■テオ×ハルヤ テオ×ジョシュア
■小説ベース
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■小説ベース
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ウーティス寮。
サロンから出たハルヤは、玄関へ向かう後姿を見掛けた。
腕時計を覗いてみる。
夜9時半。これから出掛けるにしては遅い時間だ。
後姿を追ってみると、緑翠の髪が見えた。
「ジョシュア? 何処行くの?」
「ああ、ハルヤ。ちょっと、生徒代表室にね」
「こんな時間に仕事? 大変なんだね…」
「ああ、違うんだよ。本を忘れてきたみたいでね、すぐに戻るよ」
「そっか…なら良いんだけど…」
「どうしたの?」
「あ。そう言えば、生徒代表室って入ったことないなと思って…」
「そうだね。普通は入る機会のない部屋だから」
ジョシュアは、口許に手をあてる。
二時間前まで居た生徒代表室の様子を思い出す。
机の上に機密書類を置いていないか、綺麗に片付けてきたか。
普段から散らかすようなことはないのだが、念の為の確認だった。
一般生徒の目に触れてはならないもの。
あの部屋には、そればかりが詰まっているのだから。
「ハルヤ、見てみるかい? 生徒代表室」
「良いの? 俺、生徒代表じゃないのに?」
「大丈夫だよ。今日はもう誰も来ないから。一緒に行こうか」
学生課棟。
ジョシュアは、ハルヤを連れて一番奥の部屋へと向かう。
この時間では課の職員も一人も居なかった。
長い廊下には、二人の歩く音だけが寂しく響いている。
夜の校舎は、少し怖い。
特にこの廊下は、独特の孤独感が漂っている。
ハルヤも同じ感想を抱いたのか、俺に一歩近付いてきた。
「あのさ、生徒代表室でいつもどんなことしてるの?」
「そうだね…学院の運営委員との会議があったり、
トップシークレットの資料を読む時に使うことが多いかな。
後は、静かだからね、考え事をしたい時とか」
「考え事…?」
「うん。色々と、ね」
それ以上、ハルヤは聞いてこなかった。
重厚な扉の前に立つ。
「さあ、此処だよ」
ジョシュアが生徒代表室の扉を開ける。
おずおずと入ったハルヤは息を飲んだ。
「うわ…美術館みたい…」
部屋の壁を取り囲むように、肖像画が飾られていた。
ジョシュアは扉を閉め、靴音を響かせながらハルヤの傍に立つ。
「歴代の生徒代表達だよ。あちらから就任した順に並んでいるんだ」
手で示されたものは、相当古い絵のようだった。
元は白だったらしい背景はすっかり色褪せている。
セピアの色合いが長い時を重ねていることを示唆していた。
ハルヤは肖像画を見上げながら、部屋をくるりと見渡す。
学院の歴史の長さを感じずにはいられなかった。
これほど多くの生徒代表達によって、学院が維持、運営されてきたのだと。
「いつか、ジョシュアも此処に飾られるんだね」
「うん。俺は此処に、ね」
現在の生徒代表は、自分の席となる場所を指差す。
一番新しい絵、その隣だった。
ハルヤは、知っている顔を見つけた。
「あ、テオだ」
ジョシュアの前に生徒代表だったテオ・メネシス。
黄金に波打つ髪質で、テオの髪は歩く度に輝いていた。
太陽と海を愛する彼は、褐色の肌がよく似合った。
ギリシャにある実家からは、船やヨットを持ち込んで、
休日には聖アルフォンソ島をクルーズして楽しんでいた。
太陽のように笑う人で、彼が生徒代表の頃は、
まさに、聖アルフォンソ学院の太陽と言っても過言ではなかった。
ハルヤは、テオの顔を見ながら、くすりと笑う。
「おっかしな人だったよねー。ねえ、テオって昔からああいう人?」
「ああいうって?」
「誰にでも美しいとか言う人なんでしょ?
日本には居ないタイプだからさ、最初はほんと、びっくりしちゃったよ」
「テオは、ハルヤのこと気に入っていたからね」
「アジア顔が珍しかったのかなあ」
いつも機嫌の良い人だった。本人曰く、享楽主義。
その瞳に映るものは、彼には全てが眩しく映るらしかった。
彼自身も、周囲を明るく照らすように陽気な人だった。
「君は『東洋の黒い真珠』だね」
ハルヤの入学初日に、テオに付けられた呼び名。
新入生の第一目は、生徒代表の学院案内から始まる。
ハルヤを案内したのは、当時の生徒代表、テオ・メネシスだった。
それからテオは、折に触れてはウーティス寮のハルヤに会いに来た。
自分はシュヌーシア寮であるにも関わらず。
ウーティスのサロンで、ハルヤがアンリと紅茶を飲んでいると、
アンリは突然、ふう、と溜め息を吐いた。
「ハルヤ。生徒代表のお出ましのようだよ?」
間もなく、扉が盛大に開かれた。
黄金の髪に小麦色の肌を持つ生徒代表は、
アンリとハルヤを見るなり、笑顔が全開になった。
「これはこれは。美しい君達が揃うと、まるで一枚の絵画のようだね!」
「…ごきげんよう、生徒代表。相変わらず賑やかな人だね」
「君も相変わらず妖艶だね、その氷の微笑は」
冷笑をむしろ嬉しそうに受け止め、満足気に二人を眺める。
「ああ、いっそ君達を額縁に入れて、私の部屋に飾っておきたいくらいだよ!」
ハルヤは、あはは、と苦笑いを浮かべる。
アンリは最上級生に対して、口には出していないものの、
その顔には「煩いな」と書かれているのがハルヤにも見て取れた。
一向に気にしていないテオは、意気揚々とハルヤの傍に寄る。
「やあ。今日も麗しいね、東洋の黒い真珠」
「こ、こんちは。テオ」
「今度、デッド・プリンスのライブがあるそうだね」
「あ、うん。よく知っているね」
「もちろん。私は熱烈なファンだからね。ライブには必ず伺うよ」
「あ、ありがと」
「ライブの時に、君に渡す薔薇の花束を持っていくね?」
「あのっ、そんな、気使わなくていいから」
「遠慮することはないのだよ? あ、薔薇ではない方が良かったかい?」
「いや、そういう意味じゃなくって…」
「東洋の黒い真珠は、どんな花が好きなのかな?」
「えっと…うちのライブに花束持ってくる人、居ないから…」
「そうなのかい? では今回は止めておこうか。他の物を考えておこう」
「ああ、うん…」
「そうだ。私と二人でクルージングをしてくれる気にはなったかな?」
「いや、それはまた今度、ね」
「ああ、なんと美しいオリエンタルスマイルだ」
「それは、どうも」
「東洋の神秘的微笑が間近で見られて、私は満足だよ」
テオは海運王メネシス一族の次期当主。
一族は有り余る資産を保有しており、世界的なパトロンでもあった。
彼等が手を差し伸べた無名の芸術家が大成した例は少なくない。
此処、聖アルフォンソ学院にも多額の寄付を行っている。
第三学生寮シュヌーシア寮は、メネシスの寄付で建築されたものだ。
「やっぱり貴方の声でしたか。こんにちは、テオ」
サロンの扉が開いて、ジョシュアが顔を見せた。
「やあ、ジョシュア。お邪魔しているよ。ウーティスの花達を愛でていたんだ」
「…花達? ああ、二人のことですか…」
ジョシュアは、テオの後方から二つの視線に当てられる。
ひとつは「この人、邪魔だから何処かに連れ出して」という冷たい視線、
もうひとつは「助けて、ジョシュア」という救いを求める視線だった。
ジョシュアは、二人の要求は汲み取ったものの、テオは上級生で生徒代表だ。
彼に失礼なことは間違っても言いたくない。
一体どうしたら良いものかと困っていると、テオが口を開いた。
「そうだ。ジョシュア、少し君の時間を貰っても良いかい?」
「ええ…それは構いませんが…?」
「ありがとう。では、失礼するよ、ウーティスの花達」
「あ、うん。またね、テオ」
ほっとしたようにハルヤが返事する。
アンリは何も言わなかった。
その視線は、ジョシュアの額に向けられていた。
テオは、ジョシュアを連れて、寮を出る。
キャンパス内を歩いていると生徒達から、テオに声が掛かる。
その全てに、微笑みながら挨拶を返していた。
「ジョシュア」
「あ、はい」
「今日は生徒代表室に行こうか。静かだからね、あの部屋は」
「でも、俺まで入っても良いんですか?」
「もちろん構わないよ。私が共に居るのだからね」
学生課を横切って進んでいくと、長い廊下が見えた。
「この奥が、生徒代表室なんだよ」
テオの後に続く。二人の歩く音だけが響いている。
まだ日も高いというのに、此処だけひんやりと涼しい気がした。
窓から見えるキャンパスや生徒達。
その日常的な空間から、切り離されているような感覚に襲われた。
「…なんだか、寂しい場所ですね」
自分の声に驚いた。思ったままを口にするなんて。
すぐさま非礼を詫びた。
生徒代表は微笑を浮かべながら、こう言った。
「それは一理あるね。けれども一理でしかないと、私は思うよ」
テオは自信に満ちた声で言った。
その意味を考えている間に、「此処だよ」と言われた。
顔を上げると、荘厳な木製の扉。
一般生徒の立ち入りを許さない重々しさを感じる程だった。
テオは片手で扉を開ける。
「ようこそ、生徒代表室へ」
開かれた扉、その向こうは異様な光景だった。
肖像画が壁に並んでいる。多くの目が自分を見下ろしている。
その数に圧倒され、畏怖すら覚えた。
「私の先輩方だよ」
「こんなに…」
「ああ。歴史が長いようだね、この学院は」
周りを見渡してみると、広い机の上に、
PCが一台と、その傍にアンティークな木製電話があった。
電話の方は、何十年も前から使用されているらしかった。
昔の貴族が使っていたような丸型のシックなデザインだ。
受話口と送話口は鈍い金色で、微かに黒に覆われている。
レトロな代物の隣には、近年に生まれたばかりの文明の箱。
其処には長い時を経た過去と現代が鎮座していた。
「ジョシュア。君は森が好きだったね?」
「あ、はい」
「見てご覧? 此処から見る森も、なかなかのものだよ」
自分より遥かに大きな窓。テオの隣から外を眺める。
眼下に広がる月桂樹の森。
ウーティス寮の自室からもよく見ているが、初めて見る角度だった。
何故だか此処から見る森の方が、より深く、広大に見えた。
「気に入って貰えたかな?」
「ええ…とても」
アルフォンソ王が、ナイチンゲールに導かれて、生まれた森。
彼は此処で、居場所を持ち、そして祖国へと還った。
学院に入学した時に、最初に聞いた伝説は、当時の俺を優しく包んだ。
それからずっと、この月桂樹の森が好きだった。
「迷った時は森に聞け。さすれば自ずと答えが見える」
テオは、そう言って、少し笑う。
窓に背を預けて、一枚の肖像画を眺める。
「クラウスがね、そう言っていたんだ」
「貴方の前の…」
「うん。ドイツ軍人の家系でね、とても生真面目な人だった」
テオはいつもの陽気さを失い、憂いの表情を見せていた。
取り残されたかのような瞳で肖像画を見ていた。
「信じられないよ。彼はもう居なくて、彼の席に私が居るなんて」
テオのこれほど沈んだ声を、ジョシュアは聞いたことがなかった。
皆の前では明るい太陽であるテオ。
恒星の如く、一人で輝くことのできる人だと思っていた。
テオは、クラウスから目を逸らす。
ジョシュアを見た時には、いつもの笑顔に戻っていた。
「すまない。私の独り言など聞かせてしまって」
「いえ…」
「ああ、其処に座ってくれたまえ。
ウーティスの話を聞かせて欲しかったんだ」
「はい」
聖アルフォンソ学院には、第一学生寮ウーティスを始め、
アルファルド、シュヌーシアと三つの寮がある。
それぞれは独立国家のようであり、交流は殆どなかった。
只一人、生徒代表だけが、全ての寮を管轄していた。
各寮では、在籍年数の長い生徒や、最も信頼の厚い生徒が、
自然とその国の長となっていた。
ウーティスに於いて、その役割を担っていたのがジョシュアだった。
生徒代表であるテオは時折こうして、
ジョシュアにウーティスの様子を尋ねてくることがあった。
代表にとっては任務であり、義務的な仕事。
当初は、事細かに寮生達のことを聞かれるのかと覚悟していた。
しかしテオは、まるで世間話をするかのように、
いつも楽しそうにジョシュアの話を聞いていた。
「ハルヤはウーティス寮で元気にやっているかな?」
「ええ。特にレッドとシルヴァンと仲良くしていますよ」
「ああ、そうだ。アンリは? 誰かと揉めていない?」
「大丈夫ですよ」
「ウーティスは個性豊かなのに平和そのもののようだね。
これもジョシュアがまとめてくれているからだな。礼を言うよ。
ウーティスは君が居るから、安心して任せられる」
「いいえ。とんでもない。俺は何も」
「私が、ウーティスで一番気に懸けているのは誰だと思う?」
「東洋の黒い真珠、でしょう?」
「彼は美そのものだからね。私の宝石箱に入れておきたいくらいだ」
「気に入っているんですね、ハルヤのこと」
「ああ。他にも居るがね」
「えっ? アンリですか?」
テオはジョシュアの頬に手を添える。
あたたかい手だった。
「君だよ、ジョシュア」
「俺、ですか?」
「そう、君だ」
小麦色の親指で、ジョシュアの頬を撫でる。
「悲しいよ、私は。君の滑らかな肌が少しでも荒れることは」
そっと手を離す。頬には体温の余韻が残る。
「ジョシュア。近頃、あまり眠れていないね?」
静かながらも断定的な口調。
事実、その通りだった。
「はい…」
「自分が、次の生徒代表候補だと噂されていることが原因かな?」
「ええ。俺に生徒代表なんて大役、相応しくないと思っています」
「相応しいかどうかは、選ばれた時点で認められているのだよ」
「テオ」
「ん?」
「貴方は、生徒代表に指名されて、良かったと思っていますか?」
「無論だよ。おかげで新入生にいち早く会える。私が最も気に入っている仕事だ」
「そうですか」
「願わくば、次の生徒代表にも任期を終える頃には、
私と同じように、満足感を味わって欲しい」
「貴方は強い人なんですね」
「いいや。私は享楽主義なのだよ、先祖代々ね」
世界的パトロンと呼ばれる家系の子息が笑う。
PCから機械的な音が聞こえる。ディスプレイに長髪の男が映った。
「テオー。ミーティング始めよーぜ…って誰か来てんのか?」
学院の専属ドライバー、アイヴィーだった。
ジョシュアも彼の車に乗ったことはあるが、
何故、生徒代表のテオとコンタクトが取れるのか解らなかった。
彼は数多く居るドライバーの一人ではないのか?
これからミーティング? それも定期的に行っているような雰囲気だ。
テオは、ふふと笑って長髪の男に応じる。
「少々タイミングが悪いよ、アイヴィー」
「おいおい、テオ。生徒代表室に美人連れ込んで何してんだよ」
「何もできなかったよ、君のせいで」
「そいつはグッドタイミングだったな」
テオは生徒達と話すのと変わりなく、ドライバーと言葉を交わしていた。
軽口を叩く姿は、生徒と居る時より、親しげにさえ見える。
テオは、ジョシュアを振り返る。
「すまない。仕事のようだ。これから彼に付き合わなくてはならない」
「解りました。それじゃ、失礼します」
「うん。またウーティスに遊びに行かせて貰うよ」
重い扉が閉まる。
ジョシュアの靴音が消えるまで、生徒代表と長髪の男は喋り出さなかった。
生徒代表は、歴代の肖像画を見上げている。視線の先には、一番新しい絵。
PCのディスプレイでは、紫煙が昇っていた。長髪の男は、ゆっくりと煙を吐き出す。
「今の美人が、ジョシュア・グラントだな?」
「ああ。そうだよ」
「次期、生徒代表の最有力候補、か」
「生徒達の間ではそう噂されているようだね」
「テオ。お前はジョシュアが任命されると思っているのか?」
生徒代表は運営組織からの指名制だ。
辺境の王子達の中で、王となるに相応しい者が選ばれる。断ることはできない。
新しい生徒代表の名は、全生徒に公表される日まで、
例え、知っていても生徒代表の口からは言えない。
テオは直接的な回答を避けながらも、こう言った。
「彼ならば、この聖アルフォンソ学院を立派に引き継いでくれると確信してるよ」
「へえ。お前さんが言うなら、間違いないな」
「全てを知らされるというのは、時に酷なものだね」
「世の中には、知らない方が幸せなことってあるからな」
「ああ。だから、君の存在はありがたかったよ。同じ立場の人間だからね、君も」
テオは、アイヴィーを正面から見つめる。
「聖アルフォンソ学院理事会、直轄の警備組織。
その責任者が、君のように愉快な人物でね。お気楽者同士、気が合ったせいかな」
「そいつは光栄だな。俺達の総帥にそんなこと言って貰えちゃうと」
アイヴィーの軽口に微笑む。
このように楽しい時間も、残り少ないことが残念に思えた。
肖像画を見上げる。其処に前年度の生徒代表が居る。
クラウス。君も最後は、こんな寂寞たる想いに駆られたかい?
「アイヴィー。私からの最後のお願いだよ」
肖像画を見つめたまま、テオは静かに告げた。
「私の時以上に優しくしてやってくれ。彼は私と違って繊細だからね」
その言葉は暗に、次期生徒代表の名を告げていた。
それから数か月。
現在、生徒代表室の席にはジョシュアが座っている。
ジョシュアは、いつかテオが言っていた独り言を思い出していた。
貴方はもう、此処には居ない。
貴方が座っていた席に、今は俺が座っている。
今でも、本当に俺が生徒代表で良かったのかと不安に思う。
俺に、貴方の後継ぎが務まっているだろうか。
ハルヤはテオの肖像画を懐かしげに見ている。
「テオ、元気かなあ?」
「うん。彼ならきっと」
「天気の良い日はさ、やっぱ海をクルーズしてんのかな?」
「そうかもしれないね。彼は太陽と海を愛していたから」
「あ。そう言えば、俺…」
「どうしたの、ハルヤ?」
「テオにね、二人でクルーズしようって随分言われてたんだけど、
俺、面倒だったし、船って酔いそうだったから、断ってたんだよね。
それで結局、一回も実現しないまま卒業させちゃったなあ、と思って…」
テオを見つめる目は、少し悔恨の色が滲んでいた。
申し訳無さそうに視線を逸らして、呟く。
「一回くらい、言うこと聞いてあげれば良かったな」
ジョシュアは、テオの代わりに言わなくてはと思った。
きっとこれも生徒代表の仕事だ。こほんと咳払いする。
「ありがとう。そう言ってくれるだけで私は満足だよ、東洋の黒い真珠」
振り返ったハルヤに、ジョシュアは微笑した。
「テオなら、きっと、こう言うんじゃないかな?」
「ん。そうかも」
「…東洋の黒い真珠、か」
「どうしたの、ジョシュア?」
「本当、ハルヤにぴったりだなと思ってね。神秘的で美しいから」
「やっ…ジョシュアまで、テオみたいなこと言わないでよ…」
「なんだかテオの気持ちが解った気がする。
可愛い君が見たかったんだね、テオは。
東洋の黒い真珠と呼ばれると、君はそうやって困ったり、照れたりするから」
「ちょっと、ジョシュア…」
「ごめん。これ以上言うと、テオにも怒られてしまいそうだね」
二人はもう一度、肖像画を見上げる。
テオは、太陽のように笑っていた。
今も何処かで、こんな笑顔を見せている、そんな気がした。
fin
サロンから出たハルヤは、玄関へ向かう後姿を見掛けた。
腕時計を覗いてみる。
夜9時半。これから出掛けるにしては遅い時間だ。
後姿を追ってみると、緑翠の髪が見えた。
「ジョシュア? 何処行くの?」
「ああ、ハルヤ。ちょっと、生徒代表室にね」
「こんな時間に仕事? 大変なんだね…」
「ああ、違うんだよ。本を忘れてきたみたいでね、すぐに戻るよ」
「そっか…なら良いんだけど…」
「どうしたの?」
「あ。そう言えば、生徒代表室って入ったことないなと思って…」
「そうだね。普通は入る機会のない部屋だから」
ジョシュアは、口許に手をあてる。
二時間前まで居た生徒代表室の様子を思い出す。
机の上に機密書類を置いていないか、綺麗に片付けてきたか。
普段から散らかすようなことはないのだが、念の為の確認だった。
一般生徒の目に触れてはならないもの。
あの部屋には、そればかりが詰まっているのだから。
「ハルヤ、見てみるかい? 生徒代表室」
「良いの? 俺、生徒代表じゃないのに?」
「大丈夫だよ。今日はもう誰も来ないから。一緒に行こうか」
学生課棟。
ジョシュアは、ハルヤを連れて一番奥の部屋へと向かう。
この時間では課の職員も一人も居なかった。
長い廊下には、二人の歩く音だけが寂しく響いている。
夜の校舎は、少し怖い。
特にこの廊下は、独特の孤独感が漂っている。
ハルヤも同じ感想を抱いたのか、俺に一歩近付いてきた。
「あのさ、生徒代表室でいつもどんなことしてるの?」
「そうだね…学院の運営委員との会議があったり、
トップシークレットの資料を読む時に使うことが多いかな。
後は、静かだからね、考え事をしたい時とか」
「考え事…?」
「うん。色々と、ね」
それ以上、ハルヤは聞いてこなかった。
重厚な扉の前に立つ。
「さあ、此処だよ」
ジョシュアが生徒代表室の扉を開ける。
おずおずと入ったハルヤは息を飲んだ。
「うわ…美術館みたい…」
部屋の壁を取り囲むように、肖像画が飾られていた。
ジョシュアは扉を閉め、靴音を響かせながらハルヤの傍に立つ。
「歴代の生徒代表達だよ。あちらから就任した順に並んでいるんだ」
手で示されたものは、相当古い絵のようだった。
元は白だったらしい背景はすっかり色褪せている。
セピアの色合いが長い時を重ねていることを示唆していた。
ハルヤは肖像画を見上げながら、部屋をくるりと見渡す。
学院の歴史の長さを感じずにはいられなかった。
これほど多くの生徒代表達によって、学院が維持、運営されてきたのだと。
「いつか、ジョシュアも此処に飾られるんだね」
「うん。俺は此処に、ね」
現在の生徒代表は、自分の席となる場所を指差す。
一番新しい絵、その隣だった。
ハルヤは、知っている顔を見つけた。
「あ、テオだ」
ジョシュアの前に生徒代表だったテオ・メネシス。
黄金に波打つ髪質で、テオの髪は歩く度に輝いていた。
太陽と海を愛する彼は、褐色の肌がよく似合った。
ギリシャにある実家からは、船やヨットを持ち込んで、
休日には聖アルフォンソ島をクルーズして楽しんでいた。
太陽のように笑う人で、彼が生徒代表の頃は、
まさに、聖アルフォンソ学院の太陽と言っても過言ではなかった。
ハルヤは、テオの顔を見ながら、くすりと笑う。
「おっかしな人だったよねー。ねえ、テオって昔からああいう人?」
「ああいうって?」
「誰にでも美しいとか言う人なんでしょ?
日本には居ないタイプだからさ、最初はほんと、びっくりしちゃったよ」
「テオは、ハルヤのこと気に入っていたからね」
「アジア顔が珍しかったのかなあ」
いつも機嫌の良い人だった。本人曰く、享楽主義。
その瞳に映るものは、彼には全てが眩しく映るらしかった。
彼自身も、周囲を明るく照らすように陽気な人だった。
「君は『東洋の黒い真珠』だね」
ハルヤの入学初日に、テオに付けられた呼び名。
新入生の第一目は、生徒代表の学院案内から始まる。
ハルヤを案内したのは、当時の生徒代表、テオ・メネシスだった。
それからテオは、折に触れてはウーティス寮のハルヤに会いに来た。
自分はシュヌーシア寮であるにも関わらず。
ウーティスのサロンで、ハルヤがアンリと紅茶を飲んでいると、
アンリは突然、ふう、と溜め息を吐いた。
「ハルヤ。生徒代表のお出ましのようだよ?」
間もなく、扉が盛大に開かれた。
黄金の髪に小麦色の肌を持つ生徒代表は、
アンリとハルヤを見るなり、笑顔が全開になった。
「これはこれは。美しい君達が揃うと、まるで一枚の絵画のようだね!」
「…ごきげんよう、生徒代表。相変わらず賑やかな人だね」
「君も相変わらず妖艶だね、その氷の微笑は」
冷笑をむしろ嬉しそうに受け止め、満足気に二人を眺める。
「ああ、いっそ君達を額縁に入れて、私の部屋に飾っておきたいくらいだよ!」
ハルヤは、あはは、と苦笑いを浮かべる。
アンリは最上級生に対して、口には出していないものの、
その顔には「煩いな」と書かれているのがハルヤにも見て取れた。
一向に気にしていないテオは、意気揚々とハルヤの傍に寄る。
「やあ。今日も麗しいね、東洋の黒い真珠」
「こ、こんちは。テオ」
「今度、デッド・プリンスのライブがあるそうだね」
「あ、うん。よく知っているね」
「もちろん。私は熱烈なファンだからね。ライブには必ず伺うよ」
「あ、ありがと」
「ライブの時に、君に渡す薔薇の花束を持っていくね?」
「あのっ、そんな、気使わなくていいから」
「遠慮することはないのだよ? あ、薔薇ではない方が良かったかい?」
「いや、そういう意味じゃなくって…」
「東洋の黒い真珠は、どんな花が好きなのかな?」
「えっと…うちのライブに花束持ってくる人、居ないから…」
「そうなのかい? では今回は止めておこうか。他の物を考えておこう」
「ああ、うん…」
「そうだ。私と二人でクルージングをしてくれる気にはなったかな?」
「いや、それはまた今度、ね」
「ああ、なんと美しいオリエンタルスマイルだ」
「それは、どうも」
「東洋の神秘的微笑が間近で見られて、私は満足だよ」
テオは海運王メネシス一族の次期当主。
一族は有り余る資産を保有しており、世界的なパトロンでもあった。
彼等が手を差し伸べた無名の芸術家が大成した例は少なくない。
此処、聖アルフォンソ学院にも多額の寄付を行っている。
第三学生寮シュヌーシア寮は、メネシスの寄付で建築されたものだ。
「やっぱり貴方の声でしたか。こんにちは、テオ」
サロンの扉が開いて、ジョシュアが顔を見せた。
「やあ、ジョシュア。お邪魔しているよ。ウーティスの花達を愛でていたんだ」
「…花達? ああ、二人のことですか…」
ジョシュアは、テオの後方から二つの視線に当てられる。
ひとつは「この人、邪魔だから何処かに連れ出して」という冷たい視線、
もうひとつは「助けて、ジョシュア」という救いを求める視線だった。
ジョシュアは、二人の要求は汲み取ったものの、テオは上級生で生徒代表だ。
彼に失礼なことは間違っても言いたくない。
一体どうしたら良いものかと困っていると、テオが口を開いた。
「そうだ。ジョシュア、少し君の時間を貰っても良いかい?」
「ええ…それは構いませんが…?」
「ありがとう。では、失礼するよ、ウーティスの花達」
「あ、うん。またね、テオ」
ほっとしたようにハルヤが返事する。
アンリは何も言わなかった。
その視線は、ジョシュアの額に向けられていた。
テオは、ジョシュアを連れて、寮を出る。
キャンパス内を歩いていると生徒達から、テオに声が掛かる。
その全てに、微笑みながら挨拶を返していた。
「ジョシュア」
「あ、はい」
「今日は生徒代表室に行こうか。静かだからね、あの部屋は」
「でも、俺まで入っても良いんですか?」
「もちろん構わないよ。私が共に居るのだからね」
学生課を横切って進んでいくと、長い廊下が見えた。
「この奥が、生徒代表室なんだよ」
テオの後に続く。二人の歩く音だけが響いている。
まだ日も高いというのに、此処だけひんやりと涼しい気がした。
窓から見えるキャンパスや生徒達。
その日常的な空間から、切り離されているような感覚に襲われた。
「…なんだか、寂しい場所ですね」
自分の声に驚いた。思ったままを口にするなんて。
すぐさま非礼を詫びた。
生徒代表は微笑を浮かべながら、こう言った。
「それは一理あるね。けれども一理でしかないと、私は思うよ」
テオは自信に満ちた声で言った。
その意味を考えている間に、「此処だよ」と言われた。
顔を上げると、荘厳な木製の扉。
一般生徒の立ち入りを許さない重々しさを感じる程だった。
テオは片手で扉を開ける。
「ようこそ、生徒代表室へ」
開かれた扉、その向こうは異様な光景だった。
肖像画が壁に並んでいる。多くの目が自分を見下ろしている。
その数に圧倒され、畏怖すら覚えた。
「私の先輩方だよ」
「こんなに…」
「ああ。歴史が長いようだね、この学院は」
周りを見渡してみると、広い机の上に、
PCが一台と、その傍にアンティークな木製電話があった。
電話の方は、何十年も前から使用されているらしかった。
昔の貴族が使っていたような丸型のシックなデザインだ。
受話口と送話口は鈍い金色で、微かに黒に覆われている。
レトロな代物の隣には、近年に生まれたばかりの文明の箱。
其処には長い時を経た過去と現代が鎮座していた。
「ジョシュア。君は森が好きだったね?」
「あ、はい」
「見てご覧? 此処から見る森も、なかなかのものだよ」
自分より遥かに大きな窓。テオの隣から外を眺める。
眼下に広がる月桂樹の森。
ウーティス寮の自室からもよく見ているが、初めて見る角度だった。
何故だか此処から見る森の方が、より深く、広大に見えた。
「気に入って貰えたかな?」
「ええ…とても」
アルフォンソ王が、ナイチンゲールに導かれて、生まれた森。
彼は此処で、居場所を持ち、そして祖国へと還った。
学院に入学した時に、最初に聞いた伝説は、当時の俺を優しく包んだ。
それからずっと、この月桂樹の森が好きだった。
「迷った時は森に聞け。さすれば自ずと答えが見える」
テオは、そう言って、少し笑う。
窓に背を預けて、一枚の肖像画を眺める。
「クラウスがね、そう言っていたんだ」
「貴方の前の…」
「うん。ドイツ軍人の家系でね、とても生真面目な人だった」
テオはいつもの陽気さを失い、憂いの表情を見せていた。
取り残されたかのような瞳で肖像画を見ていた。
「信じられないよ。彼はもう居なくて、彼の席に私が居るなんて」
テオのこれほど沈んだ声を、ジョシュアは聞いたことがなかった。
皆の前では明るい太陽であるテオ。
恒星の如く、一人で輝くことのできる人だと思っていた。
テオは、クラウスから目を逸らす。
ジョシュアを見た時には、いつもの笑顔に戻っていた。
「すまない。私の独り言など聞かせてしまって」
「いえ…」
「ああ、其処に座ってくれたまえ。
ウーティスの話を聞かせて欲しかったんだ」
「はい」
聖アルフォンソ学院には、第一学生寮ウーティスを始め、
アルファルド、シュヌーシアと三つの寮がある。
それぞれは独立国家のようであり、交流は殆どなかった。
只一人、生徒代表だけが、全ての寮を管轄していた。
各寮では、在籍年数の長い生徒や、最も信頼の厚い生徒が、
自然とその国の長となっていた。
ウーティスに於いて、その役割を担っていたのがジョシュアだった。
生徒代表であるテオは時折こうして、
ジョシュアにウーティスの様子を尋ねてくることがあった。
代表にとっては任務であり、義務的な仕事。
当初は、事細かに寮生達のことを聞かれるのかと覚悟していた。
しかしテオは、まるで世間話をするかのように、
いつも楽しそうにジョシュアの話を聞いていた。
「ハルヤはウーティス寮で元気にやっているかな?」
「ええ。特にレッドとシルヴァンと仲良くしていますよ」
「ああ、そうだ。アンリは? 誰かと揉めていない?」
「大丈夫ですよ」
「ウーティスは個性豊かなのに平和そのもののようだね。
これもジョシュアがまとめてくれているからだな。礼を言うよ。
ウーティスは君が居るから、安心して任せられる」
「いいえ。とんでもない。俺は何も」
「私が、ウーティスで一番気に懸けているのは誰だと思う?」
「東洋の黒い真珠、でしょう?」
「彼は美そのものだからね。私の宝石箱に入れておきたいくらいだ」
「気に入っているんですね、ハルヤのこと」
「ああ。他にも居るがね」
「えっ? アンリですか?」
テオはジョシュアの頬に手を添える。
あたたかい手だった。
「君だよ、ジョシュア」
「俺、ですか?」
「そう、君だ」
小麦色の親指で、ジョシュアの頬を撫でる。
「悲しいよ、私は。君の滑らかな肌が少しでも荒れることは」
そっと手を離す。頬には体温の余韻が残る。
「ジョシュア。近頃、あまり眠れていないね?」
静かながらも断定的な口調。
事実、その通りだった。
「はい…」
「自分が、次の生徒代表候補だと噂されていることが原因かな?」
「ええ。俺に生徒代表なんて大役、相応しくないと思っています」
「相応しいかどうかは、選ばれた時点で認められているのだよ」
「テオ」
「ん?」
「貴方は、生徒代表に指名されて、良かったと思っていますか?」
「無論だよ。おかげで新入生にいち早く会える。私が最も気に入っている仕事だ」
「そうですか」
「願わくば、次の生徒代表にも任期を終える頃には、
私と同じように、満足感を味わって欲しい」
「貴方は強い人なんですね」
「いいや。私は享楽主義なのだよ、先祖代々ね」
世界的パトロンと呼ばれる家系の子息が笑う。
PCから機械的な音が聞こえる。ディスプレイに長髪の男が映った。
「テオー。ミーティング始めよーぜ…って誰か来てんのか?」
学院の専属ドライバー、アイヴィーだった。
ジョシュアも彼の車に乗ったことはあるが、
何故、生徒代表のテオとコンタクトが取れるのか解らなかった。
彼は数多く居るドライバーの一人ではないのか?
これからミーティング? それも定期的に行っているような雰囲気だ。
テオは、ふふと笑って長髪の男に応じる。
「少々タイミングが悪いよ、アイヴィー」
「おいおい、テオ。生徒代表室に美人連れ込んで何してんだよ」
「何もできなかったよ、君のせいで」
「そいつはグッドタイミングだったな」
テオは生徒達と話すのと変わりなく、ドライバーと言葉を交わしていた。
軽口を叩く姿は、生徒と居る時より、親しげにさえ見える。
テオは、ジョシュアを振り返る。
「すまない。仕事のようだ。これから彼に付き合わなくてはならない」
「解りました。それじゃ、失礼します」
「うん。またウーティスに遊びに行かせて貰うよ」
重い扉が閉まる。
ジョシュアの靴音が消えるまで、生徒代表と長髪の男は喋り出さなかった。
生徒代表は、歴代の肖像画を見上げている。視線の先には、一番新しい絵。
PCのディスプレイでは、紫煙が昇っていた。長髪の男は、ゆっくりと煙を吐き出す。
「今の美人が、ジョシュア・グラントだな?」
「ああ。そうだよ」
「次期、生徒代表の最有力候補、か」
「生徒達の間ではそう噂されているようだね」
「テオ。お前はジョシュアが任命されると思っているのか?」
生徒代表は運営組織からの指名制だ。
辺境の王子達の中で、王となるに相応しい者が選ばれる。断ることはできない。
新しい生徒代表の名は、全生徒に公表される日まで、
例え、知っていても生徒代表の口からは言えない。
テオは直接的な回答を避けながらも、こう言った。
「彼ならば、この聖アルフォンソ学院を立派に引き継いでくれると確信してるよ」
「へえ。お前さんが言うなら、間違いないな」
「全てを知らされるというのは、時に酷なものだね」
「世の中には、知らない方が幸せなことってあるからな」
「ああ。だから、君の存在はありがたかったよ。同じ立場の人間だからね、君も」
テオは、アイヴィーを正面から見つめる。
「聖アルフォンソ学院理事会、直轄の警備組織。
その責任者が、君のように愉快な人物でね。お気楽者同士、気が合ったせいかな」
「そいつは光栄だな。俺達の総帥にそんなこと言って貰えちゃうと」
アイヴィーの軽口に微笑む。
このように楽しい時間も、残り少ないことが残念に思えた。
肖像画を見上げる。其処に前年度の生徒代表が居る。
クラウス。君も最後は、こんな寂寞たる想いに駆られたかい?
「アイヴィー。私からの最後のお願いだよ」
肖像画を見つめたまま、テオは静かに告げた。
「私の時以上に優しくしてやってくれ。彼は私と違って繊細だからね」
その言葉は暗に、次期生徒代表の名を告げていた。
それから数か月。
現在、生徒代表室の席にはジョシュアが座っている。
ジョシュアは、いつかテオが言っていた独り言を思い出していた。
貴方はもう、此処には居ない。
貴方が座っていた席に、今は俺が座っている。
今でも、本当に俺が生徒代表で良かったのかと不安に思う。
俺に、貴方の後継ぎが務まっているだろうか。
ハルヤはテオの肖像画を懐かしげに見ている。
「テオ、元気かなあ?」
「うん。彼ならきっと」
「天気の良い日はさ、やっぱ海をクルーズしてんのかな?」
「そうかもしれないね。彼は太陽と海を愛していたから」
「あ。そう言えば、俺…」
「どうしたの、ハルヤ?」
「テオにね、二人でクルーズしようって随分言われてたんだけど、
俺、面倒だったし、船って酔いそうだったから、断ってたんだよね。
それで結局、一回も実現しないまま卒業させちゃったなあ、と思って…」
テオを見つめる目は、少し悔恨の色が滲んでいた。
申し訳無さそうに視線を逸らして、呟く。
「一回くらい、言うこと聞いてあげれば良かったな」
ジョシュアは、テオの代わりに言わなくてはと思った。
きっとこれも生徒代表の仕事だ。こほんと咳払いする。
「ありがとう。そう言ってくれるだけで私は満足だよ、東洋の黒い真珠」
振り返ったハルヤに、ジョシュアは微笑した。
「テオなら、きっと、こう言うんじゃないかな?」
「ん。そうかも」
「…東洋の黒い真珠、か」
「どうしたの、ジョシュア?」
「本当、ハルヤにぴったりだなと思ってね。神秘的で美しいから」
「やっ…ジョシュアまで、テオみたいなこと言わないでよ…」
「なんだかテオの気持ちが解った気がする。
可愛い君が見たかったんだね、テオは。
東洋の黒い真珠と呼ばれると、君はそうやって困ったり、照れたりするから」
「ちょっと、ジョシュア…」
「ごめん。これ以上言うと、テオにも怒られてしまいそうだね」
二人はもう一度、肖像画を見上げる。
テオは、太陽のように笑っていた。
今も何処かで、こんな笑顔を見せている、そんな気がした。
fin
■アイヴィー×ハルヤ
■コミックスベース
----------------------
■コミックスベース
----------------------
「アイヴィー。おなかすいた…」
受話器から聞こえたハルヤの声は、
続けて腹の虫が聞こえてきそうなくらい切実なものだった。
聖アルフォンソ島 南西部の海岸。
切りだった崖の上にあるコテージ。
アイヴィーの自宅は海が見えた。
窓からは潮風が入り、ふわりと金髪を撫でられる。
今日は久し振りにオフだった。
まだ海も青い午後4時。海を見ながら煙草を咥えていた。
学院の通信室から、直接電話が入った。
出てみれば、騒がしいデッド・プリンスの中で唯一大人しいプリンス。
開口一番、空腹を告げられて苦笑せざるを得ない。
左手に持っていた煙草の灰を、ぽとりと灰皿にと落とす。
「俺に言うことかよ。お前んとこには、腕の良いシェフが居るだろーが」
「アイヴィーのご飯が食べたいから、電話してるんだよ」
「俺んちはピザ屋かよ。デリバリーは、やってねーぞ」
「だから、俺がそっちに行くってば。ねえ。迎えに来て、すぐに。
俺、おなかすいて…もうだめかも」
「死にそうな声、出してんじゃねえよ。わーったよ、行けばいーんだろ」
「よかった、ありがと。じゃあ死なないで待ってる。あ。ついでにさ」
「ん?」
「今夜はアイヴィーんち、泊まってもいい?」
「なんで?」
「ご飯食べた後に帰るの面倒だから。じゃ、正門前でね」
車で迎えに行ってみれば、既に待っていた。
肩を落とし、本当に『おなかすいた』オーラを全身に纏ってた。
腹ぺこ王子を車に乗せる。
「最近アイヴィー捕まらなかったからさ…俺、ガマンしてたんだよ?」
「俺のなんか恋しがってんじゃねえよ」
「だって好きなんだもん」
「ったく。あ、スーパーに寄るからな?」
自宅に戻る前に、スーパーで降りた。
大抵のものは揃うし、島の特産フルーツなんかも売ってる。
家を出て来る時に冷蔵庫を覗いたら、特に何もなかったし、
腹ぺこ王子は、この華奢な身体で俺の3倍は軽く食うから。
カゴを持つ俺の後ろを、ハルヤが付いて来る。
その目は空腹のせいかちょっと虚ろで、
目に映る食べ物にふらっと手を伸ばさないか心配になる。
「ハルヤ。なんか食べたいもん、あんのか?」
「アイヴィーの作るものなら何でもいいよ」
それより早く、というメッセージに聞こえた。
早々に買い物を済ませた方が良さそうだ。丁度、目に映った完熟トマト。
結構美味そうだったから、幾つかカゴに入れる。それで大体メニューが決まった。
スーパーを一回りしながら、俺がポンポンと
カゴに放り込むのをハルヤは黙って見ていた。
この食材で何ができるのだろうと想像しているのか、
それとも腹が減り過ぎて、もう何も考えられないのかもしれない。
「あっ、アイヴィー」
急にシャツを引っ張られた。
「ね。これ、買って欲しいんだけど…ダメ、かな?」
ハルヤの手には緑の箱。
グリーンティのティーパックだった。
買い物を済ませ、自宅に着いた。家の前で一度車を停める。
「ハルヤ。先行って入ってな」
「うん」
ハルヤに家のカギを渡し、先に降ろす。
車庫に向かう。アイヴィーが保有している車は三台。
仕事用の黄色いタクシーの他、自分用に二台持っていた。
車から降り、スーパーの紙袋を抱えて、我が家に向かう。
海の匂いがした。
丁度、海に夕陽が沈んでいくところだった。
沖の方はロゼワインのような淡いピンク、
浜辺の方は貴腐ワインのような琥珀色に輝いていた。
俺はもうすっかり見慣れた景色だが、
ハルヤは「わあ…」と感嘆の声を漏らしていた。
その頭をぽんと叩いて、ドアを開けさせる。
俺んちは非常にシンプルな作りになってる。悪く言えば殺風景。
俺にとっては居心地の良い場所だった。
PCと電話があるテーブルは仕事用の空間だ。
一番スペース取ってんのは音楽機材。俺の趣味だ。
習慣的にラジオを付ける。流れてきたのはジャズだった。
ハルヤが来ているから、少しボリュームを下げる。
キッチンテーブルに紙袋を置き、早速料理に取り掛かる。
紙袋の中から、緑の箱を取り出す。
ハルヤが欲しがったグリーンティだ。
「ハルヤ。これで、しのいでろ」
キッチンからリビングに向かって箱を投げる。
箱は弧を描いて、ソファに居るハルヤの膝元に届いたのだが、
眼鏡の王子は取り損なって落としていた。
足許に落ちた箱を拾って、自分でお茶の準備をする。
ポットの場所も、カップがある場所もハルヤは知っていた。
俺は鍋に水を入れ、火を付ける。
沸くまでの間に、野菜を洗い始めた。
「そういや、ハルヤが一人でうちに来るなんて久し振りだな」
「うん。そうだね。いつもは三人で来るから」
ハルヤは、レッドとシルヴァンとバンドを組んでいた。
デッド・プリンス。
そのバンド名を知らない島民は居ないくらいだった。
マージナルプリンスのバンド。
島民にとっては、それだけでも希少価値だったが、
実力の伴う歌唱力とその派手さに、一躍、島の人気者となっていた。
この三人は、どういうわけか俺んちによく遊びに来る。
俺が家を空けている時でさえ、勝手に入ってた時もあった。
「お前、今日はあいつらとケンカでもしたのか?」
「まさか。ケンカになんないよ、俺達じゃ」
デッド・プリンスは個性がバラバラだ。
音楽性の不一致で解散したバンドは幾つも聞いたが、
こいつらの場合は、最初っから音楽性が一致していなかった。
しかし、それが上手く新しい音楽を生み出していた。
性格の上でも三人は個性が揃っていないからこそ、相性が良いようだった。
どちらかと言えばハイテンションな二人に、ローテンションなハルヤ。
彼が居ることで、一種の中和剤の役割を果たしているようだった。
なんでか、わざわざ俺んちに来て、よくライブの曲選びをしている。
俺に晩メシを作らせている間に、三人がミーティングをしていた。
先ずは、レッドとシルヴァンがマシンガンのように意見を放つところから始まる。
次に、ぎゃいぎゃい言いながら、遠慮なく意見を戦わせる。
その間、ハルヤはまるで話を聞いていないかのように、お茶を飲んでいたりする。
自己主張合戦が難航し、二人の口数が少なくなった頃。
「あのさ」と、お茶を飲み終わったハルヤが、ぽつんと言葉を零す。
その意見は、二人が納得するような中立案。
双方の主張を汲んだ、最も望ましい意見だったりする。
それから先は、サクサクと話がまとまっていく。
ミーティングが無事に終わると、
三人は揃って「腹減ったー」とばたばた騒ぎ出す。
俺は、その前に料理を作り終えなくてはならなかった。
こいつらは、いつもこんなかんじで。
誰が欠けても成り立たない、ある意味、理想的なメンバーらしかった。
デッド・プリンスのリーダーは誰の目にもレッドだと映るようだが、
事実上、影で均衡を保っているのは、この眼鏡の王子かもしれなかった。
もちろん、本人は全く気付いていない。
それが解っているのは、せいぜい俺とシルヴァンくらいだろう。
リビングを覗くと、ハルヤは今日も両手でマグカップを口に運んでいた。
俺は、茹で上がったパスタを大皿に盛る。
それに、トマト、バジル、モッツァレラチーズを乗せた。
フライパンからはガーリックの香り。
オリーブオイルで炒めた狐色のガーリックソースをパスタに和える。
ソースの熱で、チーズの端が溶け、とろりと丸みを帯びていく。
「ハルヤ、ひとつできたから持って行け。先に食べてな」
「うんっ」
元気良く返事して、カップをテーブルに置く。
できたてのパスタを受け取り、リビングのローテーブルに運ぶ。
ハルヤは両手を合わせて、日本語で何か言ってから、食べ始めた。
それから、幾つかの料理を作った。
一仕事終えた俺は、ポケットから煙草を出して、口に銜える。
リビングに入るとハルヤは俺に目を合わさずに、俺の料理を食っている。
17歳よりずっと子供に見えて、つい笑い声が漏れた。
ハルヤが顔を上げる。
「あ、アイヴィー。このパスタ、すっごい美味しかったよ」
「良かったな」
「あれ? アイヴィーは食べないの?」
「後で少し食べるかもな。作ってるだけで胸やけするくらい大量だからな」
「じゃあ、このパスタ、全部食べてもいい?」
「…よく食えんな、お前。またソクーロフの世話になんじゃねーのか?」
「大丈夫。アイヴィーのご飯では、お腹壊したことないから」
「あっそ」
以前ソクーロフが言っていた言葉を思い出した。
「ハルヤは、精神力が非常に強い子だ」と。
自身の思想が、身体をコントロールする力が突出しているらしい。
しかし、その力を本人が自覚しておらず、
また発展途上の為に意識的な制御にはなっていない。
つまりハルヤは無意識に、その身体を操っている。
現状では、プラスにもマイナスにも作用する両刃の剣と成り得る。
ハルヤが可笑しな思い込みをしないよう気を付けてやることだ。
そうドクターに言われていた。
今ハルヤが断言した「俺のメシでは腹を壊さない」という自論。
何の根拠もないその確固たる自信が、
例え、生物学的には考えられないことであっても、
ハルヤの身体を、自論の通り統制しているらしい。
「んなことあんのかよ」とドクターに尋ねたが、
「とある実験にて、既に検証済みだ」と返された。
ハルヤの身体使ってどんな実験したんだよ、あの変態。
「あっ」
まるで宝物を見つけたかのような声が上がった。
「見て? このトマト、繋がってる」
サラダに入っていた輪切りのトマト。
ハルヤのフォークには、切れていなかったトマトが3つぶら下がっていた。
俺は紫煙を吐き出す。
「悪かったな、へたくそで」
「ううん。俺、こういうとこ好きなんだ、アイヴィーの料理って」
大事そうに、繋がったトマトを自分の皿に入れた。
俺が作ったのはフツーのサラダだ。
手でちぎったレタスと、不恰好に切ったトマトに、
ツナ缶とコーン缶をざーっと入れた。
味付けは塩とブラックペッパー。それらをボールの中で混ぜただけ。
テーブルに並んでいる他のパスタも肉野菜炒めも、
調理法は至って煩雑なものだった。
パスタの皿には、真っ黒に焦げたガーリックも乗っていた。
どれも見た目の悪い料理を、うちに遊びに来るデッド・プリンスどもは、
いつも喜んで平らげていった。大量に作るのに、残されたことは一度もなかった。
「俺なんかのへたくそ料理のどこがイイんだか」
「だって、繋がったトマトなんて、寮の料理じゃ絶対ないもん。
一流シェフの料理しか出てこないからさ。
味はもちろん美味しいんだけど、なんか完璧過ぎちゃって、
人が作ったってかんじがしないっていうか。でもアイヴィーのごはんは、
アイヴィーが作ってくれたんだな、ってかんじがするんだ」
ハルヤは両手で笑顔を支えながら、サラダボールを眺めている。
「綺麗な盛り付けなんかしてないし、
切り方も全然揃ってないし…でも、味は美味しくてさ。
なんかね、ほっとするんだ。だから時々すごく食べたくなっちゃう。
俺、大好きだよ、アイヴィーが作ってくれたごはん。
…あ。あの、すごく褒めてるつもりなんだけど…怒った?」
「ばーか。その言葉、カミーユが聞いたら泣くぜ?
あんだけ尽くさせておいて。ヒドイ男だな、お前は」
カミーユ・ルブラン。ウーティス寮のシェフ。得意料理はフレンチだが、
ハルヤのリクエストに答えてアボカドマグロ丼を作った。
ハルヤのこだわりは相当だったようで、何度も作り直させたらしい。
ルブランが用意した超高級食材を却下して、敢えて質を落とすよう頼んだ。
母親が作った味を再現する為に。
ハルヤは繋がったトマトを3つ食べ終える。
「カミーユには感謝してるよ。でもやっぱ、俺はアイヴィーの方が好きだな」
「今度、街で会ったら言ってやろー」
「あ、それはだめっ! カミーユには言わないでっ」
「言えるかよ。あいつド真面目な努力家だからな、言ったらマジで泣くぜ」
ささやかながらも楽しい食卓が終わると、
ハルヤは自ら進んで皿洗いを始めた。
「俺は料理うまくないし、このくらいしかできないから」と食器を運んだ。
あの月桂樹の館には、皿洗い自体したことがない生徒の方が多い。
食事の用意はその家専属のシェフが行う。それがざらな世界だ。
マージナルプリンスどもの中で、ハルヤは家事に関して相当『できる』方だろう。
煙草を吹かしながら、リビングで食後の一服を楽しむことにする。
キッチンに立つハルヤの後姿が見える。
キュッキュッと食器を洗うスポンジの音は、
マイペースでのんびりとしたテンポだった。
俺は思わず呟く。
「絶景だなあ」
キッチンから相鎚が聞こえてくる。
「海見えるもんね、ここ」
「ちげーよ。キッチンに立ってるお前を見てっと、
なんか新妻を貰ったみたいだなって思ったんだよ」
「に、新妻!?」
「ガッコを卒業したら、俺がヨメに貰ってやってもいいぜ?」
食器の音が止まる。水道から水が流れる音だけが響いた。
「なあっ! お前用にフリフリのエプロン買ってやろっか?」
「あ。それなら持ってる」
「持ってるっ!?」
「うん。ピンクのだけど」
「…今度うちに来る時は、ゼヒ持って来い」
「服汚すと困るから? 俺、別に気にしないよ?」
「いや、気になるから。今すげー気になってるから」
食後の一服が終わる。
吸殻を灰皿に押し付ける。先端の黒い灰が、音無く崩れた。
窓の外から見える海も闇の色。
沖の方にある灯台の光だけが、ぼんやり海を照らしている。
「お前、腹いっぱいになって満足したか?」
「うん。すっごく美味しかった。ありがと」
「じゃ、次は俺の番だな。そろそろデザートにするか」
「えっ? アイヴィー、デザートも作れるようになったの?」
「まあな。スウィートな方がお好みかい?」
「えっと…俺、あんまり甘いのは食べられないんだけど…」
「なら、今日はちょいと刺激的にするか」
部屋の明かりを消す。
窓の向こうには、灯台の明かりが見える。
真っ暗になった部屋からは、きょとんとした声が聞こえる。
「ねえ、アイヴィー、なんで電気消したの? デザートは?」
「焦んなって。これからゆっくり料理してやっから」
「ん? ちょっと、アイ…」
漆黒の海に、一筋の光が浮かんでいる。
闇夜にだけ現れる幻想的な光の橋だ。
「……ん。ウマイ♪」
fin
受話器から聞こえたハルヤの声は、
続けて腹の虫が聞こえてきそうなくらい切実なものだった。
聖アルフォンソ島 南西部の海岸。
切りだった崖の上にあるコテージ。
アイヴィーの自宅は海が見えた。
窓からは潮風が入り、ふわりと金髪を撫でられる。
今日は久し振りにオフだった。
まだ海も青い午後4時。海を見ながら煙草を咥えていた。
学院の通信室から、直接電話が入った。
出てみれば、騒がしいデッド・プリンスの中で唯一大人しいプリンス。
開口一番、空腹を告げられて苦笑せざるを得ない。
左手に持っていた煙草の灰を、ぽとりと灰皿にと落とす。
「俺に言うことかよ。お前んとこには、腕の良いシェフが居るだろーが」
「アイヴィーのご飯が食べたいから、電話してるんだよ」
「俺んちはピザ屋かよ。デリバリーは、やってねーぞ」
「だから、俺がそっちに行くってば。ねえ。迎えに来て、すぐに。
俺、おなかすいて…もうだめかも」
「死にそうな声、出してんじゃねえよ。わーったよ、行けばいーんだろ」
「よかった、ありがと。じゃあ死なないで待ってる。あ。ついでにさ」
「ん?」
「今夜はアイヴィーんち、泊まってもいい?」
「なんで?」
「ご飯食べた後に帰るの面倒だから。じゃ、正門前でね」
車で迎えに行ってみれば、既に待っていた。
肩を落とし、本当に『おなかすいた』オーラを全身に纏ってた。
腹ぺこ王子を車に乗せる。
「最近アイヴィー捕まらなかったからさ…俺、ガマンしてたんだよ?」
「俺のなんか恋しがってんじゃねえよ」
「だって好きなんだもん」
「ったく。あ、スーパーに寄るからな?」
自宅に戻る前に、スーパーで降りた。
大抵のものは揃うし、島の特産フルーツなんかも売ってる。
家を出て来る時に冷蔵庫を覗いたら、特に何もなかったし、
腹ぺこ王子は、この華奢な身体で俺の3倍は軽く食うから。
カゴを持つ俺の後ろを、ハルヤが付いて来る。
その目は空腹のせいかちょっと虚ろで、
目に映る食べ物にふらっと手を伸ばさないか心配になる。
「ハルヤ。なんか食べたいもん、あんのか?」
「アイヴィーの作るものなら何でもいいよ」
それより早く、というメッセージに聞こえた。
早々に買い物を済ませた方が良さそうだ。丁度、目に映った完熟トマト。
結構美味そうだったから、幾つかカゴに入れる。それで大体メニューが決まった。
スーパーを一回りしながら、俺がポンポンと
カゴに放り込むのをハルヤは黙って見ていた。
この食材で何ができるのだろうと想像しているのか、
それとも腹が減り過ぎて、もう何も考えられないのかもしれない。
「あっ、アイヴィー」
急にシャツを引っ張られた。
「ね。これ、買って欲しいんだけど…ダメ、かな?」
ハルヤの手には緑の箱。
グリーンティのティーパックだった。
買い物を済ませ、自宅に着いた。家の前で一度車を停める。
「ハルヤ。先行って入ってな」
「うん」
ハルヤに家のカギを渡し、先に降ろす。
車庫に向かう。アイヴィーが保有している車は三台。
仕事用の黄色いタクシーの他、自分用に二台持っていた。
車から降り、スーパーの紙袋を抱えて、我が家に向かう。
海の匂いがした。
丁度、海に夕陽が沈んでいくところだった。
沖の方はロゼワインのような淡いピンク、
浜辺の方は貴腐ワインのような琥珀色に輝いていた。
俺はもうすっかり見慣れた景色だが、
ハルヤは「わあ…」と感嘆の声を漏らしていた。
その頭をぽんと叩いて、ドアを開けさせる。
俺んちは非常にシンプルな作りになってる。悪く言えば殺風景。
俺にとっては居心地の良い場所だった。
PCと電話があるテーブルは仕事用の空間だ。
一番スペース取ってんのは音楽機材。俺の趣味だ。
習慣的にラジオを付ける。流れてきたのはジャズだった。
ハルヤが来ているから、少しボリュームを下げる。
キッチンテーブルに紙袋を置き、早速料理に取り掛かる。
紙袋の中から、緑の箱を取り出す。
ハルヤが欲しがったグリーンティだ。
「ハルヤ。これで、しのいでろ」
キッチンからリビングに向かって箱を投げる。
箱は弧を描いて、ソファに居るハルヤの膝元に届いたのだが、
眼鏡の王子は取り損なって落としていた。
足許に落ちた箱を拾って、自分でお茶の準備をする。
ポットの場所も、カップがある場所もハルヤは知っていた。
俺は鍋に水を入れ、火を付ける。
沸くまでの間に、野菜を洗い始めた。
「そういや、ハルヤが一人でうちに来るなんて久し振りだな」
「うん。そうだね。いつもは三人で来るから」
ハルヤは、レッドとシルヴァンとバンドを組んでいた。
デッド・プリンス。
そのバンド名を知らない島民は居ないくらいだった。
マージナルプリンスのバンド。
島民にとっては、それだけでも希少価値だったが、
実力の伴う歌唱力とその派手さに、一躍、島の人気者となっていた。
この三人は、どういうわけか俺んちによく遊びに来る。
俺が家を空けている時でさえ、勝手に入ってた時もあった。
「お前、今日はあいつらとケンカでもしたのか?」
「まさか。ケンカになんないよ、俺達じゃ」
デッド・プリンスは個性がバラバラだ。
音楽性の不一致で解散したバンドは幾つも聞いたが、
こいつらの場合は、最初っから音楽性が一致していなかった。
しかし、それが上手く新しい音楽を生み出していた。
性格の上でも三人は個性が揃っていないからこそ、相性が良いようだった。
どちらかと言えばハイテンションな二人に、ローテンションなハルヤ。
彼が居ることで、一種の中和剤の役割を果たしているようだった。
なんでか、わざわざ俺んちに来て、よくライブの曲選びをしている。
俺に晩メシを作らせている間に、三人がミーティングをしていた。
先ずは、レッドとシルヴァンがマシンガンのように意見を放つところから始まる。
次に、ぎゃいぎゃい言いながら、遠慮なく意見を戦わせる。
その間、ハルヤはまるで話を聞いていないかのように、お茶を飲んでいたりする。
自己主張合戦が難航し、二人の口数が少なくなった頃。
「あのさ」と、お茶を飲み終わったハルヤが、ぽつんと言葉を零す。
その意見は、二人が納得するような中立案。
双方の主張を汲んだ、最も望ましい意見だったりする。
それから先は、サクサクと話がまとまっていく。
ミーティングが無事に終わると、
三人は揃って「腹減ったー」とばたばた騒ぎ出す。
俺は、その前に料理を作り終えなくてはならなかった。
こいつらは、いつもこんなかんじで。
誰が欠けても成り立たない、ある意味、理想的なメンバーらしかった。
デッド・プリンスのリーダーは誰の目にもレッドだと映るようだが、
事実上、影で均衡を保っているのは、この眼鏡の王子かもしれなかった。
もちろん、本人は全く気付いていない。
それが解っているのは、せいぜい俺とシルヴァンくらいだろう。
リビングを覗くと、ハルヤは今日も両手でマグカップを口に運んでいた。
俺は、茹で上がったパスタを大皿に盛る。
それに、トマト、バジル、モッツァレラチーズを乗せた。
フライパンからはガーリックの香り。
オリーブオイルで炒めた狐色のガーリックソースをパスタに和える。
ソースの熱で、チーズの端が溶け、とろりと丸みを帯びていく。
「ハルヤ、ひとつできたから持って行け。先に食べてな」
「うんっ」
元気良く返事して、カップをテーブルに置く。
できたてのパスタを受け取り、リビングのローテーブルに運ぶ。
ハルヤは両手を合わせて、日本語で何か言ってから、食べ始めた。
それから、幾つかの料理を作った。
一仕事終えた俺は、ポケットから煙草を出して、口に銜える。
リビングに入るとハルヤは俺に目を合わさずに、俺の料理を食っている。
17歳よりずっと子供に見えて、つい笑い声が漏れた。
ハルヤが顔を上げる。
「あ、アイヴィー。このパスタ、すっごい美味しかったよ」
「良かったな」
「あれ? アイヴィーは食べないの?」
「後で少し食べるかもな。作ってるだけで胸やけするくらい大量だからな」
「じゃあ、このパスタ、全部食べてもいい?」
「…よく食えんな、お前。またソクーロフの世話になんじゃねーのか?」
「大丈夫。アイヴィーのご飯では、お腹壊したことないから」
「あっそ」
以前ソクーロフが言っていた言葉を思い出した。
「ハルヤは、精神力が非常に強い子だ」と。
自身の思想が、身体をコントロールする力が突出しているらしい。
しかし、その力を本人が自覚しておらず、
また発展途上の為に意識的な制御にはなっていない。
つまりハルヤは無意識に、その身体を操っている。
現状では、プラスにもマイナスにも作用する両刃の剣と成り得る。
ハルヤが可笑しな思い込みをしないよう気を付けてやることだ。
そうドクターに言われていた。
今ハルヤが断言した「俺のメシでは腹を壊さない」という自論。
何の根拠もないその確固たる自信が、
例え、生物学的には考えられないことであっても、
ハルヤの身体を、自論の通り統制しているらしい。
「んなことあんのかよ」とドクターに尋ねたが、
「とある実験にて、既に検証済みだ」と返された。
ハルヤの身体使ってどんな実験したんだよ、あの変態。
「あっ」
まるで宝物を見つけたかのような声が上がった。
「見て? このトマト、繋がってる」
サラダに入っていた輪切りのトマト。
ハルヤのフォークには、切れていなかったトマトが3つぶら下がっていた。
俺は紫煙を吐き出す。
「悪かったな、へたくそで」
「ううん。俺、こういうとこ好きなんだ、アイヴィーの料理って」
大事そうに、繋がったトマトを自分の皿に入れた。
俺が作ったのはフツーのサラダだ。
手でちぎったレタスと、不恰好に切ったトマトに、
ツナ缶とコーン缶をざーっと入れた。
味付けは塩とブラックペッパー。それらをボールの中で混ぜただけ。
テーブルに並んでいる他のパスタも肉野菜炒めも、
調理法は至って煩雑なものだった。
パスタの皿には、真っ黒に焦げたガーリックも乗っていた。
どれも見た目の悪い料理を、うちに遊びに来るデッド・プリンスどもは、
いつも喜んで平らげていった。大量に作るのに、残されたことは一度もなかった。
「俺なんかのへたくそ料理のどこがイイんだか」
「だって、繋がったトマトなんて、寮の料理じゃ絶対ないもん。
一流シェフの料理しか出てこないからさ。
味はもちろん美味しいんだけど、なんか完璧過ぎちゃって、
人が作ったってかんじがしないっていうか。でもアイヴィーのごはんは、
アイヴィーが作ってくれたんだな、ってかんじがするんだ」
ハルヤは両手で笑顔を支えながら、サラダボールを眺めている。
「綺麗な盛り付けなんかしてないし、
切り方も全然揃ってないし…でも、味は美味しくてさ。
なんかね、ほっとするんだ。だから時々すごく食べたくなっちゃう。
俺、大好きだよ、アイヴィーが作ってくれたごはん。
…あ。あの、すごく褒めてるつもりなんだけど…怒った?」
「ばーか。その言葉、カミーユが聞いたら泣くぜ?
あんだけ尽くさせておいて。ヒドイ男だな、お前は」
カミーユ・ルブラン。ウーティス寮のシェフ。得意料理はフレンチだが、
ハルヤのリクエストに答えてアボカドマグロ丼を作った。
ハルヤのこだわりは相当だったようで、何度も作り直させたらしい。
ルブランが用意した超高級食材を却下して、敢えて質を落とすよう頼んだ。
母親が作った味を再現する為に。
ハルヤは繋がったトマトを3つ食べ終える。
「カミーユには感謝してるよ。でもやっぱ、俺はアイヴィーの方が好きだな」
「今度、街で会ったら言ってやろー」
「あ、それはだめっ! カミーユには言わないでっ」
「言えるかよ。あいつド真面目な努力家だからな、言ったらマジで泣くぜ」
ささやかながらも楽しい食卓が終わると、
ハルヤは自ら進んで皿洗いを始めた。
「俺は料理うまくないし、このくらいしかできないから」と食器を運んだ。
あの月桂樹の館には、皿洗い自体したことがない生徒の方が多い。
食事の用意はその家専属のシェフが行う。それがざらな世界だ。
マージナルプリンスどもの中で、ハルヤは家事に関して相当『できる』方だろう。
煙草を吹かしながら、リビングで食後の一服を楽しむことにする。
キッチンに立つハルヤの後姿が見える。
キュッキュッと食器を洗うスポンジの音は、
マイペースでのんびりとしたテンポだった。
俺は思わず呟く。
「絶景だなあ」
キッチンから相鎚が聞こえてくる。
「海見えるもんね、ここ」
「ちげーよ。キッチンに立ってるお前を見てっと、
なんか新妻を貰ったみたいだなって思ったんだよ」
「に、新妻!?」
「ガッコを卒業したら、俺がヨメに貰ってやってもいいぜ?」
食器の音が止まる。水道から水が流れる音だけが響いた。
「なあっ! お前用にフリフリのエプロン買ってやろっか?」
「あ。それなら持ってる」
「持ってるっ!?」
「うん。ピンクのだけど」
「…今度うちに来る時は、ゼヒ持って来い」
「服汚すと困るから? 俺、別に気にしないよ?」
「いや、気になるから。今すげー気になってるから」
食後の一服が終わる。
吸殻を灰皿に押し付ける。先端の黒い灰が、音無く崩れた。
窓の外から見える海も闇の色。
沖の方にある灯台の光だけが、ぼんやり海を照らしている。
「お前、腹いっぱいになって満足したか?」
「うん。すっごく美味しかった。ありがと」
「じゃ、次は俺の番だな。そろそろデザートにするか」
「えっ? アイヴィー、デザートも作れるようになったの?」
「まあな。スウィートな方がお好みかい?」
「えっと…俺、あんまり甘いのは食べられないんだけど…」
「なら、今日はちょいと刺激的にするか」
部屋の明かりを消す。
窓の向こうには、灯台の明かりが見える。
真っ暗になった部屋からは、きょとんとした声が聞こえる。
「ねえ、アイヴィー、なんで電気消したの? デザートは?」
「焦んなって。これからゆっくり料理してやっから」
「ん? ちょっと、アイ…」
漆黒の海に、一筋の光が浮かんでいる。
闇夜にだけ現れる幻想的な光の橋だ。
「……ん。ウマイ♪」
fin
■シルヴァン×ハルヤ
---------------------
---------------------
ハルヤはサロンで本を読んでいた。他には誰も居ない。
静かな時間。それは扉が開いた時に終わった。
「ああ、ハルヤ。こちらでしたか」
「シルヴァン、どうしたの?」
ハルヤの隣に座る。綺麗な笑顔で、首を傾げた。
「ね、ハルヤ?」
「ん?」
「今日も、お願いしてイイですか?」
「ええ? でも昨日だってあんなに…」
「ハルヤだって、昨日も嫌って言いながら、相手してくれたじゃないですか♪」
「それは、君が強引だから…」
「あ! 僕、ゆくゆくは、目隠しとかやってみたいんですけど♪」
「ダ、ダメだよ。そんなの…」
「ダメですか? 考えるだけでドキドキしてきません?」
楽しげなシルヴァンとは逆に、ハルヤは俯きがちになる。
「君は只でさえ身長も力も上で、俺、大変なんだから…」
「すみません。でも僕、ハルヤとしかしたくないんです」
「で、でも、俺…今朝から腰痛めてるし」
「え? そうなんですか?」
「だってさ、最近ずっとじゃん」
「そうですね。じゃあ、僕が責任を取って、お腰をマッサージします」
「いっ、いいよ、そんなことまでしなくて」
「まあまあ、遠慮なさらず。僕、上手いですから。そこに横になって下さい?」
「え、うん」
「では、行きますよ?」
「…いっ…やあ…」
「あ、強過ぎました?」
「もう。痛いよ…もっと優しく…」
「ハイ♪ このくらいですか?」
「だめっ。もっと…あっ」
「気持ち良いですか、ハルヤ」
「ん。あ…いいっ」
「ハルヤの声って、色っぽいですよね♪」
「そんなこと言わないで…んっ…はあっ」
「やだハルヤ…可愛いですー♪」
「か、可愛いとか言うなっ」
勢い良くサロンの扉が開いた。怒声が飛ぶ。
「おい、てめえらっ!!」
「おや。レッド、何ですか?」
「昼間のサロンで、ハルヤに何やってんだ!?」
「マッサージですが?」
「その前は何の話してたんだよ! ユウタが俺んとこ泣き付いてきたぞっ!」
「ああ…殺陣の話ですよ? ね、ハルヤ?」
「え? ああ、うん…」
「俺の目を見て言え」
fin
静かな時間。それは扉が開いた時に終わった。
「ああ、ハルヤ。こちらでしたか」
「シルヴァン、どうしたの?」
ハルヤの隣に座る。綺麗な笑顔で、首を傾げた。
「ね、ハルヤ?」
「ん?」
「今日も、お願いしてイイですか?」
「ええ? でも昨日だってあんなに…」
「ハルヤだって、昨日も嫌って言いながら、相手してくれたじゃないですか♪」
「それは、君が強引だから…」
「あ! 僕、ゆくゆくは、目隠しとかやってみたいんですけど♪」
「ダ、ダメだよ。そんなの…」
「ダメですか? 考えるだけでドキドキしてきません?」
楽しげなシルヴァンとは逆に、ハルヤは俯きがちになる。
「君は只でさえ身長も力も上で、俺、大変なんだから…」
「すみません。でも僕、ハルヤとしかしたくないんです」
「で、でも、俺…今朝から腰痛めてるし」
「え? そうなんですか?」
「だってさ、最近ずっとじゃん」
「そうですね。じゃあ、僕が責任を取って、お腰をマッサージします」
「いっ、いいよ、そんなことまでしなくて」
「まあまあ、遠慮なさらず。僕、上手いですから。そこに横になって下さい?」
「え、うん」
「では、行きますよ?」
「…いっ…やあ…」
「あ、強過ぎました?」
「もう。痛いよ…もっと優しく…」
「ハイ♪ このくらいですか?」
「だめっ。もっと…あっ」
「気持ち良いですか、ハルヤ」
「ん。あ…いいっ」
「ハルヤの声って、色っぽいですよね♪」
「そんなこと言わないで…んっ…はあっ」
「やだハルヤ…可愛いですー♪」
「か、可愛いとか言うなっ」
勢い良くサロンの扉が開いた。怒声が飛ぶ。
「おい、てめえらっ!!」
「おや。レッド、何ですか?」
「昼間のサロンで、ハルヤに何やってんだ!?」
「マッサージですが?」
「その前は何の話してたんだよ! ユウタが俺んとこ泣き付いてきたぞっ!」
「ああ…殺陣の話ですよ? ね、ハルヤ?」
「え? ああ、うん…」
「俺の目を見て言え」
fin
■アンリ×ハルヤ
■「雨降ってて、うっとうしいなって思ってただけ」
----------------
■「雨降ってて、うっとうしいなって思ってただけ」
----------------
雨の午後。
ハルヤは本を持って、サロンに向かっていた。
今日は天気良くないから、ちょっと長い本でも読もうかと思った。
廊下の空気は湿り気を帯びていて、重たく感じた。
サロンの前まで来ると、歌声が聞こえた。アンリの声だった。
ハルヤは扉を開けることも、離れることもできなかった。
ドア越しに聞こえてくる歌声。
低い声が、囁くように音を紡いでいる。
ゆったりと繊細な旋律。バラードのようだった。
歌が雨音と折り重なる。切なさが胸に滲み込んで来る。
歌詞はフランス語らしくて、よく聞き取れない。
もしかしたら、アンリが作った歌なのかもしれない。
なんとなく、そう思った。
アンリは、どんな想いで歌っているんだろう。
急に歌声が止まった。
「誰か居るの?」
アンリの声に、慌てて自分の部屋に駆け出した。
離れていく靴音。
アンリはフェンスに凭れる。どうやら聞かれたらしい。
僕に返事をしないことで、相手が誰かなのかは検討が付く。
僕の声を黙って聞いていたことに罪悪感を感じ、
詫びることも、茶化すこともできないような人間は、
この寮に一人しかいない。
彼なら別に、聞かれても良いと思えた。
僕が歌っていたことも、彼は誰にも言えないだろう。
水溜まりには小さな円が落ちては消えた。
空はまだ重苦しい雲に覆われている。
ハルヤは、自分の部屋に飛び込んだ。
大して走ってもいないのに心臓は高鳴っている。
頭の中では今聞いたばかりの曲が流れ始める。
それから俺は暇さえあればベースに触れていた。
耳コピだし、1回しか聞いてないけど、
忘れないようにコードに起こしておこうと思った。
レッドが作った曲を一緒に編曲したことはあったけど。
頼まれてもいないのに、こんなに丁寧に曲に接したことはなかった。
気が付くと自分の中で曲が流れてる。
講義中も、寝る前も。
歌詞の意味を想像したり。
曲の名前はなんだろうとか。
ずっとこの曲に捕らわれているみたいだった。
一週間後。コードに書き起こして、編曲が終わった。
原曲は殆ど変えてない。
繰り返しを入れたりとか再構成しただけだ。
最初から、完成度の高い曲だった。
もし、ライブで披露したら、みんな驚くと思うけど。
壁に立て掛けてあるベースを取る。
この曲が聞けるのは俺だけでいい。
外は今日も雨。しとしとと雨音が部屋に響く。
アンリはまた歌っているのかもしれない。
俺の指から、アンリの曲が流れる。
雨の音と溶け合っていく。
暫く、止みそうにない。
fin
ハルヤは本を持って、サロンに向かっていた。
今日は天気良くないから、ちょっと長い本でも読もうかと思った。
廊下の空気は湿り気を帯びていて、重たく感じた。
サロンの前まで来ると、歌声が聞こえた。アンリの声だった。
ハルヤは扉を開けることも、離れることもできなかった。
ドア越しに聞こえてくる歌声。
低い声が、囁くように音を紡いでいる。
ゆったりと繊細な旋律。バラードのようだった。
歌が雨音と折り重なる。切なさが胸に滲み込んで来る。
歌詞はフランス語らしくて、よく聞き取れない。
もしかしたら、アンリが作った歌なのかもしれない。
なんとなく、そう思った。
アンリは、どんな想いで歌っているんだろう。
急に歌声が止まった。
「誰か居るの?」
アンリの声に、慌てて自分の部屋に駆け出した。
離れていく靴音。
アンリはフェンスに凭れる。どうやら聞かれたらしい。
僕に返事をしないことで、相手が誰かなのかは検討が付く。
僕の声を黙って聞いていたことに罪悪感を感じ、
詫びることも、茶化すこともできないような人間は、
この寮に一人しかいない。
彼なら別に、聞かれても良いと思えた。
僕が歌っていたことも、彼は誰にも言えないだろう。
水溜まりには小さな円が落ちては消えた。
空はまだ重苦しい雲に覆われている。
ハルヤは、自分の部屋に飛び込んだ。
大して走ってもいないのに心臓は高鳴っている。
頭の中では今聞いたばかりの曲が流れ始める。
それから俺は暇さえあればベースに触れていた。
耳コピだし、1回しか聞いてないけど、
忘れないようにコードに起こしておこうと思った。
レッドが作った曲を一緒に編曲したことはあったけど。
頼まれてもいないのに、こんなに丁寧に曲に接したことはなかった。
気が付くと自分の中で曲が流れてる。
講義中も、寝る前も。
歌詞の意味を想像したり。
曲の名前はなんだろうとか。
ずっとこの曲に捕らわれているみたいだった。
一週間後。コードに書き起こして、編曲が終わった。
原曲は殆ど変えてない。
繰り返しを入れたりとか再構成しただけだ。
最初から、完成度の高い曲だった。
もし、ライブで披露したら、みんな驚くと思うけど。
壁に立て掛けてあるベースを取る。
この曲が聞けるのは俺だけでいい。
外は今日も雨。しとしとと雨音が部屋に響く。
アンリはまた歌っているのかもしれない。
俺の指から、アンリの曲が流れる。
雨の音と溶け合っていく。
暫く、止みそうにない。
fin
■ジョシュア×ハルヤ
---------------------
---------------------
「やあ。ハルヤ」
サロンに入ると優しい声がした。
ジョシュアの声だ。
「これからお茶にしようと思っていたんだ。ハルヤも一緒にどうかな?」
聖アルフォンソ学院の生徒代表で、同じウーティス寮に住んでいる。
彼のことは学院に入る前から知っていた。
『クリスティーナ・グラント』
『王冠を賭けた恋』
『悲劇の王子』
その複雑な境遇から、彼は様々に報道されていた。
『クリスティーナ・グラント』
ジョシュアのお母さん。綺麗な人で、あったかい笑顔に似合う人だった。
彼女は、愛したを亡くした後、ボランティア運動で世界を飛び回っていた。
そのニュースを聞いた時、珍しく感動した。彼女の笑顔が印象的だった。
それから俺はジョシュアのことを知った。
『王冠を賭けた恋』
ジョシュアのお父さん、プリンス・エドワードは、
世界中から批判を浴びても、王位継承権を捨て、クリティーナを選んだ。
当時、エドワード氏には婚約者が別に居たし、
利害関係が複雑なグラント家の令嬢であることも問題視された。
その二人から生まれたのがジョシュア。
彼の境遇が、俺と似ているかもしれないと思った。
皇族と自分じゃ雲泥の差だけど、
俺も禁じられた恋愛の末に生まれた子供だから。
自分より一歳上の、あの王子に、自分の姿を重ねていた。
『悲劇の王子』
ニュースで、王子を見たのはこれが最後。
クリスティーナさんはボランティアの活動中に病気で亡くなった。
両親を失った彼は『悲劇の王子』と呼ばれた。
テレビに映し出された通夜には、彼女を慕う大勢の人が集まっていた。
アナウンサーは、彼女がボランティアで訪れた世界各国から、
花や感謝の手紙が届いている、と報じていた。
通夜の最前列に王子が居た。小さな肢体が黒に染まっている。
『悲劇の王子』は、一度も涙を見せなかった。
幼い声で母への最後の手紙を読み、参列者に礼を述べ、頭を下げていた。
そんな王子を見た時、俺は涙が零れて来た。
テレビを見ていて突然泣き出した俺に、母様は驚いていた。
「どうしたの?」と聞かれても、自分でもよく解らない。
説明することもできなくて、ただ涙を流すことしかできなかった。
まるで、ジョシュアの分まで、俺が泣いているみたいだった。
母様は俺を抱き締めて、背中を撫でてくれた。
俺には抱き締めてくれる母様が居るのに、あの子には居ないんだと思うと、
余計に苦しくて、俺は暫く涙が止まらなかった。
翌日、じいさまの家で日舞の稽古があった。
目を赤く腫らした俺は、じいさまも兄様も心配させた。
父様も、珍しく俺に声を掛けてくれた。
その時も俺は一度も会ったことのない王子を思い出して、泣いてしまった。
それ以降、王子はメディアに姿を現さなくなった。
偶に見掛けるのは、憶測や噂の切れ端だけ。
何年か経って、ふと思い出した時、
王子の消息を調べてみたことがあった。
何処かに留学しているらしい、ということしか解らなかった。
しかも留学先は、メディアによって違う記述もあった。
俺が王子と『再会』したのは辺境の島。
聖アルフォンソ学院。
「初めまして。ジョシュア・グラントです」
その日の夕食は緊張し過ぎて、フォークを床に落としたくらいだっだ。
ジョシュアは「大丈夫だよ」と言って、バトラーに新しいフォークを頼んでくれた。
なんとか慣れてきて、話せるようになったけど。
やっぱり、彼の傍に居られることは、不思議に思う。
気が付くと、彼のことをぼうっと見ていたりする。
こんな孤島の学校で、しかも同じ寮になるなんて。
ずっと雲の上の存在だった。新聞やテレビの中に居る人だった。
だけど、君のことを知っていて。
彼の母が亡くなった時は、自分のことのように泣いていた。
そのことは、彼には言っていないし、これからも言う気はない。
「ハルヤは何を飲む?」
ウーティス寮サロン。
ずっと遠くから見ていた王子様が、俺の名前を呼んでいる。
これから、王子様とお茶の時間だ。
「あの、ジョシュアと同じの」
「ん。了解」
彼は立ち上がって、俺の為にコーヒーを注ぐ。
こぽこぽと温かい音がして、サロンはコーヒーの香りに包まれていく。
テーブルの上には美味しそうなクッキーが並んでいた。
「どうぞ、ハルヤ」
「ありがと」
コーヒーカップからは、湯気がゆらりと昇っている。
ジョシュアも自分の席に着く。彼の人差し指が取っ手に絡む。
カップが唇に近付いていて、前髪が揺れた。白い喉が、こくりと動く。
君と二人でコーヒーが飲める日が来るなんて。
人生って、ほんとわかんない。
ジョシュアがカップを置く。静かに陶器の音が鳴る。
そんな何でもない音すら心地好く聞こえて、頬が自然に綻ぶ。
移ったように、ジョシュアも微笑んだ。
「ハルヤ、何かいいことでもあったのかい?」
「あ、ごめん。別に何もないんだけど、でも…」
「でも?」
「なんか、しあわせだなって思っちゃった」
fin
サロンに入ると優しい声がした。
ジョシュアの声だ。
「これからお茶にしようと思っていたんだ。ハルヤも一緒にどうかな?」
聖アルフォンソ学院の生徒代表で、同じウーティス寮に住んでいる。
彼のことは学院に入る前から知っていた。
『クリスティーナ・グラント』
『王冠を賭けた恋』
『悲劇の王子』
その複雑な境遇から、彼は様々に報道されていた。
『クリスティーナ・グラント』
ジョシュアのお母さん。綺麗な人で、あったかい笑顔に似合う人だった。
彼女は、愛したを亡くした後、ボランティア運動で世界を飛び回っていた。
そのニュースを聞いた時、珍しく感動した。彼女の笑顔が印象的だった。
それから俺はジョシュアのことを知った。
『王冠を賭けた恋』
ジョシュアのお父さん、プリンス・エドワードは、
世界中から批判を浴びても、王位継承権を捨て、クリティーナを選んだ。
当時、エドワード氏には婚約者が別に居たし、
利害関係が複雑なグラント家の令嬢であることも問題視された。
その二人から生まれたのがジョシュア。
彼の境遇が、俺と似ているかもしれないと思った。
皇族と自分じゃ雲泥の差だけど、
俺も禁じられた恋愛の末に生まれた子供だから。
自分より一歳上の、あの王子に、自分の姿を重ねていた。
『悲劇の王子』
ニュースで、王子を見たのはこれが最後。
クリスティーナさんはボランティアの活動中に病気で亡くなった。
両親を失った彼は『悲劇の王子』と呼ばれた。
テレビに映し出された通夜には、彼女を慕う大勢の人が集まっていた。
アナウンサーは、彼女がボランティアで訪れた世界各国から、
花や感謝の手紙が届いている、と報じていた。
通夜の最前列に王子が居た。小さな肢体が黒に染まっている。
『悲劇の王子』は、一度も涙を見せなかった。
幼い声で母への最後の手紙を読み、参列者に礼を述べ、頭を下げていた。
そんな王子を見た時、俺は涙が零れて来た。
テレビを見ていて突然泣き出した俺に、母様は驚いていた。
「どうしたの?」と聞かれても、自分でもよく解らない。
説明することもできなくて、ただ涙を流すことしかできなかった。
まるで、ジョシュアの分まで、俺が泣いているみたいだった。
母様は俺を抱き締めて、背中を撫でてくれた。
俺には抱き締めてくれる母様が居るのに、あの子には居ないんだと思うと、
余計に苦しくて、俺は暫く涙が止まらなかった。
翌日、じいさまの家で日舞の稽古があった。
目を赤く腫らした俺は、じいさまも兄様も心配させた。
父様も、珍しく俺に声を掛けてくれた。
その時も俺は一度も会ったことのない王子を思い出して、泣いてしまった。
それ以降、王子はメディアに姿を現さなくなった。
偶に見掛けるのは、憶測や噂の切れ端だけ。
何年か経って、ふと思い出した時、
王子の消息を調べてみたことがあった。
何処かに留学しているらしい、ということしか解らなかった。
しかも留学先は、メディアによって違う記述もあった。
俺が王子と『再会』したのは辺境の島。
聖アルフォンソ学院。
「初めまして。ジョシュア・グラントです」
その日の夕食は緊張し過ぎて、フォークを床に落としたくらいだっだ。
ジョシュアは「大丈夫だよ」と言って、バトラーに新しいフォークを頼んでくれた。
なんとか慣れてきて、話せるようになったけど。
やっぱり、彼の傍に居られることは、不思議に思う。
気が付くと、彼のことをぼうっと見ていたりする。
こんな孤島の学校で、しかも同じ寮になるなんて。
ずっと雲の上の存在だった。新聞やテレビの中に居る人だった。
だけど、君のことを知っていて。
彼の母が亡くなった時は、自分のことのように泣いていた。
そのことは、彼には言っていないし、これからも言う気はない。
「ハルヤは何を飲む?」
ウーティス寮サロン。
ずっと遠くから見ていた王子様が、俺の名前を呼んでいる。
これから、王子様とお茶の時間だ。
「あの、ジョシュアと同じの」
「ん。了解」
彼は立ち上がって、俺の為にコーヒーを注ぐ。
こぽこぽと温かい音がして、サロンはコーヒーの香りに包まれていく。
テーブルの上には美味しそうなクッキーが並んでいた。
「どうぞ、ハルヤ」
「ありがと」
コーヒーカップからは、湯気がゆらりと昇っている。
ジョシュアも自分の席に着く。彼の人差し指が取っ手に絡む。
カップが唇に近付いていて、前髪が揺れた。白い喉が、こくりと動く。
君と二人でコーヒーが飲める日が来るなんて。
人生って、ほんとわかんない。
ジョシュアがカップを置く。静かに陶器の音が鳴る。
そんな何でもない音すら心地好く聞こえて、頬が自然に綻ぶ。
移ったように、ジョシュアも微笑んだ。
「ハルヤ、何かいいことでもあったのかい?」
「あ、ごめん。別に何もないんだけど、でも…」
「でも?」
「なんか、しあわせだなって思っちゃった」
fin
■アイヴィー×ハルヤ
----------------------
----------------------
「乗せてくれてありがと、アイヴィー」
ハルヤは黄色いタクシーの助手席に座っていた。
後部座席には、紙袋が2つ置いてある。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
「荷物、重かったんだ。ほんと助かったよ」
「どーいたしましてっ」
運転席には長い金髪のタクシードライバー。
空色のワイシャツに、黒のネクタイを緩く結んでいる。
街を走行中に、紙袋を抱えた眼鏡の王子を見掛けた。
よろよろ歩いてて、危なっかしくて。
クラクションを鳴らしたが、王子は気付かない。
運転席の窓を開けて、タクシーの方から乗客を捕まえた。
「よっ、マージナルプリンス。送ってやろうか?」
やっと気付いた王子は、驚いたように俺の名を口にした。
運転手はミラー越しに、後部座席を見る。
アイヴィーも日頃お世話になっているスーパーの袋だ。
「今日、寮の奴等とイイコトでもすんのか?」
「うん。レッドの提案でね、バーベキューパーティなんだ」
「ふうん。それでお前がじゃんけんに負けたんだ?」
「そうだけど」
「お前、じゃんけん弱いなー」
「そんなの、しょうがないじゃん…」
「バンド組んだばっかの時も、よく負けてたもんな?」
「だって、じゃんけんって強くなる方法とかないし…」
「お前の場合は特別弱いんだよ。最初にいっつもパー出すからな」
「え…マジで?」
他愛の無い会話を繰り返しながら、車は学院へと向かう。
公園を通り掛かった時、信号が赤に変わった。
園内の中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
彼は何か叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、何か言葉を交わしながら、歩いていく。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「ホームシックか、ハルヤ?」
「ううん。平気」
「なーんだ。傷心のとこ慰めて、好感度上げようと思ったのに」
ハルヤに笑顔が戻る。
学院の正門が見えてきた。車は振動もなく滑らかに止まる。
「とーちゃーく。ご乗車頂き、ありがとーございましたっ」
「うん。今日はありがと、アイヴィー。じゃ、またね」
ハルヤは助手席のドアを開けようとする。
が、ロックされていて開かない。
「あれっ? なんか開かないんだけど」
「ああ。俺が閉めてるから」
運転席には集中ドアロックが付いている。
スイッチひとつで、全てのロックが開閉可能だ。
「なにイジワルしてんのさ、開けてよ」
「お客さーん、タクシー代を頂いてませんがー?」
「アイヴィー、俺達からお金取ったことないじゃん?
マージナルプリンスはトクベツとかなんとか言って」
「コトシのハルからセイドがカワリましたー」
「…なんで棒読み? で、タクシー代って幾ら?」
「王子様のキス1回」
「ちょ、な、なに言ってんの!」
「ハルヤはどっちかって言うとお姫様かな?」
「アイヴィー!」
運転手は自分の頬を、人差し指で示す。
「今日は、ほっぺで許してやるぜ?」
「イ、イヤに決まってるでしょ」
「じゃあ降ろしてやんなーい」
「…親バカのお父さんみたいなこと言わないでよ」
「そいつは、当たらずも遠からず、ってとこだなあ」
ほんの冗談のつもりだった。照れる顔が久し振りに見たくなっただけ。
このシャイボーイに、そんな行動ができるわけがないのは百も承知だ。
ドアロックのスイッチを押そうと手を伸ばすと、
頬に温かいものが触れた。
たった一瞬だったが、この柔らかい感触は。
眼鏡の王子を見るとイチゴのように赤い顔をしていた。
「コレで良いんでしょ…降ろしてよ」
アイヴィーは目をぱちくりと瞬かせた後、はははっと笑い出す。
「俺、タクシードライバーやってて良かったー! おとーさんは嬉しいぞ、ハルヤ!」
「イミわかんないこと言ってないで、早くドア開けてっ」
「いやー、おとーさん、今夜は返したくない気分になっちゃったなー」
「何、言い出してんの?」
「せっかく久し振りに会えたんだから、デートくらい付き合えよ」
「デートって…」
「ハルヤ、俺とじゃ嫌か?」
「そ、それは…」
俯いたまま否定して来ない王子に、運転手はますます機嫌を良くする。
「んじゃ、ドコ行っちゃおうかなー」
「でも、俺が帰らないと、みんなバーベキューできないし」
「あ、そーか。それじゃっ」
携帯電話を取り出して、2回だけボタンを押す。
アイヴィーは携帯の向こうに、こう言った。
「よっ、シルヴァン。あのさ、さっきハルヤに街で会ったんだわ。
んで、悪いんだけどハルヤ攫ってくから。後のことヨロシクー。んじゃっ」
それだけ言って、電話を切った。
「あ、アイヴィー!」
「ちゃんと連絡入れたんだから文句ないだろ? じゃ、発車しまーす」
ドライバーの指は停車ランプを解除して、サイドブレーキを下ろした。
ウーティス寮サロン。
シルヴァンは一方的に切られた携帯電話を耳から離す。
周りには、今夜のパーティを楽しみにしている寮生達。
談笑しながら、皆ハルヤの帰りを待っていた。
ジョシュアとユウタは穏やかに、レッドとアンリは活発に言葉を交わしていた。
シルヴァンは「あの、皆さん?」と声を上げると、サロンが一時的に静まる。
「すみません。悲しいお知らせで申し訳ないんですが…」
生徒代表は首を傾げた。
「どうしたんだい、シルヴァン?」
「今日のパーティ、中止みたいです」
「何かあったのかい?」
「ハルヤが攫われました」
静寂の後、叫びと疑問の声が幾つか上がった。
レッドはシルヴァンに詰め寄る。
「じゃあ、今の電話、犯人からか!?」
「ええ。まあ、アイヴィーなんですけどね、誘拐犯」
「はああー!? あいつバカか!?」
「それは尤もですね」
「ったく、ハルヤも易々と攫われてんじゃねーよ!」
「ハルヤが誘惑したんじゃないですか…無自覚に」
「あ、在り得るな…ハルヤのヤツ、自分のこと、ゼンゼン解ってねーからな」
「ええ…アイヴィーの声、異常に浮かれてましたし」
「浮かれてた?」
「はい。おそらく、ハルヤに何か嬉しいことでも言われたんでしょう」
「許せねえ…」
「そうですね。ハルヤを取り返したい所ですが、相手は車ですからね」
バイクでも今からでは追い着けない、とシルヴァンは思う。
しかもスタント並に運転が上手いアイヴィーが相手では歯が立たない。
アンリはどうでもいい、と言わんばかりに頬杖を突く。
「別に心配無いでしょ。取って喰われるわけじゃないんだし」
「喰われたらどーすんだよ!」
ジョシュアは、レッドの肩に手を置く。
「レッド、落ち着いて。彼は学院から認定されたドライバーだ。
生徒を安全に送迎すること、緊急時には保護することを任されている。
ハルヤのことは必ず無事に返してくれるよ」
アンリは冷笑する。
「生徒代表殿、そのドライバーが誘拐犯なんだけど?」
「…まあ、とにかく。パーティはまた今度にしよう?」
「そうだね…」
ユウタは肩を落とす。アンリは扉の向こうに姿を消した。
レッドは怒りが治まらない様子で、どかっとソファに座る。
「アイヴィーのヤツ…。おい、シルヴァン! 電話掛け直せねーのか?」
「ダメですね。電源を切っているようです」
「確信犯じゃねーかよ! 今度会ったら、ぎったんぎったんにしてやる…」
「逆に、ぎったんぎったんにされますって」
「くそー。今日は、じゃんけんで買い出し係を決めようとか言わなきゃ良かった!
ハルヤが負けるに決まってんじゃん! あいつ最初にパー出すんだぞ!」
「どっちが確信犯ですか…」
「あー! ハルヤを返せー!」
fin
ハルヤは黄色いタクシーの助手席に座っていた。
後部座席には、紙袋が2つ置いてある。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
「荷物、重かったんだ。ほんと助かったよ」
「どーいたしましてっ」
運転席には長い金髪のタクシードライバー。
空色のワイシャツに、黒のネクタイを緩く結んでいる。
街を走行中に、紙袋を抱えた眼鏡の王子を見掛けた。
よろよろ歩いてて、危なっかしくて。
クラクションを鳴らしたが、王子は気付かない。
運転席の窓を開けて、タクシーの方から乗客を捕まえた。
「よっ、マージナルプリンス。送ってやろうか?」
やっと気付いた王子は、驚いたように俺の名を口にした。
運転手はミラー越しに、後部座席を見る。
アイヴィーも日頃お世話になっているスーパーの袋だ。
「今日、寮の奴等とイイコトでもすんのか?」
「うん。レッドの提案でね、バーベキューパーティなんだ」
「ふうん。それでお前がじゃんけんに負けたんだ?」
「そうだけど」
「お前、じゃんけん弱いなー」
「そんなの、しょうがないじゃん…」
「バンド組んだばっかの時も、よく負けてたもんな?」
「だって、じゃんけんって強くなる方法とかないし…」
「お前の場合は特別弱いんだよ。最初にいっつもパー出すからな」
「え…マジで?」
他愛の無い会話を繰り返しながら、車は学院へと向かう。
公園を通り掛かった時、信号が赤に変わった。
園内の中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
彼は何か叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、何か言葉を交わしながら、歩いていく。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「ホームシックか、ハルヤ?」
「ううん。平気」
「なーんだ。傷心のとこ慰めて、好感度上げようと思ったのに」
ハルヤに笑顔が戻る。
学院の正門が見えてきた。車は振動もなく滑らかに止まる。
「とーちゃーく。ご乗車頂き、ありがとーございましたっ」
「うん。今日はありがと、アイヴィー。じゃ、またね」
ハルヤは助手席のドアを開けようとする。
が、ロックされていて開かない。
「あれっ? なんか開かないんだけど」
「ああ。俺が閉めてるから」
運転席には集中ドアロックが付いている。
スイッチひとつで、全てのロックが開閉可能だ。
「なにイジワルしてんのさ、開けてよ」
「お客さーん、タクシー代を頂いてませんがー?」
「アイヴィー、俺達からお金取ったことないじゃん?
マージナルプリンスはトクベツとかなんとか言って」
「コトシのハルからセイドがカワリましたー」
「…なんで棒読み? で、タクシー代って幾ら?」
「王子様のキス1回」
「ちょ、な、なに言ってんの!」
「ハルヤはどっちかって言うとお姫様かな?」
「アイヴィー!」
運転手は自分の頬を、人差し指で示す。
「今日は、ほっぺで許してやるぜ?」
「イ、イヤに決まってるでしょ」
「じゃあ降ろしてやんなーい」
「…親バカのお父さんみたいなこと言わないでよ」
「そいつは、当たらずも遠からず、ってとこだなあ」
ほんの冗談のつもりだった。照れる顔が久し振りに見たくなっただけ。
このシャイボーイに、そんな行動ができるわけがないのは百も承知だ。
ドアロックのスイッチを押そうと手を伸ばすと、
頬に温かいものが触れた。
たった一瞬だったが、この柔らかい感触は。
眼鏡の王子を見るとイチゴのように赤い顔をしていた。
「コレで良いんでしょ…降ろしてよ」
アイヴィーは目をぱちくりと瞬かせた後、はははっと笑い出す。
「俺、タクシードライバーやってて良かったー! おとーさんは嬉しいぞ、ハルヤ!」
「イミわかんないこと言ってないで、早くドア開けてっ」
「いやー、おとーさん、今夜は返したくない気分になっちゃったなー」
「何、言い出してんの?」
「せっかく久し振りに会えたんだから、デートくらい付き合えよ」
「デートって…」
「ハルヤ、俺とじゃ嫌か?」
「そ、それは…」
俯いたまま否定して来ない王子に、運転手はますます機嫌を良くする。
「んじゃ、ドコ行っちゃおうかなー」
「でも、俺が帰らないと、みんなバーベキューできないし」
「あ、そーか。それじゃっ」
携帯電話を取り出して、2回だけボタンを押す。
アイヴィーは携帯の向こうに、こう言った。
「よっ、シルヴァン。あのさ、さっきハルヤに街で会ったんだわ。
んで、悪いんだけどハルヤ攫ってくから。後のことヨロシクー。んじゃっ」
それだけ言って、電話を切った。
「あ、アイヴィー!」
「ちゃんと連絡入れたんだから文句ないだろ? じゃ、発車しまーす」
ドライバーの指は停車ランプを解除して、サイドブレーキを下ろした。
ウーティス寮サロン。
シルヴァンは一方的に切られた携帯電話を耳から離す。
周りには、今夜のパーティを楽しみにしている寮生達。
談笑しながら、皆ハルヤの帰りを待っていた。
ジョシュアとユウタは穏やかに、レッドとアンリは活発に言葉を交わしていた。
シルヴァンは「あの、皆さん?」と声を上げると、サロンが一時的に静まる。
「すみません。悲しいお知らせで申し訳ないんですが…」
生徒代表は首を傾げた。
「どうしたんだい、シルヴァン?」
「今日のパーティ、中止みたいです」
「何かあったのかい?」
「ハルヤが攫われました」
静寂の後、叫びと疑問の声が幾つか上がった。
レッドはシルヴァンに詰め寄る。
「じゃあ、今の電話、犯人からか!?」
「ええ。まあ、アイヴィーなんですけどね、誘拐犯」
「はああー!? あいつバカか!?」
「それは尤もですね」
「ったく、ハルヤも易々と攫われてんじゃねーよ!」
「ハルヤが誘惑したんじゃないですか…無自覚に」
「あ、在り得るな…ハルヤのヤツ、自分のこと、ゼンゼン解ってねーからな」
「ええ…アイヴィーの声、異常に浮かれてましたし」
「浮かれてた?」
「はい。おそらく、ハルヤに何か嬉しいことでも言われたんでしょう」
「許せねえ…」
「そうですね。ハルヤを取り返したい所ですが、相手は車ですからね」
バイクでも今からでは追い着けない、とシルヴァンは思う。
しかもスタント並に運転が上手いアイヴィーが相手では歯が立たない。
アンリはどうでもいい、と言わんばかりに頬杖を突く。
「別に心配無いでしょ。取って喰われるわけじゃないんだし」
「喰われたらどーすんだよ!」
ジョシュアは、レッドの肩に手を置く。
「レッド、落ち着いて。彼は学院から認定されたドライバーだ。
生徒を安全に送迎すること、緊急時には保護することを任されている。
ハルヤのことは必ず無事に返してくれるよ」
アンリは冷笑する。
「生徒代表殿、そのドライバーが誘拐犯なんだけど?」
「…まあ、とにかく。パーティはまた今度にしよう?」
「そうだね…」
ユウタは肩を落とす。アンリは扉の向こうに姿を消した。
レッドは怒りが治まらない様子で、どかっとソファに座る。
「アイヴィーのヤツ…。おい、シルヴァン! 電話掛け直せねーのか?」
「ダメですね。電源を切っているようです」
「確信犯じゃねーかよ! 今度会ったら、ぎったんぎったんにしてやる…」
「逆に、ぎったんぎったんにされますって」
「くそー。今日は、じゃんけんで買い出し係を決めようとか言わなきゃ良かった!
ハルヤが負けるに決まってんじゃん! あいつ最初にパー出すんだぞ!」
「どっちが確信犯ですか…」
「あー! ハルヤを返せー!」
fin
■ユウタ×ジョシュア
---------------------
---------------------
「ユウタ。ありがとう、手伝ってくれて」
ジョシュアは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「重くないかい?」
「ん。大丈夫だよ、ジョシュア」
隣を歩くユウタも紙袋を抱えている。
こちらの方が幾分小さい。
レッドの提案で、今夜はバーベキューパーティ。
買い出し係を決めるじゃんけんに、ジョシュアが負けた。
ユウタは「俺も行って良い?」と言った。
ジョシュアは快諾し、二人で出掛けた。
先程、買い物が終わったところだ。
「ユウタは優しいね。お姉さんにも優しかったのかな?」
「どっちかって言うと、姉貴には、使われてたっていうか…」
「え?」
「ああ、ううん。何でもない…」
他愛も無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、ジョシュアが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「ジョシュア、どうしたの?」
「あの子…どうしたのかなと思ってね」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「…大丈夫かなあ」
「あ、ジョシュア、誰か来たよ」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、二人の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「良かった。ごめんね、ユウタ。待たせてしまって。じゃあ俺達も帰ろうか」
「うん、そうだね」
「ユウタ? なんだか元気がないね?」
「あっ、あの…俺…」
「うん」
「実は、ジョシュアにちょっと相談したいことがあって、今日付いてきたんだ…」
「そうだったのか。じゃあ…あのベンチに座って話そうか。おいで、ユウタ」
ジョシュアは、ユウタの手を取って公園の中へ入る。
自然に掴まれた手。ユウタには、触れてられている部分が熱く感じられた。
公園のベンチに着くと、手はすぐに、ほどかれた。
荷物も傍らに置き、急に手が寂しくなった。
ユウタは身を強張らせて、膝の上に手を置いていた。
安心させるように、ジョシュアは、いつも以上に優しい声で話し掛ける。
「ユウタ。ゆっくりでいいからね? どんな相談なのかな?」
「俺ね、ちょっと最近ヘンなんだ…」
「ヘン?」
「あの…その人のこと考えると、どきどきしちゃって…。
なんか…俺、だんだん、その人のことしか考えられなくなって」
「うん」
「でも、その人には、仲の良い人が居て…よく一緒に居るんだ。
俺、そんな二人を見てられなくて、どうしていいか、わかんないんだ…」
「ユウタ、恋をしているんじゃないかな?」
「こ、恋なんて! ゼッタイ違うよ! だって男だもん……あっ」
ユウタは口を手で押さえる。
顔を赤くして、必死に取り繕う。
「ゴ、ゴメン! 今の忘れてっ! 聞かなかったことにして!」
「ユウタ。大丈夫だよ、誰にも言わないから」
「う、うん…」
「そうか。ユウタは同性で好きな人が居るんだね」
「そ、そうなのかなあ…」
「誰かを好きになるのに、性別も年齢も関係ないのではないかな?
オランダやベルギーのように、同性の結婚を認めている国もあるし。
その人を好きだと思う気持ちを大切にした方が良いと思うよ」
「ジョシュアは、もし、男を好きになったら、どうする?」
「好きなままだよ。好きになってしまったら止められるものではないから」
「あのっ、ジョシュアは…好きな人、居るの?」
「うん」
ユウタは膝の上で、手を握り締めた。
指は微かに震えている。
「ジョシュアは、両想いなの?」
「幸運なことにね」
「相手の人、誰か聞いても、良い?」
ジョシュアの微笑は夕焼けを浴びている。
彼は幸せそうに、その名前を告げた。
「アンリ」
fin
ジョシュアは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「重くないかい?」
「ん。大丈夫だよ、ジョシュア」
隣を歩くユウタも紙袋を抱えている。
こちらの方が幾分小さい。
レッドの提案で、今夜はバーベキューパーティ。
買い出し係を決めるじゃんけんに、ジョシュアが負けた。
ユウタは「俺も行って良い?」と言った。
ジョシュアは快諾し、二人で出掛けた。
先程、買い物が終わったところだ。
「ユウタは優しいね。お姉さんにも優しかったのかな?」
「どっちかって言うと、姉貴には、使われてたっていうか…」
「え?」
「ああ、ううん。何でもない…」
他愛も無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、ジョシュアが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「ジョシュア、どうしたの?」
「あの子…どうしたのかなと思ってね」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「…大丈夫かなあ」
「あ、ジョシュア、誰か来たよ」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、二人の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「良かった。ごめんね、ユウタ。待たせてしまって。じゃあ俺達も帰ろうか」
「うん、そうだね」
「ユウタ? なんだか元気がないね?」
「あっ、あの…俺…」
「うん」
「実は、ジョシュアにちょっと相談したいことがあって、今日付いてきたんだ…」
「そうだったのか。じゃあ…あのベンチに座って話そうか。おいで、ユウタ」
ジョシュアは、ユウタの手を取って公園の中へ入る。
自然に掴まれた手。ユウタには、触れてられている部分が熱く感じられた。
公園のベンチに着くと、手はすぐに、ほどかれた。
荷物も傍らに置き、急に手が寂しくなった。
ユウタは身を強張らせて、膝の上に手を置いていた。
安心させるように、ジョシュアは、いつも以上に優しい声で話し掛ける。
「ユウタ。ゆっくりでいいからね? どんな相談なのかな?」
「俺ね、ちょっと最近ヘンなんだ…」
「ヘン?」
「あの…その人のこと考えると、どきどきしちゃって…。
なんか…俺、だんだん、その人のことしか考えられなくなって」
「うん」
「でも、その人には、仲の良い人が居て…よく一緒に居るんだ。
俺、そんな二人を見てられなくて、どうしていいか、わかんないんだ…」
「ユウタ、恋をしているんじゃないかな?」
「こ、恋なんて! ゼッタイ違うよ! だって男だもん……あっ」
ユウタは口を手で押さえる。
顔を赤くして、必死に取り繕う。
「ゴ、ゴメン! 今の忘れてっ! 聞かなかったことにして!」
「ユウタ。大丈夫だよ、誰にも言わないから」
「う、うん…」
「そうか。ユウタは同性で好きな人が居るんだね」
「そ、そうなのかなあ…」
「誰かを好きになるのに、性別も年齢も関係ないのではないかな?
オランダやベルギーのように、同性の結婚を認めている国もあるし。
その人を好きだと思う気持ちを大切にした方が良いと思うよ」
「ジョシュアは、もし、男を好きになったら、どうする?」
「好きなままだよ。好きになってしまったら止められるものではないから」
「あのっ、ジョシュアは…好きな人、居るの?」
「うん」
ユウタは膝の上で、手を握り締めた。
指は微かに震えている。
「ジョシュアは、両想いなの?」
「幸運なことにね」
「相手の人、誰か聞いても、良い?」
ジョシュアの微笑は夕焼けを浴びている。
彼は幸せそうに、その名前を告げた。
「アンリ」
fin
「ラルヴィス。この後の予定は?」
ロレート公国の公用車。
後部座席に、一国の主カーディス1世が居た。
お召し物は黒の燕尾服。晩餐会の帰り道だった。
主の右隣に居る私が答える。
「邸に戻ります。お疲れ様でした、陛下」
「別に疲れてはいないさ。俺は座って居ただけだからな」
白のリボンタイを外し、襟許を緩める。
陛下の右には私、左は私の部下が固めていた。襲撃や暗殺に備えたものだ。
灰色の軍服は、深紅の襟が高く立てられている。
主は左の従者に声を掛ける。
「お前、少しやつれたのではないか?」
「そのように見えますか。すみません、自己管理が足りませんね」
彼は、私より2つ年若い部下。仕事は極めてよくやってくれている。
主に心酔しているせいか、陛下と同じように髪を長く伸ばしていた。
「ラルヴィスに仕事を押し付けられているのか?」
「いえ。閣下は下官にもお優しい方ですから」
「本当か。信じがたいな。上官に言いにくいのなら俺に言え?」
冗談だと思ったらしい部下は、口許を隠して上品に笑う。
主は、キャラメル色の髪を避けて、部下の頬に手を添えた。
「やはり、顎のラインが、以前より細くなっている」
頬から顎へと指を這わせる。
部下は息を飲んで、主を見つめていた。
「陛下、私の部下にお気遣い頂き、恐れ入ります」
私が謝辞を述べると、主はやっと手を離した。
部下は、私に恐縮しているのか、目を伏せている。
主は満足そうな笑みを浮かべて言う。
「何、俺に仕える者達を気遣うのは当然だ」
「私への当て付けかと思いましたが」
「まさか」
他愛の無い会話を繰り返しながら、車は邸へと向かう。
公園を通り掛かった時、信号が赤に変わった。
園内の中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
彼は何か叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、何か言葉を交わしながら、歩いていく。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
車が動き出して、影が見えなくなる。
視界から親子が消えて初めて、ずっと目で追っていたのだと気付いた。
母は私を捨てた。あのように手を繋いだことはない。
義母は優しかったが、早くに天に召された。
今はもう、彼女の手を取ることは叶わない。
「ラルヴィス」
「あ、はい」
「そう言えば、例の話だがな」
『例の話』などした記憶はない。
何か案件があったかと思いを巡らせていると、
私の左手に何かが触れた。
視線だけ移すと、主の右手に覆われていた。
私の手を取ったまま、陛下の膝の影に寄せられる。
運転手からも部下からも、見えない位置で、
陛下の指が、私の指の間を割り、全ての指を絡め取る。
指に直接伝わるぬくもり。
義母の手もこんな風に温かかった。
「俺では力不足か? ラルヴィス」
いつになく優しい声に、溺れそうになる。
だが、今は執務中だ。部下も居る。
部下の前で醜態を晒せるような性格ではなかった。
眉を顰め、やっと言葉を返す。
「いいえ」
家族が一人も居なくとも、良い。
他の誰も要らない。
「貴方しか居ません、陛下」
主の手を握り返した。
fin
ロレート公国の公用車。
後部座席に、一国の主カーディス1世が居た。
お召し物は黒の燕尾服。晩餐会の帰り道だった。
主の右隣に居る私が答える。
「邸に戻ります。お疲れ様でした、陛下」
「別に疲れてはいないさ。俺は座って居ただけだからな」
白のリボンタイを外し、襟許を緩める。
陛下の右には私、左は私の部下が固めていた。襲撃や暗殺に備えたものだ。
灰色の軍服は、深紅の襟が高く立てられている。
主は左の従者に声を掛ける。
「お前、少しやつれたのではないか?」
「そのように見えますか。すみません、自己管理が足りませんね」
彼は、私より2つ年若い部下。仕事は極めてよくやってくれている。
主に心酔しているせいか、陛下と同じように髪を長く伸ばしていた。
「ラルヴィスに仕事を押し付けられているのか?」
「いえ。閣下は下官にもお優しい方ですから」
「本当か。信じがたいな。上官に言いにくいのなら俺に言え?」
冗談だと思ったらしい部下は、口許を隠して上品に笑う。
主は、キャラメル色の髪を避けて、部下の頬に手を添えた。
「やはり、顎のラインが、以前より細くなっている」
頬から顎へと指を這わせる。
部下は息を飲んで、主を見つめていた。
「陛下、私の部下にお気遣い頂き、恐れ入ります」
私が謝辞を述べると、主はやっと手を離した。
部下は、私に恐縮しているのか、目を伏せている。
主は満足そうな笑みを浮かべて言う。
「何、俺に仕える者達を気遣うのは当然だ」
「私への当て付けかと思いましたが」
「まさか」
他愛の無い会話を繰り返しながら、車は邸へと向かう。
公園を通り掛かった時、信号が赤に変わった。
園内の中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
彼は何か叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、何か言葉を交わしながら、歩いていく。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
車が動き出して、影が見えなくなる。
視界から親子が消えて初めて、ずっと目で追っていたのだと気付いた。
母は私を捨てた。あのように手を繋いだことはない。
義母は優しかったが、早くに天に召された。
今はもう、彼女の手を取ることは叶わない。
「ラルヴィス」
「あ、はい」
「そう言えば、例の話だがな」
『例の話』などした記憶はない。
何か案件があったかと思いを巡らせていると、
私の左手に何かが触れた。
視線だけ移すと、主の右手に覆われていた。
私の手を取ったまま、陛下の膝の影に寄せられる。
運転手からも部下からも、見えない位置で、
陛下の指が、私の指の間を割り、全ての指を絡め取る。
指に直接伝わるぬくもり。
義母の手もこんな風に温かかった。
「俺では力不足か? ラルヴィス」
いつになく優しい声に、溺れそうになる。
だが、今は執務中だ。部下も居る。
部下の前で醜態を晒せるような性格ではなかった。
眉を顰め、やっと言葉を返す。
「いいえ」
家族が一人も居なくとも、良い。
他の誰も要らない。
「貴方しか居ません、陛下」
主の手を握り返した。
fin
■シルヴァン×ジョシュア
-------------------------
-------------------------
「ありがとう、シルヴァン。一緒に来てくれて」
ジョシュアは右腕に焦茶色の紙袋を抱えています。
アルフォンソ島のスーパーの袋です。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っています。
「シルヴァンが手伝ってくれて助かったよ」
「いえいえ。僕、丁度、暇でしたから」
隣を歩く僕も紙袋を持っています。
こちらの方に重いものを中心に入れておきました。
僕の体力は、こういう時に使っておかないと。
レッドの提案で、今夜はバーベキューパーティ。
まあ、そこまではいつものことなんですが。
買い出しを誰にするかじゃんけんで決めたら、
ジョシュアが負けたので。つい付いて来てしまいました。
王子様をお一人で歩かせるのは心配でしたし、荷物持ちさせるのも気が引けて。
本人は全然気にしていないんですけどね。
いつも誰かが傍に居る彼と、二人で居られることなんて、
こういう時でもなければ、なかなかありませんからね。
ジョシュアの紙袋が、くしゃりと音を立てました。
「シルヴァン」
「あ、はい?」
「なんだか、周りを気にしているね。何か探しているのかい?」
「ああ、いえ。蝶が飛んでいたので」
「蝶?」
「ええ。ほら、あそこに。春ですね」
他愛の無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていきます。
一歩一歩進む度に惜しいような気がしていました。
このまま二人で何処かへ行ってしまいたいところですが、
ジョシュアが許してくれる筈、ありませんよね。
公園を通り掛かった時、ジョシュアが足を止めました。
園内を見ています。中央には噴水。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園でした。
「ジョシュア、どうしました?」
「ああ、うん。あの子、どうしたのかなと思ってね」
ブランコに一人で座っている男の子が居ました。
5歳前後でしょうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めています。
その光景を、ジョシュアは深刻に見つめていました。
通りすがりの子どもにも心を砕くなんて。本当に貴方という人は。
ジョシュアに気に掛けて貰えるあの子が、ちょっと羨ましいです。
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りました。
「ママ!」と叫んで、駆け出します。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付きました。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でて。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いで。
親子は公園を出て、僕達の傍を通り過ぎました。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声。
母親の返事は聞こえませんでしたが、
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届きました。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来ます。
影の手も、しっかりと結ばれていました。
ちらと隣を覗くと、宝石のような瞳は、輝きを失っていました。
「ジョシュア、お母上のこと、思い出してしまいました?」
彼の母は、クリスティーナ・グラント。
ジョシュアの父、プリンス・エドワードのご逝去後、
地雷除去など世界中でボランティアをされていました。
ノーベル平和賞を取るだろうと言われるほど熱心な方でした。
お母上のお気持ちも解らないではありません。
愛した人との思い出が詰まった家に居られず、
ジョシュアの顔を見ることさえ、彼女にはできなかったのでしょう。
熱心にボランティアに励むことが、彼女にとって、
悲しみを忘れる唯一の方法だったのかもしれません。
世界中の人の手を取り、多くの笑顔を貰うことで、
彼女自身も存在意義を持ち直し、励まされたのでしょう。
そして、ご活動中にアフリカで病死され、
幼い子供の許には戻らないまま、愛した人の傍に。
18歳になった子供は、生徒代表として、立派過ぎる程に振舞っています。
「大丈夫だよ。さあ、帰ろうか。遅くなると皆に心配掛けてしまうし」
誰かに頼ることを知らないまま、育ったのでしょう。
彼が寂しい時、母は他の手を取っていたのですから。
孤独も、不安も、自分の中に閉じ込めて。
誰にも心配を掛けまいと、人には「大丈夫」と口にして。
自分の部屋では、ずっと独りで、膝を抱えてきたのではありませんか。
「ねえ、ジョシュア。僕達も、あの親子の真似をしてみませんか?」
「真似って?」
「僕の手でよければ、いつでもお貸ししますよ?」
「ありがとう。優しいね、シルヴァンは」
夕焼けを浴びた横顔は、仄暗くて。
空いている左手は、きつく握られていました。
「でも、すまない。止めて置くよ」
ジョシュアの左手は紙袋に添えられました。
紙が摺れる音がして。
彼は搾り出すような声で、低く呟きました。
「一度、触れてしまったら、離せなくなってしまいそうだから」
fin
ジョシュアは右腕に焦茶色の紙袋を抱えています。
アルフォンソ島のスーパーの袋です。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っています。
「シルヴァンが手伝ってくれて助かったよ」
「いえいえ。僕、丁度、暇でしたから」
隣を歩く僕も紙袋を持っています。
こちらの方に重いものを中心に入れておきました。
僕の体力は、こういう時に使っておかないと。
レッドの提案で、今夜はバーベキューパーティ。
まあ、そこまではいつものことなんですが。
買い出しを誰にするかじゃんけんで決めたら、
ジョシュアが負けたので。つい付いて来てしまいました。
王子様をお一人で歩かせるのは心配でしたし、荷物持ちさせるのも気が引けて。
本人は全然気にしていないんですけどね。
いつも誰かが傍に居る彼と、二人で居られることなんて、
こういう時でもなければ、なかなかありませんからね。
ジョシュアの紙袋が、くしゃりと音を立てました。
「シルヴァン」
「あ、はい?」
「なんだか、周りを気にしているね。何か探しているのかい?」
「ああ、いえ。蝶が飛んでいたので」
「蝶?」
「ええ。ほら、あそこに。春ですね」
他愛の無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていきます。
一歩一歩進む度に惜しいような気がしていました。
このまま二人で何処かへ行ってしまいたいところですが、
ジョシュアが許してくれる筈、ありませんよね。
公園を通り掛かった時、ジョシュアが足を止めました。
園内を見ています。中央には噴水。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園でした。
「ジョシュア、どうしました?」
「ああ、うん。あの子、どうしたのかなと思ってね」
ブランコに一人で座っている男の子が居ました。
5歳前後でしょうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めています。
その光景を、ジョシュアは深刻に見つめていました。
通りすがりの子どもにも心を砕くなんて。本当に貴方という人は。
ジョシュアに気に掛けて貰えるあの子が、ちょっと羨ましいです。
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りました。
「ママ!」と叫んで、駆け出します。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付きました。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でて。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いで。
親子は公園を出て、僕達の傍を通り過ぎました。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声。
母親の返事は聞こえませんでしたが、
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届きました。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来ます。
影の手も、しっかりと結ばれていました。
ちらと隣を覗くと、宝石のような瞳は、輝きを失っていました。
「ジョシュア、お母上のこと、思い出してしまいました?」
彼の母は、クリスティーナ・グラント。
ジョシュアの父、プリンス・エドワードのご逝去後、
地雷除去など世界中でボランティアをされていました。
ノーベル平和賞を取るだろうと言われるほど熱心な方でした。
お母上のお気持ちも解らないではありません。
愛した人との思い出が詰まった家に居られず、
ジョシュアの顔を見ることさえ、彼女にはできなかったのでしょう。
熱心にボランティアに励むことが、彼女にとって、
悲しみを忘れる唯一の方法だったのかもしれません。
世界中の人の手を取り、多くの笑顔を貰うことで、
彼女自身も存在意義を持ち直し、励まされたのでしょう。
そして、ご活動中にアフリカで病死され、
幼い子供の許には戻らないまま、愛した人の傍に。
18歳になった子供は、生徒代表として、立派過ぎる程に振舞っています。
「大丈夫だよ。さあ、帰ろうか。遅くなると皆に心配掛けてしまうし」
誰かに頼ることを知らないまま、育ったのでしょう。
彼が寂しい時、母は他の手を取っていたのですから。
孤独も、不安も、自分の中に閉じ込めて。
誰にも心配を掛けまいと、人には「大丈夫」と口にして。
自分の部屋では、ずっと独りで、膝を抱えてきたのではありませんか。
「ねえ、ジョシュア。僕達も、あの親子の真似をしてみませんか?」
「真似って?」
「僕の手でよければ、いつでもお貸ししますよ?」
「ありがとう。優しいね、シルヴァンは」
夕焼けを浴びた横顔は、仄暗くて。
空いている左手は、きつく握られていました。
「でも、すまない。止めて置くよ」
ジョシュアの左手は紙袋に添えられました。
紙が摺れる音がして。
彼は搾り出すような声で、低く呟きました。
「一度、触れてしまったら、離せなくなってしまいそうだから」
fin
■レッド×ハルヤ
-----------------
-----------------
「ハルヤ、食べるもん、このくらいで足りるか?」
レッドは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「今日は結構多めに買ったつもりなんだけど」
「あ、俺のこと気にしてくれてたの? 別に良いのに」
「でも、腹減ってんだろ、今」
「うん」
隣を歩くハルヤも紙袋を抱えている。
こちらの方が幾分小さい。
俺の提案で、今夜はバーベキューパーティ。
買い出しじゃんけんに、ハルヤが負けたから。俺も付いて来てやった。
ハルヤの奴、こんなひょろい身体して、休みの日には、
アクティビティだって言って街の早食い大会とか出てる。
そんでフツーに優勝する。
ホットドック23個とか、コイツのドコに入るんだろ。
でも翌日、保健室で会ったりするから、訳わかんね。
「ハルヤってさ、普段の夕食って足りてないんじゃねーの?」
「まあ」
「腹減ったらどーしてるわけ?」
「どうしてもお腹空いたら何か食べるけど。面倒な時はそのままだし」
「お前、昔からそんな食べてたのか?」
「ううん。この学院に来てからかな」
他愛も無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、ハルヤが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「ハルヤ?」
「あ、ごめん…止まったりして」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「ほら、帰るぞ、ハルヤ」
「あ、待って」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
ハルヤの目は親子を追っていた。
「ハルヤ…おい、ハルヤ!」
「あっ、ごめん、なに?」
「俺、解った。お前が食い過ぎてる理由」
「マジで? そんな理由とかあんの?」
「ああ。俺が治してやるから、言うこと聞けよ?」
「え。あ、うん」
俺が手を差し出すと、ハルヤは首を傾げた。
「…レッド?」
「ほら早く握れよ」
「なっ、なんでそんな…」
「言うこと聞くって言っただろ」
「でも、レッドと手を繋いだら、俺、少食になんの?」
「なるっ!」
「あの、意味わかんないんだけど…」
「イイから、手ぇ貸せって」
「あっ」
二人の足許で、影が繋がる。
「どうだ? 今、腹減ってないだろ?」
「わ、わかんないよ、お腹のことなんかっ」
「ほら、なっ?」
「もう解ったから、離してよ」
「照れんなって。イイじゃん、たまにはさ」
「よくないよ…」
繋いだ手をブランコのように振る。
宙を漕ぐ度に、子供になったみたいな気分になる。
ハルヤの顔は夕陽より真っ赤だ。
「あー。なんか俺が腹減って来たなー。なあ、ハルヤ」
「なんだよ」
「お前、食ってもイイ?」
fin
■ユウタ×エンジュ
-------------------
-------------------
「エンジュ、ありがと。買い物まで手伝って貰っちゃって」
ユウタは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「重いのばっか持ってくれてるし…」
「これくらい何ともない」
隣を歩くエンジュも紙袋を抱えている。
こちらの方が幾分大きい。
レッドのアイディアで、今夜はバーベキューパーティ。
買い出しじゃんけんに俺が負けて。
スーパーに来るまで間に、街の裏通りでエンジュを見掛けた。
「エンジュ。あんなところで何してたの?」
「何も」
「なんかさ、しゃがんでたじゃん? 具合でも悪かったの?」
「いいや。あの通りには、猫が一匹住んでいる」
「あ。そうなんだ。エンジュ、猫、好きなの?」
「別に。あいつが勝手に寄ってくるだけだ」
「俺も見たいな、その猫。連れてって、エンジュ」
「お前は、本当に…」
「え?」
「…いや。来い、こっちだ」
「やったあ。ありがと!」
「礼には及ばない」
「あっ、ねえ。エンジュもバーベキューパーティに来て?」
「俺が?」
「うん。ウーティスのみんなでやるんだ。ね、いいでしょ?」
「そうだな」
「うわあ、やったー! みんなも喜ぶよ!」
「変な寮だな、パーティなんかするなんて。アルファルドとは全然違う」
「だって、レッドがやろうやろう言うんだよー」
他愛も無い会話を繰り返しながら、後を付いて行く。
公園を通り掛かった時、エンジュが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「エンジュ、どうしたの?」
「いや」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「エンジュ…あの子、見てたの?」
「別に」
「あっ、あれ、お母さんかな?」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「良かったね、お母さんが来て」
「そうだな」
「あ。そう言えば、エンジュの家族ってどんな人なの? 兄弟とか居るの?」
「妹が居た」
「居たって…」
「もう居ない」
俺の足が止まる。
すっとエンジュが俺を追い抜かした。
俺の視界が前髪で覆われる。
「ごめん、俺…」
「早く来い。猫を見に行くのだろう?」
「あ、うん」
背中を追い駆けて行く。
俺が追い着くと、エンジュは歩くスピードを少し落としてくれた。
「エンジュ、妹のこと好きなんだね」
「何故、そう思う?」
「なんか、お兄ちゃんって顔してた」
「どんな顔だ、それは」
「優しい顔」
「俺は、優しくなどない」
「優しいよ。俺のこと助けてくれたもん。…ねえ。エンジュ」
俺は手を差し出す。
俺の手の平はオレンジ色になる。
エンジュは首を傾げる。
揺れた黒髪はセピア色に見えた。
「なんだ、その手は」
「手、繋ごう? 俺が半分貰ってあげる」
「何を」
「エンジュの淋しい気持ち」
エンジュは一度だけ目を瞬いて、
ふっと微笑を漏らした。
「お前、変な奴だな」
fin
ユウタは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「重いのばっか持ってくれてるし…」
「これくらい何ともない」
隣を歩くエンジュも紙袋を抱えている。
こちらの方が幾分大きい。
レッドのアイディアで、今夜はバーベキューパーティ。
買い出しじゃんけんに俺が負けて。
スーパーに来るまで間に、街の裏通りでエンジュを見掛けた。
「エンジュ。あんなところで何してたの?」
「何も」
「なんかさ、しゃがんでたじゃん? 具合でも悪かったの?」
「いいや。あの通りには、猫が一匹住んでいる」
「あ。そうなんだ。エンジュ、猫、好きなの?」
「別に。あいつが勝手に寄ってくるだけだ」
「俺も見たいな、その猫。連れてって、エンジュ」
「お前は、本当に…」
「え?」
「…いや。来い、こっちだ」
「やったあ。ありがと!」
「礼には及ばない」
「あっ、ねえ。エンジュもバーベキューパーティに来て?」
「俺が?」
「うん。ウーティスのみんなでやるんだ。ね、いいでしょ?」
「そうだな」
「うわあ、やったー! みんなも喜ぶよ!」
「変な寮だな、パーティなんかするなんて。アルファルドとは全然違う」
「だって、レッドがやろうやろう言うんだよー」
他愛も無い会話を繰り返しながら、後を付いて行く。
公園を通り掛かった時、エンジュが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「エンジュ、どうしたの?」
「いや」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「エンジュ…あの子、見てたの?」
「別に」
「あっ、あれ、お母さんかな?」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「良かったね、お母さんが来て」
「そうだな」
「あ。そう言えば、エンジュの家族ってどんな人なの? 兄弟とか居るの?」
「妹が居た」
「居たって…」
「もう居ない」
俺の足が止まる。
すっとエンジュが俺を追い抜かした。
俺の視界が前髪で覆われる。
「ごめん、俺…」
「早く来い。猫を見に行くのだろう?」
「あ、うん」
背中を追い駆けて行く。
俺が追い着くと、エンジュは歩くスピードを少し落としてくれた。
「エンジュ、妹のこと好きなんだね」
「何故、そう思う?」
「なんか、お兄ちゃんって顔してた」
「どんな顔だ、それは」
「優しい顔」
「俺は、優しくなどない」
「優しいよ。俺のこと助けてくれたもん。…ねえ。エンジュ」
俺は手を差し出す。
俺の手の平はオレンジ色になる。
エンジュは首を傾げる。
揺れた黒髪はセピア色に見えた。
「なんだ、その手は」
「手、繋ごう? 俺が半分貰ってあげる」
「何を」
「エンジュの淋しい気持ち」
エンジュは一度だけ目を瞬いて、
ふっと微笑を漏らした。
「お前、変な奴だな」
fin
■レッド×ユウタ
-----------------
-----------------
「で! あのドラマは、ああいう不思議なエンディングになったわけ!」
レッドは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「あ。やべっ。人には言うなって、監督に止められてたんだった」
「あははっ、もう俺、聞いちゃったよ」
隣を歩くユウタも紙袋を抱えている。
こちらの方が幾分小さい。
俺の提案で、今夜はバーベキューパーティ。
買い出しじゃんけんに、言い出しの俺が負けた。
そしたら「俺も付いてく」とユウタが言って来た。
ユウタは弟っぽいヤツだ。
まあ、姉ちゃんが居るからほんとに弟なんだけど。
俺の弟、トニーは俺より、しっかりしてるっていうか、
今、売れっ子の子役だから、ちょっとマセてて。
あんまり可愛げがないんだけど。
トニーよりユウタの方が、ずっと弟ってかんじがする。
「ねえねえ、レッド」
「ん?」
「今の話、俺、誰にも言わないよ」
「ああ。そーしてくれると助かる」
「うん」
「なに嬉しそうにしてんだよ」
「別に。フツーだよ」
他愛も無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、ユウタが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「ユウタ、何見てんだ?」
「あの子…どうしたのかな」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「なんか可哀想…大丈夫かなあ」
「放っておけって。帰るぞ、ユウタ」
「あ、ねえ、ちょっと待って」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「ユウタ。なにボケっとしてんだよ」
「なんか姉貴のこと思い出しちゃった」
「姉ちゃんのこと?」
「うん。子供の時は姉貴と姉貴の友達とかと公園で遊んでたなと思って」
「へえー。ユウタの姉ちゃんは、子供の時も可愛いかったんだろーなー」
「なっ、何言ってんだよ、レッド!」
「それで、何して遊ぶわけ?」
途端にユウタは俯いた。
「い、言いたくないよ…」
「お前、姉ちゃんと言えないような遊びしてたのかよ!?」
「違うよ! …ごっこ遊び、だよ」
「何ごっこ?」
「お、おままごと、とか、ヒーローごっことか色々」
「お前、女の子役ばっかだっただろ! しかもスカートとか着せられて!」
「なな、なんで知ってんの!? 姉貴に聞いたの!?」
「いーや、カン。でも当たったみたいだな?」
「もうレッド!」
「イイじゃん。兄弟で遊ぶのって。俺達はあんま遊んだことないんだよなー」
「え。そうなの?」
「ああ。仲悪いわけじゃねーんだけど、みんな忙しくてさ」
「そっか。レッドんち、芸能一家だもんね」
空は真っ赤に染まってる。
俺の好きな色。
俺の色だ。
カラスが鳴いた時、すげーイイことを思い付いた。
「なあ、ユウタ。男の子役、させてやろっか?」
「な、なにそれ…」
「俺の弟役ってのはどーだ?」
「…レッドの弟になって、何すればいいの?」
俺は、弟に手を差し出す。
「兄ちゃんと手を繋いで帰る!」
fin
レッドは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「あ。やべっ。人には言うなって、監督に止められてたんだった」
「あははっ、もう俺、聞いちゃったよ」
隣を歩くユウタも紙袋を抱えている。
こちらの方が幾分小さい。
俺の提案で、今夜はバーベキューパーティ。
買い出しじゃんけんに、言い出しの俺が負けた。
そしたら「俺も付いてく」とユウタが言って来た。
ユウタは弟っぽいヤツだ。
まあ、姉ちゃんが居るからほんとに弟なんだけど。
俺の弟、トニーは俺より、しっかりしてるっていうか、
今、売れっ子の子役だから、ちょっとマセてて。
あんまり可愛げがないんだけど。
トニーよりユウタの方が、ずっと弟ってかんじがする。
「ねえねえ、レッド」
「ん?」
「今の話、俺、誰にも言わないよ」
「ああ。そーしてくれると助かる」
「うん」
「なに嬉しそうにしてんだよ」
「別に。フツーだよ」
他愛も無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、ユウタが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「ユウタ、何見てんだ?」
「あの子…どうしたのかな」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「なんか可哀想…大丈夫かなあ」
「放っておけって。帰るぞ、ユウタ」
「あ、ねえ、ちょっと待って」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「ユウタ。なにボケっとしてんだよ」
「なんか姉貴のこと思い出しちゃった」
「姉ちゃんのこと?」
「うん。子供の時は姉貴と姉貴の友達とかと公園で遊んでたなと思って」
「へえー。ユウタの姉ちゃんは、子供の時も可愛いかったんだろーなー」
「なっ、何言ってんだよ、レッド!」
「それで、何して遊ぶわけ?」
途端にユウタは俯いた。
「い、言いたくないよ…」
「お前、姉ちゃんと言えないような遊びしてたのかよ!?」
「違うよ! …ごっこ遊び、だよ」
「何ごっこ?」
「お、おままごと、とか、ヒーローごっことか色々」
「お前、女の子役ばっかだっただろ! しかもスカートとか着せられて!」
「なな、なんで知ってんの!? 姉貴に聞いたの!?」
「いーや、カン。でも当たったみたいだな?」
「もうレッド!」
「イイじゃん。兄弟で遊ぶのって。俺達はあんま遊んだことないんだよなー」
「え。そうなの?」
「ああ。仲悪いわけじゃねーんだけど、みんな忙しくてさ」
「そっか。レッドんち、芸能一家だもんね」
空は真っ赤に染まってる。
俺の好きな色。
俺の色だ。
カラスが鳴いた時、すげーイイことを思い付いた。
「なあ、ユウタ。男の子役、させてやろっか?」
「な、なにそれ…」
「俺の弟役ってのはどーだ?」
「…レッドの弟になって、何すればいいの?」
俺は、弟に手を差し出す。
「兄ちゃんと手を繋いで帰る!」
fin
■ジョシュア×ハルヤ
---------------------
---------------------
「ジョシュア、ありがと、一緒に来てくれて」
ハルヤは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「俺一人だったら持てなかったね。ほんとありがと」
「どういたしまして。ハルヤの役に立てて嬉しいよ」
隣を歩くジョシュアも紙袋を抱えている。
こちらの方が幾分大きい。
レッドの提案で、今夜はバーベキューパーティ。
買い出しじゃんけんに、俺が負けちゃった。
なんか最近負けてばっかなんだよね。
そうしたら、ジョシュアが「俺も一緒に行くよ」って言ってくれた。
お店の中でも、俺が何買って良いか悩んでたら、ジョシュアが決めてくれるし。
ほんと優しくて、頼りになって。兄様みたい。
生徒代表だからっていうか、最高学年でもあるんだけど、
なんていうのかな、みんなのお兄さんってかんじで。
頭も良いし、性格も良いし、スポーツもできて、格好良い。
素でも王子様なのに、血筋でも本当に王子様だし。
そんなカンペキな人って本当に居るんだなあ。ダメな俺とは全然違う。
なんでジョシュアみたいな人が、俺なんかの隣でスーパーの紙袋持ってんだろ。
「ハルヤ? どうかしたかい?」
「あ。別に…」
「そう? 荷物、重かった?」
「ううん、大丈夫」
他愛も無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、ジョシュアが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「ジョシュア?」
「あの子、どうしたのかな」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
それをジョシュアが、心配そうに見つめている。
「ジョシュアって、ほんと優しいんだね」
「そんなこと…あっ」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
ジョシュアは、ほっとしたように微笑む。
「良かった…あ、ごめん、待たせてしまって。俺達も帰ろうか」
「うん」
静かな帰り道。
俺達の靴音だけが響いている。
何処かの家から夕飯の匂いがした。
「ハルヤ。ひとつお願いがあるんだけど、聞いてくれるかい?」
「えっ。なに?」
ジョシュアの微笑が夕陽を浴びている。
彼は手を差し出して、小首を傾げた。
「学院に着くまで、君と手を繋いでも良いかな?」
fin
ハルヤは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「俺一人だったら持てなかったね。ほんとありがと」
「どういたしまして。ハルヤの役に立てて嬉しいよ」
隣を歩くジョシュアも紙袋を抱えている。
こちらの方が幾分大きい。
レッドの提案で、今夜はバーベキューパーティ。
買い出しじゃんけんに、俺が負けちゃった。
なんか最近負けてばっかなんだよね。
そうしたら、ジョシュアが「俺も一緒に行くよ」って言ってくれた。
お店の中でも、俺が何買って良いか悩んでたら、ジョシュアが決めてくれるし。
ほんと優しくて、頼りになって。兄様みたい。
生徒代表だからっていうか、最高学年でもあるんだけど、
なんていうのかな、みんなのお兄さんってかんじで。
頭も良いし、性格も良いし、スポーツもできて、格好良い。
素でも王子様なのに、血筋でも本当に王子様だし。
そんなカンペキな人って本当に居るんだなあ。ダメな俺とは全然違う。
なんでジョシュアみたいな人が、俺なんかの隣でスーパーの紙袋持ってんだろ。
「ハルヤ? どうかしたかい?」
「あ。別に…」
「そう? 荷物、重かった?」
「ううん、大丈夫」
他愛も無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、ジョシュアが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「ジョシュア?」
「あの子、どうしたのかな」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
それをジョシュアが、心配そうに見つめている。
「ジョシュアって、ほんと優しいんだね」
「そんなこと…あっ」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
ジョシュアは、ほっとしたように微笑む。
「良かった…あ、ごめん、待たせてしまって。俺達も帰ろうか」
「うん」
静かな帰り道。
俺達の靴音だけが響いている。
何処かの家から夕飯の匂いがした。
「ハルヤ。ひとつお願いがあるんだけど、聞いてくれるかい?」
「えっ。なに?」
ジョシュアの微笑が夕陽を浴びている。
彼は手を差し出して、小首を傾げた。
「学院に着くまで、君と手を繋いでも良いかな?」
fin
■レッド×アンリ
-----------------
-----------------
「今夜のバーベキュー、楽しみだぜ~!」
レッドは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「てか、アンリ! お前もなんか持てよ!」
「嫌。じゃんけんに負けたのは君でしょ?」
隣を歩くアンリは何も持っていない。
俺の提案で、今夜はバーベキューパーティ。
買い出しじゃんけんに、俺が負けちまって。
なんかよくわかんねーけど、アンリが付いて来た。
「なんでお前も来んだよ」って聞いたら、
「何処に居ようと僕の勝手でしょ」とか言いやがる。
スーパーで何か買うのかと思ったら、何も買わねーし。
俺がカゴに入れるものに、横から毒吐くだけ。
俺が美味そうな肉入れたら「今日はシーフードが良い」とか。
「そのエビじゃなくてこっちにして」とか、めちゃくちゃわがまま。
傍にジョシュアも居ねーから、俺達の言い合いエスカエートしまくりだし。
気が付いたら、周りの客からすげー注目浴びてた。毒舌遣いのせいだ。
んで、さんざ文句言った挙句、何も持たねえし。
ったく、なんなんだ、このわがままプリンセスは。
「ねえ。レッド」
「んだよ、今度は」
「毎回バーベキューパーティって芸が無さ過ぎない? 僕、もう飽きたな」
「あー!? お前が、今日はシーフードにしろって言ったんだろ!」
「それは君が肉ばかり選んでいたからでしょ」
「バカか、お前! バーベキューと言えば肉だろうが!」
「あ。帰る前にケーキ屋に寄って。今夜のデザートが欲しいから」
「ケーキよりエビを食えよ! エビを!」
言い合いが止まらないまま、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、アンリが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「アンリ、何見てんだ?」
「…何でもないよ。行こう」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「あのガキ、腹でも減ったのかな?」
「…単細胞」
「なんつったてめえ!?」
「単細胞」
俺がアンリに掴みかかろうとした時、
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
アンリは繋がれた手に目を奪われていた。
まるで、初めて見たみたいに。
いつものアンリじゃなかった。
さっきのガキとおんなじ顔してた。
俺の前で、そういう顔すんな、バカ。調子狂うだろーが。
アンリは、わがままで、嫌味で、生意気で。
上から目線で、人の揚げ足ばっか取って。
毒吐きまくりで、俺のことバカにすんのがお前なのに。
「おい、アンリ」
肩を掴んで、無理矢理こっちを向かせる。
アンリは眉を顰める。
「痛いな。何なの、急に」
「手なら俺が繋いでやるから」
「…何言って」
手首を掴む。
細い。俺よりずっと。力を込めたら折れちまいそうだ。
琥珀の瞳が俺を見上げている。
普段は冷たいそれが、戸惑いの色に染まっている。
慣れてない眼差しから、目を逸らす。
「…俺以外のもん、見てんじゃねえよ」
fin
レッドは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「てか、アンリ! お前もなんか持てよ!」
「嫌。じゃんけんに負けたのは君でしょ?」
隣を歩くアンリは何も持っていない。
俺の提案で、今夜はバーベキューパーティ。
買い出しじゃんけんに、俺が負けちまって。
なんかよくわかんねーけど、アンリが付いて来た。
「なんでお前も来んだよ」って聞いたら、
「何処に居ようと僕の勝手でしょ」とか言いやがる。
スーパーで何か買うのかと思ったら、何も買わねーし。
俺がカゴに入れるものに、横から毒吐くだけ。
俺が美味そうな肉入れたら「今日はシーフードが良い」とか。
「そのエビじゃなくてこっちにして」とか、めちゃくちゃわがまま。
傍にジョシュアも居ねーから、俺達の言い合いエスカエートしまくりだし。
気が付いたら、周りの客からすげー注目浴びてた。毒舌遣いのせいだ。
んで、さんざ文句言った挙句、何も持たねえし。
ったく、なんなんだ、このわがままプリンセスは。
「ねえ。レッド」
「んだよ、今度は」
「毎回バーベキューパーティって芸が無さ過ぎない? 僕、もう飽きたな」
「あー!? お前が、今日はシーフードにしろって言ったんだろ!」
「それは君が肉ばかり選んでいたからでしょ」
「バカか、お前! バーベキューと言えば肉だろうが!」
「あ。帰る前にケーキ屋に寄って。今夜のデザートが欲しいから」
「ケーキよりエビを食えよ! エビを!」
言い合いが止まらないまま、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、アンリが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「アンリ、何見てんだ?」
「…何でもないよ。行こう」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「あのガキ、腹でも減ったのかな?」
「…単細胞」
「なんつったてめえ!?」
「単細胞」
俺がアンリに掴みかかろうとした時、
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
アンリは繋がれた手に目を奪われていた。
まるで、初めて見たみたいに。
いつものアンリじゃなかった。
さっきのガキとおんなじ顔してた。
俺の前で、そういう顔すんな、バカ。調子狂うだろーが。
アンリは、わがままで、嫌味で、生意気で。
上から目線で、人の揚げ足ばっか取って。
毒吐きまくりで、俺のことバカにすんのがお前なのに。
「おい、アンリ」
肩を掴んで、無理矢理こっちを向かせる。
アンリは眉を顰める。
「痛いな。何なの、急に」
「手なら俺が繋いでやるから」
「…何言って」
手首を掴む。
細い。俺よりずっと。力を込めたら折れちまいそうだ。
琥珀の瞳が俺を見上げている。
普段は冷たいそれが、戸惑いの色に染まっている。
慣れてない眼差しから、目を逸らす。
「…俺以外のもん、見てんじゃねえよ」
fin
■ユウタ×ミハイル
-------------------
-------------------
「ごめんね、ユウタ。僕のせいで…」
ミハイルは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「僕のせいで、お買い物、重たくなっちゃって、ごめんね…」
「もう何言ってんだよ。ミハイル一人分でそんなに重たくなんないって」
「ほんと? ほんとに?」
「ほんとだよ。ミハイルが一緒に来てくれて助かってる」
隣を歩くユウタも紙袋を持っている。
こちらの方が幾分大きい。
レッドの提案で、今夜はバーベキューパーティ。
まあ、そこまではいつものことなんだけど。
今日はミハイルも一緒。
ミハイルは最近レッドが出演した映画を見てる。
それで俺、レッドに教えてあげたんだ。
「ミハイルが映画面白いって言ってたよ」って。
そしたらレッド、喜んじゃって。
早速、ミハイルを呼んでパーティしようって話になっちゃったんだよね。
買い出しじゃんけんは俺が負けて。
出掛けようとしたら、ミハイルに制服のしっぽを掴まれた。
「僕も一緒に行ってもいい?」って聞かれたんだ。
ミハイルの紙袋が、くしゃりと音を立てる。
「ユウタ」
「なあに、ミハイル」
「あの、僕ね」
「うん」
「僕ね、今日、初めてだったの」
「ん?」
「初めて、島のスーパーでお買い物したの」
「え。ほんと?」
「うん。僕、普段は学院の外にも行かないし」
「そっかあ。で、どうだった? 初めてのスーパー」
「うん。いろんな物がいっぱいあって、僕、びっくりしちゃった」
「だから、ミハイル、きょろきょろしてたんだ」
他愛の無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、ミハイルが足を止めた。
ユウタのおでこと、ミハイルの背中がぶつかる。
「ごめんね、ユウタ、僕のせいでっ」
「ああ、全然ヘーキだよ。ミハイル、公園がどうかしたの?」
「ううん、ごめんね。何でもないの…」
ユウタは園内を見てみる。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「ミハイル。あの子、気になるの?」
「あ、うん。どうしたのかなって、ちょっと思って…」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「良かったあ、お母さん迎えに来てくれて。ね、ミハイル」
「うん。良かった」
ミハイルの微笑は夕焼けを浴びている。
スカイブルーの大きな瞳が、少し翳る。
「ね。ユウタ」
「うん?」
「あの…」
「うん」
「あの、ね」
「うん」
「えっと…あっ、ごめん、やっぱり…」
「ミハイル。俺に遠慮なんかしなくて良いんだよ?」
「ほんと? 怒らない?」
「怒るわけないよ。何でも言って?」
ミハイルの足が止まる。
恥ずかしそうに、紙袋を両腕で抱き締めた。
「僕も、手、繋ぎたいな」
fin
ミハイルは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「僕のせいで、お買い物、重たくなっちゃって、ごめんね…」
「もう何言ってんだよ。ミハイル一人分でそんなに重たくなんないって」
「ほんと? ほんとに?」
「ほんとだよ。ミハイルが一緒に来てくれて助かってる」
隣を歩くユウタも紙袋を持っている。
こちらの方が幾分大きい。
レッドの提案で、今夜はバーベキューパーティ。
まあ、そこまではいつものことなんだけど。
今日はミハイルも一緒。
ミハイルは最近レッドが出演した映画を見てる。
それで俺、レッドに教えてあげたんだ。
「ミハイルが映画面白いって言ってたよ」って。
そしたらレッド、喜んじゃって。
早速、ミハイルを呼んでパーティしようって話になっちゃったんだよね。
買い出しじゃんけんは俺が負けて。
出掛けようとしたら、ミハイルに制服のしっぽを掴まれた。
「僕も一緒に行ってもいい?」って聞かれたんだ。
ミハイルの紙袋が、くしゃりと音を立てる。
「ユウタ」
「なあに、ミハイル」
「あの、僕ね」
「うん」
「僕ね、今日、初めてだったの」
「ん?」
「初めて、島のスーパーでお買い物したの」
「え。ほんと?」
「うん。僕、普段は学院の外にも行かないし」
「そっかあ。で、どうだった? 初めてのスーパー」
「うん。いろんな物がいっぱいあって、僕、びっくりしちゃった」
「だから、ミハイル、きょろきょろしてたんだ」
他愛の無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、ミハイルが足を止めた。
ユウタのおでこと、ミハイルの背中がぶつかる。
「ごめんね、ユウタ、僕のせいでっ」
「ああ、全然ヘーキだよ。ミハイル、公園がどうかしたの?」
「ううん、ごめんね。何でもないの…」
ユウタは園内を見てみる。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「ミハイル。あの子、気になるの?」
「あ、うん。どうしたのかなって、ちょっと思って…」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「良かったあ、お母さん迎えに来てくれて。ね、ミハイル」
「うん。良かった」
ミハイルの微笑は夕焼けを浴びている。
スカイブルーの大きな瞳が、少し翳る。
「ね。ユウタ」
「うん?」
「あの…」
「うん」
「あの、ね」
「うん」
「えっと…あっ、ごめん、やっぱり…」
「ミハイル。俺に遠慮なんかしなくて良いんだよ?」
「ほんと? 怒らない?」
「怒るわけないよ。何でも言って?」
ミハイルの足が止まる。
恥ずかしそうに、紙袋を両腕で抱き締めた。
「僕も、手、繋ぎたいな」
fin
■アンリ×ハルヤ
-----------------
-----------------
「なんだかなあ…」
ハルヤは溜め息を吐く。
右腕には焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「今日も俺が買い物係だし…」
「ハルヤって、じゃんけんも弱いんだね」
隣を歩くアンリは何も持っていない。
アンリとスーパーに来たのなんて、初めてかもしれない。
レッドの思い付きで、今夜はバーベキューパーティで。
買い物係を決めるじゃんけんしたら、俺が負けたんだけど。
「あのさ。じゃんけんに負けたのは俺なのに、どうして付いて来たの?」
「退屈だったから」
「そう…まあ、良いんだけど」
他愛の無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、アンリが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「どうしたの、アンリ?」
「何でもない」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「あの子、何かあったのかな…」
「行くよ、ハルヤ」
「あ、ちょっと待って」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「ね、アンリ」
「何」
「俺達も、手、繋ぐ?」
「ハルヤは嘘吐きだね、本当に」
アンリの冷笑は夕焼けを浴びている。
彼は口許を歪めたまま、小首を傾げた。
「繋ぐのは、手だけで良いの?」
fin
ハルヤは溜め息を吐く。
右腕には焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「今日も俺が買い物係だし…」
「ハルヤって、じゃんけんも弱いんだね」
隣を歩くアンリは何も持っていない。
アンリとスーパーに来たのなんて、初めてかもしれない。
レッドの思い付きで、今夜はバーベキューパーティで。
買い物係を決めるじゃんけんしたら、俺が負けたんだけど。
「あのさ。じゃんけんに負けたのは俺なのに、どうして付いて来たの?」
「退屈だったから」
「そう…まあ、良いんだけど」
他愛の無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、アンリが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「どうしたの、アンリ?」
「何でもない」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「あの子、何かあったのかな…」
「行くよ、ハルヤ」
「あ、ちょっと待って」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「ね、アンリ」
「何」
「俺達も、手、繋ぐ?」
「ハルヤは嘘吐きだね、本当に」
アンリの冷笑は夕焼けを浴びている。
彼は口許を歪めたまま、小首を傾げた。
「繋ぐのは、手だけで良いの?」
fin
■オーギュスト×アンリ
-----------------------
-----------------------
「大学教授って、みんな少年のようだね」
アンリはスーツ姿で、手にはビジネスバッグを持っていた。
普段は事業で外出する際に使用しているものだ。
今日は、先程見学してきた学会の資料が入っている。
「少年の好奇心と探究心を持ったまま、大人になったんだね、彼等は」
「成程。そうだね。不思議なことが大好きな人の集まりだから」
隣を歩くオーギュストもスーツ、手には革の鞄を持っている。
茶色の革は使い込まれていて、しっくりと彼に馴染んでいる。
今日初めて、アンリを神秘学の学会に連れて行った。
一度見てみたいから連れて行け、という彼の要望だった。
優秀なアンリならば、学会で討論される内容も理解できるし、
最新の研究情報に触れる良い機会だと思う。
いち教師としても、生徒の勉強意欲は尊重したい。
しかし、当初私は断った。
神秘学の研究者で、アンリの家を知らない者は居ない。
その手の文献には必ず名が載るサン・ジェルマン伯爵。
末裔であるアンリは、初代の血を最も濃く引いている。
言わば、現存する唯一の研究資料だ。
どんな大金を積んでも欲しがる輩が、神秘学の学会には集まっている。
学会に出席したことで万が一素性が割れれば、
アンリがやっと手に入れたアルフォンソという安息の地。
それが一瞬にして奪われる危険性がある。
なるべく丁寧に説明したのだが、
この子は「舞台で自己紹介でもしない限りバレないよ」と冷笑した。
君の顔が割れている人物にはどう対処するのかねと諭せば、
黄金の瞳は私を見上げて言った。「君が守って」と。
無事に会場を後にすることができた。
念の為、アンリのシチリアマフィアのお友達に、
協力を要請して正解だったかもしれない。
「ボージェ教授は今日の学会、楽しめた?」
「うん。興味深い研究発表が2、3あったかな」
「そう」
「アンリの興味を引いたものはあったかい?」
「君の」
「ありがとう」
他愛の無い会話を繰り返しながら、駅の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、アンリが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「アンリ? どうかしたかね?」
「…ううん。別に」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「オーギュスト。行こう」
「おや。アンリ、見てご覧?」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、私達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「私には縁のない光景だね」
「オーギュ?」
「私は神秘学に恋をしているから。あの子のような子供は授からない」
「そう。君の心を捕らえているのは、神秘学なんだね」
「ああ」
「研究者なのだから、神秘学と結婚していると言うべきではないの?」
「いいや。一生、片思いだよ。どんなに焦がれても、私の手には届かない」
夕闇は、徐々に濃くなっていく。
一番星が控えめに顔を覗かせている。
もうすぐ月も昇り始めるだろう。
「だからね、私の息子はアンリしか居ないんだよ」
アンリの肩が僅かに跳ねて、歩みが止まる。
沈みゆく夕陽の陰になり、表情は伺えない。
消え入るような反論が聞こえてくる。
「…何を言うの、オーギュ。君は僕の教師でしょう」
fin
アンリはスーツ姿で、手にはビジネスバッグを持っていた。
普段は事業で外出する際に使用しているものだ。
今日は、先程見学してきた学会の資料が入っている。
「少年の好奇心と探究心を持ったまま、大人になったんだね、彼等は」
「成程。そうだね。不思議なことが大好きな人の集まりだから」
隣を歩くオーギュストもスーツ、手には革の鞄を持っている。
茶色の革は使い込まれていて、しっくりと彼に馴染んでいる。
今日初めて、アンリを神秘学の学会に連れて行った。
一度見てみたいから連れて行け、という彼の要望だった。
優秀なアンリならば、学会で討論される内容も理解できるし、
最新の研究情報に触れる良い機会だと思う。
いち教師としても、生徒の勉強意欲は尊重したい。
しかし、当初私は断った。
神秘学の研究者で、アンリの家を知らない者は居ない。
その手の文献には必ず名が載るサン・ジェルマン伯爵。
末裔であるアンリは、初代の血を最も濃く引いている。
言わば、現存する唯一の研究資料だ。
どんな大金を積んでも欲しがる輩が、神秘学の学会には集まっている。
学会に出席したことで万が一素性が割れれば、
アンリがやっと手に入れたアルフォンソという安息の地。
それが一瞬にして奪われる危険性がある。
なるべく丁寧に説明したのだが、
この子は「舞台で自己紹介でもしない限りバレないよ」と冷笑した。
君の顔が割れている人物にはどう対処するのかねと諭せば、
黄金の瞳は私を見上げて言った。「君が守って」と。
無事に会場を後にすることができた。
念の為、アンリのシチリアマフィアのお友達に、
協力を要請して正解だったかもしれない。
「ボージェ教授は今日の学会、楽しめた?」
「うん。興味深い研究発表が2、3あったかな」
「そう」
「アンリの興味を引いたものはあったかい?」
「君の」
「ありがとう」
他愛の無い会話を繰り返しながら、駅の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、アンリが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「アンリ? どうかしたかね?」
「…ううん。別に」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「オーギュスト。行こう」
「おや。アンリ、見てご覧?」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、私達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「私には縁のない光景だね」
「オーギュ?」
「私は神秘学に恋をしているから。あの子のような子供は授からない」
「そう。君の心を捕らえているのは、神秘学なんだね」
「ああ」
「研究者なのだから、神秘学と結婚していると言うべきではないの?」
「いいや。一生、片思いだよ。どんなに焦がれても、私の手には届かない」
夕闇は、徐々に濃くなっていく。
一番星が控えめに顔を覗かせている。
もうすぐ月も昇り始めるだろう。
「だからね、私の息子はアンリしか居ないんだよ」
アンリの肩が僅かに跳ねて、歩みが止まる。
沈みゆく夕陽の陰になり、表情は伺えない。
消え入るような反論が聞こえてくる。
「…何を言うの、オーギュ。君は僕の教師でしょう」
fin
■春臣×春也
-------------
-------------
「兄様っ。だいじょうぶ? 重くない?」
春也の手には、二輪のカーネーションが握られている。
「兄様、重いの全部持ってくれたから…」
「大丈夫だよ、春也」
隣を歩く春臣は両手にビニール袋を持っている。
近所のスーパーの袋だ。
中には、今夜、カレーライスに使う材料が入っている。
じいさまの家で、日舞の稽古が終わってから、
春也と二人で買い物をしてきた。
今日は母の日。
花屋でカーネーションを選んで、一輪ずつラッピングして貰った。
それからスーパーで材料を買って、母様達にカレーライス作ることにした。
まだ小さい弟は、赤い花を大事そうに抱えた。
他愛の無い会話を繰り返しながら、じいさまの家の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、春臣が足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「春也、どうしたの?」
「あ、あの子…」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
弟は、まるで悲しみが移ったような声で言う。
「あの子、誰かとケンカしちゃったのかな…」
「どうかなあ」
「誰かに嫌われちゃったのかな…」
「なんで春也が泣きそうになってんだよ」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
弟は頬を綻ばせる。
「兄様。あの子のおうちもカレーかもしれないね」
「聞こえたのか?」
「ううん。でも、あの子、嬉しそうだったから」
春也の靴に、石が当たる。
白くて丸い小石。
春也はそれを蹴りながら前に進む。
小さな弟と小石が、よたよたと歩いていく。
「母様達、喜んでくれるかな。ぼく達のプレゼント」
「うん。きっとな」
「ねえ、兄様」
「うん?」
「ぼく、兄様の母様にも、喜んで貰えるかな?」
「春也の母様じゃなくて?」
「うん。兄様の母様は、ぼくのこと嫌いみたいだから」
腹違いの弟は、また小石を蹴る。
転がっていく。
他の黒い石に当たって、止まった。
「ぼくのこと、ちょっと好きになってくれるといいな」
弟は夕焼けを見つめている。
真っ赤な空。
空の端は紫に滲んでいる。カラスが何処かで鳴いた。
また石が飛んで行く。
弟は、付いて来ない兄を振り向く。
「どうしたの、兄様?」
「いや…」
「あ。やっぱり荷物重いの? ぼくに、ひとつ持たせて?」
兄の左手からビニール袋を取る。
重さに、くらりと身体が揺れた。
なんとか踏み止まって、照れたように笑う。
「春也、俺が持つから」
「でも。ぼく、お花しか持ってないし」
「じゃあ、こうしよう?」
手提げの片方を取る。二人で一緒に持つことにした。
兄の左手にはビニール袋ひとつ、右手には弟と一緒に持っている袋。
弟の左手には兄と一緒に持っている袋、右手にはカーネーション。
「これでいいだろう、春也?」
「うん」
「じゃあ、早く帰ろう」
「うん。帰ろ」
夕焼けの下で、小さな兄弟の長い影が出来る。
二人の影の真ん中には、ビニール袋がぶら下がっていた。
fin
春也の手には、二輪のカーネーションが握られている。
「兄様、重いの全部持ってくれたから…」
「大丈夫だよ、春也」
隣を歩く春臣は両手にビニール袋を持っている。
近所のスーパーの袋だ。
中には、今夜、カレーライスに使う材料が入っている。
じいさまの家で、日舞の稽古が終わってから、
春也と二人で買い物をしてきた。
今日は母の日。
花屋でカーネーションを選んで、一輪ずつラッピングして貰った。
それからスーパーで材料を買って、母様達にカレーライス作ることにした。
まだ小さい弟は、赤い花を大事そうに抱えた。
他愛の無い会話を繰り返しながら、じいさまの家の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、春臣が足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「春也、どうしたの?」
「あ、あの子…」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
弟は、まるで悲しみが移ったような声で言う。
「あの子、誰かとケンカしちゃったのかな…」
「どうかなあ」
「誰かに嫌われちゃったのかな…」
「なんで春也が泣きそうになってんだよ」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
弟は頬を綻ばせる。
「兄様。あの子のおうちもカレーかもしれないね」
「聞こえたのか?」
「ううん。でも、あの子、嬉しそうだったから」
春也の靴に、石が当たる。
白くて丸い小石。
春也はそれを蹴りながら前に進む。
小さな弟と小石が、よたよたと歩いていく。
「母様達、喜んでくれるかな。ぼく達のプレゼント」
「うん。きっとな」
「ねえ、兄様」
「うん?」
「ぼく、兄様の母様にも、喜んで貰えるかな?」
「春也の母様じゃなくて?」
「うん。兄様の母様は、ぼくのこと嫌いみたいだから」
腹違いの弟は、また小石を蹴る。
転がっていく。
他の黒い石に当たって、止まった。
「ぼくのこと、ちょっと好きになってくれるといいな」
弟は夕焼けを見つめている。
真っ赤な空。
空の端は紫に滲んでいる。カラスが何処かで鳴いた。
また石が飛んで行く。
弟は、付いて来ない兄を振り向く。
「どうしたの、兄様?」
「いや…」
「あ。やっぱり荷物重いの? ぼくに、ひとつ持たせて?」
兄の左手からビニール袋を取る。
重さに、くらりと身体が揺れた。
なんとか踏み止まって、照れたように笑う。
「春也、俺が持つから」
「でも。ぼく、お花しか持ってないし」
「じゃあ、こうしよう?」
手提げの片方を取る。二人で一緒に持つことにした。
兄の左手にはビニール袋ひとつ、右手には弟と一緒に持っている袋。
弟の左手には兄と一緒に持っている袋、右手にはカーネーション。
「これでいいだろう、春也?」
「うん」
「じゃあ、早く帰ろう」
「うん。帰ろ」
夕焼けの下で、小さな兄弟の長い影が出来る。
二人の影の真ん中には、ビニール袋がぶら下がっていた。
fin
■レッド×ジョシュア
---------------------
---------------------
「ありがとう、レッド。一緒に来てくれて」
ジョシュアは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「レッドが手伝ってくれて助かったよ」
「礼なんかいいって。俺が提案者だしさ?」
隣を歩くレッドも紙袋を持っている。
こちらの方が幾分大きい。
俺の提案で、今夜はバーベキューパーティ。
買い出しを誰にするかじゃんけんで決めたら、ジョシュアが負けた。
ジョシュアの紙袋が、くしゃりと音を立てる。
「レッド」
「ん?」
「今日のパーティは、何を祝ったものなんだい?」
「ああ、別に。理由なんかないけど?」
「え?」
「俺がパーティしたい気分だっただけ」
ジョシュアは目を丸くした後、くくと微笑する。
「良いね。俺、レッドのそういうところ好きだな」
「そお? まあ、好きって言われんのは悪い気しねーけど」
他愛の無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、レッドが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「ジョシュア?」
「あの子、どうしたのかな…」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
その光景を、ジョシュアは深刻に見つめている。
「あのガキ、気になんのか?」
「あ、うん」
「ジョシュアって、ほんと世話好きだなあ」
「…え。そうかい?」
「俺は、お前のそーゆーとこ、好きだぜ」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「良かったな、ジョシュア」
「うん。そう、だね」
ジョシュアの微笑は夕焼けを浴びている。
太陽に似た瞳が、物憂げな色をしていた。
「ジョシュア? どうかしたか?」
「いや、何でもないよ」
「ジョシュア」
俺は手を出して、手の平を空に向ける。
「俺の手なら、空いてるぜ?」
fin
ジョシュアは右腕に焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「レッドが手伝ってくれて助かったよ」
「礼なんかいいって。俺が提案者だしさ?」
隣を歩くレッドも紙袋を持っている。
こちらの方が幾分大きい。
俺の提案で、今夜はバーベキューパーティ。
買い出しを誰にするかじゃんけんで決めたら、ジョシュアが負けた。
ジョシュアの紙袋が、くしゃりと音を立てる。
「レッド」
「ん?」
「今日のパーティは、何を祝ったものなんだい?」
「ああ、別に。理由なんかないけど?」
「え?」
「俺がパーティしたい気分だっただけ」
ジョシュアは目を丸くした後、くくと微笑する。
「良いね。俺、レッドのそういうところ好きだな」
「そお? まあ、好きって言われんのは悪い気しねーけど」
他愛の無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、レッドが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「ジョシュア?」
「あの子、どうしたのかな…」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
その光景を、ジョシュアは深刻に見つめている。
「あのガキ、気になんのか?」
「あ、うん」
「ジョシュアって、ほんと世話好きだなあ」
「…え。そうかい?」
「俺は、お前のそーゆーとこ、好きだぜ」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
「良かったな、ジョシュア」
「うん。そう、だね」
ジョシュアの微笑は夕焼けを浴びている。
太陽に似た瞳が、物憂げな色をしていた。
「ジョシュア? どうかしたか?」
「いや、何でもないよ」
「ジョシュア」
俺は手を出して、手の平を空に向ける。
「俺の手なら、空いてるぜ?」
fin
■ソクーロフ×アイヴィー
-------------------------
-------------------------
「ソクーロフせんせー。質問があるんですけどー」
アイヴィーは両腕に、焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、酒と肴がゴロゴロと入っている。
今宵、アイヴィーの部屋を会場に、二人で飲むことになっている。
「なんだ。アイヴィー。言ってみろ」
「なんで俺が一人で全部持たなきゃなんないんですかー」
ソクーロフは両手をポケットに入れていた。
右手だけ出す。人差し指を立てて、アイヴィーの腕に触れる。
「お前、この筋肉は何の為のものだ?」
「酒を持つ為のものじゃねーよ。てゆうか、これ飲むの殆どお前だし!」
「私に逆らうな」
手首から上になぞっていく。
細い指が、蛇のように腕を這う。
アイヴィーの上腕が、びくりと震えた。
眉間に皺を寄せて、小さく呻く。
「ソ、ソクーロフ…まだ家に着いてないだろっ…」
「他愛の無い奴」
ささやかな抵抗も虚しく、荷物は持って貰えないまま、家に近付いていく。
公園を通り掛かった時、ソクーロフが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「どうした、ソクーロフ?」
「いや。何でもない」
アイヴィーは園内を覗き込む。
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「ソクーロフ。知ってる子?」
「いいや」
「おい。まさか、お前…」
「なんだ」
「あの子に手を出すのは止めとけ! 逮捕されちゃうぞ!」
「アイヴィー。前から思っていたのだが、一度、脳の検査をしてやろうか」
「だってお前、ミハイルのこと泣かしてんだろ!?」
「どんな誤解をしている」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
アイヴィーは、ひひ、と笑う。
「なんか良いねー。ああいうの」
「そうだな。あれが家庭のあるべき姿なのだろうな」
そう言ったソクーロフは、先に歩き出す。
一瞬見えた横顔は、羨望を感じているようだった。
肩を竦めて、背を追い駆ける。
「なあ、ソクーロフ。荷物、いっこ持ってよ」
「断る」
「じゃあ。交換条件、付けてあげちゃう」
「条件?」
「いっこ持ってくれたら、俺が手を繋いであげてもイイよ?」
「面白い取引だな。荷物と引き換えに、お前が私に奉仕するというのか」
「いや、奉仕っていうと、なんかヤなかんじなんですけど…」
「乗ってやってもいいぞ、アイヴィー」
「え…マジ…?」
「但し」
ソクーロフの微笑は夕焼けを浴びている。
それは恐ろしく美しい。
「奉仕の内容は、私が決める」
fin
アイヴィーは両腕に、焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、酒と肴がゴロゴロと入っている。
今宵、アイヴィーの部屋を会場に、二人で飲むことになっている。
「なんだ。アイヴィー。言ってみろ」
「なんで俺が一人で全部持たなきゃなんないんですかー」
ソクーロフは両手をポケットに入れていた。
右手だけ出す。人差し指を立てて、アイヴィーの腕に触れる。
「お前、この筋肉は何の為のものだ?」
「酒を持つ為のものじゃねーよ。てゆうか、これ飲むの殆どお前だし!」
「私に逆らうな」
手首から上になぞっていく。
細い指が、蛇のように腕を這う。
アイヴィーの上腕が、びくりと震えた。
眉間に皺を寄せて、小さく呻く。
「ソ、ソクーロフ…まだ家に着いてないだろっ…」
「他愛の無い奴」
ささやかな抵抗も虚しく、荷物は持って貰えないまま、家に近付いていく。
公園を通り掛かった時、ソクーロフが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「どうした、ソクーロフ?」
「いや。何でもない」
アイヴィーは園内を覗き込む。
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「ソクーロフ。知ってる子?」
「いいや」
「おい。まさか、お前…」
「なんだ」
「あの子に手を出すのは止めとけ! 逮捕されちゃうぞ!」
「アイヴィー。前から思っていたのだが、一度、脳の検査をしてやろうか」
「だってお前、ミハイルのこと泣かしてんだろ!?」
「どんな誤解をしている」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
アイヴィーは、ひひ、と笑う。
「なんか良いねー。ああいうの」
「そうだな。あれが家庭のあるべき姿なのだろうな」
そう言ったソクーロフは、先に歩き出す。
一瞬見えた横顔は、羨望を感じているようだった。
肩を竦めて、背を追い駆ける。
「なあ、ソクーロフ。荷物、いっこ持ってよ」
「断る」
「じゃあ。交換条件、付けてあげちゃう」
「条件?」
「いっこ持ってくれたら、俺が手を繋いであげてもイイよ?」
「面白い取引だな。荷物と引き換えに、お前が私に奉仕するというのか」
「いや、奉仕っていうと、なんかヤなかんじなんですけど…」
「乗ってやってもいいぞ、アイヴィー」
「え…マジ…?」
「但し」
ソクーロフの微笑は夕焼けを浴びている。
それは恐ろしく美しい。
「奉仕の内容は、私が決める」
fin
■シルヴァン×ハルヤ
---------------------
---------------------
「めんどくさっ」
ハルヤは溜め息を吐く。
右腕には焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「なんで俺が、買い物係なんだろ…」
「ハルヤがじゃんけんに負けたからでしょう?」
隣を歩くシルヴァンも紙袋を持っている。
こちらの方が幾分大きい。
シルヴァンとスーパーで買い物したのなんて久し振り。
こんな可笑しなことになったのは、レッドのせいだ。
放課後、寮に戻るとサロンで皆が騒いでいた。
レッドの思い付きのせいで、今夜バーベキューパーティをするらしい。
今日って、何を祝ってるパーティなのかな。
なんか最近、しょっちゅうパーティしてる気がするけど。
強制的にじゃんけんに参加させられて。
俺一人が負けてた。
ハルヤの紙袋が、くしゃりと音を立てる。
「あのさ。じゃんけんに負けたのは俺なのに、どうして付いて来たの?」
「スーパーって普段はなかなか来れませんし、色々あって楽しいじゃないですか」
「まあね」
「それに、ハルヤ1人に重い物を持たせるなんてできませんよ」
「…ちょっと。それじゃあ、俺、女の子みたいじゃん」
「では、今日は、ハルヤが僕の彼女ってことで♪」
「な、なんでそうなるんだよ…」
俺の言葉は、陽気な笑顔に吸い込まれてしまう。
彼はオレンジ色の空を仰ぐ。
「あ、見て下さい。綺麗ですね、夕陽」
「ほんとだ」
「まあ、ハルヤの方がお綺麗なんですけどね?」
「もう、からかうのやめてよ…」
他愛の無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、シルヴァンが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「どうしたの、シルヴァン?」
「あ、いえ。すみません。急に止まったりして」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「あの子、誰か待ってるのかな」
「おそらく。お母さんが迎えに来るのを待っているんだと思いますが」
「そっか。早く来ると良いね」
「ええ」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
俺は、なんだかほほえましい気持ちになる。
あの子のお母さんが早く戻って来て良かった。
「あの子は今夜、家族とご飯を食べられるんですね」
そう言ったシルヴァンは、
笑顔なのに、なんだか泣きそうにも見えて。
どうしたのって声を掛けようとしたんだけど。
シルヴァンが、長い髪を耳に掛けたら、
その顔はいつもの笑顔に戻ってた。
「ねえ。ハルヤ?」
「ん?」
「やっぱり、今だけ僕の彼女になってくれませんか?」
シルヴァンの微笑は夕焼けを浴びている。
彼は手を差し出して、小首を傾げた。
「僕達も、手を繋いで帰りましょう?」
fin
ハルヤは溜め息を吐く。
右腕には焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「なんで俺が、買い物係なんだろ…」
「ハルヤがじゃんけんに負けたからでしょう?」
隣を歩くシルヴァンも紙袋を持っている。
こちらの方が幾分大きい。
シルヴァンとスーパーで買い物したのなんて久し振り。
こんな可笑しなことになったのは、レッドのせいだ。
放課後、寮に戻るとサロンで皆が騒いでいた。
レッドの思い付きのせいで、今夜バーベキューパーティをするらしい。
今日って、何を祝ってるパーティなのかな。
なんか最近、しょっちゅうパーティしてる気がするけど。
強制的にじゃんけんに参加させられて。
俺一人が負けてた。
ハルヤの紙袋が、くしゃりと音を立てる。
「あのさ。じゃんけんに負けたのは俺なのに、どうして付いて来たの?」
「スーパーって普段はなかなか来れませんし、色々あって楽しいじゃないですか」
「まあね」
「それに、ハルヤ1人に重い物を持たせるなんてできませんよ」
「…ちょっと。それじゃあ、俺、女の子みたいじゃん」
「では、今日は、ハルヤが僕の彼女ってことで♪」
「な、なんでそうなるんだよ…」
俺の言葉は、陽気な笑顔に吸い込まれてしまう。
彼はオレンジ色の空を仰ぐ。
「あ、見て下さい。綺麗ですね、夕陽」
「ほんとだ」
「まあ、ハルヤの方がお綺麗なんですけどね?」
「もう、からかうのやめてよ…」
他愛の無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、シルヴァンが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「どうしたの、シルヴァン?」
「あ、いえ。すみません。急に止まったりして」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
「あの子、誰か待ってるのかな」
「おそらく。お母さんが迎えに来るのを待っているんだと思いますが」
「そっか。早く来ると良いね」
「ええ」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、俺達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
俺は、なんだかほほえましい気持ちになる。
あの子のお母さんが早く戻って来て良かった。
「あの子は今夜、家族とご飯を食べられるんですね」
そう言ったシルヴァンは、
笑顔なのに、なんだか泣きそうにも見えて。
どうしたのって声を掛けようとしたんだけど。
シルヴァンが、長い髪を耳に掛けたら、
その顔はいつもの笑顔に戻ってた。
「ねえ。ハルヤ?」
「ん?」
「やっぱり、今だけ僕の彼女になってくれませんか?」
シルヴァンの微笑は夕焼けを浴びている。
彼は手を差し出して、小首を傾げた。
「僕達も、手を繋いで帰りましょう?」
fin
■ジョシュア×アンリ
--------------------
--------------------
「不愉快だ」
アンリは吐き捨てるように言った。
右腕には焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「なんで僕が、買い出しなんかしなくてはならないの」
「アンリがじゃんけんに負けるからだろう?」
隣を歩くジョシュアも紙袋を持っている。
こちらの方が幾分大きい。
二人並んで、学院の外を歩くなんて久し振りだ。
こんな可笑しなことになったのは、あのお調子者のせいだ。
放課後、寮に戻るとサロンで皆が騒いでいた。
レッドの思い付きのせいで、今夜バーベキューパーティをするらしい。
大体、何を祝ってのパーティなの。
最近パーティが多過ぎる。馬鹿騒ぎも大概にして貰いたい。
強制的にじゃんけんに参加させられて。
僕一人が負けた。
アンリの紙袋が、くしゃりと音を立てる。
「ジョシュア」
「ん?」
「じゃんけんに負けたのは僕なのに、どうして付いて来たの」
「アンリが1人でお使いできるか心配でね」
「僕を幼児だと思っているの」
僕の言葉は、柔らかな笑顔に吸い込まれてしまう。
彼はオレンジ色の空を仰ぐ。
「もう日が暮れてきたね、少し遅くなってしまったかな」
太陽は鎔鉱炉のように、赤く燃えていた。
都会と違い、高層ビルの無い街。
この島の空は、とても広い。
今、僕の目はオレンジしか映していない。
「明日も良い天気になりそうだね」
そう言う横顔も、オレンジ色をしていた。
他愛の無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、ジョシュアが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「ジョシュア?」
「あの子、どうしたのかな…」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
その光景を、ジョシュアは深刻に見つめている。
アンリは呆れたとばかりに息を吐く。
「生徒代表殿? 彼の世話は君の仕事ではないよ」
「でも…」
「全く。お人好し、だね」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、僕達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
僕が子供の時。
僕の影は、いつもひとりぼっちだった。
「アンリ」
ジョシュアの微笑は夕焼けを浴びている。
彼は手を差し出して、小首を傾げた。
「手、繋いで帰ろうか?」
fin
アンリは吐き捨てるように言った。
右腕には焦茶色の紙袋を抱えている。
アルフォンソ島のスーパーの袋だ。
中には、今夜バーベキューパーティで使う食材が入っている。
「なんで僕が、買い出しなんかしなくてはならないの」
「アンリがじゃんけんに負けるからだろう?」
隣を歩くジョシュアも紙袋を持っている。
こちらの方が幾分大きい。
二人並んで、学院の外を歩くなんて久し振りだ。
こんな可笑しなことになったのは、あのお調子者のせいだ。
放課後、寮に戻るとサロンで皆が騒いでいた。
レッドの思い付きのせいで、今夜バーベキューパーティをするらしい。
大体、何を祝ってのパーティなの。
最近パーティが多過ぎる。馬鹿騒ぎも大概にして貰いたい。
強制的にじゃんけんに参加させられて。
僕一人が負けた。
アンリの紙袋が、くしゃりと音を立てる。
「ジョシュア」
「ん?」
「じゃんけんに負けたのは僕なのに、どうして付いて来たの」
「アンリが1人でお使いできるか心配でね」
「僕を幼児だと思っているの」
僕の言葉は、柔らかな笑顔に吸い込まれてしまう。
彼はオレンジ色の空を仰ぐ。
「もう日が暮れてきたね、少し遅くなってしまったかな」
太陽は鎔鉱炉のように、赤く燃えていた。
都会と違い、高層ビルの無い街。
この島の空は、とても広い。
今、僕の目はオレンジしか映していない。
「明日も良い天気になりそうだね」
そう言う横顔も、オレンジ色をしていた。
他愛の無い会話を繰り返しながら、学院の方へと歩いていく。
公園を通り掛かった時、ジョシュアが足を止めた。
園内を見ている。中央に噴水がある。
他には、滑り台、シーソーなどのカラフルな遊具がある普通の公園だ。
「ジョシュア?」
「あの子、どうしたのかな…」
ブランコに一人で座っている男の子が居た。
5歳前後だろうか。今にも泣き出しそうな顔で、鎖を握り締めている。
その光景を、ジョシュアは深刻に見つめている。
アンリは呆れたとばかりに息を吐く。
「生徒代表殿? 彼の世話は君の仕事ではないよ」
「でも…」
「全く。お人好し、だね」
ブランコの鎖が鳴って、男の子が飛び降りた。
「ママ!」と叫んで、駆け出す。
その先には、一人の女性。
男の子は、彼女の足に飛び付いた。
母親は愛おしげに、我が子の髪を撫でる。
二人は、さも当たり前かのように手を繋いだ。
親子は公園を出て、僕達の傍を通り過ぎた。
「ママー、今日のごはんなにー?」
先程の泣きそうな表情が幻だったかのように、弾むような声だった。
母親の返事は聞こえなかった。
数秒後、男の子の喜ぶ声が耳に届いた。
夕焼けの下で、親子の長い影が出来る。
影の手も、しっかりと結ばれていた。
僕が子供の時。
僕の影は、いつもひとりぼっちだった。
「アンリ」
ジョシュアの微笑は夕焼けを浴びている。
彼は手を差し出して、小首を傾げた。
「手、繋いで帰ろうか?」
fin
■シルヴァン×ジョシュア
-------------------------
-------------------------
聖アルフォンソ学院 通信室。
生徒が電話をする時に使用する場所だ。
高セキュリティな盗聴対策が施されている。
ブースは15。ノーマルブースと完全防音のプライベートブースがある。
外部から掛けられた電話は全て交換台に繋がる。
交換台に呼ばれた生徒は指定されたブースに入り、電話をすることになっていた。
ランチが終わった頃。シルヴァンは呼び出しを受け、此処に来た。
交換手に名前を告げ、生徒手帳を見せる。
愛想の良い笑顔の交換手は、オペレータらしい快活な声で対応する。
「シルヴァン・クラーク様ですね、プライベートブースへどうぞ」
「…プライベートブース、ですか?」
思わず聞き返していた。
通常はノーマルブースに案内される筈だ。
プライベートブースは、余程他人には聞かれたくない話の時、
生徒から掛け直す際に使用する部屋だ。
しかし、聖アルフォンソ学院の生徒に聞かれて困る話は殆どない。
此処は『訳あり』の子息が集まる避難場所。
同士を外部に売ろうなどと考えている生徒は先ず居ない。
プライベートブースなどあってないようなものだった。
シルヴァンは2年間この学院に在籍しているが、
完全防音の部屋を利用している生徒を見掛けたのは2度だけだ。
自分に電話を掛けてくるのは、あの人しか考えられないが、
もう話すことなどない筈だ。
聖アルフォンソ祭が無事に終わった今、連絡を取る理由が思い付かない。
交換手はナンバープレートが付いたカードキーを渡しながら言う。
「ええ。先方様から、プライベートブースを、とのご希望でしたので」
「そうですか。ありがとうございます」
カードキーを受け取る。密室へ向かう足取りが早い。
薄い鍵穴にカードを入れる。
ピッと機械的な音がして、重厚な扉のロックが外れる。
扉を閉めると、そこは完全な無音。自分の心音が聞こえそうだ。
目に入るのは、灰色の電話とグリーンのソファ。
電話台には、メモとペンが乗っている。たったそれだけのものが、
バンド練習で使用しているスタジオより分厚い防音壁に囲まれている。
圧迫感を感じない適度なスペースがあるものの、
この個室をやはり息苦しく感じるのは、精神的な理由だろう。
其処にしか座ることができないソファに腰を下ろす。
座り心地の良い椅子が柔らか過ぎると感じられた。
目の前にある灰色の電話。受話器に手を伸ばす。
威厳を秘めた声は、フランクに話し掛けてきた。
「やあ、シルヴァン。元気かね?」
「シュミット大佐…貴方からまたお電話が頂けるとは思いませんでしたよ」
「ほう。それはどうしてかな?」
「僕は貴方のご期待に応えられませんでしたから」
聖アルフォンソ祭に乗じて、暗殺者が侵入するらしい。
その報告を受け、シルヴァンは生徒の側から情報収集を頼まれたが、
謎の男から襲撃を受け、身体に傷を残した。
シュミット大佐は言った。「君には荷が重いようだ」と。
事実上『お払い箱』だと判断されたわけだ。
酷な宣告だった。恩人である彼の期待を裏切りたくはなかった。
自分が不甲斐無くて、その後も独自に情報収集を続け、生徒の護衛に回った。
ターゲットはロレートの王子であるジョシュアだと踏んでいたが、
実際に刃を向けられたのはアンリだった。
結果的に二人とも命を取り止め、後夜祭のライブステージに立つことができた。
自分はバンドでステージに立つことが多いが、
これほどステージに立てることが幸せだと思ったのは後にも先にもないだろう。
聖アルフォンソ祭は終わった。ジョシュアもアンリも生きていた。
今、シュミット大佐から、受ける連絡はない筈だ。
完全防音の部屋を使用する意味も。
シルヴァンは受話器の向こう側に問う。
「シュミット大佐、どうして僕にお電話を? 僕はもう用済みでしょう?」
「まさか。私は、物持ちが良い方でね。 使える物は壊れるまで使う主義だよ?」
耳に吐息が届く。歪んだ口許が見えるようだった。
いつもの冗談だ。彼の家は軽快なジョークが飛び交う明るい家だと知っている。
今は亡き彼の息子が一番、そのセンスに長けていたことを思い出す。
シルヴァンは苦笑しながら、ジョークに乗っかる。
「悪い人。流石、ブライアンのお父上ですね」
「君もブライアンの友人だけのことはあるよ」
幼い時から親しくしていたシュミットおじさんとの
他愛無い会話を続けていたかったが、彼はNATO軍の幹部。
僅かな空き時間を利用して自分との時間を作っていることは想像に難くない。
楽しい時間を過ごしたいのならば、プライベートブースに呼ぶ必要はない。
「それで、ご用命は何です? 大佐」
「今日は君に命を下すつもりはない」
「では、何故」
「良くない噂を耳にしたのでね。 君に知らせておこうかと思っただけだ」
大佐の声は耳元で聞こえるのに現実感が無い。
嫌な胸騒ぎがする。
また心音が早まっていく。
「聖アルフォンソ祭に、ロレートの国王が来たそうじゃないか」
「ロレート、ですって…」
「裏社会の一部では『金のなる木』として、 注目が上がる一方のようだよ」
「では、良くない噂って」
「学院の外に出る時は注意することだね。君の学校に居る、ロレートの王子は」
通信室から出た後、自分でも足取りが覚束無いのが解った。
聖アルフォンソ祭が終われば、彼の安全は保証されるものと思っていた。
島の警備部隊は、他国から有能な軍人をスカウトしている。
アイヴィーもその一人だ。
普段は、ちゃらんぽらんなタクシードライバーだが、その腕は計り知れない。
一回り若い自分よりフットワークが俊敏なのは、経験値の差だろう。
相手の動きを適確に読み、攻撃を受け流す能力に優れている。
彼も属する警備部隊は少数精鋭と言えるが、
少数故、侵入者を取り逃がすことが稀にある。
今年の聖アルフォンソ祭に、ロレート国王カーディス1世が来るとは、
ジョシュアですら予想していなかった。
島民の噂が外へ漏れたのも無理はない。それがこんな形で裏目に出るとは。
次は歴史の特別講義だったが、今の状態ではとても受けられない。
この講義は、レッドとハルヤと一緒に受けている。
彼等の前でいつも通り振舞えるか、自信がなかった。
生徒達が教室を移動する姿を見ながら、校舎の反対側へ向かった。
正門へと続く道は、アーチのように木々が並んでいる。
陽の光が葉の隙間から輝いている。
普段なら、それを美しいと思えるのに。
今日はガラスの乱反射のように見えて、心が動かない。
正門の前まで、ぼうっと歩いてきてしまった。
門番に外出届を渡す。
正門を出ると、幾らか肩の力が抜けた。
ポケットに手を入れて、道路沿いを歩く。
目的地は無い。
歩きながら、これからの対策を考えようと思った。
もう失いたくない。
やっと彼より大切な人に出会えたのだから。
足を止める。
右手を翳して空を見る。
顔に当たる温かさが消え、代わりに黒い影に覆われる。
この島の空は高い。
空気が澄んでいるからだろう。
高く、遠くて。
届かない。
君は一人で。
空に。
――ははっ! ジョークだよ、ジョーク!
昨日聞いたばかりのように。
彼の明るい声は、今も耳に残っているのに。
「本当に、ジョークのような人でしたね」
「シルヴァン」
自分でも解る程、肩が跳ねた。
柔らかく、誠実な声。
誰のものかは解る。
振り返ると、やはり彼が居た。
「ジョシュア…」
「すまない。驚かせてしまったみたいだね」
「あ、いえ…」
滅多に学院の外へ出ない筈なのに。如何して、貴方が此処に居るんだろう。
安全な学院に一刻も早く戻って欲しいが、そう切り出すのは余りにも不自然だ。
これから出掛けるのであれば、一人で行かせて良いのだろうか。
ジョシュアは制服を着ているから、遠出ではないようだが、
兎に角、行き先だけでも知っておきたい。
「ジョシュアが外出なんて珍しいですね。何処に行くんですか?」
歩道の傍を車が駆け抜ける。走行音がやけに大きく聞こえた。
ジョシュアが返した言葉は目的地ではなかった。
「君を追い駆けて来たんだ。外出届を提出している君を見掛けて」
「…僕を、ですか?」
「なんだか思い詰めた表情に見えて…」
見られた。
通信室から出た後の表情を。
よりによって、守るべき人に。
貴方を狙う輩が居ると聞き、動揺と焦燥が露顕していた筈だ。
そんな人間を見かければ、誰であっても、貴方は心を痛める。
「平気かい、シルヴァン?」
真摯な視線が向けられる。
深く赤い瞳。
嘘偽りなく心配してくれているのだと解る。
「すみません、ご心配をお掛けして。平気ですよ」
「俺にできることがあれば、何でも言って欲しい」
シルヴァンは自分の左腕を抱く。
腕が震える程、きつく指を押し付ける。
「あの、本当に、平気ですから」
ジョシュアは「すまない」と俯いた。
「君のあんな表情は初めて見て、放っておけなかったんだ。
でも、学院の外まで追い駆けて来たりして、迷惑だったよね」
「いえ。貴方に余計な心配をさせてしまったのは僕の方ですよ。
ちょっと昔の友人のことを思い出していたんです。
ブライアンという幼馴染が居たのですが、数年前に事故で」
「シルヴァンの幼馴染…」
「まあ、悪友という奴です。悪い遊びは、大体彼から習いました。
ブライアンは人を笑わせるのが好きな奴で。
彼のジョークには、よく振り回されました。
何度、あの口を塞ぎたいと思ったか解りません。
ですが、もう二度と、彼の笑い声が聞けないと思うと」
「シルヴァン…」
「だから、僕」
笑顔を作って、目の前に居る人を見る。
ロレート公国の次期国王。
アルフォンソ学院の生徒代表。
ウーティス寮の仲間。
そんな肩書きが全て無かったとしても。
ジョシュア・グラント。
貴方という人に出会えた。
長く荒んでいた僕を、明るく照らしてくれる人に。
「失いたくないんですよ、これ以上」
深紅の瞳が瞬く。
どう言って良いのか解らない、という顔をしている。
困らせている。
それが解っているのに。
今、彼の思考を占有していることに、暗い悦びを感じる。
ジョシュアの背後にバイクが見えた。
黒のボディに、可笑しなマークが付いている。
バイクに乗っている男は、全身が漆黒に染まっている。
男は片手を離す。
手許だけが銀色に鈍く光った。
「…ジョシュア!」
地面を蹴って、ジョシュアを頭から抱え込む。
渇いた銃声。
耳元で風を切る音。
肩に鈍い痛みを感じ、細い飛沫が自分の頬を汚した。
ジョシュアを抱いたまま、地面の上を転がる。
冷たいコンクリートが、身を打ち突けた。
背後でエンジン音が駆け抜ける。
振り返ると、赤いテールランプがリボンのように流れていった。
他に走行車は居ない。
辺りを見回したが、もう人の気配はなかった。
コンクリートの上で身を起こす。
僕の下に居る人は、その赤い瞳を見開いていた。
その表情は驚きを表すもので、苦痛に歪んでいるわけではなかった。
緑の制服には砂が付着していたが、損傷はないようだ。
シルヴァンは少し肩の力を抜く。
「ジョシュア、お怪我は?」
「ああ、大丈夫」
「そうですか…良かった…」
灰色の道に、赤い雫が落ちる。
僕の左肩からは、肌が覗いていた。
緑の布は切り裂かれ、赤い液体に滲んでいる。
それに気付いたジョシュアが上体を起こす。
「シルヴァン! 肩を撃たれて…」
「大丈夫ですよ。幸い、掠った程度ですから」
ジョシュアは歯を食い縛る。
緑翠の前髪が額を覆う。
「すまない、俺を守る為に…」
「良いんですよ。貴方がご無事なら」
ゆっくりと膝を伸ばす。
彼に右手を差し出す。
「さあ、ジョシュア。早く学院に戻りましょう」
「うん」
ジョシュアが僕の手を取る。
手を引くと、左肩に痛みが走った。
肩を押さえながら、数メートル先に進むと、光るものがあった。
見覚えのある金色の銃弾。
コンクリートの上をゆらりと回っている。
他に薬莢は落ちていない。
銃声も一発だけだった。
此処で殺すつもりだったとは考え難い。
おそらくは只の挨拶だ。
礼儀知らずにも程がある。
アルフォンソ学院の目前で実行するなんて。
身を屈めて、銃弾を拾い上げる。
拳の中で、立ち込める硝煙の匂い。
直径9mm、長さ19mmの薬莢。
貫通力の高い9mmパラベラム弾。
硬い薬莢を握り締めした。
fin
生徒が電話をする時に使用する場所だ。
高セキュリティな盗聴対策が施されている。
ブースは15。ノーマルブースと完全防音のプライベートブースがある。
外部から掛けられた電話は全て交換台に繋がる。
交換台に呼ばれた生徒は指定されたブースに入り、電話をすることになっていた。
ランチが終わった頃。シルヴァンは呼び出しを受け、此処に来た。
交換手に名前を告げ、生徒手帳を見せる。
愛想の良い笑顔の交換手は、オペレータらしい快活な声で対応する。
「シルヴァン・クラーク様ですね、プライベートブースへどうぞ」
「…プライベートブース、ですか?」
思わず聞き返していた。
通常はノーマルブースに案内される筈だ。
プライベートブースは、余程他人には聞かれたくない話の時、
生徒から掛け直す際に使用する部屋だ。
しかし、聖アルフォンソ学院の生徒に聞かれて困る話は殆どない。
此処は『訳あり』の子息が集まる避難場所。
同士を外部に売ろうなどと考えている生徒は先ず居ない。
プライベートブースなどあってないようなものだった。
シルヴァンは2年間この学院に在籍しているが、
完全防音の部屋を利用している生徒を見掛けたのは2度だけだ。
自分に電話を掛けてくるのは、あの人しか考えられないが、
もう話すことなどない筈だ。
聖アルフォンソ祭が無事に終わった今、連絡を取る理由が思い付かない。
交換手はナンバープレートが付いたカードキーを渡しながら言う。
「ええ。先方様から、プライベートブースを、とのご希望でしたので」
「そうですか。ありがとうございます」
カードキーを受け取る。密室へ向かう足取りが早い。
薄い鍵穴にカードを入れる。
ピッと機械的な音がして、重厚な扉のロックが外れる。
扉を閉めると、そこは完全な無音。自分の心音が聞こえそうだ。
目に入るのは、灰色の電話とグリーンのソファ。
電話台には、メモとペンが乗っている。たったそれだけのものが、
バンド練習で使用しているスタジオより分厚い防音壁に囲まれている。
圧迫感を感じない適度なスペースがあるものの、
この個室をやはり息苦しく感じるのは、精神的な理由だろう。
其処にしか座ることができないソファに腰を下ろす。
座り心地の良い椅子が柔らか過ぎると感じられた。
目の前にある灰色の電話。受話器に手を伸ばす。
威厳を秘めた声は、フランクに話し掛けてきた。
「やあ、シルヴァン。元気かね?」
「シュミット大佐…貴方からまたお電話が頂けるとは思いませんでしたよ」
「ほう。それはどうしてかな?」
「僕は貴方のご期待に応えられませんでしたから」
聖アルフォンソ祭に乗じて、暗殺者が侵入するらしい。
その報告を受け、シルヴァンは生徒の側から情報収集を頼まれたが、
謎の男から襲撃を受け、身体に傷を残した。
シュミット大佐は言った。「君には荷が重いようだ」と。
事実上『お払い箱』だと判断されたわけだ。
酷な宣告だった。恩人である彼の期待を裏切りたくはなかった。
自分が不甲斐無くて、その後も独自に情報収集を続け、生徒の護衛に回った。
ターゲットはロレートの王子であるジョシュアだと踏んでいたが、
実際に刃を向けられたのはアンリだった。
結果的に二人とも命を取り止め、後夜祭のライブステージに立つことができた。
自分はバンドでステージに立つことが多いが、
これほどステージに立てることが幸せだと思ったのは後にも先にもないだろう。
聖アルフォンソ祭は終わった。ジョシュアもアンリも生きていた。
今、シュミット大佐から、受ける連絡はない筈だ。
完全防音の部屋を使用する意味も。
シルヴァンは受話器の向こう側に問う。
「シュミット大佐、どうして僕にお電話を? 僕はもう用済みでしょう?」
「まさか。私は、物持ちが良い方でね。 使える物は壊れるまで使う主義だよ?」
耳に吐息が届く。歪んだ口許が見えるようだった。
いつもの冗談だ。彼の家は軽快なジョークが飛び交う明るい家だと知っている。
今は亡き彼の息子が一番、そのセンスに長けていたことを思い出す。
シルヴァンは苦笑しながら、ジョークに乗っかる。
「悪い人。流石、ブライアンのお父上ですね」
「君もブライアンの友人だけのことはあるよ」
幼い時から親しくしていたシュミットおじさんとの
他愛無い会話を続けていたかったが、彼はNATO軍の幹部。
僅かな空き時間を利用して自分との時間を作っていることは想像に難くない。
楽しい時間を過ごしたいのならば、プライベートブースに呼ぶ必要はない。
「それで、ご用命は何です? 大佐」
「今日は君に命を下すつもりはない」
「では、何故」
「良くない噂を耳にしたのでね。 君に知らせておこうかと思っただけだ」
大佐の声は耳元で聞こえるのに現実感が無い。
嫌な胸騒ぎがする。
また心音が早まっていく。
「聖アルフォンソ祭に、ロレートの国王が来たそうじゃないか」
「ロレート、ですって…」
「裏社会の一部では『金のなる木』として、 注目が上がる一方のようだよ」
「では、良くない噂って」
「学院の外に出る時は注意することだね。君の学校に居る、ロレートの王子は」
通信室から出た後、自分でも足取りが覚束無いのが解った。
聖アルフォンソ祭が終われば、彼の安全は保証されるものと思っていた。
島の警備部隊は、他国から有能な軍人をスカウトしている。
アイヴィーもその一人だ。
普段は、ちゃらんぽらんなタクシードライバーだが、その腕は計り知れない。
一回り若い自分よりフットワークが俊敏なのは、経験値の差だろう。
相手の動きを適確に読み、攻撃を受け流す能力に優れている。
彼も属する警備部隊は少数精鋭と言えるが、
少数故、侵入者を取り逃がすことが稀にある。
今年の聖アルフォンソ祭に、ロレート国王カーディス1世が来るとは、
ジョシュアですら予想していなかった。
島民の噂が外へ漏れたのも無理はない。それがこんな形で裏目に出るとは。
次は歴史の特別講義だったが、今の状態ではとても受けられない。
この講義は、レッドとハルヤと一緒に受けている。
彼等の前でいつも通り振舞えるか、自信がなかった。
生徒達が教室を移動する姿を見ながら、校舎の反対側へ向かった。
正門へと続く道は、アーチのように木々が並んでいる。
陽の光が葉の隙間から輝いている。
普段なら、それを美しいと思えるのに。
今日はガラスの乱反射のように見えて、心が動かない。
正門の前まで、ぼうっと歩いてきてしまった。
門番に外出届を渡す。
正門を出ると、幾らか肩の力が抜けた。
ポケットに手を入れて、道路沿いを歩く。
目的地は無い。
歩きながら、これからの対策を考えようと思った。
もう失いたくない。
やっと彼より大切な人に出会えたのだから。
足を止める。
右手を翳して空を見る。
顔に当たる温かさが消え、代わりに黒い影に覆われる。
この島の空は高い。
空気が澄んでいるからだろう。
高く、遠くて。
届かない。
君は一人で。
空に。
――ははっ! ジョークだよ、ジョーク!
昨日聞いたばかりのように。
彼の明るい声は、今も耳に残っているのに。
「本当に、ジョークのような人でしたね」
「シルヴァン」
自分でも解る程、肩が跳ねた。
柔らかく、誠実な声。
誰のものかは解る。
振り返ると、やはり彼が居た。
「ジョシュア…」
「すまない。驚かせてしまったみたいだね」
「あ、いえ…」
滅多に学院の外へ出ない筈なのに。如何して、貴方が此処に居るんだろう。
安全な学院に一刻も早く戻って欲しいが、そう切り出すのは余りにも不自然だ。
これから出掛けるのであれば、一人で行かせて良いのだろうか。
ジョシュアは制服を着ているから、遠出ではないようだが、
兎に角、行き先だけでも知っておきたい。
「ジョシュアが外出なんて珍しいですね。何処に行くんですか?」
歩道の傍を車が駆け抜ける。走行音がやけに大きく聞こえた。
ジョシュアが返した言葉は目的地ではなかった。
「君を追い駆けて来たんだ。外出届を提出している君を見掛けて」
「…僕を、ですか?」
「なんだか思い詰めた表情に見えて…」
見られた。
通信室から出た後の表情を。
よりによって、守るべき人に。
貴方を狙う輩が居ると聞き、動揺と焦燥が露顕していた筈だ。
そんな人間を見かければ、誰であっても、貴方は心を痛める。
「平気かい、シルヴァン?」
真摯な視線が向けられる。
深く赤い瞳。
嘘偽りなく心配してくれているのだと解る。
「すみません、ご心配をお掛けして。平気ですよ」
「俺にできることがあれば、何でも言って欲しい」
シルヴァンは自分の左腕を抱く。
腕が震える程、きつく指を押し付ける。
「あの、本当に、平気ですから」
ジョシュアは「すまない」と俯いた。
「君のあんな表情は初めて見て、放っておけなかったんだ。
でも、学院の外まで追い駆けて来たりして、迷惑だったよね」
「いえ。貴方に余計な心配をさせてしまったのは僕の方ですよ。
ちょっと昔の友人のことを思い出していたんです。
ブライアンという幼馴染が居たのですが、数年前に事故で」
「シルヴァンの幼馴染…」
「まあ、悪友という奴です。悪い遊びは、大体彼から習いました。
ブライアンは人を笑わせるのが好きな奴で。
彼のジョークには、よく振り回されました。
何度、あの口を塞ぎたいと思ったか解りません。
ですが、もう二度と、彼の笑い声が聞けないと思うと」
「シルヴァン…」
「だから、僕」
笑顔を作って、目の前に居る人を見る。
ロレート公国の次期国王。
アルフォンソ学院の生徒代表。
ウーティス寮の仲間。
そんな肩書きが全て無かったとしても。
ジョシュア・グラント。
貴方という人に出会えた。
長く荒んでいた僕を、明るく照らしてくれる人に。
「失いたくないんですよ、これ以上」
深紅の瞳が瞬く。
どう言って良いのか解らない、という顔をしている。
困らせている。
それが解っているのに。
今、彼の思考を占有していることに、暗い悦びを感じる。
ジョシュアの背後にバイクが見えた。
黒のボディに、可笑しなマークが付いている。
バイクに乗っている男は、全身が漆黒に染まっている。
男は片手を離す。
手許だけが銀色に鈍く光った。
「…ジョシュア!」
地面を蹴って、ジョシュアを頭から抱え込む。
渇いた銃声。
耳元で風を切る音。
肩に鈍い痛みを感じ、細い飛沫が自分の頬を汚した。
ジョシュアを抱いたまま、地面の上を転がる。
冷たいコンクリートが、身を打ち突けた。
背後でエンジン音が駆け抜ける。
振り返ると、赤いテールランプがリボンのように流れていった。
他に走行車は居ない。
辺りを見回したが、もう人の気配はなかった。
コンクリートの上で身を起こす。
僕の下に居る人は、その赤い瞳を見開いていた。
その表情は驚きを表すもので、苦痛に歪んでいるわけではなかった。
緑の制服には砂が付着していたが、損傷はないようだ。
シルヴァンは少し肩の力を抜く。
「ジョシュア、お怪我は?」
「ああ、大丈夫」
「そうですか…良かった…」
灰色の道に、赤い雫が落ちる。
僕の左肩からは、肌が覗いていた。
緑の布は切り裂かれ、赤い液体に滲んでいる。
それに気付いたジョシュアが上体を起こす。
「シルヴァン! 肩を撃たれて…」
「大丈夫ですよ。幸い、掠った程度ですから」
ジョシュアは歯を食い縛る。
緑翠の前髪が額を覆う。
「すまない、俺を守る為に…」
「良いんですよ。貴方がご無事なら」
ゆっくりと膝を伸ばす。
彼に右手を差し出す。
「さあ、ジョシュア。早く学院に戻りましょう」
「うん」
ジョシュアが僕の手を取る。
手を引くと、左肩に痛みが走った。
肩を押さえながら、数メートル先に進むと、光るものがあった。
見覚えのある金色の銃弾。
コンクリートの上をゆらりと回っている。
他に薬莢は落ちていない。
銃声も一発だけだった。
此処で殺すつもりだったとは考え難い。
おそらくは只の挨拶だ。
礼儀知らずにも程がある。
アルフォンソ学院の目前で実行するなんて。
身を屈めて、銃弾を拾い上げる。
拳の中で、立ち込める硝煙の匂い。
直径9mm、長さ19mmの薬莢。
貫通力の高い9mmパラベラム弾。
硬い薬莢を握り締めした。
fin
■アンリ×オーギュスト
■アンリの日記 小説版
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■アンリの日記 小説版
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アルフォンソ学院 第3校舎。
此処には教授の研究室が並んでいる。
特別講師には、学院の専任講師とは別フロアだ。
生徒達の希望があればどんな授業も叶える、という教育方針の下、
この学院では、世界中の大学から、その分野専門の研究者を呼ぶことができる。
教授陣には、メルキュール館という宿舎も与えられる。
居住スペースとは別に、学問の空間も用意されていた。
第3校舎の受付係は、すっかり見慣れた生徒の顔に、
感心したように「勉強熱心ですね」と言い、すぐに通してくれた。
本来であれば教授に連絡を入れ、来室の許諾を得なくてはならない。
更に入館記録書に、学生番号、署名、入館時刻、などの記入も必要だ。
毎週のように訪れるせいか、アンリにはその面倒な手続きを省いてくれていた。
「ありがとう」と受付係に一言述べ、3階の一番端の研究室へと歩いていく。
自分の靴音だけが響いている。誰とも擦れ違わすに到着した。
ドアの横にある白いプレートには『オーギュスト・ボージェ』と書かれている。
学院から割り振られた彼の研究室だ。
神秘学の特別授業には、神秘学の権威である彼が呼ばれた。
オーギュストを選んだのは学院だが、彼に白羽の矢が立ったのは僕のせいだ。
サン・ジェルマン家の者が、この学院に入学した場合、
神秘学を修めることが古くからの慣わしらしい。
僕の先祖は、神秘学の本に必ず名が載る人物だから。
アンリは本を一冊持っていた。空いている手で、ドアをノックする。
部屋の中から「どうぞ」と低い声がする。
此処は小さな図書館のようだった。
部屋を囲む本棚には、神秘学の論文や学術書が隙間無く本が敷き詰められている。
部屋の奥には大きな窓。その前に彼の机がある。
机に向かっていた教授が、こちらを向く。
30歳半ばにしては、若く綺麗な顔立ち。
彫りの深い目許は高い知性を感じさせた。
髪は下ろさず、几帳面に撫で付けている。
ダークブラウンのスーツに、襟を立てた白のワイシャツ。
教え子の顔を見ると、講師は少し表情が柔らかくなる。
「やあ、アンリ」
「本を、返しに来たんだ。今、忙しかった?」
「いいや。生徒の来訪よりも優先すべきことはないよ」
アンリは研究室に入り、ドアを閉める。
「本、戻しておくよ」
「ああ、ありがとう」
一週間前、彼がこの本を引き抜いた場所に向かう。
確か窓の近くだった。
先週も天気が良くて、この窓は青に染まっていたのを覚えている。
記憶通りに辿って行くと、本棚に本一冊分の隙間を見つけた。
あるべき場所に本を差し込む。ぴったりと嵌まった。
その様子を眺めていたらしい教授は、吐息混じりに言う。
「いつも思うことだけれど、凄いね、アンリは」
「何が?」
「本があった場所をよく記憶しているね。君が此処に来たのは先週だろう?」
「君よりは、若い頭脳だからね」
「羨ましい限りだよ」
「何を言うの。此処にある文献以上の知識を所有しているくせに」
「この世に存在する神秘の数には遠く及ばないけれどね」
研究者は遠くを見つめる。
視線の先には、書物が並んでいる。
だけど、彼が見ているのは本ではないようだった。
「アンリ、時間があるのなら紅茶でも飲んでいくかね?」
「じゃ、僕が用意するよ」
「構わないよ。私が飲みたいんだ」
教授は腰を上げると、紅茶の用意を始めた。
部屋の隅にある小さなキッチンに向かう。
本が住むこの空間で、生活感があるのはその場所だけだ。
戸棚から、透明な硝子のティセットを取り出す。
紅茶の水色がよく見えるからと、彼が好んで購入したものだ。
教授はまだ封を切っていない袋を見せる。
「今年の春摘みの紅茶を買ったんだよ」
「ファーストフラッシュか。もうそんな時期なんだね」
「今年の2月3月は雨に恵まれたから、ダージリンは当たり年だそうだよ」
「そう」
「このリーフはね、インド北東部のダージリンでも、ネパールの国境に近い」
内線電話が鳴った。
教授は封を切っていない紅茶を置く。
アンリに「失礼」と言って、受話器を取った。
この学院に掛けられる電話は全て交換台に繋がる。
交換台から研究室へ一報が入る仕組みになっていた。
「オーギュスト・ボージェです。……存じませんが、一応回して下さい」
教授は初見の相手と電話をしているようだった。
アンリは窓辺に凭れる。
彼の殺風景な机が目に入った。
机の上は綺麗、というより、殆ど物が乗っていない。
筆記用具と内線電話、後は以前僕があげた卓上時計だけだ。
アンティークな木製の置時計。小さな振り子が、右に左に時を刻む。
商談で島の外を歩いていた時、通りの店先で見つけた。
レトロな品物を集めた雑貨店だった。
振り子を目で追っているうちに、何故だかオーギュストを思い出した。
少し迷ったけれど、それを持って店に入った。
店主のご老人は丸眼鏡を掛けていた。
僕が何も言わないのに、皺だらけの手で丁寧に包装してくれた。
時計を渡した時、オーギュストは驚いていた。
「どうして私に?」
「これを見た時、君の研究室にあると良いなと思ったから」
「私の部屋にかね?」
「殺風景でしょ、君の机周り」
「そうだね。散らかっていると、落ち着かないから」
「要らないのなら返して。僕の机に飾るから」
彼の大きな手は、僕の髪を撫でた。
「ありがとう。とても嬉しいよ、アンリ」
講義の時間には見せない、温かな笑顔だった。
『父親の笑顔』ってこういう表情を言うのかもしれない、と少し思った。
オーギュストを見ると、まだ電話をしている。長くなりそうだ。
今年の春摘み紅茶。その出来具合に興味があったのだけど。
退室した方が良さそうだ。
青空の窓から身体を起こして、部屋を出ようとする。
手首を掴まれた。
オーギュストが僕を見ている。
彼は受話器の向こうに言う。
「お話は解りました。申し訳無いが、今、天使と午後のお茶を飲むところでね。
天使を見たことがありませんか? それは残念ですね。では失礼」
一方的に受話器を置いた教授は、アンリの手首からも手を離す。
何事も無かったように紅茶の準備を再開した。
「…オーギュスト」
「ああ。紅茶の産地の話をしていたところだったね。このリーフは」
「それより。今の電話の切り方、何なの?」
「気に入らなかったかい? 嘘を吐いたつもりはないんだがね」
「神秘学の権威は頭の可笑しな人間だと思われるよ?」
「他人がどう思おうと気にならないよ、私は。
でなければ、神秘学の研究は続けられないだろう?」
「そうかもしれないけど」
「今の電話は、悪質な儲け話への誘いだったし」
「儲け話?」
「ああ。教授を狙った詐欺は割とあるんだ」
「あっそう」
「アンリ。ファーストフラッシュの香り、とても素晴らしいよ、ほら」
封を切られた紅茶の袋を渡される。
顔を近付けると、爽やかな新芽の香りがした。
インドの壮大な茶畑が目に浮かぶ。
仄かに太陽と柑橘の匂いも香る。
当たり年、かもしれない。
「悪くないね」と袋を返す。
オーギュストは茶葉を、正確に3g計ってポットに入れた。
こぽこぽと湯を注いで、蓋を閉める。
茶葉の抽出を待つ間、教授は窓に近い本棚に目をやる。
「今回、君に貸したのは、どんな本だったかな?」
「錬金術の歴史書」
「ああ、そうだったね。大学生用参考書だが、アンリには物足りなかったかな?」
「そうでもないよ。専門用語が多くて、読み難いと思ったけど」
「良かった。退屈はしなかったようだね」
彼が父だったら。
そう思うことが時々ある。
彼は変わっているから。
神秘学の研究者ならば、
サン・ジェルマンの末裔である僕のことを、
根掘り葉掘り調べたいと思っても不思議ではないのに。
彼は僕を普通の生徒として扱った。
幼少期、実家に居た頃は、親戚やメイド達でさえ、
僕のことを特別扱いしていた。
化け物を見るような目付きで、腫れ物に触れるように接してくれた。
神秘学の研究者だからかもしれない。
この世が神秘で満ちていることを誰よりも深く知っている彼だから。
僕を一人の人間として認めてくれた大人は、彼が初めてだった。
「アンリ。紅茶の用意ができたよ。おいで」
「うん」
教授は硝子のカップに、紅茶を注ぐ。
それをテーブルに2つ並べる。
部屋の中央には硝子のローテーブルとグレイのソファが並んでいる。
オーギュストの向かいに座ろうとすると、止められた。
「アンリ。私の隣に座りなさい」
「何故?」
「今日は天気が良いから。こちらの方が、窓が見えて良いだろう?」
「君、変わっているね」
オーギュストの隣に座る。
窓は全面、青に染まっている。
彼に言われてみるまで、今日は天気が良いなんて気が付かなかった。
研究者は、新茶の味が気に入ったようだった。
口に出して「美味しい」とは言っていなかったけれど、
一口飲んだ後の、安らいだ顔を見れば、解る。
だから僕も「美味しい」とは言わなかった。
それより、彼に尋ねてみたかったことを口にする。
「ねえ。君は錬金術についてどんな意見を持っているの?」
「錬金術。卑金属から貴金属への変成、不老不死の霊薬の製造を目的とした技術」
教授は本を読んでいるかのように、淀みなく話し出す。
「錬金術には、真偽が疑わしい伝説は多いがね。功績はあったと思うよ。
錬金術は化学のルーツだ。フラスコやビーカーなど、
現代も使用されている化学実験器具も、
元は錬金術の実験をする為に開発されたものだからね」
生徒は足を組む。
今度の化学の時間には、ビーカーをまじまじと見てしまいそうだ。
「ちなみに、蒸留酒も錬金術から生まれている。錬金術師が実験中に偶然ね。
結果、蒸留の方法と、アルコールという化学物質を発見した」
「へえ。錬成したのは黄金ばかりではないんだ。
欲に目が眩んだ人間ばかりではないんだね」
「欲というものは、際限がないものだよ。
禁忌の領域に及んだ欲がある。錬金術師パラケルススは、
ホムンクルスを創り出すことに成功した、という伝説がある」
ホムンクルス。聞き覚えはあるが、意味を忘れてしまった。
ボージェ教授が神秘学について造詣が深いのは認めるが、
生徒には解説が必要な単語を説明文に使う場合が時々ある。
問題文の意味が解らないテスト問題と同じだ。
一般の生徒には只でさえ馴染みの無い神秘学の世界。
ボージェ教授は、その理解を余計に混乱させている。
神秘学の受講生が少ないのは彼のせいだ。
研究者としては優秀だが、講師には向いていないのでは、と思うことがある。
生徒は足を組み替えて、教授の説明不足を指摘する。
「ボージェ教授? 悪いけど、ホムンクルスの説明をしてくれる?」
「ああ、失礼。ホムンクルスは錬金術を用いた人工生命体のことだよ。
つまりパラケルススは、錬金術で人間を創り出した、と言われている」
「待って。錬金術は中世ヨーロッパで栄えた学問でしょう?
その頃にクローン実験をしていたと言うの?」
「いや、パラケルススの話は伝説の域を出ないよ。
人体創造の話も、賢者の石が無ければ不可能だ」
「賢者の石って、卑金属を金属に変えることのできる石?」
「そう。賢者の石、それ自体の存在も怪しいがね。
パラケルススが目指した夢は、クローン技術者と同じだ」
生徒は、手の中の紅茶を見る。
硝子の器に赤い液体。
上澄みは明るい動脈血、底は静脈血に見えた。
粉状のリーフが沈殿している。
「ああ、そうだ、アンリ」
「何?」
「先程、他の教授からお菓子を頂いたんだ」
「お菓子?」
「シュークリーム、だったかな。食べてくれるかね?」
「別に、良いけど」
「良かった。では用意するよ」
「オーギュスト、甘い物は苦手ではなかった?」
「ああ、私はね」
「貰う時に、どうして断らなかったの?」
「アンリが好きそうかな、と思ってね。君が来たらあげようと思ったんだ」
「僕に…」
「好きだろう?」
「…嫌いじゃ、ない」
教授は小さな冷蔵庫から、箱を取り出す。
他にはミネラルウォーターしか入っていなかった。
薄いブルーの箱から、シュークリームを取って、皿に乗せる。
「オーギュ」
「ん?」
「フォークも」
「はいはい」
僕の前に、粉砂糖が掛かったシュークリームとフォークが並ぶ。
シューを四分の一ほど切り取る。
柔らかい感触がして、淡い黄色のクリームが皿に零れる。
小さく切ったシューで拭って、口に運ぶ。
「美味しいかい、アンリ?」
「まあまあ、かな」
「そう。ではこれをくれた教授にお礼を言わなくてはね」
「君は食べていないのに。どんなお礼を言うの?」
「幸福な時間をありがとうございます、と」
「講義中もそうだけれど、ボージェ教授の言葉は時々理解不能だね」
「それは申し訳ないね。日々精進しているつもりなのだが」
「…ねえ」
「ん?」
「そんなに見ないでくれる?」
「ああ、ごめん。あんまり可愛らしいものだから」
僕がシュークリームを食べている間、
オーギュストは席を立って、何かの本を探し始めた。
本を引き抜いて、目次を眺めて、棚に戻す。
その作業を何度か繰り返していた。
「アンリ、次はこの本を読んでみるかい?」
ハードカバーの本をテーブルに置かれる。
紅色の表紙。同じ色の栞紐は5mmほどで擦り切れていた。
中身はすっかり黄ばんでいる。
「これはどんな本?」
「錬金術の歴史書。今度は学会レベルだよ」
「そう。読んでおくよ」
この研究室にある本を1冊ずつ読んでいく。
いつのまにか習慣になっていた。
彼が読んだ本を読む。彼と知識を共有する。
追い着くことはできないけれど、
少しでも理解し、近付きたかった。
自分の部屋で、彼から借りた本を読む時間は、
何故か、とても特別なものだった。
オーギュストは僕の隣に座る。
紅茶を一口飲んで、唇を舐める。
「人体錬成や不老不死について、アンリは不服かな?」
「どちらも、永遠に生きようとした、ということだよね。
人間の創出や不老不死を追い求める理由が、僕には理解できない。
永遠なんて幻想だもの。永遠を約束することなんてできない。
万物には終わりがあるものだ。そうでしょう?」
「その通りだ。だからこそ、彼等は永遠を欲したんだろう。
手に入らないものは魅力的に映るものだからね」
「サン・ジェルマン伯爵は、永遠に生きたと言われる人物だよね?」
「ああ、そうだね」
「過去から未来まであらゆる知識を持ち、予言まで行った彼を、詐欺師だと思う?」
「伯爵について論じるのは、また今度にしよう」
オーギュストが困ったように微笑む時は、これ以上答える気が無い時だ。
この特別講師は、深い知識を、生徒に惜しみなく教えてくれるのに。
アンリが本当に知りたいことには、何も答えてくれないような気がしていた。
生徒は、ねえ、と教師に質問を重ねる。
「どうして教えてくれないの、オーギュ」
「サン・ジェルマン伯爵については、君の方が詳しいだろう、アンリ」
「僕は君の見解が聞きたいと言っているの」
オーギュストは何故か、伯爵について述べることを避ける。
口を開いたとしても、書物を暗唱してくれるだけで、
自分の意見は述べてこなかった。
伯爵の言動を記した書物の中には、確かに事実とは考え難い記述もある。
彼が詐欺師と呼ばれるのも無理はない。
だけど、オーギュストには、伯爵のことを悪く思って欲しくなかった。
彼に伯爵を否定されることが、堪らなく怖くて。
サン・ジェルマン伯爵について、彼の個人的な見解が聞きたかった。
彼はまた僕の質問を避ける気なのか、
活字を読み上げるように、客観的な知識を口にした。
「サン・ジェルマン伯爵。恐ろしく博識で、
10か国以上の言語から絵画、音楽の才をも持つ美男子。
優雅な物腰と巧みな話術で、宮廷の女性方にも大変に人気があった人物だ」
「それは知っている」
既知情報に対し、アンリが興味無さそうに返す。
話が長引きそうなので、シュークリームへと視線を移す。
残りは3分の1程度だ。シュー生地から溢れているクリームには、
黒いバニラビーンズが星のように散らばっている。
特別教授は神秘学の講義のように話を続ける。
「1710年、フランスの貴婦人ジェルジ伯爵夫人は、
ベネチアでサン・ジェルマン伯爵に会ったと証言している。
当時の彼は45歳前後の風貌だった。それから40年後、ジェルジ伯爵夫人は、
ヴェルサイユ宮殿で全く年をとってないサン・ジェルマン伯爵に再会している。
彼女が『40年前に会った方とよく似ている』そう言うと、伯爵は言った。
『同じ人間ですよ、マダム。貴女のご主人はイタリア大使でしたね?』と」
「彼が時間旅行者として語られる最も有名な逸話だね」
アンリはシュークリームの最後の一切れを口に入れる。
甘過ぎないカスタードクリーム。好みの味だった。
その余韻は口内に残っている。紅茶で流してしまうのは少し惜しい。
教授の講義は尚も続く。僕が知りたいのは、そんなことじゃないのに。
「伯爵は、晩餐会に招かれても、一切食べ物を口にしなかった。
『私は特別な薬しか食さない』と言葉を残している」
「それが不老不死の霊薬だと言われているんでしょ」
「そう。彼は45歳の姿のまま時を止めた、とね。
1784年2月27日死去。ドイツで埋葬されたが、没後も目撃証言がある。
フランス革命直前、当時の王妃マリー・アントワネットに、
亡くなっている筈の伯爵から手紙が届く。
さて、どんな内容だったか知っているかい、アンリ?」
「王妃の末路を予言する最終警告だ。
『民衆の怒りを聞き入れ、国王ルイ16世に退位するよう促しなさい』というね。
しかし王妃は、伯爵の手紙を無視した。結果、国王と王妃は斬首刑に処された。
更に補足するなら、マリー・アントワネットの処刑当日、
刑場でサン・ジェルマン伯爵を見た、という証言も存在する…これで良い?」
「素晴らしい。正解だ」
「ありがとう。嬉しくないけどね」
「以降も、世界各地で目撃報告がある為、
伯爵は今も生きている、と信じている人も居るようだね。
歴史上、最も謎の多い人物だが、彼が実在した人物だというのは、此処に」
オーギュストが僕の肩に手を置く。
「その末裔が居ることからも明らかだが、彼に纏わる逸話の真相は不明。
今私が話したことも、そう記された文献がある、というだけで、
信憑性には欠けるものもあることを付け加えておこう」
「そんなことは解ってる」
肩に置かれた手を払う。
僕が聞きたいのは、サン・ジェルマン伯爵の客観的知識ではない。
オーギュストの主観だ。
伯爵のことを、詐欺師だと思っているのか。
伯爵に対して、否定的な意見を持っているのか。
それだけが知りたいのに。
オーギュストは、まだ答えていない。
教授は渇いた喉を紅茶で湿らせていた。
美味しそうに、こくりと喉が動く。
「オーギュ。僕の質問は」
教授はテーブルに硝子のカップを戻す。
赤い水はもう残っていない。
「おや。アンリ。頬に砂糖が付いているよ?」
シュークリームの粉砂糖が付いたのだろうか。
反射的に手で頬に触れようとする。
その手は、彼に捕らえられた。
「動かないで、私が拭うよ」
オーギュストは僕の頭を抱えると、
頬に唇を落とした。
教授は笑みを浮かべている。
「もう良いよ、アンリ」
「…オーギュ…僕を怒らせたいの?」
「もう次の講義が始まる時間だね。残念だが、失礼するよ」
机上の置時計を見る。
アンティークな時計の針は、確かにその時刻を示していた。
教授は文献を2冊抱える。
「オーギュ」
「紅茶はそのままで構わないよ。ではまたね、アンリ」
ダークブラウンの背広が、扉の向こうに消えた。
教授が居なくなった研究室。
生徒はソファに凭れる。
窓の中にシュークリームのような雲が浮かんでいた。
また、はぐらかされた。
オーギュストの意見が聞けなかった。
だけど、この部屋に入る前よりは、固執していない気がする。
彼が伯爵のことを、詐欺師と思っていても、いなくても。
もう、どうでもいいかもしれない。
青空のシュークリームが、窓の中央から端へと流れていく。
風に撫でられて、ゆっくりと動いていく。
一羽の白い鳥が通り過ぎた。
どうして僕は、急に意見が変わったのだろう。
理由が、解らない。
テーブルの上に視線を落とす。
空のカップ。
空の皿。
紅茶が残るカップ。
紅茶と同じ色の本。
冷たい紅茶を飲み干す。
本を持って、研究室を後にした。
第3校舎の受付係に軽く礼をして、外に出る。
久し振りに外気に晒されて、肌寒く感じる。
空を仰ぐ。
先の雲は、ちゃんと其処にあった。
僕はこの後に講義がなかった。
早速、この本を読もうと、ウーティス寮に戻る。
玄関には、雲より柔らかい笑顔を浮かべている人が居た。
アルフォンソ学院の生徒代表殿だ。
「おかえり。アンリ」
「ただいま」
「あれ?」
「何」
「今、ボージェ教授と会って来たのかい?」
「…どうして、解るの?」
「解るよ。長い付き合いだからね。今日は教授とどんな話をしたんだい?」
頬が熱くなる。
生徒代表から目を逸らすと、紅茶色の本が視界に入った。
アンリは、小さく返事する。
「錬金術について意見交換」
fin
此処には教授の研究室が並んでいる。
特別講師には、学院の専任講師とは別フロアだ。
生徒達の希望があればどんな授業も叶える、という教育方針の下、
この学院では、世界中の大学から、その分野専門の研究者を呼ぶことができる。
教授陣には、メルキュール館という宿舎も与えられる。
居住スペースとは別に、学問の空間も用意されていた。
第3校舎の受付係は、すっかり見慣れた生徒の顔に、
感心したように「勉強熱心ですね」と言い、すぐに通してくれた。
本来であれば教授に連絡を入れ、来室の許諾を得なくてはならない。
更に入館記録書に、学生番号、署名、入館時刻、などの記入も必要だ。
毎週のように訪れるせいか、アンリにはその面倒な手続きを省いてくれていた。
「ありがとう」と受付係に一言述べ、3階の一番端の研究室へと歩いていく。
自分の靴音だけが響いている。誰とも擦れ違わすに到着した。
ドアの横にある白いプレートには『オーギュスト・ボージェ』と書かれている。
学院から割り振られた彼の研究室だ。
神秘学の特別授業には、神秘学の権威である彼が呼ばれた。
オーギュストを選んだのは学院だが、彼に白羽の矢が立ったのは僕のせいだ。
サン・ジェルマン家の者が、この学院に入学した場合、
神秘学を修めることが古くからの慣わしらしい。
僕の先祖は、神秘学の本に必ず名が載る人物だから。
アンリは本を一冊持っていた。空いている手で、ドアをノックする。
部屋の中から「どうぞ」と低い声がする。
此処は小さな図書館のようだった。
部屋を囲む本棚には、神秘学の論文や学術書が隙間無く本が敷き詰められている。
部屋の奥には大きな窓。その前に彼の机がある。
机に向かっていた教授が、こちらを向く。
30歳半ばにしては、若く綺麗な顔立ち。
彫りの深い目許は高い知性を感じさせた。
髪は下ろさず、几帳面に撫で付けている。
ダークブラウンのスーツに、襟を立てた白のワイシャツ。
教え子の顔を見ると、講師は少し表情が柔らかくなる。
「やあ、アンリ」
「本を、返しに来たんだ。今、忙しかった?」
「いいや。生徒の来訪よりも優先すべきことはないよ」
アンリは研究室に入り、ドアを閉める。
「本、戻しておくよ」
「ああ、ありがとう」
一週間前、彼がこの本を引き抜いた場所に向かう。
確か窓の近くだった。
先週も天気が良くて、この窓は青に染まっていたのを覚えている。
記憶通りに辿って行くと、本棚に本一冊分の隙間を見つけた。
あるべき場所に本を差し込む。ぴったりと嵌まった。
その様子を眺めていたらしい教授は、吐息混じりに言う。
「いつも思うことだけれど、凄いね、アンリは」
「何が?」
「本があった場所をよく記憶しているね。君が此処に来たのは先週だろう?」
「君よりは、若い頭脳だからね」
「羨ましい限りだよ」
「何を言うの。此処にある文献以上の知識を所有しているくせに」
「この世に存在する神秘の数には遠く及ばないけれどね」
研究者は遠くを見つめる。
視線の先には、書物が並んでいる。
だけど、彼が見ているのは本ではないようだった。
「アンリ、時間があるのなら紅茶でも飲んでいくかね?」
「じゃ、僕が用意するよ」
「構わないよ。私が飲みたいんだ」
教授は腰を上げると、紅茶の用意を始めた。
部屋の隅にある小さなキッチンに向かう。
本が住むこの空間で、生活感があるのはその場所だけだ。
戸棚から、透明な硝子のティセットを取り出す。
紅茶の水色がよく見えるからと、彼が好んで購入したものだ。
教授はまだ封を切っていない袋を見せる。
「今年の春摘みの紅茶を買ったんだよ」
「ファーストフラッシュか。もうそんな時期なんだね」
「今年の2月3月は雨に恵まれたから、ダージリンは当たり年だそうだよ」
「そう」
「このリーフはね、インド北東部のダージリンでも、ネパールの国境に近い」
内線電話が鳴った。
教授は封を切っていない紅茶を置く。
アンリに「失礼」と言って、受話器を取った。
この学院に掛けられる電話は全て交換台に繋がる。
交換台から研究室へ一報が入る仕組みになっていた。
「オーギュスト・ボージェです。……存じませんが、一応回して下さい」
教授は初見の相手と電話をしているようだった。
アンリは窓辺に凭れる。
彼の殺風景な机が目に入った。
机の上は綺麗、というより、殆ど物が乗っていない。
筆記用具と内線電話、後は以前僕があげた卓上時計だけだ。
アンティークな木製の置時計。小さな振り子が、右に左に時を刻む。
商談で島の外を歩いていた時、通りの店先で見つけた。
レトロな品物を集めた雑貨店だった。
振り子を目で追っているうちに、何故だかオーギュストを思い出した。
少し迷ったけれど、それを持って店に入った。
店主のご老人は丸眼鏡を掛けていた。
僕が何も言わないのに、皺だらけの手で丁寧に包装してくれた。
時計を渡した時、オーギュストは驚いていた。
「どうして私に?」
「これを見た時、君の研究室にあると良いなと思ったから」
「私の部屋にかね?」
「殺風景でしょ、君の机周り」
「そうだね。散らかっていると、落ち着かないから」
「要らないのなら返して。僕の机に飾るから」
彼の大きな手は、僕の髪を撫でた。
「ありがとう。とても嬉しいよ、アンリ」
講義の時間には見せない、温かな笑顔だった。
『父親の笑顔』ってこういう表情を言うのかもしれない、と少し思った。
オーギュストを見ると、まだ電話をしている。長くなりそうだ。
今年の春摘み紅茶。その出来具合に興味があったのだけど。
退室した方が良さそうだ。
青空の窓から身体を起こして、部屋を出ようとする。
手首を掴まれた。
オーギュストが僕を見ている。
彼は受話器の向こうに言う。
「お話は解りました。申し訳無いが、今、天使と午後のお茶を飲むところでね。
天使を見たことがありませんか? それは残念ですね。では失礼」
一方的に受話器を置いた教授は、アンリの手首からも手を離す。
何事も無かったように紅茶の準備を再開した。
「…オーギュスト」
「ああ。紅茶の産地の話をしていたところだったね。このリーフは」
「それより。今の電話の切り方、何なの?」
「気に入らなかったかい? 嘘を吐いたつもりはないんだがね」
「神秘学の権威は頭の可笑しな人間だと思われるよ?」
「他人がどう思おうと気にならないよ、私は。
でなければ、神秘学の研究は続けられないだろう?」
「そうかもしれないけど」
「今の電話は、悪質な儲け話への誘いだったし」
「儲け話?」
「ああ。教授を狙った詐欺は割とあるんだ」
「あっそう」
「アンリ。ファーストフラッシュの香り、とても素晴らしいよ、ほら」
封を切られた紅茶の袋を渡される。
顔を近付けると、爽やかな新芽の香りがした。
インドの壮大な茶畑が目に浮かぶ。
仄かに太陽と柑橘の匂いも香る。
当たり年、かもしれない。
「悪くないね」と袋を返す。
オーギュストは茶葉を、正確に3g計ってポットに入れた。
こぽこぽと湯を注いで、蓋を閉める。
茶葉の抽出を待つ間、教授は窓に近い本棚に目をやる。
「今回、君に貸したのは、どんな本だったかな?」
「錬金術の歴史書」
「ああ、そうだったね。大学生用参考書だが、アンリには物足りなかったかな?」
「そうでもないよ。専門用語が多くて、読み難いと思ったけど」
「良かった。退屈はしなかったようだね」
彼が父だったら。
そう思うことが時々ある。
彼は変わっているから。
神秘学の研究者ならば、
サン・ジェルマンの末裔である僕のことを、
根掘り葉掘り調べたいと思っても不思議ではないのに。
彼は僕を普通の生徒として扱った。
幼少期、実家に居た頃は、親戚やメイド達でさえ、
僕のことを特別扱いしていた。
化け物を見るような目付きで、腫れ物に触れるように接してくれた。
神秘学の研究者だからかもしれない。
この世が神秘で満ちていることを誰よりも深く知っている彼だから。
僕を一人の人間として認めてくれた大人は、彼が初めてだった。
「アンリ。紅茶の用意ができたよ。おいで」
「うん」
教授は硝子のカップに、紅茶を注ぐ。
それをテーブルに2つ並べる。
部屋の中央には硝子のローテーブルとグレイのソファが並んでいる。
オーギュストの向かいに座ろうとすると、止められた。
「アンリ。私の隣に座りなさい」
「何故?」
「今日は天気が良いから。こちらの方が、窓が見えて良いだろう?」
「君、変わっているね」
オーギュストの隣に座る。
窓は全面、青に染まっている。
彼に言われてみるまで、今日は天気が良いなんて気が付かなかった。
研究者は、新茶の味が気に入ったようだった。
口に出して「美味しい」とは言っていなかったけれど、
一口飲んだ後の、安らいだ顔を見れば、解る。
だから僕も「美味しい」とは言わなかった。
それより、彼に尋ねてみたかったことを口にする。
「ねえ。君は錬金術についてどんな意見を持っているの?」
「錬金術。卑金属から貴金属への変成、不老不死の霊薬の製造を目的とした技術」
教授は本を読んでいるかのように、淀みなく話し出す。
「錬金術には、真偽が疑わしい伝説は多いがね。功績はあったと思うよ。
錬金術は化学のルーツだ。フラスコやビーカーなど、
現代も使用されている化学実験器具も、
元は錬金術の実験をする為に開発されたものだからね」
生徒は足を組む。
今度の化学の時間には、ビーカーをまじまじと見てしまいそうだ。
「ちなみに、蒸留酒も錬金術から生まれている。錬金術師が実験中に偶然ね。
結果、蒸留の方法と、アルコールという化学物質を発見した」
「へえ。錬成したのは黄金ばかりではないんだ。
欲に目が眩んだ人間ばかりではないんだね」
「欲というものは、際限がないものだよ。
禁忌の領域に及んだ欲がある。錬金術師パラケルススは、
ホムンクルスを創り出すことに成功した、という伝説がある」
ホムンクルス。聞き覚えはあるが、意味を忘れてしまった。
ボージェ教授が神秘学について造詣が深いのは認めるが、
生徒には解説が必要な単語を説明文に使う場合が時々ある。
問題文の意味が解らないテスト問題と同じだ。
一般の生徒には只でさえ馴染みの無い神秘学の世界。
ボージェ教授は、その理解を余計に混乱させている。
神秘学の受講生が少ないのは彼のせいだ。
研究者としては優秀だが、講師には向いていないのでは、と思うことがある。
生徒は足を組み替えて、教授の説明不足を指摘する。
「ボージェ教授? 悪いけど、ホムンクルスの説明をしてくれる?」
「ああ、失礼。ホムンクルスは錬金術を用いた人工生命体のことだよ。
つまりパラケルススは、錬金術で人間を創り出した、と言われている」
「待って。錬金術は中世ヨーロッパで栄えた学問でしょう?
その頃にクローン実験をしていたと言うの?」
「いや、パラケルススの話は伝説の域を出ないよ。
人体創造の話も、賢者の石が無ければ不可能だ」
「賢者の石って、卑金属を金属に変えることのできる石?」
「そう。賢者の石、それ自体の存在も怪しいがね。
パラケルススが目指した夢は、クローン技術者と同じだ」
生徒は、手の中の紅茶を見る。
硝子の器に赤い液体。
上澄みは明るい動脈血、底は静脈血に見えた。
粉状のリーフが沈殿している。
「ああ、そうだ、アンリ」
「何?」
「先程、他の教授からお菓子を頂いたんだ」
「お菓子?」
「シュークリーム、だったかな。食べてくれるかね?」
「別に、良いけど」
「良かった。では用意するよ」
「オーギュスト、甘い物は苦手ではなかった?」
「ああ、私はね」
「貰う時に、どうして断らなかったの?」
「アンリが好きそうかな、と思ってね。君が来たらあげようと思ったんだ」
「僕に…」
「好きだろう?」
「…嫌いじゃ、ない」
教授は小さな冷蔵庫から、箱を取り出す。
他にはミネラルウォーターしか入っていなかった。
薄いブルーの箱から、シュークリームを取って、皿に乗せる。
「オーギュ」
「ん?」
「フォークも」
「はいはい」
僕の前に、粉砂糖が掛かったシュークリームとフォークが並ぶ。
シューを四分の一ほど切り取る。
柔らかい感触がして、淡い黄色のクリームが皿に零れる。
小さく切ったシューで拭って、口に運ぶ。
「美味しいかい、アンリ?」
「まあまあ、かな」
「そう。ではこれをくれた教授にお礼を言わなくてはね」
「君は食べていないのに。どんなお礼を言うの?」
「幸福な時間をありがとうございます、と」
「講義中もそうだけれど、ボージェ教授の言葉は時々理解不能だね」
「それは申し訳ないね。日々精進しているつもりなのだが」
「…ねえ」
「ん?」
「そんなに見ないでくれる?」
「ああ、ごめん。あんまり可愛らしいものだから」
僕がシュークリームを食べている間、
オーギュストは席を立って、何かの本を探し始めた。
本を引き抜いて、目次を眺めて、棚に戻す。
その作業を何度か繰り返していた。
「アンリ、次はこの本を読んでみるかい?」
ハードカバーの本をテーブルに置かれる。
紅色の表紙。同じ色の栞紐は5mmほどで擦り切れていた。
中身はすっかり黄ばんでいる。
「これはどんな本?」
「錬金術の歴史書。今度は学会レベルだよ」
「そう。読んでおくよ」
この研究室にある本を1冊ずつ読んでいく。
いつのまにか習慣になっていた。
彼が読んだ本を読む。彼と知識を共有する。
追い着くことはできないけれど、
少しでも理解し、近付きたかった。
自分の部屋で、彼から借りた本を読む時間は、
何故か、とても特別なものだった。
オーギュストは僕の隣に座る。
紅茶を一口飲んで、唇を舐める。
「人体錬成や不老不死について、アンリは不服かな?」
「どちらも、永遠に生きようとした、ということだよね。
人間の創出や不老不死を追い求める理由が、僕には理解できない。
永遠なんて幻想だもの。永遠を約束することなんてできない。
万物には終わりがあるものだ。そうでしょう?」
「その通りだ。だからこそ、彼等は永遠を欲したんだろう。
手に入らないものは魅力的に映るものだからね」
「サン・ジェルマン伯爵は、永遠に生きたと言われる人物だよね?」
「ああ、そうだね」
「過去から未来まであらゆる知識を持ち、予言まで行った彼を、詐欺師だと思う?」
「伯爵について論じるのは、また今度にしよう」
オーギュストが困ったように微笑む時は、これ以上答える気が無い時だ。
この特別講師は、深い知識を、生徒に惜しみなく教えてくれるのに。
アンリが本当に知りたいことには、何も答えてくれないような気がしていた。
生徒は、ねえ、と教師に質問を重ねる。
「どうして教えてくれないの、オーギュ」
「サン・ジェルマン伯爵については、君の方が詳しいだろう、アンリ」
「僕は君の見解が聞きたいと言っているの」
オーギュストは何故か、伯爵について述べることを避ける。
口を開いたとしても、書物を暗唱してくれるだけで、
自分の意見は述べてこなかった。
伯爵の言動を記した書物の中には、確かに事実とは考え難い記述もある。
彼が詐欺師と呼ばれるのも無理はない。
だけど、オーギュストには、伯爵のことを悪く思って欲しくなかった。
彼に伯爵を否定されることが、堪らなく怖くて。
サン・ジェルマン伯爵について、彼の個人的な見解が聞きたかった。
彼はまた僕の質問を避ける気なのか、
活字を読み上げるように、客観的な知識を口にした。
「サン・ジェルマン伯爵。恐ろしく博識で、
10か国以上の言語から絵画、音楽の才をも持つ美男子。
優雅な物腰と巧みな話術で、宮廷の女性方にも大変に人気があった人物だ」
「それは知っている」
既知情報に対し、アンリが興味無さそうに返す。
話が長引きそうなので、シュークリームへと視線を移す。
残りは3分の1程度だ。シュー生地から溢れているクリームには、
黒いバニラビーンズが星のように散らばっている。
特別教授は神秘学の講義のように話を続ける。
「1710年、フランスの貴婦人ジェルジ伯爵夫人は、
ベネチアでサン・ジェルマン伯爵に会ったと証言している。
当時の彼は45歳前後の風貌だった。それから40年後、ジェルジ伯爵夫人は、
ヴェルサイユ宮殿で全く年をとってないサン・ジェルマン伯爵に再会している。
彼女が『40年前に会った方とよく似ている』そう言うと、伯爵は言った。
『同じ人間ですよ、マダム。貴女のご主人はイタリア大使でしたね?』と」
「彼が時間旅行者として語られる最も有名な逸話だね」
アンリはシュークリームの最後の一切れを口に入れる。
甘過ぎないカスタードクリーム。好みの味だった。
その余韻は口内に残っている。紅茶で流してしまうのは少し惜しい。
教授の講義は尚も続く。僕が知りたいのは、そんなことじゃないのに。
「伯爵は、晩餐会に招かれても、一切食べ物を口にしなかった。
『私は特別な薬しか食さない』と言葉を残している」
「それが不老不死の霊薬だと言われているんでしょ」
「そう。彼は45歳の姿のまま時を止めた、とね。
1784年2月27日死去。ドイツで埋葬されたが、没後も目撃証言がある。
フランス革命直前、当時の王妃マリー・アントワネットに、
亡くなっている筈の伯爵から手紙が届く。
さて、どんな内容だったか知っているかい、アンリ?」
「王妃の末路を予言する最終警告だ。
『民衆の怒りを聞き入れ、国王ルイ16世に退位するよう促しなさい』というね。
しかし王妃は、伯爵の手紙を無視した。結果、国王と王妃は斬首刑に処された。
更に補足するなら、マリー・アントワネットの処刑当日、
刑場でサン・ジェルマン伯爵を見た、という証言も存在する…これで良い?」
「素晴らしい。正解だ」
「ありがとう。嬉しくないけどね」
「以降も、世界各地で目撃報告がある為、
伯爵は今も生きている、と信じている人も居るようだね。
歴史上、最も謎の多い人物だが、彼が実在した人物だというのは、此処に」
オーギュストが僕の肩に手を置く。
「その末裔が居ることからも明らかだが、彼に纏わる逸話の真相は不明。
今私が話したことも、そう記された文献がある、というだけで、
信憑性には欠けるものもあることを付け加えておこう」
「そんなことは解ってる」
肩に置かれた手を払う。
僕が聞きたいのは、サン・ジェルマン伯爵の客観的知識ではない。
オーギュストの主観だ。
伯爵のことを、詐欺師だと思っているのか。
伯爵に対して、否定的な意見を持っているのか。
それだけが知りたいのに。
オーギュストは、まだ答えていない。
教授は渇いた喉を紅茶で湿らせていた。
美味しそうに、こくりと喉が動く。
「オーギュ。僕の質問は」
教授はテーブルに硝子のカップを戻す。
赤い水はもう残っていない。
「おや。アンリ。頬に砂糖が付いているよ?」
シュークリームの粉砂糖が付いたのだろうか。
反射的に手で頬に触れようとする。
その手は、彼に捕らえられた。
「動かないで、私が拭うよ」
オーギュストは僕の頭を抱えると、
頬に唇を落とした。
教授は笑みを浮かべている。
「もう良いよ、アンリ」
「…オーギュ…僕を怒らせたいの?」
「もう次の講義が始まる時間だね。残念だが、失礼するよ」
机上の置時計を見る。
アンティークな時計の針は、確かにその時刻を示していた。
教授は文献を2冊抱える。
「オーギュ」
「紅茶はそのままで構わないよ。ではまたね、アンリ」
ダークブラウンの背広が、扉の向こうに消えた。
教授が居なくなった研究室。
生徒はソファに凭れる。
窓の中にシュークリームのような雲が浮かんでいた。
また、はぐらかされた。
オーギュストの意見が聞けなかった。
だけど、この部屋に入る前よりは、固執していない気がする。
彼が伯爵のことを、詐欺師と思っていても、いなくても。
もう、どうでもいいかもしれない。
青空のシュークリームが、窓の中央から端へと流れていく。
風に撫でられて、ゆっくりと動いていく。
一羽の白い鳥が通り過ぎた。
どうして僕は、急に意見が変わったのだろう。
理由が、解らない。
テーブルの上に視線を落とす。
空のカップ。
空の皿。
紅茶が残るカップ。
紅茶と同じ色の本。
冷たい紅茶を飲み干す。
本を持って、研究室を後にした。
第3校舎の受付係に軽く礼をして、外に出る。
久し振りに外気に晒されて、肌寒く感じる。
空を仰ぐ。
先の雲は、ちゃんと其処にあった。
僕はこの後に講義がなかった。
早速、この本を読もうと、ウーティス寮に戻る。
玄関には、雲より柔らかい笑顔を浮かべている人が居た。
アルフォンソ学院の生徒代表殿だ。
「おかえり。アンリ」
「ただいま」
「あれ?」
「何」
「今、ボージェ教授と会って来たのかい?」
「…どうして、解るの?」
「解るよ。長い付き合いだからね。今日は教授とどんな話をしたんだい?」
頬が熱くなる。
生徒代表から目を逸らすと、紅茶色の本が視界に入った。
アンリは、小さく返事する。
「錬金術について意見交換」
fin
■ジョシュア
--------------
--------------
ウーティス寮。
ユウタがサロンのドアを開けると、
ジョシュアが大きな花瓶に真っ白な花束を飾っていた。
「あれ、ジョシュアー?」
「やあ、ユウタ」
「お花飾ってんの?」
「うん、そうなんだ。今日5月1日は、スズランの日だからね」
「スズランの日?」
「イギリスやフランスの行事なんだけれどね。
友人や恋人にスズランを送る日なんだ。
貰った人には、その一年、幸福が訪れると言われているんだよ」
「へええ。そんなロマンチックな行事があるんだー」
「俺は、ウーティス寮の皆が大切な人だから。此処に飾りたいなと思ってね」
ジョシュアは白い鈴に触れる。
「フランス語ではスズランをミュゲと言うから、
スズランの日は『ミュゲ・デイ』と呼ばれているんだよ。
今日は花屋以外の人も花を売ることが許されている。
だから、この日は街中がスズラン一色なんだ」
「凄いね。街がお花でいっぱいなんて…」
「そうだ。おいで、ユウタ」
「ん?」
ジョシュアは身を屈め、一輪のスズランをユウタの髪に差す。
栗色の髪に、清楚な白がよく映えた。
「可愛いよ、ユウタ。花の妖精みたいだ」
「やだ…ジョシュア…俺、恥ずかしいよ…」
開け放たれた扉からハルヤが入ってくる。
ジョシュアとユウタを見るより、先に花瓶いっぱいのスズランに目に行く。
「あれ…此処にもスズランがある…なんで?」
明らかに戸惑っているハルヤに、ユウタが声を掛ける。
「ハルヤー。どうかしたの?」
「えっ。ユウタにまでスズランが咲いてる…」
「ああっ、これは気にしないで。それでハルヤは何かあったの?」
「あ、うん。さっき部屋に戻ったら、スズランのブーケがあって…」
ユウタは隣の人を見上げる。
「ジョシュア、ハルヤにもスズランあげたんた?」
ところが、ジョシュアは首を横に降った。
「いや、俺じゃないよ。此処にしか持って来てないんだ」
「えー。じゃあ一体誰が…」
三人は他の寮生達に尋ねて回ったが、
全員から「知らない」と同じ言葉が返って来た。
サロンに飾られた純潔の花は、
可憐で清々しい香りを纏っていた。
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ユウタがサロンのドアを開けると、
ジョシュアが大きな花瓶に真っ白な花束を飾っていた。
「あれ、ジョシュアー?」
「やあ、ユウタ」
「お花飾ってんの?」
「うん、そうなんだ。今日5月1日は、スズランの日だからね」
「スズランの日?」
「イギリスやフランスの行事なんだけれどね。
友人や恋人にスズランを送る日なんだ。
貰った人には、その一年、幸福が訪れると言われているんだよ」
「へええ。そんなロマンチックな行事があるんだー」
「俺は、ウーティス寮の皆が大切な人だから。此処に飾りたいなと思ってね」
ジョシュアは白い鈴に触れる。
「フランス語ではスズランをミュゲと言うから、
スズランの日は『ミュゲ・デイ』と呼ばれているんだよ。
今日は花屋以外の人も花を売ることが許されている。
だから、この日は街中がスズラン一色なんだ」
「凄いね。街がお花でいっぱいなんて…」
「そうだ。おいで、ユウタ」
「ん?」
ジョシュアは身を屈め、一輪のスズランをユウタの髪に差す。
栗色の髪に、清楚な白がよく映えた。
「可愛いよ、ユウタ。花の妖精みたいだ」
「やだ…ジョシュア…俺、恥ずかしいよ…」
開け放たれた扉からハルヤが入ってくる。
ジョシュアとユウタを見るより、先に花瓶いっぱいのスズランに目に行く。
「あれ…此処にもスズランがある…なんで?」
明らかに戸惑っているハルヤに、ユウタが声を掛ける。
「ハルヤー。どうかしたの?」
「えっ。ユウタにまでスズランが咲いてる…」
「ああっ、これは気にしないで。それでハルヤは何かあったの?」
「あ、うん。さっき部屋に戻ったら、スズランのブーケがあって…」
ユウタは隣の人を見上げる。
「ジョシュア、ハルヤにもスズランあげたんた?」
ところが、ジョシュアは首を横に降った。
「いや、俺じゃないよ。此処にしか持って来てないんだ」
「えー。じゃあ一体誰が…」
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サロンに飾られた純潔の花は、
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