■ウーティス寮
■ジョシュアの留守電「6月の電話」より
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■ジョシュアの留守電「6月の電話」より
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PR
「ハルヤ! お茶の体験講座だって!」
ユウタが指差しているのは、植物園の電子掲示板。
見頃の花を知らせるスケジュールなどが書かれているものだが、
今日はお茶会のお知らせも載っていた。作法を学ぶ茶道講座のようだ。
「俺、行ってみよっかなー。でもお茶なんてやったことないしなー」
「大丈夫だよ。別に難しいことじゃないから」
「ハルヤは、やったことあるの?」
「ん。昔、母様に習ったことあるから…」
「あっ、そうか! ハルヤのお母さん、祇園の芸者さんだったんだもんね!」
「うん、まあ」
「ハルヤも一緒に行ってくれる? だったら安心だし!」
お茶会当日。
植物園の茶室には十数名の生徒が集まっていた。
参加者より見学者の方が多かった。
彼等は茶室の近くにあるオープンカフェから見学していた。
ひとつのテーブルにレッド、アンリ、シルヴァンの姿があった。
ユウタが友人達に駆け寄る。
「皆も来てたんだー! でもなんで参加しないの?」
「飲みたくないから」
アンリはアイスティーに口付ける。
苦笑しながら、シルヴァンが続ける。
彼の前には『竜の涙』と呼ばれるレモンソーダがあった。
「僕達、マッチャがどうしても苦手で。
でも見るのは好きですし、勉強したいなと思いましてね。
今日は見学席から、ユウタとハルヤの応援してますから♪」
ハルヤは困ったように頬を掻く。
「…なんか皆に見られてたら、授業参観みたいだな」
ユウタはきょろきょろして、一人だけ居ない人を探す。
「あれ? ジョシュアは来てないの?」
レッドはオレンジジュースのグラスを置く。
「生徒代表室。あいつも来たがってたんだけど仕事あるみたいでさ。
早く終わったら来るって言ってたぜ?」
「そっか。ジョシュア、お仕事忙しいんだね」
その頃の生徒代表室。
ネットミーティングが始まるまで後十分。
その僅かな時間を使って、職権乱用している人物が居た。
「うん。今日は、ユウタはハルヤと一緒に植物園に行ってる」
アンティークな受話器に向かって、優しく話しているのが生徒代表だった。
生徒代表室で、私用の電話をすることは禁じられていたが、
この部屋に入ってくる者はなく、咎める人も居ないので、
規則を破っていると知りながらも、此処の電話を使っていた。
口から出てくる言葉は、この人の弟の話題になり易かった。
窓から植物園の方を見やる。そろそろ始まる時間かな、
そう思いながら、受話器から聞こえる声に耳を澄ましていた。
「お。始まるみたいだぜ? ほら行って来いよ、ウーティス代表!」
レッドに背中を押されて、ハルヤは恥ずかしそうに言う。
「…もう、そんなんじゃないってば」
「行こっ、ハルヤ!」
ユウタに手を引かれて、ハルヤは茶室に向かった。
お茶の先生は、日本人だった。
わざわざ京都から呼んだらしい。40歳前後の男の人。
京都で茶寮を営みながら、お茶の先生をしているのだそうだ。
穏やかな笑顔で、薄緑の着物がとても似合っていた。
流暢な英語で、生徒達に語り掛けていた。
「では、お手本を見せるね。誰かに手伝って貰おうかな。
この中で茶道の経験者は居るかい?」
ユウタは隣の腕を上げた。
「はい! ハルヤができます!」
「ちょ、ちょっと、ユウタ!?」
お茶の先生は、首を傾げる。
「…ハルヤ? もしかして君、小林さんの息子さん? 小林、春也君?」
「えっ…そう、ですけど…」
「君のお母さんを知っているんだ。以前、祇園に居らしただろう?」
「あ、はい…」
「私の店に来てくれていたんだよ。お仕事の前に甘いもの食べていかれてね」
「そう、なんですか…あの、もしかして、俺も…行ったことあります?」
「そうだね。君はまだ小さかったけど。覚えているのかい?」
「ぼんやりとですけど…抹茶のパフェを食べたのは覚えてます」
「そうか。嬉しいな。ありがとう」
「いえ…」
「綺麗な芸子さんだった。君はお母さん似なんだね。目許がよく似ている」
よく言われることだった。母親と目許がそっくりだと。
そのせいか幼い頃は女の子と間違われていた。
母様に髪を二つに結ばれて出掛けた時は、必ず女の子に見られた。
「可愛いわ、春也」と母様に言われて、
恥ずかしいような嬉しいような気持ちがした。
お茶の先生は、その時の俺も知っているのかもしれない。
「では小林君は、お茶をお母さんに習ったのかな?」
「あ、はい。そうです」
「そうか。では私が教えることもないね。お茶を立てたことはあるかい?」
「はい、一応」
「ではお茶を立てるところから、皆にお手本を見せてあげてくれるかな?」
「えっ、そんな…俺…」
見学席から歓声が上がる。
ユウタは無邪気な笑顔で言う。
「俺も見たい見たい!」
「で、でも…こんなたくさんの人の前で…」
お茶の先生はにこやかに笑う。
「お母さんに教わった通りで良いんだよ」
「…はい」
おずおずと前に出て、軽く息を吐く。
すると背筋が伸びて少し落ち着いたようだった。
(母様に、教わった通り…)
茶碗を手に取ると、後は流れるように身体が自然に動いた。
ハルヤにこんな特技があったと知らなかった生徒達から、
感嘆の溜め息が漏れ聞こえた。
ハルヤがお茶を飲み終えて礼をする。
茶室と見学席から、一斉に拍手と賛辞が沸き起こった。
大音量に驚いて、無我の域から帰って来たハルヤは、
みるみる頬を染め、俯いてしまった。
「みんな…やだ、そんなもう、いいってば…」
恥ずかしがるハルヤに、ギャラリーが余計に盛り上がった。
可笑しな歓声が聞こえて来て、ハルヤは身を小さくする。
「『可愛い』ってなんだよ…もう…」
帰りたい、と心の底から思っていると、
お茶の先生が柔らかに笑って、言った。
「ありがとう、小林君。とても上手だったね。さすが小林さんの息子さんだ。
まるで彼女のお茶立てを見ているようだったよ」
「…ありがとう、ございます」
自分が褒められたことより、母のようだと言われたことがハルヤの胸に響いた。
無意識に日本語で礼を述べていた。
お茶会が終わった。
がやがやと生徒達が帰って行く。
お茶の先生は帰り際、ハルヤに日本語で話し掛けた。
「今日はありがとう。小林君のおかげで楽しいお茶会になったよ」
「いえ…こちらこそ」
「今、小林さんは東京にいらっしゃるんだっけ?」
「ええ。料亭をやっていて」
「そうか。今度、小林さんにお会いしたら、伝えておくね?
貴女の息子さんのお手前は大変結構でしたと。ではね、小林君」
ハルヤは去り行く背中をぼうっと見ていた。
隣に居るユウタに名前を呼ばれる。
「いい先生だったね! 今日のハルヤ、すっごいカッコ良かったよ!」
「…ハルヤ」
本人が自らの名前を呟いたことに、ユウタが首を傾げる。
「ハルヤ? どうしたの?」
「…なんか久し振りに『小林君』って呼ばれたなと思って…」
「そっか。ココじゃ、みんな『ハルヤ』って呼ぶもんね」
「うん」
ギャラリーから見学者達がやってくる。
レッドとシルヴァンがハルヤを取り囲む。
アンリはその様子をつまらなそうに見ていた。
「いやー、今日はヒーローだったなー、ハルヤ!」
「ハルヤ、すっごくステキでした!」
絶賛を浴びて、ハルヤは先程の可笑しな歓声を思い出す。
「…シルヴァンさ。さっき俺のこと可愛いって言ったでしょ…」
「ハイ。でもみんなも言ってたじゃないですか♪」
「てゆうか、言ってないヤツも心の中では全員思ってただろ。な、アンリ?」
「…僕は思ってない」
植物園に向かって来る人影があった。
ユウタが手を振る。
「あっ、ジョシュアー!」
遅れてやって来た生徒代表は、
すっかり閑散としている茶室を見て、肩を竦める。
「…お茶会、もう終わってしまったんだね」
「遅いぜ、ジョシュア」
「そのようだね。急いで終わらせて来たんだけど…残念だな」
ユウタがジョシュアの腕を引く。
「俺が教えてあげる! 今日ね、ハルヤすごかったんだよ!」
「…ユウタ。恥ずかしいから話さなくていいよ」
「えー。俺、話したいよー! ジョシュアも聞きたいよねっ?」
「うん。聞きたいな、ハルヤの話」
「じゃあ、話すね!」
ジョシュアとユウタを中心に、六人が植物園から学院へと戻って行く。
彼等の周りでは青い初夏の花達が、風に揺れていた。
fin
ユウタが指差しているのは、植物園の電子掲示板。
見頃の花を知らせるスケジュールなどが書かれているものだが、
今日はお茶会のお知らせも載っていた。作法を学ぶ茶道講座のようだ。
「俺、行ってみよっかなー。でもお茶なんてやったことないしなー」
「大丈夫だよ。別に難しいことじゃないから」
「ハルヤは、やったことあるの?」
「ん。昔、母様に習ったことあるから…」
「あっ、そうか! ハルヤのお母さん、祇園の芸者さんだったんだもんね!」
「うん、まあ」
「ハルヤも一緒に行ってくれる? だったら安心だし!」
お茶会当日。
植物園の茶室には十数名の生徒が集まっていた。
参加者より見学者の方が多かった。
彼等は茶室の近くにあるオープンカフェから見学していた。
ひとつのテーブルにレッド、アンリ、シルヴァンの姿があった。
ユウタが友人達に駆け寄る。
「皆も来てたんだー! でもなんで参加しないの?」
「飲みたくないから」
アンリはアイスティーに口付ける。
苦笑しながら、シルヴァンが続ける。
彼の前には『竜の涙』と呼ばれるレモンソーダがあった。
「僕達、マッチャがどうしても苦手で。
でも見るのは好きですし、勉強したいなと思いましてね。
今日は見学席から、ユウタとハルヤの応援してますから♪」
ハルヤは困ったように頬を掻く。
「…なんか皆に見られてたら、授業参観みたいだな」
ユウタはきょろきょろして、一人だけ居ない人を探す。
「あれ? ジョシュアは来てないの?」
レッドはオレンジジュースのグラスを置く。
「生徒代表室。あいつも来たがってたんだけど仕事あるみたいでさ。
早く終わったら来るって言ってたぜ?」
「そっか。ジョシュア、お仕事忙しいんだね」
その頃の生徒代表室。
ネットミーティングが始まるまで後十分。
その僅かな時間を使って、職権乱用している人物が居た。
「うん。今日は、ユウタはハルヤと一緒に植物園に行ってる」
アンティークな受話器に向かって、優しく話しているのが生徒代表だった。
生徒代表室で、私用の電話をすることは禁じられていたが、
この部屋に入ってくる者はなく、咎める人も居ないので、
規則を破っていると知りながらも、此処の電話を使っていた。
口から出てくる言葉は、この人の弟の話題になり易かった。
窓から植物園の方を見やる。そろそろ始まる時間かな、
そう思いながら、受話器から聞こえる声に耳を澄ましていた。
「お。始まるみたいだぜ? ほら行って来いよ、ウーティス代表!」
レッドに背中を押されて、ハルヤは恥ずかしそうに言う。
「…もう、そんなんじゃないってば」
「行こっ、ハルヤ!」
ユウタに手を引かれて、ハルヤは茶室に向かった。
お茶の先生は、日本人だった。
わざわざ京都から呼んだらしい。40歳前後の男の人。
京都で茶寮を営みながら、お茶の先生をしているのだそうだ。
穏やかな笑顔で、薄緑の着物がとても似合っていた。
流暢な英語で、生徒達に語り掛けていた。
「では、お手本を見せるね。誰かに手伝って貰おうかな。
この中で茶道の経験者は居るかい?」
ユウタは隣の腕を上げた。
「はい! ハルヤができます!」
「ちょ、ちょっと、ユウタ!?」
お茶の先生は、首を傾げる。
「…ハルヤ? もしかして君、小林さんの息子さん? 小林、春也君?」
「えっ…そう、ですけど…」
「君のお母さんを知っているんだ。以前、祇園に居らしただろう?」
「あ、はい…」
「私の店に来てくれていたんだよ。お仕事の前に甘いもの食べていかれてね」
「そう、なんですか…あの、もしかして、俺も…行ったことあります?」
「そうだね。君はまだ小さかったけど。覚えているのかい?」
「ぼんやりとですけど…抹茶のパフェを食べたのは覚えてます」
「そうか。嬉しいな。ありがとう」
「いえ…」
「綺麗な芸子さんだった。君はお母さん似なんだね。目許がよく似ている」
よく言われることだった。母親と目許がそっくりだと。
そのせいか幼い頃は女の子と間違われていた。
母様に髪を二つに結ばれて出掛けた時は、必ず女の子に見られた。
「可愛いわ、春也」と母様に言われて、
恥ずかしいような嬉しいような気持ちがした。
お茶の先生は、その時の俺も知っているのかもしれない。
「では小林君は、お茶をお母さんに習ったのかな?」
「あ、はい。そうです」
「そうか。では私が教えることもないね。お茶を立てたことはあるかい?」
「はい、一応」
「ではお茶を立てるところから、皆にお手本を見せてあげてくれるかな?」
「えっ、そんな…俺…」
見学席から歓声が上がる。
ユウタは無邪気な笑顔で言う。
「俺も見たい見たい!」
「で、でも…こんなたくさんの人の前で…」
お茶の先生はにこやかに笑う。
「お母さんに教わった通りで良いんだよ」
「…はい」
おずおずと前に出て、軽く息を吐く。
すると背筋が伸びて少し落ち着いたようだった。
(母様に、教わった通り…)
茶碗を手に取ると、後は流れるように身体が自然に動いた。
ハルヤにこんな特技があったと知らなかった生徒達から、
感嘆の溜め息が漏れ聞こえた。
ハルヤがお茶を飲み終えて礼をする。
茶室と見学席から、一斉に拍手と賛辞が沸き起こった。
大音量に驚いて、無我の域から帰って来たハルヤは、
みるみる頬を染め、俯いてしまった。
「みんな…やだ、そんなもう、いいってば…」
恥ずかしがるハルヤに、ギャラリーが余計に盛り上がった。
可笑しな歓声が聞こえて来て、ハルヤは身を小さくする。
「『可愛い』ってなんだよ…もう…」
帰りたい、と心の底から思っていると、
お茶の先生が柔らかに笑って、言った。
「ありがとう、小林君。とても上手だったね。さすが小林さんの息子さんだ。
まるで彼女のお茶立てを見ているようだったよ」
「…ありがとう、ございます」
自分が褒められたことより、母のようだと言われたことがハルヤの胸に響いた。
無意識に日本語で礼を述べていた。
お茶会が終わった。
がやがやと生徒達が帰って行く。
お茶の先生は帰り際、ハルヤに日本語で話し掛けた。
「今日はありがとう。小林君のおかげで楽しいお茶会になったよ」
「いえ…こちらこそ」
「今、小林さんは東京にいらっしゃるんだっけ?」
「ええ。料亭をやっていて」
「そうか。今度、小林さんにお会いしたら、伝えておくね?
貴女の息子さんのお手前は大変結構でしたと。ではね、小林君」
ハルヤは去り行く背中をぼうっと見ていた。
隣に居るユウタに名前を呼ばれる。
「いい先生だったね! 今日のハルヤ、すっごいカッコ良かったよ!」
「…ハルヤ」
本人が自らの名前を呟いたことに、ユウタが首を傾げる。
「ハルヤ? どうしたの?」
「…なんか久し振りに『小林君』って呼ばれたなと思って…」
「そっか。ココじゃ、みんな『ハルヤ』って呼ぶもんね」
「うん」
ギャラリーから見学者達がやってくる。
レッドとシルヴァンがハルヤを取り囲む。
アンリはその様子をつまらなそうに見ていた。
「いやー、今日はヒーローだったなー、ハルヤ!」
「ハルヤ、すっごくステキでした!」
絶賛を浴びて、ハルヤは先程の可笑しな歓声を思い出す。
「…シルヴァンさ。さっき俺のこと可愛いって言ったでしょ…」
「ハイ。でもみんなも言ってたじゃないですか♪」
「てゆうか、言ってないヤツも心の中では全員思ってただろ。な、アンリ?」
「…僕は思ってない」
植物園に向かって来る人影があった。
ユウタが手を振る。
「あっ、ジョシュアー!」
遅れてやって来た生徒代表は、
すっかり閑散としている茶室を見て、肩を竦める。
「…お茶会、もう終わってしまったんだね」
「遅いぜ、ジョシュア」
「そのようだね。急いで終わらせて来たんだけど…残念だな」
ユウタがジョシュアの腕を引く。
「俺が教えてあげる! 今日ね、ハルヤすごかったんだよ!」
「…ユウタ。恥ずかしいから話さなくていいよ」
「えー。俺、話したいよー! ジョシュアも聞きたいよねっ?」
「うん。聞きたいな、ハルヤの話」
「じゃあ、話すね!」
ジョシュアとユウタを中心に、六人が植物園から学院へと戻って行く。
彼等の周りでは青い初夏の花達が、風に揺れていた。
fin
■アイヴィー×ジョシュア
-------------------------
-------------------------
「貴方の家は、海が見えるんですね」
アイヴィーの自宅に聖アルフォンソ学院の生徒代表を招いた。
今年の生徒代表、ジョシュア・グラントの髪が潮風に揺れている。
生徒代表室でミーティングが終わった後。
「うちに来るか」と誘ったら、若干の戸惑いを見せながらも、
ミーティングの延長とでも感じたのか「はい」と答えた。
そのまま愛車に乗せて、連れて来ちまった。
デッド・プリンスどもは招かなくても勝手に来るが、
このマージナルプリンスを家に上がらせるのは今日が初めてだった。
最近の生徒代表は何処か気が漫ろで、
ミーティング中も今までと違う表情を見せていた。
聖アルフォンソ学院の生徒代表は、窓から見える景色を眺めている。
「気に入った? 海の見えるおうち」
「はい」
「そ。総帥のお気に召して光栄だな」
「総帥なんて。止めて下さい、そんな言い方」
「だって、俺に命令できんの、お前さんだけだろ?」
聖アルフォンソ島学院直轄の警備組織。
責任者であるアイヴィーの上に立つのが、学院の生徒代表、ジョシュアだった。
事実上、聖アルフォンソ島の王と言っても過言ではない。
アイヴィーより一回り年下の、この18歳の少年が辺境の島を統括する存在だった。
「…そうですけど…生徒代表室に居ない時は、ジョシュアと呼んでくれませんか」
「生徒代表がそうご命令になるのなら、仰せのままに」
「命令じゃありません。俺はお願いしているだけで」
「解ってるってば。ちょっと軍人ゴッコしてみたんだよ」
「…冗談だったんですか。すみません…俺、よく解らなくて」
「謝んなよ。ほーんっと今年の生徒代表は良い子だねー。去年とは大違い」
「…テオ、ですか」
前年度の生徒代表、テオ・メネシス。
大らかな人柄で、学院内に留まらず、島民の間でも人気者だった。
「テオも貴方の家に来たことがあるんですか?」
「ああ。何度かな」
「親しかったんですね」
「まあな。あいつのヨットに乗せて貰ったこともあったかな」
アイヴィーは冷蔵庫を覗く。
それなりに食材が入っていた。まあ、なんとかなりそうだなと思う。
「お前さん、ハラ減ってる?」
「…え?」
「メシ作ってやろっか。あ。言っておくがルックスは悪いぜ?」
パスタやサラダなど、ごく庶民的なメニュー。
珍しそうに見ながらも、王子様は「美味しいです」と食べていた。
「レッド達も此処に来るそうですね?」
「ああ。あいつ等な。勝手に上がりこんで来るんだよ」
「一度食べてみたかったんです。貴方の作る料理は美味しいと聞いていたから」
「うわ。マジかよ。人に言う程のもんじゃねーのに」
「美味しいですよ、本当に。また食べたくなりそうだな」
「こんなんでイイなら、いつでも作ってやるぜ?」
「ありがとう、アイヴィー」
「どーいたしまして。俺、ビール飲んでも良いかな?」
「俺に許可なんか要りませんよ。此処は貴方の家なんですから」
「そう? じゃあ飲んじゃおーっと」
「あの、アイヴィー」
「ん?」
「俺にも、少し頂けますか?」
冷蔵庫から出して来た缶ビール。
普段ならそのまま口を付けて飲むところだが、
王子様の為にグラスで飲むことにした。
グラスに注ぐと、ホップの香りがする。
王子様は一口飲んで、少し笑った。
「…苦いんですね。ビールって」
「お前、初めて飲んだの?」
「ええ。他の、ワインとかなら飲む機会はあったんですが」
ロレート公国の第一王子が小さく言った。
その身分上、パーティなどに駆り出されたこともあるのだろう。
グラントの実家があるイギリスでは16歳から飲酒可能だ。
最近になって、ロレートに何度か足を運んでいるようだし。
そのような酒席では確かにワインの方が並び易いのだろう。
他愛もない話をしていた。
アルコールが入ってからは、ジョシュアも少し話すようになった。
最近、寮であった出来事とか主に友人達の話をしていた。
自分の話が出て来ないのがジョシュアらしいとも言えた。
本人の能力と自己評価の間に余りにも差がある。
本当に去年の生徒代表とは大違いで面白かった。
ジョシュアはふと時計を見て、驚いた様子だった。
「すみません。こんな時間まで…俺、そろそろ寮に戻らないと」
「え? 泊まってけば? 俺、飲酒運転になっちまうし」
「でも、泊まるとは皆に言っていなくて…」
アイヴィーは固定電話の受話器を取る。ウーティス寮に繋いだ。
「バトラー? ああ、オレオレ。お宅のジョシュア、今日俺んち泊めてイイ?
…丁重にお預かりしてるから大丈夫だよ。それじゃ」
ジョシュアは俯いたまま、言った。
「…俺を泊めて、良いんですか?」
「イイも悪いも、俺、送って行けねーしな。お前さんも、もう少し飲む?」
「…ええ。頂きます」
ジョシュアは俺に注がれた酒に口付ける。
飲ませても表情はあまり変わらなかった。ちっとも赤くならない。
「へえ。お前さん酒強いんだ?」
「そうでもないですよ」
「顔、真っ白なままだぜ?」
「顔に出ないだけです。少しぼうっとしてきました」
そういう口調もしっかりとしたもので、
酔っているようにはとても見えない。
「お前さん、酔って暴れたこととかねーだろ?」
「…はい。ありませんが…?」
「子供ん時、親にワガママ言ったこともない?」
「…多分。ないと思います」
「子供ん時から大人で、今も大人なんだな、お前さんは」
アイヴィーはビールを煽る。
ジョシュアは黙ったままだった。
「ジョシュア、俺が何の為に居るか解ってる?」
「えっ?」
「お前さんをサポートする為なんだぜ? もっと甘えて来いよ」
「そんな…甘えろって言われても…」
「甘え方、わかんない? んじゃ、こっち座って?」
ソファから立たせて、絨毯の上に座らせる。生徒代表の後ろを取った。
アイヴィーはジョシュアの背中からそっと抱いてやった。
「…アイヴィー、あの」
「肩に力入ってる。…甘え方、教えてやるよ?」
「…甘え方?」
「深呼吸して、力抜いてみ?」
言われた通り、深呼吸した。
強張っていた身体の緊張が解ける。
「そ。やればできんじゃん? これが相手に身を任せるってこと。解った?」
「え、はい…」
「んで、これが甘えるってこと」
アイヴィーはジョシュアの肩に顔を埋めた。
見た目より細い身体だった。
「お前はさ、一人で何でも抱え込み過ぎなんだよ、ジョシュア。
もう少し気軽にやってもイイと思うぜ?」
「はい…すみません」
「謝るとこじゃねーの。ありがとうって言ってみ?」
「ありがとうございます。優しいんですね、貴方は」
「まーね♪」
「…テオにも」
ジョシュアの声色が変わった。
低い温度で、冷たくさえ聞こえた。
「…ジョシュア?」
少年が大人の手を握る。
熱い手だった。
「テオにも、優しくしたんですか?」
fin
アイヴィーの自宅に聖アルフォンソ学院の生徒代表を招いた。
今年の生徒代表、ジョシュア・グラントの髪が潮風に揺れている。
生徒代表室でミーティングが終わった後。
「うちに来るか」と誘ったら、若干の戸惑いを見せながらも、
ミーティングの延長とでも感じたのか「はい」と答えた。
そのまま愛車に乗せて、連れて来ちまった。
デッド・プリンスどもは招かなくても勝手に来るが、
このマージナルプリンスを家に上がらせるのは今日が初めてだった。
最近の生徒代表は何処か気が漫ろで、
ミーティング中も今までと違う表情を見せていた。
聖アルフォンソ学院の生徒代表は、窓から見える景色を眺めている。
「気に入った? 海の見えるおうち」
「はい」
「そ。総帥のお気に召して光栄だな」
「総帥なんて。止めて下さい、そんな言い方」
「だって、俺に命令できんの、お前さんだけだろ?」
聖アルフォンソ島学院直轄の警備組織。
責任者であるアイヴィーの上に立つのが、学院の生徒代表、ジョシュアだった。
事実上、聖アルフォンソ島の王と言っても過言ではない。
アイヴィーより一回り年下の、この18歳の少年が辺境の島を統括する存在だった。
「…そうですけど…生徒代表室に居ない時は、ジョシュアと呼んでくれませんか」
「生徒代表がそうご命令になるのなら、仰せのままに」
「命令じゃありません。俺はお願いしているだけで」
「解ってるってば。ちょっと軍人ゴッコしてみたんだよ」
「…冗談だったんですか。すみません…俺、よく解らなくて」
「謝んなよ。ほーんっと今年の生徒代表は良い子だねー。去年とは大違い」
「…テオ、ですか」
前年度の生徒代表、テオ・メネシス。
大らかな人柄で、学院内に留まらず、島民の間でも人気者だった。
「テオも貴方の家に来たことがあるんですか?」
「ああ。何度かな」
「親しかったんですね」
「まあな。あいつのヨットに乗せて貰ったこともあったかな」
アイヴィーは冷蔵庫を覗く。
それなりに食材が入っていた。まあ、なんとかなりそうだなと思う。
「お前さん、ハラ減ってる?」
「…え?」
「メシ作ってやろっか。あ。言っておくがルックスは悪いぜ?」
パスタやサラダなど、ごく庶民的なメニュー。
珍しそうに見ながらも、王子様は「美味しいです」と食べていた。
「レッド達も此処に来るそうですね?」
「ああ。あいつ等な。勝手に上がりこんで来るんだよ」
「一度食べてみたかったんです。貴方の作る料理は美味しいと聞いていたから」
「うわ。マジかよ。人に言う程のもんじゃねーのに」
「美味しいですよ、本当に。また食べたくなりそうだな」
「こんなんでイイなら、いつでも作ってやるぜ?」
「ありがとう、アイヴィー」
「どーいたしまして。俺、ビール飲んでも良いかな?」
「俺に許可なんか要りませんよ。此処は貴方の家なんですから」
「そう? じゃあ飲んじゃおーっと」
「あの、アイヴィー」
「ん?」
「俺にも、少し頂けますか?」
冷蔵庫から出して来た缶ビール。
普段ならそのまま口を付けて飲むところだが、
王子様の為にグラスで飲むことにした。
グラスに注ぐと、ホップの香りがする。
王子様は一口飲んで、少し笑った。
「…苦いんですね。ビールって」
「お前、初めて飲んだの?」
「ええ。他の、ワインとかなら飲む機会はあったんですが」
ロレート公国の第一王子が小さく言った。
その身分上、パーティなどに駆り出されたこともあるのだろう。
グラントの実家があるイギリスでは16歳から飲酒可能だ。
最近になって、ロレートに何度か足を運んでいるようだし。
そのような酒席では確かにワインの方が並び易いのだろう。
他愛もない話をしていた。
アルコールが入ってからは、ジョシュアも少し話すようになった。
最近、寮であった出来事とか主に友人達の話をしていた。
自分の話が出て来ないのがジョシュアらしいとも言えた。
本人の能力と自己評価の間に余りにも差がある。
本当に去年の生徒代表とは大違いで面白かった。
ジョシュアはふと時計を見て、驚いた様子だった。
「すみません。こんな時間まで…俺、そろそろ寮に戻らないと」
「え? 泊まってけば? 俺、飲酒運転になっちまうし」
「でも、泊まるとは皆に言っていなくて…」
アイヴィーは固定電話の受話器を取る。ウーティス寮に繋いだ。
「バトラー? ああ、オレオレ。お宅のジョシュア、今日俺んち泊めてイイ?
…丁重にお預かりしてるから大丈夫だよ。それじゃ」
ジョシュアは俯いたまま、言った。
「…俺を泊めて、良いんですか?」
「イイも悪いも、俺、送って行けねーしな。お前さんも、もう少し飲む?」
「…ええ。頂きます」
ジョシュアは俺に注がれた酒に口付ける。
飲ませても表情はあまり変わらなかった。ちっとも赤くならない。
「へえ。お前さん酒強いんだ?」
「そうでもないですよ」
「顔、真っ白なままだぜ?」
「顔に出ないだけです。少しぼうっとしてきました」
そういう口調もしっかりとしたもので、
酔っているようにはとても見えない。
「お前さん、酔って暴れたこととかねーだろ?」
「…はい。ありませんが…?」
「子供ん時、親にワガママ言ったこともない?」
「…多分。ないと思います」
「子供ん時から大人で、今も大人なんだな、お前さんは」
アイヴィーはビールを煽る。
ジョシュアは黙ったままだった。
「ジョシュア、俺が何の為に居るか解ってる?」
「えっ?」
「お前さんをサポートする為なんだぜ? もっと甘えて来いよ」
「そんな…甘えろって言われても…」
「甘え方、わかんない? んじゃ、こっち座って?」
ソファから立たせて、絨毯の上に座らせる。生徒代表の後ろを取った。
アイヴィーはジョシュアの背中からそっと抱いてやった。
「…アイヴィー、あの」
「肩に力入ってる。…甘え方、教えてやるよ?」
「…甘え方?」
「深呼吸して、力抜いてみ?」
言われた通り、深呼吸した。
強張っていた身体の緊張が解ける。
「そ。やればできんじゃん? これが相手に身を任せるってこと。解った?」
「え、はい…」
「んで、これが甘えるってこと」
アイヴィーはジョシュアの肩に顔を埋めた。
見た目より細い身体だった。
「お前はさ、一人で何でも抱え込み過ぎなんだよ、ジョシュア。
もう少し気軽にやってもイイと思うぜ?」
「はい…すみません」
「謝るとこじゃねーの。ありがとうって言ってみ?」
「ありがとうございます。優しいんですね、貴方は」
「まーね♪」
「…テオにも」
ジョシュアの声色が変わった。
低い温度で、冷たくさえ聞こえた。
「…ジョシュア?」
少年が大人の手を握る。
熱い手だった。
「テオにも、優しくしたんですか?」
fin
■ソクーロフ×アイヴィー
-------------------------
-------------------------
追憶の塔。
海に浮かぶ牢獄と呼ばれた場所。此処に聖アルフォンソ島の警備組織がある。
今日、島への不法侵入者が捕まった。
罪人の黒幕を知る為、ソクーロフが呼ばれた。洗脳、自白のスペシャリストとして。
広い部屋の中央に椅子が在る。
其処には目隠しをさせられた罪人が座っている。スーツ姿で身なりの良い男だった。
彼の傍に靴音がゆっくりと迫る。白衣を纏った医師は椅子の背に手を置いた。
「成程。君は、この島に昨夜着いたんだね?」
「うん…昨日」
「何人で来たのかな?」
「3人で、来た…」
年齢で言えばとっくに大人であろう罪人は、
間延びした口調で、まるで子供のような受け答えをしていた。
それすらも、この医師が操っているらしかった。
白衣の男は、質問に答えられた『子供』を褒める。
「いい子だ。よく言えたね」
罪人の口許に、うっすらと笑みが浮かぶ。
親に褒められた子供そのものだった。
(なんで毎回、こうも上手くいっちゃうかねえ…)
アイヴィーは後方から、ソクーロフのお手並みを拝見していた。
不法侵入者の尋問に立ち会うことが度々あるが、この医師が行う尋問は必ず成功する。
医師は徐々に質問を深くしていた。
「君達は船で来たんだね? 昨夜は、雨に濡れなかったかい?」
「濡れた…船、揺れてて…怖かった…」
「そう。怖かったんだね」
「うん…嫌な予感してた…今日捕まって、
やっぱり悪いこと、しちゃいけないんだな、って思った」
「そうか。君には罪の意識があったんだね。偉い子だ」
親のように語り掛ける医師。優しいのは口調だけだった。
此処に居る時の医師は、生徒達の相談に乗る保健医の顔をしていない。
目の前の研究対象に、狂気的な興味があるようにも見えた。
医師は、罪人の耳許で尋ねる。
「では、この島に君達を仕向けた黒幕を知っているかな?」
「知らない…俺はボスに言われただけ、だから」
「ボスと親しくしている人物に覚えはない?」
「ごめんなさい…俺、ボスのこと、よく解らないんだ…」
「謝ることはない。知らなくて済むなら、その方が良かったのだろう」
医師は身を起こす。
長く束ねた髪が揺れた。
「いいだろう。君へのインタビューは終了だ」
白衣の医師が指を鳴らす。
目隠しをされた男は、がくんと項垂れた。
医師が「連れて行け」と命じると、数名の人間が男を他の部屋へと移動させた。
無機質な部屋には、医師と警備責任者のみとなる。
壁に凭れて、一部始終を見守っていた警備責任者は、煙草に火を点けた。
「アイヴィー。此処は禁煙の筈だが?」
「お仕事終わったんだからイイじゃん。許してよ、センセ?」
「お前、此処の司令官じゃなかったのか? 率先して規則を破るな」
司令官は長い髪に手を通す。
夏場は少し煩わしい長さだった。束ねた方が良いかも、と思った。
「黒幕、誰か解らなかったな。ソクちゃんのエスパーでわかんない?」
「私は超能力者ではない。只のカウンセラーだ」
「タダのってことないでしょ。あんたの前では、
面白いくらい皆ペラペラ喋り出すんだから。喋った記憶ごと消して、ね。
俺も知らない間に、ソクーロフに自白させられてたりしてー」
「貴様などに聞きたいことはない」
「ホントかなあ?」
「私は学院に戻る。生徒達のカウンセリングが残っているからな」
「ソクーロフ」
「なんだ」
「…解んだろ、センセ?」
その夜。アイヴィーの愛車に乗って、ソクーロフが家に訪れた。
海が見えるコテージがアイヴィーの自宅だった。
真っ暗な海は何も見えない。
窓から夏の潮風。少し湿気を帯びている。
いつもより暑い夜になりそうだった。
「ソクちゃんってさ、人の話聞くのスキなの?」
ほろ酔いの家主が口を滑らせた。
学院のカウンセラーを務めるソクーロフは、
酔っ払いを特に相手にしなかった。答える義理もない。
酔っ払いはソクーロフが座っているロングソファに移動する。
片手には、氷で薄まったウイスキーを持ったまま、隣に座った。
「人の悩みとかたくさん聞かされてさ、あんたはヘーキなわけ?」
「平気だ。カウンセラーは相談内容に取り込まれないよう訓練している。
クライアントが何故そう想ったか、という部分に着目するようにな」
「ソクちゃんはー、なんでカウンセラーになろうと思ったの?」
「お前にしては不躾な質問だな。もう酔ったのか?」
「そだね。アイちゃん、酔ってんのカモ♪」
そう返されて、医師は言葉の裏を考える。職業病だった。
台詞と本音が同じとは限らないのは百も承知だ。
この男はアルコールで理性が麻痺しているのか。
それとも狂言か。酔ったフリをして、
敢えて土足で踏み込もうとしているのかもしれない。
表向きは聖アルフォンソ学院の専属ドライバー。
彼を慕う生徒達の前では『気さくな兄』で在り続ける男。
自分のことはアイヴィーと気軽に呼ばせている。
他の呼び方をする生徒は居ない。
この男が自分のフルネームを知らせていないからだ。
「アイヴィー。お前は何故、人を守ることを生業としている?」
酔っ払いは笑い声を上げて、言った。
「やめよっか、この話。面白くなかったね」
「私に振っておいて、自分に振られたら避けるのか。卑怯だな?」
「俺、オトナだもーん」
「そうだな。そろそろオトナの時間だ」
「ソク…」
玄関から喧しい声が上がって来た。
「デッド・プリンス参上!」
「アイヴィー! 遊びに来ちゃいましたー!」
「ごめんね、こんな遅くに」
どやどやと上がってきた、レッド、シルヴァン、ハルヤは、
このリビングでは見慣れぬ人物に驚愕する。
レッドは歓声を上げた。
「ソクーロフ博士じゃん! どーしたんスか、こんなトコで!」
「やあ…アルフレッド。君達がアイヴィーと親しいのは知っていたが、
これほど、気軽に遊びに来るとは知らなかったよ」
ハルヤは年上の友人を気遣い、心配そうに尋ねた。
「…アイヴィー、どっか具合でも悪いの?」
「いっ、いや、なんていうか…」
言い淀む酔っ払いに代わり、ソクーロフが続ける。
「ハルヤ、心配しなくて良い。定期カウンセリングをしていただけだ」
「定期カウンセリング? アイヴィーをですか?」
「彼は、学院専属のドライバーだからね、私のクライアントの一人なんだ」
「…でも、どうしてアイヴィーの家で?」
「カウンセリングルームはクライアントが落ち着ける場所なら良いんだよ、何処でもね」
ハルヤの質問に対し、保健医はひとつひとつ穏やかに答えていた。
しかし、言外に穏やかではない空気が流れている。
それを一人察知したシルヴァンが、子供達の腕を取る。
「そ、そうでしたか。カウンセリング中に失礼しました。僕達、今日は帰りますね?」
「悪かったね。そうしてくれると助かるよ、シルヴァン」
「いえ。すみませんでした、博士」
「えー。来たばっかじゃん。俺、博士と話したい!」
「ダメですよ、レッド。さあ、帰りましょう。ハルヤも行きますよ」
「え、うん」
引き摺られるように腕が引かれ、デッド・プリンスが退場する。
リビングルームは途端に静寂の空間になった。
保健医は生徒達の前では聞かせない、オトナの声に戻る。
「さすが聡いな、シルヴァン・クラークは」
「…さっきまでの優しい保健室のセンセはどこ行ったのよ」
「私に優しい先生で在って欲しいのか? 違う、だろう?」
「…誰のせいだよ。卑怯なのはお前じゃねえか」
「オトナだからな」
fin
海に浮かぶ牢獄と呼ばれた場所。此処に聖アルフォンソ島の警備組織がある。
今日、島への不法侵入者が捕まった。
罪人の黒幕を知る為、ソクーロフが呼ばれた。洗脳、自白のスペシャリストとして。
広い部屋の中央に椅子が在る。
其処には目隠しをさせられた罪人が座っている。スーツ姿で身なりの良い男だった。
彼の傍に靴音がゆっくりと迫る。白衣を纏った医師は椅子の背に手を置いた。
「成程。君は、この島に昨夜着いたんだね?」
「うん…昨日」
「何人で来たのかな?」
「3人で、来た…」
年齢で言えばとっくに大人であろう罪人は、
間延びした口調で、まるで子供のような受け答えをしていた。
それすらも、この医師が操っているらしかった。
白衣の男は、質問に答えられた『子供』を褒める。
「いい子だ。よく言えたね」
罪人の口許に、うっすらと笑みが浮かぶ。
親に褒められた子供そのものだった。
(なんで毎回、こうも上手くいっちゃうかねえ…)
アイヴィーは後方から、ソクーロフのお手並みを拝見していた。
不法侵入者の尋問に立ち会うことが度々あるが、この医師が行う尋問は必ず成功する。
医師は徐々に質問を深くしていた。
「君達は船で来たんだね? 昨夜は、雨に濡れなかったかい?」
「濡れた…船、揺れてて…怖かった…」
「そう。怖かったんだね」
「うん…嫌な予感してた…今日捕まって、
やっぱり悪いこと、しちゃいけないんだな、って思った」
「そうか。君には罪の意識があったんだね。偉い子だ」
親のように語り掛ける医師。優しいのは口調だけだった。
此処に居る時の医師は、生徒達の相談に乗る保健医の顔をしていない。
目の前の研究対象に、狂気的な興味があるようにも見えた。
医師は、罪人の耳許で尋ねる。
「では、この島に君達を仕向けた黒幕を知っているかな?」
「知らない…俺はボスに言われただけ、だから」
「ボスと親しくしている人物に覚えはない?」
「ごめんなさい…俺、ボスのこと、よく解らないんだ…」
「謝ることはない。知らなくて済むなら、その方が良かったのだろう」
医師は身を起こす。
長く束ねた髪が揺れた。
「いいだろう。君へのインタビューは終了だ」
白衣の医師が指を鳴らす。
目隠しをされた男は、がくんと項垂れた。
医師が「連れて行け」と命じると、数名の人間が男を他の部屋へと移動させた。
無機質な部屋には、医師と警備責任者のみとなる。
壁に凭れて、一部始終を見守っていた警備責任者は、煙草に火を点けた。
「アイヴィー。此処は禁煙の筈だが?」
「お仕事終わったんだからイイじゃん。許してよ、センセ?」
「お前、此処の司令官じゃなかったのか? 率先して規則を破るな」
司令官は長い髪に手を通す。
夏場は少し煩わしい長さだった。束ねた方が良いかも、と思った。
「黒幕、誰か解らなかったな。ソクちゃんのエスパーでわかんない?」
「私は超能力者ではない。只のカウンセラーだ」
「タダのってことないでしょ。あんたの前では、
面白いくらい皆ペラペラ喋り出すんだから。喋った記憶ごと消して、ね。
俺も知らない間に、ソクーロフに自白させられてたりしてー」
「貴様などに聞きたいことはない」
「ホントかなあ?」
「私は学院に戻る。生徒達のカウンセリングが残っているからな」
「ソクーロフ」
「なんだ」
「…解んだろ、センセ?」
その夜。アイヴィーの愛車に乗って、ソクーロフが家に訪れた。
海が見えるコテージがアイヴィーの自宅だった。
真っ暗な海は何も見えない。
窓から夏の潮風。少し湿気を帯びている。
いつもより暑い夜になりそうだった。
「ソクちゃんってさ、人の話聞くのスキなの?」
ほろ酔いの家主が口を滑らせた。
学院のカウンセラーを務めるソクーロフは、
酔っ払いを特に相手にしなかった。答える義理もない。
酔っ払いはソクーロフが座っているロングソファに移動する。
片手には、氷で薄まったウイスキーを持ったまま、隣に座った。
「人の悩みとかたくさん聞かされてさ、あんたはヘーキなわけ?」
「平気だ。カウンセラーは相談内容に取り込まれないよう訓練している。
クライアントが何故そう想ったか、という部分に着目するようにな」
「ソクちゃんはー、なんでカウンセラーになろうと思ったの?」
「お前にしては不躾な質問だな。もう酔ったのか?」
「そだね。アイちゃん、酔ってんのカモ♪」
そう返されて、医師は言葉の裏を考える。職業病だった。
台詞と本音が同じとは限らないのは百も承知だ。
この男はアルコールで理性が麻痺しているのか。
それとも狂言か。酔ったフリをして、
敢えて土足で踏み込もうとしているのかもしれない。
表向きは聖アルフォンソ学院の専属ドライバー。
彼を慕う生徒達の前では『気さくな兄』で在り続ける男。
自分のことはアイヴィーと気軽に呼ばせている。
他の呼び方をする生徒は居ない。
この男が自分のフルネームを知らせていないからだ。
「アイヴィー。お前は何故、人を守ることを生業としている?」
酔っ払いは笑い声を上げて、言った。
「やめよっか、この話。面白くなかったね」
「私に振っておいて、自分に振られたら避けるのか。卑怯だな?」
「俺、オトナだもーん」
「そうだな。そろそろオトナの時間だ」
「ソク…」
玄関から喧しい声が上がって来た。
「デッド・プリンス参上!」
「アイヴィー! 遊びに来ちゃいましたー!」
「ごめんね、こんな遅くに」
どやどやと上がってきた、レッド、シルヴァン、ハルヤは、
このリビングでは見慣れぬ人物に驚愕する。
レッドは歓声を上げた。
「ソクーロフ博士じゃん! どーしたんスか、こんなトコで!」
「やあ…アルフレッド。君達がアイヴィーと親しいのは知っていたが、
これほど、気軽に遊びに来るとは知らなかったよ」
ハルヤは年上の友人を気遣い、心配そうに尋ねた。
「…アイヴィー、どっか具合でも悪いの?」
「いっ、いや、なんていうか…」
言い淀む酔っ払いに代わり、ソクーロフが続ける。
「ハルヤ、心配しなくて良い。定期カウンセリングをしていただけだ」
「定期カウンセリング? アイヴィーをですか?」
「彼は、学院専属のドライバーだからね、私のクライアントの一人なんだ」
「…でも、どうしてアイヴィーの家で?」
「カウンセリングルームはクライアントが落ち着ける場所なら良いんだよ、何処でもね」
ハルヤの質問に対し、保健医はひとつひとつ穏やかに答えていた。
しかし、言外に穏やかではない空気が流れている。
それを一人察知したシルヴァンが、子供達の腕を取る。
「そ、そうでしたか。カウンセリング中に失礼しました。僕達、今日は帰りますね?」
「悪かったね。そうしてくれると助かるよ、シルヴァン」
「いえ。すみませんでした、博士」
「えー。来たばっかじゃん。俺、博士と話したい!」
「ダメですよ、レッド。さあ、帰りましょう。ハルヤも行きますよ」
「え、うん」
引き摺られるように腕が引かれ、デッド・プリンスが退場する。
リビングルームは途端に静寂の空間になった。
保健医は生徒達の前では聞かせない、オトナの声に戻る。
「さすが聡いな、シルヴァン・クラークは」
「…さっきまでの優しい保健室のセンセはどこ行ったのよ」
「私に優しい先生で在って欲しいのか? 違う、だろう?」
「…誰のせいだよ。卑怯なのはお前じゃねえか」
「オトナだからな」
fin
■シルヴァン×ハルヤ レッド×アンリ
■聖アルフォンソ島探訪「植物園」より
------------------------------------
■聖アルフォンソ島探訪「植物園」より
------------------------------------
聖アルフォンソ島 植物園。
世界中から生徒が集まるこの島には、
世界各国から取り寄せた草木が植栽されていた。
生徒達は生まれ故郷に咲く花を見て、遠い祖国に想いを馳せていた。
主に亜熱帯地方のものが多いが、アジアの植物を集めたエリアもあった。
ニッポンコーナーには梅の木を始め、季節の花が咲いていた。
茶室も隣設されており、此処だけ日本庭園のようだった。
瓦屋根の小さな家。畳の部屋に縁側と、
平成の時代では見られないような、古き良き日本建築だった。
茶道具も一式備えられ、此処で句会が行われたこともある。
ハルヤは茶室から、日本庭園を眺めていた。
六月の今は紫陽花(アジサイ)、菖蒲(アヤメ)など青い花が美しく咲いていた。
お抹茶を飲みながら、此処でぼんやりするのが好きだった。
六月の梅の木には青い実や、黄色く熟した実が生っていた。
そろそろ収穫しても良いかもしれない。
梅の実でカミーユに何か作って貰おうかなと考えたりしていた。
日本では梅雨の時期なのだろうか。梅が熟す時に降る雨、
だから梅雨と書くと言っていたのは母様だったかな。
夏の日本庭園は池に咲く花が綺麗だった。
池には大きな葉の中で、紅い睡蓮(スイレン)、
黄色の河骨(コウホネ)がぽつぽつ浮かんでいる。
河骨は地下茎が白骨に似ているから、その和名が付いた。
その為に、弔事用の切手には河骨が描かれているんだろう。
そう教えてくれたのは父様だった。
「ハルヤ。やっぱり此処に居たんですね」
お茶室にシルヴァンが顔を覗かせた。
この前教えた通り、ちゃんと靴を脱いで上がってきた。
「おや。それはグリーンティですか?」
「うん。抹茶って言うんだよ。これはね、色々ルールがある飲み物なんだ」
「ルール? 面白そうですね! 教えて下さいっ!」
「良いよ。じゃあ、ちょっと見ててね」
ハルヤは茶碗を持つと、母親から習った通りにやってみせた。
茶碗を畳の上に置いたところから始める。
「先ず、茶碗を右手で取って、底に左手を添える。
それで『お茶』に一回礼をするんだ。
茶碗を回して、茶の色とか見た目を味わってから、
一口飲む。此処で味と香りを味わう。
残りは一口と半分で飲み切る…まあ。こんなかんじ」
シルヴァンは、ハルヤの洗練された動きに感動すら覚えた。
姿勢の良い正座にも、流れるような手の仕草にも。
ハルヤは何でもないように振舞っていたが、
じっと座っていられない自分には到底できないことだった。
「ハルヤ、スゴイです! ゲイシャさんみたいでした!」
「…まあ。芸者さんから習ったことだからね」
祇園で芸妓をしていた母を持つ息子は、
手放しの賞賛に照れ笑いをした。
「正式なお茶の飲み方はこうなんだけど。めんどくさいよね」
「えー! 儀式的なところがニッポンの良さじゃないですかー!」
「そっか。あ。シルヴァンも飲んでみる?」
ハルヤが差し出した茶碗に、一瞬たじろいで両手で受け取った。
正座に座り直して、背筋を正す。
ハルヤと同じように、茶碗を自分の前に置いた。
「えっと、茶碗を右手で取って、底に左手を添えるんでしたね?」
今初めて聞いたばかりの作法を全て記憶したらしい彼は、
ハルヤの言葉を暗唱しながら、ひとつひとつ再現していく。
茶碗を回すスピードが若干速くて多かったが、
ハルヤは面倒だったので、特に指摘しなかった。
シルヴァンが茶碗を口に運ぶと、すぐに口から離した。
「うわっ…信じられないくらいニガイんですけど…僕、回し過ぎましたか?」
「いや。元々そういう味。てゆうか、回しても味は変わんないよ」
「恐るべしです…ニッポンにこんな恐ろしいドリンクがあったなんて…」
完全に怯えている人を見て、ハルヤはくすくすと笑った。
ニッポン大好き、サムライ大好き、なシルヴァンにも苦手な物があったみたいだ。
ハルヤは、ちょっとイジワルなことを思い付いた。
「全部飲まなきゃ、サムライじゃないよ、シルヴァン?」
「えええー!?」
シルヴァンは動揺しまくりの表情で、抹茶とハルヤを交互に見つめた。
暫く迷った後、ぽつりと言った。
「…解りました」
「シルヴァン?」
「僕、飲みますっ! 僕のサムライ・ダマシイ見てて下さいっ!」
一気に飲み干したシルヴァンは、
喉に纏わり付く苦味に渋い表情を見せた。
「やっぱりニガイです…」
「すごい。よく飲めたね、シルヴァン。日本でも飲めない人、多いのに」
「ええっ!? でもさっき、飲まなきゃサムライじゃないって」
「ゴメン。そう言ったら飲むかなあと思って。
ほんとに飲んだからビックリしちゃった」
「そんな…僕、飲めたのにサムライじゃないんですか…」
「いや、侍は抹茶を飲んでたからね。そんなに間違いでもないかな」
「ホントですか! 僕、サムライですか!」
「ん。サムライ、サムライ」
ハルヤは可笑しそうに頷いた。
「…馬鹿なのかな、彼等」
アンリは冷たい毒を吐いた。
聞こえてきた茶室の会話に呆れ果てていた。
向かいに座って居るレッドが、やれやれと肩を竦める。
「んな、ばっさり切ることねーだろ」
「そもそも『抹茶を飲めたらサムライだ』という定義が成立しないでしょう?」
「イイじゃねーかよ、別に。あいつ等が楽しいならさ」
お茶室が見える位置には日本と同じ気候のイタリアコーナーがあった。
ハルヤの控えめな声は時々聞こえなかったが、
シルヴァンの派手な声は此処まで届いていた。
オリーブの木陰には、オープンカフェがあった。
パラソルの下でレッドはオレンジジュース、アンリはアイスティーを飲んでいた。
コーヒー色をした木製のテーブルに、
はらりと小さな白い花弁が乗った。オリーブの開花期は六月上旬まで。
春の終わりから咲き始め、初夏には散る。本格的な夏を見ずに枯れる花だ。
傍には、夏のイタリアでよく見掛ける夾竹桃(キョウチクトウ)が
赤紫の花を咲かせている。ふわりとした花弁は、柔らかなバラのように見えた。
イタリアの離島シチリアに祖父の家があるレッドと、
商談で訪れることの多いアンリにとっては、馴染みのある花だった。
アンリが此処で本を読んでいると、時々レッドに会う。
今日もアンリが静かな午後を過ごしていると、勝手に相席された。
そのうちに、ニッポンコーナーから騒がしい声も聞こえてきた。
今年はどうも周りが煩くて敵わない。
アンリはストローから唇を離す。
ストローを細い指で回すと、氷がゆっくりと回った。
楽しげな声が飛ぶ日本庭園を眺める。
同じ寮に住む生徒が笑っていた。
「彼、あのお調子者の扱いが上手くなったものだね」
「あん?」
「あんな交渉術まで使えるようになったんだ」
「交渉術?」
「『飲まなきゃサムライじゃない』という台詞は、
あのサムライマニアと交渉するには有効だ。
命題としては不明瞭で馬鹿げているけれどね。
入学当時はそれはそれは大人しい子だったのに。
煩いのが傍に居るせいで馬鹿なこと言うようになったのかな?」
「煩いって、俺とシルヴァンのことかよ!?」
「他に誰が?」
「毒遣いの方が煩いっつーの!」
「君には敵わないよ、レッド」
「ったく。でも、そうなんだよなあ。最近さ、立場逆転してるトコあんだよ」
「逆転?」
「今までは、シルヴァンがハルヤを振り回してるってかんじだっただろ?」
「まあね」
「でも最近は逆なんだよ。ハルヤの言動にシルヴァンが騒ぎ過ぎてるっていうか。
なんかさ、孫が可愛くて仕方ないおじいちゃんみたいになってんだよな」
「随分、年の近い祖父が居たものだね。
シルヴァンは君より馬鹿になったのかな?」
「人のこと、バカバカ言うなっ!」
ニッポンコーナー 茶室。
抹茶の渋味に苦しむ人を見て、ハルヤは「あ。そだ」と声を上げた。
「苦くない抹茶あげるね。ちょっと待ってて?」
ハルヤはシェフに「すみません。さっきのもうひとつ」とオーダーして、
シルヴァンの前に戻って来た。
「苦くない抹茶って、ジュースみたいに甘いんですか?」
「飲み物じゃないんだ。宇治金時だよ」
「…ウジキントキ、ですか?」
「うん。抹茶のかき氷。…あ。かき氷って解るかな?」
「はい。ニッポンの伝統的なスウィーツですよね? ハロハロみたいな!」
「…ハロハロ?」
「フィリピンのデザートですよ。氷の他に、果物とか、あんこ、ナタデココ、
アイスなどを、パフェグラスに全部入れて、ハロハロして食べるんです。
あ、タガログ語なんですけど、halohaloって『まぜこぜ』という意味なんですよ」
説明しながら、掻き回す仕草をしてみせる。
これが『ハロハロして』という動作なのだろう。
「ふうん。なんかいっぱい入ってるんだね、ハロハロって」
「ウジキントキも、ハルヤがシェフにリクエストしたんですか?」
「ううん。さっき突然貰ったんだ。『ハルヤは好きそうだから』って、
俺の為に作ってくれたみたい」
シェフの気持ちも解らないではない。
おなかを空かせた表情も、おなかいっぱいの表情も、
シェフ本能を刺激するのだろう。
「…ハルヤって、シェフキラーですよね」
「ん?」
「ハルヤの為なら喜んで尽くすじゃないですか、シェフ」
ハルヤの入学後、アボカドマグロ丼はメニュー化し、
ウーティス寮の夕食時に和食が並ぶようにもなった。
植物園の売店で売っている、みたらし団子風の『魔女のボンボン』は、
ハルヤの皿は、他の人より多く入っていたとか、
こっそり和菓子を貢ぐシェフを見たという目撃証言もある。
華奢な身体を持ちながら大食漢で、いつも幸せそうに食べるハルヤ。
シェフ達にとってはアイドルのような存在に違いない。
ハルヤはシェフから受け取ったお盆を置く。
「シルヴァン。これが宇治金時だよ」
山型に堆く盛られた氷は、抹茶色に染まっていた。
山の裾にはバニラアイス。そして『金時』という意味のあんこ。
濃緑の山は白玉団子が雪のように降っていた。
「わお。美味しそうですねっ!」
「ん。これは甘いから大丈夫だと思うよ。抹茶はさっきと同じのなんだけどね」
「では、イタダキマスー♪」
シルヴァンは抹茶色の氷を口に入れる。
「あっ、苦くないですね。甘くて美味しいです!」
「良かったね」
「ハルヤにも、オスソワケします♪」
イタリアコーナー カフェ。
先程よりも温度の下がった声が呟かれた。
「…馬鹿みたい。苛々する。なんなの、彼等」
「イライラすることかよ。仲良いだけじゃん」
差し出されたスプーンに困っている照れ屋と楽しそうなお調子者。
アンリは茶室から視線を引き剥がした。
自分には関係のないことなのに。
あの二人を見ていると、時々、行き場のない苛立ちに襲われる。
よく理由が解らないのも腹立だしかった。
怒りを吐き捨て、自分の前にある宇治金時を食べることにする。
アンリにとっては緑色のお菓子は珍しかった。
バニラと一緒に一口食べる。
「見た目はグロテスクだけど、味は悪くないね、これ」
「お前、いつのまに!?」
「君が馬鹿面を晒している間に頼んできたの」
「いつ、誰が、バカ面だって?」
「年中、君が」
アンリは再び濃緑の氷菓子を舐める。
バニラアイスと一緒に食べれば甘いが、確かに抹茶単独では苦そうだ。
餡はクリームとは違い、あっさりとした甘味だった。
「ズリィぞ! 俺にも食べさせろっ!」
「欲しいなら自分で頼んでくれば?」
「ヤだねっ」
アンリの手からスプーンを奪う。
さっと氷を掬って、口に入れた。
「甘いじゃん♪」
「…馬鹿。それ、責任取って、君が食べて」
「お前、最後まで食べろよ!」
「要らないよ。君が口を付けたのなんか」
「とか言って、ホントは食べさせて欲しかったり
するんじゃねーの? あいつ等みたいに」
「ふざけないで。そんなことしたら馬鹿が移る。失礼するよ」
「お前も一生に一回くらい、バカになってみればイイのに」
アンリの足が止まる。
背を向けたまま、一言だけ反論した。
「…僕は、馬鹿じゃない」
小さく呟いて、テーブルから離れて行った。
一人残ったレッドは椅子の上で大きく伸びをする。
木の椅子がミシと軋んだ。
目を閉じて、徐々に消え行く靴音に耳を澄ましていた。
あいつはバカになろうとしてもなれない人間だ。
シルヴァンのように手放しで相手を賞賛することも。
ハルヤのように照れながらでも、素直な笑顔を見せることも。
アンリには死んでも出来ない芸当なのだろう。
ハルヤは時が経つにつれ、次第に周囲へ心を開いていった。
アンリも出会った頃よりは話すようになったが、
屈折した態度や毒舌は今も抜けない。
高等部二年の俺達が、此処に居られるのは来年までだ。
それまでに、あいつから毒舌以外の言葉を聞けるだろうか。
レッドは身を起こして、歩き始める。
「…バカになれないヤツの方が、馬鹿だっつの」
誰も居なくなった木のテーブルには飲み残されたアイスティー。
その水面に白い花が一片落ちた。
オリーブは、もって五日しか咲けない花だった。
ニッポンコーナー 茶室。
ハルヤは、すっと腰を上げる。
「さてと。そろそろ寮に戻ろっか、シルヴァン」
「ハイ!」
シルヴァンが立ち上がろうとすると、足首がグキと鳴った。
可笑しな方向に曲がっている。
びりびりと痛くて、足の感覚が掴めない。
「あ、あのっ、ハルヤ?」
「なに?」
「僕の足、なんかヘンです」
「ああ…正座してたから、しびれちゃった?」
「あれっ? 足が動かないです…って、わあっ!」
畳の上に二人が倒れ込む。
バランスを失ったシルヴァンが、ハルヤを巻き込んで転んだ。
咄嗟ではあったが、なんとか自分が下敷きになる体勢は取れた。
腕の中の人に詫びる。
「ご、ごめんなさい。ハルヤ、大丈夫ですか?」
「ん…」
ゆっくりと目を開けたハルヤは、近過ぎる顔に頬を染めた。
衝撃の余り、声が続かない。身を硬くしたまま、相手を見ていた。
「おーい、お前等。そういや次のライブだけどさー」
イタリアからニッポンへ歩いて来たレッドが茶室を覗く。
畳の上で横たわる二人と目が合う。
レッドの中で何かがカチンと爆ぜた。
「お前等、バカかっ!?」
fin
世界中から生徒が集まるこの島には、
世界各国から取り寄せた草木が植栽されていた。
生徒達は生まれ故郷に咲く花を見て、遠い祖国に想いを馳せていた。
主に亜熱帯地方のものが多いが、アジアの植物を集めたエリアもあった。
ニッポンコーナーには梅の木を始め、季節の花が咲いていた。
茶室も隣設されており、此処だけ日本庭園のようだった。
瓦屋根の小さな家。畳の部屋に縁側と、
平成の時代では見られないような、古き良き日本建築だった。
茶道具も一式備えられ、此処で句会が行われたこともある。
ハルヤは茶室から、日本庭園を眺めていた。
六月の今は紫陽花(アジサイ)、菖蒲(アヤメ)など青い花が美しく咲いていた。
お抹茶を飲みながら、此処でぼんやりするのが好きだった。
六月の梅の木には青い実や、黄色く熟した実が生っていた。
そろそろ収穫しても良いかもしれない。
梅の実でカミーユに何か作って貰おうかなと考えたりしていた。
日本では梅雨の時期なのだろうか。梅が熟す時に降る雨、
だから梅雨と書くと言っていたのは母様だったかな。
夏の日本庭園は池に咲く花が綺麗だった。
池には大きな葉の中で、紅い睡蓮(スイレン)、
黄色の河骨(コウホネ)がぽつぽつ浮かんでいる。
河骨は地下茎が白骨に似ているから、その和名が付いた。
その為に、弔事用の切手には河骨が描かれているんだろう。
そう教えてくれたのは父様だった。
「ハルヤ。やっぱり此処に居たんですね」
お茶室にシルヴァンが顔を覗かせた。
この前教えた通り、ちゃんと靴を脱いで上がってきた。
「おや。それはグリーンティですか?」
「うん。抹茶って言うんだよ。これはね、色々ルールがある飲み物なんだ」
「ルール? 面白そうですね! 教えて下さいっ!」
「良いよ。じゃあ、ちょっと見ててね」
ハルヤは茶碗を持つと、母親から習った通りにやってみせた。
茶碗を畳の上に置いたところから始める。
「先ず、茶碗を右手で取って、底に左手を添える。
それで『お茶』に一回礼をするんだ。
茶碗を回して、茶の色とか見た目を味わってから、
一口飲む。此処で味と香りを味わう。
残りは一口と半分で飲み切る…まあ。こんなかんじ」
シルヴァンは、ハルヤの洗練された動きに感動すら覚えた。
姿勢の良い正座にも、流れるような手の仕草にも。
ハルヤは何でもないように振舞っていたが、
じっと座っていられない自分には到底できないことだった。
「ハルヤ、スゴイです! ゲイシャさんみたいでした!」
「…まあ。芸者さんから習ったことだからね」
祇園で芸妓をしていた母を持つ息子は、
手放しの賞賛に照れ笑いをした。
「正式なお茶の飲み方はこうなんだけど。めんどくさいよね」
「えー! 儀式的なところがニッポンの良さじゃないですかー!」
「そっか。あ。シルヴァンも飲んでみる?」
ハルヤが差し出した茶碗に、一瞬たじろいで両手で受け取った。
正座に座り直して、背筋を正す。
ハルヤと同じように、茶碗を自分の前に置いた。
「えっと、茶碗を右手で取って、底に左手を添えるんでしたね?」
今初めて聞いたばかりの作法を全て記憶したらしい彼は、
ハルヤの言葉を暗唱しながら、ひとつひとつ再現していく。
茶碗を回すスピードが若干速くて多かったが、
ハルヤは面倒だったので、特に指摘しなかった。
シルヴァンが茶碗を口に運ぶと、すぐに口から離した。
「うわっ…信じられないくらいニガイんですけど…僕、回し過ぎましたか?」
「いや。元々そういう味。てゆうか、回しても味は変わんないよ」
「恐るべしです…ニッポンにこんな恐ろしいドリンクがあったなんて…」
完全に怯えている人を見て、ハルヤはくすくすと笑った。
ニッポン大好き、サムライ大好き、なシルヴァンにも苦手な物があったみたいだ。
ハルヤは、ちょっとイジワルなことを思い付いた。
「全部飲まなきゃ、サムライじゃないよ、シルヴァン?」
「えええー!?」
シルヴァンは動揺しまくりの表情で、抹茶とハルヤを交互に見つめた。
暫く迷った後、ぽつりと言った。
「…解りました」
「シルヴァン?」
「僕、飲みますっ! 僕のサムライ・ダマシイ見てて下さいっ!」
一気に飲み干したシルヴァンは、
喉に纏わり付く苦味に渋い表情を見せた。
「やっぱりニガイです…」
「すごい。よく飲めたね、シルヴァン。日本でも飲めない人、多いのに」
「ええっ!? でもさっき、飲まなきゃサムライじゃないって」
「ゴメン。そう言ったら飲むかなあと思って。
ほんとに飲んだからビックリしちゃった」
「そんな…僕、飲めたのにサムライじゃないんですか…」
「いや、侍は抹茶を飲んでたからね。そんなに間違いでもないかな」
「ホントですか! 僕、サムライですか!」
「ん。サムライ、サムライ」
ハルヤは可笑しそうに頷いた。
「…馬鹿なのかな、彼等」
アンリは冷たい毒を吐いた。
聞こえてきた茶室の会話に呆れ果てていた。
向かいに座って居るレッドが、やれやれと肩を竦める。
「んな、ばっさり切ることねーだろ」
「そもそも『抹茶を飲めたらサムライだ』という定義が成立しないでしょう?」
「イイじゃねーかよ、別に。あいつ等が楽しいならさ」
お茶室が見える位置には日本と同じ気候のイタリアコーナーがあった。
ハルヤの控えめな声は時々聞こえなかったが、
シルヴァンの派手な声は此処まで届いていた。
オリーブの木陰には、オープンカフェがあった。
パラソルの下でレッドはオレンジジュース、アンリはアイスティーを飲んでいた。
コーヒー色をした木製のテーブルに、
はらりと小さな白い花弁が乗った。オリーブの開花期は六月上旬まで。
春の終わりから咲き始め、初夏には散る。本格的な夏を見ずに枯れる花だ。
傍には、夏のイタリアでよく見掛ける夾竹桃(キョウチクトウ)が
赤紫の花を咲かせている。ふわりとした花弁は、柔らかなバラのように見えた。
イタリアの離島シチリアに祖父の家があるレッドと、
商談で訪れることの多いアンリにとっては、馴染みのある花だった。
アンリが此処で本を読んでいると、時々レッドに会う。
今日もアンリが静かな午後を過ごしていると、勝手に相席された。
そのうちに、ニッポンコーナーから騒がしい声も聞こえてきた。
今年はどうも周りが煩くて敵わない。
アンリはストローから唇を離す。
ストローを細い指で回すと、氷がゆっくりと回った。
楽しげな声が飛ぶ日本庭園を眺める。
同じ寮に住む生徒が笑っていた。
「彼、あのお調子者の扱いが上手くなったものだね」
「あん?」
「あんな交渉術まで使えるようになったんだ」
「交渉術?」
「『飲まなきゃサムライじゃない』という台詞は、
あのサムライマニアと交渉するには有効だ。
命題としては不明瞭で馬鹿げているけれどね。
入学当時はそれはそれは大人しい子だったのに。
煩いのが傍に居るせいで馬鹿なこと言うようになったのかな?」
「煩いって、俺とシルヴァンのことかよ!?」
「他に誰が?」
「毒遣いの方が煩いっつーの!」
「君には敵わないよ、レッド」
「ったく。でも、そうなんだよなあ。最近さ、立場逆転してるトコあんだよ」
「逆転?」
「今までは、シルヴァンがハルヤを振り回してるってかんじだっただろ?」
「まあね」
「でも最近は逆なんだよ。ハルヤの言動にシルヴァンが騒ぎ過ぎてるっていうか。
なんかさ、孫が可愛くて仕方ないおじいちゃんみたいになってんだよな」
「随分、年の近い祖父が居たものだね。
シルヴァンは君より馬鹿になったのかな?」
「人のこと、バカバカ言うなっ!」
ニッポンコーナー 茶室。
抹茶の渋味に苦しむ人を見て、ハルヤは「あ。そだ」と声を上げた。
「苦くない抹茶あげるね。ちょっと待ってて?」
ハルヤはシェフに「すみません。さっきのもうひとつ」とオーダーして、
シルヴァンの前に戻って来た。
「苦くない抹茶って、ジュースみたいに甘いんですか?」
「飲み物じゃないんだ。宇治金時だよ」
「…ウジキントキ、ですか?」
「うん。抹茶のかき氷。…あ。かき氷って解るかな?」
「はい。ニッポンの伝統的なスウィーツですよね? ハロハロみたいな!」
「…ハロハロ?」
「フィリピンのデザートですよ。氷の他に、果物とか、あんこ、ナタデココ、
アイスなどを、パフェグラスに全部入れて、ハロハロして食べるんです。
あ、タガログ語なんですけど、halohaloって『まぜこぜ』という意味なんですよ」
説明しながら、掻き回す仕草をしてみせる。
これが『ハロハロして』という動作なのだろう。
「ふうん。なんかいっぱい入ってるんだね、ハロハロって」
「ウジキントキも、ハルヤがシェフにリクエストしたんですか?」
「ううん。さっき突然貰ったんだ。『ハルヤは好きそうだから』って、
俺の為に作ってくれたみたい」
シェフの気持ちも解らないではない。
おなかを空かせた表情も、おなかいっぱいの表情も、
シェフ本能を刺激するのだろう。
「…ハルヤって、シェフキラーですよね」
「ん?」
「ハルヤの為なら喜んで尽くすじゃないですか、シェフ」
ハルヤの入学後、アボカドマグロ丼はメニュー化し、
ウーティス寮の夕食時に和食が並ぶようにもなった。
植物園の売店で売っている、みたらし団子風の『魔女のボンボン』は、
ハルヤの皿は、他の人より多く入っていたとか、
こっそり和菓子を貢ぐシェフを見たという目撃証言もある。
華奢な身体を持ちながら大食漢で、いつも幸せそうに食べるハルヤ。
シェフ達にとってはアイドルのような存在に違いない。
ハルヤはシェフから受け取ったお盆を置く。
「シルヴァン。これが宇治金時だよ」
山型に堆く盛られた氷は、抹茶色に染まっていた。
山の裾にはバニラアイス。そして『金時』という意味のあんこ。
濃緑の山は白玉団子が雪のように降っていた。
「わお。美味しそうですねっ!」
「ん。これは甘いから大丈夫だと思うよ。抹茶はさっきと同じのなんだけどね」
「では、イタダキマスー♪」
シルヴァンは抹茶色の氷を口に入れる。
「あっ、苦くないですね。甘くて美味しいです!」
「良かったね」
「ハルヤにも、オスソワケします♪」
イタリアコーナー カフェ。
先程よりも温度の下がった声が呟かれた。
「…馬鹿みたい。苛々する。なんなの、彼等」
「イライラすることかよ。仲良いだけじゃん」
差し出されたスプーンに困っている照れ屋と楽しそうなお調子者。
アンリは茶室から視線を引き剥がした。
自分には関係のないことなのに。
あの二人を見ていると、時々、行き場のない苛立ちに襲われる。
よく理由が解らないのも腹立だしかった。
怒りを吐き捨て、自分の前にある宇治金時を食べることにする。
アンリにとっては緑色のお菓子は珍しかった。
バニラと一緒に一口食べる。
「見た目はグロテスクだけど、味は悪くないね、これ」
「お前、いつのまに!?」
「君が馬鹿面を晒している間に頼んできたの」
「いつ、誰が、バカ面だって?」
「年中、君が」
アンリは再び濃緑の氷菓子を舐める。
バニラアイスと一緒に食べれば甘いが、確かに抹茶単独では苦そうだ。
餡はクリームとは違い、あっさりとした甘味だった。
「ズリィぞ! 俺にも食べさせろっ!」
「欲しいなら自分で頼んでくれば?」
「ヤだねっ」
アンリの手からスプーンを奪う。
さっと氷を掬って、口に入れた。
「甘いじゃん♪」
「…馬鹿。それ、責任取って、君が食べて」
「お前、最後まで食べろよ!」
「要らないよ。君が口を付けたのなんか」
「とか言って、ホントは食べさせて欲しかったり
するんじゃねーの? あいつ等みたいに」
「ふざけないで。そんなことしたら馬鹿が移る。失礼するよ」
「お前も一生に一回くらい、バカになってみればイイのに」
アンリの足が止まる。
背を向けたまま、一言だけ反論した。
「…僕は、馬鹿じゃない」
小さく呟いて、テーブルから離れて行った。
一人残ったレッドは椅子の上で大きく伸びをする。
木の椅子がミシと軋んだ。
目を閉じて、徐々に消え行く靴音に耳を澄ましていた。
あいつはバカになろうとしてもなれない人間だ。
シルヴァンのように手放しで相手を賞賛することも。
ハルヤのように照れながらでも、素直な笑顔を見せることも。
アンリには死んでも出来ない芸当なのだろう。
ハルヤは時が経つにつれ、次第に周囲へ心を開いていった。
アンリも出会った頃よりは話すようになったが、
屈折した態度や毒舌は今も抜けない。
高等部二年の俺達が、此処に居られるのは来年までだ。
それまでに、あいつから毒舌以外の言葉を聞けるだろうか。
レッドは身を起こして、歩き始める。
「…バカになれないヤツの方が、馬鹿だっつの」
誰も居なくなった木のテーブルには飲み残されたアイスティー。
その水面に白い花が一片落ちた。
オリーブは、もって五日しか咲けない花だった。
ニッポンコーナー 茶室。
ハルヤは、すっと腰を上げる。
「さてと。そろそろ寮に戻ろっか、シルヴァン」
「ハイ!」
シルヴァンが立ち上がろうとすると、足首がグキと鳴った。
可笑しな方向に曲がっている。
びりびりと痛くて、足の感覚が掴めない。
「あ、あのっ、ハルヤ?」
「なに?」
「僕の足、なんかヘンです」
「ああ…正座してたから、しびれちゃった?」
「あれっ? 足が動かないです…って、わあっ!」
畳の上に二人が倒れ込む。
バランスを失ったシルヴァンが、ハルヤを巻き込んで転んだ。
咄嗟ではあったが、なんとか自分が下敷きになる体勢は取れた。
腕の中の人に詫びる。
「ご、ごめんなさい。ハルヤ、大丈夫ですか?」
「ん…」
ゆっくりと目を開けたハルヤは、近過ぎる顔に頬を染めた。
衝撃の余り、声が続かない。身を硬くしたまま、相手を見ていた。
「おーい、お前等。そういや次のライブだけどさー」
イタリアからニッポンへ歩いて来たレッドが茶室を覗く。
畳の上で横たわる二人と目が合う。
レッドの中で何かがカチンと爆ぜた。
「お前等、バカかっ!?」
fin
■ユウタ ジョシュア アンリ エンジュ
■小説ベース シリアス
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■小説ベース シリアス
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「うわあ。この犬の絵、可愛いなあ」
ユウタは目を輝かせながら、立ち止まって眺めていた。
学院の各所に展示されている彫刻や絵画。
どれも在校生や卒業生の作品で、卒業後も創作活動を続けている者も居た。
構内の芸術作品を見に行こうと誘ったのはジョシュアだ。
絵に興味があるらしいと解ったので、学院の案内役を買って出た。
ユウタを微笑ましく見つめながら、後を付いていく。
「ユウタは本当に絵が好きなんだね」
「うんっ!」
ジョシュアの隣を歩く人は不満気だ。
「どうして僕まで付き合わなくてはならないの」
「学院の芸術作品について、アンリは詳しいからね」
ユウタが振り向く。
「アンリも絵を見るの好きなの?」
「在籍年数が長いだけだよ」
ぶっきらぼうな言い方に、
ユウタとジョシュアは顔を見合わせて、そっと笑った。
「ユウタ。次はアルファルド寮に行ってみるかい?」
「え? いいの?」
「大丈夫だよ。誰も怒らないから」
第二学生寮アルファルド寮。
玄関を入ると、口数の少なそうなバトラーが無言で一礼した。
ジョシュアが代表して尋ねる。
「サロンにある絵画を見学したいんだ。構わないかな?」
バトラーは一言「どうぞ」とだけ言った。
三人は廊下を歩く。誰とも擦れ違わない。
この寮は午後だというのに、ひっそりとしていた。
人が居るのか居ないのか解らない程、静かだった。
ユウタはそっとジョシュアの傍に寄る。
「ユウタ?」
「なんか、あのオウムが出て来るかもしれないし…」
「オウム? ああ、ジャワハルワールの?」
「あのオウム…めちゃくちゃ凶暴なんだよ…」
サロンの扉を開ける。此処にも誰も居なかった。
大抵誰かは居るウーティス寮では考え難いことだ。
三人がサロンに入った後、一人の生徒が部屋の外に居た。
短い黒髪を壁に当て、長い足を組む。
気配を消して身を潜め、話し声を聞いていた。
知っている、無邪気な声がした。
「アルファルド寮サロンも、絵がいっぱいだー」
壁に多くの絵画が飾られていた。
ユウタは嬉しそうにひとつひとつ見ていく。目に留まったのは高原の絵画。
青々とした夏の高原で、小さな女の子が気持ち良さそうに眠っている絵だった。
二つに結ばれた赤茶の髪が、緑に寝そべっている。
風景画といった様子で、空と草原が悠々と描かれている。
何処までも広がる景色の中に、アクセントとして女の子が刻まれているようだった。
隣の絵を目にした途端、声の調子が変わった。
「この絵…」
ユウタは呆然と見つめたまま、硬直してしまった。
心配になったジョシュアが呼び掛ける。
「ユウタ? どうしたんだい?」
「あの…この二つの絵、同じ人が描いてるのかな?」
「よく解ったね、ユウタ。そうだよ」
「この女の子も、同じ人かな?」
風景画の隣にはあったのは、少女の肖像画だった。
赤茶の髪。肩まである髪が二つに結ばれている。
頭から胸元までの横顔を描いたものだった。
口許には暖かい微笑。
次の瞬間には、彼女が誰かの名前を呼びそうな程、写真のように描かれた絵だった。
背景には淡い黄色やピンクが溶け合っている。
その何処かほんわかとした色合いが彼女の微笑をより暖かく見せていた。
ユウタは二つの絵を見比べる。
「綺麗な絵なのに…なんだか…すごく悲しい絵だね…」
「…悲しい、かな?」
ジョシュアは少し疑問の口調になった。
悲しい雰囲気が感じられなかったからだ。ユウタは絵の下の方を指差した。
「ココ…涙の痕に見えない?」
少女の肩に当たる場所。其処は、絵の具が滲んでいた。
紙はその部分だけが歪んでいて、一度濡れて、乾いた様子が見られる。
数滴の雫が落ちた痕には違いなかった。
「もしかしたら、ユウタの言うかもしれないよ?」
アンリはソファに座っていた。絵は見ていない。
自分が入学した年、当代の生徒代表から聞いたことを語った。
「この絵の作者には、祖国に残してきた妹が居た。
だけど、卒業後、家に戻った時には亡くなっていた。
流行り病でね。今の医学なら治せる病だけど、
当時は多くの人間が命を落とした。
この妹の肖像画は、絶望の淵で描いたと言われている絵だよ」
ユウタは絵を直視できない様子だった。
ジョシュアも沈痛な面持ちだ。
「…そうだったのか。でも、アンリ、よく知っていたね?」
「ジブリールに、聞いた。彼はアルファルド寮だったから」
「その後はどうなった?」
無機質な声。扉から黒髪の生徒が現れた。
ユウタが驚いて声を上げる。
「エンジュ! 寮に居たんだね」
「こんにちは。久し振りだね、エンジュ」
ユウタとジョシュアの挨拶を無視し、
黒髪の生徒はソファの前へ、アンリの正面に立つ。
「話の続きを」
アンリは彼の瞳を見据える。
自分を見下ろしている瞳には、微かに焦燥が滲んでいた。
性急に求めている。
短い台詞だけれども、これは懇願だと判断した。
「話しても良いけど、面白い話ではないよ?」
「構わない」
アンリは絵の前に進む。
近くで見ると、雫の痕がはっきりと見えた。
絵の中の少女は、聖母のような微笑を浮かべている。
「彼は、これ以降、絵を描いていないよ」
エンジュは表情を変えなかった。
ゆっくりと絵を見上げ「そうか」と呟いた。
アンリは黒髪の横顔を見つめながら、言う。
「つまり、事実上これが遺作になる。
家族の希望で、この学院に寄贈されたんだよ」
「何故だ」
「市場で値を付けられるより、彼が最後に安息の時間を過ごした、
このアルファルド寮で眠らせてやって欲しい、という願いに拠って」
エンジュは妹の肖像画を眺める。
その眼差しは何処か、遠い。
「『孤独な者』には相応しい末路かもしれないな」
「そうかもね」
感情が声に乗らない人間だ。それは僕と似ている。
この類の人種を『何を考えているのか解らない』と評する輩も居る。
解ろうとしないだけだ。観察すれば解ることもあるのに。
彼は行く末を求めてる。この画家の。あるいは
「失礼する」
エンジュは踵を返した。去り際の瞳には悔恨の色が見えた。
サロンに残された三人は、暫く声を発しなかった。
アルファルド寮。アラビア語で『孤独な者』と名付けられた場所。
孤独な城。
此処で安らかに眠っている。
「生徒代表殿? 此処で見るものは、もうないんじゃない?」
「ああ、そうだね。ユウタ、次の場所に行こうか」
「う、うん」
アンリとジョシュアが扉に向かう。
ユウタは、もう一度絵を振り返る。
何か文字が刻まれていた。
一番下の右端に。
小さな文字。
――――――――― 最愛の人 ――
fin
ユウタは目を輝かせながら、立ち止まって眺めていた。
学院の各所に展示されている彫刻や絵画。
どれも在校生や卒業生の作品で、卒業後も創作活動を続けている者も居た。
構内の芸術作品を見に行こうと誘ったのはジョシュアだ。
絵に興味があるらしいと解ったので、学院の案内役を買って出た。
ユウタを微笑ましく見つめながら、後を付いていく。
「ユウタは本当に絵が好きなんだね」
「うんっ!」
ジョシュアの隣を歩く人は不満気だ。
「どうして僕まで付き合わなくてはならないの」
「学院の芸術作品について、アンリは詳しいからね」
ユウタが振り向く。
「アンリも絵を見るの好きなの?」
「在籍年数が長いだけだよ」
ぶっきらぼうな言い方に、
ユウタとジョシュアは顔を見合わせて、そっと笑った。
「ユウタ。次はアルファルド寮に行ってみるかい?」
「え? いいの?」
「大丈夫だよ。誰も怒らないから」
第二学生寮アルファルド寮。
玄関を入ると、口数の少なそうなバトラーが無言で一礼した。
ジョシュアが代表して尋ねる。
「サロンにある絵画を見学したいんだ。構わないかな?」
バトラーは一言「どうぞ」とだけ言った。
三人は廊下を歩く。誰とも擦れ違わない。
この寮は午後だというのに、ひっそりとしていた。
人が居るのか居ないのか解らない程、静かだった。
ユウタはそっとジョシュアの傍に寄る。
「ユウタ?」
「なんか、あのオウムが出て来るかもしれないし…」
「オウム? ああ、ジャワハルワールの?」
「あのオウム…めちゃくちゃ凶暴なんだよ…」
サロンの扉を開ける。此処にも誰も居なかった。
大抵誰かは居るウーティス寮では考え難いことだ。
三人がサロンに入った後、一人の生徒が部屋の外に居た。
短い黒髪を壁に当て、長い足を組む。
気配を消して身を潜め、話し声を聞いていた。
知っている、無邪気な声がした。
「アルファルド寮サロンも、絵がいっぱいだー」
壁に多くの絵画が飾られていた。
ユウタは嬉しそうにひとつひとつ見ていく。目に留まったのは高原の絵画。
青々とした夏の高原で、小さな女の子が気持ち良さそうに眠っている絵だった。
二つに結ばれた赤茶の髪が、緑に寝そべっている。
風景画といった様子で、空と草原が悠々と描かれている。
何処までも広がる景色の中に、アクセントとして女の子が刻まれているようだった。
隣の絵を目にした途端、声の調子が変わった。
「この絵…」
ユウタは呆然と見つめたまま、硬直してしまった。
心配になったジョシュアが呼び掛ける。
「ユウタ? どうしたんだい?」
「あの…この二つの絵、同じ人が描いてるのかな?」
「よく解ったね、ユウタ。そうだよ」
「この女の子も、同じ人かな?」
風景画の隣にはあったのは、少女の肖像画だった。
赤茶の髪。肩まである髪が二つに結ばれている。
頭から胸元までの横顔を描いたものだった。
口許には暖かい微笑。
次の瞬間には、彼女が誰かの名前を呼びそうな程、写真のように描かれた絵だった。
背景には淡い黄色やピンクが溶け合っている。
その何処かほんわかとした色合いが彼女の微笑をより暖かく見せていた。
ユウタは二つの絵を見比べる。
「綺麗な絵なのに…なんだか…すごく悲しい絵だね…」
「…悲しい、かな?」
ジョシュアは少し疑問の口調になった。
悲しい雰囲気が感じられなかったからだ。ユウタは絵の下の方を指差した。
「ココ…涙の痕に見えない?」
少女の肩に当たる場所。其処は、絵の具が滲んでいた。
紙はその部分だけが歪んでいて、一度濡れて、乾いた様子が見られる。
数滴の雫が落ちた痕には違いなかった。
「もしかしたら、ユウタの言うかもしれないよ?」
アンリはソファに座っていた。絵は見ていない。
自分が入学した年、当代の生徒代表から聞いたことを語った。
「この絵の作者には、祖国に残してきた妹が居た。
だけど、卒業後、家に戻った時には亡くなっていた。
流行り病でね。今の医学なら治せる病だけど、
当時は多くの人間が命を落とした。
この妹の肖像画は、絶望の淵で描いたと言われている絵だよ」
ユウタは絵を直視できない様子だった。
ジョシュアも沈痛な面持ちだ。
「…そうだったのか。でも、アンリ、よく知っていたね?」
「ジブリールに、聞いた。彼はアルファルド寮だったから」
「その後はどうなった?」
無機質な声。扉から黒髪の生徒が現れた。
ユウタが驚いて声を上げる。
「エンジュ! 寮に居たんだね」
「こんにちは。久し振りだね、エンジュ」
ユウタとジョシュアの挨拶を無視し、
黒髪の生徒はソファの前へ、アンリの正面に立つ。
「話の続きを」
アンリは彼の瞳を見据える。
自分を見下ろしている瞳には、微かに焦燥が滲んでいた。
性急に求めている。
短い台詞だけれども、これは懇願だと判断した。
「話しても良いけど、面白い話ではないよ?」
「構わない」
アンリは絵の前に進む。
近くで見ると、雫の痕がはっきりと見えた。
絵の中の少女は、聖母のような微笑を浮かべている。
「彼は、これ以降、絵を描いていないよ」
エンジュは表情を変えなかった。
ゆっくりと絵を見上げ「そうか」と呟いた。
アンリは黒髪の横顔を見つめながら、言う。
「つまり、事実上これが遺作になる。
家族の希望で、この学院に寄贈されたんだよ」
「何故だ」
「市場で値を付けられるより、彼が最後に安息の時間を過ごした、
このアルファルド寮で眠らせてやって欲しい、という願いに拠って」
エンジュは妹の肖像画を眺める。
その眼差しは何処か、遠い。
「『孤独な者』には相応しい末路かもしれないな」
「そうかもね」
感情が声に乗らない人間だ。それは僕と似ている。
この類の人種を『何を考えているのか解らない』と評する輩も居る。
解ろうとしないだけだ。観察すれば解ることもあるのに。
彼は行く末を求めてる。この画家の。あるいは
「失礼する」
エンジュは踵を返した。去り際の瞳には悔恨の色が見えた。
サロンに残された三人は、暫く声を発しなかった。
アルファルド寮。アラビア語で『孤独な者』と名付けられた場所。
孤独な城。
此処で安らかに眠っている。
「生徒代表殿? 此処で見るものは、もうないんじゃない?」
「ああ、そうだね。ユウタ、次の場所に行こうか」
「う、うん」
アンリとジョシュアが扉に向かう。
ユウタは、もう一度絵を振り返る。
何か文字が刻まれていた。
一番下の右端に。
小さな文字。
――――――――― 最愛の人 ――
fin
■アンリ×クラウス
-------------------
-------------------
ライブラリー付属のカフェ。
本を読みながら、コーヒーなどを飲むことができる。
クラウスは歴史の文献を手に持っている。窓際の席で読もうと思った。
なんとなく自分の席となっている場所だった。
生徒の数が多くない学校なので、
カフェやジムでも自然と自分の場所が決まっていた。
俺の席に、苦手な人物が座っていた。
宵闇にも似た髪を持つ聖アルフォンソ学院の中でも特別な存在。
アンリ=ユーグ=ド=サン・ジェルマン。15歳。中等部3年。
サン・ジェルマン伯爵家の末裔。保証人なしに入学を許された。
正確には伯爵が保証人になっている。
没後も目撃証言があるとかないとか言われる妖しげな伯爵を。
オカルト嫌いの俺には、あまり話もしたくない存在だった。
与えられた任務を如何に効率良く誠実に遵守できるか、
そのような現実的なことばかりを考えてきた俺にとって、
不死の存在だとか、時間旅行者だとか、そんな不確かな話を信じたり、
誰かみたいに愉しんだりすることは到底不可能な話だった。
「そこは俺の席だ」と自分から話し掛けるのも避けたい。
奴と言葉を交わすくらいなら、席などくれてやる。
この末裔が纏っている妖しげな雰囲気がどうも苦手だった。
中等部で年は3つも下なのに、洞察力が高く、
心の奥底まで読まれているようにも感じられた。
透き通るような白い手がページをめくっている。
日が悪かった、と俺は踵を返した。
「ねえ?」
冷たい声に足が止まる。
微かに嘲笑を感じる言い方だった。
「クラウス。どうして何も言わないの? 此処は君の席なのに」
伯爵家の末裔は頬杖を突いていた。
琥珀の瞳は上目遣いなのに見下ろされているように感じた。
「お前、俺の席だと知っていて、座っているのか?」
「そう聞こえなかった?」
細い手は、用は終わったと言わんばかりに、
読んでいた筈の本を閉じ、脇に置いた。
「何、考えてるんだお前」
「解らない? 君が来るのを待っていたんだよ、僕は」
「何故、お前が俺を」
「君が僕を避けているみたいだから」
「別にそんなことは」
「ある、よね? オカルティズムが嫌いなの? それとも僕?」
「いや…だから…」
「そう。どちらも嫌いなんだ。君って顔に出易いよね」
中等部の少年は、年に不釣合いな大人の微笑を見せた。
「ねえ。僕と面白いゲームをしない?」
「ゲームだと?」
「君が勝ったら、もう二度と君に近付かないよ」
「何だよ、その条件は」
「君にとっては、褒美に相当すると思うけれど?」
「…お前が勝ったら?」
「僕が勝ったら、君に近付くことを許して貰う」
「…近付く?」
「そう。君にとっては罰に相当するからね」
「ゲームって何をするんだ?」
「チェスだよ。君、得意なんでしょう?」
「どうして、それを…」
「君の寮の子に聞いたんだ。では今度のアクティヴィティに」
「しかし、俺はジムに行く予定なんだが…」
「中等部の僕に負けるのが怖い?」
シュヌーシア寮サロン。
俺とアンリはチェスボードを挟んで向かい合っていた。
扉の影に、金髪の少年が見えた。目が合った途端、さっと姿を隠された。
対戦相手からクレームが飛ぶ。
「クラウス。君の番なんだけど? 僕との試合中に余所見しないで」
「ああ、悪い。…しかし、強いな」
「Merci.(ありがとう)」
いつのまにかシュヌーシアの寮生が周囲に集まっていた。
同じ寮のクラウスを応援する声が飛んでいた。
チェスは相手のキングを奪えば勝ち、という単純なルールだが、
その方法は星の数ほどある。
試合開始から20分程経った時。
クラウスは自分のキングを人差し指で触れた。
コン、と白のキングが市松模様のボードに倒れる。
「参った。俺の負けだ」
周囲の生徒達がざわつく。
早々と降参を表明したクラウスが意外だったからだ。
外野から「諦めんのは早いんじゃねーのか?」と疑問の声が上がる。
「いいや。次で刺されるよ。な、アンリ?」
白い指が駒を動かし、俺のキングを取った。
ある程度強くなると留めを刺される瞬間が解る。
しかし、解った時にはもう手遅れだ。
開始から5分も経った時には、勝気が失せていた。
最初の数ターンで勝敗は決まっていたのだろう。
これは負けるな、と思ってからは向こうの動きを観察していた。
陽動の陽動まで演出していた。その裏には緻密な仕掛け。
気が付くと、蜘蛛の巣に入ったが如く、身動きが取れなくなっていた。
先程、俺を仕留める機会があったが、奴は攻めて来なかった。
敢えて放置されたらしい。これではいつまで長引かされるか解らない。
生殺しのようで、余り良い気はしなかった。しかし、勝つ術もない。
自ら白旗を揚げるしか、この無意味な試合を終了させる方法がなかった。
勝者は手の平で、俺のキングを転がしている。
「君って結構強いんだね。楽しめたよ?」
「勝った奴に強いって言われてもな。ま、俺も勉強になったよ」
「じゃあ、また遊んでくれる?」
「遠慮するよ。俺じゃ相手にならないだろ?」
その夜。
仕事があって、生徒代表室に居た。
アイヴィーとネットミーティングをしていた。
「んじゃ、生徒代表はどう思う?」
「え? 悪い、もう一度頼む」
「おい、クラウス。どーしたのよ。マジメなお前さんらしくないぜ?」
「すまない」
「もしかして、恋ワズライ?」
「ばっ、馬鹿なこと言うな!」
長いミーティングが終わる。
アイヴィーに指摘されたように、集中力が散漫だった。
自分の責務が、充分に果たせていない自分が腹立しかった。
生徒代表室から自室へ戻ると、ベッドに腰掛けている奴が居た。
「おかえり。遅かったね、生徒代表って大変なんだ?」
「アンリ…何故、お前が俺の部屋に?」
「忘れたの? 罰ゲームの時間だよ。
『僕が勝ったら、君に近付くことを許して貰う』と言ったよね?」
「ああ。そうだったな。俺に近付くって部屋に来るってことだったのか?」
「まあ、それもあるね」
「それ、も?」
「ねえ、クラウス。僕が何て言ったか覚えてる?
僕はチェスをしようと言ったんだよ?
チェスというのはキングを奪うゲーム。
この聖アルフォンソ学院の王は、生徒代表の君だよね?」
奴の左足が一歩前に踏み出される。
宵闇の髪がさらりと揺れるのが見えた。
「だから、ちょうだい? 君を」
アンリは人差し指と親指を立て、銃の形にした。
白い銃口が俺の左胸に触れた。
「言っておくけれどね? 君が悪いんだよ、クラウス」
「俺の何が悪いと言うんだ」
「君が僕を避けたから。僕は、欲しくなってしまったの」
白く細い銃口が、胸元からゆっくりと移動する。
なぞられた場所が、ぞわぞわと熱くなる。
「おい、アンリ…」
「約束した罰ゲームなのだから逃げない、よね?」
約束、と言われて俺は言葉に詰まった。
こんな時でもルールを遵守しようと反射的に思っている自分が呪わしい。
ルールを破れない性格が、逆手に取られている。
それが解るのに。
琥珀の双眸に魅入られたように、俺の身体が動かなくて。
唸るように口だけが反論した。
「しかし…だからって……んっ」
「ココがイイんだ?」
「や、めろ…」
「我慢しないでよ。クラウスの声、聞かせて?」
細い指が、探し当てた場所。思わず眉を顰めた。
中等部の少年が嗤う。
弱い場所を弄ばれて。
すごく、感じた。
砕けそうな程、歯を噛み締めていると、
それすらも叶わなくなった。
得体の知れない熱が身体を駆け巡って。
俺の口から、悦楽の声が上がった。
意識を失う前に、冷たい微笑が見えた。
「チェックメイト」
fin
本を読みながら、コーヒーなどを飲むことができる。
クラウスは歴史の文献を手に持っている。窓際の席で読もうと思った。
なんとなく自分の席となっている場所だった。
生徒の数が多くない学校なので、
カフェやジムでも自然と自分の場所が決まっていた。
俺の席に、苦手な人物が座っていた。
宵闇にも似た髪を持つ聖アルフォンソ学院の中でも特別な存在。
アンリ=ユーグ=ド=サン・ジェルマン。15歳。中等部3年。
サン・ジェルマン伯爵家の末裔。保証人なしに入学を許された。
正確には伯爵が保証人になっている。
没後も目撃証言があるとかないとか言われる妖しげな伯爵を。
オカルト嫌いの俺には、あまり話もしたくない存在だった。
与えられた任務を如何に効率良く誠実に遵守できるか、
そのような現実的なことばかりを考えてきた俺にとって、
不死の存在だとか、時間旅行者だとか、そんな不確かな話を信じたり、
誰かみたいに愉しんだりすることは到底不可能な話だった。
「そこは俺の席だ」と自分から話し掛けるのも避けたい。
奴と言葉を交わすくらいなら、席などくれてやる。
この末裔が纏っている妖しげな雰囲気がどうも苦手だった。
中等部で年は3つも下なのに、洞察力が高く、
心の奥底まで読まれているようにも感じられた。
透き通るような白い手がページをめくっている。
日が悪かった、と俺は踵を返した。
「ねえ?」
冷たい声に足が止まる。
微かに嘲笑を感じる言い方だった。
「クラウス。どうして何も言わないの? 此処は君の席なのに」
伯爵家の末裔は頬杖を突いていた。
琥珀の瞳は上目遣いなのに見下ろされているように感じた。
「お前、俺の席だと知っていて、座っているのか?」
「そう聞こえなかった?」
細い手は、用は終わったと言わんばかりに、
読んでいた筈の本を閉じ、脇に置いた。
「何、考えてるんだお前」
「解らない? 君が来るのを待っていたんだよ、僕は」
「何故、お前が俺を」
「君が僕を避けているみたいだから」
「別にそんなことは」
「ある、よね? オカルティズムが嫌いなの? それとも僕?」
「いや…だから…」
「そう。どちらも嫌いなんだ。君って顔に出易いよね」
中等部の少年は、年に不釣合いな大人の微笑を見せた。
「ねえ。僕と面白いゲームをしない?」
「ゲームだと?」
「君が勝ったら、もう二度と君に近付かないよ」
「何だよ、その条件は」
「君にとっては、褒美に相当すると思うけれど?」
「…お前が勝ったら?」
「僕が勝ったら、君に近付くことを許して貰う」
「…近付く?」
「そう。君にとっては罰に相当するからね」
「ゲームって何をするんだ?」
「チェスだよ。君、得意なんでしょう?」
「どうして、それを…」
「君の寮の子に聞いたんだ。では今度のアクティヴィティに」
「しかし、俺はジムに行く予定なんだが…」
「中等部の僕に負けるのが怖い?」
シュヌーシア寮サロン。
俺とアンリはチェスボードを挟んで向かい合っていた。
扉の影に、金髪の少年が見えた。目が合った途端、さっと姿を隠された。
対戦相手からクレームが飛ぶ。
「クラウス。君の番なんだけど? 僕との試合中に余所見しないで」
「ああ、悪い。…しかし、強いな」
「Merci.(ありがとう)」
いつのまにかシュヌーシアの寮生が周囲に集まっていた。
同じ寮のクラウスを応援する声が飛んでいた。
チェスは相手のキングを奪えば勝ち、という単純なルールだが、
その方法は星の数ほどある。
試合開始から20分程経った時。
クラウスは自分のキングを人差し指で触れた。
コン、と白のキングが市松模様のボードに倒れる。
「参った。俺の負けだ」
周囲の生徒達がざわつく。
早々と降参を表明したクラウスが意外だったからだ。
外野から「諦めんのは早いんじゃねーのか?」と疑問の声が上がる。
「いいや。次で刺されるよ。な、アンリ?」
白い指が駒を動かし、俺のキングを取った。
ある程度強くなると留めを刺される瞬間が解る。
しかし、解った時にはもう手遅れだ。
開始から5分も経った時には、勝気が失せていた。
最初の数ターンで勝敗は決まっていたのだろう。
これは負けるな、と思ってからは向こうの動きを観察していた。
陽動の陽動まで演出していた。その裏には緻密な仕掛け。
気が付くと、蜘蛛の巣に入ったが如く、身動きが取れなくなっていた。
先程、俺を仕留める機会があったが、奴は攻めて来なかった。
敢えて放置されたらしい。これではいつまで長引かされるか解らない。
生殺しのようで、余り良い気はしなかった。しかし、勝つ術もない。
自ら白旗を揚げるしか、この無意味な試合を終了させる方法がなかった。
勝者は手の平で、俺のキングを転がしている。
「君って結構強いんだね。楽しめたよ?」
「勝った奴に強いって言われてもな。ま、俺も勉強になったよ」
「じゃあ、また遊んでくれる?」
「遠慮するよ。俺じゃ相手にならないだろ?」
その夜。
仕事があって、生徒代表室に居た。
アイヴィーとネットミーティングをしていた。
「んじゃ、生徒代表はどう思う?」
「え? 悪い、もう一度頼む」
「おい、クラウス。どーしたのよ。マジメなお前さんらしくないぜ?」
「すまない」
「もしかして、恋ワズライ?」
「ばっ、馬鹿なこと言うな!」
長いミーティングが終わる。
アイヴィーに指摘されたように、集中力が散漫だった。
自分の責務が、充分に果たせていない自分が腹立しかった。
生徒代表室から自室へ戻ると、ベッドに腰掛けている奴が居た。
「おかえり。遅かったね、生徒代表って大変なんだ?」
「アンリ…何故、お前が俺の部屋に?」
「忘れたの? 罰ゲームの時間だよ。
『僕が勝ったら、君に近付くことを許して貰う』と言ったよね?」
「ああ。そうだったな。俺に近付くって部屋に来るってことだったのか?」
「まあ、それもあるね」
「それ、も?」
「ねえ、クラウス。僕が何て言ったか覚えてる?
僕はチェスをしようと言ったんだよ?
チェスというのはキングを奪うゲーム。
この聖アルフォンソ学院の王は、生徒代表の君だよね?」
奴の左足が一歩前に踏み出される。
宵闇の髪がさらりと揺れるのが見えた。
「だから、ちょうだい? 君を」
アンリは人差し指と親指を立て、銃の形にした。
白い銃口が俺の左胸に触れた。
「言っておくけれどね? 君が悪いんだよ、クラウス」
「俺の何が悪いと言うんだ」
「君が僕を避けたから。僕は、欲しくなってしまったの」
白く細い銃口が、胸元からゆっくりと移動する。
なぞられた場所が、ぞわぞわと熱くなる。
「おい、アンリ…」
「約束した罰ゲームなのだから逃げない、よね?」
約束、と言われて俺は言葉に詰まった。
こんな時でもルールを遵守しようと反射的に思っている自分が呪わしい。
ルールを破れない性格が、逆手に取られている。
それが解るのに。
琥珀の双眸に魅入られたように、俺の身体が動かなくて。
唸るように口だけが反論した。
「しかし…だからって……んっ」
「ココがイイんだ?」
「や、めろ…」
「我慢しないでよ。クラウスの声、聞かせて?」
細い指が、探し当てた場所。思わず眉を顰めた。
中等部の少年が嗤う。
弱い場所を弄ばれて。
すごく、感じた。
砕けそうな程、歯を噛み締めていると、
それすらも叶わなくなった。
得体の知れない熱が身体を駆け巡って。
俺の口から、悦楽の声が上がった。
意識を失う前に、冷たい微笑が見えた。
「チェックメイト」
fin
■シルヴァン×ハルヤ
--------------------
--------------------
「あのさ。シルヴァン。前から聞いてみたかったこと、あるんだけど…」
「え? なんですか、ハルヤ?」
「こんなに長くて、髪洗うの面倒くさくないの?」
シルヴァンは、くすりと笑った。
「えっ…俺、なんか可笑しなこと言ったかな?」
「ああ、いえ。すみません。僕は面倒ではないですね、慣れてしまいましたから」
「そうなんだ。俺、このくらいの長さでも面倒なんだけどな」
ハルヤは自分の横髪を触りながら、ぽつりと呟いた。
「夏だし、切っちゃおうかな。ばっさり」
シルヴァンが跳ね起きる。
「ダ、ダメですっ! それじゃあ、体育の時間の楽しみがっ!」
言ってしまってから、口を押さえる。ハルヤは、きょとんと尋ねる。
「シルヴァン、体育の時間、何か楽しいことあるの?」
「い、いえ、あの…」
「それ、俺の髪となんか関係あるってこと?」
「あー、えっと…怒らないで聞いて下さいね?」
「…ん?」
「ハルヤって、体育の時に髪を結ぶでしょう?」
「あ、うん…え? じゃあ、それが楽しみ、なの?」
「ハイ…」
「…なに、楽しみにしてんだよ…」
「だって、可愛いじゃないですか。僕、大好きなんです♪」
「もう…髪、結ばない」
「ええー!?」
fin
「え? なんですか、ハルヤ?」
「こんなに長くて、髪洗うの面倒くさくないの?」
シルヴァンは、くすりと笑った。
「えっ…俺、なんか可笑しなこと言ったかな?」
「ああ、いえ。すみません。僕は面倒ではないですね、慣れてしまいましたから」
「そうなんだ。俺、このくらいの長さでも面倒なんだけどな」
ハルヤは自分の横髪を触りながら、ぽつりと呟いた。
「夏だし、切っちゃおうかな。ばっさり」
シルヴァンが跳ね起きる。
「ダ、ダメですっ! それじゃあ、体育の時間の楽しみがっ!」
言ってしまってから、口を押さえる。ハルヤは、きょとんと尋ねる。
「シルヴァン、体育の時間、何か楽しいことあるの?」
「い、いえ、あの…」
「それ、俺の髪となんか関係あるってこと?」
「あー、えっと…怒らないで聞いて下さいね?」
「…ん?」
「ハルヤって、体育の時に髪を結ぶでしょう?」
「あ、うん…え? じゃあ、それが楽しみ、なの?」
「ハイ…」
「…なに、楽しみにしてんだよ…」
「だって、可愛いじゃないですか。僕、大好きなんです♪」
「もう…髪、結ばない」
「ええー!?」
fin
■シルヴァン×ハルヤ
■作成協力&リクエスト:シハルお姉さん
---------------------------------------
■作成協力&リクエスト:シハルお姉さん
---------------------------------------
ハルヤは自室で、漫画の月刊誌を読んでいた。
ベッドにうつ伏せに寝そべりながら、ページを捲っている。
雑誌はライブラリーから借りて来たものだ。
いつもはシルヴァンと一緒に読んでいるのだが、
ここ一週間くらい、何故かシルヴァンと会えなかった。
何かしてるみたいだった。
いそいそと寮から出て行くのを何度か見たけど。
何処に行ってるのかが解らない。聞いても、教えてくれないし。
ページを繰る手が止まる。なんだか漫画の内容が頭に入って来ない。
好きなキャラの台詞も、無味乾燥な文字の羅列にしか見えない。
「…今月号、あんま面白くないな」
顔を腕の中に埋める。
眼鏡のフレームが顔に当たって痛い。
眼鏡って面倒だな。
漫画読むのも面倒。
なんか全部、めんどくさっ。
バンッとノックもなしにドアが開いた。
シルヴァンが満面の笑みで現れた。
「ハルヤハルヤ! 見て下さいっ! 可愛いでしょー!」
手にぶら下がっていたのは、陶器で出来たうさぎ怪獣だった。
クロックマンというシルヴァンの好きなアニメのキャラクタで、
彼はグッズをやたらにコレクションしている。
今回のうさぎ怪獣は和のテイストなのか、
ねじりハチマキに、はっぴスタイルだった。
シルヴァンが紐を少し振ると、夏の音がなった。
「それ、風鈴なの?」
「そーなんですよー! ニッポンの夏のフーブツシ、なんですよね!」
「まあ、そうだね」
「これ、鈴の部分が、うさぎ怪獣の額のナット型なんです!」
「ふうん。凝ってんだね」
「僕、ネットオークションで競り落としたんです!
なかなか手強い相手がいたんですよー」
「オークションで競った人、居たの?」
「ええ。クロックマンの風鈴を欲しがるのは、
自分だけだと思っていたら妙な強敵が居て」
通信室のインターネットルームでは、
オークションに負けた人物が、ぼそりと呟いていた。
「変なヤツだな、こいつ」
シルヴァンは、うさぎ怪獣を愛おしげに撫でる。
「落札まで心配で心配で! 一週間、通信室に通っちゃいました!」
ハルヤは苦笑する。
ここ一週間シルヴァンに会えなかったのは、うさぎ怪獣が原因のようだ。
「落札できて良かったね、シルヴァン」
「はいっ!」
シルヴァンがもう一度、風鈴を鳴らす。
「ニッポンの夏は各家庭からこの音が鳴り響くんですよねー。フウリュウですねー」
「…いや、そんな鳴らないよ」
「え? 皆さん、持ってるものじゃないんですか?」
「持ってる家の方が少ないと思うよ」
「えー!? 夏のニッポンは、そこら中から風鈴の音がするのかと思ってました!」
「…それは、風流とか通り越して、騒音公害になっちゃうね」
「では、ハルヤのおうちにはありましたか?」
「うん。じいさまの家にはね。梅の絵が描いてあるの」
「あっ! 梅香流だからですか?」
「うん。うちの舞台、見に来てくれた風鈴職人が居てね?
梅の舞を見てつい作ってしまった、
綺麗なものを見せて頂いたお礼にどうぞ、って。
じいさまにくれたんだって。じいさま、大事にしてたんだ。
毎年夏になるとね、縁側に飾ってた」
可愛い音だった。
風鈴の下で、兄様とすいか食べたり、お昼寝したりしてた。
時々、縁側から落ちてたこともあったっけ。
「…ハルヤは、風鈴、好きなんですね」
「あ、うん。まあ」
何故か、長い沈黙が降りた。
シルヴァンが苦悩の表情を浮かべている。
よく解らないけど、何かをとても迷っているようだった。
一人でとんでもなく困っている人を、眺めていると、
唐突にうさぎ怪獣が差し出された。
「ハルヤに、僕のうさぎ怪獣あげますっ!」
ねじりハチマキに、はっぴを来た、うさぎ怪獣。
お祭うさぎは張り裂けた口で、ハルヤに笑い掛けている。
「えっと、貰えないよ。シルヴァンが一週間掛かって落札したんでしょ?」
「良いんですっ! ハルヤが喜んでくれるのならっ、ぼ、僕っ!」
「…そんな、ムリしないで良いから…あの、手、震えてるし…」
ちりんちりんと、うさぎ怪獣は涼しげな音を奏でていた。
ハルヤは、うさぎ怪獣をシルヴァンの胸に押し戻す。
「これは、シルヴァンので良いんだよ?」
「でも…ハルヤ」
「俺、うさぎ怪獣、そんな好きじゃないし」
「…そ、そうですか」
「ね。それよりさ。シルヴァン」
「はい?」
「これ、一緒に読も?」
ハルヤは漫画雑誌を見せる。
「ああっ! 今月号、出ていたんですね! 読みたいですっ!」
シルヴァンはうさぎ怪獣をテーブルに置いて、ハルヤの隣に飛び込む。
一人用のベッドがギィと揺れた。
「ちょっとシルヴァン…そんな、くっつかなくても読めるじゃん…」
「まあまあ。お気になさらず。ページ、捲って下さいよ♪」
「でもさ。あ、暑いでしょ?」
「僕は、もっと暑くなっても良いんですけど♪」
fin
ベッドにうつ伏せに寝そべりながら、ページを捲っている。
雑誌はライブラリーから借りて来たものだ。
いつもはシルヴァンと一緒に読んでいるのだが、
ここ一週間くらい、何故かシルヴァンと会えなかった。
何かしてるみたいだった。
いそいそと寮から出て行くのを何度か見たけど。
何処に行ってるのかが解らない。聞いても、教えてくれないし。
ページを繰る手が止まる。なんだか漫画の内容が頭に入って来ない。
好きなキャラの台詞も、無味乾燥な文字の羅列にしか見えない。
「…今月号、あんま面白くないな」
顔を腕の中に埋める。
眼鏡のフレームが顔に当たって痛い。
眼鏡って面倒だな。
漫画読むのも面倒。
なんか全部、めんどくさっ。
バンッとノックもなしにドアが開いた。
シルヴァンが満面の笑みで現れた。
「ハルヤハルヤ! 見て下さいっ! 可愛いでしょー!」
手にぶら下がっていたのは、陶器で出来たうさぎ怪獣だった。
クロックマンというシルヴァンの好きなアニメのキャラクタで、
彼はグッズをやたらにコレクションしている。
今回のうさぎ怪獣は和のテイストなのか、
ねじりハチマキに、はっぴスタイルだった。
シルヴァンが紐を少し振ると、夏の音がなった。
「それ、風鈴なの?」
「そーなんですよー! ニッポンの夏のフーブツシ、なんですよね!」
「まあ、そうだね」
「これ、鈴の部分が、うさぎ怪獣の額のナット型なんです!」
「ふうん。凝ってんだね」
「僕、ネットオークションで競り落としたんです!
なかなか手強い相手がいたんですよー」
「オークションで競った人、居たの?」
「ええ。クロックマンの風鈴を欲しがるのは、
自分だけだと思っていたら妙な強敵が居て」
通信室のインターネットルームでは、
オークションに負けた人物が、ぼそりと呟いていた。
「変なヤツだな、こいつ」
シルヴァンは、うさぎ怪獣を愛おしげに撫でる。
「落札まで心配で心配で! 一週間、通信室に通っちゃいました!」
ハルヤは苦笑する。
ここ一週間シルヴァンに会えなかったのは、うさぎ怪獣が原因のようだ。
「落札できて良かったね、シルヴァン」
「はいっ!」
シルヴァンがもう一度、風鈴を鳴らす。
「ニッポンの夏は各家庭からこの音が鳴り響くんですよねー。フウリュウですねー」
「…いや、そんな鳴らないよ」
「え? 皆さん、持ってるものじゃないんですか?」
「持ってる家の方が少ないと思うよ」
「えー!? 夏のニッポンは、そこら中から風鈴の音がするのかと思ってました!」
「…それは、風流とか通り越して、騒音公害になっちゃうね」
「では、ハルヤのおうちにはありましたか?」
「うん。じいさまの家にはね。梅の絵が描いてあるの」
「あっ! 梅香流だからですか?」
「うん。うちの舞台、見に来てくれた風鈴職人が居てね?
梅の舞を見てつい作ってしまった、
綺麗なものを見せて頂いたお礼にどうぞ、って。
じいさまにくれたんだって。じいさま、大事にしてたんだ。
毎年夏になるとね、縁側に飾ってた」
可愛い音だった。
風鈴の下で、兄様とすいか食べたり、お昼寝したりしてた。
時々、縁側から落ちてたこともあったっけ。
「…ハルヤは、風鈴、好きなんですね」
「あ、うん。まあ」
何故か、長い沈黙が降りた。
シルヴァンが苦悩の表情を浮かべている。
よく解らないけど、何かをとても迷っているようだった。
一人でとんでもなく困っている人を、眺めていると、
唐突にうさぎ怪獣が差し出された。
「ハルヤに、僕のうさぎ怪獣あげますっ!」
ねじりハチマキに、はっぴを来た、うさぎ怪獣。
お祭うさぎは張り裂けた口で、ハルヤに笑い掛けている。
「えっと、貰えないよ。シルヴァンが一週間掛かって落札したんでしょ?」
「良いんですっ! ハルヤが喜んでくれるのならっ、ぼ、僕っ!」
「…そんな、ムリしないで良いから…あの、手、震えてるし…」
ちりんちりんと、うさぎ怪獣は涼しげな音を奏でていた。
ハルヤは、うさぎ怪獣をシルヴァンの胸に押し戻す。
「これは、シルヴァンので良いんだよ?」
「でも…ハルヤ」
「俺、うさぎ怪獣、そんな好きじゃないし」
「…そ、そうですか」
「ね。それよりさ。シルヴァン」
「はい?」
「これ、一緒に読も?」
ハルヤは漫画雑誌を見せる。
「ああっ! 今月号、出ていたんですね! 読みたいですっ!」
シルヴァンはうさぎ怪獣をテーブルに置いて、ハルヤの隣に飛び込む。
一人用のベッドがギィと揺れた。
「ちょっとシルヴァン…そんな、くっつかなくても読めるじゃん…」
「まあまあ。お気になさらず。ページ、捲って下さいよ♪」
「でもさ。あ、暑いでしょ?」
「僕は、もっと暑くなっても良いんですけど♪」
fin
■ウーティス寮
----------------
----------------
――あの子が欲しい あの子じゃわからん――
――この子が欲しい この子じゃわからん――
ウーティス寮の庭で、賑やかな声が響いていた。
寮生六人が、三人ずつ手を繋いで向かい合っている。
――相談しましょ そうしましょ――
それぞれのチームは離れた場所に、しゃがんで相談を始めた。
ユウタ・シルヴァン・レッド組
「誰にするー?」
「僕、ハルヤが良いです!」
「よし! あいつ、じゃんけん弱いからな!」
「きーまった!」
ハルヤ・ジョシュア・アンリ組
「え? 向こう、もう決まったとか言ってるよ。早いなあ」
「じゃあ、俺達も早く決めないとね。誰にしようか?」
「僕は、誰も要らない」
「…アンリ。それじゃ、ゲームにならないだろう?」
「だって、向こう、煩いのしか居ないから」
「…えっと…ハルヤは誰が良いかな?」
「お、俺? あの…できればジョシュアに決めて欲しいな」
「そうかい? うーん、じゃあ、レッドにしようかな」
「嫌だ」
「…アンリ」
「どうして一番煩いのを選ぶの?」
「…ハルヤ、こちらも決まったことにしようか」
「う、うん」
「きーまった」
「ハルヤが欲しい」
「レッドが欲しい」
「え、俺なの?」
「おーし。行くぜ、ハルヤー! じゃんけんぽんっ」
レッドがチョキ、ハルヤがパーだった。
勝者がチョキのまま、右腕を高々と上げる。
「勝ったー! さすが俺!」
「やったあ! さすがレッド隊長!」
「ようこそ、ハルヤ!」
「あ、うん。ども…」
敗者チームから、冷たい遠吠えが零れた。
「解っていたけれど。彼のじゃんけんの弱さは、絶望的だね」
「…アンリ」
――相談しましょ そうしましょ――
ユウタ・シルヴァン・レッド・ハルヤ組
「誰にするー?」
「ジョシュアが良いです!」
「ジョシュアだな! ハルヤもイイだろ?」
「あ、うん」
「きーまった!」
ジョシュア・アンリ組
「相変わらず決まるの早いね、向こうのチーム」
「どうせ、君を選んだんでしょ」
「そうとは限らないよ。さて、今度は誰にしようか?」
「決まってるでしょ」
「ハルヤかい?」
「彼のじゃんけんの弱さは、絶望的だからね」
「…きーまった」
「ジョシュアが欲しい」
「ハルヤが欲しい」
「え。また俺?」
「俺? アンリの予言が当たった…あ、行くよ。じゃんけんぽん」
ジョシュアがチョキ、ハルヤがパーだった。
「…俺、また負けちゃった」
「ハルヤを取り返せて嬉しいよ?」
「や…ジョシュア…」
「さあ、帰ろう?」
「う、うん」
――相談しましょ そうしましょ――
ユウタ・シルヴァン・レッド組
「誰にするー?」
「僕、ハルヤが良いです!」
「よし! あいつ、じゃんけん弱いからな!」
「きーまった!」
ハルヤ・ジョシュア・アンリ組
「また、もう決まったとか言ってるね。早いなあ、あっち」
「じゃあ、俺達も決めないとね。誰にしようか?」
「ねえ」
「どうしたんだい、アンリ?」
「このゲーム、終わらないと思うんだけど」
「…そう、だね」
「え? なんで?」
fin
――この子が欲しい この子じゃわからん――
ウーティス寮の庭で、賑やかな声が響いていた。
寮生六人が、三人ずつ手を繋いで向かい合っている。
――相談しましょ そうしましょ――
それぞれのチームは離れた場所に、しゃがんで相談を始めた。
ユウタ・シルヴァン・レッド組
「誰にするー?」
「僕、ハルヤが良いです!」
「よし! あいつ、じゃんけん弱いからな!」
「きーまった!」
ハルヤ・ジョシュア・アンリ組
「え? 向こう、もう決まったとか言ってるよ。早いなあ」
「じゃあ、俺達も早く決めないとね。誰にしようか?」
「僕は、誰も要らない」
「…アンリ。それじゃ、ゲームにならないだろう?」
「だって、向こう、煩いのしか居ないから」
「…えっと…ハルヤは誰が良いかな?」
「お、俺? あの…できればジョシュアに決めて欲しいな」
「そうかい? うーん、じゃあ、レッドにしようかな」
「嫌だ」
「…アンリ」
「どうして一番煩いのを選ぶの?」
「…ハルヤ、こちらも決まったことにしようか」
「う、うん」
「きーまった」
「ハルヤが欲しい」
「レッドが欲しい」
「え、俺なの?」
「おーし。行くぜ、ハルヤー! じゃんけんぽんっ」
レッドがチョキ、ハルヤがパーだった。
勝者がチョキのまま、右腕を高々と上げる。
「勝ったー! さすが俺!」
「やったあ! さすがレッド隊長!」
「ようこそ、ハルヤ!」
「あ、うん。ども…」
敗者チームから、冷たい遠吠えが零れた。
「解っていたけれど。彼のじゃんけんの弱さは、絶望的だね」
「…アンリ」
――相談しましょ そうしましょ――
ユウタ・シルヴァン・レッド・ハルヤ組
「誰にするー?」
「ジョシュアが良いです!」
「ジョシュアだな! ハルヤもイイだろ?」
「あ、うん」
「きーまった!」
ジョシュア・アンリ組
「相変わらず決まるの早いね、向こうのチーム」
「どうせ、君を選んだんでしょ」
「そうとは限らないよ。さて、今度は誰にしようか?」
「決まってるでしょ」
「ハルヤかい?」
「彼のじゃんけんの弱さは、絶望的だからね」
「…きーまった」
「ジョシュアが欲しい」
「ハルヤが欲しい」
「え。また俺?」
「俺? アンリの予言が当たった…あ、行くよ。じゃんけんぽん」
ジョシュアがチョキ、ハルヤがパーだった。
「…俺、また負けちゃった」
「ハルヤを取り返せて嬉しいよ?」
「や…ジョシュア…」
「さあ、帰ろう?」
「う、うん」
――相談しましょ そうしましょ――
ユウタ・シルヴァン・レッド組
「誰にするー?」
「僕、ハルヤが良いです!」
「よし! あいつ、じゃんけん弱いからな!」
「きーまった!」
ハルヤ・ジョシュア・アンリ組
「また、もう決まったとか言ってるね。早いなあ、あっち」
「じゃあ、俺達も決めないとね。誰にしようか?」
「ねえ」
「どうしたんだい、アンリ?」
「このゲーム、終わらないと思うんだけど」
「…そう、だね」
「え? なんで?」
fin
■シルヴァン×ハルヤ
■台詞協力:シハル姉さん
-----------------------
■台詞協力:シハル姉さん
-----------------------
月桂樹の森。
ハルヤは、シルヴァンと木陰で休んでいた。
先生が夏風を引いたみたいで、歴史の講義が休講になった。
レッドと三人で受けている授業。
突然出来た空講に、レッドはジムに行くって走って行った。
シルヴァンに誘われて、俺は森に来ていた。
今日は天気が良くて。
ナイチンゲールもなんだか嬉しそうだった。
「ハルヤ。お膝、借りても良いですか?」
「良いけど…でも、恥ずかしくない?」
「僕は恥ずかしくないですよ?」
「でも…」
「ココ、繁みになってますから、傍を通られても見えないですし」
「そうだけど…」
「静かにして居れば大丈夫ですって」
「う、うん…」
シルヴァンは、俺の膝に対して、直角に頭を乗せて来る。
必ず、いつもその位置を取っていた。
シルヴァンから見て右側に俺が居る。
幸福そうに俺の横顔を見上げてくる。
「ねえ。ハルヤ、またお願いしても良いですか?」
「あ、あれのこと?」
「ハイ。お願いします」
シルヴァンが瞼を閉じる。
その合図に誘われたように、俺の手は持ち上がった。
シルヴァンに会うまで、人の髪を梳いたことなんてなかった。
この長い髪は、艶々してて綺麗。
男の人に、綺麗な髪だね、なんて言えないけど。
シルヴァンの髪は、さらさらして、好きだった。
指の間を、つうと流れていく。
髪に指を入れ、最後まで撫でて、また指を入れる。
ただ、その繰り返し。
その極めて単純な作業は、何故か俺の心を落ち着かせた。
「すみません、ハルヤ…」
ふいに、シルヴァンは右腕を伸ばして、俺の首に回した。
俺の膝には頭が乗っているので身動きが取れない。
躊躇している間にシルヴァンの顔は、息が掛かる程近くにあった。
「あの、ちょっ…」
首に回された腕に引き寄せられて、
俺達の唇は重なっていた。
初めてではなかった。最初もシルヴァンから触れてきて。
俺のことが好きだと言われた。
俺は解らなかった。そんなこと解る訳がない。
明確な返事をしていないまま。
シルヴァンに乞われて、唇を重ねることがあった。
だけど今は、場所が場所だ。
此処は月桂樹の森。いつ誰が通っても可笑しくない。
俺は彼の胸に手を置いて、距離を取る。
「なっ、な、何してんだよ…此処、森だよっ?」
「ダメでした?」
「当たり前だよ…こんな白昼堂々しないで…」
「夜なら良いんですね?」
「そういう意味じゃ…」
「可愛いですね、ハルヤは。そんなに風に誘わないで下さいよ」
「さ、誘うって何…」
「我慢、できなくなっちゃうじゃないですか」
また頬に手を添えられて。
口内で柔らかい感触がした。
甘い。
溶けるような口付けが繰り返され、
吐息混じりに囁かれる言葉。
「どんどん好きになるんです。ハルヤのことしか考えられなくなる。
縛られるのは大嫌いだったのに…ハルヤだけですよ、僕を縛れるのは」
乱れた呼吸で、ハルヤがささやかな抵抗を述べる。
「…もうダメ、だよ。これ以上したら…」
「嬉しい…もう感じてくれたんですか?」
「シルヴァン!」
「大丈夫ですよ、ハルヤ。ねえ。もう少しだけ…」
愉悦に満ちた時間だった。
まだ日も落ちていない。
同じ寮の男子生徒。
誰かに見られるかもしれない。
こんなこと、恥ずかしくて嫌なのに。
如何して、振り解けない。
シルヴァンの腕が緩んで、互いに唇が離れる。
見上げてくる菫色の瞳は俺だけを見ている。
「…どうして、俺なの?」
「ハルヤ…?」
俯き、前髪に覆われた目許から、ぽたりと雫が落ちた。
なんで、泣いてるのか解らない。
息が苦しくて。
胸も苦しくて。
わかんない。
俺のことなんか、好きになってどうするのさ。
シルヴァンのこと、好きになんかなっちゃいけないのに。
「俺なんか…どうして?」
シルヴァンは手を伸ばして、雫を拭う。
「僕は、ハルヤがハルヤだから、好きなんですよ」
fin
ハルヤは、シルヴァンと木陰で休んでいた。
先生が夏風を引いたみたいで、歴史の講義が休講になった。
レッドと三人で受けている授業。
突然出来た空講に、レッドはジムに行くって走って行った。
シルヴァンに誘われて、俺は森に来ていた。
今日は天気が良くて。
ナイチンゲールもなんだか嬉しそうだった。
「ハルヤ。お膝、借りても良いですか?」
「良いけど…でも、恥ずかしくない?」
「僕は恥ずかしくないですよ?」
「でも…」
「ココ、繁みになってますから、傍を通られても見えないですし」
「そうだけど…」
「静かにして居れば大丈夫ですって」
「う、うん…」
シルヴァンは、俺の膝に対して、直角に頭を乗せて来る。
必ず、いつもその位置を取っていた。
シルヴァンから見て右側に俺が居る。
幸福そうに俺の横顔を見上げてくる。
「ねえ。ハルヤ、またお願いしても良いですか?」
「あ、あれのこと?」
「ハイ。お願いします」
シルヴァンが瞼を閉じる。
その合図に誘われたように、俺の手は持ち上がった。
シルヴァンに会うまで、人の髪を梳いたことなんてなかった。
この長い髪は、艶々してて綺麗。
男の人に、綺麗な髪だね、なんて言えないけど。
シルヴァンの髪は、さらさらして、好きだった。
指の間を、つうと流れていく。
髪に指を入れ、最後まで撫でて、また指を入れる。
ただ、その繰り返し。
その極めて単純な作業は、何故か俺の心を落ち着かせた。
「すみません、ハルヤ…」
ふいに、シルヴァンは右腕を伸ばして、俺の首に回した。
俺の膝には頭が乗っているので身動きが取れない。
躊躇している間にシルヴァンの顔は、息が掛かる程近くにあった。
「あの、ちょっ…」
首に回された腕に引き寄せられて、
俺達の唇は重なっていた。
初めてではなかった。最初もシルヴァンから触れてきて。
俺のことが好きだと言われた。
俺は解らなかった。そんなこと解る訳がない。
明確な返事をしていないまま。
シルヴァンに乞われて、唇を重ねることがあった。
だけど今は、場所が場所だ。
此処は月桂樹の森。いつ誰が通っても可笑しくない。
俺は彼の胸に手を置いて、距離を取る。
「なっ、な、何してんだよ…此処、森だよっ?」
「ダメでした?」
「当たり前だよ…こんな白昼堂々しないで…」
「夜なら良いんですね?」
「そういう意味じゃ…」
「可愛いですね、ハルヤは。そんなに風に誘わないで下さいよ」
「さ、誘うって何…」
「我慢、できなくなっちゃうじゃないですか」
また頬に手を添えられて。
口内で柔らかい感触がした。
甘い。
溶けるような口付けが繰り返され、
吐息混じりに囁かれる言葉。
「どんどん好きになるんです。ハルヤのことしか考えられなくなる。
縛られるのは大嫌いだったのに…ハルヤだけですよ、僕を縛れるのは」
乱れた呼吸で、ハルヤがささやかな抵抗を述べる。
「…もうダメ、だよ。これ以上したら…」
「嬉しい…もう感じてくれたんですか?」
「シルヴァン!」
「大丈夫ですよ、ハルヤ。ねえ。もう少しだけ…」
愉悦に満ちた時間だった。
まだ日も落ちていない。
同じ寮の男子生徒。
誰かに見られるかもしれない。
こんなこと、恥ずかしくて嫌なのに。
如何して、振り解けない。
シルヴァンの腕が緩んで、互いに唇が離れる。
見上げてくる菫色の瞳は俺だけを見ている。
「…どうして、俺なの?」
「ハルヤ…?」
俯き、前髪に覆われた目許から、ぽたりと雫が落ちた。
なんで、泣いてるのか解らない。
息が苦しくて。
胸も苦しくて。
わかんない。
俺のことなんか、好きになってどうするのさ。
シルヴァンのこと、好きになんかなっちゃいけないのに。
「俺なんか…どうして?」
シルヴァンは手を伸ばして、雫を拭う。
「僕は、ハルヤがハルヤだから、好きなんですよ」
fin
■シルヴァン×ジョシュア
-------------------------
-------------------------
生徒代表室から戻ってきたジョシュアは浮かない表情をしていた。
先日、学院内で不穏な動きがある、と理事会から報告があった。
学院の物が盗難されたそうだ。
それ自体の被害は些細なものではあるが、何かの予兆かもしれない。
生徒代表のお前さんも気を付けろよ、とアイヴィーに言われた。
それから暫く経つが、今も盗難が続いていた。
俺の身は良いが、皆のことが心配だ。この学院の平和を守りたい。
それが叶うのならば、自分など取るに足らないものだと思っていた。
ウーティス寮の前には、月桂樹の森へと繋がる入り口があった。
木々の中から、長く美しい髪を持つ生徒が出て来た。
ゆったりと歩く様子は何か悟っているようでもあった。
『快楽主義のお調子者』を自称する彼が、人前では見せないような顔をしている。
俺と目が合うと、普段の陽気な笑顔になった。
「おかえりなさい」
「ただいま、シルヴァン」
「生徒代表室帰りですか?」
「そうだけど…よく解ったね?」
「解りますよ。もう二年もお傍に居るんですから」
森から出て来たばかりのシルヴァンは、
「少し、時間を頂いて良いですか?」と俺を誘って、再び森へ入った。
森の空気は真新しい。いつも新鮮な空気が其処にはある。
ナイチンゲールの鳴き声が音楽のようにも聞こえた。
俺達は木陰で腰を降ろしていた。
「あの、ジョシュア?」
「なんだい?」
「生徒代表室で、何か良くない話でも聞いたんですか?」
「…そう、見えるかい?」
「ええ。なんだか、最近お疲れのように見えて」
「ごめん。心配を掛けてしまって」
シルヴァンは後悔の表情を浮かべた。
自分の台詞を思い返す。
彼の性格を考えれば、謝らせることになるのは明白だった。
「ごめんなさい。貴方に謝らせてしまって。あの、そうではなくて」
数か国語も知っているくせに、彼の前では言葉が自由にならなくなる。
伝えたいことが溢れていて、どの言葉を選べば良いのか解らなくて。
思ったままに話せば誤解を生む。
一度、深呼吸をしてから、再び自由にならない言葉を続ける。
「立場上、貴方が一人で機密を守らなくてはいけないのは解るのですが…。
僕でお話を聞けることがあったら、いつでも聞かせて下さいね?
貴方の為に、何か力になれることがあったら、何でもしたいんです」
「ありがとう、シルヴァン。大丈夫だよ」
シルヴァンは、疲れの滲む笑顔から視線を逸らす。
自分の手はいつのまにか、きつく握られていた。
「ありがとう」と言って、微笑まれるのは解っていた。
僕が何を言っても、貴方は何も話すことができないのも。
ジョシュアは月桂樹を見上げながら、話題を変えてきた。
「シルヴァンは、森でお昼寝をしていたのかい?」
「ええ。あ、ジョシュアもしてみます? 気持ち良いですよ」
「でも、俺は…」
「30分くらいでも、すっきりするものなんですよ?」
半ば強引に勧められて、ジョシュアは膝枕までして貰うことになった。
ジョシュアから見て右側にシルヴァンが居る。
幸福そうに俺を見下ろしていた。
森の中には、ナイチンゲールの美声だけが耳に届く。
他の人工的な音は聞こえない。
音を吸収しているみたいだ。俺の好きな音だけが其処にあった。
「僕、ジョシュアの髪って好きなんです」
シルヴァンは俺の髪に指を通していた。
髪を撫でて、もう一度、指を入れる。
ただ、その繰り返し。
なんだか子供に戻ったみたいで気恥ずかしいけれど、
不思議と心が安らいだ。
「すみません、ジョシュア」
ふいに、シルヴァンは身を屈めて、俺の頬に触れた。
躊躇している間にシルヴァンの顔は、息が掛かる程近くにあった。
「シルヴァン。待っ…」
制するように、俺の唇は塞がれた。
初めてではなかった。最初もシルヴァンから触れてきて。
俺のことが好きだと言われた。
俺は解らなかった。
明確な返事をしていないまま。
彼に乞われて、唇を重ねることがあった。
拒否する気には、どうしてもなれなかった。
俺を見つめる彼は、いつもの陽気で自由な彼ではなかったから。
彼が俺に触れる時は、先に「すみません」と謝られることが度々あったから。
いつもシルヴァンの願いを叶えている自分が居た。
俺に想いを掛けるのはいけないことだと充分知りながら、
それでも、彼の菫色の瞳は俺を見つめていた。
自己嫌悪や俺への謝罪を映しつつも、抑えられない。
それほど彼の想いが真剣なことがよく解ったから。
だけど今は、場所が場所だ。
此処は月桂樹の森。いつ誰が通っても可笑しくない。
俺は彼の胸に手を置いて、距離を取る。
「シルヴァン、此処ではいけないよ。誰かに見られたら君が」
「僕は構いませんよ」
「だけど」
「良いですよ、僕は。貴方が許してくれるのなら」
「シルヴァン…」
「続きをしても、良いですか?」
また頬に手を添えられて。
口内で柔らかい感触がした。
甘い。
溶けるような口付けが繰り返され、
吐息混じりに囁かれる言葉。
「愛しています、ジョシュア…」
愉悦に満ちた時間だった。
まだ日も落ちていない。
同じ寮の男子生徒。
誰かに見られるかもしれない。
そしたら、彼を不幸にしてしまうかもしれないのに。
如何して、振り解けない。
最初は戸惑うばかりだった。
君の想いを受け止めることがせいいっぱいだったけれど。
いつしか、君が触れて来るのを待っているみたいだった。
言葉を交わすだけの日はもどかしく感じて。
他のみんなと君が話していると、胸が痛くなる。
いつから、菫色の瞳に魅入られていたんだろう。
このまま。
もっと。
俺を見ていて。
fin
先日、学院内で不穏な動きがある、と理事会から報告があった。
学院の物が盗難されたそうだ。
それ自体の被害は些細なものではあるが、何かの予兆かもしれない。
生徒代表のお前さんも気を付けろよ、とアイヴィーに言われた。
それから暫く経つが、今も盗難が続いていた。
俺の身は良いが、皆のことが心配だ。この学院の平和を守りたい。
それが叶うのならば、自分など取るに足らないものだと思っていた。
ウーティス寮の前には、月桂樹の森へと繋がる入り口があった。
木々の中から、長く美しい髪を持つ生徒が出て来た。
ゆったりと歩く様子は何か悟っているようでもあった。
『快楽主義のお調子者』を自称する彼が、人前では見せないような顔をしている。
俺と目が合うと、普段の陽気な笑顔になった。
「おかえりなさい」
「ただいま、シルヴァン」
「生徒代表室帰りですか?」
「そうだけど…よく解ったね?」
「解りますよ。もう二年もお傍に居るんですから」
森から出て来たばかりのシルヴァンは、
「少し、時間を頂いて良いですか?」と俺を誘って、再び森へ入った。
森の空気は真新しい。いつも新鮮な空気が其処にはある。
ナイチンゲールの鳴き声が音楽のようにも聞こえた。
俺達は木陰で腰を降ろしていた。
「あの、ジョシュア?」
「なんだい?」
「生徒代表室で、何か良くない話でも聞いたんですか?」
「…そう、見えるかい?」
「ええ。なんだか、最近お疲れのように見えて」
「ごめん。心配を掛けてしまって」
シルヴァンは後悔の表情を浮かべた。
自分の台詞を思い返す。
彼の性格を考えれば、謝らせることになるのは明白だった。
「ごめんなさい。貴方に謝らせてしまって。あの、そうではなくて」
数か国語も知っているくせに、彼の前では言葉が自由にならなくなる。
伝えたいことが溢れていて、どの言葉を選べば良いのか解らなくて。
思ったままに話せば誤解を生む。
一度、深呼吸をしてから、再び自由にならない言葉を続ける。
「立場上、貴方が一人で機密を守らなくてはいけないのは解るのですが…。
僕でお話を聞けることがあったら、いつでも聞かせて下さいね?
貴方の為に、何か力になれることがあったら、何でもしたいんです」
「ありがとう、シルヴァン。大丈夫だよ」
シルヴァンは、疲れの滲む笑顔から視線を逸らす。
自分の手はいつのまにか、きつく握られていた。
「ありがとう」と言って、微笑まれるのは解っていた。
僕が何を言っても、貴方は何も話すことができないのも。
ジョシュアは月桂樹を見上げながら、話題を変えてきた。
「シルヴァンは、森でお昼寝をしていたのかい?」
「ええ。あ、ジョシュアもしてみます? 気持ち良いですよ」
「でも、俺は…」
「30分くらいでも、すっきりするものなんですよ?」
半ば強引に勧められて、ジョシュアは膝枕までして貰うことになった。
ジョシュアから見て右側にシルヴァンが居る。
幸福そうに俺を見下ろしていた。
森の中には、ナイチンゲールの美声だけが耳に届く。
他の人工的な音は聞こえない。
音を吸収しているみたいだ。俺の好きな音だけが其処にあった。
「僕、ジョシュアの髪って好きなんです」
シルヴァンは俺の髪に指を通していた。
髪を撫でて、もう一度、指を入れる。
ただ、その繰り返し。
なんだか子供に戻ったみたいで気恥ずかしいけれど、
不思議と心が安らいだ。
「すみません、ジョシュア」
ふいに、シルヴァンは身を屈めて、俺の頬に触れた。
躊躇している間にシルヴァンの顔は、息が掛かる程近くにあった。
「シルヴァン。待っ…」
制するように、俺の唇は塞がれた。
初めてではなかった。最初もシルヴァンから触れてきて。
俺のことが好きだと言われた。
俺は解らなかった。
明確な返事をしていないまま。
彼に乞われて、唇を重ねることがあった。
拒否する気には、どうしてもなれなかった。
俺を見つめる彼は、いつもの陽気で自由な彼ではなかったから。
彼が俺に触れる時は、先に「すみません」と謝られることが度々あったから。
いつもシルヴァンの願いを叶えている自分が居た。
俺に想いを掛けるのはいけないことだと充分知りながら、
それでも、彼の菫色の瞳は俺を見つめていた。
自己嫌悪や俺への謝罪を映しつつも、抑えられない。
それほど彼の想いが真剣なことがよく解ったから。
だけど今は、場所が場所だ。
此処は月桂樹の森。いつ誰が通っても可笑しくない。
俺は彼の胸に手を置いて、距離を取る。
「シルヴァン、此処ではいけないよ。誰かに見られたら君が」
「僕は構いませんよ」
「だけど」
「良いですよ、僕は。貴方が許してくれるのなら」
「シルヴァン…」
「続きをしても、良いですか?」
また頬に手を添えられて。
口内で柔らかい感触がした。
甘い。
溶けるような口付けが繰り返され、
吐息混じりに囁かれる言葉。
「愛しています、ジョシュア…」
愉悦に満ちた時間だった。
まだ日も落ちていない。
同じ寮の男子生徒。
誰かに見られるかもしれない。
そしたら、彼を不幸にしてしまうかもしれないのに。
如何して、振り解けない。
最初は戸惑うばかりだった。
君の想いを受け止めることがせいいっぱいだったけれど。
いつしか、君が触れて来るのを待っているみたいだった。
言葉を交わすだけの日はもどかしく感じて。
他のみんなと君が話していると、胸が痛くなる。
いつから、菫色の瞳に魅入られていたんだろう。
このまま。
もっと。
俺を見ていて。
fin
■春臣×春也
■蔦様のリクエスト
-------------------
■蔦様のリクエスト
-------------------
「これはね、日本では『初恋の味』って呼ばれてるんだ。
なんか聖アルフォンソ島の飲み物みたいだよね」
ハルヤが手にしているのは、白に青の水玉が爽やかな瓶。
270mlの小さめの瓶で、可愛らしい星が描かれたギフト用だった。
日本が初夏を迎えた頃、兄の春臣からこの飲み物が届いた。
箱の中には青いのが3本とピンクが2本。こちらは白桃の味だそうだ。
青い1本を手土産に、シルヴァンと二人でアイヴィーの家に遊びに来ていた。
リビングのロングソファにシルヴァンとハルヤが座っている。
アイヴィーは一人掛けのソファで紫煙を燻らせていた。
海に程近いアイヴィーのコテージ。
窓から初夏の潮風が入って心地良かった。
シルヴァンは物珍しそうに水玉の瓶を見つめている。
「『初恋の味』ですか。そのままこの島で置いてありそうな名前ですね」
「ほんと。そうだよね」
「どうして『初恋の味』なんですか?」
「えっと…甘酸っぱいから、かな? あ、じゃ1杯目は俺が作るね?」
ハルヤは、水玉の瓶を傾け、皆のグラスに注ぐ。
とくとく、と白いドリンクが流れていく。
どのくらい入れれば良かったかな、と思いながら、
とりあえずグラスの半分ほどで止めてみた。
グラス一杯に注がれるものと思っていたシルヴァンは量の少なさに疑問を感じた。
「ハルヤ? あの、僕、もっと飲みたいんですけど…」
「ああ、うん。まだ完成していないんだよ。
アイヴィー、お水ちょうだい? あっ、そうだ。あと氷も」
「あいよ」
アイヴィーから受け取った氷をグラスに入れると、ぽちゃんと白い水玉が跳ねた。
それからミネラルウォーターを注ぐ。
水で希釈されたドリンクは、夏の薄雲のようで、見た目にも涼しげだった。
「ハルヤ、飲んでイイですかっ?」
「あ、ごめん。ちょっと待って」
上手くできたか心配で、先に味見しておこうと思った。
グラスを口許に近付けただけで、懐かしい甘酸っぱい香りがした。
兄様が送ってくれた箱には一枚のメッセージカードが入っていた。
凛とした綺麗な文字で、こう綴られていた。
寮の皆と一緒に飲んでくれ。
夏の稽古中、二人でよく飲んだよな。 春臣
そうだったなあ、とハルヤは当時を思い出した。
和歌山の暑い夏。日舞の稽古が終わると、二人でバタバタと台所に向かってた。
兄様が茶色の瓶を、俺が2つのグラスを持って来て、ちゃぶ台に着く。
氷をたくさん入れたグラスに原液と水を注ぐ。
兄様が作るのは丁度良い甘さなんだけど、俺は甘過ぎるのを作ってた。
それで水を注ぎ足すと、今度は薄過ぎて。
どうしても上手く作れなかった。
――春也が作るのって、いっつも甘いな――
兄様は笑いながら、一人奮闘する俺を見ていた。
最後には「貸してみ?」と言われて、俺のグラスを渡すと、
兄様は俺の分も作ってくれた。それはとっても美味しかった。
あれから10年以上経っても、この飲み物の香りはおんなじで。
なんだか、嬉しい。
ハルヤはグラスを傾ける。
喉に懐かしさが流れて来る。甘さが口の中を覆う。
あの夏の日と何も変わってない。
甘過ぎて、飲めないくらいだった。
ふっと笑みを零したハルヤに、シルヴァンが問い掛ける。
「ハルヤ、どうしたんですか?」
「…ほんと、ヘタだなあと思って」
ごめんなさい、兄様。
俺、まだうまく作れないみたい。
fin
なんか聖アルフォンソ島の飲み物みたいだよね」
ハルヤが手にしているのは、白に青の水玉が爽やかな瓶。
270mlの小さめの瓶で、可愛らしい星が描かれたギフト用だった。
日本が初夏を迎えた頃、兄の春臣からこの飲み物が届いた。
箱の中には青いのが3本とピンクが2本。こちらは白桃の味だそうだ。
青い1本を手土産に、シルヴァンと二人でアイヴィーの家に遊びに来ていた。
リビングのロングソファにシルヴァンとハルヤが座っている。
アイヴィーは一人掛けのソファで紫煙を燻らせていた。
海に程近いアイヴィーのコテージ。
窓から初夏の潮風が入って心地良かった。
シルヴァンは物珍しそうに水玉の瓶を見つめている。
「『初恋の味』ですか。そのままこの島で置いてありそうな名前ですね」
「ほんと。そうだよね」
「どうして『初恋の味』なんですか?」
「えっと…甘酸っぱいから、かな? あ、じゃ1杯目は俺が作るね?」
ハルヤは、水玉の瓶を傾け、皆のグラスに注ぐ。
とくとく、と白いドリンクが流れていく。
どのくらい入れれば良かったかな、と思いながら、
とりあえずグラスの半分ほどで止めてみた。
グラス一杯に注がれるものと思っていたシルヴァンは量の少なさに疑問を感じた。
「ハルヤ? あの、僕、もっと飲みたいんですけど…」
「ああ、うん。まだ完成していないんだよ。
アイヴィー、お水ちょうだい? あっ、そうだ。あと氷も」
「あいよ」
アイヴィーから受け取った氷をグラスに入れると、ぽちゃんと白い水玉が跳ねた。
それからミネラルウォーターを注ぐ。
水で希釈されたドリンクは、夏の薄雲のようで、見た目にも涼しげだった。
「ハルヤ、飲んでイイですかっ?」
「あ、ごめん。ちょっと待って」
上手くできたか心配で、先に味見しておこうと思った。
グラスを口許に近付けただけで、懐かしい甘酸っぱい香りがした。
兄様が送ってくれた箱には一枚のメッセージカードが入っていた。
凛とした綺麗な文字で、こう綴られていた。
寮の皆と一緒に飲んでくれ。
夏の稽古中、二人でよく飲んだよな。 春臣
そうだったなあ、とハルヤは当時を思い出した。
和歌山の暑い夏。日舞の稽古が終わると、二人でバタバタと台所に向かってた。
兄様が茶色の瓶を、俺が2つのグラスを持って来て、ちゃぶ台に着く。
氷をたくさん入れたグラスに原液と水を注ぐ。
兄様が作るのは丁度良い甘さなんだけど、俺は甘過ぎるのを作ってた。
それで水を注ぎ足すと、今度は薄過ぎて。
どうしても上手く作れなかった。
――春也が作るのって、いっつも甘いな――
兄様は笑いながら、一人奮闘する俺を見ていた。
最後には「貸してみ?」と言われて、俺のグラスを渡すと、
兄様は俺の分も作ってくれた。それはとっても美味しかった。
あれから10年以上経っても、この飲み物の香りはおんなじで。
なんだか、嬉しい。
ハルヤはグラスを傾ける。
喉に懐かしさが流れて来る。甘さが口の中を覆う。
あの夏の日と何も変わってない。
甘過ぎて、飲めないくらいだった。
ふっと笑みを零したハルヤに、シルヴァンが問い掛ける。
「ハルヤ、どうしたんですか?」
「…ほんと、ヘタだなあと思って」
ごめんなさい、兄様。
俺、まだうまく作れないみたい。
fin
■アンリ
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----------
「ねえ。このケーキ、もうひとつ、いい?」
「はい、アンリ様」
メイドは、フィナンシェを小さな主人の皿に乗せた。
貝を模ったフランスの伝統的な焼菓子で、
アーモンドと蜂蜜、ブルターニュ産のバターをたっぷり使っている。
温かい香りが漂う午後のティ-タイムだった。
彼女の主人は5歳になったばかりのサン・ジェルマン家の子息。
肌は雪のように白く、髪は亡き母に似せたセミロング。
そのせいか、外に出れば女の子と見紛われることも多かった。
「ありがと」と真っ白な手がフィナンシェの皿を受け取る。
「アンリ様、お気に召しましたか?」
「うん。あのね、小鳥さんと一緒に食べるの」
メイドは首を捻る。
この屋敷の旦那様は大の動物嫌いで、その類は一切飼育していなかった。
もちろん、鳥も含めてだ。ご令息は隠れて飼っていたのだろうか。
もし、万が一にでも旦那様に見付かれば大変なことだ。
実の親子とは思えない程、厳しい御方でどんな折檻を受けるか解らない。
メイドは慎重に尋ねる。
「…小鳥、ですか?」
「うん。其処に居る、白い小鳥さん」
ご令息の言葉は、メイドをますます困惑させた。
「アンリ様、何を仰っているのです? 此処にはアンリ様と私しか」
小さな主人は、きょとんと小さな顔を傾げる。
互いに不思議そうな顔をして、広い部屋に沈黙が降りる。
何を思ったか、子供は部屋の隅に、てててと歩いていく。
「この小鳥さんね、昨日お友達になったんだ」
子供は何もない空間に向かって指を差していた。
メイドは、その場では「よろしゅうございましたね」と話を合わせた。
「お友達」という言葉を嬉しそうに口にした主人に対し、
他の言葉を口にすることができなかった。
この子には、友達らしい存在が一人も居なかったからだ。
小さな主人は可愛らしく頷いて「あっ」と小さな声を上げる。
服の裾を引っ張って、他に誰も居ないのに、耳打ちする。
「…あの、ね。小鳥さんのこと、パパには内緒にして欲しいの。
パパ、きっと嫌いだから。小鳥さん、追い出されちゃうから。ね、お願い」
メイドは即席の笑顔を貼り付けて「ええ。畏まりました」と返した。
やっと安心したように笑顔になった。この子の笑顔と寝顔は天使そのものだった。
天使は、床の上にフィナンシェの皿を置いた。
しゃがんで白い膝に腕を乗せる。
メイドの目には何も映っていない、その空間を見つめながら、
「食べていいんだよ?」と優しく声を掛けていた。
他人に知れたのは、その時。
僕の瞳が可笑しいと、最初に気付いたのはメイドだった。
尤も、僕の瞳はもっと幼い時から、可笑しかったのだけど。
その頃は、子供の言うことだからと、メイドも相手にしていなかったのだろう。
当時の僕は、自分の目が人と違うものを映しているという自覚がなかったから、
目に映るもの全てを口にしていた。
そのうちに、幼い僕は父の前でも喋った。
メイドに連れられて、自分の部屋に戻ろうとした時。
少しだけ扉が開いていた父の部屋。
その隙間で黒い影が飛んだのが見えた。鴉のように見えた。
父も鳥が好きになったのかもしれない。
幼い僕は咄嗟にそう思ってしまった。
冷静に考えれば、そんな可能性は限りなく低いのに。
僕が抱いていた幻想が理性に負けた。
メイドの傍を離れて、幼い僕は父の部屋へ飛び込んだ。
「パパ! パパにも鳥のお友達が居るの?」
「鳥? 貴様、何のことを言っている?」
「パパの後ろに居る黒い鳥さん。パパのお友達?」
「ふざけるな。鳥なんか居ないだろう。黒い鳥などと不吉なことを…」
「だって、ほら、此処にっ」
「貴様、いい加減に」
「旦那様。アンリ様は嘘を言っていません」
父の手が振りあがる前に、メイドが僕の前に立った。
「何だ、お前にも見えると言うのか?」
「いいえ。ですが、アンリ様は、以前からこのように仰られていて」
「何だと」
「私共も皆、最初は半信半疑でしたが。
このご様子では、アンリ様の目には本当に見えているのではないかと。
アンリ様は…伯爵の血を強く引いているのではないでしょうか?」
父はメイドの頬を叩いた。
乾いた音が鳴り響く。広い部屋に反響する程だった。
僕を庇ったメイドの頬が、赤く腫れる。唇からは血が流れた。
父は唸るように言った。
「…伯爵の名を口にするなと、あれだけ言っているだろう!」
「パパ、止めてっ!」
飛び出した僕を見ると、父は口許を歪めた。
その薄笑いには、憎悪と嫌悪だけが滲んでいた。
彼は僕の髪を思い切り引っ張った。
「この悪魔が…」
振り払うように髪を離し、小さな身体は床に叩き付けられた。
そして幼い僕はやっと学んだ。自分の瞳にしか映らないものがあるのだと。
見えたものを口にすると周囲の反感を買い、迷惑をかけるのだと。
特に、父に言えば、ますます嫌われるのだと知って、
僕は発言を控えるようになった。
徐々に、誰の目にも映るもの、自分にしか見えないものの区別が付くようになる。
周りの物より、少し透明できらきらと輝いているもの、
それが僕の瞳にしか映らないようだと解ってきた。
幼少期から、僕は自分の部屋に居ることが多かった。
窓のレースカーテンを少し開ける。
屋敷から少し離れたところに、森と自然公園が見える。
子供達の遊ぶ声が微かに聞こえた。
僕は彼等の輪の中には入れなかった。
「サン・ジェルマンの子とは遊んではいけない」と、
彼等の親が言っているらしかった。今なら、それも無理はないと解る。
祖父や父から被害を被っていたのだろう。
経済的な損害だったかもしれないし、暴言を浴びたのかもしれない。
レースカーテンを閉める。もうすぐ時間だった。
孤独で父に怯える毎日。その中で、束の間ながらも楽しい時間があった。
「失礼します、アンリ様」
メイドがティーポットを持って、部屋に入ってくる。
「お紅茶をお持ちしました」
「ありがと。ねえ、一緒に見よう? これね、とっても面白いの」
「アンリ様、すっかりこのドラマがお気に入りですね?」
テレビ画面には、犬と戯れている少年が映っている。
このドラマは、今思えばありがちなホットストーリーだったが、
当時の僕には憧れでしかない、あたたかい光景が其処にはあった。
「うん。コリン役の子、僕とおんなじ年なんだって。すごい演技力だよね」
少しませた言い方にメイドは微笑んで「そうですね」と相鎚を打っていた。
このドラマを見終わった後はいつも、ほんのりと心が温まる。
奮闘する少年を見て、涙を流したこともあった。
次回予告を見て、次はどんな話だろうと想像する。
それは同年代の遊び相手が居ない僕にとって、楽しい遊びだった。
ドラマの最終回がいつまでも来なければいい、と願っていた。
ある日、父が海外出張で、長く屋敷を空けた時があった。
暫く怒られなくて済むとほっとしながらも、何処か寂しくも思った。
僕は一人で屋敷を探検していた。物置と呼んでいた地下倉庫に入った。
此処にはサン・ジェルマン家に代々伝わる、書物や曰く付きの代物が眠っていた。
世に出せば値が付けられない程貴重であったり、
または呪われると批難されるような品々が、まるでゴミのように陳列されている。
僕は玩具を探していた。何か一人遊びに使えそうなものはないかと、品々を見ていく。
「これは、どうかな?」
突然の声に、驚いて振り向くと、僕はもっと驚いた。
其処に居たのは、見知らぬ紳士。
しかも、中世ヨーロッパの貴族のような格好をしていた。
40歳から50歳前後の、端整な顔立ちで微笑んでいる。
紳士は僕にカードの束を差し出していた。
その柔らかな笑みと優雅な物越しに少し緊張が解ける。
「ほら、見てご覧? とても綺麗な絵柄だろう?」
紳士はカードの表を僕に見せた。
それには天使や悪魔など神々の絵が描かれていた。
初めて見る筈なのに、何処か懐かしく感じられる。
「綺麗…」
「これはタロットカードと言うんだ。気に入って貰えたかな?」
「うん」
「では目が覚めたら、もう一度おいで。此処に置いておくからね?」
青い箱の上に、カードを置いた。
「…目が覚めたら?」
「ああ。私からのプレゼントだ。きっと役に立つよ、アンリ」
「どうして…僕の名前、知っているの?」
「知っているよ、過去から未来まで、何でもね。私は長生きだから」
「何でも?」
「そう。私にしか見えないものがあるんだ、君と同じようにね?」
「見えないもの…どうして、そのこと知っているの?」
「私は、君の中に流れている者だから」
「ごめんなさい…僕、おじさまの言っていること、よく解らない…」
「それで良いのだよ、アンリ」
「あ、あの…おじさまは、誰なの?」
紳士は微笑んで、僕の頭を撫でた。
優しい手だった。
「私に会ったことは、誰にも言ってはいけないよ?」
「どうして?」
「私と君とは秘密の友人だ。良いだろう?」
「お友達? 僕とお友達になってくれるの?」
「ああ。もちろん。君に、大切な友人ができるまでね」
「大切な、友人?」
「そう。すぐに彼だと分かるよ? 彼の額には」
目を開けると天井が見えた。
僕は自分のベッドに居た。
すぐに起きて、物置に向かった。
青い箱の上には、タロットカードがあった。
13歳になった僕は、此処、聖アルフォンソ学院に入学した。
入学初日、当時の生徒代表に連れられて、学院内を歩いていた。
月桂樹が生い茂る森。
僕の足は止まった。
視界の隅に透明な光が映った。
僕にしか、見えない光。
木の下で、目を閉じている生徒。
彼の額。
その輝きはこれまでとは比較にならない。
高貴な光。
貴方の予言した通りに。
僕の瞳に映った。
「月桂樹の王冠が見える…」
fin
「はい、アンリ様」
メイドは、フィナンシェを小さな主人の皿に乗せた。
貝を模ったフランスの伝統的な焼菓子で、
アーモンドと蜂蜜、ブルターニュ産のバターをたっぷり使っている。
温かい香りが漂う午後のティ-タイムだった。
彼女の主人は5歳になったばかりのサン・ジェルマン家の子息。
肌は雪のように白く、髪は亡き母に似せたセミロング。
そのせいか、外に出れば女の子と見紛われることも多かった。
「ありがと」と真っ白な手がフィナンシェの皿を受け取る。
「アンリ様、お気に召しましたか?」
「うん。あのね、小鳥さんと一緒に食べるの」
メイドは首を捻る。
この屋敷の旦那様は大の動物嫌いで、その類は一切飼育していなかった。
もちろん、鳥も含めてだ。ご令息は隠れて飼っていたのだろうか。
もし、万が一にでも旦那様に見付かれば大変なことだ。
実の親子とは思えない程、厳しい御方でどんな折檻を受けるか解らない。
メイドは慎重に尋ねる。
「…小鳥、ですか?」
「うん。其処に居る、白い小鳥さん」
ご令息の言葉は、メイドをますます困惑させた。
「アンリ様、何を仰っているのです? 此処にはアンリ様と私しか」
小さな主人は、きょとんと小さな顔を傾げる。
互いに不思議そうな顔をして、広い部屋に沈黙が降りる。
何を思ったか、子供は部屋の隅に、てててと歩いていく。
「この小鳥さんね、昨日お友達になったんだ」
子供は何もない空間に向かって指を差していた。
メイドは、その場では「よろしゅうございましたね」と話を合わせた。
「お友達」という言葉を嬉しそうに口にした主人に対し、
他の言葉を口にすることができなかった。
この子には、友達らしい存在が一人も居なかったからだ。
小さな主人は可愛らしく頷いて「あっ」と小さな声を上げる。
服の裾を引っ張って、他に誰も居ないのに、耳打ちする。
「…あの、ね。小鳥さんのこと、パパには内緒にして欲しいの。
パパ、きっと嫌いだから。小鳥さん、追い出されちゃうから。ね、お願い」
メイドは即席の笑顔を貼り付けて「ええ。畏まりました」と返した。
やっと安心したように笑顔になった。この子の笑顔と寝顔は天使そのものだった。
天使は、床の上にフィナンシェの皿を置いた。
しゃがんで白い膝に腕を乗せる。
メイドの目には何も映っていない、その空間を見つめながら、
「食べていいんだよ?」と優しく声を掛けていた。
他人に知れたのは、その時。
僕の瞳が可笑しいと、最初に気付いたのはメイドだった。
尤も、僕の瞳はもっと幼い時から、可笑しかったのだけど。
その頃は、子供の言うことだからと、メイドも相手にしていなかったのだろう。
当時の僕は、自分の目が人と違うものを映しているという自覚がなかったから、
目に映るもの全てを口にしていた。
そのうちに、幼い僕は父の前でも喋った。
メイドに連れられて、自分の部屋に戻ろうとした時。
少しだけ扉が開いていた父の部屋。
その隙間で黒い影が飛んだのが見えた。鴉のように見えた。
父も鳥が好きになったのかもしれない。
幼い僕は咄嗟にそう思ってしまった。
冷静に考えれば、そんな可能性は限りなく低いのに。
僕が抱いていた幻想が理性に負けた。
メイドの傍を離れて、幼い僕は父の部屋へ飛び込んだ。
「パパ! パパにも鳥のお友達が居るの?」
「鳥? 貴様、何のことを言っている?」
「パパの後ろに居る黒い鳥さん。パパのお友達?」
「ふざけるな。鳥なんか居ないだろう。黒い鳥などと不吉なことを…」
「だって、ほら、此処にっ」
「貴様、いい加減に」
「旦那様。アンリ様は嘘を言っていません」
父の手が振りあがる前に、メイドが僕の前に立った。
「何だ、お前にも見えると言うのか?」
「いいえ。ですが、アンリ様は、以前からこのように仰られていて」
「何だと」
「私共も皆、最初は半信半疑でしたが。
このご様子では、アンリ様の目には本当に見えているのではないかと。
アンリ様は…伯爵の血を強く引いているのではないでしょうか?」
父はメイドの頬を叩いた。
乾いた音が鳴り響く。広い部屋に反響する程だった。
僕を庇ったメイドの頬が、赤く腫れる。唇からは血が流れた。
父は唸るように言った。
「…伯爵の名を口にするなと、あれだけ言っているだろう!」
「パパ、止めてっ!」
飛び出した僕を見ると、父は口許を歪めた。
その薄笑いには、憎悪と嫌悪だけが滲んでいた。
彼は僕の髪を思い切り引っ張った。
「この悪魔が…」
振り払うように髪を離し、小さな身体は床に叩き付けられた。
そして幼い僕はやっと学んだ。自分の瞳にしか映らないものがあるのだと。
見えたものを口にすると周囲の反感を買い、迷惑をかけるのだと。
特に、父に言えば、ますます嫌われるのだと知って、
僕は発言を控えるようになった。
徐々に、誰の目にも映るもの、自分にしか見えないものの区別が付くようになる。
周りの物より、少し透明できらきらと輝いているもの、
それが僕の瞳にしか映らないようだと解ってきた。
幼少期から、僕は自分の部屋に居ることが多かった。
窓のレースカーテンを少し開ける。
屋敷から少し離れたところに、森と自然公園が見える。
子供達の遊ぶ声が微かに聞こえた。
僕は彼等の輪の中には入れなかった。
「サン・ジェルマンの子とは遊んではいけない」と、
彼等の親が言っているらしかった。今なら、それも無理はないと解る。
祖父や父から被害を被っていたのだろう。
経済的な損害だったかもしれないし、暴言を浴びたのかもしれない。
レースカーテンを閉める。もうすぐ時間だった。
孤独で父に怯える毎日。その中で、束の間ながらも楽しい時間があった。
「失礼します、アンリ様」
メイドがティーポットを持って、部屋に入ってくる。
「お紅茶をお持ちしました」
「ありがと。ねえ、一緒に見よう? これね、とっても面白いの」
「アンリ様、すっかりこのドラマがお気に入りですね?」
テレビ画面には、犬と戯れている少年が映っている。
このドラマは、今思えばありがちなホットストーリーだったが、
当時の僕には憧れでしかない、あたたかい光景が其処にはあった。
「うん。コリン役の子、僕とおんなじ年なんだって。すごい演技力だよね」
少しませた言い方にメイドは微笑んで「そうですね」と相鎚を打っていた。
このドラマを見終わった後はいつも、ほんのりと心が温まる。
奮闘する少年を見て、涙を流したこともあった。
次回予告を見て、次はどんな話だろうと想像する。
それは同年代の遊び相手が居ない僕にとって、楽しい遊びだった。
ドラマの最終回がいつまでも来なければいい、と願っていた。
ある日、父が海外出張で、長く屋敷を空けた時があった。
暫く怒られなくて済むとほっとしながらも、何処か寂しくも思った。
僕は一人で屋敷を探検していた。物置と呼んでいた地下倉庫に入った。
此処にはサン・ジェルマン家に代々伝わる、書物や曰く付きの代物が眠っていた。
世に出せば値が付けられない程貴重であったり、
または呪われると批難されるような品々が、まるでゴミのように陳列されている。
僕は玩具を探していた。何か一人遊びに使えそうなものはないかと、品々を見ていく。
「これは、どうかな?」
突然の声に、驚いて振り向くと、僕はもっと驚いた。
其処に居たのは、見知らぬ紳士。
しかも、中世ヨーロッパの貴族のような格好をしていた。
40歳から50歳前後の、端整な顔立ちで微笑んでいる。
紳士は僕にカードの束を差し出していた。
その柔らかな笑みと優雅な物越しに少し緊張が解ける。
「ほら、見てご覧? とても綺麗な絵柄だろう?」
紳士はカードの表を僕に見せた。
それには天使や悪魔など神々の絵が描かれていた。
初めて見る筈なのに、何処か懐かしく感じられる。
「綺麗…」
「これはタロットカードと言うんだ。気に入って貰えたかな?」
「うん」
「では目が覚めたら、もう一度おいで。此処に置いておくからね?」
青い箱の上に、カードを置いた。
「…目が覚めたら?」
「ああ。私からのプレゼントだ。きっと役に立つよ、アンリ」
「どうして…僕の名前、知っているの?」
「知っているよ、過去から未来まで、何でもね。私は長生きだから」
「何でも?」
「そう。私にしか見えないものがあるんだ、君と同じようにね?」
「見えないもの…どうして、そのこと知っているの?」
「私は、君の中に流れている者だから」
「ごめんなさい…僕、おじさまの言っていること、よく解らない…」
「それで良いのだよ、アンリ」
「あ、あの…おじさまは、誰なの?」
紳士は微笑んで、僕の頭を撫でた。
優しい手だった。
「私に会ったことは、誰にも言ってはいけないよ?」
「どうして?」
「私と君とは秘密の友人だ。良いだろう?」
「お友達? 僕とお友達になってくれるの?」
「ああ。もちろん。君に、大切な友人ができるまでね」
「大切な、友人?」
「そう。すぐに彼だと分かるよ? 彼の額には」
目を開けると天井が見えた。
僕は自分のベッドに居た。
すぐに起きて、物置に向かった。
青い箱の上には、タロットカードがあった。
13歳になった僕は、此処、聖アルフォンソ学院に入学した。
入学初日、当時の生徒代表に連れられて、学院内を歩いていた。
月桂樹が生い茂る森。
僕の足は止まった。
視界の隅に透明な光が映った。
僕にしか、見えない光。
木の下で、目を閉じている生徒。
彼の額。
その輝きはこれまでとは比較にならない。
高貴な光。
貴方の予言した通りに。
僕の瞳に映った。
「月桂樹の王冠が見える…」
fin
■テオ×ハルヤ
■蔦様のリクエスト
-------------------
■蔦様のリクエスト
-------------------
「今日もスゴイシュートだったね、レッド」
「だろっ! さっすが俺! やっぱサッカーっておもしれーな!」
「うん。あ、シルヴァンもナイスアシストだったね」
「ありがとうございます。ハルヤもステキでしたよ?」
「…いや、俺、今日転んだだけで、ずっとベンチだったんだけど」
「それがステキなんじゃないですかー♪」
体育の時間が終わった後、デッドプリンスの三人がグラウンドから出て来た。
レッド以外は聖アルフォンソ学院のパーカーを羽織っていた。
「ああ、なんてことだ! なんて美しい…」
大声が飛んで来た。三人は声がした方に顔を向ける。
其処に居たのは、こちらの方を見て感激している生徒代表、テオだった。
黄金の髪を揺らして、一直線に向かってくる。
三人のうちの一人の両手を取った。
「東洋の黒い真珠! どうしたんだい、その髪型!」
ハルヤは髪を高く結わえていた。しっぽのように揺れている。
「コレ? 体育の時、髪ジャマだから結んでるだけ、なんだけど…」
「ああ、眩暈がするようだよ…」
「え? 具合悪いの、テオ?」
シルヴァンは、テオをハルヤの後ろに連れて行く。
「テオ、テオ! こちらのアングルがオススメですよ!」
「オススメって?」
「あっ、ハルヤはそのまま動かないで下さい! ほら、テオ。ね?」
テオは眩暈がしたのか、一歩よろけた。
「こ、これは…なんと神々しい美しさなのだろう…」
「でしょ、でしょー?」
盛り上がっている二人に何か不安を感じたハルヤが首を後ろに向ける。
「あ、あのー」
「ああ、東洋の黒い真珠は動かないでくれたまえ!」
「おい、そこのバカ二人!」
仁王立ちしていたレッドが、二人の肩に手を置く。
「てめえら、食いつき過ぎっ! ハルヤから離れろっ!」
fin
「だろっ! さっすが俺! やっぱサッカーっておもしれーな!」
「うん。あ、シルヴァンもナイスアシストだったね」
「ありがとうございます。ハルヤもステキでしたよ?」
「…いや、俺、今日転んだだけで、ずっとベンチだったんだけど」
「それがステキなんじゃないですかー♪」
体育の時間が終わった後、デッドプリンスの三人がグラウンドから出て来た。
レッド以外は聖アルフォンソ学院のパーカーを羽織っていた。
「ああ、なんてことだ! なんて美しい…」
大声が飛んで来た。三人は声がした方に顔を向ける。
其処に居たのは、こちらの方を見て感激している生徒代表、テオだった。
黄金の髪を揺らして、一直線に向かってくる。
三人のうちの一人の両手を取った。
「東洋の黒い真珠! どうしたんだい、その髪型!」
ハルヤは髪を高く結わえていた。しっぽのように揺れている。
「コレ? 体育の時、髪ジャマだから結んでるだけ、なんだけど…」
「ああ、眩暈がするようだよ…」
「え? 具合悪いの、テオ?」
シルヴァンは、テオをハルヤの後ろに連れて行く。
「テオ、テオ! こちらのアングルがオススメですよ!」
「オススメって?」
「あっ、ハルヤはそのまま動かないで下さい! ほら、テオ。ね?」
テオは眩暈がしたのか、一歩よろけた。
「こ、これは…なんと神々しい美しさなのだろう…」
「でしょ、でしょー?」
盛り上がっている二人に何か不安を感じたハルヤが首を後ろに向ける。
「あ、あのー」
「ああ、東洋の黒い真珠は動かないでくれたまえ!」
「おい、そこのバカ二人!」
仁王立ちしていたレッドが、二人の肩に手を置く。
「てめえら、食いつき過ぎっ! ハルヤから離れろっ!」
fin
■テオ×クラウス
■小説ベース
-----------------
■小説ベース
-----------------
ウーティス寮から出て来た生徒代表、クラウスは苛々していた。
シルヴァンとの言葉の応酬が原因だ。
生真面目な俺と自由人なあいつでは性格が真逆過ぎて、疲れる。
俺はひとつ溜め息を吐く。
最近、あいつのせいで溜め息の数が多くなったような気がする。
ウーティスから出ると、月桂樹の森へと繋がる入り口があった。
木々の中から、黄金の髪を持つ生徒が出て来た。
ゆったりと歩く様子は何か悟っているようでもあった。
享楽主義が、人前では見せないような顔をしている。
俺と目が合うと、普段の陽気な笑顔になった。
「おや、クラウス? ご機嫌斜めのようだね?」
「…そう思うのなら話し掛けるな、テオ」
「不機嫌な時を除いたら、クラウスに話し掛けられないよ。特に最近は」
「…常に機嫌が悪いというのか、俺が」
「正確には、ウーティスから出て来た時、かな?」
「そんなことはない」
享楽主義はいつものように、楽しそうな笑顔を浮かべた。
テオ・メネシス。17歳。高等部第二学年。
次期生徒代表の最有力候補と言われている生徒だが、
当の本人は気にしていないようだった。
慌てず騒がず、日々楽しく暮らしていた。
森から出て来たばかりのテオは、
「少し、時間をくれる?」と俺を誘って、再び森へ入った。
森の空気は真新しい。いつも新鮮な空気が其処にはある。
ナイチンゲールの鳴き声が音楽のようにも聞こえた。
俺達は木陰で腰を降ろしていた。
「ああ…今日もいい天気だねえ」
たったそれだけのことを如何にも幸せそうに言える奴だった。
「クラウスを怒らせるなんて、なかなかのツワモノだね」
木漏れ陽を受けて、黄金の髪が輝く。
俺より背の低いテオは、可笑しそうに俺をちらと覗いた。
「ダイヤのように屈強な身体と心を持つクラウスを。これほど乱すなんて」
「またダイヤなどと…お前は可笑しなことばかり言うな」
「でも世界一硬い鉱物だよ? 私にはこれ以上ぴったり来る宝石が思い付かないな」
「俺が堅物だと言いたいのか? お前も結構俺を怒らせてるぞ?」
「そう? それは嬉しいな」
「…褒めてないぞ?」
「先程クラウスを怒らせたのは、あの背の高い生徒?」
「ああ、そうだ。ったく。あいつは在り得ん、意味が解らん…」
「確かに、クラウスとは性格が合わないような気がするね」
「合うわけがない。この前もまた街に連れ出されたし」
「おや。クラウス、彼とデートをしたの?」
「テオ! 本当にお前は可笑しなことばかり…」
「二人で行ったんだろう?」
「それは、そうだが、しかし」
「羨ましいな。今度の休日には、私と海に行って欲しいものだね?」
「あのなあ…休日にはアクティヴィティがあるだろうが」
「自主活動なのだから何でも良いんだよ。海の生物研究とでも言えばいいし」
俺は大きな溜め息を吐く。
「何故だ…アルベルトといい、お前といい、シルヴァンといい、
何故、俺の周りには、お気楽な奴ばかり集まるんだ…」
「それは仕方ないね。クラウスの前では皆、お気楽者だよ」
のどかに笑う。不思議と、こちらまで安らぐような笑顔だった。
「ああ、そうだ。クラウスに聞きたいことがあったんだ」
「なんだ」
「生徒代表だけの愉しみには、どんなものがあるの?」
俺は期待に満ちた瞳を向けられた。
テオが最有力候補となってから、生徒代表について聞かれることは初めてだった。
俺は思案する。どういう意図で言っているのか。
自分が本当に選ばれた時の為に心積もりをしておきたい、ということか。
テオは俺の考えを読み取ったのか、ふんわり微笑む。
「皆がね、私がなればいいと言うものだから。少し興味があってね。
生徒代表の愉しさには何があるのか、クラウスに聞きたかったんだ」
テオらしい物言いに苦笑しつつ、俺は溜め息を吐きながら答えた。
「悪いが、俺にとっては楽しむものではない。任務を忠実にこなすだけだ」
「そうかい? 私は万事に愉しさが含まれていると思うけれど」
「お前は何事に於いても『楽しむ天才』だからな」
「あれは? 新入生の学院案内は愉しくはない?」
「俺は好きではない。足の遅い少年に歩幅を合わせるだけで疲れる」
「クラウスが特別早いんだよ。その点、私は問題ないね。
…うん。やはり面白そうだな。生徒代表でなければ、
新入生と、そんな風にゆっくりと過ごせないものね」
テオの笑顔が太陽のように、きらきらと輝いていく。
「新入生の思い出の1ページ目に、生徒代表が刻まれるのか。
ああ、なんと特権的な愉しみなのだろう。素晴らしいね」
「その呆れる程のポジティブ思考は長所と言えるな。
お前なら、生徒代表になっても楽しい毎日を過ごせるだろうよ」
俺の言葉を聞いて、笑顔が急に止まった。
確認するように、ゆっくりと尋ねて来る。
「本当に? 私でも務まると思うかい、クラウス?」
「ああ。俺などよりずっといい生徒代表になると思うが?」
テオは穏やかな微笑みを見せた。
いつもの陽気な笑顔とは少し違う。
この享楽主義は、時々こういう顔をする。
心から嬉しい、とでも言うように柔らかい笑顔。
「ありがとう、クラウス。今の言葉、私の宝箱に大切に仕舞っておくよ」
「…宝箱?」
「うん。愉しかったことを入れておく箱があるんだ。此処に、ね」
テオは胸に手を当てて、瞳を閉じる。
「私の宝箱には、美しいダイヤモンドが、たくさん入っているんだ」
そう言って、木漏れ陽のように笑っていた。
「ほっとしたら、なんだか眠たくなってきてしまったな」
テオのあたたかい手が、俺の膝に触れる。
「すまないけれど、また貸してくれるかい?」
「またかよ」
「だって、クラウスくらいしか居ないからね。体力的にも耐えられる人は」
「可笑しな奴だな。普通の枕の方が寝心地は良いだろうが」
「普通の枕より、クラウスの膝の方が愉しいからね」
その声に冗談めいた響きはない。こいつの感覚は風変わりだ。
「愉しい、か」
テオは、俺の膝に対して、直角に頭を乗せて来る。
必ず、いつもその位置を取っていた。
テオから見て右側に俺が居る。
幸福そうに俺の横顔を見上げてくる。
「ねえ。クラウス、またお願いしても良い?」
「構わないが…髪を梳かれることも愉しい、のか? お前にとっては」
「もちろん、愉しいよ」
テオが瞼を閉じる。
その合図に誘われたように、俺の手は持ち上がった。
テオに会うまで、人の髪を梳くなんてことはしたことがなかった。
この黄金の髪は線が細くて柔らかい。
緩い波は、俺の指に絡んでは離れ、
離れては絡みながら、するすると流れていく。
髪に指を入れ、最後まで撫でて、また指を入れる。
ただ、その繰り返し。
その極めて単純な作業は、何故か俺の心を落ち着かせた。
「すまない、クラウス…」
ふいに、テオは右腕を伸ばして、俺の首に回した。
俺の膝には頭が乗っているので身動きが取れない。
躊躇している間にテオの顔は、息が掛かる程近くにあった。
「おい、テオ」
首に回された腕に引き寄せられて、
俺達の唇は重なっていた。
初めてではなかった。最初もテオから触れてきて。
俺のことが好きだと言われた。
俺は解らなかった。そんなこと解る訳がない。
明確な返事をしていないまま。
こいつに乞われて、唇を重ねることがあった。
叱るとか、振り切るとか拒否することは出来た筈なのに。
何故か、そんな気は起こらなくて。
いつもテオの願いを叶えている自分が居た。
だが今は、場所が場所だ。
此処は月桂樹の森。いつ誰が通っても可笑しくない。
俺は力の差を見せ付けるように顔を離す。
「馬鹿、此処は森だぞ。誰かに見られたら」
「私は構わないけれど?」
「俺は生徒代表なんだぞ。生徒の模範である立場で」
「解っていないね、クラウスは」
「何がだ」
「禁じられたこと程、愉しいと思わない?」
「…テオ。お前と言う奴は」
「ねえ。今のでは足りないよ。もう一度」
また腕に引き寄せられる。
口内で柔らかい感触がした。
甘い。
溶けるような口付けが繰り返され、
吐息混じりに囁かれる言葉。
「クラウス。私はね、太陽と海を愛していた」
「食べてしまいたいよ、クラウス」
「今ではね、太陽より、海よりも…」
愉悦に満ちた時間だった。
まだ日も落ちていない。
自分より年下の男子生徒。
誰かに見られるかもしれない。
生徒代表としてあるまじき姿なのに。
如何して、振り解けない。
このまま。
もっと。
傍に居てやりたい。
fin
シルヴァンとの言葉の応酬が原因だ。
生真面目な俺と自由人なあいつでは性格が真逆過ぎて、疲れる。
俺はひとつ溜め息を吐く。
最近、あいつのせいで溜め息の数が多くなったような気がする。
ウーティスから出ると、月桂樹の森へと繋がる入り口があった。
木々の中から、黄金の髪を持つ生徒が出て来た。
ゆったりと歩く様子は何か悟っているようでもあった。
享楽主義が、人前では見せないような顔をしている。
俺と目が合うと、普段の陽気な笑顔になった。
「おや、クラウス? ご機嫌斜めのようだね?」
「…そう思うのなら話し掛けるな、テオ」
「不機嫌な時を除いたら、クラウスに話し掛けられないよ。特に最近は」
「…常に機嫌が悪いというのか、俺が」
「正確には、ウーティスから出て来た時、かな?」
「そんなことはない」
享楽主義はいつものように、楽しそうな笑顔を浮かべた。
テオ・メネシス。17歳。高等部第二学年。
次期生徒代表の最有力候補と言われている生徒だが、
当の本人は気にしていないようだった。
慌てず騒がず、日々楽しく暮らしていた。
森から出て来たばかりのテオは、
「少し、時間をくれる?」と俺を誘って、再び森へ入った。
森の空気は真新しい。いつも新鮮な空気が其処にはある。
ナイチンゲールの鳴き声が音楽のようにも聞こえた。
俺達は木陰で腰を降ろしていた。
「ああ…今日もいい天気だねえ」
たったそれだけのことを如何にも幸せそうに言える奴だった。
「クラウスを怒らせるなんて、なかなかのツワモノだね」
木漏れ陽を受けて、黄金の髪が輝く。
俺より背の低いテオは、可笑しそうに俺をちらと覗いた。
「ダイヤのように屈強な身体と心を持つクラウスを。これほど乱すなんて」
「またダイヤなどと…お前は可笑しなことばかり言うな」
「でも世界一硬い鉱物だよ? 私にはこれ以上ぴったり来る宝石が思い付かないな」
「俺が堅物だと言いたいのか? お前も結構俺を怒らせてるぞ?」
「そう? それは嬉しいな」
「…褒めてないぞ?」
「先程クラウスを怒らせたのは、あの背の高い生徒?」
「ああ、そうだ。ったく。あいつは在り得ん、意味が解らん…」
「確かに、クラウスとは性格が合わないような気がするね」
「合うわけがない。この前もまた街に連れ出されたし」
「おや。クラウス、彼とデートをしたの?」
「テオ! 本当にお前は可笑しなことばかり…」
「二人で行ったんだろう?」
「それは、そうだが、しかし」
「羨ましいな。今度の休日には、私と海に行って欲しいものだね?」
「あのなあ…休日にはアクティヴィティがあるだろうが」
「自主活動なのだから何でも良いんだよ。海の生物研究とでも言えばいいし」
俺は大きな溜め息を吐く。
「何故だ…アルベルトといい、お前といい、シルヴァンといい、
何故、俺の周りには、お気楽な奴ばかり集まるんだ…」
「それは仕方ないね。クラウスの前では皆、お気楽者だよ」
のどかに笑う。不思議と、こちらまで安らぐような笑顔だった。
「ああ、そうだ。クラウスに聞きたいことがあったんだ」
「なんだ」
「生徒代表だけの愉しみには、どんなものがあるの?」
俺は期待に満ちた瞳を向けられた。
テオが最有力候補となってから、生徒代表について聞かれることは初めてだった。
俺は思案する。どういう意図で言っているのか。
自分が本当に選ばれた時の為に心積もりをしておきたい、ということか。
テオは俺の考えを読み取ったのか、ふんわり微笑む。
「皆がね、私がなればいいと言うものだから。少し興味があってね。
生徒代表の愉しさには何があるのか、クラウスに聞きたかったんだ」
テオらしい物言いに苦笑しつつ、俺は溜め息を吐きながら答えた。
「悪いが、俺にとっては楽しむものではない。任務を忠実にこなすだけだ」
「そうかい? 私は万事に愉しさが含まれていると思うけれど」
「お前は何事に於いても『楽しむ天才』だからな」
「あれは? 新入生の学院案内は愉しくはない?」
「俺は好きではない。足の遅い少年に歩幅を合わせるだけで疲れる」
「クラウスが特別早いんだよ。その点、私は問題ないね。
…うん。やはり面白そうだな。生徒代表でなければ、
新入生と、そんな風にゆっくりと過ごせないものね」
テオの笑顔が太陽のように、きらきらと輝いていく。
「新入生の思い出の1ページ目に、生徒代表が刻まれるのか。
ああ、なんと特権的な愉しみなのだろう。素晴らしいね」
「その呆れる程のポジティブ思考は長所と言えるな。
お前なら、生徒代表になっても楽しい毎日を過ごせるだろうよ」
俺の言葉を聞いて、笑顔が急に止まった。
確認するように、ゆっくりと尋ねて来る。
「本当に? 私でも務まると思うかい、クラウス?」
「ああ。俺などよりずっといい生徒代表になると思うが?」
テオは穏やかな微笑みを見せた。
いつもの陽気な笑顔とは少し違う。
この享楽主義は、時々こういう顔をする。
心から嬉しい、とでも言うように柔らかい笑顔。
「ありがとう、クラウス。今の言葉、私の宝箱に大切に仕舞っておくよ」
「…宝箱?」
「うん。愉しかったことを入れておく箱があるんだ。此処に、ね」
テオは胸に手を当てて、瞳を閉じる。
「私の宝箱には、美しいダイヤモンドが、たくさん入っているんだ」
そう言って、木漏れ陽のように笑っていた。
「ほっとしたら、なんだか眠たくなってきてしまったな」
テオのあたたかい手が、俺の膝に触れる。
「すまないけれど、また貸してくれるかい?」
「またかよ」
「だって、クラウスくらいしか居ないからね。体力的にも耐えられる人は」
「可笑しな奴だな。普通の枕の方が寝心地は良いだろうが」
「普通の枕より、クラウスの膝の方が愉しいからね」
その声に冗談めいた響きはない。こいつの感覚は風変わりだ。
「愉しい、か」
テオは、俺の膝に対して、直角に頭を乗せて来る。
必ず、いつもその位置を取っていた。
テオから見て右側に俺が居る。
幸福そうに俺の横顔を見上げてくる。
「ねえ。クラウス、またお願いしても良い?」
「構わないが…髪を梳かれることも愉しい、のか? お前にとっては」
「もちろん、愉しいよ」
テオが瞼を閉じる。
その合図に誘われたように、俺の手は持ち上がった。
テオに会うまで、人の髪を梳くなんてことはしたことがなかった。
この黄金の髪は線が細くて柔らかい。
緩い波は、俺の指に絡んでは離れ、
離れては絡みながら、するすると流れていく。
髪に指を入れ、最後まで撫でて、また指を入れる。
ただ、その繰り返し。
その極めて単純な作業は、何故か俺の心を落ち着かせた。
「すまない、クラウス…」
ふいに、テオは右腕を伸ばして、俺の首に回した。
俺の膝には頭が乗っているので身動きが取れない。
躊躇している間にテオの顔は、息が掛かる程近くにあった。
「おい、テオ」
首に回された腕に引き寄せられて、
俺達の唇は重なっていた。
初めてではなかった。最初もテオから触れてきて。
俺のことが好きだと言われた。
俺は解らなかった。そんなこと解る訳がない。
明確な返事をしていないまま。
こいつに乞われて、唇を重ねることがあった。
叱るとか、振り切るとか拒否することは出来た筈なのに。
何故か、そんな気は起こらなくて。
いつもテオの願いを叶えている自分が居た。
だが今は、場所が場所だ。
此処は月桂樹の森。いつ誰が通っても可笑しくない。
俺は力の差を見せ付けるように顔を離す。
「馬鹿、此処は森だぞ。誰かに見られたら」
「私は構わないけれど?」
「俺は生徒代表なんだぞ。生徒の模範である立場で」
「解っていないね、クラウスは」
「何がだ」
「禁じられたこと程、愉しいと思わない?」
「…テオ。お前と言う奴は」
「ねえ。今のでは足りないよ。もう一度」
また腕に引き寄せられる。
口内で柔らかい感触がした。
甘い。
溶けるような口付けが繰り返され、
吐息混じりに囁かれる言葉。
「クラウス。私はね、太陽と海を愛していた」
「食べてしまいたいよ、クラウス」
「今ではね、太陽より、海よりも…」
愉悦に満ちた時間だった。
まだ日も落ちていない。
自分より年下の男子生徒。
誰かに見られるかもしれない。
生徒代表としてあるまじき姿なのに。
如何して、振り解けない。
このまま。
もっと。
傍に居てやりたい。
fin
■シルヴァン×クラウス
■小説ベース
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■小説ベース
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ある天気の良い放課後。
生徒代表のクラウス・フォン・モールは、
新入りが居るウーティス寮に向かっていた。
ウーティスの最上級生であるアルベルトに用事があるだけなのだが、
なんとなく嫌な予感がしていた。
「アルベルトは居るか」とサロンに顔を出すのがもっとも効率的だ。
サロンにあいつが居なければいい、と願いながら扉を開ける。
俺の願いを無視するかのように陽気な声が上がった。
「あっ! クラウス!」
シルヴァン・クラーク。17歳。高等部第一学年。
一か月前に編入してきた、やたら厄介な新入りだ。
俺よりも若干背が高い。男のくせに髪が長い。
かなり遠くから見ても、こいつだと解る目立つ容姿。
菫色の瞳を輝かせながら、俺の目の前までやってきた。
「クラウス! 僕に会いに来てくれたんですか?」
「誰が。アルベルトに会いに来たんだ」
「またですか? なんだか最近多くありません?」
「一応、あいつがウーティスの最上級生だからな、色々話があるんだよ」
「それを言い訳に、僕の顔を見に来てくれているのかと思っていました」
「ふざけるな。それよりお前、講義にちゃんと出てるのか?」
「…え。ええ、まあ」
「講義の時間に、お前が森や街に行く姿が度々目撃されているんだが?」
「クラウス! もしかして僕の追っかけをしてくれてるんですか!?」
「誰がするか。ったく、相変わらずのようだな、お調子者」
「はい。おかげさまで。あっ、今度はクラウスも一緒に行きましょう?」
「俺は講義を休まない主義だ」
「真面目ですね、クラウスは」
「当然のことだろうが。講義に出席するのは生徒の『義務』だ」
「うーん。『権利』だと思いますけどねえ、僕は」
出会った時から意見が合わない奴だったが、
今もこいつと俺の主張は平行線のままだ。
ドイツ軍人の家系に生まれた俺は、
規律を遵守することは空気を吸うのと同じことだった。
寮生達からは生真面目、堅物などと揶揄されることもあるが、
生まれ持った性格なので直しようがない。
この新入生は俺とは真逆だった。おそらく、こいつの辞書には、
『ルール』という単語は載っていないのだろう。
もしくは、その単語の意味には『それは破るもの』と書かれているか。
こんな奴と話していては埒が明かない。
しかし、生来の負けず嫌いが災いして、
ムキになり、挨拶だけのつもりが長くなってしまう。
こういう場合は、自らが退くことが最良の手段だ。
「じゃあな」
「あっ、待って下さい、クラウス」
新入りは人差し指を立てて、笑顔を見せる。
「では、今度の『休日』に行きましょう?」
「…何故、そうなる?」
「この前、学院案内をして貰ったお礼に、今度は僕が島を案内しますよ」
「礼など要らん。あれは俺の任務だ。第一、休日はアクティヴィティがあるだろう」
「じゃあ、アクティヴィティってことで」
「…今『じゃあ』って言ったろ、お前」
「決まりですね。楽しみにしています」
「勝手に決めるな!」
次の休日。
宣言通り、新入りは俺を外に連れ出した。
こいつの入学初日と同じように、今日も一日振り回された。
入学から一か月しか経ってないのに。
新入りは俺よりずっとこの島のことを知っていた。
こいつがタクシードライバーやその友人に連れて行って貰ったところ、
その中からオススメだという場所に連れて行かれた。
相当歩いたが、疲れは感じなかった。
自分は、軍人の訓練をしているから当然だが、
その俺より先に歩いていくこいつの体力や持久力は、
お調子者というだけには収まらないものがあった。
それに、こいつだって今までに一回しか行ってないのに、
観光ガイド並に、ペラペラと島の豆知識を喋っていた。
島民に聞いたことを丸暗記しているかのように。
身体能力と知力が半端じゃない。
もう何年も居る島なのに、今日見たもの聞いたものは、
どれも初めてで、まるで入学初日のように新鮮な気分を味わった。
気付けば空は紫に染まりつつあった。
その色を見て、何かと同じ色だと感じた。
「次はドコに行きましょうかねー」
こいつは俺を誘ったくせにタイムスケジュールなど一切考えてなかった。
歩きながら、次の目的地を決めているようだ。
おかげでハプニングが続出している。
「バスに乗っていきましょう」と言っておきながら、
時刻表すら事前に調べていない。
バス停に着けば1時間に1本しか走ってない。
「困りましたねー」という笑顔は全く困ってない。
自分は何事も事前に完璧に調べ上げておかなくては気が済まない性質だ。
新入りの学院案内だってそうだ。
最適なルートを決め、タイムスケジュールを組み、
その通りに任務を終える。そうやって今までやって来た。
それをこの新入りは、俺の計画を台無しにした。
ちょっと目を離した隙に居なくなり、連れ戻すのに苦労させられるは、
初日から夜遊び、外泊などしやがる。
俺が生徒代表になってから、こんな厄介な新入りは初めてだ。
規律や任務を忠実に守ることが美徳だと、
身体にそう叩き込まれた俺とは、まるで正反対。
無法者の自由人。
これほど性格の違う奴とは仲良くなれない、初日にそう思った。
生徒代表と新入生との関係は、通常初日で終わる。
俺がシュヌーシア寮、こいつがウーティス寮と離れて暮らしている為、
本来ならば、その関係性は挨拶をする程度だ。
だが、何故かこいつとは初日以降も話す機会が度々あった。
俺がウーティスの他の奴に用事があって出向いた時も、
こいつは俺の顔を見掛けたらすぐに飛んで来た。
長い髪を跳ねさせて突進してくる様子は、
シッポを振って駆けてくる犬のようだった。
この無法者に比べれば犬の方がずっと忠実だが。
俺を目掛けて走ってくるところは、
幼少期に飼っていた愛犬に似ていたかもしれない。
バス停で立往生しているとトラックが通り掛かった。
こいつは誰かの名前を呼びながら、片手を振る。
すると車は止まった。知り合いらしい。
たった一か月で。島民の車を止められるか、普通?
車の荷台に乗せられて、着いた先は市場だった。
市場にも知り合いが居るようで、あちこちから名前を呼ばれていた。
彼等に「そちらさんもマージナルプリンスかい?」と聞かれて、
「はい。こちら、僕のお父さんです」と勝手に答える。
俺が「調子に乗るな」と叱れば、周囲にはどっと笑いの花が咲く。
お調子者も楽しそうに笑っていた。
もう入学から一か月も経っているのに。
今、こうして新入りと肩を並べていることが不思議でならなかった。
「楽しいですね、クラウス」
相変わらずのハイテンションな笑顔を向けられて、やっと思い当たる。
紫の空は、こいつの瞳と同じ色だ。
嫌なことに気付いてしまった。紫の空は毎日訪れるものなのに。
「クラウス、次、何か見たいものありますか?」
「何を言っている。日が暮れて来たぞ。そろそろ夕食の時間だ」
「ご心配なく。シュヌーシア寮のシェフにはお伝えしてありますから。
クラウスのディナー、今日は要りませんよって」
「…何だと」
「すっごい素敵なお店があるんです! 今日はそこで食べたいと思って」
「おい、俺は聞いていないぞ。シェフには伝えて何故俺に言わない?」
「だってなんか怒られそうでしたし…」
「…今、怒っているのが解らないのか」
「えっと、あの、クラウスもきっと気に入りますから、ね、行きましょう」
「お、おい!」
俺の腕を引いて、駆け出した。
転ばないように俺も歩調を合わせざるを得ない。
人が行き交う直線のストリートを、適確に人を避けて走り抜けていく。
スピードは、俺の息が切れない程度だった。
誰にもぶつからず、颯爽と長い髪を翻している。
着いたのは、こじんまりとしたバーだった。
カウンターに、テーブル席が幾つかあるだけだったが。
殆ど埋まっていた。俺達が店内に入ると店員が新入りの名を呼んだ。
もはや知り合いらしい。店員に何事か耳打ちして、俺の傍に戻って来る。
「メニュー、頼んで来ちゃいました。さあ、座りましょう?」
そうしてテーブルに並べられたものは全て、ドイツ料理。
実家のテーブルを見ているようだった。
目を惹いたのは、やはりじゃがいも料理だった。
ドイツは生産量が世界的に高く、数多くのメニューがある。
中でも、自分が好きだった料理が、今、目の前に出てきた。
「カルトッフェル・プファンクーヘン…」
思わず母国語が口を付いた。
おやつとしてよく食べられる、ポテトパンケーキだった。
すりおろしたじゃがいもを平たく伸ばし、丸型や三角型に焼いたケーキ。
これ自体は塩味で、甘いアップルソースを掛けて食す。
「ドイツ語ではそう言うんですか。カルトッフェルが『ポテト』でしたっけ?」
「ああ。直訳で『じゃがいものパンケーキ』だ」
「へえ。美味しいですよね、これ。クラウスは好きでしたか?」
「ドイツの人間でこれが嫌いな奴など居ない…『母の味』というやつだ」
「そのようですね、お店の人に聞きました。良かったです、貴方に気に入って頂けて」
「この島に、こんなものを出す店があったとはな」
「ドイツ出身のコックが来たばかりで、このメニューも最近出来たそうです」
「詳しいな」
「休日はずっと街で遊んでましたからね。クラウスは休日に何を?」
「半日はジムに居る」
「そう言うと思いました。綺麗な身体してますもんね。
これ、全部筋肉でしょう? 完全に軍人の腕ですよね…」
言いながら、白い指が俺の腕に触れた。
微かに震えた腕に、慌てて「すみません」と手を引っ込めた。
「ごめんなさい。僕、酔っているみたいですね」
「いや、謝る程のことではない」
「そう言えばクラウス、ノンアルコールしか飲んでいませんね?」
「悪いか」
「でも、ドイツって16歳から飲酒可能ですよね? お酒はお嫌いですか?」
「俺は酒も煙草もやらないと決めている」
「真面目ですね。それとも、酔った姿を人前では見せられない、とか?」
「別に」
「当たっちゃいました?」
ほんのりとピンクに染まった頬は楽しそうに言った。
「クラウスって僕と全然違いますよね、だからワクワクするんでしょうか?」
「ワクワクってなんだ。お前は、酒も煙草も好きそうだな」
「はい。僕、ちょっと前まで不良でしたから」
その言い方は自分を蔑むようで、気になった。
笑っている横顔も、雰囲気が変わっている。
俺の口から言葉が零れる。
「何を言う。今もだろうが」
「はい…そうですね」
笑顔に明るさが戻ったことに安堵している自分が居た。
脳裡に浮かんだのは、こいつの資料。
数枚の紙に記された文字列を思い出していた。
生徒代表の元には全生徒の詳細なプロフィールが来る。
それを全て把握すること。それが生徒代表としての義務だった。
辺境の島にやってくる生徒は、様々な事情を抱えているものだが、
こいつの資料には、俺でも目を疑うような記述があった。
そして、それ以上に詳しいことも、聞かされた。
――陰謀から逃れる為に、王はこの島に辿り着いた――
瞬時に、アルフォンソ王の伝説を思い出したものだ。
俺は『竜の涙』を飲み干した後、伝えた。
「悪いが、俺はお前のことを知っている。アイヴィーに聞いた」
「そう、ですか」
「俺には守秘義務がある。誰にも言わない」
「はい。それは信じていますよ。生徒代表さん」
「だから」
俺は菫色の瞳を見据える。
夕闇と同じ色。
夜に染まる直前、その一瞬のみ現れる。
青や赤より、尊い色。
「他の生徒に言えないことがあれば、俺に言え。解ったな?」
菫色の瞳が閉じられる。
「見掛けに拠らず、優しいんですね、クラウスって」
「仏頂面で悪かったな。それに、優しさなどではない。
これ以上不良になられるとこっちが迷惑だからだ」
「なんだか、お父さんに怒られてるみたいですね、僕」
「誰がお父さんだ」
「根っからの軍人気質で真面目で優しくて…本当、お父さんみたい…」
「ったく。ほら、もう帰るぞ」
お調子者は、もう少し遊びたい、という顔をしていた。
そう言われることは覚悟していた。
入学初日から俺の言葉に耳を貸していなかった。
だが、お調子者は初めて「はい」と素直に言うことを聞いた。
店を出ると、黄色いタクシーが止まっていた。
車に凭れて紫煙を燻らせていたのは、見慣れた同僚だった。
ワイシャツに、緩いネクタイをぶら下げている。
長い金髪の男が「よっ」と片手を上げる。
「何故アイヴィーが此処に…」
「あ。僕が呼んだんです。お待たせしました、アイヴィー」
「ったく。夜遊びプリンスどもが。さっさと乗れよ」
運転手は扉を開けて、二人を後部座席に乗せる。
車が走り出すと、運転手は、からかうように言った。
「珍しいな、クラウス。堅物のお前さんが夜遊びするなんて?」
「…俺の意思ではない。こいつに付き合わされたんだ」
運転手は愉快そうに笑う。
「へえ。お前さんもそういう顔するんだな。初めて見たぜ?」
「…何が言いたい?」
「やっぱ言うの止めとこー。クラウス怒るとコワイしー」
「アイヴィーもクラウスに怒られるんですか?」
「ああ、怒る怒る! 几帳面っていうか神経質っていうか。
もうちょっと優しくしてくれてもいいのになー?」
「アイヴィーが自由過ぎるんだろう?」
「俺んちのダンボール、いい加減片付けたらどうだとか煩いしー」
「お前の家は、綺麗な部分とそうでない部分の差が有り過ぎる」
「ちょーっと約束の時間に遅れただけでもイライラするし」
「どこがちょっとだ。6分も遅れたくせに」
お調子者はククと笑う。
「クラウスの部屋って、ホコリひとつなさそうですね?」
「ない」
「うわー。言い切ったよ、こいつー!」
「今度、そのお部屋に、お邪魔してもイイですか?」
「よーし! シルヴァン、散らかして来いっ!」
「了解です♪」
「おい、お前達…」
お調子者は両手を合わせる。軽快な音が鳴った。
「やっぱり、このまま帰るのは惜しいですねっ!」
「何言ってるんだ! さっきは帰るって言っただろう!」
「ね、アイヴィー? 一緒に行きません?」
「おっ、イイねー。んじゃ、引き返すとするかっ」
対向車が居ないのを確認すると、運転手は思い切りハンドルを回した。
車はその場で急回転し、車内が揺れる。
一瞬身構えるのが遅れた。身体がバランスを失う。
その勢いで、隣に向かって倒れ込んだ。
目を開けると、奴の膝に俺の頭が乗っていて、
俺の唇は、手の甲に触れていた。
慌てて身を起こし、距離を取る。
手で唇を覆った。
軍人にとって、その場所に触れることは『永遠の忠誠』を誓うこと。
いつかこの命を捧げる相手が決まった時に、と心に決めていた。
神聖な誓いを…
拠りによって、こんな奴に…
「…い、今のは事故でっ…事故だからな!」
奴は憎らしい程、余裕のある笑顔だった。
「ワザと、じゃないんですか?」
「そんなわけあるか!?」
「残念ですね。でも可愛い貴方が見れたので良しとしましょう」
「か、可愛いだと…」
「顔が赤いですけど…もしかして僕が初めてでした? 光栄です♪」
「ふざけるな!」
fin
生徒代表のクラウス・フォン・モールは、
新入りが居るウーティス寮に向かっていた。
ウーティスの最上級生であるアルベルトに用事があるだけなのだが、
なんとなく嫌な予感がしていた。
「アルベルトは居るか」とサロンに顔を出すのがもっとも効率的だ。
サロンにあいつが居なければいい、と願いながら扉を開ける。
俺の願いを無視するかのように陽気な声が上がった。
「あっ! クラウス!」
シルヴァン・クラーク。17歳。高等部第一学年。
一か月前に編入してきた、やたら厄介な新入りだ。
俺よりも若干背が高い。男のくせに髪が長い。
かなり遠くから見ても、こいつだと解る目立つ容姿。
菫色の瞳を輝かせながら、俺の目の前までやってきた。
「クラウス! 僕に会いに来てくれたんですか?」
「誰が。アルベルトに会いに来たんだ」
「またですか? なんだか最近多くありません?」
「一応、あいつがウーティスの最上級生だからな、色々話があるんだよ」
「それを言い訳に、僕の顔を見に来てくれているのかと思っていました」
「ふざけるな。それよりお前、講義にちゃんと出てるのか?」
「…え。ええ、まあ」
「講義の時間に、お前が森や街に行く姿が度々目撃されているんだが?」
「クラウス! もしかして僕の追っかけをしてくれてるんですか!?」
「誰がするか。ったく、相変わらずのようだな、お調子者」
「はい。おかげさまで。あっ、今度はクラウスも一緒に行きましょう?」
「俺は講義を休まない主義だ」
「真面目ですね、クラウスは」
「当然のことだろうが。講義に出席するのは生徒の『義務』だ」
「うーん。『権利』だと思いますけどねえ、僕は」
出会った時から意見が合わない奴だったが、
今もこいつと俺の主張は平行線のままだ。
ドイツ軍人の家系に生まれた俺は、
規律を遵守することは空気を吸うのと同じことだった。
寮生達からは生真面目、堅物などと揶揄されることもあるが、
生まれ持った性格なので直しようがない。
この新入生は俺とは真逆だった。おそらく、こいつの辞書には、
『ルール』という単語は載っていないのだろう。
もしくは、その単語の意味には『それは破るもの』と書かれているか。
こんな奴と話していては埒が明かない。
しかし、生来の負けず嫌いが災いして、
ムキになり、挨拶だけのつもりが長くなってしまう。
こういう場合は、自らが退くことが最良の手段だ。
「じゃあな」
「あっ、待って下さい、クラウス」
新入りは人差し指を立てて、笑顔を見せる。
「では、今度の『休日』に行きましょう?」
「…何故、そうなる?」
「この前、学院案内をして貰ったお礼に、今度は僕が島を案内しますよ」
「礼など要らん。あれは俺の任務だ。第一、休日はアクティヴィティがあるだろう」
「じゃあ、アクティヴィティってことで」
「…今『じゃあ』って言ったろ、お前」
「決まりですね。楽しみにしています」
「勝手に決めるな!」
次の休日。
宣言通り、新入りは俺を外に連れ出した。
こいつの入学初日と同じように、今日も一日振り回された。
入学から一か月しか経ってないのに。
新入りは俺よりずっとこの島のことを知っていた。
こいつがタクシードライバーやその友人に連れて行って貰ったところ、
その中からオススメだという場所に連れて行かれた。
相当歩いたが、疲れは感じなかった。
自分は、軍人の訓練をしているから当然だが、
その俺より先に歩いていくこいつの体力や持久力は、
お調子者というだけには収まらないものがあった。
それに、こいつだって今までに一回しか行ってないのに、
観光ガイド並に、ペラペラと島の豆知識を喋っていた。
島民に聞いたことを丸暗記しているかのように。
身体能力と知力が半端じゃない。
もう何年も居る島なのに、今日見たもの聞いたものは、
どれも初めてで、まるで入学初日のように新鮮な気分を味わった。
気付けば空は紫に染まりつつあった。
その色を見て、何かと同じ色だと感じた。
「次はドコに行きましょうかねー」
こいつは俺を誘ったくせにタイムスケジュールなど一切考えてなかった。
歩きながら、次の目的地を決めているようだ。
おかげでハプニングが続出している。
「バスに乗っていきましょう」と言っておきながら、
時刻表すら事前に調べていない。
バス停に着けば1時間に1本しか走ってない。
「困りましたねー」という笑顔は全く困ってない。
自分は何事も事前に完璧に調べ上げておかなくては気が済まない性質だ。
新入りの学院案内だってそうだ。
最適なルートを決め、タイムスケジュールを組み、
その通りに任務を終える。そうやって今までやって来た。
それをこの新入りは、俺の計画を台無しにした。
ちょっと目を離した隙に居なくなり、連れ戻すのに苦労させられるは、
初日から夜遊び、外泊などしやがる。
俺が生徒代表になってから、こんな厄介な新入りは初めてだ。
規律や任務を忠実に守ることが美徳だと、
身体にそう叩き込まれた俺とは、まるで正反対。
無法者の自由人。
これほど性格の違う奴とは仲良くなれない、初日にそう思った。
生徒代表と新入生との関係は、通常初日で終わる。
俺がシュヌーシア寮、こいつがウーティス寮と離れて暮らしている為、
本来ならば、その関係性は挨拶をする程度だ。
だが、何故かこいつとは初日以降も話す機会が度々あった。
俺がウーティスの他の奴に用事があって出向いた時も、
こいつは俺の顔を見掛けたらすぐに飛んで来た。
長い髪を跳ねさせて突進してくる様子は、
シッポを振って駆けてくる犬のようだった。
この無法者に比べれば犬の方がずっと忠実だが。
俺を目掛けて走ってくるところは、
幼少期に飼っていた愛犬に似ていたかもしれない。
バス停で立往生しているとトラックが通り掛かった。
こいつは誰かの名前を呼びながら、片手を振る。
すると車は止まった。知り合いらしい。
たった一か月で。島民の車を止められるか、普通?
車の荷台に乗せられて、着いた先は市場だった。
市場にも知り合いが居るようで、あちこちから名前を呼ばれていた。
彼等に「そちらさんもマージナルプリンスかい?」と聞かれて、
「はい。こちら、僕のお父さんです」と勝手に答える。
俺が「調子に乗るな」と叱れば、周囲にはどっと笑いの花が咲く。
お調子者も楽しそうに笑っていた。
もう入学から一か月も経っているのに。
今、こうして新入りと肩を並べていることが不思議でならなかった。
「楽しいですね、クラウス」
相変わらずのハイテンションな笑顔を向けられて、やっと思い当たる。
紫の空は、こいつの瞳と同じ色だ。
嫌なことに気付いてしまった。紫の空は毎日訪れるものなのに。
「クラウス、次、何か見たいものありますか?」
「何を言っている。日が暮れて来たぞ。そろそろ夕食の時間だ」
「ご心配なく。シュヌーシア寮のシェフにはお伝えしてありますから。
クラウスのディナー、今日は要りませんよって」
「…何だと」
「すっごい素敵なお店があるんです! 今日はそこで食べたいと思って」
「おい、俺は聞いていないぞ。シェフには伝えて何故俺に言わない?」
「だってなんか怒られそうでしたし…」
「…今、怒っているのが解らないのか」
「えっと、あの、クラウスもきっと気に入りますから、ね、行きましょう」
「お、おい!」
俺の腕を引いて、駆け出した。
転ばないように俺も歩調を合わせざるを得ない。
人が行き交う直線のストリートを、適確に人を避けて走り抜けていく。
スピードは、俺の息が切れない程度だった。
誰にもぶつからず、颯爽と長い髪を翻している。
着いたのは、こじんまりとしたバーだった。
カウンターに、テーブル席が幾つかあるだけだったが。
殆ど埋まっていた。俺達が店内に入ると店員が新入りの名を呼んだ。
もはや知り合いらしい。店員に何事か耳打ちして、俺の傍に戻って来る。
「メニュー、頼んで来ちゃいました。さあ、座りましょう?」
そうしてテーブルに並べられたものは全て、ドイツ料理。
実家のテーブルを見ているようだった。
目を惹いたのは、やはりじゃがいも料理だった。
ドイツは生産量が世界的に高く、数多くのメニューがある。
中でも、自分が好きだった料理が、今、目の前に出てきた。
「カルトッフェル・プファンクーヘン…」
思わず母国語が口を付いた。
おやつとしてよく食べられる、ポテトパンケーキだった。
すりおろしたじゃがいもを平たく伸ばし、丸型や三角型に焼いたケーキ。
これ自体は塩味で、甘いアップルソースを掛けて食す。
「ドイツ語ではそう言うんですか。カルトッフェルが『ポテト』でしたっけ?」
「ああ。直訳で『じゃがいものパンケーキ』だ」
「へえ。美味しいですよね、これ。クラウスは好きでしたか?」
「ドイツの人間でこれが嫌いな奴など居ない…『母の味』というやつだ」
「そのようですね、お店の人に聞きました。良かったです、貴方に気に入って頂けて」
「この島に、こんなものを出す店があったとはな」
「ドイツ出身のコックが来たばかりで、このメニューも最近出来たそうです」
「詳しいな」
「休日はずっと街で遊んでましたからね。クラウスは休日に何を?」
「半日はジムに居る」
「そう言うと思いました。綺麗な身体してますもんね。
これ、全部筋肉でしょう? 完全に軍人の腕ですよね…」
言いながら、白い指が俺の腕に触れた。
微かに震えた腕に、慌てて「すみません」と手を引っ込めた。
「ごめんなさい。僕、酔っているみたいですね」
「いや、謝る程のことではない」
「そう言えばクラウス、ノンアルコールしか飲んでいませんね?」
「悪いか」
「でも、ドイツって16歳から飲酒可能ですよね? お酒はお嫌いですか?」
「俺は酒も煙草もやらないと決めている」
「真面目ですね。それとも、酔った姿を人前では見せられない、とか?」
「別に」
「当たっちゃいました?」
ほんのりとピンクに染まった頬は楽しそうに言った。
「クラウスって僕と全然違いますよね、だからワクワクするんでしょうか?」
「ワクワクってなんだ。お前は、酒も煙草も好きそうだな」
「はい。僕、ちょっと前まで不良でしたから」
その言い方は自分を蔑むようで、気になった。
笑っている横顔も、雰囲気が変わっている。
俺の口から言葉が零れる。
「何を言う。今もだろうが」
「はい…そうですね」
笑顔に明るさが戻ったことに安堵している自分が居た。
脳裡に浮かんだのは、こいつの資料。
数枚の紙に記された文字列を思い出していた。
生徒代表の元には全生徒の詳細なプロフィールが来る。
それを全て把握すること。それが生徒代表としての義務だった。
辺境の島にやってくる生徒は、様々な事情を抱えているものだが、
こいつの資料には、俺でも目を疑うような記述があった。
そして、それ以上に詳しいことも、聞かされた。
――陰謀から逃れる為に、王はこの島に辿り着いた――
瞬時に、アルフォンソ王の伝説を思い出したものだ。
俺は『竜の涙』を飲み干した後、伝えた。
「悪いが、俺はお前のことを知っている。アイヴィーに聞いた」
「そう、ですか」
「俺には守秘義務がある。誰にも言わない」
「はい。それは信じていますよ。生徒代表さん」
「だから」
俺は菫色の瞳を見据える。
夕闇と同じ色。
夜に染まる直前、その一瞬のみ現れる。
青や赤より、尊い色。
「他の生徒に言えないことがあれば、俺に言え。解ったな?」
菫色の瞳が閉じられる。
「見掛けに拠らず、優しいんですね、クラウスって」
「仏頂面で悪かったな。それに、優しさなどではない。
これ以上不良になられるとこっちが迷惑だからだ」
「なんだか、お父さんに怒られてるみたいですね、僕」
「誰がお父さんだ」
「根っからの軍人気質で真面目で優しくて…本当、お父さんみたい…」
「ったく。ほら、もう帰るぞ」
お調子者は、もう少し遊びたい、という顔をしていた。
そう言われることは覚悟していた。
入学初日から俺の言葉に耳を貸していなかった。
だが、お調子者は初めて「はい」と素直に言うことを聞いた。
店を出ると、黄色いタクシーが止まっていた。
車に凭れて紫煙を燻らせていたのは、見慣れた同僚だった。
ワイシャツに、緩いネクタイをぶら下げている。
長い金髪の男が「よっ」と片手を上げる。
「何故アイヴィーが此処に…」
「あ。僕が呼んだんです。お待たせしました、アイヴィー」
「ったく。夜遊びプリンスどもが。さっさと乗れよ」
運転手は扉を開けて、二人を後部座席に乗せる。
車が走り出すと、運転手は、からかうように言った。
「珍しいな、クラウス。堅物のお前さんが夜遊びするなんて?」
「…俺の意思ではない。こいつに付き合わされたんだ」
運転手は愉快そうに笑う。
「へえ。お前さんもそういう顔するんだな。初めて見たぜ?」
「…何が言いたい?」
「やっぱ言うの止めとこー。クラウス怒るとコワイしー」
「アイヴィーもクラウスに怒られるんですか?」
「ああ、怒る怒る! 几帳面っていうか神経質っていうか。
もうちょっと優しくしてくれてもいいのになー?」
「アイヴィーが自由過ぎるんだろう?」
「俺んちのダンボール、いい加減片付けたらどうだとか煩いしー」
「お前の家は、綺麗な部分とそうでない部分の差が有り過ぎる」
「ちょーっと約束の時間に遅れただけでもイライラするし」
「どこがちょっとだ。6分も遅れたくせに」
お調子者はククと笑う。
「クラウスの部屋って、ホコリひとつなさそうですね?」
「ない」
「うわー。言い切ったよ、こいつー!」
「今度、そのお部屋に、お邪魔してもイイですか?」
「よーし! シルヴァン、散らかして来いっ!」
「了解です♪」
「おい、お前達…」
お調子者は両手を合わせる。軽快な音が鳴った。
「やっぱり、このまま帰るのは惜しいですねっ!」
「何言ってるんだ! さっきは帰るって言っただろう!」
「ね、アイヴィー? 一緒に行きません?」
「おっ、イイねー。んじゃ、引き返すとするかっ」
対向車が居ないのを確認すると、運転手は思い切りハンドルを回した。
車はその場で急回転し、車内が揺れる。
一瞬身構えるのが遅れた。身体がバランスを失う。
その勢いで、隣に向かって倒れ込んだ。
目を開けると、奴の膝に俺の頭が乗っていて、
俺の唇は、手の甲に触れていた。
慌てて身を起こし、距離を取る。
手で唇を覆った。
軍人にとって、その場所に触れることは『永遠の忠誠』を誓うこと。
いつかこの命を捧げる相手が決まった時に、と心に決めていた。
神聖な誓いを…
拠りによって、こんな奴に…
「…い、今のは事故でっ…事故だからな!」
奴は憎らしい程、余裕のある笑顔だった。
「ワザと、じゃないんですか?」
「そんなわけあるか!?」
「残念ですね。でも可愛い貴方が見れたので良しとしましょう」
「か、可愛いだと…」
「顔が赤いですけど…もしかして僕が初めてでした? 光栄です♪」
「ふざけるな!」
fin
■テオ×ジョシュア シリアス
-----------------------------
-----------------------------
ウーティス寮サロンには静かな時間が流れていた。
ハルヤとアンリはそれぞれ、紅茶を飲みながら本を読んでいた。
会話はなく、ページを繰る音が時折聞こえてくるだけだった。
扉が静かに開く。
「良かった、二人とも居たね」
アンリが怪訝な表情を見せる。
「二人? 僕達がどうかしたの?」
「今日、テオから手紙が届いたんだ」
ジョシュアは手に封筒を持っていた。
前年度の生徒代表の名前に、ハルヤが顔を上げる。
「へえ。テオから?」
「うん。一応、生徒代表室宛だったんだけどね。
二人のこと、たくさん書いてあったから伝えようと思って」
「…アンリはなんか解る気がするけど…俺も? なんで?」
「僕は、ハルヤの方が解るような気がするけれど?」
顔を見合わせる二人に、ジョシュアはふっと笑う。
持ってきた便箋を読み上げる。
上質の紙には、テオの優美な文字で、陽気な文章が並んでいる。
「ハルヤにはね…『東洋の黒い真珠はさぞ美しくなったことだろうね?』って書いてあるよ?」
「…あはは…変わんないなあ、テオ」
「後は『東洋の黒い真珠が恋しくて、
プラックパールを手に入れたけれども、
君の瞳の輝きには敵わなかった』とか」
「や…何言ってんだよ…もう…」
ハルヤは恥ずかしさで、俯いてしまっている。
暫くテオと話していなかったせいで、耐性がなくなっていた。
彼が在学中は会う度に真珠と言われていたので最後には慣れたが、
何か月も過ぎた後に、それもジョシュアの声で言われると、
なんだか、とても恥ずかしかった。
他人事であるアンリは、可笑しそうに言う。
「紙の上でも煩い人だね、テオって」
「アンリのことも書いていたよ?
『氷の微笑を収めた写真があれば送ってくれないか?』って」
「送らせないよ?」
「『ああ、今まさに氷の微笑が浮かんでいるのだろうね!』
…テオによまれているね、アンリ?」
アンリは顔を背け、ハルヤは苦笑する。
「なんか元気そうだね、テオ」
「…うん、そうだね」
ジョシュアの声色が翳りを見せたことにハルヤは気付かなかった。
「あ。そう言えば、テオ…こ…婚約、したんだっけ?」
「うん。ホテル王と言われる家のご令嬢とね」
「どうせ、政略結婚でしょ?」
「アンリ」
「僕、何か間違ったことを言った?」
ジョシュアは返す言葉を見失う。
アンリの言う通りだった。
テオは海運王メネシス一族の末裔として、
メネシスと利害関係が強いホテル王の娘と婚約した。
その意味する所は、互いの家を協力関係と認め合うこと。
悪く言えば、互いの子供達を人質に取り合った、ということだ。
愛を前提とした結婚でないのは、誰の目にも明らかだった。
ハルヤはカップを両手で持ち、感慨深げに言う。
「政略結婚なんて、戦国時代の話かと思ってたけど今でもあるんだ…」
アンリは変わらず冷たく返す。
「もちろんあるよ。一族と財力を維持する為にはね」
ハルヤは手の中にある紅茶に視線を落とす。
同年代の子が婚約した、というだけでもびっくりすることなのに、
政治的な理由で結ばれたなんて。
学院に居る時はいつも楽しそうだったテオ。
太陽の笑顔が消えていないか、少し心配になった。
「ねえ」とアンリが声を上げる。
「その手紙、ジョシュアのことは書いてなかったの?」
「ああ、俺には『生徒代表だからと言って、気を詰め過ぎないように』って」
「へえ。彼、まともなことも言えるんだね」
「アンリ。テオに失礼だよ」
「失礼なんて思わないよ、彼は」
アンリは本を持って、席を立つ。
「失礼するよ。いい? 僕の写真、絶対に送らないでね?」
「解ってるよ、アンリ」
アンリが退室すると、ジョシュアはくすりと笑った。
ハルヤは不思議そうに見つめている。
「ジョシュア?」
「ハルヤは何の写真が良いと思う?」
「え?」
「やっぱりアンジェロ・ボルジアが良いかな? テオは見ていないからね」
「…ジョシュア、写真送るつもりなの?」
「もちろん。テオの頼みを無碍にはできないよ」
「でも、さ。アンリに怒られない?」
「見つからないようにするよ。アンリには秘密にしてくれるかい?」
「う、うん。てゆうか言えないよ…コワくて」
「それから、ハルヤのキモノ姿も送りたいんだけど」
「ええっ? 俺なんかの写真送っても…」
「喜ぶと思うよ? テオ」
大喜びするテオの笑顔が容易に想像できて、
ハルヤは、ちょっと笑ってしまった。
「ね? いいかな、ハルヤ?」
「…しょうがないな」
「ありがとう」
「他の人達の写真は送んないの?」
「送りたいな。彼等は快諾してくれると思うけどね」
「…あ、そっか。そうだよねえ」
「じゃあ、また後でね、ハルヤ」
「うん」
ジョシュアは退室し、自分の部屋へ戻った。
ドアを閉めると、その表情は先までとは違い、沈んでいた。
ゆっくりと歩いて、ベッドに腰掛ける。
――ハルヤが真珠ならば、ジョシュアの瞳はルビーだね?
テオは俺の深紅の瞳のことを、ルビーのようだと言っていた。
呪われた色、とまで噂されるこの色を。
ハルヤやアンリと同じように「美しい」「綺麗だね」と言っていた。
グラントによって流れた血の色、そう囁かれる赤を。
「私の好きな色だ」と、何度も言ってくれた。
封筒から二枚目の便箋を取り出す。
初めの行には「私のルビーへ」と書かれている。
最後の方を見る。
優美な文字は其処だけ、小さく見えた。
--------------------------------
それから、もう何かで知っているかもしれないけれどね?
私は婚約することになったんだ。
まだよく知らない相手を、これから愛せるか、少し不安だよ。
どうやら、私の心は学院に置いてきてしまったようでね。
気が付くと君達のことを考えているんだ。
真珠も氷の微笑もルビーも。私にとっては美しい宝石達だったから。
すまない。これで最初で最後の手紙にするよ。
読み終わったら、燃やしてくれていい。
ではね、私の宝石。
愛していたよ。
テオ・メネシス
--------------------------------
fin
ハルヤとアンリはそれぞれ、紅茶を飲みながら本を読んでいた。
会話はなく、ページを繰る音が時折聞こえてくるだけだった。
扉が静かに開く。
「良かった、二人とも居たね」
アンリが怪訝な表情を見せる。
「二人? 僕達がどうかしたの?」
「今日、テオから手紙が届いたんだ」
ジョシュアは手に封筒を持っていた。
前年度の生徒代表の名前に、ハルヤが顔を上げる。
「へえ。テオから?」
「うん。一応、生徒代表室宛だったんだけどね。
二人のこと、たくさん書いてあったから伝えようと思って」
「…アンリはなんか解る気がするけど…俺も? なんで?」
「僕は、ハルヤの方が解るような気がするけれど?」
顔を見合わせる二人に、ジョシュアはふっと笑う。
持ってきた便箋を読み上げる。
上質の紙には、テオの優美な文字で、陽気な文章が並んでいる。
「ハルヤにはね…『東洋の黒い真珠はさぞ美しくなったことだろうね?』って書いてあるよ?」
「…あはは…変わんないなあ、テオ」
「後は『東洋の黒い真珠が恋しくて、
プラックパールを手に入れたけれども、
君の瞳の輝きには敵わなかった』とか」
「や…何言ってんだよ…もう…」
ハルヤは恥ずかしさで、俯いてしまっている。
暫くテオと話していなかったせいで、耐性がなくなっていた。
彼が在学中は会う度に真珠と言われていたので最後には慣れたが、
何か月も過ぎた後に、それもジョシュアの声で言われると、
なんだか、とても恥ずかしかった。
他人事であるアンリは、可笑しそうに言う。
「紙の上でも煩い人だね、テオって」
「アンリのことも書いていたよ?
『氷の微笑を収めた写真があれば送ってくれないか?』って」
「送らせないよ?」
「『ああ、今まさに氷の微笑が浮かんでいるのだろうね!』
…テオによまれているね、アンリ?」
アンリは顔を背け、ハルヤは苦笑する。
「なんか元気そうだね、テオ」
「…うん、そうだね」
ジョシュアの声色が翳りを見せたことにハルヤは気付かなかった。
「あ。そう言えば、テオ…こ…婚約、したんだっけ?」
「うん。ホテル王と言われる家のご令嬢とね」
「どうせ、政略結婚でしょ?」
「アンリ」
「僕、何か間違ったことを言った?」
ジョシュアは返す言葉を見失う。
アンリの言う通りだった。
テオは海運王メネシス一族の末裔として、
メネシスと利害関係が強いホテル王の娘と婚約した。
その意味する所は、互いの家を協力関係と認め合うこと。
悪く言えば、互いの子供達を人質に取り合った、ということだ。
愛を前提とした結婚でないのは、誰の目にも明らかだった。
ハルヤはカップを両手で持ち、感慨深げに言う。
「政略結婚なんて、戦国時代の話かと思ってたけど今でもあるんだ…」
アンリは変わらず冷たく返す。
「もちろんあるよ。一族と財力を維持する為にはね」
ハルヤは手の中にある紅茶に視線を落とす。
同年代の子が婚約した、というだけでもびっくりすることなのに、
政治的な理由で結ばれたなんて。
学院に居る時はいつも楽しそうだったテオ。
太陽の笑顔が消えていないか、少し心配になった。
「ねえ」とアンリが声を上げる。
「その手紙、ジョシュアのことは書いてなかったの?」
「ああ、俺には『生徒代表だからと言って、気を詰め過ぎないように』って」
「へえ。彼、まともなことも言えるんだね」
「アンリ。テオに失礼だよ」
「失礼なんて思わないよ、彼は」
アンリは本を持って、席を立つ。
「失礼するよ。いい? 僕の写真、絶対に送らないでね?」
「解ってるよ、アンリ」
アンリが退室すると、ジョシュアはくすりと笑った。
ハルヤは不思議そうに見つめている。
「ジョシュア?」
「ハルヤは何の写真が良いと思う?」
「え?」
「やっぱりアンジェロ・ボルジアが良いかな? テオは見ていないからね」
「…ジョシュア、写真送るつもりなの?」
「もちろん。テオの頼みを無碍にはできないよ」
「でも、さ。アンリに怒られない?」
「見つからないようにするよ。アンリには秘密にしてくれるかい?」
「う、うん。てゆうか言えないよ…コワくて」
「それから、ハルヤのキモノ姿も送りたいんだけど」
「ええっ? 俺なんかの写真送っても…」
「喜ぶと思うよ? テオ」
大喜びするテオの笑顔が容易に想像できて、
ハルヤは、ちょっと笑ってしまった。
「ね? いいかな、ハルヤ?」
「…しょうがないな」
「ありがとう」
「他の人達の写真は送んないの?」
「送りたいな。彼等は快諾してくれると思うけどね」
「…あ、そっか。そうだよねえ」
「じゃあ、また後でね、ハルヤ」
「うん」
ジョシュアは退室し、自分の部屋へ戻った。
ドアを閉めると、その表情は先までとは違い、沈んでいた。
ゆっくりと歩いて、ベッドに腰掛ける。
――ハルヤが真珠ならば、ジョシュアの瞳はルビーだね?
テオは俺の深紅の瞳のことを、ルビーのようだと言っていた。
呪われた色、とまで噂されるこの色を。
ハルヤやアンリと同じように「美しい」「綺麗だね」と言っていた。
グラントによって流れた血の色、そう囁かれる赤を。
「私の好きな色だ」と、何度も言ってくれた。
封筒から二枚目の便箋を取り出す。
初めの行には「私のルビーへ」と書かれている。
最後の方を見る。
優美な文字は其処だけ、小さく見えた。
--------------------------------
それから、もう何かで知っているかもしれないけれどね?
私は婚約することになったんだ。
まだよく知らない相手を、これから愛せるか、少し不安だよ。
どうやら、私の心は学院に置いてきてしまったようでね。
気が付くと君達のことを考えているんだ。
真珠も氷の微笑もルビーも。私にとっては美しい宝石達だったから。
すまない。これで最初で最後の手紙にするよ。
読み終わったら、燃やしてくれていい。
ではね、私の宝石。
愛していたよ。
テオ・メネシス
--------------------------------
fin
■テオ×アンリ ジョシュア×アンリ
----------------------------------
----------------------------------
ウーティス寮サロン。
アンリは一人、読書をしていた。
この前、オーギュストから借りた神秘学の本だった。
日本の神秘について書かれている。
セイメイというオンミョージの話が載っていた。
勢い良く扉が開いた。
「失礼するよ。やあ、アンリ。久しいね」
生徒代表のテオ・メネシスだった。
黄金に輝く髪も、快活な声も騒がしい。
このテンションの高さがどうも苦手だった。
アンリはセイメイに視線を落としたままだ。
「最近会ったばかりだと思うけど?」
「私にとっては長いのだよ、美しい君に会えない時間は」
テオはアンリの傍に跪いて、楽しそうにアンリの顔を見上げていた。
この人は相手に対して美辞麗句を並べ立てるのが趣味のようだった。
美しい、素晴らしい、などと平気で口にする。
それは相手を褒めることで利益があるとか、見返りを求めるものではない。
さも満足そうに手放しで賞賛する様子は、
自分が感じたままを言葉にして表現しているように見えた。
ますます意味が解らない。
何の得にもならないことをして何が面白いのだろう。
アンリは次のページを捲る。
日本にはセイメイを祭ったジンジャがあると書いてあった。
テオは吐息混じりに、陶酔境に浸った声で言う。
「そう、例えるならば、ジェラートのようだね、アンリは」
「…ジェラート?」
「君の指を口に含んだら、さぞ冷たくて甘いのだろうと思うよ」
アンリは反射的に手を握り締めてしまった。
不快感を露にして、軽く睨み付ける。
「テオ、そろそろ止めないと、僕への侮辱とみなすよ」
「気を悪くしたかい? すまない。君が余りに美しいものだから」
ゆったりと宜う様子には微塵の悪気も感じられない。
余計に性質が悪い。
「ねえ。何しに来たの? 僕を褒め殺す為に来たわけではないよね?」
「ああ、そうだった。ジョシュアの顔を見に来たんだ」
「ジョシュア? 彼に何の用?」
「おや。アンリ、気になるのかい?」
「別に」
「特に用事はないのだがね」
「本当?」
「ああ。ふいに顔が見たくなっただけだよ。君もそういうことがあるだろう?」
アンリは口を開きかけて、押し黙った。
何故、こんな問いに自分が答えなくてはならない。
ジョシュアの顔が見たくなること。
穏やかで、人を包み込むような表情を見たいと。
「そんなこと、僕は思わない」
「そうかい? アンリも私と同じかと思っていた」
「君と僕が同じところなんて、ひとつもないよ」
サロンの扉が開いて、噂の人物が現れた。
「こんにちは、テオ。来ていたんですね」
「やあジョシュア。今ね、少しアンリと話をしていたんだ」
「そうですか。あ、よければ紅茶でも淹れましょうか?」
「ありがとう。だが、構わないよ。私は失礼するから」
「えっ、そうですか?」
アンリは「ねえ」とテオに呼び掛ける。
「君、用事は終わったの?」
「ああ。顔が見れたからね、では失礼。またね、ジョシュア」
「あ、はい」
ジョシュアは不思議そうに、黄金の髪を見送った。
アンリは自分の手を広げる。
白く、冷たい指。
「ねえ。ジョシュア」
「ん?」
「僕の指って、ジェラートのよう?」
「…え? ど、どうしたの、アンリ?」
「さっき言われた、テオに」
「なんだ、テオか。彼らしいな。そうだね、言われてみると」
ジョシュアは微笑みながら、アンリの指を見つめる。
「俺も、アンリの指は冷たくて甘そうだなと思うよ」
アンリは少し首を傾げる。何故だろう、と思った。
テオに言われたのと同じ言葉だったのに。
今度は不快感を感じなかった。
fin
アンリは一人、読書をしていた。
この前、オーギュストから借りた神秘学の本だった。
日本の神秘について書かれている。
セイメイというオンミョージの話が載っていた。
勢い良く扉が開いた。
「失礼するよ。やあ、アンリ。久しいね」
生徒代表のテオ・メネシスだった。
黄金に輝く髪も、快活な声も騒がしい。
このテンションの高さがどうも苦手だった。
アンリはセイメイに視線を落としたままだ。
「最近会ったばかりだと思うけど?」
「私にとっては長いのだよ、美しい君に会えない時間は」
テオはアンリの傍に跪いて、楽しそうにアンリの顔を見上げていた。
この人は相手に対して美辞麗句を並べ立てるのが趣味のようだった。
美しい、素晴らしい、などと平気で口にする。
それは相手を褒めることで利益があるとか、見返りを求めるものではない。
さも満足そうに手放しで賞賛する様子は、
自分が感じたままを言葉にして表現しているように見えた。
ますます意味が解らない。
何の得にもならないことをして何が面白いのだろう。
アンリは次のページを捲る。
日本にはセイメイを祭ったジンジャがあると書いてあった。
テオは吐息混じりに、陶酔境に浸った声で言う。
「そう、例えるならば、ジェラートのようだね、アンリは」
「…ジェラート?」
「君の指を口に含んだら、さぞ冷たくて甘いのだろうと思うよ」
アンリは反射的に手を握り締めてしまった。
不快感を露にして、軽く睨み付ける。
「テオ、そろそろ止めないと、僕への侮辱とみなすよ」
「気を悪くしたかい? すまない。君が余りに美しいものだから」
ゆったりと宜う様子には微塵の悪気も感じられない。
余計に性質が悪い。
「ねえ。何しに来たの? 僕を褒め殺す為に来たわけではないよね?」
「ああ、そうだった。ジョシュアの顔を見に来たんだ」
「ジョシュア? 彼に何の用?」
「おや。アンリ、気になるのかい?」
「別に」
「特に用事はないのだがね」
「本当?」
「ああ。ふいに顔が見たくなっただけだよ。君もそういうことがあるだろう?」
アンリは口を開きかけて、押し黙った。
何故、こんな問いに自分が答えなくてはならない。
ジョシュアの顔が見たくなること。
穏やかで、人を包み込むような表情を見たいと。
「そんなこと、僕は思わない」
「そうかい? アンリも私と同じかと思っていた」
「君と僕が同じところなんて、ひとつもないよ」
サロンの扉が開いて、噂の人物が現れた。
「こんにちは、テオ。来ていたんですね」
「やあジョシュア。今ね、少しアンリと話をしていたんだ」
「そうですか。あ、よければ紅茶でも淹れましょうか?」
「ありがとう。だが、構わないよ。私は失礼するから」
「えっ、そうですか?」
アンリは「ねえ」とテオに呼び掛ける。
「君、用事は終わったの?」
「ああ。顔が見れたからね、では失礼。またね、ジョシュア」
「あ、はい」
ジョシュアは不思議そうに、黄金の髪を見送った。
アンリは自分の手を広げる。
白く、冷たい指。
「ねえ。ジョシュア」
「ん?」
「僕の指って、ジェラートのよう?」
「…え? ど、どうしたの、アンリ?」
「さっき言われた、テオに」
「なんだ、テオか。彼らしいな。そうだね、言われてみると」
ジョシュアは微笑みながら、アンリの指を見つめる。
「俺も、アンリの指は冷たくて甘そうだなと思うよ」
アンリは少し首を傾げる。何故だろう、と思った。
テオに言われたのと同じ言葉だったのに。
今度は不快感を感じなかった。
fin
■テオ×ハルヤ ジョシュア×ハルヤ
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-----------------------------------
ウーティス寮サロン。
ハルヤは一人、読書をしていた。
この前、シルヴァンから借りた漫画だった。
勢い良く扉が開いた。
「失礼するよ。やあ、東洋の黒い真珠!」
生徒代表のテオ・メネシスだった。
髪は金色で綺麗。明るくて元気な声。
テンション高くて、ちょっと付いていけないくらい。
ハルヤは漫画を閉じて、膝の上に置く。
「こんちは、テオ。今日も元気だね」
「ああ、もちろん。何故だか解るかい?」
テオはハルヤの傍に跪いて、ハルヤの顔を伺う。
「ううん…わかんないけど…」
なんかやな予感がする、とハルヤは思った。
それはすぐに的中する。
テオは吐息混じりに、陶酔境に浸った声で言う。
「今日も東洋の黒い真珠が美しいからだよ。…ああ、その微笑みも!」
ハルヤは正直、困っていたが、
テオが楽しそうなので文句も言えない。
どうしていいか解らなくて、苦笑すれば、
「美しいオリエンタルスマイル」とかなんとか言われるし。
テオと話してると、なんかどうでもよくなってくる。
「ああ、東洋の黒い真珠はどうしてこんなに美しいのだろうね」
「ど、どうしてだろうね…」
「できることなら、私の手で磨いてみたいよ、東洋の黒い真珠」
「あの、ごめん。ちょっと言っている意味がよくわかんないんだけど…」
「私の戯言は気にしないでくれ。まあ、心からの願いなのだがね」
「ええっと…テオは、ウーティスになんか用事?」
「ああ、そうだった。ジョシュアの顔を見に来たんだ」
「またジョシュア? なんか最近多くない?」
「おや。気になるのかい?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
「特に用事はないのだがね」
「ん?」
「ふいに顔が見たくなっただけだよ。君もそういうことがあるだろう?」
ジョシュアの顔を思い浮かべる。
優しくて、あったかい微笑。王子様の笑顔だなあといつも思う。
「ん…なんか、ジョシュアの顔を見ると、安心するよね」
ハルヤが同意を述べると、テオの表情が一瞬、硬くなった。
ややあって、ふふと笑みを零した。
「ど、どうしたの、テオ?」
「いや、すまない。君の口から聞くと切なくなるものだね」
「え? えっと…」
サロンの扉が開いて、噂の人物が現れた。
「ハルヤ、居るかい?」
そう言うジョシュアの目には、
探していた人と生徒代表の顔が映った。
上級生に対して、先に挨拶する。
「こんにちは、テオ。来ていたんですね」
「やあ。少し東洋の黒い真珠と話をしていたんだ。では私は失礼するよ」
「えっ、そうですか?」
ハルヤは「え?」とテオに尋ねる。
「テオ…あの、いいの?」
「ああ。顔が見れたからね、では失礼。またね、ジョシュア」
「あ、はい」
ジョシュアは不思議そうに、黄金の髪を見送った。
不自然な退場の仕方だったような気がする。
「ごめん。俺が来たからテオとの話を中断させてしまったみたいだね」
「ううん。全然、大丈夫」
「そう? それなら良いんだけど」
「あ、ジョシュア」
「なんだい?」
「あの、さ。俺になんか用事だった?」
ジョシュアがサロンに来た時、
彼は「ハルヤ、居るかい?」と言った。
ハルヤはそれが先から気になっていた。
ジョシュアは少し照れたように微笑む。
「いや、これといった用事はないんだけどね」
「そうなの?」
「うん。なんとなく、ハルヤの顔が見たいなって思ったんだ」
fin
ハルヤは一人、読書をしていた。
この前、シルヴァンから借りた漫画だった。
勢い良く扉が開いた。
「失礼するよ。やあ、東洋の黒い真珠!」
生徒代表のテオ・メネシスだった。
髪は金色で綺麗。明るくて元気な声。
テンション高くて、ちょっと付いていけないくらい。
ハルヤは漫画を閉じて、膝の上に置く。
「こんちは、テオ。今日も元気だね」
「ああ、もちろん。何故だか解るかい?」
テオはハルヤの傍に跪いて、ハルヤの顔を伺う。
「ううん…わかんないけど…」
なんかやな予感がする、とハルヤは思った。
それはすぐに的中する。
テオは吐息混じりに、陶酔境に浸った声で言う。
「今日も東洋の黒い真珠が美しいからだよ。…ああ、その微笑みも!」
ハルヤは正直、困っていたが、
テオが楽しそうなので文句も言えない。
どうしていいか解らなくて、苦笑すれば、
「美しいオリエンタルスマイル」とかなんとか言われるし。
テオと話してると、なんかどうでもよくなってくる。
「ああ、東洋の黒い真珠はどうしてこんなに美しいのだろうね」
「ど、どうしてだろうね…」
「できることなら、私の手で磨いてみたいよ、東洋の黒い真珠」
「あの、ごめん。ちょっと言っている意味がよくわかんないんだけど…」
「私の戯言は気にしないでくれ。まあ、心からの願いなのだがね」
「ええっと…テオは、ウーティスになんか用事?」
「ああ、そうだった。ジョシュアの顔を見に来たんだ」
「またジョシュア? なんか最近多くない?」
「おや。気になるのかい?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
「特に用事はないのだがね」
「ん?」
「ふいに顔が見たくなっただけだよ。君もそういうことがあるだろう?」
ジョシュアの顔を思い浮かべる。
優しくて、あったかい微笑。王子様の笑顔だなあといつも思う。
「ん…なんか、ジョシュアの顔を見ると、安心するよね」
ハルヤが同意を述べると、テオの表情が一瞬、硬くなった。
ややあって、ふふと笑みを零した。
「ど、どうしたの、テオ?」
「いや、すまない。君の口から聞くと切なくなるものだね」
「え? えっと…」
サロンの扉が開いて、噂の人物が現れた。
「ハルヤ、居るかい?」
そう言うジョシュアの目には、
探していた人と生徒代表の顔が映った。
上級生に対して、先に挨拶する。
「こんにちは、テオ。来ていたんですね」
「やあ。少し東洋の黒い真珠と話をしていたんだ。では私は失礼するよ」
「えっ、そうですか?」
ハルヤは「え?」とテオに尋ねる。
「テオ…あの、いいの?」
「ああ。顔が見れたからね、では失礼。またね、ジョシュア」
「あ、はい」
ジョシュアは不思議そうに、黄金の髪を見送った。
不自然な退場の仕方だったような気がする。
「ごめん。俺が来たからテオとの話を中断させてしまったみたいだね」
「ううん。全然、大丈夫」
「そう? それなら良いんだけど」
「あ、ジョシュア」
「なんだい?」
「あの、さ。俺になんか用事だった?」
ジョシュアがサロンに来た時、
彼は「ハルヤ、居るかい?」と言った。
ハルヤはそれが先から気になっていた。
ジョシュアは少し照れたように微笑む。
「いや、これといった用事はないんだけどね」
「そうなの?」
「うん。なんとなく、ハルヤの顔が見たいなって思ったんだ」
fin
「ディーノ。もう、知っているよね?」
アンリから電話が掛かってきた。
「ああ。お前の親父のことだろ」
「うん。念の為に確認させて。君達の仕業ではないよね?」
「当たり前だ。病気だったんだろう?」
「うん。そのようだね」
アンリの父親が急逝した。
すぐに掛かってきた電話がそれだった。
アンリの声はいつもの鋭さはなかったものの冷静さは保っていた。
次に電話があったのは一週間後。
「やっと手が空いたから。一度会った方が良いよね?」
シチリアにあるホテルの最上階。
俺が別荘のように使っているVIPルームに招待した。
今まで、ボディガードとクライアントが、
打ち合わせ、と称して使ってきた部屋だが、それも今夜で最後になるだろう。
ディナーを用意してやったのに、大した会話もない。
更にこいつは、どの皿も味見する程度しか口を付けなかった。
その静かな時間は、最後の晩餐には相応しいかったのかもしれない。
俺はソファに座り、あいつは窓の傍で夜景を見ている。
この部屋に入ってから、俺の顔を見ていなかった。
「今日、僕が何の話をしに来たか、解っているよね?」
「別れ話、だろ?」
「可笑しな言い方しないで。ビジネスが終わるだけだ」
「お前の命は、これで保障されたからな」
「ディーノ。ビジネスが終わることに、異論はないの?」
「お前に切られたら、こっちはどうしようもねえだろうが」
「ねえ。どうしたの? …今日の君、可笑しいよ」
「何が」
「僕のこと『お姫様』って一度も呼んでない」
「なんだ、お前。呼んで欲しかったのか?」
「それだけじゃ、ない」
アンリは初めて顔を上げる。
「どうして葉巻、吸わないの? ヘビースモーカーのくせに」
今日は葉巻の箱に触れていなかった。
理由は明確だ。俺の愛煙している葉巻は、
こいつの死んだ父親と同じものだからだ。
アンリは苦々しく吐き捨てる。
「君まで、似合わないことしないで」
そう言い放つと、自らの苛立ちに一瞬驚いた様子だった。
一呼吸置いて、目を合わせずに言う。
「もう何日も、気遣いや哀れむ言葉に晒されてるんだよ。
僕は、そんな言葉を受ける人間じゃないのに…。
もううんざりだ。吐き気がする」
「成程な。さぞ具合の悪い葬列だったんだろうよ」
「ああ。それに君には同情なんかされたくない」
「へえ。他のことなら、されたいのか?」
ベッドに身を押さえ付ければ、睨み付けて来る。
だが、その視線はいつもの鋭さを失っていた。
表情にも疲労の色が窺えた。
それは身体的なものではない。
酷く憔悴している。張り合いのないツラだった。
「俺としちゃ、ひ弱な顔はシュミじゃないんだが?」
「僕だって、君みたいに暑苦しい顔はシュミじゃないよ」
「坊やにはイタリア系の魅力が解らないんだな」
「そんなの、解りたくもない」
「減らない口だ」
生意気な口を塞ぐ。
唇を撫でてやると今夜はすぐに開いた。
こんなのは本意じゃない。
許されぬことを無理矢理に犯すのがマフィアの美学だ。
いつもは逃げ惑う小さな舌が向こうからやってくる。
面白くない。
乞われて与えるのなんかシュミじゃなかった。
自分から唇を離す。
「あっ…」名残惜しそうな声が聞こえた。
艶めいた琥珀の瞳に見上げられる。
鋭さも冷たさもない。
空ろな目で見つめられる。
「…ん…はあ…ディ…ノ…どう、して…」
「最初から欲しがられるのイヤなんだよ」
「…サイアク、だね…」
「今の目なら少しは好みだぜ?」
再び唇を重ねると、今度は向こうからは来なかった。
こちらから攻め立てる。息が続かなくなるまで追う。
求められれば突き放し、逃げられれば追い回す。
こうじゃなきゃ面白くないだろう。
酸素を欲して、小さな口が開く。
「…はあ…はあっ、…んっ」
微量の酸素を吸わせただけですぐに塞ぐ。
常に酸欠直前の状態にさせてやる。
小さな身体が熱を帯びていく。
口付けを口から首へ、下へ下へと落としていく。
首許を吸い上げて、赤い証を付けた。
上からクレームが降って来る。
「そんな、とこ…人に、見られる…」
「俺を欲しがった罰さ」
「本当に…サイアク、だね、君は」
「褒めるな。図に乗るぜ?」
俺は口の中でだけで嗤った。
「…あっ…ああ…」
暗い部屋の中で、水音と嬌声が響く。
散々焦らして、欲情の檻に追い詰めていく。
「いっ、やあ……ん…あっ」
その後に俺を欲しがる声は、
堪らなく好きだ。
「…ねえ…いい、か、げんに…っ…して…」
俺のことしか考えられなくなった頭で、
俺の名を呼ばれる。
「ディーノ……は、…やくっ……はや、く…」
知性もプライドもが高いお前が、
どうしようもなく俺の身体を求める。
「…きみ、が…あっ…ほし、い……ディ、ノ」
自己の快楽より、
それが至上の瞬間だった。
絶頂に達した後、子供は熱い息を吐き出していた。
ベッドに横渡る滑らかな肢体には、赤い花が散っている。
白い肌には赤がよく目立った。
ところどころ濡れている場所が、余計に艶かしい。
この全てを自分が付けたのだと思うと、思わず笑いが漏れた。
人目に付く首許にもちゃんと残っている。
この赤い花を気にするこいつを、傍で見られないのが残念だ。
未だ興奮が鎮まらない息が、耳に心地好い。
短い呼吸に、白い胸が跳ねている。
「はあっ、はあっ、…んっ…はあっ…」
徐々に治まる筈だが、今夜は違った。
呼吸が不規則に乱れていく。
ディーノの腕に、ぽたりと雫が落ちた。
声に、これまでにはない震えがが混じり始めた。
子供は顔を上げず、肩で息をしていた。
「…なん、で……」
またひとつ雫が落ちる。
「死んで、しまっ、たの…どう、してっ…」
先とは違う、感情的な息遣い。
今まで一度も聞いたことがない息だった。
余りにも複雑な感情が絡み合っている。
後悔、安堵、畏怖、憧憬、絶望――
これまで抑圧されてきた全ての想いが、
対象を失い、理性を失って初めて、
表に露顕したようだった。
こいつが求めていたのは父親の愛情だけだ。
父親は子供を殺意の対象としか見ていなかった。
父親が死んで、子供の命は守られた。
どうかしてやがる。
俺達マフィアの親子だって殺し合わないのに。
これで子供は、永久に唯一の愛情を受けることができなくなった。
子供は今、小さな肩を上下に震わせている。
命を狙われた相手だというのに。
アンリは何事かを繰り返し唱えていた。
「…かわ、りに……った…」
胎児のように顔を埋めていて、よく聞きとれない。
「…ぼく…が…」
言葉を詰まらせながら、切れ切れに呟かれる。
「…よかっ…のに…」
熱い息の中、か細い声が願う。
「…ぼくが…し」
俺は重く吐き捨てた。
「馬鹿が」
子供の背を掻き抱く。
骨が折れそうなほど、強く抱いていた。
小さな白い手がシャツを掴んで来た。
そうしなければ、自己が崩壊してしまうかのように。
拳を震わせながら、強く強く握り締めてきた。
それきり、言葉は消えた。
どんな言葉も意味がなかった。
光が差さない部屋には、取り残された嗚咽。
子供の泣きじゃくる声だけが響いていた。
fin
アンリから電話が掛かってきた。
「ああ。お前の親父のことだろ」
「うん。念の為に確認させて。君達の仕業ではないよね?」
「当たり前だ。病気だったんだろう?」
「うん。そのようだね」
アンリの父親が急逝した。
すぐに掛かってきた電話がそれだった。
アンリの声はいつもの鋭さはなかったものの冷静さは保っていた。
次に電話があったのは一週間後。
「やっと手が空いたから。一度会った方が良いよね?」
シチリアにあるホテルの最上階。
俺が別荘のように使っているVIPルームに招待した。
今まで、ボディガードとクライアントが、
打ち合わせ、と称して使ってきた部屋だが、それも今夜で最後になるだろう。
ディナーを用意してやったのに、大した会話もない。
更にこいつは、どの皿も味見する程度しか口を付けなかった。
その静かな時間は、最後の晩餐には相応しいかったのかもしれない。
俺はソファに座り、あいつは窓の傍で夜景を見ている。
この部屋に入ってから、俺の顔を見ていなかった。
「今日、僕が何の話をしに来たか、解っているよね?」
「別れ話、だろ?」
「可笑しな言い方しないで。ビジネスが終わるだけだ」
「お前の命は、これで保障されたからな」
「ディーノ。ビジネスが終わることに、異論はないの?」
「お前に切られたら、こっちはどうしようもねえだろうが」
「ねえ。どうしたの? …今日の君、可笑しいよ」
「何が」
「僕のこと『お姫様』って一度も呼んでない」
「なんだ、お前。呼んで欲しかったのか?」
「それだけじゃ、ない」
アンリは初めて顔を上げる。
「どうして葉巻、吸わないの? ヘビースモーカーのくせに」
今日は葉巻の箱に触れていなかった。
理由は明確だ。俺の愛煙している葉巻は、
こいつの死んだ父親と同じものだからだ。
アンリは苦々しく吐き捨てる。
「君まで、似合わないことしないで」
そう言い放つと、自らの苛立ちに一瞬驚いた様子だった。
一呼吸置いて、目を合わせずに言う。
「もう何日も、気遣いや哀れむ言葉に晒されてるんだよ。
僕は、そんな言葉を受ける人間じゃないのに…。
もううんざりだ。吐き気がする」
「成程な。さぞ具合の悪い葬列だったんだろうよ」
「ああ。それに君には同情なんかされたくない」
「へえ。他のことなら、されたいのか?」
ベッドに身を押さえ付ければ、睨み付けて来る。
だが、その視線はいつもの鋭さを失っていた。
表情にも疲労の色が窺えた。
それは身体的なものではない。
酷く憔悴している。張り合いのないツラだった。
「俺としちゃ、ひ弱な顔はシュミじゃないんだが?」
「僕だって、君みたいに暑苦しい顔はシュミじゃないよ」
「坊やにはイタリア系の魅力が解らないんだな」
「そんなの、解りたくもない」
「減らない口だ」
生意気な口を塞ぐ。
唇を撫でてやると今夜はすぐに開いた。
こんなのは本意じゃない。
許されぬことを無理矢理に犯すのがマフィアの美学だ。
いつもは逃げ惑う小さな舌が向こうからやってくる。
面白くない。
乞われて与えるのなんかシュミじゃなかった。
自分から唇を離す。
「あっ…」名残惜しそうな声が聞こえた。
艶めいた琥珀の瞳に見上げられる。
鋭さも冷たさもない。
空ろな目で見つめられる。
「…ん…はあ…ディ…ノ…どう、して…」
「最初から欲しがられるのイヤなんだよ」
「…サイアク、だね…」
「今の目なら少しは好みだぜ?」
再び唇を重ねると、今度は向こうからは来なかった。
こちらから攻め立てる。息が続かなくなるまで追う。
求められれば突き放し、逃げられれば追い回す。
こうじゃなきゃ面白くないだろう。
酸素を欲して、小さな口が開く。
「…はあ…はあっ、…んっ」
微量の酸素を吸わせただけですぐに塞ぐ。
常に酸欠直前の状態にさせてやる。
小さな身体が熱を帯びていく。
口付けを口から首へ、下へ下へと落としていく。
首許を吸い上げて、赤い証を付けた。
上からクレームが降って来る。
「そんな、とこ…人に、見られる…」
「俺を欲しがった罰さ」
「本当に…サイアク、だね、君は」
「褒めるな。図に乗るぜ?」
俺は口の中でだけで嗤った。
「…あっ…ああ…」
暗い部屋の中で、水音と嬌声が響く。
散々焦らして、欲情の檻に追い詰めていく。
「いっ、やあ……ん…あっ」
その後に俺を欲しがる声は、
堪らなく好きだ。
「…ねえ…いい、か、げんに…っ…して…」
俺のことしか考えられなくなった頭で、
俺の名を呼ばれる。
「ディーノ……は、…やくっ……はや、く…」
知性もプライドもが高いお前が、
どうしようもなく俺の身体を求める。
「…きみ、が…あっ…ほし、い……ディ、ノ」
自己の快楽より、
それが至上の瞬間だった。
絶頂に達した後、子供は熱い息を吐き出していた。
ベッドに横渡る滑らかな肢体には、赤い花が散っている。
白い肌には赤がよく目立った。
ところどころ濡れている場所が、余計に艶かしい。
この全てを自分が付けたのだと思うと、思わず笑いが漏れた。
人目に付く首許にもちゃんと残っている。
この赤い花を気にするこいつを、傍で見られないのが残念だ。
未だ興奮が鎮まらない息が、耳に心地好い。
短い呼吸に、白い胸が跳ねている。
「はあっ、はあっ、…んっ…はあっ…」
徐々に治まる筈だが、今夜は違った。
呼吸が不規則に乱れていく。
ディーノの腕に、ぽたりと雫が落ちた。
声に、これまでにはない震えがが混じり始めた。
子供は顔を上げず、肩で息をしていた。
「…なん、で……」
またひとつ雫が落ちる。
「死んで、しまっ、たの…どう、してっ…」
先とは違う、感情的な息遣い。
今まで一度も聞いたことがない息だった。
余りにも複雑な感情が絡み合っている。
後悔、安堵、畏怖、憧憬、絶望――
これまで抑圧されてきた全ての想いが、
対象を失い、理性を失って初めて、
表に露顕したようだった。
こいつが求めていたのは父親の愛情だけだ。
父親は子供を殺意の対象としか見ていなかった。
父親が死んで、子供の命は守られた。
どうかしてやがる。
俺達マフィアの親子だって殺し合わないのに。
これで子供は、永久に唯一の愛情を受けることができなくなった。
子供は今、小さな肩を上下に震わせている。
命を狙われた相手だというのに。
アンリは何事かを繰り返し唱えていた。
「…かわ、りに……った…」
胎児のように顔を埋めていて、よく聞きとれない。
「…ぼく…が…」
言葉を詰まらせながら、切れ切れに呟かれる。
「…よかっ…のに…」
熱い息の中、か細い声が願う。
「…ぼくが…し」
俺は重く吐き捨てた。
「馬鹿が」
子供の背を掻き抱く。
骨が折れそうなほど、強く抱いていた。
小さな白い手がシャツを掴んで来た。
そうしなければ、自己が崩壊してしまうかのように。
拳を震わせながら、強く強く握り締めてきた。
それきり、言葉は消えた。
どんな言葉も意味がなかった。
光が差さない部屋には、取り残された嗚咽。
子供の泣きじゃくる声だけが響いていた。
fin
■シルヴァン×ハルヤ
■「ハルヤの食いしん坊万歳」ベース
-----------------------------------
■「ハルヤの食いしん坊万歳」ベース
-----------------------------------
(どうしよう…)
ハルヤは、ケーキ屋のショーケースの前で悩んでいた。
透明なガラスの向こうには『キングズフィンガー』、『天使の顎』など、
この島特有の様々なケーキが並んでいる。
買いたいものは決まっていた。だけど注文できない。
かれこれ三分はショーケースの前を、うろうろしていた。
視線の先にあるのは黄金色のアップルパイ。
この前、ミハイルがウーティスに持ってきてくれたのが美味しくて。
今日、急に食べたくなって。バンド練習の合間に買いに来てしまった。
黄金色のパイ。ネームプレートには『誘惑の代償』と書かれている。
でも「誘惑の代償が欲しいんですけど…」なんて、
そんなこと、言えないよ。
でも、おなかすいたし…。
ここは、やっぱり「アップルパイを下さい」って言おうかな。
だけど他のお客さん達は、みんな『誘惑の代償』って呼んでる。
店員さんと「天使の顎は甘かった」とか、
「誘惑の代償は、やみつきになるね」とか普通に話せてるのが、ちょっと信じらんない。
長くこの島に住んでるから、もう慣れちゃってるのかな?
こんなことで恥ずかしがってるの俺だけかも。
みんなと同じように「誘惑の代償を下さい」言った方が良いのかな?
でも、やっぱり…
「ハールヤ?」
肩に手を置かれた。
驚いて振り向くと、ほっぺを人差し指で突かれた。
見事に成功した人は両手を合わせて、満面の笑顔になる。
「わあ。上手くできましたー♪ ハルヤ、すっごい可愛かったですっ!」
ハルヤは一気に疲労感に襲われる。
「シルヴァン…どこで覚えてくるんだよ、こんな小学生みたいなこと…」
「ジャパニメーションで見たことあるんです♪」
「…なんか、段々マニアックなものに手出してない?」
「ハルヤのほっぺた、ぷにってしました♪ あのっ、もう一回しても」
「ダメ」
「じゃあ、また忘れた頃にしますね♪」
ハルヤは(今度は絶対振り向かないぞ)と心に決める。
「…えっと。どうしてシルヴァンが此処に居るのさ。マルタさんと話ししてたじゃん?」
「ええ。彼女が今度歌う日を聞いていただけですよ。
ハルヤがおやつを買いに行ったとレッドに聞いたので、僕も来ちゃいました♪
でも、まだ買っていないようですね?」
「…うん。ちょっと、た、頼めなくて…」
「え? 何が欲しいんですか?」
「…あれ」
控えめに示された先にはアップルパイ。
「ハルヤ…もしかして、この名前を口にするのが恥ずかしい、とか?」
「う、うん…」
シルヴァンが破顔する。声を抑えてはいるものの、
可笑しくて堪らないといった様子だ。
「…シルヴァン、そんな笑わなくても…」
「すみません。もうハルヤ…抱き締めても良いですか?」
「ええっ? なっ、なんで?」
「さすがに公然の前では止めておきましょうか。あ、ちょっと待ってて下さい?」
シルヴァンは店員の前に進む。
「『誘惑の代償』を1ホールお願いします」とあっさり注文した。
りんごの香りと一緒にハルヤの元へ戻って来る。
「おひとつで良かったです?」
「うん…ありがと」
「どういたしまして」
「なんかちょっと尊敬した…シルヴァン、よく言えるね」
「ハルヤに褒められちゃいました♪」
「えっと…おなかすいたし、スタジオに戻って食べようか」
「はい♪」
fin
ハルヤは、ケーキ屋のショーケースの前で悩んでいた。
透明なガラスの向こうには『キングズフィンガー』、『天使の顎』など、
この島特有の様々なケーキが並んでいる。
買いたいものは決まっていた。だけど注文できない。
かれこれ三分はショーケースの前を、うろうろしていた。
視線の先にあるのは黄金色のアップルパイ。
この前、ミハイルがウーティスに持ってきてくれたのが美味しくて。
今日、急に食べたくなって。バンド練習の合間に買いに来てしまった。
黄金色のパイ。ネームプレートには『誘惑の代償』と書かれている。
でも「誘惑の代償が欲しいんですけど…」なんて、
そんなこと、言えないよ。
でも、おなかすいたし…。
ここは、やっぱり「アップルパイを下さい」って言おうかな。
だけど他のお客さん達は、みんな『誘惑の代償』って呼んでる。
店員さんと「天使の顎は甘かった」とか、
「誘惑の代償は、やみつきになるね」とか普通に話せてるのが、ちょっと信じらんない。
長くこの島に住んでるから、もう慣れちゃってるのかな?
こんなことで恥ずかしがってるの俺だけかも。
みんなと同じように「誘惑の代償を下さい」言った方が良いのかな?
でも、やっぱり…
「ハールヤ?」
肩に手を置かれた。
驚いて振り向くと、ほっぺを人差し指で突かれた。
見事に成功した人は両手を合わせて、満面の笑顔になる。
「わあ。上手くできましたー♪ ハルヤ、すっごい可愛かったですっ!」
ハルヤは一気に疲労感に襲われる。
「シルヴァン…どこで覚えてくるんだよ、こんな小学生みたいなこと…」
「ジャパニメーションで見たことあるんです♪」
「…なんか、段々マニアックなものに手出してない?」
「ハルヤのほっぺた、ぷにってしました♪ あのっ、もう一回しても」
「ダメ」
「じゃあ、また忘れた頃にしますね♪」
ハルヤは(今度は絶対振り向かないぞ)と心に決める。
「…えっと。どうしてシルヴァンが此処に居るのさ。マルタさんと話ししてたじゃん?」
「ええ。彼女が今度歌う日を聞いていただけですよ。
ハルヤがおやつを買いに行ったとレッドに聞いたので、僕も来ちゃいました♪
でも、まだ買っていないようですね?」
「…うん。ちょっと、た、頼めなくて…」
「え? 何が欲しいんですか?」
「…あれ」
控えめに示された先にはアップルパイ。
「ハルヤ…もしかして、この名前を口にするのが恥ずかしい、とか?」
「う、うん…」
シルヴァンが破顔する。声を抑えてはいるものの、
可笑しくて堪らないといった様子だ。
「…シルヴァン、そんな笑わなくても…」
「すみません。もうハルヤ…抱き締めても良いですか?」
「ええっ? なっ、なんで?」
「さすがに公然の前では止めておきましょうか。あ、ちょっと待ってて下さい?」
シルヴァンは店員の前に進む。
「『誘惑の代償』を1ホールお願いします」とあっさり注文した。
りんごの香りと一緒にハルヤの元へ戻って来る。
「おひとつで良かったです?」
「うん…ありがと」
「どういたしまして」
「なんかちょっと尊敬した…シルヴァン、よく言えるね」
「ハルヤに褒められちゃいました♪」
「えっと…おなかすいたし、スタジオに戻って食べようか」
「はい♪」
fin
■ハルヤ×ミハイル 他多数
■ゲーム・小説ベース
---------------------------
■ゲーム・小説ベース
---------------------------
「ミハイル、連れて来たよー!」
ユウタの後ろから、金髪の少年が顔を出す。
「こ、こんにちは…」
ミハイルがウーティス寮のサロンに遊びに来た。
手には白い紙袋を握り締めている。
サロンに居たのは、ジョシュアとハルヤだった。
ジョシュアは柔らかい微笑を見せる。
「ようこそ、ミハイル。ウーティスに来てくれてありがとう。嬉しいよ」
「ジョシュア…優しいんだね…」
ハルヤは本を閉じて片手を挙げた。
「こんちは、ミハイル。また来てくれたんだ?」
金髪の少年は俯きがちに挨拶を返す。
「こ、こんにちは。ハルヤ…また来て、ごめんね…」
眼鏡の奥の瞳が大きく開かれる。
「あ、ごめん…そう聞こえちゃった?
あの、俺、嬉しいよ? また来てくれて」
「そ、そう、なの?」
「うん。あれ? ミハイル、いいにおいする…」
甘い匂いに誘われたように、ハルヤが顔を近付ける。
「え。ちょ、ちょっと…ハルヤ…」
ミハイルの頬がピンクに染まると、ユウタは大きな声を出した。
「あ、あのさっ! ミハイル、おやつ持って来てくれたんだよね!?」
ミハイルは「あ、そうだった」と持っていた紙袋の中から、
もたもたと四角い箱を取り出して、テーブルの上に置く。
蓋を開けると甘い香り。
中に入っていたのはホットアップルパイ。
「あのね、『誘惑の代償』…みんな食べる?」
聖アルフォンソ島ではアップルパイにそんな名前が付いていた。
『誘惑の代償』から温かい湯気とシナモンの香りが昇る。
「さっきね、今日のおやつにって、ドニが作ってくれたの」
「ドニって?」
ユウタの質問に、ミハイルが答えようとすると、
シルヴァンが二人の後ろから突然顔を出した。
「ドニ・ドーム。シュヌーシア寮のシェフですよ」
「うわあ、シルヴァン! いつから居たの!?」
「今からです♪ 楽しそうな声に誘われましてね。
あ、ドニは各国家庭料理が得意なんですよ。
アップルパイって、アメリカでは家庭の味ですから。ね、ミハイル?」
「うん…シルヴァン…違う寮なのに、ドニのこと、よく知ってるんだね」
「街で会うんですよ、シェフトリオに。彼等、仲が良いみたいで。
揃って市場に行ったり、夜も三人でお酒飲んだりしてるんです」
「…お酒?」
「ええ。僕、前に同席したことがあるんですが、
やっぱりシェフなんですね、彼等。
酒の席でも、最後は料理の話になっちゃうんです。
お互いにレシピを交換したり、楽しそうでしたよ」
「そうなんだ…ぼく、全然知らなかった」
「あ。ドニは、ミハイルのこと自慢してましたよ?」
「ドニが? ぼく…を?」
「『うちの寮には歌の上手い妖精が居るんだぜ』、
『妖精は俺の誘惑の代償を毎回美味しかったって言ってくれるんだ』って。
ドニ、ミハイルのこと、大好きみたいでしたよ?」
「…よ、妖精だなんて、ぼく…」
「ドニお手製の『誘惑の代償』、温かいうちに頂きましょうか。
皆さんも食べますよね?」
サロンは温かなティータイムが始まる。
シルヴァンが皆の分を切り分け、ジョシュアが紅茶を淹れる。
最上級生達がお茶の準備をしている間、下級生はゲストをもてなしていた。
ユウタがミハイルをソファに呼ぶ。
「ね。ミハイル、ココに座って?」
「うん、ありがと」
ユウタの隣に座って、膝の上に手を置く。
少しだけ顔を上げると、前に居るハルヤを見つめて、言った。
「東洋の神秘…」
ハルヤは、ぱちくりと眼鏡の奥の瞳を瞬かせる。
「ど、どうしたの、ミハイル?」とユウタ。
「あ、あのね、ソクーロフ博士がね、前にハルヤのこと、そう呼んでたの…」
「えっ…俺?」
「うん。ぼくには、どういう意味なのか解らないんだけど…ハルヤ、知ってる?」
「いや、俺、今初めて聞いたから…」
「そ、そう…あ、ごめんね、ヘンなこと言って…」
ジョシュアはティーポットに湯を注ぎながら、
「博士はきっとハルヤのこと褒めてるんじゃないかな、テオみたいに」
ユウタがぴょこんと顔を上げる。
「テオって?」
「ああ、ごめん。ユウタは知らないよね。俺の前に生徒代表だった人だよ」
「へえ」
「彼はね、ハルヤのこと、東洋の真珠って呼んでいたんだ」
「えええ!?」
「ちょっとジョシュア、そんなこと教えなくていいよ…」
「ごめん」
ミハイルの金髪が傾いてキラキラと光る。
「…真珠?…ハルヤは真珠だったの? 真珠ってキレイな人ってこと?」
東洋の真珠が、慌てて誤解を解こうとする。
「ち、違うんだよ、ミハイル。あの人、ちょっと変わってるから…」
「僕は素晴らしい呼び方だと思ってましたけど♪ ね、ジョシュア?」
「うん。俺もそう思ってた」
「やだ…止めてよ、シルヴァンもジョシュアも…恥ずかしいよ…」
ミハイルは、くすくすと笑みを零した。
「照れたハルヤって可愛いんだね」
「ミハイルまで…てゆうか、ミハイルに可愛いとか言われても…」
「え?」
「だって、俺なんかよりずっと、ミハイルの方が可愛いし」
「そ、そんな…こと…ハルヤの方が」
「ううん。ミハイルの方が」
二人の様子を見て、シルヴァンはそっと笑う。
ジョシュアに耳打ちする。
「なんだか和みますね、この二人」
「そうだね」
譲り合いが終わらない二人の間に、シルヴァンが入っていく。
「まあまあ。お二人とも可愛いですよ? はい、どうぞ」
シルヴァンは皆の前に1ピースずつ、アップルパイを置く。
「あ、ねえ、シルヴァン。俺、2つ欲しいな」
「いいですよ。ユウタ、好きなんですか? 誘惑の代償」
「レッドが好きなんだよ、コレ。だから、ひとつ残しとこうと思って」
「そう言えば、レッド居ませんね」
「うん。今、ジムでワークアウトしてる」
「そうですか。じゃ、コレはレッドの分にしましょう」
紅茶を並べるジョシュアは、ミハイルの前で膝を着く。
「ミハイルはロシア出身だったね。お砂糖よりジャムの方が良いかな?」
「えっ、ジャム、あるの?」
「うん。ジャムをスプーンに乗せて、舐めながら紅茶を飲むんだよね、ロシアでは」
「ジョシュア…ロシアンティーのこと、詳しいんだね…」
「紅茶好きな人に聞いたんだ。彼、最近ロシアンティーを飲んでるんだよ」
「あつっ」
小さな叫び声。口を押さえていたのはハルヤだった。
「ハルヤ? 大丈夫?」とミハイルが心配そうな声を出す。
「ん。リンゴで、舌、ヤケドしちゃったみたい…」
「ごめんね、ハルヤ。ぼくのせいでっ」
「ああ、ううん。ミハイルのせいじゃないから」
「ごめんね、ハルヤ…あっそうだ、お水…冷たいお水で冷やすの。ないかな?」
「冷水を口に含むのは正しい応急処置ですね、僕がお持ちしますよ」
シルヴァンが部屋を出て行く。
長い髪を見送った後、ミハイルがしょんぼりと呟く。
「ハルヤ…ごめんね…ぼく、ぼくの」
「ミハイル、ほんと大丈夫だから」
「でもっ、ぼくが『誘惑の代償』を持ってきたから…」
「あの、そんな泣きそうな顔することじゃないからさ。ね?」
「そーだよ。ミハイル」とユウタが励ます。
「ハルヤは優しいから、こんなことで怒ったりしないから。大丈夫だよ?」
「ほんと? ハルヤ、怒ってない?」
「うん。怒ってないよ」
「あの…ぼくのこと、嫌いになってない?」
「ならないよ。てゆうか」
「な、なに?」
「ミハイルのこと、ちょっと好きになったかも」
がちゃん、とコップの割れる音が、ドアの向こうから聞こえてきた。
fin
ユウタの後ろから、金髪の少年が顔を出す。
「こ、こんにちは…」
ミハイルがウーティス寮のサロンに遊びに来た。
手には白い紙袋を握り締めている。
サロンに居たのは、ジョシュアとハルヤだった。
ジョシュアは柔らかい微笑を見せる。
「ようこそ、ミハイル。ウーティスに来てくれてありがとう。嬉しいよ」
「ジョシュア…優しいんだね…」
ハルヤは本を閉じて片手を挙げた。
「こんちは、ミハイル。また来てくれたんだ?」
金髪の少年は俯きがちに挨拶を返す。
「こ、こんにちは。ハルヤ…また来て、ごめんね…」
眼鏡の奥の瞳が大きく開かれる。
「あ、ごめん…そう聞こえちゃった?
あの、俺、嬉しいよ? また来てくれて」
「そ、そう、なの?」
「うん。あれ? ミハイル、いいにおいする…」
甘い匂いに誘われたように、ハルヤが顔を近付ける。
「え。ちょ、ちょっと…ハルヤ…」
ミハイルの頬がピンクに染まると、ユウタは大きな声を出した。
「あ、あのさっ! ミハイル、おやつ持って来てくれたんだよね!?」
ミハイルは「あ、そうだった」と持っていた紙袋の中から、
もたもたと四角い箱を取り出して、テーブルの上に置く。
蓋を開けると甘い香り。
中に入っていたのはホットアップルパイ。
「あのね、『誘惑の代償』…みんな食べる?」
聖アルフォンソ島ではアップルパイにそんな名前が付いていた。
『誘惑の代償』から温かい湯気とシナモンの香りが昇る。
「さっきね、今日のおやつにって、ドニが作ってくれたの」
「ドニって?」
ユウタの質問に、ミハイルが答えようとすると、
シルヴァンが二人の後ろから突然顔を出した。
「ドニ・ドーム。シュヌーシア寮のシェフですよ」
「うわあ、シルヴァン! いつから居たの!?」
「今からです♪ 楽しそうな声に誘われましてね。
あ、ドニは各国家庭料理が得意なんですよ。
アップルパイって、アメリカでは家庭の味ですから。ね、ミハイル?」
「うん…シルヴァン…違う寮なのに、ドニのこと、よく知ってるんだね」
「街で会うんですよ、シェフトリオに。彼等、仲が良いみたいで。
揃って市場に行ったり、夜も三人でお酒飲んだりしてるんです」
「…お酒?」
「ええ。僕、前に同席したことがあるんですが、
やっぱりシェフなんですね、彼等。
酒の席でも、最後は料理の話になっちゃうんです。
お互いにレシピを交換したり、楽しそうでしたよ」
「そうなんだ…ぼく、全然知らなかった」
「あ。ドニは、ミハイルのこと自慢してましたよ?」
「ドニが? ぼく…を?」
「『うちの寮には歌の上手い妖精が居るんだぜ』、
『妖精は俺の誘惑の代償を毎回美味しかったって言ってくれるんだ』って。
ドニ、ミハイルのこと、大好きみたいでしたよ?」
「…よ、妖精だなんて、ぼく…」
「ドニお手製の『誘惑の代償』、温かいうちに頂きましょうか。
皆さんも食べますよね?」
サロンは温かなティータイムが始まる。
シルヴァンが皆の分を切り分け、ジョシュアが紅茶を淹れる。
最上級生達がお茶の準備をしている間、下級生はゲストをもてなしていた。
ユウタがミハイルをソファに呼ぶ。
「ね。ミハイル、ココに座って?」
「うん、ありがと」
ユウタの隣に座って、膝の上に手を置く。
少しだけ顔を上げると、前に居るハルヤを見つめて、言った。
「東洋の神秘…」
ハルヤは、ぱちくりと眼鏡の奥の瞳を瞬かせる。
「ど、どうしたの、ミハイル?」とユウタ。
「あ、あのね、ソクーロフ博士がね、前にハルヤのこと、そう呼んでたの…」
「えっ…俺?」
「うん。ぼくには、どういう意味なのか解らないんだけど…ハルヤ、知ってる?」
「いや、俺、今初めて聞いたから…」
「そ、そう…あ、ごめんね、ヘンなこと言って…」
ジョシュアはティーポットに湯を注ぎながら、
「博士はきっとハルヤのこと褒めてるんじゃないかな、テオみたいに」
ユウタがぴょこんと顔を上げる。
「テオって?」
「ああ、ごめん。ユウタは知らないよね。俺の前に生徒代表だった人だよ」
「へえ」
「彼はね、ハルヤのこと、東洋の真珠って呼んでいたんだ」
「えええ!?」
「ちょっとジョシュア、そんなこと教えなくていいよ…」
「ごめん」
ミハイルの金髪が傾いてキラキラと光る。
「…真珠?…ハルヤは真珠だったの? 真珠ってキレイな人ってこと?」
東洋の真珠が、慌てて誤解を解こうとする。
「ち、違うんだよ、ミハイル。あの人、ちょっと変わってるから…」
「僕は素晴らしい呼び方だと思ってましたけど♪ ね、ジョシュア?」
「うん。俺もそう思ってた」
「やだ…止めてよ、シルヴァンもジョシュアも…恥ずかしいよ…」
ミハイルは、くすくすと笑みを零した。
「照れたハルヤって可愛いんだね」
「ミハイルまで…てゆうか、ミハイルに可愛いとか言われても…」
「え?」
「だって、俺なんかよりずっと、ミハイルの方が可愛いし」
「そ、そんな…こと…ハルヤの方が」
「ううん。ミハイルの方が」
二人の様子を見て、シルヴァンはそっと笑う。
ジョシュアに耳打ちする。
「なんだか和みますね、この二人」
「そうだね」
譲り合いが終わらない二人の間に、シルヴァンが入っていく。
「まあまあ。お二人とも可愛いですよ? はい、どうぞ」
シルヴァンは皆の前に1ピースずつ、アップルパイを置く。
「あ、ねえ、シルヴァン。俺、2つ欲しいな」
「いいですよ。ユウタ、好きなんですか? 誘惑の代償」
「レッドが好きなんだよ、コレ。だから、ひとつ残しとこうと思って」
「そう言えば、レッド居ませんね」
「うん。今、ジムでワークアウトしてる」
「そうですか。じゃ、コレはレッドの分にしましょう」
紅茶を並べるジョシュアは、ミハイルの前で膝を着く。
「ミハイルはロシア出身だったね。お砂糖よりジャムの方が良いかな?」
「えっ、ジャム、あるの?」
「うん。ジャムをスプーンに乗せて、舐めながら紅茶を飲むんだよね、ロシアでは」
「ジョシュア…ロシアンティーのこと、詳しいんだね…」
「紅茶好きな人に聞いたんだ。彼、最近ロシアンティーを飲んでるんだよ」
「あつっ」
小さな叫び声。口を押さえていたのはハルヤだった。
「ハルヤ? 大丈夫?」とミハイルが心配そうな声を出す。
「ん。リンゴで、舌、ヤケドしちゃったみたい…」
「ごめんね、ハルヤ。ぼくのせいでっ」
「ああ、ううん。ミハイルのせいじゃないから」
「ごめんね、ハルヤ…あっそうだ、お水…冷たいお水で冷やすの。ないかな?」
「冷水を口に含むのは正しい応急処置ですね、僕がお持ちしますよ」
シルヴァンが部屋を出て行く。
長い髪を見送った後、ミハイルがしょんぼりと呟く。
「ハルヤ…ごめんね…ぼく、ぼくの」
「ミハイル、ほんと大丈夫だから」
「でもっ、ぼくが『誘惑の代償』を持ってきたから…」
「あの、そんな泣きそうな顔することじゃないからさ。ね?」
「そーだよ。ミハイル」とユウタが励ます。
「ハルヤは優しいから、こんなことで怒ったりしないから。大丈夫だよ?」
「ほんと? ハルヤ、怒ってない?」
「うん。怒ってないよ」
「あの…ぼくのこと、嫌いになってない?」
「ならないよ。てゆうか」
「な、なに?」
「ミハイルのこと、ちょっと好きになったかも」
がちゃん、とコップの割れる音が、ドアの向こうから聞こえてきた。
fin
■ディーノ×アンリ
■アンリシナリオベース
-----------------------
■アンリシナリオベース
-----------------------
「ディーノ。君、何考えてるの?」
「ん? 今宵のディナー、お姫様のお口には合わなかったか?」
ホテルの最上階にあるVIPルーム。
シチリアの騒々しい夜景を見ながら、
アンリは、マフィアと二人、ディナーを食べ終わったところだった。
食後酒を飲んでいるマフィアの前には、木製の赤い箱が置かれている。
ヒュミドールと呼ばれる葉巻保管箱。
クリーム色のラインが一本、赤い四隅を囲っている。
中には十数本の葉巻が並んでいた。
マフィアは、断りもなく喫煙する気らしい。
アンリは膝の上に乗せていた白い布をテーブルの上に置く。
「シチリア料理は悪くなかったけどね。如何して僕が、
君なんかと食事しなくてはいけないのかなと思ってね」
「Una principessa chiassosa.(口の悪いお姫様だ)」
「今のイタリア語? 僕に解らない言葉で悪口でも言ったのかな?」
「いいや、別に?」
マフィアの口髭が可笑しそうに歪む。
ウェーブのかかった長い黒髪を耳に掛けた。
マフィアは箱の中から、ダークブラウンの葉巻を一本選ぶ。
シガーカッターの二枚刃で、葉巻の頭部をカットした。
平面な吸い口が出来る。
「お前は明日も此処で商談がある。だからこのホテルと、
護衛付きのディナーを用意してやったんだろう?」
「護衛にしても、こんな、必要はないでしょう?」
「愛でも囁いて欲しいのか、お姫様?」
「僕とビジネスを続けたいから、と言ってくれた方が解り易い」
「坊やだな」
ゴールドのライターで細い葉巻に火を点ける。
先端部全体が焦げるまで、葉巻をゆっくりと回す。
折った中指の上に葉巻を乗せ、上から人差し指で支える。
葉巻を口に咥えて、先端が燃えるよう、静かに吹かす。
立ち上る白煙から、甘いコーヒーの香りがした。
アンリは鈍い頭痛を覚えて、額を押さえる。
葉巻から流れてくる煙に、記憶が甦る。
薄暗い部屋。
女性の肖像画。
紅の肘掛け椅子。
幾つもの宝石を嵌めた指。
その指に挟まれていた、葉巻。
恐る恐る、目の前のマフィアを見上げる。
咥えている葉巻。
上部には、赤いラベル。
銘柄を示すシガーリングが巻かれていた。
見覚えのある、白い十字のデザイン。
「その、葉巻…」
「お前も好きなのか? 肌に悪いぞ、お姫様」
「…僕じゃ、ない」
マフィアは低く笑う。
薄く開いた口内には白煙が充満していた。
「へえ。そいつは奇遇だったな」
葉巻をシガートレイに置く。大理石で出来た灰皿。
平たく、四角い石には、葉巻一本を置けるだけの溝がある。
黒と白の斑のシガートレイに、灰が落ちた。
それを確認すると、マフィアは席を立った。
「さあ、来い」
アンリの細い腕を引いて、無理矢理、席を立たせる。
「ディーノ、痛い…」
乱暴に手を離す。華奢な身体がベッドに跳ねる。
アンリは身を起こし、睨み付ける。
刺すような視線も、この男には何の効果もない。
「夢を、見せてやるぜ?」
マフィアはアンリを頭から抱え込んだ。
口許、衣服から薫る、きつい葉巻の匂い。
この葉巻の香りは、甘いコーヒーに似ていて。
苦味の中にキャラメルナッツの香りが混ざっている。
間違いない。知っている。
この葉巻を吹かしていたのは。
マフィアは眼下にある髪に息を吹きかける。
「お前、こんな近くで嗅いだことないんだろう?」
「悪趣味だ…離して」
「嘘吐け。本当はこうされたかったくせに」
「…僕は、嘘なんか」
「目を閉じてみな? 錯覚くらいはできるぜ」
マフィアは嫌気が差す程、優しい手つきで頭を撫で始めた。
まるで赤子をあやすように。
「いい子だ、アンリ、いい子だな…」
その言葉を繰り返した。
言われたことの無い言葉を何度も唱えられて、
強張っていた肩が、諦めたように力を失っていく。
幼い頃から焦がれてた。
ただ、そっと抱き締めて、
優しく名前を呼んで欲しかった。
本当は、あの人に。
ゆっくり離れたマフィアは、再び葉巻を咥えて軽く吹かす。
大理石の灰皿に葉巻を戻す。
アンリの顎を支えながら、下唇をなぞった。
指の動きは緩慢過ぎて、鼓動が早くなる。
「次は此処で、葉巻を味あわせてやるよ」
「ディーノ…」
唇が塞がれた。
執拗に追い回されて、嫌でも口内で葉巻の味を感じた。
苦くて、甘い。
コーヒーとキャラメルナッツの香り。
幼い頃、この香りが漂う度に怯えてた。
また怒鳴られる。
また髪を掴まれる。
また『悪魔』と呼ばれる。
近付けなかった香り。
遠くから見るだけで怖かった白煙。
嫌なのに、嫌なのに。
せめて一度でも。
この香りに、包まれたかった。
「…あっ……ん」
漏れる吐息が、熱くなる。
口内で与えられる快楽と、香り。
僕の腕は、マフィアの首に回っていた。
シガートレイから細い煙が昇る。
赤く燃えていた先端は、
白く気高い灰になっていった。
「世話の掛かるお姫様だ」
アンリが眠ったのを確認すると、
ディーノは初めて、柔らかい表情になった。
寝顔を見下ろす。
先まで潤んでいた琥珀の瞳は閉じられている
乱れた髪を梳いてやる。
露わになった額は、しっとりと濡れていた。
額に口を寄せて、イタリア語で囁く。
「Ti amo.(愛してる)」
真っ白な額に、静かに唇を落とす。
少し、甘い匂いがした。
安らかな寝顔。このままでは起こしてしまいそうだ。
一人、ベッドから起き出す。
口淋しくて、葉巻を咥える。
コーヒーとキャラメルナッツの香りが立ち昇る。
寝顔を覗くと、唇が薄く開いた。
震えるように動く。
紡がれたのは、幼いフランス語。
「…papa.(パパ)」
fin
「ん? 今宵のディナー、お姫様のお口には合わなかったか?」
ホテルの最上階にあるVIPルーム。
シチリアの騒々しい夜景を見ながら、
アンリは、マフィアと二人、ディナーを食べ終わったところだった。
食後酒を飲んでいるマフィアの前には、木製の赤い箱が置かれている。
ヒュミドールと呼ばれる葉巻保管箱。
クリーム色のラインが一本、赤い四隅を囲っている。
中には十数本の葉巻が並んでいた。
マフィアは、断りもなく喫煙する気らしい。
アンリは膝の上に乗せていた白い布をテーブルの上に置く。
「シチリア料理は悪くなかったけどね。如何して僕が、
君なんかと食事しなくてはいけないのかなと思ってね」
「Una principessa chiassosa.(口の悪いお姫様だ)」
「今のイタリア語? 僕に解らない言葉で悪口でも言ったのかな?」
「いいや、別に?」
マフィアの口髭が可笑しそうに歪む。
ウェーブのかかった長い黒髪を耳に掛けた。
マフィアは箱の中から、ダークブラウンの葉巻を一本選ぶ。
シガーカッターの二枚刃で、葉巻の頭部をカットした。
平面な吸い口が出来る。
「お前は明日も此処で商談がある。だからこのホテルと、
護衛付きのディナーを用意してやったんだろう?」
「護衛にしても、こんな、必要はないでしょう?」
「愛でも囁いて欲しいのか、お姫様?」
「僕とビジネスを続けたいから、と言ってくれた方が解り易い」
「坊やだな」
ゴールドのライターで細い葉巻に火を点ける。
先端部全体が焦げるまで、葉巻をゆっくりと回す。
折った中指の上に葉巻を乗せ、上から人差し指で支える。
葉巻を口に咥えて、先端が燃えるよう、静かに吹かす。
立ち上る白煙から、甘いコーヒーの香りがした。
アンリは鈍い頭痛を覚えて、額を押さえる。
葉巻から流れてくる煙に、記憶が甦る。
薄暗い部屋。
女性の肖像画。
紅の肘掛け椅子。
幾つもの宝石を嵌めた指。
その指に挟まれていた、葉巻。
恐る恐る、目の前のマフィアを見上げる。
咥えている葉巻。
上部には、赤いラベル。
銘柄を示すシガーリングが巻かれていた。
見覚えのある、白い十字のデザイン。
「その、葉巻…」
「お前も好きなのか? 肌に悪いぞ、お姫様」
「…僕じゃ、ない」
マフィアは低く笑う。
薄く開いた口内には白煙が充満していた。
「へえ。そいつは奇遇だったな」
葉巻をシガートレイに置く。大理石で出来た灰皿。
平たく、四角い石には、葉巻一本を置けるだけの溝がある。
黒と白の斑のシガートレイに、灰が落ちた。
それを確認すると、マフィアは席を立った。
「さあ、来い」
アンリの細い腕を引いて、無理矢理、席を立たせる。
「ディーノ、痛い…」
乱暴に手を離す。華奢な身体がベッドに跳ねる。
アンリは身を起こし、睨み付ける。
刺すような視線も、この男には何の効果もない。
「夢を、見せてやるぜ?」
マフィアはアンリを頭から抱え込んだ。
口許、衣服から薫る、きつい葉巻の匂い。
この葉巻の香りは、甘いコーヒーに似ていて。
苦味の中にキャラメルナッツの香りが混ざっている。
間違いない。知っている。
この葉巻を吹かしていたのは。
マフィアは眼下にある髪に息を吹きかける。
「お前、こんな近くで嗅いだことないんだろう?」
「悪趣味だ…離して」
「嘘吐け。本当はこうされたかったくせに」
「…僕は、嘘なんか」
「目を閉じてみな? 錯覚くらいはできるぜ」
マフィアは嫌気が差す程、優しい手つきで頭を撫で始めた。
まるで赤子をあやすように。
「いい子だ、アンリ、いい子だな…」
その言葉を繰り返した。
言われたことの無い言葉を何度も唱えられて、
強張っていた肩が、諦めたように力を失っていく。
幼い頃から焦がれてた。
ただ、そっと抱き締めて、
優しく名前を呼んで欲しかった。
本当は、あの人に。
ゆっくり離れたマフィアは、再び葉巻を咥えて軽く吹かす。
大理石の灰皿に葉巻を戻す。
アンリの顎を支えながら、下唇をなぞった。
指の動きは緩慢過ぎて、鼓動が早くなる。
「次は此処で、葉巻を味あわせてやるよ」
「ディーノ…」
唇が塞がれた。
執拗に追い回されて、嫌でも口内で葉巻の味を感じた。
苦くて、甘い。
コーヒーとキャラメルナッツの香り。
幼い頃、この香りが漂う度に怯えてた。
また怒鳴られる。
また髪を掴まれる。
また『悪魔』と呼ばれる。
近付けなかった香り。
遠くから見るだけで怖かった白煙。
嫌なのに、嫌なのに。
せめて一度でも。
この香りに、包まれたかった。
「…あっ……ん」
漏れる吐息が、熱くなる。
口内で与えられる快楽と、香り。
僕の腕は、マフィアの首に回っていた。
シガートレイから細い煙が昇る。
赤く燃えていた先端は、
白く気高い灰になっていった。
「世話の掛かるお姫様だ」
アンリが眠ったのを確認すると、
ディーノは初めて、柔らかい表情になった。
寝顔を見下ろす。
先まで潤んでいた琥珀の瞳は閉じられている
乱れた髪を梳いてやる。
露わになった額は、しっとりと濡れていた。
額に口を寄せて、イタリア語で囁く。
「Ti amo.(愛してる)」
真っ白な額に、静かに唇を落とす。
少し、甘い匂いがした。
安らかな寝顔。このままでは起こしてしまいそうだ。
一人、ベッドから起き出す。
口淋しくて、葉巻を咥える。
コーヒーとキャラメルナッツの香りが立ち昇る。
寝顔を覗くと、唇が薄く開いた。
震えるように動く。
紡がれたのは、幼いフランス語。
「…papa.(パパ)」
fin
■ディーノ×アンリ
■アンリシナリオベース
-----------------------
■アンリシナリオベース
-----------------------
聖アルフォンソ学院 通信室。
アンリは、完全防音のプライベートブースに入った。
もうすぐ午後の講義が始まるというのに、呼び出しを受けた。
しかも次は神秘学の特別講義だ。邪険な態度で受話器を取る。
「何の用? 少しは時差を考えて」
「おや。今日は機嫌が悪いな、お姫様?」
マフィアは低い声で笑った。
シチリアの地下組織、中でも最悪と噂されるマンゾーニ家。
次期ボス、ディーノ・マンゾーニからの電話だった。
彼等に僕の警護を依頼していた。
僕達は莫大な金の下に結託したビジネスパートナーだった。
僕はマフィアに聞こえるように溜め息を吐く。
「早く用件を言って。僕、この後、講義なの」
「ああ。そういやお前、学生だったな」
「ディーノ…早く」
「気が短いな。今度、聖アルフォンソ祭があるって言っていただろう?」
「それがどうかした?」
「お前は、仮装行列にどんなドレスで参加するんだ?」
「…ビジネスの話をしないのなら切るよ」
マフィアは狼のように低く笑う。
そして、告げた。
「あちらさん、本気らしいぜ? 祭当日、お前を殺しに来る」
死の宣告を受けてさえ、僕は冷笑していた。
今日、引いたタロットカードが思い浮かぶ。
トランペットを奏でる天使の絵。『審判』のカードだ。
「Le Jugement」
「審判がどうかしたのか?」
「悪い知らせが入る、ってタロットに出ていたんだけど…本当に悪いね」
「へえ。大当たりだな。さすが、サン・ジェルマンの血を引く者だ」
「当てられても、嬉しくないよ」
「凄い数を送り込んでくるようだ。舞踏会ができそうだぜ?」
「彼は、そんなに消したいんだね…僕のこと」
僕一人を抹消する為に、大勢の人間を使う。
どうして、そこまでしなくてはならないの?
僕は、そんなに、生きていてはいけない存在なの?
「殺させねえよ、アンリ」
マフィアは真摯な声で言う。
「言っただろう? 俺がお前を守る」
一瞬の沈黙の後。
僕は笑みを含みながら、言う。
「そういうビジネスパートナーだものね、僕達は。宜しく頼むよ?
僕からの報酬が途絶えて欲しくなければ、気を抜かないことだね」
マフィアの声に僅かな怒気が込められる。
「お前、金だけ積まれれば、マフィアは動くと思っているのか?」
「違った?」
「俺達はな、命と誇りを懸けられない相手とはファミリーにはならない」
「さすがだね、誇り高きマンゾーニ家は」
「何故、お前が殺されなくてはならない? だから俺達はお前に付いている」
ディーノの言葉が頭に鳴り響く。
何故、殺されなくてはならない?
それはこちらが聞きたいことだ。
こんなこと、馬鹿げてる。
何故、僕があの人に命を狙われなくてはならないの?
「いいか、アンリ。向こうが本気で来るのは間違いない」
「うん」
「俺達も本気でお相手させて貰う。相当派手な舞踏会になるぜ」
「…うん。解ってる」
派手ということは、血が流れるということだ。
あの人と僕、たった二人の問題なのに、
巻き込まれている人間達が大勢居る。
僕も自分の身を守る為に、マンゾーニという刀を手に入れ、
この下らない争いに巻き込んでしまった。
どうして、こんなことを続けなければならないのだろう。
「なあ、アンリ。本当に良いのか?」
「何が?」
「このイタチごっこは、どちらかが死ぬまで終わらない。そうだろ?」
「ああ。多分ね」
「なら、何故こちらから仕掛けない? お前の一言で俺達は」
「ディーノ。その必要は、ないと言った筈だ」
言葉を遮られたマフィアは、笑いを含んで言う。
「防戦一方っては、俺達のシュミじゃないんだが?」
「君達と一緒にしないで。僕には僕の遣り方がある」
「お前、馬鹿だろ。あんな奴に何の情を感じている?」
「…僕は、降り懸かる火の粉を払っているだけだ」
「見掛け通り甘いんだな、俺達のお姫様は」
「ディーノ。君達は僕の指示通りに動く。そうだね?」
「ああ。解ってるよ。仰せのままに。お姫様」
「用件はこれでおしまい? 悪い連絡ありがとう」
「待てって。最後に報酬について確認しておきたいことがある」
「何?」
「舞踏会が終わったら、俺と踊ってくれるよな?」
歪んだ口許が見えるようだった。
いつのまにか僕の左手は耳朶に触れていた。
熱い。
この男の歯が当たった場所だった。
手を離して、近くにあった髪に触れる。
毛先まで梳くと、手から力が抜けた。
「…好きにすれば」
「そいつを聞いて安心したぜ」
「その代わり、必ず…僕を守って」
「ああ。任せろ。じゃあな、俺のお姫様」
「ねえ」
「ん?」
右手に力を込める。
受話器が小さく軋んだ。
「…君も、死なないで」
fin
アンリは、完全防音のプライベートブースに入った。
もうすぐ午後の講義が始まるというのに、呼び出しを受けた。
しかも次は神秘学の特別講義だ。邪険な態度で受話器を取る。
「何の用? 少しは時差を考えて」
「おや。今日は機嫌が悪いな、お姫様?」
マフィアは低い声で笑った。
シチリアの地下組織、中でも最悪と噂されるマンゾーニ家。
次期ボス、ディーノ・マンゾーニからの電話だった。
彼等に僕の警護を依頼していた。
僕達は莫大な金の下に結託したビジネスパートナーだった。
僕はマフィアに聞こえるように溜め息を吐く。
「早く用件を言って。僕、この後、講義なの」
「ああ。そういやお前、学生だったな」
「ディーノ…早く」
「気が短いな。今度、聖アルフォンソ祭があるって言っていただろう?」
「それがどうかした?」
「お前は、仮装行列にどんなドレスで参加するんだ?」
「…ビジネスの話をしないのなら切るよ」
マフィアは狼のように低く笑う。
そして、告げた。
「あちらさん、本気らしいぜ? 祭当日、お前を殺しに来る」
死の宣告を受けてさえ、僕は冷笑していた。
今日、引いたタロットカードが思い浮かぶ。
トランペットを奏でる天使の絵。『審判』のカードだ。
「Le Jugement」
「審判がどうかしたのか?」
「悪い知らせが入る、ってタロットに出ていたんだけど…本当に悪いね」
「へえ。大当たりだな。さすが、サン・ジェルマンの血を引く者だ」
「当てられても、嬉しくないよ」
「凄い数を送り込んでくるようだ。舞踏会ができそうだぜ?」
「彼は、そんなに消したいんだね…僕のこと」
僕一人を抹消する為に、大勢の人間を使う。
どうして、そこまでしなくてはならないの?
僕は、そんなに、生きていてはいけない存在なの?
「殺させねえよ、アンリ」
マフィアは真摯な声で言う。
「言っただろう? 俺がお前を守る」
一瞬の沈黙の後。
僕は笑みを含みながら、言う。
「そういうビジネスパートナーだものね、僕達は。宜しく頼むよ?
僕からの報酬が途絶えて欲しくなければ、気を抜かないことだね」
マフィアの声に僅かな怒気が込められる。
「お前、金だけ積まれれば、マフィアは動くと思っているのか?」
「違った?」
「俺達はな、命と誇りを懸けられない相手とはファミリーにはならない」
「さすがだね、誇り高きマンゾーニ家は」
「何故、お前が殺されなくてはならない? だから俺達はお前に付いている」
ディーノの言葉が頭に鳴り響く。
何故、殺されなくてはならない?
それはこちらが聞きたいことだ。
こんなこと、馬鹿げてる。
何故、僕があの人に命を狙われなくてはならないの?
「いいか、アンリ。向こうが本気で来るのは間違いない」
「うん」
「俺達も本気でお相手させて貰う。相当派手な舞踏会になるぜ」
「…うん。解ってる」
派手ということは、血が流れるということだ。
あの人と僕、たった二人の問題なのに、
巻き込まれている人間達が大勢居る。
僕も自分の身を守る為に、マンゾーニという刀を手に入れ、
この下らない争いに巻き込んでしまった。
どうして、こんなことを続けなければならないのだろう。
「なあ、アンリ。本当に良いのか?」
「何が?」
「このイタチごっこは、どちらかが死ぬまで終わらない。そうだろ?」
「ああ。多分ね」
「なら、何故こちらから仕掛けない? お前の一言で俺達は」
「ディーノ。その必要は、ないと言った筈だ」
言葉を遮られたマフィアは、笑いを含んで言う。
「防戦一方っては、俺達のシュミじゃないんだが?」
「君達と一緒にしないで。僕には僕の遣り方がある」
「お前、馬鹿だろ。あんな奴に何の情を感じている?」
「…僕は、降り懸かる火の粉を払っているだけだ」
「見掛け通り甘いんだな、俺達のお姫様は」
「ディーノ。君達は僕の指示通りに動く。そうだね?」
「ああ。解ってるよ。仰せのままに。お姫様」
「用件はこれでおしまい? 悪い連絡ありがとう」
「待てって。最後に報酬について確認しておきたいことがある」
「何?」
「舞踏会が終わったら、俺と踊ってくれるよな?」
歪んだ口許が見えるようだった。
いつのまにか僕の左手は耳朶に触れていた。
熱い。
この男の歯が当たった場所だった。
手を離して、近くにあった髪に触れる。
毛先まで梳くと、手から力が抜けた。
「…好きにすれば」
「そいつを聞いて安心したぜ」
「その代わり、必ず…僕を守って」
「ああ。任せろ。じゃあな、俺のお姫様」
「ねえ」
「ん?」
右手に力を込める。
受話器が小さく軋んだ。
「…君も、死なないで」
fin
■ディーノ×アンリ
■小説ベース ダーク
---------------------
■小説ベース ダーク
---------------------
僕の身辺で起こる不穏な事件。
自分の身体を守る為に、僕が選んだ護衛は、
シチリアンマフィアの中でも、最も血に塗れたマンゾーニ家だった。
マンゾーニの次期ボス、ディーノ・マンゾーニを、
僕のビジネスパートナーに選んだ。
長く、ウェーブのかかった黒髪。
浅黒い肌。その口と顎には髭。
地の底から聞こえてくるような低い声。
どれを取っても、うんざりするシチリアーノだ。
「お迎えに参りました、お姫様」
ディーノは黒塗りの車で正門前に現れた。
車の前で立って、後部座席のドアを開けている。
僕は彼を一瞥しただけで、言葉を返さないまま、車に乗った。
デーィノはその後に続いて、入った。
広い後部座席には、僕と彼しかいない。
助手席と運転席には、知らない男達が乗っていた。
ディーノは白いスーツに身を包んでいた。
淡いピンクのシャツに、ネイビーのネクタイを結んでいる。
「会いたかった、くらい言えよ、アンリ」
「空港へ行って」
「可愛い顔して冷たいな。こんなヤツは初めてだ」
「車を出して」
ディーノは口許だけで笑う。
僕の言葉では、この車は動かない。
運転手もマンゾーニの下っ端だ。
ディーノが「出せ」と短く言って初めて、エンジンが掛かった。
長いドライブの始まりだ。
ディーノは黒革のシートの上で足を組む。
僕の許可なく、腕を肩に回してきた。
「さて、お姫様? 今日はどちらの舞踏会に?」
「説明した筈だ。サルデーニャだよ」
「ああ。イタリアの離島な。あそこは気候が良い」
「サルデーニャで商談があるから、君達はその送迎と護衛を」
「さすがに良いスーツ着てるな。ドレスの方が似合いそうだが」
「それから、今夜は現地で宿泊するから…」
「お前の髪って、本当、綺麗だな。好きだぜ?」
「ディーノ。ビジネスの話をしている最中だ」
「良いだろう、普通の話をしたって。俺達はファミリーなんだぜ?」
「ビジネスパートナーと同義ではないの?」
「俺達の世界じゃ、ファミリーというのさ。
だから、お前のことはよく知っておきたい」
浅黒い手が、無遠慮に僕の手を取る。
できることなら振り払いたかったが、それは敵わないことだった。
この車に乗っている者は、皆銃を所持している筈だ。
それでなくとも、このマフィアに逆らえば、どうなるかは解らない。
ビジネス上では僕の方が雇い主だが、
力で、捻じ伏せられるのがどちらかは嫌でも解った。
「俺がお前を守る。ナイトと言っても良い。そう思わないか、俺の、お姫様?」
僕の瞳を見ながら、手の甲に唇を落とした。
「君がナイト? 殺し屋の間違いでしょう」
「ナイトと殺し屋こそ、同義じゃないのか?」
ディーノは片手で僕の顎を掴まえる。
「この島には、これと同じ名前のケーキがあるんだって?」
「何のこと」
「天使の顎って言うんだろう?」
長い指が、僕の顎を引き寄せる。
されるままでしか居られないのが、堪らなく不愉快だった。
「ディーノ…悪ふざけも大概にして」
「ふざけてなんかないさ」
「君達には莫大な契約金を払っている筈だよ」
「ああ、感謝しているよ。サン・ジェルマン伯爵家の次期当主サマ?」
黒髪が僕の背に触れた。
彼の顎鬚に、首の後ろを撫でられる。
「こんな、こと、僕は、頼んでない…」
「俺達はファミリー、だろ?」
「だから、何だと言うの…」
生暖かいものに、首筋をなぞられる。
耳朶を、甘く噛まれた。
吐息が首に掛かる。マフィアは低く笑っていた。
「良いんだぜ? 俺の腕を擦り抜けても」
「…擦り抜けた後…どうするつもり?」
「さあな」
殺されるかもしれない。
常にその想いが頭をよぎる。
この男の手は、とっくに血に塗れている。
幾人もの血を浴び、それでも尚、
こうして薄い笑いを浮かべているのだから。
僕の背が、後部座席のシートに打ちつけられた。
黒革に髪が散らされる。
運転席と助手席から、薄汚い忍び笑いが聞こえてくる。
自分のものとは思えない荒い息遣いも。
やっと、黒髪越しに空港が見えてきた。
僕は、呼吸を整えながら、言葉を放つ。
「…ディーノ…空港だ」
「残念だな、もう着いちまったか」
僕の肩から顔を上げる。
余裕しかない表情で僕を見下ろしている。
息は微塵も乱れていない。
「おや? アンリ、ネクタイが曲がっているぜ?」
僕には睨み付けることしかできなかった。
ディーノは骨張った指で、丁寧にネクタイを直す。
「じゃ、また後で迎えに行くよ、お姫様」
マフィアの目が細く光る。獰猛な鷹の目だ。
今夜も、僕の部屋に来るのかもしれない。
もしその予感が当たっていたとしても。
断れない。
断る気も、起こらない。
「ディーノ」
「何かな、お姫様?」
「もしビジネス関係を断ったら、君は、僕から離れるの?」
「お前次第さ」
ディーノは口の中だけで笑う。
くぐもった笑い声が耳に残った。
「開けろ」彼の命令で後部座席のドアが開いた。
fin
自分の身体を守る為に、僕が選んだ護衛は、
シチリアンマフィアの中でも、最も血に塗れたマンゾーニ家だった。
マンゾーニの次期ボス、ディーノ・マンゾーニを、
僕のビジネスパートナーに選んだ。
長く、ウェーブのかかった黒髪。
浅黒い肌。その口と顎には髭。
地の底から聞こえてくるような低い声。
どれを取っても、うんざりするシチリアーノだ。
「お迎えに参りました、お姫様」
ディーノは黒塗りの車で正門前に現れた。
車の前で立って、後部座席のドアを開けている。
僕は彼を一瞥しただけで、言葉を返さないまま、車に乗った。
デーィノはその後に続いて、入った。
広い後部座席には、僕と彼しかいない。
助手席と運転席には、知らない男達が乗っていた。
ディーノは白いスーツに身を包んでいた。
淡いピンクのシャツに、ネイビーのネクタイを結んでいる。
「会いたかった、くらい言えよ、アンリ」
「空港へ行って」
「可愛い顔して冷たいな。こんなヤツは初めてだ」
「車を出して」
ディーノは口許だけで笑う。
僕の言葉では、この車は動かない。
運転手もマンゾーニの下っ端だ。
ディーノが「出せ」と短く言って初めて、エンジンが掛かった。
長いドライブの始まりだ。
ディーノは黒革のシートの上で足を組む。
僕の許可なく、腕を肩に回してきた。
「さて、お姫様? 今日はどちらの舞踏会に?」
「説明した筈だ。サルデーニャだよ」
「ああ。イタリアの離島な。あそこは気候が良い」
「サルデーニャで商談があるから、君達はその送迎と護衛を」
「さすがに良いスーツ着てるな。ドレスの方が似合いそうだが」
「それから、今夜は現地で宿泊するから…」
「お前の髪って、本当、綺麗だな。好きだぜ?」
「ディーノ。ビジネスの話をしている最中だ」
「良いだろう、普通の話をしたって。俺達はファミリーなんだぜ?」
「ビジネスパートナーと同義ではないの?」
「俺達の世界じゃ、ファミリーというのさ。
だから、お前のことはよく知っておきたい」
浅黒い手が、無遠慮に僕の手を取る。
できることなら振り払いたかったが、それは敵わないことだった。
この車に乗っている者は、皆銃を所持している筈だ。
それでなくとも、このマフィアに逆らえば、どうなるかは解らない。
ビジネス上では僕の方が雇い主だが、
力で、捻じ伏せられるのがどちらかは嫌でも解った。
「俺がお前を守る。ナイトと言っても良い。そう思わないか、俺の、お姫様?」
僕の瞳を見ながら、手の甲に唇を落とした。
「君がナイト? 殺し屋の間違いでしょう」
「ナイトと殺し屋こそ、同義じゃないのか?」
ディーノは片手で僕の顎を掴まえる。
「この島には、これと同じ名前のケーキがあるんだって?」
「何のこと」
「天使の顎って言うんだろう?」
長い指が、僕の顎を引き寄せる。
されるままでしか居られないのが、堪らなく不愉快だった。
「ディーノ…悪ふざけも大概にして」
「ふざけてなんかないさ」
「君達には莫大な契約金を払っている筈だよ」
「ああ、感謝しているよ。サン・ジェルマン伯爵家の次期当主サマ?」
黒髪が僕の背に触れた。
彼の顎鬚に、首の後ろを撫でられる。
「こんな、こと、僕は、頼んでない…」
「俺達はファミリー、だろ?」
「だから、何だと言うの…」
生暖かいものに、首筋をなぞられる。
耳朶を、甘く噛まれた。
吐息が首に掛かる。マフィアは低く笑っていた。
「良いんだぜ? 俺の腕を擦り抜けても」
「…擦り抜けた後…どうするつもり?」
「さあな」
殺されるかもしれない。
常にその想いが頭をよぎる。
この男の手は、とっくに血に塗れている。
幾人もの血を浴び、それでも尚、
こうして薄い笑いを浮かべているのだから。
僕の背が、後部座席のシートに打ちつけられた。
黒革に髪が散らされる。
運転席と助手席から、薄汚い忍び笑いが聞こえてくる。
自分のものとは思えない荒い息遣いも。
やっと、黒髪越しに空港が見えてきた。
僕は、呼吸を整えながら、言葉を放つ。
「…ディーノ…空港だ」
「残念だな、もう着いちまったか」
僕の肩から顔を上げる。
余裕しかない表情で僕を見下ろしている。
息は微塵も乱れていない。
「おや? アンリ、ネクタイが曲がっているぜ?」
僕には睨み付けることしかできなかった。
ディーノは骨張った指で、丁寧にネクタイを直す。
「じゃ、また後で迎えに行くよ、お姫様」
マフィアの目が細く光る。獰猛な鷹の目だ。
今夜も、僕の部屋に来るのかもしれない。
もしその予感が当たっていたとしても。
断れない。
断る気も、起こらない。
「ディーノ」
「何かな、お姫様?」
「もしビジネス関係を断ったら、君は、僕から離れるの?」
「お前次第さ」
ディーノは口の中だけで笑う。
くぐもった笑い声が耳に残った。
「開けろ」彼の命令で後部座席のドアが開いた。
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