■1日目3:夕食 続編
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ギリシャ旅行二日目。
早朝、ユウタは姉にメールを送った。
日本とギリシャの直線距離はおよそ9523km。
その距離を電子の手紙は一瞬で渡り、目的地に届く。
姉の携帯は日本時刻のお昼過ぎにメールを受信した。
― 姉貴、おはよ。ギリシャの人ってすごい朝早いよ。
なんかシエスタがあるかららしいけど。俺は早起きと時差ボケでちょっと眠たいです。
今日はね、テオがギリシャ観光に連れて行ってくれるって。
世界遺産の神殿とかにも行くみたい。写真撮れたら姉貴にも送るね。
それじゃあ行ってきます! PS:夜はお化けが出なくて良かったです。―
夜になると、ユウタの携帯から電話があった。
早速、ギリシャの土産話をしてくれるのだろうか、と苦笑しつつ、
姉はテレビ電話の通話ボタンを押す。画面に映ったのは弟ではなかった。
「映った! サンベリーナ…ああ、今日もなんという美しさなのだろう。
会いたかった。昨夜、姫と別れてからずっと、会いたかったよ」
テオの背景には広い一室が映し出されている。
品の良い棚には思い出の品々なのか、統一感のないものがディスプレイされている。
中でも異質なのはオレンジのマフラーを巻いたぬいぐるみだ。
何処か不機嫌な黒目が一直線に姉の方を向いている。
「やはり、貴女のような姫君を前にしては、彼等が心惹かれるのも当然だね」
テオは口許に手を置いて優雅に笑う。
彼の仕草は王族のように見えたり、はたまた酷く子供っぽく見えたりした。
「本当にウーティスのみんなは、サンベリーナに想いを寄せているじゃないか。
あの美しい王子達を六人も虜にするとは、素晴らしいよ、姫。
私もあと一年遅く入学していれば、姫と学院で出会えたのにと悔やんでいるところだよ。
その黒い真珠。今まではハルヤの真珠が最も美しいと思っていたのだが、
貴女の真珠は私を捉えて離さない。今日も姫のことばかり考えていた。
黒という色は実にミステリアスな色だ。全ての色を合わせると黒になる。
黒はどの色をも許し、その腕に抱き留めてくれるが、
黒が他の色に入れば決して小さくない変革が起こる。
それほどの大きな力を持ちながらも、黒は控えめなもので、
クレヨンや絵の具の中では最後尾に身を寄せていたり、
闇夜になればふっと身を溶かし、姿をくらませる。
我々は手の届かない黒を追い求め、いつしか虜になっていくんだ。
これほど神秘的な色が他にあるかな?
ああ、こうしている間にも愛おしくなる。
サンベリーナには六人の王子が居るのは解っているけれど、
せめて今日だけは私の姫で居てくれないだろうか?
共に行きたい場所があるんだ。お連れしても良いかな?」
→あ、少しなら
→ところで、ジョシュアさん達は今何処に?
→ごめんなさい
○少しなら/は、はい
ユウタの姉が控えめに了承すると、テオは覗き込むようにこちらを見た。
「サンベリーナ? 昨日より元気がないように見えるよ。何処か具合が悪いのかい?」
ユウタの姉は昨日言われたことが気になっていた。
テオには婚約者が居ると聞かされた。
「姫、やはり体調が優れない?」
問われて、体調は悪くないです、と姉は答えた。
「そうかい? それならば良いのだけど。
無理はいけないよ、心身ともにね? では行こうか」
テオは部屋を出て行く。ドアを開ける前に、おっと、と立ち止まった。
「姫と共に居るところを見つかってはいけないね。狭い場所で申し訳ないが、
着くまでの間、姫は私の胸ポケットに隠れていておくれ?」
少年の笑顔を見せると、一度電話を切った。
テオはおやゆび姫をジャケットに仕舞う。
すっぽりと胸ポケットに収まった携帯を見て、にこやかに笑う。
「サンベリーナはちっとも重くないね」
この小さな姫のように、軽々とした足取りで部屋を出ようとする。
そうだ、とテオは再び部屋の中へ戻る。
「誰か来るかもしれないから、念のため東洋の身代わりの術を施しておこう」
棚からマフラーをしたぬいぐるみを取ってベッドに寝かせる。
その上から、すっぽりと毛布を被せ、人が寝ているように見せかけた。
「私の代わりにシエスタしていておくれ。息苦しいと思うが頼むよ、エオル」
よしっ、と自信満々に言って部屋を後にする。
黒い頭は毛布で隠れていたが、オレンジのマフラーが、はみ出していた。
テオは広い廊下を一人で歩く。使用人達はテオの姿を見ると一礼した。
次期当主はいつものように笑顔を見せ、何か言葉を掛けたりしていた。
三人の娘が壁際で立ち止まっていた。家事を担当するメイドだ。
咳をしている一人を他の二人が心配そうに見ている。
「今日は休みなって言ったでしょ」「平気ですから」という遣り取りが聞こえる。
テオは彼女達に近寄って、そのうちの一人に声を掛けた。
「もう動いて大丈夫なのかい? 昨日まで熱があったんだろう?」
呼ばれたメイドは頭を下げて答える。
「ええ。でも、もう平気です。あの、お見舞いのお花、ありがとうございました」
「良いのだよ。それより、その声…やはり万全ではないね? 無理をしてはいけないよ。
ハスキーな声も美しいが君の声はもっと綺麗なアルトの筈だ。
ねえ。せめてもう一日ゆっくり休んでおくれ?」
他の二人のメイドが加勢する。
「テオ様もこう仰ってるんだから。お言葉に甘えないわけにはいかないわね」
「後は私達に任せなさい?」
言われたメイドは、深く頭を下げた。
「…ありがとうございます、皆さん」
三人娘に見送られ、テオは階下へと降りて行く。
擦れ違いざま、「やあ。今日も美しいね」と挨拶された者達は、笑顔で仕事に戻っていった。広々とした踊り場では大きな花瓶に花を生けていた者が居た。
柔らかい絨毯が敷かれた階段を降りながら、
「おや。綺麗な花が咲いているね」
と声を掛けられたメイドは手を止め、頭を下げる。
「ありがとうございます。テオ様にお褒め頂き、花達も喜んでいることでしょう」
次期当主は笑顔で小首を傾げる。
「おや。花とは貴女のことだよ?」
メイドは、「また、テオ様ったら」と微笑む。
メネシス家ではごく日常的な場面が今日も繰り返される。
テオがこの邸に戻ってからは特に、使用人達の仕事振りが良くなっていくようだった。
次期当主は微笑み、再び花瓶を眺めた。
「そうだ。もし良ければ、こちらの花達、少し私に頂けないかな?」
○ジョシュア
ジョシュアさん達は今何処に? と姉は聞いた。
「みんなも自分の部屋か、もう夢の中かな? 今はシエスタの時間なのだよ。
早朝からギリシャを案内してきたんだ。彼等のおかげでとても楽しかった。
みんなを連れて歩いていたら、なんだか学院案内をしているようだったよ。
今日はさすがにみんなも草臥れたようでね、夕食まで眠ろうと言う話になったのだよ。
シエスタは日本にはない習慣だそうだね? だから日本の文明は凄まじく発展したのかなあ。
この国は午睡の為に、15時頃は多くの店が閉まっているのだよ。
近年では国際化に合わせて、空けるようにした店もあるのだがね。
午後の時間帯は観光客ばかりで、地元の人間は夢の中に居るのだよ、ギリシャは。
私も普段は眠っている頃だから少し眠たいのだけど」
言われてみると、今日のテオは、なんとなく目がとろんとしている。
昨日出会った時よりも、ゆったりとした話し方だ。
「こちらは午睡の時間でも、姫の国は電話をしても良い時間帯だと聞いたから、
ユウタに無理にお願いをして、みんなには秘密で姫を攫ってきてしまったんだ。
私の好きな場所に案内するよ。それでは参りましょうか、姫?」
→は、はい
→ごめんなさい
○ごめんなさい
ユウタの姉は昨夜言われたことを思い出し、ごめんなさい、と言った。
「サンベリーナ…そうか、あの6人の王子の中に想い人が居るのだね?」
小さな声で、はい、と答える。
「おやおや、可愛らしい顔を見せてくれる。一途な人なのだね、サンベリーナ。
姫にこれほど大切に想われる王子はなんと幸せ者なのだろう。羨ましいな。
解ったよ、姫。では弟君のところまでお送りしよう」
テオはユウタの部屋まで携帯を届けに行く。
ドアをノックすると、弟はすぐに現れた。
「ああ、起きていたかい、良かった。君の姉上をお返しに来たよ」
「あ、ありがとう、テオ。おかえり、姉貴」
「ではね、サンベリーナ」
ユウタに手渡される。別れ際、テオはもう一度、携帯に顔を見せた。
「楽しいひとときをありがとう。姫の幸福を願っているよ。
願わくは、もっと早く出会いたかった」
早朝、ユウタは姉にメールを送った。
日本とギリシャの直線距離はおよそ9523km。
その距離を電子の手紙は一瞬で渡り、目的地に届く。
姉の携帯は日本時刻のお昼過ぎにメールを受信した。
― 姉貴、おはよ。ギリシャの人ってすごい朝早いよ。
なんかシエスタがあるかららしいけど。俺は早起きと時差ボケでちょっと眠たいです。
今日はね、テオがギリシャ観光に連れて行ってくれるって。
世界遺産の神殿とかにも行くみたい。写真撮れたら姉貴にも送るね。
それじゃあ行ってきます! PS:夜はお化けが出なくて良かったです。―
夜になると、ユウタの携帯から電話があった。
早速、ギリシャの土産話をしてくれるのだろうか、と苦笑しつつ、
姉はテレビ電話の通話ボタンを押す。画面に映ったのは弟ではなかった。
「映った! サンベリーナ…ああ、今日もなんという美しさなのだろう。
会いたかった。昨夜、姫と別れてからずっと、会いたかったよ」
テオの背景には広い一室が映し出されている。
品の良い棚には思い出の品々なのか、統一感のないものがディスプレイされている。
中でも異質なのはオレンジのマフラーを巻いたぬいぐるみだ。
何処か不機嫌な黒目が一直線に姉の方を向いている。
「やはり、貴女のような姫君を前にしては、彼等が心惹かれるのも当然だね」
テオは口許に手を置いて優雅に笑う。
彼の仕草は王族のように見えたり、はたまた酷く子供っぽく見えたりした。
「本当にウーティスのみんなは、サンベリーナに想いを寄せているじゃないか。
あの美しい王子達を六人も虜にするとは、素晴らしいよ、姫。
私もあと一年遅く入学していれば、姫と学院で出会えたのにと悔やんでいるところだよ。
その黒い真珠。今まではハルヤの真珠が最も美しいと思っていたのだが、
貴女の真珠は私を捉えて離さない。今日も姫のことばかり考えていた。
黒という色は実にミステリアスな色だ。全ての色を合わせると黒になる。
黒はどの色をも許し、その腕に抱き留めてくれるが、
黒が他の色に入れば決して小さくない変革が起こる。
それほどの大きな力を持ちながらも、黒は控えめなもので、
クレヨンや絵の具の中では最後尾に身を寄せていたり、
闇夜になればふっと身を溶かし、姿をくらませる。
我々は手の届かない黒を追い求め、いつしか虜になっていくんだ。
これほど神秘的な色が他にあるかな?
ああ、こうしている間にも愛おしくなる。
サンベリーナには六人の王子が居るのは解っているけれど、
せめて今日だけは私の姫で居てくれないだろうか?
共に行きたい場所があるんだ。お連れしても良いかな?」
→あ、少しなら
→ところで、ジョシュアさん達は今何処に?
→ごめんなさい
○少しなら/は、はい
ユウタの姉が控えめに了承すると、テオは覗き込むようにこちらを見た。
「サンベリーナ? 昨日より元気がないように見えるよ。何処か具合が悪いのかい?」
ユウタの姉は昨日言われたことが気になっていた。
テオには婚約者が居ると聞かされた。
「姫、やはり体調が優れない?」
問われて、体調は悪くないです、と姉は答えた。
「そうかい? それならば良いのだけど。
無理はいけないよ、心身ともにね? では行こうか」
テオは部屋を出て行く。ドアを開ける前に、おっと、と立ち止まった。
「姫と共に居るところを見つかってはいけないね。狭い場所で申し訳ないが、
着くまでの間、姫は私の胸ポケットに隠れていておくれ?」
少年の笑顔を見せると、一度電話を切った。
テオはおやゆび姫をジャケットに仕舞う。
すっぽりと胸ポケットに収まった携帯を見て、にこやかに笑う。
「サンベリーナはちっとも重くないね」
この小さな姫のように、軽々とした足取りで部屋を出ようとする。
そうだ、とテオは再び部屋の中へ戻る。
「誰か来るかもしれないから、念のため東洋の身代わりの術を施しておこう」
棚からマフラーをしたぬいぐるみを取ってベッドに寝かせる。
その上から、すっぽりと毛布を被せ、人が寝ているように見せかけた。
「私の代わりにシエスタしていておくれ。息苦しいと思うが頼むよ、エオル」
よしっ、と自信満々に言って部屋を後にする。
黒い頭は毛布で隠れていたが、オレンジのマフラーが、はみ出していた。
テオは広い廊下を一人で歩く。使用人達はテオの姿を見ると一礼した。
次期当主はいつものように笑顔を見せ、何か言葉を掛けたりしていた。
三人の娘が壁際で立ち止まっていた。家事を担当するメイドだ。
咳をしている一人を他の二人が心配そうに見ている。
「今日は休みなって言ったでしょ」「平気ですから」という遣り取りが聞こえる。
テオは彼女達に近寄って、そのうちの一人に声を掛けた。
「もう動いて大丈夫なのかい? 昨日まで熱があったんだろう?」
呼ばれたメイドは頭を下げて答える。
「ええ。でも、もう平気です。あの、お見舞いのお花、ありがとうございました」
「良いのだよ。それより、その声…やはり万全ではないね? 無理をしてはいけないよ。
ハスキーな声も美しいが君の声はもっと綺麗なアルトの筈だ。
ねえ。せめてもう一日ゆっくり休んでおくれ?」
他の二人のメイドが加勢する。
「テオ様もこう仰ってるんだから。お言葉に甘えないわけにはいかないわね」
「後は私達に任せなさい?」
言われたメイドは、深く頭を下げた。
「…ありがとうございます、皆さん」
三人娘に見送られ、テオは階下へと降りて行く。
擦れ違いざま、「やあ。今日も美しいね」と挨拶された者達は、笑顔で仕事に戻っていった。広々とした踊り場では大きな花瓶に花を生けていた者が居た。
柔らかい絨毯が敷かれた階段を降りながら、
「おや。綺麗な花が咲いているね」
と声を掛けられたメイドは手を止め、頭を下げる。
「ありがとうございます。テオ様にお褒め頂き、花達も喜んでいることでしょう」
次期当主は笑顔で小首を傾げる。
「おや。花とは貴女のことだよ?」
メイドは、「また、テオ様ったら」と微笑む。
メネシス家ではごく日常的な場面が今日も繰り返される。
テオがこの邸に戻ってからは特に、使用人達の仕事振りが良くなっていくようだった。
次期当主は微笑み、再び花瓶を眺めた。
「そうだ。もし良ければ、こちらの花達、少し私に頂けないかな?」
○ジョシュア
ジョシュアさん達は今何処に? と姉は聞いた。
「みんなも自分の部屋か、もう夢の中かな? 今はシエスタの時間なのだよ。
早朝からギリシャを案内してきたんだ。彼等のおかげでとても楽しかった。
みんなを連れて歩いていたら、なんだか学院案内をしているようだったよ。
今日はさすがにみんなも草臥れたようでね、夕食まで眠ろうと言う話になったのだよ。
シエスタは日本にはない習慣だそうだね? だから日本の文明は凄まじく発展したのかなあ。
この国は午睡の為に、15時頃は多くの店が閉まっているのだよ。
近年では国際化に合わせて、空けるようにした店もあるのだがね。
午後の時間帯は観光客ばかりで、地元の人間は夢の中に居るのだよ、ギリシャは。
私も普段は眠っている頃だから少し眠たいのだけど」
言われてみると、今日のテオは、なんとなく目がとろんとしている。
昨日出会った時よりも、ゆったりとした話し方だ。
「こちらは午睡の時間でも、姫の国は電話をしても良い時間帯だと聞いたから、
ユウタに無理にお願いをして、みんなには秘密で姫を攫ってきてしまったんだ。
私の好きな場所に案内するよ。それでは参りましょうか、姫?」
→は、はい
→ごめんなさい
○ごめんなさい
ユウタの姉は昨夜言われたことを思い出し、ごめんなさい、と言った。
「サンベリーナ…そうか、あの6人の王子の中に想い人が居るのだね?」
小さな声で、はい、と答える。
「おやおや、可愛らしい顔を見せてくれる。一途な人なのだね、サンベリーナ。
姫にこれほど大切に想われる王子はなんと幸せ者なのだろう。羨ましいな。
解ったよ、姫。では弟君のところまでお送りしよう」
テオはユウタの部屋まで携帯を届けに行く。
ドアをノックすると、弟はすぐに現れた。
「ああ、起きていたかい、良かった。君の姉上をお返しに来たよ」
「あ、ありがとう、テオ。おかえり、姉貴」
「ではね、サンベリーナ」
ユウタに手渡される。別れ際、テオはもう一度、携帯に顔を見せた。
「楽しいひとときをありがとう。姫の幸福を願っているよ。
願わくは、もっと早く出会いたかった」
■ハルヤ シルヴァン アイヴィー マルタ
■コミックス、ハルヤの食いしん坊万歳より
■コミックス、ハルヤの食いしん坊万歳より
休日の午後、空港のスタンド前。
学院から離れたこの場所まで、わざわざ俺を呼び寄せて、
タクシーを走らせたのは長髪不良少年と早食い眼鏡王子。
理由は至極単純だった。
車を降りたプリンスどもは、スタンドの女主人にこう言った。
「こんちは、マルタさん。レインボージュース飲みにきたよ」
「シニョーラ、僕もハルヤと同じのをお願いしまーす!」
駆け寄ってきた二人に向けられた視線は、自分の息子を見るように優しい。
「はいよ。アイヴィー、お前さんは?」
遅れてやってきた俺に笑顔の女主人が催促する。
「んじゃ、いつもの。あ、あとタバコも貰おっかな」
「はい。まいど」
『いつもの』で出てくるのは新聞。
此処に立ち寄った時は決まりごとみたいに買っている。
小銭と交換に受け取り、脇に新聞を挟む。
俺の相手をさっさと終えると、マルタは王子達に飲ませるジュースを用意する。
用済みとなった俺は、空っぽのタバコを傍のゴミ箱に捨てる。
タクシーの屋根に新聞を置き、タバコを1本銜える。
愛車に寄り掛かって火を灯す。
ぷかりと上る紫煙。冬の青空は少し遠く見える。
女主人から手渡されたカップを見て、眼鏡の王子は笑顔になる。
「あ。今日のはピンクなんだ?」
「ああ。新鮮なイチゴが手に入ったからね」
ふうん、と王子はカップに口付ける。隣の背の高い王子は女主人を茶化す。
「キュートな色ですが、虹にピンクなんてありましたっけ?」
「プリンスのくせに、細かいことを気にするんじゃあないよ」
眼鏡王子がクスクスと笑う。
「テキトーだね、マルタさん」
「味が良ければ良いのさ。それで、どうなんだい、味は?」
「ん。おいしいよ」
「そうだろう、そうだろう。マルタ特製のレインボージュースだからね」
二人の王子は顔を見合わせて笑う。
マルタとプリンスどもはバンド仲間だ。
この気の良いおばちゃんが島一番の歌姫と呼ばれている。
スタンドに立っている時と、ライブハウスで熱唱する姿は別人のようだ。
俺はタバコを銜えながら、買った新聞に一応目を通す。
無機質な紙の音。それは途中で聞こえ難くなる。
少し遠くの空を鉄の塊が通り過ぎていくところだった。
今日、誰かが島に来るという話は聞いていないから、
あれは人を運ぶものではなく、食料などの荷物を運ぶものだろう。
手元に視線を落とすが、あまり目を引く記事はない。何よりだ。
空が静かになった頃、眼鏡王子はカップを見ながら言った。
「これってさ、おみくじみたいで良いよね。
いつも何色が出てくるのかわかんなくってさ」
「そうですね。毎回ドキドキします。
僕、今まで飲んだ中ではイエローのが好きでした、レモンの」
「あ、それも美味しかったよね、夏だったかな?」
「ええ。そう言えば虹って、国によって、色の数が違うんですよね?」
「そうなの? 七色じゃなくて?」
「確か、イギリスは六色で、ドイツは五色なんですよ」
「へえ。面白いね」
「シニョーラ、貴女のジュースは全部で何色あるんですか?」
「知らないよ、虹に聞きな」
王子達は首を空へ向けたが、そこには青と白が広がるばかり。
正解はお預けですね、と不良王子は笑っていた。
俺は新聞を読むフリをしながらドリンクのことを考えていた。
レインボージュース。
これは六年前、俺が島に来た時にはもうあった。
何故レインボーなのかと尋ねれば、
「季節の果物を使うから」という答えが返ってくる。
俺も今までに何色も見てきた。
ただ、虹と名付けた理由は本当にそれだけなのか。
その疑問は今も晴れない。
女主人は時折、焦がれるように空を見上げている。
その姿は何かを待ち望んでいるように見えるのだ。
いつ現れるか解らない、虹のようなものを。
空港の傍、こんな寂しい場所でぽつんと佇む店。
虹の名を持つドリンク。
マルタの選曲に多いブルース。
彼女が此処に立ち続ける理由。
それらは全て謎のまま、誰も正解を聞けずにいる。
まさか虹の日に帰って来るとでも言われたか。
「ねえねえ、シニョーラ。今度はいつ歌うんですか?」
「次の日曜だったかねえ」
「日曜ですね。僕、また聞きに行きますから!」
「そいつは嬉しいけどね、そんなしょっちゅう来なくても良いんだよ?」
「だって、僕、シニョーラの歌、大好きですから」
歌姫はからからと男勝りに笑う。
「調子の良い子だねえ、シルヴァンは」
「シルヴァンは冗談で言ってるんじゃないと思うよ? 俺も好きだし」
「やだよう。照れるじゃないか。ハルヤは正直な子だねえ」
今度は少女のようにぽっと頬を染めた。
「ちょっと、シニョーラ! 僕の時と全然リアクションが違うじゃないですかー」
「細かいこと気にするんじゃないって言っただろう?」
二つのカップ。空の下の虹はカラになっていた。
結局、大して読んでいない新聞を畳み、車の脇に差し込む。
落ちそうになった灰を携帯灰皿に入れた。
「おーい、そこのマジプリども、そろそろ帰るぞ」
「あ、うん」
「僕達に放置プレイされていじけてるんですか、アイヴィー」
「いじけてねーよ」
「またね、マルタさん」
二人はスタンドからタクシーの方へ帰って来る。
後部座席に座った途端、前へ乗り出してくる。
「アイヴィー、今日はお泊まりしてあげても良いですよ?」
「ああ?」
「あ、良いね。俺もアイヴィーのパスタ食べたいな」
「ですよね。アイヴィーを見ると食べたくなりますよねー」
「うん。アイヴィー見るとおなか空いてくる」
「お前等は人食いか」
エンジンを掛け、王子サマ達を乗せる。
女主人に2回クラクションを鳴らし、車を走らせる。
此処を立ち去る時のクセのように視線を上げる。
バックミラーに映るスタンド。
再び一人になった女主人。
小さくなる横顔。
やっぱり、空を見てる。
fin
学院から離れたこの場所まで、わざわざ俺を呼び寄せて、
タクシーを走らせたのは長髪不良少年と早食い眼鏡王子。
理由は至極単純だった。
車を降りたプリンスどもは、スタンドの女主人にこう言った。
「こんちは、マルタさん。レインボージュース飲みにきたよ」
「シニョーラ、僕もハルヤと同じのをお願いしまーす!」
駆け寄ってきた二人に向けられた視線は、自分の息子を見るように優しい。
「はいよ。アイヴィー、お前さんは?」
遅れてやってきた俺に笑顔の女主人が催促する。
「んじゃ、いつもの。あ、あとタバコも貰おっかな」
「はい。まいど」
『いつもの』で出てくるのは新聞。
此処に立ち寄った時は決まりごとみたいに買っている。
小銭と交換に受け取り、脇に新聞を挟む。
俺の相手をさっさと終えると、マルタは王子達に飲ませるジュースを用意する。
用済みとなった俺は、空っぽのタバコを傍のゴミ箱に捨てる。
タクシーの屋根に新聞を置き、タバコを1本銜える。
愛車に寄り掛かって火を灯す。
ぷかりと上る紫煙。冬の青空は少し遠く見える。
女主人から手渡されたカップを見て、眼鏡の王子は笑顔になる。
「あ。今日のはピンクなんだ?」
「ああ。新鮮なイチゴが手に入ったからね」
ふうん、と王子はカップに口付ける。隣の背の高い王子は女主人を茶化す。
「キュートな色ですが、虹にピンクなんてありましたっけ?」
「プリンスのくせに、細かいことを気にするんじゃあないよ」
眼鏡王子がクスクスと笑う。
「テキトーだね、マルタさん」
「味が良ければ良いのさ。それで、どうなんだい、味は?」
「ん。おいしいよ」
「そうだろう、そうだろう。マルタ特製のレインボージュースだからね」
二人の王子は顔を見合わせて笑う。
マルタとプリンスどもはバンド仲間だ。
この気の良いおばちゃんが島一番の歌姫と呼ばれている。
スタンドに立っている時と、ライブハウスで熱唱する姿は別人のようだ。
俺はタバコを銜えながら、買った新聞に一応目を通す。
無機質な紙の音。それは途中で聞こえ難くなる。
少し遠くの空を鉄の塊が通り過ぎていくところだった。
今日、誰かが島に来るという話は聞いていないから、
あれは人を運ぶものではなく、食料などの荷物を運ぶものだろう。
手元に視線を落とすが、あまり目を引く記事はない。何よりだ。
空が静かになった頃、眼鏡王子はカップを見ながら言った。
「これってさ、おみくじみたいで良いよね。
いつも何色が出てくるのかわかんなくってさ」
「そうですね。毎回ドキドキします。
僕、今まで飲んだ中ではイエローのが好きでした、レモンの」
「あ、それも美味しかったよね、夏だったかな?」
「ええ。そう言えば虹って、国によって、色の数が違うんですよね?」
「そうなの? 七色じゃなくて?」
「確か、イギリスは六色で、ドイツは五色なんですよ」
「へえ。面白いね」
「シニョーラ、貴女のジュースは全部で何色あるんですか?」
「知らないよ、虹に聞きな」
王子達は首を空へ向けたが、そこには青と白が広がるばかり。
正解はお預けですね、と不良王子は笑っていた。
俺は新聞を読むフリをしながらドリンクのことを考えていた。
レインボージュース。
これは六年前、俺が島に来た時にはもうあった。
何故レインボーなのかと尋ねれば、
「季節の果物を使うから」という答えが返ってくる。
俺も今までに何色も見てきた。
ただ、虹と名付けた理由は本当にそれだけなのか。
その疑問は今も晴れない。
女主人は時折、焦がれるように空を見上げている。
その姿は何かを待ち望んでいるように見えるのだ。
いつ現れるか解らない、虹のようなものを。
空港の傍、こんな寂しい場所でぽつんと佇む店。
虹の名を持つドリンク。
マルタの選曲に多いブルース。
彼女が此処に立ち続ける理由。
それらは全て謎のまま、誰も正解を聞けずにいる。
まさか虹の日に帰って来るとでも言われたか。
「ねえねえ、シニョーラ。今度はいつ歌うんですか?」
「次の日曜だったかねえ」
「日曜ですね。僕、また聞きに行きますから!」
「そいつは嬉しいけどね、そんなしょっちゅう来なくても良いんだよ?」
「だって、僕、シニョーラの歌、大好きですから」
歌姫はからからと男勝りに笑う。
「調子の良い子だねえ、シルヴァンは」
「シルヴァンは冗談で言ってるんじゃないと思うよ? 俺も好きだし」
「やだよう。照れるじゃないか。ハルヤは正直な子だねえ」
今度は少女のようにぽっと頬を染めた。
「ちょっと、シニョーラ! 僕の時と全然リアクションが違うじゃないですかー」
「細かいこと気にするんじゃないって言っただろう?」
二つのカップ。空の下の虹はカラになっていた。
結局、大して読んでいない新聞を畳み、車の脇に差し込む。
落ちそうになった灰を携帯灰皿に入れた。
「おーい、そこのマジプリども、そろそろ帰るぞ」
「あ、うん」
「僕達に放置プレイされていじけてるんですか、アイヴィー」
「いじけてねーよ」
「またね、マルタさん」
二人はスタンドからタクシーの方へ帰って来る。
後部座席に座った途端、前へ乗り出してくる。
「アイヴィー、今日はお泊まりしてあげても良いですよ?」
「ああ?」
「あ、良いね。俺もアイヴィーのパスタ食べたいな」
「ですよね。アイヴィーを見ると食べたくなりますよねー」
「うん。アイヴィー見るとおなか空いてくる」
「お前等は人食いか」
エンジンを掛け、王子サマ達を乗せる。
女主人に2回クラクションを鳴らし、車を走らせる。
此処を立ち去る時のクセのように視線を上げる。
バックミラーに映るスタンド。
再び一人になった女主人。
小さくなる横顔。
やっぱり、空を見てる。
fin
■テオシナリオ 続編
「いよっしゃああー!」
アルフレッドは大きくガッツポーズした。
「俺を選んでくれるって信じてたぜ、##NAME1##!」
ギリシャ旅行の宿泊地となるゲストルームにユウタの姉を連れて行った。
映画のロケ先で用意される部屋と同等かそれ以上のリッチな部屋だった。
柔らかいベッドに乗り、胡坐を掻く。携帯は自分の前に置いた。
「あのさ、テオのこと教えとくぜ?」
両手で足首を持って、ぐいっと携帯に顔を近付ける。
「あの伊達男は結婚する女、決まってんだ。
けど、好きな女じゃない。すげー大財閥の令嬢なんだよ。
テオが卒業する頃からメディアでは騒がれてた。
今回、テオからうちに遊びに来いって言われてさ、
気晴らしがしたいんだろうって思ってたから、
ユウタも連れて来てやったのに。それなのに、君に色々言いやがって。
まあ、あいつは褒め言葉しか知らないような奴だからさ、
しょうがないっちゃあ、そうなんだけど。
##NAME1##もさ、もちょっとケーカイシンとか持ってくれよ。
なんか、君を日本で一人にしておくの、心配になってきた。
あ、俺、##NAME1##の優しいトコは、好きだぜ?
けど、テオにまで優しくすることねーじゃねーかよ。
さすがユウタの姉貴っていうか、お前、ちょっと鈍いとこあるからさ、
いや、それも可愛いんだけど…あんなカンタンに、
君が他の男にキスされるなんて思わなくて…俺、一瞬、頭まっしろになって。
実際に触ったわけでもないのに、テオに悪気がないのも解ってんのに、
やっぱ俺、すげーヤダったんだ」
バツの悪そうな顔をした。
「…悪ぃ…俺、全然、余裕ないよな。俺、5歳の時から役者とかしてたから、
自分でもマセたガキだなって思ってたんだけど、
君のことになると…あの時よりガキみたいだ。
カッコ悪いよな。すぐに怒ったり、妬いたりして…ゴメン。
つーか、悪いのはテオだよな。俺でさえまだしてないのに、
テオに先越されるとは思わなかったぜ。あの伊達男め…」
足首から離した拳が、わなわなと震えている。
レッドさんはテオさんと仲が悪かったんですか? と姉は聞いてみた。
「いや、仲は良かったぜ。俺が見た最初のマージナルプリンスがテオだしな。
テオは俺が入学した時の生徒代表。学院案内はテオがしてくれたんだ。
でも、案内はそこそこで、さっさとサンセットクルーズに行ったんだけどな。
あいつ、船3つも持っててさ、一緒に無人島まで行ったり、
サーフィンの穴場を教えてくれたりとか」
アルフレッドのよく通る声がだんだん小さくなっていく。
「そういや、ヴィスコンティスタジオの改築費用も、
気前良くポーンって出してくれたんだよな。あ、俺のじいさんが此処に居た時、
使ってた映画スタジオでさ。でも、俺が入学した頃には、もうだいぶ古くなってて、
使う生徒も居ないから取り壊そうって話になってたんだ。それで、テオが…
テオが、『此処は大切な場所だから残そう』って、
『ぜひ私にも協力させておくれ』って言ってくれて…」
両方の足首を持って胡坐を掻いたまま、身体が前に後ろにゆらゆら揺れる。
彼の視線は右側を向いている。いじけた子供のように話していた。
「バンドも、デッドプリンスが島でまだ無名だった頃から、
テオは応援してくれてて、シュヌーシアの連中や島の人とかも連れて来てくれてさ。
いつも『素晴らしかった』ってめちゃくちゃ褒めるし。
生徒代表の仕事で来れない時には、すげー量のお菓子とか、
バッカみたいにデカイ花束とか送り付けて来て。
…あいつのことがキライな奴なんて、居なかったよ」
ゆりかごにも似た動きがぴたりと止まる。肩を落として呟いた。
「なんか俺、今まですげーテオに世話になってたんだな」
テオさんと仲良かったんですね、とユウタの姉が言おうとした時。
「いや、でもダメだ! それと君とは話が別なんだよ!
やっぱさっきのは許せねえ! 俺の見てる前で、あいつっ!」
画面いっぱいにアルフレッドが迫る。
「##NAME1##! 会いに行くなよ?
テオの夢の中なんか行かなくていい。絶対ダメだかんな!?
##NAME1##が行って良いのは俺んとこだけ! 解った!?」
気圧されて、ユウタの姉は肯定する。
「よしっ。じゃ、最後の仕上げをしなきゃなっ。ほら、##NAME1##、出せよ」
ユウタの姉が首を傾げる。アルフレッドは珍しく少し顔を赤くした。
「あー、もー、だからっ! 『手』に決まってんじゃん!
ショードクすんだよ、ショードク!
他の奴にキスされてそのままにしておけるか! ほら、早くこっちに向けろって」
ユウタの姉は先と同じように、片手を差し出す。
彼は手を見つめて呟いた。
「##NAME1##の手、綺麗だな」
頭を下げて、携帯に唇を近付ける。
いつもより低い声で彼は忠告した。
「##NAME1##はサンベリーナじゃない。俺のジュリエットだ。忘れんな」
テオの時より少し長い口付けだった。
アルフレッドは大きくガッツポーズした。
「俺を選んでくれるって信じてたぜ、##NAME1##!」
ギリシャ旅行の宿泊地となるゲストルームにユウタの姉を連れて行った。
映画のロケ先で用意される部屋と同等かそれ以上のリッチな部屋だった。
柔らかいベッドに乗り、胡坐を掻く。携帯は自分の前に置いた。
「あのさ、テオのこと教えとくぜ?」
両手で足首を持って、ぐいっと携帯に顔を近付ける。
「あの伊達男は結婚する女、決まってんだ。
けど、好きな女じゃない。すげー大財閥の令嬢なんだよ。
テオが卒業する頃からメディアでは騒がれてた。
今回、テオからうちに遊びに来いって言われてさ、
気晴らしがしたいんだろうって思ってたから、
ユウタも連れて来てやったのに。それなのに、君に色々言いやがって。
まあ、あいつは褒め言葉しか知らないような奴だからさ、
しょうがないっちゃあ、そうなんだけど。
##NAME1##もさ、もちょっとケーカイシンとか持ってくれよ。
なんか、君を日本で一人にしておくの、心配になってきた。
あ、俺、##NAME1##の優しいトコは、好きだぜ?
けど、テオにまで優しくすることねーじゃねーかよ。
さすがユウタの姉貴っていうか、お前、ちょっと鈍いとこあるからさ、
いや、それも可愛いんだけど…あんなカンタンに、
君が他の男にキスされるなんて思わなくて…俺、一瞬、頭まっしろになって。
実際に触ったわけでもないのに、テオに悪気がないのも解ってんのに、
やっぱ俺、すげーヤダったんだ」
バツの悪そうな顔をした。
「…悪ぃ…俺、全然、余裕ないよな。俺、5歳の時から役者とかしてたから、
自分でもマセたガキだなって思ってたんだけど、
君のことになると…あの時よりガキみたいだ。
カッコ悪いよな。すぐに怒ったり、妬いたりして…ゴメン。
つーか、悪いのはテオだよな。俺でさえまだしてないのに、
テオに先越されるとは思わなかったぜ。あの伊達男め…」
足首から離した拳が、わなわなと震えている。
レッドさんはテオさんと仲が悪かったんですか? と姉は聞いてみた。
「いや、仲は良かったぜ。俺が見た最初のマージナルプリンスがテオだしな。
テオは俺が入学した時の生徒代表。学院案内はテオがしてくれたんだ。
でも、案内はそこそこで、さっさとサンセットクルーズに行ったんだけどな。
あいつ、船3つも持っててさ、一緒に無人島まで行ったり、
サーフィンの穴場を教えてくれたりとか」
アルフレッドのよく通る声がだんだん小さくなっていく。
「そういや、ヴィスコンティスタジオの改築費用も、
気前良くポーンって出してくれたんだよな。あ、俺のじいさんが此処に居た時、
使ってた映画スタジオでさ。でも、俺が入学した頃には、もうだいぶ古くなってて、
使う生徒も居ないから取り壊そうって話になってたんだ。それで、テオが…
テオが、『此処は大切な場所だから残そう』って、
『ぜひ私にも協力させておくれ』って言ってくれて…」
両方の足首を持って胡坐を掻いたまま、身体が前に後ろにゆらゆら揺れる。
彼の視線は右側を向いている。いじけた子供のように話していた。
「バンドも、デッドプリンスが島でまだ無名だった頃から、
テオは応援してくれてて、シュヌーシアの連中や島の人とかも連れて来てくれてさ。
いつも『素晴らしかった』ってめちゃくちゃ褒めるし。
生徒代表の仕事で来れない時には、すげー量のお菓子とか、
バッカみたいにデカイ花束とか送り付けて来て。
…あいつのことがキライな奴なんて、居なかったよ」
ゆりかごにも似た動きがぴたりと止まる。肩を落として呟いた。
「なんか俺、今まですげーテオに世話になってたんだな」
テオさんと仲良かったんですね、とユウタの姉が言おうとした時。
「いや、でもダメだ! それと君とは話が別なんだよ!
やっぱさっきのは許せねえ! 俺の見てる前で、あいつっ!」
画面いっぱいにアルフレッドが迫る。
「##NAME1##! 会いに行くなよ?
テオの夢の中なんか行かなくていい。絶対ダメだかんな!?
##NAME1##が行って良いのは俺んとこだけ! 解った!?」
気圧されて、ユウタの姉は肯定する。
「よしっ。じゃ、最後の仕上げをしなきゃなっ。ほら、##NAME1##、出せよ」
ユウタの姉が首を傾げる。アルフレッドは珍しく少し顔を赤くした。
「あー、もー、だからっ! 『手』に決まってんじゃん!
ショードクすんだよ、ショードク!
他の奴にキスされてそのままにしておけるか! ほら、早くこっちに向けろって」
ユウタの姉は先と同じように、片手を差し出す。
彼は手を見つめて呟いた。
「##NAME1##の手、綺麗だな」
頭を下げて、携帯に唇を近付ける。
いつもより低い声で彼は忠告した。
「##NAME1##はサンベリーナじゃない。俺のジュリエットだ。忘れんな」
テオの時より少し長い口付けだった。
■1日目2:ユウタ 続編
→ユウタのことが六人の中で一番好きだから
ユウタのことが六人の中で一番好きだから、と姉は答えた。
「うそ…」
ユウタはそう言ったきり、しばらく固まってしまった。
姉に呼び掛けられて、やっと口を開く。
「あ、あ、姉貴が、そんなこと言うなんて…ね、熱でもあるの、姉貴?」
熱なんかないよ、と姉は答えた。
「だって姉貴は…俺より他の奴等ばっかに電話してくるからさ」
弟はだんだん俯きながら話す。
「みんなの中の誰かが好きで、俺のことなんか、いつか、
要らなくなっちゃうんじゃないかって…」
少し涙声になっている弟に苦笑しつつ、姉は声を掛けた。
→ユウタはずっと私の弟だよ
→泣かない、泣かない
→ユウタはずっと私の弟だよ
ユウタはずっと私の弟だよ、と姉は言った。
「姉ちゃん…うん! そうだよね!」
弟はとびっきり明るい笑顔になる。
「そうだよ、姉ちゃんは俺の姉ちゃんだもん。
変なこと言って、ごめん。俺、姉ちゃんには甘えてばっかりで」
→弟なんだから甘えてもいいよ
→『姉ちゃん』じゃなくて、『姉貴』じゃなかったの?
→弟なんだから甘えてもいいよ
弟なんだから甘えてもいいよ、と姉は言った。
「ありがと…」
嬉しそうにそう言ったのだが、俯いてしまった。
姉は暫く待っていたが、ユウタが顔を上げないので、名を呼ぶ。
弟は息を吐き出して、こちらを向いた。
「やっぱり、やっぱり、俺…」
何か言おうとしているのにまた黙ってしまう。
目をぎゅっと瞑って弟が俯く。もう一度、ユウタ、と呼び掛ける。
「俺、今まで、ずっと違うって思ってた。
でも何度も考えたけど同じ答えしか出てこないんだ。
もう俺、他の奴に電話貸さない。姉貴を誰にも渡さない」
弟は弾かれたように顔を上げて、言った。
「俺、姉貴が好きなんだ」
end(Yuta ending)
→『姉ちゃん』じゃなくて、『姉貴』じゃなかったの?
『姉ちゃん』じゃなくて、『姉貴』じゃなかったの?
と姉が言うと、弟はほっぺたを膨らませた。
「どっちでもいいの。 姉ちゃんは姉ちゃんなんだから。
もー、いっつもそうやって、俺の揚げ足とるんだから。
俺、みんなのとこ行くからな。おやすみ、姉ちゃん」
→泣かない、泣かない
泣かない、泣かない、と姉は言った。
「なっ、泣いてなんかないよっ!」
手で目元を拭う。姉の笑い声に、弟は顔を赤くする。
「笑うなっ! 姉貴のばかあっ!
姉貴は昔っから俺のこと子供扱いして…俺だってもう16なんだぞ!」
風船のように頬を膨らます。
「もう、電話切るから!」
ユウタのことが六人の中で一番好きだから、と姉は答えた。
「うそ…」
ユウタはそう言ったきり、しばらく固まってしまった。
姉に呼び掛けられて、やっと口を開く。
「あ、あ、姉貴が、そんなこと言うなんて…ね、熱でもあるの、姉貴?」
熱なんかないよ、と姉は答えた。
「だって姉貴は…俺より他の奴等ばっかに電話してくるからさ」
弟はだんだん俯きながら話す。
「みんなの中の誰かが好きで、俺のことなんか、いつか、
要らなくなっちゃうんじゃないかって…」
少し涙声になっている弟に苦笑しつつ、姉は声を掛けた。
→ユウタはずっと私の弟だよ
→泣かない、泣かない
→ユウタはずっと私の弟だよ
ユウタはずっと私の弟だよ、と姉は言った。
「姉ちゃん…うん! そうだよね!」
弟はとびっきり明るい笑顔になる。
「そうだよ、姉ちゃんは俺の姉ちゃんだもん。
変なこと言って、ごめん。俺、姉ちゃんには甘えてばっかりで」
→弟なんだから甘えてもいいよ
→『姉ちゃん』じゃなくて、『姉貴』じゃなかったの?
→弟なんだから甘えてもいいよ
弟なんだから甘えてもいいよ、と姉は言った。
「ありがと…」
嬉しそうにそう言ったのだが、俯いてしまった。
姉は暫く待っていたが、ユウタが顔を上げないので、名を呼ぶ。
弟は息を吐き出して、こちらを向いた。
「やっぱり、やっぱり、俺…」
何か言おうとしているのにまた黙ってしまう。
目をぎゅっと瞑って弟が俯く。もう一度、ユウタ、と呼び掛ける。
「俺、今まで、ずっと違うって思ってた。
でも何度も考えたけど同じ答えしか出てこないんだ。
もう俺、他の奴に電話貸さない。姉貴を誰にも渡さない」
弟は弾かれたように顔を上げて、言った。
「俺、姉貴が好きなんだ」
end(Yuta ending)
→『姉ちゃん』じゃなくて、『姉貴』じゃなかったの?
『姉ちゃん』じゃなくて、『姉貴』じゃなかったの?
と姉が言うと、弟はほっぺたを膨らませた。
「どっちでもいいの。 姉ちゃんは姉ちゃんなんだから。
もー、いっつもそうやって、俺の揚げ足とるんだから。
俺、みんなのとこ行くからな。おやすみ、姉ちゃん」
→泣かない、泣かない
泣かない、泣かない、と姉は言った。
「なっ、泣いてなんかないよっ!」
手で目元を拭う。姉の笑い声に、弟は顔を赤くする。
「笑うなっ! 姉貴のばかあっ!
姉貴は昔っから俺のこと子供扱いして…俺だってもう16なんだぞ!」
風船のように頬を膨らます。
「もう、電話切るから!」
■1日目2:ユウタ 続編
→ユウタ以外の人を選んだら、喧嘩になりそうだったから
ユウタ以外の人を選んだら、喧嘩になりそうだったから、
と姉に言われ、弟はちょっと残念そうに頬を掻く。
「…あっ、消去法で俺なんだね…」
今度は、へへと照れ笑いする。
「でも俺を選んで正解だよっ。誰か選んでたら、絶対他の人怒るもん」
ユウタは携帯を持ったままテラスへ出る。遠くには青い海が見えた。
風が吹いているようで、弟の髪がさらさらと弄ばれる。
「見てよ、姉貴。この部屋、景色まで最高だよー」
気持ち良さそうに言うと、弟は腕を伸ばし、携帯をテラスの外へ向けた。
姉は、落とさないでよ、と注意する。
「だーいじょうぶっ。俺が姉貴を離すわけないだろ?」
姉の携帯画面に、ポストカードのような光景が映る。
青い空はオレンジに染まろうとしていた。空の下には、ギリシャの美しい白い街並み。
白い屋根には夕陽が照り返し、遠くに見える海もその身を太陽に委ねていた。
ふと、今日出会った人の顔が思い浮かんだ。「愛するものは太陽と海」と言っていた。
少し可笑しな自己紹介だなとその時は感じたが、
この景色を持つ家に暮らしていたのならば、それも無理もないと思えた。
画面が動き、部屋の中へと戻っていく。ユウタは歩きながら話す。
「テオってさー、すっごくお金持ちなんだね。
ギリシャに来る前に、みんなからテオのこと少し聞いてたんだけど、
こんなおっきい家に住んでいるとは思わなかったよ」
すとんとソファに座る。
姉の表情を伺うように、でもね、と話し始めた。
「さっきさ、レッドが言ってたことなんだけど。
あの、やっぱ、こういうことは、先に言っておかなくちゃいけないから、
レッドも早く姉貴に言わなくちゃって思ったんだよ。だから、ちゃんと聞いてね?」
うん、と姉は頷く。
「テオはね、結婚する人、もう決まってるんだって。お金持ちの家の人と。
ギリシャの新聞にも出てたんだ。国内最高級のセレブ婚だって。
それでさ、もしかしたら、計算が間違ってるかもしれないんだけど…」
なに? と姉が聞く。
「あのね、婚約指輪の推定金額が載ってたんだ。
通貨単位がユーロで、シルヴァンが日本円に換算してくれたんだけど、
6億円ぐらいですかねって。俺、それ聞いて、テオと会うのちょっと怖かったんだけど、
会ってみたら、あんなかんじでさ、楽しい人で良かったよ。
でもさ、テオ、指輪なんて1個もしてなかったんだよなあ。6億だから普段はできないのかな?
あ、それで、結婚式の準備は着々と進んでて、日取りは未定だけど半年以内じゃないかって。
式の予想金額とかも話題になってた。だけど、こうも書いてあったんだ」
弟は俯いて言った。
「露骨な政略結婚で、愛は1ユーロもないって」
少し黙った後、ぴょこんと顔を上げる。
「そんなのヒドイ、って俺言ったんだ。だけど、みんなはテオにはこの話はするなって。
テオが自分で決めたことだから、俺達は勝手なこと言っちゃダメだって。
テオのお姉さんも政略結婚したから、今のメネシスがあるんだって言ってた。
だけど俺、もし姉貴が、テオのお姉さんの立場で、
俺が、テオの立場だったら、って思ったんだ。
そう考えたら、やっぱ、そんなの、そんなの絶対可笑しいよ。
俺がテオだったら、姉貴に政略結婚なんて絶対させない。
それで姉貴が幸せになるとは思えないよ。
…俺はテオみたいにお金持ちの出身じゃないし、全然普通の日本人だし、
頭もあんまり良くないし、まだ16歳だし、解ってないこともいっぱいあると思う。
テオに会ったのも今日初めてだから、テオが今何考えてんのかとか、
本当はどう思ってるのかとか、よく解んない。
でも結婚ってさ、好きな人とずっと一緒にいようって約束じゃないの?」
弟は辛そうな顔をしていたが、突然、勢い良く立ち上がった。
「やっぱり俺、テオとちょっと話してくる。姉貴も一緒に来て!」
携帯電話を握ったまま、ユウタは部屋を出て行った。
「テオの部屋、確かこの辺だったと思うんだけどなあ」
広い邸を歩きながら、キョロキョロする。
金色のポニーテールが角を曲がるのが見えた。
「あっ、テオのバトラーさんだ。あの人に聞いてみよう」
追い駆けると、ドアの向こうに消えたところだった。
ユウタは静かにドアに近付いていく。
「ゼノ、父上から電話ではなかったの?」
「ええ。申し訳ありませんが、テオ様にお話があるのは私です」
薄っすらと開いた隙間から執事とテオの声がする。
此処がテオの部屋なのかもしれない。だけど、少し様子が可笑しい。
ユウタの姉は、どうしたの、と弟に聞いた。弟は唇に人差し指を当てた。
「シッ。テオと何か話してるんだ。でも、なんか険悪なかんじ…」
若い執事は腕を組み、主人の傍に立っていた。
彼の纏っている空気が、ユウタ達の前で見せていたものと違う。
眼鏡で覆った緑翠の瞳が冷たい。
肩には一つに結わえた髪が乗っている。それはテオと似た色だった。
「テオ様は私に叱られたいのですか?」
テオはベッドに座らされ、きょとんと執事を見上げている。
「何を怒っているんだい? 私、何かいけないことをした?」
若い執事は額を押さえつつ答える。
「ええ。かなり」
「何だろう?」
「あの東洋の姫君のことです。それも、私の前で携帯越しの口付けなど」
「おやすみのキスだよ? ゼノだって」
「それは関係ありません。お立場をお考え下さい、テオ様。
貴方には指輪を交換した令嬢がいらっしゃいます。
あの指輪、まだ一度もして下さらないし」
テオは自分の左手に右手で触れた。声が小さくなる。
「指輪は、重いのだよ」
「貴方が他の姫君と親しくされるのは感心できません。
今回のお客様は、学院のご学友だけだというから、私はお連れしたのですよ?
どうして、お綺麗な方と親しくなさっているのですか」
「それは、みんなを夢中にさせている姫だというから、ぜひ私もお目に掛かりたくて」
「普通にご興味を持たないで下さい。
東洋の姫君とは、ご学友の皆様と一緒にお別れするのでしょう?」
「…うん」
「今回は短いご滞在で幸いでした。できれば明日にでもお帰り頂きたいくらいです」
そう淡々と言い放ち、テオの隣に座った。
主人は目を丸くして従者を見つめる。
「…何故、そんな失礼なことを」
「お前は俺達のようになってはいけない」
金髪がなびく。執事は年下の主人を抱き留めた。
冷静だった声が少し変化する。
敢えて感情を抑えるように、ゆっくりと言った。
「俺は他のことでお前を縛るつもりはない。
俺の務めは次期当主の自由意思を尊重し、手助けすることだけだと思ってる。
だが、これだけは…良い子だから言うことを聞いてくれ、テオ」
「ゼノ…」
「私は最初に伺った筈です」
執事は主人を抱いたまま、口調を改める。
「本当にあの令嬢とご婚約して良いのかと。
私が再度お訊ねしても、良いと仰ったのはテオ様です。
貴方が決めたことに貴方が反しているから、私はご指摘しているのです。
どうか東洋の姫君とはこれ以上親しくなさらぬよう」
執事に見つめられて、年下の主人は、すまない、と俯いた。
「ゼノには、いつも心配させてしまうね」
「テオ様は子供の頃から行動パターンが同じですから」
ユウタ達の前では見せなかった笑顔。
背をぽんぽんと撫でて、腕を離した。
「さて、明日は早いんでしたね?」
「うん。みんなにギリシャの美を案内してくるよ」
「明日は思いっ切り遊んで来い」
くしゃくしゃとテオの金色の髪を撫でる。
カツカツと主人から二歩下がって礼をすると、
もう忠実なだけの冷静な声に戻った。
「では私は夕食の支度がありますので失礼致します」
ユウタはドアから離れる。
「やばっ、こっち来る! じゃあな、姉貴」
素早く携帯をポケットに仕舞う。
広い廊下を駆け出して、来た道を引き返した。
ユウタ以外の人を選んだら、喧嘩になりそうだったから、
と姉に言われ、弟はちょっと残念そうに頬を掻く。
「…あっ、消去法で俺なんだね…」
今度は、へへと照れ笑いする。
「でも俺を選んで正解だよっ。誰か選んでたら、絶対他の人怒るもん」
ユウタは携帯を持ったままテラスへ出る。遠くには青い海が見えた。
風が吹いているようで、弟の髪がさらさらと弄ばれる。
「見てよ、姉貴。この部屋、景色まで最高だよー」
気持ち良さそうに言うと、弟は腕を伸ばし、携帯をテラスの外へ向けた。
姉は、落とさないでよ、と注意する。
「だーいじょうぶっ。俺が姉貴を離すわけないだろ?」
姉の携帯画面に、ポストカードのような光景が映る。
青い空はオレンジに染まろうとしていた。空の下には、ギリシャの美しい白い街並み。
白い屋根には夕陽が照り返し、遠くに見える海もその身を太陽に委ねていた。
ふと、今日出会った人の顔が思い浮かんだ。「愛するものは太陽と海」と言っていた。
少し可笑しな自己紹介だなとその時は感じたが、
この景色を持つ家に暮らしていたのならば、それも無理もないと思えた。
画面が動き、部屋の中へと戻っていく。ユウタは歩きながら話す。
「テオってさー、すっごくお金持ちなんだね。
ギリシャに来る前に、みんなからテオのこと少し聞いてたんだけど、
こんなおっきい家に住んでいるとは思わなかったよ」
すとんとソファに座る。
姉の表情を伺うように、でもね、と話し始めた。
「さっきさ、レッドが言ってたことなんだけど。
あの、やっぱ、こういうことは、先に言っておかなくちゃいけないから、
レッドも早く姉貴に言わなくちゃって思ったんだよ。だから、ちゃんと聞いてね?」
うん、と姉は頷く。
「テオはね、結婚する人、もう決まってるんだって。お金持ちの家の人と。
ギリシャの新聞にも出てたんだ。国内最高級のセレブ婚だって。
それでさ、もしかしたら、計算が間違ってるかもしれないんだけど…」
なに? と姉が聞く。
「あのね、婚約指輪の推定金額が載ってたんだ。
通貨単位がユーロで、シルヴァンが日本円に換算してくれたんだけど、
6億円ぐらいですかねって。俺、それ聞いて、テオと会うのちょっと怖かったんだけど、
会ってみたら、あんなかんじでさ、楽しい人で良かったよ。
でもさ、テオ、指輪なんて1個もしてなかったんだよなあ。6億だから普段はできないのかな?
あ、それで、結婚式の準備は着々と進んでて、日取りは未定だけど半年以内じゃないかって。
式の予想金額とかも話題になってた。だけど、こうも書いてあったんだ」
弟は俯いて言った。
「露骨な政略結婚で、愛は1ユーロもないって」
少し黙った後、ぴょこんと顔を上げる。
「そんなのヒドイ、って俺言ったんだ。だけど、みんなはテオにはこの話はするなって。
テオが自分で決めたことだから、俺達は勝手なこと言っちゃダメだって。
テオのお姉さんも政略結婚したから、今のメネシスがあるんだって言ってた。
だけど俺、もし姉貴が、テオのお姉さんの立場で、
俺が、テオの立場だったら、って思ったんだ。
そう考えたら、やっぱ、そんなの、そんなの絶対可笑しいよ。
俺がテオだったら、姉貴に政略結婚なんて絶対させない。
それで姉貴が幸せになるとは思えないよ。
…俺はテオみたいにお金持ちの出身じゃないし、全然普通の日本人だし、
頭もあんまり良くないし、まだ16歳だし、解ってないこともいっぱいあると思う。
テオに会ったのも今日初めてだから、テオが今何考えてんのかとか、
本当はどう思ってるのかとか、よく解んない。
でも結婚ってさ、好きな人とずっと一緒にいようって約束じゃないの?」
弟は辛そうな顔をしていたが、突然、勢い良く立ち上がった。
「やっぱり俺、テオとちょっと話してくる。姉貴も一緒に来て!」
携帯電話を握ったまま、ユウタは部屋を出て行った。
「テオの部屋、確かこの辺だったと思うんだけどなあ」
広い邸を歩きながら、キョロキョロする。
金色のポニーテールが角を曲がるのが見えた。
「あっ、テオのバトラーさんだ。あの人に聞いてみよう」
追い駆けると、ドアの向こうに消えたところだった。
ユウタは静かにドアに近付いていく。
「ゼノ、父上から電話ではなかったの?」
「ええ。申し訳ありませんが、テオ様にお話があるのは私です」
薄っすらと開いた隙間から執事とテオの声がする。
此処がテオの部屋なのかもしれない。だけど、少し様子が可笑しい。
ユウタの姉は、どうしたの、と弟に聞いた。弟は唇に人差し指を当てた。
「シッ。テオと何か話してるんだ。でも、なんか険悪なかんじ…」
若い執事は腕を組み、主人の傍に立っていた。
彼の纏っている空気が、ユウタ達の前で見せていたものと違う。
眼鏡で覆った緑翠の瞳が冷たい。
肩には一つに結わえた髪が乗っている。それはテオと似た色だった。
「テオ様は私に叱られたいのですか?」
テオはベッドに座らされ、きょとんと執事を見上げている。
「何を怒っているんだい? 私、何かいけないことをした?」
若い執事は額を押さえつつ答える。
「ええ。かなり」
「何だろう?」
「あの東洋の姫君のことです。それも、私の前で携帯越しの口付けなど」
「おやすみのキスだよ? ゼノだって」
「それは関係ありません。お立場をお考え下さい、テオ様。
貴方には指輪を交換した令嬢がいらっしゃいます。
あの指輪、まだ一度もして下さらないし」
テオは自分の左手に右手で触れた。声が小さくなる。
「指輪は、重いのだよ」
「貴方が他の姫君と親しくされるのは感心できません。
今回のお客様は、学院のご学友だけだというから、私はお連れしたのですよ?
どうして、お綺麗な方と親しくなさっているのですか」
「それは、みんなを夢中にさせている姫だというから、ぜひ私もお目に掛かりたくて」
「普通にご興味を持たないで下さい。
東洋の姫君とは、ご学友の皆様と一緒にお別れするのでしょう?」
「…うん」
「今回は短いご滞在で幸いでした。できれば明日にでもお帰り頂きたいくらいです」
そう淡々と言い放ち、テオの隣に座った。
主人は目を丸くして従者を見つめる。
「…何故、そんな失礼なことを」
「お前は俺達のようになってはいけない」
金髪がなびく。執事は年下の主人を抱き留めた。
冷静だった声が少し変化する。
敢えて感情を抑えるように、ゆっくりと言った。
「俺は他のことでお前を縛るつもりはない。
俺の務めは次期当主の自由意思を尊重し、手助けすることだけだと思ってる。
だが、これだけは…良い子だから言うことを聞いてくれ、テオ」
「ゼノ…」
「私は最初に伺った筈です」
執事は主人を抱いたまま、口調を改める。
「本当にあの令嬢とご婚約して良いのかと。
私が再度お訊ねしても、良いと仰ったのはテオ様です。
貴方が決めたことに貴方が反しているから、私はご指摘しているのです。
どうか東洋の姫君とはこれ以上親しくなさらぬよう」
執事に見つめられて、年下の主人は、すまない、と俯いた。
「ゼノには、いつも心配させてしまうね」
「テオ様は子供の頃から行動パターンが同じですから」
ユウタ達の前では見せなかった笑顔。
背をぽんぽんと撫でて、腕を離した。
「さて、明日は早いんでしたね?」
「うん。みんなにギリシャの美を案内してくるよ」
「明日は思いっ切り遊んで来い」
くしゃくしゃとテオの金色の髪を撫でる。
カツカツと主人から二歩下がって礼をすると、
もう忠実なだけの冷静な声に戻った。
「では私は夕食の支度がありますので失礼致します」
ユウタはドアから離れる。
「やばっ、こっち来る! じゃあな、姉貴」
素早く携帯をポケットに仕舞う。
広い廊下を駆け出して、来た道を引き返した。
■テオシナリオ 続編
「…あ、姉貴。今、何て言ったの?」
姉は弟の名前をもう一度呼ぶ。
「姉貴…」
今の流れではレッドかシルヴァンに携帯を渡すことになるんだろうな、
とユウタは思っていたので、まさか弟を選ぶとは思いも寄らなかった。
だが自分に対して、あれ? と思う。
「本当は俺が選ばれて当たり前なんだよね。これ、俺の携帯なんだから!」
他の寮生達はユウタと目を合わそうとしない。
「じゃ、みんな、俺、ちょっと自分の部屋に行ってくるよ。
俺も姉貴と話したいことあるから」
「もう、姉貴のせいなんだからなっ!」
弟は廊下を歩きながら、早速話し始めた。英語のまま喋っているので、
擦れ違うメイドさん達に振り向かれたり、ちょっと笑われたりしている。
ユウタの声は普通の人より大きい。
「いつもジョシュアさんに変わってとか、レッドさんに変わってとか!
そりゃあ、俺だって姉貴の弟だから、姉貴には幸せになって欲しいと思うけど。
でもこれは俺のなんだよ? 俺の」
ユウタは自分に与えられた部屋に入ると、ソファに座った。
弟の背景には、上質そうなインテリアが見える。
「なんで今日は他の奴じゃなくて、俺を選んだの?」
少し口を尖らせ、拗ねたように言う。
「だって、姉貴が俺に電話なんて珍しいじゃん。ねえ、なんで?」
→ユウタ以外の人を選んだら、喧嘩になりそうだったから
→ユウタのことが六人の中で一番好きだから
姉は弟の名前をもう一度呼ぶ。
「姉貴…」
今の流れではレッドかシルヴァンに携帯を渡すことになるんだろうな、
とユウタは思っていたので、まさか弟を選ぶとは思いも寄らなかった。
だが自分に対して、あれ? と思う。
「本当は俺が選ばれて当たり前なんだよね。これ、俺の携帯なんだから!」
他の寮生達はユウタと目を合わそうとしない。
「じゃ、みんな、俺、ちょっと自分の部屋に行ってくるよ。
俺も姉貴と話したいことあるから」
「もう、姉貴のせいなんだからなっ!」
弟は廊下を歩きながら、早速話し始めた。英語のまま喋っているので、
擦れ違うメイドさん達に振り向かれたり、ちょっと笑われたりしている。
ユウタの声は普通の人より大きい。
「いつもジョシュアさんに変わってとか、レッドさんに変わってとか!
そりゃあ、俺だって姉貴の弟だから、姉貴には幸せになって欲しいと思うけど。
でもこれは俺のなんだよ? 俺の」
ユウタは自分に与えられた部屋に入ると、ソファに座った。
弟の背景には、上質そうなインテリアが見える。
「なんで今日は他の奴じゃなくて、俺を選んだの?」
少し口を尖らせ、拗ねたように言う。
「だって、姉貴が俺に電話なんて珍しいじゃん。ねえ、なんで?」
→ユウタ以外の人を選んだら、喧嘩になりそうだったから
→ユウタのことが六人の中で一番好きだから
■テオシナリオ 続編
「僕ですか! やったー! ありがとうございます!
さあさ、行きましょ行きましょ。みなさん、失礼しまーす♪」
勝ち取った携帯を手に、ルンルンと長い髪が揺れる。
その足取りはスキップのように軽かった。
残されたメンバーは重たい溜め息を吐いていた。
「マジかよ。俺が、あの三月ウサギに負けるなんて…」
アルフレッドはショックを隠さない。
ユウタは姉の弟として、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「あ、あのさ、レッド? テオの家、広くて面白そうだから、
みんなでたんけーん!…なんてどうかな? ね、ハル…あれ?」
ハルヤは項垂れていた。横髪が影になり、表情が伺えない。
「だ、大丈夫、ハルヤ?」
「…え? ああ、うん」
「はーい、こちらが三日間お泊まりするお部屋でーす♪」
高級ホテルにも負けない一室だった。
「すごいでしょう? さっすが海運王のお城ですよねー」
パール色のベッドに寝そべる。
「ベッドもふっかふかなんですよー。雲の上みたいな気分ですー。
あ、貴女もご一緒にふっかふっか気分をどうぞ」
枕の上に携帯を横に置く。シルヴァンはその隣に寝そべる。
枕にちょこんと置かれた携帯電話。彼女を眺めながら楽しげに笑う。
「なんだか、貴女と一緒に眠ってるみたいですね♪」
ユウタの姉は曖昧な微笑を浮かべて言った。
→言われてみると、そうですね
→あの、シルヴァンさんとテオさんって同い年ですか?
○言われてみると、そうですね
言われてみると、そうですね、と姉が言うと、シルヴァンは笑顔になる。
「##NAME1##。前に言いましたよね、僕は嫉妬深い男だと。
貴女をテオには渡しませんよ。いえ、他の誰にも。
レッドが先程、怒っていたことですがね?
要するに、ヤキモチなんですよ。
テオには婚約者が居るのに僕達の愛するお姫様に手を出したって。
もちろん、僕も妬きました、とっても。
もうテオに手を差し出したりしちゃダメですよ?
##NAME1##にキスをして良いのは僕だけです。
貴女が許してくれるのなら何度だってキス、させて頂きますから。
いつか貴女を迎えに行った時には、##NAME1##と同じ夢を見せて下さいね。
その時は、いーっぱい愛し合いましょう」
突然、クルッとうつ伏せになり、両手で顔を覆う。
「って僕ってば! もう照れちゃいますー!」
顔を隠したまま、足をバタバタさせていた。
○あの、シルヴァンさんとテオさんって同い年ですか?
ユウタの姉は、あの、シルヴァンさんとテオさんって同い年ですか?
と先程思い当たったことを聞いてみた。
テオがジョシュアの前の生徒代表ならば、年齢は同じではないかと思ったのだ。
彼は、ええ、と答えた。
「僕は通常より一年遅い入学だったので、テオと同い年なんですよね。
一学年遅れていること、気にしていたこともあったんですが」
抹消された過去の話をする時、その瞳は頼りなげに揺らぐ。
彼の生い立ちを知ってしまった今では、彼はただ明るいだけの人ではないと解っていた。
シルヴァンは綺麗に微笑する。
「今では逆に、あと一、二年遅くても良かったかもって思ってますよ」
それきりシルヴァンは少しの間、黙っていた。
姉の携帯画面には、枕に髪を散らしている横顔。華奢な顔立ちに菫色の瞳。
こうしてただ黙っている時、彼の菫色はやけに他の寮生よりも大人っぽく見えた。
「##NAME1##…イジワル、しないで下さい」
普段よりずっと落ち着いた声で話し始めた。
「僕は、今すぐ貴女を携帯から連れ出して、抱き締めたいくらいなのに。
二人で話している時に他の男の話なんて、イジワルじゃないですか?
僕は、貴女に名前を呼んで頂けて、とっても嬉しかったんですよ?
僕のこと、喜ばせるだけ喜ばせておいて、
その後でヒドイことするなんて…そんなの、ズルイですよ。
僕…貴女をもっと好きになっちゃうじゃないですか」
シルヴァンは彼女の頬に手を伸ばす。
実際に触れられたわけではないのに彼の手の温かさが頬に伝わるようだった。
「愛しています、##NAME1##。貴女が好きです。
僕はこれからも##NAME1##を愛して良いですか?」
end(Sylvain ending)
さあさ、行きましょ行きましょ。みなさん、失礼しまーす♪」
勝ち取った携帯を手に、ルンルンと長い髪が揺れる。
その足取りはスキップのように軽かった。
残されたメンバーは重たい溜め息を吐いていた。
「マジかよ。俺が、あの三月ウサギに負けるなんて…」
アルフレッドはショックを隠さない。
ユウタは姉の弟として、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「あ、あのさ、レッド? テオの家、広くて面白そうだから、
みんなでたんけーん!…なんてどうかな? ね、ハル…あれ?」
ハルヤは項垂れていた。横髪が影になり、表情が伺えない。
「だ、大丈夫、ハルヤ?」
「…え? ああ、うん」
「はーい、こちらが三日間お泊まりするお部屋でーす♪」
高級ホテルにも負けない一室だった。
「すごいでしょう? さっすが海運王のお城ですよねー」
パール色のベッドに寝そべる。
「ベッドもふっかふかなんですよー。雲の上みたいな気分ですー。
あ、貴女もご一緒にふっかふっか気分をどうぞ」
枕の上に携帯を横に置く。シルヴァンはその隣に寝そべる。
枕にちょこんと置かれた携帯電話。彼女を眺めながら楽しげに笑う。
「なんだか、貴女と一緒に眠ってるみたいですね♪」
ユウタの姉は曖昧な微笑を浮かべて言った。
→言われてみると、そうですね
→あの、シルヴァンさんとテオさんって同い年ですか?
○言われてみると、そうですね
言われてみると、そうですね、と姉が言うと、シルヴァンは笑顔になる。
「##NAME1##。前に言いましたよね、僕は嫉妬深い男だと。
貴女をテオには渡しませんよ。いえ、他の誰にも。
レッドが先程、怒っていたことですがね?
要するに、ヤキモチなんですよ。
テオには婚約者が居るのに僕達の愛するお姫様に手を出したって。
もちろん、僕も妬きました、とっても。
もうテオに手を差し出したりしちゃダメですよ?
##NAME1##にキスをして良いのは僕だけです。
貴女が許してくれるのなら何度だってキス、させて頂きますから。
いつか貴女を迎えに行った時には、##NAME1##と同じ夢を見せて下さいね。
その時は、いーっぱい愛し合いましょう」
突然、クルッとうつ伏せになり、両手で顔を覆う。
「って僕ってば! もう照れちゃいますー!」
顔を隠したまま、足をバタバタさせていた。
○あの、シルヴァンさんとテオさんって同い年ですか?
ユウタの姉は、あの、シルヴァンさんとテオさんって同い年ですか?
と先程思い当たったことを聞いてみた。
テオがジョシュアの前の生徒代表ならば、年齢は同じではないかと思ったのだ。
彼は、ええ、と答えた。
「僕は通常より一年遅い入学だったので、テオと同い年なんですよね。
一学年遅れていること、気にしていたこともあったんですが」
抹消された過去の話をする時、その瞳は頼りなげに揺らぐ。
彼の生い立ちを知ってしまった今では、彼はただ明るいだけの人ではないと解っていた。
シルヴァンは綺麗に微笑する。
「今では逆に、あと一、二年遅くても良かったかもって思ってますよ」
それきりシルヴァンは少しの間、黙っていた。
姉の携帯画面には、枕に髪を散らしている横顔。華奢な顔立ちに菫色の瞳。
こうしてただ黙っている時、彼の菫色はやけに他の寮生よりも大人っぽく見えた。
「##NAME1##…イジワル、しないで下さい」
普段よりずっと落ち着いた声で話し始めた。
「僕は、今すぐ貴女を携帯から連れ出して、抱き締めたいくらいなのに。
二人で話している時に他の男の話なんて、イジワルじゃないですか?
僕は、貴女に名前を呼んで頂けて、とっても嬉しかったんですよ?
僕のこと、喜ばせるだけ喜ばせておいて、
その後でヒドイことするなんて…そんなの、ズルイですよ。
僕…貴女をもっと好きになっちゃうじゃないですか」
シルヴァンは彼女の頬に手を伸ばす。
実際に触れられたわけではないのに彼の手の温かさが頬に伝わるようだった。
「愛しています、##NAME1##。貴女が好きです。
僕はこれからも##NAME1##を愛して良いですか?」
end(Sylvain ending)
■1日目2 続編
ギリシャ旅行一日目の夕食。
ウーティス寮生とテオは、メネシス家のお客様用リビングに居た。
天井には、重そうなシャンデリア。ユウタは見慣れない輝きをちらちら見る。
もしあれが落っこちて来たら、俺達全員ぺしゃんこだなと密かに身震いした。
只でさえ高級そうなテーブルには、豪勢な夕食が煌びやかに並んでいる。
メネシス家専属のシェフが作ったギリシャ料理。
皆、美味しそうに料理を食べている。テオは右隣に座らせたハルヤに構っていた。
「東洋の黒い真珠、たくさん食べているかな?」
「あ、うん。食べてる食べてる」
今日の昼頃までは、久し振りの『真珠』という呼ばれ方に恥ずかしそうにしていたが、
夜にもなると、もう恥ずかしがるのも面倒になったのか、普通に受け答えしていた。
その様子は、まるで一年前の二人のようだった。
彼等が会ったばかりの時と別れる前もそうだったのだ。
ジョシュアは懐かしいなと思い、微笑ましく彼等を見ていた。
向かいの席に居たシルヴァンとたまたま目が合って、二人でそっと笑った。
長方形のテーブルの一番奥にテオが座っている。今日の席順はテオから見て、
右一列にはハルヤ、アンリ、シルヴァン。
左一列にはユウタ、レッド、ジョシュアと座らせていた。
ハルヤは目の前に置かれていたグラタンのようなものを自分の皿に取る。
スライスした茄子とジャガイモを、ミートソースとホワイトソースで
交互に重ねたものに、チーズがたっぷりかかっている。
口に運んでみると、それは覚えのある味だった。
美味しかった物は舌がその味を記憶する。何処かで食べたことがあるらしい。
ハルヤが思案顔になる。それに気付いたテオが、どうしたんだい、と聞いた。
「あ、えと、この料理、前にも食べたことあるのかなあと思って…」
するとテオは、嬉しそうに手を打った。
「流石だね、東洋の黒い真珠!
それは君が以前、美味しいと言ってくれた料理なのだよ!」
「え? いつ?」
「私の任期満了パーティだよ。美しい浜辺で食べただろう?」
一年前のことだ。
テオが卒業する時、自ら盛大なパーティを開催した。
その時、用意されたのがギリシャ料理だった。
当時も「うちのシェフが作った」と言っていたから、
今、此処にある物は、同じ人が作ったのかもしれないなとハルヤは思った。
「テオ、これ、何ていう料理なの?」
「ムサカと言うのだよ」
話題の大皿にアルフレッドが腕を伸ばし、自分の皿に茄子を乗せる。
口に運び、ほんとだウマイ、と言った。
つられたようにユウタも自分の前にあるムサカに手を伸ばした。
「ムサカって名前言ったら、カミーユ、作れるかなあ」
ハルヤの呟きは独り言のようにも聞こえたが、テオは笑顔で応じていた。
「ウーティスのシェフだね? もちろん、作れると思うよ。
ムサカはギリシャの代表的な料理だからね」
「でもテオ、よく覚えてたね。俺がちょっと言ったことなんて」
「忘れるわけないじゃないか。そんな大事なことを!」
「そんなに、大事なことじゃないと思うけど」
「だって、私の日記帳にちゃんと書いてあるもの!」
「ええっ? そんなことまで?」
「うん。東洋の黒い真珠は日記を書いていないのかい?」
「日記なんて書けないよ、面倒だし」
ジョシュアは長い付き合いの友人を見る。
「そう言えば、アンリは書いていたよね? 日記」
スープを口に運んでいたアンリはジョシュアを一瞥する。
「いけない?」
アルフレッドが冷やかす。
「お前、日記なんか書いてんのかよ? 似合わねー!
まさか、日記に人の悪口ばっか書いてんじゃねーだろーな?」
アンリは冷笑する。
「単細胞の悪口なら書いたかもね」
「んだとー!?」
テオは口許を隠しながら笑った。二人がテオの方を向く。
「ああ、また『氷の微笑』が見られた。ありがとう、レッド。
君達の仲良し振りを見ていると、まるで学院に居るようだ。
今日はみんなのおかげでとても楽しいよ。特に、ユウタ?」
「え?」
「君と出会えて良かった。そして、君の姉上にも」
場の空気が少し変化したが、テオは変わらず話を続ける。
「ユウタには素晴らしい姉上が居るのだね。
学院でも姉上とはよく電話をしているのかい?」
「うん」
「お優しい姉上と仲良しさんなのだねえ。あの小さな画面でも彼女の美しい瞳や、
弟への愛の深さまで伝わってきた。可愛い姫に会えて光栄だよ」
テオの左隣でユウタはムサカに視線を落とす。
「そんな…テオ、姉貴のこと褒め過ぎだよ。全然、姫とかじゃないし」
「私は褒めているつもりはないのだよ? 私は思ったままを話しているのだから」
「でも…うちの姉貴はしっかりしてそうだけど割りとドジだし、クッキーも焦がすし」
「ああ…またそうやって、日本の神秘で私を惑わせる」
「し、神秘?」
「何故そんなにも日本の人は謙虚なのだろう? どうしてだい、東洋の黒い真珠?」
突然振られたハルヤは、リスのように頬を膨らませていた。
フォークに刺した大きな茄子を口に入れたところだったのだ。
もぐもぐさせて、早めに飲み込む。急いだ為に、けほっとむせていた。
心配する声と歓声を適当に交わし、テオの質問に応じる。
「日本人がなんで謙虚かって聞かれても困るよ…
お国柄っていうか…てゆうか、当て嵌まらない人も居るし普通に」
「なるほど。サッカーをしたことがないブラジル人も居れば、
気ままなドイツ人も居るだろうからね。
もちろん、私が出会った日本人は皆、素晴らしかったのだがね?」
日本人コンビは揃って、困ったオリエンタルスマイルを見せてしまい、
余計にテオを喜ばせていた。
テーブル後方でもう一人困っていたのは金髪眼鏡の男。
主人のはしゃぎ振りを見兼ねた執事は、テオに声を掛けた。
「テオ様、そろそろデザートをお持ち致しましょうか?」
「おお、そうだね。頼むよ、皆も食べるだろう? ユウタ、甘いものは好きかい?」
「うん。好き好き!」
「ああ、なんて眩しい笑顔をする子なのだろう、ユウタは。
今日だけで三度は眩暈を覚えているよ」
「えっ、具合悪いの、テオ。大丈夫?」
「私が倒れたら、抱き留めてくれるかい、ユウタ?」
「う、うん、まあ」
「愛おしい子だね、ユウタ。私の弟に欲しいくらいだよ」
「おい、テオ。ユウタまで口説こうとしてんじゃねーよ!」
「すまない、レッド。ユウタは君のファンなのだったね」
楽しい夕食の時間も終わりに近付いてきた時、ユウタは声を潜めて言った。
「あ、あのね。テオ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
「何だい、ユウタ。何でも聞いておくれ?」
「えっと、このおうちって、なんかお城みたいだけどさ…出ない、かな?」
「ん? デザートならこれから出るよ?」
「あ、そうじゃなくて…」
テオの隣から、ハルヤが耳打ちする。
「ユウタ、お化けが嫌いなんだってさ」
「ほう。ますます可愛らしいねえ。ではユウタには悲しいお知らせになるかな?」
「えっ」
「夜中、何処からともなく、美しい歌声が聞こえる時があるのだよ」
「えええっ!!」
「可愛らしい少女の声で『一緒に遊ぼう』と」
「やだあー、やめてー!」
耳を塞いだユウタを見て、テオが微笑む。
「ユウタ、今宵は私と一緒に眠るかい?」
「いっ、良いの?」
「イイわけねーだろ!」アルフレッドがユウタを叩く。
「テオお前、ユウタと##NAME1##を部屋に連れ込もうと思ってやがんな!?」
「おお。そこまでは思い至らなかったな。さすが、頭の回転が速いね、レッドは」
「ぜってえ許さねーからなっ!」
「解ったよ。いや、それにしても良かったよ。君はちゃんと休暇を楽しんでいるようだね?」
「あ?」
「君は『永遠の休暇』を選んだから美しい宝石と巡り会ったのだろう?」
独特の風格を持つ、テオのあたたかな声は、今日会ったばかりのユウタの耳にも不思議と馴染む。
まるで懐かしい歌を聞いているような気持ちにさせるものだった。
テオは大らかな声でゆっくりと言葉を紡いでいた。
フォークを持っていた者も次第に動きが止まっていく。テオは両の指を絡めて、肘を突く。
「入学した頃の君は、休暇というものに居心地の悪さを感じていたようだったから、
当時は心配したものだよ? 人は、休みを取らなくては、生きていけない生き物だ
懸命に飛び続けることは素晴らしいことだが、そればかりではいつか翼を傷めるよ。
時に太陽の美しさに心を奪われ、時に潮風に身体を任せることも、決して罪ではない。
休暇中は、それまで出会わなかったもの、気付かなかったものが見えてくる時間だ。
辺境の島に翼を降ろせた皆には、心ゆくまであの美しい島に居られる時間を楽しんで貰いたい」
夕食の席は、時が止まったように音が消えていた。
その場に居た全員がテオの言葉を聴き入り、それぞれの想いを胸に抱いた。
静まり返った食卓に気付き、テオは明るい笑顔で言った。
「すまない。卒業生の戯言だったね。あ、デザートが到着したようだよ?」
ウーティス寮生とテオは、メネシス家のお客様用リビングに居た。
天井には、重そうなシャンデリア。ユウタは見慣れない輝きをちらちら見る。
もしあれが落っこちて来たら、俺達全員ぺしゃんこだなと密かに身震いした。
只でさえ高級そうなテーブルには、豪勢な夕食が煌びやかに並んでいる。
メネシス家専属のシェフが作ったギリシャ料理。
皆、美味しそうに料理を食べている。テオは右隣に座らせたハルヤに構っていた。
「東洋の黒い真珠、たくさん食べているかな?」
「あ、うん。食べてる食べてる」
今日の昼頃までは、久し振りの『真珠』という呼ばれ方に恥ずかしそうにしていたが、
夜にもなると、もう恥ずかしがるのも面倒になったのか、普通に受け答えしていた。
その様子は、まるで一年前の二人のようだった。
彼等が会ったばかりの時と別れる前もそうだったのだ。
ジョシュアは懐かしいなと思い、微笑ましく彼等を見ていた。
向かいの席に居たシルヴァンとたまたま目が合って、二人でそっと笑った。
長方形のテーブルの一番奥にテオが座っている。今日の席順はテオから見て、
右一列にはハルヤ、アンリ、シルヴァン。
左一列にはユウタ、レッド、ジョシュアと座らせていた。
ハルヤは目の前に置かれていたグラタンのようなものを自分の皿に取る。
スライスした茄子とジャガイモを、ミートソースとホワイトソースで
交互に重ねたものに、チーズがたっぷりかかっている。
口に運んでみると、それは覚えのある味だった。
美味しかった物は舌がその味を記憶する。何処かで食べたことがあるらしい。
ハルヤが思案顔になる。それに気付いたテオが、どうしたんだい、と聞いた。
「あ、えと、この料理、前にも食べたことあるのかなあと思って…」
するとテオは、嬉しそうに手を打った。
「流石だね、東洋の黒い真珠!
それは君が以前、美味しいと言ってくれた料理なのだよ!」
「え? いつ?」
「私の任期満了パーティだよ。美しい浜辺で食べただろう?」
一年前のことだ。
テオが卒業する時、自ら盛大なパーティを開催した。
その時、用意されたのがギリシャ料理だった。
当時も「うちのシェフが作った」と言っていたから、
今、此処にある物は、同じ人が作ったのかもしれないなとハルヤは思った。
「テオ、これ、何ていう料理なの?」
「ムサカと言うのだよ」
話題の大皿にアルフレッドが腕を伸ばし、自分の皿に茄子を乗せる。
口に運び、ほんとだウマイ、と言った。
つられたようにユウタも自分の前にあるムサカに手を伸ばした。
「ムサカって名前言ったら、カミーユ、作れるかなあ」
ハルヤの呟きは独り言のようにも聞こえたが、テオは笑顔で応じていた。
「ウーティスのシェフだね? もちろん、作れると思うよ。
ムサカはギリシャの代表的な料理だからね」
「でもテオ、よく覚えてたね。俺がちょっと言ったことなんて」
「忘れるわけないじゃないか。そんな大事なことを!」
「そんなに、大事なことじゃないと思うけど」
「だって、私の日記帳にちゃんと書いてあるもの!」
「ええっ? そんなことまで?」
「うん。東洋の黒い真珠は日記を書いていないのかい?」
「日記なんて書けないよ、面倒だし」
ジョシュアは長い付き合いの友人を見る。
「そう言えば、アンリは書いていたよね? 日記」
スープを口に運んでいたアンリはジョシュアを一瞥する。
「いけない?」
アルフレッドが冷やかす。
「お前、日記なんか書いてんのかよ? 似合わねー!
まさか、日記に人の悪口ばっか書いてんじゃねーだろーな?」
アンリは冷笑する。
「単細胞の悪口なら書いたかもね」
「んだとー!?」
テオは口許を隠しながら笑った。二人がテオの方を向く。
「ああ、また『氷の微笑』が見られた。ありがとう、レッド。
君達の仲良し振りを見ていると、まるで学院に居るようだ。
今日はみんなのおかげでとても楽しいよ。特に、ユウタ?」
「え?」
「君と出会えて良かった。そして、君の姉上にも」
場の空気が少し変化したが、テオは変わらず話を続ける。
「ユウタには素晴らしい姉上が居るのだね。
学院でも姉上とはよく電話をしているのかい?」
「うん」
「お優しい姉上と仲良しさんなのだねえ。あの小さな画面でも彼女の美しい瞳や、
弟への愛の深さまで伝わってきた。可愛い姫に会えて光栄だよ」
テオの左隣でユウタはムサカに視線を落とす。
「そんな…テオ、姉貴のこと褒め過ぎだよ。全然、姫とかじゃないし」
「私は褒めているつもりはないのだよ? 私は思ったままを話しているのだから」
「でも…うちの姉貴はしっかりしてそうだけど割りとドジだし、クッキーも焦がすし」
「ああ…またそうやって、日本の神秘で私を惑わせる」
「し、神秘?」
「何故そんなにも日本の人は謙虚なのだろう? どうしてだい、東洋の黒い真珠?」
突然振られたハルヤは、リスのように頬を膨らませていた。
フォークに刺した大きな茄子を口に入れたところだったのだ。
もぐもぐさせて、早めに飲み込む。急いだ為に、けほっとむせていた。
心配する声と歓声を適当に交わし、テオの質問に応じる。
「日本人がなんで謙虚かって聞かれても困るよ…
お国柄っていうか…てゆうか、当て嵌まらない人も居るし普通に」
「なるほど。サッカーをしたことがないブラジル人も居れば、
気ままなドイツ人も居るだろうからね。
もちろん、私が出会った日本人は皆、素晴らしかったのだがね?」
日本人コンビは揃って、困ったオリエンタルスマイルを見せてしまい、
余計にテオを喜ばせていた。
テーブル後方でもう一人困っていたのは金髪眼鏡の男。
主人のはしゃぎ振りを見兼ねた執事は、テオに声を掛けた。
「テオ様、そろそろデザートをお持ち致しましょうか?」
「おお、そうだね。頼むよ、皆も食べるだろう? ユウタ、甘いものは好きかい?」
「うん。好き好き!」
「ああ、なんて眩しい笑顔をする子なのだろう、ユウタは。
今日だけで三度は眩暈を覚えているよ」
「えっ、具合悪いの、テオ。大丈夫?」
「私が倒れたら、抱き留めてくれるかい、ユウタ?」
「う、うん、まあ」
「愛おしい子だね、ユウタ。私の弟に欲しいくらいだよ」
「おい、テオ。ユウタまで口説こうとしてんじゃねーよ!」
「すまない、レッド。ユウタは君のファンなのだったね」
楽しい夕食の時間も終わりに近付いてきた時、ユウタは声を潜めて言った。
「あ、あのね。テオ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
「何だい、ユウタ。何でも聞いておくれ?」
「えっと、このおうちって、なんかお城みたいだけどさ…出ない、かな?」
「ん? デザートならこれから出るよ?」
「あ、そうじゃなくて…」
テオの隣から、ハルヤが耳打ちする。
「ユウタ、お化けが嫌いなんだってさ」
「ほう。ますます可愛らしいねえ。ではユウタには悲しいお知らせになるかな?」
「えっ」
「夜中、何処からともなく、美しい歌声が聞こえる時があるのだよ」
「えええっ!!」
「可愛らしい少女の声で『一緒に遊ぼう』と」
「やだあー、やめてー!」
耳を塞いだユウタを見て、テオが微笑む。
「ユウタ、今宵は私と一緒に眠るかい?」
「いっ、良いの?」
「イイわけねーだろ!」アルフレッドがユウタを叩く。
「テオお前、ユウタと##NAME1##を部屋に連れ込もうと思ってやがんな!?」
「おお。そこまでは思い至らなかったな。さすが、頭の回転が速いね、レッドは」
「ぜってえ許さねーからなっ!」
「解ったよ。いや、それにしても良かったよ。君はちゃんと休暇を楽しんでいるようだね?」
「あ?」
「君は『永遠の休暇』を選んだから美しい宝石と巡り会ったのだろう?」
独特の風格を持つ、テオのあたたかな声は、今日会ったばかりのユウタの耳にも不思議と馴染む。
まるで懐かしい歌を聞いているような気持ちにさせるものだった。
テオは大らかな声でゆっくりと言葉を紡いでいた。
フォークを持っていた者も次第に動きが止まっていく。テオは両の指を絡めて、肘を突く。
「入学した頃の君は、休暇というものに居心地の悪さを感じていたようだったから、
当時は心配したものだよ? 人は、休みを取らなくては、生きていけない生き物だ
懸命に飛び続けることは素晴らしいことだが、そればかりではいつか翼を傷めるよ。
時に太陽の美しさに心を奪われ、時に潮風に身体を任せることも、決して罪ではない。
休暇中は、それまで出会わなかったもの、気付かなかったものが見えてくる時間だ。
辺境の島に翼を降ろせた皆には、心ゆくまであの美しい島に居られる時間を楽しんで貰いたい」
夕食の席は、時が止まったように音が消えていた。
その場に居た全員がテオの言葉を聴き入り、それぞれの想いを胸に抱いた。
静まり返った食卓に気付き、テオは明るい笑顔で言った。
「すまない。卒業生の戯言だったね。あ、デザートが到着したようだよ?」
■テオシナリオ 続編
ユウタから携帯を受け取る。
自分が選ばれるとは思っていなかったので、ジョシュアは少し驚いた。
「##NAME1##…本当に、俺でいいの?」
肯定の返事。やっと驚きが嬉しさに変わる。自然と笑顔になっていた。
「ありがとう、##NAME1##。あっ…」
ジョシュアは友人達の視線に気付く。中でも冷たい視線とぶつかる。
「提案者が勝つゲームって、面白くない」
「ご、ごめんね、アンリ」
「まあまあ。恨みっこなしってルールじゃないですか。気持ちは解りますけど。
あ、僕! プレイングカード持って来ましたので、負け組は負け組で仲良く遊びません?」
アルフレッドが嫌そうに呻く。
「負け組言うな」
「じゃあ、何して遊ぼっか?」
苦笑しつつ、ハルヤは話を前に進めた。
状況的に小道具を用いて遊ぶ方が良さそうだと思ったからだ。
「賭けポーカーならやってあげても良いけれど?」
氷のギャンブラーが命令に近い提案をする。
「良いですね! 何を賭けましょうか?」
ユウタは、えー、と不満を言う。
「怒ってるアンリとカードゲームなんかしたくないよー。絶対勝てないもん」
「ねえ。僕が一度でも君に負けたことがあるような言い方、止めてくれる?」
「やっぱ、めちゃくちゃ怒ってるー」
泣き顔になったユウタを見て、ジョシュアは少し笑ってしまった。
この場はシルヴァンがなんとかしてくれそうなので、
彼女を部屋に連れて行こうとした。
「あっ、おい、ジョシュア!」
アルフレッドは真剣な目で訴えた。
「テオのこと、彼女に必ず言ってくれよ」
「…そう、だね。解ったよ、レッド」
ギリシャ旅行のホテルはメネシス家にあるゲストルーム。
ウーティス寮の部屋の二倍近い広さ。
客人の多い家だから宿泊機能も兼ね備えているそうだ。
この家に入った時、広大な敷地、擦れ違う使用人の多さに、
ジョシュアは少し気が重くなった。雰囲気がランベール館に似ていたのだ。
父の死後、5歳から13歳になるまで暮らした、
母方の生家。グラント直系のその家は、
親戚――と言っても見知らぬ人ばかり――を集めたパーティが多かった。
母の兄で家長のネイサン・グラントを始め、誰もが親切に接してくれた。
けれど、常に自分は疎まれているという感覚は拭い取れなかった。
血筋では次の家長は自分になる。それを誰も望んでいない。そんな気がした。
愛情深い両親に育てられたせいか、
彼等を失って急に、自分の周りが寒々しく感じられた。
自分を抱き留めてくれる人はいなかったし、
その時には既に、素直に甘えられる年齢でもなかった。
長い間多くの人に囲まれながら、自分はずっと一人だった。
けれど、今は違う。
貴女が居る。
声を聞くだけで。貴女のことを考えるだけで。
貴女に優しく包まれているようで。
やっぱり、好きなんだ、と感じていた。
ベッドの上に座り、壁に背を預ける。
右手に持った携帯。貴女が俺の傍に居る。
「俺、みんなには悪いことをしてしまったね」
貴女を前にすると、不思議なほど優しい気持ちになっている。
「だけど、貴女が俺の名前を呼んでくれて嬉しかった。ありがとう」
彼女に礼を言うと、先程友達と交わした約束について話し始めた。
「レッドに頼まれたこと、先に伝えるよ」
片膝を少し立てる。左腕を乗せる。
「テオのこと、なんだけど。実は、彼には、婚約者が居るんだ。
相手は資産家の令嬢。メネシスの事業展開に必要な家だそうだ。
だから、レッドは君のこと、心配してたんだよ。
もし、万が一にでも、貴女とテオが惹かれ合ってしまったら、
二人とも苦しむことになるから」
ジョシュアが目を伏せる。ユウタの姉は、あの、と声を掛けた。
→学生時代のテオさんについて聞いても良いですか?
→ジョシュアさんのご両親も他に婚約者が居たんですよね?
→大丈夫ですよ。私が好きなのはジョシュアさんだけだから。
○学生時代のテオさんについて聞いても良いですか?
学生時代のテオさんについて聞いても良いですか? と姉は言った。
「テオはさっき君が見た通りの人だよ。学生時代と変わってない。
すごく人気者でね、華やかな人だなって思ってたよ。
思ったより元気そうで良かったよ。
でも、顔立ちが大人っぽくなってたな、肖像画より。
生徒代表室に歴代の生徒代表の絵があるからね」
壁一面に飾られた肖像画。中で一番新しい絵が前年度の代表テオだった。
彼女に生徒代表室から電話する時、
テオの温かな視線に罪悪感を覚えていた時もあった。
今ではあまり気にならなくなった。
貴女の声を聞いている時は、貴女のことしか考えられなくなったから。
生徒代表室に居る時だけではない。
気が付くと貴女のことを想って、いつも幸せな気持ちになる。
「俺、そろそろみんなのところに戻るよ。学院に帰ったらまた電話するね。それじゃ」
○ジョシュアさんのご両親も他に婚約者が居たんですよね?
ジョシュアさんのご両親も他に婚約者が居たんですよね? と姉は聞いた。
「うん。本人達の意思ではなく、周囲が決めた相手がね。
父と母は結ばれたから良かったけど、二人とも早くに亡くなってしまった。
無謀な結婚をしたから天罰が下ったんだって書かれたこともあったよ。
あ、俺はその記事を信じたわけじゃないから、心配しないで。
父と母は駆け落ちしたこと、後悔していないと思うんだ。
二人が歌っている姿は、本当に、幸福そのものだったから」
当時の光景が目に浮かぶ。幼い記憶の中で最もあたたかいものだった。
「あ、すまない。もう行かなくちゃ。アンリが荒稼ぎしてないか心配だし」
ジョシュアはクスクスと笑う。
先程ジョシュア以外のメンバーは、みんなで賭けポーカーをすると言っていた。
アンリさんはそんなに強いんですか、と姉は聞いてみた。ジョシュアは頷く。
「ああ。強いよ? ポーカーフェイスはお手の物だし。
強い手札がないのに、わざと笑ったりして、巧みに相手を誘導してくる。
アンリとプレイしていると、本当にぞくっとして面白いんだ。
俺は時々しか勝てないけど、君なら勝てるかもね?
いつかゲームしてみて欲しいな。それじゃ、行ってくるよ。またね」
○大丈夫ですよ。私が好きなのはジョシュアさんだけだから。
大丈夫ですよ。私が好きなのはジョシュアさんだけだから。と姉は言った
ジョシュアは、えっ、と言って目を大きくする。嬉しそうに微笑した。
「ありがとう…俺もだよ、##NAME1##」
深紅の瞳が彼女だけを見つめる。
「愛してる。俺が好きなのは君だけだ」
ユウタの姉が恥ずかしそうに俯くと、ジョシュアも少し照れたように笑った。
「ねえ、##NAME1##。いつか俺達も旅行しようね。
君が好きなところに、二人で行こう?」
うん、という返事を聞いて、ジョシュアは、楽しみだよ、と言った。
「さて。プリンセスはそろそろお休みの時間だね?
それじゃ、また電話するよ…あ、##NAME1##」
電話を切ろうとして、思い出したことがあった。
テオが彼女に言った言葉。『今宵、夢で会おう』と。
##NAME1##、と大好きな名を唱える。
「俺も、待っていて良いかな? 君が俺の夢に来てくれるのを」
end(Joshua ending)
自分が選ばれるとは思っていなかったので、ジョシュアは少し驚いた。
「##NAME1##…本当に、俺でいいの?」
肯定の返事。やっと驚きが嬉しさに変わる。自然と笑顔になっていた。
「ありがとう、##NAME1##。あっ…」
ジョシュアは友人達の視線に気付く。中でも冷たい視線とぶつかる。
「提案者が勝つゲームって、面白くない」
「ご、ごめんね、アンリ」
「まあまあ。恨みっこなしってルールじゃないですか。気持ちは解りますけど。
あ、僕! プレイングカード持って来ましたので、負け組は負け組で仲良く遊びません?」
アルフレッドが嫌そうに呻く。
「負け組言うな」
「じゃあ、何して遊ぼっか?」
苦笑しつつ、ハルヤは話を前に進めた。
状況的に小道具を用いて遊ぶ方が良さそうだと思ったからだ。
「賭けポーカーならやってあげても良いけれど?」
氷のギャンブラーが命令に近い提案をする。
「良いですね! 何を賭けましょうか?」
ユウタは、えー、と不満を言う。
「怒ってるアンリとカードゲームなんかしたくないよー。絶対勝てないもん」
「ねえ。僕が一度でも君に負けたことがあるような言い方、止めてくれる?」
「やっぱ、めちゃくちゃ怒ってるー」
泣き顔になったユウタを見て、ジョシュアは少し笑ってしまった。
この場はシルヴァンがなんとかしてくれそうなので、
彼女を部屋に連れて行こうとした。
「あっ、おい、ジョシュア!」
アルフレッドは真剣な目で訴えた。
「テオのこと、彼女に必ず言ってくれよ」
「…そう、だね。解ったよ、レッド」
ギリシャ旅行のホテルはメネシス家にあるゲストルーム。
ウーティス寮の部屋の二倍近い広さ。
客人の多い家だから宿泊機能も兼ね備えているそうだ。
この家に入った時、広大な敷地、擦れ違う使用人の多さに、
ジョシュアは少し気が重くなった。雰囲気がランベール館に似ていたのだ。
父の死後、5歳から13歳になるまで暮らした、
母方の生家。グラント直系のその家は、
親戚――と言っても見知らぬ人ばかり――を集めたパーティが多かった。
母の兄で家長のネイサン・グラントを始め、誰もが親切に接してくれた。
けれど、常に自分は疎まれているという感覚は拭い取れなかった。
血筋では次の家長は自分になる。それを誰も望んでいない。そんな気がした。
愛情深い両親に育てられたせいか、
彼等を失って急に、自分の周りが寒々しく感じられた。
自分を抱き留めてくれる人はいなかったし、
その時には既に、素直に甘えられる年齢でもなかった。
長い間多くの人に囲まれながら、自分はずっと一人だった。
けれど、今は違う。
貴女が居る。
声を聞くだけで。貴女のことを考えるだけで。
貴女に優しく包まれているようで。
やっぱり、好きなんだ、と感じていた。
ベッドの上に座り、壁に背を預ける。
右手に持った携帯。貴女が俺の傍に居る。
「俺、みんなには悪いことをしてしまったね」
貴女を前にすると、不思議なほど優しい気持ちになっている。
「だけど、貴女が俺の名前を呼んでくれて嬉しかった。ありがとう」
彼女に礼を言うと、先程友達と交わした約束について話し始めた。
「レッドに頼まれたこと、先に伝えるよ」
片膝を少し立てる。左腕を乗せる。
「テオのこと、なんだけど。実は、彼には、婚約者が居るんだ。
相手は資産家の令嬢。メネシスの事業展開に必要な家だそうだ。
だから、レッドは君のこと、心配してたんだよ。
もし、万が一にでも、貴女とテオが惹かれ合ってしまったら、
二人とも苦しむことになるから」
ジョシュアが目を伏せる。ユウタの姉は、あの、と声を掛けた。
→学生時代のテオさんについて聞いても良いですか?
→ジョシュアさんのご両親も他に婚約者が居たんですよね?
→大丈夫ですよ。私が好きなのはジョシュアさんだけだから。
○学生時代のテオさんについて聞いても良いですか?
学生時代のテオさんについて聞いても良いですか? と姉は言った。
「テオはさっき君が見た通りの人だよ。学生時代と変わってない。
すごく人気者でね、華やかな人だなって思ってたよ。
思ったより元気そうで良かったよ。
でも、顔立ちが大人っぽくなってたな、肖像画より。
生徒代表室に歴代の生徒代表の絵があるからね」
壁一面に飾られた肖像画。中で一番新しい絵が前年度の代表テオだった。
彼女に生徒代表室から電話する時、
テオの温かな視線に罪悪感を覚えていた時もあった。
今ではあまり気にならなくなった。
貴女の声を聞いている時は、貴女のことしか考えられなくなったから。
生徒代表室に居る時だけではない。
気が付くと貴女のことを想って、いつも幸せな気持ちになる。
「俺、そろそろみんなのところに戻るよ。学院に帰ったらまた電話するね。それじゃ」
○ジョシュアさんのご両親も他に婚約者が居たんですよね?
ジョシュアさんのご両親も他に婚約者が居たんですよね? と姉は聞いた。
「うん。本人達の意思ではなく、周囲が決めた相手がね。
父と母は結ばれたから良かったけど、二人とも早くに亡くなってしまった。
無謀な結婚をしたから天罰が下ったんだって書かれたこともあったよ。
あ、俺はその記事を信じたわけじゃないから、心配しないで。
父と母は駆け落ちしたこと、後悔していないと思うんだ。
二人が歌っている姿は、本当に、幸福そのものだったから」
当時の光景が目に浮かぶ。幼い記憶の中で最もあたたかいものだった。
「あ、すまない。もう行かなくちゃ。アンリが荒稼ぎしてないか心配だし」
ジョシュアはクスクスと笑う。
先程ジョシュア以外のメンバーは、みんなで賭けポーカーをすると言っていた。
アンリさんはそんなに強いんですか、と姉は聞いてみた。ジョシュアは頷く。
「ああ。強いよ? ポーカーフェイスはお手の物だし。
強い手札がないのに、わざと笑ったりして、巧みに相手を誘導してくる。
アンリとプレイしていると、本当にぞくっとして面白いんだ。
俺は時々しか勝てないけど、君なら勝てるかもね?
いつかゲームしてみて欲しいな。それじゃ、行ってくるよ。またね」
○大丈夫ですよ。私が好きなのはジョシュアさんだけだから。
大丈夫ですよ。私が好きなのはジョシュアさんだけだから。と姉は言った
ジョシュアは、えっ、と言って目を大きくする。嬉しそうに微笑した。
「ありがとう…俺もだよ、##NAME1##」
深紅の瞳が彼女だけを見つめる。
「愛してる。俺が好きなのは君だけだ」
ユウタの姉が恥ずかしそうに俯くと、ジョシュアも少し照れたように笑った。
「ねえ、##NAME1##。いつか俺達も旅行しようね。
君が好きなところに、二人で行こう?」
うん、という返事を聞いて、ジョシュアは、楽しみだよ、と言った。
「さて。プリンセスはそろそろお休みの時間だね?
それじゃ、また電話するよ…あ、##NAME1##」
電話を切ろうとして、思い出したことがあった。
テオが彼女に言った言葉。『今宵、夢で会おう』と。
##NAME1##、と大好きな名を唱える。
「俺も、待っていて良いかな? 君が俺の夢に来てくれるのを」
end(Joshua ending)
■ジョシュアシナリオ、アニメベース
■カーディス×アンリ
■カーディス×アンリ
「アンリ、今度の休日、ちょっと俺に付き合ってくれないかな?」
「何処へ行くの?」
「ロレート公国に」
彼は先日、王位を継ぐことを決意した。
ロレートには何度か足を運んでいる。それは別に良い。
アンリは髪を耳に掛ける。
「君がロレートと親しくするのは構わないけれど、
まさか、カーディスが僕を呼んだの?」
「俺が連れていきたいんだ」
「何それ」
「嫌かい?」
「僕のメリットが感じられないもの」
「俺、前から思っていたんだ。いつか、君とカーディスと引き合わせてみたいって」
「王様と僕を引き合わせて、どうしようというの?」
「どうなるかな、と思ってね」
悪戯な笑みを見せる。
その笑顔には冷たい視線が送られた。
「それだけの為に僕の休日を奪うつもり? 君、最近、横柄じゃない?」
「すまない。俺の友人に、性格を少し移されたのかな?」
「即刻、付き合うのを止めた方が良いと思うよ?
君みたいな優等生には相応しくない友人じゃないかな?」
「ねえ。アンリ、行こうよ。退屈はさせないから」
「昔は大人しかったのに、随分強引になったね、ジョシュア」
ロレート公国で、二人の顔合わせが実現した。
ジョシュアは自分が信頼する人同士の対面が叶い、とても嬉しかった。
二人の間に立って、双方を紹介する。
「カーディス、彼が以前お話したアンリです。
高等部第二学年、寮はウーティス。俺の一番の友人です」
アンリはちらとジョシュアを睨む。
それを受け止めて、話を続ける。
「アンリ、彼が俺の叔父でロレート国王のカーディス1世」
「知ってるよ。文化祭ではVIP席から劇に乱入してくれたからね」
カーディスは苦笑した。
「あの時は、すまなかったな。そうか、君はアンジェロだな?
実に迫真の演技だった。俺の甥が君を叩く場面が特にな」
「貴方は…サディスト?」
「ほう。よく解ったな?」
「可笑しな王様」
アンリは冷笑して、白い手を差し出す。
「こんにちは、カーディス国王陛下。
僕はアンリ=ユーグ=ド=サン・ジェルマン」
カーディスは微笑して、手を握り返した。
「陛下などと呼ぶな。俺はカーディスだ。
学院の生徒同士はファーストネームで呼び合う、だろう? アンリ?」
「貴方はもう生徒じゃないけどね? カ-ディス」
「面白い奴だな。ジョシュアの親友だというから、馬鹿が付くほど生真面目な男かと思ったが。
とんだ口の悪い美人だな。女を連れてきたのかと思ったぞ」
「僕もジョシュアの父上は品行方正な王子と聞いていたけれど、
その弟君は粗野で礼儀知らずのようだね?」
「ああ。加えて言うなら、口の減らない奴は好みだ」
「じゃ、僕とは相性が良くないね?」
王は可笑しそうに笑った。
「アンリ、酒は飲めるのか?」
「まあね」
「強そうだな? よし。ラルヴィス!」
はい…と控えていた側近が眉間に皺を寄せる。
王は機嫌良く従者に命じた。
「歓迎の祝杯を挙げる。宴の準備をしろ!」
fin
「何処へ行くの?」
「ロレート公国に」
彼は先日、王位を継ぐことを決意した。
ロレートには何度か足を運んでいる。それは別に良い。
アンリは髪を耳に掛ける。
「君がロレートと親しくするのは構わないけれど、
まさか、カーディスが僕を呼んだの?」
「俺が連れていきたいんだ」
「何それ」
「嫌かい?」
「僕のメリットが感じられないもの」
「俺、前から思っていたんだ。いつか、君とカーディスと引き合わせてみたいって」
「王様と僕を引き合わせて、どうしようというの?」
「どうなるかな、と思ってね」
悪戯な笑みを見せる。
その笑顔には冷たい視線が送られた。
「それだけの為に僕の休日を奪うつもり? 君、最近、横柄じゃない?」
「すまない。俺の友人に、性格を少し移されたのかな?」
「即刻、付き合うのを止めた方が良いと思うよ?
君みたいな優等生には相応しくない友人じゃないかな?」
「ねえ。アンリ、行こうよ。退屈はさせないから」
「昔は大人しかったのに、随分強引になったね、ジョシュア」
ロレート公国で、二人の顔合わせが実現した。
ジョシュアは自分が信頼する人同士の対面が叶い、とても嬉しかった。
二人の間に立って、双方を紹介する。
「カーディス、彼が以前お話したアンリです。
高等部第二学年、寮はウーティス。俺の一番の友人です」
アンリはちらとジョシュアを睨む。
それを受け止めて、話を続ける。
「アンリ、彼が俺の叔父でロレート国王のカーディス1世」
「知ってるよ。文化祭ではVIP席から劇に乱入してくれたからね」
カーディスは苦笑した。
「あの時は、すまなかったな。そうか、君はアンジェロだな?
実に迫真の演技だった。俺の甥が君を叩く場面が特にな」
「貴方は…サディスト?」
「ほう。よく解ったな?」
「可笑しな王様」
アンリは冷笑して、白い手を差し出す。
「こんにちは、カーディス国王陛下。
僕はアンリ=ユーグ=ド=サン・ジェルマン」
カーディスは微笑して、手を握り返した。
「陛下などと呼ぶな。俺はカーディスだ。
学院の生徒同士はファーストネームで呼び合う、だろう? アンリ?」
「貴方はもう生徒じゃないけどね? カ-ディス」
「面白い奴だな。ジョシュアの親友だというから、馬鹿が付くほど生真面目な男かと思ったが。
とんだ口の悪い美人だな。女を連れてきたのかと思ったぞ」
「僕もジョシュアの父上は品行方正な王子と聞いていたけれど、
その弟君は粗野で礼儀知らずのようだね?」
「ああ。加えて言うなら、口の減らない奴は好みだ」
「じゃ、僕とは相性が良くないね?」
王は可笑しそうに笑った。
「アンリ、酒は飲めるのか?」
「まあね」
「強そうだな? よし。ラルヴィス!」
はい…と控えていた側近が眉間に皺を寄せる。
王は機嫌良く従者に命じた。
「歓迎の祝杯を挙げる。宴の準備をしろ!」
fin
■テオシナリオ 続編
「解ったよ、姉貴。はい、ハルヤ。姉貴をよろしく」
ユウタから手渡された携帯電話を受け取る。
「ど、ども。ありがと…」
携帯を手にすると、その場に居た堪れなくなった。
周りの視線を気にしつつ、携帯画面を伺う。
「えっと…俺の部屋でいいかな?」
ハルヤはドアを開ける。まるで王様の部屋みたいだった。見たことはないけど。
よく解らない絵画とか壷もあるが、怖くてさわれないかんじだ。
「なんかスゴイよねえ、うちの寮の部屋より広いし。
お客さんを泊めるだけの部屋、他にもいっぱいあるらしいよ?
やっぱテオって、お金持ちのお坊ちゃんなんだね」
この部屋には、座椅子や座布団の類は当然ない。
ハルヤはベッドに座ることにした。
「君までギリシャ旅行に巻き込んじゃって、ごめんね」
無意識に正座になっていた。傍には小さめのボストンバック。
バッグの上には透明な手提げ袋。
ドーナツ型のパンのようなものが5、6個入っていた。
「あ、これ?」
ユウタの姉の視線に気付く。ハルヤは携帯をベッドに置いて、パンを1個取り出して見せた。
輪っかのパンには金色のゴマが綺麗にまぶしてあった。
「クルーリって言うんだって。なんか面白い名前だよね。
ドーナツみたいで割と美味しかったから、夜食用に買ってきちゃった。
広い公園みたいなとこで売ってたんだ、パラソルの下で。
他の…多分、ギリシャの人だと思うけど、みんな普通に買ってたよ。
メジャーな食べ物なんだろうね、きっと」
クルーリを袋に入れて、バッグの上に戻す。
「あ、あのさ」
正座した膝の上で携帯を持つ。
「テオって、元々ああいう大袈裟な話し方する人なんだよ。
今日、ユウタに会った時も『東洋の黒い真珠が二人も!』って騒いでたし。
何が良いんだろうね、黒い瞳の。俺達から見れば皆の方が綺麗なのに」
両手で持っている携帯画面を眺める。
同じ瞳を持つ人。テオが真珠と讃える黒い瞳。
自分には大袈裟な愛称だけど。
「君は真珠だよね。##NAME1##、綺麗だもん」
沈黙が二人の間を通る。
言われた人と言った人まで少し頬を染めた。
「…や、何テオみたいなこと言ってんだろ…ごめんね。
でもっ、本当に、そう思っただけなんだけど、えと…
あ、そう言えばさ、レッドが言ってたことなんだけど」
先程の光景を思い出す。
お姉さんの争奪戦になった原因だ。
「俺が代わりに言わないといけないよね。面白い話とかじゃなくて悪いんだけど。
あの…テオね、今年中に結婚するんだ。
本人から聞いたわけじゃないんだけど、ギリシャのニュースで見たんだ。
めちゃくちゃお金使った結婚式になるみたいでさ。
そんなわけで、レッドは君に、テオのこと言おうとしてたんだよ。
奥さんが決まってる人のこと、好きになっちゃう場合もあるけどさ。
やっぱり、あんまり良くないよね。
俺がまだ17歳だからかな。そういうの、よくわかんないんだ」
ハルヤは幼い頃の記憶が甦る。
祖父の家で、腹違い兄と日舞の稽古をしていた頃のこと。
稽古の間は大好きな兄と一緒に居られて、楽しかった。
唯一、嫌だったことは、兄の母と顔を合わせること。
「俺ね、兄様の母様に、嫌われてたんだ。
意地悪とかは全然されてないよ? 俺にも優しい人なんだけど、でも。
俺のこと『春也さん』ってずっと呼んでたし、
俺の母様とも目を合わさないかんじとか。
表面上は、母様達、普通にしてるんだけど、
なんか…なんかさ、俺、その時まだ子供だったけど、
それでも、二人とも苦しんでるのが解ってさ、すごく、嫌だった。
俺の母様は籍を入れないまま、父様ともなかなか会えないし。
そういう母様見てると…後悔、とかしてないのかなって、俺、思ってて。
奥さんが居るのに…父様も母様も、どうして、好きになっちゃったのかな」
再び降りた沈黙に、ハルヤは口を押さえた。
言うつもりのなかったことを、話している。
「ご、ごめん。俺、また…。こんなこと、誰にも話したことないのに」
母様や兄様にも言えなくて、今までは奥底に沈んでいた。
だけど、お姉さんの前では、ふわふわと浮かんできて。
自分でも気付かなかった自分に出逢う。
「あの、えっと。俺のこととかじゃなくて。
テオはもう結婚する人、決まっているから、その…」
クールとか、飄々としているとか、そういう自分ではない。
緊張して、何話していいかわかんなくて、変なこと言っちゃって。
それでも君は受け止めてくれるんじゃないかって、心の何処かで思ってる。
君と話すのは、照れることもいっぱいあるけど、でも、すごく、好きだから。
「テオのことは、好きにならないで。君には悲しい想い、させたく、ないよ」
また沈黙。
彼女の顔を確かめずにますます俯いた。
「せっかく俺のこと選んでくれたのに、うっとうしい話聞かせちゃってごめん。
今度は楽しい話しよ? また、電話してくれる?」
全然上手く喋れなくて、変に思われてないかな、とか、
もし君に「もう電話しない」って言われたら、って不安になる。
君の「はい。また電話しますね」という返事を聞いて、いつも、ほっとする。
「よかった。今日はほんと、ごめん。そんじゃね」
電話を切る。携帯は待受画面に戻った。
頬に触れてみる。やはり熱い。
「##NAME1##…」
その先が言えないまま、今日もキュッと携帯を握った。
ユウタから手渡された携帯電話を受け取る。
「ど、ども。ありがと…」
携帯を手にすると、その場に居た堪れなくなった。
周りの視線を気にしつつ、携帯画面を伺う。
「えっと…俺の部屋でいいかな?」
ハルヤはドアを開ける。まるで王様の部屋みたいだった。見たことはないけど。
よく解らない絵画とか壷もあるが、怖くてさわれないかんじだ。
「なんかスゴイよねえ、うちの寮の部屋より広いし。
お客さんを泊めるだけの部屋、他にもいっぱいあるらしいよ?
やっぱテオって、お金持ちのお坊ちゃんなんだね」
この部屋には、座椅子や座布団の類は当然ない。
ハルヤはベッドに座ることにした。
「君までギリシャ旅行に巻き込んじゃって、ごめんね」
無意識に正座になっていた。傍には小さめのボストンバック。
バッグの上には透明な手提げ袋。
ドーナツ型のパンのようなものが5、6個入っていた。
「あ、これ?」
ユウタの姉の視線に気付く。ハルヤは携帯をベッドに置いて、パンを1個取り出して見せた。
輪っかのパンには金色のゴマが綺麗にまぶしてあった。
「クルーリって言うんだって。なんか面白い名前だよね。
ドーナツみたいで割と美味しかったから、夜食用に買ってきちゃった。
広い公園みたいなとこで売ってたんだ、パラソルの下で。
他の…多分、ギリシャの人だと思うけど、みんな普通に買ってたよ。
メジャーな食べ物なんだろうね、きっと」
クルーリを袋に入れて、バッグの上に戻す。
「あ、あのさ」
正座した膝の上で携帯を持つ。
「テオって、元々ああいう大袈裟な話し方する人なんだよ。
今日、ユウタに会った時も『東洋の黒い真珠が二人も!』って騒いでたし。
何が良いんだろうね、黒い瞳の。俺達から見れば皆の方が綺麗なのに」
両手で持っている携帯画面を眺める。
同じ瞳を持つ人。テオが真珠と讃える黒い瞳。
自分には大袈裟な愛称だけど。
「君は真珠だよね。##NAME1##、綺麗だもん」
沈黙が二人の間を通る。
言われた人と言った人まで少し頬を染めた。
「…や、何テオみたいなこと言ってんだろ…ごめんね。
でもっ、本当に、そう思っただけなんだけど、えと…
あ、そう言えばさ、レッドが言ってたことなんだけど」
先程の光景を思い出す。
お姉さんの争奪戦になった原因だ。
「俺が代わりに言わないといけないよね。面白い話とかじゃなくて悪いんだけど。
あの…テオね、今年中に結婚するんだ。
本人から聞いたわけじゃないんだけど、ギリシャのニュースで見たんだ。
めちゃくちゃお金使った結婚式になるみたいでさ。
そんなわけで、レッドは君に、テオのこと言おうとしてたんだよ。
奥さんが決まってる人のこと、好きになっちゃう場合もあるけどさ。
やっぱり、あんまり良くないよね。
俺がまだ17歳だからかな。そういうの、よくわかんないんだ」
ハルヤは幼い頃の記憶が甦る。
祖父の家で、腹違い兄と日舞の稽古をしていた頃のこと。
稽古の間は大好きな兄と一緒に居られて、楽しかった。
唯一、嫌だったことは、兄の母と顔を合わせること。
「俺ね、兄様の母様に、嫌われてたんだ。
意地悪とかは全然されてないよ? 俺にも優しい人なんだけど、でも。
俺のこと『春也さん』ってずっと呼んでたし、
俺の母様とも目を合わさないかんじとか。
表面上は、母様達、普通にしてるんだけど、
なんか…なんかさ、俺、その時まだ子供だったけど、
それでも、二人とも苦しんでるのが解ってさ、すごく、嫌だった。
俺の母様は籍を入れないまま、父様ともなかなか会えないし。
そういう母様見てると…後悔、とかしてないのかなって、俺、思ってて。
奥さんが居るのに…父様も母様も、どうして、好きになっちゃったのかな」
再び降りた沈黙に、ハルヤは口を押さえた。
言うつもりのなかったことを、話している。
「ご、ごめん。俺、また…。こんなこと、誰にも話したことないのに」
母様や兄様にも言えなくて、今までは奥底に沈んでいた。
だけど、お姉さんの前では、ふわふわと浮かんできて。
自分でも気付かなかった自分に出逢う。
「あの、えっと。俺のこととかじゃなくて。
テオはもう結婚する人、決まっているから、その…」
クールとか、飄々としているとか、そういう自分ではない。
緊張して、何話していいかわかんなくて、変なこと言っちゃって。
それでも君は受け止めてくれるんじゃないかって、心の何処かで思ってる。
君と話すのは、照れることもいっぱいあるけど、でも、すごく、好きだから。
「テオのことは、好きにならないで。君には悲しい想い、させたく、ないよ」
また沈黙。
彼女の顔を確かめずにますます俯いた。
「せっかく俺のこと選んでくれたのに、うっとうしい話聞かせちゃってごめん。
今度は楽しい話しよ? また、電話してくれる?」
全然上手く喋れなくて、変に思われてないかな、とか、
もし君に「もう電話しない」って言われたら、って不安になる。
君の「はい。また電話しますね」という返事を聞いて、いつも、ほっとする。
「よかった。今日はほんと、ごめん。そんじゃね」
電話を切る。携帯は待受画面に戻った。
頬に触れてみる。やはり熱い。
「##NAME1##…」
その先が言えないまま、今日もキュッと携帯を握った。
■テオシナリオ 続編
「はい、アンリ」
ユウタから携帯を受け取る。
選ばれた勝者は肩を竦めて、微笑した。
「君って本当、物好きだね?」
アルフレッドは指を差し、声を張り上げた。
「お前っ! 選んで貰ったのに、その言い方はないだろっ!」
冷笑して、携帯に向かって言う。
「此処は騒がしいから、僕の部屋に行こうか? じゃ、失礼するよ」
靴音を響かせ、悠々とその場を去った。
ウーティス寮生に宛がわれた部屋は、ホテルのスウィートルームのようだった。
「寮と同じ方が良いだろう?」とテオは6人全員に個室を提供した。
この家ではパーティなども個人的に開催する。
ゲストルームは当たり前のように数多く所有しているそうだ。
アンリにとっては、一人の空間を与えられたことはありがたいことだった。
6人で学院を出発してからギリシャに着くまで、ずっと寮生と一緒に居る。
あまり長時間、人の傍に居ると疲れてしまう。
全員揃っての旅行がそんなに嬉しいのか、彼等は移動中も騒ぎっぱなしだった。
やっと与えられた一人の空間にアンリはほっとした。
それに、今、自分が手にしている携帯電話。
これが手の中にあることも、自分を安心させる要因なのだろうとアンリは思った。
「さっき」
ドアに背を預けて、携帯を持ち上げる。
「君がもし、僕を選んでくれなかったら、どうしようかと思った」
ぽつりと零れ落ちた。捨てられた仔猫のように頼りない響き。
自分の言葉に驚いて、視線を泳がせる。
「ごめん。やっぱり、電話、一度切っても良いかな?」
アンリは顔を上げない。空いている手で髪の毛先を弄ぶ。
「夕食の前にシャワーを浴びたかったんだ。
此処に来るまでに雨に濡れたんだよ。ギリシャはこの時期、雨が多くて。
その後で、落ち着いてから話したいんだけれど…僕のこと、待てる?」
ユウタの姉が了承する。アンリの表情が僅かに柔らかくなる。
「Merci. ではまた後で」
ボタンを押す。電源まで落とした。
彼女からは百パーセント繋げないように。
画面が変わり、やがて黒に染まる。
闇色の画面を眺め、重い息を吐く。
「これじゃ、単細胞と変わらないな」
バスルームへ向かった。
ドアを閉めて、シャツのボタンを外していく。
衣服を脱ぎながらも、脳裏に浮かぶのは先の場面。
彼女がテオに言い寄られている光景を見て、
自分の血が冷えていくのを感じた。
意識下でコントロールできないまま、
自分が暗い穴へ堕ちて行くような感覚。
それが憤りだと理解したのはハリウッドスターを見てからだ。
馬鹿正直に感情表現している様子を見て、自分もそうなんだと解った。
今、この状態で彼女と話したら。
きっと傷付ける。
シャワーの前に立つ。水温を少し上げる。
あたたかいシャワーが降り注ぐ。
髪から伝い、全てを洗い流すように浴びた。
白い蒸気でシャワールームが曇っていく。
姉の携帯が鳴る。
画面に映った人は、まだ髪が濡れていた。
真っ白なバスローブより、肌の方が白かった。
首許の方が雪のようで、青白く見えた。
「待たせて、悪かったね」
アンリは窓際のテーブルに着く。
小さめの丸テーブルにはアイスティーが乗っている。
アンリは携帯の前に座ったきり、黙ってしまった。
彼女と目を合わせることもなく、
グラスに手を伸ばし、ストローに口付ける。
ユウタの姉は、話の切り口にテオのことを尋ねてみた。
話題の選択は間違っていたようで、気だるげな返事があった。
「テオと僕? 僕が入学した時にはもう居たよ。彼も13歳で入学したから。
だけど、苦手なんだ、ああいう騒がしい人。寮が違って良かったよ。
今回の旅行も、本当は来たくなかったんだけれど」
アンリはそこで、ちらと彼女を盗み見る。
「まあ、彼は僕のスポンサー、だね。事業を立ち上げる時に、彼は出資してくれたから。
去年の文化祭までは、上級生のリクエストに応えて、プリンセス役だったんだけれど。
僕にお姫様の格好をさせて喜んでいた上級生の一人なんだ、彼は。
リクエストと引き換えに、事業への出資者の確保をお願いしていたんだけど、
テオだけは自ら出資者になると言ったんだよ、快くね。そういう家系なんだ。
彼のご両親も、多くの無名の芸術家や夢追い人に手を貸している。
彼等の趣味のようなものなんだろうね、きっと。
ねえ。君はメネシスがどういう家だか、知っているの?」
否定の返事。アンリはグラスのストローに触れる。カランと氷が回った。
「では、教えておくよ。ギリシャにはこの土地柄から、
海運王と呼ばれる家が複数あるけれど、中でもメネシス家はトップクラス。
有り余る金で遊んでいるように見えて業績は成長している。
メネシスに生まれた者は、生まれてから死ぬまで、裕福に暮らせる。
仮に、君がテオと結ばれれば、お姫様の生活が待っている。
どう? テオを射止めてみる? 彼も君に興味を持っているようだったし」
アイスティーに手を伸ばし、ストローを銜える。
グラスの中で透き通る琥珀の水。
その味でリーフも特級品を使用しているらしいと解った。
「だけどね、それは不可能なんだ。彼にはもう、フィアンセがいる。
ホテル王のご令嬢だ。海運王のご子息には申し分ない姫君がね。
そう、家同士が勝手に決めた政略結婚だよ。21世紀にもなってね。
さっき、あの単細胞が君に伝えたがってたのはこのことだよ」
グラスの頬に手を添える。
「だからね、##NAME1##」
冷えたグラス。水滴は吸い付くように白い指を濡らした。
「彼にどんな甘言を囁かれても、心を許さない方がいい」
ぽたり、と携帯画面に小さな雫が落ちる。
まだ乾いていない髪から流れたようだ。
バスローブの袖で拭こうとして、動きが止まる。
雫が落ちている位置には、彼女の唇。
赤い唇が艶々と輝いている。
どうしたんですか、と彼女に尋ねられる。
「何でもない。今日は話し過ぎたよね。そろそろ切るよ。またね」
画面から彼女を消す。雫をさっと拭き取った。
ユウタから携帯を受け取る。
選ばれた勝者は肩を竦めて、微笑した。
「君って本当、物好きだね?」
アルフレッドは指を差し、声を張り上げた。
「お前っ! 選んで貰ったのに、その言い方はないだろっ!」
冷笑して、携帯に向かって言う。
「此処は騒がしいから、僕の部屋に行こうか? じゃ、失礼するよ」
靴音を響かせ、悠々とその場を去った。
ウーティス寮生に宛がわれた部屋は、ホテルのスウィートルームのようだった。
「寮と同じ方が良いだろう?」とテオは6人全員に個室を提供した。
この家ではパーティなども個人的に開催する。
ゲストルームは当たり前のように数多く所有しているそうだ。
アンリにとっては、一人の空間を与えられたことはありがたいことだった。
6人で学院を出発してからギリシャに着くまで、ずっと寮生と一緒に居る。
あまり長時間、人の傍に居ると疲れてしまう。
全員揃っての旅行がそんなに嬉しいのか、彼等は移動中も騒ぎっぱなしだった。
やっと与えられた一人の空間にアンリはほっとした。
それに、今、自分が手にしている携帯電話。
これが手の中にあることも、自分を安心させる要因なのだろうとアンリは思った。
「さっき」
ドアに背を預けて、携帯を持ち上げる。
「君がもし、僕を選んでくれなかったら、どうしようかと思った」
ぽつりと零れ落ちた。捨てられた仔猫のように頼りない響き。
自分の言葉に驚いて、視線を泳がせる。
「ごめん。やっぱり、電話、一度切っても良いかな?」
アンリは顔を上げない。空いている手で髪の毛先を弄ぶ。
「夕食の前にシャワーを浴びたかったんだ。
此処に来るまでに雨に濡れたんだよ。ギリシャはこの時期、雨が多くて。
その後で、落ち着いてから話したいんだけれど…僕のこと、待てる?」
ユウタの姉が了承する。アンリの表情が僅かに柔らかくなる。
「Merci. ではまた後で」
ボタンを押す。電源まで落とした。
彼女からは百パーセント繋げないように。
画面が変わり、やがて黒に染まる。
闇色の画面を眺め、重い息を吐く。
「これじゃ、単細胞と変わらないな」
バスルームへ向かった。
ドアを閉めて、シャツのボタンを外していく。
衣服を脱ぎながらも、脳裏に浮かぶのは先の場面。
彼女がテオに言い寄られている光景を見て、
自分の血が冷えていくのを感じた。
意識下でコントロールできないまま、
自分が暗い穴へ堕ちて行くような感覚。
それが憤りだと理解したのはハリウッドスターを見てからだ。
馬鹿正直に感情表現している様子を見て、自分もそうなんだと解った。
今、この状態で彼女と話したら。
きっと傷付ける。
シャワーの前に立つ。水温を少し上げる。
あたたかいシャワーが降り注ぐ。
髪から伝い、全てを洗い流すように浴びた。
白い蒸気でシャワールームが曇っていく。
姉の携帯が鳴る。
画面に映った人は、まだ髪が濡れていた。
真っ白なバスローブより、肌の方が白かった。
首許の方が雪のようで、青白く見えた。
「待たせて、悪かったね」
アンリは窓際のテーブルに着く。
小さめの丸テーブルにはアイスティーが乗っている。
アンリは携帯の前に座ったきり、黙ってしまった。
彼女と目を合わせることもなく、
グラスに手を伸ばし、ストローに口付ける。
ユウタの姉は、話の切り口にテオのことを尋ねてみた。
話題の選択は間違っていたようで、気だるげな返事があった。
「テオと僕? 僕が入学した時にはもう居たよ。彼も13歳で入学したから。
だけど、苦手なんだ、ああいう騒がしい人。寮が違って良かったよ。
今回の旅行も、本当は来たくなかったんだけれど」
アンリはそこで、ちらと彼女を盗み見る。
「まあ、彼は僕のスポンサー、だね。事業を立ち上げる時に、彼は出資してくれたから。
去年の文化祭までは、上級生のリクエストに応えて、プリンセス役だったんだけれど。
僕にお姫様の格好をさせて喜んでいた上級生の一人なんだ、彼は。
リクエストと引き換えに、事業への出資者の確保をお願いしていたんだけど、
テオだけは自ら出資者になると言ったんだよ、快くね。そういう家系なんだ。
彼のご両親も、多くの無名の芸術家や夢追い人に手を貸している。
彼等の趣味のようなものなんだろうね、きっと。
ねえ。君はメネシスがどういう家だか、知っているの?」
否定の返事。アンリはグラスのストローに触れる。カランと氷が回った。
「では、教えておくよ。ギリシャにはこの土地柄から、
海運王と呼ばれる家が複数あるけれど、中でもメネシス家はトップクラス。
有り余る金で遊んでいるように見えて業績は成長している。
メネシスに生まれた者は、生まれてから死ぬまで、裕福に暮らせる。
仮に、君がテオと結ばれれば、お姫様の生活が待っている。
どう? テオを射止めてみる? 彼も君に興味を持っているようだったし」
アイスティーに手を伸ばし、ストローを銜える。
グラスの中で透き通る琥珀の水。
その味でリーフも特級品を使用しているらしいと解った。
「だけどね、それは不可能なんだ。彼にはもう、フィアンセがいる。
ホテル王のご令嬢だ。海運王のご子息には申し分ない姫君がね。
そう、家同士が勝手に決めた政略結婚だよ。21世紀にもなってね。
さっき、あの単細胞が君に伝えたがってたのはこのことだよ」
グラスの頬に手を添える。
「だからね、##NAME1##」
冷えたグラス。水滴は吸い付くように白い指を濡らした。
「彼にどんな甘言を囁かれても、心を許さない方がいい」
ぽたり、と携帯画面に小さな雫が落ちる。
まだ乾いていない髪から流れたようだ。
バスローブの袖で拭こうとして、動きが止まる。
雫が落ちている位置には、彼女の唇。
赤い唇が艶々と輝いている。
どうしたんですか、と彼女に尋ねられる。
「何でもない。今日は話し過ぎたよね。そろそろ切るよ。またね」
画面から彼女を消す。雫をさっと拭き取った。
学院の休暇中、ユウタからメールが来た。
――姉貴、元気? 俺、今、ドコに居ると思う?
3泊4日のギリシャ旅行に来ちゃったよ!
しかもね、今回の休暇はみんなと一緒なんだ。
卒業生の人がね、家に招待してくれたんだよ。
家っていうか、お城みたいなとこなんだけど。
テオって言うんだけどね、ジョシュアの前の生徒代表なんだって。
なんか、すごく面白い人だよ。みんなとも仲良いし。
それでね、テオが姉貴と話してみたいって言ってるんだ。
姉貴、よかったら電話してね!――
メネシス家では楽しいお茶の時間だった。
ウーティス寮生達は、ギリシャに到着し、やっと一息吐いたところだ。
皆、コーヒーや紅茶を手に、テオとの昔話に花を咲かせている。
今日はこの後、テオの家で豪華ディナーが待っている。
明日からはテオをガイドとした、ギリシャ観光を満喫する予定だった。
日本から海を越えたギリシャの地に、J-POPの着信メロディが響いた。
たった一人。その人から電話がかかってきたことを示す音楽。
「あ。姉貴だ」
ユウタは上着のポケットから携帯電話を取り出す。
サブディスプレイに表示された文字は母国語の『姉ちゃん』だ。
携帯を片手に掲げて、新しい友達を呼ぶ。
「テオー。姉貴から電話かかってきたよー」
「本当かい!」
ガタンと席を立つ。輝く黄金の髪を揺らし、たたたとやってくる。
年はユウタより三つも上。
今日会ったばかりの先輩のことを、ファーストネームで呼んでいた。
本人から「私のことはテオと呼んでおくれ?」と頼まれたからだ。
「ユウタのお姉さんからですか? 僕が出ますー!」
呼んでいない友達までこちらに来る。
今日は長い髪をポニーテールにしていた。
携帯を取られそうになって、ユウタはひょいと避ける。
「シルヴァンじゃないでしょ。はい、テオ」
手渡された小さな機械。小麦色の人差し指が迷う。
ギリシャの携帯電話普及率は90%なのだが、日本製では勝手が違った。
着信メロディはまだ鳴り続けている。小さなライトがピカピカと光る。
「ユウタ、ユウタ。私はどのボタンを押せば、君の姉上に会えるのだろう?」
「ココだよ。ほら、映った。これが俺の姉貴」
テオは左手で携帯電話を持っていたのだが、思わず右手まで添えた。
自分の親指とほぼ同じ大きさだが、瞳まで綺麗に映し出されていた。
「ああ、なんと小さく愛らしい姫なのだろう…初めまして、サンベリーナ?」
指で触れたら、画面を通り抜けて頬に届きそうだった。
ほう、と深い溜め息を零す。
「チューリップから生まれる姫は読んだことがあるけれど、
現代では携帯電話から現れるのだね。素晴らしい。最新技術の奇跡だ」
画面の中に居る姫は戸惑った表情を見せる。
「おっと失礼。感激の余り、自己紹介を忘れてしまったよ」
テオはブロンズ色の手を胸に当てた。
「私はテオ・メネシス。年は19。愛するものは太陽と海。
けれど、もうひとつ増えたかもしれないね?」
きらきらと笑顔を輝かせる。
「ねえ、姫。姫の名前を聞かせてくれるかい?」
ユウタの姉が名前を告げると、テオはにこっと笑った。
「名前まで美そのものだね。しかも…」
テオの顔がぐっと画面に近付く。
「貴女まで東洋の黒い真珠とは…これほど美しい真珠は初めてだ」
姫は何と言ってよいか解らない、という顔。
それは入学当時のハルヤを彷彿とさせるものだった。
「おやおや。日本の人はみんなシャイなのかい?
真珠とは、もちろん、その黒い瞳のことだよ、サンベリーナ」
テオは胸に手を当てたまま、目を閉じる。
「ああ…この胸の高鳴りは何だろう。あたたかい…」
はっと息を呑み、携帯画面を直視する。
「…もしや、これが」
途端に外野が慌て始める。ユウタが頬をピンクにして言う。
「ちょ、ちょっと、テオ!」
「何いきなり見つめ合っちゃってるんですか!」
「だからテオに電話させんなって言っただろーが!
おい、ジョシュア! ちょっと携帯、預かってろ!」
テオの手から奪い取って、後方に渡す。
テオが三人から責められている間、
ジョシュアは苦笑しながら、携帯の向こう側へ挨拶をした。
「やあ。こんにちは、##NAME1##。すまない、びっくりさせてしまったね?」
傍に居たハルヤが控えめに顔を出す。
「あの、テオの言ったこと、気にしないでね?
よくわかんないんだけど、黒い瞳が好きみたいでさ。
俺なんかにも『東洋の黒い真珠』ってよく言ってた人だから」
ジョシュアは後方をちらと見て、
「『氷の微笑』って呼ばれていた人もいるからね?」
携帯画面には映っていないが、冷たい声が聞こえてくる。
「彼女に余計なこと吹き込まないで」
「怒るなよ」
ユウタの姉は、ハルヤに『サンベリーナ』とは何のことか尋ねた。
「あー、ええっとね…」
ハルヤは少し考えた後、日本語に切り替えて説明した。
「確か『おやゆび姫』の英題だよ。テオ、童話とか好きだから」
無罪を主張していたテオがぴくりと反応する。
三人を振り切って、ハルヤの元へ駆け寄ってきた。
「東洋の黒い真珠! 今! 今のは日本の言葉かい?」
ハルヤの言語が英語に戻る。
「え? ああ、うん」
「とても優美な響きだったよ。もう一度、聞かせておくれ?」
「や、やだよ。そんな」
「東洋の黒い真珠。サンベリーナには聞かせていたじゃないか!」
ジョシュアは手にしている携帯を覗く。
確かに彼女は親指ほどの大きさしかない。
「どうやら君も、テオに呼び名を付けられたみたいだね、サンベリーナ?」
この小さなプリンセスは、いつのまにか、
此処に居るみんなにとって大切な姫になっていた。
自分も禁忌を犯してまで彼女を求めてる。本当に不思議な人だ。
ジョシュアの横から弟が横入りする。
「あ、姉貴? じゃあ、そろそろ電話切るよ。またね」
「ちょっ、ちょっと待っておくれ!」
勢いに押されて、ジョシュアは携帯を渡してしまう。
テオが再び画面に映り込む。
「サンベリーナ! もうおしまいなのかい? 私はもっと話したいよ!」
ドアがノックされた。
「ご歓談中、失礼致します」
現れたのはテオ専属の執事。年は30代半ばとまだ若い。
長いストレートの金髪を高いところでひとつに結わえている。
眼鏡のフレームに長い横髪が少し掛かっていた。
執事はきびきびとした足取りでテオの傍へ行く。
身を屈め、耳許に何か囁いた。テオは頷き、席を立った。
皆の視線を受けて、テオは肩を竦める。
「すまない。父から電話だそうだ。少し失礼するよ。
王子諸君は夕食までゆっくりしておくれ。そして、姫?
貴女も、夕食に同席してくれるかい? デザートの時間がいいな。
美味しいお菓子と可愛い姫と、甘いひとときを過ごしたいのだよ。
テーブルに美しい花が一輪あるだけで、食卓は華やかになるものだ。
みんなも姫と話しながらの方が楽しいだろう?」
「まあ、な」
レッドが不貞腐れながら答える。テオはユウタに尋ねた。
「そう言えば、日本とギリシャの時差はどのくらいなんだい?」
「あ、正確にはどうだったかなあ。たぶん今は夜くらいだから…」
「7時間差ですよ、テオ。夕食時なら日本は真夜中ですね」
「おや。ジョシュア、計算が早い。そうか、君は理数系だったものね」
「計算したというよりは、日本時刻を完璧に把握しているように聞こえたけれど?」
アンリに言われて、ジョシュアは曖昧な微笑を見せた。
「あ…そんなこと、ないよ」
「真夜中では、電話をするには非常識だね。では姫と会うのはまた明日にしよう。
サンベリーナ、明日もその優しい声を、私に聞かせてくれるかい?」
了承の返事を聞くと、テオは満面の笑顔を見せる。
「ありがとう。明日が待ち遠しいよ、サンベリーナ」
「テオ、お前! 明日も彼女と話すつもりか!」
「おや、アルフレッド。私が姫と話せるのはここ数日しかないのだよ?
それほど短い期間、彼女と話すことも許してくれないのかい?
心配しなくとも、私より君の方がずっと魅力的な男じゃないか、アルフレッド」
「ったく…」
「それでは、サンベリーナ、また明日。いや…やはり、
待ち切れないな。明日になる前に一度会おう。
待ち合わせ場所は、私の夢の中だ。待っているよ。
大丈夫。貴女が私を想ってさえくれれば、必ず会える。
心配かい? では迷わず来れるように、魔法をかけておこうか。
手の甲をこちらに向けてごらん、サンベリーナ」
彼女の手が映った画面。テオはそれに自分の唇に寄せた。
触れる直前まで引き寄せ、すっと離す。
小首を傾げ、甘い微笑を見せた。
「おやすみのキスだよ。では今宵、夢で会おう」
執事の後に続いて、テオが退室する。
ドアが閉まると、その場はウーテイス寮生達だけになった。
アルフレッドは携帯の前に走る。バッと携帯を掴む。
「なっ! ##NAME1##! ぽーっとしてんじゃねえよっ!
テオのやろう、俺達の前で##NAME1##に何してくれてんだー!」
地団駄踏むアルフレッドを見て、シルヴァンはクスクスと笑う。
「テオったら、やってくれますねー。相変わらずというか、何というか」
「つーか、余計パワーアップしてるだろ!
あいつ、##NAME1##を口説き過ぎだっつの! だー! 腹立つー!」
「まあ、テオ的には普通の会話だったかもしれませんよ? あれでも」
「いーやっ! ぜってえ違う!」
熱くなり易い友達を見て、ハルヤは、もう、と肩を落とす。
「落ち着きなよ、レッド。シルヴァンの言う通りかもしれないじゃん」
「これが落ち着けるか! おい、ユウタ!」
「え? な、なに?」
「携帯、俺に貸せ!」
「い、いいけど…レッド、どうしたの、急に?」
アルフレッドは携帯画面を真正面から見つめた。
「今のうちに、##NAME1##に話しておきたいことがある。
テオが君に、まだ言っていないことだ」
ウーティス寮生は全員押し黙った。
数秒後、シルヴァンが落ち着いた声で話し始める。
「なるほど。確かに、レッドの言うことに一理ありますね」
「だろっ!?」
「お姉さんには僕からお伝えしますよ。他にもお話したいことがありますし。
ね、##NAME1##。カッカしているレッドより、僕の方が良いでしょう?」
「てめっ! 横取りすんなよ、シルヴァン!」
「最初に彼女を独り占めしようとしたのはレッドじゃないですかー」
「ちょっと、テオんちまで来て喧嘩しないでよ。テオは昔からああいう人じゃん」
「じゃあ、ハルヤはちょっともカチンと来なかったのかよ!?」
「そ、それは…」
「じゃ、お姉さんに決めて貰ったらどうだい?
夕食までの時間、俺達の中で誰と過ごしたいか」
ジョシュアの声に皆が振り向く。
「彼女の希望なら、みんなも文句はないだろう?」
アンリが冷笑する。
「君らしい和平的解決策だね、生徒代表殿?」
「おもしれえ! その勝負、やってやろうじゃねえか!」
「ドキドキしちゃいますね♪」
ギャンブル好きの面々は楽しそうだが、ハルヤは一人、頬を染めた。
「もう…ドキドキし過ぎるよ…」
アルフレッドは自信満々で言う。
「じゃ、選ばれた奴が、夕食の時間まで彼女と居られるってことで!」
「うん。その代わり、誰が選ばれても恨みっこなしだよ。いいね?」
ジョシュアの言葉に皆が頷く。
ユウタは頬を掻きながら、姉に聞いた。
「えっと…ど、どうする、姉貴? 誰がいいの?」
→ジョシュア
→アルフレッド
→アンリ
→シルヴァン
→ハルヤ
→ユウタ
――姉貴、元気? 俺、今、ドコに居ると思う?
3泊4日のギリシャ旅行に来ちゃったよ!
しかもね、今回の休暇はみんなと一緒なんだ。
卒業生の人がね、家に招待してくれたんだよ。
家っていうか、お城みたいなとこなんだけど。
テオって言うんだけどね、ジョシュアの前の生徒代表なんだって。
なんか、すごく面白い人だよ。みんなとも仲良いし。
それでね、テオが姉貴と話してみたいって言ってるんだ。
姉貴、よかったら電話してね!――
メネシス家では楽しいお茶の時間だった。
ウーティス寮生達は、ギリシャに到着し、やっと一息吐いたところだ。
皆、コーヒーや紅茶を手に、テオとの昔話に花を咲かせている。
今日はこの後、テオの家で豪華ディナーが待っている。
明日からはテオをガイドとした、ギリシャ観光を満喫する予定だった。
日本から海を越えたギリシャの地に、J-POPの着信メロディが響いた。
たった一人。その人から電話がかかってきたことを示す音楽。
「あ。姉貴だ」
ユウタは上着のポケットから携帯電話を取り出す。
サブディスプレイに表示された文字は母国語の『姉ちゃん』だ。
携帯を片手に掲げて、新しい友達を呼ぶ。
「テオー。姉貴から電話かかってきたよー」
「本当かい!」
ガタンと席を立つ。輝く黄金の髪を揺らし、たたたとやってくる。
年はユウタより三つも上。
今日会ったばかりの先輩のことを、ファーストネームで呼んでいた。
本人から「私のことはテオと呼んでおくれ?」と頼まれたからだ。
「ユウタのお姉さんからですか? 僕が出ますー!」
呼んでいない友達までこちらに来る。
今日は長い髪をポニーテールにしていた。
携帯を取られそうになって、ユウタはひょいと避ける。
「シルヴァンじゃないでしょ。はい、テオ」
手渡された小さな機械。小麦色の人差し指が迷う。
ギリシャの携帯電話普及率は90%なのだが、日本製では勝手が違った。
着信メロディはまだ鳴り続けている。小さなライトがピカピカと光る。
「ユウタ、ユウタ。私はどのボタンを押せば、君の姉上に会えるのだろう?」
「ココだよ。ほら、映った。これが俺の姉貴」
テオは左手で携帯電話を持っていたのだが、思わず右手まで添えた。
自分の親指とほぼ同じ大きさだが、瞳まで綺麗に映し出されていた。
「ああ、なんと小さく愛らしい姫なのだろう…初めまして、サンベリーナ?」
指で触れたら、画面を通り抜けて頬に届きそうだった。
ほう、と深い溜め息を零す。
「チューリップから生まれる姫は読んだことがあるけれど、
現代では携帯電話から現れるのだね。素晴らしい。最新技術の奇跡だ」
画面の中に居る姫は戸惑った表情を見せる。
「おっと失礼。感激の余り、自己紹介を忘れてしまったよ」
テオはブロンズ色の手を胸に当てた。
「私はテオ・メネシス。年は19。愛するものは太陽と海。
けれど、もうひとつ増えたかもしれないね?」
きらきらと笑顔を輝かせる。
「ねえ、姫。姫の名前を聞かせてくれるかい?」
ユウタの姉が名前を告げると、テオはにこっと笑った。
「名前まで美そのものだね。しかも…」
テオの顔がぐっと画面に近付く。
「貴女まで東洋の黒い真珠とは…これほど美しい真珠は初めてだ」
姫は何と言ってよいか解らない、という顔。
それは入学当時のハルヤを彷彿とさせるものだった。
「おやおや。日本の人はみんなシャイなのかい?
真珠とは、もちろん、その黒い瞳のことだよ、サンベリーナ」
テオは胸に手を当てたまま、目を閉じる。
「ああ…この胸の高鳴りは何だろう。あたたかい…」
はっと息を呑み、携帯画面を直視する。
「…もしや、これが」
途端に外野が慌て始める。ユウタが頬をピンクにして言う。
「ちょ、ちょっと、テオ!」
「何いきなり見つめ合っちゃってるんですか!」
「だからテオに電話させんなって言っただろーが!
おい、ジョシュア! ちょっと携帯、預かってろ!」
テオの手から奪い取って、後方に渡す。
テオが三人から責められている間、
ジョシュアは苦笑しながら、携帯の向こう側へ挨拶をした。
「やあ。こんにちは、##NAME1##。すまない、びっくりさせてしまったね?」
傍に居たハルヤが控えめに顔を出す。
「あの、テオの言ったこと、気にしないでね?
よくわかんないんだけど、黒い瞳が好きみたいでさ。
俺なんかにも『東洋の黒い真珠』ってよく言ってた人だから」
ジョシュアは後方をちらと見て、
「『氷の微笑』って呼ばれていた人もいるからね?」
携帯画面には映っていないが、冷たい声が聞こえてくる。
「彼女に余計なこと吹き込まないで」
「怒るなよ」
ユウタの姉は、ハルヤに『サンベリーナ』とは何のことか尋ねた。
「あー、ええっとね…」
ハルヤは少し考えた後、日本語に切り替えて説明した。
「確か『おやゆび姫』の英題だよ。テオ、童話とか好きだから」
無罪を主張していたテオがぴくりと反応する。
三人を振り切って、ハルヤの元へ駆け寄ってきた。
「東洋の黒い真珠! 今! 今のは日本の言葉かい?」
ハルヤの言語が英語に戻る。
「え? ああ、うん」
「とても優美な響きだったよ。もう一度、聞かせておくれ?」
「や、やだよ。そんな」
「東洋の黒い真珠。サンベリーナには聞かせていたじゃないか!」
ジョシュアは手にしている携帯を覗く。
確かに彼女は親指ほどの大きさしかない。
「どうやら君も、テオに呼び名を付けられたみたいだね、サンベリーナ?」
この小さなプリンセスは、いつのまにか、
此処に居るみんなにとって大切な姫になっていた。
自分も禁忌を犯してまで彼女を求めてる。本当に不思議な人だ。
ジョシュアの横から弟が横入りする。
「あ、姉貴? じゃあ、そろそろ電話切るよ。またね」
「ちょっ、ちょっと待っておくれ!」
勢いに押されて、ジョシュアは携帯を渡してしまう。
テオが再び画面に映り込む。
「サンベリーナ! もうおしまいなのかい? 私はもっと話したいよ!」
ドアがノックされた。
「ご歓談中、失礼致します」
現れたのはテオ専属の執事。年は30代半ばとまだ若い。
長いストレートの金髪を高いところでひとつに結わえている。
眼鏡のフレームに長い横髪が少し掛かっていた。
執事はきびきびとした足取りでテオの傍へ行く。
身を屈め、耳許に何か囁いた。テオは頷き、席を立った。
皆の視線を受けて、テオは肩を竦める。
「すまない。父から電話だそうだ。少し失礼するよ。
王子諸君は夕食までゆっくりしておくれ。そして、姫?
貴女も、夕食に同席してくれるかい? デザートの時間がいいな。
美味しいお菓子と可愛い姫と、甘いひとときを過ごしたいのだよ。
テーブルに美しい花が一輪あるだけで、食卓は華やかになるものだ。
みんなも姫と話しながらの方が楽しいだろう?」
「まあ、な」
レッドが不貞腐れながら答える。テオはユウタに尋ねた。
「そう言えば、日本とギリシャの時差はどのくらいなんだい?」
「あ、正確にはどうだったかなあ。たぶん今は夜くらいだから…」
「7時間差ですよ、テオ。夕食時なら日本は真夜中ですね」
「おや。ジョシュア、計算が早い。そうか、君は理数系だったものね」
「計算したというよりは、日本時刻を完璧に把握しているように聞こえたけれど?」
アンリに言われて、ジョシュアは曖昧な微笑を見せた。
「あ…そんなこと、ないよ」
「真夜中では、電話をするには非常識だね。では姫と会うのはまた明日にしよう。
サンベリーナ、明日もその優しい声を、私に聞かせてくれるかい?」
了承の返事を聞くと、テオは満面の笑顔を見せる。
「ありがとう。明日が待ち遠しいよ、サンベリーナ」
「テオ、お前! 明日も彼女と話すつもりか!」
「おや、アルフレッド。私が姫と話せるのはここ数日しかないのだよ?
それほど短い期間、彼女と話すことも許してくれないのかい?
心配しなくとも、私より君の方がずっと魅力的な男じゃないか、アルフレッド」
「ったく…」
「それでは、サンベリーナ、また明日。いや…やはり、
待ち切れないな。明日になる前に一度会おう。
待ち合わせ場所は、私の夢の中だ。待っているよ。
大丈夫。貴女が私を想ってさえくれれば、必ず会える。
心配かい? では迷わず来れるように、魔法をかけておこうか。
手の甲をこちらに向けてごらん、サンベリーナ」
彼女の手が映った画面。テオはそれに自分の唇に寄せた。
触れる直前まで引き寄せ、すっと離す。
小首を傾げ、甘い微笑を見せた。
「おやすみのキスだよ。では今宵、夢で会おう」
執事の後に続いて、テオが退室する。
ドアが閉まると、その場はウーテイス寮生達だけになった。
アルフレッドは携帯の前に走る。バッと携帯を掴む。
「なっ! ##NAME1##! ぽーっとしてんじゃねえよっ!
テオのやろう、俺達の前で##NAME1##に何してくれてんだー!」
地団駄踏むアルフレッドを見て、シルヴァンはクスクスと笑う。
「テオったら、やってくれますねー。相変わらずというか、何というか」
「つーか、余計パワーアップしてるだろ!
あいつ、##NAME1##を口説き過ぎだっつの! だー! 腹立つー!」
「まあ、テオ的には普通の会話だったかもしれませんよ? あれでも」
「いーやっ! ぜってえ違う!」
熱くなり易い友達を見て、ハルヤは、もう、と肩を落とす。
「落ち着きなよ、レッド。シルヴァンの言う通りかもしれないじゃん」
「これが落ち着けるか! おい、ユウタ!」
「え? な、なに?」
「携帯、俺に貸せ!」
「い、いいけど…レッド、どうしたの、急に?」
アルフレッドは携帯画面を真正面から見つめた。
「今のうちに、##NAME1##に話しておきたいことがある。
テオが君に、まだ言っていないことだ」
ウーティス寮生は全員押し黙った。
数秒後、シルヴァンが落ち着いた声で話し始める。
「なるほど。確かに、レッドの言うことに一理ありますね」
「だろっ!?」
「お姉さんには僕からお伝えしますよ。他にもお話したいことがありますし。
ね、##NAME1##。カッカしているレッドより、僕の方が良いでしょう?」
「てめっ! 横取りすんなよ、シルヴァン!」
「最初に彼女を独り占めしようとしたのはレッドじゃないですかー」
「ちょっと、テオんちまで来て喧嘩しないでよ。テオは昔からああいう人じゃん」
「じゃあ、ハルヤはちょっともカチンと来なかったのかよ!?」
「そ、それは…」
「じゃ、お姉さんに決めて貰ったらどうだい?
夕食までの時間、俺達の中で誰と過ごしたいか」
ジョシュアの声に皆が振り向く。
「彼女の希望なら、みんなも文句はないだろう?」
アンリが冷笑する。
「君らしい和平的解決策だね、生徒代表殿?」
「おもしれえ! その勝負、やってやろうじゃねえか!」
「ドキドキしちゃいますね♪」
ギャンブル好きの面々は楽しそうだが、ハルヤは一人、頬を染めた。
「もう…ドキドキし過ぎるよ…」
アルフレッドは自信満々で言う。
「じゃ、選ばれた奴が、夕食の時間まで彼女と居られるってことで!」
「うん。その代わり、誰が選ばれても恨みっこなしだよ。いいね?」
ジョシュアの言葉に皆が頷く。
ユウタは頬を掻きながら、姉に聞いた。
「えっと…ど、どうする、姉貴? 誰がいいの?」
→ジョシュア
→アルフレッド
→アンリ
→シルヴァン
→ハルヤ
→ユウタ
■オーギュスト×アンリ ←ソクーロフ
予鈴が鳴った。もうすぐ講義が始まる。
聖アルフォンソ学院の生徒達は教科書を片手に、
広いキャンパスを移動していた。
講義のない者は、各自好きな場所へ向かう。
ナイチンゲールや森の動物達は、
鐘の音に囚われず、日々の生活を送っていた。
第二化学室。此処は神秘学の教室だ。
生徒達は皆、既に着席している。
講師が来るまでの時間、友人と語らう様子もあまり見られない。
他人への不干渉が美徳だと感じている生徒が大半だった。
アンリは、ちらと掛け時計を眺める。講義開始2分前。
遅いな、と思う。
この講義の講師なら普段はもう来ている時刻だ。
彼は、講義前に目が合うと必ず、一瞬だが、自分に微笑みかける。
そして鐘が鳴ると、教室全体に視線を映す。
他の生徒とは、そんなアイコンタクトは取らない。
アンリはあまり意味もなく、窓から空を眺めていた。
今日最後の時間割。太陽はもうすぐ暮れゆく。
講義が終わる頃には夕焼けだ。
このシーズンは、日が落ちるのが早い。
流れる雲を追っていると、講義開始の鐘が鳴った。
各教室から講師の声が聞こえ始めるこの時刻。
神秘学の教室はまだ静かだった。
講師のくせに遅刻なんて、生徒に失礼だ。
数分後、慌しい足音が聞こえて来た。
あんなにバタバタと走ってくるような講師ではない。
「すみません! 遅れましたっ」
勢い良く頭を下げたのは、顔だけ知っている男。
制服から学生課の職員らしいと知れた。
大きい丸眼鏡を掛け直しながら、声を張り上げる。
「えっと、ボージェ教授からのご連絡をお伝えします。
本日の神秘学は休講です。突然で申し訳ない、とのことでした」
騒ぎ出す生徒は居なかった。
髪の長い生徒が、不機嫌な溜息を洩らした程度だ。
アンリは、ねえ、と職員に尋ねた。
「休講の理由は?」
「先生が体調を崩されたそうです。先程、保健室から連絡がありました」
聖アルフォンソ学院の保健室はシュヌーシア寮の傍にある。
そこに住む病弱な生徒達に都合が良いからだ。
最新の設備が整う、立派な医療施設。利用するのは生徒だけではない。
電話を終えた白衣の男は、ベッドルームへ入った。
白い寝台が三つ並んでいる。窓に近い一台に患者が身を沈めていた。
闇に近い髪色。肌は白い。40前後にしては見目麗しい紳士。
誰とどんな話題でも話せる。その内容から相当博学だと伺える。
人当たりは良いが、特別仲の良い教授は居ない。
メルキュール館の中でも『変わった人』だと噂される一、二の人物。
今は高熱に浮かされ、保健医の手中にある、ただの患者だ。
保健医は優しく声を掛ける。
「ボージェ教授。学生課に連絡しておきましたよ?」
横たわる講師は熱い吐息と共に礼を述べた。
「ありがとうございます。すみません、お手数をお掛けしまして」
「病人の世話をするのが私の仕事ですから。39度2分で教壇に立たれては困りますよ」
講義開始20分前、ボージェ教授が此処へ訪ねて来た。
少し頭痛がするので薬を頂けませんか、と。
保健医は教授を一目見て、熱を測らせた。
体温計を見せ、休講にするよう勧めたのは保健医だった。
休講になった教室。
生徒達は文句のひとつも言わず、退室していく。
たった一人の人間が居ないだけで、この時間は成り立たない。
アンリも席を立った。
教室を出て、寮とは逆方向へ向かう。
ウーティス寮からは少し離れたその場所。
アンリが此処に来るのは年に一度、定期健診の時だけだ。
多少の体調不良では絶対に足を運ばない。
こんなところにカウンセリングに通う人の気が知れなかった。
ドアの前に立つ。軽く息を吐いてからノックした。
「おや。よく来たね、アンリ。君が訪ねて来るとは一体何事かな?」
不気味なほど快く出迎えたのは白衣の男。この学院の保健医だ。
長い髪を一つに束ねている。心の奥底まで見透かす様な目。
アンリにとっては天敵とも言える相手だった。用件だけ口にする。
「神秘学の講師が、来ていると聞いたんだけど」
眼鏡の奥で瞳が細くなる。
「いらっしゃるよ。さあ、入りたまえ、アンリ」
片手で促される。仕方なく保健医の後に続いた。
神秘学の特別講師はベッドに横たわっていた。
朱に色付いた頬。知性的な目は熱っぽく潤んでいる。
素人目から見ても病人だと解った。
「思ったより悪そうだね、オーギュ」
「アンリ?」
教え子の姿を見つけると、講師は儚げに微笑んだ。
「今日はごめんね。休講にしてしまって」
生徒は講師のベッドへ歩いていく。
「全くだ。当日になって急に。いい迷惑だよ」
「すまない。わざわざ様子を見に来てくれたのかね?」
「本当に病欠か確かめに来ただけだ」
冷たく言い放つ生徒を、講師は嬉しそうに見つめた。
「ありがとう。優しい子だね、アンリは」
毛布から伸びた手は、アンリの頭を撫でる。
薬指が頬に触れた。いつもの心地好い温度とは違った。
「手、熱い」
講師が手を離す。
「ああ、すまない。少し熱があるそうでね」
「どのくらい?」
「39度、だったかな?」
「何処が少しなの」
「大丈夫だよ。博士に薬を頂いたから」
「その薬、信用できるの?」
「私が毒薬を処方するとでも思ったかい?」
講師と生徒の後方から含み笑い。
保健医は二人の遣り取りを興味深く見守っていた。
病人は諭すように教え子に言う。
「アンリ、失礼だよ。博士に謝りなさい?」
生徒はぷいと髪を揺らし、担当教諭の言葉を無視した。
講師は保健医に詫びる。
「すみません、博士。この子は少々…噛み癖のある子で」
生徒は病人を睨み付ける。
「躾の悪い犬みたいに言わないで」
保健医は愉快だと言わんばかりに微笑んでいる。
「アンリの噛み癖は私もよく存じていますよ、ボージェ教授。
ただ、私は貴方と違って、噛んで貰うこと自体、稀ですがね?」
保健医が近付くと、アンリはベッドへ一歩、後ずさった。
見逃さず、その様子を捉えた保健医は、それ以上は進まなかった。
「アンリ。教授には適切な解熱剤を差し上げたから、
明日には良くなる。安心したまえ」
「別に、心配なんかしてない。気分が悪くなってきたから失礼するよ」
保健医は微笑して、腕を組んだ。
「気分が悪いのならゆっくり休んでいきなさい? 此処は保健室なのだから」
「此処に居るから、気分が悪いの」
バタンとドアが閉まる。担当教諭は教え子の非礼を詫びた。
「重ね重ね、すみません。ソクーロフ博士」
「いいえ。私はとても楽しめました。それにしても、妬けましたよ?」
「え?」
「ボージェ教授はアンリと随分親しいようですね。
貴方が神秘学を専攻しているからでしょうか?」
「幸いなことに、神秘学はアンリの好きな学問ですから」
「ええ。ですが、それだけとも思えないのですがね」
眼鏡を押し上げる。口許には不敵な微笑が浮かんでいた。
「今日のところは、寝込みを襲うような真似は止めておきましょうか。仮にも貴方は病人だ」
博士は遮光カーテンを引く。途端に部屋は薄暗くなった。
「少しお喋りが過ぎましたね。お休み下さい、教授」
「ええ。ありがとうございます」
教授は目を閉じた。
fin
聖アルフォンソ学院の生徒達は教科書を片手に、
広いキャンパスを移動していた。
講義のない者は、各自好きな場所へ向かう。
ナイチンゲールや森の動物達は、
鐘の音に囚われず、日々の生活を送っていた。
第二化学室。此処は神秘学の教室だ。
生徒達は皆、既に着席している。
講師が来るまでの時間、友人と語らう様子もあまり見られない。
他人への不干渉が美徳だと感じている生徒が大半だった。
アンリは、ちらと掛け時計を眺める。講義開始2分前。
遅いな、と思う。
この講義の講師なら普段はもう来ている時刻だ。
彼は、講義前に目が合うと必ず、一瞬だが、自分に微笑みかける。
そして鐘が鳴ると、教室全体に視線を映す。
他の生徒とは、そんなアイコンタクトは取らない。
アンリはあまり意味もなく、窓から空を眺めていた。
今日最後の時間割。太陽はもうすぐ暮れゆく。
講義が終わる頃には夕焼けだ。
このシーズンは、日が落ちるのが早い。
流れる雲を追っていると、講義開始の鐘が鳴った。
各教室から講師の声が聞こえ始めるこの時刻。
神秘学の教室はまだ静かだった。
講師のくせに遅刻なんて、生徒に失礼だ。
数分後、慌しい足音が聞こえて来た。
あんなにバタバタと走ってくるような講師ではない。
「すみません! 遅れましたっ」
勢い良く頭を下げたのは、顔だけ知っている男。
制服から学生課の職員らしいと知れた。
大きい丸眼鏡を掛け直しながら、声を張り上げる。
「えっと、ボージェ教授からのご連絡をお伝えします。
本日の神秘学は休講です。突然で申し訳ない、とのことでした」
騒ぎ出す生徒は居なかった。
髪の長い生徒が、不機嫌な溜息を洩らした程度だ。
アンリは、ねえ、と職員に尋ねた。
「休講の理由は?」
「先生が体調を崩されたそうです。先程、保健室から連絡がありました」
聖アルフォンソ学院の保健室はシュヌーシア寮の傍にある。
そこに住む病弱な生徒達に都合が良いからだ。
最新の設備が整う、立派な医療施設。利用するのは生徒だけではない。
電話を終えた白衣の男は、ベッドルームへ入った。
白い寝台が三つ並んでいる。窓に近い一台に患者が身を沈めていた。
闇に近い髪色。肌は白い。40前後にしては見目麗しい紳士。
誰とどんな話題でも話せる。その内容から相当博学だと伺える。
人当たりは良いが、特別仲の良い教授は居ない。
メルキュール館の中でも『変わった人』だと噂される一、二の人物。
今は高熱に浮かされ、保健医の手中にある、ただの患者だ。
保健医は優しく声を掛ける。
「ボージェ教授。学生課に連絡しておきましたよ?」
横たわる講師は熱い吐息と共に礼を述べた。
「ありがとうございます。すみません、お手数をお掛けしまして」
「病人の世話をするのが私の仕事ですから。39度2分で教壇に立たれては困りますよ」
講義開始20分前、ボージェ教授が此処へ訪ねて来た。
少し頭痛がするので薬を頂けませんか、と。
保健医は教授を一目見て、熱を測らせた。
体温計を見せ、休講にするよう勧めたのは保健医だった。
休講になった教室。
生徒達は文句のひとつも言わず、退室していく。
たった一人の人間が居ないだけで、この時間は成り立たない。
アンリも席を立った。
教室を出て、寮とは逆方向へ向かう。
ウーティス寮からは少し離れたその場所。
アンリが此処に来るのは年に一度、定期健診の時だけだ。
多少の体調不良では絶対に足を運ばない。
こんなところにカウンセリングに通う人の気が知れなかった。
ドアの前に立つ。軽く息を吐いてからノックした。
「おや。よく来たね、アンリ。君が訪ねて来るとは一体何事かな?」
不気味なほど快く出迎えたのは白衣の男。この学院の保健医だ。
長い髪を一つに束ねている。心の奥底まで見透かす様な目。
アンリにとっては天敵とも言える相手だった。用件だけ口にする。
「神秘学の講師が、来ていると聞いたんだけど」
眼鏡の奥で瞳が細くなる。
「いらっしゃるよ。さあ、入りたまえ、アンリ」
片手で促される。仕方なく保健医の後に続いた。
神秘学の特別講師はベッドに横たわっていた。
朱に色付いた頬。知性的な目は熱っぽく潤んでいる。
素人目から見ても病人だと解った。
「思ったより悪そうだね、オーギュ」
「アンリ?」
教え子の姿を見つけると、講師は儚げに微笑んだ。
「今日はごめんね。休講にしてしまって」
生徒は講師のベッドへ歩いていく。
「全くだ。当日になって急に。いい迷惑だよ」
「すまない。わざわざ様子を見に来てくれたのかね?」
「本当に病欠か確かめに来ただけだ」
冷たく言い放つ生徒を、講師は嬉しそうに見つめた。
「ありがとう。優しい子だね、アンリは」
毛布から伸びた手は、アンリの頭を撫でる。
薬指が頬に触れた。いつもの心地好い温度とは違った。
「手、熱い」
講師が手を離す。
「ああ、すまない。少し熱があるそうでね」
「どのくらい?」
「39度、だったかな?」
「何処が少しなの」
「大丈夫だよ。博士に薬を頂いたから」
「その薬、信用できるの?」
「私が毒薬を処方するとでも思ったかい?」
講師と生徒の後方から含み笑い。
保健医は二人の遣り取りを興味深く見守っていた。
病人は諭すように教え子に言う。
「アンリ、失礼だよ。博士に謝りなさい?」
生徒はぷいと髪を揺らし、担当教諭の言葉を無視した。
講師は保健医に詫びる。
「すみません、博士。この子は少々…噛み癖のある子で」
生徒は病人を睨み付ける。
「躾の悪い犬みたいに言わないで」
保健医は愉快だと言わんばかりに微笑んでいる。
「アンリの噛み癖は私もよく存じていますよ、ボージェ教授。
ただ、私は貴方と違って、噛んで貰うこと自体、稀ですがね?」
保健医が近付くと、アンリはベッドへ一歩、後ずさった。
見逃さず、その様子を捉えた保健医は、それ以上は進まなかった。
「アンリ。教授には適切な解熱剤を差し上げたから、
明日には良くなる。安心したまえ」
「別に、心配なんかしてない。気分が悪くなってきたから失礼するよ」
保健医は微笑して、腕を組んだ。
「気分が悪いのならゆっくり休んでいきなさい? 此処は保健室なのだから」
「此処に居るから、気分が悪いの」
バタンとドアが閉まる。担当教諭は教え子の非礼を詫びた。
「重ね重ね、すみません。ソクーロフ博士」
「いいえ。私はとても楽しめました。それにしても、妬けましたよ?」
「え?」
「ボージェ教授はアンリと随分親しいようですね。
貴方が神秘学を専攻しているからでしょうか?」
「幸いなことに、神秘学はアンリの好きな学問ですから」
「ええ。ですが、それだけとも思えないのですがね」
眼鏡を押し上げる。口許には不敵な微笑が浮かんでいた。
「今日のところは、寝込みを襲うような真似は止めておきましょうか。仮にも貴方は病人だ」
博士は遮光カーテンを引く。途端に部屋は薄暗くなった。
「少しお喋りが過ぎましたね。お休み下さい、教授」
「ええ。ありがとうございます」
教授は目を閉じた。
fin
■テオ×クラウス
■小説ベース
■小説ベース
シュヌーシア寮 食堂。
窓からは眩しい朝陽が差し込む。多くの寮生達がパジャマ姿だった。
まだ少し眠たげな「おはよう」があちらこちらから聞こえる。
朝はブッフェなので、各自好きなものを皿に乗せて、席に座る。
今日のテーブル中央は一段と賑やかだった。
昨日、ウーティスに来た新入生が、初日から外泊したというのだ。
彼の名はシルヴァン・クラーク。17歳の高等部一年生。
奔放な新入生に振り回された生徒代表は少々疲れの色が見える。
先程、外泊から戻った新入生を正門で待っていたら、
何故だか「お父さんみたい」などと言われた。この先、厄介なことになりそうだ。
クラウスはバトラーからコーヒーを受け取ると短く礼を言った。
この寮で最も厄介な友人が声を張り上げる。隣に居るのに声が大きい。
「ねえ、クラウス、シルヴァンの話をしておくれ! そうだ、彼の趣味は?」
生徒代表は、まだ新入生を見てない生徒に質問攻めに遭っていた。
「昨日、大体話しただろう。もう少し離れろ、テオ」
クラウスに喰い付かんばかりに尋ねているのは好奇心旺盛の高等部二年。
テオ・メネシス。ギリシャ有数の資産家の家柄で、有名人好き。
テオの前にある皿からは焼きたての甘いバターの香りがする。
クロワッサンが二つ、小麦色に輝いている。
艶々のスクランブルエッグなど自分の好きな物を乗せていた。
テオの額を手で除けたのは、クラウス・フォン・モール。
今年度の生徒代表だ。彼の皿には野菜が多い。傍には薫り高いブラックコーヒー。
栄養バランスを考慮して選んだらしい料理が、彩り良く几帳面に並んでいる。
苦い顔でコーヒーに口付ける。テオのおしゃべりは止まらない。
「初日から外泊とは、なんとワイルドな男なのだろう!
島に着いて早速、運命の人に出会ったのかな?」
クラウスはコーヒーを脇に置いて、野菜をこんもり乗せた皿を引き寄せる。
「泊まったのはアイヴィーの家だぞ」
「年上好みかい! 彼を射止めるとは、なかなかのツワモノだねえ。
今日は私も新入生に挨拶に行かなくては!
ああ、それからアンリにも会おう。ウーティスの天使に!」
サラダにフォークを突き刺す。
レタスと紫タマネギ、赤パプリカが雑に付いてきた。
「別に…背中に翼はないだろう」
ぽと、と赤パプリカが皿に落ちる。
「ねえ、クラウスも共にウーティスに行こう?」
「俺を巻き込むな。お前が一人で行けば良いだろう」
フォークを口へ運び、むしゃむしゃと食べる。
何処となく投げ遣りな返答が続いた。
いつもと少し違うなとテオは感じる。普段はもう少し誠実に話してくれる人だ。
早起きの習性を持つ人なので、朝だから機嫌が悪いという可能性も低い。
困り顔を暫し愛で、やがて、ああ! と手を打った。
「そうか。すまない、クラウス。誤解しないでおくれ?」
クラウスは眉間に皺を寄せる。テオの言動は不可解なことが多かった。
「何の話だ?」
「私がウーティスに興味を抱いているのが気に入らないのだろう?」
テオは優雅な微笑を湛える。皆の見ている前で、ごく自然に言った。
「貴方というものがありながら、私が心変わりする筈ないじゃないか?」
周囲の寮生から笑い声が上がる。クラウスは額を押さえた。
「お前のその口は、どうにかならないのか…」
「気難しい表情もまた色香があるね。苦悩する顔も凛々しいよ?」
テオは朝陽にも負けない笑顔を輝かせた。
fin
窓からは眩しい朝陽が差し込む。多くの寮生達がパジャマ姿だった。
まだ少し眠たげな「おはよう」があちらこちらから聞こえる。
朝はブッフェなので、各自好きなものを皿に乗せて、席に座る。
今日のテーブル中央は一段と賑やかだった。
昨日、ウーティスに来た新入生が、初日から外泊したというのだ。
彼の名はシルヴァン・クラーク。17歳の高等部一年生。
奔放な新入生に振り回された生徒代表は少々疲れの色が見える。
先程、外泊から戻った新入生を正門で待っていたら、
何故だか「お父さんみたい」などと言われた。この先、厄介なことになりそうだ。
クラウスはバトラーからコーヒーを受け取ると短く礼を言った。
この寮で最も厄介な友人が声を張り上げる。隣に居るのに声が大きい。
「ねえ、クラウス、シルヴァンの話をしておくれ! そうだ、彼の趣味は?」
生徒代表は、まだ新入生を見てない生徒に質問攻めに遭っていた。
「昨日、大体話しただろう。もう少し離れろ、テオ」
クラウスに喰い付かんばかりに尋ねているのは好奇心旺盛の高等部二年。
テオ・メネシス。ギリシャ有数の資産家の家柄で、有名人好き。
テオの前にある皿からは焼きたての甘いバターの香りがする。
クロワッサンが二つ、小麦色に輝いている。
艶々のスクランブルエッグなど自分の好きな物を乗せていた。
テオの額を手で除けたのは、クラウス・フォン・モール。
今年度の生徒代表だ。彼の皿には野菜が多い。傍には薫り高いブラックコーヒー。
栄養バランスを考慮して選んだらしい料理が、彩り良く几帳面に並んでいる。
苦い顔でコーヒーに口付ける。テオのおしゃべりは止まらない。
「初日から外泊とは、なんとワイルドな男なのだろう!
島に着いて早速、運命の人に出会ったのかな?」
クラウスはコーヒーを脇に置いて、野菜をこんもり乗せた皿を引き寄せる。
「泊まったのはアイヴィーの家だぞ」
「年上好みかい! 彼を射止めるとは、なかなかのツワモノだねえ。
今日は私も新入生に挨拶に行かなくては!
ああ、それからアンリにも会おう。ウーティスの天使に!」
サラダにフォークを突き刺す。
レタスと紫タマネギ、赤パプリカが雑に付いてきた。
「別に…背中に翼はないだろう」
ぽと、と赤パプリカが皿に落ちる。
「ねえ、クラウスも共にウーティスに行こう?」
「俺を巻き込むな。お前が一人で行けば良いだろう」
フォークを口へ運び、むしゃむしゃと食べる。
何処となく投げ遣りな返答が続いた。
いつもと少し違うなとテオは感じる。普段はもう少し誠実に話してくれる人だ。
早起きの習性を持つ人なので、朝だから機嫌が悪いという可能性も低い。
困り顔を暫し愛で、やがて、ああ! と手を打った。
「そうか。すまない、クラウス。誤解しないでおくれ?」
クラウスは眉間に皺を寄せる。テオの言動は不可解なことが多かった。
「何の話だ?」
「私がウーティスに興味を抱いているのが気に入らないのだろう?」
テオは優雅な微笑を湛える。皆の見ている前で、ごく自然に言った。
「貴方というものがありながら、私が心変わりする筈ないじゃないか?」
周囲の寮生から笑い声が上がる。クラウスは額を押さえた。
「お前のその口は、どうにかならないのか…」
「気難しい表情もまた色香があるね。苦悩する顔も凛々しいよ?」
テオは朝陽にも負けない笑顔を輝かせた。
fin
■ジョシュア×アンリ
■アンリ、入学翌日 続編
■アンリ、入学翌日 続編
まだ夜は明けていないようだ。
アンリは暗い部屋で目覚めた。
自分のベッド。ふと隣を見ると、優等生の寝顔があった。
ジョシュア・グラント。
僕達は向き合って眠っていたらしい。
彼が同じ毛布の中に居る。
今では余り疑問を感じていないことが不思議だった。
この学院の生徒代表殿が白い肩を晒している。
少し寝乱れた髪。左腕は毛布の外。
乗馬を嗜むそれは男性的で綺麗な腕だった。
その左腕は、毛布越しに僕の腕を抱いていた。
ただ眠っているだけなのに。これも血ゆえだろうか。
父方はロレート大公、母方はサン・ジェルマン家の好敵手グラント家。
学院の生徒はプリンスと呼ばれることもあるけれど、彼は本物だ。
王となる者の証を持っている。
初めて会った時から、彼の額に見えたもの。
普段はゆっくり眺めることができないから、
君が眠っている時はいつも、視線を奪われる。
まだ少し重い目にも、それは輝いて映った。
僕にしか見えない月桂樹の王冠。
この暗い部屋の中でも闇に溶けない、透明の光。
きらきら輝いて。
綺麗だ。
触れてみたくなる。
この王冠は光と同じで感触はないと知っているのだけれど。
彼が生徒代表になってからは輝きが増しているから、
いつか、さわれる日が来るかもしれない。
君の様子を伺う。深紅の瞳は閉じられている。
高貴な両親から受け継いだ、整った顔立ち。
毛布から腕を出して、王冠に手を伸ばす。
僕の右腕を抱く手を気にしながら、光との距離を縮めていく。
透明な月桂樹に人差し指を近付ける。
えっ、と思った。
少しだけ温かく感じられた。
今までこんなことはなかった。もう一度、光に指を添える。
今度は何も感じなかった。空気との差がない。
気のせいか。いや、さっきは確かに。
柔らかい吐息が聞こえた。
「好きだね、王冠。そんなに気になってしまう?」
深紅の瞳がこちらを見て微笑んでいた。
「君が可笑しなものを被ってるからだ。いつから起きてたの」
「少し前にね。アンリ、忙しそうだったから静かにしていたんだけど」
右手で口許を隠す。
「何を笑っているの?」
「蝶々に手を伸ばす猫みたいだったから」
王冠に手を伸ばしている様子を見られていたらしい。
ジョシュアは笑いながら、ごめん、と言う。
「怒るなよ。可愛かった」
「寝たフリなんて、君、性格悪くなったね」
「じゃあ、似てきたのかな、好きな人に」
「ああ、栗毛の彼女、じゃじゃ馬だものね?」
彼女には危なく蹴られるところだった。仲直りする機会もないだろう。
「アルセイデスは大人しいレディだよ。イジワルなことも言わないし」
「なら、イジワルな人から離れた方が良いんじゃない?」
ジョシュアは僕に近付いて、とん、と額を合わせた。
僕は王冠にぶつかると思い、反射的に目を閉じた。
感じたのは痛みではなく、人肌の温もり。
目を開けると、深紅の瞳がすぐ傍にあった。
「離れるなんてできないよ。俺、その人のこと、大好きだから」
口付けさえできない距離。僕は彼の肩を押して、自分から離れた。
「僕にピロートークは必要ない」
彼の笑顔が余計に優しくなる。左手が僕の髪を梳き始める。
子守唄のように、ゆっくりと話し始めた。
「アンリは覚えているかな?」
蜂蜜にも似た声。君の指が髪の間をするすると流れていく。
「これは一体何の王冠なのか、俺に聞いたことがあっただろう?」
入学当初、王冠について問い質したことがあった。
ジョシュアはグラントやロレートの跡継ぎではないと言っていた。
それを聞いて、では何の王冠なの、と尋ねた。
「そんなこともあったかな」
「俺、今なら答えられると思うんだ」
グラントかロレートのどちらかを選んだのだろうか。
ジョシュアの答えは、サン・ジェルマン家にも影響を及ぼす。
「では、聞かせて」
どちらの答えを聞いても驚かない覚悟があった。
ただ、彼が敵に回るのは、あまりいい気がしない。
願わくは、ロレートという答えを期待していた。
そっと深紅の瞳を見つめる。余裕のある表情だった。
「これはきっと、アンリに見つけて貰う為の目印だったんだよ」
真綿のような笑顔で、彼は自分の前髪に触れた。
その指は王冠を擦り抜けている。
「俺達を惹き合せてくれたのは、この王冠だからね」
嬉しそうに言う人を見て、僕は息を吐いた。
「馬鹿なこと言わないで。そんな些末事を示す光じゃない」
でなければ、説明がつかない輝きだ。
彼は生徒代表に留まるような器じゃない。光がそう物語ってる。
この輝きは年を重ねる度に強くなる。きっと、そのせい。
だから、王冠に触れたくなるんだ。
「月桂樹の王冠は、古代ギリシャから栄光の証と決まってる。君の王冠は」
「だから、だよ?」
ふわと香る、君の匂い。後ろ髪に回された腕。
近過ぎて王冠も見えない。
「君に会えた。それが栄光だよ」
僕の頬に寄り添う手。
シフォンケーキのような口付けが落とされた。
fin
アンリは暗い部屋で目覚めた。
自分のベッド。ふと隣を見ると、優等生の寝顔があった。
ジョシュア・グラント。
僕達は向き合って眠っていたらしい。
彼が同じ毛布の中に居る。
今では余り疑問を感じていないことが不思議だった。
この学院の生徒代表殿が白い肩を晒している。
少し寝乱れた髪。左腕は毛布の外。
乗馬を嗜むそれは男性的で綺麗な腕だった。
その左腕は、毛布越しに僕の腕を抱いていた。
ただ眠っているだけなのに。これも血ゆえだろうか。
父方はロレート大公、母方はサン・ジェルマン家の好敵手グラント家。
学院の生徒はプリンスと呼ばれることもあるけれど、彼は本物だ。
王となる者の証を持っている。
初めて会った時から、彼の額に見えたもの。
普段はゆっくり眺めることができないから、
君が眠っている時はいつも、視線を奪われる。
まだ少し重い目にも、それは輝いて映った。
僕にしか見えない月桂樹の王冠。
この暗い部屋の中でも闇に溶けない、透明の光。
きらきら輝いて。
綺麗だ。
触れてみたくなる。
この王冠は光と同じで感触はないと知っているのだけれど。
彼が生徒代表になってからは輝きが増しているから、
いつか、さわれる日が来るかもしれない。
君の様子を伺う。深紅の瞳は閉じられている。
高貴な両親から受け継いだ、整った顔立ち。
毛布から腕を出して、王冠に手を伸ばす。
僕の右腕を抱く手を気にしながら、光との距離を縮めていく。
透明な月桂樹に人差し指を近付ける。
えっ、と思った。
少しだけ温かく感じられた。
今までこんなことはなかった。もう一度、光に指を添える。
今度は何も感じなかった。空気との差がない。
気のせいか。いや、さっきは確かに。
柔らかい吐息が聞こえた。
「好きだね、王冠。そんなに気になってしまう?」
深紅の瞳がこちらを見て微笑んでいた。
「君が可笑しなものを被ってるからだ。いつから起きてたの」
「少し前にね。アンリ、忙しそうだったから静かにしていたんだけど」
右手で口許を隠す。
「何を笑っているの?」
「蝶々に手を伸ばす猫みたいだったから」
王冠に手を伸ばしている様子を見られていたらしい。
ジョシュアは笑いながら、ごめん、と言う。
「怒るなよ。可愛かった」
「寝たフリなんて、君、性格悪くなったね」
「じゃあ、似てきたのかな、好きな人に」
「ああ、栗毛の彼女、じゃじゃ馬だものね?」
彼女には危なく蹴られるところだった。仲直りする機会もないだろう。
「アルセイデスは大人しいレディだよ。イジワルなことも言わないし」
「なら、イジワルな人から離れた方が良いんじゃない?」
ジョシュアは僕に近付いて、とん、と額を合わせた。
僕は王冠にぶつかると思い、反射的に目を閉じた。
感じたのは痛みではなく、人肌の温もり。
目を開けると、深紅の瞳がすぐ傍にあった。
「離れるなんてできないよ。俺、その人のこと、大好きだから」
口付けさえできない距離。僕は彼の肩を押して、自分から離れた。
「僕にピロートークは必要ない」
彼の笑顔が余計に優しくなる。左手が僕の髪を梳き始める。
子守唄のように、ゆっくりと話し始めた。
「アンリは覚えているかな?」
蜂蜜にも似た声。君の指が髪の間をするすると流れていく。
「これは一体何の王冠なのか、俺に聞いたことがあっただろう?」
入学当初、王冠について問い質したことがあった。
ジョシュアはグラントやロレートの跡継ぎではないと言っていた。
それを聞いて、では何の王冠なの、と尋ねた。
「そんなこともあったかな」
「俺、今なら答えられると思うんだ」
グラントかロレートのどちらかを選んだのだろうか。
ジョシュアの答えは、サン・ジェルマン家にも影響を及ぼす。
「では、聞かせて」
どちらの答えを聞いても驚かない覚悟があった。
ただ、彼が敵に回るのは、あまりいい気がしない。
願わくは、ロレートという答えを期待していた。
そっと深紅の瞳を見つめる。余裕のある表情だった。
「これはきっと、アンリに見つけて貰う為の目印だったんだよ」
真綿のような笑顔で、彼は自分の前髪に触れた。
その指は王冠を擦り抜けている。
「俺達を惹き合せてくれたのは、この王冠だからね」
嬉しそうに言う人を見て、僕は息を吐いた。
「馬鹿なこと言わないで。そんな些末事を示す光じゃない」
でなければ、説明がつかない輝きだ。
彼は生徒代表に留まるような器じゃない。光がそう物語ってる。
この輝きは年を重ねる度に強くなる。きっと、そのせい。
だから、王冠に触れたくなるんだ。
「月桂樹の王冠は、古代ギリシャから栄光の証と決まってる。君の王冠は」
「だから、だよ?」
ふわと香る、君の匂い。後ろ髪に回された腕。
近過ぎて王冠も見えない。
「君に会えた。それが栄光だよ」
僕の頬に寄り添う手。
シフォンケーキのような口付けが落とされた。
fin
■テオ アンリ ジョシュア
■小説ベース
■小説ベース
昨日、ウーティス寮に新入生が来た。
入学の際に保証人を必要としない、特別な生徒。
アンリ=ユーグ=ド=サン・ジェルマン。
学院との深い結び付きを持っていることが憧れの的となった。
それだけでも入学前から噂が絶えなかったのに、
入学初日に現した姿は更に注目を集めた。
中等部一年。背は低く、華奢な肢体。
肌は透き通るように白く、天使のようだったと噂された。
放課後のウーティス寮サロン。
噂の新入生は部屋の隅に居た。そこだけ孤島のように離れているので、
今までは誰も座っていなかった席だ。今は一人で静かに本を読んでいる。
周りの生徒達は、ちらちらと見てはいるものの、
話し掛ける勇気を持つ者は居なかった。どうも近寄り難い雰囲気があるのだ。
そこへ威勢の良い声が到着した。
「こんにちは、ウーティスのみんな。お邪魔するよ」
シュヌーシア寮のテオが笑顔でやってきた。堂々と部屋の中へ入る。
「昨日入ったという天使にお会いしたいのだけど、居るかな?」
寮生達に、そこだよ、と示された方を見る。
見慣れぬ髪が少し見えた。テオは彼の正面へと回る。
おお、と感嘆の声を上げた。
「なんという知性的な美貌だろう! これが博学と永遠の美を受け継ぐ血なのだね。
流石は、サン・ジェルマン伯の末裔だ」
新入生は本から少し顔を上げる。瞳が琥珀に光る。テオは更に感動を言葉にした。
「こんなところにトパーズが! 神々しい…常人には映らないものまで映し出しそうだ」
アンリはテオから視線を外し、気だるげに言った。
「本が、読めないんだけど」
「素晴らしい美声じゃないか!」
「君は…褒め殺し用生物兵器?」
「おっと、失礼。私の自己紹介がまだだったね」
さっとアンリの前で跪く。人の良い笑顔を惜し気なく見せた。
「私はテオ・メネシス。中等部三年だよ。君と同じで一年の頃から此処に居るんだ。
今日はね、君に一目会いたくて、やってきたのだよ。ああ、私はとても満足だ」
立ち上がって、両手を広げる。
「君はまさに孤島に舞い降りた天使、いや、秘密の花園に咲いたプリンセスだ!」
熱く演説しているテオに、冷たい視線が送られる。
ドアが少し開いた。琥珀の瞳がその姿を捉える。
彼はサロンに入らず、ドアを閉めた。
「どうしたの、アンリ?」
突然アンリが本を閉じたので、テオは尋ねた。
しかしアンリは、問いには答えず、本を持ち、サロンから出て行った。
残されたテオは不思議そうに小首を傾げる。
「私、何か可笑しなことを言ってしまったかな?」
廊下に出たアンリは、彼の姿を探していた。
彼が来るのをサロンで待っていたのに。
避けられている。
ジョシュア・グラント。
彼は、昨日から殆ど僕と目を合わさない。
外へ向かう背中。
頭上には透明な証。
尾を引く輝きを追い駆けた。
月桂樹の森。
美しいさえずりが響く。此処の伝説にも歌われるナイチンゲールだ。
学院で一番好きな場所にジョシュアは避難してきた。
新鮮な空気を吸って、幾らか気持ちが落ち着いてくる。
新入生の姿を目にして、思わず此処まで来てしまった。
やはり、彼を傷付けてしまっただろうかと後悔する。
昨日、初めて会った時に言われたこと。
それがひっかかって、まともに顔も合わせられない。
「ジョシュア」
森の入り口に少年が居た。
琥珀の瞳が睨むように、こちらを見ている。
二人の間には数メートルもの距離。自分から近付くつもりはないらしい。
「僕の顔を見て逃げるなんて、失礼じゃない?」
ジョシュアは相手を傷付けない為の嘘を吐く。
自分のせいで誰かを不幸にすること。それが何より怖いことだった。
「違うんだよ。サロン、人が多かったら、俺、邪魔かと思って…」
鳥達が頭上を過ぎ行く。その歌声は楽しげに聞こえた。
アンリからの反応がない。そっと表情を伺う。
視線が絡むと、痛い程、冷静な声が返って来た。
「僕に、嘘は吐けないよ」
アンリは自分の腕を抱く。
寒いわけでもないのに、顔色もあまり良くないように見えた。
「僕は君に話があるからわざわざ待っててあげたのに…早く、そこから出て来て」
アンリは森の中へ一歩も踏み入れていなかった。吐き捨てるように言う。
「森は嫌いだと言ったでしょ」
甦る昨日の場面。森は嫌いだと確かに言われていた。
「ごめん…今、行くよ」
出会ってから彼には謝ってばかりだ、そう思いながら少年の元へ向かった。
付いて来て、と言われ、アンリの部屋に入ることになった。
昨日来たばかりなのに荷物は殆ど片付いていた。
カーテンの色はブルーだった。窓の外には明るい夕陽。
机には、ぽつんと写真立てが乗っている。
本の影になって写真の上部はよく見えないが、何か花を持っているようだ。
「立ってないで、座ったら?」
「ごめん、そうだね」
ひとつ年下の生徒が主導になっている。
ジョシュアは傍のソファに腰を降ろす。
アンリは彼の正面に立った。
そして、ジョシュアの額の方をじっと見つめた。
「ねえ。その王冠、なんなの?」
月桂樹の王冠が見える。
昨日、そう言われてから、食事の時間も同じ場所を凝視されていた。
「何って言われても…俺…」
美しい見目の少年は、ずけずけと疑問をぶつけてきた。
「君は、本当に今まで気付かなかったの?」
「うん…俺には見えないし、その、そんなこと言われたのも、初めてだから」
「それ、ちっとも重くないの?」
「え? 重さは、ないけど…」
「昨日、グラントの跡継ぎではないと言ったよね? ではロレートの王になるの?」
「ならないと、思うよ。今は叔父が王位を継いでいるし」
「それなら、これは何の王冠なの?」
「解らないよ…俺には」
「まあ、グラントかロレートならば、ロレートの方が王冠には合いそうだけどね」
アンリはジョシュアの周りをゆっくりと歩く。
視線は頭を見つめたままだ。王冠をじっくりと観察しているらしい。
黙ったまま、周りを歩かれ、ジョシュアは落ち着かない。
「あの、アンリの目には、俺達に見えないものが見えるの? 王冠の他にも」
「偶には、ね。だけど王冠は初めてだよ」
「そう、なんだ」
「僕にしか見えないものは、透明で、光っているんだ。
でも、君のは…こんなに綺麗なのは、今まで見たことがない」
額を見つめたまま、手を伸ばす。ジョシュアは少し首を上げる。
「アンリ?」
「動かないで」
「あ、ごめん」
ゆっくりと手を近付ける。
指は透明な光を擦り抜け、緩い波のある髪に触れた。
アンリは少し肩を落とす。ぽつ、と呟いた。
「さわれない…」
途端にジョシュアは申し訳ない気持ちになる。
それまで彼は冷たい台詞が目立ったので、素直に落胆されて初めて、
目の前の少年が、自分より年下の子なのだと感じられた。
「あの、ごめんね、アンリ」
「ん?」
「俺、君に迷惑を掛けてばかりだから…ごめん」
「ふうん。頭を下げても、君の王冠は落ちないんだ。便利だね?」
シニカルな微笑。それを見て、ジョシュアはやっと緊張感が解けた。
「そんなに見られると、俺、恥ずかしいよ」
「だって、こんなに光っているんだもの。気にするなっていう方が無理でしょう?」
アンリはジョシュアの前に座った。足を組み、肘掛けに頬杖を突く。
「まあ、いいや。とりあえず、この話はおしまいにしようか?」
「あ、うん。ありがとう」
ジョシュアはほっとしていた。
この部屋に入るまで、少年のことが少し恐ろしかった。
色々冷たい言い方もされたが悪意はないらしい。
彼が見えるという王冠の話は、まだ半信半疑だけれど。
思ったよりはずっと、仲良くなれそうだ。
ジョシュアはソファから立ち上がる。笑顔で手を差し出した。
「これから、よろしくね? アンリ」
少年の視線が手と笑顔を行き来する。やや遅れて、その手を握り返した。
「うん」
fin
入学の際に保証人を必要としない、特別な生徒。
アンリ=ユーグ=ド=サン・ジェルマン。
学院との深い結び付きを持っていることが憧れの的となった。
それだけでも入学前から噂が絶えなかったのに、
入学初日に現した姿は更に注目を集めた。
中等部一年。背は低く、華奢な肢体。
肌は透き通るように白く、天使のようだったと噂された。
放課後のウーティス寮サロン。
噂の新入生は部屋の隅に居た。そこだけ孤島のように離れているので、
今までは誰も座っていなかった席だ。今は一人で静かに本を読んでいる。
周りの生徒達は、ちらちらと見てはいるものの、
話し掛ける勇気を持つ者は居なかった。どうも近寄り難い雰囲気があるのだ。
そこへ威勢の良い声が到着した。
「こんにちは、ウーティスのみんな。お邪魔するよ」
シュヌーシア寮のテオが笑顔でやってきた。堂々と部屋の中へ入る。
「昨日入ったという天使にお会いしたいのだけど、居るかな?」
寮生達に、そこだよ、と示された方を見る。
見慣れぬ髪が少し見えた。テオは彼の正面へと回る。
おお、と感嘆の声を上げた。
「なんという知性的な美貌だろう! これが博学と永遠の美を受け継ぐ血なのだね。
流石は、サン・ジェルマン伯の末裔だ」
新入生は本から少し顔を上げる。瞳が琥珀に光る。テオは更に感動を言葉にした。
「こんなところにトパーズが! 神々しい…常人には映らないものまで映し出しそうだ」
アンリはテオから視線を外し、気だるげに言った。
「本が、読めないんだけど」
「素晴らしい美声じゃないか!」
「君は…褒め殺し用生物兵器?」
「おっと、失礼。私の自己紹介がまだだったね」
さっとアンリの前で跪く。人の良い笑顔を惜し気なく見せた。
「私はテオ・メネシス。中等部三年だよ。君と同じで一年の頃から此処に居るんだ。
今日はね、君に一目会いたくて、やってきたのだよ。ああ、私はとても満足だ」
立ち上がって、両手を広げる。
「君はまさに孤島に舞い降りた天使、いや、秘密の花園に咲いたプリンセスだ!」
熱く演説しているテオに、冷たい視線が送られる。
ドアが少し開いた。琥珀の瞳がその姿を捉える。
彼はサロンに入らず、ドアを閉めた。
「どうしたの、アンリ?」
突然アンリが本を閉じたので、テオは尋ねた。
しかしアンリは、問いには答えず、本を持ち、サロンから出て行った。
残されたテオは不思議そうに小首を傾げる。
「私、何か可笑しなことを言ってしまったかな?」
廊下に出たアンリは、彼の姿を探していた。
彼が来るのをサロンで待っていたのに。
避けられている。
ジョシュア・グラント。
彼は、昨日から殆ど僕と目を合わさない。
外へ向かう背中。
頭上には透明な証。
尾を引く輝きを追い駆けた。
月桂樹の森。
美しいさえずりが響く。此処の伝説にも歌われるナイチンゲールだ。
学院で一番好きな場所にジョシュアは避難してきた。
新鮮な空気を吸って、幾らか気持ちが落ち着いてくる。
新入生の姿を目にして、思わず此処まで来てしまった。
やはり、彼を傷付けてしまっただろうかと後悔する。
昨日、初めて会った時に言われたこと。
それがひっかかって、まともに顔も合わせられない。
「ジョシュア」
森の入り口に少年が居た。
琥珀の瞳が睨むように、こちらを見ている。
二人の間には数メートルもの距離。自分から近付くつもりはないらしい。
「僕の顔を見て逃げるなんて、失礼じゃない?」
ジョシュアは相手を傷付けない為の嘘を吐く。
自分のせいで誰かを不幸にすること。それが何より怖いことだった。
「違うんだよ。サロン、人が多かったら、俺、邪魔かと思って…」
鳥達が頭上を過ぎ行く。その歌声は楽しげに聞こえた。
アンリからの反応がない。そっと表情を伺う。
視線が絡むと、痛い程、冷静な声が返って来た。
「僕に、嘘は吐けないよ」
アンリは自分の腕を抱く。
寒いわけでもないのに、顔色もあまり良くないように見えた。
「僕は君に話があるからわざわざ待っててあげたのに…早く、そこから出て来て」
アンリは森の中へ一歩も踏み入れていなかった。吐き捨てるように言う。
「森は嫌いだと言ったでしょ」
甦る昨日の場面。森は嫌いだと確かに言われていた。
「ごめん…今、行くよ」
出会ってから彼には謝ってばかりだ、そう思いながら少年の元へ向かった。
付いて来て、と言われ、アンリの部屋に入ることになった。
昨日来たばかりなのに荷物は殆ど片付いていた。
カーテンの色はブルーだった。窓の外には明るい夕陽。
机には、ぽつんと写真立てが乗っている。
本の影になって写真の上部はよく見えないが、何か花を持っているようだ。
「立ってないで、座ったら?」
「ごめん、そうだね」
ひとつ年下の生徒が主導になっている。
ジョシュアは傍のソファに腰を降ろす。
アンリは彼の正面に立った。
そして、ジョシュアの額の方をじっと見つめた。
「ねえ。その王冠、なんなの?」
月桂樹の王冠が見える。
昨日、そう言われてから、食事の時間も同じ場所を凝視されていた。
「何って言われても…俺…」
美しい見目の少年は、ずけずけと疑問をぶつけてきた。
「君は、本当に今まで気付かなかったの?」
「うん…俺には見えないし、その、そんなこと言われたのも、初めてだから」
「それ、ちっとも重くないの?」
「え? 重さは、ないけど…」
「昨日、グラントの跡継ぎではないと言ったよね? ではロレートの王になるの?」
「ならないと、思うよ。今は叔父が王位を継いでいるし」
「それなら、これは何の王冠なの?」
「解らないよ…俺には」
「まあ、グラントかロレートならば、ロレートの方が王冠には合いそうだけどね」
アンリはジョシュアの周りをゆっくりと歩く。
視線は頭を見つめたままだ。王冠をじっくりと観察しているらしい。
黙ったまま、周りを歩かれ、ジョシュアは落ち着かない。
「あの、アンリの目には、俺達に見えないものが見えるの? 王冠の他にも」
「偶には、ね。だけど王冠は初めてだよ」
「そう、なんだ」
「僕にしか見えないものは、透明で、光っているんだ。
でも、君のは…こんなに綺麗なのは、今まで見たことがない」
額を見つめたまま、手を伸ばす。ジョシュアは少し首を上げる。
「アンリ?」
「動かないで」
「あ、ごめん」
ゆっくりと手を近付ける。
指は透明な光を擦り抜け、緩い波のある髪に触れた。
アンリは少し肩を落とす。ぽつ、と呟いた。
「さわれない…」
途端にジョシュアは申し訳ない気持ちになる。
それまで彼は冷たい台詞が目立ったので、素直に落胆されて初めて、
目の前の少年が、自分より年下の子なのだと感じられた。
「あの、ごめんね、アンリ」
「ん?」
「俺、君に迷惑を掛けてばかりだから…ごめん」
「ふうん。頭を下げても、君の王冠は落ちないんだ。便利だね?」
シニカルな微笑。それを見て、ジョシュアはやっと緊張感が解けた。
「そんなに見られると、俺、恥ずかしいよ」
「だって、こんなに光っているんだもの。気にするなっていう方が無理でしょう?」
アンリはジョシュアの前に座った。足を組み、肘掛けに頬杖を突く。
「まあ、いいや。とりあえず、この話はおしまいにしようか?」
「あ、うん。ありがとう」
ジョシュアはほっとしていた。
この部屋に入るまで、少年のことが少し恐ろしかった。
色々冷たい言い方もされたが悪意はないらしい。
彼が見えるという王冠の話は、まだ半信半疑だけれど。
思ったよりはずっと、仲良くなれそうだ。
ジョシュアはソファから立ち上がる。笑顔で手を差し出した。
「これから、よろしくね? アンリ」
少年の視線が手と笑顔を行き来する。やや遅れて、その手を握り返した。
「うん」
fin
■ジョシュア×姉貴
■年賀メールベース
■年賀メールベース
「やあ。日本語では、あけましておめでとう、だよね?」
生徒代表は今年習った言葉で新年の挨拶をした。
左手にはクラシックな受話器。
「ユウタとハルヤに教えて貰ったんだ、色々とね。
俺達、今年は日本式の正月遊びをしたんだよ」
聖アルフォンソ学院 生徒代表室。
学生課棟の最奥に位置する広い一室。
此処がこの島の王室と言っても過言ではない。
窓からは月桂樹の森が見える。
空は青くて、木は気持良さそうに葉を揺らしていた。
ジョシュアがこの学院で一番好きな場所だ。
あの森を、貴女と歩けたら、どんなに幸福だろう。
今年度の代表ジョシュアは王の椅子にゆったりと座っていた。
ここ数日、あっという間に過ぎて行ったお正月を振り返る。
色んなことを教わった。貴女の国のことを。
「俺は羽根突きが一番面白かったな。あの、木のラケット…
いや、そう、羽子板でラリーする…うん。少しテニスと似ていたよ」
今年度の生徒代表はテニスは好きだった。
学院にはテニスコートが20面もあるので、
プレイしたい時にはいつでも利用できた。
テニス同様、羽根付きにも、ラケットとボールがあり、
ジョシュアには一番楽しめた遊びだった。
自分の好きなものと異国の遊びとの間に、
ささやかなながらも共通点を見い出せたことも嬉しかった。
それが今、最も大切に思っている人の国なら尚更。
「君も小さい頃、ユウタと羽根突きをしたんだってね。
貴女は強くて、よく顔に墨を塗られたと言っていたよ。
俺もいつか、貴女としたいな、羽根付き。
貴女の晴れ着姿も、きっと綺麗だろうし」
受話器から謙遜の言葉が聞こえる。
どうやら日本人の気質なのか、賛辞の類は否定されてしまう。
ジョシュアとしては全くお世辞ではなく、本音を伝えているのだが。
相手の少し朱に染まった顔が想像できて、声に出さずに微笑む。
他にはどんな遊びを、と貴女は話題を変えてきた。
「他に? あ、花札というカードゲームをしたよ。
あれはアンリが気に入っていたな。
タロットのように綺麗なカードだったからかもしれないね」
レッドは、ルールを覚えるのが大変だと嫌がっていたけど、
アンリの口には合ったようだった。
彼はカードゲームやチェスなどの頭脳戦には強いから。
羽根突きや独楽回しの時はレッドに負けて、不貞腐れていたけれど。
体力勝負のゲームは圧倒的にレッドやシルヴァンに有利だった。
日本が大好きなシルヴァンは特に、今年のお正月はとても嬉しそうで、
見ているこちらまで楽しい気持ちにさせてくれた。
ハルヤは、ユウタよりも日本の遊びに詳しかった。
ルールに留まらず、聞かれれば、その歴史などもぽつりぽつりと話していた。
本人は「じいさまから聞いただけ」といつものように控え目で。
褒められて、恥ずかしそうにしていた。
「そうだ。俺達、書き初めもしたんだ。
やっぱり、ユウタとハルヤが書いたものは上手かった。
漢字って美しい文字だなって思ったよ」
貴女が居る国。
その文化に触れることができて良かった。
日本のことを少しずつ知るようになった。
ユウタがウーティス寮に来てから。
貴女と、出会ってから。
「ねえ。君は、どんなお正月だった?」
それから暫くジョシュアは耳を澄まして聞き役に回る。
最初はおずおずと話していた。
だんだん色々なことを思い出してきたようで、声が明るくなっていく。
話し方や声質はユウタと似ている。やはり姉弟なんだと解るものだった。
受話器から聞こえてくる貴女の声。
この学院では聞くことのない柔らかい声だ。
生徒代表室から貴女へ電話をかける度に焦がれる。
ずっと、いつまでも聞いていたい声。
電話を切った時にはいつも胸が暖かくなっている。
耳には残り香みたいに貴女の声が残るんだ。
俺は「またね」と受話器を下ろした後、
またすぐに受話器を取りたくなるんだよ。
相槌を打ちながら貴女の話を聞いていると、
耳に入った言葉に、ジョシュアは思わず聞き返した。
「初日の出を見に行ったの? 俺達も見たんだよ」
2008年最初の夜明けをウーティス全員で。
朝陽を見るなら、とレッドに言われて皆で城壁の上に登った。
流石に夜中は肌寒かったんだけど、
初日の出を見つけると、その美しさに寒さも忘れてしまった。
ユウタも暫く見惚れていたけど、慌てて両手を組んだ。
一年の決意や願い事をするものなのだと聞いて、俺は。
「皆でね、願い事をしたんだ、朝陽に。俺? うん。願ったよ」
聞かせて欲しい、と聞こえる声。
貴女の頼みは何でも叶えたい。
窓の外で月桂樹がゆらゆらと揺れている。
俺の一番好きな場所。
俺の一番好きな。
「貴女の2008年が幸せでありますように、って」
それが一番目の願い事。
何より最初に叶えて欲しい事だから。
二番目の願いは、貴女にはまだ言えないけれど。
叶うと良いな。
俺の想いが貴女に届きますようにって願ったんだよ。
fin
生徒代表は今年習った言葉で新年の挨拶をした。
左手にはクラシックな受話器。
「ユウタとハルヤに教えて貰ったんだ、色々とね。
俺達、今年は日本式の正月遊びをしたんだよ」
聖アルフォンソ学院 生徒代表室。
学生課棟の最奥に位置する広い一室。
此処がこの島の王室と言っても過言ではない。
窓からは月桂樹の森が見える。
空は青くて、木は気持良さそうに葉を揺らしていた。
ジョシュアがこの学院で一番好きな場所だ。
あの森を、貴女と歩けたら、どんなに幸福だろう。
今年度の代表ジョシュアは王の椅子にゆったりと座っていた。
ここ数日、あっという間に過ぎて行ったお正月を振り返る。
色んなことを教わった。貴女の国のことを。
「俺は羽根突きが一番面白かったな。あの、木のラケット…
いや、そう、羽子板でラリーする…うん。少しテニスと似ていたよ」
今年度の生徒代表はテニスは好きだった。
学院にはテニスコートが20面もあるので、
プレイしたい時にはいつでも利用できた。
テニス同様、羽根付きにも、ラケットとボールがあり、
ジョシュアには一番楽しめた遊びだった。
自分の好きなものと異国の遊びとの間に、
ささやかなながらも共通点を見い出せたことも嬉しかった。
それが今、最も大切に思っている人の国なら尚更。
「君も小さい頃、ユウタと羽根突きをしたんだってね。
貴女は強くて、よく顔に墨を塗られたと言っていたよ。
俺もいつか、貴女としたいな、羽根付き。
貴女の晴れ着姿も、きっと綺麗だろうし」
受話器から謙遜の言葉が聞こえる。
どうやら日本人の気質なのか、賛辞の類は否定されてしまう。
ジョシュアとしては全くお世辞ではなく、本音を伝えているのだが。
相手の少し朱に染まった顔が想像できて、声に出さずに微笑む。
他にはどんな遊びを、と貴女は話題を変えてきた。
「他に? あ、花札というカードゲームをしたよ。
あれはアンリが気に入っていたな。
タロットのように綺麗なカードだったからかもしれないね」
レッドは、ルールを覚えるのが大変だと嫌がっていたけど、
アンリの口には合ったようだった。
彼はカードゲームやチェスなどの頭脳戦には強いから。
羽根突きや独楽回しの時はレッドに負けて、不貞腐れていたけれど。
体力勝負のゲームは圧倒的にレッドやシルヴァンに有利だった。
日本が大好きなシルヴァンは特に、今年のお正月はとても嬉しそうで、
見ているこちらまで楽しい気持ちにさせてくれた。
ハルヤは、ユウタよりも日本の遊びに詳しかった。
ルールに留まらず、聞かれれば、その歴史などもぽつりぽつりと話していた。
本人は「じいさまから聞いただけ」といつものように控え目で。
褒められて、恥ずかしそうにしていた。
「そうだ。俺達、書き初めもしたんだ。
やっぱり、ユウタとハルヤが書いたものは上手かった。
漢字って美しい文字だなって思ったよ」
貴女が居る国。
その文化に触れることができて良かった。
日本のことを少しずつ知るようになった。
ユウタがウーティス寮に来てから。
貴女と、出会ってから。
「ねえ。君は、どんなお正月だった?」
それから暫くジョシュアは耳を澄まして聞き役に回る。
最初はおずおずと話していた。
だんだん色々なことを思い出してきたようで、声が明るくなっていく。
話し方や声質はユウタと似ている。やはり姉弟なんだと解るものだった。
受話器から聞こえてくる貴女の声。
この学院では聞くことのない柔らかい声だ。
生徒代表室から貴女へ電話をかける度に焦がれる。
ずっと、いつまでも聞いていたい声。
電話を切った時にはいつも胸が暖かくなっている。
耳には残り香みたいに貴女の声が残るんだ。
俺は「またね」と受話器を下ろした後、
またすぐに受話器を取りたくなるんだよ。
相槌を打ちながら貴女の話を聞いていると、
耳に入った言葉に、ジョシュアは思わず聞き返した。
「初日の出を見に行ったの? 俺達も見たんだよ」
2008年最初の夜明けをウーティス全員で。
朝陽を見るなら、とレッドに言われて皆で城壁の上に登った。
流石に夜中は肌寒かったんだけど、
初日の出を見つけると、その美しさに寒さも忘れてしまった。
ユウタも暫く見惚れていたけど、慌てて両手を組んだ。
一年の決意や願い事をするものなのだと聞いて、俺は。
「皆でね、願い事をしたんだ、朝陽に。俺? うん。願ったよ」
聞かせて欲しい、と聞こえる声。
貴女の頼みは何でも叶えたい。
窓の外で月桂樹がゆらゆらと揺れている。
俺の一番好きな場所。
俺の一番好きな。
「貴女の2008年が幸せでありますように、って」
それが一番目の願い事。
何より最初に叶えて欲しい事だから。
二番目の願いは、貴女にはまだ言えないけれど。
叶うと良いな。
俺の想いが貴女に届きますようにって願ったんだよ。
fin
■オーギュスト×アンリ
深夜、降り出した雨。
そのノイズで、重い瞼が物憂げに開いていく。
最初に映ったのは暗い色をした壁だった。
アンリは自分のベッドに居た。
憂鬱な雨音が耳に付く。
好きな音ではない。
ふと隣を見ると、紳士の寝顔があった。
神秘学の特別講師。
彼が同じ毛布の中に居る。
もう、珍しいことではなかった。
君を拒まずにいる理由は、自分にも説明できないでいた。
解らない。
すぐ傍にある顔を虚ろに眺める。
君はこちら側を向いている。
そう言えば、寝顔はあまり見たことがなかった。
自分は酷く朝に弱い。
大抵、講師の方が先に目覚めている。
君と眠った時は、彼の声で朝を告げられる。
戯れに口付けで起こされることもあった。
講義中は先生の顔をしている。
髪は後ろに撫で付け、首許にはクロスタイをしている。
今は前髪を降ろし、開いた立襟からは鎖骨が覗いている。
声は、昼も夜も理屈っぽい。
この唇から紡がれる。
神秘学の知識も、僕の名前も、甘い口付けも。
自分から唇を寄せたことはなかった。
優しい言葉も、蕩ける愛撫も。
いつも君にされるままで。
この性格では、何もできなかった。
君は今眠っている。
枕の上に左の肘を突く。
もそりと僅かに上体を起こす。
肩から毛布が滑る。
夜の空気に晒される素肌。
毛布のぬくみを失って、肌寒い。
君の様子を伺う。
眉ひとつ動かさない。
穏やかな寝息。
数センチ、彼に近付く。
自分の横髪に頬を撫でられた。
右手で静かに耳に掛ける。
囁く程度の声で呼んだ。
「オーギュ」
講師の目は開かない。
毛布の上から、彼の肩に右手を添える。
体重を掛けないように、そっと。
君との距離を縮めていく。
外では物悲しい旋律が続いている。
夜の雨は嫌い。
好きじゃない。
ずっと年の離れた男性。
自分より優秀な。
父に似た、薄い唇。
目を閉じて、静かに重ねた。
柔らかい。
とく、と自分の心音を感じて。
君の唇から離れる。
肩に添えた右手も離した。
距離を取って、様子を伺う。
まだ眼を瞑っている。
止まっていた自分の呼吸。
枕から左肘を外す。
再び枕に頭を乗せた。
目に映る暗い天井。
横髪を手で梳く。
指の間を流れる髪。
毛布を引き寄せる。
君に背を向けた。
唇に毛布が触れている。
とくとく、鳴り止まない心音。
目を閉じても。
まだ。
どうかしている。
fin
そのノイズで、重い瞼が物憂げに開いていく。
最初に映ったのは暗い色をした壁だった。
アンリは自分のベッドに居た。
憂鬱な雨音が耳に付く。
好きな音ではない。
ふと隣を見ると、紳士の寝顔があった。
神秘学の特別講師。
彼が同じ毛布の中に居る。
もう、珍しいことではなかった。
君を拒まずにいる理由は、自分にも説明できないでいた。
解らない。
すぐ傍にある顔を虚ろに眺める。
君はこちら側を向いている。
そう言えば、寝顔はあまり見たことがなかった。
自分は酷く朝に弱い。
大抵、講師の方が先に目覚めている。
君と眠った時は、彼の声で朝を告げられる。
戯れに口付けで起こされることもあった。
講義中は先生の顔をしている。
髪は後ろに撫で付け、首許にはクロスタイをしている。
今は前髪を降ろし、開いた立襟からは鎖骨が覗いている。
声は、昼も夜も理屈っぽい。
この唇から紡がれる。
神秘学の知識も、僕の名前も、甘い口付けも。
自分から唇を寄せたことはなかった。
優しい言葉も、蕩ける愛撫も。
いつも君にされるままで。
この性格では、何もできなかった。
君は今眠っている。
枕の上に左の肘を突く。
もそりと僅かに上体を起こす。
肩から毛布が滑る。
夜の空気に晒される素肌。
毛布のぬくみを失って、肌寒い。
君の様子を伺う。
眉ひとつ動かさない。
穏やかな寝息。
数センチ、彼に近付く。
自分の横髪に頬を撫でられた。
右手で静かに耳に掛ける。
囁く程度の声で呼んだ。
「オーギュ」
講師の目は開かない。
毛布の上から、彼の肩に右手を添える。
体重を掛けないように、そっと。
君との距離を縮めていく。
外では物悲しい旋律が続いている。
夜の雨は嫌い。
好きじゃない。
ずっと年の離れた男性。
自分より優秀な。
父に似た、薄い唇。
目を閉じて、静かに重ねた。
柔らかい。
とく、と自分の心音を感じて。
君の唇から離れる。
肩に添えた右手も離した。
距離を取って、様子を伺う。
まだ眼を瞑っている。
止まっていた自分の呼吸。
枕から左肘を外す。
再び枕に頭を乗せた。
目に映る暗い天井。
横髪を手で梳く。
指の間を流れる髪。
毛布を引き寄せる。
君に背を向けた。
唇に毛布が触れている。
とくとく、鳴り止まない心音。
目を閉じても。
まだ。
どうかしている。
fin
■テオ×クラウス
「どうだろう、私の説明で解ったかい?」
夕食後のシュヌーシア寮サロン。
いつものように中等部も高等部も混ざって談笑している。
高等部二年のテオ・メネシスは中等部一年の宿題を手伝っていた。
「うん。解った! ありがとう、テオ」
笑顔を見せたのはラビット。
「俺、わかんねえ」
隣では同い年のレオンが不貞腐れていた。
髪には『神様が掛けてくれた』緩いパーマがかかっており、
毛先はあちこちに跳ねている。色はラビより少し明るい茶色。
クラウスとも渡り合おうとする勝ち気な子だ。
「レオン、僕が教えてあげる」
今度はラビットが先生役となり、もう一度問題の解説をした。
中等部の数学なのだが、テオもやっと答えられるほど難しいものだった。
こんな時、ヤンが居てくれたら、とテオは密かに思う。
ヤン・ハシェク。シュヌーシア寮の卒業生だ。
テオが中等部二年の時に生徒代表だった。
少し風変わりな雰囲気を持つ人だったけれど、寮生は皆、彼を慕っていた。
数学の天才で、このサロンでもよく下級生の数学を看てくれていた。
テオも彼に教わったことがあった。
あれから三年過ぎて、今は教える立場になっている。
ああ、自分も上級生になったのだな、と感じる瞬間だった。
そう言えば、ヤンも同じようなことを言っていた気がする。
彼がテオの教科書を見ながら、ぼうっとしていたので、
「ヤン? ヤンでもこの問題、解らないの?」
と不安になって尋ねたことがある。すると、ヤンはふわりと微笑んだ。
「あ、ううん。なんか、僕も上級生になったんだなあ、って思って」
その時、自分は首を傾げた筈だ。
(何を言っているんだろう、この上級生は)と不思議に感じた。
メネシスの子息は中等部一年からこの学院に入る。
テオにとってヤンは、出会った時から上級生だった。
彼にも下級生だった頃があるのは理屈的には解っているが、
実感を伴う理解ではなかった。
それが今になってやっと彼の言っていた意味が解った気がする。
私はいつのまに上級生になってしまったのだろう。
「あー。なんだ。そういうことかよー。
だったら最初からそう言ってくれよなー」
「テオも最初からそう言ってたよ」
レオンが笑顔になっていた。ラビット先生のおかげで解決したらしい。
「あれ。テオ、どうしたの?」
「なんだか私も上級生になったのだなあと思っていたのだよ」
中等部一年は「変なのー」「テオ、お年寄りみたいー」と笑っていた。
テオも穏やかな笑顔を見せた。
「二人とも宿題お疲れさま。祝杯に『青い月』はどうかな?」
「飲むー!」
一年生の手が二つ上がった。
『青い月』はラベンダー蜂蜜入りのホットミルク。
この蜜はラベンダー畑に置かれた蜂箱から採取される。
それをホットミルクに入れて飲むとよく眠れる。
ラビットはテオからカップを受け取った。
入学直後、なかなか寝付けなかったラビットにテオが作ってくれた。
以来、好きになった飲み物だった。ふう、と冷ましながら飲む。
蜂がラベンダーから集めた蜜は、仄かに花の香りがする。
ずっと昔からシュヌーシアの眠れない夜をあたためてくれるドリンクだった。
レオンは猫舌だと知っているテオは、少し温めのミルクで作ったものを渡した。
それをぐびぐびと飲み、白い口許のまま言う。
「あー! 宿題が終わった後の一杯は最高だなっ!」
周囲から忍び笑いが聞こえた。
パタン、と木の音がした。
掛け時計の小窓から可愛いナイチンゲールが九回出てくる。
これはテオ特注の鳩時計 アルフォンソヴァージョン。
校章に描かれた鳥と同じように、くちばしには月桂樹の枝を銜えている。
テオは卒業してもこの時計は持って帰らず、サロンに寄贈しようと思っていた。
21時を告げる時計を見ながら、テオは帰ってこない友人を嘆いた。
「遅いねえ、クラウス。まだ生徒代表室に居るのかな」
青い月を飲み干したレオンが、あのさ、と話し出す。
「テオ、テオー。俺、前から聞いてみたかったんだけどさ」
「なあに?」
「テオとクラウスってさ、なんでそんな仲良いの? なんかキッカケとかあった?」
レオンの発言で、サロンの空気が変化した。
上級生達が口許を隠して、にやにやしている。
その可笑しな様子に一年生達は首を傾げる。テオの笑顔も何故か増して見えた。
「そうか。レオンは今年入ったばかりだから知らないのだね。
きっかけはやはり、初めて会った時になるかな」
「何それ。どんな出会い方したんだよ?」
テオは微笑んで言った。
「私ね、クラウスに初めて出会った瞬間に唇を奪われてしまったのだよ」
「ええっ!?」と一年生コンビが声を揃えた。
ラビは思わずテオの唇を見てしまう。
「テオ、キスされたの?」
「てゆうか、したのがクラウスかよ?」
「うん。みんなもその瞬間を見ているんだ。ね?」
上級生達は笑いながらも肯定した。
後輩は先輩達の言葉を信じられない。レオンは上級生に指を差す。
「あ、あんたら、俺達をからかってんだろ! 騙されないからなっ!」
テオと同学年の生徒が笑う。
「騙してはいないさ。テオの言ってることは事実だ。
俺達もその現場を見てる。なあ?」
数名の上級生が苦笑交じりに同意する。
「じゃあ、なんでそんな笑ってんだよ!」
「煩いぞ、レオン。お前の声は廊下まで響く」
サロンのドアを開けたのはクラウスだった。入ってきた早々に小言を言う。
「今日は風邪で寝ている奴も居るんだからもう少し静かに…」
小言を無視し、レオンが叫ぶ。
「なあ! あんた、入学初日にテオにキスしたってマジ?」
あまりに唐突で直球の質問にクラウスがたじろぐ。
「そ、それは…」
「マジなのかよ!?」
「バカ! あれは人工呼吸だ! き、キスなど誰がするか!」
ラビットはほっとした様子でへなへなと座り込む。
「なあんだ…」
レオンは生徒代表を不敵に見上げる。
「ってことは、ホントにクラウスからキスしたんだ?」
「だから、人工呼吸だと言っているだろう。
おい、テオ! なんでよりによってその話をこいつに」
「聞きたいのだって」
「もう広めるなと言っただろう」
「おや、クラウス。下級生に教えてと言われたら、
快く説明するのが我がシュヌーシアの良き伝統じゃないか。
それに、好奇心は学問の基本、だろう?」
学院の基本理念を盾にされ、クラウスが一瞬黙る。
テオは笑顔で二人の記念すべき1ページ目を語り出す。
「では私が話すね。そう、あれは二年前、海が綺麗な朝のことでした」
その声を聞き、苦い顔のクラウスもまたあの夏の日を思い出した。
気持ち良く晴れた日曜日。
クラウスは聖アルフォンソ島に降り立った。
生真面目な彼は集合時間より早く到着する性質だった。
この日は特に早かった。
学院に向かう前に、辺境の島を散策しようと決めていたからだ。
街で自転車を借りて、島を見て回った。
少し走り出すと、風の匂いがドイツとまるで違うことに気付いた。
潮風だ。朝の光を浴びた綺麗な海が見える。
輝く水面を眺めながら、トライアスロンができそうだなと思った。
孤島にそんな大会などないだろうが、一度はあの海で泳いでみたいものだ。
島に来るまで自分を覆っていた緊張や警戒心が薄まっていく。
久し振りに海を見たせいか、珍しく開放的な気分で海岸沿いを走行していた。
いつも身に付けている腕時計を確認する。
そろそろ引き返して、学院へ向かおうと思った矢先。
海岸に人だかりが出来ていた。クラウスと同年代に見えた。
様子が可笑しい。砂浜に倒れている奴を囲んでいる。
自転車を置いて、その場へ駆け出した。
クラウスが「おい、どうした」と尋ねると、一人が事情を説明した。
溺れた友達を引き揚げたが意識がなく、息をしていないと。
少年達はうろたえるばかりで、全く冷静ではなかった。
倒れていたのは黄金の髪を持つ少年。心肺停止になったのがテオだった。
この日テオは寮の皆を連れて、海へ遊びに来ていた。
すると、沖合で子どもが溺れていた。
海運王の子息であり、泳ぎには自信があったテオが「私が行く」と沖に向かう。
パニック状態の子に掴まれて、テオも溺れてしまった。
なんとか皆に砂浜まで引き揚げて貰った時、子どもは助かったが、
テオの方が多く水を飲んでしまい、意識を失っていた。
テオはこの日を境にライフセービングについて、
きちんと学ぼうと決意することになる。
一方クラウスは、軍人の家系に生まれ、軍事訓練も積んでいた。
人工呼吸法も当然知っていたが実際の現場で使用したことはなかった。
だが、迷っている時間はない。心肺停止状態では1分1秒が命取りになる。
「俺が人工呼吸をする。退いてくれ」
意識を失ったテオを前に座る。
その時、クラウスは冷静に対処することができた。
習った通り、意識確認、気道確保と手順を正確に再現する。
鼻を押さえ、唇で唇を覆い、息を吹き込む。
それはクラウスの生真面目さが人の命を救った瞬間だった。
テオが目を覚ました時、目の前に見知らぬ青年が居た。
凛々しい顔立ちに短髪。そして彼に唇を奪われている。
意識を取り戻してから数秒の間、テオはそのまま動けず、目をぱちくりしていた。
クラウスがテオの目が開いているのに気付き、唇を離す。
ほっとして笑顔を見せた。
「良かった。気が付いたようだな」
その心からの微笑は、テオが見惚れるほどだった。
周りの寮生達が、わっと駆け寄る。次々と声を掛けられる。
テオは状況がよく飲み込めていないまま、友人達に尋ねた。
「私は…白雪姫にでもなったのかい?」
寮生達が吹き出す中、クラウス一人が真面目に心配した。
「おい、こいつ、頭も打っているんじゃないか?」
寮生の一人が腹を抱えながら否定する。
「いや。大丈夫。意識はハッキリしてるみたいだ」
笑いと安堵で皆の肩の力が抜けた。
すると、クラウスは学院への到着予定時間が迫っていることに気付く。
皆に感謝の言葉を言う暇も与えず、自転車に乗り、行ってしまった。
テオは彼の名前も聞かなかったと後悔した。
学院に着いたクラウスはキャンパスを案内されていた。
当時の生徒代表はジブリール。黒髪で威圧的な目付き。
クラウスは臆することなく、彼の後に続いていた。
月桂樹の森を出たところで、その前にある寮から出てくる生徒と目が合った。
背丈が低い。クラウスより年下らしかった。
ジブリールは少年の方へ歩いていく。
「ひと月振りだな、アンリ。何か不都合なことはないか?」
「あるよ?」横髪に指を通す。宵闇の髪に白い指が映える。
「まだ周りが騒がしいんだよね、何とかしてくれないかな?」
クラウスは驚いた。
年少者が最高学年に生意気な態度を取るとは予想もできなかった。
年長者には礼節を持って接するのが当然だと思っていたからだ。
生徒代表は叱るどころか、むしろ軽く笑っていた。
「それは俺の力ではどうにもならん。お前が顔を変えるんだな」
むくれた少年を放って、ジブリールはクラウスに向き直る。
「クラウス、一応、紹介しておこう。君の少し前に入ったアンリだ。
中等部一年、寮は此処、ウーティスだ。
アンリ、彼は新入生のクラウス。シュヌーシアの高等部一年だ」
クラウスは少年の姿を見る。髪は肩まであり、女みたいな顔をしていたが、
学院には男しか入れない筈なので、これでも男なのかと思った。
その瞬間、少年に睨まれた。琥珀の瞳。色は綺麗だが、眼差しが冷たい。
「Le Pape. 規律の遵守」
自分より三つ下とは思えない冷笑だった。
「…何?」
質問には答えず、白く細い手を差し出す。
「僕はアンリ=ユーグ=ド=サン・ジェルマン」
手を出されて、仕方なく同じ動作をする。
「クラウス・フォン・モールだ」
握り返した手はびくりとするほど冷たかった。
少年は、改めて足から頭までクラウスを眺め見た。
目上に対して失礼にも程がある。
軍では許されない言動が続き、頭の中で警笛が鳴りっぱなしだ。
此処にはこんなのが、うじゃうじゃいるのかと思うと頭痛がしそうだった。
クラウスの観察が終わったらしい少年が、ねえ? と小首を傾げる。
無礼な割りに、ちょっとした動作は優雅だった。
「君、もしかして、チェスが得意じゃない?」
クラウスは心を読まれたかのような錯覚に陥る。
「何故、そう思った?」
「ん。なんとなく、そんな顔してるから。違ったかな?」
チェスは軍の指揮に役立つと言われ、幼い頃から嗜んでいた。
現在は上級者レベルと言っていい。
しかし、この失礼な少年に、お前の言う通りだと答えるのは悔しい気がした。
「チェスは嫌いではないが…」
「僕も嫌いじゃないよ。じゃ、いつか僕の遊び相手になってね」
少年が去っていく。その華奢な背を見ながら、ジブリールはふっと笑った。
「珍しい。どうやら気に入られたようだな、クラウス?」
「そうですか?」
「気に入らない奴には話し掛けないからな、あいつは」
「俺は、彼の言っていることがよく解りませんでした」
「奴が最初に言ったのはフランス語で『教皇』だ。
おそらくタロットの一枚を指しているんだろう」
「タロット? あの、占いに使うカードですか?」
「ああ。オカルティズムに興味があるそうだ。あの錬金術師の末裔は」
「そんなのも居るんですか、此処には」
「あいつは此処でも特例だがな。さて、次の場所を案内しよう」
クラウスは現実主義で非科学的なオカルトの類は苦手だった。
あの少年にはあまり関わりたくない、という最悪の第一印象を持った。
その夜。シュヌーシア寮。
夕食の席で寮の最高学年が言った。
「それじゃ、みんな。お待ちかねの新入生を紹介するね。クラウス、入って」
「はい」
制服をぴしりと身に付けた新入生が現れた。
その顔を見て、テオ達は一斉に騒ぎ出した。食堂は再会の喜びに溢れる。
事情を知らない生徒や最高学年はすっかり取り残されていた。
彼等に海での一件を伝えると、クラウスとテオへ交互に視線が集まった。
場がやっと落ち着いたところで、最高学年が改めて本題に入る。
「えっと、じゃあ、クラウス、自己紹介を頼めるかな?」
生真面目に起立したまま挨拶した。
「高等部第一学年、クラウス・フォン・モールです。よろしくお願いします」
かなり畏まった台詞にきびきびとした動作。
聞く前から軍人の家柄かなと予想が付くものだった。
テオは、口の中で新入生の名前を復唱していた。その名をしっかり刻み込むように。
寮生達も一人一人、自己紹介をしたのだが、自分の紹介よりも、
寮の人気者を救ってくれたことへの感謝や尊敬の言葉が続いた。
いよいよテオの番になった。
「先程は本当にありがとう。私の名はテオ・メネシス。
貴方にまた会えて…しかも同じ寮だなんて。ああ、これこそ『共にある奇蹟』だ」
シュヌーシア、この寮の名前はギリシャ語で『共にある奇蹟』を意味する。
他の生徒達はそうだなと頷いていたが、新入生は理解するのが一歩遅れた。
学院案内での生徒代表の説明を思い出し、そういう意味かと納得する。
テオは感激で高なる胸を抑えつつ、自己紹介を続ける。
「私の年は貴方より一つ下、中等部三年だよ。
此処には一年の頃から居るから、学院や島のことは何でも聞いておくれ?
ねえ、クラウス…ああ、素晴らしい名前だ。なんという響きの良い名前なのだろう」
やはり感激を抑えられず、常のように思ったまま言葉を紡ぐ。
「すまない。早速なのだけど、ひとつ質問をしても良いかな?」
「ああ」
「クラウスは運命を信じるかい?」
信じない方だったのだが、質問されたのに、答える暇が与えられなかった。
「私は今信じたよ。きっとこれからの日々は、より楽しいものになる。
そうだ。感謝と歓迎を込めて盛大なパーティをしなくては!」
それからというもの、テオは命の恩人への謝意から、
興味を持って積極的に接するようになる。
クラウスもまた律儀な性格ゆえに眉間に皺を寄せながらも相手をしていた。
そんな光景を見た寮生達からは「キスした二人」として何かとセット扱いされる。
クラウスは嫌そうだったが、テオはむしろ嬉しそうに乗っかっていた。
戯れにクラウスに甘言を重ね、言葉遊びを楽しんでいた。
クラウスは毎回、仏頂面で「調子に乗るな」などと文句を言うのだが、
何処となく照れて耳が赤くなる様子が可笑しくて、
周囲は余計にクラウスとテオをセットにしたがった。
「クラウス。どうした、疲れているのか?」
入学から二週間程経った放課後。寮へと向かう途中、呼び止められた。
黒髪の生徒代表だ。先輩に対して、反射的に態度が改まる。
「いえ、平気です。こんにちは、ジブリール」
「少しは慣れたか?」
クラウスはすぐに返事できなかった。
生徒代表の猛禽類の眼が新入生の表情を読み取る。
「祖国の暮らしとは勝手が違い過ぎるか」
新入生は素直に頷く。
「慣れるにはもう少し時間が掛かりそうです」
「焦る必要はない。此処には時間がある」
生徒代表はポケットに手を入れる。青空を見つめながら言った。
「クラウス。君は、この学院で少し肩の力を抜くことを覚えるといい」
衝撃的な言葉だった。これまでは前へ先へと言われ続けてきた。
休め、などと言われたことがあっただろうか。
戸惑いの余り、声を失っていた。
「シュヌーシアに、テオという煩いのが居ただろう?」
「え、はい」
「あれを少し見習ってみるといい。
テオは生まれながらに、ゆっくりと過ごす術を知っている。
君のようなタイプには良い手本になるだろう」
「テオが?」
どちらかと言うと苦手な人物だった。
少し話してみて解ったが、あれは自分と違い過ぎる。
同じところを探す方が困難なくらいだ。
その日もまた、クラウスはテオに構われていた。
サロンで新聞を読むクラウスの隣にテオが座る。
「ね、クラウス。貴方の趣味は何なの?」
笑顔を一瞥し、新聞を置く。
「そうだな、トライアスロンとか」
テオは、おお、と歓声を上げる。
「それはまた面白いことを言うのだねえ、クラウスは。
うちの寮には今まで居なかったよ、それほど過酷な趣味を持つ人は」
「そんなに珍しいか?」
「うん。我がシュヌーシア寮は身体の弱い生徒が多いからね。
でも、成程。スポーツマンなのだね、クラウスは。
だからこれほど美しい身体を持っているのか」
「美しいなどと…男に言う言葉か」
「おや。気を悪くさせてしまったかい? すまない。
私は見たままを述べたつもりなのだけれどね。
では、クラウス。近々トライアスロン大会に出場してみるかい?」
「この島にあるのか、そんな大会が」
「此処は聖アルフォンソ島だよ、クラウス」
テオは少年のようにイタズラな笑みを見せる。
「どんな大会でも開催できる島なのだよ、貴方がそれを望むのならね?」
それから二週間後。
横断幕には『第一回 聖アルフォンソ島トライアスロン』とある。
海岸には選手と大勢の観客が集まっている。
クラウスも選手として参加していた。
足首や手首を回し、入念に準備体操をしている。
「主催者より開会の言葉です」
司会者に紹介されて壇上に登った人物。クラウスは壇上を呆然と見上げた。
「選手の皆さん、太陽の下、海と陸を駆ける姿、楽しみにしています!」
にこりと笑ったのはテオだった。右手のピストルを空高く掲げる。
「では位置に着いて、よーい!」
破裂音と共に選手が海へ駆け出す。
其処はテオとクラウスが初めて会った海だった。
「…というわけなのだよ、私達の馴れ初めは」
テオは二人の思い出話を終始楽しく語った。
「おい。馴れ初めって言うな」
しかめっ面で聞いていたクラウスの耳がほんのり赤い。
一年生のレオンがこれ見よがしにからかう。
「じゃーさー、クラウスのファーストキスは、海の味がしたんだ?」
「なっ…」
頬に赤みが差すクラウスを見てテオが、えっ、と驚く。
「クラウス! 私が初めてだったのかい?」
「えっ、お前は違うのか?」
驚いたクラウスを見て、サロンがざわつく。
テオはメネシスの家を思い浮かべていた。
「私は家族だと思うな、ファーストは。それで、クラウス」
人差し指で自分の唇に触れてみせる。微笑を浮かべ、首を傾けた。
「私の唇は、海の味がした?」
クラウスはそっぽを向く。
あまり思い出したくない場面が甦ってくる。耳は真っ赤だ。
「お、覚えているわけないだろう、そんなこと!」
寮生達の楽しそうな視線に耐え切れず、クラウスは席を立つ。
「部屋に戻る。そろそろ就寝時間だ。お前等ももう寝ろよ」
はーい、と笑顔の皆はとても良い返事をした。
自室に戻ったテオは、ベッドに入る前に机に向かった。
勉強しているのではない。取り出したのは日記帳だ。
今し方の楽しい時間を書き留めながら、二年前のことを思い出していた。
テオにとって生真面目なクラウスは非常に刺激的な人間だった。
自分とはまるで違う環境に生まれ育ち、性格も趣向も何もかも異なる人。
命の恩人ということを別にしても、クラウス本来の魅力がひとつひとつ解っていく。
テオ自身も気付かないうちに、自分の中で貴方という存在が大きくなっていた。
けれど、月日を重ねるうちに貴方が大切になっていったのではなく、
海辺で唇を奪われた時、心も共に奪われたのかもしれない。
クラウスとあの綺麗な海で出会うことは、初めから決まっていたのではないか。
今ではそう思えてならない。
いつしか、クラウスと共にある時間を夢のように感じていた。
寮のサロンで貴方と珈琲を飲むこと、ただそれだけでも幸福だった。
いつかこの夢から覚めたらどうしたらいいのだろうと思っている自分に出会う。
日々の楽しかったことを綴る日記には、あちこちに貴方の名前があった。
日記は父上に勧められて、書き始めたものだ。父上もこの学院の卒業生。
入学前、彼の古びた日記帳を見せて貰ったことがある。そして父は言った。
卒業までに綴った言葉は、全てお前の宝石になるだろう、と。
父の言った真意がこの頃になって徐々に解り始めた。
彼が時折、日記帳を読んで悲しげな顔をしていた理由も。
ぱらり、とページを繰る。聖アルフォンソ島でのささやかな日常。
きっとこれらひとつひとつが宝石なのだろうとテオは感じた。
寝る前に、今日楽しかったことを綴る。
それは苦痛を伴う娯楽だった。
この先に残された、真っ白なページ。
一枚一枚消えていくのが、目に見えて解った。
fin
夕食後のシュヌーシア寮サロン。
いつものように中等部も高等部も混ざって談笑している。
高等部二年のテオ・メネシスは中等部一年の宿題を手伝っていた。
「うん。解った! ありがとう、テオ」
笑顔を見せたのはラビット。
「俺、わかんねえ」
隣では同い年のレオンが不貞腐れていた。
髪には『神様が掛けてくれた』緩いパーマがかかっており、
毛先はあちこちに跳ねている。色はラビより少し明るい茶色。
クラウスとも渡り合おうとする勝ち気な子だ。
「レオン、僕が教えてあげる」
今度はラビットが先生役となり、もう一度問題の解説をした。
中等部の数学なのだが、テオもやっと答えられるほど難しいものだった。
こんな時、ヤンが居てくれたら、とテオは密かに思う。
ヤン・ハシェク。シュヌーシア寮の卒業生だ。
テオが中等部二年の時に生徒代表だった。
少し風変わりな雰囲気を持つ人だったけれど、寮生は皆、彼を慕っていた。
数学の天才で、このサロンでもよく下級生の数学を看てくれていた。
テオも彼に教わったことがあった。
あれから三年過ぎて、今は教える立場になっている。
ああ、自分も上級生になったのだな、と感じる瞬間だった。
そう言えば、ヤンも同じようなことを言っていた気がする。
彼がテオの教科書を見ながら、ぼうっとしていたので、
「ヤン? ヤンでもこの問題、解らないの?」
と不安になって尋ねたことがある。すると、ヤンはふわりと微笑んだ。
「あ、ううん。なんか、僕も上級生になったんだなあ、って思って」
その時、自分は首を傾げた筈だ。
(何を言っているんだろう、この上級生は)と不思議に感じた。
メネシスの子息は中等部一年からこの学院に入る。
テオにとってヤンは、出会った時から上級生だった。
彼にも下級生だった頃があるのは理屈的には解っているが、
実感を伴う理解ではなかった。
それが今になってやっと彼の言っていた意味が解った気がする。
私はいつのまに上級生になってしまったのだろう。
「あー。なんだ。そういうことかよー。
だったら最初からそう言ってくれよなー」
「テオも最初からそう言ってたよ」
レオンが笑顔になっていた。ラビット先生のおかげで解決したらしい。
「あれ。テオ、どうしたの?」
「なんだか私も上級生になったのだなあと思っていたのだよ」
中等部一年は「変なのー」「テオ、お年寄りみたいー」と笑っていた。
テオも穏やかな笑顔を見せた。
「二人とも宿題お疲れさま。祝杯に『青い月』はどうかな?」
「飲むー!」
一年生の手が二つ上がった。
『青い月』はラベンダー蜂蜜入りのホットミルク。
この蜜はラベンダー畑に置かれた蜂箱から採取される。
それをホットミルクに入れて飲むとよく眠れる。
ラビットはテオからカップを受け取った。
入学直後、なかなか寝付けなかったラビットにテオが作ってくれた。
以来、好きになった飲み物だった。ふう、と冷ましながら飲む。
蜂がラベンダーから集めた蜜は、仄かに花の香りがする。
ずっと昔からシュヌーシアの眠れない夜をあたためてくれるドリンクだった。
レオンは猫舌だと知っているテオは、少し温めのミルクで作ったものを渡した。
それをぐびぐびと飲み、白い口許のまま言う。
「あー! 宿題が終わった後の一杯は最高だなっ!」
周囲から忍び笑いが聞こえた。
パタン、と木の音がした。
掛け時計の小窓から可愛いナイチンゲールが九回出てくる。
これはテオ特注の鳩時計 アルフォンソヴァージョン。
校章に描かれた鳥と同じように、くちばしには月桂樹の枝を銜えている。
テオは卒業してもこの時計は持って帰らず、サロンに寄贈しようと思っていた。
21時を告げる時計を見ながら、テオは帰ってこない友人を嘆いた。
「遅いねえ、クラウス。まだ生徒代表室に居るのかな」
青い月を飲み干したレオンが、あのさ、と話し出す。
「テオ、テオー。俺、前から聞いてみたかったんだけどさ」
「なあに?」
「テオとクラウスってさ、なんでそんな仲良いの? なんかキッカケとかあった?」
レオンの発言で、サロンの空気が変化した。
上級生達が口許を隠して、にやにやしている。
その可笑しな様子に一年生達は首を傾げる。テオの笑顔も何故か増して見えた。
「そうか。レオンは今年入ったばかりだから知らないのだね。
きっかけはやはり、初めて会った時になるかな」
「何それ。どんな出会い方したんだよ?」
テオは微笑んで言った。
「私ね、クラウスに初めて出会った瞬間に唇を奪われてしまったのだよ」
「ええっ!?」と一年生コンビが声を揃えた。
ラビは思わずテオの唇を見てしまう。
「テオ、キスされたの?」
「てゆうか、したのがクラウスかよ?」
「うん。みんなもその瞬間を見ているんだ。ね?」
上級生達は笑いながらも肯定した。
後輩は先輩達の言葉を信じられない。レオンは上級生に指を差す。
「あ、あんたら、俺達をからかってんだろ! 騙されないからなっ!」
テオと同学年の生徒が笑う。
「騙してはいないさ。テオの言ってることは事実だ。
俺達もその現場を見てる。なあ?」
数名の上級生が苦笑交じりに同意する。
「じゃあ、なんでそんな笑ってんだよ!」
「煩いぞ、レオン。お前の声は廊下まで響く」
サロンのドアを開けたのはクラウスだった。入ってきた早々に小言を言う。
「今日は風邪で寝ている奴も居るんだからもう少し静かに…」
小言を無視し、レオンが叫ぶ。
「なあ! あんた、入学初日にテオにキスしたってマジ?」
あまりに唐突で直球の質問にクラウスがたじろぐ。
「そ、それは…」
「マジなのかよ!?」
「バカ! あれは人工呼吸だ! き、キスなど誰がするか!」
ラビットはほっとした様子でへなへなと座り込む。
「なあんだ…」
レオンは生徒代表を不敵に見上げる。
「ってことは、ホントにクラウスからキスしたんだ?」
「だから、人工呼吸だと言っているだろう。
おい、テオ! なんでよりによってその話をこいつに」
「聞きたいのだって」
「もう広めるなと言っただろう」
「おや、クラウス。下級生に教えてと言われたら、
快く説明するのが我がシュヌーシアの良き伝統じゃないか。
それに、好奇心は学問の基本、だろう?」
学院の基本理念を盾にされ、クラウスが一瞬黙る。
テオは笑顔で二人の記念すべき1ページ目を語り出す。
「では私が話すね。そう、あれは二年前、海が綺麗な朝のことでした」
その声を聞き、苦い顔のクラウスもまたあの夏の日を思い出した。
気持ち良く晴れた日曜日。
クラウスは聖アルフォンソ島に降り立った。
生真面目な彼は集合時間より早く到着する性質だった。
この日は特に早かった。
学院に向かう前に、辺境の島を散策しようと決めていたからだ。
街で自転車を借りて、島を見て回った。
少し走り出すと、風の匂いがドイツとまるで違うことに気付いた。
潮風だ。朝の光を浴びた綺麗な海が見える。
輝く水面を眺めながら、トライアスロンができそうだなと思った。
孤島にそんな大会などないだろうが、一度はあの海で泳いでみたいものだ。
島に来るまで自分を覆っていた緊張や警戒心が薄まっていく。
久し振りに海を見たせいか、珍しく開放的な気分で海岸沿いを走行していた。
いつも身に付けている腕時計を確認する。
そろそろ引き返して、学院へ向かおうと思った矢先。
海岸に人だかりが出来ていた。クラウスと同年代に見えた。
様子が可笑しい。砂浜に倒れている奴を囲んでいる。
自転車を置いて、その場へ駆け出した。
クラウスが「おい、どうした」と尋ねると、一人が事情を説明した。
溺れた友達を引き揚げたが意識がなく、息をしていないと。
少年達はうろたえるばかりで、全く冷静ではなかった。
倒れていたのは黄金の髪を持つ少年。心肺停止になったのがテオだった。
この日テオは寮の皆を連れて、海へ遊びに来ていた。
すると、沖合で子どもが溺れていた。
海運王の子息であり、泳ぎには自信があったテオが「私が行く」と沖に向かう。
パニック状態の子に掴まれて、テオも溺れてしまった。
なんとか皆に砂浜まで引き揚げて貰った時、子どもは助かったが、
テオの方が多く水を飲んでしまい、意識を失っていた。
テオはこの日を境にライフセービングについて、
きちんと学ぼうと決意することになる。
一方クラウスは、軍人の家系に生まれ、軍事訓練も積んでいた。
人工呼吸法も当然知っていたが実際の現場で使用したことはなかった。
だが、迷っている時間はない。心肺停止状態では1分1秒が命取りになる。
「俺が人工呼吸をする。退いてくれ」
意識を失ったテオを前に座る。
その時、クラウスは冷静に対処することができた。
習った通り、意識確認、気道確保と手順を正確に再現する。
鼻を押さえ、唇で唇を覆い、息を吹き込む。
それはクラウスの生真面目さが人の命を救った瞬間だった。
テオが目を覚ました時、目の前に見知らぬ青年が居た。
凛々しい顔立ちに短髪。そして彼に唇を奪われている。
意識を取り戻してから数秒の間、テオはそのまま動けず、目をぱちくりしていた。
クラウスがテオの目が開いているのに気付き、唇を離す。
ほっとして笑顔を見せた。
「良かった。気が付いたようだな」
その心からの微笑は、テオが見惚れるほどだった。
周りの寮生達が、わっと駆け寄る。次々と声を掛けられる。
テオは状況がよく飲み込めていないまま、友人達に尋ねた。
「私は…白雪姫にでもなったのかい?」
寮生達が吹き出す中、クラウス一人が真面目に心配した。
「おい、こいつ、頭も打っているんじゃないか?」
寮生の一人が腹を抱えながら否定する。
「いや。大丈夫。意識はハッキリしてるみたいだ」
笑いと安堵で皆の肩の力が抜けた。
すると、クラウスは学院への到着予定時間が迫っていることに気付く。
皆に感謝の言葉を言う暇も与えず、自転車に乗り、行ってしまった。
テオは彼の名前も聞かなかったと後悔した。
学院に着いたクラウスはキャンパスを案内されていた。
当時の生徒代表はジブリール。黒髪で威圧的な目付き。
クラウスは臆することなく、彼の後に続いていた。
月桂樹の森を出たところで、その前にある寮から出てくる生徒と目が合った。
背丈が低い。クラウスより年下らしかった。
ジブリールは少年の方へ歩いていく。
「ひと月振りだな、アンリ。何か不都合なことはないか?」
「あるよ?」横髪に指を通す。宵闇の髪に白い指が映える。
「まだ周りが騒がしいんだよね、何とかしてくれないかな?」
クラウスは驚いた。
年少者が最高学年に生意気な態度を取るとは予想もできなかった。
年長者には礼節を持って接するのが当然だと思っていたからだ。
生徒代表は叱るどころか、むしろ軽く笑っていた。
「それは俺の力ではどうにもならん。お前が顔を変えるんだな」
むくれた少年を放って、ジブリールはクラウスに向き直る。
「クラウス、一応、紹介しておこう。君の少し前に入ったアンリだ。
中等部一年、寮は此処、ウーティスだ。
アンリ、彼は新入生のクラウス。シュヌーシアの高等部一年だ」
クラウスは少年の姿を見る。髪は肩まであり、女みたいな顔をしていたが、
学院には男しか入れない筈なので、これでも男なのかと思った。
その瞬間、少年に睨まれた。琥珀の瞳。色は綺麗だが、眼差しが冷たい。
「Le Pape. 規律の遵守」
自分より三つ下とは思えない冷笑だった。
「…何?」
質問には答えず、白く細い手を差し出す。
「僕はアンリ=ユーグ=ド=サン・ジェルマン」
手を出されて、仕方なく同じ動作をする。
「クラウス・フォン・モールだ」
握り返した手はびくりとするほど冷たかった。
少年は、改めて足から頭までクラウスを眺め見た。
目上に対して失礼にも程がある。
軍では許されない言動が続き、頭の中で警笛が鳴りっぱなしだ。
此処にはこんなのが、うじゃうじゃいるのかと思うと頭痛がしそうだった。
クラウスの観察が終わったらしい少年が、ねえ? と小首を傾げる。
無礼な割りに、ちょっとした動作は優雅だった。
「君、もしかして、チェスが得意じゃない?」
クラウスは心を読まれたかのような錯覚に陥る。
「何故、そう思った?」
「ん。なんとなく、そんな顔してるから。違ったかな?」
チェスは軍の指揮に役立つと言われ、幼い頃から嗜んでいた。
現在は上級者レベルと言っていい。
しかし、この失礼な少年に、お前の言う通りだと答えるのは悔しい気がした。
「チェスは嫌いではないが…」
「僕も嫌いじゃないよ。じゃ、いつか僕の遊び相手になってね」
少年が去っていく。その華奢な背を見ながら、ジブリールはふっと笑った。
「珍しい。どうやら気に入られたようだな、クラウス?」
「そうですか?」
「気に入らない奴には話し掛けないからな、あいつは」
「俺は、彼の言っていることがよく解りませんでした」
「奴が最初に言ったのはフランス語で『教皇』だ。
おそらくタロットの一枚を指しているんだろう」
「タロット? あの、占いに使うカードですか?」
「ああ。オカルティズムに興味があるそうだ。あの錬金術師の末裔は」
「そんなのも居るんですか、此処には」
「あいつは此処でも特例だがな。さて、次の場所を案内しよう」
クラウスは現実主義で非科学的なオカルトの類は苦手だった。
あの少年にはあまり関わりたくない、という最悪の第一印象を持った。
その夜。シュヌーシア寮。
夕食の席で寮の最高学年が言った。
「それじゃ、みんな。お待ちかねの新入生を紹介するね。クラウス、入って」
「はい」
制服をぴしりと身に付けた新入生が現れた。
その顔を見て、テオ達は一斉に騒ぎ出した。食堂は再会の喜びに溢れる。
事情を知らない生徒や最高学年はすっかり取り残されていた。
彼等に海での一件を伝えると、クラウスとテオへ交互に視線が集まった。
場がやっと落ち着いたところで、最高学年が改めて本題に入る。
「えっと、じゃあ、クラウス、自己紹介を頼めるかな?」
生真面目に起立したまま挨拶した。
「高等部第一学年、クラウス・フォン・モールです。よろしくお願いします」
かなり畏まった台詞にきびきびとした動作。
聞く前から軍人の家柄かなと予想が付くものだった。
テオは、口の中で新入生の名前を復唱していた。その名をしっかり刻み込むように。
寮生達も一人一人、自己紹介をしたのだが、自分の紹介よりも、
寮の人気者を救ってくれたことへの感謝や尊敬の言葉が続いた。
いよいよテオの番になった。
「先程は本当にありがとう。私の名はテオ・メネシス。
貴方にまた会えて…しかも同じ寮だなんて。ああ、これこそ『共にある奇蹟』だ」
シュヌーシア、この寮の名前はギリシャ語で『共にある奇蹟』を意味する。
他の生徒達はそうだなと頷いていたが、新入生は理解するのが一歩遅れた。
学院案内での生徒代表の説明を思い出し、そういう意味かと納得する。
テオは感激で高なる胸を抑えつつ、自己紹介を続ける。
「私の年は貴方より一つ下、中等部三年だよ。
此処には一年の頃から居るから、学院や島のことは何でも聞いておくれ?
ねえ、クラウス…ああ、素晴らしい名前だ。なんという響きの良い名前なのだろう」
やはり感激を抑えられず、常のように思ったまま言葉を紡ぐ。
「すまない。早速なのだけど、ひとつ質問をしても良いかな?」
「ああ」
「クラウスは運命を信じるかい?」
信じない方だったのだが、質問されたのに、答える暇が与えられなかった。
「私は今信じたよ。きっとこれからの日々は、より楽しいものになる。
そうだ。感謝と歓迎を込めて盛大なパーティをしなくては!」
それからというもの、テオは命の恩人への謝意から、
興味を持って積極的に接するようになる。
クラウスもまた律儀な性格ゆえに眉間に皺を寄せながらも相手をしていた。
そんな光景を見た寮生達からは「キスした二人」として何かとセット扱いされる。
クラウスは嫌そうだったが、テオはむしろ嬉しそうに乗っかっていた。
戯れにクラウスに甘言を重ね、言葉遊びを楽しんでいた。
クラウスは毎回、仏頂面で「調子に乗るな」などと文句を言うのだが、
何処となく照れて耳が赤くなる様子が可笑しくて、
周囲は余計にクラウスとテオをセットにしたがった。
「クラウス。どうした、疲れているのか?」
入学から二週間程経った放課後。寮へと向かう途中、呼び止められた。
黒髪の生徒代表だ。先輩に対して、反射的に態度が改まる。
「いえ、平気です。こんにちは、ジブリール」
「少しは慣れたか?」
クラウスはすぐに返事できなかった。
生徒代表の猛禽類の眼が新入生の表情を読み取る。
「祖国の暮らしとは勝手が違い過ぎるか」
新入生は素直に頷く。
「慣れるにはもう少し時間が掛かりそうです」
「焦る必要はない。此処には時間がある」
生徒代表はポケットに手を入れる。青空を見つめながら言った。
「クラウス。君は、この学院で少し肩の力を抜くことを覚えるといい」
衝撃的な言葉だった。これまでは前へ先へと言われ続けてきた。
休め、などと言われたことがあっただろうか。
戸惑いの余り、声を失っていた。
「シュヌーシアに、テオという煩いのが居ただろう?」
「え、はい」
「あれを少し見習ってみるといい。
テオは生まれながらに、ゆっくりと過ごす術を知っている。
君のようなタイプには良い手本になるだろう」
「テオが?」
どちらかと言うと苦手な人物だった。
少し話してみて解ったが、あれは自分と違い過ぎる。
同じところを探す方が困難なくらいだ。
その日もまた、クラウスはテオに構われていた。
サロンで新聞を読むクラウスの隣にテオが座る。
「ね、クラウス。貴方の趣味は何なの?」
笑顔を一瞥し、新聞を置く。
「そうだな、トライアスロンとか」
テオは、おお、と歓声を上げる。
「それはまた面白いことを言うのだねえ、クラウスは。
うちの寮には今まで居なかったよ、それほど過酷な趣味を持つ人は」
「そんなに珍しいか?」
「うん。我がシュヌーシア寮は身体の弱い生徒が多いからね。
でも、成程。スポーツマンなのだね、クラウスは。
だからこれほど美しい身体を持っているのか」
「美しいなどと…男に言う言葉か」
「おや。気を悪くさせてしまったかい? すまない。
私は見たままを述べたつもりなのだけれどね。
では、クラウス。近々トライアスロン大会に出場してみるかい?」
「この島にあるのか、そんな大会が」
「此処は聖アルフォンソ島だよ、クラウス」
テオは少年のようにイタズラな笑みを見せる。
「どんな大会でも開催できる島なのだよ、貴方がそれを望むのならね?」
それから二週間後。
横断幕には『第一回 聖アルフォンソ島トライアスロン』とある。
海岸には選手と大勢の観客が集まっている。
クラウスも選手として参加していた。
足首や手首を回し、入念に準備体操をしている。
「主催者より開会の言葉です」
司会者に紹介されて壇上に登った人物。クラウスは壇上を呆然と見上げた。
「選手の皆さん、太陽の下、海と陸を駆ける姿、楽しみにしています!」
にこりと笑ったのはテオだった。右手のピストルを空高く掲げる。
「では位置に着いて、よーい!」
破裂音と共に選手が海へ駆け出す。
其処はテオとクラウスが初めて会った海だった。
「…というわけなのだよ、私達の馴れ初めは」
テオは二人の思い出話を終始楽しく語った。
「おい。馴れ初めって言うな」
しかめっ面で聞いていたクラウスの耳がほんのり赤い。
一年生のレオンがこれ見よがしにからかう。
「じゃーさー、クラウスのファーストキスは、海の味がしたんだ?」
「なっ…」
頬に赤みが差すクラウスを見てテオが、えっ、と驚く。
「クラウス! 私が初めてだったのかい?」
「えっ、お前は違うのか?」
驚いたクラウスを見て、サロンがざわつく。
テオはメネシスの家を思い浮かべていた。
「私は家族だと思うな、ファーストは。それで、クラウス」
人差し指で自分の唇に触れてみせる。微笑を浮かべ、首を傾けた。
「私の唇は、海の味がした?」
クラウスはそっぽを向く。
あまり思い出したくない場面が甦ってくる。耳は真っ赤だ。
「お、覚えているわけないだろう、そんなこと!」
寮生達の楽しそうな視線に耐え切れず、クラウスは席を立つ。
「部屋に戻る。そろそろ就寝時間だ。お前等ももう寝ろよ」
はーい、と笑顔の皆はとても良い返事をした。
自室に戻ったテオは、ベッドに入る前に机に向かった。
勉強しているのではない。取り出したのは日記帳だ。
今し方の楽しい時間を書き留めながら、二年前のことを思い出していた。
テオにとって生真面目なクラウスは非常に刺激的な人間だった。
自分とはまるで違う環境に生まれ育ち、性格も趣向も何もかも異なる人。
命の恩人ということを別にしても、クラウス本来の魅力がひとつひとつ解っていく。
テオ自身も気付かないうちに、自分の中で貴方という存在が大きくなっていた。
けれど、月日を重ねるうちに貴方が大切になっていったのではなく、
海辺で唇を奪われた時、心も共に奪われたのかもしれない。
クラウスとあの綺麗な海で出会うことは、初めから決まっていたのではないか。
今ではそう思えてならない。
いつしか、クラウスと共にある時間を夢のように感じていた。
寮のサロンで貴方と珈琲を飲むこと、ただそれだけでも幸福だった。
いつかこの夢から覚めたらどうしたらいいのだろうと思っている自分に出会う。
日々の楽しかったことを綴る日記には、あちこちに貴方の名前があった。
日記は父上に勧められて、書き始めたものだ。父上もこの学院の卒業生。
入学前、彼の古びた日記帳を見せて貰ったことがある。そして父は言った。
卒業までに綴った言葉は、全てお前の宝石になるだろう、と。
父の言った真意がこの頃になって徐々に解り始めた。
彼が時折、日記帳を読んで悲しげな顔をしていた理由も。
ぱらり、とページを繰る。聖アルフォンソ島でのささやかな日常。
きっとこれらひとつひとつが宝石なのだろうとテオは感じた。
寝る前に、今日楽しかったことを綴る。
それは苦痛を伴う娯楽だった。
この先に残された、真っ白なページ。
一枚一枚消えていくのが、目に見えて解った。
fin
■卒業後のヤン・ハシェク
「あ。昨日って、クリスマスだったんだ。気付かなかったなあ」
カレンダーの前で、ぼりぼりと頭を掻く。灰色の髪には艶がない。
暫く散髪していない髪は、もう肩を越えている。
彼は大学院で数学を研究している。年は23。ここ連日、研究に没頭していた為、神の誕生日も忘れていた。
紺色のカーディガンの上に白衣を纏っている。
白衣はあちこちチョークの粉に塗れ、とてもじゃないが綺麗とは言えない。
此処は彼個人の研究室。書類やらメモやらで、足の踏み場がない程、散らかっていた。
ただ、書物だけはきちんと整頓されて本棚に収まっていた。
彼の名はヤン・ハシェクという。聖アルフォンソ学院の卒業生だ。
かつて生徒代表をも務めた数学の天才なのだが、
数学以外の能力は年々落ちているようだった。猫背が更に丸くなる。
「ケーキ、食べたかったな、いちごの」
ヤンはいちごが好きだった。味や色がどうというよりは、
フルーツの中では珍しい円錐という形が気に入っていた。
眼鏡を直しながら、カレンダーを眺める。
2日前の日付を見つめて、灰色の瞳が瞬く。
「あ。12月24日って、あったかそうな数字だなあ」
黒板の前に移動して、チョークを持つ。
その指は持つ前から粉が付着している。
黒板にも昨日書き散らした数式がまだ残っていた。
大雑把に黒板消しで拭き取る。消し跡が残る上に数字を書いた。
1、2、3、4、6、12と迷いなく綴る。
それをひとつの大きな丸で囲んだ。
黒板から2歩下がって、改めて眺める。
何か踏んでしまって、ビリと音がしたが、今のヤンには聞こえない。
「24は12の倍数だから、12の約数は全部24の約数だもんね」
丸で囲んだ数字を見つめ、穏やかに笑う。
12の全てを包み込む24。24という数字にヤンは包容力を感じてしまった。
「いいなあ、12は。なんだか24は12のマフラーみたい」
生き生きと灰色の瞳が輝いていく。
「それに、2つとも高度合成数だ。12が4番目で、24が5番目だよね」
高度合成数とは、その数未満の数と比べて、約数の個数が最も多いものを指す。
ヤンの笑顔は、クリスマスプレゼントを貰った子どものようだった。
「すごいや、さすが聖夜だなあ」
暫くぽーっとしていると電話が鳴った。
ヤンの肩がびくっと跳ねる。音はすれど本体が見えない。
紙が山積みで固定電話が埋もれてしまっていた。
持ち主さえ何の紙なのか解らない物を掻き分けて、やっと電話を発掘する。
受話器を耳に当てると、「よっ、ヤン」と耳に馴染む声がした。
卒業後も親交のある友人の声だ。ヤンの声が僅かに明るくなった。
「あ、エド? うん、元気、僕は。エドは? そっか、良かった」
寮は違うものの同じ学年だった友人。名前はエドガー・ラッセル。
明るい金髪が良く似合う、頼りになる人だ。彼とは長い付き合いになる。
在学時から、何かと危なっかしいヤンの世話を焼いてくれた。
ヤンは友人のことを学生時代と同じようにエドと呼んでいた。
「久し振りだね、エド。今日はどうしたの? うん。あ、メリークリスマスでした」
ヤンは受話器を持ったまま軽く頭を下げる。
そのせいで眼鏡がずり落ちた。
空いている手で掛け直すと、フレームがチョークの粉で汚れた。
それはヤンには見えていなかった。
「え? うん。忘れてたけど、さっき気付いたとこ。
あっ、そうだ。イブってね、いい日だったんだよ。12、24って。あのね」
ちょっと待った、という友人の声に止められる。
今、そっち行くから待ってろと言われた。
エドガーは携帯電話で話していて、すぐそこまで来ているらしい。
手土産の内容を聞いてヤンは瞳を大きくした。
「ほ、ほんと? あの、それ、いちご乗ってるかな?」
fin
カレンダーの前で、ぼりぼりと頭を掻く。灰色の髪には艶がない。
暫く散髪していない髪は、もう肩を越えている。
彼は大学院で数学を研究している。年は23。ここ連日、研究に没頭していた為、神の誕生日も忘れていた。
紺色のカーディガンの上に白衣を纏っている。
白衣はあちこちチョークの粉に塗れ、とてもじゃないが綺麗とは言えない。
此処は彼個人の研究室。書類やらメモやらで、足の踏み場がない程、散らかっていた。
ただ、書物だけはきちんと整頓されて本棚に収まっていた。
彼の名はヤン・ハシェクという。聖アルフォンソ学院の卒業生だ。
かつて生徒代表をも務めた数学の天才なのだが、
数学以外の能力は年々落ちているようだった。猫背が更に丸くなる。
「ケーキ、食べたかったな、いちごの」
ヤンはいちごが好きだった。味や色がどうというよりは、
フルーツの中では珍しい円錐という形が気に入っていた。
眼鏡を直しながら、カレンダーを眺める。
2日前の日付を見つめて、灰色の瞳が瞬く。
「あ。12月24日って、あったかそうな数字だなあ」
黒板の前に移動して、チョークを持つ。
その指は持つ前から粉が付着している。
黒板にも昨日書き散らした数式がまだ残っていた。
大雑把に黒板消しで拭き取る。消し跡が残る上に数字を書いた。
1、2、3、4、6、12と迷いなく綴る。
それをひとつの大きな丸で囲んだ。
黒板から2歩下がって、改めて眺める。
何か踏んでしまって、ビリと音がしたが、今のヤンには聞こえない。
「24は12の倍数だから、12の約数は全部24の約数だもんね」
丸で囲んだ数字を見つめ、穏やかに笑う。
12の全てを包み込む24。24という数字にヤンは包容力を感じてしまった。
「いいなあ、12は。なんだか24は12のマフラーみたい」
生き生きと灰色の瞳が輝いていく。
「それに、2つとも高度合成数だ。12が4番目で、24が5番目だよね」
高度合成数とは、その数未満の数と比べて、約数の個数が最も多いものを指す。
ヤンの笑顔は、クリスマスプレゼントを貰った子どものようだった。
「すごいや、さすが聖夜だなあ」
暫くぽーっとしていると電話が鳴った。
ヤンの肩がびくっと跳ねる。音はすれど本体が見えない。
紙が山積みで固定電話が埋もれてしまっていた。
持ち主さえ何の紙なのか解らない物を掻き分けて、やっと電話を発掘する。
受話器を耳に当てると、「よっ、ヤン」と耳に馴染む声がした。
卒業後も親交のある友人の声だ。ヤンの声が僅かに明るくなった。
「あ、エド? うん、元気、僕は。エドは? そっか、良かった」
寮は違うものの同じ学年だった友人。名前はエドガー・ラッセル。
明るい金髪が良く似合う、頼りになる人だ。彼とは長い付き合いになる。
在学時から、何かと危なっかしいヤンの世話を焼いてくれた。
ヤンは友人のことを学生時代と同じようにエドと呼んでいた。
「久し振りだね、エド。今日はどうしたの? うん。あ、メリークリスマスでした」
ヤンは受話器を持ったまま軽く頭を下げる。
そのせいで眼鏡がずり落ちた。
空いている手で掛け直すと、フレームがチョークの粉で汚れた。
それはヤンには見えていなかった。
「え? うん。忘れてたけど、さっき気付いたとこ。
あっ、そうだ。イブってね、いい日だったんだよ。12、24って。あのね」
ちょっと待った、という友人の声に止められる。
今、そっち行くから待ってろと言われた。
エドガーは携帯電話で話していて、すぐそこまで来ているらしい。
手土産の内容を聞いてヤンは瞳を大きくした。
「ほ、ほんと? あの、それ、いちご乗ってるかな?」
fin
■マジプリの愉快な仲間達
■ハルヤのクリスマスイベントベース
■ハルヤのクリスマスイベントベース
聖夜。ロレート公国。
窓の外では星達がきらきらと瞬いている。
一日の執務が終わった王は就寝の時間だった。
「…いけません、陛下。今宵はっ」
「イブ、だろう?」
王の寝台では今夜も押し問答が始まっていた。
国主に組み敷かれた臣下は抵抗を試みる。
「我がロレートは、キリスト教ではございません」
「宗教に関わらず、世界中が聖夜を口実に使っているさ」
臣下の赤い襟に手を伸ばした。慣れた様子で留め金を外す。
くすんだ緑翠の瞳が主を見上げる。なんとか諭そうと言葉を続ける。
「ですが…明日は大切な式典が」
晒された臣下の首筋に、主が顔を埋める。
「構わん。今はクリスマスディナーを頂く方が先決だ」
王の長い髪に鎖骨をくすぐられた。臣下は息を呑み、柳眉を歪める。
「…お食事は、お済みの筈ですが」
「では食後の美酒ということで」
王に慣らされた身体は嫌でもすぐに熱くなる。
既に額にはうっすらと汗が滲んでいる。
臣下は壊れそうな理性を必死で繋ぎ止める。
「陛下っ、偶には、私の言うことも聞いて下さい」
くくと漏れる忍び笑い。吐息が臣下の肌に直接伝わる。
主の舌先が耳の傍を上がっていく。
「その無駄な抵抗が余計にそそるな。わざと歯向かっているのか、ラル」
「違います…私は陛下の側近として、心からのお願いを…っあ」
耳たぶを愛撫されて、耐え切れず声が漏れた。
王は不敵に笑い、白い耳に囁いた。
「では全面的に却下しよう。俺は喉が渇いてる」
聖アルフォンソ島 クリスマスの朝。
今日も鳥達が一日の始まりを告げている。
ウーティス寮の一室で、ブルーのカーテンが開かれる。
「アンリ、そろそろ起きなさい?」
部屋に朝の光が差し込む。その眩しさに生徒は光に背を向ける。
毛布からは何も纏っていない白い肩が覗く。
カーテンを手にしている講師は苦笑する。
「今日はパーティの準備で朝から忙しいんだろう?」
「んん…」
低血圧な生徒は気だるげに呻くだけで、起きようとしない。
この生徒にとっては、一日の中で最も反応の鈍い時間帯だった。
「アンリは、いつもの方法で起こして欲しいのかな?」
渋々、寝起きの悪い目が開く。
生徒の前で身を屈めていたのは神秘学の特別講師だった。
生徒の瞳に、部屋の様子が映る。
テーブルの上には一本のボトル。
そう言えば、と数時間前の記憶が遅い速度で甦る。
昨夜は彼がシャンパーニュを片手に訪ねて来た。
それを飲みながら、少し神秘学の話をして。
確か、聖夜に纏わる話題だったと思うけれど、
話の内容は余り覚えていなかった。
オーギュストは既にきちんと衣服を身に付けている。
すぐにでも外に出られる格好だ。
目を擦りながら、彼の背景に少し異変を感じた。
机上にある写真立ての位置が、いつもと少しずれて見えた。
しかし、瞼が重くて再び目を閉じる。
「アンリ、もう起きないといけない時刻だよ?」
「…誰の、せいで、眠いと思っているの?」
寝返りを打つと、すぐ傍でクシャと音がした。
毛布と何かが擦れたらしい。
薄くしか開かない目で見慣れない物を睨む。
「なんなの…」
綺麗にラッピングされた箱。赤のリボンが結ばれていた。
講師は穏やかな笑顔で話す。
「明け方、サンタさんが置いていった物だよ。
今年も良い子だったアンリに、って」
リボンにはメッセージカードが挟まっている。
Joyeux Noel ジュワイユ・ノエル。フランス語の『メリークリスマス』だ。
少々クセのある筆記体。それは、毎週、黒板で見るものと酷似していた。
生徒が掠れる声で毒づく。
「変わったサンタクロースだね。僕が良い子に見えるなんて」
講師は生徒の髪に指を入れる。少し乱れた線を優しく梳いた。
「アンリは良い子だよ。担当教諭が言うのだから間違いないと思うな」
生徒は横たわったまま、肩を竦める。
「間違いを犯している教諭に言われてもね」
クリスマス当夜。
聖アルフォンソ学院 クリスマスパーティ会場。
既に各寮の生徒達が大勢集まっている。
こうして3つの寮が揃ってパーティを行うことは極めて珍しいことだった。
立食式のメニューが色鮮やかに並んでいる。
今宵の料理は3人のシェフそれぞれの得意分野による競演。
ウーティス寮シェフは高級フレンチ、アルファルド寮シェフはエスニックとイタリアン、
シュヌーシア寮シェフは世界の家庭料理と世界のクリスマスメニューが勢揃いしている。
生徒達は他の寮の味に興味津々だった。
どの皿も盛況のようで、ほぼ均等に無くなっていく。
シェフ達は食べ盛りの青年達に負けないよう、新しい皿をせっせと運んでいた。
催し物には不参加することが多いアルファルド寮の生徒達の姿もある。
囲まれているアルファルドの生徒が一人居た。
小麦の肌に長い金髪。肩には大型の鳥。
頭にトナカイの角を付けたオウムが高らかにクリスマスソングを歌っていた。
「マッカな オハナのー、トナカイサンはー♪」
この日に合わせて覚えた新曲だった。
ところどころ音程はあやしいものの、見事にワンコーラスを歌い切った。
生徒達から大きな拍手を受けて、オウムは「アリガトー!」と得意げに翼を挙げる。
気を良くしたらしいオウムは続けて次の曲を披露する。
「ジングーベー、ジングーベー♪」
「へー。人気あんじゃん、あのボーカル。俺達のライバル出現だな!」
デッドプリンスのギター兼ボーカルが笑う。
今宵のパーティでは各寮を代表するバンドが曲を披露することになっていた。
ウーティスの代表はもちろん、デッドプリンスだ。
アルフレッドは本番前でも緊張した素振りは微塵も見せない。
むしろ、いつもより元気がみなぎっているようだった。
隣には熱烈なファン。
「ねえ、レッド。今日は何歌ってくれるの?」
ユウタはライブが待ち切れない様子だ。
「俺達の曲のクリスマスバージョンと、今夜の為に作った新曲もあるぜ?」
「本当! 楽しみだなー!」
「そういや、うちのドラマーは何処行った?」
ギターの問いに、ベースが答える。
「シルヴァンなら飲み物を持ってくるって、どっか行ったけど?」
ハルヤは手に皿を持っていた。アボカドとマグロのサラダだ。
日本人の味覚に付いていけないアルフレッドは嫌な顔をする。
「お前、また生魚食ってんのかよ」
「だって、本番前に食べておかないと、なくなっちゃいそうじゃん?」
ハルヤはそこで、はあ、と溜め息を漏らした。
「でもさ、なんか緊張しちゃって食欲ないんだよね。
シュヌーシアの料理、美味しかったから、もっと食べたいんだけど」
「いや、めちゃくちゃ食ってるし。てゆうか、さっきから食ってばっかだし」
一人早食い大会の如く、空の皿が積み重なっていた。
離れたテーブルでは、シルヴァンが白ワインに口付けていた。
周囲には友人を連れていない。日頃、陽気な彼にしては晴れない表情をしていた。
「シルヴァン?」
近付いて来た柔らかな声に振り向く。
心配そうな顔をしているのは今年度の生徒代表だった。
「どうしたんだい? あまり楽しんでいないようだね?」
「ああ、いえ。楽し過ぎて、ちょっと…」
大きなクリスマスツリーを見上げる。カラフルなライトが目映く輝いている。
「今宵が、皆さんと過ごせる最後のクリスマスなんだなと思ってしまって」
「そう、だね」
ジョシュアもツリーを見つめた。あれはもみの木ではなかった。
生徒達の希望で、学院のシンボルである月桂樹に飾り付けたものだった。
ジョシュアはこの学院に来て6年目になるが、
輝く月桂樹を見たのは今夜が最初であり、おそらく、最後になる。
シルヴァンは長い髪を耳に掛ける。
ツリーのライトを浴びて、キラリとピアスが光った。
「すみません。らしくなかったですよね、僕」
ジョシュアは、何も言葉を返せなかった。
ただ、目の前にある光景を一緒に見つめていた。
彼の気持ちが痛い程、伝わってきて。喉の所が苦しかった。
「シルヴァーン! 俺達、もうすぐ出番だぜー!」
遠くからよく通る声。アルフレッドが手を振っている。
傍では皿を持ったハルヤが何か口に運んでいた。
シルヴァンは笑顔で手を振り返す。
「はーい! 今行きまーす!」
残っていた白ワインを飲み干す。
「じゃ、僕、ちょっと歌って来ますね?」
グラスを置くと、もう普段の笑顔に戻っていた。
「ジョシュアも僕達のクリスマスライブ楽しんで下さい」
「うん。皆で聞いているよ」
同じ学年の友人がステージに向かう。
その背中を生徒代表はぼんやり眺めていた。
「ジョシュアー!」
跳ねるような明るい声。
ユウタがアンリの手を引いて駆け寄って来た。
今年入ったばかりの高等部一年生。
今宵のパーティの開催が決まったのは彼一人のおかげだとジョシュアは感じていた。
ユウタがミハイルやエンジュと仲良くなるにつれ、各寮の交流が広がった。
今までにない流れが、学院に生まれつつある。
これから学院は徐々に変わっていくだろう。
自分にはその様子を見届ける時間が残されていないけれど。
ユウタに腕を引かれる。
「もうすぐライブ始まるって。一緒に最前列で見ようよ!」
ユウタは右手にアンリ、左手にジョシュアの手を繋いだ。
同時刻、地中海最大の島シチリア。
イタリアはこの日、店も交通機関も休みとなる。
国中が大好きな家族と一緒にクリスマスを過ごすからだ。
家でパネトーネと呼ばれる伝統的なパンを食べるのが慣例だった。
シュトレンのイタリア版とも言えるだろうか。
パネトーネはドーム型で柔らかいパンだ。
中にはオレンジピール、レーズンなどのドライフルーツが入っている。
最凶のシチリアンマフィア、マンゾーニ家でも、
クリスマスパーティの真っ最中だった。
「やはり、ママのパネトーネは最高じゃな」
老父は愛妻お手製のパンをむしゃむしゃとほうばっている。
この日ばかりはどんな仕事も放棄して、家族との時間を過ごしていた。
息子が最愛の両親にプレゼントを渡す。
「パパ、ママ。Buon Natale ブォン・ナターレ(メリークリスマス)!」
「おや。プレゼントかい?」
「うん。開けて開けて」
顎鬚を蓄えた長身の男が、わくわくと急かす。
中から出てきたのは、ダイヤを散りばめた豪華な指輪。
息子は自分の手の甲を両親に向けた。
「俺とパパとママとお揃いなんだよ?」
父親は目を細め、息子を抱き寄せた。
「ああ、ディーノ。お前はなんて可愛い息子なんだろう」
親子3人はひしと抱き合った。
同時刻、メネシス城、とご近所に言われる豪華な建築物。
ギリシャ内でも有数の資産家が溢れる財産で建てたものだ。
海運王の住む城でも今宵はクリスマスパーティ。
親戚や関係者に加え、個人的に呼び寄せた有名人など、大勢招いた盛大な催しだった。
開始時刻が迫り、城内は何かと慌ただしい足音があちらこちらで聞こえた。
メネシスの次期当主は一人で自室に居た。
一人部屋にしてはかなり広過ぎるくらいだった。
隅にクリスマスツリーとその下にプレゼントらしい小さな箱がある。
部屋の主は机に向い、何か読んでいた。
開かれたページには、3年前の今日の日付。
ささやかで幸福な日常が綴られていた日記帳だった。
他には誰も居ない部屋で、次期当主が呟く。
「今宵はシュヌーシア寮でもパーティをしているのだろうねえ」
膝の上にはぬいぐるみが乗っていた。
頭にサンタの帽子を被ったシャチ。黒い背中を撫でながら微笑む。
「今宵がクリスマスだと気付いているのかなあ。
忘れていそうだと思わないかい、エオル?」
真っ直ぐに見上げてくる黒目。
会えない友人と良く似た眼差しだった。
コンコン、とドアがノックされた。どうぞ、と答える。
現れたのはテオ専属の執事。年は30代半ばとまだ若い。
「こちらでしたか、テオ様」
長いストレートの金髪を高いところでひとつに結わえている。
眼鏡のフレームに長い横髪が少し掛かっていた。
彼はメネシスの使用人の息子。幼い頃から共に育ってきた。
テオが兄のように慕う存在で、気のおけない主従関係だった。
18歳になる主人は、日記帳を閉じる。
「ああ、すまない。もうパーティの始まる時間なのだね?」
執事はそれについては何も言わず、主人の手元と表情を覗った。
「テオ様? お顔の色が良くないように見えますが」
「ん? そうかい?」
学生時代は健康的な丸みを帯びた頬をしていたが、
この頃では少し身体が引き締まり、大人びて見えた。
「もし、ご気分が優れないのでしたら」
「心配要らないよ。少し寝不足なだけだと思うから」
若い執事は、主人の元気を取り戻す術を心得ていた。
「テオ様、先程、お姉様がご到着されましたよ?」
次期当主の笑顔がぱあっと輝く。
「もう着いたのかい!」
「ええ。既にホールでテオ様をお待ちかと」
「では急いで向かわなくては!」
慌てて部屋を出ようとする主人を執事が呼び止める。
「テオ様、お姉様にクリスマスプレゼントがあるのでしょう?」
次期当主の動きが止まり、くるりと部屋に戻ってくる。
「おっと、いけない。そうだった、そうだった」
ツリーの下に置いてあったプレゼントを手に取る。中身は宝石箱だった。
箱の中には緑の宝石をあしらったネックレスも添えている。
蓋を開けるとオルゴールが流れる。それは姉が愛していた曲。
テオが心を込めて考えた、姉へのクリスマスプレゼントだった。
「このプレゼント、姉上に喜んで貰えるかな」
「テオ様がご用意されたものですから、きっと」
若い執事は主人の肩に優しく手を置く。テオと似た笑顔になる。
「大丈夫だよ、テオ。お前の姉さんが喜ばないわけないだろ?」
打ち解けた言葉は子供の頃と同じものだった。
主人は太陽の笑顔で頷く。
「そうだね。私の姉上だもの。喜んでくれるよね!」
あねうえー! と叫びながら、箱を抱えて駆け出した。
fin
窓の外では星達がきらきらと瞬いている。
一日の執務が終わった王は就寝の時間だった。
「…いけません、陛下。今宵はっ」
「イブ、だろう?」
王の寝台では今夜も押し問答が始まっていた。
国主に組み敷かれた臣下は抵抗を試みる。
「我がロレートは、キリスト教ではございません」
「宗教に関わらず、世界中が聖夜を口実に使っているさ」
臣下の赤い襟に手を伸ばした。慣れた様子で留め金を外す。
くすんだ緑翠の瞳が主を見上げる。なんとか諭そうと言葉を続ける。
「ですが…明日は大切な式典が」
晒された臣下の首筋に、主が顔を埋める。
「構わん。今はクリスマスディナーを頂く方が先決だ」
王の長い髪に鎖骨をくすぐられた。臣下は息を呑み、柳眉を歪める。
「…お食事は、お済みの筈ですが」
「では食後の美酒ということで」
王に慣らされた身体は嫌でもすぐに熱くなる。
既に額にはうっすらと汗が滲んでいる。
臣下は壊れそうな理性を必死で繋ぎ止める。
「陛下っ、偶には、私の言うことも聞いて下さい」
くくと漏れる忍び笑い。吐息が臣下の肌に直接伝わる。
主の舌先が耳の傍を上がっていく。
「その無駄な抵抗が余計にそそるな。わざと歯向かっているのか、ラル」
「違います…私は陛下の側近として、心からのお願いを…っあ」
耳たぶを愛撫されて、耐え切れず声が漏れた。
王は不敵に笑い、白い耳に囁いた。
「では全面的に却下しよう。俺は喉が渇いてる」
聖アルフォンソ島 クリスマスの朝。
今日も鳥達が一日の始まりを告げている。
ウーティス寮の一室で、ブルーのカーテンが開かれる。
「アンリ、そろそろ起きなさい?」
部屋に朝の光が差し込む。その眩しさに生徒は光に背を向ける。
毛布からは何も纏っていない白い肩が覗く。
カーテンを手にしている講師は苦笑する。
「今日はパーティの準備で朝から忙しいんだろう?」
「んん…」
低血圧な生徒は気だるげに呻くだけで、起きようとしない。
この生徒にとっては、一日の中で最も反応の鈍い時間帯だった。
「アンリは、いつもの方法で起こして欲しいのかな?」
渋々、寝起きの悪い目が開く。
生徒の前で身を屈めていたのは神秘学の特別講師だった。
生徒の瞳に、部屋の様子が映る。
テーブルの上には一本のボトル。
そう言えば、と数時間前の記憶が遅い速度で甦る。
昨夜は彼がシャンパーニュを片手に訪ねて来た。
それを飲みながら、少し神秘学の話をして。
確か、聖夜に纏わる話題だったと思うけれど、
話の内容は余り覚えていなかった。
オーギュストは既にきちんと衣服を身に付けている。
すぐにでも外に出られる格好だ。
目を擦りながら、彼の背景に少し異変を感じた。
机上にある写真立ての位置が、いつもと少しずれて見えた。
しかし、瞼が重くて再び目を閉じる。
「アンリ、もう起きないといけない時刻だよ?」
「…誰の、せいで、眠いと思っているの?」
寝返りを打つと、すぐ傍でクシャと音がした。
毛布と何かが擦れたらしい。
薄くしか開かない目で見慣れない物を睨む。
「なんなの…」
綺麗にラッピングされた箱。赤のリボンが結ばれていた。
講師は穏やかな笑顔で話す。
「明け方、サンタさんが置いていった物だよ。
今年も良い子だったアンリに、って」
リボンにはメッセージカードが挟まっている。
Joyeux Noel ジュワイユ・ノエル。フランス語の『メリークリスマス』だ。
少々クセのある筆記体。それは、毎週、黒板で見るものと酷似していた。
生徒が掠れる声で毒づく。
「変わったサンタクロースだね。僕が良い子に見えるなんて」
講師は生徒の髪に指を入れる。少し乱れた線を優しく梳いた。
「アンリは良い子だよ。担当教諭が言うのだから間違いないと思うな」
生徒は横たわったまま、肩を竦める。
「間違いを犯している教諭に言われてもね」
クリスマス当夜。
聖アルフォンソ学院 クリスマスパーティ会場。
既に各寮の生徒達が大勢集まっている。
こうして3つの寮が揃ってパーティを行うことは極めて珍しいことだった。
立食式のメニューが色鮮やかに並んでいる。
今宵の料理は3人のシェフそれぞれの得意分野による競演。
ウーティス寮シェフは高級フレンチ、アルファルド寮シェフはエスニックとイタリアン、
シュヌーシア寮シェフは世界の家庭料理と世界のクリスマスメニューが勢揃いしている。
生徒達は他の寮の味に興味津々だった。
どの皿も盛況のようで、ほぼ均等に無くなっていく。
シェフ達は食べ盛りの青年達に負けないよう、新しい皿をせっせと運んでいた。
催し物には不参加することが多いアルファルド寮の生徒達の姿もある。
囲まれているアルファルドの生徒が一人居た。
小麦の肌に長い金髪。肩には大型の鳥。
頭にトナカイの角を付けたオウムが高らかにクリスマスソングを歌っていた。
「マッカな オハナのー、トナカイサンはー♪」
この日に合わせて覚えた新曲だった。
ところどころ音程はあやしいものの、見事にワンコーラスを歌い切った。
生徒達から大きな拍手を受けて、オウムは「アリガトー!」と得意げに翼を挙げる。
気を良くしたらしいオウムは続けて次の曲を披露する。
「ジングーベー、ジングーベー♪」
「へー。人気あんじゃん、あのボーカル。俺達のライバル出現だな!」
デッドプリンスのギター兼ボーカルが笑う。
今宵のパーティでは各寮を代表するバンドが曲を披露することになっていた。
ウーティスの代表はもちろん、デッドプリンスだ。
アルフレッドは本番前でも緊張した素振りは微塵も見せない。
むしろ、いつもより元気がみなぎっているようだった。
隣には熱烈なファン。
「ねえ、レッド。今日は何歌ってくれるの?」
ユウタはライブが待ち切れない様子だ。
「俺達の曲のクリスマスバージョンと、今夜の為に作った新曲もあるぜ?」
「本当! 楽しみだなー!」
「そういや、うちのドラマーは何処行った?」
ギターの問いに、ベースが答える。
「シルヴァンなら飲み物を持ってくるって、どっか行ったけど?」
ハルヤは手に皿を持っていた。アボカドとマグロのサラダだ。
日本人の味覚に付いていけないアルフレッドは嫌な顔をする。
「お前、また生魚食ってんのかよ」
「だって、本番前に食べておかないと、なくなっちゃいそうじゃん?」
ハルヤはそこで、はあ、と溜め息を漏らした。
「でもさ、なんか緊張しちゃって食欲ないんだよね。
シュヌーシアの料理、美味しかったから、もっと食べたいんだけど」
「いや、めちゃくちゃ食ってるし。てゆうか、さっきから食ってばっかだし」
一人早食い大会の如く、空の皿が積み重なっていた。
離れたテーブルでは、シルヴァンが白ワインに口付けていた。
周囲には友人を連れていない。日頃、陽気な彼にしては晴れない表情をしていた。
「シルヴァン?」
近付いて来た柔らかな声に振り向く。
心配そうな顔をしているのは今年度の生徒代表だった。
「どうしたんだい? あまり楽しんでいないようだね?」
「ああ、いえ。楽し過ぎて、ちょっと…」
大きなクリスマスツリーを見上げる。カラフルなライトが目映く輝いている。
「今宵が、皆さんと過ごせる最後のクリスマスなんだなと思ってしまって」
「そう、だね」
ジョシュアもツリーを見つめた。あれはもみの木ではなかった。
生徒達の希望で、学院のシンボルである月桂樹に飾り付けたものだった。
ジョシュアはこの学院に来て6年目になるが、
輝く月桂樹を見たのは今夜が最初であり、おそらく、最後になる。
シルヴァンは長い髪を耳に掛ける。
ツリーのライトを浴びて、キラリとピアスが光った。
「すみません。らしくなかったですよね、僕」
ジョシュアは、何も言葉を返せなかった。
ただ、目の前にある光景を一緒に見つめていた。
彼の気持ちが痛い程、伝わってきて。喉の所が苦しかった。
「シルヴァーン! 俺達、もうすぐ出番だぜー!」
遠くからよく通る声。アルフレッドが手を振っている。
傍では皿を持ったハルヤが何か口に運んでいた。
シルヴァンは笑顔で手を振り返す。
「はーい! 今行きまーす!」
残っていた白ワインを飲み干す。
「じゃ、僕、ちょっと歌って来ますね?」
グラスを置くと、もう普段の笑顔に戻っていた。
「ジョシュアも僕達のクリスマスライブ楽しんで下さい」
「うん。皆で聞いているよ」
同じ学年の友人がステージに向かう。
その背中を生徒代表はぼんやり眺めていた。
「ジョシュアー!」
跳ねるような明るい声。
ユウタがアンリの手を引いて駆け寄って来た。
今年入ったばかりの高等部一年生。
今宵のパーティの開催が決まったのは彼一人のおかげだとジョシュアは感じていた。
ユウタがミハイルやエンジュと仲良くなるにつれ、各寮の交流が広がった。
今までにない流れが、学院に生まれつつある。
これから学院は徐々に変わっていくだろう。
自分にはその様子を見届ける時間が残されていないけれど。
ユウタに腕を引かれる。
「もうすぐライブ始まるって。一緒に最前列で見ようよ!」
ユウタは右手にアンリ、左手にジョシュアの手を繋いだ。
同時刻、地中海最大の島シチリア。
イタリアはこの日、店も交通機関も休みとなる。
国中が大好きな家族と一緒にクリスマスを過ごすからだ。
家でパネトーネと呼ばれる伝統的なパンを食べるのが慣例だった。
シュトレンのイタリア版とも言えるだろうか。
パネトーネはドーム型で柔らかいパンだ。
中にはオレンジピール、レーズンなどのドライフルーツが入っている。
最凶のシチリアンマフィア、マンゾーニ家でも、
クリスマスパーティの真っ最中だった。
「やはり、ママのパネトーネは最高じゃな」
老父は愛妻お手製のパンをむしゃむしゃとほうばっている。
この日ばかりはどんな仕事も放棄して、家族との時間を過ごしていた。
息子が最愛の両親にプレゼントを渡す。
「パパ、ママ。Buon Natale ブォン・ナターレ(メリークリスマス)!」
「おや。プレゼントかい?」
「うん。開けて開けて」
顎鬚を蓄えた長身の男が、わくわくと急かす。
中から出てきたのは、ダイヤを散りばめた豪華な指輪。
息子は自分の手の甲を両親に向けた。
「俺とパパとママとお揃いなんだよ?」
父親は目を細め、息子を抱き寄せた。
「ああ、ディーノ。お前はなんて可愛い息子なんだろう」
親子3人はひしと抱き合った。
同時刻、メネシス城、とご近所に言われる豪華な建築物。
ギリシャ内でも有数の資産家が溢れる財産で建てたものだ。
海運王の住む城でも今宵はクリスマスパーティ。
親戚や関係者に加え、個人的に呼び寄せた有名人など、大勢招いた盛大な催しだった。
開始時刻が迫り、城内は何かと慌ただしい足音があちらこちらで聞こえた。
メネシスの次期当主は一人で自室に居た。
一人部屋にしてはかなり広過ぎるくらいだった。
隅にクリスマスツリーとその下にプレゼントらしい小さな箱がある。
部屋の主は机に向い、何か読んでいた。
開かれたページには、3年前の今日の日付。
ささやかで幸福な日常が綴られていた日記帳だった。
他には誰も居ない部屋で、次期当主が呟く。
「今宵はシュヌーシア寮でもパーティをしているのだろうねえ」
膝の上にはぬいぐるみが乗っていた。
頭にサンタの帽子を被ったシャチ。黒い背中を撫でながら微笑む。
「今宵がクリスマスだと気付いているのかなあ。
忘れていそうだと思わないかい、エオル?」
真っ直ぐに見上げてくる黒目。
会えない友人と良く似た眼差しだった。
コンコン、とドアがノックされた。どうぞ、と答える。
現れたのはテオ専属の執事。年は30代半ばとまだ若い。
「こちらでしたか、テオ様」
長いストレートの金髪を高いところでひとつに結わえている。
眼鏡のフレームに長い横髪が少し掛かっていた。
彼はメネシスの使用人の息子。幼い頃から共に育ってきた。
テオが兄のように慕う存在で、気のおけない主従関係だった。
18歳になる主人は、日記帳を閉じる。
「ああ、すまない。もうパーティの始まる時間なのだね?」
執事はそれについては何も言わず、主人の手元と表情を覗った。
「テオ様? お顔の色が良くないように見えますが」
「ん? そうかい?」
学生時代は健康的な丸みを帯びた頬をしていたが、
この頃では少し身体が引き締まり、大人びて見えた。
「もし、ご気分が優れないのでしたら」
「心配要らないよ。少し寝不足なだけだと思うから」
若い執事は、主人の元気を取り戻す術を心得ていた。
「テオ様、先程、お姉様がご到着されましたよ?」
次期当主の笑顔がぱあっと輝く。
「もう着いたのかい!」
「ええ。既にホールでテオ様をお待ちかと」
「では急いで向かわなくては!」
慌てて部屋を出ようとする主人を執事が呼び止める。
「テオ様、お姉様にクリスマスプレゼントがあるのでしょう?」
次期当主の動きが止まり、くるりと部屋に戻ってくる。
「おっと、いけない。そうだった、そうだった」
ツリーの下に置いてあったプレゼントを手に取る。中身は宝石箱だった。
箱の中には緑の宝石をあしらったネックレスも添えている。
蓋を開けるとオルゴールが流れる。それは姉が愛していた曲。
テオが心を込めて考えた、姉へのクリスマスプレゼントだった。
「このプレゼント、姉上に喜んで貰えるかな」
「テオ様がご用意されたものですから、きっと」
若い執事は主人の肩に優しく手を置く。テオと似た笑顔になる。
「大丈夫だよ、テオ。お前の姉さんが喜ばないわけないだろ?」
打ち解けた言葉は子供の頃と同じものだった。
主人は太陽の笑顔で頷く。
「そうだね。私の姉上だもの。喜んでくれるよね!」
あねうえー! と叫びながら、箱を抱えて駆け出した。
fin
■アンリ ハルヤ 他
From:Henri-Hugues de Saint Germain
クリスマスカード撮影会 1枚目。
カメラマン:アルフレッド、アクター:アンリ
「アンリ、お前の衣装コレな?」
「サンタクロースにしては、変わったデザインだね」
「だろっ? アンジェロバージョンなんだぜ。ほらっ、帽子のココ見てみ?
文化祭の衣装と同じ、羽根のブローチ付けてみたんだ」
「あっそう。どうでもいいけど」
「おっ。着替え終わったか。さっすが似合うじゃん?」
「ねえ。このカード作って、卒業生に本当に売れるの?」
「俺様がプロデュースしてんだから絶対売れるって。
メッセージはシルヴァンがフランス語で考えるらしいから、
お前に後で添削して欲しいって言ってたぜ?」
「メッセージ? どんな?」
「ああ。えっと、確か上に『メリークリスマス』って書いて、
下んとこには『皆さんにとって2008年が素晴らしい年になりますように。
心からの口付けを送ります。アンリ』って」
「…それを僕の名前で送るというの?」
「あったりまえじゃん、お前のカードなんだから。
んじゃ、写真撮るから良い顔しろよー!」
fin
From:Haruya Kobayashi
クリスマスカード撮影会 2枚目。
カメラマン:シルヴァン、アクター:ハルヤ
「ハルヤは、このリボンも付けて下さいね?」
「おっきくない? てゆうか、サンタの格好してんのにリボンって?」
「クリスマスプレゼントと言えばリボンじゃないですか♪
さあ、撮影会始めましょ。あ、ちょっと上目遣いでお願いしますね?」
「え。なんで…」
「そういうメッセージを書くので」
「…どういうの?」
「まあ、それは後程♪ では撮りますよー」
「クリスマスカード ハルヤver. できましたー♪
ハルヤハルヤー、日本語の添削をお願いしまーす」
「ちょっと…何このメッセージ…」
「『今年のクリスマスプレゼント、俺、じゃダメかな?』です。
どれか文字、間違ってましたか?」
「えっと、文字は合ってるんだけど…」
「良かったです。後は英訳を付けて完成ですね」
「あ、あのさ。これ作って誰に送るの?」
「主に僕とレッドが欲しかっただけなんです♪
後は学内外のハルヤファンの皆さんに売りさば…ああ、いえ、差し上げようかと」
「ええっ?」
「それから、テオにも送ってあげようかなって思ってます。
テオ、ハルヤのこと大好きでしたからね」
「だ、ダメだよ、テオは」
「どうしてですか? テオなら泣いて喜ぶと思いますけど?」
「だからダメなんだよ…」
「そうですか? 感激したお返事も来ると思いますよ?」
「それ、封筒じゃなくて箱で来そうだな…」
「あっ! 箱の中からテオが出てきたりしてっ♪」
fin
Produced by Alfred Visconti & Sylvain Clark♪
omake:
■アラン・ウー ドニ・ドーム
■シリアス
■シリアス
月桂樹の森。
木洩れ陽の中、シュヌーシア寮シェフが散歩していた。
日常的な悩みを抱え、歩きながら考えているところだった。
「メニュー、決まらないなあ…」
ウーティス寮のシェフは完璧主義なので
1か月先までは確実にメニューが決まっているのだが、
シュヌーシア寮では寮生の評判を聞きながら決めたりするので、
メニューが事前に決まっている期間が短かった。
唸りながら歩いていると先輩の姿を発見した。
高い背丈、袖のない服から地黒の腕を晒している。
アルファルド寮のシェフだ。
彼に今日のメニューを聞いて、参考にしようと思い、走っていく。
「アランさーん!」
駆け寄ると、アランは片手に何か乗せて、
もう一方の手でそれを覆っていた。
「何持っているんですか?」
アランはドニを見つめる。彼の声は低く、小さかった。
「止めておけ」
「秘密にされると見たくなっちゃうじゃないですか」
ドニはアランの手に触れ、中を見た。
「これ…」
「ナイチンゲールの雛だ」
小鳥の目は開いていない。
「この子、ケガしてるんですか?」
首は横に振られた。
「見付けた時には息をしていなかった」
「えっ」
「巣から落ちたんだろう。この時期には珍しくないことだ」
アランの視線の先には枝で作った巣があった。
ドニに視線を戻すと、その瞳には涙が溜まっていた。
「何故泣く?」
「だって、まだ生まれたばかりなのに…」
「生きていた時間が関係するのか?」
アランは手の中に視線を落とす。翼はぴくりとも動かない。
「同じ死んだ鳥でも調理場か森、見る場所で感情が違う。俺は常に疑問だ」
翼に破れた落ち葉が入っていた。浅黒い指が葉を取る。
小鳥を持ったまま、寮とは逆側へ歩き出す。
「何処へ行くんですか?」
「動物達の墓地へ」
「アランさん」止まった背中に問う。
「僕も行って良いですか?」
アランは返事をせずに歩き出す。ドニはその背中を追い駆けた。
「綺麗な、場所ですね」
広い草原に風がなびく。天文台と呼ばれる遺跡に程近い。
黄色と白の花が群れて咲いていた。
アランが立ち止まった場所には既に墓が幾つかあった。
長身の同僚を見上げる。
「これ…全部、アランさんが?」
「月桂樹の森には動物が多く棲んでいる」
腰を降ろす。落ちていた大き目の石で土を掘った。
「本来であれば、死骸は他の動物に食わせるべきだがな」
丸い穴ができると、亡骸を土に寝かせた。
何も言わずに、浅黒い指が小鳥の頭を撫でる。
その上に土をかぶせた。
穴を作る時に抜いた花をドニが添える。
小さな墓。
見つめたまま、立ち尽くしていた。
アランが腰を上げる。
「戻るぞ」
踵を返す。
「はい」
ごしごしと涙を拭いて、先輩の後に続く。
もう夕食の仕度を始める時間だった。
二人は何も話さない。
草原に吹く風の音が、さわさわと聞こえる。
青い空には鳥が飛んでいた。
fin
木洩れ陽の中、シュヌーシア寮シェフが散歩していた。
日常的な悩みを抱え、歩きながら考えているところだった。
「メニュー、決まらないなあ…」
ウーティス寮のシェフは完璧主義なので
1か月先までは確実にメニューが決まっているのだが、
シュヌーシア寮では寮生の評判を聞きながら決めたりするので、
メニューが事前に決まっている期間が短かった。
唸りながら歩いていると先輩の姿を発見した。
高い背丈、袖のない服から地黒の腕を晒している。
アルファルド寮のシェフだ。
彼に今日のメニューを聞いて、参考にしようと思い、走っていく。
「アランさーん!」
駆け寄ると、アランは片手に何か乗せて、
もう一方の手でそれを覆っていた。
「何持っているんですか?」
アランはドニを見つめる。彼の声は低く、小さかった。
「止めておけ」
「秘密にされると見たくなっちゃうじゃないですか」
ドニはアランの手に触れ、中を見た。
「これ…」
「ナイチンゲールの雛だ」
小鳥の目は開いていない。
「この子、ケガしてるんですか?」
首は横に振られた。
「見付けた時には息をしていなかった」
「えっ」
「巣から落ちたんだろう。この時期には珍しくないことだ」
アランの視線の先には枝で作った巣があった。
ドニに視線を戻すと、その瞳には涙が溜まっていた。
「何故泣く?」
「だって、まだ生まれたばかりなのに…」
「生きていた時間が関係するのか?」
アランは手の中に視線を落とす。翼はぴくりとも動かない。
「同じ死んだ鳥でも調理場か森、見る場所で感情が違う。俺は常に疑問だ」
翼に破れた落ち葉が入っていた。浅黒い指が葉を取る。
小鳥を持ったまま、寮とは逆側へ歩き出す。
「何処へ行くんですか?」
「動物達の墓地へ」
「アランさん」止まった背中に問う。
「僕も行って良いですか?」
アランは返事をせずに歩き出す。ドニはその背中を追い駆けた。
「綺麗な、場所ですね」
広い草原に風がなびく。天文台と呼ばれる遺跡に程近い。
黄色と白の花が群れて咲いていた。
アランが立ち止まった場所には既に墓が幾つかあった。
長身の同僚を見上げる。
「これ…全部、アランさんが?」
「月桂樹の森には動物が多く棲んでいる」
腰を降ろす。落ちていた大き目の石で土を掘った。
「本来であれば、死骸は他の動物に食わせるべきだがな」
丸い穴ができると、亡骸を土に寝かせた。
何も言わずに、浅黒い指が小鳥の頭を撫でる。
その上に土をかぶせた。
穴を作る時に抜いた花をドニが添える。
小さな墓。
見つめたまま、立ち尽くしていた。
アランが腰を上げる。
「戻るぞ」
踵を返す。
「はい」
ごしごしと涙を拭いて、先輩の後に続く。
もう夕食の仕度を始める時間だった。
二人は何も話さない。
草原に吹く風の音が、さわさわと聞こえる。
青い空には鳥が飛んでいた。
fin
■アルフレッドシナリオ、小説ベース
イタリア特別自治州シチリア。
海に囲まれた緑いっぱいの場所。
学院の休暇中、ユウタはレッドのおじいさんの家に連れて来て貰った。
「あーあ。姉貴と一緒に来れたらなー」
今日はレッドがおじいさんと二人で演技の話してるからってことで、
レッドの弟トニー君とシチリア観光してるんだよ! どうしよう、姉貴!
あの天才メガネ少年役で大人気のトニー・ヴィスコンティと、
ホテルのカフェで甘くて美味しいレモンジュースとか飲んじゃってるよ。
シチリア産のレモンってやっぱ美味しいんだね。
トニー君が飲んでるのはブラックのアイスコーヒー。大人だなー。
今日はテレビで見るより、ちょっとお洒落なメガネを掛けてて、めちゃくちゃ似合う。
携帯で写真撮って、姉貴に送りたいくらいなんだけど、やっぱダメかなー。
姉貴、ヘディック博士とかインテリ系の人も好きだから、トニー君のことも好きなんだよなあ。
レッドに見せて貰った雑誌にも『弟にしたい子役ランキング一位』って載ってたし。
俺より年下なのに、しっかりしてるし、頭も良さそうだし、
可愛いし、俺の弟にしちゃいたいくらいだよ。
トニー君はお母さん似で、知的で綺麗な男の子ってかんじ。
わんぱく少年なレッドとはちょっと似てないよなあ。
最近多い役も、レッド曰く『俺が唯一苦手なガリ勉役』だし。
これがトニー君にはハマリ役で、去年は彼主演の少年探偵映画が大ヒットして、
続編も決定してるし、こっちも絶対に観に行くつもり。姉貴と行きたかったけど無理かなあ。
それにしても、このカフェ綺麗だなあ。
窓から海見えるし、なんか周りにお客さん居なくて貸切みたいになってるし。
でも、店員の女の人達、こっちチラチラ見てる。
トニー君のファンなんだろうなあ、やっぱり。
でも声とかは掛けて来ないし、プライベートだから気を遣ってくれてるのかな。
シチリアって、マフィアとか居るかも思ってたけど、結構優しい人多いみたい。
でも、レッドのおじいさんは近所のマフィアが茶飲み仲間だって、
レッドが言ってたんだけどな…あれ? 近所? 近所って大丈夫なのかな?
「あのー、ユウタさん?」
「は、はは、はいっ!?」
「そのレモンジュース、美味しくなかったですか?」
「あ、ううん。美味しかったよ、すっごく」
「そっか。良かった」
はー。ちょっとぼーっとしちゃってたー。
「そうだ、ナイチンゲールの役でしたよね? 文化祭の劇」
「ト、トニー君、見てたの!?」
「はい。家族全員で。皆が揃うなんて久し振りだったけど、
レッドお兄ちゃんの初監督作品だから」
「あ、そっか。初監督作品、だよね」
なんか、俺、すごい舞台に立っちゃったんだなあ。
「あの台本って全部お兄ちゃんが書いたんですか?」
「うん、そうだよ。すっごい一生懸命書いてた」
俺、ちょっとジャマしに行ったら殺気立ってて、めちゃくちゃ怒られたし。
「いいなあ。僕もお兄ちゃんと一緒の舞台に立ちたかったです」
「あ。そう言えば、兄弟の共演作品ってなかったね、まだ」
「うん。一緒にお仕事したこともないし、家でもあんまり遊んだことないんだ…」
そっか。トニー君んちはお父さんはプロデューサー、お母さんは女優。
4人兄弟の上2人は監督業、下2人は役者っていうスゴイ芸能一家だから。
子どもの時でも、うちみたいに姉貴としょっちゅう遊んだりもできなかったのか。
だけど、レッドはトニー君のこと大好きでよく自慢話もしてるし。
この前もトニー君の出てる作品、すごく褒めてた。そうだ、それ言わなきゃ。
「あ、あのね、トニー君!」
「はい?」
「トニー君が出てる2時間のドラマ、レッドと一緒に見たんだよ」
「お兄ちゃんと?」
「うん。あの、最後に、本当のお父さんと暮らせるようになる話。
俺、ラストで泣いちゃったよ。トニー君が『お父さん』って呼べたところ、
すっごく感動しちゃった。やっぱりトニー君ってすごいや」
「ありがとうございます。なんだか照れちゃうな」
わわ、生で見るトニー君の笑顔も可愛い。姉貴が見たら倒れちゃいそうだよ。
笑った顔は子役だった頃のレッドになんとなく似てるかも。
今日一日でトニー君のファンになっちゃいそう。
俺、アルフレッド・ヴィスコンティのファンなのに。
それから二時間後。
二人の裕福な老父が海の見えるテラスで珈琲を飲んでいた。
年の頃はどちらも80歳くらい。
ビーチチェアに背を預け、全身で潮風と夕陽を浴びている。
気心の知れた茶飲み仲間が目尻に皺を寄せる。
「お孫さん達が遊びに来ているんですか」
「ええ。ジャンニの下のせがれが二人ね」
「それはそれは。良かったですな、ヴィットーリオさん」
映画監督の巨匠、そう呼ばれた老父。
彼は現役を引退後、この海の綺麗な島でのんびりと余生を送っている。
映画界の第一線を先導していた頃は、
常にギラギラと輝いていた瞳も今ではだいぶ柔和になった。
当時、メガホンを握り締めていた手も、握力はかなり落ちていた。
今、持っているのは白のポーン。
二人の間にはチェスボードがあった。やや白が優勢に見える。
まだ若かった頃は映画のことしか考えられず、
こうやってチェスに興じる余裕もなかった。
「さっき、初めて孫とゆっくり話をしましたよ」
ポーンを置くと、しみじみと海を眺めた。
「いつのまに大きくなったのか。子どもの成長は早いものですな」
聞き役の老人は、にこやかに頷いた。
「そうですねえ、本当に」
黒のビショップを持つ指もしわしわだった。
幾つかゴールドの指輪が嵌っている。
髪色は元々は黒かったようだが、今はロマンスグレイに色付いていた。
こちらの老父は、ヴィスコンティ邸の近くに第二邸を持つ。
海辺に建てられた邸、そのテラスからは美しいシチリアの海が一望できたので、
ヴィットーリオを招いて、お茶を楽しむことが多々あった。
今、丁度、海に赤い陽が落ちようとしているところだ。
眩しい輝きに元映画監督は目を細める。
かつて夕陽待ちをした挙句、途中で雨にやられた作品が思い浮かんだ。
年を重ねる毎に、どんな出来事も許せるようになった。
何もかもただ懐かしく、愛おしい記憶に感じられる。
「ああ、今日の夕陽も、美しい」
朱色の海を眺めながら、ずずとエスプレッソを啜る。
老後の長閑な時間が潮風と共に流れる。
他愛の無い穏やかな会話が、ゆっくりゆっくりと交わされていた。
ゴールドに輝く指が、白のキングに伸びる。
「よいしょ、っと。すみません、チェックメイトです」
映画巨匠は笑顔で少し禿げ上がったおでこを叩く。
「はは。カルロさんには敵いませんなあ。さすが、お強い」
勝負をして相手を恨むことなど、もはやない。
「いやいや。ヴィットーリオさんは覚えたばかりなのに上達が早いですよ」
ヴィットーリオにチェスを教えて欲しいと請われ、丁寧に教えたのはこの老人だった。
二人の背後に、強面の男が近付いてきた。
「パパ、風が出てきたよ」
長い黒髪には緩やかなウエーブ。潮風に煽られた髪を押さえる。
その指にも金色のリングが光っていた。大の男がそっと老父の肩に手を置く。
「そろそろ中に入ろう? 風邪が治ったばかりなんだから」
顎鬚を持つ男を見上げ、パパと呼ばれた老父は目許を更にしわくちゃにする。
安心させるように、肩に置かれた手に老いた手を重ねる。
「ありがとう、大丈夫だよ。全く心配性だねえ、お前は」
電子音が鳴る。男が「すみません」と言って携帯を取り出し、
話しながら離れたところへ歩き出す。小さく聞こえてくるのは悪態。
そのドスの効いた声は、先程まで父親に見せていた優しさの欠片もない。
まるでマフィアのようだった。カルロは茶飲み仲間に詫びる。
「すみません、あれは血の気の多い子で」
ヴィットーリオはもう慣れたもので、気にしていないと微笑む。
電話が終わると、たたたと父親の所へ戻ってくる。父親は息子を見上げた。
「行くのかい?」
「うん。ごめん、ちょっと今日は帰れないみたいだ」
「おや。残念だね。今日は久し振りに家族揃ったから、
晩ご飯はお前の好きなペペロンチーノを作るとママが言っていたのに」
「本当? ああ…なんてことだ、ママのペペロンチーノが食べられないなんて」
まるでこの世の終わりのような嘆き方で、父親の腕を掴む。
「どうしよう、またママに怒られちゃう。
ねえパパ、ママにもごめんって言っておいてくれる?」
「ああ。儂が代わりに怒られておくよ」
「ごめんね。あ、それから、これから外は冷えるから早く家の中に入ってね」
「解ったよ。それじゃ、気を付けて」
父親は息子の手を取り、優しくキスをした。
その夜。ヴィットーリオ・ヴィスコンティ邸。
滞在時にアルフレッドが使う部屋は広く、かなり派手だった。
ベッドは昔の映画で見るようなキングサイズの天蓋付き。
白のレースカーテンが柱に巻かれている。
王様みたいでなんかイイだろ、とアルフレッド本人が買ったものだ。
アルフレッドは大の字で寝そべっている。
弟は傍の壁に凭れていた。その壁紙もやたら派手な模様が付いている。
ユウタは別室のゲストルームに居た。携帯電話で姉に今日の自慢をしている頃、
ヴィスコンティ兄弟も今日の出来事を話していた。
二人がゆっくり話をするのは久し振りだった。
兄は祖父に一杯食わされたことを悔しがっていた。
「ったく、食えないジジイだぜ、なあ?」
「ううん。僕は知ってたから」
「はああ!?」
「おじーちゃんに、アルフレッドには言うなよ、って」
「言えよ! なんで俺に教えないんだよ!」
メガネの奥の目は細くなる。
「ダマされる方がワルイ」
イタリアでは常識となっている言葉を吐き付けられて、兄が詰まる。
弟は年齢より遙かに大人びた微笑を見せた。
「イイじゃん。だから、聖アルフォンソ学院に行けたんでしょ?」
兄は天井を見上げる。学院でできた友達の顔が次々と浮かんでくる。
あいつらとは学院に行かなければ出会えなかった。
それを考えると、じいさんにダマされてもおつりが来る。
「…ん、まあ、そうだな」
今回は友達を一人連れて来ていたことを思い出す。
「あ、お前等は今日楽しかったか? 面白いヤツだろ、ユウタって」
「ん、面白かったけどさ…レッドって呼ばせてるんだね、彼に」
「え? ああ。てゆうか、みんなに」
「あっそ」頭の後ろで手を組む。
「ねえ。なんで、ユウタ、連れて来たの?」
「友達連れて来ちゃいけないのかよ?」
「いけないよ、あんなピュアな人…レッド兄はああいう弟が欲しかったわけ?」
「何言ってんだよ、お前」
トニーは壁から身を起こし、テラスの方へ歩き出す。
まだ成長過程の背中は小さい。
「僕みたいなマセガキが弟で悪かったね。
僕はレッド兄みたいになりたくて子役になったのに…」
「おい、トニー。落ち着…」
弟はクルリと振り向く。
「なーんちゃって」
舌を出して、あっかんべーをする。
「…おい、まさか今の」
見えないシルクハットをクルクルと降ろして、礼をする。
「トニー君劇場にご来場ありがとうございましたー」
「この…」
カラカラと天才子役が笑っている。
「はー。ねえ、レッド兄の友達って、みんなレッド兄みたいな人ばっかなの?」
「どーゆーイミだ、それ」
「なんにも計算してない人だってこと。ズルイよ、演技なしで可愛いなんて。
今度、ああいう役が来たら、モデルにしよっかなって思ったよ」
トニーは眼鏡を外し、放るように棚の上に置いた。
兄は驚かず、はあ、と息を吐く。
「お前は相変わらず、口悪いなー。
そういや、そのメガネどーしたんだ? 目悪くなったのか?」
「度は入ってないよ。外歩く時は最近してるんだ、コレ。
メガネ掛けてる方がウケがイイかな、って思ってさ」
人差し指と親指でメガネのフレームを弾く。コツン、と音が鳴った。
「お前は…ユウタの前でも猫被ってたし…俺の友達にまで良い顔する必要ねーじゃん?」
「だって、彼、僕のファンだっていうし。ファンの前で悪い顔してどーすんの」
カメラの前では自然に笑顔になってる。
可愛いトニー君を演じるのには、もう慣れた。
息を吸うように演技できている。
女優の母と元天才子役の兄を持つ弟。世間は僕をサラブレットだと見てる。
奔放な少年役で評価される兄に対抗するには、
彼が唯一できなかったインテリ役の演技で挑むしかない。
お前ならできる、と弟は父に言われていた。
天才少年役なら、アルフレッド・ヴィスコンティを超えられると。
ヴィスコンティ家の末弟にとって、三番目の兄は、兄弟の中で最も親しい存在、
素顔を晒せる家族であり、また生涯のライバルだった。
「ったく、お前の本性をファンが知ったらビックリすんだろうなー」
「大丈夫。僕はそんなヘマはしないよ。
カメラの前ではちゃんと『可愛いトニー君』してるから」
兄は唇を噛む。弟がかつての自分と同じ道を辿ろうとしている。
ファンの期待を裏切ってはいけないと思いながら、
重過ぎる鎖を断ち切りたくてもがいていた自分。
もう子どもではないのに、世間は子どもであるアルフレッドを求めていた。
「なあ、トニー。そういうのは後で疲れるぞ。役者が演じるのは役だ。自分じゃない」
弟は何も言わず、普段は開きっ放しのレースカーテンに触れた。
布を閉じている紐を解き、ひとつひとつカーテンを閉めていく。
「何してんだ?」
「せっかくカーテン付いてんだからさ、偶には使ってあげなよ。
レッド兄、このカーテン、使ってたの最初だけじゃん」
「いちいち開けたり閉めたりすんの面倒だろ」
「レッド兄が買ったんでしょ、これ」
全てのカーテンを閉め、トニーは内側に入る。
閉ざされた空間は、外の世界より薄暗くなってしまう。
兄は弟の行動の意図が読めなかった。
外界から薄いレースで遮断された空間。
弟はゆっくりとベッドに乗った。傍へ来て、兄を見下ろす姿勢を取る。
そのまま暫く兄を見つめていた。兄は首を傾げる。
「なんだ、お前? プロレスごっこでもしたいのか?」
「バカ兄貴」
「お前まで俺をバカ扱いすんな!」
「イメトレだよ。こういうシーンも、いつか撮るかもしれないでしょ?」
弟の笑顔が兄の眼前に迫る。ぴしっ、と弟のおでこを叩く。
「バーカ。お前にはまだ早いよ」
「レッド兄よりは、僕の方が早く来ると思うけどなー。
お兄さんよりトニー君の方が大人っぽいね、ってよく言われるしー」
「ちょっと見ない間に、またマセたな、お前」
末弟は三番目の兄を軽く睨む。声が少し低くなった。
「どうせなら、大人になったって言ってくれない?
てゆうか、レッド兄にそーゆーこと言われんの、ショックなんだけど?」
トニー・ヴィスコンティが家族にしか見せない素顔。
カメラの前では絶対に晒さないカオだ。
「マセない子役なんて居ないよ。レッド兄だってそうだったんでしょ?」
「まあな。お前ほどじゃねーけどな」
役柄では純真な子どもを演じていても子役本人はそうではない。
それはアルフレッドも同じだ。
大人に混ざって仕事をするうち、大人の考えを吸収し、
普通の子どもより内面が大人になるにも関わらず、
カメラを向けられた時は、普通の子どもより子どものカオを求められる。
自分の外側が売れる度、内側はどんどん擦れて、息が詰まりそうな時期があった。
今、弟はその時期に居る。
「大人ってさ、僕達のこと、子どもだと思ってるみたいだけど、
僕達は自分のこと、子どもなんて思ってないのに。
自分が子どもだった頃の感情忘れてるヤツに、
『そこはもっと子どもらしい演技で』とか言われてさ。大人の方がよっぽどバカだよねー」
軽く笑って、ばたりと隣に寝そべった。
兄は弟の肢体を眺めた。背が着実に伸びている。
ここ数年は特に、見る度に大人になっていく。
肢体も着実に子どもから大人へと変わっていくのが見て取れた。
学院に入学してからは、テレビ画面を通して弟を見ることが多くなったが。
作品を重ねるごとに演技力を身に付けているのが解った。
「なーんか、お前の方が大変そうだな、俺の時よりも。
何なら、お前も13歳になったらアルフォンソ学院に来るか?」
「どうかなー。結構先までスケジュール埋まってるしー。
映画に出ると続編も決まっちゃうし。父さんにはダメって言われそうだしなー」
「すっげーイイとこだそ、あの学院は」
「…アルフォンソ王の劇してるレッド兄、楽しそうだったね」
「そりゃそーさ! あいつらと芝居できたんだからな!」
「でもさ、アドリブ多過ぎじゃない?」
「舞台にトラブルは付き物さ」
「うわ、おじーちゃんみたい。おんなじガッコ行って、似てきたんじゃないの?」
「あんな食えないジジイと一緒にされたくないねっ」
兄の子どもっぽさに、弟が笑う。それは演技ではない笑顔だった。
組んだ足をリズム良く振る。
「ま。学院に行くのもありカモねー」
「そうだ。学院でさ、お前の最新作見たぜ? ホームドラマの」
「ああ、ユウタからも聞いたよ。一緒に見たんだってね」
「アレ、すっげー良かったな!」
嬉しそうな笑顔を向けられて、弟の声が小さくなる。
「そう、かな?」
「メディアとかにはさ、ラストのお涙シーンが最高なんて言われてっけど、
俺に言わせれば、お前の登場シーンだね。
実の父親を前にして、でも、お父さんって言えない時の表情が一番良かった!」
トニーは寝返りを打ち、こちらを向く。
「…ほ、ほんと?」
「ああ。俺はあんなデリケートな演技したことねえし。お前、俺に似て天才!」
弟の表情が微かに柔らかくなった。
「ありがと。僕も、そこが一番気を付けたシーンなんだ」
「そうだろ、そうだろー? やっぱなー!」
嬉しそうに弟の首に腕を回す。別に誰も聞いてないのに耳許で囁いた。
「見る目のない奴等の言うことなんか気にすんなよ。お前は天才なんだから。
お前の演技力は俺が解ってる。なんたって俺の弟だもんな!」
「それ、褒めてるの、僕じゃなくて自分じゃん」
「どっちでもおんなじさ。んじゃ、そろそろ寝ようぜー。お前も部屋戻んな?」
兄は大欠伸をする。弟は身体を起こしていなかった。
「おーい、トニー?」
「やだ」
トニーは、両手をベッドに広げる。
「僕、今日は疲れたから動けないー。ココで寝るー」
「…なんだ、お前。都合良い時だけ子どもみたいなこと言いやがって」
「イイでしょ、バカでかいベッドなんだから。レッド兄がもっとそっち行ってよ」
「おい、押すなよ。てか、毛布を取んな!」
「早く電気消してよ。でも完全に暗いのはダメだからね。んじゃー、おやすみっ」
fin
海に囲まれた緑いっぱいの場所。
学院の休暇中、ユウタはレッドのおじいさんの家に連れて来て貰った。
「あーあ。姉貴と一緒に来れたらなー」
今日はレッドがおじいさんと二人で演技の話してるからってことで、
レッドの弟トニー君とシチリア観光してるんだよ! どうしよう、姉貴!
あの天才メガネ少年役で大人気のトニー・ヴィスコンティと、
ホテルのカフェで甘くて美味しいレモンジュースとか飲んじゃってるよ。
シチリア産のレモンってやっぱ美味しいんだね。
トニー君が飲んでるのはブラックのアイスコーヒー。大人だなー。
今日はテレビで見るより、ちょっとお洒落なメガネを掛けてて、めちゃくちゃ似合う。
携帯で写真撮って、姉貴に送りたいくらいなんだけど、やっぱダメかなー。
姉貴、ヘディック博士とかインテリ系の人も好きだから、トニー君のことも好きなんだよなあ。
レッドに見せて貰った雑誌にも『弟にしたい子役ランキング一位』って載ってたし。
俺より年下なのに、しっかりしてるし、頭も良さそうだし、
可愛いし、俺の弟にしちゃいたいくらいだよ。
トニー君はお母さん似で、知的で綺麗な男の子ってかんじ。
わんぱく少年なレッドとはちょっと似てないよなあ。
最近多い役も、レッド曰く『俺が唯一苦手なガリ勉役』だし。
これがトニー君にはハマリ役で、去年は彼主演の少年探偵映画が大ヒットして、
続編も決定してるし、こっちも絶対に観に行くつもり。姉貴と行きたかったけど無理かなあ。
それにしても、このカフェ綺麗だなあ。
窓から海見えるし、なんか周りにお客さん居なくて貸切みたいになってるし。
でも、店員の女の人達、こっちチラチラ見てる。
トニー君のファンなんだろうなあ、やっぱり。
でも声とかは掛けて来ないし、プライベートだから気を遣ってくれてるのかな。
シチリアって、マフィアとか居るかも思ってたけど、結構優しい人多いみたい。
でも、レッドのおじいさんは近所のマフィアが茶飲み仲間だって、
レッドが言ってたんだけどな…あれ? 近所? 近所って大丈夫なのかな?
「あのー、ユウタさん?」
「は、はは、はいっ!?」
「そのレモンジュース、美味しくなかったですか?」
「あ、ううん。美味しかったよ、すっごく」
「そっか。良かった」
はー。ちょっとぼーっとしちゃってたー。
「そうだ、ナイチンゲールの役でしたよね? 文化祭の劇」
「ト、トニー君、見てたの!?」
「はい。家族全員で。皆が揃うなんて久し振りだったけど、
レッドお兄ちゃんの初監督作品だから」
「あ、そっか。初監督作品、だよね」
なんか、俺、すごい舞台に立っちゃったんだなあ。
「あの台本って全部お兄ちゃんが書いたんですか?」
「うん、そうだよ。すっごい一生懸命書いてた」
俺、ちょっとジャマしに行ったら殺気立ってて、めちゃくちゃ怒られたし。
「いいなあ。僕もお兄ちゃんと一緒の舞台に立ちたかったです」
「あ。そう言えば、兄弟の共演作品ってなかったね、まだ」
「うん。一緒にお仕事したこともないし、家でもあんまり遊んだことないんだ…」
そっか。トニー君んちはお父さんはプロデューサー、お母さんは女優。
4人兄弟の上2人は監督業、下2人は役者っていうスゴイ芸能一家だから。
子どもの時でも、うちみたいに姉貴としょっちゅう遊んだりもできなかったのか。
だけど、レッドはトニー君のこと大好きでよく自慢話もしてるし。
この前もトニー君の出てる作品、すごく褒めてた。そうだ、それ言わなきゃ。
「あ、あのね、トニー君!」
「はい?」
「トニー君が出てる2時間のドラマ、レッドと一緒に見たんだよ」
「お兄ちゃんと?」
「うん。あの、最後に、本当のお父さんと暮らせるようになる話。
俺、ラストで泣いちゃったよ。トニー君が『お父さん』って呼べたところ、
すっごく感動しちゃった。やっぱりトニー君ってすごいや」
「ありがとうございます。なんだか照れちゃうな」
わわ、生で見るトニー君の笑顔も可愛い。姉貴が見たら倒れちゃいそうだよ。
笑った顔は子役だった頃のレッドになんとなく似てるかも。
今日一日でトニー君のファンになっちゃいそう。
俺、アルフレッド・ヴィスコンティのファンなのに。
それから二時間後。
二人の裕福な老父が海の見えるテラスで珈琲を飲んでいた。
年の頃はどちらも80歳くらい。
ビーチチェアに背を預け、全身で潮風と夕陽を浴びている。
気心の知れた茶飲み仲間が目尻に皺を寄せる。
「お孫さん達が遊びに来ているんですか」
「ええ。ジャンニの下のせがれが二人ね」
「それはそれは。良かったですな、ヴィットーリオさん」
映画監督の巨匠、そう呼ばれた老父。
彼は現役を引退後、この海の綺麗な島でのんびりと余生を送っている。
映画界の第一線を先導していた頃は、
常にギラギラと輝いていた瞳も今ではだいぶ柔和になった。
当時、メガホンを握り締めていた手も、握力はかなり落ちていた。
今、持っているのは白のポーン。
二人の間にはチェスボードがあった。やや白が優勢に見える。
まだ若かった頃は映画のことしか考えられず、
こうやってチェスに興じる余裕もなかった。
「さっき、初めて孫とゆっくり話をしましたよ」
ポーンを置くと、しみじみと海を眺めた。
「いつのまに大きくなったのか。子どもの成長は早いものですな」
聞き役の老人は、にこやかに頷いた。
「そうですねえ、本当に」
黒のビショップを持つ指もしわしわだった。
幾つかゴールドの指輪が嵌っている。
髪色は元々は黒かったようだが、今はロマンスグレイに色付いていた。
こちらの老父は、ヴィスコンティ邸の近くに第二邸を持つ。
海辺に建てられた邸、そのテラスからは美しいシチリアの海が一望できたので、
ヴィットーリオを招いて、お茶を楽しむことが多々あった。
今、丁度、海に赤い陽が落ちようとしているところだ。
眩しい輝きに元映画監督は目を細める。
かつて夕陽待ちをした挙句、途中で雨にやられた作品が思い浮かんだ。
年を重ねる毎に、どんな出来事も許せるようになった。
何もかもただ懐かしく、愛おしい記憶に感じられる。
「ああ、今日の夕陽も、美しい」
朱色の海を眺めながら、ずずとエスプレッソを啜る。
老後の長閑な時間が潮風と共に流れる。
他愛の無い穏やかな会話が、ゆっくりゆっくりと交わされていた。
ゴールドに輝く指が、白のキングに伸びる。
「よいしょ、っと。すみません、チェックメイトです」
映画巨匠は笑顔で少し禿げ上がったおでこを叩く。
「はは。カルロさんには敵いませんなあ。さすが、お強い」
勝負をして相手を恨むことなど、もはやない。
「いやいや。ヴィットーリオさんは覚えたばかりなのに上達が早いですよ」
ヴィットーリオにチェスを教えて欲しいと請われ、丁寧に教えたのはこの老人だった。
二人の背後に、強面の男が近付いてきた。
「パパ、風が出てきたよ」
長い黒髪には緩やかなウエーブ。潮風に煽られた髪を押さえる。
その指にも金色のリングが光っていた。大の男がそっと老父の肩に手を置く。
「そろそろ中に入ろう? 風邪が治ったばかりなんだから」
顎鬚を持つ男を見上げ、パパと呼ばれた老父は目許を更にしわくちゃにする。
安心させるように、肩に置かれた手に老いた手を重ねる。
「ありがとう、大丈夫だよ。全く心配性だねえ、お前は」
電子音が鳴る。男が「すみません」と言って携帯を取り出し、
話しながら離れたところへ歩き出す。小さく聞こえてくるのは悪態。
そのドスの効いた声は、先程まで父親に見せていた優しさの欠片もない。
まるでマフィアのようだった。カルロは茶飲み仲間に詫びる。
「すみません、あれは血の気の多い子で」
ヴィットーリオはもう慣れたもので、気にしていないと微笑む。
電話が終わると、たたたと父親の所へ戻ってくる。父親は息子を見上げた。
「行くのかい?」
「うん。ごめん、ちょっと今日は帰れないみたいだ」
「おや。残念だね。今日は久し振りに家族揃ったから、
晩ご飯はお前の好きなペペロンチーノを作るとママが言っていたのに」
「本当? ああ…なんてことだ、ママのペペロンチーノが食べられないなんて」
まるでこの世の終わりのような嘆き方で、父親の腕を掴む。
「どうしよう、またママに怒られちゃう。
ねえパパ、ママにもごめんって言っておいてくれる?」
「ああ。儂が代わりに怒られておくよ」
「ごめんね。あ、それから、これから外は冷えるから早く家の中に入ってね」
「解ったよ。それじゃ、気を付けて」
父親は息子の手を取り、優しくキスをした。
その夜。ヴィットーリオ・ヴィスコンティ邸。
滞在時にアルフレッドが使う部屋は広く、かなり派手だった。
ベッドは昔の映画で見るようなキングサイズの天蓋付き。
白のレースカーテンが柱に巻かれている。
王様みたいでなんかイイだろ、とアルフレッド本人が買ったものだ。
アルフレッドは大の字で寝そべっている。
弟は傍の壁に凭れていた。その壁紙もやたら派手な模様が付いている。
ユウタは別室のゲストルームに居た。携帯電話で姉に今日の自慢をしている頃、
ヴィスコンティ兄弟も今日の出来事を話していた。
二人がゆっくり話をするのは久し振りだった。
兄は祖父に一杯食わされたことを悔しがっていた。
「ったく、食えないジジイだぜ、なあ?」
「ううん。僕は知ってたから」
「はああ!?」
「おじーちゃんに、アルフレッドには言うなよ、って」
「言えよ! なんで俺に教えないんだよ!」
メガネの奥の目は細くなる。
「ダマされる方がワルイ」
イタリアでは常識となっている言葉を吐き付けられて、兄が詰まる。
弟は年齢より遙かに大人びた微笑を見せた。
「イイじゃん。だから、聖アルフォンソ学院に行けたんでしょ?」
兄は天井を見上げる。学院でできた友達の顔が次々と浮かんでくる。
あいつらとは学院に行かなければ出会えなかった。
それを考えると、じいさんにダマされてもおつりが来る。
「…ん、まあ、そうだな」
今回は友達を一人連れて来ていたことを思い出す。
「あ、お前等は今日楽しかったか? 面白いヤツだろ、ユウタって」
「ん、面白かったけどさ…レッドって呼ばせてるんだね、彼に」
「え? ああ。てゆうか、みんなに」
「あっそ」頭の後ろで手を組む。
「ねえ。なんで、ユウタ、連れて来たの?」
「友達連れて来ちゃいけないのかよ?」
「いけないよ、あんなピュアな人…レッド兄はああいう弟が欲しかったわけ?」
「何言ってんだよ、お前」
トニーは壁から身を起こし、テラスの方へ歩き出す。
まだ成長過程の背中は小さい。
「僕みたいなマセガキが弟で悪かったね。
僕はレッド兄みたいになりたくて子役になったのに…」
「おい、トニー。落ち着…」
弟はクルリと振り向く。
「なーんちゃって」
舌を出して、あっかんべーをする。
「…おい、まさか今の」
見えないシルクハットをクルクルと降ろして、礼をする。
「トニー君劇場にご来場ありがとうございましたー」
「この…」
カラカラと天才子役が笑っている。
「はー。ねえ、レッド兄の友達って、みんなレッド兄みたいな人ばっかなの?」
「どーゆーイミだ、それ」
「なんにも計算してない人だってこと。ズルイよ、演技なしで可愛いなんて。
今度、ああいう役が来たら、モデルにしよっかなって思ったよ」
トニーは眼鏡を外し、放るように棚の上に置いた。
兄は驚かず、はあ、と息を吐く。
「お前は相変わらず、口悪いなー。
そういや、そのメガネどーしたんだ? 目悪くなったのか?」
「度は入ってないよ。外歩く時は最近してるんだ、コレ。
メガネ掛けてる方がウケがイイかな、って思ってさ」
人差し指と親指でメガネのフレームを弾く。コツン、と音が鳴った。
「お前は…ユウタの前でも猫被ってたし…俺の友達にまで良い顔する必要ねーじゃん?」
「だって、彼、僕のファンだっていうし。ファンの前で悪い顔してどーすんの」
カメラの前では自然に笑顔になってる。
可愛いトニー君を演じるのには、もう慣れた。
息を吸うように演技できている。
女優の母と元天才子役の兄を持つ弟。世間は僕をサラブレットだと見てる。
奔放な少年役で評価される兄に対抗するには、
彼が唯一できなかったインテリ役の演技で挑むしかない。
お前ならできる、と弟は父に言われていた。
天才少年役なら、アルフレッド・ヴィスコンティを超えられると。
ヴィスコンティ家の末弟にとって、三番目の兄は、兄弟の中で最も親しい存在、
素顔を晒せる家族であり、また生涯のライバルだった。
「ったく、お前の本性をファンが知ったらビックリすんだろうなー」
「大丈夫。僕はそんなヘマはしないよ。
カメラの前ではちゃんと『可愛いトニー君』してるから」
兄は唇を噛む。弟がかつての自分と同じ道を辿ろうとしている。
ファンの期待を裏切ってはいけないと思いながら、
重過ぎる鎖を断ち切りたくてもがいていた自分。
もう子どもではないのに、世間は子どもであるアルフレッドを求めていた。
「なあ、トニー。そういうのは後で疲れるぞ。役者が演じるのは役だ。自分じゃない」
弟は何も言わず、普段は開きっ放しのレースカーテンに触れた。
布を閉じている紐を解き、ひとつひとつカーテンを閉めていく。
「何してんだ?」
「せっかくカーテン付いてんだからさ、偶には使ってあげなよ。
レッド兄、このカーテン、使ってたの最初だけじゃん」
「いちいち開けたり閉めたりすんの面倒だろ」
「レッド兄が買ったんでしょ、これ」
全てのカーテンを閉め、トニーは内側に入る。
閉ざされた空間は、外の世界より薄暗くなってしまう。
兄は弟の行動の意図が読めなかった。
外界から薄いレースで遮断された空間。
弟はゆっくりとベッドに乗った。傍へ来て、兄を見下ろす姿勢を取る。
そのまま暫く兄を見つめていた。兄は首を傾げる。
「なんだ、お前? プロレスごっこでもしたいのか?」
「バカ兄貴」
「お前まで俺をバカ扱いすんな!」
「イメトレだよ。こういうシーンも、いつか撮るかもしれないでしょ?」
弟の笑顔が兄の眼前に迫る。ぴしっ、と弟のおでこを叩く。
「バーカ。お前にはまだ早いよ」
「レッド兄よりは、僕の方が早く来ると思うけどなー。
お兄さんよりトニー君の方が大人っぽいね、ってよく言われるしー」
「ちょっと見ない間に、またマセたな、お前」
末弟は三番目の兄を軽く睨む。声が少し低くなった。
「どうせなら、大人になったって言ってくれない?
てゆうか、レッド兄にそーゆーこと言われんの、ショックなんだけど?」
トニー・ヴィスコンティが家族にしか見せない素顔。
カメラの前では絶対に晒さないカオだ。
「マセない子役なんて居ないよ。レッド兄だってそうだったんでしょ?」
「まあな。お前ほどじゃねーけどな」
役柄では純真な子どもを演じていても子役本人はそうではない。
それはアルフレッドも同じだ。
大人に混ざって仕事をするうち、大人の考えを吸収し、
普通の子どもより内面が大人になるにも関わらず、
カメラを向けられた時は、普通の子どもより子どものカオを求められる。
自分の外側が売れる度、内側はどんどん擦れて、息が詰まりそうな時期があった。
今、弟はその時期に居る。
「大人ってさ、僕達のこと、子どもだと思ってるみたいだけど、
僕達は自分のこと、子どもなんて思ってないのに。
自分が子どもだった頃の感情忘れてるヤツに、
『そこはもっと子どもらしい演技で』とか言われてさ。大人の方がよっぽどバカだよねー」
軽く笑って、ばたりと隣に寝そべった。
兄は弟の肢体を眺めた。背が着実に伸びている。
ここ数年は特に、見る度に大人になっていく。
肢体も着実に子どもから大人へと変わっていくのが見て取れた。
学院に入学してからは、テレビ画面を通して弟を見ることが多くなったが。
作品を重ねるごとに演技力を身に付けているのが解った。
「なーんか、お前の方が大変そうだな、俺の時よりも。
何なら、お前も13歳になったらアルフォンソ学院に来るか?」
「どうかなー。結構先までスケジュール埋まってるしー。
映画に出ると続編も決まっちゃうし。父さんにはダメって言われそうだしなー」
「すっげーイイとこだそ、あの学院は」
「…アルフォンソ王の劇してるレッド兄、楽しそうだったね」
「そりゃそーさ! あいつらと芝居できたんだからな!」
「でもさ、アドリブ多過ぎじゃない?」
「舞台にトラブルは付き物さ」
「うわ、おじーちゃんみたい。おんなじガッコ行って、似てきたんじゃないの?」
「あんな食えないジジイと一緒にされたくないねっ」
兄の子どもっぽさに、弟が笑う。それは演技ではない笑顔だった。
組んだ足をリズム良く振る。
「ま。学院に行くのもありカモねー」
「そうだ。学院でさ、お前の最新作見たぜ? ホームドラマの」
「ああ、ユウタからも聞いたよ。一緒に見たんだってね」
「アレ、すっげー良かったな!」
嬉しそうな笑顔を向けられて、弟の声が小さくなる。
「そう、かな?」
「メディアとかにはさ、ラストのお涙シーンが最高なんて言われてっけど、
俺に言わせれば、お前の登場シーンだね。
実の父親を前にして、でも、お父さんって言えない時の表情が一番良かった!」
トニーは寝返りを打ち、こちらを向く。
「…ほ、ほんと?」
「ああ。俺はあんなデリケートな演技したことねえし。お前、俺に似て天才!」
弟の表情が微かに柔らかくなった。
「ありがと。僕も、そこが一番気を付けたシーンなんだ」
「そうだろ、そうだろー? やっぱなー!」
嬉しそうに弟の首に腕を回す。別に誰も聞いてないのに耳許で囁いた。
「見る目のない奴等の言うことなんか気にすんなよ。お前は天才なんだから。
お前の演技力は俺が解ってる。なんたって俺の弟だもんな!」
「それ、褒めてるの、僕じゃなくて自分じゃん」
「どっちでもおんなじさ。んじゃ、そろそろ寝ようぜー。お前も部屋戻んな?」
兄は大欠伸をする。弟は身体を起こしていなかった。
「おーい、トニー?」
「やだ」
トニーは、両手をベッドに広げる。
「僕、今日は疲れたから動けないー。ココで寝るー」
「…なんだ、お前。都合良い時だけ子どもみたいなこと言いやがって」
「イイでしょ、バカでかいベッドなんだから。レッド兄がもっとそっち行ってよ」
「おい、押すなよ。てか、毛布を取んな!」
「早く電気消してよ。でも完全に暗いのはダメだからね。んじゃー、おやすみっ」
fin
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