■ロレートシナリオ
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「はい、いっちょあがりーっと」
夜中の浜辺。アイヴィー様は手についた砂をパンパンと払った。
彼の周囲には人相の悪い男達が伸びている。
島への侵入者。今は浜に打ち上げられた魚のように見えた。
「じゃー、撤収しよっか。このヒト達を『懺悔室』にお願い。
神父サマが舌なめずりして待ってっから」
了解、と彼の部下達が伸びた男達を次々運んでいく。
あれだけの乱闘騒ぎを演じた後なのに、大した持久力だ。
『聖アルフォンソ島は、高セキュリティの安全な島』
その安全は、決して無敵のバリアが張られているからではなく、
こうして警備組織の、人の手によって日々守られているのだ。
アイヴィー様は、部下の一人の側に近付き、こう言った。
「悪いんだけど、俺、うちに居るから、なんかあったら電話して?」
「珍しいですね、司令。取調べ、見学されないのですか?」
「うん。今日はロレート国王の側近さんとダイジなお話あるから。
神父サマになんか聞かれたら、そう言っといて。ジャマしないでって」
「了解しました」
アイヴィー様が私の元へ駆けて来る。
「ラルちゃん、さっきのダイジョブだった? わー、痛々しいことになってるー。ゴメンー!」
私は輩を避け切れず、口許を殴られて唇の端を切った。
その途端「あー! ラルちゃんに、あにすんだ、てめえ!」
と叫んだアイヴィー様の蹴りによって輩は倒された。
私の不注意だというのにアイヴィー様には謝罪の言葉を連呼された。
「ラルちゃん、ごめんね。唇、血が…」
私は唇の端を指でなぞる。赤く染まった指を舐める。苦い。
「少し切っただけです。申し訳ありません、怪我はしないと約束したのに、情けないです」
「いいんだよー、そんなことー! ね、お医者さんトコ行って、
なんかお薬とか付けて貰おっか? あのヒト、今めちゃ起きてるから」
「いいえ。平気です」
「そう? あ、ちょっと待って。そこ、血の痕、残ってる」
「え?」
肩に手を置かれる。
「じっとして? 拭いたげる」
→10-2
夜中の浜辺。アイヴィー様は手についた砂をパンパンと払った。
彼の周囲には人相の悪い男達が伸びている。
島への侵入者。今は浜に打ち上げられた魚のように見えた。
「じゃー、撤収しよっか。このヒト達を『懺悔室』にお願い。
神父サマが舌なめずりして待ってっから」
了解、と彼の部下達が伸びた男達を次々運んでいく。
あれだけの乱闘騒ぎを演じた後なのに、大した持久力だ。
『聖アルフォンソ島は、高セキュリティの安全な島』
その安全は、決して無敵のバリアが張られているからではなく、
こうして警備組織の、人の手によって日々守られているのだ。
アイヴィー様は、部下の一人の側に近付き、こう言った。
「悪いんだけど、俺、うちに居るから、なんかあったら電話して?」
「珍しいですね、司令。取調べ、見学されないのですか?」
「うん。今日はロレート国王の側近さんとダイジなお話あるから。
神父サマになんか聞かれたら、そう言っといて。ジャマしないでって」
「了解しました」
アイヴィー様が私の元へ駆けて来る。
「ラルちゃん、さっきのダイジョブだった? わー、痛々しいことになってるー。ゴメンー!」
私は輩を避け切れず、口許を殴られて唇の端を切った。
その途端「あー! ラルちゃんに、あにすんだ、てめえ!」
と叫んだアイヴィー様の蹴りによって輩は倒された。
私の不注意だというのにアイヴィー様には謝罪の言葉を連呼された。
「ラルちゃん、ごめんね。唇、血が…」
私は唇の端を指でなぞる。赤く染まった指を舐める。苦い。
「少し切っただけです。申し訳ありません、怪我はしないと約束したのに、情けないです」
「いいんだよー、そんなことー! ね、お医者さんトコ行って、
なんかお薬とか付けて貰おっか? あのヒト、今めちゃ起きてるから」
「いいえ。平気です」
「そう? あ、ちょっと待って。そこ、血の痕、残ってる」
「え?」
肩に手を置かれる。
「じっとして? 拭いたげる」
→10-2
■ロレートシナリオ
バックミラーに殿下はもう映っていない。
聖アルフォンソ学院の正門前まで、殿下をお送りしてきた。
私は、先程、車中で言われたことを思い返していた。
「今度、ロレートに連れて来たい友達が居るんです。
カーディスに紹介したいなって前から思ってたんですが、あの、ダメでしょうか?」
陛下に伺っておきます、とお答えした。
が、あの御方のことだ。断る筈がない。
今度、殿下をお迎えに来る時は、ご学友もお乗せすることになるだろう。
あの殿下のご学友だ。何も心配することはないだろう。きっと優秀で真面目な御方だ。
そのようなことを考えながら、公用車で空港へ向かう矢先、きらりと光る長髪を見た。
誰かの手によって路地裏に消えていった。
嫌な予感がして、私は車を停めた。
「俺様がイイコト教えてやったのに、お礼はないのか、お礼は」
「アリガトウ、ゴザイマス…」
路地裏に近付くと、知らない声と知っている声が聞こえてきた。
身を潜めて様子を覗う。長い黒髪の男が見えた。
気障な白いコートにピンクのワイシャツ。
どう見ても、普通のビジネスマンなどではない。
得体の知れない男が、相手の顎を持ち上げる。
「んな棒読みのセリフなんか要らねえんだよ。解ってんだろ、アイヴィー?」
「ちょ、近いよ、顔が。濃い顔が近いからっ」
「近くないと、お礼が貰えないだろうが」
「真っ昼間から沸いてんじゃねえ…ガキどもに見付かったら」
「見せ付けてやるさ」
「キョーイク上、良くないからっ」
黒髪の男がアイヴィー様に更に近付く。私は堪え切れず、声を上げた。
「閣下!」
二人が私を見る。
「ラルちゃん!?」
「なんだあ?」
「貴様、閣下から手を離せ」
黒髪の男は、低い声で笑った。
「おっと。こっちにも金髪美人が。へえ。なかなか俺好みのツラしてるじゃねえか」
「わっ、ラルちゃんヤバイ! 俺のことはイイから逃げてっ!」
「閣下を置いて逃げるなどできません!」
「いい度胸だな、金髪美人。ああ、その軍服、ロレートか。
成程。あんたはジョシュア・グラントのおもり役ってところか?」
「言葉を慎め。殿下を愚弄するつもりか」
「へえ。美人な上に強気なところもあるんだな。ますますソソる」
黒髪の男が、こちらに歩いてくる。
私のことを足許から髪まで舐めるように眺め、せせら笑った。
「何が可笑しい」
「お前、ドMだろ? そのツラ見りゃ解るぜ」
男が私の頬に手を伸ばそうとした時、アイヴィー様が動いた。
「スキありっ!」
私の左手首を取る。
「ラルちゃん、逃げるよっ。走って!」
黒髪の男が叫ぶ。
「おい、お礼は?」
「あんがとー!」
私はアイヴィー様に腕を引かれるまま、その場を逃走することになった。
どのくらい走っただろう。後ろを振り向くと、男の姿は見えなかった。
アイヴィー様は海の見える公園のようなところで足を止めた。
「はー。この辺まで来ればダイジョブかなー。ラルちゃんもなかなか足速いねー」
「あの、アイヴィー様、先程の男は?」
この辺境の島で警備のトップに立つ御人が、逃げるしかない相手が居るとは思わなかった。
アイヴィー様は頭を少し掻く。
「あー。ええっと、なーんて言ったらイイんだろうなー、あのヒトは」
歯切れ悪く話し始めた。
「物凄い良く言うと、同業他社? でもホントは異業種っつーか…」
関係性が解らない。
「まあ、ひろーく見ると、ラルちゃんとおんなじ、かな? いやー、ちょっとカラーが違うけど」
「私と同じ?」
「うん。かいつまんで言うと。マージナルプリンスの一人が、
ボディーガードとして雇ってるマフィアさんなんだ」
ナイショの話なんだけどね、とアイヴィー様が語ったところによると、
あの男はアイヴィー様が頼んでもいないのに、大いに『情報提供』をしてくれるらしい。
マフィア独自のルートから得た裏情報。
それは、マージナルプリンスを守る上で、かなり貴重なニュースソースになるそうだ。
実際、マフィアから囁かれた情報のおかげで、助けられた例も幾つかあるらしい。
島に居る時のマフィアは、雇い主のマージナルプリンスを守り、
警備組織には、諜報活動をしてくれる、『協力者』でしかない。
その為、今では無闇に彼の手を振り解くことができないそうだ。
驚愕の事実を聞かされ、私は言葉が出なかった。
遙か頭上を轟音が通り過ぎていく。アイヴィー様が額に手を翳す。
「ゲッ。ゴメン、ラルちゃん…」
「どうなさいました?」
「ラルちゃんさ。ヒコーキ、乗んなくて良かったの?」
私は空を見上げる。銀色の機体が、遠く過ぎ去っていく。
「あははっ、お前でもたまにはバカやるんだな、レイナ」
携帯電話の向こうで、同僚のエメリーが爆笑している。
その日、私は最終便に乗り遅れ、ロレートに帰れなくなったのだ。
「悪かったな。陛下にちゃんと伝えてくれよ」
「解ってる…あ、陛下」
まずい。
「ええ、レイナ閣下からのお電話です。少しトラブルがあったそうで…」
エメリーが事情を伝えている。私は黙って待つしかなかった。
簡潔な説明が終わるとエメリーは「閣下とお話しになりますか? 陛下」と言い出した。
ああ、というお声が微かに聞こえた。エメリーの意地の悪い声が続く。
「閣下? 陛下と変わりますね?」
携帯が受け渡された気配がする。
「ラルヴィス?」
陛下のお声。私は反射的に頭を下げた。
「申し訳ありません、陛下。明朝のフライトで戻りますので」
「一日くらい構わんさ」
携帯越しのお声は、お叱りの口調ではなく、何でもない、という口調だった。
「それより、ラル。お前、今夜はどうするんだ? 島のゲストハウスにでも泊まるのか?」
「それが…」
責任を感じたアイヴィー様が「うちに泊まって」と申し出て下さった。
この島で、他に知り合いが居ない私は、お言葉に甘えさせて頂くことになってしまった。
今、私はアイヴィー様のリビングから電話をしているのだ。
私の車も、ご自宅の前に停めさせて頂いている。
目の前に居るアイヴィー様が『貸して』と手を出すので、携帯電話を渡した。
「あー、王様? うん。俺ー。オヒサシブリー。
あのさ、ラルちゃんのこと怒んないでよ? 俺が悪いんだから。
うん。ラルちゃんが、マフィアさんから俺のこと守ってくれたんだよ?
ホント、ホント。そーゆーわけで、今夜はラルちゃん、お預かりさせてね?
え? はははっ。何の心配してんの、王様。
王様を敵に回すわけないじゃん。ダイジョーブ。無事にお返ししますー。はーい。じゃーねー」
テーブルにはアイヴィー様の手料理が並んだ。
自信なさそうに置かれた皿は、どれも美味しそうだった。
アイヴィー様がビールを手酌しようとしたので、私は止めた。
「お注ぎします、アイヴィー様」
「え? あ、うん。ありがと…」
瓶を傾ける。金色の水がグラスに満ちていく。
注ぎ終わると、アイヴィー様は不思議そうに私を見ていた。
「何か?」
「あ、ううん…ラルちゃんみたいなヒトに、そーゆーふうに下手に出られると、ヘンな気分になっちゃうよ。
なんか、俺が王様になったみたいっていうかさ、そういうの、俺にはしなくてイイから。フツーにしてて?」
「…普通、ですか?」
「あ…ラルちゃんって、王様にはフツーにお酌したりしてんの?」
「はい」
「…そーなのか…くそう。王様め…羨ましいな、ちょっと」
「えっ?」
「あー、すいません、何でもナイです…。えと、ラルちゃんも飲むでしょ?」
「いいえ。私は」
「王様も居ないんだから、潰れちゃってもヘーキだよ? ベッド、そこだし。ね?」
突然、電子音が鳴り響いた。
「あちゃー。こんな時にマジかよー、もー! ばかー!」
腕時計に向かって叫んでいた。
「アイヴィー様?」
「あー、ゴメンネ。俺、ダンスパーティーにご招待されちゃったから、
ちょっと出てくるけど、ラルちゃんはうちでゆっくり…」
「警備の仕事ですね?」
「ん。そんなに数も多くないから、朝までには帰れると思うし」
「お供致します。私も武官です。お手伝いさせて下さい」
「そんな、ダメだよ…ラルちゃんにケガなんかさせたら、俺、王様に怒られちゃう」
「せめてもの宿泊料です。身体でお支払いします」
アイヴィー様は口許を手で覆った。
「…参ったなあ。んじゃ、絶対ケガしないでねっ」
→10-1
聖アルフォンソ学院の正門前まで、殿下をお送りしてきた。
私は、先程、車中で言われたことを思い返していた。
「今度、ロレートに連れて来たい友達が居るんです。
カーディスに紹介したいなって前から思ってたんですが、あの、ダメでしょうか?」
陛下に伺っておきます、とお答えした。
が、あの御方のことだ。断る筈がない。
今度、殿下をお迎えに来る時は、ご学友もお乗せすることになるだろう。
あの殿下のご学友だ。何も心配することはないだろう。きっと優秀で真面目な御方だ。
そのようなことを考えながら、公用車で空港へ向かう矢先、きらりと光る長髪を見た。
誰かの手によって路地裏に消えていった。
嫌な予感がして、私は車を停めた。
「俺様がイイコト教えてやったのに、お礼はないのか、お礼は」
「アリガトウ、ゴザイマス…」
路地裏に近付くと、知らない声と知っている声が聞こえてきた。
身を潜めて様子を覗う。長い黒髪の男が見えた。
気障な白いコートにピンクのワイシャツ。
どう見ても、普通のビジネスマンなどではない。
得体の知れない男が、相手の顎を持ち上げる。
「んな棒読みのセリフなんか要らねえんだよ。解ってんだろ、アイヴィー?」
「ちょ、近いよ、顔が。濃い顔が近いからっ」
「近くないと、お礼が貰えないだろうが」
「真っ昼間から沸いてんじゃねえ…ガキどもに見付かったら」
「見せ付けてやるさ」
「キョーイク上、良くないからっ」
黒髪の男がアイヴィー様に更に近付く。私は堪え切れず、声を上げた。
「閣下!」
二人が私を見る。
「ラルちゃん!?」
「なんだあ?」
「貴様、閣下から手を離せ」
黒髪の男は、低い声で笑った。
「おっと。こっちにも金髪美人が。へえ。なかなか俺好みのツラしてるじゃねえか」
「わっ、ラルちゃんヤバイ! 俺のことはイイから逃げてっ!」
「閣下を置いて逃げるなどできません!」
「いい度胸だな、金髪美人。ああ、その軍服、ロレートか。
成程。あんたはジョシュア・グラントのおもり役ってところか?」
「言葉を慎め。殿下を愚弄するつもりか」
「へえ。美人な上に強気なところもあるんだな。ますますソソる」
黒髪の男が、こちらに歩いてくる。
私のことを足許から髪まで舐めるように眺め、せせら笑った。
「何が可笑しい」
「お前、ドMだろ? そのツラ見りゃ解るぜ」
男が私の頬に手を伸ばそうとした時、アイヴィー様が動いた。
「スキありっ!」
私の左手首を取る。
「ラルちゃん、逃げるよっ。走って!」
黒髪の男が叫ぶ。
「おい、お礼は?」
「あんがとー!」
私はアイヴィー様に腕を引かれるまま、その場を逃走することになった。
どのくらい走っただろう。後ろを振り向くと、男の姿は見えなかった。
アイヴィー様は海の見える公園のようなところで足を止めた。
「はー。この辺まで来ればダイジョブかなー。ラルちゃんもなかなか足速いねー」
「あの、アイヴィー様、先程の男は?」
この辺境の島で警備のトップに立つ御人が、逃げるしかない相手が居るとは思わなかった。
アイヴィー様は頭を少し掻く。
「あー。ええっと、なーんて言ったらイイんだろうなー、あのヒトは」
歯切れ悪く話し始めた。
「物凄い良く言うと、同業他社? でもホントは異業種っつーか…」
関係性が解らない。
「まあ、ひろーく見ると、ラルちゃんとおんなじ、かな? いやー、ちょっとカラーが違うけど」
「私と同じ?」
「うん。かいつまんで言うと。マージナルプリンスの一人が、
ボディーガードとして雇ってるマフィアさんなんだ」
ナイショの話なんだけどね、とアイヴィー様が語ったところによると、
あの男はアイヴィー様が頼んでもいないのに、大いに『情報提供』をしてくれるらしい。
マフィア独自のルートから得た裏情報。
それは、マージナルプリンスを守る上で、かなり貴重なニュースソースになるそうだ。
実際、マフィアから囁かれた情報のおかげで、助けられた例も幾つかあるらしい。
島に居る時のマフィアは、雇い主のマージナルプリンスを守り、
警備組織には、諜報活動をしてくれる、『協力者』でしかない。
その為、今では無闇に彼の手を振り解くことができないそうだ。
驚愕の事実を聞かされ、私は言葉が出なかった。
遙か頭上を轟音が通り過ぎていく。アイヴィー様が額に手を翳す。
「ゲッ。ゴメン、ラルちゃん…」
「どうなさいました?」
「ラルちゃんさ。ヒコーキ、乗んなくて良かったの?」
私は空を見上げる。銀色の機体が、遠く過ぎ去っていく。
「あははっ、お前でもたまにはバカやるんだな、レイナ」
携帯電話の向こうで、同僚のエメリーが爆笑している。
その日、私は最終便に乗り遅れ、ロレートに帰れなくなったのだ。
「悪かったな。陛下にちゃんと伝えてくれよ」
「解ってる…あ、陛下」
まずい。
「ええ、レイナ閣下からのお電話です。少しトラブルがあったそうで…」
エメリーが事情を伝えている。私は黙って待つしかなかった。
簡潔な説明が終わるとエメリーは「閣下とお話しになりますか? 陛下」と言い出した。
ああ、というお声が微かに聞こえた。エメリーの意地の悪い声が続く。
「閣下? 陛下と変わりますね?」
携帯が受け渡された気配がする。
「ラルヴィス?」
陛下のお声。私は反射的に頭を下げた。
「申し訳ありません、陛下。明朝のフライトで戻りますので」
「一日くらい構わんさ」
携帯越しのお声は、お叱りの口調ではなく、何でもない、という口調だった。
「それより、ラル。お前、今夜はどうするんだ? 島のゲストハウスにでも泊まるのか?」
「それが…」
責任を感じたアイヴィー様が「うちに泊まって」と申し出て下さった。
この島で、他に知り合いが居ない私は、お言葉に甘えさせて頂くことになってしまった。
今、私はアイヴィー様のリビングから電話をしているのだ。
私の車も、ご自宅の前に停めさせて頂いている。
目の前に居るアイヴィー様が『貸して』と手を出すので、携帯電話を渡した。
「あー、王様? うん。俺ー。オヒサシブリー。
あのさ、ラルちゃんのこと怒んないでよ? 俺が悪いんだから。
うん。ラルちゃんが、マフィアさんから俺のこと守ってくれたんだよ?
ホント、ホント。そーゆーわけで、今夜はラルちゃん、お預かりさせてね?
え? はははっ。何の心配してんの、王様。
王様を敵に回すわけないじゃん。ダイジョーブ。無事にお返ししますー。はーい。じゃーねー」
テーブルにはアイヴィー様の手料理が並んだ。
自信なさそうに置かれた皿は、どれも美味しそうだった。
アイヴィー様がビールを手酌しようとしたので、私は止めた。
「お注ぎします、アイヴィー様」
「え? あ、うん。ありがと…」
瓶を傾ける。金色の水がグラスに満ちていく。
注ぎ終わると、アイヴィー様は不思議そうに私を見ていた。
「何か?」
「あ、ううん…ラルちゃんみたいなヒトに、そーゆーふうに下手に出られると、ヘンな気分になっちゃうよ。
なんか、俺が王様になったみたいっていうかさ、そういうの、俺にはしなくてイイから。フツーにしてて?」
「…普通、ですか?」
「あ…ラルちゃんって、王様にはフツーにお酌したりしてんの?」
「はい」
「…そーなのか…くそう。王様め…羨ましいな、ちょっと」
「えっ?」
「あー、すいません、何でもナイです…。えと、ラルちゃんも飲むでしょ?」
「いいえ。私は」
「王様も居ないんだから、潰れちゃってもヘーキだよ? ベッド、そこだし。ね?」
突然、電子音が鳴り響いた。
「あちゃー。こんな時にマジかよー、もー! ばかー!」
腕時計に向かって叫んでいた。
「アイヴィー様?」
「あー、ゴメンネ。俺、ダンスパーティーにご招待されちゃったから、
ちょっと出てくるけど、ラルちゃんはうちでゆっくり…」
「警備の仕事ですね?」
「ん。そんなに数も多くないから、朝までには帰れると思うし」
「お供致します。私も武官です。お手伝いさせて下さい」
「そんな、ダメだよ…ラルちゃんにケガなんかさせたら、俺、王様に怒られちゃう」
「せめてもの宿泊料です。身体でお支払いします」
アイヴィー様は口許を手で覆った。
「…参ったなあ。んじゃ、絶対ケガしないでねっ」
→10-1
■ロレートシナリオ
翌日の午後。殿下と私はロレートの街へお忍びで出掛けることとなった。
今日も公用車は使わずに一般車を使用している。
護衛に部下を一人だけ連れた。今は運転手を務めてくれている。
襟元までのアッシュブラウンの髪。名はアル・エメリー。
階級上では私の下になるが、年は変わらない。
私と同様に、主に似て、裏では口の悪い男。気の置けない同僚だ。
私は後部座席。殿下のお隣に座っていた。
殿下の横顔をそっと盗み見る。今日の殿下はいつも以上に知性的だ。
カジュアルなジャケット姿。背まである長い髪。
眼鏡の奥に見えるブルーの瞳。
殿下だと街の人間に気付かれないように、少し変装をしてみたのだ。
私と部下は髪や瞳は変えていないが、軍服ではなく私服を纏っていた。
相変わらず、私は適当な話題が出てこない。
無言の車内。殿下が、あの、と口火を切った。主に気を遣わせてしまい、申し訳ない。
「俺、学院を卒業したら、あのお邸に、カーディスと一緒に住んでも良いんでしょうか?」
「ええ。その予定でしたが、陛下と同じお住まいではお嫌でしたか?」
「いいえ。嬉しいです。卒業後はランベールに戻らなくてはいけないのだと思っていたから」
グラントの本家、ランベール館。歴史ある大財閥らしい、城のような家だ。
私も陛下のお供で幾度か訪れたことがある。
あの広い館で、殿下はさぞ心細い少年時代を過ごされたことだろう。
「そう言えば、グラントのランベール館にも、殿下のお荷物はございますか?
こちらに、お送り頂かなくてはなりませんね」
「特にないと思います。必要なものは学院に全て持ってきているので。
寮にある家具は学院の物だし、大きな物は何も…あ」
「何かございましたか?」
「…はい。でも、もし、できればですが」
「ご遠慮なく仰って下さい」
「あの…アルセイデスを、馬を一頭、連れて行くことはできますか?」
家具などより余程大きい。
普段は控えめだが、時に破天荒なことを仰るお方だ。殿下の声が小さくなる。
「すみません。無理なら…」
臣下の私は、畏まりました、と言うより他になかった。
「アルセイデス様のお住まいもご用意します」
新しく厩舎を作らなくてはいけないかもしれない。
殿下をロレートのどこにご案内しようか、昨夜から考えた末。
ロレートのごく日常的な場所を回ることにした。
最初に中心地、歓楽街まで車を進め、ゆっくりと邸へ引き返すルート。
夕食前の市場は活気があった。ここでは車を降りて、少し歩いた。
母親を抜かして駆けて行く男の子。威勢の良い店主。ご婦人方のお喋りが、通り過ぎていく。
店主の何人かと私は目が合った。
彼等は私の隣を見て、少し驚いた様子だったが、笑顔で見逃してくれた。
住宅街に入ると、公立の小学校があった。
丁度、放課後のようで、帰宅途中の子供達が居た。
小さな身体には少し重そうな鞄を持って、通学路を歩いている。
陛下のお側に就いて以来、私も時々しか目にできない光景だった。
最後にお連れしたのは、邸から程近いロレート王室ゆかりの国営公園。
花祭りの時は、ここも会場のひとつとなる。
今は季節の薄紅色の花が絨毯のように咲き誇っていた。
公園で遊ぶには、時間が少し遅いおかげで、人もそれほど多くない。
ここで休憩していくことにした。
ロレートの皇太子が公園のベンチに腰掛けているとは誰も思うまい。
私は殿下のお隣に座らせて頂く。護衛のエメリーは向かいにある噴水の縁に腰掛けている。
殿下と私は砂場で遊んでいる幼い子供達を眺めながら、少しお話した。
「ここは、エドワード様とカーディス様がご幼少の頃、
よく遊びに来られていたそうです。兄君が弟君のお手を引いて」
「カーディスにも子供の頃があったんですね。なんだか、想像できないな」
私も写真や、先輩諸氏から伝え聞いたことしか知らない。
それはそれは仲の良いご兄弟だったらしい。
兄君は弟が生まれたことをお喜びになって、とても可愛がっていたそうだ。
二人の後継者に恵まれ、王室も国全体も幸福だった。
後にご兄弟がどんな運命を辿るのか、誰も予想しなかっただろう。
「あれ? なんか見たことあるなあ…」
私の横に少年が居た。しまった。殿下だと気付かれたらしい。
護衛のエメリーがこちらに駆けてくる。
私が立ち上がろうとした時、少年が指を差した。
「あ! わかった! おーさまのおともだち!」
小さな指は私に向けられていた。私も変装が必要だったとは思わなかった。
しかし、私が『おうさまのおともだち』とは。とんでもない誤解だ。
子供の相手は苦手だが、なるべく冷静に誤解を正す。
「違いますよ。私は王様のお友達ではありません」
「えっ? うそっ。だって、テレビで見たことあるもん。
いつも、おーさまの、おとなりにいるひとでしょ? ちょっとだけ、テレビに映るの」
成程。この子の中では『いつも側にいる』イコール『友達』という式があるようだ。
間違いとは言えないが、正解とも言えない。
だが、陛下と私との関係が『友人』ではなく『主従』だと説くには、彼は幼過ぎる。
「きれーだなーっていつも思ってたんだ。テレビで見るよりきれー。
ねえねえ、あのさ、おんなのひと? おとこのひと? どっちかわからないから、きいてみたかったんだ」
「…男の人です」
「おにーさんなんだー。おねーさんかと思ってた」
何故、解らない。
ククッと笑い声が聞こえた。傍まで来ていた護衛のエメリーだ。
私は彼を軽く睨んで、向こうへ行け、と目で命じる。
はいはい、と手を空に向けて、肩を揺らしながら噴水へ戻っていく。
少年は無邪気に笑っていた。
「おにーさんは、おーさまに、あえるんだよね?」
「ええ」
「いいなー」
「王様のことがお好きなのですか?」
「うんっ。すきっ。あのね、ママもね、おーさまのことすきだよ。
おーさまがね、ロレートをよくしてくれてるんだって、りっぱなひとなのよって。
ぼくもね、おおきくなったら、おひげにするの、おーさまみたいに、ココんとこ!」
まだお髭の生えない唇の上を人差し指でなぞった。
少年が「もうおうちにかえらなきゃ」と走って行ったので、私達もおうちに帰ることにした。
帰りの車中、殿下は窓から見える街の様子に目を向けていた。
国民の私には、もはや特別面白い景色には映らない。いつもの街並みだ。
ヨーロッパの片隅にある小さな国。
陛下が守ってきた国。そして、いつか殿下に受け継がれる国。
今、殿下は何をお考えになりながら、ロレートの街並みをご覧になっているのだろう。
「いい国ですね、ロレート公国って」
殿下は窓の外に目を向けながら、ぽつりと仰った。
「今日で、ロレートが全部、見れたわけじゃないですけど、
なんだか似ている気がします。聖アルフォンソ島に。
昨日より、ずっと、この国が好きになってしまいました。
レイナ卿、エメリーさん、今日は俺の我が侭に付き合って下さって、ありがとうございました」
運転席に居るエメリーは「いえ」とだけ、かろうじて返事した。
彼も驚いたのだろう。私も遅れて、返事をした。
「このくらいでしたらお安い御用ですよ、殿下。
今日、ご案内した所は陛下のお忍びコースなんです」
「え? カーディスが好きな場所、なんですか?」
「はい。今日回ったのは昼のコースの一部です。
夜のお忍びコースにはまだお連れできませんが、ご容赦下さい」
「は、はあ…。でも、カーディスは、どうして、街を歩くんでしょうか?」
「さあ。『気晴らしに』としか教えて下さいません。
ただ、以前、お酔いになった時に、こう仰っていました。
『俺の仕事は、こういう当たり前の景色が、いつまでも当たり前に続いていくことだ』と。
けれど、真意の程は解りません。元々、椅子にじっと座ることのできない御方ですし」
「…でも、レイナ卿は、カーディスを止めず、一緒に街を回るんでしょう?」
「主のご命令ですから」
車窓の向こうに小さく邸が見えてきた。
空は夕闇。白い半月が、静かにこの車に付いて来る。
「レイナ卿」
「はい?」
「俺、レイナ卿に謝らなくちゃいけないことがあるんです」
「何ですか?」
「初めて、レイナ卿と会った頃は、俺、貴方に会うのが恐ろしかったんです。すみません」
「…そのようなこと」
謝るのなら、こちらのほうだ。
陛下のご命令とは言え、まだ高校生の貴方に、
次期国王となるよう、大き過ぎる決断を迫ったのは私共なのだから。
偽りのブルーの瞳がこちらを捉える。
「だけど俺、今はもう貴方のことをそんなふうには思いません。
カーディスがレイナ卿を信頼しているのも、少し解った気がします」
私には殿下のお言葉が理解できなかった。殿下が微笑まれる。
「公園で会った男の子が言っていたじゃないですか。カーディスのことが好きだって」
「ですが、それは偏に陛下の…」
功績と人望に依るものだ。私などとは関係がない。そう言おうとした。
殿下の長い髪が、いいえ、と揺れる。
「王は、一人では王になれません」
その夜。
今日、護衛を務めたエメリーが、私の部屋に来た。
夜中だというのに、気軽に訪れてくれるのだ。
勝手にベッドに座って、部屋を見回す。
「相変わらず、隙のない部屋だな、レイナ」
仕事中は「レイナ卿」「閣下」とわざとらしく呼ぶ奴だが、
二人きりになると、私を名字で呼び捨てる。そのほうが私も落ち着く。
「何の用だ、エメリー」
「大した用じゃないんだけどね」
「じゃあ、来るな」
奴がククッと笑う。
「あんたって俺には冷たいよなー。ご主人サマ方には従順なシモベなのに?」
「お前は私の主ではないからな」
「そう邪険にするなよ。今日の感想の言い合いっこでもしようかと思ってきたんだぜ」
「殿下のことか?」
「ああ」
こいつと殿下のことについて、ちゃんと話をしたことはまだなかった。
私は椅子に座る。
「聞く」
「陛下にちょっと似てると思わないか? 『格』みたいな所がさ」
「…お前もそう思うか」
「それに。あんた、もう王子サマに懐かれたみたいだしさ」
「エメリー」
「はいはい。間違えました。『王子サマ』じゃなくて、『殿下』でした。
あんたってスゴイよね。陛下のお気に入りだし。殿下も落とすなんてさ」
エメリーがベッドに両手を着いて、喉元を晒す。
「あーあ。一度でイイから、あんたのご主人サマになってみたいよ。気分イイんだろうな」
「何を言う。昇級試験を蹴ったのはお前だろう?」
あの試験を受け、私を負かしていれば、私達の位は逆になっていた筈だ。
「そりゃ、蹴るさ。俺はあんたの下にしか就けないからね」
意味が解らない。
「数秒前と矛盾しているぞ、エメリー」
また笑う。喰えない笑い方をする奴だ。
「矛盾なんかしてないよ。ガンボウとゲンジツ、だろ?」
ベッドから立ち上がる。
「じゃ、おやすみ、レイナ。また王子サマとデートする時は俺を呼んでくれよ?」
ひらひらと手を振って出て行った。
→9
今日も公用車は使わずに一般車を使用している。
護衛に部下を一人だけ連れた。今は運転手を務めてくれている。
襟元までのアッシュブラウンの髪。名はアル・エメリー。
階級上では私の下になるが、年は変わらない。
私と同様に、主に似て、裏では口の悪い男。気の置けない同僚だ。
私は後部座席。殿下のお隣に座っていた。
殿下の横顔をそっと盗み見る。今日の殿下はいつも以上に知性的だ。
カジュアルなジャケット姿。背まである長い髪。
眼鏡の奥に見えるブルーの瞳。
殿下だと街の人間に気付かれないように、少し変装をしてみたのだ。
私と部下は髪や瞳は変えていないが、軍服ではなく私服を纏っていた。
相変わらず、私は適当な話題が出てこない。
無言の車内。殿下が、あの、と口火を切った。主に気を遣わせてしまい、申し訳ない。
「俺、学院を卒業したら、あのお邸に、カーディスと一緒に住んでも良いんでしょうか?」
「ええ。その予定でしたが、陛下と同じお住まいではお嫌でしたか?」
「いいえ。嬉しいです。卒業後はランベールに戻らなくてはいけないのだと思っていたから」
グラントの本家、ランベール館。歴史ある大財閥らしい、城のような家だ。
私も陛下のお供で幾度か訪れたことがある。
あの広い館で、殿下はさぞ心細い少年時代を過ごされたことだろう。
「そう言えば、グラントのランベール館にも、殿下のお荷物はございますか?
こちらに、お送り頂かなくてはなりませんね」
「特にないと思います。必要なものは学院に全て持ってきているので。
寮にある家具は学院の物だし、大きな物は何も…あ」
「何かございましたか?」
「…はい。でも、もし、できればですが」
「ご遠慮なく仰って下さい」
「あの…アルセイデスを、馬を一頭、連れて行くことはできますか?」
家具などより余程大きい。
普段は控えめだが、時に破天荒なことを仰るお方だ。殿下の声が小さくなる。
「すみません。無理なら…」
臣下の私は、畏まりました、と言うより他になかった。
「アルセイデス様のお住まいもご用意します」
新しく厩舎を作らなくてはいけないかもしれない。
殿下をロレートのどこにご案内しようか、昨夜から考えた末。
ロレートのごく日常的な場所を回ることにした。
最初に中心地、歓楽街まで車を進め、ゆっくりと邸へ引き返すルート。
夕食前の市場は活気があった。ここでは車を降りて、少し歩いた。
母親を抜かして駆けて行く男の子。威勢の良い店主。ご婦人方のお喋りが、通り過ぎていく。
店主の何人かと私は目が合った。
彼等は私の隣を見て、少し驚いた様子だったが、笑顔で見逃してくれた。
住宅街に入ると、公立の小学校があった。
丁度、放課後のようで、帰宅途中の子供達が居た。
小さな身体には少し重そうな鞄を持って、通学路を歩いている。
陛下のお側に就いて以来、私も時々しか目にできない光景だった。
最後にお連れしたのは、邸から程近いロレート王室ゆかりの国営公園。
花祭りの時は、ここも会場のひとつとなる。
今は季節の薄紅色の花が絨毯のように咲き誇っていた。
公園で遊ぶには、時間が少し遅いおかげで、人もそれほど多くない。
ここで休憩していくことにした。
ロレートの皇太子が公園のベンチに腰掛けているとは誰も思うまい。
私は殿下のお隣に座らせて頂く。護衛のエメリーは向かいにある噴水の縁に腰掛けている。
殿下と私は砂場で遊んでいる幼い子供達を眺めながら、少しお話した。
「ここは、エドワード様とカーディス様がご幼少の頃、
よく遊びに来られていたそうです。兄君が弟君のお手を引いて」
「カーディスにも子供の頃があったんですね。なんだか、想像できないな」
私も写真や、先輩諸氏から伝え聞いたことしか知らない。
それはそれは仲の良いご兄弟だったらしい。
兄君は弟が生まれたことをお喜びになって、とても可愛がっていたそうだ。
二人の後継者に恵まれ、王室も国全体も幸福だった。
後にご兄弟がどんな運命を辿るのか、誰も予想しなかっただろう。
「あれ? なんか見たことあるなあ…」
私の横に少年が居た。しまった。殿下だと気付かれたらしい。
護衛のエメリーがこちらに駆けてくる。
私が立ち上がろうとした時、少年が指を差した。
「あ! わかった! おーさまのおともだち!」
小さな指は私に向けられていた。私も変装が必要だったとは思わなかった。
しかし、私が『おうさまのおともだち』とは。とんでもない誤解だ。
子供の相手は苦手だが、なるべく冷静に誤解を正す。
「違いますよ。私は王様のお友達ではありません」
「えっ? うそっ。だって、テレビで見たことあるもん。
いつも、おーさまの、おとなりにいるひとでしょ? ちょっとだけ、テレビに映るの」
成程。この子の中では『いつも側にいる』イコール『友達』という式があるようだ。
間違いとは言えないが、正解とも言えない。
だが、陛下と私との関係が『友人』ではなく『主従』だと説くには、彼は幼過ぎる。
「きれーだなーっていつも思ってたんだ。テレビで見るよりきれー。
ねえねえ、あのさ、おんなのひと? おとこのひと? どっちかわからないから、きいてみたかったんだ」
「…男の人です」
「おにーさんなんだー。おねーさんかと思ってた」
何故、解らない。
ククッと笑い声が聞こえた。傍まで来ていた護衛のエメリーだ。
私は彼を軽く睨んで、向こうへ行け、と目で命じる。
はいはい、と手を空に向けて、肩を揺らしながら噴水へ戻っていく。
少年は無邪気に笑っていた。
「おにーさんは、おーさまに、あえるんだよね?」
「ええ」
「いいなー」
「王様のことがお好きなのですか?」
「うんっ。すきっ。あのね、ママもね、おーさまのことすきだよ。
おーさまがね、ロレートをよくしてくれてるんだって、りっぱなひとなのよって。
ぼくもね、おおきくなったら、おひげにするの、おーさまみたいに、ココんとこ!」
まだお髭の生えない唇の上を人差し指でなぞった。
少年が「もうおうちにかえらなきゃ」と走って行ったので、私達もおうちに帰ることにした。
帰りの車中、殿下は窓から見える街の様子に目を向けていた。
国民の私には、もはや特別面白い景色には映らない。いつもの街並みだ。
ヨーロッパの片隅にある小さな国。
陛下が守ってきた国。そして、いつか殿下に受け継がれる国。
今、殿下は何をお考えになりながら、ロレートの街並みをご覧になっているのだろう。
「いい国ですね、ロレート公国って」
殿下は窓の外に目を向けながら、ぽつりと仰った。
「今日で、ロレートが全部、見れたわけじゃないですけど、
なんだか似ている気がします。聖アルフォンソ島に。
昨日より、ずっと、この国が好きになってしまいました。
レイナ卿、エメリーさん、今日は俺の我が侭に付き合って下さって、ありがとうございました」
運転席に居るエメリーは「いえ」とだけ、かろうじて返事した。
彼も驚いたのだろう。私も遅れて、返事をした。
「このくらいでしたらお安い御用ですよ、殿下。
今日、ご案内した所は陛下のお忍びコースなんです」
「え? カーディスが好きな場所、なんですか?」
「はい。今日回ったのは昼のコースの一部です。
夜のお忍びコースにはまだお連れできませんが、ご容赦下さい」
「は、はあ…。でも、カーディスは、どうして、街を歩くんでしょうか?」
「さあ。『気晴らしに』としか教えて下さいません。
ただ、以前、お酔いになった時に、こう仰っていました。
『俺の仕事は、こういう当たり前の景色が、いつまでも当たり前に続いていくことだ』と。
けれど、真意の程は解りません。元々、椅子にじっと座ることのできない御方ですし」
「…でも、レイナ卿は、カーディスを止めず、一緒に街を回るんでしょう?」
「主のご命令ですから」
車窓の向こうに小さく邸が見えてきた。
空は夕闇。白い半月が、静かにこの車に付いて来る。
「レイナ卿」
「はい?」
「俺、レイナ卿に謝らなくちゃいけないことがあるんです」
「何ですか?」
「初めて、レイナ卿と会った頃は、俺、貴方に会うのが恐ろしかったんです。すみません」
「…そのようなこと」
謝るのなら、こちらのほうだ。
陛下のご命令とは言え、まだ高校生の貴方に、
次期国王となるよう、大き過ぎる決断を迫ったのは私共なのだから。
偽りのブルーの瞳がこちらを捉える。
「だけど俺、今はもう貴方のことをそんなふうには思いません。
カーディスがレイナ卿を信頼しているのも、少し解った気がします」
私には殿下のお言葉が理解できなかった。殿下が微笑まれる。
「公園で会った男の子が言っていたじゃないですか。カーディスのことが好きだって」
「ですが、それは偏に陛下の…」
功績と人望に依るものだ。私などとは関係がない。そう言おうとした。
殿下の長い髪が、いいえ、と揺れる。
「王は、一人では王になれません」
その夜。
今日、護衛を務めたエメリーが、私の部屋に来た。
夜中だというのに、気軽に訪れてくれるのだ。
勝手にベッドに座って、部屋を見回す。
「相変わらず、隙のない部屋だな、レイナ」
仕事中は「レイナ卿」「閣下」とわざとらしく呼ぶ奴だが、
二人きりになると、私を名字で呼び捨てる。そのほうが私も落ち着く。
「何の用だ、エメリー」
「大した用じゃないんだけどね」
「じゃあ、来るな」
奴がククッと笑う。
「あんたって俺には冷たいよなー。ご主人サマ方には従順なシモベなのに?」
「お前は私の主ではないからな」
「そう邪険にするなよ。今日の感想の言い合いっこでもしようかと思ってきたんだぜ」
「殿下のことか?」
「ああ」
こいつと殿下のことについて、ちゃんと話をしたことはまだなかった。
私は椅子に座る。
「聞く」
「陛下にちょっと似てると思わないか? 『格』みたいな所がさ」
「…お前もそう思うか」
「それに。あんた、もう王子サマに懐かれたみたいだしさ」
「エメリー」
「はいはい。間違えました。『王子サマ』じゃなくて、『殿下』でした。
あんたってスゴイよね。陛下のお気に入りだし。殿下も落とすなんてさ」
エメリーがベッドに両手を着いて、喉元を晒す。
「あーあ。一度でイイから、あんたのご主人サマになってみたいよ。気分イイんだろうな」
「何を言う。昇級試験を蹴ったのはお前だろう?」
あの試験を受け、私を負かしていれば、私達の位は逆になっていた筈だ。
「そりゃ、蹴るさ。俺はあんたの下にしか就けないからね」
意味が解らない。
「数秒前と矛盾しているぞ、エメリー」
また笑う。喰えない笑い方をする奴だ。
「矛盾なんかしてないよ。ガンボウとゲンジツ、だろ?」
ベッドから立ち上がる。
「じゃ、おやすみ、レイナ。また王子サマとデートする時は俺を呼んでくれよ?」
ひらひらと手を振って出て行った。
→9
■ロレートシナリオ
解りました、と私は答えた。
「殿下がお望みとあらば、無理なことなどございません。
そうですね、明日は今日よりはスケジュールに余裕がありますので、
少しならば時間を作れるかと。ただ、あまり遠出はできません。
それでもよろしいでしょうか?」
はい、と殿下が笑顔を見せて下さった。とても良い事をしたような気になる。
「あの、レイナ卿。案内、してくれますか?」
「私でよろしければ。喜んでお供致します」
「ありがとうございます。今夜はレイナ卿のおかげでよく眠れそうです」
「殿下のお役に立てたならば光栄です」
「また、飲ませてくれますか? レイナ卿のホットミルク」
ええ、と言うと、殿下はまたお礼を仰った。
殿下とお話させて頂くと、こちらまで優しくなってしまうのだろうか。
今宵は私もよく眠れそうな気がした。
→8
「殿下がお望みとあらば、無理なことなどございません。
そうですね、明日は今日よりはスケジュールに余裕がありますので、
少しならば時間を作れるかと。ただ、あまり遠出はできません。
それでもよろしいでしょうか?」
はい、と殿下が笑顔を見せて下さった。とても良い事をしたような気になる。
「あの、レイナ卿。案内、してくれますか?」
「私でよろしければ。喜んでお供致します」
「ありがとうございます。今夜はレイナ卿のおかげでよく眠れそうです」
「殿下のお役に立てたならば光栄です」
「また、飲ませてくれますか? レイナ卿のホットミルク」
ええ、と言うと、殿下はまたお礼を仰った。
殿下とお話させて頂くと、こちらまで優しくなってしまうのだろうか。
今宵は私もよく眠れそうな気がした。
→8
■ロレートシナリオ
■ロレートシナリオ
「殿下…何故、こちらに…」
陛下の寝室の前に居たのはジョシュア様だった。
「すみません。今夜はなんだか眠れなくて、少しお邸の中を歩いていたんです。
そしたら、ピアノの音が聞こえた気がして…」
「それはお耳汚しを。失礼致しました」
「弾いていたの、レイナ卿だったんですか?」
「はい。陛下がご所望になったので弾いていました」
「すごく優しい音でした。俺にも聞かせてくれませんか?」
「申し訳ありません。ピアノは陛下の寝室にしかなく、陛下も、もうお休みになられたので」
「カーディスの、寝室、だったんですか、ここ」
「え? ええ」
「カーディスの部屋にピアノがあるとは思いませんでした…彼もピアノを弾くんですか?」
「いいえ。陛下はお弾きになりません。あのピアノは兄上の…殿下の父上がご愛用されていたものです」
「父のピアノ、ですか」
「ジョシュア様がお生まれになる以前の話になります。
カーディス様がお小さい時に、エドワード様が弾いていらした、と伺っております」
「そうだったんですか。俺も弾いてみたいな」
「殿下もお弾きになるのですか? ピアノを」
「はい。父ほど上手くはないですけど」
お父上のお話をされた殿下は、少し寂しげだった。
過去を思い出したのかもしれない。
幼い殿下の前でエドワード様がピアノを弾いていた光景を。
絵に描いたように幸福だった頃を。
私の顔を見て、陛下は笑顔で取り繕った。
「あ、すみません。俺、立ち話なんかして。レイナ卿、もうお休みの時間ですよね?」
気遣い。どうしてこの御方は誰にでもお優しいのだろう。
下々の者にも悪態のひとつ吐かない。
お言葉遣いが粗野な陛下と長く居るせいか、殿下は丁寧過ぎるように感じる。
こちらが恐縮してしまうくらいだ。
先刻ちらりとでも殿下に対して懐疑的になった自分を恥じた。
半分は闇の血が流れていても、半分はカーディス様と同じ、ロレートの血なのだ。
第一、カーディス様が選んだ御方に間違いがある筈ない。
「眠れないと仰いましたね、殿下。よろしければ、よく眠れる物をご用意致しましょう」
「何ですか?」
「陛下も時々飲まれるんですよ。『大人のホットミルク』だと仰って」
「えっ?」
「ラム酒を少し入れるのがお好きなんです」
殿下の寝室にお飲み物をお持ちした。
香り付けに、ほんの少しだけラムを垂らしたホットミルク。
殿下は興味深げに白い水面をご覧になった。
「あ、甘い香りですね。これがラムの香り…」
初々しいご感想だ。殿下がカップに口付ける。
お飲みになると、赤い舌先が濡れた唇をぺろりと舐めた。
「ほっとする味ですね。聖アルフォンソ島にもホットミルクがあるんです。
『青い月』という名前で。中等部の頃、時々飲んでいました。
眠る前に飲むと、気分が落ち着いたから。
このミルクは『青い月』より大人の味ですね。美味しいです」
「お気に召しましたか。良かったです」
間が空く。私は一歩下がって、礼をした。
「では私はこれで」
「あっ、レイナ卿」
殿下は私を呼び止めた。
「俺、レイナ卿に聞きたいことがあって…」
「何でしょう?」
紅の瞳はホットミルクを見つめている。
「俺、ロレートのこと、まだ殆ど知らないから、
国内を見て回りたいなと思ってて…でも、今では難しいでしょうか?」
→難しいですね
→解りました
陛下の寝室の前に居たのはジョシュア様だった。
「すみません。今夜はなんだか眠れなくて、少しお邸の中を歩いていたんです。
そしたら、ピアノの音が聞こえた気がして…」
「それはお耳汚しを。失礼致しました」
「弾いていたの、レイナ卿だったんですか?」
「はい。陛下がご所望になったので弾いていました」
「すごく優しい音でした。俺にも聞かせてくれませんか?」
「申し訳ありません。ピアノは陛下の寝室にしかなく、陛下も、もうお休みになられたので」
「カーディスの、寝室、だったんですか、ここ」
「え? ええ」
「カーディスの部屋にピアノがあるとは思いませんでした…彼もピアノを弾くんですか?」
「いいえ。陛下はお弾きになりません。あのピアノは兄上の…殿下の父上がご愛用されていたものです」
「父のピアノ、ですか」
「ジョシュア様がお生まれになる以前の話になります。
カーディス様がお小さい時に、エドワード様が弾いていらした、と伺っております」
「そうだったんですか。俺も弾いてみたいな」
「殿下もお弾きになるのですか? ピアノを」
「はい。父ほど上手くはないですけど」
お父上のお話をされた殿下は、少し寂しげだった。
過去を思い出したのかもしれない。
幼い殿下の前でエドワード様がピアノを弾いていた光景を。
絵に描いたように幸福だった頃を。
私の顔を見て、陛下は笑顔で取り繕った。
「あ、すみません。俺、立ち話なんかして。レイナ卿、もうお休みの時間ですよね?」
気遣い。どうしてこの御方は誰にでもお優しいのだろう。
下々の者にも悪態のひとつ吐かない。
お言葉遣いが粗野な陛下と長く居るせいか、殿下は丁寧過ぎるように感じる。
こちらが恐縮してしまうくらいだ。
先刻ちらりとでも殿下に対して懐疑的になった自分を恥じた。
半分は闇の血が流れていても、半分はカーディス様と同じ、ロレートの血なのだ。
第一、カーディス様が選んだ御方に間違いがある筈ない。
「眠れないと仰いましたね、殿下。よろしければ、よく眠れる物をご用意致しましょう」
「何ですか?」
「陛下も時々飲まれるんですよ。『大人のホットミルク』だと仰って」
「えっ?」
「ラム酒を少し入れるのがお好きなんです」
殿下の寝室にお飲み物をお持ちした。
香り付けに、ほんの少しだけラムを垂らしたホットミルク。
殿下は興味深げに白い水面をご覧になった。
「あ、甘い香りですね。これがラムの香り…」
初々しいご感想だ。殿下がカップに口付ける。
お飲みになると、赤い舌先が濡れた唇をぺろりと舐めた。
「ほっとする味ですね。聖アルフォンソ島にもホットミルクがあるんです。
『青い月』という名前で。中等部の頃、時々飲んでいました。
眠る前に飲むと、気分が落ち着いたから。
このミルクは『青い月』より大人の味ですね。美味しいです」
「お気に召しましたか。良かったです」
間が空く。私は一歩下がって、礼をした。
「では私はこれで」
「あっ、レイナ卿」
殿下は私を呼び止めた。
「俺、レイナ卿に聞きたいことがあって…」
「何でしょう?」
紅の瞳はホットミルクを見つめている。
「俺、ロレートのこと、まだ殆ど知らないから、
国内を見て回りたいなと思ってて…でも、今では難しいでしょうか?」
→難しいですね
→解りました
■アイヴィー オーギュスト アンリ
聖アルフォンソ学院 校舎内。
廊下には一人分の足音。アイヴィーはうなじの辺りで手を組みながら歩いていた。
生徒代表室でのミーティング帰り。擦れ違う生徒は一人も居ない。
今は授業時間。真面目な生徒達はお勉強中だ。
例年、簡単なミーティングは、なるべく生徒代表が空講の時間に行うようにしていた。
その方が生徒代表の負担も少なく、また、
授業時間にタクシーを呼ばれることは殆どないアイヴィーにも都合が良かったからである。
(時間空いちゃったなー)
今日のミーティングはサクサク進み、予定よりも早く終わってしまった。
生徒代表ジョシュアは引き続き、理事会とのネットミーティング中。
警備責任者であるアイヴィーにも聞かせられない機密事項のようだった為、失礼してきた。
廊下の窓は、ほんのりオレンジに染まっている。
この時間が終われば、今日の講義は全て終了だろう。
ふわ、と眠気に襲われ、欠伸を噛み殺す。
(保健室にでも寄ってくかなあ)
夏季休暇が終わった頃から、睡眠が足りていない。
聖アルフォンソ島にマージナルプリンス達が戻ってきた途端、
悪いおぢさん達も島に遊びに来るようになったからだ。
昨日も深夜に呼び出されて、派手に踊り明かしてしまった。
王子達が悪いわけではないのは解っているが、ぼやきたくもなる。
(…マージナルプリンスどもめ)
もひとつ欠伸を飲み込んだ時、知っている声が聞こえてきた。
同じオトコなのに、自分よりずっとオトナな渋い声。
「トマス・チャーノックはイギリスのケント州出身で…」
教壇に立っている紳士。
片手に教科書を持ってるのに、それに頼る様子もない。
(…あ。センセだ)
ちゃんとオシゴトしている彼を見るのは初めてだった。
オーギュスト・ボージェ教授。神秘学の先生だ。
センセはホントに先生なんだ、と当たり前のことを思った。
タクシードライバーで警備責任者なんてことをやっていると、
教授陣の日常を見る機会は殆どなかったからである。
生徒達の前に立っていると、あの胡散臭いヒトも、やっぱり教授に見えるから不思議だ。
アイヴィーは硝子越しの教室をそっと眺める。
呆れる程、静かで真面目な授業風景だ。
しかし、受講者の面子を見て、それもその筈だと納得できた。
アルファルドに住む孤高の王子達が多い。
もう大人のお兄さんになってしまった自分は、このたった一枚の硝子を超えることができない。
先生が黒板に向かう。緑の板に白いリボンが綴られていく。
「チャーノックはね、詩人でもあったんだよ」
そう言って先生が振り向いた時、目が合った。
***
アンリは頬杖を突いていた。眠いからである。
机にはノートを広げているが、あまりメモは取っていなかった。
「トマス・チャーノックはイギリスのケント州出身で…」
教授は星周りの悪かった錬金術師について概説している。
アンリにとっては既知の人物だった。
元々知っているのではなく、先週から昨夜まで予習していたからだ。
神秘学の授業は週一回。予習するだけの時間は十分ある。
授業前に、ある程度の予備知識を得ておきたかった。
博識な、あの変人に付いていけないなんて事態は、プライドが許さないからである。
自分でも持て余す程、高いプライドを持ってしても、
あの唇からはアンリの知らない情報が出てくる。
教師と生徒なのだから、知識量に差があるのは当たり前なのに、悔しかった。
「チャーノックはね、詩人でもあったんだよ」
黒板から振り返った教授は、ふと廊下側を見た。
一瞬だったが、おや、という顔をした。教授の視線を追う。
そこには、別に、何もなかった。
(可笑しいな…オーギュ、何か見たみたいだったのに)
アンリは再び教授のほうに視線を戻す。
「1557年、彼は軍隊に召集される。当時は、資産家であれば、
お金の力で徴兵を免れることもできたのだけどね、平民出身の彼には叶わないことだったんだ」
教授は何事もなかったように授業を進めた。
アンリは頬杖を外して、もう一度、廊下を見やる。
何もない。誰も居ない。
(何が見えたんだろう…)
気のせいだったのだろうか、否、と揺らいでくる。
もしかしたら、とアンリは思う。
彼には、僕にも見えないものが見えるのだろうか。
(…そんなわけないか)
頬杖を突く。
少しの間、忘れていた眠気がまたやってきた。
ああ、眠い。彼の声がいけないんだ。
***
アイヴィーは思わず、その場でしゃがんでいた。
別に何も悪いことしてないのに。後頭部を壁に預けて、ひと息吐く。
板の向こうから、先生の声がする。
「1557年、彼は軍隊に召集される。当時は、資産家であれば、
お金の力で徴兵を免れることもできたのだけどね、平民出身の彼には叶わないことだったんだ」
フツーに授業に戻ってる。
目が合ったと感じたのは自分だけで、
向こうはコッチに気付かなかったのだろうか、とさえ思った。
見なかったことにしてくれただけかもしれない。
どっちにしても、マージナルプリンスには――多分――見付からなくて良かった。
ただのタクシードライバーだと思われてる自分が校舎内をウロウロしてるのは可笑しいのだ。
そう言えば、保健室でお昼寝をしようとしていたんだったと思い出す。
しかし、せっかく貴重な時間に居合わせたのだから、
もう少し、先生の授業を聴講していきたい。
神秘学なんて変わった授業、学生時代に一度も受けたことがないし。
我ながら可笑しな絵だ。
ガッコの廊下にオトナが一人、お尻を着いて小さく膝を抱えてる。
「成功寸前までいっていた実験も、
中座せざるを得なくなったチャーノックは、高価な実験器具を自ら叩き壊してしまう」
壁の向こうから先生の声。
教室も廊下も静かだから結構聞こえる。
低い、単調な声を聞いているだけで、
ちょっと生徒の気分になれるのが可笑しかった。
(てゆうか、チャーノックって、どちらさん?)
それまでの講義をきちんと聞いていなかったのだから仕方がないが、講義の内容が良く解らない。
学生時代よりも耳を澄まし、割と一生懸命に聞いているのに、理解できない。
「1581年、賢者の石を手にしないまま、天に召される」
先生の声が遠くなってきた。
膝に置いた腕。その上に顎が乗ってしまう。
眠たい。強烈に。
(ヤベ…こんなトコで、眠ったら…)
廊下の窓からオレンジ色の毛布を浴びていた。
全身を包み込むように、ぽかぽか、あったかくて。
平坦な子守唄が、気持ち、良くて……
fin
廊下には一人分の足音。アイヴィーはうなじの辺りで手を組みながら歩いていた。
生徒代表室でのミーティング帰り。擦れ違う生徒は一人も居ない。
今は授業時間。真面目な生徒達はお勉強中だ。
例年、簡単なミーティングは、なるべく生徒代表が空講の時間に行うようにしていた。
その方が生徒代表の負担も少なく、また、
授業時間にタクシーを呼ばれることは殆どないアイヴィーにも都合が良かったからである。
(時間空いちゃったなー)
今日のミーティングはサクサク進み、予定よりも早く終わってしまった。
生徒代表ジョシュアは引き続き、理事会とのネットミーティング中。
警備責任者であるアイヴィーにも聞かせられない機密事項のようだった為、失礼してきた。
廊下の窓は、ほんのりオレンジに染まっている。
この時間が終われば、今日の講義は全て終了だろう。
ふわ、と眠気に襲われ、欠伸を噛み殺す。
(保健室にでも寄ってくかなあ)
夏季休暇が終わった頃から、睡眠が足りていない。
聖アルフォンソ島にマージナルプリンス達が戻ってきた途端、
悪いおぢさん達も島に遊びに来るようになったからだ。
昨日も深夜に呼び出されて、派手に踊り明かしてしまった。
王子達が悪いわけではないのは解っているが、ぼやきたくもなる。
(…マージナルプリンスどもめ)
もひとつ欠伸を飲み込んだ時、知っている声が聞こえてきた。
同じオトコなのに、自分よりずっとオトナな渋い声。
「トマス・チャーノックはイギリスのケント州出身で…」
教壇に立っている紳士。
片手に教科書を持ってるのに、それに頼る様子もない。
(…あ。センセだ)
ちゃんとオシゴトしている彼を見るのは初めてだった。
オーギュスト・ボージェ教授。神秘学の先生だ。
センセはホントに先生なんだ、と当たり前のことを思った。
タクシードライバーで警備責任者なんてことをやっていると、
教授陣の日常を見る機会は殆どなかったからである。
生徒達の前に立っていると、あの胡散臭いヒトも、やっぱり教授に見えるから不思議だ。
アイヴィーは硝子越しの教室をそっと眺める。
呆れる程、静かで真面目な授業風景だ。
しかし、受講者の面子を見て、それもその筈だと納得できた。
アルファルドに住む孤高の王子達が多い。
もう大人のお兄さんになってしまった自分は、このたった一枚の硝子を超えることができない。
先生が黒板に向かう。緑の板に白いリボンが綴られていく。
「チャーノックはね、詩人でもあったんだよ」
そう言って先生が振り向いた時、目が合った。
***
アンリは頬杖を突いていた。眠いからである。
机にはノートを広げているが、あまりメモは取っていなかった。
「トマス・チャーノックはイギリスのケント州出身で…」
教授は星周りの悪かった錬金術師について概説している。
アンリにとっては既知の人物だった。
元々知っているのではなく、先週から昨夜まで予習していたからだ。
神秘学の授業は週一回。予習するだけの時間は十分ある。
授業前に、ある程度の予備知識を得ておきたかった。
博識な、あの変人に付いていけないなんて事態は、プライドが許さないからである。
自分でも持て余す程、高いプライドを持ってしても、
あの唇からはアンリの知らない情報が出てくる。
教師と生徒なのだから、知識量に差があるのは当たり前なのに、悔しかった。
「チャーノックはね、詩人でもあったんだよ」
黒板から振り返った教授は、ふと廊下側を見た。
一瞬だったが、おや、という顔をした。教授の視線を追う。
そこには、別に、何もなかった。
(可笑しいな…オーギュ、何か見たみたいだったのに)
アンリは再び教授のほうに視線を戻す。
「1557年、彼は軍隊に召集される。当時は、資産家であれば、
お金の力で徴兵を免れることもできたのだけどね、平民出身の彼には叶わないことだったんだ」
教授は何事もなかったように授業を進めた。
アンリは頬杖を外して、もう一度、廊下を見やる。
何もない。誰も居ない。
(何が見えたんだろう…)
気のせいだったのだろうか、否、と揺らいでくる。
もしかしたら、とアンリは思う。
彼には、僕にも見えないものが見えるのだろうか。
(…そんなわけないか)
頬杖を突く。
少しの間、忘れていた眠気がまたやってきた。
ああ、眠い。彼の声がいけないんだ。
***
アイヴィーは思わず、その場でしゃがんでいた。
別に何も悪いことしてないのに。後頭部を壁に預けて、ひと息吐く。
板の向こうから、先生の声がする。
「1557年、彼は軍隊に召集される。当時は、資産家であれば、
お金の力で徴兵を免れることもできたのだけどね、平民出身の彼には叶わないことだったんだ」
フツーに授業に戻ってる。
目が合ったと感じたのは自分だけで、
向こうはコッチに気付かなかったのだろうか、とさえ思った。
見なかったことにしてくれただけかもしれない。
どっちにしても、マージナルプリンスには――多分――見付からなくて良かった。
ただのタクシードライバーだと思われてる自分が校舎内をウロウロしてるのは可笑しいのだ。
そう言えば、保健室でお昼寝をしようとしていたんだったと思い出す。
しかし、せっかく貴重な時間に居合わせたのだから、
もう少し、先生の授業を聴講していきたい。
神秘学なんて変わった授業、学生時代に一度も受けたことがないし。
我ながら可笑しな絵だ。
ガッコの廊下にオトナが一人、お尻を着いて小さく膝を抱えてる。
「成功寸前までいっていた実験も、
中座せざるを得なくなったチャーノックは、高価な実験器具を自ら叩き壊してしまう」
壁の向こうから先生の声。
教室も廊下も静かだから結構聞こえる。
低い、単調な声を聞いているだけで、
ちょっと生徒の気分になれるのが可笑しかった。
(てゆうか、チャーノックって、どちらさん?)
それまでの講義をきちんと聞いていなかったのだから仕方がないが、講義の内容が良く解らない。
学生時代よりも耳を澄まし、割と一生懸命に聞いているのに、理解できない。
「1581年、賢者の石を手にしないまま、天に召される」
先生の声が遠くなってきた。
膝に置いた腕。その上に顎が乗ってしまう。
眠たい。強烈に。
(ヤベ…こんなトコで、眠ったら…)
廊下の窓からオレンジ色の毛布を浴びていた。
全身を包み込むように、ぽかぽか、あったかくて。
平坦な子守唄が、気持ち、良くて……
fin
■ソクーロフ アイヴィー デッドプリンス
聖アルフォンソ学院 保健室。
カウンセラー兼保健医は、テレビを見つめていた。
明るいBGMと共にコーナータイトルのテロップが映る。
「『ハルヤの食いしん坊万歳』。今日はライブハウス『バッカーノ』さんに来てみました」
画面の中でマイクを持っている――というより、持たされている感がある――眼鏡の男子高校生は、この学院の生徒だった。
去年から放送しているテレビ番組『週刊! 聖アルフォンソニュース』。
発案者のアルフレッドを始め、制作、出演の全てを学院生が務める貴重な番組で、島民には大変人気がある。
ただ、この学院の特性上、番組は島の外の世界に流すことは出来ない。
生徒の多くが、この島に居ることを知られたくない<訳あり>である為、
この番組は島内限定のローカル放送であり、
加えて、高セキュリティのコピーガードを施している。
録画・複製不可、この島でしか見ることが出来ない、プレミア番組だ。
その番組内に、最近、新しいコーナーが誕生した。
聖アルフォンソ島の美味しい物を紹介する『ハルヤの食いしん坊万歳』という、およそ5分のグルメコーナーだ。
カウンセラーはテレビを見ながら、時々ニヤリと笑みを零している。
この回、眼鏡の食いしん坊は、ライブハウスの前でレポートしていた。
「えっと、実は俺達、バンドを組んでて…あ、俺達っていうのは、
この番組のプロデューサーでメインキャスターのアルフレッドと、
今、カメラを持ってくれてるシルヴァンと俺、の三人です。
…え。バンド名も言うの? やだ…言いたくないよ…あの…デッドプリンスです…。
それで、えっと、このライブハウスにもお世話になってます。
本番前に、ここでよく食べさせて貰ってるのが、こちら」
グルメレポーターの前には、三段重ねのサンドイッチ。クラブハウスサンドのようだ。
トーストからはみ出すほどのローストチキン。
かなりボリュームのあるサンドイッチをレポーターはペロリと平らげる。
日頃から食べることが大好きな彼は、とても美味しそうに食べた。
それは彼のごく自然な表情であり、実際、演技などではないのだろう。
わざとらしい絶賛コメントを言う芸能人より、美味しさが伝わってくるくらいだ。
彼の番組進行は、お世辞にも上手いとは言えない。はっきり言ってしまえば、ぐだぐだ、ゆるゆるだ。
段取りを忘れたり間違えたりは、しょっちゅうで、
カメラマンに助け舟を出される遣り取りや、
明らかにカンニングペーパーを読んでいる様子も、ありのまま放送されている。
おそらく殆ど編集もせず、素のままを見せているのだろう。
そのたどたどしさ。
不慣れなレポーターを周りのスタッフがあれこれフォローしている様子が、視聴者には微笑ましく映ってならないのだ。
番組スタッフの仲の良さが画面から滲み出ていて、
自然と見るものを和ませる番組になっている。
しかし、全てが無計算に行われているわけではない、とカウンセラーは分析していた。
レポーターにシャイなハルヤ・コバヤシを抜擢し、
カメラマンにはレポーターと親しい友人を据えたセンス。
カウンセラーは、番組プロデューサーの手腕を感じていた。
テレビの中のレポーターは、一点に視線を集中させて話す。
「えっと、今度のサタデーナイト、夜の8時からこの『バッカーノ』さんで、俺達もライブをします。
良かったら来て下さい。待ってます…って、すみません、宣伝でした。
あ、そう言えば、この『バッカーノ』って、どういう意味なのかな?
…え? …へえ。イタリア語で『お祭り騒ぎ』かあ。シルヴァンって一家に一台あると便利だね。
…あ…いや、そういう意味じゃなくて…。もう…あの、では、また来週…」
頬を染めたレポーターが控えめに手を振る。
満足げなカウンセラーは、机に広げた三人分のカルテに、何かのメモを綴り始めた。
コンコンコン、小気味良いノックの音。
どうぞ、と言う前にドアが勝手に開いた。
「ちわー。ソクちゃーん、お昼寝させてー」
長い金髪の男。いつものようにルーズに締めたネクタイ。
そのだらしなさは、彼自身も隙のある人間、お気楽なキャラクタであるかのように錯覚させる効果が見受けられた。
この金髪は、表向きは学院専属のタクシードライバー。同時にこの島の警備責任者でもある。
昼の顔、夜の顔を持つ為、睡眠時間がきちんと確保できないことも多い。
空いた時間に、度々こうして保健室のベッドを借りに来る。
その辺の事情を知っている保健医は、金髪がベッドに寝そべる様子を見ても、黙ってそれを許していた。
金髪はゴロンと横になり、テレビが付いているのに気付いた。
「ん? ソクちゃん、テレビ見てたの?」
「ああ。『ハルヤの食いしん坊万歳』をな」
「あっ、あいつらが新コーナー作りたいって騒いでたヤツ、もう実現したんだ?」
「お前、まだ見ていないのか? 遅れているな。今や大人気コーナーだぞ」
「しょーがないじゃんよ。俺、その時間、大抵、外に居んだから」
少し前のことだ。デッドプリンスがアイヴィーの家に遊びに来た。
家主にカルボナーラを作らせている間に、三人は何か打ち合わせをしていた。
「衣装はエプロンにしましょうよ! ピンクの!」
「おっ! イイねー。そいつは数字が稼げるカモ」
「や、やだ。エプロンで街ん中、歩くのは恥ずかしいよ」
「エプロンハルヤがいいですー。ピンクじゃなくて白でも良いですからー」
「エプロンならやんないよ、俺」
「そ、そんなー!」
アルフレッドが腕を組む。
「ハルヤが出てくれないのは困る。このコーナーはお前じゃなきゃダメだ」
「じゃあ、エプロンはなしってことで」
「…では、せめてマイクを持ってくれませんか!」
「まあ、マイクくらいならいっかな」
アイヴィーがテーブルに大皿を置く。
「なんだ? 仮装行列の打ち合わせか?」
「違いますよー。僕達、ハルヤの新コーナーを計画中なんです!」
放送前から三人に話は聞いていたものの、アイヴィーは実際の放送を見たことがなかった。
つい先日も遊びに来たアルフレッドはミートソース色の唇を尖らせていた。
「なんだよ、アイヴィー。ハルヤの新コーナー、まだ見てねえの?
俺様プロデュースの超人気コーナーなんだぜ?」
「悪ぃな。『週刊! 聖アルフォンソニュース』の時間はオシゴトしてるもんだから」
番組は、生徒達もランチタイムに見られるようにお昼時に放送していた。
その時間は、タクシーのハンドルを握っていたり、
警備の雑事に追われているアイヴィーは、なかなか番組を見る機会がなかった。
「見れないなら、録画しときゃイイじゃん」
「できたら、とっくにやってるよ。
お前さんらがガッツリ出演してる番組だから、録画プロテクトかかってんだろーが」
「ああ、そーいや、そっか」
「アイヴィーに見て貰えないなんてザンネンです」
カウンセラーは棚からビデオテープを取り出す。
「見たいなら見ていくか?」
「ソクちゃん、録画してあんの? 見たい見たいー」
「では、選りすぐりの『ハルヤ・コレクション』を見せてやろう」
「あれ? ちょい待ち」
「なんだ?」
「この番組、録画プロテクトかけてんじゃなかった?」
「ああ。このビデオテープはテレビを撮影したものだ」
「…んな身も蓋もないウラ技使ってんじゃねえよ!
どうせやるなら『解除ソフトを使いました』とかカッコイイこと言えよ!」
「これが最強の方法だろう。どんな高性能なプロテクトを使用しようとも形無しだからな」
「いや、そうですけども」
「このビデオテープは、ハルヤ達のカウンセリングデータとして必要なものだ」
「あんたに舐めるように見られてると知ったら、男の子だって泣くぞ!
てゆうか、今時8ミリビデオで撮影したんかい!」
「他に方法がないからな」
「デジカメはないのか、デジカメは!
てか、あんたの周りアナログ商品多過ぎだから。
iPodの時代にカセットテープ愛用してるし」
「アナログを馬鹿にするのか。デジタルと違ってデータ消滅することはない」
「でも、ビロンビロンになるでしょうが、テープは」
アイヴィーは警備責任者という立場上、8ミリテープを取り上げた。
「これは没収ですよ、スタニスラフ君。センセイが預かっておきます」
カウンセラーは動じる様子もなく、冗談に乗る。
「職員室まで行けば返して貰えるのか?」
「ダメに決まってんでしょ」
「反省文を書いても?」
「ダーメ!」
「融通の利かないセンセイだ」
「…生徒代表に報告しないだけでもカンシャしてよ」
追憶の塔。ここには警備組織の司令本部がある。
司令官であるアイヴィーが、コソコソと中へ入っていく。
顔馴染みの隊員が挙動不審な司令官に声を掛ける。
「司令…コソドロですか、貴方は」
司令官の肩が跳ねる。
「わっ! び、ビックリしたー」
「どうされたんですか、キョロキョロして」
「え? い、いやー、何でもないよ? 俺、ちょっと『映画館』に居るわ。
ダイジな資料見なきゃだから、暫く誰も入ってこないようにオネガイね?」
「了解しました」
司令官が勝手に『映画館』と呼んでいるのは、この塔内にある視聴覚室だ。
レトロな映写機を始め、OHP、最新の液晶プロジェクターまで揃っている。
犯罪者に関する資料映像や島の要所要所に設置されている防犯用カメラなどのチェックもできる。
いずれも、警備組織の人間にしか見せられないような極秘のフィルムだ。
司令官は持ってきた8ミリのビデオテープをセットする。
保健医から没収した違法録画テープだ。司令官は誰にともなく言い訳する。
「…テ、テープを処分する前に、ちょこっと見るだけだもん。
あいつらにも新コーナーを見ろって言われたし…」
再生ボタンを押す。違法映像が大きなスクリーンに映し出される、ハズだった。
「なっ…」
司令官は唖然と見つめる。スクリーンいっぱいに広がったのは。
「さあー、めーを、とーじてー」
煌めくミラーボール。輝く保健医。
ソクーロフが延々と熱唱しているビデオだった。
「これ『ソクーロフ・コレクション』じゃねえかよっ!」
fin
カウンセラー兼保健医は、テレビを見つめていた。
明るいBGMと共にコーナータイトルのテロップが映る。
「『ハルヤの食いしん坊万歳』。今日はライブハウス『バッカーノ』さんに来てみました」
画面の中でマイクを持っている――というより、持たされている感がある――眼鏡の男子高校生は、この学院の生徒だった。
去年から放送しているテレビ番組『週刊! 聖アルフォンソニュース』。
発案者のアルフレッドを始め、制作、出演の全てを学院生が務める貴重な番組で、島民には大変人気がある。
ただ、この学院の特性上、番組は島の外の世界に流すことは出来ない。
生徒の多くが、この島に居ることを知られたくない<訳あり>である為、
この番組は島内限定のローカル放送であり、
加えて、高セキュリティのコピーガードを施している。
録画・複製不可、この島でしか見ることが出来ない、プレミア番組だ。
その番組内に、最近、新しいコーナーが誕生した。
聖アルフォンソ島の美味しい物を紹介する『ハルヤの食いしん坊万歳』という、およそ5分のグルメコーナーだ。
カウンセラーはテレビを見ながら、時々ニヤリと笑みを零している。
この回、眼鏡の食いしん坊は、ライブハウスの前でレポートしていた。
「えっと、実は俺達、バンドを組んでて…あ、俺達っていうのは、
この番組のプロデューサーでメインキャスターのアルフレッドと、
今、カメラを持ってくれてるシルヴァンと俺、の三人です。
…え。バンド名も言うの? やだ…言いたくないよ…あの…デッドプリンスです…。
それで、えっと、このライブハウスにもお世話になってます。
本番前に、ここでよく食べさせて貰ってるのが、こちら」
グルメレポーターの前には、三段重ねのサンドイッチ。クラブハウスサンドのようだ。
トーストからはみ出すほどのローストチキン。
かなりボリュームのあるサンドイッチをレポーターはペロリと平らげる。
日頃から食べることが大好きな彼は、とても美味しそうに食べた。
それは彼のごく自然な表情であり、実際、演技などではないのだろう。
わざとらしい絶賛コメントを言う芸能人より、美味しさが伝わってくるくらいだ。
彼の番組進行は、お世辞にも上手いとは言えない。はっきり言ってしまえば、ぐだぐだ、ゆるゆるだ。
段取りを忘れたり間違えたりは、しょっちゅうで、
カメラマンに助け舟を出される遣り取りや、
明らかにカンニングペーパーを読んでいる様子も、ありのまま放送されている。
おそらく殆ど編集もせず、素のままを見せているのだろう。
そのたどたどしさ。
不慣れなレポーターを周りのスタッフがあれこれフォローしている様子が、視聴者には微笑ましく映ってならないのだ。
番組スタッフの仲の良さが画面から滲み出ていて、
自然と見るものを和ませる番組になっている。
しかし、全てが無計算に行われているわけではない、とカウンセラーは分析していた。
レポーターにシャイなハルヤ・コバヤシを抜擢し、
カメラマンにはレポーターと親しい友人を据えたセンス。
カウンセラーは、番組プロデューサーの手腕を感じていた。
テレビの中のレポーターは、一点に視線を集中させて話す。
「えっと、今度のサタデーナイト、夜の8時からこの『バッカーノ』さんで、俺達もライブをします。
良かったら来て下さい。待ってます…って、すみません、宣伝でした。
あ、そう言えば、この『バッカーノ』って、どういう意味なのかな?
…え? …へえ。イタリア語で『お祭り騒ぎ』かあ。シルヴァンって一家に一台あると便利だね。
…あ…いや、そういう意味じゃなくて…。もう…あの、では、また来週…」
頬を染めたレポーターが控えめに手を振る。
満足げなカウンセラーは、机に広げた三人分のカルテに、何かのメモを綴り始めた。
コンコンコン、小気味良いノックの音。
どうぞ、と言う前にドアが勝手に開いた。
「ちわー。ソクちゃーん、お昼寝させてー」
長い金髪の男。いつものようにルーズに締めたネクタイ。
そのだらしなさは、彼自身も隙のある人間、お気楽なキャラクタであるかのように錯覚させる効果が見受けられた。
この金髪は、表向きは学院専属のタクシードライバー。同時にこの島の警備責任者でもある。
昼の顔、夜の顔を持つ為、睡眠時間がきちんと確保できないことも多い。
空いた時間に、度々こうして保健室のベッドを借りに来る。
その辺の事情を知っている保健医は、金髪がベッドに寝そべる様子を見ても、黙ってそれを許していた。
金髪はゴロンと横になり、テレビが付いているのに気付いた。
「ん? ソクちゃん、テレビ見てたの?」
「ああ。『ハルヤの食いしん坊万歳』をな」
「あっ、あいつらが新コーナー作りたいって騒いでたヤツ、もう実現したんだ?」
「お前、まだ見ていないのか? 遅れているな。今や大人気コーナーだぞ」
「しょーがないじゃんよ。俺、その時間、大抵、外に居んだから」
少し前のことだ。デッドプリンスがアイヴィーの家に遊びに来た。
家主にカルボナーラを作らせている間に、三人は何か打ち合わせをしていた。
「衣装はエプロンにしましょうよ! ピンクの!」
「おっ! イイねー。そいつは数字が稼げるカモ」
「や、やだ。エプロンで街ん中、歩くのは恥ずかしいよ」
「エプロンハルヤがいいですー。ピンクじゃなくて白でも良いですからー」
「エプロンならやんないよ、俺」
「そ、そんなー!」
アルフレッドが腕を組む。
「ハルヤが出てくれないのは困る。このコーナーはお前じゃなきゃダメだ」
「じゃあ、エプロンはなしってことで」
「…では、せめてマイクを持ってくれませんか!」
「まあ、マイクくらいならいっかな」
アイヴィーがテーブルに大皿を置く。
「なんだ? 仮装行列の打ち合わせか?」
「違いますよー。僕達、ハルヤの新コーナーを計画中なんです!」
放送前から三人に話は聞いていたものの、アイヴィーは実際の放送を見たことがなかった。
つい先日も遊びに来たアルフレッドはミートソース色の唇を尖らせていた。
「なんだよ、アイヴィー。ハルヤの新コーナー、まだ見てねえの?
俺様プロデュースの超人気コーナーなんだぜ?」
「悪ぃな。『週刊! 聖アルフォンソニュース』の時間はオシゴトしてるもんだから」
番組は、生徒達もランチタイムに見られるようにお昼時に放送していた。
その時間は、タクシーのハンドルを握っていたり、
警備の雑事に追われているアイヴィーは、なかなか番組を見る機会がなかった。
「見れないなら、録画しときゃイイじゃん」
「できたら、とっくにやってるよ。
お前さんらがガッツリ出演してる番組だから、録画プロテクトかかってんだろーが」
「ああ、そーいや、そっか」
「アイヴィーに見て貰えないなんてザンネンです」
カウンセラーは棚からビデオテープを取り出す。
「見たいなら見ていくか?」
「ソクちゃん、録画してあんの? 見たい見たいー」
「では、選りすぐりの『ハルヤ・コレクション』を見せてやろう」
「あれ? ちょい待ち」
「なんだ?」
「この番組、録画プロテクトかけてんじゃなかった?」
「ああ。このビデオテープはテレビを撮影したものだ」
「…んな身も蓋もないウラ技使ってんじゃねえよ!
どうせやるなら『解除ソフトを使いました』とかカッコイイこと言えよ!」
「これが最強の方法だろう。どんな高性能なプロテクトを使用しようとも形無しだからな」
「いや、そうですけども」
「このビデオテープは、ハルヤ達のカウンセリングデータとして必要なものだ」
「あんたに舐めるように見られてると知ったら、男の子だって泣くぞ!
てゆうか、今時8ミリビデオで撮影したんかい!」
「他に方法がないからな」
「デジカメはないのか、デジカメは!
てか、あんたの周りアナログ商品多過ぎだから。
iPodの時代にカセットテープ愛用してるし」
「アナログを馬鹿にするのか。デジタルと違ってデータ消滅することはない」
「でも、ビロンビロンになるでしょうが、テープは」
アイヴィーは警備責任者という立場上、8ミリテープを取り上げた。
「これは没収ですよ、スタニスラフ君。センセイが預かっておきます」
カウンセラーは動じる様子もなく、冗談に乗る。
「職員室まで行けば返して貰えるのか?」
「ダメに決まってんでしょ」
「反省文を書いても?」
「ダーメ!」
「融通の利かないセンセイだ」
「…生徒代表に報告しないだけでもカンシャしてよ」
追憶の塔。ここには警備組織の司令本部がある。
司令官であるアイヴィーが、コソコソと中へ入っていく。
顔馴染みの隊員が挙動不審な司令官に声を掛ける。
「司令…コソドロですか、貴方は」
司令官の肩が跳ねる。
「わっ! び、ビックリしたー」
「どうされたんですか、キョロキョロして」
「え? い、いやー、何でもないよ? 俺、ちょっと『映画館』に居るわ。
ダイジな資料見なきゃだから、暫く誰も入ってこないようにオネガイね?」
「了解しました」
司令官が勝手に『映画館』と呼んでいるのは、この塔内にある視聴覚室だ。
レトロな映写機を始め、OHP、最新の液晶プロジェクターまで揃っている。
犯罪者に関する資料映像や島の要所要所に設置されている防犯用カメラなどのチェックもできる。
いずれも、警備組織の人間にしか見せられないような極秘のフィルムだ。
司令官は持ってきた8ミリのビデオテープをセットする。
保健医から没収した違法録画テープだ。司令官は誰にともなく言い訳する。
「…テ、テープを処分する前に、ちょこっと見るだけだもん。
あいつらにも新コーナーを見ろって言われたし…」
再生ボタンを押す。違法映像が大きなスクリーンに映し出される、ハズだった。
「なっ…」
司令官は唖然と見つめる。スクリーンいっぱいに広がったのは。
「さあー、めーを、とーじてー」
煌めくミラーボール。輝く保健医。
ソクーロフが延々と熱唱しているビデオだった。
「これ『ソクーロフ・コレクション』じゃねえかよっ!」
fin
■ロレートシナリオ
エドワード様の元へ伺った夜。
陛下の寝室から辞そうとすると、短く名を呼ばれた。
「子守唄にピアノを弾いていけ」
ご自分では弾けないのに、寝室にこのグランドピアノを置いている。
陛下は時折こうして、私にピアノを弾かせることがあった。
そのような夜は、陛下のお心がお疲れの時が多かった。
先日ふらりとやってきた、流しのピアニストの顔がちらりと浮かぶ。
「あのご学友が、今宵いらしたら良かったですね」
「ん?」
「私の拙い腕では、陛下のお慰みにならないのではと」
私は亡き義母に少し教わったことがあるだけで、あのピアニストには到底敵わない。
「プロの腕前を披露しろとは言っていないだろう?
俺はお前のピアノが聞きたいと言っているんだ」
陛下がピアノを欲するのは、どなたのせいなのだろう。ご学友か、やはり兄君だろうか。
「畏まりました」
陛下はベッドに入り、目を閉じられた。本当に眠る体勢だ。
私は軍服のまま、グランドピアノの前に座る。
決して多くはないレパートリーの中から、なるべく緩やかな曲を探す。
オーストリアの作曲家が作った子守唄を選んだ。
黒と白の板に触れながら、私はとりとめもないことを考えていた。
墓地で交わされた、陛下と殿下の言葉。
お二人にとって大切な、故人のこと。
陛下の側近だからかもしれない。
私はエドワード様のことを良くは思っていなかった。
陛下は過度に責任を感じている。ご自分のせいで兄君を失くしたと。
だが、カーディス様のどこに非があったと言うのだ。
突然、王位を授けられ、素行が荒れた若き王。
その為、国内がエドワード派、カーディス派に分裂。
カーディス派の人間にエドワード様が暗殺された。
私には、陛下に落ち度があったとは思えない。
陛下の素行が荒れたからと言って、エドワード様を殺していい理由などになるものか。
そんな凶行を企てる者なら、例え、カーディス様が誠実に王位を継ごうとしても、
エドワード様を再び担ぎ出そうとした動きが起こった可能性だってある。
そうなれば、やはりエドワード様は殺されただろう。
そもそも、カーディス様の素行が荒れた原因は、エドワード様の勝手な駆け落ちだ。
エドワード様が、幼少期から品行方正で誰にも優しい王子だったのは知っている。
全てを捨ててまで、一人の女性を愛した王子。
『王位を賭けた恋』などという美談に仕上げられているが、彼が行ったことは、
自己に課せられた王位という義務を、
弟君に――カーディス様に押し付けただけではないのか。
エドワード様を惑わせ、ロレートから攫った女。
それが闇の家系と呼ばれるグラント家。
前国王、あのお優しいお父上がご結婚に反対されたのも無理はない。
エドワード王子がクリスティーナ嬢と結ばれる前、まことしやかに囁かれた噂もある。
「グラントが次に飲み込む国は、ロレート公国か」と。
その噂も、エドワード様が王位継承権を放棄したことで勢いを失い、
クリスティーナ様の客死で完全に絶えたかのように思えた。
しかし、今になって、それは再び浮上するのではないだろうか。
ジョシュア様の身体にも流れているのだ。グラントの、闇の血が。
グラントの者が次期国王になれば、我が国は本当に――
鍵盤から手が離れる。ピアノの演奏を不自然に中断してしまった。
すみません、と言って振り返る。陛下の目は閉じたままだった。
静かに席を立って、お側まで行く。以前は、お戯れに眠ったフリをされたこともある。
あの時は、突然、腕を引かれて驚かされたものだが、今宵はどうだろうか。
ゆっくりと繰り返される息。本当に夢の中にいらっしゃるようだ。
お疲れだったのだろう。そっと毛布を掛け直す。
「おやすみなさいませ、陛下」
寝室を出ると、人に出くわした。
こちらを見て瞬いたのは、色素が欠乏した、紅の瞳だった。
→7-2
陛下の寝室から辞そうとすると、短く名を呼ばれた。
「子守唄にピアノを弾いていけ」
ご自分では弾けないのに、寝室にこのグランドピアノを置いている。
陛下は時折こうして、私にピアノを弾かせることがあった。
そのような夜は、陛下のお心がお疲れの時が多かった。
先日ふらりとやってきた、流しのピアニストの顔がちらりと浮かぶ。
「あのご学友が、今宵いらしたら良かったですね」
「ん?」
「私の拙い腕では、陛下のお慰みにならないのではと」
私は亡き義母に少し教わったことがあるだけで、あのピアニストには到底敵わない。
「プロの腕前を披露しろとは言っていないだろう?
俺はお前のピアノが聞きたいと言っているんだ」
陛下がピアノを欲するのは、どなたのせいなのだろう。ご学友か、やはり兄君だろうか。
「畏まりました」
陛下はベッドに入り、目を閉じられた。本当に眠る体勢だ。
私は軍服のまま、グランドピアノの前に座る。
決して多くはないレパートリーの中から、なるべく緩やかな曲を探す。
オーストリアの作曲家が作った子守唄を選んだ。
黒と白の板に触れながら、私はとりとめもないことを考えていた。
墓地で交わされた、陛下と殿下の言葉。
お二人にとって大切な、故人のこと。
陛下の側近だからかもしれない。
私はエドワード様のことを良くは思っていなかった。
陛下は過度に責任を感じている。ご自分のせいで兄君を失くしたと。
だが、カーディス様のどこに非があったと言うのだ。
突然、王位を授けられ、素行が荒れた若き王。
その為、国内がエドワード派、カーディス派に分裂。
カーディス派の人間にエドワード様が暗殺された。
私には、陛下に落ち度があったとは思えない。
陛下の素行が荒れたからと言って、エドワード様を殺していい理由などになるものか。
そんな凶行を企てる者なら、例え、カーディス様が誠実に王位を継ごうとしても、
エドワード様を再び担ぎ出そうとした動きが起こった可能性だってある。
そうなれば、やはりエドワード様は殺されただろう。
そもそも、カーディス様の素行が荒れた原因は、エドワード様の勝手な駆け落ちだ。
エドワード様が、幼少期から品行方正で誰にも優しい王子だったのは知っている。
全てを捨ててまで、一人の女性を愛した王子。
『王位を賭けた恋』などという美談に仕上げられているが、彼が行ったことは、
自己に課せられた王位という義務を、
弟君に――カーディス様に押し付けただけではないのか。
エドワード様を惑わせ、ロレートから攫った女。
それが闇の家系と呼ばれるグラント家。
前国王、あのお優しいお父上がご結婚に反対されたのも無理はない。
エドワード王子がクリスティーナ嬢と結ばれる前、まことしやかに囁かれた噂もある。
「グラントが次に飲み込む国は、ロレート公国か」と。
その噂も、エドワード様が王位継承権を放棄したことで勢いを失い、
クリスティーナ様の客死で完全に絶えたかのように思えた。
しかし、今になって、それは再び浮上するのではないだろうか。
ジョシュア様の身体にも流れているのだ。グラントの、闇の血が。
グラントの者が次期国王になれば、我が国は本当に――
鍵盤から手が離れる。ピアノの演奏を不自然に中断してしまった。
すみません、と言って振り返る。陛下の目は閉じたままだった。
静かに席を立って、お側まで行く。以前は、お戯れに眠ったフリをされたこともある。
あの時は、突然、腕を引かれて驚かされたものだが、今宵はどうだろうか。
ゆっくりと繰り返される息。本当に夢の中にいらっしゃるようだ。
お疲れだったのだろう。そっと毛布を掛け直す。
「おやすみなさいませ、陛下」
寝室を出ると、人に出くわした。
こちらを見て瞬いたのは、色素が欠乏した、紅の瞳だった。
→7-2
■ロレートシナリオ
私は後部座席のドアを開ける。殿下と陛下が車を降りる。
「お前とここに来るのは初めてだな」
「そう、ですね」
「やっと揃って、兄貴に顔が見せられる」
一面に広がる白い墓石。赤い陽を浴びて、細い影を落としている。
ここには著名な歴史上の人物も多い。『資本論』を執筆した経済学者から、
『犯罪界のナポレオン』と呼ばれた犯罪者まで、一様に眠っている。
生前どのように生きていても、いずれ皆、土に還る。
それだけが全ての人類へ平等に与えられた罰であり、救いなのだろう。
先導車、後続車に乗っていた護衛四人がこちらに来る。
そのうち一人が恭しく、私に花束を渡してくれた。
陛下と殿下の前方に二人、後方に二人の護衛が付く。
彼等が周囲に無言の圧力を掛けているおかげで、近寄ってくる無粋な者は居ない。
ただ、遠くの方で「ロレートの王様と王子様じゃない?」という声は聞こえていた。
陛下が歩き出す。その後方に殿下が続いた。
私は花束を持って、殿下の少し後ろを歩いた。
陛下は護衛が何人居ても気にならないご様子だが、
まだ慣れていない殿下は少し恐縮していらっしゃるようで、彼等をちらちら見ていた。
私は殿下にお声を掛けた。
「すみません、殿下。外出時は護衛を付けるのが原則なものですから。
彼等はお二人の邪魔は致しませんので、お気になさらず」
「あ、はい。解りました」
私一人でお守りできれば良いのだが、陛下と殿下がお揃いでのお出掛けだ。
用心に越したことはない。特に殿下は。
この墓地は歴史が古い故に、崩れ落ちた廟や、首のない天使像などもある。
夜中、ここを歩くには相応の覚悟が必要だろうが、
昼間は、緑豊かな森林を歩いているようなものだ。
鳥の鳴き声が楽しめるだろうし、キツネが我が物顔で散歩している。
殿下はキツネの姿を愛でながら歩いていた。馬に限らず他の動物もお好きらしい。
黄金色の小さな獣は、殿下の視線に気付いた。
ぞろぞろと歩く私達を珍しそうに眺めると、跳ねながら寄ってきた。
このような場所を住み家としていれば流石に人には慣れたものだろうが、
それにしても警戒心の薄い獣だ。キツネは殿下から1mほどの所まで来ると、
我々を真似するかのように、小さな足で付いてきた。
丸い黒目は、殿下を見上げながら、ひょこひょこと歩いている。
乗馬の時といい、この次期国王は動物を惹き付ける才能をお持ちなのだろうか。
お二人の歩みがひとつの石の前で止まった。
臣下は主の後方に控える。付いてきたキツネも止まった。
私は歩み出て、花束を陛下にお渡しする。
陛下が墓前に供えた。
「兄貴、クリスティーナ」
枝葉の影が墓石の隅に重なっていた。
「ジョシュアを次期国王に指名した。見守っていて欲しい」
私はお二人の背を見ながら、過去の残像を思い出していた。
13年前、ブラウン管を通して見た映像。
まだ5歳のジョシュア様は、父上の葬儀で、こう仰っていた。
「ねえ、ママ。パパ、どうして、箱の中でお休みしてるの?」
その時、お側に居て抱き締めて下さった母上も、
3年後には同じ場所で眠ることとなった。
ご両親を失ってから10年、殿下は再びこの場所に立っておられる。
今度は何も知らない子どもではない。
父上を失った理由も全て知った次期国王だ。
殿下は黙ったまま墓石を見つめていたが、足許に視線を落とした。
「どうした、ジョシュア」
陛下がお尋ねになると、殿下は小さな声で仰った。
「父は、俺を許してくれるでしょうか?」
「許す?」
「父は、自分と子孫の王位継承権を放棄したのに、俺はその意に反してしまったから」
座ったキツネが殿下のお顔を覗いている。
「ジョシュアの思う通りにやってごらん」
甥は顔を上げ、隣を見上げる。
「兄貴なら――お前の父なら、こう言うだろう」
殿下は俯いて、また口を閉ざした。
「ん? 違ったか?」
「似ていますね、声。本当に。貴方が隣に居ると解っているのに、
一瞬、父の声が聞こえたのかと思ってしまいました」
陛下はふっと笑う。
「似ているのは声だけさ。だが」
私は陛下の背を見ていた。
「俺のことは二番目の父ができたと思ってくれて構わない。俺は良い息子ができたと思ってる」
墓石に映った葉の影が揺れている。
殿下は、ありがとうございます、と呟いた。
→7
「お前とここに来るのは初めてだな」
「そう、ですね」
「やっと揃って、兄貴に顔が見せられる」
一面に広がる白い墓石。赤い陽を浴びて、細い影を落としている。
ここには著名な歴史上の人物も多い。『資本論』を執筆した経済学者から、
『犯罪界のナポレオン』と呼ばれた犯罪者まで、一様に眠っている。
生前どのように生きていても、いずれ皆、土に還る。
それだけが全ての人類へ平等に与えられた罰であり、救いなのだろう。
先導車、後続車に乗っていた護衛四人がこちらに来る。
そのうち一人が恭しく、私に花束を渡してくれた。
陛下と殿下の前方に二人、後方に二人の護衛が付く。
彼等が周囲に無言の圧力を掛けているおかげで、近寄ってくる無粋な者は居ない。
ただ、遠くの方で「ロレートの王様と王子様じゃない?」という声は聞こえていた。
陛下が歩き出す。その後方に殿下が続いた。
私は花束を持って、殿下の少し後ろを歩いた。
陛下は護衛が何人居ても気にならないご様子だが、
まだ慣れていない殿下は少し恐縮していらっしゃるようで、彼等をちらちら見ていた。
私は殿下にお声を掛けた。
「すみません、殿下。外出時は護衛を付けるのが原則なものですから。
彼等はお二人の邪魔は致しませんので、お気になさらず」
「あ、はい。解りました」
私一人でお守りできれば良いのだが、陛下と殿下がお揃いでのお出掛けだ。
用心に越したことはない。特に殿下は。
この墓地は歴史が古い故に、崩れ落ちた廟や、首のない天使像などもある。
夜中、ここを歩くには相応の覚悟が必要だろうが、
昼間は、緑豊かな森林を歩いているようなものだ。
鳥の鳴き声が楽しめるだろうし、キツネが我が物顔で散歩している。
殿下はキツネの姿を愛でながら歩いていた。馬に限らず他の動物もお好きらしい。
黄金色の小さな獣は、殿下の視線に気付いた。
ぞろぞろと歩く私達を珍しそうに眺めると、跳ねながら寄ってきた。
このような場所を住み家としていれば流石に人には慣れたものだろうが、
それにしても警戒心の薄い獣だ。キツネは殿下から1mほどの所まで来ると、
我々を真似するかのように、小さな足で付いてきた。
丸い黒目は、殿下を見上げながら、ひょこひょこと歩いている。
乗馬の時といい、この次期国王は動物を惹き付ける才能をお持ちなのだろうか。
お二人の歩みがひとつの石の前で止まった。
臣下は主の後方に控える。付いてきたキツネも止まった。
私は歩み出て、花束を陛下にお渡しする。
陛下が墓前に供えた。
「兄貴、クリスティーナ」
枝葉の影が墓石の隅に重なっていた。
「ジョシュアを次期国王に指名した。見守っていて欲しい」
私はお二人の背を見ながら、過去の残像を思い出していた。
13年前、ブラウン管を通して見た映像。
まだ5歳のジョシュア様は、父上の葬儀で、こう仰っていた。
「ねえ、ママ。パパ、どうして、箱の中でお休みしてるの?」
その時、お側に居て抱き締めて下さった母上も、
3年後には同じ場所で眠ることとなった。
ご両親を失ってから10年、殿下は再びこの場所に立っておられる。
今度は何も知らない子どもではない。
父上を失った理由も全て知った次期国王だ。
殿下は黙ったまま墓石を見つめていたが、足許に視線を落とした。
「どうした、ジョシュア」
陛下がお尋ねになると、殿下は小さな声で仰った。
「父は、俺を許してくれるでしょうか?」
「許す?」
「父は、自分と子孫の王位継承権を放棄したのに、俺はその意に反してしまったから」
座ったキツネが殿下のお顔を覗いている。
「ジョシュアの思う通りにやってごらん」
甥は顔を上げ、隣を見上げる。
「兄貴なら――お前の父なら、こう言うだろう」
殿下は俯いて、また口を閉ざした。
「ん? 違ったか?」
「似ていますね、声。本当に。貴方が隣に居ると解っているのに、
一瞬、父の声が聞こえたのかと思ってしまいました」
陛下はふっと笑う。
「似ているのは声だけさ。だが」
私は陛下の背を見ていた。
「俺のことは二番目の父ができたと思ってくれて構わない。俺は良い息子ができたと思ってる」
墓石に映った葉の影が揺れている。
殿下は、ありがとうございます、と呟いた。
→7
■ロレートシナリオ
程なくして、再びジョシュア様をロレートにお連れすることとなった。
皇太子殿下に課せられた儀式などの気詰まりな諸手続が行われるためだ。
今日の最後には、殿下が快諾された乗馬風景の取材が行われた。
なるべく混乱を避ける為、建国記念式典より日を置いたのだが、
陛下が公式行事にお顔を見せる時より、むしろカメラの数が多い。
王室の取材陣というのは、大体決まった顔が並ぶものだが、初めて見る顔も、ちらほら居る。
加えて、どうも女性記者の割合が高い。
華やかな衣が私の前を通る度、きつい香りがして眉を顰めた。
私は警備の任を遂行しつつ、殿下のお姿を拝見していた。
紅の乗馬服はよくお似合いで、その腕も確かなものだった。
颯爽と駆け抜けるお姿に、ご婦人方から時折溜め息さえ漏れ聞こえる。己の役得を感じているのだろう。
乗馬中、殿下は報道陣の存在を忘れたかのように、リラックスされたご様子だった。
気分転換になったのなら幸いだ。走り終わると、馬にも何かお言葉を掛けられていた。
たった数十分で親しくなった馬の背に乗り、ゆっくりとこちらに帰って来る。
報道陣が詰め掛ける。微かに地鳴りがした。
「ジョシュア王子、笑顔の写真を一枚!」
「王子、こちらもお願いします!」
「あ、はい」
「ジョシュア王子、初めて馬に乗ったのはいつごろですか?」
「そうですね…五歳、くらいからだったと思います」
「クリスティーナ様は乗馬の名手でしたね。お母様から手解きを?」
「ええ。大切なことは。でもあの頃はただ馬に乗せてもらうのが楽しかっただけで、
ちゃんと手綱を取れるようになったのは…もう少し後です」
「大切なこと、というのは?」
「馬は人間と同じ、だと」
幼少の頃からフラッシュを浴びることには慣れていたであろう殿下も、
直接マイクを向けられることは、今まで多くはなかった筈だ。
不慣れな状況ながらも、ひとつひとつ誠実にお答えになる。
それは私にとって珍しい光景だった。
私が今まで見てきたものは、カメラやマイクの前を突き通る、孤独な背中だ。
「悪いな。王子を借りていくぞ」
カーディス様がお見えになった。陛下、という声が次々と掛かる。
私も驚いた。この場にお姿を見せるとは思っていなかった。
殿下を捉えていたカメラやマイクが一斉に陛下へ向けられる。
「陛下、ぜひ殿下とご一緒のお写真を」
「断る。皆知っての通り、俺は王子ほど気前が良くないのでな」
「ではどうして、こちらに?」
「ジョシュア、迎えにきた。来い」
殿下は首を傾げている。殿下にはこの後の予定を伝えていなかった。
言わなくていい、と私は陛下に口止めされていた。
メディアに囲まれる殿下が万が一にも、その場所を漏らさない為に。
熱心な報道記者がICレコーダーを突き出している。
「陛下、殿下とこれから、何を?」
「今日はもう充分フィルムを使っただろう? 行くぞ、ジョシュア」
「は、はい。あの、今日はありがとうございました。失礼します」
報道陣へ丁寧に頭を下げて、陛下の後を追う。
陛下のお言葉もあったせいか、お二人の背をしつこく追い駆ける輩は居なかった。
カメラを背負い、携帯電話で社に連絡を入れる者など、帰り支度を始めたようだ。
おそらく、今得た収穫を一刻も早く国民に見せたいのだろう。
私の運転する車に、陛下と殿下がお乗りになる。
今日は公用車ではない。お忍び用の一般自動車だ。
バックミラーから後部座席のお二人が見える。
車内は走行音だけがBGMだった。
陛下は足を組み、窓の方を向いている。殿下は手を膝に置いていた。
気の利いた話題のひとつも浮かんでこない私は、
安全運転を心掛けてステアリングを切ることしかできなかった。
「カーディス…あ、いえ、陛下」
「どうした、ジョシュア。ラルヴィスの真似か?」
「いえ。俺、正式に皇太子になったから、もう貴方のことを名前で呼ぶのは不敬では…」
今までは、陛下のことをお名前でお呼びになったり、『カーディス叔父さん』と仰ることもあったのだ。
「学院の数少ない慣習を忘れたか、辺境の王子よ。
『学院の生徒同士は、学年を問わず、ファーストネームで呼び合う』だろう?
十八年、離れてはいるが、俺達は先輩と後輩には違いない。
それとも、卒業生はもう仲間に入れてくれぬのか?」
「あ、そういうわけでは…でも、レイナ卿、良いんでしょうか?」
殿下は私にお尋ねになった。皇太子が臣下に許可を取ることなどない。
「陛下がそう仰られているのですから、ご心配なく、殿下。
殿下さえ宜しければ、陛下の我が侭を聞いて差し上げて下さい」
「口の悪い臣下だな。それで、ジョシュア。俺に何を聞こうとした?」
「あの、これから、どこに行くんですか?」
陛下は空をご覧になりながら仰った。
「ここから一時間ばかり走ったところさ」
→6-2
皇太子殿下に課せられた儀式などの気詰まりな諸手続が行われるためだ。
今日の最後には、殿下が快諾された乗馬風景の取材が行われた。
なるべく混乱を避ける為、建国記念式典より日を置いたのだが、
陛下が公式行事にお顔を見せる時より、むしろカメラの数が多い。
王室の取材陣というのは、大体決まった顔が並ぶものだが、初めて見る顔も、ちらほら居る。
加えて、どうも女性記者の割合が高い。
華やかな衣が私の前を通る度、きつい香りがして眉を顰めた。
私は警備の任を遂行しつつ、殿下のお姿を拝見していた。
紅の乗馬服はよくお似合いで、その腕も確かなものだった。
颯爽と駆け抜けるお姿に、ご婦人方から時折溜め息さえ漏れ聞こえる。己の役得を感じているのだろう。
乗馬中、殿下は報道陣の存在を忘れたかのように、リラックスされたご様子だった。
気分転換になったのなら幸いだ。走り終わると、馬にも何かお言葉を掛けられていた。
たった数十分で親しくなった馬の背に乗り、ゆっくりとこちらに帰って来る。
報道陣が詰め掛ける。微かに地鳴りがした。
「ジョシュア王子、笑顔の写真を一枚!」
「王子、こちらもお願いします!」
「あ、はい」
「ジョシュア王子、初めて馬に乗ったのはいつごろですか?」
「そうですね…五歳、くらいからだったと思います」
「クリスティーナ様は乗馬の名手でしたね。お母様から手解きを?」
「ええ。大切なことは。でもあの頃はただ馬に乗せてもらうのが楽しかっただけで、
ちゃんと手綱を取れるようになったのは…もう少し後です」
「大切なこと、というのは?」
「馬は人間と同じ、だと」
幼少の頃からフラッシュを浴びることには慣れていたであろう殿下も、
直接マイクを向けられることは、今まで多くはなかった筈だ。
不慣れな状況ながらも、ひとつひとつ誠実にお答えになる。
それは私にとって珍しい光景だった。
私が今まで見てきたものは、カメラやマイクの前を突き通る、孤独な背中だ。
「悪いな。王子を借りていくぞ」
カーディス様がお見えになった。陛下、という声が次々と掛かる。
私も驚いた。この場にお姿を見せるとは思っていなかった。
殿下を捉えていたカメラやマイクが一斉に陛下へ向けられる。
「陛下、ぜひ殿下とご一緒のお写真を」
「断る。皆知っての通り、俺は王子ほど気前が良くないのでな」
「ではどうして、こちらに?」
「ジョシュア、迎えにきた。来い」
殿下は首を傾げている。殿下にはこの後の予定を伝えていなかった。
言わなくていい、と私は陛下に口止めされていた。
メディアに囲まれる殿下が万が一にも、その場所を漏らさない為に。
熱心な報道記者がICレコーダーを突き出している。
「陛下、殿下とこれから、何を?」
「今日はもう充分フィルムを使っただろう? 行くぞ、ジョシュア」
「は、はい。あの、今日はありがとうございました。失礼します」
報道陣へ丁寧に頭を下げて、陛下の後を追う。
陛下のお言葉もあったせいか、お二人の背をしつこく追い駆ける輩は居なかった。
カメラを背負い、携帯電話で社に連絡を入れる者など、帰り支度を始めたようだ。
おそらく、今得た収穫を一刻も早く国民に見せたいのだろう。
私の運転する車に、陛下と殿下がお乗りになる。
今日は公用車ではない。お忍び用の一般自動車だ。
バックミラーから後部座席のお二人が見える。
車内は走行音だけがBGMだった。
陛下は足を組み、窓の方を向いている。殿下は手を膝に置いていた。
気の利いた話題のひとつも浮かんでこない私は、
安全運転を心掛けてステアリングを切ることしかできなかった。
「カーディス…あ、いえ、陛下」
「どうした、ジョシュア。ラルヴィスの真似か?」
「いえ。俺、正式に皇太子になったから、もう貴方のことを名前で呼ぶのは不敬では…」
今までは、陛下のことをお名前でお呼びになったり、『カーディス叔父さん』と仰ることもあったのだ。
「学院の数少ない慣習を忘れたか、辺境の王子よ。
『学院の生徒同士は、学年を問わず、ファーストネームで呼び合う』だろう?
十八年、離れてはいるが、俺達は先輩と後輩には違いない。
それとも、卒業生はもう仲間に入れてくれぬのか?」
「あ、そういうわけでは…でも、レイナ卿、良いんでしょうか?」
殿下は私にお尋ねになった。皇太子が臣下に許可を取ることなどない。
「陛下がそう仰られているのですから、ご心配なく、殿下。
殿下さえ宜しければ、陛下の我が侭を聞いて差し上げて下さい」
「口の悪い臣下だな。それで、ジョシュア。俺に何を聞こうとした?」
「あの、これから、どこに行くんですか?」
陛下は空をご覧になりながら仰った。
「ここから一時間ばかり走ったところさ」
→6-2
■ロレートシナリオ
ドアを開けると、新鮮な風に迎えられた。
一国の王は、あたたかな日差しを浴びながら、身体を丸めていた。
今日は午睡されているようだ。
「…国民にこのようなお姿は見せられませんが、貴方様なら良いでしょう。
どうぞ驚かせてあげて下さい」
陛下のご学友は忍び足で陛下の元へ行く。
側に座ると、同級生の寝顔を見て、ふっと笑った。
「悪ガキのままだなー、お前も」
陛下の肩を揺する。長い指だ。
「カーディス、起きろよ」
「ん…」
「午前の授業終わったから、昼メシ行くぞ」
「昼…」
「早くしないと、漁師の後悔、売り切れちまうぜ」
私には意味が解らない。
けれど陛下は、その一言でお目覚めになった。
ご学友の顔を見た陛下とピアニストは、また再会したことを喜び合った。
「王様のくせに何やってんだよ、カーディス」
「光合成。日を浴びないと生きていけない」
「言い訳まで同じかよ」
「わざわざロレートまで来て、それほど俺が恋しかったのか?」
「バーカ。近くまで来たからちょっと寄ってみようかと思ったんだよ。
さっきロンドンでコンサートしてきたとこなんだ」
「ロンドンか。それは近いな」
「最初は、カーディスんちだけ見て、帰ろうと思ってたんだけどね。
で、お前んちの前ウロウロしてたら、ラルヴィスさんに会えたってわけ」
『クラシック界の異端児』、また『さすらいのピアノマン』と呼ばれる人。
コンサートの依頼は気まぐれに受けたり断ったりで、
年間スケジュールなどはご本人にも解らないらしい。
その為、ひとたび、コンサートの開催が決まればプラチナチケットとなる。
かと思えば、呼ばれてもいない場所に突然ふらりと現れ、ピアノを奏でて去っていく。
風のように生きているのだ。
私は一度だけ、この方の演奏を聴いた。プラチナチケットが入手できたからではない。
お二人が空港で再会した時のことだ。
陛下と彼が行った店はジャズバーで、小さなステージの脇にピアノがあった。
それを見つけた陛下が「久し振りに聞かせてくれ」と仰った。彼は「良いよー」と気軽に腰を上げた。
大きなコンサートホールを満席にする彼は、たった十数人の前で、惜しげもなく素晴らしい演奏を披露した。
私もピアノは多少弾けるが、彼のように自由で軽やかな弾き方はできない。
彼の長く綺麗な指は、まるで妖精が踊るように見えたものだ。
陛下はウイスキーを舐めながら「変わらないな」と呟いていた。
一曲終わると、こじんまりとした店に、大きな歓声と拍手が起きた。アンコールは三回もあった。
ピアニストは他の客達からお礼にと、飲み物やボトルをプレゼントされた。
その消費を手伝った陛下は、車にお乗せするのがやっとだった。
ご学友は私のことをちらちら見ながら言う。
「アポなしで来ちゃマズかったかなあ、やっぱ。お前、王様なんだもんね」
「構わんさ。丁度、退屈していたところだ」
そう仰って、にやりと笑う。陛下を退屈させていた私への仕返しだろう。
「ロンドンの次はどこへ行くんだ?」
「先のことなんて、まだ決めてないよ。せっかくだからロレートをぶらぶら見て行こっかな」
「今日のホテルは決めたのか?」
「ホテル? あー、忘れてた」
「ラルヴィス」
「了解致しました」
「え? 何? 何を了解?」
「今宵は泊まっていけ。もちろん、宿泊料は頂くぞ?」
「俺、そんな持ってないよ? 今日の出演料はまだだし」
「では身体で払って貰うしかないな」
「皿洗い?」
「お前の指にケガなどさせられるか」
「俺が絶対、皿割るみたいじゃん」
「割るだろう、お前は」
「割らないよ」
「ピアノだよ、ピアノ。そうだな、三曲は聞かせて貰うぞ」
ピアニストは、なーんだ、と言って笑う。そして、大仰に陛下の前に跪いた。
「仰せのままに、王様」
「止せ。お前に言われると気味が悪い」
「ったく。相変わらず口悪いなー、カーディス」
私はお二人を残し、部屋を出た。
ご友人がお泊まりになる部屋、食事の手配。
必要な情報を部下に伝えた後、陛下の元に戻るのは躊躇われた。
今は彼とご歓談中だろう。私など行くだけ邪魔になる。
あの時と同じだ。お二人が飲み明かした夜と同じ。
陛下は楽しそうだった。
執務室に閉じ込めておくよりずっと。
翌日。陛下はご学友に「暫く泊まっていけばいい」と仰ったが、
彼は「ひとつのトコに、長くは居られないから」と言って、またどこかへ流れていった。
→6-1
一国の王は、あたたかな日差しを浴びながら、身体を丸めていた。
今日は午睡されているようだ。
「…国民にこのようなお姿は見せられませんが、貴方様なら良いでしょう。
どうぞ驚かせてあげて下さい」
陛下のご学友は忍び足で陛下の元へ行く。
側に座ると、同級生の寝顔を見て、ふっと笑った。
「悪ガキのままだなー、お前も」
陛下の肩を揺する。長い指だ。
「カーディス、起きろよ」
「ん…」
「午前の授業終わったから、昼メシ行くぞ」
「昼…」
「早くしないと、漁師の後悔、売り切れちまうぜ」
私には意味が解らない。
けれど陛下は、その一言でお目覚めになった。
ご学友の顔を見た陛下とピアニストは、また再会したことを喜び合った。
「王様のくせに何やってんだよ、カーディス」
「光合成。日を浴びないと生きていけない」
「言い訳まで同じかよ」
「わざわざロレートまで来て、それほど俺が恋しかったのか?」
「バーカ。近くまで来たからちょっと寄ってみようかと思ったんだよ。
さっきロンドンでコンサートしてきたとこなんだ」
「ロンドンか。それは近いな」
「最初は、カーディスんちだけ見て、帰ろうと思ってたんだけどね。
で、お前んちの前ウロウロしてたら、ラルヴィスさんに会えたってわけ」
『クラシック界の異端児』、また『さすらいのピアノマン』と呼ばれる人。
コンサートの依頼は気まぐれに受けたり断ったりで、
年間スケジュールなどはご本人にも解らないらしい。
その為、ひとたび、コンサートの開催が決まればプラチナチケットとなる。
かと思えば、呼ばれてもいない場所に突然ふらりと現れ、ピアノを奏でて去っていく。
風のように生きているのだ。
私は一度だけ、この方の演奏を聴いた。プラチナチケットが入手できたからではない。
お二人が空港で再会した時のことだ。
陛下と彼が行った店はジャズバーで、小さなステージの脇にピアノがあった。
それを見つけた陛下が「久し振りに聞かせてくれ」と仰った。彼は「良いよー」と気軽に腰を上げた。
大きなコンサートホールを満席にする彼は、たった十数人の前で、惜しげもなく素晴らしい演奏を披露した。
私もピアノは多少弾けるが、彼のように自由で軽やかな弾き方はできない。
彼の長く綺麗な指は、まるで妖精が踊るように見えたものだ。
陛下はウイスキーを舐めながら「変わらないな」と呟いていた。
一曲終わると、こじんまりとした店に、大きな歓声と拍手が起きた。アンコールは三回もあった。
ピアニストは他の客達からお礼にと、飲み物やボトルをプレゼントされた。
その消費を手伝った陛下は、車にお乗せするのがやっとだった。
ご学友は私のことをちらちら見ながら言う。
「アポなしで来ちゃマズかったかなあ、やっぱ。お前、王様なんだもんね」
「構わんさ。丁度、退屈していたところだ」
そう仰って、にやりと笑う。陛下を退屈させていた私への仕返しだろう。
「ロンドンの次はどこへ行くんだ?」
「先のことなんて、まだ決めてないよ。せっかくだからロレートをぶらぶら見て行こっかな」
「今日のホテルは決めたのか?」
「ホテル? あー、忘れてた」
「ラルヴィス」
「了解致しました」
「え? 何? 何を了解?」
「今宵は泊まっていけ。もちろん、宿泊料は頂くぞ?」
「俺、そんな持ってないよ? 今日の出演料はまだだし」
「では身体で払って貰うしかないな」
「皿洗い?」
「お前の指にケガなどさせられるか」
「俺が絶対、皿割るみたいじゃん」
「割るだろう、お前は」
「割らないよ」
「ピアノだよ、ピアノ。そうだな、三曲は聞かせて貰うぞ」
ピアニストは、なーんだ、と言って笑う。そして、大仰に陛下の前に跪いた。
「仰せのままに、王様」
「止せ。お前に言われると気味が悪い」
「ったく。相変わらず口悪いなー、カーディス」
私はお二人を残し、部屋を出た。
ご友人がお泊まりになる部屋、食事の手配。
必要な情報を部下に伝えた後、陛下の元に戻るのは躊躇われた。
今は彼とご歓談中だろう。私など行くだけ邪魔になる。
あの時と同じだ。お二人が飲み明かした夜と同じ。
陛下は楽しそうだった。
執務室に閉じ込めておくよりずっと。
翌日。陛下はご学友に「暫く泊まっていけばいい」と仰ったが、
彼は「ひとつのトコに、長くは居られないから」と言って、またどこかへ流れていった。
→6-1
■ロレートシナリオ
王の執務室に居ると度々思う。
どのように素晴らしい御人でも、向き不向きの作業はあるものだと。
「進みませんね、陛下」
「悪かったな」
今日も今日とて、陛下の前に積まれた書類はなかなか減らない。
次期国王が決まったこともあり、ロレートと接触を図ろうとする者が増えているせいでもある。
お仕事は手伝えないが、お飲み物でも淹れて差し上げようと思った。
「コーヒーになさいますか?」
「ワイン」
「コーヒーですね。畏まりました」
私がコーヒーを淹れている間「少しのワインがあれば捗ると思うがなあ」というお戯れが聞こえたが、
私の耳には入らなかったことにした。
ブラックコーヒーを用意しつつ、ふと窓の向こうを見た。
すると、数人の部下が外へ走っていくのが見えた。様子が可笑しい。
私はさり気なく腕時計を見るフリをする。
コーヒーをお渡ししながら言った。
「すみません、少し打ち合わせがありますので、失礼致します」
「そうか。ゆっくり話し合ってこい」
「嬉しそうに仰らないで下さい」
執務室を辞して外へ向かう。廊下を曲がったところで、部下と鉢合わせた。
「ああ、閣下。今、伺うところでした」
「どうした」
「庭師が不審な男を発見したそうです」
「何だと」
庭師というのは、あの投げ込み文書を発見した男だろうか。
「今、警備の者が取り押さえています。行きましょう」
邸の外に数人集っている。その中央に白いワイシャツ姿の男。不審者というには爽やかな出で立ちだ。
輪の外で、帽子を握り締めて、成り行きを見守っているのは、庭師のケビン・ロロだった。
警備の者達は紺の制服を着ているので、不審者の白は一際目立った。
近付いていくと、彼等の声が聞こえてきた。
「俺、ちょっとカーディス元気かなーと思っただけで、何も悪いことは…」
「陛下を呼び捨てにするとは無礼者! それに陛下に来客予定などない」
「だから、ちょっとふらっと寄っただけで、約束はしてないんですってば」
「王の邸にふらっと来る奴など居るか!」
「あー、まあ、そうですけどー」
肩まである長い髪。東洋の顔立ちをしていたが、英語を話していた。
ゆるやかな口調。あっと思う。
その時、庭師が私に気付いた。
「あっ! レイナ卿ー! 僕、アヤシイ男、見付けましたー!」
皆がこちらを振り向く。
不審者扱いされていた彼も、私を見た。
「あれっ、ラルヴィスさん?」
彼の口から私の名前が出た途端、警備の者達は一歩後ろに下がった。
「助かったー。ラルヴィスさーん。すみませーん。助けてくださーい」
私は彼の顔を知っていた。
お会いしたのは、もう随分昔のことに思えるが、あれはほんの数ヶ月前。
陛下が直接、ジョシュア様に王位継承のお話をされた時のこと。
聖アルフォンソ島から帰国するところだった陛下と、
校歌作成の為に学院へ向かうところだった彼は、空港で偶然再会した。
あろうことか、お二人は搭乗予定のチケットをその場でキャンセルし、街へ繰り出した。
お二人とも翌日の予定があったと言うのに、酒宴は深夜まで延々続き、陛下は強かに酔ってしまわれた。
おかげで私は散々な思いをした。忘れる筈もない。
彼は聖アルフォンソ学院の卒業生であり、陛下と最も親しい同級生だ。
立場が逆転した部下と訪問者は、互いに気まずい顔になる。私も上官として頭を下げた。
「申し訳ありません。彼等は、貴方様のことを存じ上げず」
「ああ、いいんです、いいんです」
訪問者は開いた両手を上げて、お許しになった。
「昼間っからウロチョロ歩いてた俺がアヤシかったんだし。
なんか俺、ラルヴィスさんには迷惑掛けてばっかですね、すみません」
全くだ。
「いいえ。どうかお気になさらず」
「ラルヴィスさんは優しいなあ」
この場に陛下がいらしたら、きっと「こいつがか?」と笑っただろう。
「それにしても、よく私の名前など覚えていらっしゃいましたね。お会いしたのはあの時だけですのに」
「そりゃあ、覚えますよ。カーディスがあれだけラルヴィス、ラルヴィスって言ってたんですから」
彼の目にどう映ったのかは知らないが、あの夜、陛下はお酒を召されて、少し饒舌になっていただけだ。
「お時間がありましたら、陛下とお会いになりますか?」
「良いんですか?」
邸まで訪ねて来られたご学友を追い返したなどと陛下に知れたら、何を言われるか解らない。
「ええ。陛下もお喜びになるでしょう。ご案内します、どうぞ」
私達を警備の者達は敬礼して見送ってくれた。
『不審者』から『陛下のお客様』へ大出世した彼は、ぺこりと頭を下げながら歩いていた。
長い廊下を歩いていると、彼のほうから話し掛けて来た。
「俺、実は前にも、この辺りちょっと来たことがあったんですけど、
そん時は、普通にお邸の周り、散歩できたんですよねー。
でも、今回はすーぐ、とっ捕まっちゃって。警備、厳しくなったんですか?」
その身で経験された方に嘘など吐けない。「以前よりは」と答えた。
「ロレート、物騒になったんですか? もしかして、カーディス、誰かに狙われて…」
「いいえ。ご心配なく」
「そうですか? なら、いいんですけど。
あの、これ、どこに向かってるんですか? ずっと階段昇ってますけど」
「古い邸なものですから階段しかなくて恐れ入ります。
陛下のところに向かっていますよ。本当は執務室にいらっしゃる筈なのですが。
おそらく、こちらでしょう。さあ、着きました」
「でも、ここは」
「ええ。屋上ですよ」
→5-2
どのように素晴らしい御人でも、向き不向きの作業はあるものだと。
「進みませんね、陛下」
「悪かったな」
今日も今日とて、陛下の前に積まれた書類はなかなか減らない。
次期国王が決まったこともあり、ロレートと接触を図ろうとする者が増えているせいでもある。
お仕事は手伝えないが、お飲み物でも淹れて差し上げようと思った。
「コーヒーになさいますか?」
「ワイン」
「コーヒーですね。畏まりました」
私がコーヒーを淹れている間「少しのワインがあれば捗ると思うがなあ」というお戯れが聞こえたが、
私の耳には入らなかったことにした。
ブラックコーヒーを用意しつつ、ふと窓の向こうを見た。
すると、数人の部下が外へ走っていくのが見えた。様子が可笑しい。
私はさり気なく腕時計を見るフリをする。
コーヒーをお渡ししながら言った。
「すみません、少し打ち合わせがありますので、失礼致します」
「そうか。ゆっくり話し合ってこい」
「嬉しそうに仰らないで下さい」
執務室を辞して外へ向かう。廊下を曲がったところで、部下と鉢合わせた。
「ああ、閣下。今、伺うところでした」
「どうした」
「庭師が不審な男を発見したそうです」
「何だと」
庭師というのは、あの投げ込み文書を発見した男だろうか。
「今、警備の者が取り押さえています。行きましょう」
邸の外に数人集っている。その中央に白いワイシャツ姿の男。不審者というには爽やかな出で立ちだ。
輪の外で、帽子を握り締めて、成り行きを見守っているのは、庭師のケビン・ロロだった。
警備の者達は紺の制服を着ているので、不審者の白は一際目立った。
近付いていくと、彼等の声が聞こえてきた。
「俺、ちょっとカーディス元気かなーと思っただけで、何も悪いことは…」
「陛下を呼び捨てにするとは無礼者! それに陛下に来客予定などない」
「だから、ちょっとふらっと寄っただけで、約束はしてないんですってば」
「王の邸にふらっと来る奴など居るか!」
「あー、まあ、そうですけどー」
肩まである長い髪。東洋の顔立ちをしていたが、英語を話していた。
ゆるやかな口調。あっと思う。
その時、庭師が私に気付いた。
「あっ! レイナ卿ー! 僕、アヤシイ男、見付けましたー!」
皆がこちらを振り向く。
不審者扱いされていた彼も、私を見た。
「あれっ、ラルヴィスさん?」
彼の口から私の名前が出た途端、警備の者達は一歩後ろに下がった。
「助かったー。ラルヴィスさーん。すみませーん。助けてくださーい」
私は彼の顔を知っていた。
お会いしたのは、もう随分昔のことに思えるが、あれはほんの数ヶ月前。
陛下が直接、ジョシュア様に王位継承のお話をされた時のこと。
聖アルフォンソ島から帰国するところだった陛下と、
校歌作成の為に学院へ向かうところだった彼は、空港で偶然再会した。
あろうことか、お二人は搭乗予定のチケットをその場でキャンセルし、街へ繰り出した。
お二人とも翌日の予定があったと言うのに、酒宴は深夜まで延々続き、陛下は強かに酔ってしまわれた。
おかげで私は散々な思いをした。忘れる筈もない。
彼は聖アルフォンソ学院の卒業生であり、陛下と最も親しい同級生だ。
立場が逆転した部下と訪問者は、互いに気まずい顔になる。私も上官として頭を下げた。
「申し訳ありません。彼等は、貴方様のことを存じ上げず」
「ああ、いいんです、いいんです」
訪問者は開いた両手を上げて、お許しになった。
「昼間っからウロチョロ歩いてた俺がアヤシかったんだし。
なんか俺、ラルヴィスさんには迷惑掛けてばっかですね、すみません」
全くだ。
「いいえ。どうかお気になさらず」
「ラルヴィスさんは優しいなあ」
この場に陛下がいらしたら、きっと「こいつがか?」と笑っただろう。
「それにしても、よく私の名前など覚えていらっしゃいましたね。お会いしたのはあの時だけですのに」
「そりゃあ、覚えますよ。カーディスがあれだけラルヴィス、ラルヴィスって言ってたんですから」
彼の目にどう映ったのかは知らないが、あの夜、陛下はお酒を召されて、少し饒舌になっていただけだ。
「お時間がありましたら、陛下とお会いになりますか?」
「良いんですか?」
邸まで訪ねて来られたご学友を追い返したなどと陛下に知れたら、何を言われるか解らない。
「ええ。陛下もお喜びになるでしょう。ご案内します、どうぞ」
私達を警備の者達は敬礼して見送ってくれた。
『不審者』から『陛下のお客様』へ大出世した彼は、ぺこりと頭を下げながら歩いていた。
長い廊下を歩いていると、彼のほうから話し掛けて来た。
「俺、実は前にも、この辺りちょっと来たことがあったんですけど、
そん時は、普通にお邸の周り、散歩できたんですよねー。
でも、今回はすーぐ、とっ捕まっちゃって。警備、厳しくなったんですか?」
その身で経験された方に嘘など吐けない。「以前よりは」と答えた。
「ロレート、物騒になったんですか? もしかして、カーディス、誰かに狙われて…」
「いいえ。ご心配なく」
「そうですか? なら、いいんですけど。
あの、これ、どこに向かってるんですか? ずっと階段昇ってますけど」
「古い邸なものですから階段しかなくて恐れ入ります。
陛下のところに向かっていますよ。本当は執務室にいらっしゃる筈なのですが。
おそらく、こちらでしょう。さあ、着きました」
「でも、ここは」
「ええ。屋上ですよ」
→5-2
■ロレートシナリオ
次期国王が決定してから、もう暫く過ぎた。
国内も徐々に日常の落ち着きを取り戻していた。
ジョシュア殿下への悪質な手紙も、あれ以来届いていない。
陛下にお伝えしなかったのは正しい判断だったようだ。
「本日もお疲れ様でした、陛下。おやすみなさいませ」
また一日が終わり、私は王の寝室から去ろうとした。
「ラル」
私を短く呼んだ。
「何です?」
王は窓の方を向く。
「お前には見えないのか? 今宵は良い月夜だぞ?」
満月なのだろうかと見上げる。違った。
半円よりやや丸く、円には大分足りない。良い月夜、と言うには賛同し兼ねた。
「月が何か?」
「ここ暫く式典の準備や事後処理に追われていたからな。
お前とゆっくり過ごせなかっただろう?」
「式典の有無に関わらず、毎日お側に居るではありませんか」
「月を肴に少し飲みたい。付き合え」
「それは、ご命令でしょうか?」
「ああ」
私は主に頭を下げる。
「畏まりました。ご用意致します」
窓に月。テーブルにワインボトル。
私個人は白の方が好むのだが、主は赤を好むので、赤を選んだ。
トクトクと水音を聞きながら、お注ぎする。
赤黒い液体が満ちると、主にボトルを奪われて、私のグラスに目一杯注がれた。
主がグラスを持ち上げるので私も倣う。
陛下は、月に、と言って私のグラスを鳴らした。
主が飲まれてから、私もグラスに口付ける。
赤ワインに撫でられた痕が熱い。
私はそれほど酒に強くはなかったので、後は舐める程度にしか頂かなかった。
従者が主の御前で泥酔するわけにはいかない。
尤も、相手が主でなくとも、そのような醜態は、自分の前でも、晒したくはない。
王は最初に宣言された通り、月を肴にグラスを傾けていた。
話し掛けられるまで、私も静かに月を観賞していようと思う。
けれど、やはり満月より劣る。まるで、力ない風船のようだ。
肺活量の低い子供が膨らましきれなかったようにも見え、
あるいは、時が経つにつれ萎んできたようでもある。
王が良い月夜と言ったのは、ただの口実だろうか。
月から王に視線を移すと、目が合った。
「久しいな」にやりと笑う。「月とお前を愛でるのも」
「月とお前を、ではなく、月をお前と、では?」
「それでは、愛でる対象が、月だけになってしまうだろう?」
王は椅子に深く凭れた。
「――ああ、至福だ」
国主の至福がこれほどささやかなことで良いのだろうか。
私は思わず言葉を漏らしていた。
「可笑しな御人です」
「ん?」
「月を愛でるお相手なら、従者より姫君の方が宜しいでしょう」
言ってしまってから、何も今、申し上げることではなかったと悔いた。陛下は笑って仰る。
「遠回しに、俺の相手は嫌だと言っているのか?」
ご気分を害された様子はなかった。私は少し逡巡した後、普段から思っていたことを口にした。
「いいえ。心からの疑問です。何故、我がロレート大公は后を選ぼうともしないのでしょう」
次期国王が決まった故、陛下にお世継ぎが居ないことへの批判はもう聞かなくなった。
陛下にお子様がないからこそ、血筋上の王位継承権第一位が甥のジョシュア様であり、
王位継承法を多少修正する程度で次期国王に指名することができたのだ。
もし、陛下にご子息があれば、こう円滑に事は運ばなかったであろう。
陛下は、兄君を失って以来、王位をジョシュア様に継がせることをお考えだったと言う。
だとしても、陛下が后を選ばない理由には成り難い。
『罪人は幸福になってはいけない』そんな戒律が王の中にあるような気がしてならないのだ。
陛下の表情を伺うと、少し重そうな瞼で微笑まれた。ワインか、睡魔のせいだろう。
「そんなことも解らぬのか、俺の右腕は」
「至らず、申し訳ありません。お教え頂けますか? 陛下」
陛下は右の拳で頬を支える。ブロンズグレイの髪が揺れた。
「俺には、お前が居れば良い」
ああ、ワインのせいか。
「そうやって、話をお逸しになる」
陛下は手の中でグラスを揺らし、赤い水面を弄んでいる。
「ポーカーはしていないぞ」
ポーカーフェイスを気取っているわけではない。無表情な顔しか見せられないのだ。
表情筋の衰弱ではなく、つまらない自尊心のせい。
王のお戯れにいちいち頬を染めるような輩ではこの御方の側近は務まらない――そう思いたい。
「少しは動揺して見せろ、ラル」
「実力でどうぞ」
陛下がグラスを置く。
「上等だ」
私は再び半端な月を見た。
あれは、これから満ちるところなのだろうか、欠けるところなのだろうか。
→5-1
国内も徐々に日常の落ち着きを取り戻していた。
ジョシュア殿下への悪質な手紙も、あれ以来届いていない。
陛下にお伝えしなかったのは正しい判断だったようだ。
「本日もお疲れ様でした、陛下。おやすみなさいませ」
また一日が終わり、私は王の寝室から去ろうとした。
「ラル」
私を短く呼んだ。
「何です?」
王は窓の方を向く。
「お前には見えないのか? 今宵は良い月夜だぞ?」
満月なのだろうかと見上げる。違った。
半円よりやや丸く、円には大分足りない。良い月夜、と言うには賛同し兼ねた。
「月が何か?」
「ここ暫く式典の準備や事後処理に追われていたからな。
お前とゆっくり過ごせなかっただろう?」
「式典の有無に関わらず、毎日お側に居るではありませんか」
「月を肴に少し飲みたい。付き合え」
「それは、ご命令でしょうか?」
「ああ」
私は主に頭を下げる。
「畏まりました。ご用意致します」
窓に月。テーブルにワインボトル。
私個人は白の方が好むのだが、主は赤を好むので、赤を選んだ。
トクトクと水音を聞きながら、お注ぎする。
赤黒い液体が満ちると、主にボトルを奪われて、私のグラスに目一杯注がれた。
主がグラスを持ち上げるので私も倣う。
陛下は、月に、と言って私のグラスを鳴らした。
主が飲まれてから、私もグラスに口付ける。
赤ワインに撫でられた痕が熱い。
私はそれほど酒に強くはなかったので、後は舐める程度にしか頂かなかった。
従者が主の御前で泥酔するわけにはいかない。
尤も、相手が主でなくとも、そのような醜態は、自分の前でも、晒したくはない。
王は最初に宣言された通り、月を肴にグラスを傾けていた。
話し掛けられるまで、私も静かに月を観賞していようと思う。
けれど、やはり満月より劣る。まるで、力ない風船のようだ。
肺活量の低い子供が膨らましきれなかったようにも見え、
あるいは、時が経つにつれ萎んできたようでもある。
王が良い月夜と言ったのは、ただの口実だろうか。
月から王に視線を移すと、目が合った。
「久しいな」にやりと笑う。「月とお前を愛でるのも」
「月とお前を、ではなく、月をお前と、では?」
「それでは、愛でる対象が、月だけになってしまうだろう?」
王は椅子に深く凭れた。
「――ああ、至福だ」
国主の至福がこれほどささやかなことで良いのだろうか。
私は思わず言葉を漏らしていた。
「可笑しな御人です」
「ん?」
「月を愛でるお相手なら、従者より姫君の方が宜しいでしょう」
言ってしまってから、何も今、申し上げることではなかったと悔いた。陛下は笑って仰る。
「遠回しに、俺の相手は嫌だと言っているのか?」
ご気分を害された様子はなかった。私は少し逡巡した後、普段から思っていたことを口にした。
「いいえ。心からの疑問です。何故、我がロレート大公は后を選ぼうともしないのでしょう」
次期国王が決まった故、陛下にお世継ぎが居ないことへの批判はもう聞かなくなった。
陛下にお子様がないからこそ、血筋上の王位継承権第一位が甥のジョシュア様であり、
王位継承法を多少修正する程度で次期国王に指名することができたのだ。
もし、陛下にご子息があれば、こう円滑に事は運ばなかったであろう。
陛下は、兄君を失って以来、王位をジョシュア様に継がせることをお考えだったと言う。
だとしても、陛下が后を選ばない理由には成り難い。
『罪人は幸福になってはいけない』そんな戒律が王の中にあるような気がしてならないのだ。
陛下の表情を伺うと、少し重そうな瞼で微笑まれた。ワインか、睡魔のせいだろう。
「そんなことも解らぬのか、俺の右腕は」
「至らず、申し訳ありません。お教え頂けますか? 陛下」
陛下は右の拳で頬を支える。ブロンズグレイの髪が揺れた。
「俺には、お前が居れば良い」
ああ、ワインのせいか。
「そうやって、話をお逸しになる」
陛下は手の中でグラスを揺らし、赤い水面を弄んでいる。
「ポーカーはしていないぞ」
ポーカーフェイスを気取っているわけではない。無表情な顔しか見せられないのだ。
表情筋の衰弱ではなく、つまらない自尊心のせい。
王のお戯れにいちいち頬を染めるような輩ではこの御方の側近は務まらない――そう思いたい。
「少しは動揺して見せろ、ラル」
「実力でどうぞ」
陛下がグラスを置く。
「上等だ」
私は再び半端な月を見た。
あれは、これから満ちるところなのだろうか、欠けるところなのだろうか。
→5-1
■ロレートシナリオ
■陛下と殿下と3 続編
■陛下と殿下と3 続編
屋敷の頂上に出ると、眩しい日の光に出迎えられた。
ここからはロレートの美しい街並みが見渡せる。
陛下でなくとも、この風景は「絶景」だと言えるだろう。
だからこそ、執務の合間、ここで息抜きをされることも多い。
「陛下、いらっしゃいませんか」
靴音を響かせながら呼び掛ける。
「居ないぞ、他を探せ」
ゆったりとした返答があった。聞き違えることもない。主の声だ。
声を辿っていく。王は空に顔を向け、腕を枕にしていた。
目は閉じているが、眠っているのではないのだろう。
ブロンズグレイの長い髪を砂埃で汚すことに抵抗は全くないらしい。
組んだ足を鼻歌交じりに機嫌良く揺らしている。この御姿も、もはや見慣れたものだ。
民は知らないだろう。
カーディス国王陛下がこのように従者の手を煩わせていることも、
あたたかな陽を浴びて、お寛ぎのお顔も。
主のお側に行き、無意識に片膝を落とす。
立ったまま、王を見下ろす姿勢は取れない。これはそういう身体なのだ。
「陛下、執務中のかくれんぼはお控え頂けませんか」
我ながら国主に仕える者の言葉とは思えない。
これでは子供を諭す親だ。
少年の心を大切にする王は、腰を上げる様子もない。
「探しに来るのが遅かったな。先程は何の用事だったんだ?」
私は眉一つ動かさないように努めて言った。
「近隣諸国からお祝いのお手紙が届いているとの知らせでした。
パーティへのお誘いも幾つか来ていますが?」
「必要ないものは断れ。人混みは好まん。シャイなものでな」
言いながら、ご自分で笑っている。
「ではいつものように丁重にお断りしておきます。さあ、陛下。参りましょう」
王は、仕方ない、と笑って右手を差し出した。
「ラルヴィス、手を貸せ」
→4
ここからはロレートの美しい街並みが見渡せる。
陛下でなくとも、この風景は「絶景」だと言えるだろう。
だからこそ、執務の合間、ここで息抜きをされることも多い。
「陛下、いらっしゃいませんか」
靴音を響かせながら呼び掛ける。
「居ないぞ、他を探せ」
ゆったりとした返答があった。聞き違えることもない。主の声だ。
声を辿っていく。王は空に顔を向け、腕を枕にしていた。
目は閉じているが、眠っているのではないのだろう。
ブロンズグレイの長い髪を砂埃で汚すことに抵抗は全くないらしい。
組んだ足を鼻歌交じりに機嫌良く揺らしている。この御姿も、もはや見慣れたものだ。
民は知らないだろう。
カーディス国王陛下がこのように従者の手を煩わせていることも、
あたたかな陽を浴びて、お寛ぎのお顔も。
主のお側に行き、無意識に片膝を落とす。
立ったまま、王を見下ろす姿勢は取れない。これはそういう身体なのだ。
「陛下、執務中のかくれんぼはお控え頂けませんか」
我ながら国主に仕える者の言葉とは思えない。
これでは子供を諭す親だ。
少年の心を大切にする王は、腰を上げる様子もない。
「探しに来るのが遅かったな。先程は何の用事だったんだ?」
私は眉一つ動かさないように努めて言った。
「近隣諸国からお祝いのお手紙が届いているとの知らせでした。
パーティへのお誘いも幾つか来ていますが?」
「必要ないものは断れ。人混みは好まん。シャイなものでな」
言いながら、ご自分で笑っている。
「ではいつものように丁重にお断りしておきます。さあ、陛下。参りましょう」
王は、仕方ない、と笑って右手を差し出した。
「ラルヴィス、手を貸せ」
→4
■ロレートシナリオ
■陛下と殿下と3 続編
■陛下と殿下と3 続編
――まさか、寝室だろうか。午睡されていなければいいが。
王の寝室に向かう。長い廊下を歩きながら、このところのスケジュールを省みる。
建国記念式典に前後して、通常よりは、やはり過密だった。
式典も終わり、ひと息吐けるようになった今、陛下もご心労を感じているのかもしれない。
身体も心もお強い御方だが、その懐刀となってからは、屈強ではない王も見ている。
次期国王が決まった現国王は、どのような御心なのだろう。
寝室の扉を前にして迷う。
もし、午睡されていたら、起こすべきだろうか。
側近という立場上は致し方ない。けれど。
王の姿を確認してから決めよう。扉をノックする。
「レイナです。失礼致します」
陽の差す寝室。王は弾けないグランドピアノが鎮座している。
大きく柔らかいベッドには、誰も居ない。
綺麗にメイキングされた状態だった。私は息を吐いていた。
何故、寝室などに来てしまったのだろう。
他の場所を考える。王が空を見ている光景が浮かんだ。
「屋上か。高い所がお好きだからな、あの御方は」
→3-b
王の寝室に向かう。長い廊下を歩きながら、このところのスケジュールを省みる。
建国記念式典に前後して、通常よりは、やはり過密だった。
式典も終わり、ひと息吐けるようになった今、陛下もご心労を感じているのかもしれない。
身体も心もお強い御方だが、その懐刀となってからは、屈強ではない王も見ている。
次期国王が決まった現国王は、どのような御心なのだろう。
寝室の扉を前にして迷う。
もし、午睡されていたら、起こすべきだろうか。
側近という立場上は致し方ない。けれど。
王の姿を確認してから決めよう。扉をノックする。
「レイナです。失礼致します」
陽の差す寝室。王は弾けないグランドピアノが鎮座している。
大きく柔らかいベッドには、誰も居ない。
綺麗にメイキングされた状態だった。私は息を吐いていた。
何故、寝室などに来てしまったのだろう。
他の場所を考える。王が空を見ている光景が浮かんだ。
「屋上か。高い所がお好きだからな、あの御方は」
→3-b
■オーギュスト×アンリ
聖アルフォンソ学院 研究室棟。
教授陣が住まいとは別に与えられている、学問の空間。
講義がない時間は、ここに居ることが多い。
先生に質問や相談がある生徒はこの研究室に訪れる。
神秘学の教授は、一人で紅茶を飲みながら、
学会から送られてくる論文集に目を通していた。
電話が鳴る。ティーカップを置いて、受話器を取る。
「はい、ボージェです」
「学務課のスティーブです。今、よろしいでしょうか?」
快活な青年の声。面識のある職員だ。生徒の成績表などは彼に提出している。
「何でしょう?」
「先生に夏期講習新設の申し込みがありましたので、お電話しました」
「私に?」
「ええ。こちらに申請がありました。生徒の希望は…」
語尾に紙の音が重なって聞こえる。
「期間は八月いっぱい。一日一コマを週三回程度。
講習は教授と一対一のプライベートレッスンで、とのことです。
先生のご都合はいかがでしょうか?」
教授はその日のうちに、生徒に会いに行くことにした。
研究室棟から外に出ると、七月の強い光を浴びた。
常春の聖アルフォンソ島とは言え、流石に今月の太陽は眩しい。
この時期は学院のプライベートビーチへ泳ぎに行く生徒も多い。
そう言えば、自分が最後に海に行ったのは一体いつだろう、
などと考えているうちに目的の寮に着いた。
本人の許可なく部屋に入り、紅茶を飲みながら待つ。
寮内の温度管理は完璧で、あたたかいセイロンが美味しかった。
そのうちに、耳に馴染んだ足音が聞こえてきた。
教授はもうひとつのカップに紅茶を注ぐ。
砂糖を二杯入れて攪拌する。シャリシャリと紅い水底が鳴った。
間もなく部屋に戻ってきた生徒には、冷たい眼差しを向けられた。
「…オーギュスト。部屋に勝手に入るなって言っているでしょう?」
生徒は金融工学のテキストを机の右端に立て掛ける。
「学務課から連絡があったよ」
ゆっくりと生徒が振り向く。少し伸びてきた宵闇の髪が目許に掛かる。
教授は紅茶のカップを差し出す。
「アンリ、神秘学の夏期講習を作って欲しいそうだね?」
「ああ、その話?」
カップを受け取ってベッドに座る。紅茶の水色を確かめるように、水面を見つめて言う。
「聖アルフォンソ学院では、生徒の知的好奇心が特別に尊重される。
教授側に拒否権はないと思うけれど。旅行にでも出掛ける予定だった? ボージェ教授」
「ううん。喜んでお引き受けするよ」
生徒は短く、そう、と言って、紅茶に口付けた。教授はカップを片手に微笑む。
「光栄だね。アンリと二人きりで、夏のひとときを過ごせるなんて」
教授の予想通り、生徒の眉が少しつり上がる。
「変な言い方しないで。夏は少し暇になるから、君に退屈凌ぎになって貰うだけだ」
教授は口許を手で隠す。生徒の視線がますます冷たくなる。
無言のまま、教授は、失礼、と片手を上げる。
「夏期講習の詳細を決めようと思って来たんだ。日程は月、水、金曜日の16時からでどうかな?」
生徒は頷いて了承する。
「教室は、いつもと同じ、第二化学室で良いのかい?」
ぶっきらぼうな声が「どこでもいい」と答える。
「では学務課にはそのように伝えておくよ」
教師と生徒がカップを傾ける。口当たりの良い渋み。
標高900~1500mの高地で、冷たい季節風に耐えたタフな味わいだ。
「ところで、アンリ。他のウーティスの子達は、夏期休暇を取るのかね?」
「そうらしいけれど?」
「成程」
教授は鷹揚に頷いた。
「彼もかね? アンリとよく一緒に居る、緋色の瞳の…」
「ジョシュア?」
「ああ、そう。彼も居なくなってしまうのかね?」
ねえ、と生徒が不満を露わにする。
「どうして、そんなこと聞くの? 君には関係ないでしょ? ボージェ教授」
「ああ、すまない。話が逸れてしまったね。
夏期講習では何について勉強しようか。何かリクエストはあるのかな?」
「別に。君に任せる」
「おや。私に任せてしまって良いのかね?」
生徒はツンと澄ました顔で言う。
「僕を退屈させなければね」
教授は生徒の頭に手を置く。
「アンリとの夏期講習、楽しみにしているね」
一瞬遅れて、邪魔、というように手が振り払われた。
fin
教授陣が住まいとは別に与えられている、学問の空間。
講義がない時間は、ここに居ることが多い。
先生に質問や相談がある生徒はこの研究室に訪れる。
神秘学の教授は、一人で紅茶を飲みながら、
学会から送られてくる論文集に目を通していた。
電話が鳴る。ティーカップを置いて、受話器を取る。
「はい、ボージェです」
「学務課のスティーブです。今、よろしいでしょうか?」
快活な青年の声。面識のある職員だ。生徒の成績表などは彼に提出している。
「何でしょう?」
「先生に夏期講習新設の申し込みがありましたので、お電話しました」
「私に?」
「ええ。こちらに申請がありました。生徒の希望は…」
語尾に紙の音が重なって聞こえる。
「期間は八月いっぱい。一日一コマを週三回程度。
講習は教授と一対一のプライベートレッスンで、とのことです。
先生のご都合はいかがでしょうか?」
教授はその日のうちに、生徒に会いに行くことにした。
研究室棟から外に出ると、七月の強い光を浴びた。
常春の聖アルフォンソ島とは言え、流石に今月の太陽は眩しい。
この時期は学院のプライベートビーチへ泳ぎに行く生徒も多い。
そう言えば、自分が最後に海に行ったのは一体いつだろう、
などと考えているうちに目的の寮に着いた。
本人の許可なく部屋に入り、紅茶を飲みながら待つ。
寮内の温度管理は完璧で、あたたかいセイロンが美味しかった。
そのうちに、耳に馴染んだ足音が聞こえてきた。
教授はもうひとつのカップに紅茶を注ぐ。
砂糖を二杯入れて攪拌する。シャリシャリと紅い水底が鳴った。
間もなく部屋に戻ってきた生徒には、冷たい眼差しを向けられた。
「…オーギュスト。部屋に勝手に入るなって言っているでしょう?」
生徒は金融工学のテキストを机の右端に立て掛ける。
「学務課から連絡があったよ」
ゆっくりと生徒が振り向く。少し伸びてきた宵闇の髪が目許に掛かる。
教授は紅茶のカップを差し出す。
「アンリ、神秘学の夏期講習を作って欲しいそうだね?」
「ああ、その話?」
カップを受け取ってベッドに座る。紅茶の水色を確かめるように、水面を見つめて言う。
「聖アルフォンソ学院では、生徒の知的好奇心が特別に尊重される。
教授側に拒否権はないと思うけれど。旅行にでも出掛ける予定だった? ボージェ教授」
「ううん。喜んでお引き受けするよ」
生徒は短く、そう、と言って、紅茶に口付けた。教授はカップを片手に微笑む。
「光栄だね。アンリと二人きりで、夏のひとときを過ごせるなんて」
教授の予想通り、生徒の眉が少しつり上がる。
「変な言い方しないで。夏は少し暇になるから、君に退屈凌ぎになって貰うだけだ」
教授は口許を手で隠す。生徒の視線がますます冷たくなる。
無言のまま、教授は、失礼、と片手を上げる。
「夏期講習の詳細を決めようと思って来たんだ。日程は月、水、金曜日の16時からでどうかな?」
生徒は頷いて了承する。
「教室は、いつもと同じ、第二化学室で良いのかい?」
ぶっきらぼうな声が「どこでもいい」と答える。
「では学務課にはそのように伝えておくよ」
教師と生徒がカップを傾ける。口当たりの良い渋み。
標高900~1500mの高地で、冷たい季節風に耐えたタフな味わいだ。
「ところで、アンリ。他のウーティスの子達は、夏期休暇を取るのかね?」
「そうらしいけれど?」
「成程」
教授は鷹揚に頷いた。
「彼もかね? アンリとよく一緒に居る、緋色の瞳の…」
「ジョシュア?」
「ああ、そう。彼も居なくなってしまうのかね?」
ねえ、と生徒が不満を露わにする。
「どうして、そんなこと聞くの? 君には関係ないでしょ? ボージェ教授」
「ああ、すまない。話が逸れてしまったね。
夏期講習では何について勉強しようか。何かリクエストはあるのかな?」
「別に。君に任せる」
「おや。私に任せてしまって良いのかね?」
生徒はツンと澄ました顔で言う。
「僕を退屈させなければね」
教授は生徒の頭に手を置く。
「アンリとの夏期講習、楽しみにしているね」
一瞬遅れて、邪魔、というように手が振り払われた。
fin
■オーギュスト×アイヴィー
■先生とビーフシチュー 続編
■先生とビーフシチュー 続編
「アイヴィー、煙草さんとの最後の口付けは終わったかな?」
俺んちで、先生が作ったビーフシチューを食べた後。
煙草にフられるまで、と先生を待たせていた。
その間、先生はイライラする素振りもなく、普通にワインを飲んでた。
先生のワイングラスは底だけが薄っすらと赤い。
俺の銜え煙草はいつもより短くなっていた。
いい加減、これ以上は吸えない。
こんなになるまで、なんで我慢してたんだろ。
文句も言わず付き合ってくれた煙草を灰皿に寝かせる。
先生を見ると優しい顔をしてた。
先生はすっと立って、向かいの席から俺が居るロングソファへ移ってきた。
先生の手が俺の頬の上を滑って、右の耳たぶを捉える。
少し触られただけで――俺も弱過ぎる。
「ちょ、ベッドで…」
「良いよ、ここで」
「俺、まだシャワーに…」
先生の唇が俺の左耳に近付く。優しい低音に囁かれる。
「良いよ、このままで」
警報音。俺の手首の辺りから。カクンと俺の首が倒れた。
「まぢですか…」
先生が俺の腕時計を覗く。赤いランプが点ってる。
「おや。呼ばれているようだね、アイヴィー」
これは警備組織特製、腕時計型端末。
島への侵入者情報を瞬時に警備スタッフに連絡できる。
朝でも夜でも、どこに居て、何をしていても教えてくれるスグレモノ。
ああ、ホントにイイ時代になった。俺はハイテクノロジーに向かって叫ぶ。
「この野郎! 夜遅くに出歩いちゃいけませんよって先生に習わなかったのか!?」
先生は笑ってる。
「白昼堂々と出歩いてはいけませんよ、と言う悪い先生に習ったんだろうね」
俺はソファから立ち上がる。
「ゴメン、センセ。そーゆーわけで、悪い子達、ぶちのめしてくるわ」
「君の機嫌を損ねるとは。間の悪い時に来てしまったね、彼等も」
「おしりペンペンしてやる」
「アイヴィー。ひと仕事終わって、まだ元気があったら、私を起こしてくれていいよ?」
「えっ?」
「先生はね、良い子にはご褒美のシールをあげたくなるんだ」
「…何色なんですか、ソレ」
「大人用の色だよ」
「えと…じゃ、いってきます」
「うん。気をつけて。怪我をしないようにね」
車のキーを握って、螺旋階段を駆け下りる。
外に出ると、辺りは真っ暗だった。
良い子はねんねしてる時間だ。夜の潮風が冷たい。
ジャケットを羽織ってくるべきだっただろうかと思いながら、運転席に着く。
通信ボタンを押すと、オペレーターの声がした。
車内の盗聴が可能なように、この車と追憶の塔は音声通信が行える。
このオペレーターは叩き起こされて喋っているのではない。宿直当番なのだ。
「司令、お疲れ様です。場所は南部の海岸。小さなボートが三艘。十名程かと思われます」
「あいよっ」
エンジンを掛けて、夜の道路に乗る。人影はない。
オレンジの街灯が等間隔に立っているだけ。
車のナビゲートシステムには、腕時計型端末より詳細なデータが映る。
侵入者を意味する赤い点が三つ散っていた。
「やっぱ…赤、なのかな」
「司令?」
「あー、何でもない」
fin
俺んちで、先生が作ったビーフシチューを食べた後。
煙草にフられるまで、と先生を待たせていた。
その間、先生はイライラする素振りもなく、普通にワインを飲んでた。
先生のワイングラスは底だけが薄っすらと赤い。
俺の銜え煙草はいつもより短くなっていた。
いい加減、これ以上は吸えない。
こんなになるまで、なんで我慢してたんだろ。
文句も言わず付き合ってくれた煙草を灰皿に寝かせる。
先生を見ると優しい顔をしてた。
先生はすっと立って、向かいの席から俺が居るロングソファへ移ってきた。
先生の手が俺の頬の上を滑って、右の耳たぶを捉える。
少し触られただけで――俺も弱過ぎる。
「ちょ、ベッドで…」
「良いよ、ここで」
「俺、まだシャワーに…」
先生の唇が俺の左耳に近付く。優しい低音に囁かれる。
「良いよ、このままで」
警報音。俺の手首の辺りから。カクンと俺の首が倒れた。
「まぢですか…」
先生が俺の腕時計を覗く。赤いランプが点ってる。
「おや。呼ばれているようだね、アイヴィー」
これは警備組織特製、腕時計型端末。
島への侵入者情報を瞬時に警備スタッフに連絡できる。
朝でも夜でも、どこに居て、何をしていても教えてくれるスグレモノ。
ああ、ホントにイイ時代になった。俺はハイテクノロジーに向かって叫ぶ。
「この野郎! 夜遅くに出歩いちゃいけませんよって先生に習わなかったのか!?」
先生は笑ってる。
「白昼堂々と出歩いてはいけませんよ、と言う悪い先生に習ったんだろうね」
俺はソファから立ち上がる。
「ゴメン、センセ。そーゆーわけで、悪い子達、ぶちのめしてくるわ」
「君の機嫌を損ねるとは。間の悪い時に来てしまったね、彼等も」
「おしりペンペンしてやる」
「アイヴィー。ひと仕事終わって、まだ元気があったら、私を起こしてくれていいよ?」
「えっ?」
「先生はね、良い子にはご褒美のシールをあげたくなるんだ」
「…何色なんですか、ソレ」
「大人用の色だよ」
「えと…じゃ、いってきます」
「うん。気をつけて。怪我をしないようにね」
車のキーを握って、螺旋階段を駆け下りる。
外に出ると、辺りは真っ暗だった。
良い子はねんねしてる時間だ。夜の潮風が冷たい。
ジャケットを羽織ってくるべきだっただろうかと思いながら、運転席に着く。
通信ボタンを押すと、オペレーターの声がした。
車内の盗聴が可能なように、この車と追憶の塔は音声通信が行える。
このオペレーターは叩き起こされて喋っているのではない。宿直当番なのだ。
「司令、お疲れ様です。場所は南部の海岸。小さなボートが三艘。十名程かと思われます」
「あいよっ」
エンジンを掛けて、夜の道路に乗る。人影はない。
オレンジの街灯が等間隔に立っているだけ。
車のナビゲートシステムには、腕時計型端末より詳細なデータが映る。
侵入者を意味する赤い点が三つ散っていた。
「やっぱ…赤、なのかな」
「司令?」
「あー、何でもない」
fin
■ロレートシナリオ
私はジョシュア殿下を学院に無事にお送りして、国へ戻って来た。
王の執務室。机には王のサインを待つ書類が山積している。
国政手腕は確かな御人なのに、机に向かって行う大人しいお仕事は何故か進まない。
現国王は、他国との交流に重きを置かない主義であられるので、
これでも書類の絶対量は少ない方だと思われるのだが。
「陛下? 私が聖アルフォンソ島に向かう前と比べて、
書類の山が高くなっているように見受けられるのですが、錯覚でしょうか?」
「レイナ。皮肉を言うくらいなら、少しは手伝ってくれてもいいんだぞ」
「国王陛下のお仕事を、一臣下が代行するわけには参りません」
「この堅物め」
「お褒め頂き、恐れ入ります」
頭を下げながら心の中で少し笑う。王との軽口の応酬。快い。
殿下のお傍に居た後では妙に懐かしく感じてしまう。
この叔父と甥には同じロレートの血が流れているとは言え、全く似ていない。
ジョシュア殿下は、やはり、お父上のエドワード様似だ。
もし、カーディス様にもお子様が居たら、どんな方になるだろうとふと思った。
ドアがノックされた。入れ、と私が言う。私の部下だった。
「失礼致します。レイナ卿、少々お時間頂けますでしょうか」
「解った。では、陛下。私は席を外しますが、お仕事の続きをお願い致します」
陛下が微笑んでいる。
「解っている。早く行って来い」
早く帰って来なくては。廊下に出てドアを閉める。
「陛下のお耳には入れられぬ話か」
「ええ。こちらへおいで頂けますか」
別室に案内される。他の者は居ない。部下は机に紙を広げた。
「実は先程、こんなものが」
皺の寄った白い紙には、殴り書きでこう記されてた。
「<新しい王子は、闇の血を引く者>と読めるな。誰がどこで見つけた?」
「場所は庭園。発見したのは庭師のロロです。
丸めた紙だったようですから、塀の外から投げ込まれた可能性が高いかと。
悪戯かもしれませんが、一応閣下にはお知らせを」
「そうか。これからも何かあれば全て私に」
「はい。これは只の嫌がらせでしょうか?
殿下にこんなものが届くとは思いませんでした。
誰かから恨みを買うようなお人に見えないのに。どう思われますか、閣下」
知らない間に買わされている可能性はゼロとは言えない。
誰からでも買えるものが恨みだろう、とは言いたくなかった。
「先ず、第一発見者に直接話を聞きたい。今、どこに居る?」
「庭園に居る筈です。ご案内しましょう」
ロレート王室の庭園。
ここには月桂樹も植えられている。植樹日は遥か昔に遡る。
大公家は聖アルフォンソ学院の出身者が多いからだろう。
部下は、その一本の前で止まった。
「ああ、木の上に居ましたね。おーい、降りてきてくれ」
「はーい」
高い枝から男が降って来た。ライトグレーのツナギ姿。
私と同年代、少し若いくらいか。
顔は知っていたが、庭師と側近は言葉を交わす機会がない。
「あ、側近の…」
相手も私の名前が解らないようだ。
「話をするのは初めてですね。私はラルヴィス・レイナです」
庭師はその時になって慌てて帽子を取る。
「あ、どうも。ケビン・ロロです…」
「どうしました? 私の顔に何か付いていますか?」
「いえ。近くで見てもお綺麗な方だと思って」
「ロロ」と部下。
「あ、すみません」
ポリポリと頭を掻く。私は先程の殴り書きを見せた。
「貴方がこれの発見者ですね?」
胸の前で帽子を両手で持っている。
「はい、そうです。ビックリしました」
「その時の話を聞かせて下さい」
「えっと。朝、木の枝を切っていた時に見つけて…あの木です。
木から降りたら、根元に落ちてました」
「これが現れた瞬間は見ていないんですね?」
「はい」
「木の近くに貴方以外の人は居ましたか?」
「庭には俺しか居ませんでした。
塀の外は分かりません。俺、木ばっか見てたから。
なんか、お役に立てなくてすみません」
「いいえ。良く知らせてくれました。感謝します」
「ど、どうも」
「どう致しましょう、閣下」
庭師の話だけでは、危険性の真偽がはっきりしなかった。
メッセージの内容は、良質ではないが、比較的悪質ではない。
突然現れた皇太子に不満を持った国民が、愚痴を投げてきただけかもしれない。
「この件は我々と警備の者を除いて、当面の間、箝口令(かんこうれい)を敷きます」
「了解」
「あ、あの。カンコーレーって何ですか?」
「関係者以外には情報を漏らさない、ということです。
特に陛下と殿下のお耳には入れないようお願いします。
皇太子が決定した今、お二人共、大切な時期です。余計な心労を増やしたくありません」
庭師の顔には、驚いた、と書いてあった。感情が表に出易い人間なのだろう。
「レイナ卿って優しいんですね。もっと冷たい人かと思ってました」
なかなか人を見る目がある男だ。
「ロロ」部下が窘める。
「あ、すみません」
またポリポリと頭を掻く。
「自分は警備の者に知らせてきます」
「ああ、頼む」
部下が駆けて行く。
「ロロさん、またこの庭に何か投げ込まれるかもしれません。
その時はまたすぐ知らせて下さい」
庭師は敬礼してくれた。
「了解です、レイナ卿」
「戻りました。お仕事、少しは進みましたか、陛…」
執務室には机に山積みの書類、だけ。
「…逃げられた」
こうして時折かくれんぼを挑まれる。36歳にもなられて。
執務室の扉を閉める。
「さて。何処へ行かれたか」
→寝室
→屋上
王の執務室。机には王のサインを待つ書類が山積している。
国政手腕は確かな御人なのに、机に向かって行う大人しいお仕事は何故か進まない。
現国王は、他国との交流に重きを置かない主義であられるので、
これでも書類の絶対量は少ない方だと思われるのだが。
「陛下? 私が聖アルフォンソ島に向かう前と比べて、
書類の山が高くなっているように見受けられるのですが、錯覚でしょうか?」
「レイナ。皮肉を言うくらいなら、少しは手伝ってくれてもいいんだぞ」
「国王陛下のお仕事を、一臣下が代行するわけには参りません」
「この堅物め」
「お褒め頂き、恐れ入ります」
頭を下げながら心の中で少し笑う。王との軽口の応酬。快い。
殿下のお傍に居た後では妙に懐かしく感じてしまう。
この叔父と甥には同じロレートの血が流れているとは言え、全く似ていない。
ジョシュア殿下は、やはり、お父上のエドワード様似だ。
もし、カーディス様にもお子様が居たら、どんな方になるだろうとふと思った。
ドアがノックされた。入れ、と私が言う。私の部下だった。
「失礼致します。レイナ卿、少々お時間頂けますでしょうか」
「解った。では、陛下。私は席を外しますが、お仕事の続きをお願い致します」
陛下が微笑んでいる。
「解っている。早く行って来い」
早く帰って来なくては。廊下に出てドアを閉める。
「陛下のお耳には入れられぬ話か」
「ええ。こちらへおいで頂けますか」
別室に案内される。他の者は居ない。部下は机に紙を広げた。
「実は先程、こんなものが」
皺の寄った白い紙には、殴り書きでこう記されてた。
「<新しい王子は、闇の血を引く者>と読めるな。誰がどこで見つけた?」
「場所は庭園。発見したのは庭師のロロです。
丸めた紙だったようですから、塀の外から投げ込まれた可能性が高いかと。
悪戯かもしれませんが、一応閣下にはお知らせを」
「そうか。これからも何かあれば全て私に」
「はい。これは只の嫌がらせでしょうか?
殿下にこんなものが届くとは思いませんでした。
誰かから恨みを買うようなお人に見えないのに。どう思われますか、閣下」
知らない間に買わされている可能性はゼロとは言えない。
誰からでも買えるものが恨みだろう、とは言いたくなかった。
「先ず、第一発見者に直接話を聞きたい。今、どこに居る?」
「庭園に居る筈です。ご案内しましょう」
ロレート王室の庭園。
ここには月桂樹も植えられている。植樹日は遥か昔に遡る。
大公家は聖アルフォンソ学院の出身者が多いからだろう。
部下は、その一本の前で止まった。
「ああ、木の上に居ましたね。おーい、降りてきてくれ」
「はーい」
高い枝から男が降って来た。ライトグレーのツナギ姿。
私と同年代、少し若いくらいか。
顔は知っていたが、庭師と側近は言葉を交わす機会がない。
「あ、側近の…」
相手も私の名前が解らないようだ。
「話をするのは初めてですね。私はラルヴィス・レイナです」
庭師はその時になって慌てて帽子を取る。
「あ、どうも。ケビン・ロロです…」
「どうしました? 私の顔に何か付いていますか?」
「いえ。近くで見てもお綺麗な方だと思って」
「ロロ」と部下。
「あ、すみません」
ポリポリと頭を掻く。私は先程の殴り書きを見せた。
「貴方がこれの発見者ですね?」
胸の前で帽子を両手で持っている。
「はい、そうです。ビックリしました」
「その時の話を聞かせて下さい」
「えっと。朝、木の枝を切っていた時に見つけて…あの木です。
木から降りたら、根元に落ちてました」
「これが現れた瞬間は見ていないんですね?」
「はい」
「木の近くに貴方以外の人は居ましたか?」
「庭には俺しか居ませんでした。
塀の外は分かりません。俺、木ばっか見てたから。
なんか、お役に立てなくてすみません」
「いいえ。良く知らせてくれました。感謝します」
「ど、どうも」
「どう致しましょう、閣下」
庭師の話だけでは、危険性の真偽がはっきりしなかった。
メッセージの内容は、良質ではないが、比較的悪質ではない。
突然現れた皇太子に不満を持った国民が、愚痴を投げてきただけかもしれない。
「この件は我々と警備の者を除いて、当面の間、箝口令(かんこうれい)を敷きます」
「了解」
「あ、あの。カンコーレーって何ですか?」
「関係者以外には情報を漏らさない、ということです。
特に陛下と殿下のお耳には入れないようお願いします。
皇太子が決定した今、お二人共、大切な時期です。余計な心労を増やしたくありません」
庭師の顔には、驚いた、と書いてあった。感情が表に出易い人間なのだろう。
「レイナ卿って優しいんですね。もっと冷たい人かと思ってました」
なかなか人を見る目がある男だ。
「ロロ」部下が窘める。
「あ、すみません」
またポリポリと頭を掻く。
「自分は警備の者に知らせてきます」
「ああ、頼む」
部下が駆けて行く。
「ロロさん、またこの庭に何か投げ込まれるかもしれません。
その時はまたすぐ知らせて下さい」
庭師は敬礼してくれた。
「了解です、レイナ卿」
「戻りました。お仕事、少しは進みましたか、陛…」
執務室には机に山積みの書類、だけ。
「…逃げられた」
こうして時折かくれんぼを挑まれる。36歳にもなられて。
執務室の扉を閉める。
「さて。何処へ行かれたか」
→寝室
→屋上
■ロレートシナリオ
建国記念式典終了後。
私はロレートの公用車で殿下を聖アルフォンソ学院までお送りした。
私は陛下から、暫くの間、殿下の世話役との兼任を命ぜられた。
理由は伺うまでもなく、殿下が王位継承を決意される以前から、
私は使者として島へ送られていた為だろう。
当時、殿下が私を見るお顔には怖れすら浮かんでいた。
任務とは言え、心苦しかった。けれど今では、笑顔も向けて下さる。
この大きな正門にも、徐々に親しみを感じ始めていた。
「学院に到着です。ご乗車お疲れ様でした」
「あ、はい」
私は先に降り、車のドアを開ける。
車の降り方さえ、優雅な御方だ。お荷物をお渡しする。
「残り少ない学院生活の最中に恐縮ですが、
また後日、お迎えに上がることになります。
それまでどうぞお元気でお過ごし下さいませ」
「はい。解りました。いつも学院の前まで乗せて頂いて、すみません」
「お気になさらず、殿下。学院までご無事にお送りするのが私の任務ですから」
「…任務、ですか。そうですよね」
お声が小さくなった。
「殿下?」
「あ、いえ。送って下さって、ありがとうございました」
「このようなことでお礼のお言葉など。
殿下のお傍に居ると、お心遣いが身に沁みます。殿下はお優しい」
「そうでしょうか?」
「ええ。私は普段、品行方正とは無縁の御方に仕えているものですから、
殿下のお側に居る間は、心が洗われるようですよ」
「そんな…」
「申し訳ありません。殿下は式典でお疲れですのに、引き止めてしまいましたね。
今宵は寮でごゆっくりお休み下さい」
「はい。それじゃ、また」
「失礼致します」
殿下のお姿が見えなくなるまで、頭を下げていた。
「見事な礼だねー。ラールちゃん」
明るい声が聞こえた。公用車の後方に黄色いタクシー。
金髪の男性が運転席から降りてきた。この御方には顔が割れていた。
「司令官閣下。おはようございます」
「おはよーございます。もー、ラルちゃん、『閣下』はダメだってばー。
マジプリどもに聞かれたら、からかわれるだけだからさー」
「ああ、すみません。そうでしたね」
この小さな孤島には、専属の警備組織が存在する。
辺境の王子達を守る為、世界中から集められた精鋭集団。
若くしてその頂点に立っているのがアイヴィー様だった。
私が島に来ると、気さくにお声を掛けて下さる。
もちろん、初めの頃は私が不審者でないか検査されていたのだろう。
今はどうだろうか。疑いが晴れていたら嬉しい。
親しく振る舞っていても、島の外部からやってくる者に対しては、
気を許していないのかもしれない。
もし私が生徒のどなたかに刃を向ければ、この御方は容赦なく私を葬るだろう。
警備に属する者は、それが任務。誰かを守るということは、そういうことだ。
この御方と利害が一致していることは幸いだ。
「ラルちゃん、ジョシュアを送ってきてくれたとこか。
あ、ニュース見たよー? ジョシュア王子、大人気じゃん?
もしかして、ひと揉めあるかと思ってたけど、今んとこ平気そうでヨカッタね?」
「はい。ほっとしています」
「王子様フィーバーに乗っかって『王室公式!王子様グッズ』でも売り出してみれば?
国家予算、ドーンと増えちゃうかもよ? ひひひ」
ロレートは小国ながら、経済的には豊かだ。
予算にはそれほど困ってはいないが、あって悪いものではない。
「そう、でしょうか。私の判断では決められないので、本国に持ち帰って…」
「あー、お持ち帰りしなくてイイから。
ま、王様から、失笑が取れるか取れないかくらいだと思うし」
どうだろう。案外「名案だ」と仰るかもしれない。ならば『王様グッズ』も好評を博すのでは。
「にしてもさー、ラルちゃん、毎回遠いとこから王子サマの送り迎えして大変じゃない?
ジョシュアなら俺が空港まで乗せてくのに、タダで」
アイヴィー様の表の顔は、学院の専属ドライバー。
生徒の多くは、裏の顔を知らないそうだ。
「お心遣い恐縮です。ですが、これは陛下直々のご命令ですので」
「俺じゃ王子サマを任せらんないって?」
「とんでもございません」
以前、陛下が島に来られた時、閣下とお話をされたことがある。
初対面ながら「今度一緒に飲もう」と、お二人は意気投合されていた。
「貴方のことは、陛下も厚くご信頼…」
「あー、ゴメンゴメン。今のは冗談だってば」
「…申し訳ありません」
「いやー、こっちこそ、面白くない冗談言っちゃって、ゴメンナサイ」
ぺこっと頭を下げられる。
高いご身分の割りに、随分と身軽な御方だ。陛下と似ていらっしゃる。
「でも、今日はイイ天気でヨカッタ。昨日はね、珍しく雨だったんだよ?」
「そうですか。閣下、今日は何か雨では良くないことでも?」
「お天気だと、青空の下でラルちゃんと立ち話できんじゃん?」
「…えっ? それも、ご冗談ですか?」
「いんや。俺、結構スキだからさ、ラルちゃんとお話しすんの。
普段は会えないしー、レアキャラなんだよね、俺ん中では。
俺の周りって、わーわー煩いのとか、ドSさんとかだからさ、
たまーにラルちゃんみたいな落ち着いた人とお話しすると、妙にほっとしちゃうんだよね」
「お褒め頂いたのでしょうか…ありがとうございます」
「いえいえー。どういたしましてー」
「アイヴィー様、これから生徒様の送迎ですか?」
「ん。バンドをたしなんでるマージナルプリンスどものねー」
学院の方から人の気配が近付いて来る。閣下は僅かに声を張り上げた。
「けど、俺んちに乗り込んで来ては『腹減ったー腹減ったー』って。
そちらの王子サマと違って、まー、意地汚い王子サマ方でさー」
閣下の背後に三人の青年が立つ。殿下と同じ、緑の制服。学院の生徒のようだ。
うち二人が背にギターバッグを背負っていた。短髪の生徒が片手を腰に置く。
「聞こえてんぞ、アイヴィー!」
「聞こえるように言ってんだよ、マージナルプリンスども」
「世間話に僕達の悪口言わなくてもいいじゃないですかー」
長髪の生徒が頬を膨らます。眼鏡の生徒は表情を曇らせた。
「これからアイヴィーんちで、ごはん食べさせて貰おうと思ったのに頼み難いよ…」
「やっぱりかよ。先にスーパーで買い物して来て正解だったな」
閣下は親指を助手席に向けた。
そこにはブラウンの大きな紙袋。長いフランスパンが顔を出している。
「なんだよ。あんた、やる気満々じゃん!」
「こっからスーパー寄って俺んち帰るんじゃ、行ったり来たりでめんどいんだよ」
短髪の生徒は白い歯を見せ、肘で閣下の横腹を突く。
「よかった。じゃ、早くアイヴィーんち行こ。俺、お腹空いて死にそう」
「なら、さっさと乗んな」
生徒達は飛び込むように後部座席に入っていく。
彼等を見る閣下の目は、私に向けられるものよりずっと優しかった。
「あ、またねー、ラルちゃん」
「はい。いってらっしゃいませ、皆様」
閣下は笑顔で私に手を振り、運転席に乗る。
去り際、クラクションを二回鳴らして下さった。
→3
私はロレートの公用車で殿下を聖アルフォンソ学院までお送りした。
私は陛下から、暫くの間、殿下の世話役との兼任を命ぜられた。
理由は伺うまでもなく、殿下が王位継承を決意される以前から、
私は使者として島へ送られていた為だろう。
当時、殿下が私を見るお顔には怖れすら浮かんでいた。
任務とは言え、心苦しかった。けれど今では、笑顔も向けて下さる。
この大きな正門にも、徐々に親しみを感じ始めていた。
「学院に到着です。ご乗車お疲れ様でした」
「あ、はい」
私は先に降り、車のドアを開ける。
車の降り方さえ、優雅な御方だ。お荷物をお渡しする。
「残り少ない学院生活の最中に恐縮ですが、
また後日、お迎えに上がることになります。
それまでどうぞお元気でお過ごし下さいませ」
「はい。解りました。いつも学院の前まで乗せて頂いて、すみません」
「お気になさらず、殿下。学院までご無事にお送りするのが私の任務ですから」
「…任務、ですか。そうですよね」
お声が小さくなった。
「殿下?」
「あ、いえ。送って下さって、ありがとうございました」
「このようなことでお礼のお言葉など。
殿下のお傍に居ると、お心遣いが身に沁みます。殿下はお優しい」
「そうでしょうか?」
「ええ。私は普段、品行方正とは無縁の御方に仕えているものですから、
殿下のお側に居る間は、心が洗われるようですよ」
「そんな…」
「申し訳ありません。殿下は式典でお疲れですのに、引き止めてしまいましたね。
今宵は寮でごゆっくりお休み下さい」
「はい。それじゃ、また」
「失礼致します」
殿下のお姿が見えなくなるまで、頭を下げていた。
「見事な礼だねー。ラールちゃん」
明るい声が聞こえた。公用車の後方に黄色いタクシー。
金髪の男性が運転席から降りてきた。この御方には顔が割れていた。
「司令官閣下。おはようございます」
「おはよーございます。もー、ラルちゃん、『閣下』はダメだってばー。
マジプリどもに聞かれたら、からかわれるだけだからさー」
「ああ、すみません。そうでしたね」
この小さな孤島には、専属の警備組織が存在する。
辺境の王子達を守る為、世界中から集められた精鋭集団。
若くしてその頂点に立っているのがアイヴィー様だった。
私が島に来ると、気さくにお声を掛けて下さる。
もちろん、初めの頃は私が不審者でないか検査されていたのだろう。
今はどうだろうか。疑いが晴れていたら嬉しい。
親しく振る舞っていても、島の外部からやってくる者に対しては、
気を許していないのかもしれない。
もし私が生徒のどなたかに刃を向ければ、この御方は容赦なく私を葬るだろう。
警備に属する者は、それが任務。誰かを守るということは、そういうことだ。
この御方と利害が一致していることは幸いだ。
「ラルちゃん、ジョシュアを送ってきてくれたとこか。
あ、ニュース見たよー? ジョシュア王子、大人気じゃん?
もしかして、ひと揉めあるかと思ってたけど、今んとこ平気そうでヨカッタね?」
「はい。ほっとしています」
「王子様フィーバーに乗っかって『王室公式!王子様グッズ』でも売り出してみれば?
国家予算、ドーンと増えちゃうかもよ? ひひひ」
ロレートは小国ながら、経済的には豊かだ。
予算にはそれほど困ってはいないが、あって悪いものではない。
「そう、でしょうか。私の判断では決められないので、本国に持ち帰って…」
「あー、お持ち帰りしなくてイイから。
ま、王様から、失笑が取れるか取れないかくらいだと思うし」
どうだろう。案外「名案だ」と仰るかもしれない。ならば『王様グッズ』も好評を博すのでは。
「にしてもさー、ラルちゃん、毎回遠いとこから王子サマの送り迎えして大変じゃない?
ジョシュアなら俺が空港まで乗せてくのに、タダで」
アイヴィー様の表の顔は、学院の専属ドライバー。
生徒の多くは、裏の顔を知らないそうだ。
「お心遣い恐縮です。ですが、これは陛下直々のご命令ですので」
「俺じゃ王子サマを任せらんないって?」
「とんでもございません」
以前、陛下が島に来られた時、閣下とお話をされたことがある。
初対面ながら「今度一緒に飲もう」と、お二人は意気投合されていた。
「貴方のことは、陛下も厚くご信頼…」
「あー、ゴメンゴメン。今のは冗談だってば」
「…申し訳ありません」
「いやー、こっちこそ、面白くない冗談言っちゃって、ゴメンナサイ」
ぺこっと頭を下げられる。
高いご身分の割りに、随分と身軽な御方だ。陛下と似ていらっしゃる。
「でも、今日はイイ天気でヨカッタ。昨日はね、珍しく雨だったんだよ?」
「そうですか。閣下、今日は何か雨では良くないことでも?」
「お天気だと、青空の下でラルちゃんと立ち話できんじゃん?」
「…えっ? それも、ご冗談ですか?」
「いんや。俺、結構スキだからさ、ラルちゃんとお話しすんの。
普段は会えないしー、レアキャラなんだよね、俺ん中では。
俺の周りって、わーわー煩いのとか、ドSさんとかだからさ、
たまーにラルちゃんみたいな落ち着いた人とお話しすると、妙にほっとしちゃうんだよね」
「お褒め頂いたのでしょうか…ありがとうございます」
「いえいえー。どういたしましてー」
「アイヴィー様、これから生徒様の送迎ですか?」
「ん。バンドをたしなんでるマージナルプリンスどものねー」
学院の方から人の気配が近付いて来る。閣下は僅かに声を張り上げた。
「けど、俺んちに乗り込んで来ては『腹減ったー腹減ったー』って。
そちらの王子サマと違って、まー、意地汚い王子サマ方でさー」
閣下の背後に三人の青年が立つ。殿下と同じ、緑の制服。学院の生徒のようだ。
うち二人が背にギターバッグを背負っていた。短髪の生徒が片手を腰に置く。
「聞こえてんぞ、アイヴィー!」
「聞こえるように言ってんだよ、マージナルプリンスども」
「世間話に僕達の悪口言わなくてもいいじゃないですかー」
長髪の生徒が頬を膨らます。眼鏡の生徒は表情を曇らせた。
「これからアイヴィーんちで、ごはん食べさせて貰おうと思ったのに頼み難いよ…」
「やっぱりかよ。先にスーパーで買い物して来て正解だったな」
閣下は親指を助手席に向けた。
そこにはブラウンの大きな紙袋。長いフランスパンが顔を出している。
「なんだよ。あんた、やる気満々じゃん!」
「こっからスーパー寄って俺んち帰るんじゃ、行ったり来たりでめんどいんだよ」
短髪の生徒は白い歯を見せ、肘で閣下の横腹を突く。
「よかった。じゃ、早くアイヴィーんち行こ。俺、お腹空いて死にそう」
「なら、さっさと乗んな」
生徒達は飛び込むように後部座席に入っていく。
彼等を見る閣下の目は、私に向けられるものよりずっと優しかった。
「あ、またねー、ラルちゃん」
「はい。いってらっしゃいませ、皆様」
閣下は笑顔で私に手を振り、運転席に乗る。
去り際、クラクションを二回鳴らして下さった。
→3
■ロレートシナリオ
ロレート公国 建国記念式典。
王位継承法改正の発表と同時に、次期国王が指名された。
「未熟者ですが、出来る限り、尽くしていきたいと思います。
ご静聴、ありがとうございました」
観衆から大きなあたたかい拍手が巻き起こる。
記念式典の壇上で立派に挨拶を終えられた御方。
本日、ロレート公国建国記念日を持って、
ジョシュア・グラント様は、ジョシュア王子殿下となられた。
舞台袖に控えていた私も静かに拍手を送った。
「謙虚で真面目な挨拶だったな。俺では真似もできん」
笑みを浮かべながらそう囁いたのは、当代のロレート国王陛下カーディス1世。
側近を務める私、ラルヴィス・レイナ唯一の主である。
「あの文章、お前が大分直したのか?」
「いいえ。殿下には添削を頼まれましたが、
修正箇所など、私には一文字も見付けられませんでした」
「ほう。流石は聖アルフォンソ学院の生徒代表と言ったところか。
兄貴も聖アルフォンソに入学していれば、選ばれたのかもしれないな」
語尾に後悔を感じた。
「陛下は生徒代表ではなかったのですよね?」
「自主休講の常習犯だった悪ガキが選ばれると思うか?」
「いいえ。思いません」
「少しは主の肩を持てないのか?」
「はい。主に嘘は吐けません」
主は微笑した。
「口の悪い臣下を持ったものだ」
「陛下、そろそろご挨拶のお時間です」
口の悪くない他の臣下が告げる。私は軽く頭を下げ、主を送る。
「いってらっしゃいませ、陛下。殿下のご挨拶に引けを取らぬよう」
「国政への誠実さでは敵わんからな、笑いの一つでも取って来るか」
離れていく靴音を聞きながら、側近は顔を上げる。
「ご冗談を」
横断幕の傍。舞台から戻られた殿下の肩に、陛下が手を置いた。
「良かったぞ、ジョシュア」
殿下は少し恥ずかしそうに俯かれた。
「…ありがとうございます」
陛下はもう一度、トンと肩を叩いて、壇上に向かう。
若き次期国王は現国王の背を見つめていた。私はそっとお傍に行き、お声を掛けた。
「ご立派でしたよ、殿下」
世辞ではなかったのだが、皇太子は首を横に振った。陛下とは色の違う髪が揺れる。
「…とても緊張しました。まだドキドキしています」
「そのようには見えませんでしたよ。
拍手も、陛下がご挨拶される時よりずっと大きなものでした」
「そう、でしたか? あ、カーディスの挨拶が始まりますね。
ちゃんと聞いておかないと」
眼差しを壇上に向ける。本当に謙虚で真面目な御方だ。
翌日。各メデイアは、記念式典の様子を一斉に報じた。
その多くがジョシュア王子の写真を一面に取り上げていた。
ご両親を幼い頃に既に失っている殿下への同情もあるのか、
痛烈な批判は殆どなく、歓迎、期待、といった文字が躍った。
街頭インタビューでは、「カッコイイ」「可愛い」など好意的な意見も多いらしく、
雑誌の中には何ページも『王子様特集』を組み、アイドル扱いしているものもあるようだ。
殿下に王位継承権を復帰させる為、法改正を強行した国への評価も高まった。
「王室にも殿下への取材依頼が殺到しています。
最も多いリクエストは『王子様の乗馬姿を撮らせて欲しい』というものですね」
陛下は雑誌の『王子様特集』をパラパラ捲りながら、私の報告を聞いている。
この執務室の机上に新聞や雑誌が乗っているのも、珍しいことだ。
「成程。王子には馬か。では白い馬でも用意するか」
「取材を受けても良いのですか?」
「俺に聞くな。ジョシュアのことだ。本人に決めさせろ」
「畏まりました。お伝え致します」
陛下が雑誌を机上に戻す。
「メディアの願いを叶えることは、俺としては勧められんが、
あいつなら、快く受けてしまうだろうな。
それにしても、予想以上の人気だな」
「ええ。エドワード様のご子息である以上に、
国民にも殿下のお人柄が伝わったのでしょう」
「加えて、まだ若く、あの顔で、姫も決まっていないと来てる。
街を少しでも歩いたら、サイン責めに合うかもしれん。
ファンの年齢層も広そうだ。警備には気を付けろよ」
「陛下のファンが、殿下に奪われてしまうかもしれませんね?」
この国の民は王を慕っている。特にご婦人方からは人気があった。
「嬉しそうだな、ラルヴィス」
「ええ。嬉しいですよ」
「なんだ、お前も王子様ファンか?」
「いいえ。貴方が選ぶ御方に間違いはなかったと敬服しているのです。
ジョシュア様を皇太子に指名されたのは陛下、全ては貴方のお力です」
「よくできた臣下だな。だが、選んだのは俺ではない。
あいつは王となるべく、生まれた者だ。最初から選ばれていた」
自嘲が含まれているように感じられた。
これほど立派に国を牽引されてきた御方なのに。
本来であれば自分は王位を継ぐべき者ではなかった、と思っておられる。
ジョシュア様が玉座に就くまでの繋ぎだと、ご自分の存在を軽んじて。
貴方も王となるべく生まれた御方です、とお伝えしたかった。
「陛下と同じですね?」
どんな輩に反駁されたとて、私の主君は貴方だけだ。
私の想いをご理解されているのか、いないのか。貴方は笑った。
「面白いジョークだな」
→2
王位継承法改正の発表と同時に、次期国王が指名された。
「未熟者ですが、出来る限り、尽くしていきたいと思います。
ご静聴、ありがとうございました」
観衆から大きなあたたかい拍手が巻き起こる。
記念式典の壇上で立派に挨拶を終えられた御方。
本日、ロレート公国建国記念日を持って、
ジョシュア・グラント様は、ジョシュア王子殿下となられた。
舞台袖に控えていた私も静かに拍手を送った。
「謙虚で真面目な挨拶だったな。俺では真似もできん」
笑みを浮かべながらそう囁いたのは、当代のロレート国王陛下カーディス1世。
側近を務める私、ラルヴィス・レイナ唯一の主である。
「あの文章、お前が大分直したのか?」
「いいえ。殿下には添削を頼まれましたが、
修正箇所など、私には一文字も見付けられませんでした」
「ほう。流石は聖アルフォンソ学院の生徒代表と言ったところか。
兄貴も聖アルフォンソに入学していれば、選ばれたのかもしれないな」
語尾に後悔を感じた。
「陛下は生徒代表ではなかったのですよね?」
「自主休講の常習犯だった悪ガキが選ばれると思うか?」
「いいえ。思いません」
「少しは主の肩を持てないのか?」
「はい。主に嘘は吐けません」
主は微笑した。
「口の悪い臣下を持ったものだ」
「陛下、そろそろご挨拶のお時間です」
口の悪くない他の臣下が告げる。私は軽く頭を下げ、主を送る。
「いってらっしゃいませ、陛下。殿下のご挨拶に引けを取らぬよう」
「国政への誠実さでは敵わんからな、笑いの一つでも取って来るか」
離れていく靴音を聞きながら、側近は顔を上げる。
「ご冗談を」
横断幕の傍。舞台から戻られた殿下の肩に、陛下が手を置いた。
「良かったぞ、ジョシュア」
殿下は少し恥ずかしそうに俯かれた。
「…ありがとうございます」
陛下はもう一度、トンと肩を叩いて、壇上に向かう。
若き次期国王は現国王の背を見つめていた。私はそっとお傍に行き、お声を掛けた。
「ご立派でしたよ、殿下」
世辞ではなかったのだが、皇太子は首を横に振った。陛下とは色の違う髪が揺れる。
「…とても緊張しました。まだドキドキしています」
「そのようには見えませんでしたよ。
拍手も、陛下がご挨拶される時よりずっと大きなものでした」
「そう、でしたか? あ、カーディスの挨拶が始まりますね。
ちゃんと聞いておかないと」
眼差しを壇上に向ける。本当に謙虚で真面目な御方だ。
翌日。各メデイアは、記念式典の様子を一斉に報じた。
その多くがジョシュア王子の写真を一面に取り上げていた。
ご両親を幼い頃に既に失っている殿下への同情もあるのか、
痛烈な批判は殆どなく、歓迎、期待、といった文字が躍った。
街頭インタビューでは、「カッコイイ」「可愛い」など好意的な意見も多いらしく、
雑誌の中には何ページも『王子様特集』を組み、アイドル扱いしているものもあるようだ。
殿下に王位継承権を復帰させる為、法改正を強行した国への評価も高まった。
「王室にも殿下への取材依頼が殺到しています。
最も多いリクエストは『王子様の乗馬姿を撮らせて欲しい』というものですね」
陛下は雑誌の『王子様特集』をパラパラ捲りながら、私の報告を聞いている。
この執務室の机上に新聞や雑誌が乗っているのも、珍しいことだ。
「成程。王子には馬か。では白い馬でも用意するか」
「取材を受けても良いのですか?」
「俺に聞くな。ジョシュアのことだ。本人に決めさせろ」
「畏まりました。お伝え致します」
陛下が雑誌を机上に戻す。
「メディアの願いを叶えることは、俺としては勧められんが、
あいつなら、快く受けてしまうだろうな。
それにしても、予想以上の人気だな」
「ええ。エドワード様のご子息である以上に、
国民にも殿下のお人柄が伝わったのでしょう」
「加えて、まだ若く、あの顔で、姫も決まっていないと来てる。
街を少しでも歩いたら、サイン責めに合うかもしれん。
ファンの年齢層も広そうだ。警備には気を付けろよ」
「陛下のファンが、殿下に奪われてしまうかもしれませんね?」
この国の民は王を慕っている。特にご婦人方からは人気があった。
「嬉しそうだな、ラルヴィス」
「ええ。嬉しいですよ」
「なんだ、お前も王子様ファンか?」
「いいえ。貴方が選ぶ御方に間違いはなかったと敬服しているのです。
ジョシュア様を皇太子に指名されたのは陛下、全ては貴方のお力です」
「よくできた臣下だな。だが、選んだのは俺ではない。
あいつは王となるべく、生まれた者だ。最初から選ばれていた」
自嘲が含まれているように感じられた。
これほど立派に国を牽引されてきた御方なのに。
本来であれば自分は王位を継ぐべき者ではなかった、と思っておられる。
ジョシュア様が玉座に就くまでの繋ぎだと、ご自分の存在を軽んじて。
貴方も王となるべく生まれた御方です、とお伝えしたかった。
「陛下と同じですね?」
どんな輩に反駁されたとて、私の主君は貴方だけだ。
私の想いをご理解されているのか、いないのか。貴方は笑った。
「面白いジョークだな」
→2
「お前の家は…城か?」
クラウスは巨大な邸を見上げて言った。
青空の下、白壁に真夏の太陽が照り映えている。
この国の旗と同じ、青と白の世界。
国旗にある9本の青と白は、『自由か死か』を意味する9音節、
『エレフセリア・イ・サナトス』に由来する。
と、我ながら固い頭が、この国の基本情報を引き出していた。
「うん。お城なのだよ、我が家は」
隣に居るギリシャ人は太陽にも負けない笑顔で答える。
「ご近所の皆さんには『メネシス城』と呼ばれているんだ」
時は八月。
聖アルフォンソ学院は一年を通して授業を受けることができるが、
この時期は、外界に合わせて、夏季休暇を取る生徒も多い。
国へ帰省したり、旅行に出掛けるなどして休暇を楽しむのだ。
高等部一年のクラウスは、学院に残って頭と体の自己鍛錬に励もうとしていた。
ところが、同じシュヌーシア寮に住む中等部三年のテオ・メネシスに、
「夏だよ! バカンスの季節だよ!」と叫ばれ、
ギリシャにあるメネシス家までご招待されてしまったのである。
白壁の屋敷から一人の青年が現れた。
細いシャープな眼鏡が、人柄を表しているかのように見えた。
立ち居振る舞いに隙がない。第一印象から、有能な男だと思わせる。
紺のベスト、ワイシャツにグレイのタイと正装に身を包んだ男。
まるで一流ホテルのボーイのようだ。
鈍い色の金髪を高いところで一つに結わえていた。
二十台後半か、三十台に入ったくらいだろうか。
「ご学友のクラウス・フォン・モール様ですね」
彼は流暢な英語で丁寧に挨拶した。後にテオから聞いた話では、
メネシス家は世界各国からゲストを招く機会が多い為、
家人も英語が話せるらしい。おかげでテオは、
小さい頃からギリシャ語と英語を同時に覚えていったらしい。
金髪の男がクラウスに頭を下げる。
「遠いところ、ようこそお越し下さいました。
私はテオ様の専属執事を務めさせて頂いております、ゼノ・エリティスと申します。
御用の際は、お気軽にお申し付け下さいませ」
やはり、ここは城で、自分の友人は王子様だったのだろうか。
海運王と呼ばれる資産家だとは知っていたが、
よもや専属の執事が居るなどとは予想もしていなかった。
友人はクラウスの横から駆け出して、執事に抱き着いた。
「ただいま、ゼノ! 久し振りだねっ!」
先程まで鉄壁だった男は、少し表情が緩んだように見えた。
「おかえりなさいませ、テオ様。少し背が高くなりましたか?」
「えっ! よく解ったね、ゼノ!」
一瞬、クラウスの中で、巻き起こった突風。今の感情は何だったのだろう。
「テオ様、お知らせがございます」
「ん? なんだい?」
「急に、旦那様と奥様が、お取引先のパーティにご招待されまして、
今日の午前にご出発されました。お帰りになるのが、四日後で」
「ええっ!? 父上と母上に会えないのかい!?」
「すみません。お二人もテオ様にお会いになるのを楽しみにされていたのですが。
お姉様とテオ様宛に、お手紙をお預かりしています」
白い封筒がテオに渡される。
一読後、テオはクラウスにも見せてくれた。
『可愛いダフネと可愛いテオへ』から始まる手紙には、
何度も「ごめんね」と書かれており、両親も泣く泣く出発したらしいことが伺えた。
内容的には『クラウスさんと楽しい夏を過ごして下さい』と締められていたが、
手紙の最後に、バツのマークが3つ並んでいた。
どういう意味だろうとクラウスは思う。メネシス家特有の暗号だろうか。
「ゼノ、姉上は!? 姉上は来れるのだねっ!?」
「はい。お姉様は夕食の頃にご到着されるかと」
「そうか。良かったー」
テオは盛大に安堵した様子だった。
専属執事が荷物を持ち、先頭を歩く。
続いてテオ、クラウスの順で屋敷に入る。
何様式の建物なのかは解らないが、天井が無駄に高い。
かなり古いサーフボードなどが廊下の壁に横向きに飾られていた。
海運王と呼ばれるせいか、単に趣味なのか、海に関係する装飾品が目立った。
擦れ違う使用人が皆、「テオ様」「テオ様」と友人に笑顔を向ける。
テオは一人一人に笑顔と言葉を返していた。
屋敷内を紹介されつつ、『テオの部屋』だという一室に辿り着く。
呆れるほど、でかい部屋だった。
幼少期に使われた物か、玩具の類まで棚に並んでいる。
本棚には絵本全集らしき薄い背表紙がぎっしり並んでいたりする。
こいつのメルヘン思考の元凶はこれかもしれない。
執事はアイスコーヒーとアイスティーを用意して、部屋から下がった。
初めてのソファに座る。少し落ち着かない気分で、黒い液体を喉に流した。
テオは口をすぼめてストローを啜っていた。
「ゼノの淹れてくれる紅茶は美味しいなあ」
コーヒーの味が、いつもと違う。
「クラウス? 疲れた? うちに来るまで何時間も掛かったものね」
「別に疲れてはいない」
確かに長時間の移動ではあったが、テオと長い間二人きりで居るのは苦痛ではなかった。
手を打つ音がした。テオが何かを思い付いた時の癖だ。
「クラウス。夕食までシエスタしようか、ここで」
テオは柔らかそうなベッドに座り、両手を付く。
「このベッドは広いから、二人いっしょでも大丈夫だよ?」
「遠慮する」
「遠慮は要らないよ、クラウス。ギリシャではシエスタは当たり前の休息なのだから。
私も家に着いたら、なんだか眠たくって…」
語尾は手で隠された欠伸に消えた。
「なら、お前は馴染みのベッドでシエスタしてろ。疲れただろ」
「ではクラウスはどうするんだい? あ、解った! 私の寝顔を愛でたいのだね?」
「誰が愛でるか。俺は少し外を散歩してくるさ。初めての土地を見て回るのは嫌いじゃない」
「うーん。せっかくの二人旅なのに、いきなり別行動というのは残念だけれど…」
「3泊4日の日程だ。まだ時間はあるだろう? 夕食は19時からだったな。それまでには戻る」
テオはまだ不満そうにしていたが、睡魔には勝てないようで、解ったよ、と折れた。
「では夕食までに帰って来るのだよ、クラウス」
「ああ」
「そうだ。ギリシャ観光に自転車を使うかい?」
「あるのか? 借りられるのならありがたいが」
「ではちょっと待っておくれ」
テオは受話器を取った。
「もしもし。ゼノ? 自転車を一台、クラウスに用意してくれるかな?」
テオをベッドに残し、クラウスは屋敷の外に出る。
専属執事に案内された『車庫』という場所には、
高級車から三輪車まで様々な乗り物が陳列されていた。
幾つか在った自転車の中からマウンテンバイクを選び、ギリシャ観光に出た。
知らない街を散策しながら、今夜、夕食に同席するという女性のことを考えていた。
夏なので実家に帰ってくるというテオの姉。クラウスよりも幾らか年上で、人妻。
少し前に、彼女がメディアで騒がれたこともあるらしい。
石油王の子息が海運王の令嬢と政略結婚したというニュース。
大変なセレブ婚で、その費用総額などの派手さが報じられたそうだ。
資産家の結婚話などクラウスには全くの興味範囲外だったので、
自分の記憶の中では、そう言えばそんなニュースも見たことがあるような、という程度。
いつだったか、寮のサロンで、その話になったことがある。
「テオの姉ちゃんって、すっげー美人なんだよな!」などと言う寮生に、
テオ本人が「そうなのだよ。それに優しくて…」と更に賛辞を重ねていた。
クラウスは今も、彼女の顔を思い出せないままだった。
テオと血が繋がっているのだから、きっと金髪なのだろう。
性格はどうだろうか。もし性格もテオと似ていたら――
いや、もう少し常識があるだろう。そう願いたい。
目には、流れゆくギリシャの街並みを映しながらも、
彼女のことばかりに思いを巡らせてしまった。
クラウスには姉も妹も居ない。
厳格なドイツ軍人の家系に生まれ、聖アルフォンソ学院に入る前も男子校に通ってきた。
女性に対する免疫が高いとは決して言えなかった。
女性と一緒に食事をする、という機会も今までに殆どなかったのである。
このまま一人旅を続けても、あまり観光にならないような気がしてきた。
マウンテンバイクをUターンさせ、早めに城へ戻ることにした。
メネシス城に戻ると、テオはシエスタを終え、すっきり目覚めた顔になっていた。
元気良く腕を振るテオの案内で、ダイニングルームに向かう。
その広い一室には、高い天井にシャンデリアが輝いていた。
壁際には絵画や壺などの美術品が置かれている。テオが言うには、
「メネシスが応援しているアーティストの皆さんから贈られたプレゼント」だそうだ。
つまりは、無名の芸術家達が作った、市場価値では未知数の作品なのだろう。
有名人好きなメネシス一族は、芸術家の卵達に金を気前良く投じている。
その行為を『自分達で有名人に育てる、という一種の遊びに興じているのだろう』
と揶揄するメディアも少なくない。
しかし、メネシスの次期当主である、クラウスの友人は作品を愛でながらこう言った。
「どれも味があって素晴らしいだろう? 私にはとても作れないよ」
テオとクラウスは大きなテーブルの端に付く。現在18時半。
姉は到着していなかった。夕食の時間にはまだ30分あるので、遅れているとは言えない。
専属執事は、おそらくクラウスに気を遣って、
「先にお食事を始めていましょうか?」と言ってくれたのだが、
「姉上が来るまで待っても良いかな?」と言うテオに、クラウスが了承したので、
お茶を飲みながら暫し歓談となった。
その間、クラウスはテオに「ギリシャのサイクリングはどうだった?」と聞かれて、
やや曖昧に返事をしていた。あとは、テオがこの家に居た頃の昔話などを語っていた。
話が少し途切れると、テオは頬を両手で支えながら言った。
「ゼノー、姉上はまだかなあ?」
クラウスは、話を振られた専属執事を見やる。
彼は何故か僅かに笑っていた。
「もう少しでお着きになりますよ、テオ様」
テオが不思議そうに尋ねる。
「ゼノ? どうしたんだい?」
「いえ。何でも。あ、いらっしゃいましたね」
ドアが開いた。
皆が振り向く。一人の女性が現れた。
テオがガタッと立ち上がり、女性を目掛けて突進する。
「あねうえー!」
決して小さくはない弟を受け止めて、彼女は優しく微笑んだ。
寮生がかつて言っていた『テオの姉ちゃんはすっげー美人』はお世辞ではなかったらしい。
肩より長い金髪には、弟と同じ緩い波。肌は褐色のテオよりやや白い。
クラウスは口にこそ出さなかったが、女神のようだ、と思った。
本物の女神になど逢ったこともないのに、そうとしか思えなかった。
弟は自分の姉に見惚れるように、感嘆の声を上げていた。
「ああ、姉上! 今日はまた一段とお美しい! 夏の高原に咲く白百合のよう!」
「ありがとう。テオは夏のエーゲ海に昇る太陽のようですね」
クラウスは驚愕した。姉も過剰表現を口にするのか。
まさに似ているのか、この姉弟は。
「それはもう! 姉上に会えましたからね。あ、姉上、ご紹介します」
この人に紹介されるのかと姿勢を正そうとした。
テオがクラウスの方に手を示す。
「こちらが私の最愛の人、クラウスです!」
クラウスの右肩が下がる。そして、テオに小声で詰め寄った。
「おいっ!?」
「どうしたんだい、クラウス?」
「そ、そんな紹介の仕方があるかっ!?」
「え? どう紹介すれば良かったんだい?」
「解らないなら、見ておけ」
クラウスは、咳払いして、自己紹介した。
「初めまして。自分は、聖アルフォンソ学院高等部第一学年、
クラウス・フォン・モールです。よろしくお願いします」
テオの首が右に傾く。
「貴方らしい挨拶ではあるけれど、やはりそれでは色々と物足りない気が」
「充分だ」
テオの姉は上品に笑った。優雅なのにどこか少女のように見える微笑だった。
クラウスの顔を真っ直ぐに見つめ、ややスローな口調で話す。
「私はテオの姉のダフネと申します。お会いできて嬉しいです、フォン・モールさん。
あの、私もお名前で、クラウスさん、とお呼びして良いでしょうか?」
「はい。それは、お姉さんのお好きに」
「ありがとうございます、クラウスさん…ああ、なんて響きの良い名前でしょう」
クラウスの視線が左を向く。
(どこかで聞いた台詞だな)
テオの姉は、右手を自分の胸に当てた。
「クラウスさん、私のことも名前で呼んで下さいますか?」
クラウスは俯いた。動いたものを目で追っただけで、
悪意はないとは言え、女性の胸許に一瞬目を奪われた自分が恥ずかしかった。
「クラウスさん? すみません、お嫌でしたか?」
「…あ、いいえ。それでは、ダフネさんとお呼びします」
テオの姉は、まあ、と嬉しそうに笑った。
「クラウスさんって、テオの言っていた通り、とっても素敵な方ですね」
「解って下さいますか! さすがは私の姉上っ!」
クラウスの眉間に皺が寄る。
(…この姉弟が何を解り合っているのかさっぱり解らん)
すると、テオの姉は、クラウスの皺を見つけて、更に微笑んだようだった。
「貴方が、テオの話によく登場する、本物のクラウスさんなのですね。
ずっとお話してみたいと思っていました。
この子からクラウスさんのことをいつも聞いていたからでしょうか、
今日初めてお会いしたのに、なんだか懐かしく感じてしまいます」
「あの、俺の話を聞いたというのは、どんな…」
「ロマンチックな出会いから、普段の貴方のことなどたくさん伺いました」
「出会い…って、まさか」
「海で溺れたテオを王子様のキスで救って下さったのでしょう?
その節は、本当にどうもありがとうございました」
「…違います! それは人工呼吸です」クラウスの耳が赤くなる。
「おい、テオ! 何故、そんなことまで話しているんだ、お前は!」
「だって大事な1ページ目じゃないか。外せないよ」
弟と友人と姉の晩餐は、終始賑やかに過ぎていった。
「ああ、楽しかった! ねっ、クラウス!」
夕食後、テオの部屋。
テオとクラウスは、それぞれにディナーの後味を感じていた。
テオは心身ともにおなかいっぱいで大満足といった顔だ。
「…俺は、なんだか疲れたぞ」
マイペースな二人に挟まれたクラウスはツッコミ疲れだった。
「姉上にクラウスを紹介出来て良かった! ぜひとも会わせたいと思っていたのだよ。
思った通り、姉上もクラウスのことを好きになってくれたし! 良かった良かった!」
「表現を誤るな。彼女が俺を――お前の友人として理解したというだけだろう」
自分のことを『弟の友人』という以外に見る筈がない。
彼女は人妻なんだぞ、と自分に言い聞かせていた。
「おや。どうしたんだい、クラウス。物想いな溜め息など吐いて。
あっ、解った! 私の姉上に心奪われてしまったのだろう?」
テオは笑って、クラウスを見やる。
クラウスは目を丸くして、絶句していた。
テオは慌てて、クラウスを揺さぶる。
「クラウス! 私と言う者がありながら!」
「バカ、離せっ」
「確かに、私の姉上は素晴らしい女性だよ?
私も子供の頃は、姉上と結ばれることを夢見ていたものだ。
けれど、クラウス! 私達は既に出逢った時から、口付けを交わした仲で」
「だから、それは人工呼吸だと何回」
「まさか姉上が恋敵になってしまうとは。一体私はどうしたら」
「お前は少し落ちつけ」
「今日は、とても楽しい夕食でした」
「ようございましたね、ダフネ様」
姉の部屋。ナイトキャップティーを持ってきた執事と姉が話していた。
「あの子が、クラウスさんに夢中になるのが、よく解りました。
メネシスの血はのんびりしているところがあるから、凛々しい方に弱いのでしょう」
「お気に召されたようですね、テオ様のご学友のことが」
「はい。私、クラウスさんのことが好きになってしまいそう」
執事は人妻を嗜める。
「ダフネ様」
「冗談です」
執事は眼鏡を押し上げる。表情は手に隠れている。
「…そのようなお戯れはあまり感心しませんよ。私の前ならばまだ良いですが」
姉はティーカップを両手で包みながら、無邪気な笑顔を見せた。
「だって、クラウスさん、似ているんだもの」
fin
クラウスは巨大な邸を見上げて言った。
青空の下、白壁に真夏の太陽が照り映えている。
この国の旗と同じ、青と白の世界。
国旗にある9本の青と白は、『自由か死か』を意味する9音節、
『エレフセリア・イ・サナトス』に由来する。
と、我ながら固い頭が、この国の基本情報を引き出していた。
「うん。お城なのだよ、我が家は」
隣に居るギリシャ人は太陽にも負けない笑顔で答える。
「ご近所の皆さんには『メネシス城』と呼ばれているんだ」
時は八月。
聖アルフォンソ学院は一年を通して授業を受けることができるが、
この時期は、外界に合わせて、夏季休暇を取る生徒も多い。
国へ帰省したり、旅行に出掛けるなどして休暇を楽しむのだ。
高等部一年のクラウスは、学院に残って頭と体の自己鍛錬に励もうとしていた。
ところが、同じシュヌーシア寮に住む中等部三年のテオ・メネシスに、
「夏だよ! バカンスの季節だよ!」と叫ばれ、
ギリシャにあるメネシス家までご招待されてしまったのである。
白壁の屋敷から一人の青年が現れた。
細いシャープな眼鏡が、人柄を表しているかのように見えた。
立ち居振る舞いに隙がない。第一印象から、有能な男だと思わせる。
紺のベスト、ワイシャツにグレイのタイと正装に身を包んだ男。
まるで一流ホテルのボーイのようだ。
鈍い色の金髪を高いところで一つに結わえていた。
二十台後半か、三十台に入ったくらいだろうか。
「ご学友のクラウス・フォン・モール様ですね」
彼は流暢な英語で丁寧に挨拶した。後にテオから聞いた話では、
メネシス家は世界各国からゲストを招く機会が多い為、
家人も英語が話せるらしい。おかげでテオは、
小さい頃からギリシャ語と英語を同時に覚えていったらしい。
金髪の男がクラウスに頭を下げる。
「遠いところ、ようこそお越し下さいました。
私はテオ様の専属執事を務めさせて頂いております、ゼノ・エリティスと申します。
御用の際は、お気軽にお申し付け下さいませ」
やはり、ここは城で、自分の友人は王子様だったのだろうか。
海運王と呼ばれる資産家だとは知っていたが、
よもや専属の執事が居るなどとは予想もしていなかった。
友人はクラウスの横から駆け出して、執事に抱き着いた。
「ただいま、ゼノ! 久し振りだねっ!」
先程まで鉄壁だった男は、少し表情が緩んだように見えた。
「おかえりなさいませ、テオ様。少し背が高くなりましたか?」
「えっ! よく解ったね、ゼノ!」
一瞬、クラウスの中で、巻き起こった突風。今の感情は何だったのだろう。
「テオ様、お知らせがございます」
「ん? なんだい?」
「急に、旦那様と奥様が、お取引先のパーティにご招待されまして、
今日の午前にご出発されました。お帰りになるのが、四日後で」
「ええっ!? 父上と母上に会えないのかい!?」
「すみません。お二人もテオ様にお会いになるのを楽しみにされていたのですが。
お姉様とテオ様宛に、お手紙をお預かりしています」
白い封筒がテオに渡される。
一読後、テオはクラウスにも見せてくれた。
『可愛いダフネと可愛いテオへ』から始まる手紙には、
何度も「ごめんね」と書かれており、両親も泣く泣く出発したらしいことが伺えた。
内容的には『クラウスさんと楽しい夏を過ごして下さい』と締められていたが、
手紙の最後に、バツのマークが3つ並んでいた。
どういう意味だろうとクラウスは思う。メネシス家特有の暗号だろうか。
「ゼノ、姉上は!? 姉上は来れるのだねっ!?」
「はい。お姉様は夕食の頃にご到着されるかと」
「そうか。良かったー」
テオは盛大に安堵した様子だった。
専属執事が荷物を持ち、先頭を歩く。
続いてテオ、クラウスの順で屋敷に入る。
何様式の建物なのかは解らないが、天井が無駄に高い。
かなり古いサーフボードなどが廊下の壁に横向きに飾られていた。
海運王と呼ばれるせいか、単に趣味なのか、海に関係する装飾品が目立った。
擦れ違う使用人が皆、「テオ様」「テオ様」と友人に笑顔を向ける。
テオは一人一人に笑顔と言葉を返していた。
屋敷内を紹介されつつ、『テオの部屋』だという一室に辿り着く。
呆れるほど、でかい部屋だった。
幼少期に使われた物か、玩具の類まで棚に並んでいる。
本棚には絵本全集らしき薄い背表紙がぎっしり並んでいたりする。
こいつのメルヘン思考の元凶はこれかもしれない。
執事はアイスコーヒーとアイスティーを用意して、部屋から下がった。
初めてのソファに座る。少し落ち着かない気分で、黒い液体を喉に流した。
テオは口をすぼめてストローを啜っていた。
「ゼノの淹れてくれる紅茶は美味しいなあ」
コーヒーの味が、いつもと違う。
「クラウス? 疲れた? うちに来るまで何時間も掛かったものね」
「別に疲れてはいない」
確かに長時間の移動ではあったが、テオと長い間二人きりで居るのは苦痛ではなかった。
手を打つ音がした。テオが何かを思い付いた時の癖だ。
「クラウス。夕食までシエスタしようか、ここで」
テオは柔らかそうなベッドに座り、両手を付く。
「このベッドは広いから、二人いっしょでも大丈夫だよ?」
「遠慮する」
「遠慮は要らないよ、クラウス。ギリシャではシエスタは当たり前の休息なのだから。
私も家に着いたら、なんだか眠たくって…」
語尾は手で隠された欠伸に消えた。
「なら、お前は馴染みのベッドでシエスタしてろ。疲れただろ」
「ではクラウスはどうするんだい? あ、解った! 私の寝顔を愛でたいのだね?」
「誰が愛でるか。俺は少し外を散歩してくるさ。初めての土地を見て回るのは嫌いじゃない」
「うーん。せっかくの二人旅なのに、いきなり別行動というのは残念だけれど…」
「3泊4日の日程だ。まだ時間はあるだろう? 夕食は19時からだったな。それまでには戻る」
テオはまだ不満そうにしていたが、睡魔には勝てないようで、解ったよ、と折れた。
「では夕食までに帰って来るのだよ、クラウス」
「ああ」
「そうだ。ギリシャ観光に自転車を使うかい?」
「あるのか? 借りられるのならありがたいが」
「ではちょっと待っておくれ」
テオは受話器を取った。
「もしもし。ゼノ? 自転車を一台、クラウスに用意してくれるかな?」
テオをベッドに残し、クラウスは屋敷の外に出る。
専属執事に案内された『車庫』という場所には、
高級車から三輪車まで様々な乗り物が陳列されていた。
幾つか在った自転車の中からマウンテンバイクを選び、ギリシャ観光に出た。
知らない街を散策しながら、今夜、夕食に同席するという女性のことを考えていた。
夏なので実家に帰ってくるというテオの姉。クラウスよりも幾らか年上で、人妻。
少し前に、彼女がメディアで騒がれたこともあるらしい。
石油王の子息が海運王の令嬢と政略結婚したというニュース。
大変なセレブ婚で、その費用総額などの派手さが報じられたそうだ。
資産家の結婚話などクラウスには全くの興味範囲外だったので、
自分の記憶の中では、そう言えばそんなニュースも見たことがあるような、という程度。
いつだったか、寮のサロンで、その話になったことがある。
「テオの姉ちゃんって、すっげー美人なんだよな!」などと言う寮生に、
テオ本人が「そうなのだよ。それに優しくて…」と更に賛辞を重ねていた。
クラウスは今も、彼女の顔を思い出せないままだった。
テオと血が繋がっているのだから、きっと金髪なのだろう。
性格はどうだろうか。もし性格もテオと似ていたら――
いや、もう少し常識があるだろう。そう願いたい。
目には、流れゆくギリシャの街並みを映しながらも、
彼女のことばかりに思いを巡らせてしまった。
クラウスには姉も妹も居ない。
厳格なドイツ軍人の家系に生まれ、聖アルフォンソ学院に入る前も男子校に通ってきた。
女性に対する免疫が高いとは決して言えなかった。
女性と一緒に食事をする、という機会も今までに殆どなかったのである。
このまま一人旅を続けても、あまり観光にならないような気がしてきた。
マウンテンバイクをUターンさせ、早めに城へ戻ることにした。
メネシス城に戻ると、テオはシエスタを終え、すっきり目覚めた顔になっていた。
元気良く腕を振るテオの案内で、ダイニングルームに向かう。
その広い一室には、高い天井にシャンデリアが輝いていた。
壁際には絵画や壺などの美術品が置かれている。テオが言うには、
「メネシスが応援しているアーティストの皆さんから贈られたプレゼント」だそうだ。
つまりは、無名の芸術家達が作った、市場価値では未知数の作品なのだろう。
有名人好きなメネシス一族は、芸術家の卵達に金を気前良く投じている。
その行為を『自分達で有名人に育てる、という一種の遊びに興じているのだろう』
と揶揄するメディアも少なくない。
しかし、メネシスの次期当主である、クラウスの友人は作品を愛でながらこう言った。
「どれも味があって素晴らしいだろう? 私にはとても作れないよ」
テオとクラウスは大きなテーブルの端に付く。現在18時半。
姉は到着していなかった。夕食の時間にはまだ30分あるので、遅れているとは言えない。
専属執事は、おそらくクラウスに気を遣って、
「先にお食事を始めていましょうか?」と言ってくれたのだが、
「姉上が来るまで待っても良いかな?」と言うテオに、クラウスが了承したので、
お茶を飲みながら暫し歓談となった。
その間、クラウスはテオに「ギリシャのサイクリングはどうだった?」と聞かれて、
やや曖昧に返事をしていた。あとは、テオがこの家に居た頃の昔話などを語っていた。
話が少し途切れると、テオは頬を両手で支えながら言った。
「ゼノー、姉上はまだかなあ?」
クラウスは、話を振られた専属執事を見やる。
彼は何故か僅かに笑っていた。
「もう少しでお着きになりますよ、テオ様」
テオが不思議そうに尋ねる。
「ゼノ? どうしたんだい?」
「いえ。何でも。あ、いらっしゃいましたね」
ドアが開いた。
皆が振り向く。一人の女性が現れた。
テオがガタッと立ち上がり、女性を目掛けて突進する。
「あねうえー!」
決して小さくはない弟を受け止めて、彼女は優しく微笑んだ。
寮生がかつて言っていた『テオの姉ちゃんはすっげー美人』はお世辞ではなかったらしい。
肩より長い金髪には、弟と同じ緩い波。肌は褐色のテオよりやや白い。
クラウスは口にこそ出さなかったが、女神のようだ、と思った。
本物の女神になど逢ったこともないのに、そうとしか思えなかった。
弟は自分の姉に見惚れるように、感嘆の声を上げていた。
「ああ、姉上! 今日はまた一段とお美しい! 夏の高原に咲く白百合のよう!」
「ありがとう。テオは夏のエーゲ海に昇る太陽のようですね」
クラウスは驚愕した。姉も過剰表現を口にするのか。
まさに似ているのか、この姉弟は。
「それはもう! 姉上に会えましたからね。あ、姉上、ご紹介します」
この人に紹介されるのかと姿勢を正そうとした。
テオがクラウスの方に手を示す。
「こちらが私の最愛の人、クラウスです!」
クラウスの右肩が下がる。そして、テオに小声で詰め寄った。
「おいっ!?」
「どうしたんだい、クラウス?」
「そ、そんな紹介の仕方があるかっ!?」
「え? どう紹介すれば良かったんだい?」
「解らないなら、見ておけ」
クラウスは、咳払いして、自己紹介した。
「初めまして。自分は、聖アルフォンソ学院高等部第一学年、
クラウス・フォン・モールです。よろしくお願いします」
テオの首が右に傾く。
「貴方らしい挨拶ではあるけれど、やはりそれでは色々と物足りない気が」
「充分だ」
テオの姉は上品に笑った。優雅なのにどこか少女のように見える微笑だった。
クラウスの顔を真っ直ぐに見つめ、ややスローな口調で話す。
「私はテオの姉のダフネと申します。お会いできて嬉しいです、フォン・モールさん。
あの、私もお名前で、クラウスさん、とお呼びして良いでしょうか?」
「はい。それは、お姉さんのお好きに」
「ありがとうございます、クラウスさん…ああ、なんて響きの良い名前でしょう」
クラウスの視線が左を向く。
(どこかで聞いた台詞だな)
テオの姉は、右手を自分の胸に当てた。
「クラウスさん、私のことも名前で呼んで下さいますか?」
クラウスは俯いた。動いたものを目で追っただけで、
悪意はないとは言え、女性の胸許に一瞬目を奪われた自分が恥ずかしかった。
「クラウスさん? すみません、お嫌でしたか?」
「…あ、いいえ。それでは、ダフネさんとお呼びします」
テオの姉は、まあ、と嬉しそうに笑った。
「クラウスさんって、テオの言っていた通り、とっても素敵な方ですね」
「解って下さいますか! さすがは私の姉上っ!」
クラウスの眉間に皺が寄る。
(…この姉弟が何を解り合っているのかさっぱり解らん)
すると、テオの姉は、クラウスの皺を見つけて、更に微笑んだようだった。
「貴方が、テオの話によく登場する、本物のクラウスさんなのですね。
ずっとお話してみたいと思っていました。
この子からクラウスさんのことをいつも聞いていたからでしょうか、
今日初めてお会いしたのに、なんだか懐かしく感じてしまいます」
「あの、俺の話を聞いたというのは、どんな…」
「ロマンチックな出会いから、普段の貴方のことなどたくさん伺いました」
「出会い…って、まさか」
「海で溺れたテオを王子様のキスで救って下さったのでしょう?
その節は、本当にどうもありがとうございました」
「…違います! それは人工呼吸です」クラウスの耳が赤くなる。
「おい、テオ! 何故、そんなことまで話しているんだ、お前は!」
「だって大事な1ページ目じゃないか。外せないよ」
弟と友人と姉の晩餐は、終始賑やかに過ぎていった。
「ああ、楽しかった! ねっ、クラウス!」
夕食後、テオの部屋。
テオとクラウスは、それぞれにディナーの後味を感じていた。
テオは心身ともにおなかいっぱいで大満足といった顔だ。
「…俺は、なんだか疲れたぞ」
マイペースな二人に挟まれたクラウスはツッコミ疲れだった。
「姉上にクラウスを紹介出来て良かった! ぜひとも会わせたいと思っていたのだよ。
思った通り、姉上もクラウスのことを好きになってくれたし! 良かった良かった!」
「表現を誤るな。彼女が俺を――お前の友人として理解したというだけだろう」
自分のことを『弟の友人』という以外に見る筈がない。
彼女は人妻なんだぞ、と自分に言い聞かせていた。
「おや。どうしたんだい、クラウス。物想いな溜め息など吐いて。
あっ、解った! 私の姉上に心奪われてしまったのだろう?」
テオは笑って、クラウスを見やる。
クラウスは目を丸くして、絶句していた。
テオは慌てて、クラウスを揺さぶる。
「クラウス! 私と言う者がありながら!」
「バカ、離せっ」
「確かに、私の姉上は素晴らしい女性だよ?
私も子供の頃は、姉上と結ばれることを夢見ていたものだ。
けれど、クラウス! 私達は既に出逢った時から、口付けを交わした仲で」
「だから、それは人工呼吸だと何回」
「まさか姉上が恋敵になってしまうとは。一体私はどうしたら」
「お前は少し落ちつけ」
「今日は、とても楽しい夕食でした」
「ようございましたね、ダフネ様」
姉の部屋。ナイトキャップティーを持ってきた執事と姉が話していた。
「あの子が、クラウスさんに夢中になるのが、よく解りました。
メネシスの血はのんびりしているところがあるから、凛々しい方に弱いのでしょう」
「お気に召されたようですね、テオ様のご学友のことが」
「はい。私、クラウスさんのことが好きになってしまいそう」
執事は人妻を嗜める。
「ダフネ様」
「冗談です」
執事は眼鏡を押し上げる。表情は手に隠れている。
「…そのようなお戯れはあまり感心しませんよ。私の前ならばまだ良いですが」
姉はティーカップを両手で包みながら、無邪気な笑顔を見せた。
「だって、クラウスさん、似ているんだもの」
fin
■オーギュスト×アンリ
アンリは今年も夏期休暇は取らず、学院に残っていた。
他の寮生は島の外に出て行った。夏の夜は静かで良い。
僕はベッドに入っていた。
枕元には、持つのに疲れたハードカバー。
悪徳錬金術師エドワード・ケリーの伝記。
薄暗い中、時計を眺める。
短針は1に届きそうなのに、眠たくもならない。
――そう言えば、暫く君が来ていない。
ピクと自分の指が疼く。
衝動を抑え付けるように、指を髪に通した。
「失礼するよ」
ドアの前に君が居た。
濃紺の瞳。
教壇に立っている時とは違う。
「待たせてしまったみたいだね。ごめん」
「何のこと」
「アンリ、自分が今どんな顔をしているか解っているのかね?」
カチャリと鍵の音がした。
ベッドに腰掛けた教授は、ちらと視線を落とした。
「ケリーの本を読んでいたのかい? 就寝前まで勉強熱心だね」
「別に。眠たくなるかと思っただけ」
「安眠には向かないと思うがね、彼の生涯は」
少し皺の寄った手。
僕の左頬にそっと添えられる。
「眠れないのなら、私が夜伽するよ」
薄い唇が、僕の唇に触れる。
この先、何をされるのかは知っていた。
首許からボタンを外され、鎖骨に口付けを落とされる。
君の髪が首筋をチクチクなぞる。
理性があるうちに、僕は彼の肩に手を置いた。
「止めて」
彼は顔を上げた。
「ん?」
「今日は、帰って」
頬からあたたかさが消える。
彼はあっさり頬に添えていた手を離した。
「アンリがそう言うなら、今宵は身を引こう」
いつもと同じ、落ち着いた声。
僕の髪を静かにひと撫でして、ベッドから降りた。
僕は彼に背を向けて、何の模様もない壁を見ていた。
「人に好意を寄せるのは、怖いかね? アンリ」
毛布を引き寄せる。
「そんなこと言ってない」
「そうだね。すまない」
足音が離れていく。
「おやすみ、アンリ」
ドアが閉まる音。
身体が熱い。
fin
他の寮生は島の外に出て行った。夏の夜は静かで良い。
僕はベッドに入っていた。
枕元には、持つのに疲れたハードカバー。
悪徳錬金術師エドワード・ケリーの伝記。
薄暗い中、時計を眺める。
短針は1に届きそうなのに、眠たくもならない。
――そう言えば、暫く君が来ていない。
ピクと自分の指が疼く。
衝動を抑え付けるように、指を髪に通した。
「失礼するよ」
ドアの前に君が居た。
濃紺の瞳。
教壇に立っている時とは違う。
「待たせてしまったみたいだね。ごめん」
「何のこと」
「アンリ、自分が今どんな顔をしているか解っているのかね?」
カチャリと鍵の音がした。
ベッドに腰掛けた教授は、ちらと視線を落とした。
「ケリーの本を読んでいたのかい? 就寝前まで勉強熱心だね」
「別に。眠たくなるかと思っただけ」
「安眠には向かないと思うがね、彼の生涯は」
少し皺の寄った手。
僕の左頬にそっと添えられる。
「眠れないのなら、私が夜伽するよ」
薄い唇が、僕の唇に触れる。
この先、何をされるのかは知っていた。
首許からボタンを外され、鎖骨に口付けを落とされる。
君の髪が首筋をチクチクなぞる。
理性があるうちに、僕は彼の肩に手を置いた。
「止めて」
彼は顔を上げた。
「ん?」
「今日は、帰って」
頬からあたたかさが消える。
彼はあっさり頬に添えていた手を離した。
「アンリがそう言うなら、今宵は身を引こう」
いつもと同じ、落ち着いた声。
僕の髪を静かにひと撫でして、ベッドから降りた。
僕は彼に背を向けて、何の模様もない壁を見ていた。
「人に好意を寄せるのは、怖いかね? アンリ」
毛布を引き寄せる。
「そんなこと言ってない」
「そうだね。すまない」
足音が離れていく。
「おやすみ、アンリ」
ドアが閉まる音。
身体が熱い。
fin
■ロレートシナリオ
■配置予定:アイヴィー1の次
■配置予定:アイヴィー1の次
■背景:執務室の机に山積みの書類
■人物:デスクワーク中のカーディス(不満)
【側近】
陛下? 私が聖アルフォンソ島に向かう前と比べて、
書類の山が高くなっているように見受けられるのですが、錯覚でしょうか?
【カーディス】
レイナ。皮肉を言うくらいなら、少しは手伝ってくれてもいいんだぞ。
【側近】
国王陛下のお仕事を、一臣下が代行するわけには参りません。
【カーディス】
この堅物め。
【側近】
お褒め頂き、恐れ入ります。
【部下】
失礼致します。レイナ卿、少々お時間頂けますでしょうか。
【側近】
解った。では、陛下。私は席を外しますが、お仕事の続きをお願い致します。
■背景:執務室
■人物:カーディス(微笑)
【カーディス】
解っている。早く行って来い。
■背景:廊下
■人物:部下
【側近】
陛下のお耳には入れられぬ話か。
【部下】
ええ。こちらへおいで頂けますか。
■背景:別室
■人物:部下
【部下】
実は先程、こんなものが。
■背景:机上、くしゃくしゃの白い紙に殴り書き
【側近】
<新しい王子は、闇の血を引く者>と読めるな。
誰がどこで見つけた?
【部下】
場所は庭園。発見したのは庭師のロロです。
丸めた紙だったようですから、塀の外から投げ込まれた可能性が高いかと。
悪戯かもしれませんが、一応閣下にはお知らせを。
【側近】
そうか。これからも何かあれば全て私に。
【部下】
はい。これは只の嫌がらせでしょうか?
殿下にこんなものが届くとは思いませんでした。
誰かから恨みを買うようなお人に見えないのに。
どう思われますか、閣下。
【側近】
先ず、第一発見者に直接話を聞きたい。今、どこに居る?
【部下】
庭園に居る筈です。ご案内しましょう。
■背景:庭園
■人物:なし
【部下】
ああ、木の上に居ましたね。おーい、降りてきてくれ。
【庭師】
はーい。
■人物:庭師(ツナギ姿のお兄さん)
【庭師】
あ、側近の…
【側近】
話をするのは初めてですね。私はラルヴィス・レイナです。
【庭師】
あ、どうも。ケビン・ロロです…
【側近】
どうしました? 私の顔に何か付いていますか?
【庭師】
いえ。近くで見てもお綺麗な方だと思って。
【部下】
ロロ。
【庭師】
あ、すみません。
【側近】
貴方がこれの発見者ですね?
【庭師】
はい、そうです。ビックリしました。
【側近】
その時の話を聞かせて下さい。
【庭師】
えっと。朝、木の枝を切っていた時に見つけて…あの木です。
木から降りたら、根元に落ちてました。
【側近】
これが現れた瞬間は見ていないんですね?
【庭師】
はい。
【側近】
木の近くに貴方以外の人は居ましたか?
【庭師】
庭には俺しか居ませんでした。
塀の外は分かりません。俺、木ばっか見てたから。
なんか、お役に立てなくてすみません。
【側近】
いいえ。良く知らせてくれました。感謝します。
【庭師】
ど、どうも。
【部下】
どう致しましょう、閣下。
【側近】
この件は我々と警備の者を除いて、当面の間、箝口令(かんこうれい)を敷きます。
【部下】
了解。
【庭師】
あ、あの。箝口令って何ですか?
【側近】
関係者以外には情報を漏らさない、ということです。
特に陛下と殿下のお耳には入れないようお願いします。
皇太子が決定した今、お二人共、大切な時期です。余計な心労を増やしたくありません。
【庭師】
レイナ卿って優しいんですね。もっと冷たい人かと思ってました。
【部下】
ロロ。
【庭師】
あ、すみません。
【部下】
自分は警備の者に知らせてきます。
【側近】
ああ、頼む。
ロロさん、またこの庭に何か投げ込まれるかもしれません。
その時はまたすぐ知らせて下さい。
【庭師】
了解です、レイナ卿。
■背景:執務室
■人物:なし
【側近】
戻りました。お仕事、少しは進みましたか、陛…
■背景:執務室の机に山積みの書類
■人物:なし
【側近】
…逃げられた。
■背景:廊下
■人物:なし
【側近】
さて。何処へ行かれたか。
→屋上
→寝室
■人物:デスクワーク中のカーディス(不満)
【側近】
陛下? 私が聖アルフォンソ島に向かう前と比べて、
書類の山が高くなっているように見受けられるのですが、錯覚でしょうか?
【カーディス】
レイナ。皮肉を言うくらいなら、少しは手伝ってくれてもいいんだぞ。
【側近】
国王陛下のお仕事を、一臣下が代行するわけには参りません。
【カーディス】
この堅物め。
【側近】
お褒め頂き、恐れ入ります。
【部下】
失礼致します。レイナ卿、少々お時間頂けますでしょうか。
【側近】
解った。では、陛下。私は席を外しますが、お仕事の続きをお願い致します。
■背景:執務室
■人物:カーディス(微笑)
【カーディス】
解っている。早く行って来い。
■背景:廊下
■人物:部下
【側近】
陛下のお耳には入れられぬ話か。
【部下】
ええ。こちらへおいで頂けますか。
■背景:別室
■人物:部下
【部下】
実は先程、こんなものが。
■背景:机上、くしゃくしゃの白い紙に殴り書き
【側近】
<新しい王子は、闇の血を引く者>と読めるな。
誰がどこで見つけた?
【部下】
場所は庭園。発見したのは庭師のロロです。
丸めた紙だったようですから、塀の外から投げ込まれた可能性が高いかと。
悪戯かもしれませんが、一応閣下にはお知らせを。
【側近】
そうか。これからも何かあれば全て私に。
【部下】
はい。これは只の嫌がらせでしょうか?
殿下にこんなものが届くとは思いませんでした。
誰かから恨みを買うようなお人に見えないのに。
どう思われますか、閣下。
【側近】
先ず、第一発見者に直接話を聞きたい。今、どこに居る?
【部下】
庭園に居る筈です。ご案内しましょう。
■背景:庭園
■人物:なし
【部下】
ああ、木の上に居ましたね。おーい、降りてきてくれ。
【庭師】
はーい。
■人物:庭師(ツナギ姿のお兄さん)
【庭師】
あ、側近の…
【側近】
話をするのは初めてですね。私はラルヴィス・レイナです。
【庭師】
あ、どうも。ケビン・ロロです…
【側近】
どうしました? 私の顔に何か付いていますか?
【庭師】
いえ。近くで見てもお綺麗な方だと思って。
【部下】
ロロ。
【庭師】
あ、すみません。
【側近】
貴方がこれの発見者ですね?
【庭師】
はい、そうです。ビックリしました。
【側近】
その時の話を聞かせて下さい。
【庭師】
えっと。朝、木の枝を切っていた時に見つけて…あの木です。
木から降りたら、根元に落ちてました。
【側近】
これが現れた瞬間は見ていないんですね?
【庭師】
はい。
【側近】
木の近くに貴方以外の人は居ましたか?
【庭師】
庭には俺しか居ませんでした。
塀の外は分かりません。俺、木ばっか見てたから。
なんか、お役に立てなくてすみません。
【側近】
いいえ。良く知らせてくれました。感謝します。
【庭師】
ど、どうも。
【部下】
どう致しましょう、閣下。
【側近】
この件は我々と警備の者を除いて、当面の間、箝口令(かんこうれい)を敷きます。
【部下】
了解。
【庭師】
あ、あの。箝口令って何ですか?
【側近】
関係者以外には情報を漏らさない、ということです。
特に陛下と殿下のお耳には入れないようお願いします。
皇太子が決定した今、お二人共、大切な時期です。余計な心労を増やしたくありません。
【庭師】
レイナ卿って優しいんですね。もっと冷たい人かと思ってました。
【部下】
ロロ。
【庭師】
あ、すみません。
【部下】
自分は警備の者に知らせてきます。
【側近】
ああ、頼む。
ロロさん、またこの庭に何か投げ込まれるかもしれません。
その時はまたすぐ知らせて下さい。
【庭師】
了解です、レイナ卿。
■背景:執務室
■人物:なし
【側近】
戻りました。お仕事、少しは進みましたか、陛…
■背景:執務室の机に山積みの書類
■人物:なし
【側近】
…逃げられた。
■背景:廊下
■人物:なし
【側近】
さて。何処へ行かれたか。
→屋上
→寝室
■ロレートシナリオ
■配置予定:オープニングの次か、次の次
■配置予定:オープニングの次か、次の次
■背景:正門前
■人物:ジョシュア
【側近】
学院に到着です。ご乗車お疲れ様でした。
【ジョシュア】
あ、はい。
【側近】
残り少ない学院生活の最中に恐縮ですが、
また後日、お迎えに上がることになります。
それまでどうぞお元気でお過ごし下さいませ。
【ジョシュア】
はい。解りました。
いつも学院の前まで乗せて頂いて、すみません。
【側近】
お気になさらず、殿下。
学院までご無事にお送りするのが私の任務ですから。
■人物:ジョシュア(曇った表情)
【ジョシュア】
…任務、ですか。そうですよね。
【側近】
殿下?
■人物:ジョシュア
【ジョシュア】
あ、いいえ。送って下さって、ありがとうございました。
【側近】
いいえ。このようなことでお礼のお言葉など。
殿下のお傍に居ると、お心遣いが身に沁みます。殿下はお優しい。
【ジョシュア】
そうでしょうか?
【側近】
ええ。私は普段、品行方正とは無縁の御方に仕えているものですから、
殿下のお側に居る間は、心が洗われるようですよ。
【ジョシュア】
そんな…
【側近】
申し訳ありません。殿下は式典でお疲れですのに、引き止めてしまいましたね。
今宵は寮でごゆっくりお休み下さい。
【ジョシュア】
はい。それじゃ、また。
【側近】
はい。失礼致します。
■背景:ロレート公用車の前、遠くなるジョシュアに頭を下げている側近
【???】
見事な礼だねー。ラールちゃん。
■背景:黄色いタクシー
■人物:アイヴィー
【側近】
司令官閣下。おはようございます。
【アイヴィー】
おはよーございます。もー、ラルちゃん、「閣下」はダメだってばー。
マジプリどもに聞かれたら、からかわれるだけだからさー。
【側近】
ああ、すみません。そうでしたね。
【アイヴィー】
ラルちゃん、ジョシュアを送ってきてくれたとこか。
あ、ニュース見たよー? ジョシュア王子、大人気じゃん?
もしかして、ひと揉めあるかと思ってたけど、今んとこ平気そうでヨカッタね?
【側近】
はい。ほっとしています。
【アイヴィー】
王子様フィーバーに乗っかって『王室公式!王子様グッズ』でも売り出してみれば?
国家予算、ドーンと増えちゃうかもよ? ひひひ。
【側近】
そう、でしょうか。私の判断では決められないので、本国に持ち帰って…
【アイヴィー】
あー、お持ち帰りしなくてイイから。
ま、王様から、失笑が取れるか取れないかくらいだと思うし。
にしてもさー、ラルちゃん、毎回遠いとこから王子サマの送り迎えして大変じゃない?
ジョシュアなら俺が空港まで乗せてくのに、タダで。
【側近】
お心遣い恐縮です。ですが、これは陛下直々のご命令ですので。
【アイヴィー】
俺じゃ王子サマを任せらんないって?
【側近】
とんでもございません。貴方のことは、陛下も厚くご信頼…
【アイヴィー】
あー、ゴメンゴメン。今のは冗談だってば。
【側近】
…申し訳ありません。
【アイヴィー】
いやー、こっちこそ、面白くない冗談言っちゃって、ゴメンナサイ。
でも、今日はイイ天気でヨカッタ。昨日はね、珍しく雨だったんだよ?
【側近】
そうですか。閣下、今日は何か雨では良くないことでも?
【アイヴィー】
お天気だと、青空の下でラルちゃんと立ち話できんじゃん?
【側近】
…えっ? それも、ご冗談ですか?
【アイヴィー】
いんや。俺、結構スキだからさ、ラルちゃんとお話しすんの。
普段は会えないしー、レアキャラなんだよね、俺ん中では。
俺の周りって、わーわー煩いのとか、ドSさんとかだからさ、
たまーにラルちゃんみたいな落ち着いた人とお話しすると、妙にほっとしちゃうんだよね。
【側近】
お褒め頂いたのでしょうか…ありがとうございます。
【アイヴィー】
いえいえー。どういたしましてー。
【側近】
アイヴィー様、これから生徒様の送迎ですか?
【アイヴィー】
ん。バンドをたしなんでるマージナルプリンスどものねー。
けど、俺んちに乗り込んで来ては「腹減ったー腹減ったー」って。
そちらの王子サマと違って、まー、意地汚い王子サマ方でさー。
■人物:アルフレッド(不満)
【アルフレッド】
聞こえてんぞ、アイヴィー!
【アイヴィー】
聞こえるように言ってんだよ、マージナルプリンスども。
■人物:シルヴァン(不満)
【シルヴァン】
世間話に僕達の悪口言わなくてもいいじゃないですかー。
■人物:ハルヤ(困り顔)
【ハルヤ】
これからアイヴィーんちで、ごはん食べさせて貰おうと思ったのに頼み難いよ…
■背景:タクシーの助手席にスーパーの紙袋
■人物:なし
【アイヴィー】
やっぱりかよ。先にスーパーで買い物して来て正解だったな。
【アルフレッド】
なんだよ。あんた、やる気満々じゃん!
【アイヴィー】
こっからスーパー寄って俺んち帰るんじゃ、行ったり来たりでめんどいんだよ。
【ハルヤ】
よかった。じゃ、早くアイヴィーんち行こ。俺、お腹空いて死にそう。
【アイヴィー】
なら、さっさと乗んな。あ、またねー、ラルちゃん。
【側近】
はい。いってらっしゃいませ、皆様。
■背景:遠くなるタクシー
■人物:なし
fin
■人物:ジョシュア
【側近】
学院に到着です。ご乗車お疲れ様でした。
【ジョシュア】
あ、はい。
【側近】
残り少ない学院生活の最中に恐縮ですが、
また後日、お迎えに上がることになります。
それまでどうぞお元気でお過ごし下さいませ。
【ジョシュア】
はい。解りました。
いつも学院の前まで乗せて頂いて、すみません。
【側近】
お気になさらず、殿下。
学院までご無事にお送りするのが私の任務ですから。
■人物:ジョシュア(曇った表情)
【ジョシュア】
…任務、ですか。そうですよね。
【側近】
殿下?
■人物:ジョシュア
【ジョシュア】
あ、いいえ。送って下さって、ありがとうございました。
【側近】
いいえ。このようなことでお礼のお言葉など。
殿下のお傍に居ると、お心遣いが身に沁みます。殿下はお優しい。
【ジョシュア】
そうでしょうか?
【側近】
ええ。私は普段、品行方正とは無縁の御方に仕えているものですから、
殿下のお側に居る間は、心が洗われるようですよ。
【ジョシュア】
そんな…
【側近】
申し訳ありません。殿下は式典でお疲れですのに、引き止めてしまいましたね。
今宵は寮でごゆっくりお休み下さい。
【ジョシュア】
はい。それじゃ、また。
【側近】
はい。失礼致します。
■背景:ロレート公用車の前、遠くなるジョシュアに頭を下げている側近
【???】
見事な礼だねー。ラールちゃん。
■背景:黄色いタクシー
■人物:アイヴィー
【側近】
司令官閣下。おはようございます。
【アイヴィー】
おはよーございます。もー、ラルちゃん、「閣下」はダメだってばー。
マジプリどもに聞かれたら、からかわれるだけだからさー。
【側近】
ああ、すみません。そうでしたね。
【アイヴィー】
ラルちゃん、ジョシュアを送ってきてくれたとこか。
あ、ニュース見たよー? ジョシュア王子、大人気じゃん?
もしかして、ひと揉めあるかと思ってたけど、今んとこ平気そうでヨカッタね?
【側近】
はい。ほっとしています。
【アイヴィー】
王子様フィーバーに乗っかって『王室公式!王子様グッズ』でも売り出してみれば?
国家予算、ドーンと増えちゃうかもよ? ひひひ。
【側近】
そう、でしょうか。私の判断では決められないので、本国に持ち帰って…
【アイヴィー】
あー、お持ち帰りしなくてイイから。
ま、王様から、失笑が取れるか取れないかくらいだと思うし。
にしてもさー、ラルちゃん、毎回遠いとこから王子サマの送り迎えして大変じゃない?
ジョシュアなら俺が空港まで乗せてくのに、タダで。
【側近】
お心遣い恐縮です。ですが、これは陛下直々のご命令ですので。
【アイヴィー】
俺じゃ王子サマを任せらんないって?
【側近】
とんでもございません。貴方のことは、陛下も厚くご信頼…
【アイヴィー】
あー、ゴメンゴメン。今のは冗談だってば。
【側近】
…申し訳ありません。
【アイヴィー】
いやー、こっちこそ、面白くない冗談言っちゃって、ゴメンナサイ。
でも、今日はイイ天気でヨカッタ。昨日はね、珍しく雨だったんだよ?
【側近】
そうですか。閣下、今日は何か雨では良くないことでも?
【アイヴィー】
お天気だと、青空の下でラルちゃんと立ち話できんじゃん?
【側近】
…えっ? それも、ご冗談ですか?
【アイヴィー】
いんや。俺、結構スキだからさ、ラルちゃんとお話しすんの。
普段は会えないしー、レアキャラなんだよね、俺ん中では。
俺の周りって、わーわー煩いのとか、ドSさんとかだからさ、
たまーにラルちゃんみたいな落ち着いた人とお話しすると、妙にほっとしちゃうんだよね。
【側近】
お褒め頂いたのでしょうか…ありがとうございます。
【アイヴィー】
いえいえー。どういたしましてー。
【側近】
アイヴィー様、これから生徒様の送迎ですか?
【アイヴィー】
ん。バンドをたしなんでるマージナルプリンスどものねー。
けど、俺んちに乗り込んで来ては「腹減ったー腹減ったー」って。
そちらの王子サマと違って、まー、意地汚い王子サマ方でさー。
■人物:アルフレッド(不満)
【アルフレッド】
聞こえてんぞ、アイヴィー!
【アイヴィー】
聞こえるように言ってんだよ、マージナルプリンスども。
■人物:シルヴァン(不満)
【シルヴァン】
世間話に僕達の悪口言わなくてもいいじゃないですかー。
■人物:ハルヤ(困り顔)
【ハルヤ】
これからアイヴィーんちで、ごはん食べさせて貰おうと思ったのに頼み難いよ…
■背景:タクシーの助手席にスーパーの紙袋
■人物:なし
【アイヴィー】
やっぱりかよ。先にスーパーで買い物して来て正解だったな。
【アルフレッド】
なんだよ。あんた、やる気満々じゃん!
【アイヴィー】
こっからスーパー寄って俺んち帰るんじゃ、行ったり来たりでめんどいんだよ。
【ハルヤ】
よかった。じゃ、早くアイヴィーんち行こ。俺、お腹空いて死にそう。
【アイヴィー】
なら、さっさと乗んな。あ、またねー、ラルちゃん。
【側近】
はい。いってらっしゃいませ、皆様。
■背景:遠くなるタクシー
■人物:なし
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