■バカンス続編
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「二人に嫉妬しているのかと思っていたけれど」
「どうして僕が」
「アンリだって、本当はユウタやミハイルともっと話してみたいんだろう?」
「話すことなんてないよ」
「ユウタは誰とでもすぐに仲良くなれる。彼が持つ才能の一つだと俺は思ってる。
今まで誰とも接してこなかったミハイルの心までも掴んだのだからね。
…羨ましいのは、俺の方かな」
「それ、君が言うこと? …誰の心も捉えるくせに」
「えっ?」
後半、小声で呟かれた言葉がジョシュアには聞こえなかった。
「ねえ、早くサロンに戻れば? 彼等とお茶の時間にするんでしょう、君は」
「うん。アンリも一緒に行こう?」
「僕は行かない」
頑なな態度にジョシュアは「解った」と折れた。
「追い駆けてきてしまって、すまない。じゃ、失礼するよ」
ドアへと向かう。アンリを振り向かせることが出来なかった。
部屋を出る間際、友人に伝える。
「アンリ。今度は彼等と一緒にアップルパイが食べられるといいね」
fin
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「どうして僕が」
「アンリだって、本当はユウタやミハイルともっと話してみたいんだろう?」
「話すことなんてないよ」
「ユウタは誰とでもすぐに仲良くなれる。彼が持つ才能の一つだと俺は思ってる。
今まで誰とも接してこなかったミハイルの心までも掴んだのだからね。
…羨ましいのは、俺の方かな」
「それ、君が言うこと? …誰の心も捉えるくせに」
「えっ?」
後半、小声で呟かれた言葉がジョシュアには聞こえなかった。
「ねえ、早くサロンに戻れば? 彼等とお茶の時間にするんでしょう、君は」
「うん。アンリも一緒に行こう?」
「僕は行かない」
頑なな態度にジョシュアは「解った」と折れた。
「追い駆けてきてしまって、すまない。じゃ、失礼するよ」
ドアへと向かう。アンリを振り向かせることが出来なかった。
部屋を出る間際、友人に伝える。
「アンリ。今度は彼等と一緒にアップルパイが食べられるといいね」
fin
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■バカンス続編
一方その頃、保健室では。
「ちわー。休暇中の保健室は開店休業かなー?」
「此処には平日も休暇もない」
背の高いタクシードライバーが訪ねて来た。
アイヴィーと周囲に呼ばせている金髪の男だ。
青のワイシャツは、その身体に刻まれた無数の傷を覆っている。
傷の存在を知る者は、この島には居ないのかもしれない。
ただ、一人を除いては。
首許にぶら下がっている黒のネクタイ。
存在意義が見出せないほど緩く結ばれている。
ただ、一つの使い道を除いては。
ドライバーは自分の席と言わんばかりに、簡易ベッドへと腰を下ろす。
「あれれー? ソクちゃん、その机に乗っているのは?」
「消毒用エタノールだ」
「センセ? それお酒代わりに飲んでたんじゃないのー?」
ドライバーはからかうつもりで言ったのに、逆に笑われた。
医師は意味深な含み笑いを見せると、席を立った。
「証拠でも探してみるか?」
医師は緩んだネクタイを引く。
よろめく身体。目前に差し出された顎。
息を呑んだと同時に、口呼吸を妨害してやる。
無防備な唇を割って入る。
学院の保健室で、濃厚な数十秒が過ぎていく。
涙目で睨まれて、嗜虐心がくすぐられる。
やっと解放されたアイヴィーは、咳き込んだ。
「お前、保健室で…」
「開店休業だからな、休暇中は」
「それ言ったの俺だろ。此処には平日も休暇もないんじゃなかったのか?」
「全てはお前が望んだこと。私はそれを与えてやっているだけだ」
「ズルイこと言いやがって…けど、もし、誰か来たら…どう、するんだ」
サディストは嘲笑った。
「記憶を消すまでだ」
「鬼…」
ドライバーの頬を指でなぞる。
「ということで。もう少し楽しませろ」
fin
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「ちわー。休暇中の保健室は開店休業かなー?」
「此処には平日も休暇もない」
背の高いタクシードライバーが訪ねて来た。
アイヴィーと周囲に呼ばせている金髪の男だ。
青のワイシャツは、その身体に刻まれた無数の傷を覆っている。
傷の存在を知る者は、この島には居ないのかもしれない。
ただ、一人を除いては。
首許にぶら下がっている黒のネクタイ。
存在意義が見出せないほど緩く結ばれている。
ただ、一つの使い道を除いては。
ドライバーは自分の席と言わんばかりに、簡易ベッドへと腰を下ろす。
「あれれー? ソクちゃん、その机に乗っているのは?」
「消毒用エタノールだ」
「センセ? それお酒代わりに飲んでたんじゃないのー?」
ドライバーはからかうつもりで言ったのに、逆に笑われた。
医師は意味深な含み笑いを見せると、席を立った。
「証拠でも探してみるか?」
医師は緩んだネクタイを引く。
よろめく身体。目前に差し出された顎。
息を呑んだと同時に、口呼吸を妨害してやる。
無防備な唇を割って入る。
学院の保健室で、濃厚な数十秒が過ぎていく。
涙目で睨まれて、嗜虐心がくすぐられる。
やっと解放されたアイヴィーは、咳き込んだ。
「お前、保健室で…」
「開店休業だからな、休暇中は」
「それ言ったの俺だろ。此処には平日も休暇もないんじゃなかったのか?」
「全てはお前が望んだこと。私はそれを与えてやっているだけだ」
「ズルイこと言いやがって…けど、もし、誰か来たら…どう、するんだ」
サディストは嘲笑った。
「記憶を消すまでだ」
「鬼…」
ドライバーの頬を指でなぞる。
「ということで。もう少し楽しませろ」
fin
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■バカンス続編
一方その頃、ギリシャでは。
デッドプリンスは目的の家に辿り着いた。
空港から迎えの車が用意されていたことにも驚いたが、
ハルヤにとっては今が一番、自らの目を疑っている。
車から降ろされたところ、その前に見えるのは。
「え…マジで? 此処がテオんち?」
シルヴァンは運転手から荷物を受け取りながら、
「さすが海運王といったところでしょうか♪」
アルフレッドは額に手をやる。
「ハリウッドで見たことありそうな家だなー」
隣の二人が割りと笑顔で居られることにもハルヤは驚いた。
「ねえ、これってさ、家っていうか、お城じゃないの?」
「とにかく入ろうぜー。オレンジジュース飲みたいし、俺」
高級過ぎて居心地の悪い空間で待たされていると、懐かしい声がその場で反響した。
「やあやあ、よく来てくれたね! デッドプリンス諸君!」
昨年度の生徒代表は、両手を広げて大歓迎を表した。
テオ・メネシス。ギリシャ有数の資産家である海運王の子息。
卒業後は後継者として家の仕事を手伝っている。
豪華絢爛な衣装で登場した旧友に、ハルヤは呆然とする。
アルフレッドは進んでハイタッチした。
「よおっ、テオ! 久し振り! 招待してくれてサンキュ!」
「こちらこそ、来てくれて嬉しいよ、アルフレッド」
「お久し振りです、テオ。それ、素敵な服ですね」
「ありがとう、シルヴァン。少し地味かと思っていたのだけれど」
「いえいえ。王様みたいでカッコイイですよ」
テオの言動は在学中とまるで同じだった。そのことにハルヤは少しほっとした。
テオはアルフレッドとシルヴァンの間を通り、
もう一人のデッドプリンスの前に進んだ。
感極まった表情で、テオはハルヤをひしと抱き締めた。
「ああ…会いたかったよ、東洋の黒い真珠!」
「なっ、おい、テオ! ハルヤを離せっ!」
「ちょっと、テオ、ズルイですよ!」
感動の再会から始まったデッドプリンスの休暇は、とても楽しいものになった。
テオが新調した船でエーゲ海をクルージングして祭りのように時間が過ぎ去っていった。
一日ハイテンションな人達に振り回されたハルヤと、
はしゃぎ過ぎたアルフレッドは、テオの家に戻ると眠ってしまった。
かなり騒いでいるように見えたシルヴァンとテオは、
二人の寝顔を肴にシャンパンを酌み交わしていた。
「閉じられた東洋の黒い真珠もまた、なんと神秘的なのだろう」
「お気持ちは解りますが、眺めるだけにして下さいね?」
シルヴァンは微笑みながら嗜める。
「解っているよ。ああ…今日は君達のおかげで楽しかった。夢のようだったよ」
「それは僕達もです。あの、テオ。聞きたいことが2つあるのですが」
「なんだい?」
「もしかして、ご結婚の時期が近いんですか?」
「うん、そうなのだよ」
「だから今、僕達を呼んだんですね。自由な時間があるうちに」
「そうなんだ。すまない。迷惑だったかな」
「まさか。ご結婚おめでとうございます、とは言い難いようですね」
「結婚というものは愛する人と、
結ばれることだと思っていたのだけどね。違うようだよ、この家では。
それで、もうひとつ聞きたいことというのは?」
「あ、ええ。もし知っていたら教えて欲しいのですが、クラウスは元気ですか?」
「クラウス…」
「学院では彼の近況がまるで聞こえてこないんです。
今何処に居るのかもよく解らなくて。テオは彼と親しかったでしょう?
彼から何か連絡ありました?」
「いいや、ないよ」
「テオ…? 本当に何も知らないんですか?」
「うん。解らない…」
テオの元に可笑しな手紙が一通だけ届いていた。
卒業後初めて来た、クラウスからの連絡。
彼の直筆で、ただ一言だけ。
それはまるで――
fin
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デッドプリンスは目的の家に辿り着いた。
空港から迎えの車が用意されていたことにも驚いたが、
ハルヤにとっては今が一番、自らの目を疑っている。
車から降ろされたところ、その前に見えるのは。
「え…マジで? 此処がテオんち?」
シルヴァンは運転手から荷物を受け取りながら、
「さすが海運王といったところでしょうか♪」
アルフレッドは額に手をやる。
「ハリウッドで見たことありそうな家だなー」
隣の二人が割りと笑顔で居られることにもハルヤは驚いた。
「ねえ、これってさ、家っていうか、お城じゃないの?」
「とにかく入ろうぜー。オレンジジュース飲みたいし、俺」
高級過ぎて居心地の悪い空間で待たされていると、懐かしい声がその場で反響した。
「やあやあ、よく来てくれたね! デッドプリンス諸君!」
昨年度の生徒代表は、両手を広げて大歓迎を表した。
テオ・メネシス。ギリシャ有数の資産家である海運王の子息。
卒業後は後継者として家の仕事を手伝っている。
豪華絢爛な衣装で登場した旧友に、ハルヤは呆然とする。
アルフレッドは進んでハイタッチした。
「よおっ、テオ! 久し振り! 招待してくれてサンキュ!」
「こちらこそ、来てくれて嬉しいよ、アルフレッド」
「お久し振りです、テオ。それ、素敵な服ですね」
「ありがとう、シルヴァン。少し地味かと思っていたのだけれど」
「いえいえ。王様みたいでカッコイイですよ」
テオの言動は在学中とまるで同じだった。そのことにハルヤは少しほっとした。
テオはアルフレッドとシルヴァンの間を通り、
もう一人のデッドプリンスの前に進んだ。
感極まった表情で、テオはハルヤをひしと抱き締めた。
「ああ…会いたかったよ、東洋の黒い真珠!」
「なっ、おい、テオ! ハルヤを離せっ!」
「ちょっと、テオ、ズルイですよ!」
感動の再会から始まったデッドプリンスの休暇は、とても楽しいものになった。
テオが新調した船でエーゲ海をクルージングして祭りのように時間が過ぎ去っていった。
一日ハイテンションな人達に振り回されたハルヤと、
はしゃぎ過ぎたアルフレッドは、テオの家に戻ると眠ってしまった。
かなり騒いでいるように見えたシルヴァンとテオは、
二人の寝顔を肴にシャンパンを酌み交わしていた。
「閉じられた東洋の黒い真珠もまた、なんと神秘的なのだろう」
「お気持ちは解りますが、眺めるだけにして下さいね?」
シルヴァンは微笑みながら嗜める。
「解っているよ。ああ…今日は君達のおかげで楽しかった。夢のようだったよ」
「それは僕達もです。あの、テオ。聞きたいことが2つあるのですが」
「なんだい?」
「もしかして、ご結婚の時期が近いんですか?」
「うん、そうなのだよ」
「だから今、僕達を呼んだんですね。自由な時間があるうちに」
「そうなんだ。すまない。迷惑だったかな」
「まさか。ご結婚おめでとうございます、とは言い難いようですね」
「結婚というものは愛する人と、
結ばれることだと思っていたのだけどね。違うようだよ、この家では。
それで、もうひとつ聞きたいことというのは?」
「あ、ええ。もし知っていたら教えて欲しいのですが、クラウスは元気ですか?」
「クラウス…」
「学院では彼の近況がまるで聞こえてこないんです。
今何処に居るのかもよく解らなくて。テオは彼と親しかったでしょう?
彼から何か連絡ありました?」
「いいや、ないよ」
「テオ…? 本当に何も知らないんですか?」
「うん。解らない…」
テオの元に可笑しな手紙が一通だけ届いていた。
卒業後初めて来た、クラウスからの連絡。
彼の直筆で、ただ一言だけ。
それはまるで――
fin
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■バカンス続編
「君のせいじゃないからね? アンリは休暇中、いつも機嫌が悪いんだよ」
「そうなの? よく、知ってるんだね、ジョシュア」
「長い付き合いだからね」
微笑して、自分の席に座る。自分でカップに紅茶を注いだ。
ジョシュアもアンリも休暇中は家には戻らない。
帰る家はある。しかし、其処は帰りたい場所ではなかった。
そう言えば、とユウタが話し始める。
「休暇に入ってからのアンリ、ちょっと近付き辛いんだよね。
なんか『僕に話し掛けるな』みたいなオーラ出ててさ」
「ごめんね、ユウタ。アンリのことは気にしなくていいから」
「あ、あのさ、ジョシュア。俺、やっぱり、アンリに嫌われてんのかな?」
「そんなことないよ、ユウタ」
実際には、アンリがユウタを避けているのはジョシュアも感じていた。
先もユウタとは言葉を交わしていない。
今回の休暇、アンリはいつも以上に機嫌が悪い。
その理由のひとつとして、思い当たることは。
帰れる家を持っているユウタへの憧憬かもしれない。
ぶつけようがない憤りを抱えて、苛々しているのではないか。
いや、羨ましいと自覚さえしていないのかもしれない。
――どうして君が、寮に残るの?――
ユウタが今回は残ると言った時、アンリは不機嫌になった。
おそらく、こういう意味だったのだろう。
『どうして君が寮に残るの? 君には待っていてくれる人が居るのに』
自分の推測に過ぎないけれど。
そんなふうに、ジョシュアは感じていた。
何故なら、自分も少しそう思ってしまったから。
「貴女のような人が、俺にも居ると良いのに」
fin
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「そうなの? よく、知ってるんだね、ジョシュア」
「長い付き合いだからね」
微笑して、自分の席に座る。自分でカップに紅茶を注いだ。
ジョシュアもアンリも休暇中は家には戻らない。
帰る家はある。しかし、其処は帰りたい場所ではなかった。
そう言えば、とユウタが話し始める。
「休暇に入ってからのアンリ、ちょっと近付き辛いんだよね。
なんか『僕に話し掛けるな』みたいなオーラ出ててさ」
「ごめんね、ユウタ。アンリのことは気にしなくていいから」
「あ、あのさ、ジョシュア。俺、やっぱり、アンリに嫌われてんのかな?」
「そんなことないよ、ユウタ」
実際には、アンリがユウタを避けているのはジョシュアも感じていた。
先もユウタとは言葉を交わしていない。
今回の休暇、アンリはいつも以上に機嫌が悪い。
その理由のひとつとして、思い当たることは。
帰れる家を持っているユウタへの憧憬かもしれない。
ぶつけようがない憤りを抱えて、苛々しているのではないか。
いや、羨ましいと自覚さえしていないのかもしれない。
――どうして君が、寮に残るの?――
ユウタが今回は残ると言った時、アンリは不機嫌になった。
おそらく、こういう意味だったのだろう。
『どうして君が寮に残るの? 君には待っていてくれる人が居るのに』
自分の推測に過ぎないけれど。
そんなふうに、ジョシュアは感じていた。
何故なら、自分も少しそう思ってしまったから。
「貴女のような人が、俺にも居ると良いのに」
fin
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■バカンス続編
「心配しなくて良いよ。何処に行ったのは大体解るから」
ジョシュアは微笑んで、ソファに座った。
アンリはウーティス寮から出て行った。
慣れた道筋で広いキャンパスを歩く。
神秘学の研究室。生徒は扉を開ける。些か乱暴だ。
特別講師は読んでいた講義資料から顔を上げる。
「やあ、アンリ」
「紅茶を淹れて」
不機嫌な口調で生徒は教授に命令する。
自分の席と化しているソファに座る。
足を組んで、肘掛けの上で頬杖を突く。
特別講師は、教え子の傲慢な態度をむしろ微笑ましく見ていた。
声に出さずに笑う。資料を机に置いて、席を立つ。
「はいはい」
ダージリン。オーギュストの淹れた紅茶の香りが研究室に満ちる。
「どうしたんだね、アンリ。何か気に入らないことでも?」
「今回の休暇は寮が騒がしくて、嫌になっただけ」
「おや。生徒代表君の他にも誰か残って居るのかね?」
「ユウタ」
「ああ、新入生の彼だね? アンリ、彼のことは気に入っているんだろう?」
「別に」
ユウタからプレゼントされたうさぎのマスコット。
それはアンリのブックバンドにぶらさがっている。
オーギュストは、神秘学の講義の時に毎回見掛けていた。
彼のブックバンドに何かが付いていたのは今年が初めてだった。
気に入らない相手の筈がない。
そこで、はたと他の考えが浮かんだ。
「ああ、そういうことか。それなら心配には及ばないよ、アンリ」
「何の話?」
「アンリの部屋が使えなくて困っているのだろう?
今宵は、メルキュール館の私の部屋においで」
「僕は、君の部屋に用事はないけれど?」
「それとも第二化学室にしようか? 休暇中だから生徒も来ないだろうし」
「ボージェ教授、神秘学の教室で何をするつもり?」
「プライベート・レッスンだよ、もちろん」
生徒の髪に唇を寄せた。
fin
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ジョシュアは微笑んで、ソファに座った。
アンリはウーティス寮から出て行った。
慣れた道筋で広いキャンパスを歩く。
神秘学の研究室。生徒は扉を開ける。些か乱暴だ。
特別講師は読んでいた講義資料から顔を上げる。
「やあ、アンリ」
「紅茶を淹れて」
不機嫌な口調で生徒は教授に命令する。
自分の席と化しているソファに座る。
足を組んで、肘掛けの上で頬杖を突く。
特別講師は、教え子の傲慢な態度をむしろ微笑ましく見ていた。
声に出さずに笑う。資料を机に置いて、席を立つ。
「はいはい」
ダージリン。オーギュストの淹れた紅茶の香りが研究室に満ちる。
「どうしたんだね、アンリ。何か気に入らないことでも?」
「今回の休暇は寮が騒がしくて、嫌になっただけ」
「おや。生徒代表君の他にも誰か残って居るのかね?」
「ユウタ」
「ああ、新入生の彼だね? アンリ、彼のことは気に入っているんだろう?」
「別に」
ユウタからプレゼントされたうさぎのマスコット。
それはアンリのブックバンドにぶらさがっている。
オーギュストは、神秘学の講義の時に毎回見掛けていた。
彼のブックバンドに何かが付いていたのは今年が初めてだった。
気に入らない相手の筈がない。
そこで、はたと他の考えが浮かんだ。
「ああ、そういうことか。それなら心配には及ばないよ、アンリ」
「何の話?」
「アンリの部屋が使えなくて困っているのだろう?
今宵は、メルキュール館の私の部屋においで」
「僕は、君の部屋に用事はないけれど?」
「それとも第二化学室にしようか? 休暇中だから生徒も来ないだろうし」
「ボージェ教授、神秘学の教室で何をするつもり?」
「プライベート・レッスンだよ、もちろん」
生徒の髪に唇を寄せた。
fin
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■バカンス続編
「俺、ちょっと見てくるよ。ミハイルは、ゆっくりしていって」
「う、うん」
「本当にごめんね」
ジョシュアはサロンを出る。廊下にアンリの背が見えた。
追い駆けて、彼の部屋へ向かった。
ドアをノックする。返事はない。
「アンリ、開けるよ」
許可を得ずに、部屋に入った。
アンリは机の前で立っていて、こちらには背を向けていた。
ジョシュアは後ろ手に扉を閉める。
アンリの華奢な背中は、いつも孤独を背負っているように見えた。
振り向かずにアンリは言った。
「勝手に入って来ないで」
「ごめん」
素直に謝られて、アンリは少し黙った。
ジョシュアは何も言わずに、アンリの背を見つめていた。
「君、彼等とお茶を飲むのではなかったの?」
「うん。だけど、アンリのことが気になったから」
「さすが、生徒代表殿。お節介だね」
肩を竦め、冷笑した息遣いが聞こえた。
「ミハイルが訪ねて来たこと、怒っているのかい?」
「僕は彼が嫌いなの。いつもめそめそして、苛々する」
→「二人に嫉妬しているのかと思っていたけれど」
→「アンリが怒っている理由はミハイル、じゃないだろう?」
「う、うん」
「本当にごめんね」
ジョシュアはサロンを出る。廊下にアンリの背が見えた。
追い駆けて、彼の部屋へ向かった。
ドアをノックする。返事はない。
「アンリ、開けるよ」
許可を得ずに、部屋に入った。
アンリは机の前で立っていて、こちらには背を向けていた。
ジョシュアは後ろ手に扉を閉める。
アンリの華奢な背中は、いつも孤独を背負っているように見えた。
振り向かずにアンリは言った。
「勝手に入って来ないで」
「ごめん」
素直に謝られて、アンリは少し黙った。
ジョシュアは何も言わずに、アンリの背を見つめていた。
「君、彼等とお茶を飲むのではなかったの?」
「うん。だけど、アンリのことが気になったから」
「さすが、生徒代表殿。お節介だね」
肩を竦め、冷笑した息遣いが聞こえた。
「ミハイルが訪ねて来たこと、怒っているのかい?」
「僕は彼が嫌いなの。いつもめそめそして、苛々する」
→「二人に嫉妬しているのかと思っていたけれど」
→「アンリが怒っている理由はミハイル、じゃないだろう?」
■アンリの日記「バカンス」ベース
「さあっ、ミハイル。入って入って」
ユウタは最近仲良くなった友達の手を引く。
ウーティス寮サロンにミハイルが遊びに来た。
ユウタに半ば強引に連れて来られた、という方が正確かもしれない。
「お、おじゃまします…」
ミハイルはおずおずと部屋に入る。
シュヌーシア寮でさえ、サロンにはあまり顔を出さないのに、
自分の部屋より広く、慣れない空間に足を踏み入れることに緊張してしまう。
サロンにはまだ誰も居ない。それはありがたいことだった。
この寮には一人、少し怖い人が居る。
ドアがノックされて、ミハイルは驚いた。
開いたドアには初老の執事。ロマンスグレイの髪を見て、ミハイルは少し安心する。
執事は来客にお辞儀した。
「おや、ミハイル様。ようこそ、ウーティス寮へ」
「あ、あの、お邪魔してます…」
慌ててミハイルも同じように頭を下げた。
「ご丁寧にありがとうございます」
執事は、ウーティスに住む主人に尋ねる。
「ユウタ様、お茶のご用意をしても宜しいでしょうか?」
「うん。お願い。あっ、あとアレも、ね?」
「畏まりました」
バトラーが下がると、ユウタは友達を席に勧めた。
学院は長期休暇に入っていた。
アルフレッド、シルヴァン、ハルヤの三人は揃って旅行中だ。
昨年度の生徒代表が暮らすギリシャまで遥々遊びに行ったらしい。
三人と彼は、バンドメンバーとその熱烈なファンとして仲が良かった。
寮に残っているのはお留守番組に成り易いジョシュアとアンリ。
そして、今回はユウタも寮に留まった。
日本に帰らず、デッドプリンスの誘いも遠慮した。
それはミハイルに付き合ってのことである。
身体の弱いミハイルは休暇中も必ず学院に残る。
そう聞いて、ユウタも学院に残ることにした。
バトラーが運んできたのは紅茶とアップルパイ。
ミハイルが好きなお菓子であり、ユウタが昨日のうちに注文していたものだ。
「ミハイル、好きだったよね?」
「うんっ」
友達の笑顔が嬉しくて、ユウタも笑顔になった。
バトラーが二人に誘惑の代償を切り分ける。
きつね色のパイ。辺りには甘いリンゴとシナモンの匂い。
「おいしい…」
甘い物を口にしたミハイルは表情が柔らかくなった。
ユウタも、ほっとしてフォークを口に運んだ。
「勝手だね」
「怒るなよ」
ジョシュアとアンリの声。二人がライブラリからサロンに戻ってきた。
アンリの琥珀の瞳が部外者を捉える。
びくりとミハイルの肩が跳ねた。
見下ろして、冷笑する。刺々しい言い方だった。
「こんにちは、ミハイル」
蛇に睨まれた兎のように、ミハイルは一度息を詰まらせる。
必死で挨拶を返した。
「あっ…こ、こんにちは、アンリ」
一瞬で凍り掛けた空気。それをジョシュアが緩和する。
ウーティス最高学年はシュヌーシアの寮生を温かく迎えた。
「やあ、ミハイル。来ていたんだね」
「こ、こんにちは。ジョシュア」
「ウーティスに遊びに来てくれてありがとう。歓迎するよ」
生徒代表の優しい言葉に、ミハイルは少し頬を染める。
「二人は、これからティータイムかい?」
うん、とユウタが答える。
「ジョシュアとアンリも食べる? アップルパイ」
「ありがとう。頂こうかな」
「僕は要らない」
「アンリ?」
ジョシュアの隣から扉へと踵を返す。
「失礼するよ」
ちらとミハイルを盗み見て、ドアを閉めた。
バタン、と重苦しい音が鳴る。
「すまない、ミハイル」
ジョシュアは友人の非礼を詫びた。
→「俺、ちょっと見てくるよ。ミハイルは、ゆっくりしていって」
→「心配しなくて良いよ。何処に行ったのは大体解るから」
→「君のせいじゃないからね? アンリは休暇中、いつも機嫌が悪いんだよ」
→一方その頃、ギリシャでは。
→一方その頃、保健室では。
ユウタは最近仲良くなった友達の手を引く。
ウーティス寮サロンにミハイルが遊びに来た。
ユウタに半ば強引に連れて来られた、という方が正確かもしれない。
「お、おじゃまします…」
ミハイルはおずおずと部屋に入る。
シュヌーシア寮でさえ、サロンにはあまり顔を出さないのに、
自分の部屋より広く、慣れない空間に足を踏み入れることに緊張してしまう。
サロンにはまだ誰も居ない。それはありがたいことだった。
この寮には一人、少し怖い人が居る。
ドアがノックされて、ミハイルは驚いた。
開いたドアには初老の執事。ロマンスグレイの髪を見て、ミハイルは少し安心する。
執事は来客にお辞儀した。
「おや、ミハイル様。ようこそ、ウーティス寮へ」
「あ、あの、お邪魔してます…」
慌ててミハイルも同じように頭を下げた。
「ご丁寧にありがとうございます」
執事は、ウーティスに住む主人に尋ねる。
「ユウタ様、お茶のご用意をしても宜しいでしょうか?」
「うん。お願い。あっ、あとアレも、ね?」
「畏まりました」
バトラーが下がると、ユウタは友達を席に勧めた。
学院は長期休暇に入っていた。
アルフレッド、シルヴァン、ハルヤの三人は揃って旅行中だ。
昨年度の生徒代表が暮らすギリシャまで遥々遊びに行ったらしい。
三人と彼は、バンドメンバーとその熱烈なファンとして仲が良かった。
寮に残っているのはお留守番組に成り易いジョシュアとアンリ。
そして、今回はユウタも寮に留まった。
日本に帰らず、デッドプリンスの誘いも遠慮した。
それはミハイルに付き合ってのことである。
身体の弱いミハイルは休暇中も必ず学院に残る。
そう聞いて、ユウタも学院に残ることにした。
バトラーが運んできたのは紅茶とアップルパイ。
ミハイルが好きなお菓子であり、ユウタが昨日のうちに注文していたものだ。
「ミハイル、好きだったよね?」
「うんっ」
友達の笑顔が嬉しくて、ユウタも笑顔になった。
バトラーが二人に誘惑の代償を切り分ける。
きつね色のパイ。辺りには甘いリンゴとシナモンの匂い。
「おいしい…」
甘い物を口にしたミハイルは表情が柔らかくなった。
ユウタも、ほっとしてフォークを口に運んだ。
「勝手だね」
「怒るなよ」
ジョシュアとアンリの声。二人がライブラリからサロンに戻ってきた。
アンリの琥珀の瞳が部外者を捉える。
びくりとミハイルの肩が跳ねた。
見下ろして、冷笑する。刺々しい言い方だった。
「こんにちは、ミハイル」
蛇に睨まれた兎のように、ミハイルは一度息を詰まらせる。
必死で挨拶を返した。
「あっ…こ、こんにちは、アンリ」
一瞬で凍り掛けた空気。それをジョシュアが緩和する。
ウーティス最高学年はシュヌーシアの寮生を温かく迎えた。
「やあ、ミハイル。来ていたんだね」
「こ、こんにちは。ジョシュア」
「ウーティスに遊びに来てくれてありがとう。歓迎するよ」
生徒代表の優しい言葉に、ミハイルは少し頬を染める。
「二人は、これからティータイムかい?」
うん、とユウタが答える。
「ジョシュアとアンリも食べる? アップルパイ」
「ありがとう。頂こうかな」
「僕は要らない」
「アンリ?」
ジョシュアの隣から扉へと踵を返す。
「失礼するよ」
ちらとミハイルを盗み見て、ドアを閉めた。
バタン、と重苦しい音が鳴る。
「すまない、ミハイル」
ジョシュアは友人の非礼を詫びた。
→「俺、ちょっと見てくるよ。ミハイルは、ゆっくりしていって」
→「心配しなくて良いよ。何処に行ったのは大体解るから」
→「君のせいじゃないからね? アンリは休暇中、いつも機嫌が悪いんだよ」
→一方その頃、ギリシャでは。
→一方その頃、保健室では。
■ミハイル×ユウタ
「ありがとうございました、ソクーロフ博士」
カウンセリングが終わったミハイルは保健室のドアを閉める。
目許は濡れていた。博士の前で歌うと、いつも涙が出ちゃう。
濡れた瞳を乾かす為に、今日も森の奥へ向かう。
泉まで来ると、ミハイルはほっとした。この学院で好きな場所。
此処には棕櫚(シュロ)の木が一本だけ生えていた。
誰が植えたのかな、とミハイルはいつも思うが、答えは出ない。
どうして植えたのかな。
棕櫚の木が好きだったのかもしれない。
祖国にあった木なのかもしれない。
植物園には木も花もいっぱいあるみたいだけど、
なかなか学院の外まで行けない。
一羽のナイチンゲールが月桂樹から下りて来た。
ミハイルに恐れることなく、傍を歩いている。
おひさまが温かい。
此処は日当たりが良かった。眠たくなってきちゃったな。
ちょっとだけ、ちょっとだけ…
睡魔の誘惑に抗えず、ブルーの瞳が閉じられる。
ナイチンゲールは、木の上へ飛んでいった。
自然と目が覚めた。
何か夢を見ていた。楽しい夢だったような気がする。
眠い目をこすると、目の前に友達の寝顔があった。
今年初めて出来た友達。ウーティス寮のユウタだ。
ユウタの寝顔は、春のおひさまみたいだった。
どうして自分の隣で眠っているのか聞きたい気持ちもあったが、
ユウタのこと、このまま見ていたい気持ちもあった。
栗色の髪は、木漏れ陽に当たって、いつもより明るい色に見える。
さらさらしてて、撫でたら気持ちが良さそうだった。
少しミハイルの手が持ち上がる。
その時、うさぎが木の影からひょこっと現れた。
ミハイルの知っているウサギだった。野菜をあげたことがある。
シュヌーシア寮のシェフ、ドニ・ドームから貰った野菜の残りを、
うさぎにあげるととても喜んでくれた。
それ以来、うさぎはミハイルが傍に居ても、逃げなくなった。
ミハイルは、うさぎが野菜を、はむはむ食べる様子を見るのが好きだった。
鼻をひくひくさせて、赤い瞳がユウタを見ている。
見知らぬ顔を伺っているようだ。
ミハイルは人差し指を口に当てた。
「うさぎさん、起こさないであげて? この人、ぼくの友達なの」
すっと口から出た『友達』という言葉。
ミハイルは自分で言ったその単語で、恥ずかしいような嬉しいような気持ちになる。
今日は昨日より涼しい日なのに、胸がだんだん温かくなるみたいだった。
「んん…」
ユウタが寝返りを打った。片手が投げ出される。
動いた人間を見て、うさぎは木の向こうに飛んで行った。
ほんの小さな声で、友達の名前を呼んでみる。
「ユウ、タ?」
反応はない。友達の瞳は閉じられたままだ。
ユウタはどうして、此処で眠っているんだろう。
ミハイルはもう一度横たわる。
友達の手に、そっと自分の手を重ねた。
ユウタの手はあったかかった。
また瞼が重くなる。目を閉じた。
木陰からうさぎが顔を覗かせる。
真ん中には知らない人間の手と、知っている人間の手が重なっている。
ぴょんぴょんと傍まで跳ねていく。
棕櫚の木の下で、二人の人間が眠っていた。
fin
カウンセリングが終わったミハイルは保健室のドアを閉める。
目許は濡れていた。博士の前で歌うと、いつも涙が出ちゃう。
濡れた瞳を乾かす為に、今日も森の奥へ向かう。
泉まで来ると、ミハイルはほっとした。この学院で好きな場所。
此処には棕櫚(シュロ)の木が一本だけ生えていた。
誰が植えたのかな、とミハイルはいつも思うが、答えは出ない。
どうして植えたのかな。
棕櫚の木が好きだったのかもしれない。
祖国にあった木なのかもしれない。
植物園には木も花もいっぱいあるみたいだけど、
なかなか学院の外まで行けない。
一羽のナイチンゲールが月桂樹から下りて来た。
ミハイルに恐れることなく、傍を歩いている。
おひさまが温かい。
此処は日当たりが良かった。眠たくなってきちゃったな。
ちょっとだけ、ちょっとだけ…
睡魔の誘惑に抗えず、ブルーの瞳が閉じられる。
ナイチンゲールは、木の上へ飛んでいった。
自然と目が覚めた。
何か夢を見ていた。楽しい夢だったような気がする。
眠い目をこすると、目の前に友達の寝顔があった。
今年初めて出来た友達。ウーティス寮のユウタだ。
ユウタの寝顔は、春のおひさまみたいだった。
どうして自分の隣で眠っているのか聞きたい気持ちもあったが、
ユウタのこと、このまま見ていたい気持ちもあった。
栗色の髪は、木漏れ陽に当たって、いつもより明るい色に見える。
さらさらしてて、撫でたら気持ちが良さそうだった。
少しミハイルの手が持ち上がる。
その時、うさぎが木の影からひょこっと現れた。
ミハイルの知っているウサギだった。野菜をあげたことがある。
シュヌーシア寮のシェフ、ドニ・ドームから貰った野菜の残りを、
うさぎにあげるととても喜んでくれた。
それ以来、うさぎはミハイルが傍に居ても、逃げなくなった。
ミハイルは、うさぎが野菜を、はむはむ食べる様子を見るのが好きだった。
鼻をひくひくさせて、赤い瞳がユウタを見ている。
見知らぬ顔を伺っているようだ。
ミハイルは人差し指を口に当てた。
「うさぎさん、起こさないであげて? この人、ぼくの友達なの」
すっと口から出た『友達』という言葉。
ミハイルは自分で言ったその単語で、恥ずかしいような嬉しいような気持ちになる。
今日は昨日より涼しい日なのに、胸がだんだん温かくなるみたいだった。
「んん…」
ユウタが寝返りを打った。片手が投げ出される。
動いた人間を見て、うさぎは木の向こうに飛んで行った。
ほんの小さな声で、友達の名前を呼んでみる。
「ユウ、タ?」
反応はない。友達の瞳は閉じられたままだ。
ユウタはどうして、此処で眠っているんだろう。
ミハイルはもう一度横たわる。
友達の手に、そっと自分の手を重ねた。
ユウタの手はあったかかった。
また瞼が重くなる。目を閉じた。
木陰からうさぎが顔を覗かせる。
真ん中には知らない人間の手と、知っている人間の手が重なっている。
ぴょんぴょんと傍まで跳ねていく。
棕櫚の木の下で、二人の人間が眠っていた。
fin
■ネタ帳です。
■たまごかけごはん。と オギュアンで風邪。
別々にした方が良いかも。
「うちの朝ごはん? あ、たまごかけごはんとか!」
ユウタの言葉にハルヤだけが笑う。
「美味しいよね。海苔を掛けたりしてさ?」
「うんうん!」
朝食について、ジャパニーズトークが盛り上がる。
アルフレッド隊長は、隊員達にびしっと指を差す。
「こらっ、そこ! 俺に分からない話するな!」
日本贔屓のシルヴァンは日本チームに味方した。
「良いじゃないですか、レッド。それで、
タマゴカケゴハンってどんなもの何ですか?」
ユウタはハルヤと顔を見合わせる。
「生たまごを、ごはんにかけるだけだよね?」
「うん。あ、味付けでお醤油は入れるけど」
寮生達に衝撃が走る。アルフレッドが大声を出した。
「あー!? お前等はたまごも生で食うのかっ!?」
今度はユウタが驚く番だった。
「えっ? ハルヤ、これって日本だけなの?」
「うん。そうみたい。美味しいのにね」
「僕、食べてみたいです!!」
「じゃあ、後で卵買って、アイヴィーんちにでも行く?
まだお米もあったと思うし」
アイヴィーの自宅にハルヤ用の備蓄米があった。
度々遊びに行くこともあって、自分用の非常食として置かせて貰っていた。
「良いですねー! ユウタも一緒に行きましょう?」
「うん。行くー!」
「レッドも食べてみる? たまごかけごはん」
「お、俺は食べない!」
「えー。隊長も一緒に行こうよー」
「よく朝から食べ物の話ができるね、君達は」
アンリが席を立つ。ジョシュアは心配そうに声を掛けた。
「もういいのかい? 全然食べていないじゃないか」
「君達と違って朝から食欲旺盛ではないの」
「だけど…」
確かにアンリは朝に弱い方ではあるが、
今朝の食事は殆ど手を付けていなかった。
口にしたのはミルクティ。
どちらかと言うとリーフ本来の味を楽しむことが多く、
ミルクを入れて、とバトラーに注文したことも珍しい。
「じゃ、僕は失礼するよ」
食堂を出て、廊下に出る。
食べ物の匂いが消えると、少し楽になった。
自分の部屋に戻って扉を閉める。
息を吐いてドアに凭れた。右手を首許に当てる。
「アンリ、具合が悪いのかね?」
紳士の声。勝手に生徒の部屋に入ってくる講師が居た。
「オーギュスト…また君は」
「顔色が良くないようだが」
「少し、吐き気があるだけだ。講義に支障はない」
「つわりかね?」
「…オーギュスト」
講師は微笑む。
「保健室までお供しよう」
「行かない」
「ああ、君はソクーロフ博士のことが苦手だったね」
「『苦手』ではなく、『嫌い』なの」
ドアがノックされた。長い付き合いの友人の声がする。
「アンリ。開けてもいいかい?」
講師は腕を組む。
「おや。お友達も君が心配なのかな?」
アンリはドアに向かって言う。
「開いているよ」
ドアが開く。ジョシュアの目に神秘学の特別講師が映る。
驚いたようだが、優等生は朝の挨拶をした。
「ボージェ教授…おはようございます」
「おはよう、生徒代表君」
「すみません、お話中だったんですね」
「構わないよ」
「僕に何の用?」
「アンリ、やっぱり体調が悪いんじゃないかと心配になってね」
「平気だって言っているでしょう。それじゃ」
「どうして、彼に言わなかったんだい?」
「言う必要がない。君、講義に向かった方が良いんじゃない?」
夕食後、アンリが部屋に戻ると、また講師が居た。
「昔話でもしようか」
「僕を子ども扱いするつもり?」
「昔々、あるところに一人の紳士が居ました。
彼は霊薬を飲んで、永遠の命を賜りました。
そして、時空を自由に旅する力も」
「オーギュ…?」
「全てを手に入れたと彼は思いました。
様々な国、過去から未来に飛び回ります。
しかし、ある時、親しかった友人を亡くします。
次々と周りの者が寿命を迎えていくのです。
彼は全てを手に入れたと思っていましたが、
それは間違いだったのではないかと気付き始めます。
衰えない手を見て、彼は溜め息を付くようになりました。
けれども、彼には子孫があります。聡明な子です。
彼の楽しみは子孫の成長を見守ることでした。
またいつか失ってしまうと知りながら。
ただ、一人の子孫だけが、永遠の命を支えているのです。おしまい」
「オーギュ…今の話って」
「すまない、長々と。もう君は眠らなくてはならないね。失礼するよ」
「待って、オーギュ」
「おやすみ。いいゆめを」
■大きな棕櫚の木の下で。
「ありがとうございました、ソクーロフ博士」
カウンセリングが終わったミハイルは保健室のドアを閉める。
目許は濡れていた。博士の前で歌うと、いつも涙が出ちゃう。
濡れた瞳を乾かす為に、今日も森の奥へ向かう。
泉まで来ると、ミハイルはほっとした。この学院で好きな場所。
此処には棕櫚の木が一本だけ生えていた。
誰が植えたのかな、とミハイルはいつも思うが、答えは出ない。
どうして植えたのかな。
棕櫚の木が好きだったのかもしれない。
祖国にあった木なのかもしれない。
植物園には木も花もいっぱいあるみたいだけど、
なかなか学院の外まで行けない。
おひさまが温かい。
此処は日当たりが良かった。
ちょっとだけ、ちょっとだけ…
眠い目をこする。
何か夢を見ていた。楽しい夢だったような気がする。
「カウンセリングの後、寮に戻ってないっていうし、
俺、心配になって探しちゃった」
「ごめんね…ぼくのせいで…」
「良いんだよ。ミハイルが何ともないんならさ」
■オギュアンで植物園。
オーギュとアンリ
小難しい話をしながら植物園を散歩する
植物の描写とボルジアの話か今日の講義について
自虐めいたことを言うアンリにオーギュが何かいいことを言う
「僕、喉が渇いたな」
「では茶室で休むかい?」
「嫌。カフェの方がいい。茶室には紅茶がないもの」
植物の描写で終わり
■ロレートの屋上。
「陛下が消えただと?」
ロレート国王の側近は、邸に戻ったところだった。
邸に入るなり、部下に耳打ちされた。
申し訳なさそうに部下は説明する。
「溜まっていた書類にサインをお願いしていたのですが…」
「また脱走されたのか」
「はい。『少々席を外す』と仰られて、そのまま…申し訳ありません、閣下」
「お前達のせいではない。今は捜索中なのか?」
「はい」
「では通常の任務に戻るように言ってくれ。陛下は私が連れ戻す」
「閣下、お解りになるのですか? 陛下が何処にいらっしゃるのか」
「でなければ、あの方の側近など務まらぬ」
邸の屋上で、国主は寝そべっていた。
目を閉じて気持ちよさそうに、組んだ足を振っている。
「見付けましたよ、陛下」
「早過ぎるぞ、ラルヴィス」
「執務中のかくれんぼは、お控え頂けませんか? 皆が困ります」
「急ぐ仕事ではなかったし、良いだろう、別に」
「陛下は、学院にいらっしゃる時も、よく屋上に?」
「ああ。よく分かったな」
「目に浮かぶようです。素行の悪さは昔のままなのですね」
「ああ。シュンという悪ガキが居てな。よく屋上でサボっていた」
「シュン様…以前、偶然再会されたご学友ですね?」
「ああ。あいつはピアノが上手くてな。今も何処かで弾いているのだろう。
お前も弾けるのだったな。ラルヴィス、ピアノを聞かせてくれないか」
「陛下、そろそろ執務室へ戻って頂かないと」
「なんだ。シュンに妬いたのか?」
「いいえ」
「ピアノも聞かせて貰えないのでは、執務室に戻る気力もないな」
「陛下」
「近くへ来い、ラルヴィス。俺には充電が必要だ」
「陛下。その充電というのは、青空の下でできることでしょうか?」
「できないことではないだろう」
■14テオアンリ。アイヴィー。
「ね、ハルヤ?」
「や…そんなこと言わないでよ、アンリ」
アンリとハルヤが談笑していると、ウーティス寮のドアが派手に開いた。
「やあやあ、お邪魔するよ! アンリ! アンリは居るかい!」
威勢の良い声で入ってきたのはシュヌーシア寮のテオ。今年度の生徒代表だ。
何故か腕にバラの花束を抱えている。ハルヤは疑問を隠さない。
「テオ、どうしたの、それ?」
「やあ! 東洋の黒い真珠。今日も美しいね!」
「こ、こんちは…」
「おやおや、どうしたんだい? 浮かない顔をして」
「あ、あのね…その真珠って呼び方なんだけど…
俺には合ってないっていうかさ…」
止めて欲しいんだけど、と言っても聞きそうにないので言うのを諦めた。
テオは一層楽しそうだ。
「また君はそんなに謙虚なことを。日本人の美だねえ」
「俺のことはもういいんだけど、アンリに用事だった?」
「そうそう、そうなのだよ、アンリ!」
「…僕に何か?」
「これを君に思って、やってきたのだよ。ちょっと持ってごらん、アンリ」
膝にバラの花束を置かれる。テオは少し離れてアンリを眺めた。
「ああ、深紅のバラでさえも、君の前では霞んでしまう!」
「貴方は…何がしたいの?」
「アンリを愛でたいに決まっているじゃないか!」
「1回1万ドル取るよ?」
「ええっ!? それだけでいいのかい!?」
「…冗談だから、本気にしないで」
「あはは、そうだよね。アンリが1万ドルでは安過ぎるよ」
ハルヤは頭の中でドルを日本円に換算する。1万ドルで約100万円だ。
海運王と事業経営者の経済感覚に全く付いていけない。
テオがハルヤとアンリでさんざん遊んだ後、
一人で生徒代表室に行く。肖像画を見上げている。
アイヴィーとのミーティングが始まる。
「よお。んじゃ、ちゃっちゃとミーティング始めるか…テオ?」
「ん? なんだい? 私の顔に、見惚れてしまった?」
「ったく。お前さんは。あんまり無理すんなよ?」
「アイヴィー」
「さてと。んじゃお仕事の時間な。
今日は俺が議事進行してやっかな。ちゃんと聞いとけよ?」
「うん」
■十五夜。
「十五夜パーティに集まってくれてありがとう、みんな。ゆっくりと過ごしてくれたまえ」
シュヌーシア寮とウーティス寮の生徒達が、茶室に集まっていた。
植物園は通常早くに閉園するのだが、テオのお願いにより、
今夜は夜の植物園を貸し切ることができた。
事前にテオが各寮へ、浴衣を送り付けていた。
参加者は好きなものを選び、それを着て参加して欲しいとのことだった。
浴衣の中には女性用も紛れていたのだが、
それを手に取ったのはシルヴァンだけだった。
「具体的に何をする会なの、これは?」
「月を愛でるのだよ、アンリ。そうだろう、ハルヤ?」
「うん、まあ」
「美しい月夜だね、ハルヤ」
「うん」
「けれど、夜空に輝くあの月より、君の方が美しいよ」
「…テオ。そういうのやめてってば…」
「そんなに可愛らしい顔を見せられると、困ってしまうよ」
あっはっはっ、とテオは楽しそうに笑う。
どちらかと言うと困っているのはハルヤの方だった。
「おや、アンリ。私は女性用の浴衣も送らなかったかな?」
「ごめんね、男性用のを選ばせて貰ったの」
「女性物の中に気に入ったのがなかったのだね、ごめん、アンリ」
「お構いなく」
「ああ、でもその紺の浴衣もよく似合うよ。君の白い素肌が映える」
「僕達に構ってないで、月を愛でれば?」
「ああ、いけないいけない。そうだったね。皆の浴衣姿が麗しいものだから」
テオはまた他の生徒の元へ行って、浴衣姿を褒め称えていた。
■白いサンゴ
「おい、テオ。寮に戻るぞ」
「え? 午後の講義は? 珍しく自主休校にして、私と遊んでくれるのかい!?」
「誰が、自主休講になどするか。午後の講義は全て休講だ。理事会が判断した。嵐が来る」
「そう。海が荒れてしまうね。海に住む皆が心配だな」
「これはサンゴの死骸だよ。嵐に耐え切れなかったのだろう」
「この海のサンゴは、青やピンクに色付いているんだ。
死んだサンゴは色が白に変わる。だから、これは白骨と言ってもいい」
「サンゴは刺胞動物という、触手などに毒針を持つ動物なのだよ。
クラゲやイソギンチャクが仲間だ」
■お父さんは出張中。
「テオ? あの…大丈夫?」
「え。ああ、うん」
「いや、あんた、ヘコみ過ぎだろ。1週間、あいつが居ないくらいで何だよ。
てゆうか、まだ1日目だぜ、1日目。あとの6日どうすんの?」
「そう、だよね」
「朝から何回溜め息吐いてんの? あんた、沈んでると、
なんつーか、シュヌーシア全体もどんよりするからさ。何とかなんない?」
「テオ、テオ。今日は僕と一緒に寝る? なんか本も読んであげるよ」
「えっ。本当かい、ラビ。なんて優しい子なのだろう」
「テオを甘やかすな!」
「あはは。レオン、クラウスにそっくりー!」
「お前等、早く寝ろっ!」
「うわっ、似てるー!」
「テオ。いいよ。入って?」
「ごめんね、ラビ。私の方が年下のようだね」
「いいんだよ。この前は、僕もテオと一緒に寝てもらったし。ね?」
「うん。ああ、愛しいよ、ラビ」
クラウスが居る時と同じように過ごそうとするシュヌーシア寮。
叱って貰えないことに気落ちするレオン。
クラウスが帰って来て、いつも通りに戻るシュヌーシアで終わり。
■BLT。
アイヴィーは自宅で遅い昼食を取っていた。
今日になってからは一食目なので朝食と言ってもいいのだが今は午後2時。
時間的には朝食とは言えなかった。
月の綺麗な深夜。呼び出されて、お仕事をしていた。
招かれざるお客さんが、島に上陸した為だ。
今年はこんな風に、海辺で開かれる深夜のダンスパーティに誘われることが多い。
片が付いたのは明け方。街が動き出す時間に家に帰ることができた。
習慣的にメールチェックをして、
他に仕事が―今のところ―入っていないことを確かめる。
窓には眩しい朝陽が差し込む。
「お肌に悪い生活してんなあ、俺」
太陽におやすみを言って、遮光カーテンを引く。
ベッドに入ったら、すぐに夢に落ちた。
4時間程眠ったら自然と目が覚めた。身体を起こすと、手に痛みを感じた。
手の甲に赤いラインが入っていた。
「ああ。そういや、ちょっと切られたんだっけ」
「アイヴィー、遊びに来ましたよー」
「ご飯食べ終わったとこ? 何食べてたの?」
「BLTだけど?」
「びーえるティー? それって紅茶の名前?」
「ベーコン、レタス、トマトのサンドイッチ。
この前、カフェで食べてウマかったから、適当に作ってみただけ」
「美味しそうですね。僕、食べたいです!」
「俺も食べたいな」
「んじゃ勝手に作って来いよ。まだ材料あっから」
「アイヴィーに作って欲しいんです」
BLTを作る描写。
■6個のやきもち。
レッド←アンリ←ジョシュア←シルヴァン←ハルヤ←ユウタ←レッド
完成してから1本ずつアップしたい。
一人ずつ主人公が代わる連作短編6本。1本1000文字くらい。
毎回EDで次の主人公にバトンタッチする。
何処かで出て来たアイテムが、誰かがあげたものだったりするといい。
何かテーマがあった方がいい?
「アルフレッド探検隊、しゅっぱーつ!」からスタート。
楽しそうなレッドにツンなアンリ
「噛み付くなよ」というジョシュアに二人の世界を作られる
シルヴァンが二人を見ている。アンリが出て行く。
ジョシュアとシルヴァンが何か話している。
最高学年の二人を見ているハルヤ。
一年の時間が追い着けないと思っている。
ジョシュアがバトラーに言われて生徒代表室へ。
シハルな雰囲気になったところで、
ユウタが見ていて、日本語で話し出す。
日本人コンビを見ているレッドが怒る。
探検に連れ出す。
「アルフレッド探検隊、しゅっぱーつ!」で終わり。
アンリ 編
「アルフレッド探検隊、しゅっぱーつ!」
今日もまたお気楽トリオが探検隊ごっこをしている。
放課後、ライブラリから寮に戻る途中、賑やかな人達をアンリが見ていた。
自称、隊長のアルフレッドが先頭。
楽しそうなユウタが続き、面倒そうなハルヤが最後尾。
子供みたいだ。あれが同じ学年の生徒とはね。
幾ら広い敷地だからと言って、そう何回も何回も探検して、どんな利益があるのだろう。
学院の内外を騒がしく駆け回って、目障りだ。
どうしてメンバーはあの三人なの。
今年になってアルフレッドが僕に絡む頻度が減ったのは。
あのおめでたい新入生のせい、かな。
「なんだあ、アンリ? お前も探検隊に入れて欲しいのか?」
「目障りだなと思っただけだよ、アルフレッド隊長殿」
ユウタは眩しいくらいの笑顔でアルフレッドに手を振っている。
「たいちょー! 早く行こうよー」
「おう!」
アルフレッドがユウタの元に駆けて行く。
探検隊の楽しそうな後姿……むかつく。
「アンリ、レッドに噛み付くなよ」
探検隊を見送っているアンリをジョシュアが見ていた。
別々にした方が良いかも。
「うちの朝ごはん? あ、たまごかけごはんとか!」
ユウタの言葉にハルヤだけが笑う。
「美味しいよね。海苔を掛けたりしてさ?」
「うんうん!」
朝食について、ジャパニーズトークが盛り上がる。
アルフレッド隊長は、隊員達にびしっと指を差す。
「こらっ、そこ! 俺に分からない話するな!」
日本贔屓のシルヴァンは日本チームに味方した。
「良いじゃないですか、レッド。それで、
タマゴカケゴハンってどんなもの何ですか?」
ユウタはハルヤと顔を見合わせる。
「生たまごを、ごはんにかけるだけだよね?」
「うん。あ、味付けでお醤油は入れるけど」
寮生達に衝撃が走る。アルフレッドが大声を出した。
「あー!? お前等はたまごも生で食うのかっ!?」
今度はユウタが驚く番だった。
「えっ? ハルヤ、これって日本だけなの?」
「うん。そうみたい。美味しいのにね」
「僕、食べてみたいです!!」
「じゃあ、後で卵買って、アイヴィーんちにでも行く?
まだお米もあったと思うし」
アイヴィーの自宅にハルヤ用の備蓄米があった。
度々遊びに行くこともあって、自分用の非常食として置かせて貰っていた。
「良いですねー! ユウタも一緒に行きましょう?」
「うん。行くー!」
「レッドも食べてみる? たまごかけごはん」
「お、俺は食べない!」
「えー。隊長も一緒に行こうよー」
「よく朝から食べ物の話ができるね、君達は」
アンリが席を立つ。ジョシュアは心配そうに声を掛けた。
「もういいのかい? 全然食べていないじゃないか」
「君達と違って朝から食欲旺盛ではないの」
「だけど…」
確かにアンリは朝に弱い方ではあるが、
今朝の食事は殆ど手を付けていなかった。
口にしたのはミルクティ。
どちらかと言うとリーフ本来の味を楽しむことが多く、
ミルクを入れて、とバトラーに注文したことも珍しい。
「じゃ、僕は失礼するよ」
食堂を出て、廊下に出る。
食べ物の匂いが消えると、少し楽になった。
自分の部屋に戻って扉を閉める。
息を吐いてドアに凭れた。右手を首許に当てる。
「アンリ、具合が悪いのかね?」
紳士の声。勝手に生徒の部屋に入ってくる講師が居た。
「オーギュスト…また君は」
「顔色が良くないようだが」
「少し、吐き気があるだけだ。講義に支障はない」
「つわりかね?」
「…オーギュスト」
講師は微笑む。
「保健室までお供しよう」
「行かない」
「ああ、君はソクーロフ博士のことが苦手だったね」
「『苦手』ではなく、『嫌い』なの」
ドアがノックされた。長い付き合いの友人の声がする。
「アンリ。開けてもいいかい?」
講師は腕を組む。
「おや。お友達も君が心配なのかな?」
アンリはドアに向かって言う。
「開いているよ」
ドアが開く。ジョシュアの目に神秘学の特別講師が映る。
驚いたようだが、優等生は朝の挨拶をした。
「ボージェ教授…おはようございます」
「おはよう、生徒代表君」
「すみません、お話中だったんですね」
「構わないよ」
「僕に何の用?」
「アンリ、やっぱり体調が悪いんじゃないかと心配になってね」
「平気だって言っているでしょう。それじゃ」
「どうして、彼に言わなかったんだい?」
「言う必要がない。君、講義に向かった方が良いんじゃない?」
夕食後、アンリが部屋に戻ると、また講師が居た。
「昔話でもしようか」
「僕を子ども扱いするつもり?」
「昔々、あるところに一人の紳士が居ました。
彼は霊薬を飲んで、永遠の命を賜りました。
そして、時空を自由に旅する力も」
「オーギュ…?」
「全てを手に入れたと彼は思いました。
様々な国、過去から未来に飛び回ります。
しかし、ある時、親しかった友人を亡くします。
次々と周りの者が寿命を迎えていくのです。
彼は全てを手に入れたと思っていましたが、
それは間違いだったのではないかと気付き始めます。
衰えない手を見て、彼は溜め息を付くようになりました。
けれども、彼には子孫があります。聡明な子です。
彼の楽しみは子孫の成長を見守ることでした。
またいつか失ってしまうと知りながら。
ただ、一人の子孫だけが、永遠の命を支えているのです。おしまい」
「オーギュ…今の話って」
「すまない、長々と。もう君は眠らなくてはならないね。失礼するよ」
「待って、オーギュ」
「おやすみ。いいゆめを」
■大きな棕櫚の木の下で。
「ありがとうございました、ソクーロフ博士」
カウンセリングが終わったミハイルは保健室のドアを閉める。
目許は濡れていた。博士の前で歌うと、いつも涙が出ちゃう。
濡れた瞳を乾かす為に、今日も森の奥へ向かう。
泉まで来ると、ミハイルはほっとした。この学院で好きな場所。
此処には棕櫚の木が一本だけ生えていた。
誰が植えたのかな、とミハイルはいつも思うが、答えは出ない。
どうして植えたのかな。
棕櫚の木が好きだったのかもしれない。
祖国にあった木なのかもしれない。
植物園には木も花もいっぱいあるみたいだけど、
なかなか学院の外まで行けない。
おひさまが温かい。
此処は日当たりが良かった。
ちょっとだけ、ちょっとだけ…
眠い目をこする。
何か夢を見ていた。楽しい夢だったような気がする。
「カウンセリングの後、寮に戻ってないっていうし、
俺、心配になって探しちゃった」
「ごめんね…ぼくのせいで…」
「良いんだよ。ミハイルが何ともないんならさ」
■オギュアンで植物園。
オーギュとアンリ
小難しい話をしながら植物園を散歩する
植物の描写とボルジアの話か今日の講義について
自虐めいたことを言うアンリにオーギュが何かいいことを言う
「僕、喉が渇いたな」
「では茶室で休むかい?」
「嫌。カフェの方がいい。茶室には紅茶がないもの」
植物の描写で終わり
■ロレートの屋上。
「陛下が消えただと?」
ロレート国王の側近は、邸に戻ったところだった。
邸に入るなり、部下に耳打ちされた。
申し訳なさそうに部下は説明する。
「溜まっていた書類にサインをお願いしていたのですが…」
「また脱走されたのか」
「はい。『少々席を外す』と仰られて、そのまま…申し訳ありません、閣下」
「お前達のせいではない。今は捜索中なのか?」
「はい」
「では通常の任務に戻るように言ってくれ。陛下は私が連れ戻す」
「閣下、お解りになるのですか? 陛下が何処にいらっしゃるのか」
「でなければ、あの方の側近など務まらぬ」
邸の屋上で、国主は寝そべっていた。
目を閉じて気持ちよさそうに、組んだ足を振っている。
「見付けましたよ、陛下」
「早過ぎるぞ、ラルヴィス」
「執務中のかくれんぼは、お控え頂けませんか? 皆が困ります」
「急ぐ仕事ではなかったし、良いだろう、別に」
「陛下は、学院にいらっしゃる時も、よく屋上に?」
「ああ。よく分かったな」
「目に浮かぶようです。素行の悪さは昔のままなのですね」
「ああ。シュンという悪ガキが居てな。よく屋上でサボっていた」
「シュン様…以前、偶然再会されたご学友ですね?」
「ああ。あいつはピアノが上手くてな。今も何処かで弾いているのだろう。
お前も弾けるのだったな。ラルヴィス、ピアノを聞かせてくれないか」
「陛下、そろそろ執務室へ戻って頂かないと」
「なんだ。シュンに妬いたのか?」
「いいえ」
「ピアノも聞かせて貰えないのでは、執務室に戻る気力もないな」
「陛下」
「近くへ来い、ラルヴィス。俺には充電が必要だ」
「陛下。その充電というのは、青空の下でできることでしょうか?」
「できないことではないだろう」
■14テオアンリ。アイヴィー。
「ね、ハルヤ?」
「や…そんなこと言わないでよ、アンリ」
アンリとハルヤが談笑していると、ウーティス寮のドアが派手に開いた。
「やあやあ、お邪魔するよ! アンリ! アンリは居るかい!」
威勢の良い声で入ってきたのはシュヌーシア寮のテオ。今年度の生徒代表だ。
何故か腕にバラの花束を抱えている。ハルヤは疑問を隠さない。
「テオ、どうしたの、それ?」
「やあ! 東洋の黒い真珠。今日も美しいね!」
「こ、こんちは…」
「おやおや、どうしたんだい? 浮かない顔をして」
「あ、あのね…その真珠って呼び方なんだけど…
俺には合ってないっていうかさ…」
止めて欲しいんだけど、と言っても聞きそうにないので言うのを諦めた。
テオは一層楽しそうだ。
「また君はそんなに謙虚なことを。日本人の美だねえ」
「俺のことはもういいんだけど、アンリに用事だった?」
「そうそう、そうなのだよ、アンリ!」
「…僕に何か?」
「これを君に思って、やってきたのだよ。ちょっと持ってごらん、アンリ」
膝にバラの花束を置かれる。テオは少し離れてアンリを眺めた。
「ああ、深紅のバラでさえも、君の前では霞んでしまう!」
「貴方は…何がしたいの?」
「アンリを愛でたいに決まっているじゃないか!」
「1回1万ドル取るよ?」
「ええっ!? それだけでいいのかい!?」
「…冗談だから、本気にしないで」
「あはは、そうだよね。アンリが1万ドルでは安過ぎるよ」
ハルヤは頭の中でドルを日本円に換算する。1万ドルで約100万円だ。
海運王と事業経営者の経済感覚に全く付いていけない。
テオがハルヤとアンリでさんざん遊んだ後、
一人で生徒代表室に行く。肖像画を見上げている。
アイヴィーとのミーティングが始まる。
「よお。んじゃ、ちゃっちゃとミーティング始めるか…テオ?」
「ん? なんだい? 私の顔に、見惚れてしまった?」
「ったく。お前さんは。あんまり無理すんなよ?」
「アイヴィー」
「さてと。んじゃお仕事の時間な。
今日は俺が議事進行してやっかな。ちゃんと聞いとけよ?」
「うん」
■十五夜。
「十五夜パーティに集まってくれてありがとう、みんな。ゆっくりと過ごしてくれたまえ」
シュヌーシア寮とウーティス寮の生徒達が、茶室に集まっていた。
植物園は通常早くに閉園するのだが、テオのお願いにより、
今夜は夜の植物園を貸し切ることができた。
事前にテオが各寮へ、浴衣を送り付けていた。
参加者は好きなものを選び、それを着て参加して欲しいとのことだった。
浴衣の中には女性用も紛れていたのだが、
それを手に取ったのはシルヴァンだけだった。
「具体的に何をする会なの、これは?」
「月を愛でるのだよ、アンリ。そうだろう、ハルヤ?」
「うん、まあ」
「美しい月夜だね、ハルヤ」
「うん」
「けれど、夜空に輝くあの月より、君の方が美しいよ」
「…テオ。そういうのやめてってば…」
「そんなに可愛らしい顔を見せられると、困ってしまうよ」
あっはっはっ、とテオは楽しそうに笑う。
どちらかと言うと困っているのはハルヤの方だった。
「おや、アンリ。私は女性用の浴衣も送らなかったかな?」
「ごめんね、男性用のを選ばせて貰ったの」
「女性物の中に気に入ったのがなかったのだね、ごめん、アンリ」
「お構いなく」
「ああ、でもその紺の浴衣もよく似合うよ。君の白い素肌が映える」
「僕達に構ってないで、月を愛でれば?」
「ああ、いけないいけない。そうだったね。皆の浴衣姿が麗しいものだから」
テオはまた他の生徒の元へ行って、浴衣姿を褒め称えていた。
■白いサンゴ
「おい、テオ。寮に戻るぞ」
「え? 午後の講義は? 珍しく自主休校にして、私と遊んでくれるのかい!?」
「誰が、自主休講になどするか。午後の講義は全て休講だ。理事会が判断した。嵐が来る」
「そう。海が荒れてしまうね。海に住む皆が心配だな」
「これはサンゴの死骸だよ。嵐に耐え切れなかったのだろう」
「この海のサンゴは、青やピンクに色付いているんだ。
死んだサンゴは色が白に変わる。だから、これは白骨と言ってもいい」
「サンゴは刺胞動物という、触手などに毒針を持つ動物なのだよ。
クラゲやイソギンチャクが仲間だ」
■お父さんは出張中。
「テオ? あの…大丈夫?」
「え。ああ、うん」
「いや、あんた、ヘコみ過ぎだろ。1週間、あいつが居ないくらいで何だよ。
てゆうか、まだ1日目だぜ、1日目。あとの6日どうすんの?」
「そう、だよね」
「朝から何回溜め息吐いてんの? あんた、沈んでると、
なんつーか、シュヌーシア全体もどんよりするからさ。何とかなんない?」
「テオ、テオ。今日は僕と一緒に寝る? なんか本も読んであげるよ」
「えっ。本当かい、ラビ。なんて優しい子なのだろう」
「テオを甘やかすな!」
「あはは。レオン、クラウスにそっくりー!」
「お前等、早く寝ろっ!」
「うわっ、似てるー!」
「テオ。いいよ。入って?」
「ごめんね、ラビ。私の方が年下のようだね」
「いいんだよ。この前は、僕もテオと一緒に寝てもらったし。ね?」
「うん。ああ、愛しいよ、ラビ」
クラウスが居る時と同じように過ごそうとするシュヌーシア寮。
叱って貰えないことに気落ちするレオン。
クラウスが帰って来て、いつも通りに戻るシュヌーシアで終わり。
■BLT。
アイヴィーは自宅で遅い昼食を取っていた。
今日になってからは一食目なので朝食と言ってもいいのだが今は午後2時。
時間的には朝食とは言えなかった。
月の綺麗な深夜。呼び出されて、お仕事をしていた。
招かれざるお客さんが、島に上陸した為だ。
今年はこんな風に、海辺で開かれる深夜のダンスパーティに誘われることが多い。
片が付いたのは明け方。街が動き出す時間に家に帰ることができた。
習慣的にメールチェックをして、
他に仕事が―今のところ―入っていないことを確かめる。
窓には眩しい朝陽が差し込む。
「お肌に悪い生活してんなあ、俺」
太陽におやすみを言って、遮光カーテンを引く。
ベッドに入ったら、すぐに夢に落ちた。
4時間程眠ったら自然と目が覚めた。身体を起こすと、手に痛みを感じた。
手の甲に赤いラインが入っていた。
「ああ。そういや、ちょっと切られたんだっけ」
「アイヴィー、遊びに来ましたよー」
「ご飯食べ終わったとこ? 何食べてたの?」
「BLTだけど?」
「びーえるティー? それって紅茶の名前?」
「ベーコン、レタス、トマトのサンドイッチ。
この前、カフェで食べてウマかったから、適当に作ってみただけ」
「美味しそうですね。僕、食べたいです!」
「俺も食べたいな」
「んじゃ勝手に作って来いよ。まだ材料あっから」
「アイヴィーに作って欲しいんです」
BLTを作る描写。
■6個のやきもち。
レッド←アンリ←ジョシュア←シルヴァン←ハルヤ←ユウタ←レッド
完成してから1本ずつアップしたい。
一人ずつ主人公が代わる連作短編6本。1本1000文字くらい。
毎回EDで次の主人公にバトンタッチする。
何処かで出て来たアイテムが、誰かがあげたものだったりするといい。
何かテーマがあった方がいい?
「アルフレッド探検隊、しゅっぱーつ!」からスタート。
楽しそうなレッドにツンなアンリ
「噛み付くなよ」というジョシュアに二人の世界を作られる
シルヴァンが二人を見ている。アンリが出て行く。
ジョシュアとシルヴァンが何か話している。
最高学年の二人を見ているハルヤ。
一年の時間が追い着けないと思っている。
ジョシュアがバトラーに言われて生徒代表室へ。
シハルな雰囲気になったところで、
ユウタが見ていて、日本語で話し出す。
日本人コンビを見ているレッドが怒る。
探検に連れ出す。
「アルフレッド探検隊、しゅっぱーつ!」で終わり。
アンリ 編
「アルフレッド探検隊、しゅっぱーつ!」
今日もまたお気楽トリオが探検隊ごっこをしている。
放課後、ライブラリから寮に戻る途中、賑やかな人達をアンリが見ていた。
自称、隊長のアルフレッドが先頭。
楽しそうなユウタが続き、面倒そうなハルヤが最後尾。
子供みたいだ。あれが同じ学年の生徒とはね。
幾ら広い敷地だからと言って、そう何回も何回も探検して、どんな利益があるのだろう。
学院の内外を騒がしく駆け回って、目障りだ。
どうしてメンバーはあの三人なの。
今年になってアルフレッドが僕に絡む頻度が減ったのは。
あのおめでたい新入生のせい、かな。
「なんだあ、アンリ? お前も探検隊に入れて欲しいのか?」
「目障りだなと思っただけだよ、アルフレッド隊長殿」
ユウタは眩しいくらいの笑顔でアルフレッドに手を振っている。
「たいちょー! 早く行こうよー」
「おう!」
アルフレッドがユウタの元に駆けて行く。
探検隊の楽しそうな後姿……むかつく。
「アンリ、レッドに噛み付くなよ」
探検隊を見送っているアンリをジョシュアが見ていた。
■ジョシュアン シハル レアン 他
聖アルフォンソ学院のある朝。全生徒に一通の手紙が届いた。
部屋のドアに封筒が挟まっていた。
ひらりと落ちたのを拾ったり、ドアから引き抜いたりしながら、
生徒達は封筒の裏を眺めた。
『愛する生徒諸君へ 生徒代表 テオ・メネシスより』
手紙は舞踏会への招待状。
朝食の時間。シュヌーシアやウーティス寮の食堂では、
テオからの招待状の話題で持ち切りだった。
アルファルド寮では通常と変わらないマイペースな朝食を食べた。
個性豊かなウーティス寮では賛否両論だ。
「強制参加って何? 生徒代表の職権乱用ではないの?」
反対派のアンリは食が進まないのか、もう紅茶を手にしていた。
アルフレッドは次のツナサンドに手を伸ばす。大きな口を開けて、ほうばった。
シルヴァンは両手を合わせて、長い髪を揺らす。
「テオの考えそうなことじゃないですかー♪
楽しいダンスパーティーになりそうですね」
アンリのカップが空く。
傍に控えていたバトラーが、タイミング良く紅茶のおかわりを尋ねる。
小さな頷きを見て、白いポットを傾けた。
ジョシュアのカップにはコーヒー。静かにソーサーに置く。
「予め寮の中で男役と女役に別れて、
ペアを組んでおいて欲しいって書いてあったよね?」
オレンジジュースを豪快に飲んだアルレッドは、手の甲で口許を拭く。
両手を組んで頭の後ろに回した。
「ウーティスはどうすっかなー。まあ、俺とジョシュアは男だろ?」
アンリは冷たい息を吐く。
「全員、男だよ」
「女はとりあえずアンリとー」
「嫌」
「後は、そうだなー」
アルフレッドは寮生達を見回す。黙々と食事を続けている友人を見付けた。
華奢なのに何故か誰よりも大食漢で、その食欲は未だに信じ難い。
「ハルヤ! お前どーよっ!?」
「なっ、なんで俺?」
すかさずシルヴァンが加勢する。
「大丈夫ですよ、ハルヤ! 絶対可愛いですから!」
「そんなこと励まされても…」
「なあ。シルヴァンはどーする? お前、どっちでも良さそうだけど?」
「そうですね。僕はどちらでも」
「んじゃ、アンリとハルヤは女で決まりなっ」
嫌がっている友人達を見て、ジョシュアは苦笑する。
「優勝したペアにはテオから賞品があるみたいだよ。アンリ、読んだのかい?」
「ああ。その一行がなければ、とっくに破ってるよ、こんなの」
テオは今までにも何度か面白いイベントを企画、実行してきたのだが、
使用された賞品は全面的にテオが用意していた。
自分は庶民だと思っているハルヤは、呆れを通り越して感心していた。
「太っ腹だよねー、テオって。優勝ってどうやって決めるのかな?」
「テオの独断じゃないですか?」
「あの人の基準が解らない」
シルヴァンはハルヤの手を掴む。
「ねえ、ハルヤ。僕と組みませんか?」
「えっ。でも俺、ダンスなんて踊れないよ?」
「ハルヤは日舞を習っていたのですから、すぐに覚えられますよ♪
僕達、優勝しちゃうかも♪」
早くも1ペアが成立した。
アルフレッドは同じ学年の友人を見やる。毒舌家の肩へ気軽に手を置く。
「アンリ、俺が組んでやってもイイぜ?
ハルヤが取られちまったからな。お前、足踏むなよ?」
「誰が君なんかと」
「知らないのかー? 俺は踊れるぜ、しかもすげー上手い」
「君とは踊らないよ、アルフレッド」
「なんでっ!?」
「馬鹿が移る」
「俺のバカは伝染すんのか!?」
「ああ、天然だったね」
まあまあ、と優等生が仲裁に入る。
「でも皆、誰かと組まないといけないんだよ?」
「君は踊れそうだね、ジョシュア?」
皇族という身分上、ジョシュアは社交場には幼い頃から出席していた。
ダンスを見る機会も自ら踊る機会もあった筈だ。
「そんなに上手くはないけどね。アンリ、俺と踊ってくれるのかい?」
「僕の足、踏まないのなら踊ってあげても良いけど」
「ありがとう」
「おい、アンリ! お前、俺よりジョシュアかよ!?」
「どうせ参加するのなら、優勝しないとね?」
「俺じゃあ、優勝できないってのかよっ!」
「君には優雅さがない」
「あるっ!」
「ない」
「ハルヤ、二人きりで練習しましょうね? 僕、ちゃんと教えますから♪」
「あ、うん。よろしくね、シルヴァン」
「あっ、ハルヤのドレス、どうします?
着物テイストでテオにオーダーしましょうか?」
「…任せるよ。めんどくさいし」
「本当ですかっ!? 嬉しいなあ、キュートなの考えますねっ!」
舞踏会当日。
聖アルフォンソ学院が所有するダンスホール。
数世紀前に建築された美しい会場に続々と生徒や観客が集まってきた。
シルヴァン・ハルヤペアの控え室では姫の着替えが終わったところだった。
ハルヤは和風ドレスを纏って、シルヴァンの前に現れた。
着物の布地を織り込んだ、和洋折衷のドレス。
髪は高い位置でひとつにまとめている。
「ハルヤッ! すっごい可愛いです! お人形さんみたい!」
大絶賛を浴びて、ハルヤはぽつりと呟く。
「やめてよ…もう」
シルヴァンは、姫と揃いの和風タキシードに身を包んでいる。
色はド派手なショッキングピンクだった。
身体のラインにぴしりと合っていて、普段より背が高く見えた。
テンションも普段より大分高い。
「ハルヤハルヤ! 今夜は眼鏡を外してみましょうか!?」
「えっ…俺、そしたら見えないよ」
「でも近くなら見えるでしょう?」
「ん。まあ。でもホールは広いし…あっ」
眼鏡を取って、王子は姫の手を握った。
「ハルヤは僕だけを見ていて下さい?」
「や…やだ、シルヴァン」
カッコイイ、と不覚にも思ってしまったハルヤは自分が恥ずかしかった。
ジョシュア・アンリペアの控え室でも姫の着替えがほぼ終わっていた。
アンリのドレスには背にチャックがあった。
それをパートナーを務めるジョシュアが首許まで上げる。
白い首筋に吸い寄せられたように、口付けを落とした。
「何、余計なことしてるの」
「ごめん、つい」
ジョシュアは悪びれる様子なく、微笑んだ。
「綺麗だよ、アンリ。皆に見せるのが惜しいくらいだ」
「ドレスまで着せておいて出場しないつもり?
僕は優勝する為に君と組んだの。ほら、行くよ」
「はいはい」
苦笑しながら、プリンセスに続く。
肩を並べると、姫の耳許へそっと囁いた。
「さっきの続きは、パーティの後で」
全生徒がダンスホールに集合していた。
嫌々ながらもアルファルド寮の生徒達も来ている。
「ジャワハルワール! コクオウ! イイオトコ!」
オウムを肩に乗せている生徒は貴族の礼装だった。
傍らに居るのは、アルファルドの中でも最も機嫌の悪い生徒。
長いストレートの黒髪に、ロングドレス。
深く入ったスリットからは、白い足が覗いている。
「何故、私が女役なんだ…」
「レオシュ! ジョウオウはキョウもゴキゲンナナメ!」
オウムの首には小さな蝶ネクタイ。
オシャレにして貰ったオウムは、機嫌良く同じ台詞を繰り返す。
不機嫌な女王は、パートナーを睨み付ける。
「おい、ジャワハルワール、この鳥を黙らせろ」
オウムの飼い主は無言だった。代わりのようにオウムが喋る。
「レオシュ、キレイ、キレイ!」
「鳥に言われても嬉しくない」
オウムは首を傾げて、ジャワハルワールに確認する。
「ジャワハルワール。レオシュ、キレイ?」
ジャワハルワールは無言だったが、こくんと頷いた。
レオシュは一瞬瞳を大きくして俯いた。
いつも不機嫌な女王にしては珍しいことだった。
オウムはその様子を見て、本人に尋ねた。
「ジョウオウ、キョウ、ゴキゲン?」
「違う」
レオシュは氷柱のような眼差しで睨み付けた。
観客席がざわめいた。
注目を浴びていたのはジョシュア・アンリペア。
ホールに登場しただけで、観客から溜め息が上がっていた。
中世ヨーロッパの王族を模した優雅な衣装。
ジョシュアに王子の装束は他の誰よりも似合っていたし、
文化祭でも定評のあるアンリのプリンセス姿は全く男子生徒には見えなかった。
二人ともダンスが上手く、誰もが見惚れるペアだった。
密かにどのペアが優勝するか賭けが行われていたのだが、
その中でも断トツの一番人気だった。
だが、結果、優勝したのは、シルヴァン・ハルヤペア。
ダンスの本番中、ハルヤがドレスの裾を踏んで、盛大に転んでしまったのだ。
「ハルヤッ! お怪我は?」
「ごめん…俺…」
ハルヤは座り込んだまま、顔を真っ赤に染める。
「大丈夫ですよ、ハルヤ。さあ、お手をどうぞ」
「うん…」
ハルヤが伸ばした手を、シルヴァンは強引に奪って胸の中に抱き締めた。
シルヴァンは、ピンク色の耳に何か囁いた。
ますます顔を真っ赤にしたハルヤに、ほぼ全生徒が心を打たれた。
テオも例に漏れず、持てる限りの賛辞を上げていた。
審査委員長テオの心を射止め、二人が優勝ペアとして、表彰台に上った。
シルヴァンは大喜びで、観客に手を振っていたが、
ハルヤは恥ずかしくて仕方ないようだった。
表彰式も終わり、後は自由解散。
ホールには曲が流れている。皆ペアに関係なく自由に踊り始める。
本日のMVPとも言えるハルヤの前には、多くの手が差し出されていた。
戸惑うハルヤを見て、シルヴァンは強引にハルヤの手を取った。
「ハルヤ、僕と逃げましょう?」
「ええっ!?」
駆け出したシルヴァンにハルヤが引っ張られる。
優勝ペアを追う足音で、ホールには小さな地震が起こった。
アルファルド寮の生徒は、拘束時間が終わったとばかり、
さっさと寮へ引き揚げる者が多かった。
ジャワハルワール・レオシュペアも寮へと向かおうとしていたのだが、
レオシュの前に幾つもの手が差し出された。
不機嫌な女王はどの手も取らない。
すると、ジャワハルワールがレオシュの手首を引いた。
そのまま普通に出口へと向かった。
残された男達は呆気に取られている。
数歩進むと、ジャワハルワールは手を離した。
無表情のまま、自分達の家に向かって歩いている。
レオシュは驚きながらも何も言わず、後ろを歩く。
肩乗りオウムは、レオシュを振り返って叫ぶ。
「ジョウオウ、カワイイ、カワイイ!」
「煩いぞ、鳥」
オウムは首を傾げて、ジャワハルワールに確認する。
「ジャワハルワール。レオシュ、カワイイ?」
ジャワハルワールは無言だった。
が、唐突にパートナーの手を取った。
女王とオウムが呆然と見つめる中、
何も言わずに手の甲にキスをした。女王の頬が、さっと赤くなる。
凶暴化したオウムは騒ぎ出した。
「ジャワハルワール!!」
両の翼で飼い主の頭をばしばし叩く。
ジャワハルワールは黙ったまま、頬を掻いていた。
残った生徒達、主にウーティスとシュヌーシアの生徒達が踊っている。
生徒代表のテオは特等席から皆の様子を眺めていた。
隣に一人の生徒が立つ。この舞踏会の主催者に、ジョシュアが感謝を述べに来た。
「テオ、お疲れ様でした。楽しいパーティをありがとうございます」
「やあ、ジョシュア。こちらこそありがとう。君達のダンス、とても美しかったよ」
「テオは踊らないんですか?」
「ああ、私は良いのだよ。それより、君の姫君はどうしたんだい?」
「あそこに居ますよ、ほら」
ホール中央で不機嫌なアンリの手を取っているのはアルフレッドだった。
本人の言葉通り、ダンスはジョシュアと変わらないくらい上手かった。
「お前、バカだなー。俺とペア組んでりゃ、優勝させてやったのに」
アンリは目の前の笑顔を睨み付ける。
「君と組んでても優勝できなかったよ。転んだから優勝って何なの」
「お前には可愛げがねーんだよ、ハルヤと違ってな」
「なら、君もハルヤを追い駆ければ良かったのに」
「シルヴァンに攫われて追い着けるかよ。
だから、仕方なくお前と踊ってあげてんだろー?」
「あっそう」
アンリは突然クスッと微笑み、足でアルフレッドの足首を払った。
「うわっ!」
転んで、床に手を付く。周囲から笑い声が上がる。
「アンリ~、てめーっ!」
見ていたジョシュアが、テオに一言断ってから、友人達の所へ向かう。
テオはゆっくりと腰を上げた。そのままダンスホールを出て行く。
周囲には着飾った生徒や島民ばかりで、テオの王族衣装もさほど目立たない。
擦れ違ったシュヌーシアの生徒に声を掛けられた。
「テオー。もう帰っちゃうのー?」
「ああ。少し仕事があってね。生徒代表室へ行ってくるよ。
皆は思う存分楽しんでおくれ。踊り明かしてくれても構わないよ?」
生徒は笑う。
「そんなに踊れないよー。じゃあね、テオ。お仕事無理しないでね?」
「ああ。ありがとう。ではね」
テオは真っ直ぐ生徒代表室へ向かった。
パーティを抜け出した優勝ペアは、月桂樹の森まで逃げていた。
並以上に体力のあるシルヴァンは涼しげな顔をして走って来たのだが、
日舞の練習にブランクがある上に、ドレス姿のハルヤは息を切らしていた。
「シルヴァン…俺、もう走れないよ…」
「ああ、すみません。座りましょうか?」
「うん。あっでも、このドレス汚しちゃうな」
「構いませんよ? これはテオが買ってくれた物なので。
ハルヤは、このドレス、お持ち帰りできますよ?」
「えー。あっても困るよ。もう着ないだろうし」
「じゃ、じゃあ、僕が貰っても良いですか?」
「い、いいけど…どうするの?」
「大切に保管しますー♪」
やっぱりやだなあ、と言える雰囲気ではなかった。
めんどくさいのでシルヴァンの好きなようにさせることにした。
「あっ、ハルヤ。見て下さい。今夜は綺麗な三日月ですよ」
「うん…そうだね…」
あまり身の入っていない返事に、シルヴァンは相手の表情を伺う。
覗き込もうとして、顔を背けられた。
「ハルヤ? どうしたんです?」
「あ、あの…さ」
「はい?」
「さっき、なんであんなこと言ったの?」
ダンス中に転んで起こして貰った時。
シルヴァンに囁かれた言葉が、耳から離れない。
会場から逃げて、走っている時もずっと。
「俺、そういう冗談ダメっていうか…困るよ…」
「だって本当にそう思ったんです」
シルヴァンは笑顔で、ハルヤを抱き締める。
「ちょっと、シルヴァン!」
恥ずかしがり屋の耳に、もう一度同じ台詞を囁く。
「可愛いですよ、ハルヤ。…キス、しちゃいたいくらいに」
三日月の下、月桂樹が揺れている。
真っ暗な森の中で、ナイチンゲールは恋の歌を歌っていた。
「今宵はね、舞踏会を開催したんだ」
生徒代表室ではテオが今日の報告をしていた。
荘厳な椅子に身を預けて、先刻の楽しかった記憶を言葉にする。
「優勝したのはウーティスのシルヴァンと、ハルヤ。
ハルヤはね、東洋から今年留学してきたんだ。美しい子なのだよ?」
生徒代表室には、テオの他に誰も居なかった。
電話を掛けているわけでもなかった。
「結局、私は誰とも踊れなかったよ」
テオは一人で、壁に飾られた肖像画を見上げていた。
卒業した歴代の生徒代表達。
其処には昨年度の生徒代表、クラウス・フォン・モール。
同じ寮の生徒で、最も親しかった友人の絵があった。
「どうして貴方は、此処に居ないのだろうね、クラウス」
広い部屋には古い時計の音が響いている。
全生徒へ送った、舞踏会への招待状。
一番会いたい人には、届けることも叶わない。
テオの笑顔は穏やかで儚かった。
その顔を見ている者は、一人も居ない。
孤独な空間で、今年度の生徒代表は、
誰にも知られず、静かに微笑む。
「私ね、貴方と踊りたかったのだよ?」
fin
部屋のドアに封筒が挟まっていた。
ひらりと落ちたのを拾ったり、ドアから引き抜いたりしながら、
生徒達は封筒の裏を眺めた。
『愛する生徒諸君へ 生徒代表 テオ・メネシスより』
手紙は舞踏会への招待状。
朝食の時間。シュヌーシアやウーティス寮の食堂では、
テオからの招待状の話題で持ち切りだった。
アルファルド寮では通常と変わらないマイペースな朝食を食べた。
個性豊かなウーティス寮では賛否両論だ。
「強制参加って何? 生徒代表の職権乱用ではないの?」
反対派のアンリは食が進まないのか、もう紅茶を手にしていた。
アルフレッドは次のツナサンドに手を伸ばす。大きな口を開けて、ほうばった。
シルヴァンは両手を合わせて、長い髪を揺らす。
「テオの考えそうなことじゃないですかー♪
楽しいダンスパーティーになりそうですね」
アンリのカップが空く。
傍に控えていたバトラーが、タイミング良く紅茶のおかわりを尋ねる。
小さな頷きを見て、白いポットを傾けた。
ジョシュアのカップにはコーヒー。静かにソーサーに置く。
「予め寮の中で男役と女役に別れて、
ペアを組んでおいて欲しいって書いてあったよね?」
オレンジジュースを豪快に飲んだアルレッドは、手の甲で口許を拭く。
両手を組んで頭の後ろに回した。
「ウーティスはどうすっかなー。まあ、俺とジョシュアは男だろ?」
アンリは冷たい息を吐く。
「全員、男だよ」
「女はとりあえずアンリとー」
「嫌」
「後は、そうだなー」
アルフレッドは寮生達を見回す。黙々と食事を続けている友人を見付けた。
華奢なのに何故か誰よりも大食漢で、その食欲は未だに信じ難い。
「ハルヤ! お前どーよっ!?」
「なっ、なんで俺?」
すかさずシルヴァンが加勢する。
「大丈夫ですよ、ハルヤ! 絶対可愛いですから!」
「そんなこと励まされても…」
「なあ。シルヴァンはどーする? お前、どっちでも良さそうだけど?」
「そうですね。僕はどちらでも」
「んじゃ、アンリとハルヤは女で決まりなっ」
嫌がっている友人達を見て、ジョシュアは苦笑する。
「優勝したペアにはテオから賞品があるみたいだよ。アンリ、読んだのかい?」
「ああ。その一行がなければ、とっくに破ってるよ、こんなの」
テオは今までにも何度か面白いイベントを企画、実行してきたのだが、
使用された賞品は全面的にテオが用意していた。
自分は庶民だと思っているハルヤは、呆れを通り越して感心していた。
「太っ腹だよねー、テオって。優勝ってどうやって決めるのかな?」
「テオの独断じゃないですか?」
「あの人の基準が解らない」
シルヴァンはハルヤの手を掴む。
「ねえ、ハルヤ。僕と組みませんか?」
「えっ。でも俺、ダンスなんて踊れないよ?」
「ハルヤは日舞を習っていたのですから、すぐに覚えられますよ♪
僕達、優勝しちゃうかも♪」
早くも1ペアが成立した。
アルフレッドは同じ学年の友人を見やる。毒舌家の肩へ気軽に手を置く。
「アンリ、俺が組んでやってもイイぜ?
ハルヤが取られちまったからな。お前、足踏むなよ?」
「誰が君なんかと」
「知らないのかー? 俺は踊れるぜ、しかもすげー上手い」
「君とは踊らないよ、アルフレッド」
「なんでっ!?」
「馬鹿が移る」
「俺のバカは伝染すんのか!?」
「ああ、天然だったね」
まあまあ、と優等生が仲裁に入る。
「でも皆、誰かと組まないといけないんだよ?」
「君は踊れそうだね、ジョシュア?」
皇族という身分上、ジョシュアは社交場には幼い頃から出席していた。
ダンスを見る機会も自ら踊る機会もあった筈だ。
「そんなに上手くはないけどね。アンリ、俺と踊ってくれるのかい?」
「僕の足、踏まないのなら踊ってあげても良いけど」
「ありがとう」
「おい、アンリ! お前、俺よりジョシュアかよ!?」
「どうせ参加するのなら、優勝しないとね?」
「俺じゃあ、優勝できないってのかよっ!」
「君には優雅さがない」
「あるっ!」
「ない」
「ハルヤ、二人きりで練習しましょうね? 僕、ちゃんと教えますから♪」
「あ、うん。よろしくね、シルヴァン」
「あっ、ハルヤのドレス、どうします?
着物テイストでテオにオーダーしましょうか?」
「…任せるよ。めんどくさいし」
「本当ですかっ!? 嬉しいなあ、キュートなの考えますねっ!」
舞踏会当日。
聖アルフォンソ学院が所有するダンスホール。
数世紀前に建築された美しい会場に続々と生徒や観客が集まってきた。
シルヴァン・ハルヤペアの控え室では姫の着替えが終わったところだった。
ハルヤは和風ドレスを纏って、シルヴァンの前に現れた。
着物の布地を織り込んだ、和洋折衷のドレス。
髪は高い位置でひとつにまとめている。
「ハルヤッ! すっごい可愛いです! お人形さんみたい!」
大絶賛を浴びて、ハルヤはぽつりと呟く。
「やめてよ…もう」
シルヴァンは、姫と揃いの和風タキシードに身を包んでいる。
色はド派手なショッキングピンクだった。
身体のラインにぴしりと合っていて、普段より背が高く見えた。
テンションも普段より大分高い。
「ハルヤハルヤ! 今夜は眼鏡を外してみましょうか!?」
「えっ…俺、そしたら見えないよ」
「でも近くなら見えるでしょう?」
「ん。まあ。でもホールは広いし…あっ」
眼鏡を取って、王子は姫の手を握った。
「ハルヤは僕だけを見ていて下さい?」
「や…やだ、シルヴァン」
カッコイイ、と不覚にも思ってしまったハルヤは自分が恥ずかしかった。
ジョシュア・アンリペアの控え室でも姫の着替えがほぼ終わっていた。
アンリのドレスには背にチャックがあった。
それをパートナーを務めるジョシュアが首許まで上げる。
白い首筋に吸い寄せられたように、口付けを落とした。
「何、余計なことしてるの」
「ごめん、つい」
ジョシュアは悪びれる様子なく、微笑んだ。
「綺麗だよ、アンリ。皆に見せるのが惜しいくらいだ」
「ドレスまで着せておいて出場しないつもり?
僕は優勝する為に君と組んだの。ほら、行くよ」
「はいはい」
苦笑しながら、プリンセスに続く。
肩を並べると、姫の耳許へそっと囁いた。
「さっきの続きは、パーティの後で」
全生徒がダンスホールに集合していた。
嫌々ながらもアルファルド寮の生徒達も来ている。
「ジャワハルワール! コクオウ! イイオトコ!」
オウムを肩に乗せている生徒は貴族の礼装だった。
傍らに居るのは、アルファルドの中でも最も機嫌の悪い生徒。
長いストレートの黒髪に、ロングドレス。
深く入ったスリットからは、白い足が覗いている。
「何故、私が女役なんだ…」
「レオシュ! ジョウオウはキョウもゴキゲンナナメ!」
オウムの首には小さな蝶ネクタイ。
オシャレにして貰ったオウムは、機嫌良く同じ台詞を繰り返す。
不機嫌な女王は、パートナーを睨み付ける。
「おい、ジャワハルワール、この鳥を黙らせろ」
オウムの飼い主は無言だった。代わりのようにオウムが喋る。
「レオシュ、キレイ、キレイ!」
「鳥に言われても嬉しくない」
オウムは首を傾げて、ジャワハルワールに確認する。
「ジャワハルワール。レオシュ、キレイ?」
ジャワハルワールは無言だったが、こくんと頷いた。
レオシュは一瞬瞳を大きくして俯いた。
いつも不機嫌な女王にしては珍しいことだった。
オウムはその様子を見て、本人に尋ねた。
「ジョウオウ、キョウ、ゴキゲン?」
「違う」
レオシュは氷柱のような眼差しで睨み付けた。
観客席がざわめいた。
注目を浴びていたのはジョシュア・アンリペア。
ホールに登場しただけで、観客から溜め息が上がっていた。
中世ヨーロッパの王族を模した優雅な衣装。
ジョシュアに王子の装束は他の誰よりも似合っていたし、
文化祭でも定評のあるアンリのプリンセス姿は全く男子生徒には見えなかった。
二人ともダンスが上手く、誰もが見惚れるペアだった。
密かにどのペアが優勝するか賭けが行われていたのだが、
その中でも断トツの一番人気だった。
だが、結果、優勝したのは、シルヴァン・ハルヤペア。
ダンスの本番中、ハルヤがドレスの裾を踏んで、盛大に転んでしまったのだ。
「ハルヤッ! お怪我は?」
「ごめん…俺…」
ハルヤは座り込んだまま、顔を真っ赤に染める。
「大丈夫ですよ、ハルヤ。さあ、お手をどうぞ」
「うん…」
ハルヤが伸ばした手を、シルヴァンは強引に奪って胸の中に抱き締めた。
シルヴァンは、ピンク色の耳に何か囁いた。
ますます顔を真っ赤にしたハルヤに、ほぼ全生徒が心を打たれた。
テオも例に漏れず、持てる限りの賛辞を上げていた。
審査委員長テオの心を射止め、二人が優勝ペアとして、表彰台に上った。
シルヴァンは大喜びで、観客に手を振っていたが、
ハルヤは恥ずかしくて仕方ないようだった。
表彰式も終わり、後は自由解散。
ホールには曲が流れている。皆ペアに関係なく自由に踊り始める。
本日のMVPとも言えるハルヤの前には、多くの手が差し出されていた。
戸惑うハルヤを見て、シルヴァンは強引にハルヤの手を取った。
「ハルヤ、僕と逃げましょう?」
「ええっ!?」
駆け出したシルヴァンにハルヤが引っ張られる。
優勝ペアを追う足音で、ホールには小さな地震が起こった。
アルファルド寮の生徒は、拘束時間が終わったとばかり、
さっさと寮へ引き揚げる者が多かった。
ジャワハルワール・レオシュペアも寮へと向かおうとしていたのだが、
レオシュの前に幾つもの手が差し出された。
不機嫌な女王はどの手も取らない。
すると、ジャワハルワールがレオシュの手首を引いた。
そのまま普通に出口へと向かった。
残された男達は呆気に取られている。
数歩進むと、ジャワハルワールは手を離した。
無表情のまま、自分達の家に向かって歩いている。
レオシュは驚きながらも何も言わず、後ろを歩く。
肩乗りオウムは、レオシュを振り返って叫ぶ。
「ジョウオウ、カワイイ、カワイイ!」
「煩いぞ、鳥」
オウムは首を傾げて、ジャワハルワールに確認する。
「ジャワハルワール。レオシュ、カワイイ?」
ジャワハルワールは無言だった。
が、唐突にパートナーの手を取った。
女王とオウムが呆然と見つめる中、
何も言わずに手の甲にキスをした。女王の頬が、さっと赤くなる。
凶暴化したオウムは騒ぎ出した。
「ジャワハルワール!!」
両の翼で飼い主の頭をばしばし叩く。
ジャワハルワールは黙ったまま、頬を掻いていた。
残った生徒達、主にウーティスとシュヌーシアの生徒達が踊っている。
生徒代表のテオは特等席から皆の様子を眺めていた。
隣に一人の生徒が立つ。この舞踏会の主催者に、ジョシュアが感謝を述べに来た。
「テオ、お疲れ様でした。楽しいパーティをありがとうございます」
「やあ、ジョシュア。こちらこそありがとう。君達のダンス、とても美しかったよ」
「テオは踊らないんですか?」
「ああ、私は良いのだよ。それより、君の姫君はどうしたんだい?」
「あそこに居ますよ、ほら」
ホール中央で不機嫌なアンリの手を取っているのはアルフレッドだった。
本人の言葉通り、ダンスはジョシュアと変わらないくらい上手かった。
「お前、バカだなー。俺とペア組んでりゃ、優勝させてやったのに」
アンリは目の前の笑顔を睨み付ける。
「君と組んでても優勝できなかったよ。転んだから優勝って何なの」
「お前には可愛げがねーんだよ、ハルヤと違ってな」
「なら、君もハルヤを追い駆ければ良かったのに」
「シルヴァンに攫われて追い着けるかよ。
だから、仕方なくお前と踊ってあげてんだろー?」
「あっそう」
アンリは突然クスッと微笑み、足でアルフレッドの足首を払った。
「うわっ!」
転んで、床に手を付く。周囲から笑い声が上がる。
「アンリ~、てめーっ!」
見ていたジョシュアが、テオに一言断ってから、友人達の所へ向かう。
テオはゆっくりと腰を上げた。そのままダンスホールを出て行く。
周囲には着飾った生徒や島民ばかりで、テオの王族衣装もさほど目立たない。
擦れ違ったシュヌーシアの生徒に声を掛けられた。
「テオー。もう帰っちゃうのー?」
「ああ。少し仕事があってね。生徒代表室へ行ってくるよ。
皆は思う存分楽しんでおくれ。踊り明かしてくれても構わないよ?」
生徒は笑う。
「そんなに踊れないよー。じゃあね、テオ。お仕事無理しないでね?」
「ああ。ありがとう。ではね」
テオは真っ直ぐ生徒代表室へ向かった。
パーティを抜け出した優勝ペアは、月桂樹の森まで逃げていた。
並以上に体力のあるシルヴァンは涼しげな顔をして走って来たのだが、
日舞の練習にブランクがある上に、ドレス姿のハルヤは息を切らしていた。
「シルヴァン…俺、もう走れないよ…」
「ああ、すみません。座りましょうか?」
「うん。あっでも、このドレス汚しちゃうな」
「構いませんよ? これはテオが買ってくれた物なので。
ハルヤは、このドレス、お持ち帰りできますよ?」
「えー。あっても困るよ。もう着ないだろうし」
「じゃ、じゃあ、僕が貰っても良いですか?」
「い、いいけど…どうするの?」
「大切に保管しますー♪」
やっぱりやだなあ、と言える雰囲気ではなかった。
めんどくさいのでシルヴァンの好きなようにさせることにした。
「あっ、ハルヤ。見て下さい。今夜は綺麗な三日月ですよ」
「うん…そうだね…」
あまり身の入っていない返事に、シルヴァンは相手の表情を伺う。
覗き込もうとして、顔を背けられた。
「ハルヤ? どうしたんです?」
「あ、あの…さ」
「はい?」
「さっき、なんであんなこと言ったの?」
ダンス中に転んで起こして貰った時。
シルヴァンに囁かれた言葉が、耳から離れない。
会場から逃げて、走っている時もずっと。
「俺、そういう冗談ダメっていうか…困るよ…」
「だって本当にそう思ったんです」
シルヴァンは笑顔で、ハルヤを抱き締める。
「ちょっと、シルヴァン!」
恥ずかしがり屋の耳に、もう一度同じ台詞を囁く。
「可愛いですよ、ハルヤ。…キス、しちゃいたいくらいに」
三日月の下、月桂樹が揺れている。
真っ暗な森の中で、ナイチンゲールは恋の歌を歌っていた。
「今宵はね、舞踏会を開催したんだ」
生徒代表室ではテオが今日の報告をしていた。
荘厳な椅子に身を預けて、先刻の楽しかった記憶を言葉にする。
「優勝したのはウーティスのシルヴァンと、ハルヤ。
ハルヤはね、東洋から今年留学してきたんだ。美しい子なのだよ?」
生徒代表室には、テオの他に誰も居なかった。
電話を掛けているわけでもなかった。
「結局、私は誰とも踊れなかったよ」
テオは一人で、壁に飾られた肖像画を見上げていた。
卒業した歴代の生徒代表達。
其処には昨年度の生徒代表、クラウス・フォン・モール。
同じ寮の生徒で、最も親しかった友人の絵があった。
「どうして貴方は、此処に居ないのだろうね、クラウス」
広い部屋には古い時計の音が響いている。
全生徒へ送った、舞踏会への招待状。
一番会いたい人には、届けることも叶わない。
テオの笑顔は穏やかで儚かった。
その顔を見ている者は、一人も居ない。
孤独な空間で、今年度の生徒代表は、
誰にも知られず、静かに微笑む。
「私ね、貴方と踊りたかったのだよ?」
fin
■イワン×ミハイル×ソクーロフ×アイヴィー
■ミハイルシナリオベース
■ミハイルシナリオベース
聖アルフォンソ学院 保健室。
最新鋭の設備が揃う診療所。この島の命を預かる場所とも言える。
部屋の主は医師免許を持っている、れっきとしたドクターだ。
長い髪は一つに束ね、鋭い眼光は眼鏡が覆っている。
レンズの奥から覗くのは、紫紺の瞳。深みのある色だった。
相手の心の底まで見透かすように、時折強かに輝くことがあった。
指は細く長い。怪我の治療など繊細な作業に適した指。
かつて、洗脳・自白のエキスパートと呼ばれていた。
心理学界に革命を起こそうとした人物は、
組織を迫害され、この孤島に流れ着いた。
現在は、辺境の王子達が集う月桂樹の館で、
此処で彼等を身体的、心理的にサポートすることが日々の務めだ。
聖アルフォンソ学院の保健医兼カウンセラー。
スタニスラフ・ニコライエヴィッチ・ソクーロフ。
彼の評判は実に様々だ。親しみを込めて「博士」と呼ぶ者から、
「信頼できるドクター」「俺のヒーロー」、
果ては「サディスト」などと呼ぶ者まである。
保健室のドアがノックされた。
掛時計を見ると、ある生徒のカウンセリングが始まる時間だった。
机に広げていたカルテ。視線でひと舐めしてから、博士は許可を与える。
「入りたまえ」
「こんにちは、ソクーロフ博士」
金髪の少年。髪にはなだらかな波がある。生徒の心を表しているようだ。
歩幅が狭く、もじもじとした歩き方。表情には自信や情熱の類がない。
伏し目がちで、相手の目より、手や足許を見る回数が多い。
自分に誇りが持てない子。一目見て、気弱な性格だと解る表情。
悪いわけではない。彼の場合、そうなるしかなかったのだろう。
高等部第一学年のミハイル・リューリコヴィッチ・ネフスキー。
医師は穏やかな博士の顔を貼り付ける。ミハイル用の仮面だった。
「よく来たね、ミハイル。其処に座りたまえ」
「はい、博士」
素直に従う。ミハイルのカウンセリングを始めてからもう一年になる。
このクランケとカウンセラーは、しっかりと信頼関係が結ばれていた。
部屋は絵画が飾られている。突飛な色彩などはなく、全て落ち着いた色合い。
広々とした風景画や暖かな人物画でまとめられていた。
「さて。今日はどんな話をしようか。ミハイル、何か話したいことはあるかい?」
「あ、はい。イワン兄さんと電話でお話したんです」
「ほう。君のお兄さんから電話が」
ミハイルは地下組織の家に生まれている。年の離れた兄が二人。
下の兄は父親と反目し、自ら組織を起こしている。
イワン・フョードロヴィッチ・ネフスキー。
通称『月下の悪魔』と呼ばれる人物がミハイルの兄だった。
ソクーロフは笑顔の仮面を崩さず、相槌を打つ。
「良かったね、お兄さんとどんな話をしたんだい?」
「今度会いに来てくれるって。ワーニャが、
ぼくに会いたいって…ぼく、うれしくって」
頬をピンク色に染めて、心から喜んでいる様子だった。
ワーニャというのはイワンの愛称だ。
ロシアでは家族や友人間でイワンをそう呼んでいる。
急にミハイルの表情が変わる。「あっ」と言って口を押さえた。
異変を逃さず、カウンセラーは尋ねた。
「どうしたんだね、ミハイル?」
「あ、えっと…ごめんなさい。ぼく…」
「ミハイル。カウンセリング中に聞いたことはね、私は誰にも言わないよ。
この話は保健室から出ることはないから、安心して話しなさい」
時と場合に依るがね、と心の中だけで付け加える。
ミハイルはほっとしたように笑顔を見せた。
絶対的な信頼は、時に息苦しいものだ。ミハイルの口が開く。
「あの…電話があったこと、『誰にも言っちゃダメだぞ』って言われてたんです」
嬉しさのあまり、思わず約束を忘れてしまったのだろう。
安心させるように、カウンセラーは言葉を重ねた。
「大丈夫だよ、ミハイル。私には話しても平気だよ。
では今日のカウンセリングは、お兄さんの話を聞いても良いかい?」
「はいっ」
嬉しそうに微笑んだ。ミハイルは兄が好きらしい。
カウンセラーは、クランケに気付かれずに、催眠状態へと誘導した。
ミハイルのカウンセリングでは、催眠まで使うことは滅多にないのだが。
イワンについて聞き出すなら、予防線を張っておくに越したことはない。
若い頃は後先考えずに行動したものだが。
年を重ねるうちに保守的な生き方も学んだようだ。
ミハイルは深い催眠に落ちた。
信頼関係の強さに比例し、今は何でも私の質問に答えてくれる状態だ。
普段は意識下に眠っている記憶も呼び起こすことができる。
一歩間違えば、クランケを廃人にすることも可能だ。
幼少期まで記憶を遡って、ミハイルに尋ねた。
「ミハイルは、戦争ごっこが好きだったね?」
「そう。ワーニャが好きな遊び…ぼくも好き」
「勝ったり負けたりする遊びなのかい?」
「はい…たくさん、敵を倒すと勝ちです。
最初はワーニャがよく勝って…ぼくもだんだん勝てるようになって…」
「そう。勝つ為にはどうしたら良いのかな?」
「よく見ていると…相手が何を考えているか解ると、勝ちます。チェスと似てるから。
ワーニャは『ミーシカは賢いな』っていつも褒めてくれました」
「お兄さんのことが好きだった?」
「だいすき。お父さんもドミトリー兄さんも怖いけど、
ワーニャだけはぼくと遊んでくれたから」
ミハイルは純真な笑顔を見せる。
カウンセラーは声には出さず、息を吐き出した。
イワンがミハイルと遊んでいたのは、可愛い弟だったからではないのだろう。
自分の組織を持つことを、当時から計画していたのかもしれない。
おそらく、戦争ごっことは将来、実際に人を殺めることを目的としたシミュレーション。
地下組織の頭脳として育てる為の遊び。何も知らない、まだ幼いミハイルに。
「博士は…ワーニャに似てます」
ミハイルはゆっくりと椅子から立ち上がる。
「私が?」
「博士は優しくて…でも時々怖くて…ほんとにワーニャみたいで…すき」
ふらふらと歩いて、カウンセラーの前で、ぺたと床に座り込んだ。
焦点の定まらない瞳が、ぼうっと主治医を見つめている。
「ぼく、博士がすきです…」
転移が起こってしまった。
カウンセリングの現場では発生し易い転移現象。
治療者は立場上、患者に対して真摯に耳を傾ける。
其れ故に、クランケがカウンセラーへ信頼以上の感情を持ってしまう現象だ。
カウンセリングは治療者と患者の距離が遠過ぎれば前に進まないが、
近過ぎても適切な治療は行えない。
更にミハイルは、兄を投影して、医師を見ている。
兄への愛情までもが医師に転移している。
「ミハイル、今日のカウンセリングはここまでだ」
カウンセラーは指を鳴らした。
クランケは操り人形の糸が切れたように前方へ傾く。
ソクーロフが差し出した腕にぐったりと凭れた。規則的な呼吸。眠っている。
保健室のベッドにミハイルを運ぶ。その身体は軽い。
催眠を掛けて正解だったようだ。目を覚ました時には、
イワンについて聞き出したことは全て忘れているだろう。
ミハイルに毛布を掛ける。金色の細い髪が目に入り、
それを撫でようと自然に手が持ち上がった。
逆転移、という単語が脳裏に過ぎる。
治療者が患者へ行き過ぎた好意を抱く現象。
宙に浮いた手で、医師は腕を組む。
逆転移までには至っていないと思うが。
ミハイルは話をする機会が多いせいか、他の生徒より親しい存在ではあった。
先もそうだ。イワンの話を聞いて、
許せない、という感情が沸き起こっていた。
「…月下の悪魔」
その異名は相応しいようだ。人の道を外している悪魔だ。
紛い物の愛情をちらつかせ、己の欲望を満たす為だけに、
何も知らない幼い子供を利用した。
医師は、闇に葬られた史実を思い出した。
聖アルフォンソ学院の卒業生。
兄の私欲の為に、殺人兵器として利用された毒薬遣い。
結果、弟は毒草を用いて、兄を殺めた。
そのような悲劇を此処で繰り返してはならない。
PCの前に向かった。眼鏡にPC画面が反射している。
其処に映し出されているのは、生徒達の詳細な個人情報。
これを扱える人間は学院の中でも数人だ。
自分が持っているデータから必要なものを全て集めて、一枚のカードに収めた。
作業が終わった頃、保健室のドアが鳴った。
コンコンコンと軽快な音が3回。誰が訪ねて来たのか、それで解る。
保健医は特に返事をしなかった。
窓際に立って、白衣のポケットに手を入れる。
カウンセリング中は自粛していた煙草を取り出す。
手の中で、ぽっと小さな炎を点らせ、窓を細く開ける。
ドアから覗いたのは金髪。
ミハイルと似た色だが、こちらは波がなく、すらりと長い。
「こんちわー。ソクちゃん、ベッド貸して?」
保健室の扉を開けたのはアイヴィー。カウンセラーの同僚とも言える。
生徒代表の手足となり、学院の生徒達を守ることが任務。
知り合ってからもう6年にもなる。もっと長く居るような気もする。
表向きは学院専属のタクシードライバー。
本業は、この島の警備責任者。保健医と同様に、この島の命を預かる存在だ。
それほどの重役だと知っている者は極少数だった。
アイヴィーは保健室の自分の指定席を見やる。
「あれ? 俺のベッドに先約?」
ベッドに横たわる少年を見つけた。金色に輝く巻き髪と、小さな身体。
保健室の常連だ。カウンセリングで訪れている姿を何度か見掛けていた。
「ミハイルじゃん。どしたの? 倒れた?」
カウンセラーは紫煙を吐き出す。白い煙が生き物のように立ち昇る。
「起こすな。記憶を抹消して、眠らせたばかりだ。
身体に負担を掛けてしまった。私の不手際だ」
「ソクーロフ…」
反省の言葉を口にするなど、この医師にしては珍しいことだった。
お前どうしたんだよ、と尋ねる前に博士は話題を転換した。
「アイヴィー。お前にひとつ、プレゼントをやろう」
「あら? めずらし」
警備責任者は博士が居る窓際へ近付く。
歩きながら煙草を取り出して、火を点ける。
隣に立って、一度呼吸する。煙が身体に回る感覚が心地好い。
微笑みながら、長年の相棒に尋ねる。
「ね。それって、ソクちゃんの愛、こもってんの?」
博士は薄く笑った。
「ああ」
手渡したのはSDHCメモリーカード。薄い長方形。
アイヴィーは親指と人差し指に挟む。
「ちょっとー、ソクちゃんの愛って3cm? ちっちゃくない?」
「最大容量は4GBだぞ?」
「うーわー。重い愛だなー。俺ってば、か弱いから潰れちゃう」
「受け止められないのなら勝手に潰れていろ」
「冷たっ」
医師は軽く笑って、壁に凭れる。
このタクシードライバーは、冗談ばかり口にする男だった。
下らない話も深刻な話も、至って軽い口調で話す。
医師は煙草を口から離して、息を吐いた。
指の先で上がる白煙。その動きを追うのは面白い。
同じ銘柄の煙草でも、同じ動きは二度とない。
その日その日で、空気も風も違うからだ。人の心と同じだ。常に変わる。
空は青く澄んでいた。大きな雲が、ゆったりと流れている。
今日の天気は快晴。煙草は美味い。
聖アルフォンソ島に来てから、煙草が美味いと感じられるようになった。
これ以上、何を望めば良いのだろう。ふと、そんなことを想う自分に出会う。
「んー。今日はイイ天気だねー。絶好の煙草日和?」
隣に居るタクシードライバーは、青空を眺めながら、腕を上げて伸びをしていた。
カウンセラーは銜えていた煙草を離す。人差し指を自分の唇に当てる。
「天気は、関係ないだろう」
「いーや。あるねっ」
風が吹いて、僅かに開いた窓の向こうへひゅるりと吸い込まれた。
医師は笑みを消して、警備責任者に伝える。
「イワン・フョードロヴィッチ・ネフスキー。奴の動向に注意しろ」
警備責任者はベッドで眠る少年に目をやる。
「ネフスキーって…ミハイルの?」
「ああ、兄だ。ミハイルに電話をした。近いうちに接触してくる」
警備責任者はSDHCメモリーカードを眺める。
銀色の板には、イワンに関するデータが詰まっているのだろう。
「誘拐、ね」
医師は頷く。
「おそらく。ロシアへ連れ去るつもりだろう」
もう驚くことではなかった。辺境の王子は攫われ易い人種の集まりだ。
一人一人が抱えている特殊事情のせいで、その身を狙う輩が後を絶たない。
「裏方は大忙しだなー、おかげさんで。今年は当たり年だねー。
ソクちゃんは、ますます人使い荒いしー」
メモリーカードを胸ポケットに入れる。重さはない。
この仕事は肩書きの割りに重責を感じたことがなかった。
息苦しさを伴う任務ではない。昔々と違って迷いがない。
マージナルプリンスどもをお守りする。それだけだ。
よっ、と掛け声を上げて、壁から身を起こす。
博士の机にある灰皿に、吸殻を置かせて貰う。
保健室から出る前に、アイヴィーは少年の前でしゃがんだ。
「ミハイル、かーわいっ」
幼さの残る寝顔に思わず微笑む。
ミハイルを見つめながら、起こさないように、そうっと柔らかい金髪を撫でた。
「心配要らないぜ? ミハイル」
眠っている少年に、というよりはこの子の主治医に聞かせる為に。
警備責任者は笑って、寝顔に誓う。
「お前さんのことは、カッコイイお兄さん達が守るからな♪」
fin
最新鋭の設備が揃う診療所。この島の命を預かる場所とも言える。
部屋の主は医師免許を持っている、れっきとしたドクターだ。
長い髪は一つに束ね、鋭い眼光は眼鏡が覆っている。
レンズの奥から覗くのは、紫紺の瞳。深みのある色だった。
相手の心の底まで見透かすように、時折強かに輝くことがあった。
指は細く長い。怪我の治療など繊細な作業に適した指。
かつて、洗脳・自白のエキスパートと呼ばれていた。
心理学界に革命を起こそうとした人物は、
組織を迫害され、この孤島に流れ着いた。
現在は、辺境の王子達が集う月桂樹の館で、
此処で彼等を身体的、心理的にサポートすることが日々の務めだ。
聖アルフォンソ学院の保健医兼カウンセラー。
スタニスラフ・ニコライエヴィッチ・ソクーロフ。
彼の評判は実に様々だ。親しみを込めて「博士」と呼ぶ者から、
「信頼できるドクター」「俺のヒーロー」、
果ては「サディスト」などと呼ぶ者まである。
保健室のドアがノックされた。
掛時計を見ると、ある生徒のカウンセリングが始まる時間だった。
机に広げていたカルテ。視線でひと舐めしてから、博士は許可を与える。
「入りたまえ」
「こんにちは、ソクーロフ博士」
金髪の少年。髪にはなだらかな波がある。生徒の心を表しているようだ。
歩幅が狭く、もじもじとした歩き方。表情には自信や情熱の類がない。
伏し目がちで、相手の目より、手や足許を見る回数が多い。
自分に誇りが持てない子。一目見て、気弱な性格だと解る表情。
悪いわけではない。彼の場合、そうなるしかなかったのだろう。
高等部第一学年のミハイル・リューリコヴィッチ・ネフスキー。
医師は穏やかな博士の顔を貼り付ける。ミハイル用の仮面だった。
「よく来たね、ミハイル。其処に座りたまえ」
「はい、博士」
素直に従う。ミハイルのカウンセリングを始めてからもう一年になる。
このクランケとカウンセラーは、しっかりと信頼関係が結ばれていた。
部屋は絵画が飾られている。突飛な色彩などはなく、全て落ち着いた色合い。
広々とした風景画や暖かな人物画でまとめられていた。
「さて。今日はどんな話をしようか。ミハイル、何か話したいことはあるかい?」
「あ、はい。イワン兄さんと電話でお話したんです」
「ほう。君のお兄さんから電話が」
ミハイルは地下組織の家に生まれている。年の離れた兄が二人。
下の兄は父親と反目し、自ら組織を起こしている。
イワン・フョードロヴィッチ・ネフスキー。
通称『月下の悪魔』と呼ばれる人物がミハイルの兄だった。
ソクーロフは笑顔の仮面を崩さず、相槌を打つ。
「良かったね、お兄さんとどんな話をしたんだい?」
「今度会いに来てくれるって。ワーニャが、
ぼくに会いたいって…ぼく、うれしくって」
頬をピンク色に染めて、心から喜んでいる様子だった。
ワーニャというのはイワンの愛称だ。
ロシアでは家族や友人間でイワンをそう呼んでいる。
急にミハイルの表情が変わる。「あっ」と言って口を押さえた。
異変を逃さず、カウンセラーは尋ねた。
「どうしたんだね、ミハイル?」
「あ、えっと…ごめんなさい。ぼく…」
「ミハイル。カウンセリング中に聞いたことはね、私は誰にも言わないよ。
この話は保健室から出ることはないから、安心して話しなさい」
時と場合に依るがね、と心の中だけで付け加える。
ミハイルはほっとしたように笑顔を見せた。
絶対的な信頼は、時に息苦しいものだ。ミハイルの口が開く。
「あの…電話があったこと、『誰にも言っちゃダメだぞ』って言われてたんです」
嬉しさのあまり、思わず約束を忘れてしまったのだろう。
安心させるように、カウンセラーは言葉を重ねた。
「大丈夫だよ、ミハイル。私には話しても平気だよ。
では今日のカウンセリングは、お兄さんの話を聞いても良いかい?」
「はいっ」
嬉しそうに微笑んだ。ミハイルは兄が好きらしい。
カウンセラーは、クランケに気付かれずに、催眠状態へと誘導した。
ミハイルのカウンセリングでは、催眠まで使うことは滅多にないのだが。
イワンについて聞き出すなら、予防線を張っておくに越したことはない。
若い頃は後先考えずに行動したものだが。
年を重ねるうちに保守的な生き方も学んだようだ。
ミハイルは深い催眠に落ちた。
信頼関係の強さに比例し、今は何でも私の質問に答えてくれる状態だ。
普段は意識下に眠っている記憶も呼び起こすことができる。
一歩間違えば、クランケを廃人にすることも可能だ。
幼少期まで記憶を遡って、ミハイルに尋ねた。
「ミハイルは、戦争ごっこが好きだったね?」
「そう。ワーニャが好きな遊び…ぼくも好き」
「勝ったり負けたりする遊びなのかい?」
「はい…たくさん、敵を倒すと勝ちです。
最初はワーニャがよく勝って…ぼくもだんだん勝てるようになって…」
「そう。勝つ為にはどうしたら良いのかな?」
「よく見ていると…相手が何を考えているか解ると、勝ちます。チェスと似てるから。
ワーニャは『ミーシカは賢いな』っていつも褒めてくれました」
「お兄さんのことが好きだった?」
「だいすき。お父さんもドミトリー兄さんも怖いけど、
ワーニャだけはぼくと遊んでくれたから」
ミハイルは純真な笑顔を見せる。
カウンセラーは声には出さず、息を吐き出した。
イワンがミハイルと遊んでいたのは、可愛い弟だったからではないのだろう。
自分の組織を持つことを、当時から計画していたのかもしれない。
おそらく、戦争ごっことは将来、実際に人を殺めることを目的としたシミュレーション。
地下組織の頭脳として育てる為の遊び。何も知らない、まだ幼いミハイルに。
「博士は…ワーニャに似てます」
ミハイルはゆっくりと椅子から立ち上がる。
「私が?」
「博士は優しくて…でも時々怖くて…ほんとにワーニャみたいで…すき」
ふらふらと歩いて、カウンセラーの前で、ぺたと床に座り込んだ。
焦点の定まらない瞳が、ぼうっと主治医を見つめている。
「ぼく、博士がすきです…」
転移が起こってしまった。
カウンセリングの現場では発生し易い転移現象。
治療者は立場上、患者に対して真摯に耳を傾ける。
其れ故に、クランケがカウンセラーへ信頼以上の感情を持ってしまう現象だ。
カウンセリングは治療者と患者の距離が遠過ぎれば前に進まないが、
近過ぎても適切な治療は行えない。
更にミハイルは、兄を投影して、医師を見ている。
兄への愛情までもが医師に転移している。
「ミハイル、今日のカウンセリングはここまでだ」
カウンセラーは指を鳴らした。
クランケは操り人形の糸が切れたように前方へ傾く。
ソクーロフが差し出した腕にぐったりと凭れた。規則的な呼吸。眠っている。
保健室のベッドにミハイルを運ぶ。その身体は軽い。
催眠を掛けて正解だったようだ。目を覚ました時には、
イワンについて聞き出したことは全て忘れているだろう。
ミハイルに毛布を掛ける。金色の細い髪が目に入り、
それを撫でようと自然に手が持ち上がった。
逆転移、という単語が脳裏に過ぎる。
治療者が患者へ行き過ぎた好意を抱く現象。
宙に浮いた手で、医師は腕を組む。
逆転移までには至っていないと思うが。
ミハイルは話をする機会が多いせいか、他の生徒より親しい存在ではあった。
先もそうだ。イワンの話を聞いて、
許せない、という感情が沸き起こっていた。
「…月下の悪魔」
その異名は相応しいようだ。人の道を外している悪魔だ。
紛い物の愛情をちらつかせ、己の欲望を満たす為だけに、
何も知らない幼い子供を利用した。
医師は、闇に葬られた史実を思い出した。
聖アルフォンソ学院の卒業生。
兄の私欲の為に、殺人兵器として利用された毒薬遣い。
結果、弟は毒草を用いて、兄を殺めた。
そのような悲劇を此処で繰り返してはならない。
PCの前に向かった。眼鏡にPC画面が反射している。
其処に映し出されているのは、生徒達の詳細な個人情報。
これを扱える人間は学院の中でも数人だ。
自分が持っているデータから必要なものを全て集めて、一枚のカードに収めた。
作業が終わった頃、保健室のドアが鳴った。
コンコンコンと軽快な音が3回。誰が訪ねて来たのか、それで解る。
保健医は特に返事をしなかった。
窓際に立って、白衣のポケットに手を入れる。
カウンセリング中は自粛していた煙草を取り出す。
手の中で、ぽっと小さな炎を点らせ、窓を細く開ける。
ドアから覗いたのは金髪。
ミハイルと似た色だが、こちらは波がなく、すらりと長い。
「こんちわー。ソクちゃん、ベッド貸して?」
保健室の扉を開けたのはアイヴィー。カウンセラーの同僚とも言える。
生徒代表の手足となり、学院の生徒達を守ることが任務。
知り合ってからもう6年にもなる。もっと長く居るような気もする。
表向きは学院専属のタクシードライバー。
本業は、この島の警備責任者。保健医と同様に、この島の命を預かる存在だ。
それほどの重役だと知っている者は極少数だった。
アイヴィーは保健室の自分の指定席を見やる。
「あれ? 俺のベッドに先約?」
ベッドに横たわる少年を見つけた。金色に輝く巻き髪と、小さな身体。
保健室の常連だ。カウンセリングで訪れている姿を何度か見掛けていた。
「ミハイルじゃん。どしたの? 倒れた?」
カウンセラーは紫煙を吐き出す。白い煙が生き物のように立ち昇る。
「起こすな。記憶を抹消して、眠らせたばかりだ。
身体に負担を掛けてしまった。私の不手際だ」
「ソクーロフ…」
反省の言葉を口にするなど、この医師にしては珍しいことだった。
お前どうしたんだよ、と尋ねる前に博士は話題を転換した。
「アイヴィー。お前にひとつ、プレゼントをやろう」
「あら? めずらし」
警備責任者は博士が居る窓際へ近付く。
歩きながら煙草を取り出して、火を点ける。
隣に立って、一度呼吸する。煙が身体に回る感覚が心地好い。
微笑みながら、長年の相棒に尋ねる。
「ね。それって、ソクちゃんの愛、こもってんの?」
博士は薄く笑った。
「ああ」
手渡したのはSDHCメモリーカード。薄い長方形。
アイヴィーは親指と人差し指に挟む。
「ちょっとー、ソクちゃんの愛って3cm? ちっちゃくない?」
「最大容量は4GBだぞ?」
「うーわー。重い愛だなー。俺ってば、か弱いから潰れちゃう」
「受け止められないのなら勝手に潰れていろ」
「冷たっ」
医師は軽く笑って、壁に凭れる。
このタクシードライバーは、冗談ばかり口にする男だった。
下らない話も深刻な話も、至って軽い口調で話す。
医師は煙草を口から離して、息を吐いた。
指の先で上がる白煙。その動きを追うのは面白い。
同じ銘柄の煙草でも、同じ動きは二度とない。
その日その日で、空気も風も違うからだ。人の心と同じだ。常に変わる。
空は青く澄んでいた。大きな雲が、ゆったりと流れている。
今日の天気は快晴。煙草は美味い。
聖アルフォンソ島に来てから、煙草が美味いと感じられるようになった。
これ以上、何を望めば良いのだろう。ふと、そんなことを想う自分に出会う。
「んー。今日はイイ天気だねー。絶好の煙草日和?」
隣に居るタクシードライバーは、青空を眺めながら、腕を上げて伸びをしていた。
カウンセラーは銜えていた煙草を離す。人差し指を自分の唇に当てる。
「天気は、関係ないだろう」
「いーや。あるねっ」
風が吹いて、僅かに開いた窓の向こうへひゅるりと吸い込まれた。
医師は笑みを消して、警備責任者に伝える。
「イワン・フョードロヴィッチ・ネフスキー。奴の動向に注意しろ」
警備責任者はベッドで眠る少年に目をやる。
「ネフスキーって…ミハイルの?」
「ああ、兄だ。ミハイルに電話をした。近いうちに接触してくる」
警備責任者はSDHCメモリーカードを眺める。
銀色の板には、イワンに関するデータが詰まっているのだろう。
「誘拐、ね」
医師は頷く。
「おそらく。ロシアへ連れ去るつもりだろう」
もう驚くことではなかった。辺境の王子は攫われ易い人種の集まりだ。
一人一人が抱えている特殊事情のせいで、その身を狙う輩が後を絶たない。
「裏方は大忙しだなー、おかげさんで。今年は当たり年だねー。
ソクちゃんは、ますます人使い荒いしー」
メモリーカードを胸ポケットに入れる。重さはない。
この仕事は肩書きの割りに重責を感じたことがなかった。
息苦しさを伴う任務ではない。昔々と違って迷いがない。
マージナルプリンスどもをお守りする。それだけだ。
よっ、と掛け声を上げて、壁から身を起こす。
博士の机にある灰皿に、吸殻を置かせて貰う。
保健室から出る前に、アイヴィーは少年の前でしゃがんだ。
「ミハイル、かーわいっ」
幼さの残る寝顔に思わず微笑む。
ミハイルを見つめながら、起こさないように、そうっと柔らかい金髪を撫でた。
「心配要らないぜ? ミハイル」
眠っている少年に、というよりはこの子の主治医に聞かせる為に。
警備責任者は笑って、寝顔に誓う。
「お前さんのことは、カッコイイお兄さん達が守るからな♪」
fin
■ソクーロフ×アイヴィー
「どうだ。参ったかー!」
アイヴィーが高々に掲げたのはワインボトル。
毎年11月第3木曜日に解禁されるフランスワイン。
昨夜解禁されたボジョレーヌーボーを、アイヴィーがゲットしてきた。
ソクーロフは冷たく言い放つ。
「別に参らん」
「あー!? あんたが買って来いって俺をパシリにしたんじゃん!」
先日、アイヴィーはいつものように保健室へ昼寝をしに行った。
その時に保健医が「そう言えば、今度の木曜日は解禁日だったな」と注文したのだ。
今日は金曜の夜。今年のできたてワインを開けようと、
アイヴィーは教授陣の宿舎、メルキュール館にやってきた。
部屋の主は紫煙を細く吐いた。ソクーロフの煙草はキツイ。
身体を蝕む煙が宙に霧散する。この部屋は、いつ訪ねてもキレイ。
汚れていた日なんて、今までに一度もない。
家主に似て、隙のない部屋だ。
「私はそんなことを言ったか?」
「言った、言った、言いましたー」
「ほう。私の言葉は忘れられないか、アイヴィー」
「なっ何よ、その自信過剰っぷりは…」
「脈拍、平常値の128%に上昇中」
「…センセ、お医者さんごっこはしなくてイイから」
「では止めて良いのか?」
「あー、あのさ? ボジョレー飲もうよ。
俺、せっかく買ってきたんだし。ね?」
アイヴィーはワイングラスに赤のボジョレーを注ぐ。
これは、フランス・ブルゴーニュ地方の最南部、ボジョレー地区で作られたものだ。
2か月前にできたばかりの新酒。渋味は少なく、誰にも飲み易い爽やかなワイン。
ソクーロフは微笑を浮かべたまま、アイヴィーの黒ネクタイを引き抜く。
「ワインの美味しい飲み方を教えてやろう」
開いていたシャツのボタンをもうひとつ開ける。
ブルーのシャツからは、白い素肌が晒される。
「此処を杯にしたワインは絶品だ」
サディストは首許の窪みを指差した。
アイヴィーは引き攣りながら空笑いする。
「ちょっ…あのー、ソクちゃんさ? マジな目して、
そういうサディスティックなジョークは止めてくんないかな?
あんたが言うと、コワ過ぎるから」
「ジョークで終わらせるつもりはないが?」
「ソクちゃん! ヘンタイさんにも程があるって!」
「誰のことだ?」
「あんただよ、あんたっ!!」
「往生際が悪いぞ、アイヴィー」
首許を掴まれて、ソファに押し倒された。視界に天井が映る。
馬乗りされて、ソファがギイと鳴かされた。
ヘンタイさんの右手にはワイングラス。
「マ…マジですか…?」
「動くな、零れる」
ソクーロフのワイングラスが傾く。
薄い縁から一滴、白い鎖骨に赤い液体が落とされた。
その小さな杯に注がれた、一滴の赤ワイン。
冷たくて、思わず目を瞑った。含み笑いが聞こえる。
「ほら、零れてしまった」
鎖骨から、つうと流れていく。
軍人上がりだと解る肉体。無駄のない綺麗な筋肉。
その上には戦禍を生き抜いてきた無数の傷痕。
左胸の上部には大きな古傷が残る。
鎖骨から零れた雫は、細い赤紫の線を描きながら、落ちていく。
紫紺の瞳は愉快そうに見下ろしている。
ソクーロフの舌に這われているような錯覚に陥る。
この身体に刻まれている残滓が甦り、まだ酒も飲んでいないのに身体が火照る。
赤紫の水が煩い心臓の上を這う。
緩やかに波打ちながら、雫は左右に区切られた胸筋の溝へと伝う。
その動きは酷くゆっくりに見えた。胸の間を真っ直ぐに辿る。
予め引かれているラインから、六つに割れた腹筋へ向かう。
腹筋の中央を通る。その先は、へその窪みだ。
其処へ落ちる前に、ソクーロフが身を屈めた。長い髪に肩を撫でられる。
赤い舌先は、へその直前でボジョレーを舐め取った。
アイヴィーは思わず嬌声を漏らした。
サディストは、笑った。
「お前が零したからだろう? ではもう一度」
「や、やだっ! フツーに飲めよ、フツーに!」
「断る。私は気に入った」
ワイングラスから赤い新酒が垂れる。
ぽたぽたと鎖骨を汚す赤。
ソクーロフは、零れ落ちる前に、すする。
ちゅる、とわざと音を立てて、鎖骨を吸った。
キツイ煙草の香りが白い首元を覆う。
胸許へ噛み付くように痕を付けて行く。
「…や、あ、やめっ……」
いつもより乱暴な振る舞いに、アイヴィーは辛そうに眉を顰めていたが、
徐々に表情が悦楽に変わっていく。
白い肌が色付く度に、声は艶を帯びて。
金髪は煙草の香りに染まっていく。
「…そ、そくーろふ…あぁっ…」
気を良くした細い指は、白い腹をなぞりながら下へ降りていく。
「んっ…いっ…」
「イイのか?」
「ちがっ……はぁっ」
熱い吐息がソクーロフの耳に掛かる。くすぐったい。
「さて、そろそろ頃合だな」
見下ろして、其処へと手を伸ばす。
聞こえたのは、ファスナーの金属音と、含み笑い。
「次は、赤ではないワインを飲ませて貰おうか?」
fin
アイヴィーが高々に掲げたのはワインボトル。
毎年11月第3木曜日に解禁されるフランスワイン。
昨夜解禁されたボジョレーヌーボーを、アイヴィーがゲットしてきた。
ソクーロフは冷たく言い放つ。
「別に参らん」
「あー!? あんたが買って来いって俺をパシリにしたんじゃん!」
先日、アイヴィーはいつものように保健室へ昼寝をしに行った。
その時に保健医が「そう言えば、今度の木曜日は解禁日だったな」と注文したのだ。
今日は金曜の夜。今年のできたてワインを開けようと、
アイヴィーは教授陣の宿舎、メルキュール館にやってきた。
部屋の主は紫煙を細く吐いた。ソクーロフの煙草はキツイ。
身体を蝕む煙が宙に霧散する。この部屋は、いつ訪ねてもキレイ。
汚れていた日なんて、今までに一度もない。
家主に似て、隙のない部屋だ。
「私はそんなことを言ったか?」
「言った、言った、言いましたー」
「ほう。私の言葉は忘れられないか、アイヴィー」
「なっ何よ、その自信過剰っぷりは…」
「脈拍、平常値の128%に上昇中」
「…センセ、お医者さんごっこはしなくてイイから」
「では止めて良いのか?」
「あー、あのさ? ボジョレー飲もうよ。
俺、せっかく買ってきたんだし。ね?」
アイヴィーはワイングラスに赤のボジョレーを注ぐ。
これは、フランス・ブルゴーニュ地方の最南部、ボジョレー地区で作られたものだ。
2か月前にできたばかりの新酒。渋味は少なく、誰にも飲み易い爽やかなワイン。
ソクーロフは微笑を浮かべたまま、アイヴィーの黒ネクタイを引き抜く。
「ワインの美味しい飲み方を教えてやろう」
開いていたシャツのボタンをもうひとつ開ける。
ブルーのシャツからは、白い素肌が晒される。
「此処を杯にしたワインは絶品だ」
サディストは首許の窪みを指差した。
アイヴィーは引き攣りながら空笑いする。
「ちょっ…あのー、ソクちゃんさ? マジな目して、
そういうサディスティックなジョークは止めてくんないかな?
あんたが言うと、コワ過ぎるから」
「ジョークで終わらせるつもりはないが?」
「ソクちゃん! ヘンタイさんにも程があるって!」
「誰のことだ?」
「あんただよ、あんたっ!!」
「往生際が悪いぞ、アイヴィー」
首許を掴まれて、ソファに押し倒された。視界に天井が映る。
馬乗りされて、ソファがギイと鳴かされた。
ヘンタイさんの右手にはワイングラス。
「マ…マジですか…?」
「動くな、零れる」
ソクーロフのワイングラスが傾く。
薄い縁から一滴、白い鎖骨に赤い液体が落とされた。
その小さな杯に注がれた、一滴の赤ワイン。
冷たくて、思わず目を瞑った。含み笑いが聞こえる。
「ほら、零れてしまった」
鎖骨から、つうと流れていく。
軍人上がりだと解る肉体。無駄のない綺麗な筋肉。
その上には戦禍を生き抜いてきた無数の傷痕。
左胸の上部には大きな古傷が残る。
鎖骨から零れた雫は、細い赤紫の線を描きながら、落ちていく。
紫紺の瞳は愉快そうに見下ろしている。
ソクーロフの舌に這われているような錯覚に陥る。
この身体に刻まれている残滓が甦り、まだ酒も飲んでいないのに身体が火照る。
赤紫の水が煩い心臓の上を這う。
緩やかに波打ちながら、雫は左右に区切られた胸筋の溝へと伝う。
その動きは酷くゆっくりに見えた。胸の間を真っ直ぐに辿る。
予め引かれているラインから、六つに割れた腹筋へ向かう。
腹筋の中央を通る。その先は、へその窪みだ。
其処へ落ちる前に、ソクーロフが身を屈めた。長い髪に肩を撫でられる。
赤い舌先は、へその直前でボジョレーを舐め取った。
アイヴィーは思わず嬌声を漏らした。
サディストは、笑った。
「お前が零したからだろう? ではもう一度」
「や、やだっ! フツーに飲めよ、フツーに!」
「断る。私は気に入った」
ワイングラスから赤い新酒が垂れる。
ぽたぽたと鎖骨を汚す赤。
ソクーロフは、零れ落ちる前に、すする。
ちゅる、とわざと音を立てて、鎖骨を吸った。
キツイ煙草の香りが白い首元を覆う。
胸許へ噛み付くように痕を付けて行く。
「…や、あ、やめっ……」
いつもより乱暴な振る舞いに、アイヴィーは辛そうに眉を顰めていたが、
徐々に表情が悦楽に変わっていく。
白い肌が色付く度に、声は艶を帯びて。
金髪は煙草の香りに染まっていく。
「…そ、そくーろふ…あぁっ…」
気を良くした細い指は、白い腹をなぞりながら下へ降りていく。
「んっ…いっ…」
「イイのか?」
「ちがっ……はぁっ」
熱い吐息がソクーロフの耳に掛かる。くすぐったい。
「さて、そろそろ頃合だな」
見下ろして、其処へと手を伸ばす。
聞こえたのは、ファスナーの金属音と、含み笑い。
「次は、赤ではないワインを飲ませて貰おうか?」
fin
■国王×側近←王子
ロレート公国。
国主の邸に、我が国の第一王子、ジョシュア殿下がご滞在されていた。
学院の短い休暇中に足を運んで下さったのだ。
今回はロレートからの招待ではなく、殿下からのご要望だった。
突然のご申し出で、臣下達は驚き慌てたのだが、
殿下の為、すぐに受け入れる準備を整えた。
先日、殿下は正式にこの国の王位継承者として発表された。
殿下の真摯な挨拶と誠実な姿勢が、国民の信頼を得た。
次期国王が決まったロレートは、このところ幸福に満ちている。
もう臣下からも敬愛を受けている。
粗悪な品行の現国王とは全く違うからだろう。
殿下に何かして差し上げると、笑顔で丁寧な礼を言われる。
誰にも分け隔てなく接して下さる。
ジョシュア殿下は、確実にロレートの皆に愛されていた。
今日は国王が不在だった。公式行事で他国へと向かわれている。
国王の側近である私が、ジョシュア殿下のお世話役を仰せ付かっていた。
今回はご学友と一緒にいらしたのだが、今日は別行動。
ご学友はロレートを観光されるらしい。
殿下は私に『話があるので、部屋に来て欲しい』と仰られた。
殿下のお部屋に伺うと、扉が閉まったのを確認して、殿下は言った。
「すみません。わざわざ来て頂いて」
「いえ、殿下。何でもお申し付け下さい。その為に私は居るのです。
殿下のご滞在中、私は貴方のお世話役なのですから。それで、お話というのは?」
「俺、側に居て欲しいんです。これからも、ずっと」
「殿下…?」
「愛しています、貴方のことを」
殿下は私を正面から抱き留めた。
「俺、どうしても伝えたくて、会いに来たんです、貴方に」
「どうして…殿下が私などを」
「貴方を初めて見た時からです。気付きませんでしたか?
俺はずっと、叔父が羨ましかった。貴方を側に置ける叔父が。
貴方のことしか考えられません。愛してる。貴方が好きです」
殿下は私を引き寄せた。真摯な眼差しだった。
予想もしない事態に次にどうすべきかも解らなくなっていた。
唇が塞がれそうになって、やっと声を上げる。
「そんな…殿下、お止め下さい」
「叔父では良いのに、ですか?」
「何を仰るのです。陛下とそのようなことは」
「俺にだって解りますよ。貴方と叔父はただの主従関係ではない。
それに、俺に嘘を吐くなんて、臣下としては頂けませんね。
俺は正式な王位継承者ですよ、ラルヴィス中将」
殿下の声が低く聞こえた。
臣下に礼を言った声とは違う。
「王座に即位したら、俺が何を最初にするか解りますか?」
「…解りません」
「俺は、貴方を側近にします」
信じられないお言葉だった。
そのようなこと、あってはならない。
私は陛下と共に死すことを誓った者だ。
「私はカーディス様の、あの御方の側近です」
「ええ。だから俺は、叔父から貴方を奪います。
それが叶うから、ロレートの王になることを選んだんです」
「そんな…ご冗談としか思えません」
「冗談ではありませんよ。貴方を叔父から奪える唯一の方法です。
貴方は国王の側近だ。貴方と共にあるには、
俺が王となり、正式に貴方を俺の側に置きたい」
殿下は私の顎を持ち上げた。
目を見開いていると、殿下の顔が近付いてきた。
「俺の側に居て下さい。俺は貴方に支えて欲しい」
このお顔はカーディス様と似ている。
そんな場違いなことを考えた瞬間、殿下は唇を重ねた。
何が起こったのかさえ解らなかった。
何故、殿下の舌が、私の口内にある。
滑らかに甘いそれは歯列をひと撫でして、自分から離れた。
グラントの血をも引く、深紅の瞳。
熱い瞳で私を見つめている。
「いけません、殿下。このようなお戯れは」
「俺の言うことが聞けないんですか? ラルヴィス中将」
品行方正な殿下が居なくなった。
国民からすぐに支持を受けた第一王子。
お優しい殿下は、あれは演技だったのだろうか。
戸惑う私に気付いた殿下は詫びた。
「すみません…今日はもう止めておきます。
俺が王位に就けば貴方と一緒に居られる。そう遠くない未来です。
それまでに、どうか貴方も心の準備をして下さい」
「…このこと、陛下にはお話されたんですか?」
「いいえ。言う必要はありませんよ。
一人の兵を動かすのに、国王の意思が通らない筈がありません」
「殿下…」
「いつか貴方に『陛下』と呼ばれる日を楽しみにしています。ラルヴィス中将」
そう言い残し、殿下は学院にお戻りになった。
幾日が過ぎ、現ロレート国王がご帰還された。
陛下のお帰りが、これほど待ち遠しく、また恐ろしかったことはない。
殿下に言われたことを、陛下にお伝えすべきか迷っていた。
空が漆黒に染まると、私は陛下の部屋に呼ばれた。
私に課せられた夜の勤めとも言える。
この時間が、義務から麻薬へと感じるようになったのは、もう何年も昔のことだ。
他の従者は皆、下がらせている。
王の寝室。この高貴な部屋には誰も近付けない。
私の王は民には見せない微笑みを向けている。
平静を保ちながら、常のように陛下のお着替えを手伝う。
装束を脱がせ、夜着を持つ。陛下が腕を通す。
「たった数日離れていただけだが、久しく感じるぞ、ラル。
お前のその鉄面皮は、他国では見受けられなかったからな」
いつもと変わらない陛下の軽口。
帰国して落ち着かれたのか、普段より表情が柔らかい。
私も軽口を返さなくてはいけない。
常ならすぐに思い付くのに、今日に限って頭が回らない。
「ラル? 主との再会に声も出ないか?」
「ご機嫌ですね、陛下」
「ああ。やはり自分の国が一番良い。外へ出ると常にそう思う。
俺が居ない間、変わりはないか?
そうだ、ジョシュアが来ていたのだったな?
俺の甥は元気にしていたか?」
「…ええ」
「では、お前は? 俺以外の者に奪われていないか?」
口の端には笑みが浮かんでいる。
帰国時に決まって言う貴方の冗談だ。私が返す台詞も決まっている。
同じ台詞を言わなくてはならない。
「さあ…どうでしょう」
貴方は笑って、私の顎を取る。陛下の口髭が、私の唇に触れる。
殿下も、私の唇に触れた。
貴方の腕の中で、他の人物を思い出してしまった。
否応なく、あの言葉が脳裏を過ぎる。
――俺は、貴方を側近にします――
王になった殿下が仰れば、その言葉は確実に現実のものとなる。
一臣下の異動など造作ない。私の首など一言で刎ねられる。
そうなれば、私は陛下のお側には居られない。
「カーディス様…」
「ん?」
「いえ…今宵は手加減されているのですか?」
「何?」
「それとも、私が貴方に慣れてしまったのでしょうか?」
「面白い。俺に喧嘩を売っているのか?」
陛下の匂いに包まれる。
今ではこんなにも愛おしく感じている。
私は貴方のものだ。
ずっと、死ぬまでお側に居られると思っていたのに。
不規則な息を吐きながら、私の主を見つめた。
「カーディス様…お慕い、しています…貴方だけを」
陛下はくすりと笑った。
「どうした、ラル。今宵は随分と可愛いな? 昼間もそう囁いて欲しいものだ」
「今、だけです」
fin
国主の邸に、我が国の第一王子、ジョシュア殿下がご滞在されていた。
学院の短い休暇中に足を運んで下さったのだ。
今回はロレートからの招待ではなく、殿下からのご要望だった。
突然のご申し出で、臣下達は驚き慌てたのだが、
殿下の為、すぐに受け入れる準備を整えた。
先日、殿下は正式にこの国の王位継承者として発表された。
殿下の真摯な挨拶と誠実な姿勢が、国民の信頼を得た。
次期国王が決まったロレートは、このところ幸福に満ちている。
もう臣下からも敬愛を受けている。
粗悪な品行の現国王とは全く違うからだろう。
殿下に何かして差し上げると、笑顔で丁寧な礼を言われる。
誰にも分け隔てなく接して下さる。
ジョシュア殿下は、確実にロレートの皆に愛されていた。
今日は国王が不在だった。公式行事で他国へと向かわれている。
国王の側近である私が、ジョシュア殿下のお世話役を仰せ付かっていた。
今回はご学友と一緒にいらしたのだが、今日は別行動。
ご学友はロレートを観光されるらしい。
殿下は私に『話があるので、部屋に来て欲しい』と仰られた。
殿下のお部屋に伺うと、扉が閉まったのを確認して、殿下は言った。
「すみません。わざわざ来て頂いて」
「いえ、殿下。何でもお申し付け下さい。その為に私は居るのです。
殿下のご滞在中、私は貴方のお世話役なのですから。それで、お話というのは?」
「俺、側に居て欲しいんです。これからも、ずっと」
「殿下…?」
「愛しています、貴方のことを」
殿下は私を正面から抱き留めた。
「俺、どうしても伝えたくて、会いに来たんです、貴方に」
「どうして…殿下が私などを」
「貴方を初めて見た時からです。気付きませんでしたか?
俺はずっと、叔父が羨ましかった。貴方を側に置ける叔父が。
貴方のことしか考えられません。愛してる。貴方が好きです」
殿下は私を引き寄せた。真摯な眼差しだった。
予想もしない事態に次にどうすべきかも解らなくなっていた。
唇が塞がれそうになって、やっと声を上げる。
「そんな…殿下、お止め下さい」
「叔父では良いのに、ですか?」
「何を仰るのです。陛下とそのようなことは」
「俺にだって解りますよ。貴方と叔父はただの主従関係ではない。
それに、俺に嘘を吐くなんて、臣下としては頂けませんね。
俺は正式な王位継承者ですよ、ラルヴィス中将」
殿下の声が低く聞こえた。
臣下に礼を言った声とは違う。
「王座に即位したら、俺が何を最初にするか解りますか?」
「…解りません」
「俺は、貴方を側近にします」
信じられないお言葉だった。
そのようなこと、あってはならない。
私は陛下と共に死すことを誓った者だ。
「私はカーディス様の、あの御方の側近です」
「ええ。だから俺は、叔父から貴方を奪います。
それが叶うから、ロレートの王になることを選んだんです」
「そんな…ご冗談としか思えません」
「冗談ではありませんよ。貴方を叔父から奪える唯一の方法です。
貴方は国王の側近だ。貴方と共にあるには、
俺が王となり、正式に貴方を俺の側に置きたい」
殿下は私の顎を持ち上げた。
目を見開いていると、殿下の顔が近付いてきた。
「俺の側に居て下さい。俺は貴方に支えて欲しい」
このお顔はカーディス様と似ている。
そんな場違いなことを考えた瞬間、殿下は唇を重ねた。
何が起こったのかさえ解らなかった。
何故、殿下の舌が、私の口内にある。
滑らかに甘いそれは歯列をひと撫でして、自分から離れた。
グラントの血をも引く、深紅の瞳。
熱い瞳で私を見つめている。
「いけません、殿下。このようなお戯れは」
「俺の言うことが聞けないんですか? ラルヴィス中将」
品行方正な殿下が居なくなった。
国民からすぐに支持を受けた第一王子。
お優しい殿下は、あれは演技だったのだろうか。
戸惑う私に気付いた殿下は詫びた。
「すみません…今日はもう止めておきます。
俺が王位に就けば貴方と一緒に居られる。そう遠くない未来です。
それまでに、どうか貴方も心の準備をして下さい」
「…このこと、陛下にはお話されたんですか?」
「いいえ。言う必要はありませんよ。
一人の兵を動かすのに、国王の意思が通らない筈がありません」
「殿下…」
「いつか貴方に『陛下』と呼ばれる日を楽しみにしています。ラルヴィス中将」
そう言い残し、殿下は学院にお戻りになった。
幾日が過ぎ、現ロレート国王がご帰還された。
陛下のお帰りが、これほど待ち遠しく、また恐ろしかったことはない。
殿下に言われたことを、陛下にお伝えすべきか迷っていた。
空が漆黒に染まると、私は陛下の部屋に呼ばれた。
私に課せられた夜の勤めとも言える。
この時間が、義務から麻薬へと感じるようになったのは、もう何年も昔のことだ。
他の従者は皆、下がらせている。
王の寝室。この高貴な部屋には誰も近付けない。
私の王は民には見せない微笑みを向けている。
平静を保ちながら、常のように陛下のお着替えを手伝う。
装束を脱がせ、夜着を持つ。陛下が腕を通す。
「たった数日離れていただけだが、久しく感じるぞ、ラル。
お前のその鉄面皮は、他国では見受けられなかったからな」
いつもと変わらない陛下の軽口。
帰国して落ち着かれたのか、普段より表情が柔らかい。
私も軽口を返さなくてはいけない。
常ならすぐに思い付くのに、今日に限って頭が回らない。
「ラル? 主との再会に声も出ないか?」
「ご機嫌ですね、陛下」
「ああ。やはり自分の国が一番良い。外へ出ると常にそう思う。
俺が居ない間、変わりはないか?
そうだ、ジョシュアが来ていたのだったな?
俺の甥は元気にしていたか?」
「…ええ」
「では、お前は? 俺以外の者に奪われていないか?」
口の端には笑みが浮かんでいる。
帰国時に決まって言う貴方の冗談だ。私が返す台詞も決まっている。
同じ台詞を言わなくてはならない。
「さあ…どうでしょう」
貴方は笑って、私の顎を取る。陛下の口髭が、私の唇に触れる。
殿下も、私の唇に触れた。
貴方の腕の中で、他の人物を思い出してしまった。
否応なく、あの言葉が脳裏を過ぎる。
――俺は、貴方を側近にします――
王になった殿下が仰れば、その言葉は確実に現実のものとなる。
一臣下の異動など造作ない。私の首など一言で刎ねられる。
そうなれば、私は陛下のお側には居られない。
「カーディス様…」
「ん?」
「いえ…今宵は手加減されているのですか?」
「何?」
「それとも、私が貴方に慣れてしまったのでしょうか?」
「面白い。俺に喧嘩を売っているのか?」
陛下の匂いに包まれる。
今ではこんなにも愛おしく感じている。
私は貴方のものだ。
ずっと、死ぬまでお側に居られると思っていたのに。
不規則な息を吐きながら、私の主を見つめた。
「カーディス様…お慕い、しています…貴方だけを」
陛下はくすりと笑った。
「どうした、ラル。今宵は随分と可愛いな? 昼間もそう囁いて欲しいものだ」
「今、だけです」
fin
■テオ×クラウス
■「ジョシュアの留守電」ベース
■「ジョシュアの留守電」ベース
「おやおや、クラウス! どうしたんだい、そのスーツ姿!
ああ…私を惑わせて、一体どうするつもりだい?」
「…どうもしない。お前を惑わすつもりも毛頭ないのだが」
「何処へ出掛けるの? 私もお供したいな。今、着替えてくるから、待っていて?」
「駄目だ。生徒代表の任務で島の外へ出向く。
一週間、留守にするから、寮のことはお前に任せ…」
「えっ!? 私を置いて? そんな…生徒代表は海外出張までするの?」
「ああ。詳しくは言えないが、様々な方面と交渉を行う義務がある」
「そうなの。淋しいな、貴方の居ないシュヌーシア寮に残るなんて。
私も行きたい…そうか。ねえ、邪魔はしないから。私も連れて行っておくれ!?」
「バカ。これは任務だぞ。そういうわけには、いかんだろう」
「じゃ、荷物に紛れるよ。貴方の旅行鞄で大人しくしていれば良いだろう!?」
「…生憎だが、お前のバカでかい鞄と違って、俺の鞄は必要最小限の物しか入らない」
「私は!? 私は必要最小限の物ではないの!?」
「…じゃ、もう行くからな…」
「クラウス! では私の船で追い駆けても良い!?」
「…お前は、講義を受けろ、テオ」
「つれないな、クラウスは。あ、そうだ! せめてお願いを聞いて?」
「なんだ?」
「私の為に、貴方が選んだお土産を買ってきておくれ?」
「…何を言うかと思えば、子供のようなことを」
「そ、それも駄目かい? クラウス」
「ったく。時間があればな」
「ありがとう! ではちゃんと貴方の帰りを待っているね!」
一週間後。
クラウスは出張から帰って来る。
多忙なスケジュールで、のんびりする時間は殆どなかった。
それでも時間を切り詰めて、クラウスは土産を選ぶ時間を作った。
律儀な生徒代表は、寮生全員にお土産のお菓子を買ってきた。
テオだけに土産を選ぶことが気恥ずかしかったからだ。
お菓子は寮のサロンにて、皆で美味しく食べた。
その夜。クラウスはテオの部屋に訪れる。
ぶっきらぼうに「ほら」と小さな袋を差し出した。
「あまり時間がなくて…それに大した物ではないが」
「…クラウスッ!」
受け取る前に、テオは愛しい人に抱き着いた。
fin
ああ…私を惑わせて、一体どうするつもりだい?」
「…どうもしない。お前を惑わすつもりも毛頭ないのだが」
「何処へ出掛けるの? 私もお供したいな。今、着替えてくるから、待っていて?」
「駄目だ。生徒代表の任務で島の外へ出向く。
一週間、留守にするから、寮のことはお前に任せ…」
「えっ!? 私を置いて? そんな…生徒代表は海外出張までするの?」
「ああ。詳しくは言えないが、様々な方面と交渉を行う義務がある」
「そうなの。淋しいな、貴方の居ないシュヌーシア寮に残るなんて。
私も行きたい…そうか。ねえ、邪魔はしないから。私も連れて行っておくれ!?」
「バカ。これは任務だぞ。そういうわけには、いかんだろう」
「じゃ、荷物に紛れるよ。貴方の旅行鞄で大人しくしていれば良いだろう!?」
「…生憎だが、お前のバカでかい鞄と違って、俺の鞄は必要最小限の物しか入らない」
「私は!? 私は必要最小限の物ではないの!?」
「…じゃ、もう行くからな…」
「クラウス! では私の船で追い駆けても良い!?」
「…お前は、講義を受けろ、テオ」
「つれないな、クラウスは。あ、そうだ! せめてお願いを聞いて?」
「なんだ?」
「私の為に、貴方が選んだお土産を買ってきておくれ?」
「…何を言うかと思えば、子供のようなことを」
「そ、それも駄目かい? クラウス」
「ったく。時間があればな」
「ありがとう! ではちゃんと貴方の帰りを待っているね!」
一週間後。
クラウスは出張から帰って来る。
多忙なスケジュールで、のんびりする時間は殆どなかった。
それでも時間を切り詰めて、クラウスは土産を選ぶ時間を作った。
律儀な生徒代表は、寮生全員にお土産のお菓子を買ってきた。
テオだけに土産を選ぶことが気恥ずかしかったからだ。
お菓子は寮のサロンにて、皆で美味しく食べた。
その夜。クラウスはテオの部屋に訪れる。
ぶっきらぼうに「ほら」と小さな袋を差し出した。
「あまり時間がなくて…それに大した物ではないが」
「…クラウスッ!」
受け取る前に、テオは愛しい人に抱き着いた。
fin
■ダーク オーギュスト×アンリ
■アンリと体育館の用具室で 続編
■アンリと体育館の用具室で 続編
アンリが自分の部屋に戻ると、紅茶の香りがした。
淹れ立てのアッサムだ。彼は我が物顔でソファに身を沈めている。
白い陶器のカップを持ち上げて、軽く挨拶した。
僕の気に入りのカップを使っているのは、神秘学の特別講師だった。
「おかえり、アンリ。何処に行っていたんだね?
あまり遅いものだから、先に紅茶の時間を始めてしまったよ?」
「…オーギュスト。何度も言うようだけど、此処は僕の部屋だ」
「おや。機嫌が悪いね」
「とても、ね。だから、もう出て行って」
「アンリ、それはどうしたんだね? 首の後ろに赤い痕があるけれど」
「内出血でもしたんじゃない?」
ぶっきらぼうに、そう言ってベッドに座る。
講師に向けるものとは思えない程、小生意気な瞳。
オーギュストは紅茶のカップを置いて、アンリの隣に腰掛ける。
「傷を作っては駄目だと言っているだろう?
アンリの肌は綺麗なのだから、汚してはいけないよ」
「保護者気取りも大概にして」
「罪人は、また彼なのかね?」
「そうだ、と言ったら?」
「君が大人しく彼に従っている理由を聞きたいね」
「そう問われたら、彼と仲良くしておいて損はないから、と答えるよ」
アンリのサン・ジェルマン家と、ジョシュアのグラント家は敵対関係にある。
二人がヨーロッパに戻れば、容易に顔を合わせることもできないだろう。
一緒に居るだけで様々な憶測が飛び交う。それらは全て性質の悪いものだ。
将来、敵になる人物と、この学院で仲良くしておくのは確かに有利なことだ。
だがアンリは、嫌いな人物であれば先ず接触しない。
損がない、という消極的な理由だけで、彼の傍に居た筈がない。
オーギュストは他の理由を尋ねる。
「それから?」
「彼は、僕のことを愛してるって。
僕は知らないから…愛されるって、どういうものなのかなってと思って」
「だから、彼を許した? 君に傷を付けることを」
「彼くらいだから。僕を好きだなんて…どうかしている人は」
「アンリは彼のことを愛してはいないのかい?」
「…解らない。でもジョシュアはそれでもいい、って。彼、どうかしているから」
「君を愛しているのは、彼だけではないよ」
首の後ろ。オーギュストは赤い刻印に触れる。
「彼と私と、どちらが比較優位かな。精査してごらん、アンリ」
刻印に口付けた。
赤い痕を見付けるとオーギュストは怒る。
声を張り上げることも、表情に憤りを現すことなく怒る。
そして必ず、赤い痕と同じ場所に口付ける。
見つけて欲しいのだろうか、僕は。
君に怒って欲しいから、僕は、ジョシュアに――
オーギュストの手が僕の後頭部へ回る。
赤子を置くように、僕をベッドへ横たえる。
殆ど音もなく、身体は柔らかいベッドに沈む。
オーギュストは腰を掛けたまま、僕のシャツに触れる。
襟元から順にボタンを開ける。
その手付きは至って落ち着いていて、まるで子供にしているようだ。
自分が脱ぎ着できない赤子なのかと錯覚しそうになる。
全て開けると割れた隙間から右手を入れて、シャツを除けた。
胸と腹が、右側だけ空気に晒される。
雪のようだね、前にそう言われたことを思い出していた。
日に当たらないその部分はシャツより白く、青白い。
けれど今は、他の色も散らされていた。
「いけないと言っているのに。白い雪をこんなに赤く染めるなんて」
線で繋げば星座になりそうだった。ジョシュアが残した花弁。
ついさっき、口付けられた場所を、オーギュストが人差し指で辿る。
それだけで身体は勝手にジョシュアを思い出す。脇腹が小さく痙攣した。
顔を歪ませた生徒を、講師は見下ろしている。
「アンリは悪い子だね」
「僕は…悪い子?」
「ああ。アンリは悪い子だ」
「そう。では僕に罰を与えてくれる?」
罰を受ける。
幼い頃、それは全く珍しいことではなかった。
あの人は、優しい言葉など掛けてはくれなかった。
罵声を浴びる、折檻を受ける。
仕置きだと言って、あの人は僕にあらゆる懲罰を下した。
父とは罰を与えられることでしか接することができなかった。
僕が罪を起こさなければ貴方は僕を見向きもしない。
僕の死を願ってる。今でも僕の命を狙っている。
それでも、いい。
もし、あの人に構われなくなったら。
僕は自ら、貴方の願いをかなえるかもしれない。
幼い僕はあの人の気を惹く為に彼の指輪を盗んだ。
指輪がひとつなくなったことに気付いて貰えなくて、
彼の目のあるところで、わざと指輪を宝石箱に戻したこともあった。
髪を掴まれて『貴方はまだ僕を見捨てていない』と感じていた。
彼と僕の間に、愛というものがあるのならば、
それは罰を与え、受けることだけだった。
僕は他に愛を知らない。
どうかしている。
此処に来てからも、罰を受けていないと不安になる。
僕は悪魔の子だから。罰されるべき存在だから。
アルフレッドを怒らせるのも。
ジョシュアとのフェンシングに負けるのも。
僕に、罰を与えて欲しいから。
オーギュストに手を伸ばす。
指で君の唇をなぞる。薄い。ジョシュアのとは違う。
オーギュストは僕にされるまま、穏やかな瞳で見つめている。
この大人は、僕の欲しいものを与えてくれる。
「ねえ…オーギュ、僕を罰して?」
「そうだね。悪い子には罰を与えなくては」
オーギュストは僕の指を手ごと握った。
指の間を割って、自分の指を絡める。
温かい手。
薄い唇が僕の人差し指に触れた。
次に僕の唇が塞がれる。
生暖かい舌に口内を犯される。
オーギュストのキスはジョシュアよりずっと上手い。
ジョシュアでは優し過ぎる。
「はあっ…ん…クッ」
キスだけで身体が熱を帯びていく。
もう息が続かない。苦しい。
麻酔を打たれたように麻痺していく脳。
此処が何処だか解らなくなる。
僕の上にオーギュストが覆い被さる。
君からは仄かに紅茶の匂いがする。僕の好きなリーフの香りだ。
胸と腹に散った深紅の痕を、君は唇で丁寧にひとつひとつ、なぞっていく。
ジョシュアが付けた痕跡を上書きするように。
オーギュストは同じ場所に自分の痕を重ねた。
ジョシュアの痕から、オーギュストの痕へと変わっていく。
穏やかな顔をしてるくせに。ひとつ残らず、自分のものにする。
けれど、自分が触れたとは誰にも気付かせない。
この大人は、密かな独占欲で満足できるらしい。
ジョシュアにも知られることなく、君は、僕だけに忠告している。
この身体は、オーギュストのものだと。
オーギュストの唇が、僕のそそり立っている場所に行き着く。
もう泣いていた。君のキスを受けた時から。
「此処も、彼に触らせてあげたのかね?」
「んっ…」
蜜を指に絡ませて、ゆっくりと撫でられる。
指一本だけで、付け根から先端へ。
触れたところから熱が集まっていく。
「困った子だな、アンリは」
酷く緩慢な動き。
足りない。そんなに弱い刺激では。
「オーギュ…」
「もっとして欲しいかい? では『ごめんなさい』は?」
「ごめっ…」
オーギュストは上品に笑った。目許には年相応の皺が刻まれる。
君の手は僕の胸にあった。弱い突起を強く摘まれる。
息を詰まらせた僕を見て、君は笑っている。
弄ばれて、じんじんと痛む。肌に汗が滲んでくる。
君の手の下で、鼓動が早くなる。
「アンリ、聞こえないよ?」
「ごめんっ、なさい…」
「よくできました」
オーギュストの唇が、ジョシュアも触れたところへ向かう。
砂糖菓子のように、僕に舌を這わせた。
「はあっ…オーギュ…」
熱い。
熱くて溶けてしまう。
「オーギュ…もう…」
びくびくと脈打っている。
オーギュストの後頭部を髪ごと掴む。
「……ああっ」
オーギュストの口内に熱を吐き出してしまった。
周囲には、立ち昇る卑猥な匂い。
君に怒られる。
口に吐くと、君はいつも怒ってくれる。
僕は乱れた呼吸で、君を見つめる。
君は微笑を浮かべながら、全て飲み下す。
ごくりと動く喉仏。
オーギュストは濡れた自分の唇を舐める。
「ああ、アンリは、本当に悪い子だ」
もう一度、君の唇が僕をなぞる。
繰り返される愛撫にまた感じてしまう。
大人の薄い唇。
君の唇は、あの人と似ている。
fin
淹れ立てのアッサムだ。彼は我が物顔でソファに身を沈めている。
白い陶器のカップを持ち上げて、軽く挨拶した。
僕の気に入りのカップを使っているのは、神秘学の特別講師だった。
「おかえり、アンリ。何処に行っていたんだね?
あまり遅いものだから、先に紅茶の時間を始めてしまったよ?」
「…オーギュスト。何度も言うようだけど、此処は僕の部屋だ」
「おや。機嫌が悪いね」
「とても、ね。だから、もう出て行って」
「アンリ、それはどうしたんだね? 首の後ろに赤い痕があるけれど」
「内出血でもしたんじゃない?」
ぶっきらぼうに、そう言ってベッドに座る。
講師に向けるものとは思えない程、小生意気な瞳。
オーギュストは紅茶のカップを置いて、アンリの隣に腰掛ける。
「傷を作っては駄目だと言っているだろう?
アンリの肌は綺麗なのだから、汚してはいけないよ」
「保護者気取りも大概にして」
「罪人は、また彼なのかね?」
「そうだ、と言ったら?」
「君が大人しく彼に従っている理由を聞きたいね」
「そう問われたら、彼と仲良くしておいて損はないから、と答えるよ」
アンリのサン・ジェルマン家と、ジョシュアのグラント家は敵対関係にある。
二人がヨーロッパに戻れば、容易に顔を合わせることもできないだろう。
一緒に居るだけで様々な憶測が飛び交う。それらは全て性質の悪いものだ。
将来、敵になる人物と、この学院で仲良くしておくのは確かに有利なことだ。
だがアンリは、嫌いな人物であれば先ず接触しない。
損がない、という消極的な理由だけで、彼の傍に居た筈がない。
オーギュストは他の理由を尋ねる。
「それから?」
「彼は、僕のことを愛してるって。
僕は知らないから…愛されるって、どういうものなのかなってと思って」
「だから、彼を許した? 君に傷を付けることを」
「彼くらいだから。僕を好きだなんて…どうかしている人は」
「アンリは彼のことを愛してはいないのかい?」
「…解らない。でもジョシュアはそれでもいい、って。彼、どうかしているから」
「君を愛しているのは、彼だけではないよ」
首の後ろ。オーギュストは赤い刻印に触れる。
「彼と私と、どちらが比較優位かな。精査してごらん、アンリ」
刻印に口付けた。
赤い痕を見付けるとオーギュストは怒る。
声を張り上げることも、表情に憤りを現すことなく怒る。
そして必ず、赤い痕と同じ場所に口付ける。
見つけて欲しいのだろうか、僕は。
君に怒って欲しいから、僕は、ジョシュアに――
オーギュストの手が僕の後頭部へ回る。
赤子を置くように、僕をベッドへ横たえる。
殆ど音もなく、身体は柔らかいベッドに沈む。
オーギュストは腰を掛けたまま、僕のシャツに触れる。
襟元から順にボタンを開ける。
その手付きは至って落ち着いていて、まるで子供にしているようだ。
自分が脱ぎ着できない赤子なのかと錯覚しそうになる。
全て開けると割れた隙間から右手を入れて、シャツを除けた。
胸と腹が、右側だけ空気に晒される。
雪のようだね、前にそう言われたことを思い出していた。
日に当たらないその部分はシャツより白く、青白い。
けれど今は、他の色も散らされていた。
「いけないと言っているのに。白い雪をこんなに赤く染めるなんて」
線で繋げば星座になりそうだった。ジョシュアが残した花弁。
ついさっき、口付けられた場所を、オーギュストが人差し指で辿る。
それだけで身体は勝手にジョシュアを思い出す。脇腹が小さく痙攣した。
顔を歪ませた生徒を、講師は見下ろしている。
「アンリは悪い子だね」
「僕は…悪い子?」
「ああ。アンリは悪い子だ」
「そう。では僕に罰を与えてくれる?」
罰を受ける。
幼い頃、それは全く珍しいことではなかった。
あの人は、優しい言葉など掛けてはくれなかった。
罵声を浴びる、折檻を受ける。
仕置きだと言って、あの人は僕にあらゆる懲罰を下した。
父とは罰を与えられることでしか接することができなかった。
僕が罪を起こさなければ貴方は僕を見向きもしない。
僕の死を願ってる。今でも僕の命を狙っている。
それでも、いい。
もし、あの人に構われなくなったら。
僕は自ら、貴方の願いをかなえるかもしれない。
幼い僕はあの人の気を惹く為に彼の指輪を盗んだ。
指輪がひとつなくなったことに気付いて貰えなくて、
彼の目のあるところで、わざと指輪を宝石箱に戻したこともあった。
髪を掴まれて『貴方はまだ僕を見捨てていない』と感じていた。
彼と僕の間に、愛というものがあるのならば、
それは罰を与え、受けることだけだった。
僕は他に愛を知らない。
どうかしている。
此処に来てからも、罰を受けていないと不安になる。
僕は悪魔の子だから。罰されるべき存在だから。
アルフレッドを怒らせるのも。
ジョシュアとのフェンシングに負けるのも。
僕に、罰を与えて欲しいから。
オーギュストに手を伸ばす。
指で君の唇をなぞる。薄い。ジョシュアのとは違う。
オーギュストは僕にされるまま、穏やかな瞳で見つめている。
この大人は、僕の欲しいものを与えてくれる。
「ねえ…オーギュ、僕を罰して?」
「そうだね。悪い子には罰を与えなくては」
オーギュストは僕の指を手ごと握った。
指の間を割って、自分の指を絡める。
温かい手。
薄い唇が僕の人差し指に触れた。
次に僕の唇が塞がれる。
生暖かい舌に口内を犯される。
オーギュストのキスはジョシュアよりずっと上手い。
ジョシュアでは優し過ぎる。
「はあっ…ん…クッ」
キスだけで身体が熱を帯びていく。
もう息が続かない。苦しい。
麻酔を打たれたように麻痺していく脳。
此処が何処だか解らなくなる。
僕の上にオーギュストが覆い被さる。
君からは仄かに紅茶の匂いがする。僕の好きなリーフの香りだ。
胸と腹に散った深紅の痕を、君は唇で丁寧にひとつひとつ、なぞっていく。
ジョシュアが付けた痕跡を上書きするように。
オーギュストは同じ場所に自分の痕を重ねた。
ジョシュアの痕から、オーギュストの痕へと変わっていく。
穏やかな顔をしてるくせに。ひとつ残らず、自分のものにする。
けれど、自分が触れたとは誰にも気付かせない。
この大人は、密かな独占欲で満足できるらしい。
ジョシュアにも知られることなく、君は、僕だけに忠告している。
この身体は、オーギュストのものだと。
オーギュストの唇が、僕のそそり立っている場所に行き着く。
もう泣いていた。君のキスを受けた時から。
「此処も、彼に触らせてあげたのかね?」
「んっ…」
蜜を指に絡ませて、ゆっくりと撫でられる。
指一本だけで、付け根から先端へ。
触れたところから熱が集まっていく。
「困った子だな、アンリは」
酷く緩慢な動き。
足りない。そんなに弱い刺激では。
「オーギュ…」
「もっとして欲しいかい? では『ごめんなさい』は?」
「ごめっ…」
オーギュストは上品に笑った。目許には年相応の皺が刻まれる。
君の手は僕の胸にあった。弱い突起を強く摘まれる。
息を詰まらせた僕を見て、君は笑っている。
弄ばれて、じんじんと痛む。肌に汗が滲んでくる。
君の手の下で、鼓動が早くなる。
「アンリ、聞こえないよ?」
「ごめんっ、なさい…」
「よくできました」
オーギュストの唇が、ジョシュアも触れたところへ向かう。
砂糖菓子のように、僕に舌を這わせた。
「はあっ…オーギュ…」
熱い。
熱くて溶けてしまう。
「オーギュ…もう…」
びくびくと脈打っている。
オーギュストの後頭部を髪ごと掴む。
「……ああっ」
オーギュストの口内に熱を吐き出してしまった。
周囲には、立ち昇る卑猥な匂い。
君に怒られる。
口に吐くと、君はいつも怒ってくれる。
僕は乱れた呼吸で、君を見つめる。
君は微笑を浮かべながら、全て飲み下す。
ごくりと動く喉仏。
オーギュストは濡れた自分の唇を舐める。
「ああ、アンリは、本当に悪い子だ」
もう一度、君の唇が僕をなぞる。
繰り返される愛撫にまた感じてしまう。
大人の薄い唇。
君の唇は、あの人と似ている。
fin
ウーティス寮サロン。
森でシエスタをしていたシルヴァンが戻って来た。
ハルヤは読んでいた本を閉じる。
「おかえり、シルヴァン。お昼寝終わったんだ?」
シルヴァンはサロンを見回していた。
「ええ、まあ」
少し不自然な笑顔で、ハルヤの隣に座る。
「ハルヤ、お一人ですか。他の皆さんは?」
「レッドはワークアウトって言ってたからジムじゃないかな。
ジョシュアとアンリは聞いてないけど、
二人で居なくなったから、たぶんフェンシング」
時々、二人が生乾きの髪に疲労の表情で寮に戻ってくることがあった。
そういう時は『フェンシングをしていた』と言われるので、
今日もそうなのだろうとハルヤは思った。
シルヴァンの顔は冴えない。
「そう、ですか」
「さっきはテオが居たんだよ。あ、シルヴァンは十五夜って知ってる?」
「ええ。そう言えば、もうすぐ中秋の名月ですね」
「うん。さっき、テオが来てさ、そんな話してたんだ」
シルヴァンはテオよりずっと日本の知識が多い。
ハルヤにとってシルヴァンはとても話し易い人だった。
日本人が居ないこの寮で、彼と日本の話をするのは楽しかった。
「そしたらさ、テオがね、シュヌーシアとウーティスでお月見するって。
イベント好きだよね、テオって」
「楽しみですね、お月見」
「うん。月見団子はね、ドニに作って貰うって。美味しいといいなあ」
「ハルヤは月より団子、ですね」
ハルヤは少し頬を染める。
「やだ。それじゃあ、俺が食いしん坊みたいじゃん」
「違うんですか?」
「違わないかもしんないけど…」
シャワー上がりの匂いがして、ハルヤはドアの方を見た。
まだ乾き切っていない髪が見える。
「あ、おかえり、ジョシュア、アンリ」
サロンの前を通った二人にハルヤが声を掛ける。
ジョシュアは笑顔を見せた。
「ただいま、ハルヤ、シルヴァン」
「僕、部屋に戻るから」
サロンから離れようとするアンリをジョシュアが呼び止める。
「アンリ、何か飲み物を持って行こうか?」
「要らない。もう付いて来ないで」
いつにも増して冷たい言葉。
レッドに対してなら珍しいことではないけれど。
ハルヤは不思議に思い、ジョシュアに尋ねた。
「アンリと喧嘩でもしたの?」
「いや、大丈夫だよ。ちょっと拗ねているだけだから」
「…アンリって、拗ねるの?」
「うん。最近、フェンシングで俺ばっかり勝つからかな」
「負けたから怒ってるの? アンリってそんな子供っぽいとこもあるんだ」
ハルヤがくすくすと笑う。黙っていたシルヴァンが口を開いた。
「ジョシュア、僕に時間をくれませんか? 話したいことがあるんです」
シルヴァンの部屋に連れて行った。
この部屋は物が多かった。
ギターやCD、マンガ、DVD、ぬいぐるみなど自慢のコレクションが並んでいる。
訪れる度に物が増えていくようだが、
それら趣味の類は綺麗にディスプレイされ、散らかった印象は受けなかった。
クリアケースには食玩で集めたらしい、
うさぎ怪獣の小型フィギュアがずらりと飾られていた。
「話ってなんだい?」
「ジョシュア。あの、今までどちらに?」
「体育館だよ? フェンシング専用のね」
「寮に戻るまでずっと、ですか?」
「そうだけど?」
シルヴァンは口をきゅっと結ぶ。自分の腕を抱いた。
「すみません。意地悪な質問をしました。
実は、さっきテオに会ったんです」
「テオに…」
ジョシュアの瞳は瞬いた。明らかな動揺。
悲しいくらい、嘘を吐くことに向いていない人だ。
「テオは貴方達を探していて…『体育館には居なかった』と言っていました。
『ずっと体育館に居た』という貴方の言葉と食い違います」
「じゃ、きっとシャワールームに居た時だったんだと思うよ」
「その可能性もありますね。貴方の髪、まだ乾いていないようですし」
右腕を伸ばして、ジョシュアの後ろ髪に指を通す。
表面は乾いているが、奥はまだしっとりと濡れていた。
うなじの辺りを指でなぞられて、ジョシュアは身を硬くした。
「貴方に嘘は似合いませんよ、ジョシュア」
ジョシュアは反論してこない。
上手い言い訳も思い付くことができない誠実な人。
僕に比べれば、悪いことにちっとも慣れていない。
もっと納得のいく言い訳を言って欲しかった。
だけど、そんなに嘘の上手い人なら、
これほど焦がれることもなかった。
気が付いた時には、誠実で真っ直ぐな貴方に惹かれていた。
だが既に、貴方の傍にはあの子が居た。
貴方には似ても似つかない、貴方よりひとつ下の子。
ジョシュアとは3年も同じ時間を過ごしている。
貴方と僕は1年。たった2年。その深い溝がどうしても埋められない。
あと2年、早く貴方と会えていたら、僕は貴方を奪えましたか?
自分で肯定できる自信は、なかった。
「テオが来た時、体育館の何処で何をしていたんです?」
答えて欲しくないのに聞いている自分が可笑しい。
ジョシュアは眼を伏せていた。嘘も真実も言えないらしい。
答えられないこと、それ自体が白状しているようなものだ。
それに、後ろの首筋。
其処に残るまだ新しい痕に、貴方は気付いていないらしい。
貴方達がフェンシングと称して、二人で消える時。
誰も来ない体育館で何をしているか。
それに気付いているのは、この寮で僕だけだ。
注視していれば誰でも解る筈なのに。態度も表情も違う。
貴方の瞳には、いつもあの子が映っている。
他の誰とも違う、優しい瞳であの子だけを見つめている。
「教えてくれないんですね。じゃ、貴方の身体に聞いてみましょうか」
うなじに置いていた腕に力を込めて、強く引き寄せる。
目の前にあった白い耳たぶに唇で触れる。
先刻の熱が甦るのか、びくりと肩が震えて、僕の首許に熱い息が吐かれた。
「触れただけなのに、感度が良いですね。貴方への疑いが強まりますよ」
「シルヴァン…」
「僕の気持ち、知っていますよね?」
「…すまない。でも俺は」
「聞きたく、ないです」
続く名前を唇で塞いだ。
一瞬重なっただけで、ジョシュアは僕の胸を押して、距離を取った。
深紅の瞳が怯えている。拒否しか映していない眼差しで見上げられた。
「どうして…あの子には許すことを、僕には許してくれないんです?」
「俺は…俺は、アンリだけだから。ごめん」
真摯な人だ。
思わずシルヴァンは笑ってしまった。
「全く。貴方と言う人は。僕が入る隙間もないんですね?」
「…ごめん」
何の非もないのに、貴方は心から謝る。
これほどジョシュアに一途に想われる。
それはどんな気持ちなのだろう。僕には解らない。
あの子の何処が良いのだろう。僕の知らない2年間に何があったのだろう。
僕の方が貴方を大切に想っている。それだけなら誰にも負けないのに。
いつも貴方を、貴方だけを見てきた。
次に貴方が言う台詞だって解る。
長い寮生活の中で身に付けたであろう言葉。
混乱や争いを沈静化する為に、また友人として向き合えるように。
貴方はこうやって、誰の罪も許してきた。
「この話はこれで終わりにしよう? シルヴァン」
貴方が差し出す手。仲直りの合図だろう。
悪いのは僕なのに。
貴方はそれでも僕を許そうとする。
そんな貴方だから。
誰より貴方に焦がれた。
この手を繋げば、次の瞬間から貴方は僕を許す。
いつもの温かい笑顔で、これからも僕の名を呼んでくれる。
再び同じ学年の生徒として、僕を見てくれる。
同じ寮の友人として、僕を見てくれる。
友人の一人でいい。
そう願っていたのは、一体いつまでだっただろう。
貴方があの子の名前を呼ぶことも、
貴方があの子を見つめることさえも、苦しくて堪らない。
その深紅の瞳に、僕は映っていない。
僕はもう引き返せないところまで来ていた。
貴方のことを、狂おしい程に――
「いいえ。謝るのは僕の方です。ごめんなさい、ジョシュア」
「ううん。君が悪いんじゃないよ。俺のせいだ。本当にごめん」
「ごめんなさい……僕は、それでも、貴方が欲しいんです」
差し出された手を、僕は強く引いた。
力の加減ができない。
白い手首が赤く鬱血していく。
ジョシュアは腕を自分の方へと引き戻そうとしている。
「シルヴァン…」
「力で、僕に敵うと思ってるんですか?」
ベッドに叩き付けて組み敷く。
スプリングが軋んで、鈍い音が鳴る。
深紅の瞳が僕に恐怖している。
もう貴方の友人には戻れない。
「貴方がアンリにしたこと、僕にも許して下さい」
貴方の美しい顔に近付く。
ゆっくりと縮まる距離。
僕の長い横髪が貴方の頬を撫でた。
微笑んで、僕は伝える。
「愛しています、ジョシュア」
ああ…やっと。
貴方の瞳に、僕だけが映った。
嬉しい。
心臓が高鳴る。
「ジョシュアの好きなトコロ、教えて下さい。僕は貴方の為なら何でもします。
貴方のことだから、先程は奉仕してばかりだったのでは?」
貴方の頬をなぞり、顎から胸へと滑らせる。
腹部から下へと落としていく。布の上から貴方に触れた。
「シル、ヴァン…止めて、くれ」
布越しに摩擦を加えるだけで、貴方は感じている。
「ほら。あの子では物足りなかったのでしょう? 僕がご奉仕しますよ。
僕は貴方に気持ち良くなって欲しいだけなんです。貴方が、大好きだから」
「違うよ…シルヴァン。こんなの間違ってる」
「何が違うんですか? さっきまで…貴方もしていたのでしょう?」
ジョシュアは答えない。押し黙ったままだ。
矛盾している、何もかも。
「貴方の心を奪うことができないのなら、
せめて、身体だけでも、僕を欲しがってくれませんか?」
「君は…自分の言ってることが解っているのかい? それで君は良いの?」
「ええ。解っていますよ。だって、他に方法がないじゃないですか。
一度で良いんです。一度だけで良い。僕の想いを、受け止めてくれませんか?」
深紅の瞳が揺らぐ。狡い言い方だ。
優しい貴方を苦しめる言い方を、わざと選んでいる。
微かに震える頬に手を置いて、もう一度口付けた。
今度はただ触れるだけではない。
深いけれど、空虚な口付けだった。
「好きです。貴方が好きです」
白い耳に赤い舌を這わせる。
「いっ…はあっ…」
貴方の声が聞こえる。
今まで知らなかった、貴方の濡れた声。
やっぱり、そうだ。
さっき耳に口付けた時に解った。
貴方を、ひとつ知った。
「ジョシュア、耳が好きなんですね? 可愛い…」
柔らかい。
此処に僕の痕を付けてしまいたい。
人目に付く、この場所に。
僕が貴方を汚した証を見せてやりたい。
いっそ噛み切りたい衝動を抑えて、貴方の耳を口に含む。
手は下腹部への愛撫を繰り返しながら、舌先で耳を攻める。
ゆっくりとファスナーを降ろす。貴方が僕を感じている。
白い耳たぶは、溶けないマシュマロのよう。
「んあっ、ああ…」
貴方の吐息が嬉しくて。
つい、歯を立てた。
僕の舌でじんわりと感じる苦味。
この味は、鉄。
そっと離れて自分の目で確認する。
貴方の白い耳。
濡れた耳たぶに、痕が残っていた。
傷口からは赤い雫。
これは、まるで。
「ピアス…僕とお揃いですね」
赤い雫。
落ちる前に舐めた。
fin
森でシエスタをしていたシルヴァンが戻って来た。
ハルヤは読んでいた本を閉じる。
「おかえり、シルヴァン。お昼寝終わったんだ?」
シルヴァンはサロンを見回していた。
「ええ、まあ」
少し不自然な笑顔で、ハルヤの隣に座る。
「ハルヤ、お一人ですか。他の皆さんは?」
「レッドはワークアウトって言ってたからジムじゃないかな。
ジョシュアとアンリは聞いてないけど、
二人で居なくなったから、たぶんフェンシング」
時々、二人が生乾きの髪に疲労の表情で寮に戻ってくることがあった。
そういう時は『フェンシングをしていた』と言われるので、
今日もそうなのだろうとハルヤは思った。
シルヴァンの顔は冴えない。
「そう、ですか」
「さっきはテオが居たんだよ。あ、シルヴァンは十五夜って知ってる?」
「ええ。そう言えば、もうすぐ中秋の名月ですね」
「うん。さっき、テオが来てさ、そんな話してたんだ」
シルヴァンはテオよりずっと日本の知識が多い。
ハルヤにとってシルヴァンはとても話し易い人だった。
日本人が居ないこの寮で、彼と日本の話をするのは楽しかった。
「そしたらさ、テオがね、シュヌーシアとウーティスでお月見するって。
イベント好きだよね、テオって」
「楽しみですね、お月見」
「うん。月見団子はね、ドニに作って貰うって。美味しいといいなあ」
「ハルヤは月より団子、ですね」
ハルヤは少し頬を染める。
「やだ。それじゃあ、俺が食いしん坊みたいじゃん」
「違うんですか?」
「違わないかもしんないけど…」
シャワー上がりの匂いがして、ハルヤはドアの方を見た。
まだ乾き切っていない髪が見える。
「あ、おかえり、ジョシュア、アンリ」
サロンの前を通った二人にハルヤが声を掛ける。
ジョシュアは笑顔を見せた。
「ただいま、ハルヤ、シルヴァン」
「僕、部屋に戻るから」
サロンから離れようとするアンリをジョシュアが呼び止める。
「アンリ、何か飲み物を持って行こうか?」
「要らない。もう付いて来ないで」
いつにも増して冷たい言葉。
レッドに対してなら珍しいことではないけれど。
ハルヤは不思議に思い、ジョシュアに尋ねた。
「アンリと喧嘩でもしたの?」
「いや、大丈夫だよ。ちょっと拗ねているだけだから」
「…アンリって、拗ねるの?」
「うん。最近、フェンシングで俺ばっかり勝つからかな」
「負けたから怒ってるの? アンリってそんな子供っぽいとこもあるんだ」
ハルヤがくすくすと笑う。黙っていたシルヴァンが口を開いた。
「ジョシュア、僕に時間をくれませんか? 話したいことがあるんです」
シルヴァンの部屋に連れて行った。
この部屋は物が多かった。
ギターやCD、マンガ、DVD、ぬいぐるみなど自慢のコレクションが並んでいる。
訪れる度に物が増えていくようだが、
それら趣味の類は綺麗にディスプレイされ、散らかった印象は受けなかった。
クリアケースには食玩で集めたらしい、
うさぎ怪獣の小型フィギュアがずらりと飾られていた。
「話ってなんだい?」
「ジョシュア。あの、今までどちらに?」
「体育館だよ? フェンシング専用のね」
「寮に戻るまでずっと、ですか?」
「そうだけど?」
シルヴァンは口をきゅっと結ぶ。自分の腕を抱いた。
「すみません。意地悪な質問をしました。
実は、さっきテオに会ったんです」
「テオに…」
ジョシュアの瞳は瞬いた。明らかな動揺。
悲しいくらい、嘘を吐くことに向いていない人だ。
「テオは貴方達を探していて…『体育館には居なかった』と言っていました。
『ずっと体育館に居た』という貴方の言葉と食い違います」
「じゃ、きっとシャワールームに居た時だったんだと思うよ」
「その可能性もありますね。貴方の髪、まだ乾いていないようですし」
右腕を伸ばして、ジョシュアの後ろ髪に指を通す。
表面は乾いているが、奥はまだしっとりと濡れていた。
うなじの辺りを指でなぞられて、ジョシュアは身を硬くした。
「貴方に嘘は似合いませんよ、ジョシュア」
ジョシュアは反論してこない。
上手い言い訳も思い付くことができない誠実な人。
僕に比べれば、悪いことにちっとも慣れていない。
もっと納得のいく言い訳を言って欲しかった。
だけど、そんなに嘘の上手い人なら、
これほど焦がれることもなかった。
気が付いた時には、誠実で真っ直ぐな貴方に惹かれていた。
だが既に、貴方の傍にはあの子が居た。
貴方には似ても似つかない、貴方よりひとつ下の子。
ジョシュアとは3年も同じ時間を過ごしている。
貴方と僕は1年。たった2年。その深い溝がどうしても埋められない。
あと2年、早く貴方と会えていたら、僕は貴方を奪えましたか?
自分で肯定できる自信は、なかった。
「テオが来た時、体育館の何処で何をしていたんです?」
答えて欲しくないのに聞いている自分が可笑しい。
ジョシュアは眼を伏せていた。嘘も真実も言えないらしい。
答えられないこと、それ自体が白状しているようなものだ。
それに、後ろの首筋。
其処に残るまだ新しい痕に、貴方は気付いていないらしい。
貴方達がフェンシングと称して、二人で消える時。
誰も来ない体育館で何をしているか。
それに気付いているのは、この寮で僕だけだ。
注視していれば誰でも解る筈なのに。態度も表情も違う。
貴方の瞳には、いつもあの子が映っている。
他の誰とも違う、優しい瞳であの子だけを見つめている。
「教えてくれないんですね。じゃ、貴方の身体に聞いてみましょうか」
うなじに置いていた腕に力を込めて、強く引き寄せる。
目の前にあった白い耳たぶに唇で触れる。
先刻の熱が甦るのか、びくりと肩が震えて、僕の首許に熱い息が吐かれた。
「触れただけなのに、感度が良いですね。貴方への疑いが強まりますよ」
「シルヴァン…」
「僕の気持ち、知っていますよね?」
「…すまない。でも俺は」
「聞きたく、ないです」
続く名前を唇で塞いだ。
一瞬重なっただけで、ジョシュアは僕の胸を押して、距離を取った。
深紅の瞳が怯えている。拒否しか映していない眼差しで見上げられた。
「どうして…あの子には許すことを、僕には許してくれないんです?」
「俺は…俺は、アンリだけだから。ごめん」
真摯な人だ。
思わずシルヴァンは笑ってしまった。
「全く。貴方と言う人は。僕が入る隙間もないんですね?」
「…ごめん」
何の非もないのに、貴方は心から謝る。
これほどジョシュアに一途に想われる。
それはどんな気持ちなのだろう。僕には解らない。
あの子の何処が良いのだろう。僕の知らない2年間に何があったのだろう。
僕の方が貴方を大切に想っている。それだけなら誰にも負けないのに。
いつも貴方を、貴方だけを見てきた。
次に貴方が言う台詞だって解る。
長い寮生活の中で身に付けたであろう言葉。
混乱や争いを沈静化する為に、また友人として向き合えるように。
貴方はこうやって、誰の罪も許してきた。
「この話はこれで終わりにしよう? シルヴァン」
貴方が差し出す手。仲直りの合図だろう。
悪いのは僕なのに。
貴方はそれでも僕を許そうとする。
そんな貴方だから。
誰より貴方に焦がれた。
この手を繋げば、次の瞬間から貴方は僕を許す。
いつもの温かい笑顔で、これからも僕の名を呼んでくれる。
再び同じ学年の生徒として、僕を見てくれる。
同じ寮の友人として、僕を見てくれる。
友人の一人でいい。
そう願っていたのは、一体いつまでだっただろう。
貴方があの子の名前を呼ぶことも、
貴方があの子を見つめることさえも、苦しくて堪らない。
その深紅の瞳に、僕は映っていない。
僕はもう引き返せないところまで来ていた。
貴方のことを、狂おしい程に――
「いいえ。謝るのは僕の方です。ごめんなさい、ジョシュア」
「ううん。君が悪いんじゃないよ。俺のせいだ。本当にごめん」
「ごめんなさい……僕は、それでも、貴方が欲しいんです」
差し出された手を、僕は強く引いた。
力の加減ができない。
白い手首が赤く鬱血していく。
ジョシュアは腕を自分の方へと引き戻そうとしている。
「シルヴァン…」
「力で、僕に敵うと思ってるんですか?」
ベッドに叩き付けて組み敷く。
スプリングが軋んで、鈍い音が鳴る。
深紅の瞳が僕に恐怖している。
もう貴方の友人には戻れない。
「貴方がアンリにしたこと、僕にも許して下さい」
貴方の美しい顔に近付く。
ゆっくりと縮まる距離。
僕の長い横髪が貴方の頬を撫でた。
微笑んで、僕は伝える。
「愛しています、ジョシュア」
ああ…やっと。
貴方の瞳に、僕だけが映った。
嬉しい。
心臓が高鳴る。
「ジョシュアの好きなトコロ、教えて下さい。僕は貴方の為なら何でもします。
貴方のことだから、先程は奉仕してばかりだったのでは?」
貴方の頬をなぞり、顎から胸へと滑らせる。
腹部から下へと落としていく。布の上から貴方に触れた。
「シル、ヴァン…止めて、くれ」
布越しに摩擦を加えるだけで、貴方は感じている。
「ほら。あの子では物足りなかったのでしょう? 僕がご奉仕しますよ。
僕は貴方に気持ち良くなって欲しいだけなんです。貴方が、大好きだから」
「違うよ…シルヴァン。こんなの間違ってる」
「何が違うんですか? さっきまで…貴方もしていたのでしょう?」
ジョシュアは答えない。押し黙ったままだ。
矛盾している、何もかも。
「貴方の心を奪うことができないのなら、
せめて、身体だけでも、僕を欲しがってくれませんか?」
「君は…自分の言ってることが解っているのかい? それで君は良いの?」
「ええ。解っていますよ。だって、他に方法がないじゃないですか。
一度で良いんです。一度だけで良い。僕の想いを、受け止めてくれませんか?」
深紅の瞳が揺らぐ。狡い言い方だ。
優しい貴方を苦しめる言い方を、わざと選んでいる。
微かに震える頬に手を置いて、もう一度口付けた。
今度はただ触れるだけではない。
深いけれど、空虚な口付けだった。
「好きです。貴方が好きです」
白い耳に赤い舌を這わせる。
「いっ…はあっ…」
貴方の声が聞こえる。
今まで知らなかった、貴方の濡れた声。
やっぱり、そうだ。
さっき耳に口付けた時に解った。
貴方を、ひとつ知った。
「ジョシュア、耳が好きなんですね? 可愛い…」
柔らかい。
此処に僕の痕を付けてしまいたい。
人目に付く、この場所に。
僕が貴方を汚した証を見せてやりたい。
いっそ噛み切りたい衝動を抑えて、貴方の耳を口に含む。
手は下腹部への愛撫を繰り返しながら、舌先で耳を攻める。
ゆっくりとファスナーを降ろす。貴方が僕を感じている。
白い耳たぶは、溶けないマシュマロのよう。
「んあっ、ああ…」
貴方の吐息が嬉しくて。
つい、歯を立てた。
僕の舌でじんわりと感じる苦味。
この味は、鉄。
そっと離れて自分の目で確認する。
貴方の白い耳。
濡れた耳たぶに、痕が残っていた。
傷口からは赤い雫。
これは、まるで。
「ピアス…僕とお揃いですね」
赤い雫。
落ちる前に舐めた。
fin
ウーティス寮サロン。
森でシエスタをしていたシルヴァンが戻って来た。
ハルヤは読んでいた本を閉じる。
「おかえり、シルヴァン。お昼寝終わったんだ?」
シルヴァンはサロンを見回していた。
「ええ、まあ」
少し不自然な笑顔で、ハルヤの隣に座る。
「ハルヤ、お一人ですか。他の皆さんは?」
「レッドはワークアウトって言ってたからジムじゃないかな。
ジョシュアとアンリは聞いてないけど、
二人で居なくなったから、たぶんフェンシング」
時々、二人が生乾きの髪に疲労の表情で寮に戻ってくることがあった。
そういう時は『フェンシングをしていた』と言われるので、
今日もそうなのだろうとハルヤは思った。
シルヴァンの顔は冴えない。
「そう、ですか」
「さっきはテオが居たんだよ。あ、シルヴァンは十五夜って知ってる?」
「ええ。そう言えば、もうすぐ中秋の名月ですね」
「うん。さっき、テオが来てさ、そんな話してたんだ」
シルヴァンはテオよりずっと日本の知識が多い。
ハルヤにとってシルヴァンはとても話し易い人だった。
日本人が居ないこの寮で、彼と日本の話をするのは楽しかった。
「そしたらさ、テオがね、シュヌーシアとウーティスでお月見するって。
イベント好きだよね、テオって」
「楽しみですね、お月見」
「うん。月見団子はね、ドニに作って貰うって。美味しいといいなあ」
「ハルヤは月より団子、ですね」
ハルヤは少し頬を染める。
「やだ。それじゃあ、俺が食いしん坊みたいじゃん」
「違うんですか?」
「違わないかもしんないけど…」
シャワー上がりの匂いがして、ハルヤはドアの方を見た。
まだ乾き切っていない髪が見える。
あ、おかえり、ジョシュア、アンリ」
サロンの前を通った二人にハルヤが声を掛ける。
ジョシュアは笑顔を見せた。
「ただいま、ハルヤ、シルヴァン」
「僕、部屋に戻るから」
サロンから離れようとするアンリをジョシュアが呼び止める。
「アンリ、何か飲み物を持って行こうか?」
「要らない。もう付いて来ないで」
いつにも増して冷たい言葉。
レッドに対してなら珍しいことではないけれど。
ハルヤは不思議に思い、ジョシュアに尋ねた。
「アンリと喧嘩でもしたの?」
「いや、大丈夫だよ。ちょっと拗ねているだけだから」
「…アンリって、拗ねるの?」
「うん。最近、フェンシングで俺ばっかり勝つからかな」
「負けたから怒ってるの? アンリってそんな子供っぽいとこもあるんだ」
ハルヤがくすくすと笑う。黙っていたシルヴァンが口を開いた。
「ジョシュア、僕に時間をくれませんか? 話したいことがあるんです」
シルヴァンの部屋に連れて行った。
この部屋は物が多かった。
ギターやCD、マンガ、DVD、ぬいぐるみなど自慢のコレクションが並んでいる。
訪れる度に物が増えていくようだが、
それら趣味の類は綺麗にディスプレイされ、散らかった印象は受けなかった。
クリアケースには食玩で集めたらしい、
うさぎ怪獣の小型フィギュアがずらりと飾られていた。
「話ってなんだい?」
「ジョシュア。あの、今までどちらに?」
「体育館だよ? フェンシング専用のね」
「寮に戻るまでずっと、ですか?」
「そうだけど?」
シルヴァンは口をきゅっと結ぶ。自分の腕を抱いた。
「すみません。意地悪な質問をしました。
実は、さっきテオに会ったんです」
「テオに…」
ジョシュアの瞳は瞬いた。明らかな動揺。
悲しいくらい、嘘を吐くことに向いていない人だ。
「テオは貴方達を探していて…『体育館には居なかった』と言っていました。
『ずっと体育館に居た』という貴方の言葉と食い違います」
「じゃ、きっとシャワールームに居た時だったんだと思うよ」
「その可能性もありますね。貴方の髪、まだ乾いていないようですし」
右腕を伸ばして、ジョシュアの後ろ髪に指を通す。
表面は乾いているが、奥はまだしっとりと濡れていた。
うなじの辺りを指でなぞられて、ジョシュアは身を硬くした。
「貴方に嘘は似合いませんよ、ジョシュア」
ジョシュアは反論してこない。
上手い言い訳も思い付くことができない誠実な人。
僕に比べれば、悪いことにちっとも慣れていない。
もっと納得のいく言い訳を言って欲しかった。
だけど、そんなに嘘の上手い人なら、
これほど焦がれることもなかった。
気が付いた時には、誠実で真っ直ぐな貴方に惹かれていた。
だが既に、貴方の傍にはあの子が居た。
貴方には似ても似つかない、貴方よりひとつ下の子。
ジョシュアとは3年も同じ時間を過ごしている。
貴方と僕は1年。たった2年。その深い溝がどうしても埋められない。
あと2年、早く貴方と会えていたら、僕は貴方を奪えましたか?
自分で肯定できる自信は、なかった。
「テオが来た時、体育館の何処で何をしていたんです?」
答えて欲しくないのに聞いている自分が可笑しい。
ジョシュアは眼を伏せていた。嘘も真実も言えないらしい。
答えられないこと、それ自体が白状しているようなものだ。
それに、後ろの首筋。
其処に残るまだ新しい痕に、貴方は気付いていないらしい。
貴方達がフェンシングと称して、二人で消える時。
誰も来ない体育館で何をしているか。
それに気付いているのは、この寮で僕だけだ。
注視していれば誰でも解る筈なのに。態度も表情も違う。
貴方の瞳には、いつもあの子が映っている。
他の誰とも違う、優しい瞳であの子だけを見つめている。
「教えてくれないんですね。じゃ、貴方の身体に聞いてみましょうか」
うなじに置いていた腕に力を込めて、強く引き寄せる。
目の前にあった白い耳たぶに唇で触れる。
先刻の熱が甦るのか、びくりと肩が震えて、僕の首許に熱い息が吐かれた。
「触れただけなのに、感度が良いですね。貴方への疑いが強まりますよ」
「シルヴァン…」
「僕の気持ち、知っていますよね?」
「…すまない。でも俺は」
「聞きたく、ないです」
続く名前を唇で塞いだ。
一瞬重なっただけで、ジョシュアは僕の胸を押して、距離を取った。
深紅の瞳が怯えている。拒否しか映していない眼差しで見上げられた。
「どうして…あの子には許すことを、僕には許してくれないんです?」
「俺は…俺は、アンリだけだから。ごめん」
真摯な人だ。
思わずシルヴァンは笑ってしまった。
「全く。貴方と言う人は。僕が入る隙間もないんですね?」
「…ごめん」
何の非もないのに、貴方は心から謝る。
これほどジョシュアに一途に想われる。
それはどんな気持ちなのだろう。僕には解らない。
あの子の何処が良いのだろう。僕の知らない2年間に何があったのだろう。
僕の方が貴方を大切に想っている。それだけなら誰にも負けないのに。
いつも貴方を、貴方だけを見てきた。
次に貴方が言う台詞だって解る。
長い寮生活の中で身に付けたであろう言葉。
混乱や争いを沈静化する為に、また友人として向き合えるように。
貴方はこうやって、誰の罪も許してきた。
「この話はこれで終わりにしよう? シルヴァン」
貴方が差し出す手。仲直りの合図だろう。
悪いのは僕なのに。
貴方はそれでも僕を許そうとする。
そんな貴方だから。
誰より貴方に焦がれた。
この手を繋げば、次の瞬間から貴方は僕を許す。
いつもの温かい笑顔で、これからも僕の名を呼んでくれる。
再び同じ学年の生徒として、僕を見てくれる。
同じ寮の友人として、僕を見てくれる。
友人の一人でいい。
そう願っていたのは、一体いつまでだっただろう。
貴方があの子の名前を呼ぶことも、
貴方があの子を見つめることさえも、苦しくて堪らない。
その深紅の瞳に、僕は映っていない。
僕はもう引き返せないところまで来ていた。
貴方のことを、狂おしい程に――
「いいえ。謝るのは僕の方です。ごめんなさい、ジョシュア」
「ううん。君が悪いんじゃないよ。俺のせいだ。本当にごめん」
「ごめんなさい……僕は、それでも、貴方が欲しいんです」
差し出された手を、僕は強く引いた。
力の加減ができない。
白い手首が赤く鬱血していく。
ジョシュアは腕を自分の方へと引き戻そうとしている。
「シルヴァン…」
「力で、僕に敵うと思ってるんですか?」
ベッドに叩き付けて組み敷く。
スプリングが軋んで、鈍い音が鳴る。
深紅の瞳が僕に恐怖している。
もう貴方の友人には戻れない。
「貴方がアンリにしたこと、僕にも許して下さい」
貴方の美しい顔に近付く。
ゆっくりと縮まる距離。
僕の長い横髪が貴方の頬を撫でた。
微笑んで、僕は伝える。
「愛しています、ジョシュア」
ああ…やっと。
貴方の瞳に、僕だけが映った。
fin
森でシエスタをしていたシルヴァンが戻って来た。
ハルヤは読んでいた本を閉じる。
「おかえり、シルヴァン。お昼寝終わったんだ?」
シルヴァンはサロンを見回していた。
「ええ、まあ」
少し不自然な笑顔で、ハルヤの隣に座る。
「ハルヤ、お一人ですか。他の皆さんは?」
「レッドはワークアウトって言ってたからジムじゃないかな。
ジョシュアとアンリは聞いてないけど、
二人で居なくなったから、たぶんフェンシング」
時々、二人が生乾きの髪に疲労の表情で寮に戻ってくることがあった。
そういう時は『フェンシングをしていた』と言われるので、
今日もそうなのだろうとハルヤは思った。
シルヴァンの顔は冴えない。
「そう、ですか」
「さっきはテオが居たんだよ。あ、シルヴァンは十五夜って知ってる?」
「ええ。そう言えば、もうすぐ中秋の名月ですね」
「うん。さっき、テオが来てさ、そんな話してたんだ」
シルヴァンはテオよりずっと日本の知識が多い。
ハルヤにとってシルヴァンはとても話し易い人だった。
日本人が居ないこの寮で、彼と日本の話をするのは楽しかった。
「そしたらさ、テオがね、シュヌーシアとウーティスでお月見するって。
イベント好きだよね、テオって」
「楽しみですね、お月見」
「うん。月見団子はね、ドニに作って貰うって。美味しいといいなあ」
「ハルヤは月より団子、ですね」
ハルヤは少し頬を染める。
「やだ。それじゃあ、俺が食いしん坊みたいじゃん」
「違うんですか?」
「違わないかもしんないけど…」
シャワー上がりの匂いがして、ハルヤはドアの方を見た。
まだ乾き切っていない髪が見える。
あ、おかえり、ジョシュア、アンリ」
サロンの前を通った二人にハルヤが声を掛ける。
ジョシュアは笑顔を見せた。
「ただいま、ハルヤ、シルヴァン」
「僕、部屋に戻るから」
サロンから離れようとするアンリをジョシュアが呼び止める。
「アンリ、何か飲み物を持って行こうか?」
「要らない。もう付いて来ないで」
いつにも増して冷たい言葉。
レッドに対してなら珍しいことではないけれど。
ハルヤは不思議に思い、ジョシュアに尋ねた。
「アンリと喧嘩でもしたの?」
「いや、大丈夫だよ。ちょっと拗ねているだけだから」
「…アンリって、拗ねるの?」
「うん。最近、フェンシングで俺ばっかり勝つからかな」
「負けたから怒ってるの? アンリってそんな子供っぽいとこもあるんだ」
ハルヤがくすくすと笑う。黙っていたシルヴァンが口を開いた。
「ジョシュア、僕に時間をくれませんか? 話したいことがあるんです」
シルヴァンの部屋に連れて行った。
この部屋は物が多かった。
ギターやCD、マンガ、DVD、ぬいぐるみなど自慢のコレクションが並んでいる。
訪れる度に物が増えていくようだが、
それら趣味の類は綺麗にディスプレイされ、散らかった印象は受けなかった。
クリアケースには食玩で集めたらしい、
うさぎ怪獣の小型フィギュアがずらりと飾られていた。
「話ってなんだい?」
「ジョシュア。あの、今までどちらに?」
「体育館だよ? フェンシング専用のね」
「寮に戻るまでずっと、ですか?」
「そうだけど?」
シルヴァンは口をきゅっと結ぶ。自分の腕を抱いた。
「すみません。意地悪な質問をしました。
実は、さっきテオに会ったんです」
「テオに…」
ジョシュアの瞳は瞬いた。明らかな動揺。
悲しいくらい、嘘を吐くことに向いていない人だ。
「テオは貴方達を探していて…『体育館には居なかった』と言っていました。
『ずっと体育館に居た』という貴方の言葉と食い違います」
「じゃ、きっとシャワールームに居た時だったんだと思うよ」
「その可能性もありますね。貴方の髪、まだ乾いていないようですし」
右腕を伸ばして、ジョシュアの後ろ髪に指を通す。
表面は乾いているが、奥はまだしっとりと濡れていた。
うなじの辺りを指でなぞられて、ジョシュアは身を硬くした。
「貴方に嘘は似合いませんよ、ジョシュア」
ジョシュアは反論してこない。
上手い言い訳も思い付くことができない誠実な人。
僕に比べれば、悪いことにちっとも慣れていない。
もっと納得のいく言い訳を言って欲しかった。
だけど、そんなに嘘の上手い人なら、
これほど焦がれることもなかった。
気が付いた時には、誠実で真っ直ぐな貴方に惹かれていた。
だが既に、貴方の傍にはあの子が居た。
貴方には似ても似つかない、貴方よりひとつ下の子。
ジョシュアとは3年も同じ時間を過ごしている。
貴方と僕は1年。たった2年。その深い溝がどうしても埋められない。
あと2年、早く貴方と会えていたら、僕は貴方を奪えましたか?
自分で肯定できる自信は、なかった。
「テオが来た時、体育館の何処で何をしていたんです?」
答えて欲しくないのに聞いている自分が可笑しい。
ジョシュアは眼を伏せていた。嘘も真実も言えないらしい。
答えられないこと、それ自体が白状しているようなものだ。
それに、後ろの首筋。
其処に残るまだ新しい痕に、貴方は気付いていないらしい。
貴方達がフェンシングと称して、二人で消える時。
誰も来ない体育館で何をしているか。
それに気付いているのは、この寮で僕だけだ。
注視していれば誰でも解る筈なのに。態度も表情も違う。
貴方の瞳には、いつもあの子が映っている。
他の誰とも違う、優しい瞳であの子だけを見つめている。
「教えてくれないんですね。じゃ、貴方の身体に聞いてみましょうか」
うなじに置いていた腕に力を込めて、強く引き寄せる。
目の前にあった白い耳たぶに唇で触れる。
先刻の熱が甦るのか、びくりと肩が震えて、僕の首許に熱い息が吐かれた。
「触れただけなのに、感度が良いですね。貴方への疑いが強まりますよ」
「シルヴァン…」
「僕の気持ち、知っていますよね?」
「…すまない。でも俺は」
「聞きたく、ないです」
続く名前を唇で塞いだ。
一瞬重なっただけで、ジョシュアは僕の胸を押して、距離を取った。
深紅の瞳が怯えている。拒否しか映していない眼差しで見上げられた。
「どうして…あの子には許すことを、僕には許してくれないんです?」
「俺は…俺は、アンリだけだから。ごめん」
真摯な人だ。
思わずシルヴァンは笑ってしまった。
「全く。貴方と言う人は。僕が入る隙間もないんですね?」
「…ごめん」
何の非もないのに、貴方は心から謝る。
これほどジョシュアに一途に想われる。
それはどんな気持ちなのだろう。僕には解らない。
あの子の何処が良いのだろう。僕の知らない2年間に何があったのだろう。
僕の方が貴方を大切に想っている。それだけなら誰にも負けないのに。
いつも貴方を、貴方だけを見てきた。
次に貴方が言う台詞だって解る。
長い寮生活の中で身に付けたであろう言葉。
混乱や争いを沈静化する為に、また友人として向き合えるように。
貴方はこうやって、誰の罪も許してきた。
「この話はこれで終わりにしよう? シルヴァン」
貴方が差し出す手。仲直りの合図だろう。
悪いのは僕なのに。
貴方はそれでも僕を許そうとする。
そんな貴方だから。
誰より貴方に焦がれた。
この手を繋げば、次の瞬間から貴方は僕を許す。
いつもの温かい笑顔で、これからも僕の名を呼んでくれる。
再び同じ学年の生徒として、僕を見てくれる。
同じ寮の友人として、僕を見てくれる。
友人の一人でいい。
そう願っていたのは、一体いつまでだっただろう。
貴方があの子の名前を呼ぶことも、
貴方があの子を見つめることさえも、苦しくて堪らない。
その深紅の瞳に、僕は映っていない。
僕はもう引き返せないところまで来ていた。
貴方のことを、狂おしい程に――
「いいえ。謝るのは僕の方です。ごめんなさい、ジョシュア」
「ううん。君が悪いんじゃないよ。俺のせいだ。本当にごめん」
「ごめんなさい……僕は、それでも、貴方が欲しいんです」
差し出された手を、僕は強く引いた。
力の加減ができない。
白い手首が赤く鬱血していく。
ジョシュアは腕を自分の方へと引き戻そうとしている。
「シルヴァン…」
「力で、僕に敵うと思ってるんですか?」
ベッドに叩き付けて組み敷く。
スプリングが軋んで、鈍い音が鳴る。
深紅の瞳が僕に恐怖している。
もう貴方の友人には戻れない。
「貴方がアンリにしたこと、僕にも許して下さい」
貴方の美しい顔に近付く。
ゆっくりと縮まる距離。
僕の長い横髪が貴方の頬を撫でた。
微笑んで、僕は伝える。
「愛しています、ジョシュア」
ああ…やっと。
貴方の瞳に、僕だけが映った。
fin
■ジョシュア×アンリ
■アンリと体育館で 場外編
■アンリと体育館で 場外編
「ジュウゴヤ? それはなんだい? 東洋の黒い真珠」
「十五夜っていうのはね、んー。まあ、平たく言うと、満月のことだね。
秋に見る月は空が澄んでて綺麗なんだよ。
皆で月を見て、月見団子を食べたりするんだ」
生徒代表のテオがウーティス寮サロンに遊びに来ていた。
相手をさせられているのは、たまたま其処に居たハルヤだ。
サロンには他に寮生は居ない。
テオは大好きなオリエンタルの知識をまたひとつ得て感嘆の声を上げる。
「ニッポンにはそんなイベントもあるのかい?
皆で月を愛でるなんて…またなんと神秘的な。
そうだ、キモノは? キモノは着るの?」
「どっちでもいいけど。着た方が雰囲気はあるかなあ」
「ではぜひ開催しよう! ツキミダンゴはドニに作って貰おうかな。
シュヌーシアとウーティスの皆を呼んで、キモノも着て欲しいなあ」
「皆で? そんな盛大にしなくても…」
「おや。東洋の黒い真珠は、私と二人きりが良いの?」
「あっ、いやあ、その…」
「満月と真珠を共に愛でる…ああ、なんと贅沢な忙しさなのだろう。
私は器用ではないから、真珠ばかりに目を奪われてしまいそうだ」
「えーっと。せっかくだからさ、皆を呼んだ方が良いんじゃないかな?」
ハルヤは先と180度違う意見を述べたのだが、
テオは気が付かないのか、よしっ、と立ち上がった。
「そうだね! ではジョシュアに言って、皆に伝えてくれるように話しておこうかな」
「あ、ジョシュアなら部屋には居ないよ」
「出掛けているのかい?」
「いや、さっきアンリと出て行ったから、体育館でフェンシングでもしてるんじゃないかな?」
「えっ? あの二人がフェンシングをするの?」
「あ、うん。時々ね。なんか本格的に試合してるみたいで、二人ともぐったりして帰って来るんだ」
「それは素晴らしい。さぞ気品溢れる優雅な試合なのだろうね。
ぜひ見学したいな。ちょっと行って来るよ」
「うん。いってらっしゃい」
テオの相手が終わったことに安堵して、ハルヤは笑顔で見送った。
テオは機嫌良く「また来るよ、東洋の真珠」と言い残し、
意気揚々とウーティス寮を後にする。
テオの背中を見ていたハルヤはアンリに言われていたことを思い出した。
フェンシングの試合中は気が紛れるから体育館には見に来ないで、と。
しかし、楽しそうなテオを止める術をハルヤは知らない。
「ま、いっか。めんどくさいし」
テオがフェンシング専用の体育館に辿り着く。大きな扉を開けた。
「ジョシュアー、アンリー! 君達の決闘、観戦しても良いかい?」
体育館には誰も居なかった。用具も何一つ残っていない。
「おや…もう終わってしまったのか、残念だな。美しい騎士達を見たかったのに」
体育館から足音が遠ざかっていく。
体育館の用具室から溜め息が2つ吐かれた。アンリの声は掠れ気味だった。
呼吸は荒く、額はしっとりと濡れている。
「…彼、行ったの?」
常はぴしりと身に付けている制服がかなり乱れている。
ジョシュアの制服は一切乱れていない。
「みたいだね…良かった、テオに見付からなくて。
こんなに可愛いアンリは、彼に見せられないよ」
アンリは折り重なったマットの上で座らされていた。
その前にジョシュアが跪いている。
熱い深紅の瞳に見上げられて、アンリは視線を逸らした。
「見付かって困るようなこと、しなければいいのに」
「今日勝ったのは俺だよ? アンリ」
さっきまでフェンシングの試合をしていた。
勝者はジョシュア。最近、連勝記録を伸ばしていた。
試合後、フルーレと呼ばれる剣を用具室に片付けたのはアンリ。
その背後から、今日の賞罰内容を囁いたのがジョシュア。
今まさに用具室では、ジョシュアにとっては褒賞の、
アンリにとっては処罰の時間を過ごしていたところだった。
『敗者は勝者の言うことをひとつ聞く』それが今日の賞罰。
「だからって……ちょっと今度は何するの」
布で遮られた視界。耳元でジョシュアが囁いた。
「良いだろう?」
「勝手だね」
フェンシング専用の体育館。二人の他には誰も来ない用具室。
その決して広くはない、薄暗い場所。
唯一の小さな窓は締め切られ、空気はいつも湿っぽかった。
ジョシュアは再びアンリの前で跪く。
「それじゃ、第二回戦を始めようか。最初はサリュから、ね?」
サリュはフェンシングの試合前に行う挨拶。
アンリの剣に口付ける。優美な眉が歪む。
「んっ…いや…」
「本当に? まだ挨拶をしたばかりだよ。試合はこれから。
フルーレは剣で相手を突く競技だと忘れてしまったのかい?」
「…ジョシュ…アッ」
湿った空間で吐息さえも、艶やかに濡れていく。
声は外には漏れず、用具室の中で僅かに反響する。
フェンシング場外戦、第2ラウンドが始まった。
fin
「十五夜っていうのはね、んー。まあ、平たく言うと、満月のことだね。
秋に見る月は空が澄んでて綺麗なんだよ。
皆で月を見て、月見団子を食べたりするんだ」
生徒代表のテオがウーティス寮サロンに遊びに来ていた。
相手をさせられているのは、たまたま其処に居たハルヤだ。
サロンには他に寮生は居ない。
テオは大好きなオリエンタルの知識をまたひとつ得て感嘆の声を上げる。
「ニッポンにはそんなイベントもあるのかい?
皆で月を愛でるなんて…またなんと神秘的な。
そうだ、キモノは? キモノは着るの?」
「どっちでもいいけど。着た方が雰囲気はあるかなあ」
「ではぜひ開催しよう! ツキミダンゴはドニに作って貰おうかな。
シュヌーシアとウーティスの皆を呼んで、キモノも着て欲しいなあ」
「皆で? そんな盛大にしなくても…」
「おや。東洋の黒い真珠は、私と二人きりが良いの?」
「あっ、いやあ、その…」
「満月と真珠を共に愛でる…ああ、なんと贅沢な忙しさなのだろう。
私は器用ではないから、真珠ばかりに目を奪われてしまいそうだ」
「えーっと。せっかくだからさ、皆を呼んだ方が良いんじゃないかな?」
ハルヤは先と180度違う意見を述べたのだが、
テオは気が付かないのか、よしっ、と立ち上がった。
「そうだね! ではジョシュアに言って、皆に伝えてくれるように話しておこうかな」
「あ、ジョシュアなら部屋には居ないよ」
「出掛けているのかい?」
「いや、さっきアンリと出て行ったから、体育館でフェンシングでもしてるんじゃないかな?」
「えっ? あの二人がフェンシングをするの?」
「あ、うん。時々ね。なんか本格的に試合してるみたいで、二人ともぐったりして帰って来るんだ」
「それは素晴らしい。さぞ気品溢れる優雅な試合なのだろうね。
ぜひ見学したいな。ちょっと行って来るよ」
「うん。いってらっしゃい」
テオの相手が終わったことに安堵して、ハルヤは笑顔で見送った。
テオは機嫌良く「また来るよ、東洋の真珠」と言い残し、
意気揚々とウーティス寮を後にする。
テオの背中を見ていたハルヤはアンリに言われていたことを思い出した。
フェンシングの試合中は気が紛れるから体育館には見に来ないで、と。
しかし、楽しそうなテオを止める術をハルヤは知らない。
「ま、いっか。めんどくさいし」
テオがフェンシング専用の体育館に辿り着く。大きな扉を開けた。
「ジョシュアー、アンリー! 君達の決闘、観戦しても良いかい?」
体育館には誰も居なかった。用具も何一つ残っていない。
「おや…もう終わってしまったのか、残念だな。美しい騎士達を見たかったのに」
体育館から足音が遠ざかっていく。
体育館の用具室から溜め息が2つ吐かれた。アンリの声は掠れ気味だった。
呼吸は荒く、額はしっとりと濡れている。
「…彼、行ったの?」
常はぴしりと身に付けている制服がかなり乱れている。
ジョシュアの制服は一切乱れていない。
「みたいだね…良かった、テオに見付からなくて。
こんなに可愛いアンリは、彼に見せられないよ」
アンリは折り重なったマットの上で座らされていた。
その前にジョシュアが跪いている。
熱い深紅の瞳に見上げられて、アンリは視線を逸らした。
「見付かって困るようなこと、しなければいいのに」
「今日勝ったのは俺だよ? アンリ」
さっきまでフェンシングの試合をしていた。
勝者はジョシュア。最近、連勝記録を伸ばしていた。
試合後、フルーレと呼ばれる剣を用具室に片付けたのはアンリ。
その背後から、今日の賞罰内容を囁いたのがジョシュア。
今まさに用具室では、ジョシュアにとっては褒賞の、
アンリにとっては処罰の時間を過ごしていたところだった。
『敗者は勝者の言うことをひとつ聞く』それが今日の賞罰。
「だからって……ちょっと今度は何するの」
布で遮られた視界。耳元でジョシュアが囁いた。
「良いだろう?」
「勝手だね」
フェンシング専用の体育館。二人の他には誰も来ない用具室。
その決して広くはない、薄暗い場所。
唯一の小さな窓は締め切られ、空気はいつも湿っぽかった。
ジョシュアは再びアンリの前で跪く。
「それじゃ、第二回戦を始めようか。最初はサリュから、ね?」
サリュはフェンシングの試合前に行う挨拶。
アンリの剣に口付ける。優美な眉が歪む。
「んっ…いや…」
「本当に? まだ挨拶をしたばかりだよ。試合はこれから。
フルーレは剣で相手を突く競技だと忘れてしまったのかい?」
「…ジョシュ…アッ」
湿った空間で吐息さえも、艶やかに濡れていく。
声は外には漏れず、用具室の中で僅かに反響する。
フェンシング場外戦、第2ラウンドが始まった。
fin
WARNING!
■エンジュシナリオ5-1の続編
■エンジュシナリオ5-1の続編
聖アルフォンソ島 植物園。
アンリは携帯を切ると、エンジュに手渡した。
受け取った携帯を制服のポケットに入れる。
園内には他に誰も居なかった。アンリは、エンジュに話がある、と言った。
エンジュは黙ってアンリの出方を伺っている。
二人の前にはトリカブトの花。
花は紫。観賞用の切花としてはアコニタムという名も持つ。
ギリシャ語のakos(楯)が語源とも言われる。
アンジェロは此処で、毒草を育てていた。
おそらくは、兄を殺す目的で。
兄の信用を得る為、暗殺に協力したのかもしれない。
そこまでして、ただ一つの命を狙った。
毒々しくも美しい花を眺めながらアンリは言った。
「単刀直入に言うね。君、生徒代表殿に何か恨みでもあるの?」
「お前には関係のないことだ」
アンリは、予想通り、という微笑を浮かべる。
二人の間を白い蝶が通る。花の芳香に誘われて、此処には虫達も集う。
「確かにね。ただ、文化祭の時。君がジョシュアに熱い視線を、
送っていたのが少し気になったんだ。君の手に握られていたものもね?」
トリカブトの葉には深い切り込みがある。その形は剣の柄にも見えた。
毒物アコニチンが多く含まれるのは根。神経毒の一種であり、中枢神経を侵す。
軽度の中毒では、顔面の筋肉運動が減り、無表情になるらしい。
「だからどうした?」
「僕もね、剣を持っているんだ。残虐なシチリアンマフィア、というね。
自衛用だから、他者への攻撃に使うつもりはなかったんだけど。
彼は王冠を持つ者だ。こんな孤島で果てて良い人物じゃない」
琥珀の瞳は凍てついていた。
「次はないから。彼のこと、可笑しな眼で見ないで」
エンジュは無表情なまま、トリカブトの葉に触れた。
その柔らかい緑の剣は、人の命を奪う凶器になる。
葉を千切ろうとして、彼は止めた。
「案ずるな。次はない。俺はこの学院を離れる」
顔には何の感情も映していない。
緑翠の瞳には静かな闘志と、何か他の色も滲んでいた。
「祖国に帰っても、命を狙われるだけではない?」
「お前には関係ない」
アンリは冷笑する。紫の花に蝶が止まった。
蜜にも毒は含まれているが、アコニチンは昆虫には効かない。
蝶は羽音を立てて、また他の花へと飛び立った。
「学院から一歩出ると、身の安全が保証されないなんて、どうかしてるよね」
独り言のように呟かれたそれに、言葉が返ってくる。
「剣を持つお前も、どうかしているな」
蝶が羽ばたいている。エンジュの言う通りだとアンリは思った。
小さな蝶。その羽根は脆い。君を狙う魔の手は絶えない。
それは無邪気な子供か、それとも同じ種族の生き物かもしれない。
一体、何処まで逃げ切れるのかな、僕は。
アンリは息をひとつ吐いた。
「時間を取らせて悪かったね。この話はこれでおしまいにするよ。
剣に会いに街へ行かなくてはいけないし。君を狙う必要はないと言っておくね?」
「勝手にしろ」
アンリは優雅に微笑んだ。
「君の性格は嫌いじゃないよ、エンジュ。
…Le Chariot. 戦車は、独立の道を駆ける」
「戦車?」
「気にしなくて良いよ。君のカードが思い浮かんだだけだから。ではね、エンジュ」
植物園から消えて行く背中。エンジュは何も言わず、見つめていた。
自分は学院に戻ろうと、ポケットに手を入れる。
何かが手に触れた。手の中にあるケータイ。
取り出して、ケータイを開く。
何もしないまま閉じて、ポケットに仕舞った。
fin
アンリは携帯を切ると、エンジュに手渡した。
受け取った携帯を制服のポケットに入れる。
園内には他に誰も居なかった。アンリは、エンジュに話がある、と言った。
エンジュは黙ってアンリの出方を伺っている。
二人の前にはトリカブトの花。
花は紫。観賞用の切花としてはアコニタムという名も持つ。
ギリシャ語のakos(楯)が語源とも言われる。
アンジェロは此処で、毒草を育てていた。
おそらくは、兄を殺す目的で。
兄の信用を得る為、暗殺に協力したのかもしれない。
そこまでして、ただ一つの命を狙った。
毒々しくも美しい花を眺めながらアンリは言った。
「単刀直入に言うね。君、生徒代表殿に何か恨みでもあるの?」
「お前には関係のないことだ」
アンリは、予想通り、という微笑を浮かべる。
二人の間を白い蝶が通る。花の芳香に誘われて、此処には虫達も集う。
「確かにね。ただ、文化祭の時。君がジョシュアに熱い視線を、
送っていたのが少し気になったんだ。君の手に握られていたものもね?」
トリカブトの葉には深い切り込みがある。その形は剣の柄にも見えた。
毒物アコニチンが多く含まれるのは根。神経毒の一種であり、中枢神経を侵す。
軽度の中毒では、顔面の筋肉運動が減り、無表情になるらしい。
「だからどうした?」
「僕もね、剣を持っているんだ。残虐なシチリアンマフィア、というね。
自衛用だから、他者への攻撃に使うつもりはなかったんだけど。
彼は王冠を持つ者だ。こんな孤島で果てて良い人物じゃない」
琥珀の瞳は凍てついていた。
「次はないから。彼のこと、可笑しな眼で見ないで」
エンジュは無表情なまま、トリカブトの葉に触れた。
その柔らかい緑の剣は、人の命を奪う凶器になる。
葉を千切ろうとして、彼は止めた。
「案ずるな。次はない。俺はこの学院を離れる」
顔には何の感情も映していない。
緑翠の瞳には静かな闘志と、何か他の色も滲んでいた。
「祖国に帰っても、命を狙われるだけではない?」
「お前には関係ない」
アンリは冷笑する。紫の花に蝶が止まった。
蜜にも毒は含まれているが、アコニチンは昆虫には効かない。
蝶は羽音を立てて、また他の花へと飛び立った。
「学院から一歩出ると、身の安全が保証されないなんて、どうかしてるよね」
独り言のように呟かれたそれに、言葉が返ってくる。
「剣を持つお前も、どうかしているな」
蝶が羽ばたいている。エンジュの言う通りだとアンリは思った。
小さな蝶。その羽根は脆い。君を狙う魔の手は絶えない。
それは無邪気な子供か、それとも同じ種族の生き物かもしれない。
一体、何処まで逃げ切れるのかな、僕は。
アンリは息をひとつ吐いた。
「時間を取らせて悪かったね。この話はこれでおしまいにするよ。
剣に会いに街へ行かなくてはいけないし。君を狙う必要はないと言っておくね?」
「勝手にしろ」
アンリは優雅に微笑んだ。
「君の性格は嫌いじゃないよ、エンジュ。
…Le Chariot. 戦車は、独立の道を駆ける」
「戦車?」
「気にしなくて良いよ。君のカードが思い浮かんだだけだから。ではね、エンジュ」
植物園から消えて行く背中。エンジュは何も言わず、見つめていた。
自分は学院に戻ろうと、ポケットに手を入れる。
何かが手に触れた。手の中にあるケータイ。
取り出して、ケータイを開く。
何もしないまま閉じて、ポケットに仕舞った。
fin
■デッドプリンス×アイヴィー
「いい匂い。アイヴィー、今日はカレー作ってくれたんだ?」
「うわっ、うまそ!」
「カレーも作れるようになったんですね」
「カレーなんて大したことねえだろ。野菜とルーと適当にスパイス入れただけだし」
「美味しいです。料理の腕、上がったんじゃないですか?」
「だなっ! マジでうまいぜ、アイヴィー」
「貴方の腕を上げたのはデッドプリンスですよね。僕達に感謝して下さい?」
「なんで俺が感謝しなきゃなんねーんだよ」
「ねえ。俺、おかわりしてもいいかな?」
「はやっ! いつのまに食ったんだよ、ハルヤ」
「だって、ほんと美味しいから。あ、良かった、まだあるね」
「…そ、そーかよ」
「あ。カレーってさ、明日になるともっと美味しいよね」
「ですよね! じゃあ、今夜は皆でアイヴィーの家に泊まりません?」
「お、イイねー!」
「うん。俺も久し振りに泊まりたいな」
「おい、家主の許可を得ずに、勝手に話進めんな!」
「じゃあ、ウーティスに電話しますね? あっ、バトラー? すみません、ユウタ居ます?」
「って、聞いちゃいねえし」
「あ、もしもし、ユウタですか? 僕達、今夜アイヴィーの家に泊まるのですが、
ユウタも来ませんか? 良かった。それから、ジョシュアとアンリも連れて来て貰えます?
え? なんでって? あの二人を残しておくと…
ああ、いえ、皆でお泊まりした方が楽しいでしょう?
じゃ、そーゆーことでお願いしますね、ユウタ」
「皆来るの?」
「ええ。せっかくですから、今夜は皆で雑魚寝しましょう」
「じゃあ、俺、ソファー取った!」
「ズルイですよ、レッド」
「俺、布団が良いな。ないけど」
「フトンですか!? 良いですね、これから買いに行きましょう!」
「えっ。売ってるかなあ、布団なんて」
「新市街のショッピングモールにはありそうじゃないですか?」
「なあなあ、フトンって何だ?」
「ニッポンのベッドですよ、レッド」
「おいおい、お前等、俺んちのものを増やすな。毎度毎度、私物とか置いていくし」
「えー。だってまた来た時、ベンリですし。ねえ?」
「そうそう。どうせまた来るんだからさ? よし、ユウタ達が来たら全員で出掛けるぞ。
晩メシの買いもんするついでに、フトンとかいうのも見に行こうぜ!」
「そうしましょう! アイヴィー、車出して下さいね♪」
「…ったく。マージナルプリンスどもめ」
「あの、アイヴィー。俺、もう一回、おかわりしてもいい?」
「はやっ!」
fin
「うわっ、うまそ!」
「カレーも作れるようになったんですね」
「カレーなんて大したことねえだろ。野菜とルーと適当にスパイス入れただけだし」
「美味しいです。料理の腕、上がったんじゃないですか?」
「だなっ! マジでうまいぜ、アイヴィー」
「貴方の腕を上げたのはデッドプリンスですよね。僕達に感謝して下さい?」
「なんで俺が感謝しなきゃなんねーんだよ」
「ねえ。俺、おかわりしてもいいかな?」
「はやっ! いつのまに食ったんだよ、ハルヤ」
「だって、ほんと美味しいから。あ、良かった、まだあるね」
「…そ、そーかよ」
「あ。カレーってさ、明日になるともっと美味しいよね」
「ですよね! じゃあ、今夜は皆でアイヴィーの家に泊まりません?」
「お、イイねー!」
「うん。俺も久し振りに泊まりたいな」
「おい、家主の許可を得ずに、勝手に話進めんな!」
「じゃあ、ウーティスに電話しますね? あっ、バトラー? すみません、ユウタ居ます?」
「って、聞いちゃいねえし」
「あ、もしもし、ユウタですか? 僕達、今夜アイヴィーの家に泊まるのですが、
ユウタも来ませんか? 良かった。それから、ジョシュアとアンリも連れて来て貰えます?
え? なんでって? あの二人を残しておくと…
ああ、いえ、皆でお泊まりした方が楽しいでしょう?
じゃ、そーゆーことでお願いしますね、ユウタ」
「皆来るの?」
「ええ。せっかくですから、今夜は皆で雑魚寝しましょう」
「じゃあ、俺、ソファー取った!」
「ズルイですよ、レッド」
「俺、布団が良いな。ないけど」
「フトンですか!? 良いですね、これから買いに行きましょう!」
「えっ。売ってるかなあ、布団なんて」
「新市街のショッピングモールにはありそうじゃないですか?」
「なあなあ、フトンって何だ?」
「ニッポンのベッドですよ、レッド」
「おいおい、お前等、俺んちのものを増やすな。毎度毎度、私物とか置いていくし」
「えー。だってまた来た時、ベンリですし。ねえ?」
「そうそう。どうせまた来るんだからさ? よし、ユウタ達が来たら全員で出掛けるぞ。
晩メシの買いもんするついでに、フトンとかいうのも見に行こうぜ!」
「そうしましょう! アイヴィー、車出して下さいね♪」
「…ったく。マージナルプリンスどもめ」
「あの、アイヴィー。俺、もう一回、おかわりしてもいい?」
「はやっ!」
fin
■アンリ×ジョシュア
ジョシュアが中等部第3学年に上がったばかりの頃。
ウーティス寮の皆と少し話せるようになっていた。
だが、未だにサロンという場所に馴染めていない感覚があった。
互いに遠慮をしていて相手も、自分も、心を開いていない。
笑顔で談笑しながら、虚無感に襲われることが度々あった。
表面上は普通に接してくれる寮生も、腹の底では俺を恨んでいるのではないか。
グラントの人間である俺は、此処に居るだけで迷惑なのではないか。
その姓を枷に感じている自分が居た。
ウーティスは『何者でもないもの』を表す言葉なのに。
この寮に入ってから、自分が、
『闇の家系』と揶揄されるグラント家の者だと、
またロレート公国の王位を継承する者だと、
強く認識するようになっていた。
なんとなくサロンに足が向かなくて、自室で本を読んでいた。
コンコン、とノックの音がした。
居留守したい気持ちを振り払って扉を開ける。
其処に居たのは一学年下の生徒。
自分より背が低く、色の白い肌。
天使のような見目とは裏腹に、遠慮を知らない毒舌家。
彼には表も裏もないように見えた。
何処か気詰まりするウーティスの中で、最も気の置けない友人だった。
ジョシュアの肩から少し力が抜ける。
「やあ。アンリ。どうしたの?」
「退屈だから、相手をして」
そっけない命令口調。
アンリが歩き出したので、後を追うことにした。
寮を出て、華奢な背に着いていく。
キャンパス内を歩いていると、擦れ違う生徒から挨拶される。
ジョシュアは笑顔で同じ挨拶を返したが、アンリは全て無視していた。
擦れ違った生徒は、アンリが嫌いな人物だった。
アンリの足が止まる。着いた場所はフェンシング専用の体育館だった。
何世紀か前に生徒の希望で建ったものらしい。
中に入ると、自分達の靴音だけが聞こえる。
他には誰も居なかった。貸切になるのは、あまり珍しいことではない。
フェンシングを嗜む生徒が極端に少なかったからだ。
身体を動かすことがあまり好きではないアンリが、
唯一趣味とするスポーツがフェンシングだった。
今ではアンリ専用のフェンシング場と言っても過言ではない。
このスポーツは一人では試合ができない。
同じ寮のジョシュアが付き合わされることが多かった。
アンリは用具室から2本の剣だけを持ってきた。
今日はジャケットもマスクも着けないらしい。
無言でフルーレという剣を持たされた。
フェンシングは、フルーレ、エペ、サーブルの3種目あり、
それぞれ同名の剣を使用する。
フルーレは基本となる種目。頭・両足・両腕を除いた胴体部分を突くと得点が入る。
通常は1セット3分の3セットマッチ。
先に15点取得するか、より点の多い方が勝者となる。
だが、アンリは独自のルールや賞罰を決めることが多かった。
「アンリ、今日のルールは?」
琥珀の瞳はつまらなそうにフルーレを眺めている。
この剣は軽く、殺傷力もないが、鈍く銀色に輝く様子は本物の剣と変わりない。
「試合は1回戦のみ。時間は3分。ポイントの多い方が勝ち」
「解った」
「今日は3回戦まで行かないだろうからね」
そう呟いて、試合の舞台に上る。フルーレを床に向けた。
幅1.8m、長さ18mのピストと呼ばれる台の上で、二人は向かい合う。
この競技は礼に始まり、礼に終わる。
サリュ(Le Salut)と呼ばれる挨拶を行うのがルールだ。
サリュは先ず剣先を下に向ける。
そして剣にキスをするように口許で剣を立てる。
この時、アンリは珍しく口を開いた。
「フェンシングは、中世ヨーロッパの騎士道に基づくものだと知っているよね?」
「えっ、ああ」
「礼儀と優雅さに欠ける者は剣を持つ資格はない。僕に失礼のないようにね?」
最後に剣を相手に向け、試合開始だ。アンリは俊敏に前進した。
横幅が狭いこの舞台は前進か後退しかできない。
二人の腕前は互角。精神面でいつも決着がつく。
集中力が足りない方が負ける。
今日、注意力が散漫になっているのはジョシュアだった。
強気な攻撃を繰り返すアンリに対し、それをただ避けるのみという防戦一方だ。
体育館には無感動な金属音が響いている。
『剣と剣の旋律』とも呼ばれる競技も、今の状態では不協和音に過ぎない。
残り時間58秒だが、既にアンリが9点取得していた。
ジョシュアは1点も取っていない。
アンリは強い視線を向ける。
「僕を退屈させないで。これじゃ、相手にならない」
一気に間合いを詰めて、ジョシュアのフルーレを払う。
ジョシュアは後退しようとして、バランスを崩す。床に手を着いてしまう。
フルーレは虚しい音を立てて、転がっていく。
アンリは容赦なく前進する。剣先はジョシュアの喉許で寸止めした。
冷たい吐息が聞こえた。突き刺すような視線が向けられる。
「試合中だよ。下らないことは考えないで」
「すまない」
琥珀の瞳は深紅の瞳を見下ろして言った。
「他の何も関係ない。君は、僕だけを見ていればいい」
アンリはフルーレを降ろし、試合開始の位置に戻る。再びジョシュアを見据えた。
ジョシュアは腰を上げてアンリに倣う。
背筋を伸ばして、前を見つめる。
ここ数日、翳っていた深紅の瞳に少し光が戻った。
「俺、アンリに失礼だったね。試合前に注意されていたのに」
「僕を退屈させた罪は重いよ?」
「ごめん。サリュから仕切り直しても良いかい?」
アンリは無言のまま、剣先を下に向けた。ジョシュアも同じ姿勢をとる。
二人は同じタイミングでゆっくりと腕を上げ、剣に口付ける。
体育館の空気が張り詰めていく。今度はどちらも喋らない。
フルーレの金属音を鳴らして、剣を相手に向ける。
目の前に居てくれる友人。
彼だけを瞳に映す。
同時に一歩踏み出した。
fin
ウーティス寮の皆と少し話せるようになっていた。
だが、未だにサロンという場所に馴染めていない感覚があった。
互いに遠慮をしていて相手も、自分も、心を開いていない。
笑顔で談笑しながら、虚無感に襲われることが度々あった。
表面上は普通に接してくれる寮生も、腹の底では俺を恨んでいるのではないか。
グラントの人間である俺は、此処に居るだけで迷惑なのではないか。
その姓を枷に感じている自分が居た。
ウーティスは『何者でもないもの』を表す言葉なのに。
この寮に入ってから、自分が、
『闇の家系』と揶揄されるグラント家の者だと、
またロレート公国の王位を継承する者だと、
強く認識するようになっていた。
なんとなくサロンに足が向かなくて、自室で本を読んでいた。
コンコン、とノックの音がした。
居留守したい気持ちを振り払って扉を開ける。
其処に居たのは一学年下の生徒。
自分より背が低く、色の白い肌。
天使のような見目とは裏腹に、遠慮を知らない毒舌家。
彼には表も裏もないように見えた。
何処か気詰まりするウーティスの中で、最も気の置けない友人だった。
ジョシュアの肩から少し力が抜ける。
「やあ。アンリ。どうしたの?」
「退屈だから、相手をして」
そっけない命令口調。
アンリが歩き出したので、後を追うことにした。
寮を出て、華奢な背に着いていく。
キャンパス内を歩いていると、擦れ違う生徒から挨拶される。
ジョシュアは笑顔で同じ挨拶を返したが、アンリは全て無視していた。
擦れ違った生徒は、アンリが嫌いな人物だった。
アンリの足が止まる。着いた場所はフェンシング専用の体育館だった。
何世紀か前に生徒の希望で建ったものらしい。
中に入ると、自分達の靴音だけが聞こえる。
他には誰も居なかった。貸切になるのは、あまり珍しいことではない。
フェンシングを嗜む生徒が極端に少なかったからだ。
身体を動かすことがあまり好きではないアンリが、
唯一趣味とするスポーツがフェンシングだった。
今ではアンリ専用のフェンシング場と言っても過言ではない。
このスポーツは一人では試合ができない。
同じ寮のジョシュアが付き合わされることが多かった。
アンリは用具室から2本の剣だけを持ってきた。
今日はジャケットもマスクも着けないらしい。
無言でフルーレという剣を持たされた。
フェンシングは、フルーレ、エペ、サーブルの3種目あり、
それぞれ同名の剣を使用する。
フルーレは基本となる種目。頭・両足・両腕を除いた胴体部分を突くと得点が入る。
通常は1セット3分の3セットマッチ。
先に15点取得するか、より点の多い方が勝者となる。
だが、アンリは独自のルールや賞罰を決めることが多かった。
「アンリ、今日のルールは?」
琥珀の瞳はつまらなそうにフルーレを眺めている。
この剣は軽く、殺傷力もないが、鈍く銀色に輝く様子は本物の剣と変わりない。
「試合は1回戦のみ。時間は3分。ポイントの多い方が勝ち」
「解った」
「今日は3回戦まで行かないだろうからね」
そう呟いて、試合の舞台に上る。フルーレを床に向けた。
幅1.8m、長さ18mのピストと呼ばれる台の上で、二人は向かい合う。
この競技は礼に始まり、礼に終わる。
サリュ(Le Salut)と呼ばれる挨拶を行うのがルールだ。
サリュは先ず剣先を下に向ける。
そして剣にキスをするように口許で剣を立てる。
この時、アンリは珍しく口を開いた。
「フェンシングは、中世ヨーロッパの騎士道に基づくものだと知っているよね?」
「えっ、ああ」
「礼儀と優雅さに欠ける者は剣を持つ資格はない。僕に失礼のないようにね?」
最後に剣を相手に向け、試合開始だ。アンリは俊敏に前進した。
横幅が狭いこの舞台は前進か後退しかできない。
二人の腕前は互角。精神面でいつも決着がつく。
集中力が足りない方が負ける。
今日、注意力が散漫になっているのはジョシュアだった。
強気な攻撃を繰り返すアンリに対し、それをただ避けるのみという防戦一方だ。
体育館には無感動な金属音が響いている。
『剣と剣の旋律』とも呼ばれる競技も、今の状態では不協和音に過ぎない。
残り時間58秒だが、既にアンリが9点取得していた。
ジョシュアは1点も取っていない。
アンリは強い視線を向ける。
「僕を退屈させないで。これじゃ、相手にならない」
一気に間合いを詰めて、ジョシュアのフルーレを払う。
ジョシュアは後退しようとして、バランスを崩す。床に手を着いてしまう。
フルーレは虚しい音を立てて、転がっていく。
アンリは容赦なく前進する。剣先はジョシュアの喉許で寸止めした。
冷たい吐息が聞こえた。突き刺すような視線が向けられる。
「試合中だよ。下らないことは考えないで」
「すまない」
琥珀の瞳は深紅の瞳を見下ろして言った。
「他の何も関係ない。君は、僕だけを見ていればいい」
アンリはフルーレを降ろし、試合開始の位置に戻る。再びジョシュアを見据えた。
ジョシュアは腰を上げてアンリに倣う。
背筋を伸ばして、前を見つめる。
ここ数日、翳っていた深紅の瞳に少し光が戻った。
「俺、アンリに失礼だったね。試合前に注意されていたのに」
「僕を退屈させた罪は重いよ?」
「ごめん。サリュから仕切り直しても良いかい?」
アンリは無言のまま、剣先を下に向けた。ジョシュアも同じ姿勢をとる。
二人は同じタイミングでゆっくりと腕を上げ、剣に口付ける。
体育館の空気が張り詰めていく。今度はどちらも喋らない。
フルーレの金属音を鳴らして、剣を相手に向ける。
目の前に居てくれる友人。
彼だけを瞳に映す。
同時に一歩踏み出した。
fin
WARNING!
■エンジュシナリオ19-2ベース
■エンジュシナリオ19-2ベース
聖アルフォンソ学院の敷地内には動物王国がありました。
其処には生徒の一人が祖国から連れて来た動物達がたくさん暮らしていました。
動物園ごと入学したのは、アルファルド寮のジャワハルワールです。
相棒のオウムを肩に乗せて、今日も皆に会いに行きました。
最初は象のおうちに着きました。
リンゴを鼻で掴んで、大きな口に入れています。
オウムは片翼を挙げました。
「ヨッ! キョウダイ! ゲンキ?」
象は長い鼻を持ち上げて、パオーンと答えます。
オウムは象の背中に乗りました。
「ゾウ! オマエのハナはセカイイチ!」
ジャワハルワールは象の鼻を撫でました。
象は気持ち良さそうに目を閉じました。
オウムはジャワハルワールの肩に戻って、片翼を挙げました。
「タクサン タベテ オオキク ナレヨ!」
次はカピバラのおうちに着きました。
プールにのんびり浸かっています。
オウムは片翼を挙げました。
「ヨッ! キョウダイ! ゲンキ?」
カピバラは鼻をひくひくさせて、キュルルーと答えます。
オウムはプールサイドに止まりました。
「カピバラ! セカイイチ デッカイ ネズミ!」
ジャワハルワールはカピバラの背中を撫でました。
カピバラは気持ち良さそうに目を閉じました。
オウムはジャワハルワールの肩に戻って、片翼を挙げました。
「プールで ネルナヨ! マタ オボレルゾ!」
次はペンギンのおうちに着きました。
三匹の兄弟ペンギンがヨチヨチ歩いています。
オウムは片翼を挙げました。
「ヨッ! キョウダイ! ゲンキ?」
ペンギンは白い手を持ち上げて、クエークエーと答えます。
オウムはお兄さんペンギンの傍に止まりました。
「ペンギン! オマエのオヨギはセカイイチ!」
ジャワハルワールはペンギンの頭を一羽ずつ撫でました。
ペンギンは気持ち良さそうに目を閉じました。
オウムはジャワハルワールの肩に戻って、片翼を挙げました。
「キョウダイ ナカヨク ネンネシナ!」
他の動物達のおうちにも行きました。
皆の顔を見た頃。空には白いおつきさまが出ていました。
そろそろジャワハルワールとオウムはアルファルド寮に戻る時間です。
動物王国で暮らす家族に「マタネー!」とオウムは言いました。
皆も、またねー、と言ってくれました。
寮への帰り道、肩乗りオウムは叫びます。
「キョウも ミンナ ゲンキ ダッタネ!」
ジャワハルワールは頷きます。
オウムはジャワハルワールの顔を覗き込みました。
「ジャワハルワール、ゲンキ?」
ジャワハルワールはこくんと頷きました。
オウムは翼をいっぱいに広げます。
「ヒャッホー! ミンナ ゲンキ!」
ジャワハルワールとオウムはアルファルド寮に着きました。
今夜のおつきさまは、まんまるです。
皆同じおつきさまの下で眠りました。
おしまい
其処には生徒の一人が祖国から連れて来た動物達がたくさん暮らしていました。
動物園ごと入学したのは、アルファルド寮のジャワハルワールです。
相棒のオウムを肩に乗せて、今日も皆に会いに行きました。
最初は象のおうちに着きました。
リンゴを鼻で掴んで、大きな口に入れています。
オウムは片翼を挙げました。
「ヨッ! キョウダイ! ゲンキ?」
象は長い鼻を持ち上げて、パオーンと答えます。
オウムは象の背中に乗りました。
「ゾウ! オマエのハナはセカイイチ!」
ジャワハルワールは象の鼻を撫でました。
象は気持ち良さそうに目を閉じました。
オウムはジャワハルワールの肩に戻って、片翼を挙げました。
「タクサン タベテ オオキク ナレヨ!」
次はカピバラのおうちに着きました。
プールにのんびり浸かっています。
オウムは片翼を挙げました。
「ヨッ! キョウダイ! ゲンキ?」
カピバラは鼻をひくひくさせて、キュルルーと答えます。
オウムはプールサイドに止まりました。
「カピバラ! セカイイチ デッカイ ネズミ!」
ジャワハルワールはカピバラの背中を撫でました。
カピバラは気持ち良さそうに目を閉じました。
オウムはジャワハルワールの肩に戻って、片翼を挙げました。
「プールで ネルナヨ! マタ オボレルゾ!」
次はペンギンのおうちに着きました。
三匹の兄弟ペンギンがヨチヨチ歩いています。
オウムは片翼を挙げました。
「ヨッ! キョウダイ! ゲンキ?」
ペンギンは白い手を持ち上げて、クエークエーと答えます。
オウムはお兄さんペンギンの傍に止まりました。
「ペンギン! オマエのオヨギはセカイイチ!」
ジャワハルワールはペンギンの頭を一羽ずつ撫でました。
ペンギンは気持ち良さそうに目を閉じました。
オウムはジャワハルワールの肩に戻って、片翼を挙げました。
「キョウダイ ナカヨク ネンネシナ!」
他の動物達のおうちにも行きました。
皆の顔を見た頃。空には白いおつきさまが出ていました。
そろそろジャワハルワールとオウムはアルファルド寮に戻る時間です。
動物王国で暮らす家族に「マタネー!」とオウムは言いました。
皆も、またねー、と言ってくれました。
寮への帰り道、肩乗りオウムは叫びます。
「キョウも ミンナ ゲンキ ダッタネ!」
ジャワハルワールは頷きます。
オウムはジャワハルワールの顔を覗き込みました。
「ジャワハルワール、ゲンキ?」
ジャワハルワールはこくんと頷きました。
オウムは翼をいっぱいに広げます。
「ヒャッホー! ミンナ ゲンキ!」
ジャワハルワールとオウムはアルファルド寮に着きました。
今夜のおつきさまは、まんまるです。
皆同じおつきさまの下で眠りました。
おしまい
■オウム×テオ
■生徒の呼び出し 前日談
■生徒の呼び出し 前日談
退屈していたテオが気まぐれにアルファルド寮サロンへ遊びに来ました。
「相変わらずアルファルドは、シュヌーシアとは全く違うね」
サロンに居たのは一羽の白い鳥だけでした。
寮生のジャワハルワールが飼っているコバタンオウムです。
元気いっぱい片方の翼を挙げます。
「テオ! タイヨウとウミをアイスルオトコ!」
「こんにちは、オウム君。
私が教えた言葉を覚えててくれたのか。嬉しいよ。
今日も君のほっぺは、タンポポのように可愛いね」
「カワイイネ!」
テオはのんびりとソファに座ります。
オウムはローテーブルに降りて、テオの近くに来ました。
「そう言えば、ジャワハルワールの姿が見えないが、居ないのかい?」
「ジャワハルワール、オデカケ。サミシイ」
「そうか。それは淋しいね。私もね、淋しいのだよ」
「サミシイノダヨ?」
「うん。文化祭が近いから仕方ないのだけれど。
生真面目な生徒代表が、ずっと生徒代表室に詰めていてね。
毎日遅くに寮に戻ってくるのだよ。ディナーの時間にもなかなか会えないんだ」
「アエナインダ?」
「うん。寮に居てもなんだか気が塞いでしまってね。
それでオウム君に会いに来てしまったのだよ。
彼のアルフォンソ王の仮装は楽しみなのだけど。
今年は私が衣装係の座を勝ち取ったからね。
オウム君も文化祭を楽しみにしていておくれ?」
「ブンカサイ、セイアルフォンソサイ!」
「アルファルドは何か出し物をするのかい?」
「アルファルド、コドクナモノ!」
「遠慮深いからね、此処の皆は。
ああ、彼は? レオシュは今年も仮装行列に参加しないのかい?」
「レオシュ、ジョウオウ!」
「そうだね。彼が一度だけ見せてくれた氷の女王姿には惚れ惚れしたよ。
レオシュは背も高いし、大人の魅力というのかな。
あの不機嫌な瞳の前では、自然と跪きたくなってしまうよ。
それに、ウーティスのプリンセスも美しいし。
笑わない氷の女王と氷の微笑、どちらも甲乙付けがたい。
美しい姫達に見つめられたら、凍ってしまいそうだよ…あっ!」
「アッ?」
「オウム君! 私はとても良いことを思い付いたよ!
これからクラウスに掛け合ってくる!」
「クラウス! ワタシのダイヤモンド!」
「そちらも覚えててくれたのかい? ありがとう。
ではね、オウム君。明日は生徒代表室で会おう」
「テオ、イッテラッシャイ!」
fin
「相変わらずアルファルドは、シュヌーシアとは全く違うね」
サロンに居たのは一羽の白い鳥だけでした。
寮生のジャワハルワールが飼っているコバタンオウムです。
元気いっぱい片方の翼を挙げます。
「テオ! タイヨウとウミをアイスルオトコ!」
「こんにちは、オウム君。
私が教えた言葉を覚えててくれたのか。嬉しいよ。
今日も君のほっぺは、タンポポのように可愛いね」
「カワイイネ!」
テオはのんびりとソファに座ります。
オウムはローテーブルに降りて、テオの近くに来ました。
「そう言えば、ジャワハルワールの姿が見えないが、居ないのかい?」
「ジャワハルワール、オデカケ。サミシイ」
「そうか。それは淋しいね。私もね、淋しいのだよ」
「サミシイノダヨ?」
「うん。文化祭が近いから仕方ないのだけれど。
生真面目な生徒代表が、ずっと生徒代表室に詰めていてね。
毎日遅くに寮に戻ってくるのだよ。ディナーの時間にもなかなか会えないんだ」
「アエナインダ?」
「うん。寮に居てもなんだか気が塞いでしまってね。
それでオウム君に会いに来てしまったのだよ。
彼のアルフォンソ王の仮装は楽しみなのだけど。
今年は私が衣装係の座を勝ち取ったからね。
オウム君も文化祭を楽しみにしていておくれ?」
「ブンカサイ、セイアルフォンソサイ!」
「アルファルドは何か出し物をするのかい?」
「アルファルド、コドクナモノ!」
「遠慮深いからね、此処の皆は。
ああ、彼は? レオシュは今年も仮装行列に参加しないのかい?」
「レオシュ、ジョウオウ!」
「そうだね。彼が一度だけ見せてくれた氷の女王姿には惚れ惚れしたよ。
レオシュは背も高いし、大人の魅力というのかな。
あの不機嫌な瞳の前では、自然と跪きたくなってしまうよ。
それに、ウーティスのプリンセスも美しいし。
笑わない氷の女王と氷の微笑、どちらも甲乙付けがたい。
美しい姫達に見つめられたら、凍ってしまいそうだよ…あっ!」
「アッ?」
「オウム君! 私はとても良いことを思い付いたよ!
これからクラウスに掛け合ってくる!」
「クラウス! ワタシのダイヤモンド!」
「そちらも覚えててくれたのかい? ありがとう。
ではね、オウム君。明日は生徒代表室で会おう」
「テオ、イッテラッシャイ!」
fin
■シルヴァン×ハルヤ
日曜日の正午。
アイヴィーの自宅にシルヴァンとハルヤが遊びに来ました。
「アイヴィー、ランチを二人分お願いしまーす」
「あれ。アイヴィー、居ないね」
「そのようですね。まあ、入って待っていましょう」
「そだね。お邪魔します」
ハルヤは自分とシルヴァンの靴を揃えて上がりました。
「ハルヤー、僕、グリーンティー淹れましょうか?」
「あ、うん。ありがと」
空きっ腹に緑茶を流して、ハルヤはますます項垂れました。
「どうしよう。俺、お腹空いた、すごく」
「アイヴィー、いつ帰って来るか解りませんし」
「仕方ないな。面倒くさいけど、自分で作ろうかな」
「わお。嬉しいです! 何を作ってくれるんですか?」
「うーん。どんな材料あるかなあ」」
「ハルヤー、冷蔵庫に何もありませんよ?」
「ほんとだ。俺用のお米とお味噌くらいしかないね。
んー。じゃあ、お味噌付けて、焼きおにぎりにしようか」
ハルヤがアイヴィーにねだった炊飯器を使って、ご飯を炊きました。
「よし。後はご飯を蒸らして…」
「ハルヤハルヤー、僕、いいこと思い付いちゃいました♪」
「なあに?」
「聖アルフォンソニュースで、『ハルヤのお料理教室』を放送しませんか?」
「絶対やだ」
「なんでですかー」
「番組にするほど料理できないし。恥ずかしいよ、そんなの」
「絶対人気が出ると思うんですけどねー、後でレッドにも相談してみます」
「だめだよ。レッドに言ったら、やろうって言うに決まってんじゃん」
「ハルヤのエプロン姿をお茶の間にもお届けできたらいいなと思ったんですけど、
僕だけが独り占めするというのも、良いかもしれませんね♪」
「何だよ、それ…うわっ」
「丁度良いサイズなんですよねー、ハルヤは」
「意味わかんないこと言ってないで離してよっ」
「離しませんー。ハグですよ、ハグ。別に普通でしょう?」
「日本では普通じゃないんだってば」
「僕、ハルヤみたいなお嫁さんが欲しかったんです」
「お嫁さんって…あっ」
「ヒトんちで何してんだ、お前等!」
「なんで僕だけ蹴るんですかー?」
「お前は蹴り易いから。ったく、食われてないか、ハルヤ」
「う、うん。ありがとう、アイヴィー。帰って来てくれて」
「ん? なんか作ってんのか?」
「あ、そうそう。ご飯蒸らしてたんだった。
アイヴィーも食べる? 焼きおにぎり」
fin
アイヴィーの自宅にシルヴァンとハルヤが遊びに来ました。
「アイヴィー、ランチを二人分お願いしまーす」
「あれ。アイヴィー、居ないね」
「そのようですね。まあ、入って待っていましょう」
「そだね。お邪魔します」
ハルヤは自分とシルヴァンの靴を揃えて上がりました。
「ハルヤー、僕、グリーンティー淹れましょうか?」
「あ、うん。ありがと」
空きっ腹に緑茶を流して、ハルヤはますます項垂れました。
「どうしよう。俺、お腹空いた、すごく」
「アイヴィー、いつ帰って来るか解りませんし」
「仕方ないな。面倒くさいけど、自分で作ろうかな」
「わお。嬉しいです! 何を作ってくれるんですか?」
「うーん。どんな材料あるかなあ」」
「ハルヤー、冷蔵庫に何もありませんよ?」
「ほんとだ。俺用のお米とお味噌くらいしかないね。
んー。じゃあ、お味噌付けて、焼きおにぎりにしようか」
ハルヤがアイヴィーにねだった炊飯器を使って、ご飯を炊きました。
「よし。後はご飯を蒸らして…」
「ハルヤハルヤー、僕、いいこと思い付いちゃいました♪」
「なあに?」
「聖アルフォンソニュースで、『ハルヤのお料理教室』を放送しませんか?」
「絶対やだ」
「なんでですかー」
「番組にするほど料理できないし。恥ずかしいよ、そんなの」
「絶対人気が出ると思うんですけどねー、後でレッドにも相談してみます」
「だめだよ。レッドに言ったら、やろうって言うに決まってんじゃん」
「ハルヤのエプロン姿をお茶の間にもお届けできたらいいなと思ったんですけど、
僕だけが独り占めするというのも、良いかもしれませんね♪」
「何だよ、それ…うわっ」
「丁度良いサイズなんですよねー、ハルヤは」
「意味わかんないこと言ってないで離してよっ」
「離しませんー。ハグですよ、ハグ。別に普通でしょう?」
「日本では普通じゃないんだってば」
「僕、ハルヤみたいなお嫁さんが欲しかったんです」
「お嫁さんって…あっ」
「ヒトんちで何してんだ、お前等!」
「なんで僕だけ蹴るんですかー?」
「お前は蹴り易いから。ったく、食われてないか、ハルヤ」
「う、うん。ありがとう、アイヴィー。帰って来てくれて」
「ん? なんか作ってんのか?」
「あ、そうそう。ご飯蒸らしてたんだった。
アイヴィーも食べる? 焼きおにぎり」
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