人は一言も交わさなかった。
数分後には、静かな寝息がベッドのほうから聞こえてきた。
→
真夜中の保健室で、医師は司令官の診察を終えた。
ちなみに耳式体温計で計ったところ、司令官の熱は38.6度。
先程、医師が宣言した数値と全く同じだった。
医師は聴診器を外し、患者に合った薬を選び始める。
「ねー、俺、ホントに保健室でお泊まりするのー?」
診察用の椅子に座っている患者が問いかける。
「ああ。何か問題でも?」
「やだよー。だって夜は時々お化け出るんでしょ、このガッコ」
「それがどうした?」
「否定しないのかよ!」
「今宵は私も保健室に泊まる。何が不服だ?」
「ソクちゃんとお泊まりなんて余計コワイよー」
「私はお化け以上か」
「うちに帰してよー。ちゃんと大人しく寝るからー」
患者はいつのまにか医師の背後に立っていた。
「そのお薬だけちょーだい?」
背後から手を伸ばし、医師の手から薬を抜き取ろうとした。
それに気付いた医師は、薬を持った手を握り、ひらりとかわす。
「ちぇー」
「二階のベッドルームに行くぞ」
「えー。一階で良いよ、いつものベッドで」
医師はフッと笑う。
「な、何よ」
「私の姿が見えないと不安、か?」
「そ、そーゆーわけじゃ……わざわざ移動するのが、
ヤなだけで……じ、自信過剰なんじゃないの!?」
「仕方あるまい。今夜はそのベッドで眠ることを許そう」
「いつも以上に高圧的だな……」
「煩い」
ドン、と右手で押され、ベッドに倒れ込んだ。
「イッタ。もう乱暴だなあ。病人を扱うなら、もっと優しくしてよ、お医者さん!」
「病人らしく振る舞っていなかったのは、お前だろう」
病人は言葉に詰まる。
「あれだけの熱があって、よくあの大勢との立ち回りを演じられたものだな」
「そーだよ。俺はいつもと同じだったし、他の皆にはバレなかったのに」
はあ、と吐いた息は、やっと病人らしい熱い息だった。
「どーして、ソクちゃんにはバレちゃったのかなあ」
医師は窓のほうを見ながら、
「数日前、ミハイルをタクシーに乗せただろう?」
「え、うん」
「その後、ミハイルは風邪を引いて、熱を出した」
「えっ!? そーだったの!?」
「おそらくその時から、お前の身体にはウイルスが潜伏していたんだろう。
しかし、抵抗力が高ければ、ここまで悪化しなかった筈だ。
お前、睡眠と栄養に気は配っていたのか?」
「ギクッ」
「手洗いもしていなかったな?」
「ギクギクッ」
「私の忠告を無視し、抵抗力が弱っていたお前は、
まんまと体調を崩したというわけだ。
だから言っただろう。手洗いは風邪予防の基本だと」
「だってー」
「だってじゃない」
ピシャリと言われて、アイヴィーは叱られた子供のようにしゅんとする。
「警備組織の司令官であるという前に、
一人の社会人として、体調管理は必要不可欠だ」
「ハイハイ。俺が悪かったですよ。スミマセンでした!」
「ああ。そうだ。お前が悪い。薬を飲んで、さっさと寝ろ。この役立たずが」
「ちょ、そこまで言う? なんなの今日は? なんでそんな機嫌悪いの?」
「聞こえなかったのか。早く寝ろ」
「わ、解ったよ。寝れば良いんでしょ、寝れば!」
アイヴィーは薬を水で流し込む。ベッドに入り、ぼそりと呟いた。
「……こんな時くらいは優しくしてくれてもいーのに……ソクちゃんのばかっ」
「何か言ったか?」
「言ってませんっ! おやすみっ!」
ガバッとブランケットを被った。
部屋がしんとなる。それから二人は一言も交わさなかった。
数分後には、静かな寝息がベッドのほうから聞こえてきた。
→
■ソクーロフに看病されちゃった5 続編
捕らえた侵入者達が、追憶の塔に運ばれる。
今夜の侵入者は、難なく捕まえることができた。
数が多いだけで大したことはなくて良かった。
程なくして、追憶の塔に自白のプロフェッショナル、ソクーロフ博士が到着した。
侵入者に自白させる為だ。自白は、いつも通りスムーズに終わった。
自白のプロが仕事を終え、取調室、通称『懺悔室』から出てくる。
ソクーロフの仕事中、通常、アイヴィーは、マジックミラー越しに立ち会っている。
決して、司令官の義務ではない。
自白を行う場合、記録者は別に居るし、撮影もしている。
それなのに、司令官は何故かいつも見に来ていた。
しかし、今日は来ていなかった。どこに居るのか、と思えば、
中央司令室で、司令官らしく、事後処理の指示をしている彼の姿があった。
司令官がソクーロフに気付く。
「あ、もう終わったんだ? いつもありがとね、ソクちゃん」
司令官の顔を見た途端、医師の眉間に皺が寄った。
「おい」
「ん?」
「触らせろ」
司令官は一歩後ずさる。
「ちょ、アンタ、こんな所で何言っ」
医師が触れたのは、司令官の額だった。司令官は肩を落とす。
「なんだ……触らせろって、おデコかよ……」
医師は副司令官に言った。
「クロイツ。今夜の仕事は、大方、片が付いたかな?」
「ええ、おかげさまで。博士はお帰り頂いて構いません。
只今、お車を用意致します。お疲れ様でした」
「では、今夜はもう司令官が居なくても構わないかな?」
「司令が何か?」
「司令官は熱が38.6度程あるようなのでね。
保健室で引き取るよ。君達の迷惑にならないように」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
司令官が反論する。
「体温計じゃなくて、手で計っただけでしょ? そんなにないって」
「近年、私の手で計った場合、誤差が0.5度以上あったことはない」
「ミスター体温計かよ……」
「行くぞ」
「で、でも、まだお仕事終わってないしー、俺なら大丈夫だって」
「大丈夫かどうかは、私が決めることだ。来い」
「うわっ、ちょっ」
強引に腕を引かれ、引きずられるように退場していく。
「たーすけてー! クロちゃーん!」
「お休みのところ、お疲れ様でした、司令」
副司令官はいつもと変わらぬ挨拶で見送った。
司令官は何やらぎゃいぎゃい言いながら、博士に連行されていく。
その様子を、隊員達は苦笑したり、ぽかんとしながら見守っていた。
「あんなに元気そうなのになあ、司令。
さっきも、いつもみたいに侵入者をバッタバッタと倒してたし」
「そうですね」
一人の隊員が呟くと、傍に居た副司令は思わず相槌を打っていた。
隊員は、おそるおそる副司令に尋ねる。
「あの、副司令は、司令が調子悪そうに見えました?」
「いいえ。私は気が付きませんでした」
「ですよねえ」
「けれど、医師である彼が言うのならば、そうなのでしょう」
「ですよねえ」
「さあ、私達は仕事に戻りますよ」
はい、と隊員達は声を揃えた。
→
今夜の侵入者は、難なく捕まえることができた。
数が多いだけで大したことはなくて良かった。
程なくして、追憶の塔に自白のプロフェッショナル、ソクーロフ博士が到着した。
侵入者に自白させる為だ。自白は、いつも通りスムーズに終わった。
自白のプロが仕事を終え、取調室、通称『懺悔室』から出てくる。
ソクーロフの仕事中、通常、アイヴィーは、マジックミラー越しに立ち会っている。
決して、司令官の義務ではない。
自白を行う場合、記録者は別に居るし、撮影もしている。
それなのに、司令官は何故かいつも見に来ていた。
しかし、今日は来ていなかった。どこに居るのか、と思えば、
中央司令室で、司令官らしく、事後処理の指示をしている彼の姿があった。
司令官がソクーロフに気付く。
「あ、もう終わったんだ? いつもありがとね、ソクちゃん」
司令官の顔を見た途端、医師の眉間に皺が寄った。
「おい」
「ん?」
「触らせろ」
司令官は一歩後ずさる。
「ちょ、アンタ、こんな所で何言っ」
医師が触れたのは、司令官の額だった。司令官は肩を落とす。
「なんだ……触らせろって、おデコかよ……」
医師は副司令官に言った。
「クロイツ。今夜の仕事は、大方、片が付いたかな?」
「ええ、おかげさまで。博士はお帰り頂いて構いません。
只今、お車を用意致します。お疲れ様でした」
「では、今夜はもう司令官が居なくても構わないかな?」
「司令が何か?」
「司令官は熱が38.6度程あるようなのでね。
保健室で引き取るよ。君達の迷惑にならないように」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
司令官が反論する。
「体温計じゃなくて、手で計っただけでしょ? そんなにないって」
「近年、私の手で計った場合、誤差が0.5度以上あったことはない」
「ミスター体温計かよ……」
「行くぞ」
「で、でも、まだお仕事終わってないしー、俺なら大丈夫だって」
「大丈夫かどうかは、私が決めることだ。来い」
「うわっ、ちょっ」
強引に腕を引かれ、引きずられるように退場していく。
「たーすけてー! クロちゃーん!」
「お休みのところ、お疲れ様でした、司令」
副司令官はいつもと変わらぬ挨拶で見送った。
司令官は何やらぎゃいぎゃい言いながら、博士に連行されていく。
その様子を、隊員達は苦笑したり、ぽかんとしながら見守っていた。
「あんなに元気そうなのになあ、司令。
さっきも、いつもみたいに侵入者をバッタバッタと倒してたし」
「そうですね」
一人の隊員が呟くと、傍に居た副司令は思わず相槌を打っていた。
隊員は、おそるおそる副司令に尋ねる。
「あの、副司令は、司令が調子悪そうに見えました?」
「いいえ。私は気が付きませんでした」
「ですよねえ」
「けれど、医師である彼が言うのならば、そうなのでしょう」
「ですよねえ」
「さあ、私達は仕事に戻りますよ」
はい、と隊員達は声を揃えた。
→
■ソクーロフに看病されちゃった4 続編
休日。アイヴィーはどこにも出かけず、自宅に居る予定だった。
いつもより、ちょい遅めに起きる筈が、
今日はなかなかベッドから出られず、大分遅めに起きた。
「まあ、いいや。今日は一日ゆっくり……」
ピンポーンとドアチャイムが鳴った。遠慮なくピンポンピンポーンと続く。
「……してられないみてーだな」
諦めて起き上がる。インターホンのテレビカメラを見てみると、
こちらを覗きこんでいる、どアップの青い目が映って、
アイヴィーはビックリさせられた。相手がカメラから離れる。
そこに居たのはマージナルプリンスども。
デッドプリンスというバンドを組んでいる三人組だ。
青い目の人物は、世界的に有名な若きハリウッドスターだった。
「アイヴィー、居るんだろー? 開けてくれよー。腹減ったー」
スクリーンに映っていた彼は、紛れもなく大海原を駆ける海賊だったのに、
この小さいカメラに映るアルフレッド・ヴィスコンティは、
随分と子供染みたことを言うものだ。ダラダラした休日に終止符を打たれ、
文句のひとつでも言おうと思っていたのに、すっかり毒気が抜かれてしまった。
アルフレッドの隣に居る眼鏡の男は、申し訳なさそうにしているが、
手はお腹を押さえており、三人の中で一番空腹そうだった。
ハリウッドスターを押し退けて、長い髪の男が映る。
「マルゲリータひとつお願いしまーす!」
「俺はツナマヨピザー!」
反射的に、冷蔵庫の中身を思い浮かべた自分にがっかりしながら、
アイヴィーは通話ボタンを押す。
「うちはピザ屋じゃねーぞ」
結局、マージナルプリンスどものご注文通り、
ピザを食わせることになった。料理するようになってから、
つい買っちまったオーブンレンジが役に立ってしょうがない。
デッドプリンスが帰ったら、もう夕方になっていた。
どうせ、ゆっくり寝るくらいしか予定のない休日だったし、
あいつらが来たおかげで、煩いくらい賑やかな休日にはなったけど、
一人になった途端、どっと疲れた。ソファの上で横になる。
「メシ作るのって、こんなに疲れるモンだったっけ……」
たまたま、手の甲がおデコに触れた。いつもよりちょっと熱い気がする。
はあ、と吐いた溜め息も少し熱いような気がした。
ここ最近、やけに眠かったり、身体がだるかったりしたことに納得した。
「ま、今日は休みだし、寝れば治るでしょ」
今日こそソファでなく、ベッドで眠らなくちゃ、とは思うが、
身体が重くて、言うことを聞いてくれそうにない。
仕方ない。とにかく寝よう、と思った時、腕時計が赤く光った。
侵入者が来たことを知らせるアラートだ。
「こんな時にお客さんかよ……続く時は続くんだよなー」
赤い丸は5個点滅していた。
「しかも、ちょっと多いじゃねえか。しゃあない」
すると、先程までのだるさがウソのように消え、すっと身体は起き上がった。
「行きますか」
→
いつもより、ちょい遅めに起きる筈が、
今日はなかなかベッドから出られず、大分遅めに起きた。
「まあ、いいや。今日は一日ゆっくり……」
ピンポーンとドアチャイムが鳴った。遠慮なくピンポンピンポーンと続く。
「……してられないみてーだな」
諦めて起き上がる。インターホンのテレビカメラを見てみると、
こちらを覗きこんでいる、どアップの青い目が映って、
アイヴィーはビックリさせられた。相手がカメラから離れる。
そこに居たのはマージナルプリンスども。
デッドプリンスというバンドを組んでいる三人組だ。
青い目の人物は、世界的に有名な若きハリウッドスターだった。
「アイヴィー、居るんだろー? 開けてくれよー。腹減ったー」
スクリーンに映っていた彼は、紛れもなく大海原を駆ける海賊だったのに、
この小さいカメラに映るアルフレッド・ヴィスコンティは、
随分と子供染みたことを言うものだ。ダラダラした休日に終止符を打たれ、
文句のひとつでも言おうと思っていたのに、すっかり毒気が抜かれてしまった。
アルフレッドの隣に居る眼鏡の男は、申し訳なさそうにしているが、
手はお腹を押さえており、三人の中で一番空腹そうだった。
ハリウッドスターを押し退けて、長い髪の男が映る。
「マルゲリータひとつお願いしまーす!」
「俺はツナマヨピザー!」
反射的に、冷蔵庫の中身を思い浮かべた自分にがっかりしながら、
アイヴィーは通話ボタンを押す。
「うちはピザ屋じゃねーぞ」
結局、マージナルプリンスどものご注文通り、
ピザを食わせることになった。料理するようになってから、
つい買っちまったオーブンレンジが役に立ってしょうがない。
デッドプリンスが帰ったら、もう夕方になっていた。
どうせ、ゆっくり寝るくらいしか予定のない休日だったし、
あいつらが来たおかげで、煩いくらい賑やかな休日にはなったけど、
一人になった途端、どっと疲れた。ソファの上で横になる。
「メシ作るのって、こんなに疲れるモンだったっけ……」
たまたま、手の甲がおデコに触れた。いつもよりちょっと熱い気がする。
はあ、と吐いた溜め息も少し熱いような気がした。
ここ最近、やけに眠かったり、身体がだるかったりしたことに納得した。
「ま、今日は休みだし、寝れば治るでしょ」
今日こそソファでなく、ベッドで眠らなくちゃ、とは思うが、
身体が重くて、言うことを聞いてくれそうにない。
仕方ない。とにかく寝よう、と思った時、腕時計が赤く光った。
侵入者が来たことを知らせるアラートだ。
「こんな時にお客さんかよ……続く時は続くんだよなー」
赤い丸は5個点滅していた。
「しかも、ちょっと多いじゃねえか。しゃあない」
すると、先程までのだるさがウソのように消え、すっと身体は起き上がった。
「行きますか」
→
■ソクーロフに看病されちゃった3 続編
同日、聖アルフォンソ島の旧市街。
ロレート公国の側近は、ジョシュア殿下に手紙を渡し終えたあと、この街に来ていた。
国王陛下からのご命令「誘惑の代償を買ってこい」を果たす為だ。
思いの外、解り易かった地図のおかげで、店には無事に辿り着き、
目当ての『誘惑の代償』と呼ばれるアップルパイを買い求めることができた。
親切な店主のご婦人のご厚意で、ロレートまで配送して貰えることとなった。
あとは帰るだけである。地図に『近道』と描かれた路地裏に入る。
数歩、歩いたところで、目の前が真っ暗になった。意識を失ったのではない。
両目を手で塞がれた。その相手は、愉快そうにこう言った。
「だ~れだ?」
「誰だ!?」
「聞いてんのはコッチだろ? ラルちゃんはドMの上に天然なのか?」
耳障りな低いしゃがれ声。親しい間柄ではないのに馴れ馴れしく乱雑な口調。
そして、強いイタリア訛り。側近はこの声の主が解った。
国と島を行き来する間に、知り合ってしまった人物。
ジョシュア殿下のご友人であるサン・ジェルマン様が、
あろうことかボディーガートとして雇っているというマフィア。
「お前……まさか、マンゾーニ?」
「あた~り~」
目から手が離れた。しかし、すぐに背後から羽交い締めにされる。
「声だけで解るなんて、ディーノ、カンゲキ~なんつって」
マフィアに後ろからぎゅうっと抱き締められる。
「ん? ラルちゃんの首筋、甘い匂いすんなあ」
「貴様っ! ふざけるのも大概にしろ!」
側近は空いているほうの腕を使い、肘でマフィアの腹を強く押した。
マフィア笑いながら、腹を押さえる。
「イテテッ。キレーなツラして乱暴だなあ、ラルちゃんは」
拘束を解かれた。側近は振り向いて、すぐに距離を取った。
長身の男が立っていた。立っているだけで迫力がある。
顔のパーツはどれも自己主張が強く、緩い波のある長い髪は闇夜と同じ色。
陛下も長い髪と口髭をお持ちだが、この男には加えて顎髭まであった。
シチリアマフィアの中でも残虐だというマンゾーニ家の次期ボス、ディーノ・マンゾーニ。
マフィアは改めてフランクに挨拶した。
「よっ。ラルちゃん。久し振り~」
「貴様、また島に不法に侵入して、
アイヴィー様のお手を煩わせているのではあるまいな」
「は~ずれ~。今日はちゃ~んとアポとってから来てんだぜ? ほれ」
一枚の紙を見せられる。
「入島許可証……今回は正式な来訪なのか?」
「そ。うちのクソガキに呼ばれて、来てやったってわけ」
「サン・ジェルマン様のことか」
「ああ。ガキのおもりは大変だよなー、お互い」
「そうか。ならば」
ロレート公国の側近はマフィアに頭を下げた。
「疑って悪かった」
「おいおい」
あまりにも潔い礼で、マフィアさえ驚かせた。
「頭上げろよ、ラルちゃん。アンタ、馬鹿正直過ぎるぜ」
そう言われて、側近はゆっくり顔を上げる。
「けど、ラルちゃんのそういうトコ、俺はキライじゃないぜ?」
マフィアの浅黒い手が真っ白な顎を捕らえる。
「こんな近くで見ても金髪美人だなあ、ラルちゃんは。
味見したくなっちまうぜ、そのドM顔見てっとよお」
「何を言っ」
クイと顎を持ち上げる。
「俺達、ぜってぇ相性イイと思うんだよ。ラルちゃんもホントはそう思ってんだろ?」
「誰がマフィアなどと」
「あれえ? ラルちゃん、手、離せって言わねえの?」
「離せ」
「離さな~い。だって、ラルちゃんは無理矢理されんのがスキなんだろ?」
街で生徒を降ろしたタクシードライバーのアイヴィーは、
おかしな人影を目にした。
「ん? なんだ、あの二人。喧嘩か?」
路地裏に連れ込まれたかのように見える。
金髪の人が黒髪の男に追い詰められている。
「あの金髪美人さんと、あの真っ黒アゴヒゲは……まさか!」
司令官は二人の元に走っていった。
傍まで近付いてみると、やはり見知った二人だった。
「ディーノ! おまっ、ラルちゃんに何してんだ!?」
「ああ? ンな野暮なこと聞くなよ」
「あああ!? バカかてめえ! ラルちゃんに手ぇ出したら、
下手すっと国際問題に発展すんぞ!」
「ンな気が短ぇ王様に仕えてんのかあ? んなオトコ捨てて、
俺に仕えろよ。好きなだけ仕えさせてやるぜえ? ヘッヘッヘッ」
「てゆうか、お前はまた不法侵入してんじゃねえよ!」
「あっ、いえ、違うのです、アイヴィー様」
「えー!? ラルちゃんがディーノの味方したー!?」
「違います! そうではなく、本日は許可証を持っているのです」
「ディーノが?」
「フン。許可証が目に入らぬか~!」
司令官はその紙を凝視した。
「こんなの俺はサインしてねえぞ! 許可証を偽造してんじゃねえよ!」
「偽造ですって!?」
「チッ。もうバレんのかよー。つまんねえなあ。
ったくフィオの奴、おまもり代わりだっつって持たせたくせに、
ラルちゃんにしか効果ねーじゃねーかよ」
「当たり前だっ! それは俺がチェックして発行してんだよ!」
「へえー。あ、そうー。そんなことより、ラルちゃん。
俺、イイ店知ってんだけど、そこでアイスクリームでも、
食べさせてやっか? 白くてトロトロのヤツ」
「コラコラコラー! 今日こそ捕まえてやるっ!」
「捕まえられるモンなら、捕まえてごら~んってか」
その後、司令官はマフィアを追いかけ回した。
土地勘は絶対にこちらのほうがある筈なのに。
「クソ……また逃げられた……」
マフィアの乗った船が遠くなっていく。
捕まらないプロフェッショナルを捕らえることはできなかった。
司令官は海辺で一人立っている。
両膝に手を置き、ゼエゼエしながら、船を眺めていた。
招かれざる客ではあるが、あのマフィアは、島内で悪さをしたことはない。
むしろ、マージナルプリンスであるアンリを守る為に、この島に来ているのだ。
きちんと許可を取って、正々堂々と島に来るなら、
あまり認めたくはないが、本当はマージナルプリンスを守る者同士なのだ。
しかし、あの濃い顔は、無許可で堂々とやってくる。
本気であいつを捕まえるなら、警備組織の仲間を呼べば良いのに、
結局そうしなかったし、あいつが来たことを報告するつもりもない自分。
何にも縛られず、好き勝手にしているあいつを、何故、毎回自分は放っておくのか。
「にしても、おいかけっこって、こんな疲れるもんだったっけ」
司令官は額の汗を手の甲で拭う。この程度でバテるとは情けない。
これが年をとったってことなのだろうか。まだお兄さんのつもりなのに。
「ま、明日は仕事休みだし、家でのんびりするか……」
→
ロレート公国の側近は、ジョシュア殿下に手紙を渡し終えたあと、この街に来ていた。
国王陛下からのご命令「誘惑の代償を買ってこい」を果たす為だ。
思いの外、解り易かった地図のおかげで、店には無事に辿り着き、
目当ての『誘惑の代償』と呼ばれるアップルパイを買い求めることができた。
親切な店主のご婦人のご厚意で、ロレートまで配送して貰えることとなった。
あとは帰るだけである。地図に『近道』と描かれた路地裏に入る。
数歩、歩いたところで、目の前が真っ暗になった。意識を失ったのではない。
両目を手で塞がれた。その相手は、愉快そうにこう言った。
「だ~れだ?」
「誰だ!?」
「聞いてんのはコッチだろ? ラルちゃんはドMの上に天然なのか?」
耳障りな低いしゃがれ声。親しい間柄ではないのに馴れ馴れしく乱雑な口調。
そして、強いイタリア訛り。側近はこの声の主が解った。
国と島を行き来する間に、知り合ってしまった人物。
ジョシュア殿下のご友人であるサン・ジェルマン様が、
あろうことかボディーガートとして雇っているというマフィア。
「お前……まさか、マンゾーニ?」
「あた~り~」
目から手が離れた。しかし、すぐに背後から羽交い締めにされる。
「声だけで解るなんて、ディーノ、カンゲキ~なんつって」
マフィアに後ろからぎゅうっと抱き締められる。
「ん? ラルちゃんの首筋、甘い匂いすんなあ」
「貴様っ! ふざけるのも大概にしろ!」
側近は空いているほうの腕を使い、肘でマフィアの腹を強く押した。
マフィア笑いながら、腹を押さえる。
「イテテッ。キレーなツラして乱暴だなあ、ラルちゃんは」
拘束を解かれた。側近は振り向いて、すぐに距離を取った。
長身の男が立っていた。立っているだけで迫力がある。
顔のパーツはどれも自己主張が強く、緩い波のある長い髪は闇夜と同じ色。
陛下も長い髪と口髭をお持ちだが、この男には加えて顎髭まであった。
シチリアマフィアの中でも残虐だというマンゾーニ家の次期ボス、ディーノ・マンゾーニ。
マフィアは改めてフランクに挨拶した。
「よっ。ラルちゃん。久し振り~」
「貴様、また島に不法に侵入して、
アイヴィー様のお手を煩わせているのではあるまいな」
「は~ずれ~。今日はちゃ~んとアポとってから来てんだぜ? ほれ」
一枚の紙を見せられる。
「入島許可証……今回は正式な来訪なのか?」
「そ。うちのクソガキに呼ばれて、来てやったってわけ」
「サン・ジェルマン様のことか」
「ああ。ガキのおもりは大変だよなー、お互い」
「そうか。ならば」
ロレート公国の側近はマフィアに頭を下げた。
「疑って悪かった」
「おいおい」
あまりにも潔い礼で、マフィアさえ驚かせた。
「頭上げろよ、ラルちゃん。アンタ、馬鹿正直過ぎるぜ」
そう言われて、側近はゆっくり顔を上げる。
「けど、ラルちゃんのそういうトコ、俺はキライじゃないぜ?」
マフィアの浅黒い手が真っ白な顎を捕らえる。
「こんな近くで見ても金髪美人だなあ、ラルちゃんは。
味見したくなっちまうぜ、そのドM顔見てっとよお」
「何を言っ」
クイと顎を持ち上げる。
「俺達、ぜってぇ相性イイと思うんだよ。ラルちゃんもホントはそう思ってんだろ?」
「誰がマフィアなどと」
「あれえ? ラルちゃん、手、離せって言わねえの?」
「離せ」
「離さな~い。だって、ラルちゃんは無理矢理されんのがスキなんだろ?」
街で生徒を降ろしたタクシードライバーのアイヴィーは、
おかしな人影を目にした。
「ん? なんだ、あの二人。喧嘩か?」
路地裏に連れ込まれたかのように見える。
金髪の人が黒髪の男に追い詰められている。
「あの金髪美人さんと、あの真っ黒アゴヒゲは……まさか!」
司令官は二人の元に走っていった。
傍まで近付いてみると、やはり見知った二人だった。
「ディーノ! おまっ、ラルちゃんに何してんだ!?」
「ああ? ンな野暮なこと聞くなよ」
「あああ!? バカかてめえ! ラルちゃんに手ぇ出したら、
下手すっと国際問題に発展すんぞ!」
「ンな気が短ぇ王様に仕えてんのかあ? んなオトコ捨てて、
俺に仕えろよ。好きなだけ仕えさせてやるぜえ? ヘッヘッヘッ」
「てゆうか、お前はまた不法侵入してんじゃねえよ!」
「あっ、いえ、違うのです、アイヴィー様」
「えー!? ラルちゃんがディーノの味方したー!?」
「違います! そうではなく、本日は許可証を持っているのです」
「ディーノが?」
「フン。許可証が目に入らぬか~!」
司令官はその紙を凝視した。
「こんなの俺はサインしてねえぞ! 許可証を偽造してんじゃねえよ!」
「偽造ですって!?」
「チッ。もうバレんのかよー。つまんねえなあ。
ったくフィオの奴、おまもり代わりだっつって持たせたくせに、
ラルちゃんにしか効果ねーじゃねーかよ」
「当たり前だっ! それは俺がチェックして発行してんだよ!」
「へえー。あ、そうー。そんなことより、ラルちゃん。
俺、イイ店知ってんだけど、そこでアイスクリームでも、
食べさせてやっか? 白くてトロトロのヤツ」
「コラコラコラー! 今日こそ捕まえてやるっ!」
「捕まえられるモンなら、捕まえてごら~んってか」
その後、司令官はマフィアを追いかけ回した。
土地勘は絶対にこちらのほうがある筈なのに。
「クソ……また逃げられた……」
マフィアの乗った船が遠くなっていく。
捕まらないプロフェッショナルを捕らえることはできなかった。
司令官は海辺で一人立っている。
両膝に手を置き、ゼエゼエしながら、船を眺めていた。
招かれざる客ではあるが、あのマフィアは、島内で悪さをしたことはない。
むしろ、マージナルプリンスであるアンリを守る為に、この島に来ているのだ。
きちんと許可を取って、正々堂々と島に来るなら、
あまり認めたくはないが、本当はマージナルプリンスを守る者同士なのだ。
しかし、あの濃い顔は、無許可で堂々とやってくる。
本気であいつを捕まえるなら、警備組織の仲間を呼べば良いのに、
結局そうしなかったし、あいつが来たことを報告するつもりもない自分。
何にも縛られず、好き勝手にしているあいつを、何故、毎回自分は放っておくのか。
「にしても、おいかけっこって、こんな疲れるもんだったっけ」
司令官は額の汗を手の甲で拭う。この程度でバテるとは情けない。
これが年をとったってことなのだろうか。まだお兄さんのつもりなのに。
「ま、明日は仕事休みだし、家でのんびりするか……」
→
■ソクーロフに看病されちゃった2 続編
翌朝。聖アルフォンソ学院、正門前。
そこに、一人の男性が到着した。
金色のショートヘアに、男とは思えない程の美しく整った顔。
グレイを基調とした軍服を生真面目に着用した人物。
名はラルヴィス・レイナ。ロレート公国国王の側近だ。
学院の生徒代表を務めるジョシュアが、ロレートの王子様になることを決めた為、
以来、側近は、国王からの使いとして、度々、島に訪れている。
当初は、彼が危険人物でないかチェックする為に司令官自ら出迎えていたのだが。
当然、危険人物などではなく、安心して来訪を歓迎できる人物だった。
挨拶を交わすうち、司令官は彼の人となりも知った。
礼儀正しく、真面目で、主である陛下に忠実。
それに、どこか、自分に近い匂いも感じる人だった。
「今日も時間ピッタリだね、ラルちゃん」
「アイヴィー様。おはようございます」
美しい礼をする人だ。
「おはよ。これから、ジョシュアに会いに行くとこかな?」
「はい。本日は殿下に陛下からのお手紙をお届けに参りました」
「遠い国から手渡しで。大変だねえ、ラルちゃんも」
「いえ。それに本日は別件もございますので」
「別件?」
「ええ。実は、陛下が『ついでに誘惑の代償を買ってこい』と」
「王様が? え、でも、誘惑の代償ってアップルパイでしょ? 王様、好きなの?」
「そこまでは伺っておりません。久し振りに食べたくなった、と仰っていましたが」
「うーん。でも、誘惑の代償は、島だけの独自メニューでもないし、
他の国で売ってるアップルパイと特に変わらなかったと思うけどなあ」
「えっ。そうなのですか? 陛下は島独自のレシピで作られた物だと、
仰っていたのですが……そうですか。また陛下は私をおからかいになったのですね」
「あ、いやいや。俺が知らないだけで、ホントは特別なレシピなのかもしれないよ!」
「お気遣い痛み入ります。ですが、あの時の陛下は妙に楽しげでいらっしゃったので、
お戯れだったと考えるほうが納得がいきますね。
どちらにせよ、陛下からのご命令ですので、購入してから帰国致しますが」
「そ、そっか。あ、売ってる場所とか解る? 俺、案内しよっか?」
「場所は陛下から伺っておりますので、問題ないかと存じますが、
そうですね。陛下のご記憶は、18年前のものですので、
アイヴィー様に一度ご確認して頂いてもよろしいでしょうか?」
「うん」
「ありがとうございます。こちらが陛下がお描きになった地図でございます」
側近が差し出した紙は、便箋の裏だった。
紋章から察するに、ロレート公国大公家の便箋であることには間違いなく。
超ロイヤルな便箋を、チラシの裏のように扱うとは。
おそらく一番手近な場所にあった紙がこれだったのだろうが、
何かと大胆な王様だなとアイヴィーは思った。
紙はさておき、おそらく羽ペンで描かれた地図に目を通すと、
大雑把ではあるが実に簡潔で解り易い地図だった。
目立つ建物はしっかり捉えているし、18年前と街並みも変わっていない。
この地図ならば街に慣れていない側近でも確実に店まで辿り着けるだろう。
この島にアップルパイが売っている店は複数あるが、
中でも一番地図に描き易く、場所が解り易い店が選ばれているような気がした。
学生時代の王様は、島の店に随分詳しかったようだ。
それに、未だに島の地図が描けるとは、大した記憶力だ。
「すごいなあ、王様。これなら大丈夫だよ、ラルちゃん」
「18年前と変わっていませんか?」
「うん。この辺はね。旧市街だから。
新しい建物は作らないで、古いまま保存しておく地区なんだ」
「左様でございましたか」
「このお店は老舗のケーキ屋さんだよ。何買ってもウマイって評判」
「安心致しました。ご確認頂き、ありがとうございます」
「あ、確か、その店、イートインもできる筈だから、なんかケーキ食べていったら?」
「そんな。せっかくのご提案ですが、仕事中ですので」
「はははっ。言うと思った。ラルちゃんってホント真面目だよねー」
「アイヴィー様も私をおからかいになるのですか」
「ゴメン、ゴメン」
なんだか王様の気持ちが解ったような気がするとは、とても言えなかった。
「司令……司令!」
大きな声で呼ばれ、司令官の肩がビクリと跳ねる。
ここは警備組織の中央司令室。
今日の司令官はどうも気が散っていた。
ぼうっと今朝の出来事を思い返していたら、副司令官の声に気付くのが遅れた。
「あ、ごめん。聞いてなかった。なあに?」
副司令官のクロイツは厳しい視線を投げた。
「ネクタイ、きちんと結んで下さい、と言ったんです」
司令官の首許にだらしなくぶら下がっているネクタイを、
副司令官は襟まで引き上げた。
「理事とのミーティング時くらいは、身なりを正して下さい。失礼です」
「わ、解った、解ったから、そんなに苦しくしないでっ」
副司令官は手を離す。
「もー。クロちゃんは厳しいなー」
そう言いながら、司令官はネクタイを少しだけ緩める。
「司令」
「んー?」
「ネクタイをきちんと結ばないのは、ただ貴方がだらしがないからでしょうか?
それとも、何か特別な理由でもあるのですか?」
「理由なんてないよ。首の周りキツイのがヤなだけ。
それじゃー、ミーティング、行ってきまーす」
「司令」
「はい?」
「ミーティング後には、司令のタクシーにご予約が入っております。お忘れなく」
「はーい」
司令官は片手を挙げて、ミーティングルームへ向かった。
→
そこに、一人の男性が到着した。
金色のショートヘアに、男とは思えない程の美しく整った顔。
グレイを基調とした軍服を生真面目に着用した人物。
名はラルヴィス・レイナ。ロレート公国国王の側近だ。
学院の生徒代表を務めるジョシュアが、ロレートの王子様になることを決めた為、
以来、側近は、国王からの使いとして、度々、島に訪れている。
当初は、彼が危険人物でないかチェックする為に司令官自ら出迎えていたのだが。
当然、危険人物などではなく、安心して来訪を歓迎できる人物だった。
挨拶を交わすうち、司令官は彼の人となりも知った。
礼儀正しく、真面目で、主である陛下に忠実。
それに、どこか、自分に近い匂いも感じる人だった。
「今日も時間ピッタリだね、ラルちゃん」
「アイヴィー様。おはようございます」
美しい礼をする人だ。
「おはよ。これから、ジョシュアに会いに行くとこかな?」
「はい。本日は殿下に陛下からのお手紙をお届けに参りました」
「遠い国から手渡しで。大変だねえ、ラルちゃんも」
「いえ。それに本日は別件もございますので」
「別件?」
「ええ。実は、陛下が『ついでに誘惑の代償を買ってこい』と」
「王様が? え、でも、誘惑の代償ってアップルパイでしょ? 王様、好きなの?」
「そこまでは伺っておりません。久し振りに食べたくなった、と仰っていましたが」
「うーん。でも、誘惑の代償は、島だけの独自メニューでもないし、
他の国で売ってるアップルパイと特に変わらなかったと思うけどなあ」
「えっ。そうなのですか? 陛下は島独自のレシピで作られた物だと、
仰っていたのですが……そうですか。また陛下は私をおからかいになったのですね」
「あ、いやいや。俺が知らないだけで、ホントは特別なレシピなのかもしれないよ!」
「お気遣い痛み入ります。ですが、あの時の陛下は妙に楽しげでいらっしゃったので、
お戯れだったと考えるほうが納得がいきますね。
どちらにせよ、陛下からのご命令ですので、購入してから帰国致しますが」
「そ、そっか。あ、売ってる場所とか解る? 俺、案内しよっか?」
「場所は陛下から伺っておりますので、問題ないかと存じますが、
そうですね。陛下のご記憶は、18年前のものですので、
アイヴィー様に一度ご確認して頂いてもよろしいでしょうか?」
「うん」
「ありがとうございます。こちらが陛下がお描きになった地図でございます」
側近が差し出した紙は、便箋の裏だった。
紋章から察するに、ロレート公国大公家の便箋であることには間違いなく。
超ロイヤルな便箋を、チラシの裏のように扱うとは。
おそらく一番手近な場所にあった紙がこれだったのだろうが、
何かと大胆な王様だなとアイヴィーは思った。
紙はさておき、おそらく羽ペンで描かれた地図に目を通すと、
大雑把ではあるが実に簡潔で解り易い地図だった。
目立つ建物はしっかり捉えているし、18年前と街並みも変わっていない。
この地図ならば街に慣れていない側近でも確実に店まで辿り着けるだろう。
この島にアップルパイが売っている店は複数あるが、
中でも一番地図に描き易く、場所が解り易い店が選ばれているような気がした。
学生時代の王様は、島の店に随分詳しかったようだ。
それに、未だに島の地図が描けるとは、大した記憶力だ。
「すごいなあ、王様。これなら大丈夫だよ、ラルちゃん」
「18年前と変わっていませんか?」
「うん。この辺はね。旧市街だから。
新しい建物は作らないで、古いまま保存しておく地区なんだ」
「左様でございましたか」
「このお店は老舗のケーキ屋さんだよ。何買ってもウマイって評判」
「安心致しました。ご確認頂き、ありがとうございます」
「あ、確か、その店、イートインもできる筈だから、なんかケーキ食べていったら?」
「そんな。せっかくのご提案ですが、仕事中ですので」
「はははっ。言うと思った。ラルちゃんってホント真面目だよねー」
「アイヴィー様も私をおからかいになるのですか」
「ゴメン、ゴメン」
なんだか王様の気持ちが解ったような気がするとは、とても言えなかった。
「司令……司令!」
大きな声で呼ばれ、司令官の肩がビクリと跳ねる。
ここは警備組織の中央司令室。
今日の司令官はどうも気が散っていた。
ぼうっと今朝の出来事を思い返していたら、副司令官の声に気付くのが遅れた。
「あ、ごめん。聞いてなかった。なあに?」
副司令官のクロイツは厳しい視線を投げた。
「ネクタイ、きちんと結んで下さい、と言ったんです」
司令官の首許にだらしなくぶら下がっているネクタイを、
副司令官は襟まで引き上げた。
「理事とのミーティング時くらいは、身なりを正して下さい。失礼です」
「わ、解った、解ったから、そんなに苦しくしないでっ」
副司令官は手を離す。
「もー。クロちゃんは厳しいなー」
そう言いながら、司令官はネクタイを少しだけ緩める。
「司令」
「んー?」
「ネクタイをきちんと結ばないのは、ただ貴方がだらしがないからでしょうか?
それとも、何か特別な理由でもあるのですか?」
「理由なんてないよ。首の周りキツイのがヤなだけ。
それじゃー、ミーティング、行ってきまーす」
「司令」
「はい?」
「ミーティング後には、司令のタクシーにご予約が入っております。お忘れなく」
「はーい」
司令官は片手を挙げて、ミーティングルームへ向かった。
→
■ソクーロフに看病されちゃった1 続編
淡いピンクのスリットから白い脚が覗いている。
チャイナドレスを着た店員が、テーブルの前を通り過ぎた。
「結局、中華にしたのか」
「あ、うん」
アイヴィーはソクーロフに向き直る。二人はテーブルを挟んで座っていた。
壁には中華風の灯籠。ぽうっとオレンジ色に灯っている。
「今日はなんかギョーザ食べたいなーと思って。あ、来た来たっ」
皿がテーブルに置かれる。できたての餃子はツヤツヤしていた。
アイヴィーはフォークで刺して、タレに付け、口に運んだ。
「ウマイ。でも、今日はもうチューできないね」
「する相手が居ないだろう、お前は」
「それはソクちゃんもでしょ」
アイヴィーは、もうひとつ餃子を口に運ぶ。
「んまい、んまい」
ソクーロフは餃子の皿には手を付けず、
中華クラゲのサラダをつまみながら、グラスに口付けていた。
店内には、中華料理屋らしい曲がゆったりと流れている。
アイヴィーは欠伸を噛み殺したのを見て、ソクーロフが言った。
「今日は、昼間から随分眠そうにしているな」
「あ、そう?」
「寝ていないのか?」
「いやー、そんなことないと思うけど」
「お前も体調管理は義務だろう。睡眠と栄養には気を配れ。
今は風邪が流行る時期なのだから、手洗いは確実に行えよ」
「手洗いって」
アイヴィーは笑いながら、餃子をタレに付ける。
「俺、小学生じゃないんだよ?」
パクッと半分、口に入れる。ここの餃子は皮がもっちりしている。
「手洗いは風邪予防の基本だ。バカにはできないぞ」
「ま、お医者さんがそう言うんなら、そうなんだろーけどねー」
残りの半分からジューシーな肉汁が零れている。もう一度タレに付けて口に入れた。
頼んだ皿を全部空にした頃、アイヴィーが目に見えて、うとうとし始めた。
その向かいで、細い煙がリボンのように昇っていく。
ソクーロフは暫くの間、ゆっくりと紫煙を吹かしながら、彼の様子を見守っていた。
店内に流れる二胡に合わせているかのように、アイヴィーの頭が揺れていた。
アイヴィーの頭がガクッと大きく揺れた時、ソクーロフは灰皿に煙草を押し付けた。
「引き上げるぞ」
「え、なに、なに?」
「帰る」
ひらりと黒いロングコートを翻す。
「あ、待って、待って」
もたもたしながら、その黒い背中を追いかけた。
帰宅したアイヴィーは、どかっとソファに座った。
お客さん次第の不規則なお仕事だからか、
例え一睡もしてなくても身体は動いてくれるようになってた。
防衛本能ってやつかもしれない。
仕事中、睡魔に負けてたら二度と目を覚まさなくなるかもしれないから。
眠たかったら、時間が空いた時に、一、二時間眠れればそれで事足りる。
その筈なのに、今日はなんだかとっても眠たくて。
ベッドまで移動することさえ面倒なくらいだ。
今日はこのままソファで寝てしまおうか。
先程聞いたお医者様からの『お言い付け』が思い出される。
アイヴィーは、洗っていない手を眺めながら、ソファで横になる。
「ま。いっか。おやすみー」
→
チャイナドレスを着た店員が、テーブルの前を通り過ぎた。
「結局、中華にしたのか」
「あ、うん」
アイヴィーはソクーロフに向き直る。二人はテーブルを挟んで座っていた。
壁には中華風の灯籠。ぽうっとオレンジ色に灯っている。
「今日はなんかギョーザ食べたいなーと思って。あ、来た来たっ」
皿がテーブルに置かれる。できたての餃子はツヤツヤしていた。
アイヴィーはフォークで刺して、タレに付け、口に運んだ。
「ウマイ。でも、今日はもうチューできないね」
「する相手が居ないだろう、お前は」
「それはソクちゃんもでしょ」
アイヴィーは、もうひとつ餃子を口に運ぶ。
「んまい、んまい」
ソクーロフは餃子の皿には手を付けず、
中華クラゲのサラダをつまみながら、グラスに口付けていた。
店内には、中華料理屋らしい曲がゆったりと流れている。
アイヴィーは欠伸を噛み殺したのを見て、ソクーロフが言った。
「今日は、昼間から随分眠そうにしているな」
「あ、そう?」
「寝ていないのか?」
「いやー、そんなことないと思うけど」
「お前も体調管理は義務だろう。睡眠と栄養には気を配れ。
今は風邪が流行る時期なのだから、手洗いは確実に行えよ」
「手洗いって」
アイヴィーは笑いながら、餃子をタレに付ける。
「俺、小学生じゃないんだよ?」
パクッと半分、口に入れる。ここの餃子は皮がもっちりしている。
「手洗いは風邪予防の基本だ。バカにはできないぞ」
「ま、お医者さんがそう言うんなら、そうなんだろーけどねー」
残りの半分からジューシーな肉汁が零れている。もう一度タレに付けて口に入れた。
頼んだ皿を全部空にした頃、アイヴィーが目に見えて、うとうとし始めた。
その向かいで、細い煙がリボンのように昇っていく。
ソクーロフは暫くの間、ゆっくりと紫煙を吹かしながら、彼の様子を見守っていた。
店内に流れる二胡に合わせているかのように、アイヴィーの頭が揺れていた。
アイヴィーの頭がガクッと大きく揺れた時、ソクーロフは灰皿に煙草を押し付けた。
「引き上げるぞ」
「え、なに、なに?」
「帰る」
ひらりと黒いロングコートを翻す。
「あ、待って、待って」
もたもたしながら、その黒い背中を追いかけた。
帰宅したアイヴィーは、どかっとソファに座った。
お客さん次第の不規則なお仕事だからか、
例え一睡もしてなくても身体は動いてくれるようになってた。
防衛本能ってやつかもしれない。
仕事中、睡魔に負けてたら二度と目を覚まさなくなるかもしれないから。
眠たかったら、時間が空いた時に、一、二時間眠れればそれで事足りる。
その筈なのに、今日はなんだかとっても眠たくて。
ベッドまで移動することさえ面倒なくらいだ。
今日はこのままソファで寝てしまおうか。
先程聞いたお医者様からの『お言い付け』が思い出される。
アイヴィーは、洗っていない手を眺めながら、ソファで横になる。
「ま。いっか。おやすみー」
→
■ソクーロフ×アイヴィー
「ほい、ガッコに、とうちゃーく」
聖アルフォンソ学院、正門前に一台のタクシーが停まった。
今年入学した高校一年生が、元気な声でお礼を言う。
「ありがとう、アイヴィーさん!」
「ありが、ありがとうございましたっ」
少女のような金色の柔らかい髪が、ふわりと揺れる。
こちらの声は小さかったが、つっかえながらもお礼を言った。
「どーいたしましてー。んじゃ、またな、ユウタ、ミハイル」
「またね! 行こっ、ミハイル」
「うん」
まるで仲の良い兄弟のような二人。
その後ろ姿を見送りながら、タクシードライバーは、車内で煙草を一本咥えた。
軽い一服を済ましたあと、灰皿に吸い殻を押し付け、車外に出た。
太陽は眩しく、自分のワイシャツと同じくらい、空は真っ青だった。
タクシードライバーは、門番が居るところまで歩いていく。
正門前に置いてきたタクシーを親指で指しながら、門番に声をかける。
屈強な門番に敬礼されながら、タクシードライバーは学院の中に入った。
正門から校舎まで続く、長い一本道。
その道には、アーチのように木々が並んでいる。
全て同じ木。この島にしかないと言われる、亜種の月桂樹。
見上げれば、枝葉の隙間から、太陽がキラキラと降り注ぎ、
見下ろせば、枝葉の影絵が地面に描かれている。息を吸うと、木と土の香りがした。
月桂樹の長いアーチを抜け、更に暫く歩き、
タクシードライバーがやってきた場所は、第三学生寮の隣にある建物だった。
午後のあたたかい日差しが気持ち良くて、今にも眠ってしまいそうだ。
欠伸を噛み殺しながら、タクシードライバーは、その建物に近付いていった。
コンコンコン、と3回ノックしたあと、断りもなくドアを開けた。
この建物特有の香りが濃くなる。
タクシードライバーは、いつもの台詞を口にした。
「ソクちゃーん。ベッド貸してー?」
机で書き物をしていた、髪の長い男が、ちらりと振り向く。
白衣を身に付け、眼鏡をかけていた。
医師はタクシードライバーを一瞥したあと、
「勝手にしろ」とだけ言って、机に向き直った。
タクシードライバーは、ネクタイの結び目に人差し指をかけながら、
「ハーイ。勝手にしまーす」
元々緩いネクタイを更に緩め、診察用の固いベッドに乗る。
仰向けに寝そべったが、「あ」と言ってクルリとうつ伏せになった。
はらりと金色の長い髪が肩に落ちる。
「ソクちゃん、今日の晩メシ、一緒に食えるー?」
白衣の背中から、「ああ」と声が聞こえた。
「んじゃ、夜にお迎えに来るね。ソクちゃん、今日、何食べたい? ちゅーか?」
「任せる」
「あいよー」
タクシードライバーは携帯電話をポケットから出しながら、仰向けになる。
携帯電話のアラームをセットしつつ、
「あ、あとー、16時半にアルフレッド達をライブハウスまで乗せてくからー、
もし、俺が16時20分になっても寝てたら、起こしてあげてねー? や、さ、し、く」
「甘えるな」
タクシードライバーは声に出さずに笑う。
「んじゃ、おやすみー」
携帯電話のアラームをセットして、枕元に置く。
もうひとつ欠伸を噛み殺し、タクシードライバーは目を閉じた。
→
聖アルフォンソ学院、正門前に一台のタクシーが停まった。
今年入学した高校一年生が、元気な声でお礼を言う。
「ありがとう、アイヴィーさん!」
「ありが、ありがとうございましたっ」
少女のような金色の柔らかい髪が、ふわりと揺れる。
こちらの声は小さかったが、つっかえながらもお礼を言った。
「どーいたしましてー。んじゃ、またな、ユウタ、ミハイル」
「またね! 行こっ、ミハイル」
「うん」
まるで仲の良い兄弟のような二人。
その後ろ姿を見送りながら、タクシードライバーは、車内で煙草を一本咥えた。
軽い一服を済ましたあと、灰皿に吸い殻を押し付け、車外に出た。
太陽は眩しく、自分のワイシャツと同じくらい、空は真っ青だった。
タクシードライバーは、門番が居るところまで歩いていく。
正門前に置いてきたタクシーを親指で指しながら、門番に声をかける。
屈強な門番に敬礼されながら、タクシードライバーは学院の中に入った。
正門から校舎まで続く、長い一本道。
その道には、アーチのように木々が並んでいる。
全て同じ木。この島にしかないと言われる、亜種の月桂樹。
見上げれば、枝葉の隙間から、太陽がキラキラと降り注ぎ、
見下ろせば、枝葉の影絵が地面に描かれている。息を吸うと、木と土の香りがした。
月桂樹の長いアーチを抜け、更に暫く歩き、
タクシードライバーがやってきた場所は、第三学生寮の隣にある建物だった。
午後のあたたかい日差しが気持ち良くて、今にも眠ってしまいそうだ。
欠伸を噛み殺しながら、タクシードライバーは、その建物に近付いていった。
コンコンコン、と3回ノックしたあと、断りもなくドアを開けた。
この建物特有の香りが濃くなる。
タクシードライバーは、いつもの台詞を口にした。
「ソクちゃーん。ベッド貸してー?」
机で書き物をしていた、髪の長い男が、ちらりと振り向く。
白衣を身に付け、眼鏡をかけていた。
医師はタクシードライバーを一瞥したあと、
「勝手にしろ」とだけ言って、机に向き直った。
タクシードライバーは、ネクタイの結び目に人差し指をかけながら、
「ハーイ。勝手にしまーす」
元々緩いネクタイを更に緩め、診察用の固いベッドに乗る。
仰向けに寝そべったが、「あ」と言ってクルリとうつ伏せになった。
はらりと金色の長い髪が肩に落ちる。
「ソクちゃん、今日の晩メシ、一緒に食えるー?」
白衣の背中から、「ああ」と声が聞こえた。
「んじゃ、夜にお迎えに来るね。ソクちゃん、今日、何食べたい? ちゅーか?」
「任せる」
「あいよー」
タクシードライバーは携帯電話をポケットから出しながら、仰向けになる。
携帯電話のアラームをセットしつつ、
「あ、あとー、16時半にアルフレッド達をライブハウスまで乗せてくからー、
もし、俺が16時20分になっても寝てたら、起こしてあげてねー? や、さ、し、く」
「甘えるな」
タクシードライバーは声に出さずに笑う。
「んじゃ、おやすみー」
携帯電話のアラームをセットして、枕元に置く。
もうひとつ欠伸を噛み殺し、タクシードライバーは目を閉じた。
→
■ハルヤ ユウタ シルヴァン アンリ
■リクエストどうもありがとうございました!
■リクエストどうもありがとうございました!
「あ、姉貴!」
2月のある日。
ユウタの姉が、弟の携帯に電話をした時、弟はウーティス寮のサロンに居た。
「今、サロンでおやつ食べてたところなんだ。ハルヤも居るよ! ほら!」
弟がテレビ電話機能付き携帯を友人に向ける。
すると、丁度、お煎餅を口にしたところだったハルヤが映った。
白い頬がさっと赤くなる。目だけで挨拶したあと、
ちょっと待って、ともごもご言いながら、慌てて一口飲み込んだ。
「こ、こんちは」
おやつにお煎餅が出たりするんですね、と姉が言うと、
少し下がった眼鏡をかけ直しながらハルヤが答えた。
「うん。カミーユが……あ、うちの寮のシェフの名前なんだけど、
去年辺りから日本の料理に凝ってるみたいで。『私の勉強にもなりますから』って言って、
日本のお菓子をわざわざ取り寄せてくれたりするんだよ。
俺はスーパーとかで売ってる一番安いやつで良いんだけど」
「この前はね、わらび餅も出たんだよ! すごく美味しかったんだ! ね、ハルヤ!」
「うん、美味しかったけど、あれも高そうだったなあ。どこのだったんだろ」
「3月になったら、桜餅とか、よもぎ餅なんかも出てくるかもしれないね。雛祭りの季節だし!」
「雛祭りか。もう来月なんだね。その頃には梅も散っちゃうかな」
「あー! もしかして、ユウタのお姉さんとお話ししてるんですかー?」
大きな声がして、ユウタとハルヤがそちらを向く。
この寮で一番背の高い人が立っていた。
「やっぱり、お姉さんじゃないですかー! コンニチハ!
丁度、貴女に会いたいなって思ってたところだったんですよ?」
素早く席に着いたのは、日本大好きシルヴァンである。
「今、何のお話をしていたんですか? 僕も入れて下さい!」
「えっとー、なんの話、してたんだっけ?」
ユウタがハルヤに聞く。
「日本ではもうすぐ雛祭りだねってところまで、かな?」
雛祭りについて、ハルヤがシルヴァンに軽く説明する。
「キモノを着たドールを飾るんですか!? 素敵なお祭りですね!」
シルヴァンの興味を惹いたのは雛人形だった。
あまりにも予想通りで、ハルヤは日本人的微笑をする。
「でも、地域によっては色んな雛人形があって、例えば、京都のほうだと、
御殿っていう、まあ、お屋敷付きの豪華お雛様もあるんだよ」
「静岡では、つるし雛っていうのもあるんだよね。俺、テレビで見たことあるよ!」
「でも、皆、キモノを着てるドールなんですよね!?」
「まあ、大体はそうかな」
「キモノということは、カタナも持ってるんですか!? サムライなんですか?」
「いや、侍とはちょっと違うよ。お内裏様とお雛様は、王子様とお姫様みたいなもんだし」
「あ、でも、ハルヤ。右大臣と左大臣は侍って言っても良いんじゃないかなあ?
確か、刀も持ってたと思うし。姉貴、そうだったよね?」
うん、と姉が答えると、ハルヤが呟いた。
「あ、そうか。お付きは侍なのかも」
「じゃあ、ヒナニンギョウは、サムライのフィギュアなんですね! うわあ、僕も欲しいですー!」
「もう。フィギュアとは違うよ。それに、シルヴァンは雛人形を持たなくて良いんだよ?」
「えー! なんでですか? なんで僕はダメなんですかー?」
「ダメっていうか、雛人形を飾るのは、女の子が居る家で、
シルヴァンは男の子だから飾らなくても良いんだよ。雛祭りは女の子のお祭り」
「そんなー! 僕も女の子に生まれれば良かったです……」
「そんなことで落ち込まないでよ、シルヴァン。あ、そう言えば、飾らない雛人形もあるな」
「えっ? 飾らないんですか? じゃあ、どうするんですか?」
「流しちゃうんだよ、川に」
「ええっ!? キモノ着てるのに流しちゃうんですか!? そんなのダメですー!」
「着てないんだよ、それは」
「それは、つまり……裸のドールという意味ですか?」
「いや、まさか。普通のお人形でもなくて、紙なんだよ。人の形に切った紙」
「紙でできたドール、ですか?」
「うん。紙で作った雛人形を川に流すんだ。京都の神社では今でもやってる筈だよ。流し雛って言ってね」
「でもでも! どうして川に流しちゃうんですか?」
「その雛人形が、自分の代わりに厄を持っていってくれるから。
それが厄払いになるって考えられてるんだよ、確か」
ふうん、と低く甘い声がした。
「それって陰陽道に似ているね? ヒトガタみたい」
そう言ったのは、サロンの隅の席に座っていたアンリだった。
「うわ、アンリ! 居たんだ!?」
ユウタが驚くと、さっき来たでしょう、とアンリが言い放つ。
「オンミョウドーなら、僕も知ってます!」
シルヴァンが元気良く手を挙げる。
「シキガミを出して攻撃したり、人に呪いをかけたりするんですよね!
ハルヤ、ハルヤ! もしかして、流し雛とオンミョウドーって、何か関係があったりするんですか?」
「うーん。ごめん。そこまでは解んないよ。
日本人でも、日本のこと全部知ってるわけじゃないし」
「そうですかー」
「でも、確かに言われてみれば似てるし、関係があるのかもしれないね」とハルヤは言い添えた。
シルヴァンが携帯電話に向き直る。
「ところで! お姉さんのお雛様は、川に流すタイプですか? 流さないタイプですか?」
皆が話を続ける中、アンリは無言でサロンを出ていった。
そのまま寮を出て校舎のほうへ向かった。
まだ夕焼けには早い時間で、寒さはあまり感じなかった。
「おや。ごきげんよう、アンリ」
後ろから声をかけられた。アンリが振り向くと、そこに居たのは、神秘学教師だった。
今日の装いはダークネイビーのスーツ。優しい微笑を見せながら、
「教室に忘れ物でもしたのかな?」
違うよ、と神秘学の受講生は呟く。
「僕は図書館に……行く手間が省けそうだ」
「ん?」
「ボージェ教授。陰陽道について質問があるのだけど」
アンリは神秘学教師に、先程サロンで聞いたことを話し、
陰陽道と日本の流し雛に関係性はあるのか訊ねた。
しかし、いくら彼が神秘学の権威でも、日本の伝統行事についてまでは知らないかもしれない。
アンリはそう思いながら聞いたのだが、そんな心配は杞憂に終わる。
神秘学教師は、あるよ、とあっさり答えた。
「関係があるというか、雛祭り自体の起源が、陰陽道にあると言われているね」
「雛祭りの起源が陰陽道?」
「うん。人の身に降り懸かる災厄を、陰陽師に祓って貰うことが、そもそもの由来なんだ。
陰陽師が作った、紙の人形(ひとがた)に、名前や生まれ日を書くことで、
陰陽道では、その紙が人の身代わりになると考えられていた。
ここまでは、神秘学の授業でも話したことがあるかな?」
教え子は頷く。
「人の災厄を人形に移し、川に流す。そうすることで、厄祓いをしていた。
それが、流し雛と呼ばれるようになり、現在の雛祭りの起源になったと言われているね。
雛祭りは、子の厄を祓い、健やかな成長を願うお祭り。
昔は、現代のように豊かで安全な時代ではなく、
飢饉や病気で、子供が早くに亡くなってしまうことも少なくなかったから」
「そう」
「それにしても、アンリは、流し雛の話を聞いただけで、陰陽道に似ていると思ったのかい?」
「うん」
神秘学教師が微笑む。
「良いところに気が付いたね。授業を良く聞いている証拠だ。
今の質問も、とても良い質問だったよ、アンリ」
ふっと頭に触れた大人の手。
この教師には時々される行為だが、未だに慣れない。
アンリは息が詰まるような、何とも言えない居心地の悪さに襲われる。
「子供扱いしないで」
手を払われた教師に、気を悪くした様子はなく、
視線を逸らした教え子を、ただ優しく見守っていた。
「成程。お姉さんのお雛様は、流さないタイプなんですねー」
ウーティス寮サロンでは、携帯電話越しに居るユウタの姉を囲んで、雛祭りトークが続いていた。
シルヴァンがユウタの姉に質問している。
「じゃあ、貴女がお持ちなのは、御殿雛のほうですか? つるし雛のほうですか?」
「うちにあるのは普通のお雛様だよ。ね、姉貴?」
「僕、見たいです! 今、飾ってありますか?
あ、まだなんですね。じゃ、飾ったら写真送って下さいね!」
「シルヴァンは、本当に日本が大好きなんだね」とユウタが笑う。
「はい! 日本のことは前から好きでしたが、
今はもっともっと大好きになっちゃいました!」
「え、どうして?」
シルヴァンは、ある人物に向かって、笑顔を見せる。
「さあ。どうしてでしょう。ね?」
fin
2月のある日。
ユウタの姉が、弟の携帯に電話をした時、弟はウーティス寮のサロンに居た。
「今、サロンでおやつ食べてたところなんだ。ハルヤも居るよ! ほら!」
弟がテレビ電話機能付き携帯を友人に向ける。
すると、丁度、お煎餅を口にしたところだったハルヤが映った。
白い頬がさっと赤くなる。目だけで挨拶したあと、
ちょっと待って、ともごもご言いながら、慌てて一口飲み込んだ。
「こ、こんちは」
おやつにお煎餅が出たりするんですね、と姉が言うと、
少し下がった眼鏡をかけ直しながらハルヤが答えた。
「うん。カミーユが……あ、うちの寮のシェフの名前なんだけど、
去年辺りから日本の料理に凝ってるみたいで。『私の勉強にもなりますから』って言って、
日本のお菓子をわざわざ取り寄せてくれたりするんだよ。
俺はスーパーとかで売ってる一番安いやつで良いんだけど」
「この前はね、わらび餅も出たんだよ! すごく美味しかったんだ! ね、ハルヤ!」
「うん、美味しかったけど、あれも高そうだったなあ。どこのだったんだろ」
「3月になったら、桜餅とか、よもぎ餅なんかも出てくるかもしれないね。雛祭りの季節だし!」
「雛祭りか。もう来月なんだね。その頃には梅も散っちゃうかな」
「あー! もしかして、ユウタのお姉さんとお話ししてるんですかー?」
大きな声がして、ユウタとハルヤがそちらを向く。
この寮で一番背の高い人が立っていた。
「やっぱり、お姉さんじゃないですかー! コンニチハ!
丁度、貴女に会いたいなって思ってたところだったんですよ?」
素早く席に着いたのは、日本大好きシルヴァンである。
「今、何のお話をしていたんですか? 僕も入れて下さい!」
「えっとー、なんの話、してたんだっけ?」
ユウタがハルヤに聞く。
「日本ではもうすぐ雛祭りだねってところまで、かな?」
雛祭りについて、ハルヤがシルヴァンに軽く説明する。
「キモノを着たドールを飾るんですか!? 素敵なお祭りですね!」
シルヴァンの興味を惹いたのは雛人形だった。
あまりにも予想通りで、ハルヤは日本人的微笑をする。
「でも、地域によっては色んな雛人形があって、例えば、京都のほうだと、
御殿っていう、まあ、お屋敷付きの豪華お雛様もあるんだよ」
「静岡では、つるし雛っていうのもあるんだよね。俺、テレビで見たことあるよ!」
「でも、皆、キモノを着てるドールなんですよね!?」
「まあ、大体はそうかな」
「キモノということは、カタナも持ってるんですか!? サムライなんですか?」
「いや、侍とはちょっと違うよ。お内裏様とお雛様は、王子様とお姫様みたいなもんだし」
「あ、でも、ハルヤ。右大臣と左大臣は侍って言っても良いんじゃないかなあ?
確か、刀も持ってたと思うし。姉貴、そうだったよね?」
うん、と姉が答えると、ハルヤが呟いた。
「あ、そうか。お付きは侍なのかも」
「じゃあ、ヒナニンギョウは、サムライのフィギュアなんですね! うわあ、僕も欲しいですー!」
「もう。フィギュアとは違うよ。それに、シルヴァンは雛人形を持たなくて良いんだよ?」
「えー! なんでですか? なんで僕はダメなんですかー?」
「ダメっていうか、雛人形を飾るのは、女の子が居る家で、
シルヴァンは男の子だから飾らなくても良いんだよ。雛祭りは女の子のお祭り」
「そんなー! 僕も女の子に生まれれば良かったです……」
「そんなことで落ち込まないでよ、シルヴァン。あ、そう言えば、飾らない雛人形もあるな」
「えっ? 飾らないんですか? じゃあ、どうするんですか?」
「流しちゃうんだよ、川に」
「ええっ!? キモノ着てるのに流しちゃうんですか!? そんなのダメですー!」
「着てないんだよ、それは」
「それは、つまり……裸のドールという意味ですか?」
「いや、まさか。普通のお人形でもなくて、紙なんだよ。人の形に切った紙」
「紙でできたドール、ですか?」
「うん。紙で作った雛人形を川に流すんだ。京都の神社では今でもやってる筈だよ。流し雛って言ってね」
「でもでも! どうして川に流しちゃうんですか?」
「その雛人形が、自分の代わりに厄を持っていってくれるから。
それが厄払いになるって考えられてるんだよ、確か」
ふうん、と低く甘い声がした。
「それって陰陽道に似ているね? ヒトガタみたい」
そう言ったのは、サロンの隅の席に座っていたアンリだった。
「うわ、アンリ! 居たんだ!?」
ユウタが驚くと、さっき来たでしょう、とアンリが言い放つ。
「オンミョウドーなら、僕も知ってます!」
シルヴァンが元気良く手を挙げる。
「シキガミを出して攻撃したり、人に呪いをかけたりするんですよね!
ハルヤ、ハルヤ! もしかして、流し雛とオンミョウドーって、何か関係があったりするんですか?」
「うーん。ごめん。そこまでは解んないよ。
日本人でも、日本のこと全部知ってるわけじゃないし」
「そうですかー」
「でも、確かに言われてみれば似てるし、関係があるのかもしれないね」とハルヤは言い添えた。
シルヴァンが携帯電話に向き直る。
「ところで! お姉さんのお雛様は、川に流すタイプですか? 流さないタイプですか?」
皆が話を続ける中、アンリは無言でサロンを出ていった。
そのまま寮を出て校舎のほうへ向かった。
まだ夕焼けには早い時間で、寒さはあまり感じなかった。
「おや。ごきげんよう、アンリ」
後ろから声をかけられた。アンリが振り向くと、そこに居たのは、神秘学教師だった。
今日の装いはダークネイビーのスーツ。優しい微笑を見せながら、
「教室に忘れ物でもしたのかな?」
違うよ、と神秘学の受講生は呟く。
「僕は図書館に……行く手間が省けそうだ」
「ん?」
「ボージェ教授。陰陽道について質問があるのだけど」
アンリは神秘学教師に、先程サロンで聞いたことを話し、
陰陽道と日本の流し雛に関係性はあるのか訊ねた。
しかし、いくら彼が神秘学の権威でも、日本の伝統行事についてまでは知らないかもしれない。
アンリはそう思いながら聞いたのだが、そんな心配は杞憂に終わる。
神秘学教師は、あるよ、とあっさり答えた。
「関係があるというか、雛祭り自体の起源が、陰陽道にあると言われているね」
「雛祭りの起源が陰陽道?」
「うん。人の身に降り懸かる災厄を、陰陽師に祓って貰うことが、そもそもの由来なんだ。
陰陽師が作った、紙の人形(ひとがた)に、名前や生まれ日を書くことで、
陰陽道では、その紙が人の身代わりになると考えられていた。
ここまでは、神秘学の授業でも話したことがあるかな?」
教え子は頷く。
「人の災厄を人形に移し、川に流す。そうすることで、厄祓いをしていた。
それが、流し雛と呼ばれるようになり、現在の雛祭りの起源になったと言われているね。
雛祭りは、子の厄を祓い、健やかな成長を願うお祭り。
昔は、現代のように豊かで安全な時代ではなく、
飢饉や病気で、子供が早くに亡くなってしまうことも少なくなかったから」
「そう」
「それにしても、アンリは、流し雛の話を聞いただけで、陰陽道に似ていると思ったのかい?」
「うん」
神秘学教師が微笑む。
「良いところに気が付いたね。授業を良く聞いている証拠だ。
今の質問も、とても良い質問だったよ、アンリ」
ふっと頭に触れた大人の手。
この教師には時々される行為だが、未だに慣れない。
アンリは息が詰まるような、何とも言えない居心地の悪さに襲われる。
「子供扱いしないで」
手を払われた教師に、気を悪くした様子はなく、
視線を逸らした教え子を、ただ優しく見守っていた。
「成程。お姉さんのお雛様は、流さないタイプなんですねー」
ウーティス寮サロンでは、携帯電話越しに居るユウタの姉を囲んで、雛祭りトークが続いていた。
シルヴァンがユウタの姉に質問している。
「じゃあ、貴女がお持ちなのは、御殿雛のほうですか? つるし雛のほうですか?」
「うちにあるのは普通のお雛様だよ。ね、姉貴?」
「僕、見たいです! 今、飾ってありますか?
あ、まだなんですね。じゃ、飾ったら写真送って下さいね!」
「シルヴァンは、本当に日本が大好きなんだね」とユウタが笑う。
「はい! 日本のことは前から好きでしたが、
今はもっともっと大好きになっちゃいました!」
「え、どうして?」
シルヴァンは、ある人物に向かって、笑顔を見せる。
「さあ。どうしてでしょう。ね?」
fin
■カーディス×側近
2月15日早朝。
目が覚めた時、私の目に最初に映ったのは、貴方の寝顔だった。
幾度となく目にしている光景だが、未だ慣れない。
王の寝台で目を覚ますことも。
目の前で眠る人が、ロレート公国の国主、カーディス1世であることも。
昨夜、貴方は、側近である私に「今日は2月14日だろう?」と仰った。
毎年のことだ。私が何を言おうと、貴方は無意味な行為を繰り返す。
相手なら、美しく、柔らかな肌を持つ女性を選べば良いものを。
怠惰な貴方は、今年も変わらず、手近な腕を引き、不毛な時間を過ごした。
穏やかな寝顔が憎らしい。
貴方は知らない。
いつ、私の手首を捕らなくなるか、
いつ、気まぐれな戯れが終わるのか、と怯える愚かな私を。
何も語らず私の髪を梳く指に、
傲慢で孤独な貴方の指に、安堵する醜い私を。
貴方は知らないのだ。
「何もしないのか、ラル」
突然の声。いつの間にか、陛下はお目覚めになっていた。
「起きておいででしたか」
「ああ。何時だ?」
「5時56分です」
「まだ早いな」
「ご入浴の準備をして参ります」
私が寝台から出ようとすると、待て、と引き戻された。
「もう少し、ここに居ろ」
どのような理由で、そう仰るのか解らないまま、
従者である私は、はい、と主のお言葉に従う。
主は何も語らない。私も何も語らない。
徐々に寝室に光が差す。白々と夜が明けていく。
そろそろ寝台から出るよう陛下にお声をかけなくては。
そう思った時、陛下は私の髪を無造作に一掴みし、静かに唇を寄せた。
何故、このようなことをなさるのか。
「さて、シャワーでも浴びるか」
そしてまた、何事もなかったかのように、一日が始まる。
「ラルヴィス。何をぼうっとしている。行くぞ」
「畏まりました」
fin
目が覚めた時、私の目に最初に映ったのは、貴方の寝顔だった。
幾度となく目にしている光景だが、未だ慣れない。
王の寝台で目を覚ますことも。
目の前で眠る人が、ロレート公国の国主、カーディス1世であることも。
昨夜、貴方は、側近である私に「今日は2月14日だろう?」と仰った。
毎年のことだ。私が何を言おうと、貴方は無意味な行為を繰り返す。
相手なら、美しく、柔らかな肌を持つ女性を選べば良いものを。
怠惰な貴方は、今年も変わらず、手近な腕を引き、不毛な時間を過ごした。
穏やかな寝顔が憎らしい。
貴方は知らない。
いつ、私の手首を捕らなくなるか、
いつ、気まぐれな戯れが終わるのか、と怯える愚かな私を。
何も語らず私の髪を梳く指に、
傲慢で孤独な貴方の指に、安堵する醜い私を。
貴方は知らないのだ。
「何もしないのか、ラル」
突然の声。いつの間にか、陛下はお目覚めになっていた。
「起きておいででしたか」
「ああ。何時だ?」
「5時56分です」
「まだ早いな」
「ご入浴の準備をして参ります」
私が寝台から出ようとすると、待て、と引き戻された。
「もう少し、ここに居ろ」
どのような理由で、そう仰るのか解らないまま、
従者である私は、はい、と主のお言葉に従う。
主は何も語らない。私も何も語らない。
徐々に寝室に光が差す。白々と夜が明けていく。
そろそろ寝台から出るよう陛下にお声をかけなくては。
そう思った時、陛下は私の髪を無造作に一掴みし、静かに唇を寄せた。
何故、このようなことをなさるのか。
「さて、シャワーでも浴びるか」
そしてまた、何事もなかったかのように、一日が始まる。
「ラルヴィス。何をぼうっとしている。行くぞ」
「畏まりました」
fin
■テオ ハルヤ シルフェ×レオシュ
それは1月下旬のこと。
今日の授業が全て終わり、シルフェはシュヌーシア寮サロンへ戻ってきた。
いつもより賑やかだなと思ったら、輪の中心に人気者が居た。
東洋から来た、ウーティス寮のハルヤだ。
隣を陣取っているのが、生徒代表のテオだったから、
おそらく、授業終わりにたまたまハルヤと会って、
「良かったらどうだい? うちの寮でお茶でも」とでも言ってナンパして来たんだろう。
シルフェはバトラーに紅茶を頼んだあと、空いている席に座り、皆の話を聞くことにした。
「無言で食べ続けるのかい? 食べ終わるまでずっと?」
「うん。恵方っていう、その年、えっと、ラッキーな方角を向いて」
テオの質問に対して、ハルヤが不慣れながらも説明している。
どうやら、テオにせがまれて、ハルヤが日本の行事について話しているらしかった。
「ラッキーな方角? それは、一体どのように行うものなんだい?」
「どのように? んーまあ、こんなかんじ」
その時、ハルヤが取ったポーズを見て、シルフェは思わず紅茶を吹きそうになった。
世界には、自分が知らない行事が色々あるもんだ。いや、しかし。
手の甲で口許を拭いながら、あるアイディアを思い付いた。シルフェはハルヤに確認する。
「じゃあさ、2月3日、日本人は皆、そのポーズするってこと?」
「え? まあ、うん」
「日本の行事って面白いじゃん。なあ、テオ?」
「うん! 日本の行事は実にミステリアス! まるで東洋の黒い真珠のようだ!」
「気に入ったんなら、シュヌーシアでも一回やってみたら?」
「えっ?」
「皆で日本文化を学ぶってかんじで。他の寮の奴等も誘って、いっちょ派手にさ?」
「おお! グッドアイディアだね、シルフェ!」
テオが立ち上がる。
「2月3日、シュヌーシアでもセツブンをやろう!
セツブンの特別講師は君だよ、東洋の黒い真珠!」
「ええっ? 俺?」
テオはハルヤの手を覆うようにがしりと握る。
「そうとも! 君をおいて他に誰が居ると言うんだい!」
顔面に触れるほどに迫る。
「日本を代表して、私達に日本文化の素晴らしさを教えておくれ! 東洋の黒い真珠先生!」
「もう……更に名前が長く……」
「引き受けてくれるよね!」
「……解ったよ」
やったー、とテオが大喜びしてハルヤに抱き着く。
シルフェは密かに笑っていた。
よし。レオシュも呼んでやろうっと。
fin
今日の授業が全て終わり、シルフェはシュヌーシア寮サロンへ戻ってきた。
いつもより賑やかだなと思ったら、輪の中心に人気者が居た。
東洋から来た、ウーティス寮のハルヤだ。
隣を陣取っているのが、生徒代表のテオだったから、
おそらく、授業終わりにたまたまハルヤと会って、
「良かったらどうだい? うちの寮でお茶でも」とでも言ってナンパして来たんだろう。
シルフェはバトラーに紅茶を頼んだあと、空いている席に座り、皆の話を聞くことにした。
「無言で食べ続けるのかい? 食べ終わるまでずっと?」
「うん。恵方っていう、その年、えっと、ラッキーな方角を向いて」
テオの質問に対して、ハルヤが不慣れながらも説明している。
どうやら、テオにせがまれて、ハルヤが日本の行事について話しているらしかった。
「ラッキーな方角? それは、一体どのように行うものなんだい?」
「どのように? んーまあ、こんなかんじ」
その時、ハルヤが取ったポーズを見て、シルフェは思わず紅茶を吹きそうになった。
世界には、自分が知らない行事が色々あるもんだ。いや、しかし。
手の甲で口許を拭いながら、あるアイディアを思い付いた。シルフェはハルヤに確認する。
「じゃあさ、2月3日、日本人は皆、そのポーズするってこと?」
「え? まあ、うん」
「日本の行事って面白いじゃん。なあ、テオ?」
「うん! 日本の行事は実にミステリアス! まるで東洋の黒い真珠のようだ!」
「気に入ったんなら、シュヌーシアでも一回やってみたら?」
「えっ?」
「皆で日本文化を学ぶってかんじで。他の寮の奴等も誘って、いっちょ派手にさ?」
「おお! グッドアイディアだね、シルフェ!」
テオが立ち上がる。
「2月3日、シュヌーシアでもセツブンをやろう!
セツブンの特別講師は君だよ、東洋の黒い真珠!」
「ええっ? 俺?」
テオはハルヤの手を覆うようにがしりと握る。
「そうとも! 君をおいて他に誰が居ると言うんだい!」
顔面に触れるほどに迫る。
「日本を代表して、私達に日本文化の素晴らしさを教えておくれ! 東洋の黒い真珠先生!」
「もう……更に名前が長く……」
「引き受けてくれるよね!」
「……解ったよ」
やったー、とテオが大喜びしてハルヤに抱き着く。
シルフェは密かに笑っていた。
よし。レオシュも呼んでやろうっと。
fin
■バロウズ×エリザベス
■ブラッディ・クリスマス おまけ のおまけ
■ブラッディ・クリスマス おまけ のおまけ
月のない、真冬の夜。
既に夜は更け、辺りは真っ暗だ。
森番のバロウズは、一人で月桂樹の森に居た。
冬の夜風に首筋を撫でられる。
「冷えますね」
厚手のジャケットは着てきたが、マフラーも巻いてくるべきだったと反省した。
森番が夜の森を歩いている目的は『夜間パトロール』だが、
単に夜の散歩と言ったほうが事実に近い。
この時間、生徒は原則、外出禁止であり、
もし、森番が夜の森で生徒を見かけたら、寮に戻るよう促す役目を持つ。
しかし、この森番は、本当に必要な時を除いては、校則違反者を見逃すことが多かった。
カサ、と誰かの足音が聞こえた。
森番は音がした方向を見やる。すると、暗がりから人影が近付いて来る気配を感じた。
真っ直ぐ、森番に向かってくる。
迷いのない足取りだったので、学院関係者だろうかと森番は思った。
あるいは、よほど自信のある侵入者か。
森番は万一のことを考え、身構えて、その足音と対峙するのを待った。
夜の森から姿を現したのは、見知らぬ、一人の若者だった。
彼の黒い瞳と、森番と目が合ったのは、最初の一瞬で、
彼は少し俯きながらも、まるで知り合いのような様子で言った。
「よう」
森番は短い時間で相手を注意深く観察した。
表情を見る限り、敵意はなさそうだが。
彼の装いは学院の制服でも私服でもなかった。
グレイのツナギ姿。特段、特徴もないシンプルなデザイン。
それは、森番が普段、作業着として愛用している物と、
極めて近いか、あるいは全く同じ物かもしれなかった。
髪は肩より少し長いストレート。
柔らかそうな髪質で、どこかで見たような美しい黄金色をしていた。
年齢はおそらく、学院の生徒より年上で、森番よりは少し年下に見える。
森番は、この学院の全生徒、全職員の顔と名前を記憶しているが、
今、目の前にある顔に覚えはなかった。
加えて、本日、来客の予定はない。
「生徒様ではありませんね? 恐れ入りますが、どちら様でしょうか」
「お、おい。ちょっと待てよ、バロウズ!
あんた、俺達にもバカ丁寧なくせに、侵入者だけには容赦ないな!?」
「私の名前をご存知とは、学院関係者の方ですか?」
「関係者っていうか……チッ。やっぱ、この姿じゃ、
俺だって解んねーのかよ。この薄情モン!」
「以前、どこかでお会いしたことがあるのですね?
私の記憶が足りず、申し訳ございません。
大変恐れ入りますが、貴方のお名前をお聞かせ頂けますか?」
森番が丁寧にそう頼むと、若者は「俺に言わせんのかよ」と舌打ちした。
森番は訳が解らないままだったが、彼が名前を言ってくれるのを待った。
数秒後、若者は観念したようにボソリと名乗った。
「……ベス」
「え?」
「エ、リ、ザ、ベ、ス! あんたが付けた名前だろうが!
てめえで付けた名前を、てめえで忘れてたら世話ねえな!」
「しかし、私が名前をお付けしたエリザベスは、ウサギなのですが」
「だーかーらーっ! そのウサギが俺だって言ってんだよ!」
「あの、では何故、今宵は人間のお姿を?」
「うっせーな。新月の夜だからに決まってんだろーが!」
「新月?」
「新月の夜なら、森のカミサマに頼めば、大抵のことは叶えてくれんだよ、この島では!」
「カミサマ、ですか?」
「長いこと住んでるくせに、んなことも知らねーのかよ、ほんっとバカだな、人間は!」
「申し訳、ありません」
「チッ。俺があのウサギだって、まだ信じられねえって顔してやがるな。
ったく。ちょっと見た目が変わったくらいで……どうしたら信じてくれんだよ!?」
「そう、ですね。あ、例えば、エリザベスと私しか、
知らないことを、貴方の口から仰って頂ければ」
「そんなんで良いのかよ? だったら、山ほどあるぜ。
今日の昼だって、一緒に昼メシ食べたってのでも良いのか?」
「ええ。ちなみに、本日は何を召し上がりましたか?」
「俺はクローバー。あんたはサニーレタスをパンに挟んだヤツだ」
「はい。正解、ですね」
「あ、そういや。あんた、『エリザベスもサニーレタスが食べたいのですか?』っつって、
俺にも少しくれたけど、俺は別に、サニーレタスが欲しくて見てたんじゃないからな!
あんただけじゃねえけど、人間は俺達のこと勘違いし過ぎなんだよ、ったく」
「すみません」
「それから。あんたは、昔、左腕を蛇に噛まれてる。俺のせいで」
「それは」
「蛇の野郎から俺を守る為に、自分の腕を差し出しやがって、まんまと噛まれたからだ」
「初めて、お会いした頃のことですね」
「ああ。たまたま、毒持ってねえ蛇だったから、怪我した程度で済んだけど、
あんなバカなことする人間は初めて見たぜ。こちとら助けてくれなんて頼んでねえのによ!
あんたが死んだらどうすんだよ、このバカ!」
「すみません、エリザベス」
「やっと信じる気になったかよ。俺があのウサギだって」
「はい。今、貴方が仰ったことは、確かにエリザベスと私しか知り得ないことでした。
しかし、あの、大変申し上げ難いことなのですが、ひとつ、
私からお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「ああ?」
「貴方は……オス、だったのですか?」
「そうだよ! 悪かったな! いや、つーか、悪いの俺じゃねーし!
名前付けるのは良いけどさ、最低限オスかメスかくらい確かめるだろ、普通はよ!?」
「仰る通りで」
「た、確かめるっても、絶対ジロジロ見んなよっ!?
時々、生徒の中に、俺達に名前付けようとして、
必要以上に覗いてきたり、さ、さ、触ってくる生徒が居んだよ!
あれマジ勘弁! マジ有り得ねえ! どんだけ常識ねえんだよ、人間は!?」
「すみません」
「大体、人間ってヤツは俺達より、ちょっと身体がデカイからって、何様のつもりなんだ!?
自己中でバカなくせに、偉そうにしやがって。
先にこの島で暮らしてたのは、俺達動物なんだぞ、ああん!?」
「はい。本当に、お恥ずかしい限りで」
「ったく。あんたもあんただ! てめえの勝手なイメージで、
俺に、どっかのお姫様みてえな名前を付けやがって! どう考えても似合わな過ぎだろ!?
名前付けられた時は、自慢の長い耳を疑ったぜ! この際、言っとくけどな!
あんたが名前付けた森の動物、結構な確率でオスメス間違ってんぞ!?」
「そう、だったのですか? それは大変な失礼を……申し訳ございません。
では、貴方もオスのお名前に変えなくてはなりませんね」
「ああっ!? ちょ、だ、誰も、名前を変えろとは言ってねえだろ!?」
「え?」
「い、今更、違う名前で呼ばれても、しっくり来ねえだろうがよ!
あんたが付けた名前なんだから、責任持てよ、責任!」
「そうですか。ありがとうございます。
私も今のお名前が呼び慣れておりますので、このままのほうが有り難いです」
「そうかよ」
「はい」
「チッ。余計なことダラダラ喋ってる時間はねえのに。もうすぐ朝じゃねえかよ」
「朝?」
「あんた、まだ気付いてないみてえだけど、これは、あんたの夢の中なんだぜ?」
「夢の、中?」
「新月の夜の間だけなら、俺達動物は、人間の夢に、人間の姿で、
会いに行くことができる。そン時は、人間の言葉で、人間と話ができるんだ。
カミサマのチカラでな。でも、これは夢だから、人間のほうは目が覚めたら、
夢の中の出来事は、全部忘れちまうんだけどな」
「この出来事を、私が忘れてしまう」
「それでも良いから、あんたに、言っておきたかったんだ」
「本当はオスだということですね」
「なっ、ちげえよ、このタコ!」
「え?」
「俺は別に、笑ったりしなかったぜ?」
「笑う?」
「俺は、あんたが秋口からセロリ育ててたのも知ってたし」
「えっ」
「その……ありがと、な。クリスマスプレゼント。てゆうか、いつも色々」
「エリザベス……」
「つい最近だって、爆弾からも守ってくれたし、
初めて会った時から、ずっと。けど、俺はあんたに何もしてやれねえ」
「まさか、そのようなこと」
「借りを作りっぱにするのがイヤだったから、礼を言いに来たんだよ!
けど、ホントは会いに来ないほうが良かったよな!?
あんたは、どうせガッカリしたんだろ!?」
「え?」
「あんたは、俺のこと、ずっとお姫様キャラだと思ってた。
けど、実際はこんなんで悪かったな! てゆうかオスだし!」
「いいえ。メスでもオスでも、エリザベスはエリザベスです」
「なっ」
「それに、人間のお姿でも、普段の印象と、さほど変わりません。
貴方はやはり、思慮深く、奥ゆかしい方です」
「ああっ!? どこがだどこがっ!? 人間の目は節穴か!?」
「目に見える部分のお話ではなく、心のことですよ。
今、お話ししている間にも、改めて感じておりました。
貴方は、以前から私が思っていた通り、とても繊細で、心の優しい方だと」
「どこがっ!?」
「私などにお礼を言う為、わざわざ夢の中まで、
会いに来て下さる方の、どこが繊細ではないのですか?
それに、貴方は私に『何もしてやれない』と先程仰いましたが、
とんでもございません。いつも、私のほうが貴方に頂いてばかりです」
「俺は何もあげてねえっ!」
「いいえ。いつも、貴方は私に与えて下さいます。貴方との幸せな時間を」
森番は、エリザベスの前で膝を着く。
「私が、貴方をお慕いする気持ちは、昔も今も変わりません。
この世で、私が最もお守りしたい方は、エリザベス――貴方です」
エリザベスは俯く。
「人間はバカだバカだと思ってたけど、あんたは一番のバカだ」
「あっ、エリザベス? 身体が透けて」
「ああ。いい加減、時間切れか。もう、あんたの目が覚めんのさ」
「えっ」
「人間の姿で会いに行くか、ずっと迷ってたけど、悪くなかったぜ?」
軽く笑みを浮かべ、彼は言った。
「今夜のこと、全部、忘れられちまうとしても」
森番は唇を噛み締める。
目の前で透けていく身体を見ながら、最後に告げた。
「どうあっても、私が忘れてしまうのなら」
「えっ?」
「エリザベス、お願いです。どうか、また会いに――」
***
森番の朝は早い。
朝食前に、朝のひと仕事を済ませてしまうのが日課だった。
作業着のツナギを身に付け、手早く身支度を終えると、
森番はいつものように森へ向かった。
朝の掃除や、木々の健康チェックなど、森番としての仕事を行う為だ。
教職員の宿舎、その一番端の部屋から、
一歩外へ出ると、きりりとした早朝の空気に迎えられた。
冬の朝は、太陽も目を覚ますのが遅い。
けれど、少しずつ、太陽の起床時間が早くなっていくのを、
森番は日に日に肌で感じていた。
森番が、人の頬に触れるような手付きで、
幹や葉に触れながら、木の健康状態を診ていると、
木の根元で一匹の小動物がクローバーを食べていた。
美しい黄金色をした垂れ耳ウサギだ。
「おや。もう朝食ですか? 今朝は随分早いのですね」
森番が声をかけると、小さな黒目が見上げてきた。
自然と、森番の顔に優しい微笑が浮かぶ。
「おはようございます、エリザベス。今日も良い天気になりそうですね」
fin
既に夜は更け、辺りは真っ暗だ。
森番のバロウズは、一人で月桂樹の森に居た。
冬の夜風に首筋を撫でられる。
「冷えますね」
厚手のジャケットは着てきたが、マフラーも巻いてくるべきだったと反省した。
森番が夜の森を歩いている目的は『夜間パトロール』だが、
単に夜の散歩と言ったほうが事実に近い。
この時間、生徒は原則、外出禁止であり、
もし、森番が夜の森で生徒を見かけたら、寮に戻るよう促す役目を持つ。
しかし、この森番は、本当に必要な時を除いては、校則違反者を見逃すことが多かった。
カサ、と誰かの足音が聞こえた。
森番は音がした方向を見やる。すると、暗がりから人影が近付いて来る気配を感じた。
真っ直ぐ、森番に向かってくる。
迷いのない足取りだったので、学院関係者だろうかと森番は思った。
あるいは、よほど自信のある侵入者か。
森番は万一のことを考え、身構えて、その足音と対峙するのを待った。
夜の森から姿を現したのは、見知らぬ、一人の若者だった。
彼の黒い瞳と、森番と目が合ったのは、最初の一瞬で、
彼は少し俯きながらも、まるで知り合いのような様子で言った。
「よう」
森番は短い時間で相手を注意深く観察した。
表情を見る限り、敵意はなさそうだが。
彼の装いは学院の制服でも私服でもなかった。
グレイのツナギ姿。特段、特徴もないシンプルなデザイン。
それは、森番が普段、作業着として愛用している物と、
極めて近いか、あるいは全く同じ物かもしれなかった。
髪は肩より少し長いストレート。
柔らかそうな髪質で、どこかで見たような美しい黄金色をしていた。
年齢はおそらく、学院の生徒より年上で、森番よりは少し年下に見える。
森番は、この学院の全生徒、全職員の顔と名前を記憶しているが、
今、目の前にある顔に覚えはなかった。
加えて、本日、来客の予定はない。
「生徒様ではありませんね? 恐れ入りますが、どちら様でしょうか」
「お、おい。ちょっと待てよ、バロウズ!
あんた、俺達にもバカ丁寧なくせに、侵入者だけには容赦ないな!?」
「私の名前をご存知とは、学院関係者の方ですか?」
「関係者っていうか……チッ。やっぱ、この姿じゃ、
俺だって解んねーのかよ。この薄情モン!」
「以前、どこかでお会いしたことがあるのですね?
私の記憶が足りず、申し訳ございません。
大変恐れ入りますが、貴方のお名前をお聞かせ頂けますか?」
森番が丁寧にそう頼むと、若者は「俺に言わせんのかよ」と舌打ちした。
森番は訳が解らないままだったが、彼が名前を言ってくれるのを待った。
数秒後、若者は観念したようにボソリと名乗った。
「……ベス」
「え?」
「エ、リ、ザ、ベ、ス! あんたが付けた名前だろうが!
てめえで付けた名前を、てめえで忘れてたら世話ねえな!」
「しかし、私が名前をお付けしたエリザベスは、ウサギなのですが」
「だーかーらーっ! そのウサギが俺だって言ってんだよ!」
「あの、では何故、今宵は人間のお姿を?」
「うっせーな。新月の夜だからに決まってんだろーが!」
「新月?」
「新月の夜なら、森のカミサマに頼めば、大抵のことは叶えてくれんだよ、この島では!」
「カミサマ、ですか?」
「長いこと住んでるくせに、んなことも知らねーのかよ、ほんっとバカだな、人間は!」
「申し訳、ありません」
「チッ。俺があのウサギだって、まだ信じられねえって顔してやがるな。
ったく。ちょっと見た目が変わったくらいで……どうしたら信じてくれんだよ!?」
「そう、ですね。あ、例えば、エリザベスと私しか、
知らないことを、貴方の口から仰って頂ければ」
「そんなんで良いのかよ? だったら、山ほどあるぜ。
今日の昼だって、一緒に昼メシ食べたってのでも良いのか?」
「ええ。ちなみに、本日は何を召し上がりましたか?」
「俺はクローバー。あんたはサニーレタスをパンに挟んだヤツだ」
「はい。正解、ですね」
「あ、そういや。あんた、『エリザベスもサニーレタスが食べたいのですか?』っつって、
俺にも少しくれたけど、俺は別に、サニーレタスが欲しくて見てたんじゃないからな!
あんただけじゃねえけど、人間は俺達のこと勘違いし過ぎなんだよ、ったく」
「すみません」
「それから。あんたは、昔、左腕を蛇に噛まれてる。俺のせいで」
「それは」
「蛇の野郎から俺を守る為に、自分の腕を差し出しやがって、まんまと噛まれたからだ」
「初めて、お会いした頃のことですね」
「ああ。たまたま、毒持ってねえ蛇だったから、怪我した程度で済んだけど、
あんなバカなことする人間は初めて見たぜ。こちとら助けてくれなんて頼んでねえのによ!
あんたが死んだらどうすんだよ、このバカ!」
「すみません、エリザベス」
「やっと信じる気になったかよ。俺があのウサギだって」
「はい。今、貴方が仰ったことは、確かにエリザベスと私しか知り得ないことでした。
しかし、あの、大変申し上げ難いことなのですが、ひとつ、
私からお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「ああ?」
「貴方は……オス、だったのですか?」
「そうだよ! 悪かったな! いや、つーか、悪いの俺じゃねーし!
名前付けるのは良いけどさ、最低限オスかメスかくらい確かめるだろ、普通はよ!?」
「仰る通りで」
「た、確かめるっても、絶対ジロジロ見んなよっ!?
時々、生徒の中に、俺達に名前付けようとして、
必要以上に覗いてきたり、さ、さ、触ってくる生徒が居んだよ!
あれマジ勘弁! マジ有り得ねえ! どんだけ常識ねえんだよ、人間は!?」
「すみません」
「大体、人間ってヤツは俺達より、ちょっと身体がデカイからって、何様のつもりなんだ!?
自己中でバカなくせに、偉そうにしやがって。
先にこの島で暮らしてたのは、俺達動物なんだぞ、ああん!?」
「はい。本当に、お恥ずかしい限りで」
「ったく。あんたもあんただ! てめえの勝手なイメージで、
俺に、どっかのお姫様みてえな名前を付けやがって! どう考えても似合わな過ぎだろ!?
名前付けられた時は、自慢の長い耳を疑ったぜ! この際、言っとくけどな!
あんたが名前付けた森の動物、結構な確率でオスメス間違ってんぞ!?」
「そう、だったのですか? それは大変な失礼を……申し訳ございません。
では、貴方もオスのお名前に変えなくてはなりませんね」
「ああっ!? ちょ、だ、誰も、名前を変えろとは言ってねえだろ!?」
「え?」
「い、今更、違う名前で呼ばれても、しっくり来ねえだろうがよ!
あんたが付けた名前なんだから、責任持てよ、責任!」
「そうですか。ありがとうございます。
私も今のお名前が呼び慣れておりますので、このままのほうが有り難いです」
「そうかよ」
「はい」
「チッ。余計なことダラダラ喋ってる時間はねえのに。もうすぐ朝じゃねえかよ」
「朝?」
「あんた、まだ気付いてないみてえだけど、これは、あんたの夢の中なんだぜ?」
「夢の、中?」
「新月の夜の間だけなら、俺達動物は、人間の夢に、人間の姿で、
会いに行くことができる。そン時は、人間の言葉で、人間と話ができるんだ。
カミサマのチカラでな。でも、これは夢だから、人間のほうは目が覚めたら、
夢の中の出来事は、全部忘れちまうんだけどな」
「この出来事を、私が忘れてしまう」
「それでも良いから、あんたに、言っておきたかったんだ」
「本当はオスだということですね」
「なっ、ちげえよ、このタコ!」
「え?」
「俺は別に、笑ったりしなかったぜ?」
「笑う?」
「俺は、あんたが秋口からセロリ育ててたのも知ってたし」
「えっ」
「その……ありがと、な。クリスマスプレゼント。てゆうか、いつも色々」
「エリザベス……」
「つい最近だって、爆弾からも守ってくれたし、
初めて会った時から、ずっと。けど、俺はあんたに何もしてやれねえ」
「まさか、そのようなこと」
「借りを作りっぱにするのがイヤだったから、礼を言いに来たんだよ!
けど、ホントは会いに来ないほうが良かったよな!?
あんたは、どうせガッカリしたんだろ!?」
「え?」
「あんたは、俺のこと、ずっとお姫様キャラだと思ってた。
けど、実際はこんなんで悪かったな! てゆうかオスだし!」
「いいえ。メスでもオスでも、エリザベスはエリザベスです」
「なっ」
「それに、人間のお姿でも、普段の印象と、さほど変わりません。
貴方はやはり、思慮深く、奥ゆかしい方です」
「ああっ!? どこがだどこがっ!? 人間の目は節穴か!?」
「目に見える部分のお話ではなく、心のことですよ。
今、お話ししている間にも、改めて感じておりました。
貴方は、以前から私が思っていた通り、とても繊細で、心の優しい方だと」
「どこがっ!?」
「私などにお礼を言う為、わざわざ夢の中まで、
会いに来て下さる方の、どこが繊細ではないのですか?
それに、貴方は私に『何もしてやれない』と先程仰いましたが、
とんでもございません。いつも、私のほうが貴方に頂いてばかりです」
「俺は何もあげてねえっ!」
「いいえ。いつも、貴方は私に与えて下さいます。貴方との幸せな時間を」
森番は、エリザベスの前で膝を着く。
「私が、貴方をお慕いする気持ちは、昔も今も変わりません。
この世で、私が最もお守りしたい方は、エリザベス――貴方です」
エリザベスは俯く。
「人間はバカだバカだと思ってたけど、あんたは一番のバカだ」
「あっ、エリザベス? 身体が透けて」
「ああ。いい加減、時間切れか。もう、あんたの目が覚めんのさ」
「えっ」
「人間の姿で会いに行くか、ずっと迷ってたけど、悪くなかったぜ?」
軽く笑みを浮かべ、彼は言った。
「今夜のこと、全部、忘れられちまうとしても」
森番は唇を噛み締める。
目の前で透けていく身体を見ながら、最後に告げた。
「どうあっても、私が忘れてしまうのなら」
「えっ?」
「エリザベス、お願いです。どうか、また会いに――」
***
森番の朝は早い。
朝食前に、朝のひと仕事を済ませてしまうのが日課だった。
作業着のツナギを身に付け、手早く身支度を終えると、
森番はいつものように森へ向かった。
朝の掃除や、木々の健康チェックなど、森番としての仕事を行う為だ。
教職員の宿舎、その一番端の部屋から、
一歩外へ出ると、きりりとした早朝の空気に迎えられた。
冬の朝は、太陽も目を覚ますのが遅い。
けれど、少しずつ、太陽の起床時間が早くなっていくのを、
森番は日に日に肌で感じていた。
森番が、人の頬に触れるような手付きで、
幹や葉に触れながら、木の健康状態を診ていると、
木の根元で一匹の小動物がクローバーを食べていた。
美しい黄金色をした垂れ耳ウサギだ。
「おや。もう朝食ですか? 今朝は随分早いのですね」
森番が声をかけると、小さな黒目が見上げてきた。
自然と、森番の顔に優しい微笑が浮かぶ。
「おはようございます、エリザベス。今日も良い天気になりそうですね」
fin
■シュヌーシア寮
■前提:マージナルシェフの夜
■前提:マージナルシェフの夜
聖アルフォンソ学院のキャンパスに鐘の音が響く。
本日の授業が全て終了した合図だ。
生徒達が教室を出て、校舎から寮に戻っていく頃。
シュヌーシア寮キッチンは、甘く、ほろ苦い香りに包まれていた。
「よしっ。良い色に焼けたぞ」
テーブルの上にはホール型のタルト。少々黒に近い濃い飴色だ。
シュヌーシア寮の専属シェフ、ドニ・ドームは、
オーブンから取り出したばかりの焼き菓子を前に、満足げな様子だった。
「ああっ、どちらへ行かれるのですか」
キッチンの外から声が聞こえた。ドニは耳を澄ます。
「仕方ありませんね。解りました。私が頼んで参りますので、
貴女はこちらでお待ち下さい。よろしいですね?」
そんな声が聞こえたあと、外に出られるほうのドアがノックされた。
ドニは「はい」と言って、ドアを開けた。
そこには、男が一人立っていた。彼は被っていたハンチング帽を取って、
「お忙しいところ、申し訳ありません。ドニ様」
「あっ、森番のバロウズさん。こんにちはっ」
丁寧に礼をされたシェフは慌てて一礼する。
「ドニ様、只今、少々お時間よろしいでしょうか?」
「大丈夫です。もう焼き終わってますので。あの、僕にご用事ですか?」
「はい。こちらのキッチンから流れる、
この甘い香りは、リンゴではないかと思うのですが」
「あ、はい。すごいや。よく解りましたね?
今日のおやつはリンゴの焼き菓子で」
「ああ、やはり。あの、大変恐れ入りますが、
もし、お菓子作りで余った、生のリンゴがございましたら、
少し頂けないでしょうか。ほんの切れ端でも構いません」
「えっ。切れ端ならありますけど……でも、切れ端なんて言わずに、
1ピースくらい食べていって下さいよ、バロウズさん。今、切り分けますので」
「まさか! とんでもございません。生徒様用のお菓子を、私が頂くなど」
「大丈夫ですよ、1ピースくらい。まだサロンにお出しする前ですし。
あ、そうだ。良かったら、コーヒーも淹れますよ?」
「いいえ、いいえ。どうか、私などには、お気遣いなく」
「あれ? 紅茶のほうが好きでしたか?」
「ああ、ドニ様、違うのです」
「え?」
「リンゴを頂きたいのは、私ではなく、ウサギなのです」
「えっ? ウサギさん?」
「ご説明が遅れ、申し訳ございません。そうなのです。実はこちらの」
森番は一度しゃがみ、足元に居たらしい小動物を持ち上げた。
ウサギの両脇から手を入れ、慣れた様子で抱えている。
ウサギは若干迷惑そうな顔をしていたが、
バタバタ騒ぐことはなく、大人しくしていた。
「彼女がリンゴの香りに誘われ、ここまで来てしまいまして」
「ああ、なーんだ。そうだったんですね。
すみません、僕、勘違いしちゃいました」
「いいえ。説明不足は私の落ち度。混乱を招き、大変申し訳ございません」
ウサギを抱えたまま、深々と頭を下げる。
「いえ、いえ。でも可愛いですねー。
普通のウサギさんは僕も見たことありますが、
こんなに可愛い垂れ耳ウサギさんは初めて見ました。
この子も月桂樹の森に棲んでるんですか?」
「はい」
「それにしても大人しいですねー」
「ええ。エリザベスは、思慮深く、奥ゆかしい女性なので」
「あ、エリザベスさんっていうんですかー。
確かに、高貴なかんじしますもんねー、なんとなく」
「お褒め頂き、ありがとうございます。
あの、申し訳ございませんが、リンゴを」
「あっ、そうでした! すみません、今、用意しますね!」
シェフはバタバタとキッチンの奥に戻っていった。
その間、森番の男は、にこやかにウサギを見つめ、
「分けて下さるそうです。良かったですね」と話しかけていた。
リンゴを渡し、シェフがウサギと森番を見送ったあと、
寮の廊下を走ってくる足音が聞こえ、間もなく、寮側のドアが開いた。
「ドニー、おなかすいちゃった」
「今日のおやつまだー?」
シュヌーシア寮の生徒が二人、キッチンに入って来た。
中等部一年生の仲良しコンビだ。
シェフは焼き菓子を見る。オーブンから出したまま、まだそこにあった。
「ああっ! すみません、すみません!
まだお出ししてませんでしたね。今すぐご用意します!」
「ドニ、今日のおやつは、なあにー?」
「んっ? なんだコレ? 焦げてないか?」
「え? あ、ホントだ。ちょっと黒っぽいね。
ドニ、もしかして、失敗しちゃった?」
「ドニが失敗なんて珍しいじゃん」
「大丈夫だよ、ドニ! 僕、焦げてないとこ食べるから!」
「しゃーねーなー。焦げたとこ、ちゃんとガリガリしろよ?」
「いえいえ、ご心配なく。このお菓子は、
このくらい焦がすのがポイントなんですよ?」
二人の生徒は揃って、小首を傾げた。
シェフは楽しそうに笑う。
「すみません。準備に、もうちょっとかかりますので、
ラビ様とレオン様はサロンでお待ち下さい」
その後、シェフはお菓子を持って、サロンにやってきた。
生徒達に配られた皿には、1ピースごとに切り分けられた黒っぽいケーキ。
その傍らには、バニラアイスとホイップクリームが添えられていた。
高等部二年のテオ・メネシスがお菓子を覗き込むように見ている。
「ドニ、これは何というお菓子なんだい?」
「こちらはフランスの伝統菓子、タルト・タタンです。
アップルパイの失敗作から生まれたお菓子だと言われています」
「失敗作から?」とテオ。
「はい。その昔、ホテルの料理人が、アップルパイを作ろうとして、
リンゴを炒め過ぎ、焦がしてしまったそうです」
「おや。大変だ」
「その失敗を取り戻そうと、タルト生地を被せ、オーブンに入れました。
すると、どうでしょう。
ホテルのお客様に出せるほどの美味しいお菓子になっていたそうです」
「ほっほー!」
「ちなみに、タルト・タタンの『タタン』は、
そのホテル『タタン』の名前から取ったものだと言われています」
他の生徒達からも「へえー」という声が上がる。
「焼き色が濃い部分はちょっと苦いかもしれないので、
アイスクリームやホイップクリームと一緒にお召し上がり下さい」
食べ始めた生徒達は「あ、ウマイ!」などと口々に言っていた。
ラビはシェフを見上げて言う。
「美味しいよ、ドニ! ドニの作るケーキはいつも美味しいね!」
「ありがとうございます、ラビ様」
「きっと、ドニのママも、ケーキ作るの上手なんだろうね!」
シェフは優しく微笑んだ。
「それでは、僕はこれで失礼しますね。ごゆっくりお召し上がり下さい」
シェフは一礼して、キッチンへ戻っていった。
生徒達は今日のおやつを囲んで、賑やかなティータイムとなった。
一人の生徒が、口にフォークを入れたまま、物思いな表情をしていた。
先程、ラビの言葉に答えず、微笑むだけだったシェフの様子が引っかかったのだ。
シュヌーシアのシェフは、子供が大好きで、生徒とも親しい。
そんなシェフが、珍しく、生徒の言葉をさらりと回避したことに、
何とも言い難い違和感を覚えたからだ。
――もしかして、ドニにとっては禁句だったのか? 家族の話は――
「ん? シルフェ、どうした?」
シルフェの様子がおかしいことに気付いたのは、生徒代表のクラウスだった。
考えごとをしていたのを、クラウスに気付かれたことに、
シルフェは少し驚きながらも、それはおくびにも出さないように笑顔で答えた。
「え? 何が?」
「いや。何でもないんなら、良いんだが」
「俺がイケメンだからって、あんま見つめんなよ、クラウス」
「……誰がだ」
クラウスは憮然としながらも、一瞬、不信感の残る顔を見せたが、
それ以上、シルフェを追求しなかった。
都合が悪い時、相手を茶化して煙に巻くのは俺の悪いクセだな、とシルフェは思った。
いつも、そう思うのは、既にやってしまったあとで。
クセってのはなかなか直らないモンだな、と毎回毎回思うのだった。
シェフが初めて見せた、寂しいような、困ったような笑顔が、また脳裏に浮かぶ。
――『疎外された王子』ってのは、生徒だけじゃないのか。
ま、当たり前だな。世間から隔離された孤島に流れ着いてんだから――
シルフェは、もう一口、フォークで切り取った焼き菓子を口へ運ぶ。
クリームをつけなかったタルト・タタンは、
リンゴの甘味のあとに、ほろ苦さが口の中に残る。
シルフェはそっと紅茶で流し込んだ。
fin
本日の授業が全て終了した合図だ。
生徒達が教室を出て、校舎から寮に戻っていく頃。
シュヌーシア寮キッチンは、甘く、ほろ苦い香りに包まれていた。
「よしっ。良い色に焼けたぞ」
テーブルの上にはホール型のタルト。少々黒に近い濃い飴色だ。
シュヌーシア寮の専属シェフ、ドニ・ドームは、
オーブンから取り出したばかりの焼き菓子を前に、満足げな様子だった。
「ああっ、どちらへ行かれるのですか」
キッチンの外から声が聞こえた。ドニは耳を澄ます。
「仕方ありませんね。解りました。私が頼んで参りますので、
貴女はこちらでお待ち下さい。よろしいですね?」
そんな声が聞こえたあと、外に出られるほうのドアがノックされた。
ドニは「はい」と言って、ドアを開けた。
そこには、男が一人立っていた。彼は被っていたハンチング帽を取って、
「お忙しいところ、申し訳ありません。ドニ様」
「あっ、森番のバロウズさん。こんにちはっ」
丁寧に礼をされたシェフは慌てて一礼する。
「ドニ様、只今、少々お時間よろしいでしょうか?」
「大丈夫です。もう焼き終わってますので。あの、僕にご用事ですか?」
「はい。こちらのキッチンから流れる、
この甘い香りは、リンゴではないかと思うのですが」
「あ、はい。すごいや。よく解りましたね?
今日のおやつはリンゴの焼き菓子で」
「ああ、やはり。あの、大変恐れ入りますが、
もし、お菓子作りで余った、生のリンゴがございましたら、
少し頂けないでしょうか。ほんの切れ端でも構いません」
「えっ。切れ端ならありますけど……でも、切れ端なんて言わずに、
1ピースくらい食べていって下さいよ、バロウズさん。今、切り分けますので」
「まさか! とんでもございません。生徒様用のお菓子を、私が頂くなど」
「大丈夫ですよ、1ピースくらい。まだサロンにお出しする前ですし。
あ、そうだ。良かったら、コーヒーも淹れますよ?」
「いいえ、いいえ。どうか、私などには、お気遣いなく」
「あれ? 紅茶のほうが好きでしたか?」
「ああ、ドニ様、違うのです」
「え?」
「リンゴを頂きたいのは、私ではなく、ウサギなのです」
「えっ? ウサギさん?」
「ご説明が遅れ、申し訳ございません。そうなのです。実はこちらの」
森番は一度しゃがみ、足元に居たらしい小動物を持ち上げた。
ウサギの両脇から手を入れ、慣れた様子で抱えている。
ウサギは若干迷惑そうな顔をしていたが、
バタバタ騒ぐことはなく、大人しくしていた。
「彼女がリンゴの香りに誘われ、ここまで来てしまいまして」
「ああ、なーんだ。そうだったんですね。
すみません、僕、勘違いしちゃいました」
「いいえ。説明不足は私の落ち度。混乱を招き、大変申し訳ございません」
ウサギを抱えたまま、深々と頭を下げる。
「いえ、いえ。でも可愛いですねー。
普通のウサギさんは僕も見たことありますが、
こんなに可愛い垂れ耳ウサギさんは初めて見ました。
この子も月桂樹の森に棲んでるんですか?」
「はい」
「それにしても大人しいですねー」
「ええ。エリザベスは、思慮深く、奥ゆかしい女性なので」
「あ、エリザベスさんっていうんですかー。
確かに、高貴なかんじしますもんねー、なんとなく」
「お褒め頂き、ありがとうございます。
あの、申し訳ございませんが、リンゴを」
「あっ、そうでした! すみません、今、用意しますね!」
シェフはバタバタとキッチンの奥に戻っていった。
その間、森番の男は、にこやかにウサギを見つめ、
「分けて下さるそうです。良かったですね」と話しかけていた。
リンゴを渡し、シェフがウサギと森番を見送ったあと、
寮の廊下を走ってくる足音が聞こえ、間もなく、寮側のドアが開いた。
「ドニー、おなかすいちゃった」
「今日のおやつまだー?」
シュヌーシア寮の生徒が二人、キッチンに入って来た。
中等部一年生の仲良しコンビだ。
シェフは焼き菓子を見る。オーブンから出したまま、まだそこにあった。
「ああっ! すみません、すみません!
まだお出ししてませんでしたね。今すぐご用意します!」
「ドニ、今日のおやつは、なあにー?」
「んっ? なんだコレ? 焦げてないか?」
「え? あ、ホントだ。ちょっと黒っぽいね。
ドニ、もしかして、失敗しちゃった?」
「ドニが失敗なんて珍しいじゃん」
「大丈夫だよ、ドニ! 僕、焦げてないとこ食べるから!」
「しゃーねーなー。焦げたとこ、ちゃんとガリガリしろよ?」
「いえいえ、ご心配なく。このお菓子は、
このくらい焦がすのがポイントなんですよ?」
二人の生徒は揃って、小首を傾げた。
シェフは楽しそうに笑う。
「すみません。準備に、もうちょっとかかりますので、
ラビ様とレオン様はサロンでお待ち下さい」
その後、シェフはお菓子を持って、サロンにやってきた。
生徒達に配られた皿には、1ピースごとに切り分けられた黒っぽいケーキ。
その傍らには、バニラアイスとホイップクリームが添えられていた。
高等部二年のテオ・メネシスがお菓子を覗き込むように見ている。
「ドニ、これは何というお菓子なんだい?」
「こちらはフランスの伝統菓子、タルト・タタンです。
アップルパイの失敗作から生まれたお菓子だと言われています」
「失敗作から?」とテオ。
「はい。その昔、ホテルの料理人が、アップルパイを作ろうとして、
リンゴを炒め過ぎ、焦がしてしまったそうです」
「おや。大変だ」
「その失敗を取り戻そうと、タルト生地を被せ、オーブンに入れました。
すると、どうでしょう。
ホテルのお客様に出せるほどの美味しいお菓子になっていたそうです」
「ほっほー!」
「ちなみに、タルト・タタンの『タタン』は、
そのホテル『タタン』の名前から取ったものだと言われています」
他の生徒達からも「へえー」という声が上がる。
「焼き色が濃い部分はちょっと苦いかもしれないので、
アイスクリームやホイップクリームと一緒にお召し上がり下さい」
食べ始めた生徒達は「あ、ウマイ!」などと口々に言っていた。
ラビはシェフを見上げて言う。
「美味しいよ、ドニ! ドニの作るケーキはいつも美味しいね!」
「ありがとうございます、ラビ様」
「きっと、ドニのママも、ケーキ作るの上手なんだろうね!」
シェフは優しく微笑んだ。
「それでは、僕はこれで失礼しますね。ごゆっくりお召し上がり下さい」
シェフは一礼して、キッチンへ戻っていった。
生徒達は今日のおやつを囲んで、賑やかなティータイムとなった。
一人の生徒が、口にフォークを入れたまま、物思いな表情をしていた。
先程、ラビの言葉に答えず、微笑むだけだったシェフの様子が引っかかったのだ。
シュヌーシアのシェフは、子供が大好きで、生徒とも親しい。
そんなシェフが、珍しく、生徒の言葉をさらりと回避したことに、
何とも言い難い違和感を覚えたからだ。
――もしかして、ドニにとっては禁句だったのか? 家族の話は――
「ん? シルフェ、どうした?」
シルフェの様子がおかしいことに気付いたのは、生徒代表のクラウスだった。
考えごとをしていたのを、クラウスに気付かれたことに、
シルフェは少し驚きながらも、それはおくびにも出さないように笑顔で答えた。
「え? 何が?」
「いや。何でもないんなら、良いんだが」
「俺がイケメンだからって、あんま見つめんなよ、クラウス」
「……誰がだ」
クラウスは憮然としながらも、一瞬、不信感の残る顔を見せたが、
それ以上、シルフェを追求しなかった。
都合が悪い時、相手を茶化して煙に巻くのは俺の悪いクセだな、とシルフェは思った。
いつも、そう思うのは、既にやってしまったあとで。
クセってのはなかなか直らないモンだな、と毎回毎回思うのだった。
シェフが初めて見せた、寂しいような、困ったような笑顔が、また脳裏に浮かぶ。
――『疎外された王子』ってのは、生徒だけじゃないのか。
ま、当たり前だな。世間から隔離された孤島に流れ着いてんだから――
シルフェは、もう一口、フォークで切り取った焼き菓子を口へ運ぶ。
クリームをつけなかったタルト・タタンは、
リンゴの甘味のあとに、ほろ苦さが口の中に残る。
シルフェはそっと紅茶で流し込んだ。
fin
■シュヌーシア寮
■ブラッディ・クリスマス09 続編
■ブラッディ・クリスマス09 続編
「星が美しい夜ですね。やはり聖夜だからでしょうか」
第一ボタンの開いた白いワイシャツに、落ち着きのあるジャケット。
ハンチング帽を少し持ち上げて、彼は夜空を見ていた。
12月25日夜、月桂樹の森の中。
森番のバロウズは、幹に凭れて座っていた。
その膝の上には一匹の垂れ耳ウサギが大人しく乗っている。
ホーランドロップ種の中では『オレンジ』と呼ばれる毛色だが、
果実のような鮮やかなオレンジとは全く違う。
このウサギの毛色は、ゴールデンとも呼べそうな淡く高貴なブラウンだった。
美しい毛並みをした背を、森番が優しい手付きで撫ででいる。
ウサギは気持ちが良いのか、時折、目を細めたりしていた。
月桂樹の木の下で、ウサギと人間は、穏やかな夜を過ごしていた。
「エリザベス、今宵は貴女に、クリスマスプレゼントがあるのですよ」
幹の後ろに隠していた荷物から、ごそごそと何かを取り出す。
「貴女がお好きな、セロリです」
森番がウサギに見せたのは、赤いリボンが結ばれた野菜だった。
「植物園の畑をお借りして、秋から育てておりました。
昨年と同じ贈り物で、芸がないとお笑いになるかもしれませんが、
前回は貴女にとても喜んで頂けましたので、今年もと」
するりと赤いリボンを解いて、セロリを差し出す。
「気に入って頂けるでしょうか」
ウサギは飛び付いて、すぐに齧り始めた。
「お口に合いましたか?」
ウサギはセロリをしょりしょりと食べている。
「メリークリスマス、エリザベス」
fin
第一ボタンの開いた白いワイシャツに、落ち着きのあるジャケット。
ハンチング帽を少し持ち上げて、彼は夜空を見ていた。
12月25日夜、月桂樹の森の中。
森番のバロウズは、幹に凭れて座っていた。
その膝の上には一匹の垂れ耳ウサギが大人しく乗っている。
ホーランドロップ種の中では『オレンジ』と呼ばれる毛色だが、
果実のような鮮やかなオレンジとは全く違う。
このウサギの毛色は、ゴールデンとも呼べそうな淡く高貴なブラウンだった。
美しい毛並みをした背を、森番が優しい手付きで撫ででいる。
ウサギは気持ちが良いのか、時折、目を細めたりしていた。
月桂樹の木の下で、ウサギと人間は、穏やかな夜を過ごしていた。
「エリザベス、今宵は貴女に、クリスマスプレゼントがあるのですよ」
幹の後ろに隠していた荷物から、ごそごそと何かを取り出す。
「貴女がお好きな、セロリです」
森番がウサギに見せたのは、赤いリボンが結ばれた野菜だった。
「植物園の畑をお借りして、秋から育てておりました。
昨年と同じ贈り物で、芸がないとお笑いになるかもしれませんが、
前回は貴女にとても喜んで頂けましたので、今年もと」
するりと赤いリボンを解いて、セロリを差し出す。
「気に入って頂けるでしょうか」
ウサギは飛び付いて、すぐに齧り始めた。
「お口に合いましたか?」
ウサギはセロリをしょりしょりと食べている。
「メリークリスマス、エリザベス」
fin
■シュヌーシア寮
■ブラッディ・クリスマス08 続編
■ブラッディ・クリスマス08 続編
聖アルフォンソ学院、保健室。生徒達は本日最後の授業を受けている時間だ。
保健教師のソクーロフは白いカップに口付けながら、資料を眺めていた。
「クリスマスの歌姫に隠し子か」
吐息からコーヒーの香りがした。本日、コーヒーは既に3杯目だ。
「この島に居ると、スキャンダルには不自由しないな」
「ま。そーゆー島だからねー」
そう言いながら、アイヴィーは美味そうにコーヒーを飲んでいる。
いつもより語尾が長く、気だるげに聞こえた。
ソクーロフはアイヴィーの目許をちらりと見る。まぶたは重そうだった。彼も眠いのだろう。
昨日は早朝から捕り物があった。警備組織に依頼され、ソクーロフは犯人の自白を行った。
それ自体は21時頃までには終了したのだが、帰宅後も今回の事件について考えていた。
指先が冷えて、うまく動かない。そう思った時、ふと時計を見たら午前4時だった。
これでは、子供達に「この頃、夜は冷えるから、暖かくして寝るんだよ」と言う資格がない。
「それで? 今、歌姫は面会室に?」
「うん。クラウスには連絡しといたから。
授業が終わったら、レオンと引き合わせてくれる予定」
先程、歌姫を空港から学院まで送り届けに来たのがアイヴィーだった。
「クリスマスにはちょっと早いけど、レオンには、
良いクリスマスプレゼントになりそうだね」
「だと良いがな」
「何、ヤな言い方してんの?」
「子供と共に暮らすより、歌手であることを選んだ母親のせいで、
子供は見知らぬ人間に命を狙われた。そんな母親が今になって会いに来た。
その時、13歳の少年は、母親の言葉を受け入れられるだろうか」
「ソクちゃんがそんな13歳だったら、どーなのよ?」
「さあな」
「もー、ヒミツ主義なんだからー」
そう言われたソクーロフは、胸の内だけで一言ぼそりと呟いた。
「あ、それから、連日で悪いんだけどー、
ブラッディ・クリスマス君達の懺悔、今日も頼んで良い?」
「私もその予定でいたが、今日は16時から別の子のカウンセリングが入っている」
「了解。じゃあアリシアを空港に送ったあと、またお迎えに来るね?」
「ああ」
「ところでー」
「ん?」
「ソクちゃん、クリスマスの夜は――」
月桂樹の森。
そろそろ夕刻で、辺りは少し薄暗くなってきた。
面会を終えたレオンは、森に来ていた。
後ろで組んだ両手を枕に、木の傍で寝転がっている。
どのくらいそうしていただろう。
ぼんやり空を眺めながら、レオンは先程までの出来事を思い返していた。
今日、最後の授業が終わった後、中等部クラスの廊下にクラウスが立っていた。
「付いて来い」と突然呼ばれた先は、面会室だった。
そこには、殆どテレビでしか見たことがない女性と、
そのマネージャーだという男と、レオンの父親の三人が居た。
「お前に話したいことがあるそうだ。ちゃんと聞いてやれ」
クラウスはレオンにそう言い残し、面会室から出て行った。
女性はレオンと目が合うなり泣き出し、
声にならない声で「ごめんなさい」という類の言葉を繰り返していた。
泣き崩れる女性を前にして、レオンは酷く冷静でいる自分に少し驚いていた。
これが、いつもテレビの歌番組に出演している、あの人なのだろうか。
きらびやかな衣装を纏い、伸びやかな歌声を披露しているのと同じ女性だとは思えなかった。
最後まで、その女性は泣いていて、会話らしい会話はできなかった。
自分も「うん」とか「大丈夫」とかぐらいしか喋ってなかったし。
女性が言いたかったことを、父さんが代わりに言っていたと思うけれど、
その言葉は頭に入ってこなくて、正直あまり覚えていない。
ただ、自分よりずっと年上の女性が泣いていて、
自分に向かってずっと謝っていた。
そうしているうちに、「もう時間だね」と父さんが言って、
女性は、父さんとマネージャーに抱えられるようにして、退室した。
多分、30分くらいは同じ空間に居たと思うけれど。
その間、怒りとか、そういう感情を、レオンは不思議なくらい何も感じなかった。
呆然としているうちに、面会は終わっていた。
「あー、レオン、居たー。探しちゃったよ」
森の中、遅い駆け足でやってきたのは、同じ寮のラビだった。
寒いのか暑いのか、頬は少しピンク色になっていた。
「あのね、冷めないうちにどうぞ、って」
レオンは寝そべったまま聞く。
「何が?」
「今日のおやつ、フォンダンショコラって言うチョコのケーキでね、
ドニが『中にあったかいチョコクリームが、
入っていますから、冷めないうちにどうぞ』って」
ラビはレオンに近付く。
「一緒に食べよう?」
差し出された手。
自分より少し小さいその手を握り、レオンは身体を起こした。
森を抜け、二人でシュヌーシア寮まで歩いていく。
空の上でキーンという大きな音がした。
レオンが立ち止まったので、ラビも同じ方向を見上げた。
「あ、飛行機雲? きれいだね」
薄青の空に、白いラインが細長く描かれていった。
「今年は、クラウスにも手伝って貰って良いかな!?」
その夜。就寝前、クラウスの部屋にやってきたテオは、開口一番こう言った。
来週の予習をしていた時に、いきなり詰め寄られ、
クラウスは迷惑がりながら「な、何だ?」と尋ねる。
テオは笑顔を輝かせながら、
「クリスマスの夜、シュヌーシアの良い子達の枕元に、プレゼントを置く役だよ!」
「サンタクロースを、俺が?」
「うん! 衣装もバッチリ用意してあるよ!」
じゃーん、とテオが掲げてみせる。クラウスは頭を押さえていた。
「何故俺まで」
「サンタクロース役は、お父さんとお母さんの特権的楽しみだからだよ!」
「その『シュヌーシア寮のお父さんとお母さん』という謎のポジションは、
どうしても定着させていきたいんだな、お前は」
「いやあ、もうすっかりバッチリ定着していると思うけれど」
「納得いかん」
「というわけで、クラウス。明日の休日は空けておいておくれ?
私と一緒にアクティヴィティするのだからね!」
「何をするんだ?」
「それはもちろん、クリスマスプレゼントを選びに行くのだよ!
シュヌーシア寮の良い子達、全員分のね!
あ、プレゼントの費用はメネシスから出すから心配要らないよ!」
「この道楽者は……大体、それのどこがアクティヴィティなんだ」
「こんなにファンタスティックなアクティヴィティが他にあるのかい?
シュヌーシア寮のお父さんに拒否権はないよ!」
「何故ない。その前に俺は」
「明日はプレゼント選びが終わったら、
街の中央広場のクリスマスツリーも見に行こうね!
最後は、寮のみんなが大好きなシュークリームをおみやげを買って帰ろう!
どうだい? このスペシャルな計画は。素晴らしいだろう!」
「今から頭が痛いんだが」
「明日、楽しみにしているね! それじゃ、今日はおやすみ!」
テオは嵐のように去っていった。
クラウスは頭を押さえる。
「全く、あいつは」
クラウスは机の上を見る。
開かれたノート。来週分の予習。まだ途中だ。
「今日はもう寝るか」
クラウスはノートを閉じた。
「明日は思いきり、振り回されそうだしな」
→
保健教師のソクーロフは白いカップに口付けながら、資料を眺めていた。
「クリスマスの歌姫に隠し子か」
吐息からコーヒーの香りがした。本日、コーヒーは既に3杯目だ。
「この島に居ると、スキャンダルには不自由しないな」
「ま。そーゆー島だからねー」
そう言いながら、アイヴィーは美味そうにコーヒーを飲んでいる。
いつもより語尾が長く、気だるげに聞こえた。
ソクーロフはアイヴィーの目許をちらりと見る。まぶたは重そうだった。彼も眠いのだろう。
昨日は早朝から捕り物があった。警備組織に依頼され、ソクーロフは犯人の自白を行った。
それ自体は21時頃までには終了したのだが、帰宅後も今回の事件について考えていた。
指先が冷えて、うまく動かない。そう思った時、ふと時計を見たら午前4時だった。
これでは、子供達に「この頃、夜は冷えるから、暖かくして寝るんだよ」と言う資格がない。
「それで? 今、歌姫は面会室に?」
「うん。クラウスには連絡しといたから。
授業が終わったら、レオンと引き合わせてくれる予定」
先程、歌姫を空港から学院まで送り届けに来たのがアイヴィーだった。
「クリスマスにはちょっと早いけど、レオンには、
良いクリスマスプレゼントになりそうだね」
「だと良いがな」
「何、ヤな言い方してんの?」
「子供と共に暮らすより、歌手であることを選んだ母親のせいで、
子供は見知らぬ人間に命を狙われた。そんな母親が今になって会いに来た。
その時、13歳の少年は、母親の言葉を受け入れられるだろうか」
「ソクちゃんがそんな13歳だったら、どーなのよ?」
「さあな」
「もー、ヒミツ主義なんだからー」
そう言われたソクーロフは、胸の内だけで一言ぼそりと呟いた。
「あ、それから、連日で悪いんだけどー、
ブラッディ・クリスマス君達の懺悔、今日も頼んで良い?」
「私もその予定でいたが、今日は16時から別の子のカウンセリングが入っている」
「了解。じゃあアリシアを空港に送ったあと、またお迎えに来るね?」
「ああ」
「ところでー」
「ん?」
「ソクちゃん、クリスマスの夜は――」
月桂樹の森。
そろそろ夕刻で、辺りは少し薄暗くなってきた。
面会を終えたレオンは、森に来ていた。
後ろで組んだ両手を枕に、木の傍で寝転がっている。
どのくらいそうしていただろう。
ぼんやり空を眺めながら、レオンは先程までの出来事を思い返していた。
今日、最後の授業が終わった後、中等部クラスの廊下にクラウスが立っていた。
「付いて来い」と突然呼ばれた先は、面会室だった。
そこには、殆どテレビでしか見たことがない女性と、
そのマネージャーだという男と、レオンの父親の三人が居た。
「お前に話したいことがあるそうだ。ちゃんと聞いてやれ」
クラウスはレオンにそう言い残し、面会室から出て行った。
女性はレオンと目が合うなり泣き出し、
声にならない声で「ごめんなさい」という類の言葉を繰り返していた。
泣き崩れる女性を前にして、レオンは酷く冷静でいる自分に少し驚いていた。
これが、いつもテレビの歌番組に出演している、あの人なのだろうか。
きらびやかな衣装を纏い、伸びやかな歌声を披露しているのと同じ女性だとは思えなかった。
最後まで、その女性は泣いていて、会話らしい会話はできなかった。
自分も「うん」とか「大丈夫」とかぐらいしか喋ってなかったし。
女性が言いたかったことを、父さんが代わりに言っていたと思うけれど、
その言葉は頭に入ってこなくて、正直あまり覚えていない。
ただ、自分よりずっと年上の女性が泣いていて、
自分に向かってずっと謝っていた。
そうしているうちに、「もう時間だね」と父さんが言って、
女性は、父さんとマネージャーに抱えられるようにして、退室した。
多分、30分くらいは同じ空間に居たと思うけれど。
その間、怒りとか、そういう感情を、レオンは不思議なくらい何も感じなかった。
呆然としているうちに、面会は終わっていた。
「あー、レオン、居たー。探しちゃったよ」
森の中、遅い駆け足でやってきたのは、同じ寮のラビだった。
寒いのか暑いのか、頬は少しピンク色になっていた。
「あのね、冷めないうちにどうぞ、って」
レオンは寝そべったまま聞く。
「何が?」
「今日のおやつ、フォンダンショコラって言うチョコのケーキでね、
ドニが『中にあったかいチョコクリームが、
入っていますから、冷めないうちにどうぞ』って」
ラビはレオンに近付く。
「一緒に食べよう?」
差し出された手。
自分より少し小さいその手を握り、レオンは身体を起こした。
森を抜け、二人でシュヌーシア寮まで歩いていく。
空の上でキーンという大きな音がした。
レオンが立ち止まったので、ラビも同じ方向を見上げた。
「あ、飛行機雲? きれいだね」
薄青の空に、白いラインが細長く描かれていった。
「今年は、クラウスにも手伝って貰って良いかな!?」
その夜。就寝前、クラウスの部屋にやってきたテオは、開口一番こう言った。
来週の予習をしていた時に、いきなり詰め寄られ、
クラウスは迷惑がりながら「な、何だ?」と尋ねる。
テオは笑顔を輝かせながら、
「クリスマスの夜、シュヌーシアの良い子達の枕元に、プレゼントを置く役だよ!」
「サンタクロースを、俺が?」
「うん! 衣装もバッチリ用意してあるよ!」
じゃーん、とテオが掲げてみせる。クラウスは頭を押さえていた。
「何故俺まで」
「サンタクロース役は、お父さんとお母さんの特権的楽しみだからだよ!」
「その『シュヌーシア寮のお父さんとお母さん』という謎のポジションは、
どうしても定着させていきたいんだな、お前は」
「いやあ、もうすっかりバッチリ定着していると思うけれど」
「納得いかん」
「というわけで、クラウス。明日の休日は空けておいておくれ?
私と一緒にアクティヴィティするのだからね!」
「何をするんだ?」
「それはもちろん、クリスマスプレゼントを選びに行くのだよ!
シュヌーシア寮の良い子達、全員分のね!
あ、プレゼントの費用はメネシスから出すから心配要らないよ!」
「この道楽者は……大体、それのどこがアクティヴィティなんだ」
「こんなにファンタスティックなアクティヴィティが他にあるのかい?
シュヌーシア寮のお父さんに拒否権はないよ!」
「何故ない。その前に俺は」
「明日はプレゼント選びが終わったら、
街の中央広場のクリスマスツリーも見に行こうね!
最後は、寮のみんなが大好きなシュークリームをおみやげを買って帰ろう!
どうだい? このスペシャルな計画は。素晴らしいだろう!」
「今から頭が痛いんだが」
「明日、楽しみにしているね! それじゃ、今日はおやすみ!」
テオは嵐のように去っていった。
クラウスは頭を押さえる。
「全く、あいつは」
クラウスは机の上を見る。
開かれたノート。来週分の予習。まだ途中だ。
「今日はもう寝るか」
クラウスはノートを閉じた。
「明日は思いきり、振り回されそうだしな」
→
■シュヌーシア寮
■ブラッディ・クリスマス07 続編
■ブラッディ・クリスマス07 続編
同じ頃、聖アルフォンソ学院。
早朝のこの時間、キャンパス内を歩いている生徒は居ない。
グレイのハンチング帽に同色の作業着を身に付けた男が居るくらいだ。
彼は一人で、月桂樹のクリスマスツリーを見上げていた。
足音が聞こえ、彼はそちらを振り向く。
森のほうから一人の男がキョロキョロしながら歩いてくる。
酷く落ち着きがない様子で、黒のキャリーバッグを引いていた。
おそらく二十代後半、学院の生徒ではない。
作業着の男はハンチング帽を被り直し、彼に話しかけた。
「おはようございます」
相手の肩がビクリと跳ねた。
「もしや、本日ご到着予定のお客様でしょうか?」
「ああ、はい。そ、そうです」
「遠いところ、ようこそいらっしゃいました」
ハンチング帽を取り、さっと挨拶する。
「私は森番のバロウズと申します。
よろしければ、校舎までご案内致しましょう。お手荷物をお持ち致します」
手を差し出したが、相手は黒のキャリーバッグを渡さなかった。
「い、いえ。結構です」
「左様でございましたか。失礼致しました」
「では、さようなら」
客人が森番の前から立ち去ろうとする。
「ああ、申し訳ございません」
森番が言った。
「お客様がいらっしゃるのは来週でございました」
「な、何だと、貴様」
「誠に恐れ入りますが、聖アルフォンソ学院は、
ゲスト登録のない方は立ち入り禁止とさせて頂いております。
お客様は、どのようなご用件で学院にいらしたのでしょう」
男は奥歯を噛み締め、絞り出すような声で言った。
「王子だっていうガキを殺しに来たんだよ。頼まれたんだ。
そうすれば、アリシアの子供を殺してくれるって」
「何故、交換殺人など」
「アリシアの力になりたいからに決まってんだろ!
アリシアから悲しみを取り除いてやりたいんだ!」
「悲しみ?」
「アリシアは子供が居るから悲しんでるんだ。
だから、悲しい歌しか歌えなくなったんだ。会えないガキが居るから」
男は少し上擦った声で、叫ぶように言った。
「僕が彼女の悲しみを取り除いてやるんだ!
彼女には、いつも幸せでいて貰いたいんだよ!」
「成程」
バロウズは頷いた。
「お子様が亡くなった時、一番悲しむのは誰なのか、
貴方にはお解りにはならないのですね」
「お前に彼女の何が解る? 僕はずっと彼女を見てきた。
僕が一番彼女のことを理解してるんだ! どけえええー!」
男は荷物を置いて、森番に向かって襲いかかってきた。
右手の先が銀色に光る。ナイフだ。
向かってくる右手を、森番は両手で捕らえ、そのまま背負い投げた。
男の身体は空中で弧を描き、ナイフと共に地面に叩き付けられた。
男が気を失ったことを確認したあと、森番は黒いキャリーバッグを開けた。
そこには、白い粘土のような物と円筒状の部品で組み立てられてた物体。
それに四角い機械が取り付けられていた。森番が呟く。
「C-4、ですか」
すると、月桂樹の陰から、森に棲む動物が一匹ぴょんぴょんと近付いてきた。
綺麗な薄茶色の毛をした垂れ耳ウサギだ。
「エリザベス? 来てはいけません!」
大きな声にウサギの動きが止まる。
森番は慎重にキャリーバッグの中を調べながら、
「これはコンポジション4。軍などで使用される爆薬です。
もし起爆したら、貴女はウサギの丸焼きになってしまいますよ」
ウサギは丸い目をパチパチしている。
「エリザベス。私が上手く起爆を解除できたら」
森番はウサギを見つめ、そっと尋ねた。
「今年も一緒に、クリスマスを過ごして頂けますか?」
ウサギは森番を見上げ、鼻をひくひく動かしていた。
森番は優しい顔になる。
そして、爆薬に手を伸ばし、円筒状の部品を引き抜いた。
→
早朝のこの時間、キャンパス内を歩いている生徒は居ない。
グレイのハンチング帽に同色の作業着を身に付けた男が居るくらいだ。
彼は一人で、月桂樹のクリスマスツリーを見上げていた。
足音が聞こえ、彼はそちらを振り向く。
森のほうから一人の男がキョロキョロしながら歩いてくる。
酷く落ち着きがない様子で、黒のキャリーバッグを引いていた。
おそらく二十代後半、学院の生徒ではない。
作業着の男はハンチング帽を被り直し、彼に話しかけた。
「おはようございます」
相手の肩がビクリと跳ねた。
「もしや、本日ご到着予定のお客様でしょうか?」
「ああ、はい。そ、そうです」
「遠いところ、ようこそいらっしゃいました」
ハンチング帽を取り、さっと挨拶する。
「私は森番のバロウズと申します。
よろしければ、校舎までご案内致しましょう。お手荷物をお持ち致します」
手を差し出したが、相手は黒のキャリーバッグを渡さなかった。
「い、いえ。結構です」
「左様でございましたか。失礼致しました」
「では、さようなら」
客人が森番の前から立ち去ろうとする。
「ああ、申し訳ございません」
森番が言った。
「お客様がいらっしゃるのは来週でございました」
「な、何だと、貴様」
「誠に恐れ入りますが、聖アルフォンソ学院は、
ゲスト登録のない方は立ち入り禁止とさせて頂いております。
お客様は、どのようなご用件で学院にいらしたのでしょう」
男は奥歯を噛み締め、絞り出すような声で言った。
「王子だっていうガキを殺しに来たんだよ。頼まれたんだ。
そうすれば、アリシアの子供を殺してくれるって」
「何故、交換殺人など」
「アリシアの力になりたいからに決まってんだろ!
アリシアから悲しみを取り除いてやりたいんだ!」
「悲しみ?」
「アリシアは子供が居るから悲しんでるんだ。
だから、悲しい歌しか歌えなくなったんだ。会えないガキが居るから」
男は少し上擦った声で、叫ぶように言った。
「僕が彼女の悲しみを取り除いてやるんだ!
彼女には、いつも幸せでいて貰いたいんだよ!」
「成程」
バロウズは頷いた。
「お子様が亡くなった時、一番悲しむのは誰なのか、
貴方にはお解りにはならないのですね」
「お前に彼女の何が解る? 僕はずっと彼女を見てきた。
僕が一番彼女のことを理解してるんだ! どけえええー!」
男は荷物を置いて、森番に向かって襲いかかってきた。
右手の先が銀色に光る。ナイフだ。
向かってくる右手を、森番は両手で捕らえ、そのまま背負い投げた。
男の身体は空中で弧を描き、ナイフと共に地面に叩き付けられた。
男が気を失ったことを確認したあと、森番は黒いキャリーバッグを開けた。
そこには、白い粘土のような物と円筒状の部品で組み立てられてた物体。
それに四角い機械が取り付けられていた。森番が呟く。
「C-4、ですか」
すると、月桂樹の陰から、森に棲む動物が一匹ぴょんぴょんと近付いてきた。
綺麗な薄茶色の毛をした垂れ耳ウサギだ。
「エリザベス? 来てはいけません!」
大きな声にウサギの動きが止まる。
森番は慎重にキャリーバッグの中を調べながら、
「これはコンポジション4。軍などで使用される爆薬です。
もし起爆したら、貴女はウサギの丸焼きになってしまいますよ」
ウサギは丸い目をパチパチしている。
「エリザベス。私が上手く起爆を解除できたら」
森番はウサギを見つめ、そっと尋ねた。
「今年も一緒に、クリスマスを過ごして頂けますか?」
ウサギは森番を見上げ、鼻をひくひく動かしていた。
森番は優しい顔になる。
そして、爆薬に手を伸ばし、円筒状の部品を引き抜いた。
→
■シュヌーシア寮
■ブラッディ・クリスマス06 続編
■ブラッディ・クリスマス06 続編
クラウスがレオンを追いかけ、辿り着いた先は海だった。
海辺には小型船が泊まっている。
赤いダウンの男に背を押され、レオンが船に向かって歩き出した。
クラウスは警備に連絡できないまま、ここまで追ってきた。
武器になる物もなく、一人でレオンを奪還できる保証はない。
しかし、今、自分が止めなくては、このまま連れて行かれる。
「おい、レオン」
クラウスは彼等の前に出ていった。
「一人でふらふら出歩くなと言った筈だぞ」
レオンは一瞬驚きの表情を見せたあと、こう言った。
「あんたには一人に見えんのかよ。二人だろ」
「こんな時に、くだらん口答えをするな」
「ん? なんかエラそうなガキが出てきたなあ」
男は胸元に派手なデザインが入ったダークグレイのシャツに、
ノースリーブの赤いダウンを着ている。
近くで見ると、年は三十代前半に見えた。
「このウゼエ学級委員長みたいなヤツ、坊ちゃんのガッコのヤツか?」
「ああ。うちの学校で一番エラそうにしてるヤツだ」
「ふうん。いきなり怒られて、坊ちゃんも可哀想になあ?」
「煩い。黙ってろ」
「おお、怖」
「学院へ戻るぞ、レオン」
クラウスが一歩近付くと、レオンは一歩後ろへ下がった。
「戻らない」
「何?」
レオンはクラウスを見上げて言った。
「俺は今日限りで聖アルフォンソ学院を退学する」
「何だと」
赤いダウンの男は薄く笑っていた。
「そういうことだ。行こうぜ、坊ちゃん」
「待て。誘拐など馬鹿な真似は止めたほうが身の為だぞ」
「誘拐じゃねえよ。聞いただろ?
俺は自主退学する坊ちゃんをお迎えに来ただけさ」
クラウスはレオンを見た。
「レオン。その男に何を言われた」
「何も言われてない」
「では退学する理由を言ってみろ」
「理由なんてない。退学したいから退学するんだ」
「嘘を吐け。理由もなく退学する筈がない」
「ほっときゃ良いだろ、俺のことなんか」
「何を言われたと聞いている」
赤いダウンの男は笑い出した。
「そんなに知りたきゃ、俺が教えてやるよ、学級委員長」
男は不敵な笑みを浮かべて言った。
「坊ちゃんが来ねえなら、学院ごと皆殺しにしてやるって言ったのさ」
クラウスは拳を握り締める。
「馬鹿なことを」
「邪魔をするなら、お前も殺してやる」
銃がクラウスに向けられる。
「尻尾巻いて逃げなよ、学級委員長。そうすればお前は見逃してやるぜ?」
クラウスは一歩も動かず、男を睨んでいた。
「レオンは渡さない」
「じゃあ、死ぬか?」
男が銃の安全装置に指をかけようとした時、
銃口が、突如、左に向き、二発の銃声がした。
男が持っていた銃が地面に落ちる。
と同時に、即座にクラウスが動く。
銃を右側に蹴飛ばしたあと、レオンを抱えるようにして奪い返した。
「ったく。ムチャし過ぎなんじゃないの、クラウスー」
銃を仕舞いながら、右側から歩いてきたのは髪の長い男。
警備組織司令官のアイヴィーだ。
その後方で、先程クラウスが蹴った銃を副司令官が拾った。
「到着が遅れ、申し訳ございません、クラウス様」
拾い上げた銃を持ち主の男に向けた。
「さあ、観念して降伏しなさい」
警備組織の隊員が十数名揃っていた。屈強な男達に周囲を固められ、男は笑った。
「こんなに囲まれちゃー仕方ねえかー。わーった。諦めるよ」
「何?」とクラウス。
「貴方達、何をぼうっとしているんです。身柄を拘束して下さい」
副司令官の号令で、部下達が男を確保した。
「お怪我はございませんか、クラウス様、レオン様」
副司令官がクラウス達に歩み寄る。
「ああ。俺はな。レオン、お前は?」
レオンは無視していた。
「怪我はないようだ。しかし、クロイツ。俺からは連絡できなかったのに、
よく俺達がここに居ると解ったな?」
「はい。監視チームが小型船の侵入を確認しておりましたし、
シュヌーシア寮から、クラウス様とレオン様が居ないとの通報もございました」
「あいつらが」
「ええ。お二人のことをとても心配しておいででした。
誰か、シュヌーシア寮にお二人はご無事だとご連絡差し上げて下さい」
了解しました、と部下の一人が言った。
「クラウス様。我々の到着が遅れたことが原因だと重々承知の上で、申し上げます。
今後、お一人で危険な行動に出ることは、謹んで頂けないでしょうか」
「俺は生徒代表だ。生徒を守る為なら、俺はどうなろうとも構わん」
「貴方にお言葉を返すようなことは本意ではありませんが、
生徒代表も、守られるべき『生徒』の一人。
我々が何の為に存在しているか、どうかお忘れなきようお願い致します」
クラウスは少し黙ったあと、こう言った。
「確かに、仕方ない状況だったとは言え、軽率な行動だったとは思う。
警備の到着が少しでも遅れていた場合、俺もレオンも危なかったな。
すまなかった。以後、気を付ける」
「クラウス様」
副司令官は珍しく微笑した。
「ご理解頂き、ありがとうございます。
私共のほうこそ申し訳ございませんでした。以後も精進して参ります」
「ああ、今後もよろしく頼む」
「んー。違うなー」
一人、首を傾げたのは長髪の司令官だった。
何がです、と副司令官が尋ねる。
「あのお兄さんさ、ソクーロフが言ってた犯人像と、違うんだよねー」
「ドクターは、プロファイリングまで可能なんですか?」
「いや『ただの勘だ』って言ってたけど」
「では、ドクターの勘が外れたということでしょう。
現に彼は、レオン様を誘拐しようとしました。
それなのに彼は『ブラッディ・クリスマス』ではないと?」
「確かめてみようか」
そう言って、アイヴィーは歩いていった。
「ねえ、お兄さんさ」
赤いダウンの男の前で屈む。
「一番好きな歌手、誰?」
男はニヤリと笑った。
「アリシア・キャリー、ではないぜ? 俺は、このガキにも興味ない」
「何ですって」副司令官が言う。「では誰が『ブラッディ・クリスマス』なんです?」
「もう遅いんだよ」
男はクククと肩を震わせた。
「『ブラッディ・クリスマス』は誰かって?
それは、今、学校を爆破しようとしている奴さ!」
「爆破だと?」
「あと5分でドカーンだ! ざまあみろ!」
レオンが男を鋭く睨み付ける。
「俺を騙したのか」
「ああ、そうさ。坊ちゃんが来ても来なくても、学校はブッ飛ばす予定だったんだよ」
「てめえっ」
「あのアリシア・マニアも可哀想になあ!
爆破スイッチ押した瞬間に、自分も吹っ飛ばされるってことを知らされてねーんだからよ!
あれはスイッチを押してから180秒後に爆発する時限式なんかじゃねえ。
ヤツは何も知らないまま、自分の血を浴びて死ぬのさ!」
連絡します、と即座に副司令官が言って、携帯電話で学院付近の警備員に警告を伝える。
男は笑っていた。
「ハハハッ! これであの方も喜んで下さる! 王子もオタクもみんな吹っ飛べ!」
→
海辺には小型船が泊まっている。
赤いダウンの男に背を押され、レオンが船に向かって歩き出した。
クラウスは警備に連絡できないまま、ここまで追ってきた。
武器になる物もなく、一人でレオンを奪還できる保証はない。
しかし、今、自分が止めなくては、このまま連れて行かれる。
「おい、レオン」
クラウスは彼等の前に出ていった。
「一人でふらふら出歩くなと言った筈だぞ」
レオンは一瞬驚きの表情を見せたあと、こう言った。
「あんたには一人に見えんのかよ。二人だろ」
「こんな時に、くだらん口答えをするな」
「ん? なんかエラそうなガキが出てきたなあ」
男は胸元に派手なデザインが入ったダークグレイのシャツに、
ノースリーブの赤いダウンを着ている。
近くで見ると、年は三十代前半に見えた。
「このウゼエ学級委員長みたいなヤツ、坊ちゃんのガッコのヤツか?」
「ああ。うちの学校で一番エラそうにしてるヤツだ」
「ふうん。いきなり怒られて、坊ちゃんも可哀想になあ?」
「煩い。黙ってろ」
「おお、怖」
「学院へ戻るぞ、レオン」
クラウスが一歩近付くと、レオンは一歩後ろへ下がった。
「戻らない」
「何?」
レオンはクラウスを見上げて言った。
「俺は今日限りで聖アルフォンソ学院を退学する」
「何だと」
赤いダウンの男は薄く笑っていた。
「そういうことだ。行こうぜ、坊ちゃん」
「待て。誘拐など馬鹿な真似は止めたほうが身の為だぞ」
「誘拐じゃねえよ。聞いただろ?
俺は自主退学する坊ちゃんをお迎えに来ただけさ」
クラウスはレオンを見た。
「レオン。その男に何を言われた」
「何も言われてない」
「では退学する理由を言ってみろ」
「理由なんてない。退学したいから退学するんだ」
「嘘を吐け。理由もなく退学する筈がない」
「ほっときゃ良いだろ、俺のことなんか」
「何を言われたと聞いている」
赤いダウンの男は笑い出した。
「そんなに知りたきゃ、俺が教えてやるよ、学級委員長」
男は不敵な笑みを浮かべて言った。
「坊ちゃんが来ねえなら、学院ごと皆殺しにしてやるって言ったのさ」
クラウスは拳を握り締める。
「馬鹿なことを」
「邪魔をするなら、お前も殺してやる」
銃がクラウスに向けられる。
「尻尾巻いて逃げなよ、学級委員長。そうすればお前は見逃してやるぜ?」
クラウスは一歩も動かず、男を睨んでいた。
「レオンは渡さない」
「じゃあ、死ぬか?」
男が銃の安全装置に指をかけようとした時、
銃口が、突如、左に向き、二発の銃声がした。
男が持っていた銃が地面に落ちる。
と同時に、即座にクラウスが動く。
銃を右側に蹴飛ばしたあと、レオンを抱えるようにして奪い返した。
「ったく。ムチャし過ぎなんじゃないの、クラウスー」
銃を仕舞いながら、右側から歩いてきたのは髪の長い男。
警備組織司令官のアイヴィーだ。
その後方で、先程クラウスが蹴った銃を副司令官が拾った。
「到着が遅れ、申し訳ございません、クラウス様」
拾い上げた銃を持ち主の男に向けた。
「さあ、観念して降伏しなさい」
警備組織の隊員が十数名揃っていた。屈強な男達に周囲を固められ、男は笑った。
「こんなに囲まれちゃー仕方ねえかー。わーった。諦めるよ」
「何?」とクラウス。
「貴方達、何をぼうっとしているんです。身柄を拘束して下さい」
副司令官の号令で、部下達が男を確保した。
「お怪我はございませんか、クラウス様、レオン様」
副司令官がクラウス達に歩み寄る。
「ああ。俺はな。レオン、お前は?」
レオンは無視していた。
「怪我はないようだ。しかし、クロイツ。俺からは連絡できなかったのに、
よく俺達がここに居ると解ったな?」
「はい。監視チームが小型船の侵入を確認しておりましたし、
シュヌーシア寮から、クラウス様とレオン様が居ないとの通報もございました」
「あいつらが」
「ええ。お二人のことをとても心配しておいででした。
誰か、シュヌーシア寮にお二人はご無事だとご連絡差し上げて下さい」
了解しました、と部下の一人が言った。
「クラウス様。我々の到着が遅れたことが原因だと重々承知の上で、申し上げます。
今後、お一人で危険な行動に出ることは、謹んで頂けないでしょうか」
「俺は生徒代表だ。生徒を守る為なら、俺はどうなろうとも構わん」
「貴方にお言葉を返すようなことは本意ではありませんが、
生徒代表も、守られるべき『生徒』の一人。
我々が何の為に存在しているか、どうかお忘れなきようお願い致します」
クラウスは少し黙ったあと、こう言った。
「確かに、仕方ない状況だったとは言え、軽率な行動だったとは思う。
警備の到着が少しでも遅れていた場合、俺もレオンも危なかったな。
すまなかった。以後、気を付ける」
「クラウス様」
副司令官は珍しく微笑した。
「ご理解頂き、ありがとうございます。
私共のほうこそ申し訳ございませんでした。以後も精進して参ります」
「ああ、今後もよろしく頼む」
「んー。違うなー」
一人、首を傾げたのは長髪の司令官だった。
何がです、と副司令官が尋ねる。
「あのお兄さんさ、ソクーロフが言ってた犯人像と、違うんだよねー」
「ドクターは、プロファイリングまで可能なんですか?」
「いや『ただの勘だ』って言ってたけど」
「では、ドクターの勘が外れたということでしょう。
現に彼は、レオン様を誘拐しようとしました。
それなのに彼は『ブラッディ・クリスマス』ではないと?」
「確かめてみようか」
そう言って、アイヴィーは歩いていった。
「ねえ、お兄さんさ」
赤いダウンの男の前で屈む。
「一番好きな歌手、誰?」
男はニヤリと笑った。
「アリシア・キャリー、ではないぜ? 俺は、このガキにも興味ない」
「何ですって」副司令官が言う。「では誰が『ブラッディ・クリスマス』なんです?」
「もう遅いんだよ」
男はクククと肩を震わせた。
「『ブラッディ・クリスマス』は誰かって?
それは、今、学校を爆破しようとしている奴さ!」
「爆破だと?」
「あと5分でドカーンだ! ざまあみろ!」
レオンが男を鋭く睨み付ける。
「俺を騙したのか」
「ああ、そうさ。坊ちゃんが来ても来なくても、学校はブッ飛ばす予定だったんだよ」
「てめえっ」
「あのアリシア・マニアも可哀想になあ!
爆破スイッチ押した瞬間に、自分も吹っ飛ばされるってことを知らされてねーんだからよ!
あれはスイッチを押してから180秒後に爆発する時限式なんかじゃねえ。
ヤツは何も知らないまま、自分の血を浴びて死ぬのさ!」
連絡します、と即座に副司令官が言って、携帯電話で学院付近の警備員に警告を伝える。
男は笑っていた。
「ハハハッ! これであの方も喜んで下さる! 王子もオタクもみんな吹っ飛べ!」
→
■シュヌーシア寮
■ブラッディ・クリスマス05 続編
■ブラッディ・クリスマス05 続編
この日も、クラウスは日課の早朝ランニングを行う為、朝早くに寮を出た。
年中、温暖な気候の聖アルフォンソ島も、
12月に入ってから急に朝晩冷えるようになったと感じる。
長袖のランニングウェアを着ていても少し肌寒いくらいだ。早く走って、身体を温めたい。
だが、その前に、怪我をしないよう準備体操を入念に行わなくては。
まず寮の庭でストレッチを始めた。
膝の屈伸運動をしながら、頭の中ではレオンのことを考えていた。
レオンへの殺害予告。その一報が入ってから、生徒代表のクラウスは警備組織と連携を取り、
警備強化を進めながら、事態の把握を始めた。
警備組織はインターネット上で、そしてクラウスは自ら、
アリシアのマネージャーやレオンの父親と電話で連絡を取った。
その結果、以下のことが解った。
『アリシア・キャリーの息子を殺す』
アリシアの所属事務所が運営するオフィシャルウェブサイト。
そのコンテンツのひとつである、コミュニティ掲示板に殺害予告が書かれた。
本来は、アリシアのファンが集まるコミュニティで、
アリシアの楽曲や、彼女が出演した音楽番組の感想などが書かれる場所だ。
該当の書き込みは、事務所により既に削除されているが、
一度、インターネット上に出た情報を完全に抹消することは不可能に近い。
殺害予告をコピーした文章や、それに便乗した誹謗中傷が各所で出回っている状態だ。
アリシアのマネージャーから電話で聞いた話によると、
芸能プロダクション宛に、所属アーティストへの、
悪意あるメッセージが届くことは決して珍しいことではないらしい。
誹謗中傷の類は日常茶飯事。その比率は、有名になればなるほど高くなるものだそうだ。
アリシアを含め、所属アーティストへ宛てられた殺害予告は、
年に数件程度あるものだが、どれも実行には至っておらず、
全て『単なる悪戯』で終わっている、とマネージャーは語った。
ドイツ軍人の家柄出身で、生まれながらに正義感の強いクラウスは、
受話器を持っていないほうの拳を堅く握りしめながら、その話を聞いていた。
殺害予告は『単なる悪戯』なんかではない。犯人を特定すれば確実に罪に問える犯罪行為だ。
しかも、殺害予告があった場所は、匿名性の高いインターネット上。
そのやり方自体も、クラウスには気に食わないことだった。
一体どんな奴が犯人なのか。
聖アルフォンソ島の警備組織が独自で調査したところによると、
殺害予告をした人物は、自らを『ブラッディ・クリスマス』と名乗っていたらしい。
ウェブネームに『クリスマス』と付いていることから、
以前より、同コミュニティに熱心に書き込んでいた『貴女が居るクリスマス』と
同一人物ではないか、とファンの間では噂になっていた。
それは、アリシアの代表曲『貴方の居ないクリスマス』をなぞったウェブネームで、
『貴女が居るクリスマス』は毎日のように、アリシアへの愛を語っていたのだが、
殺害予告に前後して、書き込みはパタリと止まり、コミュニティから姿を消している。
『貴女が居るクリスマス』から、最後のメッセージが書き込まれたのは10月末。
長文の熱いメッセージを送ってくることが多かった彼が、たった一言、こう書き残した。
『アリシア。君は僕達のことを、ずっと騙していたんだね』
これに対し、事務所は静観の姿勢をとっており、周りのファンも特に気にした様子はなかった。
その後、『ブラッディ・クリスマス』から、
『アリシア・キャリーの息子を殺す』という過激なメッセージが送られるようになる。
事務所のスタッフが、『ブラッディ・クリスマス』の書き込みを遡ってみたところ、
最初のメッセージが書き込まれたのは11月中旬だった。
『アリシア。暫く会いに来れなくてごめんね』から始まるメッセージ。
それを読み、『スフィンクスの身体を消すことだって、僕にはできる』と、
レオンの名前を暗示する文章が記されていたことに気付いたアリシアは、
そのショックで体調を崩し、歌えなくなってしまった。
結果、コンサートツアーが中止となったのである。
中止理由は『体調不良』という公式発表は誤りではなかったのだ。
クラウスは、これまで警備組織とのミーティングを重ねたが、一週間経った今も動きはなく、
ただの悪戯だったのではないか、という風向きに変わってきた。
油断はできない。しかし、このままの状態が続くなら、警戒態勢を一度解除するべきだろう。
ここ暫く、寮でのレオンの振る舞いがどこか投げやりな気がしていた。
『安心しろ』『もう大丈夫だ』とレオンに言ってやれるのは一体いつになる。
焦りと歯がゆさが募る日々が続いていた。
「行くか」
右足から踏み出し、クラウスは走り始めた。
校舎から正門まで続く、月桂樹のアーチを駆け抜けていく。
夏であれば、この時間は木々の間から朝陽が降り注ぐ道も、
12月中旬では、太陽はまだ昇らず、薄暗い道だった。
正門まで来ると、いつものように門番に朝の挨拶をして、学院の外へ出た。
今日のランニングコースは、学院の裏手にある小高い丘まで行って帰ってくるコース。
時間さえ合えば、海から昇る朝陽が見られる丘だった。
クラウスが丘の上に到着した時、腕時計を見ると、5時45分だった。
「12月ともなると、もうこの時間では朝陽は拝めないか」
海のほうを眺めたが太陽は見えず、辺りはまだ薄暗い。日の出は6時半以降なのだ。
そろそろ帰るか、と学院のほうを向いた時。
「ん? あれは」
クラウスの目に、まだ成長途中の小さな背格好が映った。
学院の裏手にある、城壁を乗り越えて、外へ出ていくところだ。
無事に学院の外へ出た少年を、待っている大人が居た。
赤いダウンを着た男。クラウスには見覚えのない人物のようだ。
少年は大人に左腕を掴まれたが、その手を振り払った。
しかし、嫌々ながらも、大人の背に付いていくようだった。
遠目からも解る、少年の縦横無尽に跳ねた茶色の髪には、見覚えがあった。
「何してるんだ、あいつ」
クラウスは彼等のあとを追いかけた。
シュヌーシア寮では、朝食の時間になっていた。
今朝、悪夢を見てしまったテオは、冷たい水で顔を洗ったあと、
シュヌーシア寮ダイニングルームに向かった。
その途中、クラウスの部屋を訪れたが、彼は居なかった。
もう朝食の時間なのだがら、当然、ダイニングルームに居るのだろう。
そう自分に言い聞かせながら、テオはダイニングルームの扉を開けた。
「お、寝坊か、テオ」
「テオ、おはよう」
焼きたてのパンの匂いに、寮生達からの朝の挨拶。
そこまでは、いつもと変わらなかったのに、今一番そこにあって欲しいものがなかった。
「ねえ、みんな、クラウスは?」
「まだ来てないぜ?」
「なんか静かだと思ったら、クラウスが居なかったのか」
「今朝も外、走ってんだろ? 今シャワーでも浴びてんじゃない?」
「でも、時間に厳しいクラウスが、朝食の時間に遅れるなんて、今まであったかな」
「それは」
「思い当たらないな」
「みんな、どうしたの?」
ドアのところに、華奢な肢体を持つ下級生が立っていた。
中等部一年のラビだ。テオが答える。
「クラウスがまだ来ていなくてね。ラビは見ていないかい?」
小首を傾げながらラビは言った。
「クラウスも居ないの?」
「えっ?」
「レオンも居ないの」
→
年中、温暖な気候の聖アルフォンソ島も、
12月に入ってから急に朝晩冷えるようになったと感じる。
長袖のランニングウェアを着ていても少し肌寒いくらいだ。早く走って、身体を温めたい。
だが、その前に、怪我をしないよう準備体操を入念に行わなくては。
まず寮の庭でストレッチを始めた。
膝の屈伸運動をしながら、頭の中ではレオンのことを考えていた。
レオンへの殺害予告。その一報が入ってから、生徒代表のクラウスは警備組織と連携を取り、
警備強化を進めながら、事態の把握を始めた。
警備組織はインターネット上で、そしてクラウスは自ら、
アリシアのマネージャーやレオンの父親と電話で連絡を取った。
その結果、以下のことが解った。
『アリシア・キャリーの息子を殺す』
アリシアの所属事務所が運営するオフィシャルウェブサイト。
そのコンテンツのひとつである、コミュニティ掲示板に殺害予告が書かれた。
本来は、アリシアのファンが集まるコミュニティで、
アリシアの楽曲や、彼女が出演した音楽番組の感想などが書かれる場所だ。
該当の書き込みは、事務所により既に削除されているが、
一度、インターネット上に出た情報を完全に抹消することは不可能に近い。
殺害予告をコピーした文章や、それに便乗した誹謗中傷が各所で出回っている状態だ。
アリシアのマネージャーから電話で聞いた話によると、
芸能プロダクション宛に、所属アーティストへの、
悪意あるメッセージが届くことは決して珍しいことではないらしい。
誹謗中傷の類は日常茶飯事。その比率は、有名になればなるほど高くなるものだそうだ。
アリシアを含め、所属アーティストへ宛てられた殺害予告は、
年に数件程度あるものだが、どれも実行には至っておらず、
全て『単なる悪戯』で終わっている、とマネージャーは語った。
ドイツ軍人の家柄出身で、生まれながらに正義感の強いクラウスは、
受話器を持っていないほうの拳を堅く握りしめながら、その話を聞いていた。
殺害予告は『単なる悪戯』なんかではない。犯人を特定すれば確実に罪に問える犯罪行為だ。
しかも、殺害予告があった場所は、匿名性の高いインターネット上。
そのやり方自体も、クラウスには気に食わないことだった。
一体どんな奴が犯人なのか。
聖アルフォンソ島の警備組織が独自で調査したところによると、
殺害予告をした人物は、自らを『ブラッディ・クリスマス』と名乗っていたらしい。
ウェブネームに『クリスマス』と付いていることから、
以前より、同コミュニティに熱心に書き込んでいた『貴女が居るクリスマス』と
同一人物ではないか、とファンの間では噂になっていた。
それは、アリシアの代表曲『貴方の居ないクリスマス』をなぞったウェブネームで、
『貴女が居るクリスマス』は毎日のように、アリシアへの愛を語っていたのだが、
殺害予告に前後して、書き込みはパタリと止まり、コミュニティから姿を消している。
『貴女が居るクリスマス』から、最後のメッセージが書き込まれたのは10月末。
長文の熱いメッセージを送ってくることが多かった彼が、たった一言、こう書き残した。
『アリシア。君は僕達のことを、ずっと騙していたんだね』
これに対し、事務所は静観の姿勢をとっており、周りのファンも特に気にした様子はなかった。
その後、『ブラッディ・クリスマス』から、
『アリシア・キャリーの息子を殺す』という過激なメッセージが送られるようになる。
事務所のスタッフが、『ブラッディ・クリスマス』の書き込みを遡ってみたところ、
最初のメッセージが書き込まれたのは11月中旬だった。
『アリシア。暫く会いに来れなくてごめんね』から始まるメッセージ。
それを読み、『スフィンクスの身体を消すことだって、僕にはできる』と、
レオンの名前を暗示する文章が記されていたことに気付いたアリシアは、
そのショックで体調を崩し、歌えなくなってしまった。
結果、コンサートツアーが中止となったのである。
中止理由は『体調不良』という公式発表は誤りではなかったのだ。
クラウスは、これまで警備組織とのミーティングを重ねたが、一週間経った今も動きはなく、
ただの悪戯だったのではないか、という風向きに変わってきた。
油断はできない。しかし、このままの状態が続くなら、警戒態勢を一度解除するべきだろう。
ここ暫く、寮でのレオンの振る舞いがどこか投げやりな気がしていた。
『安心しろ』『もう大丈夫だ』とレオンに言ってやれるのは一体いつになる。
焦りと歯がゆさが募る日々が続いていた。
「行くか」
右足から踏み出し、クラウスは走り始めた。
校舎から正門まで続く、月桂樹のアーチを駆け抜けていく。
夏であれば、この時間は木々の間から朝陽が降り注ぐ道も、
12月中旬では、太陽はまだ昇らず、薄暗い道だった。
正門まで来ると、いつものように門番に朝の挨拶をして、学院の外へ出た。
今日のランニングコースは、学院の裏手にある小高い丘まで行って帰ってくるコース。
時間さえ合えば、海から昇る朝陽が見られる丘だった。
クラウスが丘の上に到着した時、腕時計を見ると、5時45分だった。
「12月ともなると、もうこの時間では朝陽は拝めないか」
海のほうを眺めたが太陽は見えず、辺りはまだ薄暗い。日の出は6時半以降なのだ。
そろそろ帰るか、と学院のほうを向いた時。
「ん? あれは」
クラウスの目に、まだ成長途中の小さな背格好が映った。
学院の裏手にある、城壁を乗り越えて、外へ出ていくところだ。
無事に学院の外へ出た少年を、待っている大人が居た。
赤いダウンを着た男。クラウスには見覚えのない人物のようだ。
少年は大人に左腕を掴まれたが、その手を振り払った。
しかし、嫌々ながらも、大人の背に付いていくようだった。
遠目からも解る、少年の縦横無尽に跳ねた茶色の髪には、見覚えがあった。
「何してるんだ、あいつ」
クラウスは彼等のあとを追いかけた。
シュヌーシア寮では、朝食の時間になっていた。
今朝、悪夢を見てしまったテオは、冷たい水で顔を洗ったあと、
シュヌーシア寮ダイニングルームに向かった。
その途中、クラウスの部屋を訪れたが、彼は居なかった。
もう朝食の時間なのだがら、当然、ダイニングルームに居るのだろう。
そう自分に言い聞かせながら、テオはダイニングルームの扉を開けた。
「お、寝坊か、テオ」
「テオ、おはよう」
焼きたてのパンの匂いに、寮生達からの朝の挨拶。
そこまでは、いつもと変わらなかったのに、今一番そこにあって欲しいものがなかった。
「ねえ、みんな、クラウスは?」
「まだ来てないぜ?」
「なんか静かだと思ったら、クラウスが居なかったのか」
「今朝も外、走ってんだろ? 今シャワーでも浴びてんじゃない?」
「でも、時間に厳しいクラウスが、朝食の時間に遅れるなんて、今まであったかな」
「それは」
「思い当たらないな」
「みんな、どうしたの?」
ドアのところに、華奢な肢体を持つ下級生が立っていた。
中等部一年のラビだ。テオが答える。
「クラウスがまだ来ていなくてね。ラビは見ていないかい?」
小首を傾げながらラビは言った。
「クラウスも居ないの?」
「えっ?」
「レオンも居ないの」
→
■シュヌーシア寮
■ブラッディ・クリスマス04 続編
■ブラッディ・クリスマス04 続編
「できたっ!」
テオは赤と白の服を掲げる。
クラウスのサイズで特注した衣装に、テオが最後の仕上げとして、胸元に飾りを加えた。
葡萄のような形をした真っ白のクリスマスリースである。
先日、新市街へ出掛けた際に、ショッピングモールで見つけ、一目惚れした物だ。
「早速、クラウスに袖を通して貰おう!」
衣装を綺麗な紙袋に詰め、いそいそとクラウスの部屋に向かった。
「クラウスー。ちょっとお邪魔しても良いかーい?」
ノックをしたが、部屋の中から返事がない。
「あれ?」
テオはドアに耳をくっつけてみる。何も聞こえない。
しかし、就寝前のこの時間、外出は原則禁止である。
寮のサロンにも居なかったのだから部屋に居る筈だと思って来たのだが。
「シャワー中かなあ? クラウス、お邪魔するよー」
ドアを開けても、整理整頓され過ぎている部屋が迎えてくれるだけで、
部屋の主の姿はどこにも見当たらなかった。
「居ないなあ。あ、まさか、こんな遅くまで、
生徒代表室でお仕事しているのではあるまいね?」
しかし、他に考えられる場所はなかった。
そう言えば、生徒代表室には入ったことがないなあ、とテオは思う。
その高貴な部屋に招かれるのは選ばれし『王』のみ。一般生徒には入る機会がない。
壁一面に、歴代の生徒代表の肖像画が飾られていることは、
以前の生徒代表であり、シュヌーシア寮の卒業生であるヤンから
聞いたことはあるが、実際に目にしたことはなかった。
生徒代表室はどんな部屋なんだい、とクラウスに聞いたことはあるが、
「だだっ広い部屋だ」と言われたくらいだ。
「行ってみようかな、生徒代表室。怒られると思うけど」
一番親しい友人が生徒代表である今が、最も生徒代表室に入れるチャンス。
普段、クラウスがどんな部屋で執務をしているのか以前から気になっていた。
「よし。行こう!」
怒られるのを覚悟で、テオはクラウスの部屋をあとにし、生徒代表室へ向かった。
夜のキャンパスは、誰も歩いていない。
近道をする為に、森の側を通ることにした。
ふと見上げるとぼんやり月が見えた。
「美しいなあ」
「あれ? そこに居るの、もしかして、テオ?」
前方から誰かが近付いてくる。夜目が効いていないテオには、まだ見えない。
次第に見えてきたのは銀色の髪だった。同じ寮に住む生徒。
テオより二つ年下ではあるが、最近は自分より大人っぽい男だ。
「シルフェ。どうしたんだい、こんなところで」
「俺? 俺は月を見に行ってきたってトコかな?」
シルフェは闇夜を見上げる。
「いけないことだって解ってても、月があんまり綺麗だからさ」
今夜の月は薄雲を纏っており、ちらちらと仄かな光を見せていた。
シルフェはズボンのポケットに手を入れる。
「ま、今夜はもう雲に隠れちまったけど。
冷たくって恥ずかしがり屋だからねえ、孤高のお月様は」
「何やら詩人だねえ、シルフェ。まるで月を想い慕う狩人みたいだよ」
狩人か、とシルフェは笑った。
「ところで、テオはこんな時間にどうしたんだ? なんか赤い服を持ってるみたいだけど?」
「ああ、そうだった。実はこれを」
パン、と乾いた音が響いた。テオが周りを見渡す。
「何だい、今の音」
「向こうからだ。おい、テオ、行くな」
シルフェはテオを止めた。
「俺が様子を見てくる。テオはシュヌーシアに帰って、
銃声を聞いたって警備に連絡するんだ」
「銃声、なのかい」
「多分な。だから早く」
「だったら、シルフェも戻ろう。危険過ぎるよ」
「少し見てくるだけさ。俺もすぐに戻るよ。じゃ、頼んだぜ」
シルフェは寮と反対の方向へ駆け出し、闇夜に紛れ、すぐに背が見えなくなった。
不安を抱えながらも、テオは寮へ向かって、走り出そうとした。その時。
乾いた音が鳴った。先程より、はっきり聞こえた。近い。
テオは音がした方へ向かって走り始めた。
冬の夜だというのに、テオは頬に当たる風の冷たささえ感じなかった。
嫌な胸騒ぎを振り切るように夢中で走った。
木の側に、倒れている人間が二人居た。
月桂樹のクリスマスツリーの下、綺麗な電飾に照らされていたのは、見知った顔。
「クラウス、シルフェ」
テオの声を聞いても、二人はぴくりとも動かなかった。
「嘘……嘘だろう」
「なんだ。まだ夜遊びしてるガキが居やがったのか」
テオが振り向くと、そこにはサングラスをかけた大男が立っていた。
「悪ガキばっかなんだなあ、このガッコは。良い子はもう眠ってる時間だろ?
おうちでおねんねしてれば、そいつらも撃たれることもなかったのになあ」
「二人を、撃った……」
「ああ。お友達だったか?」
「嘘だ、私は信じない」
「へへっ。そいつは可哀想なことをしたなあ、悪かった」
大男は銃をテオに向けた。
「お詫びに、てめえも一緒に天国へ送ってやるよ」
テオは一歩後ずさる。大男は嗤った。
「お友達によろしくな」
大男の背後で何かが動いた。
テオがそう思った時、大男は「ぐえっ」と声をあげて、地面に倒れた。
大男を見下ろして立っていたのは、クラウスだった。
クラウスは大男が気を失っていることを確認したあと、テオを見た。
「怪我は、ない、ようだな」
「クラウス!」
「ったく。全部持って行きやがって。一人でカッコ良過ぎだろ」
「シルフェ! シルフェも無事だったのだね!」
「トーゼン。場合によっては死んだフリもテクのうちさ?」
「そうだったのか。私、二人とも撃たれてしまったのかと。無事で良かった」
テオが二人に飛び着いた。クラウスの身体がびくりと跳ねる。
「痛っ、抱き着くな。俺は腹を撃たれてるんだ」
「えっ!?」
「掠った程度だがな」
「では早く保健室に行って、怪我の手当てを」
「いや、俺のことより、まず寮に戻って全員居るか確認しなくては。
もしかしたら、レオンが居ないかもしれない」
「レオンが?」
「シルフェ、お前の足を見込んで、頼みがある。
先に寮まで走って、学院内に侵入者が来たことを、警備に」
「了解。テオ、クラウスのこと頼んだぜ」
シルフェがすぐに駆け出した。
「クラウス、私達も早く寮に戻ろう。肩を貸すよ、さあ、捕まって」
「情けないな」
「何言ってるんだい。貴方が私を助けてくれたんじゃないか。
いつだって、貴方は私のヒーローだよ?」
「楽しいお喋りはそこまでだ」
二人の後ろに、別の男が立っていた。手に握られているのは銀色の銃。
カチリ、と銃口がテオに向けられる。
「死ね」
目の前で銃声を聞いた。しかし、テオは痛みを感じなかった。
次の瞬間、ドサリという音がした。
崩れ落ちるようにして、テオの前に倒れるその動きは、酷くスローモーションに見えた。
ドクドクと、赤い液体がテオの足許に流れてくる。テオは絶叫した。
「クラウスー!」
テオは飛び起きた。カーテンに朝陽が当たっている。
自分のベッド。テオはシュヌーシア寮の自室に居た。
「なんだ……夢だったのか。良かった」
息を吐く。まるで実際に走ったあとのように息苦しい。
頭を押さえると、額は、しっとりと濡れていた。
「どうして、あんな不吉な夢を見てしまったのだろう、私は」
テオは時計を見る。もう朝食が始まっている時間だった。既に皆集まっているだろう。
テオは寝間着のまま、シュヌーシア寮のダイニングルームに向かった。
→
テオは赤と白の服を掲げる。
クラウスのサイズで特注した衣装に、テオが最後の仕上げとして、胸元に飾りを加えた。
葡萄のような形をした真っ白のクリスマスリースである。
先日、新市街へ出掛けた際に、ショッピングモールで見つけ、一目惚れした物だ。
「早速、クラウスに袖を通して貰おう!」
衣装を綺麗な紙袋に詰め、いそいそとクラウスの部屋に向かった。
「クラウスー。ちょっとお邪魔しても良いかーい?」
ノックをしたが、部屋の中から返事がない。
「あれ?」
テオはドアに耳をくっつけてみる。何も聞こえない。
しかし、就寝前のこの時間、外出は原則禁止である。
寮のサロンにも居なかったのだから部屋に居る筈だと思って来たのだが。
「シャワー中かなあ? クラウス、お邪魔するよー」
ドアを開けても、整理整頓され過ぎている部屋が迎えてくれるだけで、
部屋の主の姿はどこにも見当たらなかった。
「居ないなあ。あ、まさか、こんな遅くまで、
生徒代表室でお仕事しているのではあるまいね?」
しかし、他に考えられる場所はなかった。
そう言えば、生徒代表室には入ったことがないなあ、とテオは思う。
その高貴な部屋に招かれるのは選ばれし『王』のみ。一般生徒には入る機会がない。
壁一面に、歴代の生徒代表の肖像画が飾られていることは、
以前の生徒代表であり、シュヌーシア寮の卒業生であるヤンから
聞いたことはあるが、実際に目にしたことはなかった。
生徒代表室はどんな部屋なんだい、とクラウスに聞いたことはあるが、
「だだっ広い部屋だ」と言われたくらいだ。
「行ってみようかな、生徒代表室。怒られると思うけど」
一番親しい友人が生徒代表である今が、最も生徒代表室に入れるチャンス。
普段、クラウスがどんな部屋で執務をしているのか以前から気になっていた。
「よし。行こう!」
怒られるのを覚悟で、テオはクラウスの部屋をあとにし、生徒代表室へ向かった。
夜のキャンパスは、誰も歩いていない。
近道をする為に、森の側を通ることにした。
ふと見上げるとぼんやり月が見えた。
「美しいなあ」
「あれ? そこに居るの、もしかして、テオ?」
前方から誰かが近付いてくる。夜目が効いていないテオには、まだ見えない。
次第に見えてきたのは銀色の髪だった。同じ寮に住む生徒。
テオより二つ年下ではあるが、最近は自分より大人っぽい男だ。
「シルフェ。どうしたんだい、こんなところで」
「俺? 俺は月を見に行ってきたってトコかな?」
シルフェは闇夜を見上げる。
「いけないことだって解ってても、月があんまり綺麗だからさ」
今夜の月は薄雲を纏っており、ちらちらと仄かな光を見せていた。
シルフェはズボンのポケットに手を入れる。
「ま、今夜はもう雲に隠れちまったけど。
冷たくって恥ずかしがり屋だからねえ、孤高のお月様は」
「何やら詩人だねえ、シルフェ。まるで月を想い慕う狩人みたいだよ」
狩人か、とシルフェは笑った。
「ところで、テオはこんな時間にどうしたんだ? なんか赤い服を持ってるみたいだけど?」
「ああ、そうだった。実はこれを」
パン、と乾いた音が響いた。テオが周りを見渡す。
「何だい、今の音」
「向こうからだ。おい、テオ、行くな」
シルフェはテオを止めた。
「俺が様子を見てくる。テオはシュヌーシアに帰って、
銃声を聞いたって警備に連絡するんだ」
「銃声、なのかい」
「多分な。だから早く」
「だったら、シルフェも戻ろう。危険過ぎるよ」
「少し見てくるだけさ。俺もすぐに戻るよ。じゃ、頼んだぜ」
シルフェは寮と反対の方向へ駆け出し、闇夜に紛れ、すぐに背が見えなくなった。
不安を抱えながらも、テオは寮へ向かって、走り出そうとした。その時。
乾いた音が鳴った。先程より、はっきり聞こえた。近い。
テオは音がした方へ向かって走り始めた。
冬の夜だというのに、テオは頬に当たる風の冷たささえ感じなかった。
嫌な胸騒ぎを振り切るように夢中で走った。
木の側に、倒れている人間が二人居た。
月桂樹のクリスマスツリーの下、綺麗な電飾に照らされていたのは、見知った顔。
「クラウス、シルフェ」
テオの声を聞いても、二人はぴくりとも動かなかった。
「嘘……嘘だろう」
「なんだ。まだ夜遊びしてるガキが居やがったのか」
テオが振り向くと、そこにはサングラスをかけた大男が立っていた。
「悪ガキばっかなんだなあ、このガッコは。良い子はもう眠ってる時間だろ?
おうちでおねんねしてれば、そいつらも撃たれることもなかったのになあ」
「二人を、撃った……」
「ああ。お友達だったか?」
「嘘だ、私は信じない」
「へへっ。そいつは可哀想なことをしたなあ、悪かった」
大男は銃をテオに向けた。
「お詫びに、てめえも一緒に天国へ送ってやるよ」
テオは一歩後ずさる。大男は嗤った。
「お友達によろしくな」
大男の背後で何かが動いた。
テオがそう思った時、大男は「ぐえっ」と声をあげて、地面に倒れた。
大男を見下ろして立っていたのは、クラウスだった。
クラウスは大男が気を失っていることを確認したあと、テオを見た。
「怪我は、ない、ようだな」
「クラウス!」
「ったく。全部持って行きやがって。一人でカッコ良過ぎだろ」
「シルフェ! シルフェも無事だったのだね!」
「トーゼン。場合によっては死んだフリもテクのうちさ?」
「そうだったのか。私、二人とも撃たれてしまったのかと。無事で良かった」
テオが二人に飛び着いた。クラウスの身体がびくりと跳ねる。
「痛っ、抱き着くな。俺は腹を撃たれてるんだ」
「えっ!?」
「掠った程度だがな」
「では早く保健室に行って、怪我の手当てを」
「いや、俺のことより、まず寮に戻って全員居るか確認しなくては。
もしかしたら、レオンが居ないかもしれない」
「レオンが?」
「シルフェ、お前の足を見込んで、頼みがある。
先に寮まで走って、学院内に侵入者が来たことを、警備に」
「了解。テオ、クラウスのこと頼んだぜ」
シルフェがすぐに駆け出した。
「クラウス、私達も早く寮に戻ろう。肩を貸すよ、さあ、捕まって」
「情けないな」
「何言ってるんだい。貴方が私を助けてくれたんじゃないか。
いつだって、貴方は私のヒーローだよ?」
「楽しいお喋りはそこまでだ」
二人の後ろに、別の男が立っていた。手に握られているのは銀色の銃。
カチリ、と銃口がテオに向けられる。
「死ね」
目の前で銃声を聞いた。しかし、テオは痛みを感じなかった。
次の瞬間、ドサリという音がした。
崩れ落ちるようにして、テオの前に倒れるその動きは、酷くスローモーションに見えた。
ドクドクと、赤い液体がテオの足許に流れてくる。テオは絶叫した。
「クラウスー!」
テオは飛び起きた。カーテンに朝陽が当たっている。
自分のベッド。テオはシュヌーシア寮の自室に居た。
「なんだ……夢だったのか。良かった」
息を吐く。まるで実際に走ったあとのように息苦しい。
頭を押さえると、額は、しっとりと濡れていた。
「どうして、あんな不吉な夢を見てしまったのだろう、私は」
テオは時計を見る。もう朝食が始まっている時間だった。既に皆集まっているだろう。
テオは寝間着のまま、シュヌーシア寮のダイニングルームに向かった。
→
■シュヌーシア寮
■ブラッディ・クリスマス03 続編
■ブラッディ・クリスマス03 続編
クラウスは寮を出て、校舎に向かった。生徒代表室は学生課棟の一番奥にある。
学生課には三人の職員が居た。放課後となり、生徒の姿が少なくなる時間帯になったせいか、
もう勤務時間は終わっている筈の職員達がまだ残っており、何か楽しそうに笑い合っていた。
向こうから生徒代表が歩いてくるのに一人の職員が気付き、同僚達の肩を叩いた。
「あ、おい! クラウス様のお通りだぞ!」
途端に、三人の職員達は仕事をしているフリをした。
一人目は少し散らかっていた机上を慌てて片付け、
二人目は用もないのにパソコン画面に向かい、
三人目はとっくに終わっている書類整理を始めた。
学生課の前を生徒代表が通る時、三人は「お疲れ様です、クラウス様」と声を揃えた。
しかし、クラウスは無言で素通りした。
いつもなら挨拶を返してくれる律儀な生徒代表なのだが、
今日はまるで声が聞こえていないようだった。
学生課トリオは不思議そうに生徒代表の背中を見送り、顔を見合わせた。
クラウスは生徒代表室に着くと、すぐにパソコンを起動させた。
警備組織に繋がるインターネット電話で、こう呼びかけた。
「生徒代表のクラウスだ。アイヴィーを呼んでくれ。至急、話したいことがある」
数秒後、画面にピシリとネクタイを締めた黒スーツの男が映った。
副司令官のラインハルト・クロイツ。ドイツ出身の元軍人。
仕事に対してとても真面目で、かつ有能な男であるのでクラウスも信頼がおける人物だった。
副司令官は、クラウスを見て驚いた様子だった。
「クラウス様……丁度、ご連絡差し上げるところでした」
「よっ、クラウス。俺をお呼びかい?」
横からフレームインした男のネクタイは緩く結ばれていた。
元軍人だというのに、金色の髪を長く伸ばした男。
司令官は小首を傾げる。サラリと金色の長い髪が揺れた。
「レオンのこと、だろ?」
クラウスは一瞬驚いた様子だった。
「ああ。話が早いな」
「ま。コッチもさっき知った話なんだけどな?」
アイヴィーが、そのニュースを知ったのは、つい一時間ほど前のことだった。
「何だこりゃ?」
馴染みのカフェバーで軽い晩メシを食べる手が止まった。
チキンと半熟卵を挟んだサンドイッチ。
ブラックペッパーが効いていて、なかなかウマかったのに、だ。
口は半開きのまま、携帯電話の画面を見つめていた。
「アイヴィー、卵が零れそうだよ?」
誰かにそう言われて、アイヴィーは自分のサンドイッチを見る。
斜めに持っていたせいで、パンの先からトロトロの黄身が、
零れ落ちそうになっていた。慌ててチュッと吸う。
「可愛らしいね、君は」
そう言って微笑んでいたのは、聖アルフォンソ学院、神秘学担当特別講師、
オーギュスト・ボージェ教授だった。
「ちょ、センセ。こんなの捕まえて、カワイイはナイでしょ」
「間違ったことは言っていないと思うけれどね。ここ、座らせて頂いても良いかな?」
「うん」
教授はアイヴィーの向かいにある椅子を引いた。
タイミング良く来た店員に、先生は「とりあえず、コーヒーを」と注文していた。
「センセもお外で晩メシ?」
「うん。偶にはね。ところで、それ」
先程まで、アイヴィーが見ていた携帯電話を示す。
「何か気になることでもあったのかい?」
「んー。いやー、ちょっとねー」
言葉を濁したアイヴィーに教授は微笑むだけだった。
言いたくないのなら言わなくて良いよ、と暗に伝えていた。
年上のせいもあるだろうが、お気楽者の自分と違って、オトナで、上品な雰囲気を持つ人だ。
『紳士』という言葉は、先生のような男性に使うものなのだろう。
穏やかな微笑に安心したせいか、先生も学院関係者の一人なんだし、
とアイヴィーは少しだけ話してみることにした。
但し、生徒のプライバシーに関わる機密事項は決して口にしないように注意して。
「えと、センセは、アリシア・キャリーって知ってる?」
「ああ、クリスマスソングで有名な、アメリカの女性ヴォーカリストのことかな?」
「そう、そう。彼女のニュースがさっきテレビでやってて」
店内のテレビを見上げる。先程、アイヴィーがたまたま目にしたのは芸能ニュース。
それは、彼女の体調不良によりコンサートツアーを中止するというニュースだった。
病名などは明かされなかったが、歌手だって人間。風邪くらい引くだろう。
他の歌手だったなら、アイヴィーだってサンドイッチを食べる手が止まったりはしなかっただろう。
「ちょっと気になっちゃってさ」
「気になる? アイヴィー、彼女のファンだったのかね?」
「う、うん! まー、そんなかんじ、かな? あ、CDは持ってるからねマジで!」
少し挙動不審になったアイヴィーを、優しく見守りながら、
教授は「それで?」と続きを促した。
「あ、うん。んでね? アリシア周りのこと、
携帯で色々調べてたら、こんなの見つけちゃってさ」
アイヴィーは自分の携帯電話を差し出す。
最近アップル社から発売されたばかりのスマートフォンだ。
「これ、ファンが書いた、アリシア宛のメッセージみたいなんだけど。イミ解んないでしょ?」
指でタッチしながら、該当の画面を表示した。
『アリシア。
暫く会いに来れなくてごめんね。
君は僕達のメッセージを、
いつも大切に読んでくれているから、
僕が急に居なくなって、
心配させてしまったかな。
反省していたんだ。
君は何も悪くないのに、
この前、僕は、まるで君に、
非があるような書き方をしただろう?
僕が、君の為にできること、
ずっと考えてた。
君が本当に歌いたい歌を歌えるように
君が昔の笑顔を取り戻せるように
君が心から幸せになれるように
僕にできることは何だろうって。
僕は真実を知ってしまったから。
君が今まで僕達にくれた幸せを、
今度は僕が君に返す番だ。
大好きだよ。アリシア。愛してる。
君に会えて良かった。
心配しないで。
と言っても、君は優しいひとだから、
心を痛めるかな。
良いんだよ。
僕のクリスマスは血に濡れても。
君の笑顔の為なら、
僕は何だってできる。
海をまっぷたつに切り裂いて、
この世にない場所を見つけることも、
モロクに魂を売って、
スフィンクスの身体を消すことだって、
僕にはできる。
僕が君から、
悲しみを取り除いてあげるからね。
ブラッディ・クリスマスより』
全文を読み終えた教授は、「ありがとう」と言ってスマートフォンを返した。
ミラノサンドを食べながら待っていたアイヴィーは「うん」と頷いた後、
アイスコーヒーで流し込んだ。
「ね? イミ解んないでしょ、特に後半。なんで急にスフィンクス?
てゆうか、モロクって? みたいな。
あ、でも、神秘学の先生なら、何か思い付くことあったりするのかな?
スフィンクスって、神秘学の守備範囲?」
「うん。穏やかではないね、このメッセージは」
「どういうこと?」
「気にかかるセンテンスが3つあるね。1つ目は、ここ」
教授が指を差す。
「『モロクに魂を売って』だ。魂を売る、という言葉から想像が付くかもしれないが、
モロクは悪魔の名前なんだよ。子供を生け贄にする、流血の悪魔のね」
「流血? じゃあ、最後に書いてあったウェブネームの、
ブラッディ・クリスマスってのと、かかってんのかな」
「あるいはね。2つ目に気になるのは『この世にない場所』だ。
アイヴィー、君はどこのことだと思うかね?」
「うーん。もしかして『天国』のこと言ってんのかなーとかは思ったけど」
「そうだね。天国もこの世にない場所だ。けれど、天国以外の場所がある」
教授は人差し指を木のテーブルに立てた。アイヴィーは首を傾げる。
「このお店?」
「を含めた、聖アルフォンソ島、だよ。この島は地図に載っていない。
この世に存在していないことになっている島だ。そして、3つ目」
教授は再び人差し指をスマートフォンの画面に向ける。
「ここ、『スフィンクスの身体』だ。そもそもスフィンクスとは、
神話に登場する、神聖なる獣のことだ。
ピラミッドの側に控えているスフィンクスが、最も有名なところかな。
エジプトではスフィンクスが王家のシンボルだったからね」
いつのまにかスフィンクス講座になっていて、
アイヴィーは「何でこんな話してるんだっけ」と混乱してきた。
「ああ、すまない。少し、話が逸れてしまったね。
ここで気になるのは、わざわざ、スフィンクスの『身体』と書かれていることなんだ。
スフィンクスという獣はね、王の顔と、ライオンの身体を持っているんだよ」
「ライオンの、身体」
「うん。つまり、『この世にない場所を見つけることも、
スフィンクスの身体を消すことだって、僕にはできる』
このメッセージは、こう読むこともできるんじゃないかな?
『聖アルフォンソ島を見つけることも、
ライオンを消すことだって、僕にはできる』とね」
「でも、ライオンなんか居たっけ、うちのガッコに」
「居るよ」
私の考え過ぎかもしれないが、と断った上で、教授は言った。
「フランス語では『ライオン』のことを『レオン』と言うんだ」
アイヴィーは「えっ」と言ったきり、黙ってしまった。
「何故、アリシア・キャリーのファンが、
うちの生徒を狙うかのようなメッセージを送ったのか、私には解らないが。
アイヴィー。君には、何か思い当たることがあるようだね?
すまない。せっかくの休日の夜を、返上させてしまうことを言ってしまったかな?」
アイヴィーは軽く笑った。
「ホントだよ。晩メシのあとは、久し振りにライブにでも行って、
お休みの夜を締め括る予定だったのに」
「それは申し訳ないことをしてしまったね」
「冗談だよ、ジョーダン。ありがと、センセ。俺、ちょっくら、顔出してくる」
「うん。気を付けて」
教授に見送られ、警備組織の本部がある追憶の塔に向かった。
アイヴィーが本部に到着後まもなくクラウスから連絡が来たというわけだ。
PC画面に映っているクラウスは腕時計を確認していた。
「では、15分後、緊急ネットミーティングを開く。それまでに、俺は博士を連れてくる。
警備は出来る限りの情報収集とミーティングの準備を。いいな?」
「畏まりました」
副司令官は一礼する。アイヴィーは軽めの敬礼をしながら、
「アイアイサー」
「頼んだぞ。通信終了」
画面から生徒代表が消える。司令官は敬礼していた右手を空に向ける。
「15分だって。たった15分でどんだけできるかな?」
副司令官はキーボードを打ちながら、
「流石はクラウス様。迅速な判断に的確な指示。まだ18歳とは思えません」
「うわ、ベタ褒めー。クロちゃんって、俺には怒ってばっかなのに、
クラウスのことはいっつも褒めるよねー」
「クラウス様は司令と違って、仕事を人に任せたり、
勤務時間中にふらりと居なくなったりしませんから。
司令もクラウス様を見習ってはいかがです」
「何でもかんでも俺だけがしてたら、困るじゃん? 俺が死んだ時」
副司令官は息を吐いた。
「だからと言って、仕事を私に押し付けたり、
勤務中にどこかで時間潰しをして良い理由にはなりませんよ」
「ハハハッ。ゴメン、ゴメン」
笑顔の司令官を、副司令官はちらりと盗み見た。
「15分後にミーティング開始ですよ。口を動かすなら無駄口ではなくご指示を」
「ハーイ」
アイヴィーは椅子のキャスターを滑らせて、マイクの前に移動した。
警備全員の耳に届くスイッチを押した。
「全隊員に告ぐ。シュヌーシア寮のレオン・ライトに殺害予告の可能性あり。
詳細は追って知らせる。パトロール及び監視チームは侵入者に警戒せよ。以上」
スイッチを切り、続いて本部に居るオペレーター達に言う。
「本部の皆は、引き続き情報収集よろしく。ミーティング開始以降も続けて貰おっかな。
見つけた情報はじゃんじゃんチャットに流して。それ見て俺達もクラウスに報告していくからさ。
情報収集は一時間後に一度打ち切って、そのまとめは、クロイツ」
「早速、面倒事は私ですか」
「クロイツの情報解析力と仕事の早さを買ってるんだよ。
それを元に、ミーティング終了から30分後くらいに俺と改めて打ち合わせしよ?」
「畏まりました。貴方が休憩されている間に報告書を完成させればよろしいのですね?」
「何言ってんの。クロちゃんなら休憩時間作れるでしょ? てなかんじで、各自よろしく」
了解、と隊員達から威勢の良い返事が返ってきた。
→
学生課には三人の職員が居た。放課後となり、生徒の姿が少なくなる時間帯になったせいか、
もう勤務時間は終わっている筈の職員達がまだ残っており、何か楽しそうに笑い合っていた。
向こうから生徒代表が歩いてくるのに一人の職員が気付き、同僚達の肩を叩いた。
「あ、おい! クラウス様のお通りだぞ!」
途端に、三人の職員達は仕事をしているフリをした。
一人目は少し散らかっていた机上を慌てて片付け、
二人目は用もないのにパソコン画面に向かい、
三人目はとっくに終わっている書類整理を始めた。
学生課の前を生徒代表が通る時、三人は「お疲れ様です、クラウス様」と声を揃えた。
しかし、クラウスは無言で素通りした。
いつもなら挨拶を返してくれる律儀な生徒代表なのだが、
今日はまるで声が聞こえていないようだった。
学生課トリオは不思議そうに生徒代表の背中を見送り、顔を見合わせた。
クラウスは生徒代表室に着くと、すぐにパソコンを起動させた。
警備組織に繋がるインターネット電話で、こう呼びかけた。
「生徒代表のクラウスだ。アイヴィーを呼んでくれ。至急、話したいことがある」
数秒後、画面にピシリとネクタイを締めた黒スーツの男が映った。
副司令官のラインハルト・クロイツ。ドイツ出身の元軍人。
仕事に対してとても真面目で、かつ有能な男であるのでクラウスも信頼がおける人物だった。
副司令官は、クラウスを見て驚いた様子だった。
「クラウス様……丁度、ご連絡差し上げるところでした」
「よっ、クラウス。俺をお呼びかい?」
横からフレームインした男のネクタイは緩く結ばれていた。
元軍人だというのに、金色の髪を長く伸ばした男。
司令官は小首を傾げる。サラリと金色の長い髪が揺れた。
「レオンのこと、だろ?」
クラウスは一瞬驚いた様子だった。
「ああ。話が早いな」
「ま。コッチもさっき知った話なんだけどな?」
アイヴィーが、そのニュースを知ったのは、つい一時間ほど前のことだった。
「何だこりゃ?」
馴染みのカフェバーで軽い晩メシを食べる手が止まった。
チキンと半熟卵を挟んだサンドイッチ。
ブラックペッパーが効いていて、なかなかウマかったのに、だ。
口は半開きのまま、携帯電話の画面を見つめていた。
「アイヴィー、卵が零れそうだよ?」
誰かにそう言われて、アイヴィーは自分のサンドイッチを見る。
斜めに持っていたせいで、パンの先からトロトロの黄身が、
零れ落ちそうになっていた。慌ててチュッと吸う。
「可愛らしいね、君は」
そう言って微笑んでいたのは、聖アルフォンソ学院、神秘学担当特別講師、
オーギュスト・ボージェ教授だった。
「ちょ、センセ。こんなの捕まえて、カワイイはナイでしょ」
「間違ったことは言っていないと思うけれどね。ここ、座らせて頂いても良いかな?」
「うん」
教授はアイヴィーの向かいにある椅子を引いた。
タイミング良く来た店員に、先生は「とりあえず、コーヒーを」と注文していた。
「センセもお外で晩メシ?」
「うん。偶にはね。ところで、それ」
先程まで、アイヴィーが見ていた携帯電話を示す。
「何か気になることでもあったのかい?」
「んー。いやー、ちょっとねー」
言葉を濁したアイヴィーに教授は微笑むだけだった。
言いたくないのなら言わなくて良いよ、と暗に伝えていた。
年上のせいもあるだろうが、お気楽者の自分と違って、オトナで、上品な雰囲気を持つ人だ。
『紳士』という言葉は、先生のような男性に使うものなのだろう。
穏やかな微笑に安心したせいか、先生も学院関係者の一人なんだし、
とアイヴィーは少しだけ話してみることにした。
但し、生徒のプライバシーに関わる機密事項は決して口にしないように注意して。
「えと、センセは、アリシア・キャリーって知ってる?」
「ああ、クリスマスソングで有名な、アメリカの女性ヴォーカリストのことかな?」
「そう、そう。彼女のニュースがさっきテレビでやってて」
店内のテレビを見上げる。先程、アイヴィーがたまたま目にしたのは芸能ニュース。
それは、彼女の体調不良によりコンサートツアーを中止するというニュースだった。
病名などは明かされなかったが、歌手だって人間。風邪くらい引くだろう。
他の歌手だったなら、アイヴィーだってサンドイッチを食べる手が止まったりはしなかっただろう。
「ちょっと気になっちゃってさ」
「気になる? アイヴィー、彼女のファンだったのかね?」
「う、うん! まー、そんなかんじ、かな? あ、CDは持ってるからねマジで!」
少し挙動不審になったアイヴィーを、優しく見守りながら、
教授は「それで?」と続きを促した。
「あ、うん。んでね? アリシア周りのこと、
携帯で色々調べてたら、こんなの見つけちゃってさ」
アイヴィーは自分の携帯電話を差し出す。
最近アップル社から発売されたばかりのスマートフォンだ。
「これ、ファンが書いた、アリシア宛のメッセージみたいなんだけど。イミ解んないでしょ?」
指でタッチしながら、該当の画面を表示した。
『アリシア。
暫く会いに来れなくてごめんね。
君は僕達のメッセージを、
いつも大切に読んでくれているから、
僕が急に居なくなって、
心配させてしまったかな。
反省していたんだ。
君は何も悪くないのに、
この前、僕は、まるで君に、
非があるような書き方をしただろう?
僕が、君の為にできること、
ずっと考えてた。
君が本当に歌いたい歌を歌えるように
君が昔の笑顔を取り戻せるように
君が心から幸せになれるように
僕にできることは何だろうって。
僕は真実を知ってしまったから。
君が今まで僕達にくれた幸せを、
今度は僕が君に返す番だ。
大好きだよ。アリシア。愛してる。
君に会えて良かった。
心配しないで。
と言っても、君は優しいひとだから、
心を痛めるかな。
良いんだよ。
僕のクリスマスは血に濡れても。
君の笑顔の為なら、
僕は何だってできる。
海をまっぷたつに切り裂いて、
この世にない場所を見つけることも、
モロクに魂を売って、
スフィンクスの身体を消すことだって、
僕にはできる。
僕が君から、
悲しみを取り除いてあげるからね。
ブラッディ・クリスマスより』
全文を読み終えた教授は、「ありがとう」と言ってスマートフォンを返した。
ミラノサンドを食べながら待っていたアイヴィーは「うん」と頷いた後、
アイスコーヒーで流し込んだ。
「ね? イミ解んないでしょ、特に後半。なんで急にスフィンクス?
てゆうか、モロクって? みたいな。
あ、でも、神秘学の先生なら、何か思い付くことあったりするのかな?
スフィンクスって、神秘学の守備範囲?」
「うん。穏やかではないね、このメッセージは」
「どういうこと?」
「気にかかるセンテンスが3つあるね。1つ目は、ここ」
教授が指を差す。
「『モロクに魂を売って』だ。魂を売る、という言葉から想像が付くかもしれないが、
モロクは悪魔の名前なんだよ。子供を生け贄にする、流血の悪魔のね」
「流血? じゃあ、最後に書いてあったウェブネームの、
ブラッディ・クリスマスってのと、かかってんのかな」
「あるいはね。2つ目に気になるのは『この世にない場所』だ。
アイヴィー、君はどこのことだと思うかね?」
「うーん。もしかして『天国』のこと言ってんのかなーとかは思ったけど」
「そうだね。天国もこの世にない場所だ。けれど、天国以外の場所がある」
教授は人差し指を木のテーブルに立てた。アイヴィーは首を傾げる。
「このお店?」
「を含めた、聖アルフォンソ島、だよ。この島は地図に載っていない。
この世に存在していないことになっている島だ。そして、3つ目」
教授は再び人差し指をスマートフォンの画面に向ける。
「ここ、『スフィンクスの身体』だ。そもそもスフィンクスとは、
神話に登場する、神聖なる獣のことだ。
ピラミッドの側に控えているスフィンクスが、最も有名なところかな。
エジプトではスフィンクスが王家のシンボルだったからね」
いつのまにかスフィンクス講座になっていて、
アイヴィーは「何でこんな話してるんだっけ」と混乱してきた。
「ああ、すまない。少し、話が逸れてしまったね。
ここで気になるのは、わざわざ、スフィンクスの『身体』と書かれていることなんだ。
スフィンクスという獣はね、王の顔と、ライオンの身体を持っているんだよ」
「ライオンの、身体」
「うん。つまり、『この世にない場所を見つけることも、
スフィンクスの身体を消すことだって、僕にはできる』
このメッセージは、こう読むこともできるんじゃないかな?
『聖アルフォンソ島を見つけることも、
ライオンを消すことだって、僕にはできる』とね」
「でも、ライオンなんか居たっけ、うちのガッコに」
「居るよ」
私の考え過ぎかもしれないが、と断った上で、教授は言った。
「フランス語では『ライオン』のことを『レオン』と言うんだ」
アイヴィーは「えっ」と言ったきり、黙ってしまった。
「何故、アリシア・キャリーのファンが、
うちの生徒を狙うかのようなメッセージを送ったのか、私には解らないが。
アイヴィー。君には、何か思い当たることがあるようだね?
すまない。せっかくの休日の夜を、返上させてしまうことを言ってしまったかな?」
アイヴィーは軽く笑った。
「ホントだよ。晩メシのあとは、久し振りにライブにでも行って、
お休みの夜を締め括る予定だったのに」
「それは申し訳ないことをしてしまったね」
「冗談だよ、ジョーダン。ありがと、センセ。俺、ちょっくら、顔出してくる」
「うん。気を付けて」
教授に見送られ、警備組織の本部がある追憶の塔に向かった。
アイヴィーが本部に到着後まもなくクラウスから連絡が来たというわけだ。
PC画面に映っているクラウスは腕時計を確認していた。
「では、15分後、緊急ネットミーティングを開く。それまでに、俺は博士を連れてくる。
警備は出来る限りの情報収集とミーティングの準備を。いいな?」
「畏まりました」
副司令官は一礼する。アイヴィーは軽めの敬礼をしながら、
「アイアイサー」
「頼んだぞ。通信終了」
画面から生徒代表が消える。司令官は敬礼していた右手を空に向ける。
「15分だって。たった15分でどんだけできるかな?」
副司令官はキーボードを打ちながら、
「流石はクラウス様。迅速な判断に的確な指示。まだ18歳とは思えません」
「うわ、ベタ褒めー。クロちゃんって、俺には怒ってばっかなのに、
クラウスのことはいっつも褒めるよねー」
「クラウス様は司令と違って、仕事を人に任せたり、
勤務時間中にふらりと居なくなったりしませんから。
司令もクラウス様を見習ってはいかがです」
「何でもかんでも俺だけがしてたら、困るじゃん? 俺が死んだ時」
副司令官は息を吐いた。
「だからと言って、仕事を私に押し付けたり、
勤務中にどこかで時間潰しをして良い理由にはなりませんよ」
「ハハハッ。ゴメン、ゴメン」
笑顔の司令官を、副司令官はちらりと盗み見た。
「15分後にミーティング開始ですよ。口を動かすなら無駄口ではなくご指示を」
「ハーイ」
アイヴィーは椅子のキャスターを滑らせて、マイクの前に移動した。
警備全員の耳に届くスイッチを押した。
「全隊員に告ぐ。シュヌーシア寮のレオン・ライトに殺害予告の可能性あり。
詳細は追って知らせる。パトロール及び監視チームは侵入者に警戒せよ。以上」
スイッチを切り、続いて本部に居るオペレーター達に言う。
「本部の皆は、引き続き情報収集よろしく。ミーティング開始以降も続けて貰おっかな。
見つけた情報はじゃんじゃんチャットに流して。それ見て俺達もクラウスに報告していくからさ。
情報収集は一時間後に一度打ち切って、そのまとめは、クロイツ」
「早速、面倒事は私ですか」
「クロイツの情報解析力と仕事の早さを買ってるんだよ。
それを元に、ミーティング終了から30分後くらいに俺と改めて打ち合わせしよ?」
「畏まりました。貴方が休憩されている間に報告書を完成させればよろしいのですね?」
「何言ってんの。クロちゃんなら休憩時間作れるでしょ? てなかんじで、各自よろしく」
了解、と隊員達から威勢の良い返事が返ってきた。
→
■シュヌーシア寮
■ブラッディ・クリスマス02 続編
■ブラッディ・クリスマス02 続編
「今日のディナーは、デザートのアップルパンケーキが
特に美味しかったなあ、ドイツのお菓子だったし」
クラウスがテオのほうを向いた。
「お前、ドイツ料理が好きだったのか?」
「それはもう大好きだとも!」
「ふうん」
クラウスは食後のコーヒーを口に運んだ。
シュヌーシア寮ダイニングルームでは、そろそろデザートも食べ終わり、
生徒達は徐々に退室していく時間だった。
テーブルの上にある皿は殆どが空になっている中、
クラウスは不自然な皿を見つけ、コーヒーカップをソーサーに戻した。
「おい、レオン。残すなよ、トマト」
中等部一年生が唇を尖らせる。
「煩いなー、クラウスは。つーか、いちいちヒトの皿チェックしてんじゃねーよ」
「お前がいちいちトマトを残すからだろう。
せっかくシェフが、お前でも食べ易いように工夫してくれているというのに」
サラダには具だくさんのドレッシングが掛かっていた。
それはトマト、アボカド、ピクルス、ジンジャーなどを5ミリ程度にみじん切りした物を、
オレンジ色をした甘めのソースで仕上げたシェフ手作りのドレッシングだった。
「これだけ小さく刻まれたトマトなのに、何故わざわざトマトだけ集める。
そんなことするから食べ難いんだ。他の物と一緒に食べれば、
トマトの味など感じないうちに、腹の中に収まると何故解らない」
「トマトが食べられる奴に、トマトが嫌いな奴の気持ちなんか解んないんだっ」
「ああ、解らんな。それから、ラビ」
「は、ハイッ」
「お前も、そのピクルス、残すなよ」
「だ、だって。僕、キュウリもダメなのにピクルスなんて」
「数ミリ四方しかないだろう。そのくらい我慢して食え。幼稚園児じゃないんだぞ」
「でも……」
「言い訳は必要ない」
ラビは肩を落とした。「あ、そうだっ」と呟いたレオンが、
ラビの耳元に手をかざして、ヒソヒソ話をした。
何かを耳打ちされたラビは目を輝かせて、うんうんと頷きながらレオンを見た。
二人の様子を、眉間に皺を寄せながらクラウスが見ていると、
「ねえ、クラウス?」
テオに声をかけられた。
「今宵は生徒代表のお仕事、ないのだろう?」
「え? ああ。予定はないが。どうした?」
「では、久し振りにチェスなんてどうかな? クラウス、得意だろう?」
「しかし、お前は得意ではないだろう」
「良いのだよ。クラウスが緻密な戦略で華麗に勝利するところが楽しみなのだから」
「お前にプライドはないのか?」
「クラウスを前にしては、己のプライドなど無意味だよ! つまり!」
クラウスは席を立つ。
「チェスボードを取ってくる。先にサロンへ行っていろ」
「ありがとう! 優しいなあ、クラウスは。ではサロンで待っているね」
クラウスがドアの向こうに消える。
テオがその背に続き、ドアを閉める前にレオンとラビにウインクした。
ダイニングルームに残ったレオンとラビは互いに笑顔を向け合った。
「よし。ラビ、今のうちに」
「うんっ」
「おい、お前達」
ドアのところに、クラウスが戻ってきていた。
「言い忘れたが、間違っても、互いの嫌いな物を交換して食べよう、
などという姑息な真似はするなよ?」
ドアが閉まった。
シュヌーシア寮サロンではテオがソファで待っていた。
クラウスがテーブルにチェスボードを置き、向かいのソファに着く。
「お前が白で良いぞ」
「おや。先手を譲ってくれるのかい? クラウス」
「ああ。それから、瞬殺する戦法は取らないと約束する」
「おやおや。クラウスは紳士だねえ。いや、フェアプレイ精神に則った、
誇り高きスポーツマンと言ったほうが貴方には合っているかな」
「そのくらいハンディがないと、すぐ終わってしまいそうだからな。
だが、それでも俺は負けない。だからお前も、勝負するなら本気で来い」
何事にも真面目に真剣に取り組む人だ、とテオは改めて思った。
いつでもリラックスしている性質の自分とは全く逆。
けれど、こんな場面でも気を張って、クラウスは疲れてしまわないのだろうか。
いや、これが彼にとっては普通で、自然なことなのだろう。
「解ったよ、クラウス」
テオは微笑んだ。
「私も負けないよ!」
まだ少し生乾きの銀髪からは、最近変えたトリートメントの香りがした。
シャワー上がりの生徒が、シュヌーシア寮サロンに顔を出した時、
他の生徒達は、テレビの前でカード遊びをしていたり、宿題をしていたりという、
普段と何ら変わらないシュヌーシアの光景があった。
空いていたソファに座ると、バトラーが近付いてきた。
「シルフェ様、何かお飲み物をお持ち致しましょうか」
「ああ。丁度、喉が乾いてたんだ。
じゃあ、アイスティーね。リーフは……何かイイのある?」
「左様でございますね。では、アッサムはいかがでしょう。
アセロラジュースを少し加えますと、さっぱりとしたアイスアセロラティーになるかと」
「イイねえ。じゃあそれで」
「畏まりました」
「やったあ! チェックメイト! これ、チェックメイトで良いのだよね!?」
テオの大きな声に、シルフェが振り向く。近付いてみると、
テーブルの上にはチェスボードがあり、白の駒が勝っていた。
「あれえ? お父さんが負けたの?」
クラウスは憮然としながら「お父さん言うな」
テオがフォローする。
「あ、でもね? お父さんはお母さんの為にハンディをくれたのだよ。だから勝てたんだ」
「ふうん。じゃ、この調子で二回戦では、お父さんのハートもチェックメイトしちゃえば?」
「それは良いねえ」
「そこ、意味の解らない会話をするな」
「ねえクラウス! もう一試合しようよ! 今度はハンディなしで良いよ!」
「ほう。言うな。ならば、次こそ絶対に負けん」
「歌手のアリシア・キャリーさんがクリスマスツアーを延期しました」
テレビから聞こえてきた言葉に、クラウスは思わず視線を向けた。
「所属事務所は、アリシアさんの体調不良の為と説明しており」
数時間前にも見たニュースがまた流れていた。
「あ。このニュース、さっきネットで見たら、なんかヘンなことになっててさ」
アリシアファンの生徒がそう言うと、他の生徒達もやってきた。
「ヘンって?」
「アリシアを脅迫したファンが居るとか居ないとか、ウワサになってた。
その脅迫状みたいなやつのコピーも出回ってんだけど、
どれが本物で、どれが偽物なのか解んねえんだよ」
「例えば?」
「クリスマスツアーを中止させたのは俺だとか、歌の歌詞に文句付けてるみたいなのとか、
アリシアの子供を殺してやるっていうのもあってさあ」
「え? アリシアに子供なんか居たっけ?」
「居ねえよ。居るわけないだろ。アリシアは独身だし。てゆうか俺の未来の恋人」
「かどうかは置いといて。その様子じゃ、騒ぎに乗じてデマ流してる奴も何人か居そうだな」
サロンの隅で宿題をしていた生徒が、天井に向かって腕を伸ばした。
「よーし。これで宿題全部だよな、ラビ」
「うん。やっと終わったね。ねえ、レオン、僕達もダウトに入れて貰おうよ」
「お前は入れて貰いな。俺はもう眠いから部屋に戻るわ」
「えー。もう寝ちゃうのー。まだ8時だよ?」
「昨日遅くまでマンガ読んでたから今日はずっと眠かったんだよ」
「そっか。じゃあ、おやすみ。また明日ね」
「ん。おやすみ」
レオンがサロンを出ていく。
テレビに映っているアナウンサーは、次のニュースを伝える。
生徒達の話題も変わろうとしている中、テオは独りごちた。
「心配だなあ」
「テオ」
「ああ、すまない、クラウス。ニュースに見入ってしまって。
チェスの二回戦をやるのだったね。次はクラウスが白で」
「すまんが、二回戦は中止にしてくれ。それから、ボードの片付けも頼んで良いか」
「それは良いけれど、急にどうしたんだい?」
クラウスは席を立ちながら、
「生徒代表室に行ってくる」
「えっ? でも、さっき今日はお仕事の予定はないって」
普段は人の目を真っ直ぐ見て話す人なのに、その時のクラウスはテオから目を離した。
「忘れていたんだ」
クラウスは振り向かずにサロンから出ていった。
一連の様子を見ていたシルフェは、まだ少し濡れている髪に指を通していた。
「シルフェ様。アッサムのアイスティーをお持ちしました」
「ああ。サンキュ。バトラー」
シルフェは白いストローを咥える。
アッサムの爽やかな苦みが口内に流れ込む。後味にアセロラの甘酸っぱさを感じる。
バトラーの作る紅茶はいつも美味い。
味に何の文句もないのに、シルフェはストローの先端を噛んでいた。
その時、クラウスはドアの前に立っていた。
生徒代表室に行ってくると言っていた彼は、まだシュヌーシア寮の中に居た。
「クラウスだ。開けてくれ」
部屋の中から返事が聞こえない。再度ノックしたが無反応だった。
「無視するな、返事しろ」という小言を飲み込み、ドアノブを掴む。
「入るぞ」
ドアを開けると、その生徒は、ベッドに寝転んで雑誌を読んでいた。
クラウスには背を向けており、どんな顔をしているのか解らない。
クラウスはドアを閉め、少しベッドに近付いた。
「レオン。話がある」
レオンは背を向けたまま、
「俺はない」
クラウスは静かに言った。
「すまんが、俺は生徒代表の任務上、お前の両親が誰なのか知っている」
レオンが舌打ちしたのが聞こえた。
「んなことまで知ってんのかよ、生徒代表は」
「ああ。全生徒の詳細なプロフィールを把握することは、生徒代表の義務だ」
レオンは寝返りを打って、やっと顔を向けた。
「で? その生徒代表サマが、なんか用?」
生徒代表はレオンの目を見て言った。
「お前のことは必ず守る」
レオンはまた寝返りを打って「何だよ、それ」と言いながら背を向けた。
それでもクラウスはレオンのほうを真っ直ぐ見て話した。
「今後、もし不審な連絡があったら、必ず俺に知らせろ。
それから、当面の間、一人で外をふらふら出歩くことを禁止する。良いな」
ぼそりとレオンは呟いた。
「……けよ」
「ん?」
「放っとけよって言ったんだ」
「そうはいかん。生徒を守ることは生徒代表の最重要任務だ」
レオンは黙ったまま、クラウスには顔を見せなかった。
「話は以上だ。俺はこれから島の警備組織と打ち合わせをしてくる」
心配するな、生徒代表は最後にそう言い残し、ドアを閉めた。
→
特に美味しかったなあ、ドイツのお菓子だったし」
クラウスがテオのほうを向いた。
「お前、ドイツ料理が好きだったのか?」
「それはもう大好きだとも!」
「ふうん」
クラウスは食後のコーヒーを口に運んだ。
シュヌーシア寮ダイニングルームでは、そろそろデザートも食べ終わり、
生徒達は徐々に退室していく時間だった。
テーブルの上にある皿は殆どが空になっている中、
クラウスは不自然な皿を見つけ、コーヒーカップをソーサーに戻した。
「おい、レオン。残すなよ、トマト」
中等部一年生が唇を尖らせる。
「煩いなー、クラウスは。つーか、いちいちヒトの皿チェックしてんじゃねーよ」
「お前がいちいちトマトを残すからだろう。
せっかくシェフが、お前でも食べ易いように工夫してくれているというのに」
サラダには具だくさんのドレッシングが掛かっていた。
それはトマト、アボカド、ピクルス、ジンジャーなどを5ミリ程度にみじん切りした物を、
オレンジ色をした甘めのソースで仕上げたシェフ手作りのドレッシングだった。
「これだけ小さく刻まれたトマトなのに、何故わざわざトマトだけ集める。
そんなことするから食べ難いんだ。他の物と一緒に食べれば、
トマトの味など感じないうちに、腹の中に収まると何故解らない」
「トマトが食べられる奴に、トマトが嫌いな奴の気持ちなんか解んないんだっ」
「ああ、解らんな。それから、ラビ」
「は、ハイッ」
「お前も、そのピクルス、残すなよ」
「だ、だって。僕、キュウリもダメなのにピクルスなんて」
「数ミリ四方しかないだろう。そのくらい我慢して食え。幼稚園児じゃないんだぞ」
「でも……」
「言い訳は必要ない」
ラビは肩を落とした。「あ、そうだっ」と呟いたレオンが、
ラビの耳元に手をかざして、ヒソヒソ話をした。
何かを耳打ちされたラビは目を輝かせて、うんうんと頷きながらレオンを見た。
二人の様子を、眉間に皺を寄せながらクラウスが見ていると、
「ねえ、クラウス?」
テオに声をかけられた。
「今宵は生徒代表のお仕事、ないのだろう?」
「え? ああ。予定はないが。どうした?」
「では、久し振りにチェスなんてどうかな? クラウス、得意だろう?」
「しかし、お前は得意ではないだろう」
「良いのだよ。クラウスが緻密な戦略で華麗に勝利するところが楽しみなのだから」
「お前にプライドはないのか?」
「クラウスを前にしては、己のプライドなど無意味だよ! つまり!」
クラウスは席を立つ。
「チェスボードを取ってくる。先にサロンへ行っていろ」
「ありがとう! 優しいなあ、クラウスは。ではサロンで待っているね」
クラウスがドアの向こうに消える。
テオがその背に続き、ドアを閉める前にレオンとラビにウインクした。
ダイニングルームに残ったレオンとラビは互いに笑顔を向け合った。
「よし。ラビ、今のうちに」
「うんっ」
「おい、お前達」
ドアのところに、クラウスが戻ってきていた。
「言い忘れたが、間違っても、互いの嫌いな物を交換して食べよう、
などという姑息な真似はするなよ?」
ドアが閉まった。
シュヌーシア寮サロンではテオがソファで待っていた。
クラウスがテーブルにチェスボードを置き、向かいのソファに着く。
「お前が白で良いぞ」
「おや。先手を譲ってくれるのかい? クラウス」
「ああ。それから、瞬殺する戦法は取らないと約束する」
「おやおや。クラウスは紳士だねえ。いや、フェアプレイ精神に則った、
誇り高きスポーツマンと言ったほうが貴方には合っているかな」
「そのくらいハンディがないと、すぐ終わってしまいそうだからな。
だが、それでも俺は負けない。だからお前も、勝負するなら本気で来い」
何事にも真面目に真剣に取り組む人だ、とテオは改めて思った。
いつでもリラックスしている性質の自分とは全く逆。
けれど、こんな場面でも気を張って、クラウスは疲れてしまわないのだろうか。
いや、これが彼にとっては普通で、自然なことなのだろう。
「解ったよ、クラウス」
テオは微笑んだ。
「私も負けないよ!」
まだ少し生乾きの銀髪からは、最近変えたトリートメントの香りがした。
シャワー上がりの生徒が、シュヌーシア寮サロンに顔を出した時、
他の生徒達は、テレビの前でカード遊びをしていたり、宿題をしていたりという、
普段と何ら変わらないシュヌーシアの光景があった。
空いていたソファに座ると、バトラーが近付いてきた。
「シルフェ様、何かお飲み物をお持ち致しましょうか」
「ああ。丁度、喉が乾いてたんだ。
じゃあ、アイスティーね。リーフは……何かイイのある?」
「左様でございますね。では、アッサムはいかがでしょう。
アセロラジュースを少し加えますと、さっぱりとしたアイスアセロラティーになるかと」
「イイねえ。じゃあそれで」
「畏まりました」
「やったあ! チェックメイト! これ、チェックメイトで良いのだよね!?」
テオの大きな声に、シルフェが振り向く。近付いてみると、
テーブルの上にはチェスボードがあり、白の駒が勝っていた。
「あれえ? お父さんが負けたの?」
クラウスは憮然としながら「お父さん言うな」
テオがフォローする。
「あ、でもね? お父さんはお母さんの為にハンディをくれたのだよ。だから勝てたんだ」
「ふうん。じゃ、この調子で二回戦では、お父さんのハートもチェックメイトしちゃえば?」
「それは良いねえ」
「そこ、意味の解らない会話をするな」
「ねえクラウス! もう一試合しようよ! 今度はハンディなしで良いよ!」
「ほう。言うな。ならば、次こそ絶対に負けん」
「歌手のアリシア・キャリーさんがクリスマスツアーを延期しました」
テレビから聞こえてきた言葉に、クラウスは思わず視線を向けた。
「所属事務所は、アリシアさんの体調不良の為と説明しており」
数時間前にも見たニュースがまた流れていた。
「あ。このニュース、さっきネットで見たら、なんかヘンなことになっててさ」
アリシアファンの生徒がそう言うと、他の生徒達もやってきた。
「ヘンって?」
「アリシアを脅迫したファンが居るとか居ないとか、ウワサになってた。
その脅迫状みたいなやつのコピーも出回ってんだけど、
どれが本物で、どれが偽物なのか解んねえんだよ」
「例えば?」
「クリスマスツアーを中止させたのは俺だとか、歌の歌詞に文句付けてるみたいなのとか、
アリシアの子供を殺してやるっていうのもあってさあ」
「え? アリシアに子供なんか居たっけ?」
「居ねえよ。居るわけないだろ。アリシアは独身だし。てゆうか俺の未来の恋人」
「かどうかは置いといて。その様子じゃ、騒ぎに乗じてデマ流してる奴も何人か居そうだな」
サロンの隅で宿題をしていた生徒が、天井に向かって腕を伸ばした。
「よーし。これで宿題全部だよな、ラビ」
「うん。やっと終わったね。ねえ、レオン、僕達もダウトに入れて貰おうよ」
「お前は入れて貰いな。俺はもう眠いから部屋に戻るわ」
「えー。もう寝ちゃうのー。まだ8時だよ?」
「昨日遅くまでマンガ読んでたから今日はずっと眠かったんだよ」
「そっか。じゃあ、おやすみ。また明日ね」
「ん。おやすみ」
レオンがサロンを出ていく。
テレビに映っているアナウンサーは、次のニュースを伝える。
生徒達の話題も変わろうとしている中、テオは独りごちた。
「心配だなあ」
「テオ」
「ああ、すまない、クラウス。ニュースに見入ってしまって。
チェスの二回戦をやるのだったね。次はクラウスが白で」
「すまんが、二回戦は中止にしてくれ。それから、ボードの片付けも頼んで良いか」
「それは良いけれど、急にどうしたんだい?」
クラウスは席を立ちながら、
「生徒代表室に行ってくる」
「えっ? でも、さっき今日はお仕事の予定はないって」
普段は人の目を真っ直ぐ見て話す人なのに、その時のクラウスはテオから目を離した。
「忘れていたんだ」
クラウスは振り向かずにサロンから出ていった。
一連の様子を見ていたシルフェは、まだ少し濡れている髪に指を通していた。
「シルフェ様。アッサムのアイスティーをお持ちしました」
「ああ。サンキュ。バトラー」
シルフェは白いストローを咥える。
アッサムの爽やかな苦みが口内に流れ込む。後味にアセロラの甘酸っぱさを感じる。
バトラーの作る紅茶はいつも美味い。
味に何の文句もないのに、シルフェはストローの先端を噛んでいた。
その時、クラウスはドアの前に立っていた。
生徒代表室に行ってくると言っていた彼は、まだシュヌーシア寮の中に居た。
「クラウスだ。開けてくれ」
部屋の中から返事が聞こえない。再度ノックしたが無反応だった。
「無視するな、返事しろ」という小言を飲み込み、ドアノブを掴む。
「入るぞ」
ドアを開けると、その生徒は、ベッドに寝転んで雑誌を読んでいた。
クラウスには背を向けており、どんな顔をしているのか解らない。
クラウスはドアを閉め、少しベッドに近付いた。
「レオン。話がある」
レオンは背を向けたまま、
「俺はない」
クラウスは静かに言った。
「すまんが、俺は生徒代表の任務上、お前の両親が誰なのか知っている」
レオンが舌打ちしたのが聞こえた。
「んなことまで知ってんのかよ、生徒代表は」
「ああ。全生徒の詳細なプロフィールを把握することは、生徒代表の義務だ」
レオンは寝返りを打って、やっと顔を向けた。
「で? その生徒代表サマが、なんか用?」
生徒代表はレオンの目を見て言った。
「お前のことは必ず守る」
レオンはまた寝返りを打って「何だよ、それ」と言いながら背を向けた。
それでもクラウスはレオンのほうを真っ直ぐ見て話した。
「今後、もし不審な連絡があったら、必ず俺に知らせろ。
それから、当面の間、一人で外をふらふら出歩くことを禁止する。良いな」
ぼそりとレオンは呟いた。
「……けよ」
「ん?」
「放っとけよって言ったんだ」
「そうはいかん。生徒を守ることは生徒代表の最重要任務だ」
レオンは黙ったまま、クラウスには顔を見せなかった。
「話は以上だ。俺はこれから島の警備組織と打ち合わせをしてくる」
心配するな、生徒代表は最後にそう言い残し、ドアを閉めた。
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