■博士の平日 -10:00pm- 続編
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面談が終わったあと、ソクーロフは白い部屋から出た。
「ソクーロフ……」
心配そうな顔をして、声を掛けてきたのは、
マジックミラー越しに面談を見学していた司令官だった。
「なんだ。お前、最後まで見ていたのか?」
「うん。えと……お疲れ」
「別に疲れてはいないさ」
「んじゃ、ソクちゃんちまで送ってくよ」
アイヴィーの車で、学院の宿舎へ向かう途中。
運転席のアイヴィーはミラーを見上げながら、後部座席を伺った。
「ね。ソクちゃんさ、晩メシ、食いっぱぐれてない?」
「ああ。そう言えば、そうだな」
保健室から真っ直ぐここへ来たから、夕食をとるタイミングがなかった。
「これからどう? サク飲みサク飯」
「今からか?」
「うん。ちょこっとだけさ。イイでしょ?」
ね、と言うアイヴィーとミラー越しに目が合った。
窓の外には、暗い海と暗い空が広がっている。ソクーロフはぽつりと呟いた。
「いや。今日は帰る」
アイヴィーは複雑な表情をしながら、そ、と言った。
車の窓は変わらず、夜の海を映している。
ソクーロフは暫し目を閉じる。
誰かの声が、耳の奥で木霊したような気がした。
「はーい。到着でーす」
間延びしたアイヴィーの声でソクーロフは目を開けた。
窓の向こうに見えた景色。
ソクーロフは立腹したというより、呆れた。
「おい」
「なあにー?」
「私は『帰る』と言った筈だが?」
アイヴィーはカラリと笑った。
「あ、ゴメーン。いつものクセで俺んちに帰って来ちゃったー」
fin
「ソクーロフ……」
心配そうな顔をして、声を掛けてきたのは、
マジックミラー越しに面談を見学していた司令官だった。
「なんだ。お前、最後まで見ていたのか?」
「うん。えと……お疲れ」
「別に疲れてはいないさ」
「んじゃ、ソクちゃんちまで送ってくよ」
アイヴィーの車で、学院の宿舎へ向かう途中。
運転席のアイヴィーはミラーを見上げながら、後部座席を伺った。
「ね。ソクちゃんさ、晩メシ、食いっぱぐれてない?」
「ああ。そう言えば、そうだな」
保健室から真っ直ぐここへ来たから、夕食をとるタイミングがなかった。
「これからどう? サク飲みサク飯」
「今からか?」
「うん。ちょこっとだけさ。イイでしょ?」
ね、と言うアイヴィーとミラー越しに目が合った。
窓の外には、暗い海と暗い空が広がっている。ソクーロフはぽつりと呟いた。
「いや。今日は帰る」
アイヴィーは複雑な表情をしながら、そ、と言った。
車の窓は変わらず、夜の海を映している。
ソクーロフは暫し目を閉じる。
誰かの声が、耳の奥で木霊したような気がした。
「はーい。到着でーす」
間延びしたアイヴィーの声でソクーロフは目を開けた。
窓の向こうに見えた景色。
ソクーロフは立腹したというより、呆れた。
「おい」
「なあにー?」
「私は『帰る』と言った筈だが?」
アイヴィーはカラリと笑った。
「あ、ゴメーン。いつものクセで俺んちに帰って来ちゃったー」
fin
■博士の平日 -09:00pm- 続編
捕らわれの侵入者が待っている部屋の前に着くと、
司令官に「じゃあ俺は鏡越しに見てるから」と言われた。
マジックミラー越しに司令官が見学してくれるようだ。
ソクーロフは一人、取調室の中へ入った。
ここは数少ないインテリアは白や灰色の物ばかり。
白い部屋の中央には、ポツンと椅子があり、
一人の男が項垂れた様子で座っていた。
年は三十後半だろうか。整っていない無精髭が目立つ。
よれよれのグレイのワイシャツ、ジーンズは裾や膝が少し汚れていた。
捕らわれの男はソクーロフを珍しそうに見た。
「アンタは? ここのおエライさんか?」
「いいや。この警備組織に雇われている医師兼カウンセラーだよ。
君の話をよく聞いてくるように、と頼まれている」
「じゃあ、聞いてくれ! んで、俺を見逃してくれよ!」
男はまくし立てるように喋った。
「最後のチャンスだって言われてんだ。
ガキを一人連れて帰れば、助けてくれるって」
彼の話は支離滅裂だったが、根気良く聞いているうちに事情が呑み込めた。
この男が島に来た目的は、学院のある生徒を誘拐、もしくは殺害することだった。
世話になっている人物にそれを依頼されたらしい。
その為、男は生徒に対して恨みどころか面識さえないとのことだった。
男はソクーロフにすがった。
「そのガキを連れて行かなきゃ、俺はおしまいなんだよ。
手土産なしで帰ったんじゃ、俺は殺されちまうかもしれねえんだ。
なあ、今回だけ見逃してくれよ。金なら後で必ず払う」
「金?」
「ああ。今は持ってないけど、成功報酬がたんまり貰える約束なんだ」
「ほう。成功報酬か」
「頼む。見逃してくれよ!」
「君は私を買収したいんだね?」
「ああ。先生にとっても悪い話じゃないだろ?」
「残念だが、君の話には乗れないな」
「じゃあアンタ、俺を見殺しにするってのか?
俺の命はどうだっていいっていうのか!?」
彼はヒステリックに叫んでいた。
「ガキの命を守る為に、俺の命を捨てるってことだろ!?
医者のくせに、二つの命を比べて、片方捨てようとしてんじゃねえか!」
「……そうだね」
「命ってやつだけは、みんな平等じゃねえのかよ!
なあ、医者のアンタなら解ってくれる筈だ! 俺の命を助けてくれよ!」
ソクーロフは一呼吸置いたあと、静かに言った。
「すまないが、今の私は聖アルフォンソ学院の人間なのでね。
生徒を君に渡さないことで、本当に君が危険に晒されるのだとしても、
私は生徒の命を守らなくてはいけないんだよ。
命の二者択一を迫られた時、医師は自己の判断で選ばなくてはいけない。
どちらを選んでも、きっと後悔すると解っていてもね」
深く項垂れた男はぽつりと呟いた。
「……人殺し」
ソクーロフは言葉を返さなかった。
バッと顔を上げた男は憎しみに燃える目で睨んできた。
「あんたは医者じゃない! ただの人殺しだ!」
それから男は、あらゆる言葉でソクーロフを罵り始めた。
彼の口から放たれる罵詈雑言。
プロのカウンセラーは、どんな言葉を投げつけられても、
相手の言葉に飲み込まれないよう訓練されている。
ソクーロフも静かに彼の言葉に耳を傾けていた。
自分が持っている技術を使えば、途中で彼の言葉を遮ることは可能だったが、
この時のソクーロフは、敢えてそうしなかった。
彼の気が済むまで、ソクーロフは罵声の嵐を聞き続けた。
男が叫び疲れ、今度はすすり泣き始めた頃、
ソクーロフは彼を深い催眠状態にいざなった。
彼が誘拐もしくは殺害しようとしていた生徒の名前を聞き出したところ、
うつろな目をした男は、こう答えた。
「……金髪の……ミハイルって名前のガキだ」
→
司令官に「じゃあ俺は鏡越しに見てるから」と言われた。
マジックミラー越しに司令官が見学してくれるようだ。
ソクーロフは一人、取調室の中へ入った。
ここは数少ないインテリアは白や灰色の物ばかり。
白い部屋の中央には、ポツンと椅子があり、
一人の男が項垂れた様子で座っていた。
年は三十後半だろうか。整っていない無精髭が目立つ。
よれよれのグレイのワイシャツ、ジーンズは裾や膝が少し汚れていた。
捕らわれの男はソクーロフを珍しそうに見た。
「アンタは? ここのおエライさんか?」
「いいや。この警備組織に雇われている医師兼カウンセラーだよ。
君の話をよく聞いてくるように、と頼まれている」
「じゃあ、聞いてくれ! んで、俺を見逃してくれよ!」
男はまくし立てるように喋った。
「最後のチャンスだって言われてんだ。
ガキを一人連れて帰れば、助けてくれるって」
彼の話は支離滅裂だったが、根気良く聞いているうちに事情が呑み込めた。
この男が島に来た目的は、学院のある生徒を誘拐、もしくは殺害することだった。
世話になっている人物にそれを依頼されたらしい。
その為、男は生徒に対して恨みどころか面識さえないとのことだった。
男はソクーロフにすがった。
「そのガキを連れて行かなきゃ、俺はおしまいなんだよ。
手土産なしで帰ったんじゃ、俺は殺されちまうかもしれねえんだ。
なあ、今回だけ見逃してくれよ。金なら後で必ず払う」
「金?」
「ああ。今は持ってないけど、成功報酬がたんまり貰える約束なんだ」
「ほう。成功報酬か」
「頼む。見逃してくれよ!」
「君は私を買収したいんだね?」
「ああ。先生にとっても悪い話じゃないだろ?」
「残念だが、君の話には乗れないな」
「じゃあアンタ、俺を見殺しにするってのか?
俺の命はどうだっていいっていうのか!?」
彼はヒステリックに叫んでいた。
「ガキの命を守る為に、俺の命を捨てるってことだろ!?
医者のくせに、二つの命を比べて、片方捨てようとしてんじゃねえか!」
「……そうだね」
「命ってやつだけは、みんな平等じゃねえのかよ!
なあ、医者のアンタなら解ってくれる筈だ! 俺の命を助けてくれよ!」
ソクーロフは一呼吸置いたあと、静かに言った。
「すまないが、今の私は聖アルフォンソ学院の人間なのでね。
生徒を君に渡さないことで、本当に君が危険に晒されるのだとしても、
私は生徒の命を守らなくてはいけないんだよ。
命の二者択一を迫られた時、医師は自己の判断で選ばなくてはいけない。
どちらを選んでも、きっと後悔すると解っていてもね」
深く項垂れた男はぽつりと呟いた。
「……人殺し」
ソクーロフは言葉を返さなかった。
バッと顔を上げた男は憎しみに燃える目で睨んできた。
「あんたは医者じゃない! ただの人殺しだ!」
それから男は、あらゆる言葉でソクーロフを罵り始めた。
彼の口から放たれる罵詈雑言。
プロのカウンセラーは、どんな言葉を投げつけられても、
相手の言葉に飲み込まれないよう訓練されている。
ソクーロフも静かに彼の言葉に耳を傾けていた。
自分が持っている技術を使えば、途中で彼の言葉を遮ることは可能だったが、
この時のソクーロフは、敢えてそうしなかった。
彼の気が済むまで、ソクーロフは罵声の嵐を聞き続けた。
男が叫び疲れ、今度はすすり泣き始めた頃、
ソクーロフは彼を深い催眠状態にいざなった。
彼が誘拐もしくは殺害しようとしていた生徒の名前を聞き出したところ、
うつろな目をした男は、こう答えた。
「……金髪の……ミハイルって名前のガキだ」
→
■博士の平日 -04:00pm- 続編
気が付くと、窓の外は暗く、時計を見ると、
保健室の営業終了時刻はとうに過ぎていた。
ミハイルの次回のカウンセリングについて考えていたら、夜になっていた。
そろそろ切り上げて帰らなくては。
ソクーロフが帰宅準備を始めた時、保健室の電話が鳴った。
「はい。保健室です」
「まだこちらにおいででしたか、ドクター」
淡々としたクールな声。
僅かに安堵したように聞こえたのは、探す手間が省けたから、だろう。
「こんばんは。クロイツかい?」
「はい。警備のクロイツです。いつもお世話になっております」
保健室に電話をかけてきたのは、
警備組織の副司令官、ラインハルト・クロイツだった。
「ドクター、まだ保健室にいらっしゃるということは、
只今お忙しいところでしょうか?」
急病人でも出たのか、という意味だろう。
「いいや。そろそろ帰ろうとしていたところだよ」
「そうですか。ご帰宅前に申し訳ございませんが」
「追憶の塔へのご招待だね? すぐに伺えるよ」
「助かります」
警備組織が島への侵入者を捕らえた場合、
ソクーロフの研究技術を惜しまず提供すること。
警備組織には研究者として雇われている。
自白・洗脳のエキスパートと呼ばれていた、前職の研究成果を買われてのことだ。
「只今、司令の車がそちらに向かっておりますので、
正門前でお待ち頂けますでしょうか。詳細は司令からお聞き下さい」
「解った」
「ありがとうございます。それではお待ちしております」
クロイツは用件だけを伝えて、電話を切った。
ソクーロフは保健室の戸締りをして、正門前へ向かう。
校舎がある敷地から正門まで続く長い通路。
その両脇には月桂樹が植えられている。
昼と夜では随分と雰囲気が違って見える場所だ。
生い茂る葉は、風が吹くと、生き物のように蠢いていた。
暗い月桂樹のアーチを通って、正門に到着した。
ソクーロフの顔を見た門番は、こちらから事情を説明する前に、
「お疲れ様です、博士」と言って、すぐに門を開けてくれた。
学院の門番は警備組織の隊員が務めている。
もうすぐここをソクーロフが通ることは副司令官から聞いたらしい。
細かなところまで気の回る副司令官だ。
正門の前でソクーロフは一人で立っていた。
今日は風が強い。夏に入ったとは言え、夜はまだ涼しい。
ふと空を見上げると、夜空には普段と変わらず、星々が輝いていた。
数分後、ベントレーがソクーロフの前に停まった。
運転席に長い金髪の男が座っている。警備組織司令官のアイヴィーだ。
ソクーロフは自分でドアを開け、後部座席に座った。
車が走り出すと、アイヴィーはミラー越しにこちらを見ながら、
「遅くにお呼び出ししてゴメンねー。いつものことだけどー」
「それで?」
「一人、困ったお客さんが居てさー」
アイヴィーが言う『客』とは、侵入者のことを指しているのだろうが。
「どう困った客なんだ?」
「見逃してくれの一点張りで、他はなーんにも教えてくんないの。
もう俺達じゃお手上げでさあ。悪いけど、
ソクちゃんから、お話聞いてあげてくれない?」
「了解した」
車内の会話はその程度で終わった。
無線で司令官に状況報告などの連絡が次々と入ったからだ。
それに耳を傾けながら、ソクーロフは窓の向こうを見ていた。
濃紺の海を眺めていると、何故か今日の夜は長くなりそうだという予感があった。
海沿いの道を走っていくと、やがて海に佇む塔が見えてきた。
追憶の塔。そう呼ばれる建物が警備組織の司令塔だ。
ソクーロフとアイヴィーは中央司令室に来た。
「早かったですね、司令」
出迎えたのは副司令官のクロイツだった。
「ただいまー。言われた通り、ソクちゃん連れてきたよー」
「お待ちしておりました、ドクター。
お帰り前のお時間にご足労頂き、恐縮です」
その丁寧かつ淡々とした挨拶に心は籠っていない。
クロイツはソクーロフのことを表面上では丁重に扱うが、
個人の感情としては快く思われていないことは、ソクーロフも解っていた。
おそらく肌に合わないという類のものだろう。
だが、クロイツは『任務は任務』という考えの持ち主なので、
個人的な感情で任務に支障をきたすことはない。
だから、ソクーロフも難なく彼と仕事ができた。
クロイツから毛嫌いされていることを、
ソクーロフは不思議と心地好く感じていた。
この副司令官もなかなか面白い研究対象だからだろう。
クロイツは、声質と同様に、性格も通常は冷静だが、
その実、短気で直情的な一面を秘めている。
激昂した彼は実に人間的だ。まだ数度しか見せて貰ったことはないが。
こちらです、と歩き出す副司令官の背中に続く。
これから研究対象と面談ができると思うと、
何とも言い難い高揚感が胸に湧き上がってきた。
やはり自分は、無垢な子ども達と朝の挨拶を交わすより、
罪を犯した大人と接しているほうが、性に合っているのだろう。
どう考えても、『優しい保健室の先生』より、
『非情な研究者』のほうが、これまでの自分に、
――いや、本来の自分に近いのだから。
→
保健室の営業終了時刻はとうに過ぎていた。
ミハイルの次回のカウンセリングについて考えていたら、夜になっていた。
そろそろ切り上げて帰らなくては。
ソクーロフが帰宅準備を始めた時、保健室の電話が鳴った。
「はい。保健室です」
「まだこちらにおいででしたか、ドクター」
淡々としたクールな声。
僅かに安堵したように聞こえたのは、探す手間が省けたから、だろう。
「こんばんは。クロイツかい?」
「はい。警備のクロイツです。いつもお世話になっております」
保健室に電話をかけてきたのは、
警備組織の副司令官、ラインハルト・クロイツだった。
「ドクター、まだ保健室にいらっしゃるということは、
只今お忙しいところでしょうか?」
急病人でも出たのか、という意味だろう。
「いいや。そろそろ帰ろうとしていたところだよ」
「そうですか。ご帰宅前に申し訳ございませんが」
「追憶の塔へのご招待だね? すぐに伺えるよ」
「助かります」
警備組織が島への侵入者を捕らえた場合、
ソクーロフの研究技術を惜しまず提供すること。
警備組織には研究者として雇われている。
自白・洗脳のエキスパートと呼ばれていた、前職の研究成果を買われてのことだ。
「只今、司令の車がそちらに向かっておりますので、
正門前でお待ち頂けますでしょうか。詳細は司令からお聞き下さい」
「解った」
「ありがとうございます。それではお待ちしております」
クロイツは用件だけを伝えて、電話を切った。
ソクーロフは保健室の戸締りをして、正門前へ向かう。
校舎がある敷地から正門まで続く長い通路。
その両脇には月桂樹が植えられている。
昼と夜では随分と雰囲気が違って見える場所だ。
生い茂る葉は、風が吹くと、生き物のように蠢いていた。
暗い月桂樹のアーチを通って、正門に到着した。
ソクーロフの顔を見た門番は、こちらから事情を説明する前に、
「お疲れ様です、博士」と言って、すぐに門を開けてくれた。
学院の門番は警備組織の隊員が務めている。
もうすぐここをソクーロフが通ることは副司令官から聞いたらしい。
細かなところまで気の回る副司令官だ。
正門の前でソクーロフは一人で立っていた。
今日は風が強い。夏に入ったとは言え、夜はまだ涼しい。
ふと空を見上げると、夜空には普段と変わらず、星々が輝いていた。
数分後、ベントレーがソクーロフの前に停まった。
運転席に長い金髪の男が座っている。警備組織司令官のアイヴィーだ。
ソクーロフは自分でドアを開け、後部座席に座った。
車が走り出すと、アイヴィーはミラー越しにこちらを見ながら、
「遅くにお呼び出ししてゴメンねー。いつものことだけどー」
「それで?」
「一人、困ったお客さんが居てさー」
アイヴィーが言う『客』とは、侵入者のことを指しているのだろうが。
「どう困った客なんだ?」
「見逃してくれの一点張りで、他はなーんにも教えてくんないの。
もう俺達じゃお手上げでさあ。悪いけど、
ソクちゃんから、お話聞いてあげてくれない?」
「了解した」
車内の会話はその程度で終わった。
無線で司令官に状況報告などの連絡が次々と入ったからだ。
それに耳を傾けながら、ソクーロフは窓の向こうを見ていた。
濃紺の海を眺めていると、何故か今日の夜は長くなりそうだという予感があった。
海沿いの道を走っていくと、やがて海に佇む塔が見えてきた。
追憶の塔。そう呼ばれる建物が警備組織の司令塔だ。
ソクーロフとアイヴィーは中央司令室に来た。
「早かったですね、司令」
出迎えたのは副司令官のクロイツだった。
「ただいまー。言われた通り、ソクちゃん連れてきたよー」
「お待ちしておりました、ドクター。
お帰り前のお時間にご足労頂き、恐縮です」
その丁寧かつ淡々とした挨拶に心は籠っていない。
クロイツはソクーロフのことを表面上では丁重に扱うが、
個人の感情としては快く思われていないことは、ソクーロフも解っていた。
おそらく肌に合わないという類のものだろう。
だが、クロイツは『任務は任務』という考えの持ち主なので、
個人的な感情で任務に支障をきたすことはない。
だから、ソクーロフも難なく彼と仕事ができた。
クロイツから毛嫌いされていることを、
ソクーロフは不思議と心地好く感じていた。
この副司令官もなかなか面白い研究対象だからだろう。
クロイツは、声質と同様に、性格も通常は冷静だが、
その実、短気で直情的な一面を秘めている。
激昂した彼は実に人間的だ。まだ数度しか見せて貰ったことはないが。
こちらです、と歩き出す副司令官の背中に続く。
これから研究対象と面談ができると思うと、
何とも言い難い高揚感が胸に湧き上がってきた。
やはり自分は、無垢な子ども達と朝の挨拶を交わすより、
罪を犯した大人と接しているほうが、性に合っているのだろう。
どう考えても、『優しい保健室の先生』より、
『非情な研究者』のほうが、これまでの自分に、
――いや、本来の自分に近いのだから。
→
■博士の平日 -03:00pm- 続編
ソクーロフはユウタの携帯電話を返しに行くことにした。
保健室からウーティス寮まで、白衣のポケットに手を入れて歩く。
右のポケットにユウタの携帯電話を入れていた。
ユウタは「サロンか自分の部屋に居る」と言っていたので、
ウーティス寮に着いたソクーロフは、まずサロンへ向かった。
ソクーロフがサロンのドアを開けると、
中央のソファにジョシュア、隅の席にアンリが居た。
丁度、二人は談笑していたようだった。
サロンに居たのはその二人だけだった。
アルフレッド、シルヴァン、ハルヤがここに居ないことは想定済みだ。
先程ドライバーがアルフレッド達を車に乗せて外出したのだから。
ウーティス寮サロンに現れた保健教師をジョシュアは少し驚いた表情で見た。
隅の席に居るアンリからは凍てつく様な冷たい視線。ソクーロフは愉快だった。
ジョシュアは思案顔になる。生徒代表に用があるのかと思ったらしい。
「博士? えっと……俺にご用ですか?」
「いや。突然お邪魔してすまない。今日はユウタに会いに来たんだが、
ここには居ないようだね? 部屋に居るのかな?」
「あ、すみません。ユウタならシュヌーシア寮に行きました。
さっきミハイルがユウタに会いに来て、二人でミハイルの部屋に行ったんです」
「ほう。ミハイルが」
ユウタは、ミハイルが自分に会いに来たことが嬉しくて、
ソクーロフが携帯電話を返しに来ることを忘れたのかもしれない。
もしくはミハイルの部屋に行った帰りに、
保健室に寄るつもりだったのかもしれない。
どちらにしろソクーロフには好都合だった。
「何かユウタに伝えることがあれば、俺から伝えましょうか?」
「ありがとう、ジョシュア。では、ユウタにこれを返しておいてくれるかい?」
白衣のポケットからユウタの携帯電話を取り出して見せると、
隅の席からアンリの低い声が聞こえてきた。
「どうして、君がそれを持ってるの」
「ユウタのお姉さんと電話で話していたのでね?」
アンリは一瞬、唖然とした。怒りで声が少し震える。
「彼女と……」
「そうだよ?」
アンリがツカツカとこちらに向かってくる。
憤った目で睨み、ソクーロフの手から携帯電話を奪い取った。
ソクーロフは微笑みながら言う。
「アンリからユウタに返しておいてくれるのかい? ありがとう」
「今後一切、彼女と話さないで」
「私に電話をかけてきたのは、彼女のほうだよ?」
敵意を剥き出しにした目。ソクーロフは心地良かった。
「なら、僕から彼女に言う。ソクーロフとは二度と話すなと」
携帯電話を握り締め、アンリはサロンを出て行った。
自分の部屋に戻り、今すぐ彼女に電話をするようだ。
突然、異常に怒り出した友人の背中を、ジョシュアは呆然と見送っていた。
サロンはジョシュアとソクーロフだけになる。
ソクーロフと目が合ったジョシュアは、友人の非礼を詫びた。
「あの、すみません、博士」
「いいや」
「でも、アンリ、なんであんなに怒ったんだろう……」
「それは本人も解らないことなんだろうね」
「えっ?」
「寛いでいたところ、お邪魔して申し訳なかったね。私は退散するよ」
「すみません。アンリには後で俺から注意を」
「いいや。彼を刺激し過ぎた私が悪かったんだ。
アンリのことは、そっとしておいてあげてくれるかい?」
「あ、はい。解りました」
「では失礼」
ソクーロフはウーティス寮サロンを出て行く。
想像以上の実験結果が出た。一人になると思わず笑みが零れた。
→
保健室からウーティス寮まで、白衣のポケットに手を入れて歩く。
右のポケットにユウタの携帯電話を入れていた。
ユウタは「サロンか自分の部屋に居る」と言っていたので、
ウーティス寮に着いたソクーロフは、まずサロンへ向かった。
ソクーロフがサロンのドアを開けると、
中央のソファにジョシュア、隅の席にアンリが居た。
丁度、二人は談笑していたようだった。
サロンに居たのはその二人だけだった。
アルフレッド、シルヴァン、ハルヤがここに居ないことは想定済みだ。
先程ドライバーがアルフレッド達を車に乗せて外出したのだから。
ウーティス寮サロンに現れた保健教師をジョシュアは少し驚いた表情で見た。
隅の席に居るアンリからは凍てつく様な冷たい視線。ソクーロフは愉快だった。
ジョシュアは思案顔になる。生徒代表に用があるのかと思ったらしい。
「博士? えっと……俺にご用ですか?」
「いや。突然お邪魔してすまない。今日はユウタに会いに来たんだが、
ここには居ないようだね? 部屋に居るのかな?」
「あ、すみません。ユウタならシュヌーシア寮に行きました。
さっきミハイルがユウタに会いに来て、二人でミハイルの部屋に行ったんです」
「ほう。ミハイルが」
ユウタは、ミハイルが自分に会いに来たことが嬉しくて、
ソクーロフが携帯電話を返しに来ることを忘れたのかもしれない。
もしくはミハイルの部屋に行った帰りに、
保健室に寄るつもりだったのかもしれない。
どちらにしろソクーロフには好都合だった。
「何かユウタに伝えることがあれば、俺から伝えましょうか?」
「ありがとう、ジョシュア。では、ユウタにこれを返しておいてくれるかい?」
白衣のポケットからユウタの携帯電話を取り出して見せると、
隅の席からアンリの低い声が聞こえてきた。
「どうして、君がそれを持ってるの」
「ユウタのお姉さんと電話で話していたのでね?」
アンリは一瞬、唖然とした。怒りで声が少し震える。
「彼女と……」
「そうだよ?」
アンリがツカツカとこちらに向かってくる。
憤った目で睨み、ソクーロフの手から携帯電話を奪い取った。
ソクーロフは微笑みながら言う。
「アンリからユウタに返しておいてくれるのかい? ありがとう」
「今後一切、彼女と話さないで」
「私に電話をかけてきたのは、彼女のほうだよ?」
敵意を剥き出しにした目。ソクーロフは心地良かった。
「なら、僕から彼女に言う。ソクーロフとは二度と話すなと」
携帯電話を握り締め、アンリはサロンを出て行った。
自分の部屋に戻り、今すぐ彼女に電話をするようだ。
突然、異常に怒り出した友人の背中を、ジョシュアは呆然と見送っていた。
サロンはジョシュアとソクーロフだけになる。
ソクーロフと目が合ったジョシュアは、友人の非礼を詫びた。
「あの、すみません、博士」
「いいや」
「でも、アンリ、なんであんなに怒ったんだろう……」
「それは本人も解らないことなんだろうね」
「えっ?」
「寛いでいたところ、お邪魔して申し訳なかったね。私は退散するよ」
「すみません。アンリには後で俺から注意を」
「いいや。彼を刺激し過ぎた私が悪かったんだ。
アンリのことは、そっとしておいてあげてくれるかい?」
「あ、はい。解りました」
「では失礼」
ソクーロフはウーティス寮サロンを出て行く。
想像以上の実験結果が出た。一人になると思わず笑みが零れた。
→
■博士の平日 -01:00pm- 続編
「こんにちは、博士!」
放課後、保健室にやってきた生徒は、
午前中にも、ここに来た生徒だった。
「おや? ユウタ。膝の怪我が痛むのかな?」
「え? あ、違います。今度は俺じゃなくて」
ユウタが差し出した携帯電話には一人の女性が映っていた。
「姉貴が博士と話したいって言ってて。今、良いですか?」
「ああ、勿論」
「ありがとうございます。良かったな、姉貴。じゃあお願いします」
ユウタの携帯電話がソクーロフの手に渡る。
「じゃあ俺、またあとで携帯を取りに来ます」
「いや。今日は私が君の寮へお返しに行くよ。
たまにはウーティスの子達の顔も見せて貰いたいからね」
「解りました。俺、サロンか自分の部屋に居ますから。それじゃ失礼します」
ユウタが保健室を出て行ったのを確認してから、
ソクーロフは携帯電話の中に居る女性と向かい合った。
彼女の表情は少し暗く、不安そうにソクーロフを見上げていた。
「博士、すみません。また電話をして。
今、本当にお時間、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。電話をくれてありがとう」
すると、彼女の表情が和らいだ。それをソクーロフは好ましく感じた。
「電話をしたら迷惑に思われるのではないか、と心配だったのかい?
――解るよ。そう君の顔に書いてあるからね?
前にも言った筈だよ? 生徒の家族も私の責任の範疇なのだと。
君が私に電話をしたいと思う時は、君が私を求めている時なのだから、
素直にその欲求に従えば良い。遠慮することはない。
聖アルフォンソ学院の保健室は、いつだって開いているのだから」
一瞬、彼女の顔に浮かんだ疑問。
ソクーロフは微笑みながらそれに答えた。
「例え夜中で、保健室のドアが物理的に開いていなくても、
宿舎の私の部屋に来てくれれば、私はそこに居るよ。
私自身に鍵は掛かっていないからね。
私はいつだって、君の話を聞きたいと思っている」
彼女はか細い声で、ありがとうございます、と言った。
ソクーロフはさりげなく、音声のボリュームを上げていく。
「さて。今日は私に何か話したいことがあるのかな?」
「えっと。これと言って話題らしいものはないんですけど」
音声のボリュームを最大まで上げると、
彼女の控えめな声も、よく聞こえるようになった。
「あの、博士は今頃、何してるのかな、と思って」
「私が何をしているのか、知りたいと思ったのかい?」
「はい。ええと、あの、保健室の先生って、
普段は保健室でどんなことしているのかなって」
「成程。では君の知的好奇心にきちんとお答えしなくてはいけないね。
君から電話が来る直前は、カウンセリングの準備をしていたよ、生徒用のね。
午前中は……ああ、既に聞いているかもしれないが、君の弟が保健室に来たよ?」
「あっ、はい! さっきユウタから聞きました!
サッカーの授業で膝を擦り剥いて博士に手当てして貰ったって。
すみません、ありがとうございました」
「どういたしまして」
「あの子、ちっちゃい時からドジで、よくケガして泣いてたんですよ。
公園で遊んでても、ちょっと目を離すと、ブランコから落ちてたりとか。
鉄棒で逆上がりの練習してる時も、ゴンッて頭から落ちた時もあったし……」
「そう。目が離せない弟だったんだね。お姉さんとしては大変だったのかな」
「え……博士?」
「何だい?」
「すみません。私、今、何かいけないこと言いましたか?」
「……いいや? 何故、そう思ったんだい?」
「だって、博士、ちょっと辛そうな顔したから。
私、何かまずいこと言っちゃったのかなって。
あ、でも、私の勘違いだったらごめんなさい。急に変なこと言って」
「いや。君にはカウンセラーの素質があるのかもしれないね。
君の観察眼には本当に驚かされる。君は私のことを、良く見ているんだね?」
「えっ、いや、えっと……」
「私が今、辛い表情をしていたのなら、
君達兄弟のことが、羨ましいと感じたからかもしれない」
「羨ましい、ですか? あんなドジな弟が?」
「公園で一緒に遊んだ記憶がないんだ、私達には」
「あっ……博士の妹さん、身体が弱いから?
公園で遊んだりもできなかったんですか?」
「うん。『子どもの頃、公園で遊んだ』というエピソードは、
君達にとっては、ごく当たり前の昔話なのだろうが、
私から見ると、とても手が届かない、夢のまた夢のような話だ」
「ごめんなさい……私、やっぱり、いけないこと言ったんですね」
「いいや。君が謝ることではないよ。
こちらこそ、面白くはない話を聞かせてすまなかったね」
「いいえ。博士のほうこそ、謝る必要ないです。
私が博士の話、聞きたいって言ったんですから。
私は、博士の話、聞かせて貰えるの嬉しいです。
面白い話でも、面白くない話でも。
あ、でも、別に、今の話が面白くなかったとか、
そういうこと言ってるわけじゃなくて、あの……」
「――ありがとう。私も君に話を聞いて貰えるのは嬉しいよ」
「本当に!?」
「うん。しかし、カウンセラーとしては、
立場が逆になってしまっているがね」
「良いんです! 私はそれで!」
「珍しいことを言う人だね、君は。本当に……興味深い」
「……興味、深い?」
「さて。今日はこのくらいにしておこうか。
また、電話をかけてきてくれるかい?」
「は、はい!」
「次の機会を楽しみにしているよ。ではまた」
「はい! また!」
ソクーロフは静かに電話を切った。
話す前は少し暗い表情をしていた彼女が、
電話が終わるころには明るい表情を取り戻していた。
「あ、あのぉー。お電話、終わりましたー?」
ベッドに寝そべったまま、こちらの顔色を伺っていたのは、
先程、仮眠を取りに来たアイヴィーだった。
「今のお電話って、もしかしなくても、ユウタのお姉ちゃん?」
「盗み聞きとは、趣味が良くないな」
「ぬ、盗み聞きじゃないよ。聞こえちゃったんだもん……。
なんか声がするなあって目が覚めたら、ソクちゃんが電話してて。
てゆうか、今のって、ソクちゃんからお電話したの?
それとも、お姉ちゃんのほうから?」
「彼女のほうから」
「な、なんでアンタが、お姉ちゃんから電話貰えるのさ……」
「生徒の家族も私の責任の範疇だからな。
彼女には、いつでも私に電話をして良いと伝えてある」
「イヤイヤ。生徒の家族までは関係ないでしょ?」
「あるさ。生徒のカウンセリングを行う上で、
その家族を知ることは重要なことだ。
他の現場でも、家族カウンセリングは珍しいことではない」
「尤もらしいこと言いやがって……。
じゃあ、今のお電話もカウンセリングだって言うの?
なんかただのお喋りに聞こえましたけど。
しかも、かなり仲良さげな……。
やっぱ、お姉ちゃんに電話して良いって言ったのは、
単に彼女がカワイイからじゃないの?」
「ほう? お前は、彼女のことを可愛い女性だと、
そう、好意的に思っているんだな?」
「エッ!? イヤ……あの……」
「彼女と私が、どんな話をしているのか気になり、
私達の会話を盗み聞きしていたと。――成程、な」
「何が成程!? 違うよ!? 俺はっ!」
アラームが鳴った。
先程、アイヴィーがスマートフォンで設定したアラームだ。
「アルフレッド達を迎えに行く時間のようだな?」
「話がまだ途中なのに」
「早く行け。生徒を待たせるな」
アイヴィーはスマートフォンの時刻とソクーロフの顔を見比べながら、
「し、仕方ないなー。じゃ、じゃあね」
アイヴィーが保健室を出て行った後、ソクーロフは微笑し、独りごちた。
「動揺している、か」
→
放課後、保健室にやってきた生徒は、
午前中にも、ここに来た生徒だった。
「おや? ユウタ。膝の怪我が痛むのかな?」
「え? あ、違います。今度は俺じゃなくて」
ユウタが差し出した携帯電話には一人の女性が映っていた。
「姉貴が博士と話したいって言ってて。今、良いですか?」
「ああ、勿論」
「ありがとうございます。良かったな、姉貴。じゃあお願いします」
ユウタの携帯電話がソクーロフの手に渡る。
「じゃあ俺、またあとで携帯を取りに来ます」
「いや。今日は私が君の寮へお返しに行くよ。
たまにはウーティスの子達の顔も見せて貰いたいからね」
「解りました。俺、サロンか自分の部屋に居ますから。それじゃ失礼します」
ユウタが保健室を出て行ったのを確認してから、
ソクーロフは携帯電話の中に居る女性と向かい合った。
彼女の表情は少し暗く、不安そうにソクーロフを見上げていた。
「博士、すみません。また電話をして。
今、本当にお時間、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。電話をくれてありがとう」
すると、彼女の表情が和らいだ。それをソクーロフは好ましく感じた。
「電話をしたら迷惑に思われるのではないか、と心配だったのかい?
――解るよ。そう君の顔に書いてあるからね?
前にも言った筈だよ? 生徒の家族も私の責任の範疇なのだと。
君が私に電話をしたいと思う時は、君が私を求めている時なのだから、
素直にその欲求に従えば良い。遠慮することはない。
聖アルフォンソ学院の保健室は、いつだって開いているのだから」
一瞬、彼女の顔に浮かんだ疑問。
ソクーロフは微笑みながらそれに答えた。
「例え夜中で、保健室のドアが物理的に開いていなくても、
宿舎の私の部屋に来てくれれば、私はそこに居るよ。
私自身に鍵は掛かっていないからね。
私はいつだって、君の話を聞きたいと思っている」
彼女はか細い声で、ありがとうございます、と言った。
ソクーロフはさりげなく、音声のボリュームを上げていく。
「さて。今日は私に何か話したいことがあるのかな?」
「えっと。これと言って話題らしいものはないんですけど」
音声のボリュームを最大まで上げると、
彼女の控えめな声も、よく聞こえるようになった。
「あの、博士は今頃、何してるのかな、と思って」
「私が何をしているのか、知りたいと思ったのかい?」
「はい。ええと、あの、保健室の先生って、
普段は保健室でどんなことしているのかなって」
「成程。では君の知的好奇心にきちんとお答えしなくてはいけないね。
君から電話が来る直前は、カウンセリングの準備をしていたよ、生徒用のね。
午前中は……ああ、既に聞いているかもしれないが、君の弟が保健室に来たよ?」
「あっ、はい! さっきユウタから聞きました!
サッカーの授業で膝を擦り剥いて博士に手当てして貰ったって。
すみません、ありがとうございました」
「どういたしまして」
「あの子、ちっちゃい時からドジで、よくケガして泣いてたんですよ。
公園で遊んでても、ちょっと目を離すと、ブランコから落ちてたりとか。
鉄棒で逆上がりの練習してる時も、ゴンッて頭から落ちた時もあったし……」
「そう。目が離せない弟だったんだね。お姉さんとしては大変だったのかな」
「え……博士?」
「何だい?」
「すみません。私、今、何かいけないこと言いましたか?」
「……いいや? 何故、そう思ったんだい?」
「だって、博士、ちょっと辛そうな顔したから。
私、何かまずいこと言っちゃったのかなって。
あ、でも、私の勘違いだったらごめんなさい。急に変なこと言って」
「いや。君にはカウンセラーの素質があるのかもしれないね。
君の観察眼には本当に驚かされる。君は私のことを、良く見ているんだね?」
「えっ、いや、えっと……」
「私が今、辛い表情をしていたのなら、
君達兄弟のことが、羨ましいと感じたからかもしれない」
「羨ましい、ですか? あんなドジな弟が?」
「公園で一緒に遊んだ記憶がないんだ、私達には」
「あっ……博士の妹さん、身体が弱いから?
公園で遊んだりもできなかったんですか?」
「うん。『子どもの頃、公園で遊んだ』というエピソードは、
君達にとっては、ごく当たり前の昔話なのだろうが、
私から見ると、とても手が届かない、夢のまた夢のような話だ」
「ごめんなさい……私、やっぱり、いけないこと言ったんですね」
「いいや。君が謝ることではないよ。
こちらこそ、面白くはない話を聞かせてすまなかったね」
「いいえ。博士のほうこそ、謝る必要ないです。
私が博士の話、聞きたいって言ったんですから。
私は、博士の話、聞かせて貰えるの嬉しいです。
面白い話でも、面白くない話でも。
あ、でも、別に、今の話が面白くなかったとか、
そういうこと言ってるわけじゃなくて、あの……」
「――ありがとう。私も君に話を聞いて貰えるのは嬉しいよ」
「本当に!?」
「うん。しかし、カウンセラーとしては、
立場が逆になってしまっているがね」
「良いんです! 私はそれで!」
「珍しいことを言う人だね、君は。本当に……興味深い」
「……興味、深い?」
「さて。今日はこのくらいにしておこうか。
また、電話をかけてきてくれるかい?」
「は、はい!」
「次の機会を楽しみにしているよ。ではまた」
「はい! また!」
ソクーロフは静かに電話を切った。
話す前は少し暗い表情をしていた彼女が、
電話が終わるころには明るい表情を取り戻していた。
「あ、あのぉー。お電話、終わりましたー?」
ベッドに寝そべったまま、こちらの顔色を伺っていたのは、
先程、仮眠を取りに来たアイヴィーだった。
「今のお電話って、もしかしなくても、ユウタのお姉ちゃん?」
「盗み聞きとは、趣味が良くないな」
「ぬ、盗み聞きじゃないよ。聞こえちゃったんだもん……。
なんか声がするなあって目が覚めたら、ソクちゃんが電話してて。
てゆうか、今のって、ソクちゃんからお電話したの?
それとも、お姉ちゃんのほうから?」
「彼女のほうから」
「な、なんでアンタが、お姉ちゃんから電話貰えるのさ……」
「生徒の家族も私の責任の範疇だからな。
彼女には、いつでも私に電話をして良いと伝えてある」
「イヤイヤ。生徒の家族までは関係ないでしょ?」
「あるさ。生徒のカウンセリングを行う上で、
その家族を知ることは重要なことだ。
他の現場でも、家族カウンセリングは珍しいことではない」
「尤もらしいこと言いやがって……。
じゃあ、今のお電話もカウンセリングだって言うの?
なんかただのお喋りに聞こえましたけど。
しかも、かなり仲良さげな……。
やっぱ、お姉ちゃんに電話して良いって言ったのは、
単に彼女がカワイイからじゃないの?」
「ほう? お前は、彼女のことを可愛い女性だと、
そう、好意的に思っているんだな?」
「エッ!? イヤ……あの……」
「彼女と私が、どんな話をしているのか気になり、
私達の会話を盗み聞きしていたと。――成程、な」
「何が成程!? 違うよ!? 俺はっ!」
アラームが鳴った。
先程、アイヴィーがスマートフォンで設定したアラームだ。
「アルフレッド達を迎えに行く時間のようだな?」
「話がまだ途中なのに」
「早く行け。生徒を待たせるな」
アイヴィーはスマートフォンの時刻とソクーロフの顔を見比べながら、
「し、仕方ないなー。じゃ、じゃあね」
アイヴィーが保健室を出て行った後、ソクーロフは微笑し、独りごちた。
「動揺している、か」
→
■博士の平日 -11:00am- 続編
聖アルフォンソ学院のキャンパスに鐘の音が鳴り響く。午後の授業が始まった。
鐘の音を保健室で聞いたソクーロフは、書き物をしていた手を止め、席を立った。
保健室のドアに『離席中 ご用のある方は保健室でお待ち下さい』
と書かれたプレートをかけて退室した。
向かった先は、キャンパス内のオープンカフェ。
昼休みは混雑している場所だが、今は授業中なので生徒の姿はなかった。
ランチが遅くなったらしい教師や職員が疎らに数名居る程度だ。
ソクーロフはオーダーしたサンドイッチセットを持って、
パラソルのあるテーブル席に座った。
トレイには、サンドイッチ、サラダ、スープ、アイスコーヒー。
日替わりでそれぞれのメニューは変わる。今日のサンドイッチはBLTだ。
忙しい日は保健室で食事を取ったり、
あるいは一食飛ばしてしまう場合もあるが、
たまにこうして青空の下で昼食をとると、良い気分転換になる。
今日は良く晴れており、夏の始まりらしい天気だ。
同じサンドイッチでもどこで食べるかによって、感じ方は変わるものだ。
「おや。ソクーロフ博士」
あらかた食事が終わり、コーヒーを飲んでいる頃。
丁度、オープンカフェを通りかかったらしい教師に声を掛けられた。
ホワイトのウイングカラーシャツにブラウンのベスト。
同じブラウンのフォーマルなクロスタイは、
クリーム色のパールピンで留められている。
四十代にしては、まだ若々しく端正な顔立ちをした紳士。
神秘学担当の特別講師、オーギュスト・ボージェ教授だ。
「博士はこれから少し遅いランチですか? お疲れ様です」
「私の昼食はいつも、午後の授業が始まってからですよ。
昼休みの時間帯は保健室に生徒が来る場合もありますので」
「成程」
「ボージェ教授は、これから外出ですか?」
「ええ。私はもう今日の授業が終わってしまいましたので、
これから植物園へ、ブルエの様子を見に行こうかと。
そろそろ見頃だと思いますので」
「ブルエ?」
「ああ、失礼。英語ではコーンフラワーと言うんでしたか。
小さな青い花です。古くから目に効くと言われ、
結膜炎や眼精疲労などに用いられたハーブですよ。
ブルエの優雅な青は、ただ見ているだけでも目を癒してくれます」
ボージェ教授はソクーロフの顔を見て微笑した。
「博士はお忙しいから、ゆっくり花達を眺める時間はないかもしれませんが、
ブルエの花はきっと、博士の疲れ目も癒してくれますよ?」
「疲れ目のつもりはないのですがね」
「それは失礼。けれど、『靴屋が一番悪い靴を履いている』とも言いますから、
お医者様もご自分のお身体を労わることを忘れないようにして下さい。
博士がこの学院の健康を守っていらっしゃるのですから。
――ああ、すみません。話が横道にそれましたか。
生徒にいつも怒られるのですよ、私の話はいつも横道にそれて解り難いと」
「それは教授は博識だからでしょう。自分の持てる知識を、
なるべく多く、誰かに伝えようとしている結果です。
私も教授とお話していると、まだ知らなかった知識を与えて頂きます」
「おや。私は今、博士の身になるお話をしましたか?」
「ブルエという青い花が、この世にあることを学びました。
そして、それは目に良いハーブであると。今、初めて知ったことです」
冗談だと思われたのか、教授は楽しげに微笑んだ。
「今後のお役に立つ知識ではありませんでしたね?」
「それはまだ解らないことです。いつか、役に立つ日が来るかもしれない」
「……そうですね。博士はお優しい」
そう言う教授の微笑みは、何故か悲しげだった。
それはたった一瞬のことだったが、ソクーロフは見逃さなかった。
「教授? どうしました?」
「いえ。何でもありませんよ。
ああ、ランチの時間に長々と失礼致しました。
それでは私はこれで。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
教授は正門のほうへ歩いて行く。その後ろ姿を見送りながら、
今日は珍しい人物に絡まれたな、とソクーロフは心の中で呟く。
オーギュスト・ボージェ。
生徒だけでなく教師の間でも、彼は変わり者だと言われている。
彼が持つ雰囲気は独特だ。他の誰とも、何かが違う。
ソクーロフもボージェ教授と話していると、
何とも言えない、不思議な感覚を味わう。
それが何故なのか、理由は未だに解らない。
教授陣の中では、神秘学の教授が最もミステリアスな人物だ。
教授の後ろ姿はもう見えなくなっていた。
ソクーロフは残っていたアイスコーヒーに手を伸ばす。
待たされたグラスは、全身に汗をかいており、
ソクーロフの手はピチャリと濡れた。
昼食を終えたソクーロフは、保健室に戻ってきた。
『離席中』のドアプレートを外して、部屋の中に入る。
「あっ、ソクちゃん、帰ってきたー」
長い金髪の男が机の前に立っていた。
ワイシャツの袖は、肘の辺りまで捲り上げている。
表向きは学院専属のタクシードライバー、しかし本職は島の警備。
若くして警備組織で司令官を任されている男、アイヴィーだ。
アイヴィーの顔を見た途端、ソクーロフは軽く息を吐き、
つまらない奴が来たな、といった冷たい態度に変わった。
「ソクちゃん、居なかったけど、ドコ行ってたの? トイレ?」
「カフェで昼食だ。お前は何故ここに居る?」
「15時半にアルフレッド達に呼ばれてるから、それまで寝かしてー?」
「勝手にしろ」
「ハーイ」
アイヴィーはスマートフォンでアラームを設定しながら、
「あ、あとー、10分前になっても、
俺が起きてなかったら起こしてあげてねー?」
「自分で起きろ」
「なんだかんだ言って起こしてくれるクセにー」
「煩くするのなら、つまみだすぞ」
「あー、寝ます寝ますー! もー、怒りんぼなんだからー」
アイヴィーは慌ててベットに横になる。ソクーロフは机に向かった。
→
鐘の音を保健室で聞いたソクーロフは、書き物をしていた手を止め、席を立った。
保健室のドアに『離席中 ご用のある方は保健室でお待ち下さい』
と書かれたプレートをかけて退室した。
向かった先は、キャンパス内のオープンカフェ。
昼休みは混雑している場所だが、今は授業中なので生徒の姿はなかった。
ランチが遅くなったらしい教師や職員が疎らに数名居る程度だ。
ソクーロフはオーダーしたサンドイッチセットを持って、
パラソルのあるテーブル席に座った。
トレイには、サンドイッチ、サラダ、スープ、アイスコーヒー。
日替わりでそれぞれのメニューは変わる。今日のサンドイッチはBLTだ。
忙しい日は保健室で食事を取ったり、
あるいは一食飛ばしてしまう場合もあるが、
たまにこうして青空の下で昼食をとると、良い気分転換になる。
今日は良く晴れており、夏の始まりらしい天気だ。
同じサンドイッチでもどこで食べるかによって、感じ方は変わるものだ。
「おや。ソクーロフ博士」
あらかた食事が終わり、コーヒーを飲んでいる頃。
丁度、オープンカフェを通りかかったらしい教師に声を掛けられた。
ホワイトのウイングカラーシャツにブラウンのベスト。
同じブラウンのフォーマルなクロスタイは、
クリーム色のパールピンで留められている。
四十代にしては、まだ若々しく端正な顔立ちをした紳士。
神秘学担当の特別講師、オーギュスト・ボージェ教授だ。
「博士はこれから少し遅いランチですか? お疲れ様です」
「私の昼食はいつも、午後の授業が始まってからですよ。
昼休みの時間帯は保健室に生徒が来る場合もありますので」
「成程」
「ボージェ教授は、これから外出ですか?」
「ええ。私はもう今日の授業が終わってしまいましたので、
これから植物園へ、ブルエの様子を見に行こうかと。
そろそろ見頃だと思いますので」
「ブルエ?」
「ああ、失礼。英語ではコーンフラワーと言うんでしたか。
小さな青い花です。古くから目に効くと言われ、
結膜炎や眼精疲労などに用いられたハーブですよ。
ブルエの優雅な青は、ただ見ているだけでも目を癒してくれます」
ボージェ教授はソクーロフの顔を見て微笑した。
「博士はお忙しいから、ゆっくり花達を眺める時間はないかもしれませんが、
ブルエの花はきっと、博士の疲れ目も癒してくれますよ?」
「疲れ目のつもりはないのですがね」
「それは失礼。けれど、『靴屋が一番悪い靴を履いている』とも言いますから、
お医者様もご自分のお身体を労わることを忘れないようにして下さい。
博士がこの学院の健康を守っていらっしゃるのですから。
――ああ、すみません。話が横道にそれましたか。
生徒にいつも怒られるのですよ、私の話はいつも横道にそれて解り難いと」
「それは教授は博識だからでしょう。自分の持てる知識を、
なるべく多く、誰かに伝えようとしている結果です。
私も教授とお話していると、まだ知らなかった知識を与えて頂きます」
「おや。私は今、博士の身になるお話をしましたか?」
「ブルエという青い花が、この世にあることを学びました。
そして、それは目に良いハーブであると。今、初めて知ったことです」
冗談だと思われたのか、教授は楽しげに微笑んだ。
「今後のお役に立つ知識ではありませんでしたね?」
「それはまだ解らないことです。いつか、役に立つ日が来るかもしれない」
「……そうですね。博士はお優しい」
そう言う教授の微笑みは、何故か悲しげだった。
それはたった一瞬のことだったが、ソクーロフは見逃さなかった。
「教授? どうしました?」
「いえ。何でもありませんよ。
ああ、ランチの時間に長々と失礼致しました。
それでは私はこれで。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
教授は正門のほうへ歩いて行く。その後ろ姿を見送りながら、
今日は珍しい人物に絡まれたな、とソクーロフは心の中で呟く。
オーギュスト・ボージェ。
生徒だけでなく教師の間でも、彼は変わり者だと言われている。
彼が持つ雰囲気は独特だ。他の誰とも、何かが違う。
ソクーロフもボージェ教授と話していると、
何とも言えない、不思議な感覚を味わう。
それが何故なのか、理由は未だに解らない。
教授陣の中では、神秘学の教授が最もミステリアスな人物だ。
教授の後ろ姿はもう見えなくなっていた。
ソクーロフは残っていたアイスコーヒーに手を伸ばす。
待たされたグラスは、全身に汗をかいており、
ソクーロフの手はピチャリと濡れた。
昼食を終えたソクーロフは、保健室に戻ってきた。
『離席中』のドアプレートを外して、部屋の中に入る。
「あっ、ソクちゃん、帰ってきたー」
長い金髪の男が机の前に立っていた。
ワイシャツの袖は、肘の辺りまで捲り上げている。
表向きは学院専属のタクシードライバー、しかし本職は島の警備。
若くして警備組織で司令官を任されている男、アイヴィーだ。
アイヴィーの顔を見た途端、ソクーロフは軽く息を吐き、
つまらない奴が来たな、といった冷たい態度に変わった。
「ソクちゃん、居なかったけど、ドコ行ってたの? トイレ?」
「カフェで昼食だ。お前は何故ここに居る?」
「15時半にアルフレッド達に呼ばれてるから、それまで寝かしてー?」
「勝手にしろ」
「ハーイ」
アイヴィーはスマートフォンでアラームを設定しながら、
「あ、あとー、10分前になっても、
俺が起きてなかったら起こしてあげてねー?」
「自分で起きろ」
「なんだかんだ言って起こしてくれるクセにー」
「煩くするのなら、つまみだすぞ」
「あー、寝ます寝ますー! もー、怒りんぼなんだからー」
アイヴィーは慌ててベットに横になる。ソクーロフは机に向かった。
→
■博士の平日 -08:00am- 続編
生徒達が午前の授業を受けている頃。
保健室はシンとしていた。
ソクーロフはヘッドホンである歌を聞いている。
この曲に題名はない。
机上にはカルテがひとつ乗っていた。
添えられた写真には、美しい金髪の少年が、
今にも泣き出しそうな顔で映っている。
ミハイル・リューリコヴィッチ・ネフスキー。
ソクーロフが今聞き直している歌声は、その儚げな少年が、
前回のカウンセリング中に聞かせてくれた歌だった。
良い歌だ。ソクーロフは素直にそう思う。
カウンセリングの資料として聞いていることを忘れそうになる瞬間がある。
今回は特にロシア語で歌われているからだろうか。すうっと耳に馴染む。
砂埃の立つ乾いた荒れ地を、雨水が洗い流してくれるかのように。
ミハイルの歌は、歌っている当人だけでなく、
それを聞く者をも浄化する作用がある。
そう言えば、ミハイルに尋ねていなかった。
この曲に題名を付けるなら、何と名付けるか、と。
あの子なら、何と名付けるだろう。
透き通った歌声を聞きながら、ソクーロフは思案する。
何故か『罪悪』という単語が脳裏をよぎった。
「博士ー!」
ノックもなく保健室のドアが開いた。
遠慮なく入ってきたのは体育用のユニフォームを着た、アルフレッド・ヴィスコンティ。
ソクーロフは一瞬のうちに、アルフレッドの頭から足まで観察したが、
彼は普段と変わりなく、元気な様子だ。
「ああ、居た居た。博士、ユウタ診てやってくれよ」
患者はアルフレッドの後ろに付いてきた生徒のほうらしい。
今年度、学院に入った新入生。ユウタ。彼の右膝は赤く滲んでいた。
「痛そうだね。ユウタ、こちらに座れるかな? ああ、ゆっくりで良いからね?」
「はい」
ユウタは右足を少しだけ引きずりながら、診察用の椅子に座った。
その横にアルフレッドが立つ。
ソクーロフは床に片膝を着き、患部を観察した。
傷は浅かった。傷口が土で若干汚れている。
周りには緑色の細い草が二本程付着していた。
「今、体育の授業で怪我をしたのかな?」
「はい。サッカーやってて、転んじゃって」
「俺とぶつかりそうになった時、ユウタは俺を避けようとして、
スッ転んじまったんだ。俺が悪い。ごめんな、ユウタ」
「えっ!? 違うよ。俺が勝手に転んだだけで……」
「いーや! 俺が悪かった!」
「レッドは悪くないよ。それに、俺が転ばなければ、
レッドのシュートは決まってたかもしれないのに。
俺のほうこそごめんね、レッド」
「なっ、何謝ってんだよ、おめーは!?
シュートなんかどうでも良いだろ?
それよりお前に怪我させたほうが問題だっての!」
「俺の怪我なんて大したことないよ」
「血、出てんじゃん!」
「出てるけど、そんなに痛くないから。大丈夫ですよね、博士」
「ああ。掠り傷のようだからね。心配は要らないよ、アルフレッド」
「そっか。良かった」
「そろそろ次の授業が始まってしまうね。
ユウタは私に任せて、アルフレッドは先に教室に戻りなさい?
それで良いかな、ユウタ?」
「はい。レッド、付き添いありがと。レッドは先戻ってて?」
「解った。じゃあ、ユウタのこと頼むぜ、博士」
「ああ。勿論。怪我人を保健室まで連れて来てくれてありがとう、アルフレッド」
「そんなの当たり前さ。じゃあな、ユウタ」
「うん」
パタンとドアが閉まる。保健室は医者と患者だけになった。
「さて。では治療を始めようか」
→
保健室はシンとしていた。
ソクーロフはヘッドホンである歌を聞いている。
この曲に題名はない。
机上にはカルテがひとつ乗っていた。
添えられた写真には、美しい金髪の少年が、
今にも泣き出しそうな顔で映っている。
ミハイル・リューリコヴィッチ・ネフスキー。
ソクーロフが今聞き直している歌声は、その儚げな少年が、
前回のカウンセリング中に聞かせてくれた歌だった。
良い歌だ。ソクーロフは素直にそう思う。
カウンセリングの資料として聞いていることを忘れそうになる瞬間がある。
今回は特にロシア語で歌われているからだろうか。すうっと耳に馴染む。
砂埃の立つ乾いた荒れ地を、雨水が洗い流してくれるかのように。
ミハイルの歌は、歌っている当人だけでなく、
それを聞く者をも浄化する作用がある。
そう言えば、ミハイルに尋ねていなかった。
この曲に題名を付けるなら、何と名付けるか、と。
あの子なら、何と名付けるだろう。
透き通った歌声を聞きながら、ソクーロフは思案する。
何故か『罪悪』という単語が脳裏をよぎった。
「博士ー!」
ノックもなく保健室のドアが開いた。
遠慮なく入ってきたのは体育用のユニフォームを着た、アルフレッド・ヴィスコンティ。
ソクーロフは一瞬のうちに、アルフレッドの頭から足まで観察したが、
彼は普段と変わりなく、元気な様子だ。
「ああ、居た居た。博士、ユウタ診てやってくれよ」
患者はアルフレッドの後ろに付いてきた生徒のほうらしい。
今年度、学院に入った新入生。ユウタ。彼の右膝は赤く滲んでいた。
「痛そうだね。ユウタ、こちらに座れるかな? ああ、ゆっくりで良いからね?」
「はい」
ユウタは右足を少しだけ引きずりながら、診察用の椅子に座った。
その横にアルフレッドが立つ。
ソクーロフは床に片膝を着き、患部を観察した。
傷は浅かった。傷口が土で若干汚れている。
周りには緑色の細い草が二本程付着していた。
「今、体育の授業で怪我をしたのかな?」
「はい。サッカーやってて、転んじゃって」
「俺とぶつかりそうになった時、ユウタは俺を避けようとして、
スッ転んじまったんだ。俺が悪い。ごめんな、ユウタ」
「えっ!? 違うよ。俺が勝手に転んだだけで……」
「いーや! 俺が悪かった!」
「レッドは悪くないよ。それに、俺が転ばなければ、
レッドのシュートは決まってたかもしれないのに。
俺のほうこそごめんね、レッド」
「なっ、何謝ってんだよ、おめーは!?
シュートなんかどうでも良いだろ?
それよりお前に怪我させたほうが問題だっての!」
「俺の怪我なんて大したことないよ」
「血、出てんじゃん!」
「出てるけど、そんなに痛くないから。大丈夫ですよね、博士」
「ああ。掠り傷のようだからね。心配は要らないよ、アルフレッド」
「そっか。良かった」
「そろそろ次の授業が始まってしまうね。
ユウタは私に任せて、アルフレッドは先に教室に戻りなさい?
それで良いかな、ユウタ?」
「はい。レッド、付き添いありがと。レッドは先戻ってて?」
「解った。じゃあ、ユウタのこと頼むぜ、博士」
「ああ。勿論。怪我人を保健室まで連れて来てくれてありがとう、アルフレッド」
「そんなの当たり前さ。じゃあな、ユウタ」
「うん」
パタンとドアが閉まる。保健室は医者と患者だけになった。
「さて。では治療を始めようか」
→
■アイヴィー×ソクーロフ
ソクーロフの朝は一杯のコーヒーから始まる。
選び抜いた産地の豆を挽き、こだわりの淹れ方で、
丁寧に抽出された一杯は、至高の芸術品のようだ。
この一杯があるから、目が覚めた時、朝を嫌がらずに起きられるし、
今日一日を生きる活力となっている。
朝食後、自分の部屋で一杯のコーヒーを飲むことは、
日課と言うより、今日を始める為の儀式に近かった。
そろそろ出勤時刻だ。
カップに残ったコーヒーを名残惜しく飲み干す。
目を通していた新聞を折り畳み、朝のニュース番組を消す。
鞄を持ち、ドアへ向かう。
外へ出る前に、部屋を振り返り、
何か忘れていることはないか、自分に問い掛ける。
耳の奥で、女性の声が聞こえる。
そんな気がするだけだ。幻聴を打ち消すように、
行くか、と自分にGOを出し、ソクーロフはドアを開けた。
出勤と言っても、通勤時間はそう長くない。
学院の教職員用宿舎『ランベール館』に住んでいるからだ。
ランベール館の外に出ると、眩しい朝陽を浴びた。
空は今日も真っ青で、月桂樹の葉も嬉しそうに揺れている。
出勤と言うには短い時間で、勤務先が見えて来た。
と同時に、第三学生寮から生徒達が出てくる。
彼等も寮から校舎への通学時間なのだ。
ソクーロフの顔を見た良い子達は、元気良く朝の挨拶をしてくれた。
「あ、博士だ! おはようございます」
「おはよう、ラビ」
生徒に挨拶を返す時の自分は、『学校の先生』らしい自分になっている。
この島に来るまでの自分とは違う自分。
学校の先生になる日が来るとは思っていなかったが、
六年ここに居る間に、先生として自然に振る舞えるようになっていた。
私に学校の先生が務まっているか、疑問に感じながら、
生徒に声を掛けられれば、先生としての自分が、
自動的に笑顔になり、生徒達へ優しい言葉を掛けている。
それは自分でも不思議なことだった。
職場のドアを開ける。
誰も居ない保健室。特有の芳しい香りが迎えてくれた。
白衣に袖を通し、机の前に座る。
今日も一日の始まりだ。
→
選び抜いた産地の豆を挽き、こだわりの淹れ方で、
丁寧に抽出された一杯は、至高の芸術品のようだ。
この一杯があるから、目が覚めた時、朝を嫌がらずに起きられるし、
今日一日を生きる活力となっている。
朝食後、自分の部屋で一杯のコーヒーを飲むことは、
日課と言うより、今日を始める為の儀式に近かった。
そろそろ出勤時刻だ。
カップに残ったコーヒーを名残惜しく飲み干す。
目を通していた新聞を折り畳み、朝のニュース番組を消す。
鞄を持ち、ドアへ向かう。
外へ出る前に、部屋を振り返り、
何か忘れていることはないか、自分に問い掛ける。
耳の奥で、女性の声が聞こえる。
そんな気がするだけだ。幻聴を打ち消すように、
行くか、と自分にGOを出し、ソクーロフはドアを開けた。
出勤と言っても、通勤時間はそう長くない。
学院の教職員用宿舎『ランベール館』に住んでいるからだ。
ランベール館の外に出ると、眩しい朝陽を浴びた。
空は今日も真っ青で、月桂樹の葉も嬉しそうに揺れている。
出勤と言うには短い時間で、勤務先が見えて来た。
と同時に、第三学生寮から生徒達が出てくる。
彼等も寮から校舎への通学時間なのだ。
ソクーロフの顔を見た良い子達は、元気良く朝の挨拶をしてくれた。
「あ、博士だ! おはようございます」
「おはよう、ラビ」
生徒に挨拶を返す時の自分は、『学校の先生』らしい自分になっている。
この島に来るまでの自分とは違う自分。
学校の先生になる日が来るとは思っていなかったが、
六年ここに居る間に、先生として自然に振る舞えるようになっていた。
私に学校の先生が務まっているか、疑問に感じながら、
生徒に声を掛けられれば、先生としての自分が、
自動的に笑顔になり、生徒達へ優しい言葉を掛けている。
それは自分でも不思議なことだった。
職場のドアを開ける。
誰も居ない保健室。特有の芳しい香りが迎えてくれた。
白衣に袖を通し、机の前に座る。
今日も一日の始まりだ。
→
■ソクーロフ×アイヴィー
アイヴィー「ねー、ソクちゃーん。聞いてよー。アルフレッドがさー」
ソクーロフ「アルフレッドがどうした?」
ア「今度の文化祭でね、こういう余興やってみれば、って言うんだぜー?」
ソ「余興? どんな?」
ア「それがさー、俺とソクちゃんの二人でやるショートコントでー、
もうちゃっかり台本まで書いてきちゃってんのー。ほら、これー」
ソ「ほう? これがアルフレッドが書いた台本。興味深い」
ア「なんか、シルヴァンとかー、ユウタと一緒に書いたみたいなんだけどー。
俺達二人にショートコントなんて無理だよねー」
ソ「やってみるか」
ア「やんのかよ!?」
ソ「この台本通りに喋れば良いんだろう?」
ア「ええ、まあ。そうですけど」
ソ「お前の台詞からだな。よし。始めるぞ」
***
ア「ええっと。アイちゃんでーす!」
ソ「ソクちゃんです」
ア「二人合わせてー、アイちゃん」
ソ「ソクちゃんです」
ア「よろしくお願いしまーす!
ねー、良かったら、名前だけでも覚えてって下さいねー。
僕達『アイちゃんソクちゃん』というコンビで、
ショートコントなんかやってるんですけどもー。
ソクちゃん、今日も早速やっちゃう?」
ソ「アイちゃんソクちゃんの」
ア「あ、ホントに早速だね」
ソ「ショートコント:ラジオDJ」
ア「アイちゃんソクちゃんのミッドナイト・レイディオー。
DJは、貴方のお耳の恋人、アイちゃんとー」
ソ「貴方のお耳のお医者さん、ソクちゃんです」
ア「それは耳鼻科の人だね」
ソ「それでは、おたよりのコーナー」
ア「俺は無視ね」
ソ「ラジオネーム:黒焦げクッキーさんから。
アイちゃんソクちゃんのお二人、こんばんは」
ア「こんばんはー!」
ソ「お二人に質問です。お二人のコンビ名は『アイちゃんソクちゃん』ですが、
何故、『ソクちゃんアイちゃん』じゃないんですか?
ソクちゃんが先に来たほうが語呂が良いと思うんですけど。
コンビ名の由来があったら、ぜひ教えて下さい、とのことです」
ア「あー、ついに来ましたかー、この質問!
よくぞ聞いてくれましたってかんじだね、ソクちゃん?」
ソ「そうか?」
ア「そうでしょうよー。だって実際さー、
『ソクちゃんアイちゃん』って呼ばれることも多いわけじゃん?
ホントは俺の名前のほうが先で『アイちゃんソクちゃん』が正解なのにさー」
ソ「語呂で名付けたわけではないからな」
ア「そーだねー。じゃー、コンビ名の由来、ソクちゃんから言っちゃってー?」
ソ「……アルファベット順です」
ア「ハイッ! アイちゃん」
ソ「ソクちゃん」
ア「あ、今の『アイちゃんソクちゃん』って、キャッチですからねー?
付いて来て下さいねー、ヘンなポーズですけど」
ソクーロフ「続きまして」
アイヴィー「あ、続けるのね。今日はソクちゃんゴキゲンだなあ!
今日のお客さん、ラッキーですよー!」
ソ「アイちゃんソクちゃんのショートコント:もし、ソクちゃんがツイッターを始めたら」
ア「はいっ。これでソクちゃんのアカウントできたよー。
たまにはソクちゃんも、時代の波に乗らなきゃー。
あとは、つぶやくだけだからね。解った?」
ソ「何を呟けば良いんだ?」
ア「ええ? 何でも良いんだよー?
ツイッターは今を呟くツールなんだから。
例えば、『ランチなう!』とかー、『帰宅なう!』みたいな」
ソ「そのような些末事を、全世界に向けて発信して、恥ずかしくないのか?」
ア「いや、別に恥ずかしくはないよ。
みんな大体そんなかんじで、気楽にツイートしてるし。
じゃー、ソクちゃんもツイートしてみてね?
俺、ちょっと用あるから、もう保健室の外に行くけど、
ソクちゃんのツイッター見てるから」
ソ「ああ」
ア「じゃあねー」
ソ「今を呟くツール、か」
ソ「…………」
ソ「…………」
ソ「…………」
ソ「……保健室なう」
ソ「…………」
ソ「……これで良いのか」
ソ「…………」
ソ「……保健室なう」
ソ「…………」
ソ「……保健室なう」
ソ「…………」
ソ「……保健、ん? 電話が。もしもし?」
ア「ソクちゃん! アンタ、ツイッターに何書いてんの!?」
ソ「今を」
ア「それはそーだけど、おんなじこと3回も書かなくてイイから!」
ソ「アイヴィーが煩いなう」
ア「もう書くなあっ! ハイッ! アイちゃん」
ソ「ソクちゃん」
ア「どうもありがとうございましたー!」
***
ア「ふーん。ネタの内容は別にして、俺がツッコミ役なんだねー?」
ソ「意外だな。普段は私が」
ア「どうもありがとうございましたー!」
fin
ソクーロフ「アルフレッドがどうした?」
ア「今度の文化祭でね、こういう余興やってみれば、って言うんだぜー?」
ソ「余興? どんな?」
ア「それがさー、俺とソクちゃんの二人でやるショートコントでー、
もうちゃっかり台本まで書いてきちゃってんのー。ほら、これー」
ソ「ほう? これがアルフレッドが書いた台本。興味深い」
ア「なんか、シルヴァンとかー、ユウタと一緒に書いたみたいなんだけどー。
俺達二人にショートコントなんて無理だよねー」
ソ「やってみるか」
ア「やんのかよ!?」
ソ「この台本通りに喋れば良いんだろう?」
ア「ええ、まあ。そうですけど」
ソ「お前の台詞からだな。よし。始めるぞ」
***
ア「ええっと。アイちゃんでーす!」
ソ「ソクちゃんです」
ア「二人合わせてー、アイちゃん」
ソ「ソクちゃんです」
ア「よろしくお願いしまーす!
ねー、良かったら、名前だけでも覚えてって下さいねー。
僕達『アイちゃんソクちゃん』というコンビで、
ショートコントなんかやってるんですけどもー。
ソクちゃん、今日も早速やっちゃう?」
ソ「アイちゃんソクちゃんの」
ア「あ、ホントに早速だね」
ソ「ショートコント:ラジオDJ」
ア「アイちゃんソクちゃんのミッドナイト・レイディオー。
DJは、貴方のお耳の恋人、アイちゃんとー」
ソ「貴方のお耳のお医者さん、ソクちゃんです」
ア「それは耳鼻科の人だね」
ソ「それでは、おたよりのコーナー」
ア「俺は無視ね」
ソ「ラジオネーム:黒焦げクッキーさんから。
アイちゃんソクちゃんのお二人、こんばんは」
ア「こんばんはー!」
ソ「お二人に質問です。お二人のコンビ名は『アイちゃんソクちゃん』ですが、
何故、『ソクちゃんアイちゃん』じゃないんですか?
ソクちゃんが先に来たほうが語呂が良いと思うんですけど。
コンビ名の由来があったら、ぜひ教えて下さい、とのことです」
ア「あー、ついに来ましたかー、この質問!
よくぞ聞いてくれましたってかんじだね、ソクちゃん?」
ソ「そうか?」
ア「そうでしょうよー。だって実際さー、
『ソクちゃんアイちゃん』って呼ばれることも多いわけじゃん?
ホントは俺の名前のほうが先で『アイちゃんソクちゃん』が正解なのにさー」
ソ「語呂で名付けたわけではないからな」
ア「そーだねー。じゃー、コンビ名の由来、ソクちゃんから言っちゃってー?」
ソ「……アルファベット順です」
ア「ハイッ! アイちゃん」
ソ「ソクちゃん」
ア「あ、今の『アイちゃんソクちゃん』って、キャッチですからねー?
付いて来て下さいねー、ヘンなポーズですけど」
ソクーロフ「続きまして」
アイヴィー「あ、続けるのね。今日はソクちゃんゴキゲンだなあ!
今日のお客さん、ラッキーですよー!」
ソ「アイちゃんソクちゃんのショートコント:もし、ソクちゃんがツイッターを始めたら」
ア「はいっ。これでソクちゃんのアカウントできたよー。
たまにはソクちゃんも、時代の波に乗らなきゃー。
あとは、つぶやくだけだからね。解った?」
ソ「何を呟けば良いんだ?」
ア「ええ? 何でも良いんだよー?
ツイッターは今を呟くツールなんだから。
例えば、『ランチなう!』とかー、『帰宅なう!』みたいな」
ソ「そのような些末事を、全世界に向けて発信して、恥ずかしくないのか?」
ア「いや、別に恥ずかしくはないよ。
みんな大体そんなかんじで、気楽にツイートしてるし。
じゃー、ソクちゃんもツイートしてみてね?
俺、ちょっと用あるから、もう保健室の外に行くけど、
ソクちゃんのツイッター見てるから」
ソ「ああ」
ア「じゃあねー」
ソ「今を呟くツール、か」
ソ「…………」
ソ「…………」
ソ「…………」
ソ「……保健室なう」
ソ「…………」
ソ「……これで良いのか」
ソ「…………」
ソ「……保健室なう」
ソ「…………」
ソ「……保健室なう」
ソ「…………」
ソ「……保健、ん? 電話が。もしもし?」
ア「ソクちゃん! アンタ、ツイッターに何書いてんの!?」
ソ「今を」
ア「それはそーだけど、おんなじこと3回も書かなくてイイから!」
ソ「アイヴィーが煩いなう」
ア「もう書くなあっ! ハイッ! アイちゃん」
ソ「ソクちゃん」
ア「どうもありがとうございましたー!」
***
ア「ふーん。ネタの内容は別にして、俺がツッコミ役なんだねー?」
ソ「意外だな。普段は私が」
ア「どうもありがとうございましたー!」
fin
■ソクーロフ×アイヴィー
■カーシャ様、リクエストありがとうございました!
■カーシャ様、リクエストありがとうございました!
「ちょ、ちょ!? そのお薬、イタ過ぎなんですけどっ!?」
「無論。最も沁みる薬を使っているからな」
「なんでっ! ねえ、なんでっ!?」
「煩い。怪我人は大人しくしていろ」
窓の向こうには青い空と白い雲。
生徒達は午前の授業中という時間、
聖アルフォンソ学院の保健室には、
生徒ではなく、大人が一人来室していた。
青いワイシャツに黒いネクタイをルーズに結んだ、金髪の男だ。
ワイシャツの袖を捲り上げた白い右腕には、
小動物の爪にでも引っ掻かれたような、赤い線状の傷があった。
猫と戯れている間にできた傷ではない。
昨夜の仕事中、無我夢中の客人に付けられた傷だ。
その細く赤い傷口に沿って、医師が消毒薬を塗っていく。
薬の強烈な刺激に、金髪の患者は悶え苦しむ。
長い治療が終わった時には、少し涙目になる程だった。
アイヴィーは捲っていた袖を元に戻しながら、
「イテテテ……もっと痛くないお薬使ってよー。
引っ掻かれた時より、痛かったんですけどー」
「私に文句を言うのか? 負傷したお前が悪いんだろう?」
「悪いの俺かよ……」
「他に誰が?」
「ソ、ソクちゃんがもっと痛くないお薬使ってくれれば」
「ついでに血液検査もするか」
「注射はヤメテ! てか、関係ないでしょ、血液検査は!?」
アイヴィーの腕時計が赤く光る。
島に侵入者が来たことを告げるアラート。職場への呼び出しだ。
「アラま。こんな真っ昼間っから?」
アイヴィーは軽く笑った。
「続く時は続いちゃうんだよねー」
患者が椅子から立ち上がる。
医師は患者を見上げながら、静かに言った。
「行くのか」
「ん。仕事だから」
「あまり無理しないように。
掠り傷とは言え、手負いには違いないのだから」
「ハイハイ。ソクちゃんは心配性過ぎ」
「仕事だからな、患者を案じるのは」
「アハハッ。じゃ、行ってきまーす」
片手を挙げて、保健室を出て行った。
fin
「無論。最も沁みる薬を使っているからな」
「なんでっ! ねえ、なんでっ!?」
「煩い。怪我人は大人しくしていろ」
窓の向こうには青い空と白い雲。
生徒達は午前の授業中という時間、
聖アルフォンソ学院の保健室には、
生徒ではなく、大人が一人来室していた。
青いワイシャツに黒いネクタイをルーズに結んだ、金髪の男だ。
ワイシャツの袖を捲り上げた白い右腕には、
小動物の爪にでも引っ掻かれたような、赤い線状の傷があった。
猫と戯れている間にできた傷ではない。
昨夜の仕事中、無我夢中の客人に付けられた傷だ。
その細く赤い傷口に沿って、医師が消毒薬を塗っていく。
薬の強烈な刺激に、金髪の患者は悶え苦しむ。
長い治療が終わった時には、少し涙目になる程だった。
アイヴィーは捲っていた袖を元に戻しながら、
「イテテテ……もっと痛くないお薬使ってよー。
引っ掻かれた時より、痛かったんですけどー」
「私に文句を言うのか? 負傷したお前が悪いんだろう?」
「悪いの俺かよ……」
「他に誰が?」
「ソ、ソクちゃんがもっと痛くないお薬使ってくれれば」
「ついでに血液検査もするか」
「注射はヤメテ! てか、関係ないでしょ、血液検査は!?」
アイヴィーの腕時計が赤く光る。
島に侵入者が来たことを告げるアラート。職場への呼び出しだ。
「アラま。こんな真っ昼間っから?」
アイヴィーは軽く笑った。
「続く時は続いちゃうんだよねー」
患者が椅子から立ち上がる。
医師は患者を見上げながら、静かに言った。
「行くのか」
「ん。仕事だから」
「あまり無理しないように。
掠り傷とは言え、手負いには違いないのだから」
「ハイハイ。ソクちゃんは心配性過ぎ」
「仕事だからな、患者を案じるのは」
「アハハッ。じゃ、行ってきまーす」
片手を挙げて、保健室を出て行った。
fin
■初夏はアイスコーヒー(前編) 続編
雑味までしっかり入った黒い液体を飲みながら、
ソクーロフは金髪の患者を観察していた。
保健室に訪れる者は、多かれ少なかれ、
患者としての要素を持ち合わせているものだ。
喉を潤した金髪の患者は「ベッド貸してー」と言って、
ソクーロフの了承を得る前に診察用の簡易ベッドに横たわった。
固いベッドに金色の長い髪がパサリとかかる。
引き続き、ソクーロフは患者を観察した。
奴は横たわった状態で、スマートフォンに触れていた。
一時間後に起きる為のアラームを設定しているのだろう。
それが終わると、こちらを向いて、「ねえー」と甘えた声を出した。
「ミーティングの10分前になっても、
俺が起きてなかったら、起こしてねー?
んで、一緒にジョシュアんトコ行こ?」
この男が保健室のベッドを借りに来る理由には、
大きく分けて二つのケースがある。
ソクーロフは経験則で知っていた。
ひとつは、空き時間の時間潰し。
主にタクシードライバーとして生徒に呼ばれている時がこれに当たる。
生徒との待ち合わせ場所である、正門前へ迎えに行くまでの、
時間調整として保健室が使われる場合。
これは文字通り、ただの時間潰しなので特に観察は必要としない。
だが、今日はそちらのケースではないようだ。
いつの頃からか、奴が纏う雰囲気で解るようになっていた。
他の人間は全く気付かないレベルだろうが、
表情や声、他愛もない遣り取りの中に、
過剰な陽気さや、僅かな偽りが見えた時は、観察が必要だ。
ソクーロフはコーヒーに口付けたあと、ベッドに向かってこう言った。
「昨夜は来客があったのか? 私は呼ばれていないが」
「うん。昨日のお客さんはみんな素直で、センセを呼ぶまでもなかったから」
タクシードライバーとしてではない仕事。
この島の警備として、招かれざる客を排除する。
この男の本職はこちらだ。
本業の仕事を終えた翌日は、こうして保健室に訪れることがある。
お気楽者の目の奥に、暗い影をちらつかせながら。
「んじゃ、おやすみー」
ソクーロフに背を向け、身体を少し丸める。
それ以降、会話は止まった。
ソクーロフはカルテ書きを再開することにした。
そのうちに静かな寝息が聞こえてきた。
太陽が降り注ぐ時間帯、かつ、カフェインの摂取後。
それでも、すぐに眠れるということは、
睡眠時間が圧倒的に不足しているということだ。
今日の態度や言葉の端々には疲れが見えた。
“仕事”のあと、一睡もせずに、朝を迎えたのかもしれない。
しかし、帰宅後に眠る時間自体はあった筈だ。
自分を呼ばずに済んだ案件なのだから。
寝返りを打った顔には、太陽の光が当たっていた。
それで余計に顔の陰影が濃く見えるのかもしれないが、
目の下には影があり、少し窪んでいるようだった。
ソクーロフは窓辺に行き、カーテンを閉めたあと、
再び机上のカルテと向かい合った。
保健室にはペンの走る音と、静かな寝息。
窓の向こうからは、子ども達の声が遠く聞こえていた。
fin
ソクーロフは金髪の患者を観察していた。
保健室に訪れる者は、多かれ少なかれ、
患者としての要素を持ち合わせているものだ。
喉を潤した金髪の患者は「ベッド貸してー」と言って、
ソクーロフの了承を得る前に診察用の簡易ベッドに横たわった。
固いベッドに金色の長い髪がパサリとかかる。
引き続き、ソクーロフは患者を観察した。
奴は横たわった状態で、スマートフォンに触れていた。
一時間後に起きる為のアラームを設定しているのだろう。
それが終わると、こちらを向いて、「ねえー」と甘えた声を出した。
「ミーティングの10分前になっても、
俺が起きてなかったら、起こしてねー?
んで、一緒にジョシュアんトコ行こ?」
この男が保健室のベッドを借りに来る理由には、
大きく分けて二つのケースがある。
ソクーロフは経験則で知っていた。
ひとつは、空き時間の時間潰し。
主にタクシードライバーとして生徒に呼ばれている時がこれに当たる。
生徒との待ち合わせ場所である、正門前へ迎えに行くまでの、
時間調整として保健室が使われる場合。
これは文字通り、ただの時間潰しなので特に観察は必要としない。
だが、今日はそちらのケースではないようだ。
いつの頃からか、奴が纏う雰囲気で解るようになっていた。
他の人間は全く気付かないレベルだろうが、
表情や声、他愛もない遣り取りの中に、
過剰な陽気さや、僅かな偽りが見えた時は、観察が必要だ。
ソクーロフはコーヒーに口付けたあと、ベッドに向かってこう言った。
「昨夜は来客があったのか? 私は呼ばれていないが」
「うん。昨日のお客さんはみんな素直で、センセを呼ぶまでもなかったから」
タクシードライバーとしてではない仕事。
この島の警備として、招かれざる客を排除する。
この男の本職はこちらだ。
本業の仕事を終えた翌日は、こうして保健室に訪れることがある。
お気楽者の目の奥に、暗い影をちらつかせながら。
「んじゃ、おやすみー」
ソクーロフに背を向け、身体を少し丸める。
それ以降、会話は止まった。
ソクーロフはカルテ書きを再開することにした。
そのうちに静かな寝息が聞こえてきた。
太陽が降り注ぐ時間帯、かつ、カフェインの摂取後。
それでも、すぐに眠れるということは、
睡眠時間が圧倒的に不足しているということだ。
今日の態度や言葉の端々には疲れが見えた。
“仕事”のあと、一睡もせずに、朝を迎えたのかもしれない。
しかし、帰宅後に眠る時間自体はあった筈だ。
自分を呼ばずに済んだ案件なのだから。
寝返りを打った顔には、太陽の光が当たっていた。
それで余計に顔の陰影が濃く見えるのかもしれないが、
目の下には影があり、少し窪んでいるようだった。
ソクーロフは窓辺に行き、カーテンを閉めたあと、
再び机上のカルテと向かい合った。
保健室にはペンの走る音と、静かな寝息。
窓の向こうからは、子ども達の声が遠く聞こえていた。
fin
■ソクーロフ×アイヴィー
聖アルフォンソ学院正門前。
車から降りた途端、初夏の太陽が全身に降り注ぐ。
アイヴィーは片手をかざしながら、青空を怨めしそうな顔で見上げた。
「まーぶしー」
夜勤明けにこの太陽はキツイ。
まだ初夏の筈だが、ここの所、夏本番のような暑さが続いている。
ちょっと前まで寒い寒いと言っていたような気がするのに、
カレンダーは無情にも一日一日、時を進めているようだ。
生徒代表室でのミーティングまで、約一時間。
アイヴィーは早く、太陽のない室内へ行きたかった。
喉も乾いたし、何か冷たいものが飲めて、
ついでに昼寝なんかもできるところに。
「あー、やっぱ涼しー」
聖アルフォンソ学院の中で、常に完璧な温度管理ができていて、
モロモロの都合が良い場所。それは保健室だ。
アイヴィーが保健室に入ると、白衣の先生は机に向かっていて、
何か書き物をしているようだった。
「ソクちゃん、アイスコーヒー飲ましてー。外、暑くってさー」
すると、返ってくるリアクションは、清々しい程の無視だった。
これが「優しい保健室の先生」と評判のソクーロフ博士だ。
無視されたアイヴィーは手の平を天井に向ける。
「ハイハイ。解りましたー。自分でやればイイんでしょー」
ベー、と白衣の背中に向かってベロを出していると、
この人は背中に目があるのかなというタイミングで、
クルリとこちらを向かれた。気まずい。
冷たい眼差しを浴びたアイヴィーは、
思わず両手を挙げ、ホールドアップする。
「あ、スミマセ……」
「私の分も作れ」
「え?」
「アイスコーヒー。作るんだろう?」
「ああ、ハイ……てゆうか、ソクちゃんも飲みたいんなら、
たまには俺の為に作ってくれても良いのにさー。
……ってー、ちょっとソクちゃん?
、急に受話器持って、ドコに電話しようとしてんの?」
「お前の職場に。ここに一人、職務怠慢な上官が居ると」
アイヴィーは、かゆくもない頬をポリポリと掻いた。
「……えっとー。ソクちゃん、
アイスコーヒーは苦めがお好きなんでしたっけー?」
「ああ」
「……畏まりましたー」
アイヴィーはいそいそとアイスコーヒーを作り始めた。
「お待たせしましたー。アイスコーヒーでーす」
カフェ店員と化したアイヴィーがグラスを差し出す。
ソクーロフはコーヒーの色を眺めたあと、グラスに口付ける。
一口飲んだあと、ソクーロフはポツリと言った。
「下手だな」
「作らせておいて下手とか言うなー!」
→
車から降りた途端、初夏の太陽が全身に降り注ぐ。
アイヴィーは片手をかざしながら、青空を怨めしそうな顔で見上げた。
「まーぶしー」
夜勤明けにこの太陽はキツイ。
まだ初夏の筈だが、ここの所、夏本番のような暑さが続いている。
ちょっと前まで寒い寒いと言っていたような気がするのに、
カレンダーは無情にも一日一日、時を進めているようだ。
生徒代表室でのミーティングまで、約一時間。
アイヴィーは早く、太陽のない室内へ行きたかった。
喉も乾いたし、何か冷たいものが飲めて、
ついでに昼寝なんかもできるところに。
「あー、やっぱ涼しー」
聖アルフォンソ学院の中で、常に完璧な温度管理ができていて、
モロモロの都合が良い場所。それは保健室だ。
アイヴィーが保健室に入ると、白衣の先生は机に向かっていて、
何か書き物をしているようだった。
「ソクちゃん、アイスコーヒー飲ましてー。外、暑くってさー」
すると、返ってくるリアクションは、清々しい程の無視だった。
これが「優しい保健室の先生」と評判のソクーロフ博士だ。
無視されたアイヴィーは手の平を天井に向ける。
「ハイハイ。解りましたー。自分でやればイイんでしょー」
ベー、と白衣の背中に向かってベロを出していると、
この人は背中に目があるのかなというタイミングで、
クルリとこちらを向かれた。気まずい。
冷たい眼差しを浴びたアイヴィーは、
思わず両手を挙げ、ホールドアップする。
「あ、スミマセ……」
「私の分も作れ」
「え?」
「アイスコーヒー。作るんだろう?」
「ああ、ハイ……てゆうか、ソクちゃんも飲みたいんなら、
たまには俺の為に作ってくれても良いのにさー。
……ってー、ちょっとソクちゃん?
、急に受話器持って、ドコに電話しようとしてんの?」
「お前の職場に。ここに一人、職務怠慢な上官が居ると」
アイヴィーは、かゆくもない頬をポリポリと掻いた。
「……えっとー。ソクちゃん、
アイスコーヒーは苦めがお好きなんでしたっけー?」
「ああ」
「……畏まりましたー」
アイヴィーはいそいそとアイスコーヒーを作り始めた。
「お待たせしましたー。アイスコーヒーでーす」
カフェ店員と化したアイヴィーがグラスを差し出す。
ソクーロフはコーヒーの色を眺めたあと、グラスに口付ける。
一口飲んだあと、ソクーロフはポツリと言った。
「下手だな」
「作らせておいて下手とか言うなー!」
→
楽屋が俺とシルヴァンの二人だけになる。俺は掛け時計を見上げた。
「あと十分後に俺達も出なきゃね」
「ハルヤー」
「ん?」
「ハルヤのスマフォ、ちょっと貸してくれます?」
「え? うん、良いけど? どうしたの?」
俺のスマートフォンを渡した途端、肩を引き寄せられて、
カシャ、と写真を撮った音がした。
「ハイッ! 僕とハルヤのツーショット撮れましたー!」
「また、撮るよ、って言わないで撮るし……」
「これ、ファンメに載せて送って下さいね!」
「やだよ、恥ずかしい……」
「それは、僕とのラブラブショットは、誰にも見せないで、
二人だけのものにしたい、という意味ですか?」
「ち、違うよ……」
「じゃー、載せてくれますよねー?
宜しければ、僕が代わりにファンメ書いてあげましょうか?」
「だ、ダメだよっ! もう、解ったよ。ちゃんと書くから、返して」
「はーい。お返ししまーす」
仕方なくシルヴァンが勝手に撮った写真を添付して、
ファンメールを書くことにした。シルヴァンに見られながら。
メールの本文は、こう書いた。
生放送終わりました。見てくれた人ありがと。
シルヴァンが俺のスマートフォンで、勝手に写真を撮ってしまいました。
どうしてもファンメールに載せて欲しいそうなので、載せます。
良い子の皆さんは人のスマートフォンで勝手に写真を撮らないように。
って当たり前だよね。じゃあ、おやすみなさい。
そう書いて俺はメールを送信した。
このメールは最初に、マネージャーの##NAME1##さんと社長のアンリに届く。
二人のうちどちらかが内容をチェックし、問題がなければ、
俺のファンメールに登録しているファンのみんなへ、
一斉に送信されるシステムになっている。
##NAME1##さんかアンリは、すぐにメールをチェックしてくれたようで、
間もなく、俺とシルヴァンのスマートフォンはメールを受信した。
シルヴァンは嬉しそうに、スマートフォンを見た。
わざわざこちらに画面を見せてくる。
「わーい! 僕とのツーショットが映ったファンメ、
届きましたー! ありがとうございます、ハルヤ!」
「なんで、そんなに喜んでんだよ……。
シルヴァンは俺のファンじゃないでしょ?」
「何言ってるんですか。僕はハルヤの大ファンですよー!」
ファンメールはメンバーの三人も互いに登録しあっている。社長命令で。
だから俺達は、自分以外のメンバーが、
どんなファンメールを送っているのかも解るようになっていた。
メンバーも互いのファンメールを読んでいることを、
ファンのみんなも知っている。
この前なんか、レッドが「ハルヤに業務連絡ー」とか言って、
ファンメールに俺宛のメッセージを書いてきたりもした。
でも、その内容は、業務連絡でも何でもなくて、
「この前貸したマンガ、今日こそちゃんと持ってくるように!」だった。
恥ずかしい。そんなことファンメールに書かなくても良いのに。
「おや? ハルヤ、またメールが来たみたいですよ?」
「え?」
俺のスマートフォンがまたメールを受信したようだ。
誰からだろう、と思って、画面を見てみると。
「あ……兄様からメールだ」
「ハルヤのお兄様から? 良かったじゃないですか!
お兄様、何て書いて下さったんです?」
俺は兄様からのメールに目を通したあと、
スマートフォンごと、シルヴァンに手渡した。
シルヴァンは声に出して、メールを読んだ。
『今やってた番組、見たよ。面白かった。うちも今度、
アボカドとしめさば、やってみよかて、父さんも笑うてたわ。
春也はすっかり、あの大御所に気に入られてるみたいやな。凄いわ。
忙しいと思うけど、身体は大事に。おやすみ』
メールを読んだシルヴァンは、自分のことみたいに喜んでた。
「スゴイ! 今の生放送、お兄様とお父様も見ていてくれたんですね!」
「うん……そうみたいだね……」
「お父様にも楽しんで貰えて良かったですね、ハルヤ!」
「うん……」
兄様がくれるメールは、いつも俺をじんわり温めてくれる。
兄様がこうしてメールをくれるようになったのは、
兄様と俺の跡取り争いが終わってからだと思う。
俺達兄弟は、進む道が変わってから、距離が近付いたのかもしれない。
父様とも、前より肩の力を抜いて話せるようになった気がする。
兄様と父様が俺を見ていてくれた。俺はそれだけで本当に嬉しかった。
「あっ、そう言えば、レッドが出発してから、
そろそろ、十分、過ぎちゃってません?」
「えっ? 本当? 俺達も早く出なきゃ」
慌てて荷物を持ち、俺達は楽屋から出発した。
テレビ局の出口には、ファンに囲まれてるレッドの姿があった。
レッドに夢中で、ファンの子達は、シルヴァンと俺が、
ドアから出てきたことに、全然気が付いていないみたいだった。
おかげで俺達は、誰にも声を掛けられず、テレビ局を出ていくことができた。
「はーい。おうちに着きましたー」
シルヴァンの運転で、俺達が住んでいるマンションの駐車場に着いた。
俺は助手席から、窓の向こうに誰かの姿がないか確認した。
「おや。どうしたんですか、ハルヤ。キョロキョロして」
「いや、誰かに付けられてないかなと思って」
シルヴァンはシートベルトを外しながら、
「大丈夫ですよ、もう巻きましたから」
「えっ?」
「さ、早く帰りましょう、僕達のおうちに。
僕、おなか空いちゃいましたー」
「ああ、うん。そうだね」
都内にあるマンションの一室が、今の俺達の家。
景色が素敵なところ、というシルヴァンの希望で、高層階の部屋になった。
窓の向こうには、背の高いタワーが見える。
シルヴァンがドアの鍵を開けてくれて、俺達は部屋に入った。
真っ暗な部屋に、シルヴァンが明かりを付けていく。
俺はリビングのロングソファに座った。
シルヴァンはキッチンに行った。冷蔵庫を開ける音が聞こえる。
とりあえず俺は、テレビを付けた。
グラスに口付けながら、シルヴァンがリビングに来る。
グラスの中は淡いイエロー。シルヴァンが好きなレモネードだろう。
シルヴァンは俺の隣に座った。向かいのソファが空いているのに。
「それにしても、不思議ですよねえ」
「何が?」
「だって、僕達が同棲していると生放送でバラしているのに、
僕達はスキャンダルにもならないんですから」
「ど、同棲だなんて言わないでよ。
俺達のはメンバー同士のルームシェアでしょ?」
「ルームシェアなどではないでしょう?
僕達は既にあーんなことや、こーんなことまでしている関係なのですから」
「そ、それは……でも、シルヴァン、本当は今でも、##NAME1##さんのことが」
「あっ。もしかして、先程、楽屋で話していたことが原因なんですか?
##NAME1##の話をしている時に、
僕が『大好きな皆さんと一緒に居られて嬉しい』と言ったから」
「いや、あの……」
「すみません、誤解させてしまうような言い方をして。
この機会に、ちゃんとお話ししますね。
僕、##NAME1##のことは大好きですよ。彼女が僕達のマネージャーで、
いつも彼女の傍に居られることは、本当に幸せなことだと思っています。
でも、僕にとって##NAME1##は、丁度、芸能人のような存在なんです。
大好きな、憧れの人ですけど、雲の上の存在というか、
僕にはもう手が届かない気がして。強力なライバルも居ますし。
ハルヤも##NAME1##のこと、僕と同じように思っているんじゃないですか?」
「そう、だね……」
学生時代から、##NAME1##さんは憧れの人だった。
男子ばかりの学校で、突然現れた、素敵な女の人。
あの時から、みんながみんな##NAME1##さんのことが好きだった。
特にレッドやアンリは今でもずっと、好きなんだと思う。
シルヴァンも、##NAME1##さんが好きなんだと俺は思ってた。
だって、信じられないんだ。
シルヴァンが、俺のことを好きだなんて。
「そろそろ解って下さいね、ハルヤ。
僕が今、一番大切な人が、誰なのか」
あっ、と思った時にはもう、俺の顔はシルヴァンの胸の中にあった。
「僕を疑わないで下さい、ハルヤ」
頭から包み込むように、優しく抱き締められていた。
「僕が一番大好きな人は誰なのか、貴方は知っている筈ですよ?
もし、まだ解らないと言うのなら、
僕は喜んで、今夜も愛を囁き続けますよ。朝まで、ね?」
俺はシルヴァンから離れる。
「い、いいよ……」
「それは、『OK』という意味ですよね?」
「『NO』って意味だよ!」
「えー? ニホンゴ、ムズカシクテ、ワッカリマセーン!」
「何言って、うわっ」
肩を押されて、俺はロングソファに倒れ込んだ。
ロングソファの上で、俺の上にシルヴァンが乗っかってる。
シルヴァンは俺のことを無言で見つめた。
すぐ近くにシルヴァンのカッコイイ顔がある。
俺は恥ずかしくて目を反らす。そしたら、少し笑われた。
「好きですよ、ハルヤ」
俺の唇がシルヴァンの唇で塞がれる。
温かくて、柔らかい。
少し甘酸っぱく感じたのは、きっとレモネードの味だ。
俺から一度離れたシルヴァンは、凄く優しい顔をしてた。
思わず俺は顔を背ける。
「あ、あの、シルヴァンもおなか空いたんでしょ? 晩ご飯にしようよ……」
「ええ。僕はおなかペコペコですよ? だから、食べさせて下さい、ハルヤを」
「な、なんだよ、それ……」
「僕としては、貴方と二人きりの楽屋で、
何もせずに我慢していた僕を褒めて欲しいくらいなんですけど?」
「そ、そんなこと考えてたの?」
「はい。僕はいつだって飢えているんですよ、貴方に。
貴方を愛しているから。解って下さい、ハルヤ」
駄目だと思うのに、シルヴァンに触られると抵抗できず、
俺は今夜も流されてしまった。
何度も「好き」だと言われる時間が終わった後。
シルヴァンは俺をぎゅっと抱き締めてくれた。
恥ずかしくて、シルヴァンには言えないけど、
俺は、さっきまでの時間より、この時間のほうが好き。
途中で、ロングソファからシルヴァンのベッドへ移動してきたし、
もうこのまま眠ってしまいたい。
「ねえ、ハルヤ?」
俺を抱き締めたまま、シルヴァンは囁くように言った。
「ん?」
「今度のアルバム、僕の為に、曲を書いてくれませんか?」
「え?」
「##NAME1##が言っていたでしょう?
次のアルバムではソロを二曲、作詞して欲しいって」
楽屋でマネージャーの##NAME1##さんに言われたことだ。
新しいアルバムにはソロ曲が二曲ずつ入り、
その作詞をして欲しいと頼まれた。
「二曲のうちの一曲は、僕に向けて、書いて欲しいんです。
もちろんファンの皆さんには、相手が僕だと解らないように」
「そ、そんなこと……」
「できませんか?」
「いや、あの、でも……」
「僕も書きます、ハルヤのことを想って」
「え……」
「きっと良い曲が書けると思います。だって、本当に、
この世で一番愛しい人のことを想って書いた歌なんですから。
今まで僕が書いた中で、一番のラブソングになると思います」
「そんなことして、大丈夫、なのかな……」
「大丈夫ですよ。僕とハルヤにしか解らないように、
書けば良いんですから。絶対に良い曲を書きますから、
楽しみにしていて下さいね、ハルヤ」
「う、うん……」
「それじゃ、そろそろ寝ましょうか。明日もありますし」
「うん。そうだね。おやすみ、シルヴァン」
「おやすみなさい、ハルヤ。大好きですよ」
頬にそっとキスをされて、俺には罪悪感が残った。
シルヴァンにどんなに好きだと言われても、
俺は未だに、その言葉を信じることができないでいる。
きっとシルヴァンは、自分では気が付いていないんだ、本当の気持ちに。
本当は、今でも##NAME1##さんが好きなのに、
##NAME1##さんに好きだと言うことができないから、
俺を身代わりにしてるんじゃないかって。俺にはそうとしか思えない。
シルヴァンが俺の為に曲を書いてくれる。
俺のことを好きだった証が残る。それは嬉しい。
いつかシルヴァンが、本当の自分の気持ちに気が付いて、
俺達の関係が終わっても、その歌は俺の手元に残るから。
fin
「あと十分後に俺達も出なきゃね」
「ハルヤー」
「ん?」
「ハルヤのスマフォ、ちょっと貸してくれます?」
「え? うん、良いけど? どうしたの?」
俺のスマートフォンを渡した途端、肩を引き寄せられて、
カシャ、と写真を撮った音がした。
「ハイッ! 僕とハルヤのツーショット撮れましたー!」
「また、撮るよ、って言わないで撮るし……」
「これ、ファンメに載せて送って下さいね!」
「やだよ、恥ずかしい……」
「それは、僕とのラブラブショットは、誰にも見せないで、
二人だけのものにしたい、という意味ですか?」
「ち、違うよ……」
「じゃー、載せてくれますよねー?
宜しければ、僕が代わりにファンメ書いてあげましょうか?」
「だ、ダメだよっ! もう、解ったよ。ちゃんと書くから、返して」
「はーい。お返ししまーす」
仕方なくシルヴァンが勝手に撮った写真を添付して、
ファンメールを書くことにした。シルヴァンに見られながら。
メールの本文は、こう書いた。
生放送終わりました。見てくれた人ありがと。
シルヴァンが俺のスマートフォンで、勝手に写真を撮ってしまいました。
どうしてもファンメールに載せて欲しいそうなので、載せます。
良い子の皆さんは人のスマートフォンで勝手に写真を撮らないように。
って当たり前だよね。じゃあ、おやすみなさい。
そう書いて俺はメールを送信した。
このメールは最初に、マネージャーの##NAME1##さんと社長のアンリに届く。
二人のうちどちらかが内容をチェックし、問題がなければ、
俺のファンメールに登録しているファンのみんなへ、
一斉に送信されるシステムになっている。
##NAME1##さんかアンリは、すぐにメールをチェックしてくれたようで、
間もなく、俺とシルヴァンのスマートフォンはメールを受信した。
シルヴァンは嬉しそうに、スマートフォンを見た。
わざわざこちらに画面を見せてくる。
「わーい! 僕とのツーショットが映ったファンメ、
届きましたー! ありがとうございます、ハルヤ!」
「なんで、そんなに喜んでんだよ……。
シルヴァンは俺のファンじゃないでしょ?」
「何言ってるんですか。僕はハルヤの大ファンですよー!」
ファンメールはメンバーの三人も互いに登録しあっている。社長命令で。
だから俺達は、自分以外のメンバーが、
どんなファンメールを送っているのかも解るようになっていた。
メンバーも互いのファンメールを読んでいることを、
ファンのみんなも知っている。
この前なんか、レッドが「ハルヤに業務連絡ー」とか言って、
ファンメールに俺宛のメッセージを書いてきたりもした。
でも、その内容は、業務連絡でも何でもなくて、
「この前貸したマンガ、今日こそちゃんと持ってくるように!」だった。
恥ずかしい。そんなことファンメールに書かなくても良いのに。
「おや? ハルヤ、またメールが来たみたいですよ?」
「え?」
俺のスマートフォンがまたメールを受信したようだ。
誰からだろう、と思って、画面を見てみると。
「あ……兄様からメールだ」
「ハルヤのお兄様から? 良かったじゃないですか!
お兄様、何て書いて下さったんです?」
俺は兄様からのメールに目を通したあと、
スマートフォンごと、シルヴァンに手渡した。
シルヴァンは声に出して、メールを読んだ。
『今やってた番組、見たよ。面白かった。うちも今度、
アボカドとしめさば、やってみよかて、父さんも笑うてたわ。
春也はすっかり、あの大御所に気に入られてるみたいやな。凄いわ。
忙しいと思うけど、身体は大事に。おやすみ』
メールを読んだシルヴァンは、自分のことみたいに喜んでた。
「スゴイ! 今の生放送、お兄様とお父様も見ていてくれたんですね!」
「うん……そうみたいだね……」
「お父様にも楽しんで貰えて良かったですね、ハルヤ!」
「うん……」
兄様がくれるメールは、いつも俺をじんわり温めてくれる。
兄様がこうしてメールをくれるようになったのは、
兄様と俺の跡取り争いが終わってからだと思う。
俺達兄弟は、進む道が変わってから、距離が近付いたのかもしれない。
父様とも、前より肩の力を抜いて話せるようになった気がする。
兄様と父様が俺を見ていてくれた。俺はそれだけで本当に嬉しかった。
「あっ、そう言えば、レッドが出発してから、
そろそろ、十分、過ぎちゃってません?」
「えっ? 本当? 俺達も早く出なきゃ」
慌てて荷物を持ち、俺達は楽屋から出発した。
テレビ局の出口には、ファンに囲まれてるレッドの姿があった。
レッドに夢中で、ファンの子達は、シルヴァンと俺が、
ドアから出てきたことに、全然気が付いていないみたいだった。
おかげで俺達は、誰にも声を掛けられず、テレビ局を出ていくことができた。
「はーい。おうちに着きましたー」
シルヴァンの運転で、俺達が住んでいるマンションの駐車場に着いた。
俺は助手席から、窓の向こうに誰かの姿がないか確認した。
「おや。どうしたんですか、ハルヤ。キョロキョロして」
「いや、誰かに付けられてないかなと思って」
シルヴァンはシートベルトを外しながら、
「大丈夫ですよ、もう巻きましたから」
「えっ?」
「さ、早く帰りましょう、僕達のおうちに。
僕、おなか空いちゃいましたー」
「ああ、うん。そうだね」
都内にあるマンションの一室が、今の俺達の家。
景色が素敵なところ、というシルヴァンの希望で、高層階の部屋になった。
窓の向こうには、背の高いタワーが見える。
シルヴァンがドアの鍵を開けてくれて、俺達は部屋に入った。
真っ暗な部屋に、シルヴァンが明かりを付けていく。
俺はリビングのロングソファに座った。
シルヴァンはキッチンに行った。冷蔵庫を開ける音が聞こえる。
とりあえず俺は、テレビを付けた。
グラスに口付けながら、シルヴァンがリビングに来る。
グラスの中は淡いイエロー。シルヴァンが好きなレモネードだろう。
シルヴァンは俺の隣に座った。向かいのソファが空いているのに。
「それにしても、不思議ですよねえ」
「何が?」
「だって、僕達が同棲していると生放送でバラしているのに、
僕達はスキャンダルにもならないんですから」
「ど、同棲だなんて言わないでよ。
俺達のはメンバー同士のルームシェアでしょ?」
「ルームシェアなどではないでしょう?
僕達は既にあーんなことや、こーんなことまでしている関係なのですから」
「そ、それは……でも、シルヴァン、本当は今でも、##NAME1##さんのことが」
「あっ。もしかして、先程、楽屋で話していたことが原因なんですか?
##NAME1##の話をしている時に、
僕が『大好きな皆さんと一緒に居られて嬉しい』と言ったから」
「いや、あの……」
「すみません、誤解させてしまうような言い方をして。
この機会に、ちゃんとお話ししますね。
僕、##NAME1##のことは大好きですよ。彼女が僕達のマネージャーで、
いつも彼女の傍に居られることは、本当に幸せなことだと思っています。
でも、僕にとって##NAME1##は、丁度、芸能人のような存在なんです。
大好きな、憧れの人ですけど、雲の上の存在というか、
僕にはもう手が届かない気がして。強力なライバルも居ますし。
ハルヤも##NAME1##のこと、僕と同じように思っているんじゃないですか?」
「そう、だね……」
学生時代から、##NAME1##さんは憧れの人だった。
男子ばかりの学校で、突然現れた、素敵な女の人。
あの時から、みんながみんな##NAME1##さんのことが好きだった。
特にレッドやアンリは今でもずっと、好きなんだと思う。
シルヴァンも、##NAME1##さんが好きなんだと俺は思ってた。
だって、信じられないんだ。
シルヴァンが、俺のことを好きだなんて。
「そろそろ解って下さいね、ハルヤ。
僕が今、一番大切な人が、誰なのか」
あっ、と思った時にはもう、俺の顔はシルヴァンの胸の中にあった。
「僕を疑わないで下さい、ハルヤ」
頭から包み込むように、優しく抱き締められていた。
「僕が一番大好きな人は誰なのか、貴方は知っている筈ですよ?
もし、まだ解らないと言うのなら、
僕は喜んで、今夜も愛を囁き続けますよ。朝まで、ね?」
俺はシルヴァンから離れる。
「い、いいよ……」
「それは、『OK』という意味ですよね?」
「『NO』って意味だよ!」
「えー? ニホンゴ、ムズカシクテ、ワッカリマセーン!」
「何言って、うわっ」
肩を押されて、俺はロングソファに倒れ込んだ。
ロングソファの上で、俺の上にシルヴァンが乗っかってる。
シルヴァンは俺のことを無言で見つめた。
すぐ近くにシルヴァンのカッコイイ顔がある。
俺は恥ずかしくて目を反らす。そしたら、少し笑われた。
「好きですよ、ハルヤ」
俺の唇がシルヴァンの唇で塞がれる。
温かくて、柔らかい。
少し甘酸っぱく感じたのは、きっとレモネードの味だ。
俺から一度離れたシルヴァンは、凄く優しい顔をしてた。
思わず俺は顔を背ける。
「あ、あの、シルヴァンもおなか空いたんでしょ? 晩ご飯にしようよ……」
「ええ。僕はおなかペコペコですよ? だから、食べさせて下さい、ハルヤを」
「な、なんだよ、それ……」
「僕としては、貴方と二人きりの楽屋で、
何もせずに我慢していた僕を褒めて欲しいくらいなんですけど?」
「そ、そんなこと考えてたの?」
「はい。僕はいつだって飢えているんですよ、貴方に。
貴方を愛しているから。解って下さい、ハルヤ」
駄目だと思うのに、シルヴァンに触られると抵抗できず、
俺は今夜も流されてしまった。
何度も「好き」だと言われる時間が終わった後。
シルヴァンは俺をぎゅっと抱き締めてくれた。
恥ずかしくて、シルヴァンには言えないけど、
俺は、さっきまでの時間より、この時間のほうが好き。
途中で、ロングソファからシルヴァンのベッドへ移動してきたし、
もうこのまま眠ってしまいたい。
「ねえ、ハルヤ?」
俺を抱き締めたまま、シルヴァンは囁くように言った。
「ん?」
「今度のアルバム、僕の為に、曲を書いてくれませんか?」
「え?」
「##NAME1##が言っていたでしょう?
次のアルバムではソロを二曲、作詞して欲しいって」
楽屋でマネージャーの##NAME1##さんに言われたことだ。
新しいアルバムにはソロ曲が二曲ずつ入り、
その作詞をして欲しいと頼まれた。
「二曲のうちの一曲は、僕に向けて、書いて欲しいんです。
もちろんファンの皆さんには、相手が僕だと解らないように」
「そ、そんなこと……」
「できませんか?」
「いや、あの、でも……」
「僕も書きます、ハルヤのことを想って」
「え……」
「きっと良い曲が書けると思います。だって、本当に、
この世で一番愛しい人のことを想って書いた歌なんですから。
今まで僕が書いた中で、一番のラブソングになると思います」
「そんなことして、大丈夫、なのかな……」
「大丈夫ですよ。僕とハルヤにしか解らないように、
書けば良いんですから。絶対に良い曲を書きますから、
楽しみにしていて下さいね、ハルヤ」
「う、うん……」
「それじゃ、そろそろ寝ましょうか。明日もありますし」
「うん。そうだね。おやすみ、シルヴァン」
「おやすみなさい、ハルヤ。大好きですよ」
頬にそっとキスをされて、俺には罪悪感が残った。
シルヴァンにどんなに好きだと言われても、
俺は未だに、その言葉を信じることができないでいる。
きっとシルヴァンは、自分では気が付いていないんだ、本当の気持ちに。
本当は、今でも##NAME1##さんが好きなのに、
##NAME1##さんに好きだと言うことができないから、
俺を身代わりにしてるんじゃないかって。俺にはそうとしか思えない。
シルヴァンが俺の為に曲を書いてくれる。
俺のことを好きだった証が残る。それは嬉しい。
いつかシルヴァンが、本当の自分の気持ちに気が付いて、
俺達の関係が終わっても、その歌は俺の手元に残るから。
fin
「どんなのを書いてくるか楽しみですね」
生放送の音楽番組が終わり、俺達三人が楽屋に戻ってくると、
##NAME1##さんはスマートフォンで誰かと話しているところだった。
途端にアルフレッドは不機嫌そうな顔をして、鏡の前の椅子を引く。
シルヴァンはテーブル席に向かい、##NAME1##さんの向かい側に座った。
俺は空いている席、シルヴァンの隣に座る。
シルヴァンは笑顔で##NAME1##さんを見上げている。
##NAME1##さんも笑顔を見せながら、電話を続ける。
「丁度戻ってきました。三人には私から伝えておきますね。
はい。解りました。え? 覚えてますよ。はい。じゃあ、またあとで」
##NAME1##さんはスマートフォンをポケットに入れながら、俺達三人に言う。
「生放送お疲れ様でした。今日もすごく良かったですよ」
「んなこと言って。誰かと電話してたじゃねえか。
今の収録、見てくれてなかったのかよ? 今日はスゲエ良い出来だったのにさ」
拗ねた子供のように言ったのはレッドだった。
「いつも言ってるけど、ちゃんと見ててくれなきゃ困るぜ?
##NAME1##は俺達『ウーティス』のマネージャーなんだから」
「ちゃんとエンディングまで見ていましたよ、スタジオのはじっこで。
社長から電話がきたのは、ついさっきです」
「なんだ。電話の相手、アンリだったのかよ」
俺達の所属事務所はアンリが立ち上げた。
所属しているミュージシャンは俺達『ウーティス』だけだ。
事務所の社長、兼プロデューサーがアンリ。
アンリ社長は、学生時代より目が悪くなったのか、
今では眼鏡を掛けるようになって、コワイくらい似合ってる。
毒舌は相変わらずだけど、そういう人だって解ってるから、
レッドも「アンリがプロデューサーだと、やりやすい」って言ってた。
レッドとアンリは仕事の話になると、たまに意見がぶつかったりもするけど、
学生時代から二人はそうだったし、
相手に遠慮なく本音でぶつかれる仲だってことなんだと思う。
ちなみに、俺達のバンド名を『ウーティス』と決めたのはアンリだった。
レッドは『デッドプリンス』にしたかったみたいだけど、
「それじゃ売れない」とアンリに却下された。
そして、俺達のチーフ・マネージャーが、ユウタのお姉さん。
サブ・マネージャーがユウタだ。
ユウタはお姉さんより遅れて入ったから、
今はまだお姉さんのお手伝いといったかんじだけど、
姉弟だけあってチームワークは抜群だ。ケンカもしてるけど。
ユウタはよくアンリに怒られてるみたいだけど、
ユウタがユウタなりに一生懸命なのは俺達が解ってる。
バンドのメンバーもスタッフも友達ばかりで、
なんだか学生時代が続いているみたい。
ちなみにジョシュアは、ロレート公国で立派な王子様をやってる。
ジョシュアも俺達のデビューを喜んでくれた。
アンリのところには、ジョシュアから時々メールが来るみたい。
マネージャーとミュージシャンという関係になってから、
俺はユウタのお姉さんのことを、呼び捨てではなく、
##NAME1##さんと呼ぶようになった。
名字に『さん』付けだと、よそよそしいし。
かと言って、##NAME1##、と呼び捨てるのもダメな気がしたから。
「あ、そうそう。社長から、良いお知らせです」
##NAME1##さんが嬉しそうに言った。
「次のアルバムの発売が決まりました!」
「わお! もう次のアルバムですか」
シルヴァンが大きなリアクションで驚く。
「では、今お話ししていた『僕達に伝えること』というのはそれですか?」
「はい。しかも、ただのアルバムじゃあ、ありません。
なんと、ソロ曲ありです! しかも各自二曲ずつ。
作詞が絶対条件で、作曲するかどうかは任せる、とのことです」
えっ、と言う俺の小さな声は、声の大きな二人にかき消された。
「各自の作詞でソロ曲ですか! 面白そうですね!」
「作詞の締切はいつなんだよ?」
「それがあんまり時間がなくて申し訳ないんですけど、
今月末までに二曲の作詞をお願いできますか」
「二週間しかねえじゃん! ったく、またアンリのムチャ振りかよ」
不満げなレッドをシルヴァンがなだめた。
「アンリのムチャ振りはいつものことじゃないですか。
社長のご命令には逆らえませんよ。僕達はさっさと曲作りしましょう?」
「ありがとうございます、シルヴァンさん」
「いえいえ。お役に立てて光栄です。
敏腕美人マネージャーの##NAME1##女史?」
「私なんかを持ち上げても、何も出ませんよ。
じゃあ、すみませんが二曲の作詞、お願いしますね」
「はい。仰せのままに。僕達のお姫様」
##NAME1##さんと話す時、シルヴァンはいつも楽しそうだ。
やっぱり今でも好きなんだと思う。
レッドもシルヴァンも、##NAME1##さんのことが。
「それじゃ、私は事務所に戻らなくちゃいけないので、
今日はここで解散、ということで良いでしょうか?」
「そりゃ良いけど、##NAME1##は、まだ仕事残ってるのか?」
「ええ。仕事というか、社長と今後の打ち合わせで」
「アンリと? 二人っきりでか?」
「ええ、まあ」
「ハルヤ、ハルヤ。こういうのって、
四字熟語で『職権乱用』って言うんですよねー?」
「いや、うーん。どうかなあ?」
「##NAME1##、俺が事務所まで送ってってやるよ」
「大丈夫ですよ。レッドさんは生放送終わりで疲れてるでしょう?
今日くらいは早く帰って、おうちでゆっくりして下さい。
打ち合わせとかは、私達、裏方の仕事なんですから」
##NAME1##さんは上着と鞄を持つ。
「それじゃ、失礼しますね。お疲れ様でした」
ドアが閉まった。楽屋が俺達三人だけになると、
あーあ、と言いながら、レッドが椅子の背に凭れた。
「アンリのヤツ……ホントに仕事の打ち合わせなんだろうなあ?」
シルヴァンは楽しそうに笑った。
「もしかして、『次は、君の人生を僕にプロデュースさせて欲しいんだ』的な、
展開になったりするかもですね? プロデューサーだけに!」
「なっ!? やっぱ付いてったほうが良いんじゃないか、マジで!」
「大丈夫ですよ、レッド。##NAME1##は、底なしに鈍感ですから。
アンリが何らかのアプローチをしたとしても、
##NAME1##なら自然にスルーしてますよ」
「それもそうだな。心配ないか!」
「ええ。心配ないです」
「ま。おかげで俺達も、##NAME1##とは何の進展もないわけだけど。
アーティストとマネージャーになってからは、ずっと一緒に居るってのに」
「でも、幸せなんですよねえ、僕」
しみじみと言ったのはシルヴァンだった。
「いつも忙しいですし、楽しいことばかりではないですけど、
嬉しいんです。学院を卒業した今でも、
こうして、大好きな皆さんの傍に居られて」
思いのほか、場がしんみりしたのを察して、シルヴァンが笑顔を作る。
「……なーんて言うと、僕のキャラじゃないですかね?
僕、ウーティスのワイルドオタク系ですし」
「そのキャッチフレーズもイミ解んないけどな」
「僕にピッタリのフレーズだと思いますけど」
「そーかよ。あ、いっけね!
収録終わったのに、ツイッター書くの忘れてた!」
「あ、僕もツイートしてませんでしたー。三人で写真撮りましょうよ!」
「だな!」
レッドとシルヴァンがスマートフォンを取り出す。
楽屋前で写真を撮ろうという話になったようで、
二人に連れられて、俺も楽屋の外に出た。
楽屋のドアに貼られている、『ウーティス様』という文字と、
番組ロゴが入った貼り紙をバックに、三人並んで写真を撮った。
レッドのツイッター用には貼り紙を指差した写真、
シルヴァンのツイッター用には肩を組んで、とポーズを変えて撮った。
「よっし。これでツイッターはオッケーと」
写真を撮り終わったレッドは、サッサッとスマートフォンを触り、
あっという間に、ツイッターを書き終えたらしい。
レッドはツイッターの他にフェイスブックとかもやっている。
「ほんと、マメだよね、二人とも」
「ハルヤが面倒くさがり過ぎなんだよ。
俺のツイッターに『ハルヤ君はどうしてツイッターをやってないんですか?
ツイッターを始めるように、レッドからもハルヤ君に言って下さい』
ってツイートがファンのみんなからバンバン来てんだぞ?」
「あ、それ、僕のところにもよく来てますー」
「え。そうなの?」
「ファンに求められてんだから、お前もいい加減、始めろよな」
「やだよ、ツイッターなんて」
「なんで、ツイッターやんないんだよー、始めたら絶対楽しいってー」
二人みたいに一日に何回もツイッターを書くのなんて、俺には絶対無理だし。
仮に、始めたとしても、三人の中でフォロワー数が一番少ないのは、
俺に決まってる。三人の中で、人気が三番手だという、
解りきってる現実を、わざわざ世界に公開したくなかった。
「俺は二人と違ってマメじゃないし、
ブログとファンメールだけで精一杯なんだから」
「あ、ファンメ用の写真、撮ってねえや!」
「そうでした! 僕も撮らなくっちゃ」
俺達がファンメールと呼んでいるのは、アンリ直々の社長命令で始まった、
ファンサービスのひとつで、俺達が書いたメールが、ほぼリアルタイムで、
ファンのメールアドレスに直接届くメールサービスのことだ。
ファンの人は、アルフレッド、シルヴァン、ハルヤのうち、
何人登録してもOKで、一人登録するごとに月額315円かかるそうだ。
それが高いのか安いのか俺には解らないけど、
俺が書くメールにお金が取れる価値があるのかどうか、
そう考え始めると、自信がなくて、申し訳ない気持ちになる。
アンリには「ファンサービスの中でも、特に喜ばれているものだし、
コスト的にも、悪くない商品なんだから、君達はできるだけ多く、
メールを送信するようにね」と言われている。
三人の中で、誰が一番登録数が多いのか、俺達には知らされてないけど。
聞くまでもなく、レッド、シルヴァン、俺の順だろう。
『ウーティス』の人気ランキングは、どう考えたって、そうに決まっている。
「レッドー、写真、また三人で撮りますー?」
「俺はいいや。ファンメは、俺のワンショットにするから」
そう言いながら、スマートフォンに向かってウインクしていた。
前にレッドがこう言っていた。
「ファンメは、ファンからお金貰ってるサービスなんだから、
ツイッターよりもサービスしなきゃな」と。
だからレッドは、好きな人に送るようなメールになるよう心掛けて、
ファンメールを送っているらしい。
おはようメール、とか、おやすみメール、だけじゃなくて、
疲れた日は、正直に「今日は疲れた」と打ち明けるのも、
大事なんだって言っていた。
「じゃあ僕は、ハルヤとツーショットにしまーす。
ハルヤー、お写真一枚、お願いしまーす」
「はいはい」
俺がシルヴァンの傍に行くと、
サッと腕を組まれて、あっという間に一枚撮られた。
「はい。ありがとうございまーす。
フフッ。ビックリした顔のハルヤが撮れましたー」
「撮るよ、って言ってから撮ってよ……」
「だって、驚いた顔の可愛いハルヤが撮りたかったんですもーん」
「もう……」
「ハルヤは、僕とのツーショット撮らなくて良いんですかー?
ファンメールに載せたら、ハルヤのファンの皆さんも、
きっと喜んでくれると思いますよ?」
「そんな、照れくさいよ……」
「ハルヤがそんなこと言っているから、
僕のファンメールに登録している、
ハルヤファンがとっても多いんですからねー?」
「……え?」
「僕はハルヤの写真もいっぱい載せますからね。
ファンの方が言ってましたよ? 『ハルヤ君は恥ずかしがって、
たまにしか自分の写真を載せてくれない』って。
まあ、ファンの皆さんも、ハルヤのことを解っていて下さいますから、
ハルヤの恥ずかしがり屋さんなところも、愛おしいんでしょうけど」
「じゃー、俺はそろそろ帰るぜー?」
レッドがスマートフォンをズボンのポケットに入れる。
「駐車場でアイヴィーが待ちくたびれてるだろうしな」
学院の専属ドライバーだったアイヴィーも、
レッドから強引な誘いを受けたようで、
今では俺達『ウーティス』の専属ドライバーだ。
なんでアイヴィーまで巻き込んだのかとレッドに聞いたことがある。
その理由を聞いた時、俺はびっくりしてしまった。
大分前に、アイヴィーに言われた一言が原因だったらしい。
いつだったか、在学中に俺達がアイヴィーの車を呼ぼうとした時、
「今日はダメだ」と言われて、他の車が来たことがある。
結局はその車でアイヴィーの家まで押しかけちゃったんだけど。
その時、俺達はアイヴィーにこう言われた。
――俺は学院とは専属契約してるが、
お前さんらの専属じゃないんだよ――
「それ聞いた時、なんかカチンと来たからさ。
だから、俺達の専属にしてやったんだ。
これならアイヴィーも、いつだって来れんだろ?」
とレッドは笑っていた。
本当にアイヴィーを専属ドライバーにしてしまった人は今、
芸能人的なサングラスをかけながら、
「シルヴァンとハルヤも、今日は俺の車に乗ってくかー?」
俺はシルヴァンの顔を見る。すると、シルヴァンが答えてくれた。
「ありがとうございます。でも今日は、僕の車で来ているので」
「そっか。じゃあお前達、気を付けて帰れよ?
今日の帰り道は特に、な?」
「なんで?」と俺が聞く。
「なんでって、お前達がさっき『二人で一緒に住んでる』って、
バカ正直に言っちまったからだろーが。
生放送で、あんなこと言ったら、
出待ちのファンに、家まで付けられるぞ?」
「うそ……」
「成程ー。僕、そこまで考えてませんでしたー。
さすが、芸歴の長い大先輩は違いますねえー」
「バーカ。そんな呑気なこと言ってる場合じゃねえっつの」
「どうしよ……じゃあ俺達もアイヴィーの車に乗っけて貰ったほうが」
「しょーがねえ。俺が先に出て、ファンの子達、引き受けてやるよ。
ファンのみんなと写真撮ったり、サイン書いたりしてる間に、
お前達は隙見て、さっさと車に乗って帰れ。解ったか?」
「はいっ! 解りましたっ!」
「ありがと、レッド」
「いいってことよ。芸能界では俺のほうが断然、兄貴なんだからな」
「わお! レッド、カッコイイです! アーニキー!」
「調子に乗んな。じゃ、お前達は、今から十分後くらいに来るんだぞ?」
「了解です、アニキ!」
「うん。解った」
「じゃー、お疲れっ」
レッドがバックを左肩に背負う。
「また明日なー」
右手を挙げて、楽屋を出て行った。
→
生放送の音楽番組が終わり、俺達三人が楽屋に戻ってくると、
##NAME1##さんはスマートフォンで誰かと話しているところだった。
途端にアルフレッドは不機嫌そうな顔をして、鏡の前の椅子を引く。
シルヴァンはテーブル席に向かい、##NAME1##さんの向かい側に座った。
俺は空いている席、シルヴァンの隣に座る。
シルヴァンは笑顔で##NAME1##さんを見上げている。
##NAME1##さんも笑顔を見せながら、電話を続ける。
「丁度戻ってきました。三人には私から伝えておきますね。
はい。解りました。え? 覚えてますよ。はい。じゃあ、またあとで」
##NAME1##さんはスマートフォンをポケットに入れながら、俺達三人に言う。
「生放送お疲れ様でした。今日もすごく良かったですよ」
「んなこと言って。誰かと電話してたじゃねえか。
今の収録、見てくれてなかったのかよ? 今日はスゲエ良い出来だったのにさ」
拗ねた子供のように言ったのはレッドだった。
「いつも言ってるけど、ちゃんと見ててくれなきゃ困るぜ?
##NAME1##は俺達『ウーティス』のマネージャーなんだから」
「ちゃんとエンディングまで見ていましたよ、スタジオのはじっこで。
社長から電話がきたのは、ついさっきです」
「なんだ。電話の相手、アンリだったのかよ」
俺達の所属事務所はアンリが立ち上げた。
所属しているミュージシャンは俺達『ウーティス』だけだ。
事務所の社長、兼プロデューサーがアンリ。
アンリ社長は、学生時代より目が悪くなったのか、
今では眼鏡を掛けるようになって、コワイくらい似合ってる。
毒舌は相変わらずだけど、そういう人だって解ってるから、
レッドも「アンリがプロデューサーだと、やりやすい」って言ってた。
レッドとアンリは仕事の話になると、たまに意見がぶつかったりもするけど、
学生時代から二人はそうだったし、
相手に遠慮なく本音でぶつかれる仲だってことなんだと思う。
ちなみに、俺達のバンド名を『ウーティス』と決めたのはアンリだった。
レッドは『デッドプリンス』にしたかったみたいだけど、
「それじゃ売れない」とアンリに却下された。
そして、俺達のチーフ・マネージャーが、ユウタのお姉さん。
サブ・マネージャーがユウタだ。
ユウタはお姉さんより遅れて入ったから、
今はまだお姉さんのお手伝いといったかんじだけど、
姉弟だけあってチームワークは抜群だ。ケンカもしてるけど。
ユウタはよくアンリに怒られてるみたいだけど、
ユウタがユウタなりに一生懸命なのは俺達が解ってる。
バンドのメンバーもスタッフも友達ばかりで、
なんだか学生時代が続いているみたい。
ちなみにジョシュアは、ロレート公国で立派な王子様をやってる。
ジョシュアも俺達のデビューを喜んでくれた。
アンリのところには、ジョシュアから時々メールが来るみたい。
マネージャーとミュージシャンという関係になってから、
俺はユウタのお姉さんのことを、呼び捨てではなく、
##NAME1##さんと呼ぶようになった。
名字に『さん』付けだと、よそよそしいし。
かと言って、##NAME1##、と呼び捨てるのもダメな気がしたから。
「あ、そうそう。社長から、良いお知らせです」
##NAME1##さんが嬉しそうに言った。
「次のアルバムの発売が決まりました!」
「わお! もう次のアルバムですか」
シルヴァンが大きなリアクションで驚く。
「では、今お話ししていた『僕達に伝えること』というのはそれですか?」
「はい。しかも、ただのアルバムじゃあ、ありません。
なんと、ソロ曲ありです! しかも各自二曲ずつ。
作詞が絶対条件で、作曲するかどうかは任せる、とのことです」
えっ、と言う俺の小さな声は、声の大きな二人にかき消された。
「各自の作詞でソロ曲ですか! 面白そうですね!」
「作詞の締切はいつなんだよ?」
「それがあんまり時間がなくて申し訳ないんですけど、
今月末までに二曲の作詞をお願いできますか」
「二週間しかねえじゃん! ったく、またアンリのムチャ振りかよ」
不満げなレッドをシルヴァンがなだめた。
「アンリのムチャ振りはいつものことじゃないですか。
社長のご命令には逆らえませんよ。僕達はさっさと曲作りしましょう?」
「ありがとうございます、シルヴァンさん」
「いえいえ。お役に立てて光栄です。
敏腕美人マネージャーの##NAME1##女史?」
「私なんかを持ち上げても、何も出ませんよ。
じゃあ、すみませんが二曲の作詞、お願いしますね」
「はい。仰せのままに。僕達のお姫様」
##NAME1##さんと話す時、シルヴァンはいつも楽しそうだ。
やっぱり今でも好きなんだと思う。
レッドもシルヴァンも、##NAME1##さんのことが。
「それじゃ、私は事務所に戻らなくちゃいけないので、
今日はここで解散、ということで良いでしょうか?」
「そりゃ良いけど、##NAME1##は、まだ仕事残ってるのか?」
「ええ。仕事というか、社長と今後の打ち合わせで」
「アンリと? 二人っきりでか?」
「ええ、まあ」
「ハルヤ、ハルヤ。こういうのって、
四字熟語で『職権乱用』って言うんですよねー?」
「いや、うーん。どうかなあ?」
「##NAME1##、俺が事務所まで送ってってやるよ」
「大丈夫ですよ。レッドさんは生放送終わりで疲れてるでしょう?
今日くらいは早く帰って、おうちでゆっくりして下さい。
打ち合わせとかは、私達、裏方の仕事なんですから」
##NAME1##さんは上着と鞄を持つ。
「それじゃ、失礼しますね。お疲れ様でした」
ドアが閉まった。楽屋が俺達三人だけになると、
あーあ、と言いながら、レッドが椅子の背に凭れた。
「アンリのヤツ……ホントに仕事の打ち合わせなんだろうなあ?」
シルヴァンは楽しそうに笑った。
「もしかして、『次は、君の人生を僕にプロデュースさせて欲しいんだ』的な、
展開になったりするかもですね? プロデューサーだけに!」
「なっ!? やっぱ付いてったほうが良いんじゃないか、マジで!」
「大丈夫ですよ、レッド。##NAME1##は、底なしに鈍感ですから。
アンリが何らかのアプローチをしたとしても、
##NAME1##なら自然にスルーしてますよ」
「それもそうだな。心配ないか!」
「ええ。心配ないです」
「ま。おかげで俺達も、##NAME1##とは何の進展もないわけだけど。
アーティストとマネージャーになってからは、ずっと一緒に居るってのに」
「でも、幸せなんですよねえ、僕」
しみじみと言ったのはシルヴァンだった。
「いつも忙しいですし、楽しいことばかりではないですけど、
嬉しいんです。学院を卒業した今でも、
こうして、大好きな皆さんの傍に居られて」
思いのほか、場がしんみりしたのを察して、シルヴァンが笑顔を作る。
「……なーんて言うと、僕のキャラじゃないですかね?
僕、ウーティスのワイルドオタク系ですし」
「そのキャッチフレーズもイミ解んないけどな」
「僕にピッタリのフレーズだと思いますけど」
「そーかよ。あ、いっけね!
収録終わったのに、ツイッター書くの忘れてた!」
「あ、僕もツイートしてませんでしたー。三人で写真撮りましょうよ!」
「だな!」
レッドとシルヴァンがスマートフォンを取り出す。
楽屋前で写真を撮ろうという話になったようで、
二人に連れられて、俺も楽屋の外に出た。
楽屋のドアに貼られている、『ウーティス様』という文字と、
番組ロゴが入った貼り紙をバックに、三人並んで写真を撮った。
レッドのツイッター用には貼り紙を指差した写真、
シルヴァンのツイッター用には肩を組んで、とポーズを変えて撮った。
「よっし。これでツイッターはオッケーと」
写真を撮り終わったレッドは、サッサッとスマートフォンを触り、
あっという間に、ツイッターを書き終えたらしい。
レッドはツイッターの他にフェイスブックとかもやっている。
「ほんと、マメだよね、二人とも」
「ハルヤが面倒くさがり過ぎなんだよ。
俺のツイッターに『ハルヤ君はどうしてツイッターをやってないんですか?
ツイッターを始めるように、レッドからもハルヤ君に言って下さい』
ってツイートがファンのみんなからバンバン来てんだぞ?」
「あ、それ、僕のところにもよく来てますー」
「え。そうなの?」
「ファンに求められてんだから、お前もいい加減、始めろよな」
「やだよ、ツイッターなんて」
「なんで、ツイッターやんないんだよー、始めたら絶対楽しいってー」
二人みたいに一日に何回もツイッターを書くのなんて、俺には絶対無理だし。
仮に、始めたとしても、三人の中でフォロワー数が一番少ないのは、
俺に決まってる。三人の中で、人気が三番手だという、
解りきってる現実を、わざわざ世界に公開したくなかった。
「俺は二人と違ってマメじゃないし、
ブログとファンメールだけで精一杯なんだから」
「あ、ファンメ用の写真、撮ってねえや!」
「そうでした! 僕も撮らなくっちゃ」
俺達がファンメールと呼んでいるのは、アンリ直々の社長命令で始まった、
ファンサービスのひとつで、俺達が書いたメールが、ほぼリアルタイムで、
ファンのメールアドレスに直接届くメールサービスのことだ。
ファンの人は、アルフレッド、シルヴァン、ハルヤのうち、
何人登録してもOKで、一人登録するごとに月額315円かかるそうだ。
それが高いのか安いのか俺には解らないけど、
俺が書くメールにお金が取れる価値があるのかどうか、
そう考え始めると、自信がなくて、申し訳ない気持ちになる。
アンリには「ファンサービスの中でも、特に喜ばれているものだし、
コスト的にも、悪くない商品なんだから、君達はできるだけ多く、
メールを送信するようにね」と言われている。
三人の中で、誰が一番登録数が多いのか、俺達には知らされてないけど。
聞くまでもなく、レッド、シルヴァン、俺の順だろう。
『ウーティス』の人気ランキングは、どう考えたって、そうに決まっている。
「レッドー、写真、また三人で撮りますー?」
「俺はいいや。ファンメは、俺のワンショットにするから」
そう言いながら、スマートフォンに向かってウインクしていた。
前にレッドがこう言っていた。
「ファンメは、ファンからお金貰ってるサービスなんだから、
ツイッターよりもサービスしなきゃな」と。
だからレッドは、好きな人に送るようなメールになるよう心掛けて、
ファンメールを送っているらしい。
おはようメール、とか、おやすみメール、だけじゃなくて、
疲れた日は、正直に「今日は疲れた」と打ち明けるのも、
大事なんだって言っていた。
「じゃあ僕は、ハルヤとツーショットにしまーす。
ハルヤー、お写真一枚、お願いしまーす」
「はいはい」
俺がシルヴァンの傍に行くと、
サッと腕を組まれて、あっという間に一枚撮られた。
「はい。ありがとうございまーす。
フフッ。ビックリした顔のハルヤが撮れましたー」
「撮るよ、って言ってから撮ってよ……」
「だって、驚いた顔の可愛いハルヤが撮りたかったんですもーん」
「もう……」
「ハルヤは、僕とのツーショット撮らなくて良いんですかー?
ファンメールに載せたら、ハルヤのファンの皆さんも、
きっと喜んでくれると思いますよ?」
「そんな、照れくさいよ……」
「ハルヤがそんなこと言っているから、
僕のファンメールに登録している、
ハルヤファンがとっても多いんですからねー?」
「……え?」
「僕はハルヤの写真もいっぱい載せますからね。
ファンの方が言ってましたよ? 『ハルヤ君は恥ずかしがって、
たまにしか自分の写真を載せてくれない』って。
まあ、ファンの皆さんも、ハルヤのことを解っていて下さいますから、
ハルヤの恥ずかしがり屋さんなところも、愛おしいんでしょうけど」
「じゃー、俺はそろそろ帰るぜー?」
レッドがスマートフォンをズボンのポケットに入れる。
「駐車場でアイヴィーが待ちくたびれてるだろうしな」
学院の専属ドライバーだったアイヴィーも、
レッドから強引な誘いを受けたようで、
今では俺達『ウーティス』の専属ドライバーだ。
なんでアイヴィーまで巻き込んだのかとレッドに聞いたことがある。
その理由を聞いた時、俺はびっくりしてしまった。
大分前に、アイヴィーに言われた一言が原因だったらしい。
いつだったか、在学中に俺達がアイヴィーの車を呼ぼうとした時、
「今日はダメだ」と言われて、他の車が来たことがある。
結局はその車でアイヴィーの家まで押しかけちゃったんだけど。
その時、俺達はアイヴィーにこう言われた。
――俺は学院とは専属契約してるが、
お前さんらの専属じゃないんだよ――
「それ聞いた時、なんかカチンと来たからさ。
だから、俺達の専属にしてやったんだ。
これならアイヴィーも、いつだって来れんだろ?」
とレッドは笑っていた。
本当にアイヴィーを専属ドライバーにしてしまった人は今、
芸能人的なサングラスをかけながら、
「シルヴァンとハルヤも、今日は俺の車に乗ってくかー?」
俺はシルヴァンの顔を見る。すると、シルヴァンが答えてくれた。
「ありがとうございます。でも今日は、僕の車で来ているので」
「そっか。じゃあお前達、気を付けて帰れよ?
今日の帰り道は特に、な?」
「なんで?」と俺が聞く。
「なんでって、お前達がさっき『二人で一緒に住んでる』って、
バカ正直に言っちまったからだろーが。
生放送で、あんなこと言ったら、
出待ちのファンに、家まで付けられるぞ?」
「うそ……」
「成程ー。僕、そこまで考えてませんでしたー。
さすが、芸歴の長い大先輩は違いますねえー」
「バーカ。そんな呑気なこと言ってる場合じゃねえっつの」
「どうしよ……じゃあ俺達もアイヴィーの車に乗っけて貰ったほうが」
「しょーがねえ。俺が先に出て、ファンの子達、引き受けてやるよ。
ファンのみんなと写真撮ったり、サイン書いたりしてる間に、
お前達は隙見て、さっさと車に乗って帰れ。解ったか?」
「はいっ! 解りましたっ!」
「ありがと、レッド」
「いいってことよ。芸能界では俺のほうが断然、兄貴なんだからな」
「わお! レッド、カッコイイです! アーニキー!」
「調子に乗んな。じゃ、お前達は、今から十分後くらいに来るんだぞ?」
「了解です、アニキ!」
「うん。解った」
「じゃー、お疲れっ」
レッドがバックを左肩に背負う。
「また明日なー」
右手を挙げて、楽屋を出て行った。
→
■デッドプリンス
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「ハルヤ」
日曜日の朝食が終わった時だった。
ウーティス寮のダイニングルームを出て、廊下を歩いていると、
優しい声に名前を呼ばれた。振り返ると、
そこには、生徒代表のジョシュアが居た。
血筋に関係なく、ただ立っているだけでも、王子様な人。
ジョシュアが俺に話しかけるなんて、何の用事だろう。
「なあに、ジョシュア」
「あ、えっと……ハルヤの部屋で話しても良いかな?」
廊下では話せないことなんだろうか。
俺は首を傾げながら了承し、自分の部屋へジョシュアを案内した。
俺の部屋でジョシュアと二人きりなんて、今まであっただろうか。
俺はちょっと緊張しながら、ジョシュアの表情を伺う。
ジョシュアもちょっと言い難いような顔をしてて、
俺はますます不安になった。
「ジョシュア、ごめん。俺、何かいけないことしちゃった?
もしかして、た、退学勧告とか?」
「えっ? 違うよ。ハルヤは悪いことなんて、何もしてないじゃないか」
「うん。じゃあ、あの、何の話?」
「驚かせてしまって、すまない。
生徒代表としてじゃなくて、俺が個人的に気になったことなんだ。
ハルヤは最近、よく眠れていないんじゃないかと思って」
その通りだったので、俺は本当に驚いた。
誰にも話していないことだったのに。
「……どうして、そんなこと解るの?」
「解るよ。最近のハルヤはいつも眠たそうだったし、
今朝も、いつもより食欲がないみたいだったから。
何か困っていることがある? 俺で力になれること、ないかな?」
どうして、この人はこんなに優しいんだろう。
あのお父さんとお母さんから生まれてきたからなのかな。
「ハルヤ? ごめん。俺では力になれないことだったかな」
「ああ、ごめん、ちょっとぼうっとしちゃって。
えっと、あの……最近、よく眠れていないっていうのは、
少し当たってるかも。でも、悩み事があるとかじゃなくて、
何て言うか、その……ちょっと変な夢を続けて見てるんだ」
「……夢?」
「うん……」
そこで俺達の会話は一度中断した。
「どんな夢?」と更にもう一歩踏み込むことを、
ジョシュアは迷っていたんだと思う。本当に優しくて、繊細な人だ。
俺は自分から話すことにした。
「あのね。本当に変な夢なんだけど、笑わないで聞いてくれる?
レッドやシルヴァンにも言わないでくれるかな?」
「うん。言わないよ」
「ありがと。えっと。恥ずかしいんだけど、
俺達デッドプリンスが、日本でCDデビューしてる夢なんだ……」
「三人でデビュー? 凄いじゃないか」
「凄くないよ。夢の中の話だし……」
「えっと。その夢のせいで、あまり良く眠れないのかい?」
「うん。なんか、寝た気がしないって言うか、
たまに途中で起きちゃう時もあって」
「そうなんだ。三人でデビューするなんて、楽しい夢になりそうだけど」
「うん。まあ、別に怖い夢とかじゃないし、楽しい時もあるんだけど、
ところどころ、妙にリアルで、なんか、疲れちゃうって言うか……」
「そうか。眠りの質が良くないのは困ったね。
そうだ。一度、ソクーロフ博士に相談してみるかい?」
「は、話せないよ! あんな、恥ずかしい夢……」
「そ、そう」
「あ、ごめん。あの、ジョシュアは心配しないで?
俺が変な夢を見てるだけだし、そのうち止まるとも思うし。
もし、あんまり続くようなら、博士に相談するか考えてみる」
「うん。それが良いと思うよ」
「心配させちゃってごめんね。あの、この話、他のみんなには」
「内緒、だね?」
「うん。ありがと、ジョシュア」
「それじゃ、俺、行くね」
じゃあ、と言って、ジョシュアは俺の部屋を出て行った。
一人になると、俺はまた思い出してしまった。
俺達三人が本物のミュージシャンになった、あの夢を。
***
カメラの向こう側に居るスタッフさんからキューが出る。
女子アナウンサーさんはカメラに笑顔を向けた。
「今週のウイークリーチャート第三位、『ウーティス』の皆さんでーす」
黒いサングラスがトレードマークの司会者さんが、
「よろしくお願いしまーす」と言うと、
アルフレッドとシルヴァンはいつものハイテンションで、
「こんばんはー!」と笑顔でカメラにアピールした。
俺もいつものように「こんばんは」と言いながら頭を下げる。
二人と違って、ぎこちない笑顔になってるかもしれないけど、
普段からテンションが高くない俺には、それが精一杯だった。
女子アナさんは、カンペに書いてある台詞を喋る。
「先週発売された『ホントはいつだって Song for You』が
今週の第三位です。おめでとうございます」
「ありがとうございまーす!」とレッドとシルヴァンの声が揃う。
女子アナさんはレッドの顔を見ながら話しかけた。
「ウーティスの楽曲は、アルフレッドさんが作ることが多いですけど、
この曲も、アルフレッドさんの作詞作曲なんですよね?
今回はどういった想いで、作られたんでしょうか?」
「はい。この曲は、好きな子がすぐ傍に居るのに、
君が好きだって伝えられない男の歌です。
今までの曲と比べたら、ちょっとヘタレ男かもしれないけど」
「そうかもしれないですね。前回の曲はロックなかんじでしたし」
「はい。前回とは大分変えて、今回は夕暮れみたいな雰囲気で、
アコースティックなメロディにしてみました」
「先程リハーサルを聞かせて頂きましたが、
今回の歌詞は、切ないストーリーで、なんだか、学生時代を思い出すようでした」
「あ、本当! 嬉しいな!」
席の座り順は、端から女子アナさん、サングラスの司会者さん、
レッド、シルヴァン、俺ハルヤと並んでいる。
俺達の足許にある小さなモニタにも、俺達三人の姿が、映っている。
これが生放送の音楽番組で、日本全国に流れている映像と同じものだなんて。
なんだか未だに実感がない。
学生時代、アルフレッド、シルヴァン、俺の三人で組んでいた、
バンド『デッドプリンス』は、『ウーティス』と名前を変え、
日本でCDデビューし、本物のミュージシャンになってしまった。
学院の卒業から一年後、アルフレッドの呼び掛け、というか、
有無を言わさない召集があって、日本でメジャーデビューすることになった。
断るのも面倒なくらい、レッドの誘いが強引だったから。
ウーティスは、レッドの圧倒的な知名度のおかげで、
新曲を出せば、必ずウイークリーランキングの上位に入り、
あっという間に、人気ミュージシャンの仲間入りを果たした。
俺が子どもの時から見ていた、この日本一長寿な音楽番組にも、
こうして度々呼んで貰えるバンドになったのだ。
デビュー当時によく言われたキャッチフレーズは、
『ハリウッドスター、アルフレッド・ヴィスコンティ率いる
異色バンド、日本で鮮烈CDデビュー』だったかな。
元々レッドのファンだった人が、ウーティスのファンになってくれた。
ウーティスの人気が出てから、レッドへの役者としてオファーが、
それまでより急激に増えたらしい。学院を卒業したあとのレッドは、
なんか色々あったみたいで、最初は、役者の仕事はもう辞めるって、
言ってたみたいだけど、今の所属事務所の社長の説得というか社長命令で、
役者の仕事も時々するようになった。音楽活動に支障が出ないことを条件に。
一度は役者を辞めると宣言したせいか、役者の仕事をやることに対して、
レッド本人は、「俺はウーティスの広告塔だから」とか、
「CDを売る為の宣伝にもなるしな」とか言ったりもするけど。
ドラマや映画の台詞を覚えている時のレッドは、音楽活動の時以上に、
真剣で楽しそうなのは、俺の目から見てもバレバレだ。
歌ってるレッドも良いけど、やっぱり役者してるレッドは生き生きしてる。
レッドのファンの人達も、俺と同じ気持ちみたいで、
レッドが役者復帰したことを喜んでくれた。
アルフレッド・ヴィスコンティありきのウーティスだけど、
今ではシルヴァンにもたくさんのファンが付いている。
アルフォンソ学院は男子校だったから、女の子にモテたところとかは、
あんまり見たことなかったけど。考えてみれば、
シルヴァンがデビューしたら人気が出るのも当たり前だ。
背が高くて長髪で、顔もあんなにキレイだし、ドラムも歌も上手いし。
トークも面白いから、お笑い芸人さんと一緒に番組に出ると、
『芸人潰し』なんてよく言われてるくらいだ。
シルヴァンの日本オタクなところは相変わらず治ってない、どころか、
更にパワーアップ、っていうか、かなり悪化してるけど。
「あんなにカッコイイのに、オタクなところが良い」って、
言ってくれるファンの人も多いみたいだし、
オタクな分野を生かして、シルヴァンが一人で番組に呼ばれることもある。
学生時代からそうだったけど、シルヴァンは吸収力が凄くて、
色んなことをすぐに覚えられるし、本当に器用で、何でもできちゃう。
何かの番組に出た時に、スタッフさん達も言っていた。
「あの子は、おちゃらけて見えるけど、
頭の回転が物凄く早いし、気が利くから、使い易い」って。
レッドやシルヴァンに比べて俺は、ウーティスのおまけみたいなものだと思う。
派手で個性の塊みたいな二人と違って、俺は見た目も中身も平凡な日本人。
取り柄のない俺なんかが芸能界に入れたのは、本当に二人のおかげだ。
俺が母様や梅ヶ枝家に「レッド達と一緒にCDデビューする」と言った時は、
みんな本当に驚いてた。それはそうだ。
梅ヶ枝家は日舞、梅香流の家元。次の家元は、兄様か俺と言われていた。
次の家元を巡って、お家騒動していた片割れが、
突然、CDデビューすると言い出したんだから、みんな驚くに決まってる。
俺も自分で、俺は何を言っているんだろうと思ったし。
最終的にはみんな「春也がそう決めたのなら応援する」と許してくれた。
俺が芸能界に入って良かったことがあるとすれば、
それは、梅香流の家元が、正式に兄様に決まったことだ。
俺がミュージシャンになったから、やっと兄様が家元になれた。
やっぱり兄様じゃなきゃ。俺では駄目だから。
これに関しては、俺を芸能界に誘ってくれたレッドに感謝してる。
「それにしても、レッドは、日本語、大分上手くなったよね?」
サングラスの司会者さんにそう言われて、レッドは演技でない笑顔を見せた。
「マジで!? スゲー嬉しい!」
今では、レッドもシルヴァンも、普段から日本語で話してる。
レッドのアクセントも、大分ネイティブに近くなった。
レッドが文句を言いながら、影で必死に日本語の勉強をしていた頃が遠い昔のようだ。
『ウーティス』のデビュー前、集中的に日本語の勉強をするまで、
レッドは、挨拶以外の日本語は全くと言って良い程、話せなかった。
元々日本が大好きで、在学中から日本語が少し話せたシルヴァンとは違い、
レッドにとっては、日本語が凄く難しいようだった。
だけど、デビューから三年経った今では、
レッドもシルヴァンも、日常会話なら、ほぼ完璧にこなせるし、
業界用語に限っては、俺なんかよりレッドのほうが断然詳しい。
ただ、日本の漢字だけは今でも苦手なようで、
「なんでこんなに難しい字がいっぱいあるんだ」とはよく言ってるけど。
「初めてこの番組に出た頃は、春也君が、ちょいちょい通訳してたもんね?」
「は、はい」
司会者さんに急に名前を呼ばれて、俺はビックリした。
「あの時は、春也君がメンバーなのか通訳の人なのか解んなくて、
あれはあれで面白かったけどね?」
観客席からドッと笑いが起きて、俺は恥ずかしくなる。
「今でも、解らない日本語は、春也君が二人に教えてるの?」
シルヴァンが俺の肩に腕を回す。
「はい! ハルヤが僕達の先生です!
ハルヤ先生はいつだって、とっても優しいんですよー」
「せ、先生なんて……二人とも俺が居なくても、もう平気じゃん」
「でも、僕が難しい歴史の本を読みたい時とか、
ハルヤが読んでくれたりするじゃないですかー」
「え? 読み聞かせ?」と司会者さんが笑う。
「えっと、まあ、はい。シルヴァンが、最近、戦国時代にハマっちゃって」
「最近一番好きな武将は片倉小十郎です!」
「はははっ。相変わらず君はサムライオタクだねー」
歴史好きな司会者さんは笑ってた。
「ええと、お話が盛り上がっているところすみませんが」
女子アナさんはカンペの指示に従って、話題に割って入ってきた。
「今日は視聴者の方から、ウーティスの皆さん宛に、
質問がたくさん届いていますので、ひとつご紹介しても良いでしょうか?」
「はーい!」
シルヴァンが小学生のように右手を挙げると、観客席から黄色い歓声が上がった。
「ありがとうございます。ではご紹介しますね。
東京都にお住まいの『シルヴァン・ラブさん』からの質問です」
「わお! ありがとうございまーす! 僕もラブでーす!」
「ウーティスの皆さん、こんばんは」
「こんばんはー!」
「質問があります。デビュー直後、シルヴァンさんとハルヤ君は、
二人でルームシェアをしていたそうですが、
今はもう別々に暮らしているんでしょうか? もし今も続いていたら、
家事の役割分担などはどうしているのか教えて下さい、
とのことです。お二人、いかがでしょうか?」
「そう言えば、お金がないから、
二人で暮らしてるって言ってたね。今はどうなの?」
司会者さんにも聞かれて、俺はシルヴァンの顔を見る。
すると、シルヴァンが答えてくれた。
「変わりませんよ。何度か引っ越しはしましたけど、
僕達は今も二人暮らしでーす。ね、ハルヤ?」
「う、うん」
「珍しいよねえ。一日中、一緒に仕事してるのに、
家に帰っても、おんなじ顔見てたら、嫌になったりしないの?」
「いえいえ。僕は全然嫌じゃないですよ。でも、ハルヤはどうですか?
もしかして、嫌々、僕と暮らしてたりします?」
「まさか。俺だって平気だよ?」
「そうですか! 良かったですー」
「では家事の役割分担はどのようにしているんでしょうか?」と女子アナさん。
「うーん。どうでしょう? あまり意識したことはないですねえ。
何が僕で、何がハルヤ、と決まっているわけではないので。ねえ、ハルヤ?」
「うん。やりたいほうがやるっていうか、
手が空いてるほうがやるっていうか、そんなかんじです」
「じゃあ、シルヴァンが洗濯で、春也君が料理ってわけじゃないんだ?」
「はい。洗濯も料理も、どっちもやるよね?」
「ええ。料理で言えば、イタリアンは僕のほうが得意かもしれません。
でも和食では、ハルヤの腕前には敵いませんね。
特に、ハルヤが作ってくれるお刺身や、
お魚の煮物は、とっても美味しいんですよー!」
「春也君はどういう料理作るの?」
料理好きな司会者さんに、そう聞かれて俺は緊張が高まる。
「いや、そんな作れるって程じゃ……」
「ハルヤの得意料理はアボカドまぐろ丼でーす」
「ああ、アボカドとまぐろって合うもんねえ。
炊き立ての白ご飯に乗っけて、わさび醤油かけて?」
「は、はい」
「美味いよねえ。じゃあ、アボカドとしめさばも合うの、知ってる?」
「えっ。しめさばですか?」
「そう。俺、この前、見つけたんだ。まぐろが合うんだから、
しめさばも合うんじゃないかと思って。
アボカドとしめさばはねえ、ポン酢。
で、レモンちょっとかけたら、美味いんだよ。今度試してみな?」
「はい。やってみたいです」
「わお! 楽しみですー!」
スタッフさんの指示を見て、女子アナさんが言う。
「それではウーティスの皆さんは、スタンバイをお願いしまーす」
「はーい!」
俺達は席を立って、向かい側にあるステージへ。
サービス精神が旺盛なレッドとシルヴァンは、
ステージへの移動中も、カメラへウインクや投げキッスをしていた。
俺は特に何もできず、そそくさと歩いて、ベースの立ち位置に向かった。
ステージに立つと、間もなく女子アナさんの声が聞こえた。
「それでは今週第三位、ウーティスで、
『ホントはいつだって Song for You』です、どうぞ」
→
日曜日の朝食が終わった時だった。
ウーティス寮のダイニングルームを出て、廊下を歩いていると、
優しい声に名前を呼ばれた。振り返ると、
そこには、生徒代表のジョシュアが居た。
血筋に関係なく、ただ立っているだけでも、王子様な人。
ジョシュアが俺に話しかけるなんて、何の用事だろう。
「なあに、ジョシュア」
「あ、えっと……ハルヤの部屋で話しても良いかな?」
廊下では話せないことなんだろうか。
俺は首を傾げながら了承し、自分の部屋へジョシュアを案内した。
俺の部屋でジョシュアと二人きりなんて、今まであっただろうか。
俺はちょっと緊張しながら、ジョシュアの表情を伺う。
ジョシュアもちょっと言い難いような顔をしてて、
俺はますます不安になった。
「ジョシュア、ごめん。俺、何かいけないことしちゃった?
もしかして、た、退学勧告とか?」
「えっ? 違うよ。ハルヤは悪いことなんて、何もしてないじゃないか」
「うん。じゃあ、あの、何の話?」
「驚かせてしまって、すまない。
生徒代表としてじゃなくて、俺が個人的に気になったことなんだ。
ハルヤは最近、よく眠れていないんじゃないかと思って」
その通りだったので、俺は本当に驚いた。
誰にも話していないことだったのに。
「……どうして、そんなこと解るの?」
「解るよ。最近のハルヤはいつも眠たそうだったし、
今朝も、いつもより食欲がないみたいだったから。
何か困っていることがある? 俺で力になれること、ないかな?」
どうして、この人はこんなに優しいんだろう。
あのお父さんとお母さんから生まれてきたからなのかな。
「ハルヤ? ごめん。俺では力になれないことだったかな」
「ああ、ごめん、ちょっとぼうっとしちゃって。
えっと、あの……最近、よく眠れていないっていうのは、
少し当たってるかも。でも、悩み事があるとかじゃなくて、
何て言うか、その……ちょっと変な夢を続けて見てるんだ」
「……夢?」
「うん……」
そこで俺達の会話は一度中断した。
「どんな夢?」と更にもう一歩踏み込むことを、
ジョシュアは迷っていたんだと思う。本当に優しくて、繊細な人だ。
俺は自分から話すことにした。
「あのね。本当に変な夢なんだけど、笑わないで聞いてくれる?
レッドやシルヴァンにも言わないでくれるかな?」
「うん。言わないよ」
「ありがと。えっと。恥ずかしいんだけど、
俺達デッドプリンスが、日本でCDデビューしてる夢なんだ……」
「三人でデビュー? 凄いじゃないか」
「凄くないよ。夢の中の話だし……」
「えっと。その夢のせいで、あまり良く眠れないのかい?」
「うん。なんか、寝た気がしないって言うか、
たまに途中で起きちゃう時もあって」
「そうなんだ。三人でデビューするなんて、楽しい夢になりそうだけど」
「うん。まあ、別に怖い夢とかじゃないし、楽しい時もあるんだけど、
ところどころ、妙にリアルで、なんか、疲れちゃうって言うか……」
「そうか。眠りの質が良くないのは困ったね。
そうだ。一度、ソクーロフ博士に相談してみるかい?」
「は、話せないよ! あんな、恥ずかしい夢……」
「そ、そう」
「あ、ごめん。あの、ジョシュアは心配しないで?
俺が変な夢を見てるだけだし、そのうち止まるとも思うし。
もし、あんまり続くようなら、博士に相談するか考えてみる」
「うん。それが良いと思うよ」
「心配させちゃってごめんね。あの、この話、他のみんなには」
「内緒、だね?」
「うん。ありがと、ジョシュア」
「それじゃ、俺、行くね」
じゃあ、と言って、ジョシュアは俺の部屋を出て行った。
一人になると、俺はまた思い出してしまった。
俺達三人が本物のミュージシャンになった、あの夢を。
***
カメラの向こう側に居るスタッフさんからキューが出る。
女子アナウンサーさんはカメラに笑顔を向けた。
「今週のウイークリーチャート第三位、『ウーティス』の皆さんでーす」
黒いサングラスがトレードマークの司会者さんが、
「よろしくお願いしまーす」と言うと、
アルフレッドとシルヴァンはいつものハイテンションで、
「こんばんはー!」と笑顔でカメラにアピールした。
俺もいつものように「こんばんは」と言いながら頭を下げる。
二人と違って、ぎこちない笑顔になってるかもしれないけど、
普段からテンションが高くない俺には、それが精一杯だった。
女子アナさんは、カンペに書いてある台詞を喋る。
「先週発売された『ホントはいつだって Song for You』が
今週の第三位です。おめでとうございます」
「ありがとうございまーす!」とレッドとシルヴァンの声が揃う。
女子アナさんはレッドの顔を見ながら話しかけた。
「ウーティスの楽曲は、アルフレッドさんが作ることが多いですけど、
この曲も、アルフレッドさんの作詞作曲なんですよね?
今回はどういった想いで、作られたんでしょうか?」
「はい。この曲は、好きな子がすぐ傍に居るのに、
君が好きだって伝えられない男の歌です。
今までの曲と比べたら、ちょっとヘタレ男かもしれないけど」
「そうかもしれないですね。前回の曲はロックなかんじでしたし」
「はい。前回とは大分変えて、今回は夕暮れみたいな雰囲気で、
アコースティックなメロディにしてみました」
「先程リハーサルを聞かせて頂きましたが、
今回の歌詞は、切ないストーリーで、なんだか、学生時代を思い出すようでした」
「あ、本当! 嬉しいな!」
席の座り順は、端から女子アナさん、サングラスの司会者さん、
レッド、シルヴァン、俺ハルヤと並んでいる。
俺達の足許にある小さなモニタにも、俺達三人の姿が、映っている。
これが生放送の音楽番組で、日本全国に流れている映像と同じものだなんて。
なんだか未だに実感がない。
学生時代、アルフレッド、シルヴァン、俺の三人で組んでいた、
バンド『デッドプリンス』は、『ウーティス』と名前を変え、
日本でCDデビューし、本物のミュージシャンになってしまった。
学院の卒業から一年後、アルフレッドの呼び掛け、というか、
有無を言わさない召集があって、日本でメジャーデビューすることになった。
断るのも面倒なくらい、レッドの誘いが強引だったから。
ウーティスは、レッドの圧倒的な知名度のおかげで、
新曲を出せば、必ずウイークリーランキングの上位に入り、
あっという間に、人気ミュージシャンの仲間入りを果たした。
俺が子どもの時から見ていた、この日本一長寿な音楽番組にも、
こうして度々呼んで貰えるバンドになったのだ。
デビュー当時によく言われたキャッチフレーズは、
『ハリウッドスター、アルフレッド・ヴィスコンティ率いる
異色バンド、日本で鮮烈CDデビュー』だったかな。
元々レッドのファンだった人が、ウーティスのファンになってくれた。
ウーティスの人気が出てから、レッドへの役者としてオファーが、
それまでより急激に増えたらしい。学院を卒業したあとのレッドは、
なんか色々あったみたいで、最初は、役者の仕事はもう辞めるって、
言ってたみたいだけど、今の所属事務所の社長の説得というか社長命令で、
役者の仕事も時々するようになった。音楽活動に支障が出ないことを条件に。
一度は役者を辞めると宣言したせいか、役者の仕事をやることに対して、
レッド本人は、「俺はウーティスの広告塔だから」とか、
「CDを売る為の宣伝にもなるしな」とか言ったりもするけど。
ドラマや映画の台詞を覚えている時のレッドは、音楽活動の時以上に、
真剣で楽しそうなのは、俺の目から見てもバレバレだ。
歌ってるレッドも良いけど、やっぱり役者してるレッドは生き生きしてる。
レッドのファンの人達も、俺と同じ気持ちみたいで、
レッドが役者復帰したことを喜んでくれた。
アルフレッド・ヴィスコンティありきのウーティスだけど、
今ではシルヴァンにもたくさんのファンが付いている。
アルフォンソ学院は男子校だったから、女の子にモテたところとかは、
あんまり見たことなかったけど。考えてみれば、
シルヴァンがデビューしたら人気が出るのも当たり前だ。
背が高くて長髪で、顔もあんなにキレイだし、ドラムも歌も上手いし。
トークも面白いから、お笑い芸人さんと一緒に番組に出ると、
『芸人潰し』なんてよく言われてるくらいだ。
シルヴァンの日本オタクなところは相変わらず治ってない、どころか、
更にパワーアップ、っていうか、かなり悪化してるけど。
「あんなにカッコイイのに、オタクなところが良い」って、
言ってくれるファンの人も多いみたいだし、
オタクな分野を生かして、シルヴァンが一人で番組に呼ばれることもある。
学生時代からそうだったけど、シルヴァンは吸収力が凄くて、
色んなことをすぐに覚えられるし、本当に器用で、何でもできちゃう。
何かの番組に出た時に、スタッフさん達も言っていた。
「あの子は、おちゃらけて見えるけど、
頭の回転が物凄く早いし、気が利くから、使い易い」って。
レッドやシルヴァンに比べて俺は、ウーティスのおまけみたいなものだと思う。
派手で個性の塊みたいな二人と違って、俺は見た目も中身も平凡な日本人。
取り柄のない俺なんかが芸能界に入れたのは、本当に二人のおかげだ。
俺が母様や梅ヶ枝家に「レッド達と一緒にCDデビューする」と言った時は、
みんな本当に驚いてた。それはそうだ。
梅ヶ枝家は日舞、梅香流の家元。次の家元は、兄様か俺と言われていた。
次の家元を巡って、お家騒動していた片割れが、
突然、CDデビューすると言い出したんだから、みんな驚くに決まってる。
俺も自分で、俺は何を言っているんだろうと思ったし。
最終的にはみんな「春也がそう決めたのなら応援する」と許してくれた。
俺が芸能界に入って良かったことがあるとすれば、
それは、梅香流の家元が、正式に兄様に決まったことだ。
俺がミュージシャンになったから、やっと兄様が家元になれた。
やっぱり兄様じゃなきゃ。俺では駄目だから。
これに関しては、俺を芸能界に誘ってくれたレッドに感謝してる。
「それにしても、レッドは、日本語、大分上手くなったよね?」
サングラスの司会者さんにそう言われて、レッドは演技でない笑顔を見せた。
「マジで!? スゲー嬉しい!」
今では、レッドもシルヴァンも、普段から日本語で話してる。
レッドのアクセントも、大分ネイティブに近くなった。
レッドが文句を言いながら、影で必死に日本語の勉強をしていた頃が遠い昔のようだ。
『ウーティス』のデビュー前、集中的に日本語の勉強をするまで、
レッドは、挨拶以外の日本語は全くと言って良い程、話せなかった。
元々日本が大好きで、在学中から日本語が少し話せたシルヴァンとは違い、
レッドにとっては、日本語が凄く難しいようだった。
だけど、デビューから三年経った今では、
レッドもシルヴァンも、日常会話なら、ほぼ完璧にこなせるし、
業界用語に限っては、俺なんかよりレッドのほうが断然詳しい。
ただ、日本の漢字だけは今でも苦手なようで、
「なんでこんなに難しい字がいっぱいあるんだ」とはよく言ってるけど。
「初めてこの番組に出た頃は、春也君が、ちょいちょい通訳してたもんね?」
「は、はい」
司会者さんに急に名前を呼ばれて、俺はビックリした。
「あの時は、春也君がメンバーなのか通訳の人なのか解んなくて、
あれはあれで面白かったけどね?」
観客席からドッと笑いが起きて、俺は恥ずかしくなる。
「今でも、解らない日本語は、春也君が二人に教えてるの?」
シルヴァンが俺の肩に腕を回す。
「はい! ハルヤが僕達の先生です!
ハルヤ先生はいつだって、とっても優しいんですよー」
「せ、先生なんて……二人とも俺が居なくても、もう平気じゃん」
「でも、僕が難しい歴史の本を読みたい時とか、
ハルヤが読んでくれたりするじゃないですかー」
「え? 読み聞かせ?」と司会者さんが笑う。
「えっと、まあ、はい。シルヴァンが、最近、戦国時代にハマっちゃって」
「最近一番好きな武将は片倉小十郎です!」
「はははっ。相変わらず君はサムライオタクだねー」
歴史好きな司会者さんは笑ってた。
「ええと、お話が盛り上がっているところすみませんが」
女子アナさんはカンペの指示に従って、話題に割って入ってきた。
「今日は視聴者の方から、ウーティスの皆さん宛に、
質問がたくさん届いていますので、ひとつご紹介しても良いでしょうか?」
「はーい!」
シルヴァンが小学生のように右手を挙げると、観客席から黄色い歓声が上がった。
「ありがとうございます。ではご紹介しますね。
東京都にお住まいの『シルヴァン・ラブさん』からの質問です」
「わお! ありがとうございまーす! 僕もラブでーす!」
「ウーティスの皆さん、こんばんは」
「こんばんはー!」
「質問があります。デビュー直後、シルヴァンさんとハルヤ君は、
二人でルームシェアをしていたそうですが、
今はもう別々に暮らしているんでしょうか? もし今も続いていたら、
家事の役割分担などはどうしているのか教えて下さい、
とのことです。お二人、いかがでしょうか?」
「そう言えば、お金がないから、
二人で暮らしてるって言ってたね。今はどうなの?」
司会者さんにも聞かれて、俺はシルヴァンの顔を見る。
すると、シルヴァンが答えてくれた。
「変わりませんよ。何度か引っ越しはしましたけど、
僕達は今も二人暮らしでーす。ね、ハルヤ?」
「う、うん」
「珍しいよねえ。一日中、一緒に仕事してるのに、
家に帰っても、おんなじ顔見てたら、嫌になったりしないの?」
「いえいえ。僕は全然嫌じゃないですよ。でも、ハルヤはどうですか?
もしかして、嫌々、僕と暮らしてたりします?」
「まさか。俺だって平気だよ?」
「そうですか! 良かったですー」
「では家事の役割分担はどのようにしているんでしょうか?」と女子アナさん。
「うーん。どうでしょう? あまり意識したことはないですねえ。
何が僕で、何がハルヤ、と決まっているわけではないので。ねえ、ハルヤ?」
「うん。やりたいほうがやるっていうか、
手が空いてるほうがやるっていうか、そんなかんじです」
「じゃあ、シルヴァンが洗濯で、春也君が料理ってわけじゃないんだ?」
「はい。洗濯も料理も、どっちもやるよね?」
「ええ。料理で言えば、イタリアンは僕のほうが得意かもしれません。
でも和食では、ハルヤの腕前には敵いませんね。
特に、ハルヤが作ってくれるお刺身や、
お魚の煮物は、とっても美味しいんですよー!」
「春也君はどういう料理作るの?」
料理好きな司会者さんに、そう聞かれて俺は緊張が高まる。
「いや、そんな作れるって程じゃ……」
「ハルヤの得意料理はアボカドまぐろ丼でーす」
「ああ、アボカドとまぐろって合うもんねえ。
炊き立ての白ご飯に乗っけて、わさび醤油かけて?」
「は、はい」
「美味いよねえ。じゃあ、アボカドとしめさばも合うの、知ってる?」
「えっ。しめさばですか?」
「そう。俺、この前、見つけたんだ。まぐろが合うんだから、
しめさばも合うんじゃないかと思って。
アボカドとしめさばはねえ、ポン酢。
で、レモンちょっとかけたら、美味いんだよ。今度試してみな?」
「はい。やってみたいです」
「わお! 楽しみですー!」
スタッフさんの指示を見て、女子アナさんが言う。
「それではウーティスの皆さんは、スタンバイをお願いしまーす」
「はーい!」
俺達は席を立って、向かい側にあるステージへ。
サービス精神が旺盛なレッドとシルヴァンは、
ステージへの移動中も、カメラへウインクや投げキッスをしていた。
俺は特に何もできず、そそくさと歩いて、ベースの立ち位置に向かった。
ステージに立つと、間もなく女子アナさんの声が聞こえた。
「それでは今週第三位、ウーティスで、
『ホントはいつだって Song for You』です、どうぞ」
→
■アンリ×姉貴
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##NAME1##の携帯電話が鳴った。
手に取ると、サブディスプレイには、
『ユウタ』と弟の名前が表示されていた。
ユウタの携帯電話から電話が来ている。
だが、相手がユウタだとは限らない。
聖アルフォンソ学院の誰かかもしれない。
昨日はアンリと電話で話した。
電話をかけたのは##NAME1##のほうからで、
彼のほうからかかってくることは少ない。
アンリさんからだったら良いな、そんなわけないか、
と思って##NAME1##は電話に出た。
「はい。もしもし?」
しかし、テレビ電話の画面は真っ暗だった。
カメラは起動しているので、相手の居る場所が異常に暗いようだ。
相手の声だけが聞こえてきた。
「##NAME1##? 繋がっている?」
「はい。アンリさんですか?」
「うん。僕」
「あの、画面が暗くて、アンリさんの顔が、
見えないんですけど、部屋、暗くしてるんですか?」
「寮の部屋には居ないよ。ねえ、この携帯、ライトとかないの?」
「ありますよ。ライトの絵が書いてあるボタンが、
下のほうに、あると思うんですけど」
「ああ、これかな」
画面が明るくなり、アンリの顔が見えた。
しかし、やっと顔が映っている程度で、顔の周囲は暗いままだ。
かろうじて緑の制服とワイシャツの襟元までが見える。
「えっと、アンリさん、今、どこに居るんですか?」
「縦に深い穴のようなところ、かな? 一人では出られないような」
「あ、穴!?」
「土でできた穴だから、外に居るんだろうね。
上を見ると、夜空が見えるし。綺麗に星が出ているよ」
「穴って、どこの? 島で迷子にでもなったんですか?」
「さあ? 解らない」
「え?」
「ここは、聖アルフォンソ島ではないかもしれない。
あとは、携帯電話が繋がったのだから、
現代からそう離れてはいないんだろうね」
「現代って、どういう」
「にゃあ」
「ええっ?」
今、携帯の画面を一瞬、灰色の影が横切った。
にゃあ、という鳴き声と共に。アンリは右下のほうを見ながら叱る。
「ちょっと、狭いんだから、大人しくして」
「アンリさん、今、通ったのって、猫ですか?」
「うん。そうなんだ」
アンリが携帯のカメラを猫に向けてくれたようで、
画面には猫が一匹映った。灰色の毛をした小柄な猫。
パチリとブルーの瞳を大きくした猫は、すぐに逃げ、画面から消えた。
「もう。だから、暴れないでってば」
真っ暗な画面のまま、アンリの声がする。
かなり暗く、狭い場所に、アンリが猫と二人で、
いや、一人と一匹で居るというのだろうか。
しかもアンリは自分が今どこに居るのか解らないと言う。
これは一体どういう状況なのか。
「アンリさん、あの……どうなってるんですか?」
画面に映ったアンリは、冷笑しながら、首を傾げていた。
「僕にも説明が難しくてね。話しても、信じて貰えないと思うし」
「聞かせて下さい。アンリさんの言うことなら、私、信じます」
「そう……君はそういう人だったね。解った。
じゃ、僕の身に起こったことを、ありのまま説明しようか。
僕にも、そうすることしかできないから」
「にゃあ」
また灰色の影が画面を横切る。アンリの溜め息が聞こえた。
「僕がこんな目に遭っているのは、この子のせいなんだ」
アンリの語った内容はこうだ。
今日の放課後、僕がウーティス寮へ帰る途中、
月桂樹の森の近くを通った際に、灰色の猫を見かけた。
学院に棲む動物に灰色の猫は居なかったので、
外から入ったのだろうと僕は思った。
綺麗な灰色の毛をしていたので、なんとなく猫の後を付いて行った。
数メートルの距離を保ちながら、
暫くの間、猫と一緒に森の中を散歩していた。
島も最近すっかり暖かくなってきたので、
辺りには小さな花がたくさん咲いていたし、木漏れ日も綺麗だった。
入学した頃には、森に一歩入ることもできなかったのに、
今では普通に森の中を歩けるのが不思議だった。
いつのまにか、棕櫚の木が一本あるところまで来ていた。
ここは森の奥のほうだ。そろそろ寮に戻ろうかと思った。
猫を見ると、猫は棕櫚の木を黙って見上げていた。
すると、木の周りがキラと光ったような気がした。
気のせいかと思った時に、また白く光った。
周囲の月桂樹には何も起こっていないのに、
棕櫚の木の周りだけが、キラ、キラ、と白く光り続けている。
猫はゆっくりと光のほうへ歩き始めた。
まるで、何かに操られているかのような足取りに見えた。
「だめ」
思わず僕は猫に向かって、声をかけていた。
しかし、猫は止まらない。
「行ってはだめ、その光に近付いたら」
人間の言葉が通じていないというよりは、
僕の声自体が聞こえていないようだった。
猫が光に近付いて行く。いけない、と思った時に異変は起きた。
光に触れた頭の部分から、猫の身体が消えていく。
光の向こう側に、猫の身体が擦り抜けて行くかのように。
映画や物語の世界で起きるようなことが、今、目に映っている。
猫は異変に気付かないのか、前に進むのを止めない。
胴体も見えなくなり、後ろ脚と尻尾だけが見えている。
このままでは完全に消えてしまう、この世界から。
「だめだ、って言ってるのに」
普段の自分ならこんなことしないのに。
後先考えずに身体が動いてしまっていた。
光の中へ消えかけている灰色の尻尾。
僕の手がそれに届いた時、光が強くなり、目の前が真っ白になった。
何か強い力が発生したようで、僕は猫と一緒に引き摺り込まれた。
白い光の向こう側へ。
真っ白で、何もない光の中。
空中に浮かんでいるような感覚が一瞬あって、僕は真っ逆さまに落ちた。
ドン、と地面に叩きつけられた。
目を開けたら、僕は深い穴の中に居て、
見上げると、夜の空と星が見えた。
周りは土の匂いでいっぱいで。
にゃあ、という鳴き声が僕の背後からした。
さっきの灰色の猫だ。
「……だから言ったじゃない」
猫が僕を見つめる。
「あの光に触れてはだめだと」
にゃあ、と猫は鳴き、穴の中を歩き始めた。
と言っても、狭い穴なので、僕の周りを歩いているようなものだ。
猫も猫なりに今の状況を把握しようとしているのだろうか。
僕も状況把握に努めた。
まず、今は解るのは、現在の時刻が夜だということ。
星が見えるから、天気はそう悪くないということ。
それから、ここからは推測になるが、
おそらくここは、聖アルフォンソ島ではないだろうということ。
それは直感的に思った。島内のどこかに居れば感じられる、
あの葉の香りも、海の香りもしないから。
何か役に立ちそうな物を持っていないだろうか。
僕は放課後の姿のままで、制服を着ていた。
全てのポケットに手を入れてみる。
最初に出てきたのはブルーのハンカチで、
これは大して役に立ちそうもない。他に何かないのか。
「ブレザーのポケットに入っていたんだ、ユウタの携帯が」
アンリが微笑が珍しく柔らかい雰囲気で、##NAME1##はドキリとする。
「君と電話で話したのは昨日だよね?」
「はい、昨日です」
「昨夜、携帯を返すのは明日でいいとユウタに言われていたから、
今日会った時に返そうと思って、ポケットに入れていたんだ。
それが、こんなふうに役に立つとは思わなかったけれど」
アンリは小首を傾げる。
「君に繋がる携帯を見つけた時、僕がどんなふうに感じたか、解る?」
どう答えれば良いのか迷っていると、アンリはこう言った。
「暗闇の中で天使に出会ったような気がしたよ?」
##NAME1##は何も言えなくなってしまった。
にゃあ、と声がする。
「ちょっと、どこに乗っているの。君は僕に遠慮がないね」
身体のどこかに猫が乗っているらしい。
「少し寒くなってきたな。猫の暖かさが貴重に思えるよ」
「えっ? アンリさん、大丈夫ですか?」
「夜だからね、気温が低いんだ。羽織るものもないし」
「アンリさん、これからどうしましょう?
誰か学院の人に連絡したほうが良いですよね?
あ、そうだ。まずはユウタの携帯に電話してジョシュアさんに」
「落ち着いてよ。これがユウタの携帯でしょう?」
「ああ、そうだった。じゃあ、ええっと」
「君には、ひとつ頼みたいことがあるんだ」
「は、はい! 私にできることがあるなら、何でも言って下さい!」
「もちろん、あるよ。君にしか頼めないことだ」
「何ですか?」
「僕の代わりに文句を伝えて? 彼に」
「彼って? あ、もしかして、ジョシュアさん?」
「生徒代表殿でも、この状況は打破できないよ。
僕が居る場所まで辿り着けるのは、多分、ボージェ教授だけだから」
「ボージェ教授? あの、神秘学の?」
「そう。君は学院の代表番号に電話をして、
ボージェ教授を呼び出してくれる? 彼が電話に出たら、こう伝えて?」
アンリから教授への伝言はこうだった。
「寒いから早く迎えに来て。僕が風邪を引いたらどうするの、って」
解りました、と言いながら、
##NAME1##は自宅のベッドで目を覚ました。
目を覚ましたということは、それまで寝ていたということだ。
##NAME1##は自分の携帯電話を手に取る。
時刻を見ると、起きるにはまだ早い時間だった。
アンリに電話をしてみようか、という考えが頭に浮かぶ。
今のは夢で、現実ではないのは解っている。
でも、もし。いや、もし、なんてことは有り得ないけれど。
アンリが無事で居ることを確認したい。顔を見たい。
でも、不思議な夢を見て心配になった、なんて言ったら、
彼には変に思われるだろうか。
##NAME1##は携帯電話を握り締める。
やっぱり電話してみよう。
手早くボタンを押し、ユウタの携帯に電話をかけた。
fin
手に取ると、サブディスプレイには、
『ユウタ』と弟の名前が表示されていた。
ユウタの携帯電話から電話が来ている。
だが、相手がユウタだとは限らない。
聖アルフォンソ学院の誰かかもしれない。
昨日はアンリと電話で話した。
電話をかけたのは##NAME1##のほうからで、
彼のほうからかかってくることは少ない。
アンリさんからだったら良いな、そんなわけないか、
と思って##NAME1##は電話に出た。
「はい。もしもし?」
しかし、テレビ電話の画面は真っ暗だった。
カメラは起動しているので、相手の居る場所が異常に暗いようだ。
相手の声だけが聞こえてきた。
「##NAME1##? 繋がっている?」
「はい。アンリさんですか?」
「うん。僕」
「あの、画面が暗くて、アンリさんの顔が、
見えないんですけど、部屋、暗くしてるんですか?」
「寮の部屋には居ないよ。ねえ、この携帯、ライトとかないの?」
「ありますよ。ライトの絵が書いてあるボタンが、
下のほうに、あると思うんですけど」
「ああ、これかな」
画面が明るくなり、アンリの顔が見えた。
しかし、やっと顔が映っている程度で、顔の周囲は暗いままだ。
かろうじて緑の制服とワイシャツの襟元までが見える。
「えっと、アンリさん、今、どこに居るんですか?」
「縦に深い穴のようなところ、かな? 一人では出られないような」
「あ、穴!?」
「土でできた穴だから、外に居るんだろうね。
上を見ると、夜空が見えるし。綺麗に星が出ているよ」
「穴って、どこの? 島で迷子にでもなったんですか?」
「さあ? 解らない」
「え?」
「ここは、聖アルフォンソ島ではないかもしれない。
あとは、携帯電話が繋がったのだから、
現代からそう離れてはいないんだろうね」
「現代って、どういう」
「にゃあ」
「ええっ?」
今、携帯の画面を一瞬、灰色の影が横切った。
にゃあ、という鳴き声と共に。アンリは右下のほうを見ながら叱る。
「ちょっと、狭いんだから、大人しくして」
「アンリさん、今、通ったのって、猫ですか?」
「うん。そうなんだ」
アンリが携帯のカメラを猫に向けてくれたようで、
画面には猫が一匹映った。灰色の毛をした小柄な猫。
パチリとブルーの瞳を大きくした猫は、すぐに逃げ、画面から消えた。
「もう。だから、暴れないでってば」
真っ暗な画面のまま、アンリの声がする。
かなり暗く、狭い場所に、アンリが猫と二人で、
いや、一人と一匹で居るというのだろうか。
しかもアンリは自分が今どこに居るのか解らないと言う。
これは一体どういう状況なのか。
「アンリさん、あの……どうなってるんですか?」
画面に映ったアンリは、冷笑しながら、首を傾げていた。
「僕にも説明が難しくてね。話しても、信じて貰えないと思うし」
「聞かせて下さい。アンリさんの言うことなら、私、信じます」
「そう……君はそういう人だったね。解った。
じゃ、僕の身に起こったことを、ありのまま説明しようか。
僕にも、そうすることしかできないから」
「にゃあ」
また灰色の影が画面を横切る。アンリの溜め息が聞こえた。
「僕がこんな目に遭っているのは、この子のせいなんだ」
アンリの語った内容はこうだ。
今日の放課後、僕がウーティス寮へ帰る途中、
月桂樹の森の近くを通った際に、灰色の猫を見かけた。
学院に棲む動物に灰色の猫は居なかったので、
外から入ったのだろうと僕は思った。
綺麗な灰色の毛をしていたので、なんとなく猫の後を付いて行った。
数メートルの距離を保ちながら、
暫くの間、猫と一緒に森の中を散歩していた。
島も最近すっかり暖かくなってきたので、
辺りには小さな花がたくさん咲いていたし、木漏れ日も綺麗だった。
入学した頃には、森に一歩入ることもできなかったのに、
今では普通に森の中を歩けるのが不思議だった。
いつのまにか、棕櫚の木が一本あるところまで来ていた。
ここは森の奥のほうだ。そろそろ寮に戻ろうかと思った。
猫を見ると、猫は棕櫚の木を黙って見上げていた。
すると、木の周りがキラと光ったような気がした。
気のせいかと思った時に、また白く光った。
周囲の月桂樹には何も起こっていないのに、
棕櫚の木の周りだけが、キラ、キラ、と白く光り続けている。
猫はゆっくりと光のほうへ歩き始めた。
まるで、何かに操られているかのような足取りに見えた。
「だめ」
思わず僕は猫に向かって、声をかけていた。
しかし、猫は止まらない。
「行ってはだめ、その光に近付いたら」
人間の言葉が通じていないというよりは、
僕の声自体が聞こえていないようだった。
猫が光に近付いて行く。いけない、と思った時に異変は起きた。
光に触れた頭の部分から、猫の身体が消えていく。
光の向こう側に、猫の身体が擦り抜けて行くかのように。
映画や物語の世界で起きるようなことが、今、目に映っている。
猫は異変に気付かないのか、前に進むのを止めない。
胴体も見えなくなり、後ろ脚と尻尾だけが見えている。
このままでは完全に消えてしまう、この世界から。
「だめだ、って言ってるのに」
普段の自分ならこんなことしないのに。
後先考えずに身体が動いてしまっていた。
光の中へ消えかけている灰色の尻尾。
僕の手がそれに届いた時、光が強くなり、目の前が真っ白になった。
何か強い力が発生したようで、僕は猫と一緒に引き摺り込まれた。
白い光の向こう側へ。
真っ白で、何もない光の中。
空中に浮かんでいるような感覚が一瞬あって、僕は真っ逆さまに落ちた。
ドン、と地面に叩きつけられた。
目を開けたら、僕は深い穴の中に居て、
見上げると、夜の空と星が見えた。
周りは土の匂いでいっぱいで。
にゃあ、という鳴き声が僕の背後からした。
さっきの灰色の猫だ。
「……だから言ったじゃない」
猫が僕を見つめる。
「あの光に触れてはだめだと」
にゃあ、と猫は鳴き、穴の中を歩き始めた。
と言っても、狭い穴なので、僕の周りを歩いているようなものだ。
猫も猫なりに今の状況を把握しようとしているのだろうか。
僕も状況把握に努めた。
まず、今は解るのは、現在の時刻が夜だということ。
星が見えるから、天気はそう悪くないということ。
それから、ここからは推測になるが、
おそらくここは、聖アルフォンソ島ではないだろうということ。
それは直感的に思った。島内のどこかに居れば感じられる、
あの葉の香りも、海の香りもしないから。
何か役に立ちそうな物を持っていないだろうか。
僕は放課後の姿のままで、制服を着ていた。
全てのポケットに手を入れてみる。
最初に出てきたのはブルーのハンカチで、
これは大して役に立ちそうもない。他に何かないのか。
「ブレザーのポケットに入っていたんだ、ユウタの携帯が」
アンリが微笑が珍しく柔らかい雰囲気で、##NAME1##はドキリとする。
「君と電話で話したのは昨日だよね?」
「はい、昨日です」
「昨夜、携帯を返すのは明日でいいとユウタに言われていたから、
今日会った時に返そうと思って、ポケットに入れていたんだ。
それが、こんなふうに役に立つとは思わなかったけれど」
アンリは小首を傾げる。
「君に繋がる携帯を見つけた時、僕がどんなふうに感じたか、解る?」
どう答えれば良いのか迷っていると、アンリはこう言った。
「暗闇の中で天使に出会ったような気がしたよ?」
##NAME1##は何も言えなくなってしまった。
にゃあ、と声がする。
「ちょっと、どこに乗っているの。君は僕に遠慮がないね」
身体のどこかに猫が乗っているらしい。
「少し寒くなってきたな。猫の暖かさが貴重に思えるよ」
「えっ? アンリさん、大丈夫ですか?」
「夜だからね、気温が低いんだ。羽織るものもないし」
「アンリさん、これからどうしましょう?
誰か学院の人に連絡したほうが良いですよね?
あ、そうだ。まずはユウタの携帯に電話してジョシュアさんに」
「落ち着いてよ。これがユウタの携帯でしょう?」
「ああ、そうだった。じゃあ、ええっと」
「君には、ひとつ頼みたいことがあるんだ」
「は、はい! 私にできることがあるなら、何でも言って下さい!」
「もちろん、あるよ。君にしか頼めないことだ」
「何ですか?」
「僕の代わりに文句を伝えて? 彼に」
「彼って? あ、もしかして、ジョシュアさん?」
「生徒代表殿でも、この状況は打破できないよ。
僕が居る場所まで辿り着けるのは、多分、ボージェ教授だけだから」
「ボージェ教授? あの、神秘学の?」
「そう。君は学院の代表番号に電話をして、
ボージェ教授を呼び出してくれる? 彼が電話に出たら、こう伝えて?」
アンリから教授への伝言はこうだった。
「寒いから早く迎えに来て。僕が風邪を引いたらどうするの、って」
解りました、と言いながら、
##NAME1##は自宅のベッドで目を覚ました。
目を覚ましたということは、それまで寝ていたということだ。
##NAME1##は自分の携帯電話を手に取る。
時刻を見ると、起きるにはまだ早い時間だった。
アンリに電話をしてみようか、という考えが頭に浮かぶ。
今のは夢で、現実ではないのは解っている。
でも、もし。いや、もし、なんてことは有り得ないけれど。
アンリが無事で居ることを確認したい。顔を見たい。
でも、不思議な夢を見て心配になった、なんて言ったら、
彼には変に思われるだろうか。
##NAME1##は携帯電話を握り締める。
やっぱり電話してみよう。
手早くボタンを押し、ユウタの携帯に電話をかけた。
fin
■癒されないスパ2 続編
ソクーロフが木のドアを開ける。
ログハウス風のサウナで、左右の席に腰がかけられる。
二人ずつ向かい合って座ったら、ギリギリ四人入れそうだが、
ゆったり入るなら、定員は二人までだろう。
ソクーロフが左側に座ったので、アイヴィーは向かいの席に座った。
暑い。アイヴィーはすぐに出たくなったが、
顔を上げると、正面に居る人は慣れているせいか涼しい顔をしていた。
「ソクちゃんは暑くないのー?」
「入ったばかりで、もうギブアップか?」
「ま、まだ平気ー」
「ほう? ではゆっくりしていくか」
アイヴィーは強がってウソを吐いたことを後悔した。
俯いた時、ある物が視界に入った。
「……ソクちゃんさ」
「ん?」
「今更だけど、なんで水着、ビキニなの? てかブーメラン?」
「競泳用水着と言え。お前は水着をレンタルしたんだろうが、私のは自前だ」
「自前がキワド過ぎでしょ……」
真っ白な肢体に黒くて細過ぎる水着。
アイヴィーが目のやり場に困っていると、不敵に笑われた。
「な、何さ」
「こんな所で、そんなに物欲しそうな目で見るな」
「見てませんっ!」
「いつ誰が来るかもしれない、というシチュエーションが、
お前の好みだとしても、ここはサウナだからな。
身体への負担を考えると、余りに危険過ぎる行為だと思うぞ?」
「冷静に忠告すんなよっ!」
ソクーロフはサウナ内の掛け時計を見上げ、
「さて、そろそろ出るか。お前の頭が茹で上がりそうだからな」
「茹で上がらねーよっ!」
サウナの外に出ると涼しく感じた。サウナの横にはシャワーが2つあった。
ソクーロフがシャワーを浴びたので、アイヴィーもそれに倣う。
サウナで汗ばんだ肌を少し冷たいシャワーが洗い流してくれる。
爽快だ。肌がピシリと引き締まった気がした。
キュッと隣のシャワーが止まった音がする。
アイヴィーもシャワーを止めた。
ソクーロフは次にどこへ向かうのか。
その背中に付いて行くと、今度は館内のオープンカフェに着いた。
ここでは、水着のまま飲食できるらしい。
ファーストフードのように先払い式のようで、ソクーロフが店員に注文をした。
「私はアイスコーヒーを。お前は?」
「ええっとー、じゃあ俺も同じので」
「畏まりました。ではロッカーキーのナンバーをお見せ頂けますか?」
「ああ、はいはい」
アイヴィーがもたつきながら腕のナンバーを店員のほうに向ける中、
ソクーロフはサッとスマートにこなしていた。
「ありがとうございます。それではお席でお待ち下さいませ」
パラソルの下に白いビーチチェアが並んでいる席があった。
ソクーロフがそこに寝そべったので、アイヴィーも隣に席を取る。
この辺りは熱帯植物と思われる木や花に囲まれている。
ビーチチェアの席には他に客は居なかった。
テーブル席のほうには、老夫婦らしき二人の男女が居る。
二人の前には、グラスに花が飾られた、イエローのドリンクがあった。
アイヴィーがビーチチェアに座ると、海型プールが見えた。
男が一人、サーフィンをしている。
人工的に作られた波の上で、サーフボードを胸に付け、
沖のほうに向かって、大きく手を掻いている。
ここでは波乗り練習もできるらしい。
水に入っていた時はエメラルドグリーン色の海だったが、
ここから見ると、近くで見た時より色が青っぽい。
なんとなくだが、ハワイのビーチにでも遊びに来ているような気持ちになれる。
「お待たせ致しました」
アイスコーヒーが来た。サイドテーブルにグラスが置かれる。
「どうぞごゆっくり」
グラスには黒いストローが入っていた。
咥えて吸うと、深い苦味が喉を流れていった。
隣のソクーロフも数口続けて飲んでいたので、
コーヒーに煩い先生の口にも合っていたのだろう。
喉を潤したソクーロフは、再びビーチチェアに寝そべった。
アイヴィーもゴロンと寝そべってみた。
向こうから波の音が聞こえる。
とてもゆったりした気分になっていた。
のんびりできて良いところだな、とアイヴィーは思う。
だが、アイヴィーの家の前には、本物の海があるのを思い出した。
窓を開ければ、潮風が入ってくるほどだ。
本物の波を見ている時より、作られた波を見ているほうが、
リラックスできるなんて、なんだか可笑しな話だ。
海型プールで、さっきのサーファーが波の上で立った。
ふらついているが、結構、波に乗れているなあ、
と思ったら、身体が右に傾いて、ザバーンと海に落ちた。
屋内サーフィンも楽しそうだ。
サーフボードもレンタルできるなら、あとで自分も、やってみようか。
波の音が聞こえる。心地良いリズムだ。
作り物の海と、本物の海は、一体何が違うんだろう。
唐突に、オルゴールのような音楽が館内に流れ始めた。
すると、フッと照明が暗くなり始めた。
アイヴィーはビーチチェアから身体を起こす。
「えっ、何? 何か始まるの?」
ソクーロフは寝そべったまま、
「まあ見ていろ」
音楽に合わせて、照明の色が変化していく。
ゆっくりと夕闇色に変わっていくのだ。そしてもっと暗くなる。
早送りで空が夕方から夜へ変わっていくかのようだ。
オルゴールが終わった時には、照明は夜の色になっていた。
天井にはプラネタリウムのように星が出ている。
辺りには、ぽうっとランプが照らされている。
さっきまでの明るいハワイアンな雰囲気とは全然違う。
一曲の間に、ムーディーな大人の空間になっていた。
「うーわ。なんか、男が女の子口説くのに良さそうな雰囲気になっちゃって」
「私に口説いて欲しい、という催促か?」
「だ、ダレがアンタなんかにっ!」
「そうか? 私は、やっと、お前を口説き落としたい気分になったのだがな?」
「………え?」
「暗くなってきたし、お前の裸が目の前にある」
ソクーロフはゆっくりと身を起こす。
眼鏡を掛けていない目が、こちらを見つめていた。
「お前とこのような場所で会うとは思わなかったぞ?
ここは、胸の傷が不特定多数の目に晒される場所だからな」
ソクーロフの視線は一点に向けられていた。
アイヴィーの左胸にある、古い傷跡に。
「口説き落としたいって、ソッチかよ」
「他に何がある?」
ソクーロフは席を立ち、アイヴィーの左側に立った。
「やはり本当は、誰かに見つけて欲しいんだろう?
そして、こう聞いて欲しいんだ。『その傷はどうしたんだ』と」
「違うよ、俺は見られたくなんか」
「私に嘘が通用すると思うのか?」
次の瞬間には、ビーチチェアに押し倒されていた。
左肩を押さえつけられ、左胸がのけぞる。
ソクーロフの目の前に、古傷が晒されていた。
「ちょ、こんな所で診察ゴッコは」
「ゴッコではない。生憎だが、私は本気だ」
「バカ、他の人に見られ」
「誰が見ている? 他には誰も居ないのに」
「な、何言って」
「ここには、私とお前しか居ないさ」
「いや、居るだろ。ほら、あそこ、に……」
アイヴィーは周りを見回し、唖然とした。
テーブル席に居た筈の老夫婦の姿がない。
カフェの店員も居なくなっている。
波乗りをしていたサーファーの姿も見えない。
誰も居ない。
さっきまでみんなそこに居たのに。どうして。
ギリとアイヴィーの左肩に痛みが走る。
肩を強く押さえつけられ、ソクーロフの爪が肩に食い込んでいた。
「……やっと、この傷を診る日が来たか」
その声からも、抑えられない興奮が伝わるようだった。
白くて長い人差し指が、傷口に近付いてくる。
その指を掴んで止めなくてはいけないのに。
アイヴィーの身体は動かせなくなっていた。
脳と身体を繋ぐ神経が切り離されてしまったかのようだ。
自分の身体に意思が伝えられない。見ていることしかできない。
ソクーロフの人差し指は、ゆっくりと傷に触れた。
つつつ、と傷跡をなぞられ、胸の筋肉がビクリと震える。
「傷跡は時間をかけて薄くなってはいるが」
「……さわん、な」
「この傷が付いたのは、おそらく」
「や……さわんなって……」
「お前がここに来る数年前、か?」
「ちがう……」
「傷を付けた凶器は」
「や、だ……ソクッ――」
制止の言葉は続かなかった。
アイヴィーの唇に柔らかい物が当たっていて、ソクーロフの顔が目の前にあった。
そっと言葉を塞いだだけで、ゆっくりとソクーロフは離れた。
「アンタ、何して……」
「もういい」
「何が」
「もう、隠さなくていい」
ふっとアイヴィーの視界が暗くなる。
アイヴィーの両目はソクーロフの片手で覆われていた。
「話せ」
耳許で優しい声がした。
真っ暗な世界でソクーロフの声だけが聞こえる。
「本当は、聞いて欲しかったんだろう? 誰かに」
どうしてなのか、頭がぼうっとしてくる。
「私が聞いてやる」
アイヴィーの両目を覆っている手は意外にも仄かに温かかった。
「話せ。この傷は、いつ、誰に付けられた?」
人の温もりだ。心地好いと感じている自分が居た。
不思議と気分が落ち着いてくる。
「この傷は……」
「この傷は?」
この人になら、隠さなくて良いのか。
委ねて良いのか、全てを――
「この、傷は……」
見えたのは、うちの天井だった。
アイヴィーは自宅のロングソファで目を覚ました。
目を覚ましたということは、それまで寝ていたということだ。
時計を見ると、火曜日の明け方だった。
休日はまだ始まっていなかった。
そう言えば、月曜日の夜は疲れていて、
帰宅後ソファで眠ってしまったような気がする。
「なんで、あんな夢見てんだよ、俺は……」
アイヴィーは深く息を吐き出し、また目を閉じた。
夢で見た内容は、はっきりと頭の中に残っていた。
普段は、起きると同時に忘れてしまうのに。
覚えているのは、いつも嫌な夢ばかりだ。
手を額に当てると、汗をかいていた。
首許もじっとり濡れている。
部屋の中が少し暑い。風に当たりたい。
ソファから立ち上がると、足が一度ふらついた。
足に力を入れて、窓まで辿り着き、窓を開けた。
涼しい。外の空気が部屋に流れ込んでくる。
明け方の海が見える。淡いブルー。
日中になれば、もっと色の濃いブルーになるだろう。
アイヴィーは、そうか、と思う。
作り物の海と本物の海は何が違うのか。
潮風に吹かれていたら答えが解った。
スパでは、潮の香りがしなかった。
fin
ログハウス風のサウナで、左右の席に腰がかけられる。
二人ずつ向かい合って座ったら、ギリギリ四人入れそうだが、
ゆったり入るなら、定員は二人までだろう。
ソクーロフが左側に座ったので、アイヴィーは向かいの席に座った。
暑い。アイヴィーはすぐに出たくなったが、
顔を上げると、正面に居る人は慣れているせいか涼しい顔をしていた。
「ソクちゃんは暑くないのー?」
「入ったばかりで、もうギブアップか?」
「ま、まだ平気ー」
「ほう? ではゆっくりしていくか」
アイヴィーは強がってウソを吐いたことを後悔した。
俯いた時、ある物が視界に入った。
「……ソクちゃんさ」
「ん?」
「今更だけど、なんで水着、ビキニなの? てかブーメラン?」
「競泳用水着と言え。お前は水着をレンタルしたんだろうが、私のは自前だ」
「自前がキワド過ぎでしょ……」
真っ白な肢体に黒くて細過ぎる水着。
アイヴィーが目のやり場に困っていると、不敵に笑われた。
「な、何さ」
「こんな所で、そんなに物欲しそうな目で見るな」
「見てませんっ!」
「いつ誰が来るかもしれない、というシチュエーションが、
お前の好みだとしても、ここはサウナだからな。
身体への負担を考えると、余りに危険過ぎる行為だと思うぞ?」
「冷静に忠告すんなよっ!」
ソクーロフはサウナ内の掛け時計を見上げ、
「さて、そろそろ出るか。お前の頭が茹で上がりそうだからな」
「茹で上がらねーよっ!」
サウナの外に出ると涼しく感じた。サウナの横にはシャワーが2つあった。
ソクーロフがシャワーを浴びたので、アイヴィーもそれに倣う。
サウナで汗ばんだ肌を少し冷たいシャワーが洗い流してくれる。
爽快だ。肌がピシリと引き締まった気がした。
キュッと隣のシャワーが止まった音がする。
アイヴィーもシャワーを止めた。
ソクーロフは次にどこへ向かうのか。
その背中に付いて行くと、今度は館内のオープンカフェに着いた。
ここでは、水着のまま飲食できるらしい。
ファーストフードのように先払い式のようで、ソクーロフが店員に注文をした。
「私はアイスコーヒーを。お前は?」
「ええっとー、じゃあ俺も同じので」
「畏まりました。ではロッカーキーのナンバーをお見せ頂けますか?」
「ああ、はいはい」
アイヴィーがもたつきながら腕のナンバーを店員のほうに向ける中、
ソクーロフはサッとスマートにこなしていた。
「ありがとうございます。それではお席でお待ち下さいませ」
パラソルの下に白いビーチチェアが並んでいる席があった。
ソクーロフがそこに寝そべったので、アイヴィーも隣に席を取る。
この辺りは熱帯植物と思われる木や花に囲まれている。
ビーチチェアの席には他に客は居なかった。
テーブル席のほうには、老夫婦らしき二人の男女が居る。
二人の前には、グラスに花が飾られた、イエローのドリンクがあった。
アイヴィーがビーチチェアに座ると、海型プールが見えた。
男が一人、サーフィンをしている。
人工的に作られた波の上で、サーフボードを胸に付け、
沖のほうに向かって、大きく手を掻いている。
ここでは波乗り練習もできるらしい。
水に入っていた時はエメラルドグリーン色の海だったが、
ここから見ると、近くで見た時より色が青っぽい。
なんとなくだが、ハワイのビーチにでも遊びに来ているような気持ちになれる。
「お待たせ致しました」
アイスコーヒーが来た。サイドテーブルにグラスが置かれる。
「どうぞごゆっくり」
グラスには黒いストローが入っていた。
咥えて吸うと、深い苦味が喉を流れていった。
隣のソクーロフも数口続けて飲んでいたので、
コーヒーに煩い先生の口にも合っていたのだろう。
喉を潤したソクーロフは、再びビーチチェアに寝そべった。
アイヴィーもゴロンと寝そべってみた。
向こうから波の音が聞こえる。
とてもゆったりした気分になっていた。
のんびりできて良いところだな、とアイヴィーは思う。
だが、アイヴィーの家の前には、本物の海があるのを思い出した。
窓を開ければ、潮風が入ってくるほどだ。
本物の波を見ている時より、作られた波を見ているほうが、
リラックスできるなんて、なんだか可笑しな話だ。
海型プールで、さっきのサーファーが波の上で立った。
ふらついているが、結構、波に乗れているなあ、
と思ったら、身体が右に傾いて、ザバーンと海に落ちた。
屋内サーフィンも楽しそうだ。
サーフボードもレンタルできるなら、あとで自分も、やってみようか。
波の音が聞こえる。心地良いリズムだ。
作り物の海と、本物の海は、一体何が違うんだろう。
唐突に、オルゴールのような音楽が館内に流れ始めた。
すると、フッと照明が暗くなり始めた。
アイヴィーはビーチチェアから身体を起こす。
「えっ、何? 何か始まるの?」
ソクーロフは寝そべったまま、
「まあ見ていろ」
音楽に合わせて、照明の色が変化していく。
ゆっくりと夕闇色に変わっていくのだ。そしてもっと暗くなる。
早送りで空が夕方から夜へ変わっていくかのようだ。
オルゴールが終わった時には、照明は夜の色になっていた。
天井にはプラネタリウムのように星が出ている。
辺りには、ぽうっとランプが照らされている。
さっきまでの明るいハワイアンな雰囲気とは全然違う。
一曲の間に、ムーディーな大人の空間になっていた。
「うーわ。なんか、男が女の子口説くのに良さそうな雰囲気になっちゃって」
「私に口説いて欲しい、という催促か?」
「だ、ダレがアンタなんかにっ!」
「そうか? 私は、やっと、お前を口説き落としたい気分になったのだがな?」
「………え?」
「暗くなってきたし、お前の裸が目の前にある」
ソクーロフはゆっくりと身を起こす。
眼鏡を掛けていない目が、こちらを見つめていた。
「お前とこのような場所で会うとは思わなかったぞ?
ここは、胸の傷が不特定多数の目に晒される場所だからな」
ソクーロフの視線は一点に向けられていた。
アイヴィーの左胸にある、古い傷跡に。
「口説き落としたいって、ソッチかよ」
「他に何がある?」
ソクーロフは席を立ち、アイヴィーの左側に立った。
「やはり本当は、誰かに見つけて欲しいんだろう?
そして、こう聞いて欲しいんだ。『その傷はどうしたんだ』と」
「違うよ、俺は見られたくなんか」
「私に嘘が通用すると思うのか?」
次の瞬間には、ビーチチェアに押し倒されていた。
左肩を押さえつけられ、左胸がのけぞる。
ソクーロフの目の前に、古傷が晒されていた。
「ちょ、こんな所で診察ゴッコは」
「ゴッコではない。生憎だが、私は本気だ」
「バカ、他の人に見られ」
「誰が見ている? 他には誰も居ないのに」
「な、何言って」
「ここには、私とお前しか居ないさ」
「いや、居るだろ。ほら、あそこ、に……」
アイヴィーは周りを見回し、唖然とした。
テーブル席に居た筈の老夫婦の姿がない。
カフェの店員も居なくなっている。
波乗りをしていたサーファーの姿も見えない。
誰も居ない。
さっきまでみんなそこに居たのに。どうして。
ギリとアイヴィーの左肩に痛みが走る。
肩を強く押さえつけられ、ソクーロフの爪が肩に食い込んでいた。
「……やっと、この傷を診る日が来たか」
その声からも、抑えられない興奮が伝わるようだった。
白くて長い人差し指が、傷口に近付いてくる。
その指を掴んで止めなくてはいけないのに。
アイヴィーの身体は動かせなくなっていた。
脳と身体を繋ぐ神経が切り離されてしまったかのようだ。
自分の身体に意思が伝えられない。見ていることしかできない。
ソクーロフの人差し指は、ゆっくりと傷に触れた。
つつつ、と傷跡をなぞられ、胸の筋肉がビクリと震える。
「傷跡は時間をかけて薄くなってはいるが」
「……さわん、な」
「この傷が付いたのは、おそらく」
「や……さわんなって……」
「お前がここに来る数年前、か?」
「ちがう……」
「傷を付けた凶器は」
「や、だ……ソクッ――」
制止の言葉は続かなかった。
アイヴィーの唇に柔らかい物が当たっていて、ソクーロフの顔が目の前にあった。
そっと言葉を塞いだだけで、ゆっくりとソクーロフは離れた。
「アンタ、何して……」
「もういい」
「何が」
「もう、隠さなくていい」
ふっとアイヴィーの視界が暗くなる。
アイヴィーの両目はソクーロフの片手で覆われていた。
「話せ」
耳許で優しい声がした。
真っ暗な世界でソクーロフの声だけが聞こえる。
「本当は、聞いて欲しかったんだろう? 誰かに」
どうしてなのか、頭がぼうっとしてくる。
「私が聞いてやる」
アイヴィーの両目を覆っている手は意外にも仄かに温かかった。
「話せ。この傷は、いつ、誰に付けられた?」
人の温もりだ。心地好いと感じている自分が居た。
不思議と気分が落ち着いてくる。
「この傷は……」
「この傷は?」
この人になら、隠さなくて良いのか。
委ねて良いのか、全てを――
「この、傷は……」
見えたのは、うちの天井だった。
アイヴィーは自宅のロングソファで目を覚ました。
目を覚ましたということは、それまで寝ていたということだ。
時計を見ると、火曜日の明け方だった。
休日はまだ始まっていなかった。
そう言えば、月曜日の夜は疲れていて、
帰宅後ソファで眠ってしまったような気がする。
「なんで、あんな夢見てんだよ、俺は……」
アイヴィーは深く息を吐き出し、また目を閉じた。
夢で見た内容は、はっきりと頭の中に残っていた。
普段は、起きると同時に忘れてしまうのに。
覚えているのは、いつも嫌な夢ばかりだ。
手を額に当てると、汗をかいていた。
首許もじっとり濡れている。
部屋の中が少し暑い。風に当たりたい。
ソファから立ち上がると、足が一度ふらついた。
足に力を入れて、窓まで辿り着き、窓を開けた。
涼しい。外の空気が部屋に流れ込んでくる。
明け方の海が見える。淡いブルー。
日中になれば、もっと色の濃いブルーになるだろう。
アイヴィーは、そうか、と思う。
作り物の海と本物の海は何が違うのか。
潮風に吹かれていたら答えが解った。
スパでは、潮の香りがしなかった。
fin
■癒されないスパ1 続編
洞窟のようなスパエリアに行くと、円形のジャグジーバスが3つ並んでいた。
底のほうから白くライトアップされて、なんだか幻想的にさえ見える。
薄暗い中で、淡く照らされたジャグジーは弾ける泡まで綺麗だった。
3つあるうち、一番奥のジャグジーにだけ人が入っていた。
円の淵に背を預けて浸かっている。
横顔しか見えなかったが、白い肩に長い髪が下ろされている。
ライトで照らされた長い髪は銀髪のようにも見えた。
「ア、アレ!? もしかして、ソクちゃん?」
こちらを向いた顔は、眼鏡はしていなかったが、
やはり、聖アルフォンソ学院の保健室の先生だった。
「アイヴィーか? よく見えないが」
先生は目を細めていた。裸眼で遠くが見えないらしい。
アイヴィーは近付いていって、ソクーロフが居るジャグジーにちゃぽんと入った。
水温がプールよりあたたかくて、なんだかほっとした。
「これで見えた?」
「ああ。間抜け面がな」
「間抜けじゃないー!」
泡が肌にシュワシュワと吸い付いてくる。
ソクーロフは髪を掻き上げながら、
「お前、何故、このようなところに居る?」
「いやー、さっき福引きでスパのタダ券が当たっちゃってさー」
「福引き?」
「ソクちゃんこそ、なんでここに?」
「私が仕事帰りにスパに寄っては悪いのか?
私は以前から時々ここに来ているぞ、お前と違ってな」
「そーだったの? 知らなかった。でもスゴイ偶然だよね。
俺は今日初めて来たのに、ソクちゃんと会うなんて」
「それはこちらの台詞だがな」
「え?」
「初心者のお前に、このジャグジーの気持ちの良い入り方を教えてやろうか?」
「気持ちの良い入り方?」
「まず、円の中央に立ってみろ」
「真ん中に立てば良いの?」
アイヴィーは立ち上がって、ジャグジーの中央に移動する。
ジャグジーの泡がブクブクと両足に当たった。
「それで?」
「そのまま真っ直ぐ、腰を落として座れ。ゆっくりな?」
言われるまま、垂直に立った姿勢から腰を落としていく。
ソクーロフは微笑を浮かべながら見守っていた。
アイヴィーはゆっくり膝を曲げながら、腰、胸と水面に入っていく。
肩まで浸かった時、やっとソクーロフが微笑していた意味が解った。
アイヴィーは慌てて中央の位置から離れる。
「ちょ、ソクちゃん!」
「なんだ?」
「ブクブクがイケナイとこ刺激したんですけど!? モロに! 直撃!」
中央に立った時、両足に泡が当たった時点で気付くべきだった。
「……ソ、ソクちゃんって、スパ来て、いつもこういうコトやってんの?」
「まさか。私はしないが、お前は、こういうのが好きなんだろう?」
「スキじゃないよっ! つか、公共の場で何やらしてんのっ!?
ヘンタイさんにも限度ってものが」
「さて、次に行くか」
「スルーかよ!?」
ジャグジーから上がったソクーロフを追いかけて行くと、
木でできた小屋があった。小さめのログハウスのような物だ。
「この中にもスパがあるの? 小さいけど」
「ここはサウナさ」
→
底のほうから白くライトアップされて、なんだか幻想的にさえ見える。
薄暗い中で、淡く照らされたジャグジーは弾ける泡まで綺麗だった。
3つあるうち、一番奥のジャグジーにだけ人が入っていた。
円の淵に背を預けて浸かっている。
横顔しか見えなかったが、白い肩に長い髪が下ろされている。
ライトで照らされた長い髪は銀髪のようにも見えた。
「ア、アレ!? もしかして、ソクちゃん?」
こちらを向いた顔は、眼鏡はしていなかったが、
やはり、聖アルフォンソ学院の保健室の先生だった。
「アイヴィーか? よく見えないが」
先生は目を細めていた。裸眼で遠くが見えないらしい。
アイヴィーは近付いていって、ソクーロフが居るジャグジーにちゃぽんと入った。
水温がプールよりあたたかくて、なんだかほっとした。
「これで見えた?」
「ああ。間抜け面がな」
「間抜けじゃないー!」
泡が肌にシュワシュワと吸い付いてくる。
ソクーロフは髪を掻き上げながら、
「お前、何故、このようなところに居る?」
「いやー、さっき福引きでスパのタダ券が当たっちゃってさー」
「福引き?」
「ソクちゃんこそ、なんでここに?」
「私が仕事帰りにスパに寄っては悪いのか?
私は以前から時々ここに来ているぞ、お前と違ってな」
「そーだったの? 知らなかった。でもスゴイ偶然だよね。
俺は今日初めて来たのに、ソクちゃんと会うなんて」
「それはこちらの台詞だがな」
「え?」
「初心者のお前に、このジャグジーの気持ちの良い入り方を教えてやろうか?」
「気持ちの良い入り方?」
「まず、円の中央に立ってみろ」
「真ん中に立てば良いの?」
アイヴィーは立ち上がって、ジャグジーの中央に移動する。
ジャグジーの泡がブクブクと両足に当たった。
「それで?」
「そのまま真っ直ぐ、腰を落として座れ。ゆっくりな?」
言われるまま、垂直に立った姿勢から腰を落としていく。
ソクーロフは微笑を浮かべながら見守っていた。
アイヴィーはゆっくり膝を曲げながら、腰、胸と水面に入っていく。
肩まで浸かった時、やっとソクーロフが微笑していた意味が解った。
アイヴィーは慌てて中央の位置から離れる。
「ちょ、ソクちゃん!」
「なんだ?」
「ブクブクがイケナイとこ刺激したんですけど!? モロに! 直撃!」
中央に立った時、両足に泡が当たった時点で気付くべきだった。
「……ソ、ソクちゃんって、スパ来て、いつもこういうコトやってんの?」
「まさか。私はしないが、お前は、こういうのが好きなんだろう?」
「スキじゃないよっ! つか、公共の場で何やらしてんのっ!?
ヘンタイさんにも限度ってものが」
「さて、次に行くか」
「スルーかよ!?」
ジャグジーから上がったソクーロフを追いかけて行くと、
木でできた小屋があった。小さめのログハウスのような物だ。
「この中にもスパがあるの? 小さいけど」
「ここはサウナさ」
→
■アイヴィー
今日は火曜日。休日の日課でアイヴィーはスーパーに行った。
レジでお金を渡すと、レシートと一緒に何か長方形の紙を渡された。
何だろうと思って、そのピンクで花柄の紙を見ていると、
「今年も商店街で『花の福引き祭り』をやってんのさ」
レジのオバチャンが教えてくれた。
「その引換券1枚で、1回クジが引けるよ」
「ああ、もうそんな季節なんだ」
「そうさ。もうすぐ花祭りだからね」
花祭り前の季節に、この辺の商店街が毎年やっている福引き大会だ。
アイヴィーはクジ運が悪いのか、その手の物に当たった試しがなかった。
「抽選会はいつもの広場でやってるから、帰りに1回、引いといでよ」
せっかく貰ったんだし、と思い、スーパーを出たあと広場に行った。
大きなオレンジ色のボックスにクジが入っているようだ。
親子連れが丁度クジを引いているところで、
係のオジサンが手で持っている大きいボックスに男の子が手を突っ込んでいた。
「大当たりー! ティッシュ賞だー!」
カランコローン、とハンドベルを鳴らされ、
テイッシュを貰った男の子はポカンとした顔で
「これ、大当たり?」
「おう! 大当たりのテイッシュ賞さ!」
「じゃあ、ママにあげる!」
「おっ! エライなあ! 将来イイ男になるぞー!」
オジサンに頭を撫でられた男の子は、母親と手を繋いで帰っていった。
親子連れを見送りながら、アイヴィーはオジサンに抽選券を渡した。
「おっ。アイヴィーじゃないか。いらっしゃい!」
「こんちは。オジサンさ、何でもかんでも大当たりって言ってない?」
「大当たりだったから、大当たりって言っただけさ。
さあ、アイヴィーは何回だい? 1回だね。じゃ、景気良く引いた引いた!」
机の上に置かれたボックスに手を入れる。たくさんの紙が入っていた。
こんなの当たるわけがないと思うのに、いざ引くとなると、
やっぱりテイッシュ以外を当てたいと思うのはどうしてだろう。
ゴソゴソと少し探ってから、一枚引き、オジサンに渡した。
「あいよ。さあ、何が出るかなー?」
なんだかオジサンが一番楽しそうだ。
四角い小さな紙を破き、その中を見たオジサンは、
カランコローン、とハンドベルを鳴らした。
「大当たりー!」
「ありゃ。やっぱティッシュ賞?」
「いやいや、三等賞だよ! おめでとうアイヴィー!」
「さ、三等?」
「三等賞はスパのご招待券だー! タダ券だよ、タダ券!
アイヴィー、今日は休みなんだろ? 今から行ってきたらどうだい?」
「今から? そろそろ夜だけど」
「大丈夫だよ、あそこは遅くまでやってるから。
たまにはああいう所でのんびりして、日頃の疲れを癒しといで!」
行ってこい行ってこいと背中を押され、流れでスパまで来てしまった。
当たったばかりの招待券をフロントに渡すと、
上品な笑顔で「おめでとうございます」と言われ、
ホントにタダで一日自由に過ごせるとのことだった。
ここは水着のままプールやスパに入れるそうだ。
「なお、館内でご飲食される場合は、腕に身に付けて頂くロッカーキーの、
ナンバーで全てのご購入が可能です。ナンバーをお見せ頂ければ、
お帰りの際にこちらでご精算となります」
「へえ」
買い物する時にサイフが要らないとは便利なシステムだ。
「お客様にも、ご注文の際にはナンバーをお見せ頂きますが、
お客様はご招待券をお持ちですので、ご精算時には無料となります」
「ホント?」
「はい。本日は何をご注文されても無料でございます」
水着とタオルとガウンもタダでレンタルして、更衣室へ。
借りた水着は青のトランクスだった。
水着を着て、ロッカーキーのバンドを腕に巻き付け、浴場に出た。
「えっと……ハワイ?」
目の前に広がっているのは、南国の海のようなプールだった。
色はエメラルドグリーンに近く、実際に波まで出ている。
あちらこちらに熱帯植物があるし、気温も明らかに外より暑い。
アイヴィーがこの島のスパに来るのは今日が初めてだが、
こんなに派手で本格的なリゾート施設だとは思わなかった。
ここから見える範囲に、小さい子供やマージナルプリンスどもの姿はなかった。
平日の夕食時であるせいか、お客さんは大人が数人しか居ないようだ。
アイヴィーと同じように今日が休日の人か、仕事帰りに寄ったのかもしれない。
こんなに広い館内が、ほぼ貸し切り状態だ。
非日常な光景に少しだけワクワクしている自分が居た。
「もう来ちゃったんだし、ひと泳ぎしてみますか」
奥がスパエリアで、手前がプールエリアのようだった。
プールエリアは、海型プール以外にも何種類かプールが見える。
アイヴィーはとりあえず、一番近くの海型プールに入ってみることにした。
足先から入れて、肩まで水面に入ると、ヒヤリとした。
暑かったので、水の冷たさが気持ち良い。
そう言えば、プールで泳ぐこと自体、随分久し振りな気がした。
ザブン、ザブンと白波が定期的にやってくる。室内で波に揺られる感覚が面白い。
最初は場違いなところに一人で来ちゃった感があったけど、
軽く泳いでいる間に、水の心地好い冷たさも、
徐々に肌に馴染み、冷たさを感じなくなってくる。
水との一体感、なんて言うのもヘンだけど、
段々、身体と水の温度差がなくなっていくような気がした。
あっという間に30分くらい経っていた。無心で泳いでいたらしい。
プールから上がり、今度はスパエリアに行ってみることにした。
→
レジでお金を渡すと、レシートと一緒に何か長方形の紙を渡された。
何だろうと思って、そのピンクで花柄の紙を見ていると、
「今年も商店街で『花の福引き祭り』をやってんのさ」
レジのオバチャンが教えてくれた。
「その引換券1枚で、1回クジが引けるよ」
「ああ、もうそんな季節なんだ」
「そうさ。もうすぐ花祭りだからね」
花祭り前の季節に、この辺の商店街が毎年やっている福引き大会だ。
アイヴィーはクジ運が悪いのか、その手の物に当たった試しがなかった。
「抽選会はいつもの広場でやってるから、帰りに1回、引いといでよ」
せっかく貰ったんだし、と思い、スーパーを出たあと広場に行った。
大きなオレンジ色のボックスにクジが入っているようだ。
親子連れが丁度クジを引いているところで、
係のオジサンが手で持っている大きいボックスに男の子が手を突っ込んでいた。
「大当たりー! ティッシュ賞だー!」
カランコローン、とハンドベルを鳴らされ、
テイッシュを貰った男の子はポカンとした顔で
「これ、大当たり?」
「おう! 大当たりのテイッシュ賞さ!」
「じゃあ、ママにあげる!」
「おっ! エライなあ! 将来イイ男になるぞー!」
オジサンに頭を撫でられた男の子は、母親と手を繋いで帰っていった。
親子連れを見送りながら、アイヴィーはオジサンに抽選券を渡した。
「おっ。アイヴィーじゃないか。いらっしゃい!」
「こんちは。オジサンさ、何でもかんでも大当たりって言ってない?」
「大当たりだったから、大当たりって言っただけさ。
さあ、アイヴィーは何回だい? 1回だね。じゃ、景気良く引いた引いた!」
机の上に置かれたボックスに手を入れる。たくさんの紙が入っていた。
こんなの当たるわけがないと思うのに、いざ引くとなると、
やっぱりテイッシュ以外を当てたいと思うのはどうしてだろう。
ゴソゴソと少し探ってから、一枚引き、オジサンに渡した。
「あいよ。さあ、何が出るかなー?」
なんだかオジサンが一番楽しそうだ。
四角い小さな紙を破き、その中を見たオジサンは、
カランコローン、とハンドベルを鳴らした。
「大当たりー!」
「ありゃ。やっぱティッシュ賞?」
「いやいや、三等賞だよ! おめでとうアイヴィー!」
「さ、三等?」
「三等賞はスパのご招待券だー! タダ券だよ、タダ券!
アイヴィー、今日は休みなんだろ? 今から行ってきたらどうだい?」
「今から? そろそろ夜だけど」
「大丈夫だよ、あそこは遅くまでやってるから。
たまにはああいう所でのんびりして、日頃の疲れを癒しといで!」
行ってこい行ってこいと背中を押され、流れでスパまで来てしまった。
当たったばかりの招待券をフロントに渡すと、
上品な笑顔で「おめでとうございます」と言われ、
ホントにタダで一日自由に過ごせるとのことだった。
ここは水着のままプールやスパに入れるそうだ。
「なお、館内でご飲食される場合は、腕に身に付けて頂くロッカーキーの、
ナンバーで全てのご購入が可能です。ナンバーをお見せ頂ければ、
お帰りの際にこちらでご精算となります」
「へえ」
買い物する時にサイフが要らないとは便利なシステムだ。
「お客様にも、ご注文の際にはナンバーをお見せ頂きますが、
お客様はご招待券をお持ちですので、ご精算時には無料となります」
「ホント?」
「はい。本日は何をご注文されても無料でございます」
水着とタオルとガウンもタダでレンタルして、更衣室へ。
借りた水着は青のトランクスだった。
水着を着て、ロッカーキーのバンドを腕に巻き付け、浴場に出た。
「えっと……ハワイ?」
目の前に広がっているのは、南国の海のようなプールだった。
色はエメラルドグリーンに近く、実際に波まで出ている。
あちらこちらに熱帯植物があるし、気温も明らかに外より暑い。
アイヴィーがこの島のスパに来るのは今日が初めてだが、
こんなに派手で本格的なリゾート施設だとは思わなかった。
ここから見える範囲に、小さい子供やマージナルプリンスどもの姿はなかった。
平日の夕食時であるせいか、お客さんは大人が数人しか居ないようだ。
アイヴィーと同じように今日が休日の人か、仕事帰りに寄ったのかもしれない。
こんなに広い館内が、ほぼ貸し切り状態だ。
非日常な光景に少しだけワクワクしている自分が居た。
「もう来ちゃったんだし、ひと泳ぎしてみますか」
奥がスパエリアで、手前がプールエリアのようだった。
プールエリアは、海型プール以外にも何種類かプールが見える。
アイヴィーはとりあえず、一番近くの海型プールに入ってみることにした。
足先から入れて、肩まで水面に入ると、ヒヤリとした。
暑かったので、水の冷たさが気持ち良い。
そう言えば、プールで泳ぐこと自体、随分久し振りな気がした。
ザブン、ザブンと白波が定期的にやってくる。室内で波に揺られる感覚が面白い。
最初は場違いなところに一人で来ちゃった感があったけど、
軽く泳いでいる間に、水の心地好い冷たさも、
徐々に肌に馴染み、冷たさを感じなくなってくる。
水との一体感、なんて言うのもヘンだけど、
段々、身体と水の温度差がなくなっていくような気がした。
あっという間に30分くらい経っていた。無心で泳いでいたらしい。
プールから上がり、今度はスパエリアに行ってみることにした。
→
■シルヴァン ハルヤ テオ
■シハル姉さん、リクエストありがとうございました!
■シハル姉さん、リクエストありがとうございました!
天気の良い放課後。
ハルヤはシルヴァンと一緒に校舎から寮へ帰るところだった。
今は夕方と言える時刻だが、空はまだ明るく、肌寒くもない。
春になって、明るい時間は徐々に増えていた。
「ハルヤ。ウーティスへ帰る前に、シュヌーシアに寄っても良いですか?」
ウーティスというのは自分達が暮らしている第一学生寮。
シュヌーシアは第三学生寮で、一番新しい寮だと前に聞いた。
「良いけど、なんか用事?」
「はい! テオがカブキのビデオを貸してくれるんです。
良かったら、あとで、ハルヤも一緒に見ませんか?
さっきみたいに、色々教えて欲しいですー」
「歌舞伎か。見たことある演目じゃないと解んないと思うけど」
「ハルヤはカブキを生で見たことあるんですか!?」
「小さい時に、じいさまに連れられて、ちょっとね。勉強になるからって」
歌舞伎の話をさせられながら、シュヌーシア寮に着いた。
シルヴァンはテオの部屋には向かわず、サロンのドアを開けた。
ハルヤがシルヴァンの背中から、少し顔を出すと、
サロンには寮生がいつも以上に集まっていた。
テーブルの上や周りには、何かカラフルな物が散乱している。
窓際の花瓶には、白いユリの花が飾られていた。
「こんにちはー! テオ、居ますかー?」
「おや、シルヴァン」
天然の緩やかな波がある金髪がすぐに振り向いた。
この人がシュヌーシアの最上級生で、今年の生徒代表テオ・メネシス。
ハルヤは反射的に、シルヴァンの背中に半身を隠す。
「と、東洋の黒い真珠じゃないか!」
当然すぐに見つかってしまった。
テオは、右手に黄色くて丸い何かを持ったまま、
抱きつかんばかりの勢いで、こちらに近付いてくる。
「君達お揃いで、私に会いに来てくれたのかい!?」
「この前約束していた、カブキのビデオを借りに来たんですよ」
「ああ、あのカブキの!」
「良かったら、今、お借りできますか?」
「もちろん! 部屋へ取りに行ってくるから、ここで待っていてくれるかい?」
「はい! ありがとうございますー!」
手に持っていた黄色くて丸い物をテーブルに置いて、テオはサロンを出て行った。
テオの姿が見えなくなると、ハルヤはシルヴァンの後ろから前に出てきた。
テオがテーブルの上に置いた物は、黄色くて薄いプラスチックのケースだった。
卵のような形をしていて、真ん中が割れるようになっている。
他の生徒達の周りにも、それがたくさん転がっており、
色は黄色だけでなく、青や緑に虹色など、何種類もあるようだった。
「これは何だろう、って顔してるね?」
ハルヤの心を読んだのは、シュヌーシアの生徒で、シルフェという人だ。
学年はハルヤと同じ高等部一年なのだが、同い年とは思えないくらい、
妙に大人っぽい雰囲気のある人だった。
シルフェはピンク色の卵型ケースを見せながら、
「東洋の黒い真珠は、したことないのかな? コレ」
「うん」
ハルヤが頷くと、周りの生徒達は純粋に驚いたようで、
珍しいものを見るような目で、一斉に見られて、ハルヤはビクリとする。
「明後日の準備ですか」
シルヴァンはテーブルの上から、青い星柄の卵型ケースをひとつ手に取りながら、
「これはエッグハント用のエッグですよ、ハルヤ」
「えっぐはんと?」
「この卵を隠して、たくさん見つけた人が勝ち、
というゲームなんですが、聞いたことありません?
イースターのイベントのひとつなんですが」
「イースターって、キリスト教の復活祭だよね?
ゆで卵に絵の具を塗ったりするだけじゃないんだ?」
「ああ、そこまではご存知なんですね? そうですよ。
ゆで卵を綺麗に飾るエッグペイントもありますが、
エッグハントでは、プラスチックのエッグを使ったりするんです、最近は。
このケースの中にお菓子やオモチャを入れることができますから」
ハルヤのブレザーが下から引っ張られる。
ブレザーの裾を持っていたのは、シュヌーシアの小さい子。
確か、中等部二年生のラビという子だ。ラビはハルヤを見上げながら、
「じゃあ、東洋の黒い真珠は、エッグロールもやったことないの?」
「う、うん。エッグロールって?」
「イースターエッグを転がすんだよ、割らないように」
「そんなのもあるんだ。イースターって、意外と忙しいんだね」
笑いが起きたところで、テオが帰ってきた。
「おやおや、みんな楽しそうだね。
あ、シルヴァン、これがお約束のカブキビデオだよ」
「ありがとうございますー!」
「ねえ、テオ、聞いてー」
「ん? なんだい、ラビ」
「今、みんなで話してたんだけどね、東洋の黒い真珠は、
エッグハントもエッグロールもやったことないんだってー」
余計なことを言われた、とハルヤが思った時にはもう遅い。
恐る恐るテオのほうを見ると、キラキラと輝いた眼差しが向けられていた。
fin
ハルヤはシルヴァンと一緒に校舎から寮へ帰るところだった。
今は夕方と言える時刻だが、空はまだ明るく、肌寒くもない。
春になって、明るい時間は徐々に増えていた。
「ハルヤ。ウーティスへ帰る前に、シュヌーシアに寄っても良いですか?」
ウーティスというのは自分達が暮らしている第一学生寮。
シュヌーシアは第三学生寮で、一番新しい寮だと前に聞いた。
「良いけど、なんか用事?」
「はい! テオがカブキのビデオを貸してくれるんです。
良かったら、あとで、ハルヤも一緒に見ませんか?
さっきみたいに、色々教えて欲しいですー」
「歌舞伎か。見たことある演目じゃないと解んないと思うけど」
「ハルヤはカブキを生で見たことあるんですか!?」
「小さい時に、じいさまに連れられて、ちょっとね。勉強になるからって」
歌舞伎の話をさせられながら、シュヌーシア寮に着いた。
シルヴァンはテオの部屋には向かわず、サロンのドアを開けた。
ハルヤがシルヴァンの背中から、少し顔を出すと、
サロンには寮生がいつも以上に集まっていた。
テーブルの上や周りには、何かカラフルな物が散乱している。
窓際の花瓶には、白いユリの花が飾られていた。
「こんにちはー! テオ、居ますかー?」
「おや、シルヴァン」
天然の緩やかな波がある金髪がすぐに振り向いた。
この人がシュヌーシアの最上級生で、今年の生徒代表テオ・メネシス。
ハルヤは反射的に、シルヴァンの背中に半身を隠す。
「と、東洋の黒い真珠じゃないか!」
当然すぐに見つかってしまった。
テオは、右手に黄色くて丸い何かを持ったまま、
抱きつかんばかりの勢いで、こちらに近付いてくる。
「君達お揃いで、私に会いに来てくれたのかい!?」
「この前約束していた、カブキのビデオを借りに来たんですよ」
「ああ、あのカブキの!」
「良かったら、今、お借りできますか?」
「もちろん! 部屋へ取りに行ってくるから、ここで待っていてくれるかい?」
「はい! ありがとうございますー!」
手に持っていた黄色くて丸い物をテーブルに置いて、テオはサロンを出て行った。
テオの姿が見えなくなると、ハルヤはシルヴァンの後ろから前に出てきた。
テオがテーブルの上に置いた物は、黄色くて薄いプラスチックのケースだった。
卵のような形をしていて、真ん中が割れるようになっている。
他の生徒達の周りにも、それがたくさん転がっており、
色は黄色だけでなく、青や緑に虹色など、何種類もあるようだった。
「これは何だろう、って顔してるね?」
ハルヤの心を読んだのは、シュヌーシアの生徒で、シルフェという人だ。
学年はハルヤと同じ高等部一年なのだが、同い年とは思えないくらい、
妙に大人っぽい雰囲気のある人だった。
シルフェはピンク色の卵型ケースを見せながら、
「東洋の黒い真珠は、したことないのかな? コレ」
「うん」
ハルヤが頷くと、周りの生徒達は純粋に驚いたようで、
珍しいものを見るような目で、一斉に見られて、ハルヤはビクリとする。
「明後日の準備ですか」
シルヴァンはテーブルの上から、青い星柄の卵型ケースをひとつ手に取りながら、
「これはエッグハント用のエッグですよ、ハルヤ」
「えっぐはんと?」
「この卵を隠して、たくさん見つけた人が勝ち、
というゲームなんですが、聞いたことありません?
イースターのイベントのひとつなんですが」
「イースターって、キリスト教の復活祭だよね?
ゆで卵に絵の具を塗ったりするだけじゃないんだ?」
「ああ、そこまではご存知なんですね? そうですよ。
ゆで卵を綺麗に飾るエッグペイントもありますが、
エッグハントでは、プラスチックのエッグを使ったりするんです、最近は。
このケースの中にお菓子やオモチャを入れることができますから」
ハルヤのブレザーが下から引っ張られる。
ブレザーの裾を持っていたのは、シュヌーシアの小さい子。
確か、中等部二年生のラビという子だ。ラビはハルヤを見上げながら、
「じゃあ、東洋の黒い真珠は、エッグロールもやったことないの?」
「う、うん。エッグロールって?」
「イースターエッグを転がすんだよ、割らないように」
「そんなのもあるんだ。イースターって、意外と忙しいんだね」
笑いが起きたところで、テオが帰ってきた。
「おやおや、みんな楽しそうだね。
あ、シルヴァン、これがお約束のカブキビデオだよ」
「ありがとうございますー!」
「ねえ、テオ、聞いてー」
「ん? なんだい、ラビ」
「今、みんなで話してたんだけどね、東洋の黒い真珠は、
エッグハントもエッグロールもやったことないんだってー」
余計なことを言われた、とハルヤが思った時にはもう遅い。
恐る恐るテオのほうを見ると、キラキラと輝いた眼差しが向けられていた。
fin
■闇の家系13 後日談
■カーシャ様お誕生日記念おまけ作品
■カーシャ様お誕生日記念おまけ作品
聖アルフォンソ学院に鐘の音が鳴る。
一日の授業が終わり、放課後の時間となった。
ここ保健室には、クラシックの音楽がゆるやかに流れていた。
ソクーロフ博士は机に向かっている。
机の上には数枚に渡るカルテが乗っていた。
博士は机に両肘を着き、両手の指を組んでいる。
祈り、もしくは、懺悔のような姿勢で、目を瞑っていた。
保健室で音を発しているのは、カセットテープだけ。
バッハ作曲のゴルトベルク変奏曲。
それはソクーロフがカルテを書く際によく流れている曲だった。
すると、保健室の外から僅かに足音が聞こえてきた。
博士は目を開け、机上のカルテを手早く裏返しにする。
まもなく、コンコン、と二回ドアがノックされた。
博士はカセットテープの停止ボタンを押したあと言った。
「入りたまえ」
「失礼します」
きちんとドアを閉めてから、中へ入ってきたのは、緋色の瞳を持つ生徒。
昨日、ロンドンから戻ってきたジョシュア・グラントだった。
「やあ。そろそろ来る頃だと思っていたよ、ジョシュア」
「博士、アイヴィーの肩、診て頂けましたか?」
授業中もそれが気になって仕方がなかった、と言わんばかりの表情だ。
挨拶も抜きで用件を先に口にするとは、
いつも礼儀正しいこの子にしては珍しいことだ、と博士は思う。
「診たよ。昨日、君が教えてくれたからね?
あのあと、すぐに、きっちり診察をして、適切な処置をしておいた」
「どうでした? 大丈夫でしたか?」
「ああ。心配は要らないよ。軽い打撲だからね。
念の為、レントゲンも撮ったが、骨にも異常はなかった」
「そうですか……ありがとうございます、博士」
「いいや。怪我人を診るのは、私の仕事だからね」
「でも、俺……俺のせいで、アイヴィーと、
レイナさんにも怪我をさせてしまったんです。
誰にも傷付いて欲しくなかったのに、二人とも俺を守る為に……」
「アイヴィーから聞いたよ。グラント家に泊まった夜、
君はアイヴィーを叱ってくれたそうだね?
『死んでも守るなんて言わないで下さい』、『一緒に島に帰りましょう』と」
「はい……でも、結局」
「警備の人間というのはね、ジョシュア。本人がその気になれば、
いつだって、仕事を理由に、命を落とせるものなんだよ?」
「えっ?」
「アイヴィーが君を守った時も、やり方によっては、
犯人に殺されてしまうこともできた筈だ。けれど、彼はそうしなかった。
最小限の怪我で済み、全員無事に帰れたのは、
ジョシュア、君のおかげだったと私は思うよ?」
「博士……」
「しかし、不必要な怪我をして、君に心配をかけた点については、
私から厳しく注意しておいた。本人は『素人さん相手だったから、
逆にやりにくくて、つい一発やられてしまった』などと、
つまらない言い訳をしていたがね」
ジョシュアは不思議そうに博士を見つめたあと、ふっと笑みを溢した。
「仲が良いですよね、博士とアイヴィーって」
「……ん?」
「博士は、俺達生徒には優しいですけど、アイヴィーには、時々、
遠慮のないことを言いますよね? ミーティングの時とか。
だから、博士にとってアイヴィーは、大切な友人なんだろうなって」
「……友人などではないよ、あれは」
「えっ? 違うんですか?」
「あれは、ただの」
コンコンコン、と軽快に三回、保健室のドアがノックされた。
fin
一日の授業が終わり、放課後の時間となった。
ここ保健室には、クラシックの音楽がゆるやかに流れていた。
ソクーロフ博士は机に向かっている。
机の上には数枚に渡るカルテが乗っていた。
博士は机に両肘を着き、両手の指を組んでいる。
祈り、もしくは、懺悔のような姿勢で、目を瞑っていた。
保健室で音を発しているのは、カセットテープだけ。
バッハ作曲のゴルトベルク変奏曲。
それはソクーロフがカルテを書く際によく流れている曲だった。
すると、保健室の外から僅かに足音が聞こえてきた。
博士は目を開け、机上のカルテを手早く裏返しにする。
まもなく、コンコン、と二回ドアがノックされた。
博士はカセットテープの停止ボタンを押したあと言った。
「入りたまえ」
「失礼します」
きちんとドアを閉めてから、中へ入ってきたのは、緋色の瞳を持つ生徒。
昨日、ロンドンから戻ってきたジョシュア・グラントだった。
「やあ。そろそろ来る頃だと思っていたよ、ジョシュア」
「博士、アイヴィーの肩、診て頂けましたか?」
授業中もそれが気になって仕方がなかった、と言わんばかりの表情だ。
挨拶も抜きで用件を先に口にするとは、
いつも礼儀正しいこの子にしては珍しいことだ、と博士は思う。
「診たよ。昨日、君が教えてくれたからね?
あのあと、すぐに、きっちり診察をして、適切な処置をしておいた」
「どうでした? 大丈夫でしたか?」
「ああ。心配は要らないよ。軽い打撲だからね。
念の為、レントゲンも撮ったが、骨にも異常はなかった」
「そうですか……ありがとうございます、博士」
「いいや。怪我人を診るのは、私の仕事だからね」
「でも、俺……俺のせいで、アイヴィーと、
レイナさんにも怪我をさせてしまったんです。
誰にも傷付いて欲しくなかったのに、二人とも俺を守る為に……」
「アイヴィーから聞いたよ。グラント家に泊まった夜、
君はアイヴィーを叱ってくれたそうだね?
『死んでも守るなんて言わないで下さい』、『一緒に島に帰りましょう』と」
「はい……でも、結局」
「警備の人間というのはね、ジョシュア。本人がその気になれば、
いつだって、仕事を理由に、命を落とせるものなんだよ?」
「えっ?」
「アイヴィーが君を守った時も、やり方によっては、
犯人に殺されてしまうこともできた筈だ。けれど、彼はそうしなかった。
最小限の怪我で済み、全員無事に帰れたのは、
ジョシュア、君のおかげだったと私は思うよ?」
「博士……」
「しかし、不必要な怪我をして、君に心配をかけた点については、
私から厳しく注意しておいた。本人は『素人さん相手だったから、
逆にやりにくくて、つい一発やられてしまった』などと、
つまらない言い訳をしていたがね」
ジョシュアは不思議そうに博士を見つめたあと、ふっと笑みを溢した。
「仲が良いですよね、博士とアイヴィーって」
「……ん?」
「博士は、俺達生徒には優しいですけど、アイヴィーには、時々、
遠慮のないことを言いますよね? ミーティングの時とか。
だから、博士にとってアイヴィーは、大切な友人なんだろうなって」
「……友人などではないよ、あれは」
「えっ? 違うんですか?」
「あれは、ただの」
コンコンコン、と軽快に三回、保健室のドアがノックされた。
fin
■闇の家系12 続編
ロンドンでの事情聴取などに時間を取られ、当初の予定より少々遅くはなったが、
アイヴィーとジョシュアは無事、アルフォンソ島に戻ってくることができた。
学院に着くなりソクーロフと会ったジョシュアは、開口一番こう言った。
「すみません。俺のせいでアイヴィーが肩に怪我をしてしまったんです」
おかげでアイヴィーは、すぐに保健室に引き渡されてしまった。
長時間の診察、治療からやっと解放されたアイヴィーは、
口を尖らせながら、ワイシャツのボタンを止めていた。
「もう……診察が念入り過ぎんだよ、ソクちゃんは……」
「くまなく診るようにと、ジョシュアに頼まれたからな」
「クマナクなんてジョシュアは言ってなかったー!」
すると、唐突にソクーロフは白衣を脱き始めた。
「えっ? ちょっとソクちゃん!?」
「出るぞ」
ソクーロフは黒いスーツを来て、薄手のロングコートに腕を通していた。
ソクーロフの命令により、保健室を出たあとは、
アイヴィーが運転する車で旧市街に向かった。
行き先は、二人が行きつけの静かなバーだった。
アイヴィーの飲み物は、この島では『竜の涙』と呼ばれているレモンソーダ。
ソクーロフは、普段飲んでいるものとは違うウイスキーのロック。
つまみは、アイヴィーが注文したフライドポテト、ドイツソーセージと、
ソクーロフが注文したチーズに、生チョコレートだ。
そこでアイヴィーは「ロンドンから電話した以降に起きたことについて話せ」
とソクーロフに命ぜられた。アイヴィーが説明している間、
ソクーロフはたまに質問を挟む程度で殆ど黙っていた。
報告があらかた終わったところで、アイヴィーは飲み物のおかわりを注文した。
その際に、ソクーロフも同じウイスキーをもう一杯頼んだ。
二人のおかわりが来たあと、つまみは食べ物から煙草に変わった。
香りの異なる紫煙が、もくもくと二人の頭上に昇っていく。
「これで事件は無事に解決、か」
ソクーロフは灰皿の隅を灰を落とす。
「ジョシュアが無傷だった点は幸いだったがな」
「気に入らない、ってカオだね?」
ソクーロフはチラリとアイヴィーを見たあと、
何も答えないまま煙草を吹かした。
辺りはまたソクーロフの煙草の香りで満ちる。
「どーして、そんなにご機嫌ナナメなのさ?
あ! もしかしてー、ソクちゃんは当主か秘書がアヤシイと踏んでたから、
自分の推理が当たんなくて拗ねてんじゃないのー?」
「誰が拗ねるか」
「あははっ。でも現実に起こる事件なんて、こんなもんでしょ?
ソクちゃんは、難しい本の読み過ぎなんだよ。
ああいう本って、ダイイング・メッセージとかよくあるけどさ。
俺だったら、死ぬ前に少し時間あったとしても、
『ああ、死ぬんだな』と思うことしかできないねー」
ソクーロフは親指で自分の下唇をなぞったあと、成程、と呟いた。
「で? やっぱ犯人が当たらなかったのが、お気に召さないワケ?」
ソクーロフは、もう一度、煙草を吹かせたあと、こう言った。
「お前から電話があった日の夜、不可思議な夢を見ただけだ」
「え、夢?」
「グラント当主の過去や思念らしきものを、私が傍観している夢だった。
そのせいで私は、今回の事件やグラントに対して、全く異なる視点が生まれた」
「異なる視点?」
「ああ。だが、他人に話すような内容ではない。
夢で見た情報が元だから、何の確証もないしな」
「……まさか。それでお話終わり?」
「ああ」
「ちょい! そこまで言っといて、ハイおしまい、はナイでしょ?
気になるから、ちゃんと最後まで聞かせてよー。
単に『こういう夢を見たよ』って話で良いんだから。
デザート代わりにさ? それ聞いたら、今日はもう帰るから」
「後味の悪いデザートになるぞ?」
「頂きましょう?」
ソクーロフは無表情なまま、淡々と話し始めた。
「プリンス・エドワードが暗殺された理由は、
エドワード派とカーディス派の抗争の末、という話だったが」
「それって、前にジョシュアから聞いた話?」
「ああ」
ジョシュアの父エドワードは、ジョシュアが五歳の時に亡くなった。
その時から、様々な陰謀説が唱えられてきたが、
中でも、エドワードの弟であり、当代のロレート国王カーディス1世は、
常に『兄殺し』の噂が囁かれていた。
エドワードの死の真相を知る者は、極わずかだ。
アイヴィーとソクーロフは、ジョシュアから聞いた。
ジョシュア本人も、王位継承権の復帰前、
カーディスから聞かされるまで、真相は知らなかったのである。
事の始まりは『王位を懸けた恋』だったのかもしれない。
エドワードがクリスティーナと結ばれることを選び、
自らと子孫の王位継承権を放棄した為、カーディスがロレート大公となった。
幼い頃から国王になるつもりなどなかったカーディスは、
元々良くなかった素行が、更に荒れたという。
国内では、やはりエドワードをロレートに連れ戻し、
王位継承権を復帰させたほうが良いのでは、という意見が出始め、
水面下では、エドワード派、カーディス派の争いが激化していた。
抗争の末、当人達の知らないところで、
エドワードはカーディス派の人間に暗殺された。
その事実は未だに公になっていない。
真相を知ったカーディスは、犯人に制裁を加えたが、
世間には、犯人の名前を公表しなかったからだ。
『兄殺し』の汚名を受け続けることは、
自らへの罰で、兄に対してせめてもの償いだと、
カーディスはジョシュアに話したという。
「あれがもし、グラント当主が裏で糸を引いていたら」
余りに唐突なソクーロフの言葉に、アイヴィーは混乱した。
「……え? 何、どういうこと?」
「エドワードを暗殺するよう、カーディス派を焚き付けたのが、
グラント当主だったら、どうする?」
「ちょ、ちょっと待ってよ! なんでグラントのご当主が、
エドワードを殺さなきゃいけないの? 何の関係もないじゃん」
「関係ない? 関係はあるだろう? グラント当主から見て、
プリンス・エドワードは何の関係もない人物か?」
「それは……でも、妹のダンナがエドワードだけどさ。だからって」
「私は以前から疑問だった。エドワードの死後、
三年経ってから、クリスティーナも亡くなったことに」
「でも、ジョシュアの母親は、世界中でボランティアをしてて、
その途中で病死したんじゃなかった? アフリカで」
そう言いながらも、クリスティーナの死についても様々な憶測があり、
何らかの陰謀に巻き込まれたのではないかという意見が常にあることは、
アイヴィーも知っていた。ソクーロフは言う。
「そもそも、何故、クリスティーナは、ボランティアで、
世界を飛び回っていたのかも、理解に苦しむところだ」
「でもさ、別にボランティアは悪いことじゃなくない?」
「もちろん、それに異を唱えるつもりはない。
だが、まだ幼いジョシュアを、一人、家に残してまで、することか?
しかも、父親を失ったばかりの、まだ五歳の子どもだぞ?」
「それは……」
「ジョシュアの話を聞く限り、クリスティーナは優しい母親だった。
エドワードの死後、ジョシュアに対しての愛情がなくなったとも思えない。
それでも、クリスティーナは愛息と離れることを選んだ。何故だ?
何故、彼女はそうまでして、あの家から離れなければならなかった?」
アイヴィーは答えられない。ソクーロフは続けた。
「夢の中で、その答えが私の脳内に流れこんでくる瞬間があった。
あれはグラント当主の思念だったのかもしれない。
おかげで私は、恐ろしい仮説が立てられることに気付かされた」
「仮説?」
「もし、グラント当主が、妹のクリスティーナを愛していたら」
「……え?」
「愛する妹が、どこかの男に心を奪われて、家を出て行ったら。
兄はどうしただろうと私は考えた」
「そんなことって……」
ソクーロフがこれから言わんとしていることが、
アイヴィーにも徐々に伝わってくる。ソクーロフは淡々と語った。
「エドワードが居なくなれば、妹は兄の元に帰ってくる筈だと思っていた。
しかし、妹はそれでも兄の手から離れた。何度、愛を囁いても、
妹の心は既に兄の元から離れてしまっていた。
途方に暮れた兄は、妹を愛する余り――」
カラン、とウイスキーグラスから音が鳴る。
嫌なタイミングで氷が自己主張をした。
それを合図にソクーロフは話すのを止めてしまった。
「やはり、デザートには不向きな話だったな」
ソクーロフが飲み残しのウイスキーを煽る。
腕時計を覗くと「帰るか」と言って席を立った。
妹を愛する余り。
その先どう続くのかアイヴィーにも予想はできた。
ソクーロフの仮説は、おそらくこう続くのだろう。
妹を奪った男も、妹も、消えた。
しかし、まだ、この世には、もう一人残っていた。
妹と同じ、瞳と髪を持つ子どもが。
子どもは大きくなるにつれて似てくる。
可愛かった頃の妹に。
私だけのものだった、私だけのクリスに。
「また来てねー、センセー、アイヴィー!」
「あいよー」
顔見知りの店員に見送られ、アイヴィー達は店を出た。
途端に、冷たい風に頬を撫でられ、アイヴィーは身震いする。
ふと見上げると、夜空は重たい色をした雲に覆われていた。
いつもなら、月やら星やらがキラキラしている空なのに。
上を見たまま立ち止まっているアイヴィーに、ソクーロフが気付く。
「どうした? 空など見て」
「あ、いや。今日は月が出てないなーと思って」
空には闇だけが広がっていた。
今日に限って、こんなに暗雲が垂れ込めているなんて。
さっきソクーロフからあんな話を聞かされたせいかもしれないけど、
なんだか嫌だな、とアイヴィーは思う。
まるで、真相は闇の中だと、誰かに嗤われた気がして。
fin
アイヴィーとジョシュアは無事、アルフォンソ島に戻ってくることができた。
学院に着くなりソクーロフと会ったジョシュアは、開口一番こう言った。
「すみません。俺のせいでアイヴィーが肩に怪我をしてしまったんです」
おかげでアイヴィーは、すぐに保健室に引き渡されてしまった。
長時間の診察、治療からやっと解放されたアイヴィーは、
口を尖らせながら、ワイシャツのボタンを止めていた。
「もう……診察が念入り過ぎんだよ、ソクちゃんは……」
「くまなく診るようにと、ジョシュアに頼まれたからな」
「クマナクなんてジョシュアは言ってなかったー!」
すると、唐突にソクーロフは白衣を脱き始めた。
「えっ? ちょっとソクちゃん!?」
「出るぞ」
ソクーロフは黒いスーツを来て、薄手のロングコートに腕を通していた。
ソクーロフの命令により、保健室を出たあとは、
アイヴィーが運転する車で旧市街に向かった。
行き先は、二人が行きつけの静かなバーだった。
アイヴィーの飲み物は、この島では『竜の涙』と呼ばれているレモンソーダ。
ソクーロフは、普段飲んでいるものとは違うウイスキーのロック。
つまみは、アイヴィーが注文したフライドポテト、ドイツソーセージと、
ソクーロフが注文したチーズに、生チョコレートだ。
そこでアイヴィーは「ロンドンから電話した以降に起きたことについて話せ」
とソクーロフに命ぜられた。アイヴィーが説明している間、
ソクーロフはたまに質問を挟む程度で殆ど黙っていた。
報告があらかた終わったところで、アイヴィーは飲み物のおかわりを注文した。
その際に、ソクーロフも同じウイスキーをもう一杯頼んだ。
二人のおかわりが来たあと、つまみは食べ物から煙草に変わった。
香りの異なる紫煙が、もくもくと二人の頭上に昇っていく。
「これで事件は無事に解決、か」
ソクーロフは灰皿の隅を灰を落とす。
「ジョシュアが無傷だった点は幸いだったがな」
「気に入らない、ってカオだね?」
ソクーロフはチラリとアイヴィーを見たあと、
何も答えないまま煙草を吹かした。
辺りはまたソクーロフの煙草の香りで満ちる。
「どーして、そんなにご機嫌ナナメなのさ?
あ! もしかしてー、ソクちゃんは当主か秘書がアヤシイと踏んでたから、
自分の推理が当たんなくて拗ねてんじゃないのー?」
「誰が拗ねるか」
「あははっ。でも現実に起こる事件なんて、こんなもんでしょ?
ソクちゃんは、難しい本の読み過ぎなんだよ。
ああいう本って、ダイイング・メッセージとかよくあるけどさ。
俺だったら、死ぬ前に少し時間あったとしても、
『ああ、死ぬんだな』と思うことしかできないねー」
ソクーロフは親指で自分の下唇をなぞったあと、成程、と呟いた。
「で? やっぱ犯人が当たらなかったのが、お気に召さないワケ?」
ソクーロフは、もう一度、煙草を吹かせたあと、こう言った。
「お前から電話があった日の夜、不可思議な夢を見ただけだ」
「え、夢?」
「グラント当主の過去や思念らしきものを、私が傍観している夢だった。
そのせいで私は、今回の事件やグラントに対して、全く異なる視点が生まれた」
「異なる視点?」
「ああ。だが、他人に話すような内容ではない。
夢で見た情報が元だから、何の確証もないしな」
「……まさか。それでお話終わり?」
「ああ」
「ちょい! そこまで言っといて、ハイおしまい、はナイでしょ?
気になるから、ちゃんと最後まで聞かせてよー。
単に『こういう夢を見たよ』って話で良いんだから。
デザート代わりにさ? それ聞いたら、今日はもう帰るから」
「後味の悪いデザートになるぞ?」
「頂きましょう?」
ソクーロフは無表情なまま、淡々と話し始めた。
「プリンス・エドワードが暗殺された理由は、
エドワード派とカーディス派の抗争の末、という話だったが」
「それって、前にジョシュアから聞いた話?」
「ああ」
ジョシュアの父エドワードは、ジョシュアが五歳の時に亡くなった。
その時から、様々な陰謀説が唱えられてきたが、
中でも、エドワードの弟であり、当代のロレート国王カーディス1世は、
常に『兄殺し』の噂が囁かれていた。
エドワードの死の真相を知る者は、極わずかだ。
アイヴィーとソクーロフは、ジョシュアから聞いた。
ジョシュア本人も、王位継承権の復帰前、
カーディスから聞かされるまで、真相は知らなかったのである。
事の始まりは『王位を懸けた恋』だったのかもしれない。
エドワードがクリスティーナと結ばれることを選び、
自らと子孫の王位継承権を放棄した為、カーディスがロレート大公となった。
幼い頃から国王になるつもりなどなかったカーディスは、
元々良くなかった素行が、更に荒れたという。
国内では、やはりエドワードをロレートに連れ戻し、
王位継承権を復帰させたほうが良いのでは、という意見が出始め、
水面下では、エドワード派、カーディス派の争いが激化していた。
抗争の末、当人達の知らないところで、
エドワードはカーディス派の人間に暗殺された。
その事実は未だに公になっていない。
真相を知ったカーディスは、犯人に制裁を加えたが、
世間には、犯人の名前を公表しなかったからだ。
『兄殺し』の汚名を受け続けることは、
自らへの罰で、兄に対してせめてもの償いだと、
カーディスはジョシュアに話したという。
「あれがもし、グラント当主が裏で糸を引いていたら」
余りに唐突なソクーロフの言葉に、アイヴィーは混乱した。
「……え? 何、どういうこと?」
「エドワードを暗殺するよう、カーディス派を焚き付けたのが、
グラント当主だったら、どうする?」
「ちょ、ちょっと待ってよ! なんでグラントのご当主が、
エドワードを殺さなきゃいけないの? 何の関係もないじゃん」
「関係ない? 関係はあるだろう? グラント当主から見て、
プリンス・エドワードは何の関係もない人物か?」
「それは……でも、妹のダンナがエドワードだけどさ。だからって」
「私は以前から疑問だった。エドワードの死後、
三年経ってから、クリスティーナも亡くなったことに」
「でも、ジョシュアの母親は、世界中でボランティアをしてて、
その途中で病死したんじゃなかった? アフリカで」
そう言いながらも、クリスティーナの死についても様々な憶測があり、
何らかの陰謀に巻き込まれたのではないかという意見が常にあることは、
アイヴィーも知っていた。ソクーロフは言う。
「そもそも、何故、クリスティーナは、ボランティアで、
世界を飛び回っていたのかも、理解に苦しむところだ」
「でもさ、別にボランティアは悪いことじゃなくない?」
「もちろん、それに異を唱えるつもりはない。
だが、まだ幼いジョシュアを、一人、家に残してまで、することか?
しかも、父親を失ったばかりの、まだ五歳の子どもだぞ?」
「それは……」
「ジョシュアの話を聞く限り、クリスティーナは優しい母親だった。
エドワードの死後、ジョシュアに対しての愛情がなくなったとも思えない。
それでも、クリスティーナは愛息と離れることを選んだ。何故だ?
何故、彼女はそうまでして、あの家から離れなければならなかった?」
アイヴィーは答えられない。ソクーロフは続けた。
「夢の中で、その答えが私の脳内に流れこんでくる瞬間があった。
あれはグラント当主の思念だったのかもしれない。
おかげで私は、恐ろしい仮説が立てられることに気付かされた」
「仮説?」
「もし、グラント当主が、妹のクリスティーナを愛していたら」
「……え?」
「愛する妹が、どこかの男に心を奪われて、家を出て行ったら。
兄はどうしただろうと私は考えた」
「そんなことって……」
ソクーロフがこれから言わんとしていることが、
アイヴィーにも徐々に伝わってくる。ソクーロフは淡々と語った。
「エドワードが居なくなれば、妹は兄の元に帰ってくる筈だと思っていた。
しかし、妹はそれでも兄の手から離れた。何度、愛を囁いても、
妹の心は既に兄の元から離れてしまっていた。
途方に暮れた兄は、妹を愛する余り――」
カラン、とウイスキーグラスから音が鳴る。
嫌なタイミングで氷が自己主張をした。
それを合図にソクーロフは話すのを止めてしまった。
「やはり、デザートには不向きな話だったな」
ソクーロフが飲み残しのウイスキーを煽る。
腕時計を覗くと「帰るか」と言って席を立った。
妹を愛する余り。
その先どう続くのかアイヴィーにも予想はできた。
ソクーロフの仮説は、おそらくこう続くのだろう。
妹を奪った男も、妹も、消えた。
しかし、まだ、この世には、もう一人残っていた。
妹と同じ、瞳と髪を持つ子どもが。
子どもは大きくなるにつれて似てくる。
可愛かった頃の妹に。
私だけのものだった、私だけのクリスに。
「また来てねー、センセー、アイヴィー!」
「あいよー」
顔見知りの店員に見送られ、アイヴィー達は店を出た。
途端に、冷たい風に頬を撫でられ、アイヴィーは身震いする。
ふと見上げると、夜空は重たい色をした雲に覆われていた。
いつもなら、月やら星やらがキラキラしている空なのに。
上を見たまま立ち止まっているアイヴィーに、ソクーロフが気付く。
「どうした? 空など見て」
「あ、いや。今日は月が出てないなーと思って」
空には闇だけが広がっていた。
今日に限って、こんなに暗雲が垂れ込めているなんて。
さっきソクーロフからあんな話を聞かされたせいかもしれないけど、
なんだか嫌だな、とアイヴィーは思う。
まるで、真相は闇の中だと、誰かに嗤われた気がして。
fin
■闇の家系11 続編
ロレート大公家、王の寝室。
一日を終えたカーディス1世は晩酌の時間だった。
主の側に帰ってきた側近が、トクトクと良い音を立てながら、
王のワイングラスに赤ワインを注いでいる。
たっぷりと注がれたワインに、王が口付ける。
「しかし、お前の顔をテレビで見るとは思わなかったぞ、ラルヴィス」
今宵の王は機嫌が悪くなかった。
「しかも、グラント家当主襲撃事件の犯人をお前が捕まえた、
というニュースだからな。英雄が凱旋したのだから記念式典でもやるか?」
当の本人は、ワインボトルの瓶口を拭きながら、ご冗談を、と呟いていた。
事件はロレート国王側近の手柄で無事に解決した。
犯人は、グラントの新規事業により会社を潰された男だった。
犯人の供述によると、衝動的にグラントの邸に行き、
帰宅してきた当主を金属バットで殴ったあと逃走し、次の機会を伺っていた。
すると、邸にジョシュアが入っていくところを目撃。
その顔を見た時、生まれながらにロレート大公家の血をひき、
またグラント次期当主の可能性まで秘めているジョシュアにも憎しみが生まれたという。
犯人は翌朝、ジョシュアが邸から出てきたところを同じ金属バットで襲撃。
しかし、ジョシュアに付いていたロレートの従者により身柄を確保され、逮捕となった。
ジョシュアに怪我はなかったが、従者が軽傷を負ったとのニュースが世界を駆け巡った。
王子を守った従者の顔として映し出されたのは、側近のラルヴィスのみで、
実際にはアイヴィーも側に居て、一緒に戦ってくれたことは報道されなかった。
手柄を一人占めするようで、ラルヴィスは本意ではなかったのだが、
アイヴィー本人から「学院関係者の顔は世に出せないから、
今回はラルちゃん一人のお手柄ってことにしといて? ね、お願いっ!」
と言われてしまい、ラルヴィスは了承することしかできなかった。
「そう言えば、犯人を捕らえた時、アイヴィーは無傷だったのか?」
主に尋ねられ、ラルヴィスは答えた。
「いいえ。アイヴィー様は肩を負傷された筈です。
アイヴィー様は、殿下と私を庇って、肩に一撃を……」
ラルヴィスは申し訳なさと悔しさで表情を歪ませる。
自分が至らなかったのだ。そのせいでアイヴィー様に怪我をさせてしまった。
結果的に殿下がお怪我をせずに済んだのも、
あの場に、アイヴィー様が居てくれなければ、不可能だったかもしれない。
「肩を壊す程の怪我だったのか?」
「いえ。ご本人は『全然平気』と仰って、肩も動いてはいるようでしたが」
「なら、大事には至らなかったのだろう。
あとは学院に居る医者がどうとでもしてくれるさ」
「それならば、良いのですが……」
「どうした、やけに沈んでいるじゃないか。王子を死守した英雄のくせに」
ラルヴィスは首を横に振る。金色のショートヘアがサラサラと揺れた。
「英雄などではありません。私は自分が不甲斐ないのです。
怪我をしないようにと殿下に厳命されていたにも関わらず、私は」
「そんなもの気にするな、無理難題を吹っかけているのはジョシュアだろう?
怪我をせずに主を守れ、などという命令は最初から矛盾がある。
理想が高いのは結構だが、実際にはこうして、臣下が怪我をしなければ、
主を守れない状況がある。それが現実というものだ。違うか?」
「しかし、殿下は」
「あいつはまだ、守る、守られる、という関係に対して、覚悟が足りないのさ。
臣下が主を守って負傷した時、主は臣下を褒めてやるくらいでなくてはな」
王は、立っている臣下を見上げる。
「よくやってくれたな、ラルヴィス。よくジョシュアを守ってくれた」
「陛下……」
臣下は瞳を瞬かせたあと、その場に膝を着き、頭を下げた。
「……勿体無い、お言葉です、陛下」
金髪の頭部を見下ろしながら、王は、さて、と言った。
「俺は、傷を負った臣下の面倒を看てやらなくてはな? 主として」
臣下は顔を上げる。王は不敵に微笑まれていた。
「お前は、後ろの首筋と背中に怪我をしたそうじゃないか? 見せてみろ?」
ラルヴィスは先程までの感動が冷めていくのを感じた。
「……いえ。陛下のお目にかけるようなものでは」
「構わん」
「傷は既に、医師に看て頂いておりますので」
「俺が看てやると言っているんだ。脱げ」
「陛下。どうぞお気遣いなく」
「なんだ、脱がされたいのか、仕方のない奴だ」
***
ロンドン郊外、グラントの邸。
静かな夜。当主は書斎で資料を眺めていた。
ドアがノックされ、どうぞ、と言った。
「旦那様」
入ってきたのは執事のルーカスだった。
当主は資料から目を離し、初老の執事を見上げる。
「なんだい? ルーカス」
「ジョシュア様からお電話がございました」
「あの子から?」
「ええ。ジョシュア様よりご伝言をお預かりしております。
『無事、聖アルフォンソ学院に到着しました。
直接会ってお話をする機会を作って下さったこと、
本当にありがとうございました。
伯父にもそう伝えて下さい』とのことでございます」
「そう。律儀な子だね。無事に着いて何よりだ」
「それから、もうひとつ、お知らせが」
執事は当主の傍に行き、そっと耳打ちした。
何事かを囁かれた当主は、ぽつりと呟いた。
「そう」
当主は椅子の向きを机側に戻し、執事に背を向ける。
再び資料に視線を落とした。執事を頭を下げる。
「それでは、失礼致します」
「ああ、ルーカス?」
「はい」
執事が顔を上げると、当主は背中を向けたまま、
「すまないが、コーヒーを一杯、頼めるかい?」
執事は再び一礼する。
「コーヒーでございますね、畏まりました」
***
ロレート大公家、王の寝室。
カーテンは柔らかな朝陽を受け止めている。
早朝。王の臣下は眠っていた、王の隣で。
今朝は先に目覚めた王は、無言で臣下の寝顔を眺めていた。
臣下は、うつ伏せで眠っており、まぶたには金色の前髪がかかっている。
今はブランケットで覆われているが、臣下の後ろの首筋と背中は、
ジョシュアを襲った犯人に金属バットで殴られ、赤く腫れていた。
この国の王子を守る為にできた赤い痣は、後に青くなってしまうだろう。
――怪我をするなとは言わん。ただ――
ブランケットからは臣下の右肩が素肌のまま、こちらを向いている。
滑らかで真っ白な肩。そこにはまだ傷はない。
白い素肌に引き寄せられるように、
王は臣下の右肩にそっと口付けを落とした。
「ん……」
臣下が身じろぐ。ゆっくりと臣下の目が開いた。
目の前にあるのが主の顔だと認識するまでに、数秒かかったようだ。
「……へい、か?」
掠れた声で呟かれる。目もまだぼんやりとしていた。
「起きたのか。敏感な奴だな」
「……え?」
「いや。起きたのなら、シャワーでも浴びるか。来い」
「はい……畏まりました」
のろのろと臣下は身を起こした。
→
一日を終えたカーディス1世は晩酌の時間だった。
主の側に帰ってきた側近が、トクトクと良い音を立てながら、
王のワイングラスに赤ワインを注いでいる。
たっぷりと注がれたワインに、王が口付ける。
「しかし、お前の顔をテレビで見るとは思わなかったぞ、ラルヴィス」
今宵の王は機嫌が悪くなかった。
「しかも、グラント家当主襲撃事件の犯人をお前が捕まえた、
というニュースだからな。英雄が凱旋したのだから記念式典でもやるか?」
当の本人は、ワインボトルの瓶口を拭きながら、ご冗談を、と呟いていた。
事件はロレート国王側近の手柄で無事に解決した。
犯人は、グラントの新規事業により会社を潰された男だった。
犯人の供述によると、衝動的にグラントの邸に行き、
帰宅してきた当主を金属バットで殴ったあと逃走し、次の機会を伺っていた。
すると、邸にジョシュアが入っていくところを目撃。
その顔を見た時、生まれながらにロレート大公家の血をひき、
またグラント次期当主の可能性まで秘めているジョシュアにも憎しみが生まれたという。
犯人は翌朝、ジョシュアが邸から出てきたところを同じ金属バットで襲撃。
しかし、ジョシュアに付いていたロレートの従者により身柄を確保され、逮捕となった。
ジョシュアに怪我はなかったが、従者が軽傷を負ったとのニュースが世界を駆け巡った。
王子を守った従者の顔として映し出されたのは、側近のラルヴィスのみで、
実際にはアイヴィーも側に居て、一緒に戦ってくれたことは報道されなかった。
手柄を一人占めするようで、ラルヴィスは本意ではなかったのだが、
アイヴィー本人から「学院関係者の顔は世に出せないから、
今回はラルちゃん一人のお手柄ってことにしといて? ね、お願いっ!」
と言われてしまい、ラルヴィスは了承することしかできなかった。
「そう言えば、犯人を捕らえた時、アイヴィーは無傷だったのか?」
主に尋ねられ、ラルヴィスは答えた。
「いいえ。アイヴィー様は肩を負傷された筈です。
アイヴィー様は、殿下と私を庇って、肩に一撃を……」
ラルヴィスは申し訳なさと悔しさで表情を歪ませる。
自分が至らなかったのだ。そのせいでアイヴィー様に怪我をさせてしまった。
結果的に殿下がお怪我をせずに済んだのも、
あの場に、アイヴィー様が居てくれなければ、不可能だったかもしれない。
「肩を壊す程の怪我だったのか?」
「いえ。ご本人は『全然平気』と仰って、肩も動いてはいるようでしたが」
「なら、大事には至らなかったのだろう。
あとは学院に居る医者がどうとでもしてくれるさ」
「それならば、良いのですが……」
「どうした、やけに沈んでいるじゃないか。王子を死守した英雄のくせに」
ラルヴィスは首を横に振る。金色のショートヘアがサラサラと揺れた。
「英雄などではありません。私は自分が不甲斐ないのです。
怪我をしないようにと殿下に厳命されていたにも関わらず、私は」
「そんなもの気にするな、無理難題を吹っかけているのはジョシュアだろう?
怪我をせずに主を守れ、などという命令は最初から矛盾がある。
理想が高いのは結構だが、実際にはこうして、臣下が怪我をしなければ、
主を守れない状況がある。それが現実というものだ。違うか?」
「しかし、殿下は」
「あいつはまだ、守る、守られる、という関係に対して、覚悟が足りないのさ。
臣下が主を守って負傷した時、主は臣下を褒めてやるくらいでなくてはな」
王は、立っている臣下を見上げる。
「よくやってくれたな、ラルヴィス。よくジョシュアを守ってくれた」
「陛下……」
臣下は瞳を瞬かせたあと、その場に膝を着き、頭を下げた。
「……勿体無い、お言葉です、陛下」
金髪の頭部を見下ろしながら、王は、さて、と言った。
「俺は、傷を負った臣下の面倒を看てやらなくてはな? 主として」
臣下は顔を上げる。王は不敵に微笑まれていた。
「お前は、後ろの首筋と背中に怪我をしたそうじゃないか? 見せてみろ?」
ラルヴィスは先程までの感動が冷めていくのを感じた。
「……いえ。陛下のお目にかけるようなものでは」
「構わん」
「傷は既に、医師に看て頂いておりますので」
「俺が看てやると言っているんだ。脱げ」
「陛下。どうぞお気遣いなく」
「なんだ、脱がされたいのか、仕方のない奴だ」
***
ロンドン郊外、グラントの邸。
静かな夜。当主は書斎で資料を眺めていた。
ドアがノックされ、どうぞ、と言った。
「旦那様」
入ってきたのは執事のルーカスだった。
当主は資料から目を離し、初老の執事を見上げる。
「なんだい? ルーカス」
「ジョシュア様からお電話がございました」
「あの子から?」
「ええ。ジョシュア様よりご伝言をお預かりしております。
『無事、聖アルフォンソ学院に到着しました。
直接会ってお話をする機会を作って下さったこと、
本当にありがとうございました。
伯父にもそう伝えて下さい』とのことでございます」
「そう。律儀な子だね。無事に着いて何よりだ」
「それから、もうひとつ、お知らせが」
執事は当主の傍に行き、そっと耳打ちした。
何事かを囁かれた当主は、ぽつりと呟いた。
「そう」
当主は椅子の向きを机側に戻し、執事に背を向ける。
再び資料に視線を落とした。執事を頭を下げる。
「それでは、失礼致します」
「ああ、ルーカス?」
「はい」
執事が顔を上げると、当主は背中を向けたまま、
「すまないが、コーヒーを一杯、頼めるかい?」
執事は再び一礼する。
「コーヒーでございますね、畏まりました」
***
ロレート大公家、王の寝室。
カーテンは柔らかな朝陽を受け止めている。
早朝。王の臣下は眠っていた、王の隣で。
今朝は先に目覚めた王は、無言で臣下の寝顔を眺めていた。
臣下は、うつ伏せで眠っており、まぶたには金色の前髪がかかっている。
今はブランケットで覆われているが、臣下の後ろの首筋と背中は、
ジョシュアを襲った犯人に金属バットで殴られ、赤く腫れていた。
この国の王子を守る為にできた赤い痣は、後に青くなってしまうだろう。
――怪我をするなとは言わん。ただ――
ブランケットからは臣下の右肩が素肌のまま、こちらを向いている。
滑らかで真っ白な肩。そこにはまだ傷はない。
白い素肌に引き寄せられるように、
王は臣下の右肩にそっと口付けを落とした。
「ん……」
臣下が身じろぐ。ゆっくりと臣下の目が開いた。
目の前にあるのが主の顔だと認識するまでに、数秒かかったようだ。
「……へい、か?」
掠れた声で呟かれる。目もまだぼんやりとしていた。
「起きたのか。敏感な奴だな」
「……え?」
「いや。起きたのなら、シャワーでも浴びるか。来い」
「はい……畏まりました」
のろのろと臣下は身を起こした。
→
■闇の家系10 続編
夕食前のウーティス寮サロン。
アルフレッド、シルヴァン、ハルヤが、それぞれソファに座っている。
「はああ……」
ユウタがまた溜め息を吐く。
それが余りにも大きかったので、シルヴァンは思わず微笑した。
「ユウタ。さっきから溜め息ばかり吐いてますよ?」
「え、そうだった? ごめん」
「そんなに心配しなくても、ジョシュアならきっと無事に帰ってきますよ。
警備組織の人も護衛に付いていると言っていたじゃないですか」
「うん……そうだよね」
「今夜、帰ってくる予定なんだよね?」
誰にともなくハルヤが尋ねる。
「ええ。予定では」
相槌を打ったのはシルヴァンだった。ハルヤはサロンの掛け時計を見上げながら、
「晩ご飯までには、間に合わないかも」
ユウタは頷きながら呟く。
「早く帰ってきて欲しいな」
時計の針がまたひとつ動いた。
「だあーーー!」
頭を掻きむしりながら、アルフレッドが叫ぶ。
「襲撃事件の犯人が捕まったってニュースとか、やってないのかよー!?」
ハルヤは苦笑した。
「そんな都合良くやってるわけないでしょ。大人しく待ってようよ」
「ったく、何チンタラやってんだよ、警察とマスコミはー!」
アルフレッドはテーブルの上からテレビのリモコンを取り、
乱暴にチャンネルを変え始めた。バラエティ、スポーツ、アニメ、と、
凄いスピードで番組がバチバチと切り替わっていく。
「あっ! 今、やってませんでした!?」
叫んだのはシルヴァンだった。
「レッド! 二つ前のニュース番組に戻して下さい、早く!」
→
アルフレッド、シルヴァン、ハルヤが、それぞれソファに座っている。
「はああ……」
ユウタがまた溜め息を吐く。
それが余りにも大きかったので、シルヴァンは思わず微笑した。
「ユウタ。さっきから溜め息ばかり吐いてますよ?」
「え、そうだった? ごめん」
「そんなに心配しなくても、ジョシュアならきっと無事に帰ってきますよ。
警備組織の人も護衛に付いていると言っていたじゃないですか」
「うん……そうだよね」
「今夜、帰ってくる予定なんだよね?」
誰にともなくハルヤが尋ねる。
「ええ。予定では」
相槌を打ったのはシルヴァンだった。ハルヤはサロンの掛け時計を見上げながら、
「晩ご飯までには、間に合わないかも」
ユウタは頷きながら呟く。
「早く帰ってきて欲しいな」
時計の針がまたひとつ動いた。
「だあーーー!」
頭を掻きむしりながら、アルフレッドが叫ぶ。
「襲撃事件の犯人が捕まったってニュースとか、やってないのかよー!?」
ハルヤは苦笑した。
「そんな都合良くやってるわけないでしょ。大人しく待ってようよ」
「ったく、何チンタラやってんだよ、警察とマスコミはー!」
アルフレッドはテーブルの上からテレビのリモコンを取り、
乱暴にチャンネルを変え始めた。バラエティ、スポーツ、アニメ、と、
凄いスピードで番組がバチバチと切り替わっていく。
「あっ! 今、やってませんでした!?」
叫んだのはシルヴァンだった。
「レッド! 二つ前のニュース番組に戻して下さい、早く!」
→
■闇の家系09 続編
「わー。またラルちゃんの勝ちかー。もう勝てないや、俺ー」
アイヴィーはトランプを持ったまま、
両手を挙げて、降参のポーズをする。
「じゃー、俺の負けってことで、約束通り、
明日、ジュースおごるね? 空港辺りで」
「いいえ、アイヴィー様。お気持ちだけで結構でございますから」
「気にしないでよ、ジュースくらいで。そういう賭けだったんだから。
でも、ラルちゃんって、ポーカー強いんだねー。
やっぱ普段から、ポーカーフェイスだからかなー?」
「……申し訳ございません。陛下にもよくお叱りを受けました」
「あ、いやいや。ラルちゃんが謝ることじゃないんだよー。
っていうか、王様とカードゲームしたりするの?」
「以前は。近頃はなさいませんが」
「ふうん。ところでー、そろそろジョシュアは寝たかな?」
アイヴィー達がポーカーをしていたソファ席から離れたところに、
ジョシュアのベッドがあった。小さく寝顔が見える。
アイヴィーは念の為、静かにベッドへ近付き、
寝息を確かめたあと、そそそ、とソファまで戻ってきた。
「ダイジョブ。すやすや寝てた」
「ええ。先程、お休みになられたようですね」
「意外と早く寝たね。やっぱ疲れたのかな、今日一日。
あいつ、このお邸に着いてから、ずっと緊張してたみたいだし」
「左様でございますね。お心の優しい御方ですから、
ご実家の皆様にも、色々とお気遣いがあったのでしょう」
「うん。気ィ遣いだからなー、ジョシュアは」
「ええ」
「じゃー、王子サマもおねんねしたことだし、
俺達はオトナのナイショ話でも始めちゃう?」
「どのようなお話でございますか?」
アイヴィーは声を潜めながら、
「このお邸に入る前さ。ラルちゃん、感じた?」
「……ええ。アイヴィー様も感じていらっしゃいましたか」
「うん。誰かに見られてたよね、俺達」
「はい」
「何人だったと思う?」
「わたくしは一人の視線しか感じませんでした」
「俺も一人」
「では単独犯でしょうか。やはり、視線の主はグラント様を襲撃した犯人?」
「かもね。でも、邸に入ったあとは感じてないんだよ、あの視線」
「わたくしもです」
「そっか。じゃあ、犯人は邸の外部の人間だったりするのかなあ」
「外部犯であると考えたいものです」
「そうだね。内部犯じゃ、ジョシュアが傷付いちゃう。
俺達の王子サマ、どっちかって言うと、ガラスハートだから。
あ、悪いイミじゃなくて、繊細なタイプってイミね?」
「ええ。……あの、アイヴィー様?
わたくしも、少々お話ししたいことがあるのですが」
「ん? なあに?」
「殿下の御前では申し上げられなかったのですが、
アイヴィー様は、どう思われました? 先程のお話」
「グラントの後継ぎ問題?」
「ええ。あのお話、グラント様のご本心だったと思われますか?」
「え、じゃあ、俺達、ウソ吐かれたってこと?」
「解りません。けれど、グラント様は何かを試す為に、
わざと、あのようなお話をされたような気がして」
「何かを試すって……何を?」
「グラント様はお話の最後に、『これでひとつ解ったかもしれない』、
また、それについては『今言うのは控えさせて欲しい』と仰いました。
お話の中で、グラント様は何かを知ることに成功したのではないでしょうか」
「でも、それはラルちゃんが話したことじゃないの?
王様が健在で、当主が不在の状況なら、
ジョシュアが当主になることも可能かもって話、したでしょ?
ま、結局、ジョシュア自身は当主になるつもりはないって話になったけど」
「……そうですね。申し訳ございません。
まだ何も解らない状態で、不明確なことを申し上げました」
「いや、解らないんだから、不明確な話になるのはしょーがないよ。
でも、なんかさ。なんとなく居心地が良くないね、このお邸。
執事さんや秘書さんは、ジョシュアのこと、
あんまり良く思ってないみたいだし。
闇の家系なんて言われてるトコのご当主が、
やけにイイ人だったのも、なんか気になるし。
明日、ちゃんと無事に島に帰れるとイイんだけど」
「アイヴィー様……」
「あ、ゴメンゴメン。なんか俺まで妙なコト言っちゃって。
とにかく、明日に備えて、俺達も交代で少し寝とこ?
何かあったら叩き起こすルールでさ。
三時間くらいずつでも良い? どっちから先に寝よっか?」
「いえ。アイヴィー様もお疲れでしょう。今宵は私が起きておりますから」
「ダメだよ。それじゃあ、せっかく二人で来たイミないじゃん? ね?」
「……畏まりました。私などにまでお気遣い頂き、ありがとうございます」
「いやいや。その言葉、まるっとラルちゃんに返すよ。
あ、そだ。ゴメン。寝る前に、俺、ちょっと電話してきても良いかな?」
「お電話、ですか?」
「うん。俺、何故か、学院のセンセーに今日のご報告しなきゃいけなくてさ。
その間、ちょっとジョシュアのこと任せて良い? って言っても、
俺、部屋出たトコの廊下で電話するから、何かあったらすぐ呼んで?」
「畏まりました。行ってらっしゃいませ」
アイヴィーは廊下に出て、窓辺に凭れる。
周囲に誰も居ないことを確認してから、スマートフォンを耳に当てた。
「もしもーし、ソクちゃーん? こちらロンドンのアイヴィーでーす」
「随分遅かったな」
スマートフォンを通して、ソクーロフの吐息が聞こえる。
直接、耳に息を吹きかけられたような気がして、
思わずスマートフォンを少し遠ざけた。
「ジョシュアはもう眠っているのか?」
「ああ、うん。さっき寝たトコ」
「では、今日ジョシュアの周りで起こったことを、まとめて話せ」
「……イエッサー」
それからの数分間はアイヴィーが一方的に話していた。
アイヴィーの報告が終わっても、ソクーロフは黙ったままだった。
「ちょっとー。ソクちゃん、聞いてるー?
まさか、俺の話聞きながら寝ちゃったんじゃないでしょーね?」
「お前じゃあるまいし」
「俺だってそんなことしないよっ!」
「まず、確認したい。万一の場合は、当主の座を、
ジョシュアに譲りたいという話をしていた時、
その場に居たのは、お前達三人と、当主、秘書の五人だけか?」
「え、うん」
「執事はその場に居なかった?」
「うん。執事さんは部屋まで案内してくれただけだったから」
「そうか」
「今のって、何か関係あんの?」
「さあな」
「何か解ってんなら、頭スッカラカンの俺にも解るように教えてよ。
スッカラカンじゃないほうのソクーロフ先生?」
間を置いたあと、ソクーロフはこう言った。
「――お前は、幾つ思い付く?」
「え?」
「ジョシュアへの殺意を表に出さないまま、ジョシュアをこの世から葬り去る方法を」
アイヴィーはスマートフォンを持ったまま、首を傾ける。
「な、何それ? 自分が犯人だと誰にも気付かれずにジョシュアを葬るには、
どんな方法があるでしょーか、っていうシュミの悪いクイズ?」
「そうだ。思い付くか?」
「それなら、やっぱり、事故死や病死に見せかける、とか?」
「それもある」
「ソクーロフ先生はどんな方法を思い付いてるわけ?」
「成功率が高い方法をひとつ」
「どんな?」
「殺意を隠して、あの子を殺めたいのなら、あの子の傍に居る人間を狙えば良い。
そうすれば、あの子は自ら命を投げ出すさ。誰かを守る為に」
→
アイヴィーはトランプを持ったまま、
両手を挙げて、降参のポーズをする。
「じゃー、俺の負けってことで、約束通り、
明日、ジュースおごるね? 空港辺りで」
「いいえ、アイヴィー様。お気持ちだけで結構でございますから」
「気にしないでよ、ジュースくらいで。そういう賭けだったんだから。
でも、ラルちゃんって、ポーカー強いんだねー。
やっぱ普段から、ポーカーフェイスだからかなー?」
「……申し訳ございません。陛下にもよくお叱りを受けました」
「あ、いやいや。ラルちゃんが謝ることじゃないんだよー。
っていうか、王様とカードゲームしたりするの?」
「以前は。近頃はなさいませんが」
「ふうん。ところでー、そろそろジョシュアは寝たかな?」
アイヴィー達がポーカーをしていたソファ席から離れたところに、
ジョシュアのベッドがあった。小さく寝顔が見える。
アイヴィーは念の為、静かにベッドへ近付き、
寝息を確かめたあと、そそそ、とソファまで戻ってきた。
「ダイジョブ。すやすや寝てた」
「ええ。先程、お休みになられたようですね」
「意外と早く寝たね。やっぱ疲れたのかな、今日一日。
あいつ、このお邸に着いてから、ずっと緊張してたみたいだし」
「左様でございますね。お心の優しい御方ですから、
ご実家の皆様にも、色々とお気遣いがあったのでしょう」
「うん。気ィ遣いだからなー、ジョシュアは」
「ええ」
「じゃー、王子サマもおねんねしたことだし、
俺達はオトナのナイショ話でも始めちゃう?」
「どのようなお話でございますか?」
アイヴィーは声を潜めながら、
「このお邸に入る前さ。ラルちゃん、感じた?」
「……ええ。アイヴィー様も感じていらっしゃいましたか」
「うん。誰かに見られてたよね、俺達」
「はい」
「何人だったと思う?」
「わたくしは一人の視線しか感じませんでした」
「俺も一人」
「では単独犯でしょうか。やはり、視線の主はグラント様を襲撃した犯人?」
「かもね。でも、邸に入ったあとは感じてないんだよ、あの視線」
「わたくしもです」
「そっか。じゃあ、犯人は邸の外部の人間だったりするのかなあ」
「外部犯であると考えたいものです」
「そうだね。内部犯じゃ、ジョシュアが傷付いちゃう。
俺達の王子サマ、どっちかって言うと、ガラスハートだから。
あ、悪いイミじゃなくて、繊細なタイプってイミね?」
「ええ。……あの、アイヴィー様?
わたくしも、少々お話ししたいことがあるのですが」
「ん? なあに?」
「殿下の御前では申し上げられなかったのですが、
アイヴィー様は、どう思われました? 先程のお話」
「グラントの後継ぎ問題?」
「ええ。あのお話、グラント様のご本心だったと思われますか?」
「え、じゃあ、俺達、ウソ吐かれたってこと?」
「解りません。けれど、グラント様は何かを試す為に、
わざと、あのようなお話をされたような気がして」
「何かを試すって……何を?」
「グラント様はお話の最後に、『これでひとつ解ったかもしれない』、
また、それについては『今言うのは控えさせて欲しい』と仰いました。
お話の中で、グラント様は何かを知ることに成功したのではないでしょうか」
「でも、それはラルちゃんが話したことじゃないの?
王様が健在で、当主が不在の状況なら、
ジョシュアが当主になることも可能かもって話、したでしょ?
ま、結局、ジョシュア自身は当主になるつもりはないって話になったけど」
「……そうですね。申し訳ございません。
まだ何も解らない状態で、不明確なことを申し上げました」
「いや、解らないんだから、不明確な話になるのはしょーがないよ。
でも、なんかさ。なんとなく居心地が良くないね、このお邸。
執事さんや秘書さんは、ジョシュアのこと、
あんまり良く思ってないみたいだし。
闇の家系なんて言われてるトコのご当主が、
やけにイイ人だったのも、なんか気になるし。
明日、ちゃんと無事に島に帰れるとイイんだけど」
「アイヴィー様……」
「あ、ゴメンゴメン。なんか俺まで妙なコト言っちゃって。
とにかく、明日に備えて、俺達も交代で少し寝とこ?
何かあったら叩き起こすルールでさ。
三時間くらいずつでも良い? どっちから先に寝よっか?」
「いえ。アイヴィー様もお疲れでしょう。今宵は私が起きておりますから」
「ダメだよ。それじゃあ、せっかく二人で来たイミないじゃん? ね?」
「……畏まりました。私などにまでお気遣い頂き、ありがとうございます」
「いやいや。その言葉、まるっとラルちゃんに返すよ。
あ、そだ。ゴメン。寝る前に、俺、ちょっと電話してきても良いかな?」
「お電話、ですか?」
「うん。俺、何故か、学院のセンセーに今日のご報告しなきゃいけなくてさ。
その間、ちょっとジョシュアのこと任せて良い? って言っても、
俺、部屋出たトコの廊下で電話するから、何かあったらすぐ呼んで?」
「畏まりました。行ってらっしゃいませ」
アイヴィーは廊下に出て、窓辺に凭れる。
周囲に誰も居ないことを確認してから、スマートフォンを耳に当てた。
「もしもーし、ソクちゃーん? こちらロンドンのアイヴィーでーす」
「随分遅かったな」
スマートフォンを通して、ソクーロフの吐息が聞こえる。
直接、耳に息を吹きかけられたような気がして、
思わずスマートフォンを少し遠ざけた。
「ジョシュアはもう眠っているのか?」
「ああ、うん。さっき寝たトコ」
「では、今日ジョシュアの周りで起こったことを、まとめて話せ」
「……イエッサー」
それからの数分間はアイヴィーが一方的に話していた。
アイヴィーの報告が終わっても、ソクーロフは黙ったままだった。
「ちょっとー。ソクちゃん、聞いてるー?
まさか、俺の話聞きながら寝ちゃったんじゃないでしょーね?」
「お前じゃあるまいし」
「俺だってそんなことしないよっ!」
「まず、確認したい。万一の場合は、当主の座を、
ジョシュアに譲りたいという話をしていた時、
その場に居たのは、お前達三人と、当主、秘書の五人だけか?」
「え、うん」
「執事はその場に居なかった?」
「うん。執事さんは部屋まで案内してくれただけだったから」
「そうか」
「今のって、何か関係あんの?」
「さあな」
「何か解ってんなら、頭スッカラカンの俺にも解るように教えてよ。
スッカラカンじゃないほうのソクーロフ先生?」
間を置いたあと、ソクーロフはこう言った。
「――お前は、幾つ思い付く?」
「え?」
「ジョシュアへの殺意を表に出さないまま、ジョシュアをこの世から葬り去る方法を」
アイヴィーはスマートフォンを持ったまま、首を傾ける。
「な、何それ? 自分が犯人だと誰にも気付かれずにジョシュアを葬るには、
どんな方法があるでしょーか、っていうシュミの悪いクイズ?」
「そうだ。思い付くか?」
「それなら、やっぱり、事故死や病死に見せかける、とか?」
「それもある」
「ソクーロフ先生はどんな方法を思い付いてるわけ?」
「成功率が高い方法をひとつ」
「どんな?」
「殺意を隠して、あの子を殺めたいのなら、あの子の傍に居る人間を狙えば良い。
そうすれば、あの子は自ら命を投げ出すさ。誰かを守る為に」
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