■アイヴィーとデッドプリンス
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アルフォンソ島の南西部。
海近くの崖っぷちコテージに、仲良し三人組が遊びに来た。
手にはそれぞれの好きな飲み物を持参して。
何故なら、この家にはそれがないのを知っているからである。
「おーっす。アイヴィー、邪魔するぜー!」
「オフだと聞いたので、遊びに来てあげましたー!」
「こんちはー」
アルフレッド、シルヴァン、ハルヤが家の中に入る。
家主のアイヴィーは、物想いな溜め息を吐いて、PCの前に座っていた。
顔だけ、生徒達のほうを向く。
「まーた来ちゃったのか、お前さん達」
「あれ? お仕事中でしたか?」
「いんや。仕事とはカンケーねえサイト見てただけだよ。何回見ても、イイ写真だからさ」
「写真? あっ、解りました! またピンクなサイト見てたんですね?」
「ば、バカ! ナニを言い出してんだよ!」
「えっ……」
その手の話題が極端に弱い日本人が声を失っている。
「ちょ、ハルヤ! 思いっきり信じてんじゃねえよ!」
「そーゆーことかー。この家、エッチな本とかねーなー、って思ってたんだよー」
「アルフレッド……俺んちにそんな期待を持ってたのかよ」
「なあなあ、俺にもそのピンクなサイト見せろよ~」
アルフレッドがひょいひょいとやってきて、アイヴィーの背後からPCを覗いた。
そこに表示されていたのは、何枚もの写真と文字の羅列。
「なんだ、フツーのニュースサイトじゃねえかよ、つまんね」
「お前さんの期待が間違ってんだよっ。それにな、これはつまんないどころじゃねえ。
昨日、ついにアストンマーチンの新モデルが発表されたのよ!」
シルヴァンが画面に顔を近付ける。
「モーターショーのニュースですか?」
「ああ。スイスに世界中の最新車が大集結ってわけよ!」
大丈夫そうだ、と感じたハルヤが、のろのろと皆の傍に寄る。
PCの画面上には、車の写真がたくさん表示されていた。
ただ、多くの車が映っているのではなく、一台の車をあちこちの角度から撮影したものだ。
車の色は、一言では言い表し難い不思議な色。
濃い灰色に紺色の絵の具を少し溶かしたよう、とでも言うのだろうか。
メタリックな色で星を散りばめた夜空みたいにも見える。渋い色なのにオシャレなかんじだ。
アイヴィーが言うには、これがアストンマーチン特有の『高級感ある塗装』なのだと言う。
「ふうん。なんだかカッコイイ車だね」
「だろ、だろ? ハルヤは車を見る目があるな!」
今日のアイヴィーは、珍しくハイテンションだった。
ハルヤにとって、アイヴィーは『ずっと年上のお兄さん』だったが、
今日は、ちょっと子供っぽいアイヴィーを見た気がした。
「こいつはな、one-77(ワン・セブンセブン)って名前で、世界で限定77台しか生産されないんだ。
トップスピードが時速322km、それで車両重量は1500kgってんだから、スゲーだろ!?」
アイヴィーが熱く語っている横で、他三名はきょとん顔である。
「俺達には、それがどんくらいスゲーのか、全っ然伝わんねーから」
「世界一だよ、世界一。one-77は最速の車。この軽量で、この速度はねえんだぞ、マジで」
「77台の『限定』という響きが、マニア魂に火を付けるというのは解りますよ、僕」
「俺は別にマニアじゃねえけどな」
「そう言えば、アイヴィーの『スカッとしたい時用』の車はアストンマーチンでしたね?」
「おうよ!」
イギリスの高級車メーカー、アストンマーチン。
アイヴィーが所有しているのは同社のV12ヴァンキッシュ。ボディカラーはシルバーグレイ。
購入当時の最新モデルであり、2000年から2007年まで生産された車種だ。
アイヴィーは公私で三台の車を使い分けている。
『仕事用』のベントレー、『ちょっと遊びに行く時用』のBMW、
中でも一番のお気に入りが、この『スカッとしたい時用』のアストンマーチンだった。
シルヴァンがハルヤの様子に気付く。
黙ったまま、アイヴィーのことをぼうっと見つめていた。
「どうしたんですか? ハルヤ」
「アイヴィー、カッコイイな、って思って」
「ええっ!?」
「この車バカが!?」
「バカまで行ってねえっつの!」
「いてっ!」
「ちょっと、ハルヤ! アイヴィーの、ドコが、カッコイイんですかっ!?」
「車のこと詳しいのって、なんか『大人の男』ってかんじでさ。俺、車って全然知らないし、運転もできないし」
シルヴァンがハルヤの両肩に手を置く。
「大丈夫です、ハルヤ! ハルヤはハルヤのままで、サイコーに! カワイイですからっ!」
アイヴィーの左肩が下がる。
「……どんなフォローだよ。まあ、間違ってはねーけど」
アルフレッドは一人用のソファに座る。オレンジの缶ジュースを開ける。
「で、アイヴィー。その車、欲しいのか?」
「アストンマーチンのファンなら、欲しいに決まってるって」
アルフレッドにつられて、シルヴァンとハルヤがロングソファに座る。
「じゃあ、そんなに言うなら、買っちゃえばいいじゃないですか、one-77」
「買っちゃえばって……そうカンタンに言ってくれるけどなあ。
限定77台だし、まー、カンタンには買えねえお値段だぞ、こいつは」
「お幾らなんですか?」
「聞いて驚くなよ? なんと、100万ポンドだ!」
アルフレッドとハルヤは同時に首を傾げた。
「イギリスの通貨じゃ解んねえよ。ドルで言えよ、ドルで」
「そーだなあ、ドルだと……140万ドルくらいか」
ハルヤは反対側に首を傾げた。
ドルで言われても、金額が大き過ぎて、どのくらいなのか計算できなかったのである。
シルヴァンの服をちょいちょいと引っ張る。
「ね。日本円だと、どのくらいか解る?」
「んー。そうですねえ。ちょっと待って下さい」
人差し指を立て、空中に数字を書きながら、計算をする。
「お待たせしました。ざっとですけど、1億4000万円くらいですね」
「うそ……宝くじの1等でも当てないとダメじゃん」
「やっと解って貰えたかー。one-77はスペックだけじゃなくて、価格も世界一なわけよ。
な? 欲しくてもカンタンには買えねえだろ?
けど、既に100人以上、手を挙げてる奴が居るらしいんだよなー。どんだけセレブなんだっつーの」
「なら、俺が誕生日にでもプレゼントしてやろーか? その、oneなんだか、っていう車」
皆の視線が一気に集まる。アルフレッドはオレンジジュースを飲みながら、
「そーいや、アイヴィーの誕生日っていつ? てか、今何歳?」
アイヴィーが頭を押さえている。
「……忘れてた。お前さん、ハリウッドスターだったな」
ハルヤは日本人の微笑みを見せている。
「なんか、レッドのこと、すごく遠い存在に感じちゃった。俺なんかが友達でいいのかな……」
「何言ってんだよ、ハルヤ! 俺達、一緒にバンドやる仲だろ!?」
「そうだけど……俺、皆と違って、一般庶民だからさ」
「お前だって、人間国宝の孫だろ! スゲーじゃん!」
「それは、じいさまが凄いだけで、俺は違うし」
シルヴァンがハルヤの両肩に手を置く。
「大丈夫です、ハルヤ! ハルヤは僕よりも、ニッポンの漫画に詳しいじゃないですかっ!」
「……日本人だからね。でも、昔の作品はシルヴァンのほうが詳しいけど」
「ああっ、すみません、ハルヤ!」
「自信失くすとこじゃねえし、謝るとこじゃねえし。
で、お前さん達は俺んちに何しに来たんですかー? 俺、オフなのにー」
「あ?」
「ああ、そうでした!」
「俺達、アイヴィーにご飯を作って貰いに来たんだったね」
「ま、そんなこったろーと思ったけどな。パスタの材料しかないが。文句はねえな?」
「ないでーす!」
アイヴィーはPCをシャットダウンして、キッチンに向かう。
アルフレッドはソファに座ったまま、声を掛けた。
「なあ。マジでプレゼントしてやろーか? oneなんだかっていうヤツ」
アイヴィーはパスタを手にしながら硬直した。
one-77の艶めかしいボディが思い出される。
けど、ひと回り年下のガキに車を買って貰うなんて。
オトナのお兄さんとしてどうなんだ、俺。
てゆうか、100万ポンドだし。
でも、自分じゃ買えねえし。
頭の中でちっちゃな天使と悪魔のアイヴィーが戦う。
時間にして三秒。
オトナのお兄さんは、迷った。
fin
海近くの崖っぷちコテージに、仲良し三人組が遊びに来た。
手にはそれぞれの好きな飲み物を持参して。
何故なら、この家にはそれがないのを知っているからである。
「おーっす。アイヴィー、邪魔するぜー!」
「オフだと聞いたので、遊びに来てあげましたー!」
「こんちはー」
アルフレッド、シルヴァン、ハルヤが家の中に入る。
家主のアイヴィーは、物想いな溜め息を吐いて、PCの前に座っていた。
顔だけ、生徒達のほうを向く。
「まーた来ちゃったのか、お前さん達」
「あれ? お仕事中でしたか?」
「いんや。仕事とはカンケーねえサイト見てただけだよ。何回見ても、イイ写真だからさ」
「写真? あっ、解りました! またピンクなサイト見てたんですね?」
「ば、バカ! ナニを言い出してんだよ!」
「えっ……」
その手の話題が極端に弱い日本人が声を失っている。
「ちょ、ハルヤ! 思いっきり信じてんじゃねえよ!」
「そーゆーことかー。この家、エッチな本とかねーなー、って思ってたんだよー」
「アルフレッド……俺んちにそんな期待を持ってたのかよ」
「なあなあ、俺にもそのピンクなサイト見せろよ~」
アルフレッドがひょいひょいとやってきて、アイヴィーの背後からPCを覗いた。
そこに表示されていたのは、何枚もの写真と文字の羅列。
「なんだ、フツーのニュースサイトじゃねえかよ、つまんね」
「お前さんの期待が間違ってんだよっ。それにな、これはつまんないどころじゃねえ。
昨日、ついにアストンマーチンの新モデルが発表されたのよ!」
シルヴァンが画面に顔を近付ける。
「モーターショーのニュースですか?」
「ああ。スイスに世界中の最新車が大集結ってわけよ!」
大丈夫そうだ、と感じたハルヤが、のろのろと皆の傍に寄る。
PCの画面上には、車の写真がたくさん表示されていた。
ただ、多くの車が映っているのではなく、一台の車をあちこちの角度から撮影したものだ。
車の色は、一言では言い表し難い不思議な色。
濃い灰色に紺色の絵の具を少し溶かしたよう、とでも言うのだろうか。
メタリックな色で星を散りばめた夜空みたいにも見える。渋い色なのにオシャレなかんじだ。
アイヴィーが言うには、これがアストンマーチン特有の『高級感ある塗装』なのだと言う。
「ふうん。なんだかカッコイイ車だね」
「だろ、だろ? ハルヤは車を見る目があるな!」
今日のアイヴィーは、珍しくハイテンションだった。
ハルヤにとって、アイヴィーは『ずっと年上のお兄さん』だったが、
今日は、ちょっと子供っぽいアイヴィーを見た気がした。
「こいつはな、one-77(ワン・セブンセブン)って名前で、世界で限定77台しか生産されないんだ。
トップスピードが時速322km、それで車両重量は1500kgってんだから、スゲーだろ!?」
アイヴィーが熱く語っている横で、他三名はきょとん顔である。
「俺達には、それがどんくらいスゲーのか、全っ然伝わんねーから」
「世界一だよ、世界一。one-77は最速の車。この軽量で、この速度はねえんだぞ、マジで」
「77台の『限定』という響きが、マニア魂に火を付けるというのは解りますよ、僕」
「俺は別にマニアじゃねえけどな」
「そう言えば、アイヴィーの『スカッとしたい時用』の車はアストンマーチンでしたね?」
「おうよ!」
イギリスの高級車メーカー、アストンマーチン。
アイヴィーが所有しているのは同社のV12ヴァンキッシュ。ボディカラーはシルバーグレイ。
購入当時の最新モデルであり、2000年から2007年まで生産された車種だ。
アイヴィーは公私で三台の車を使い分けている。
『仕事用』のベントレー、『ちょっと遊びに行く時用』のBMW、
中でも一番のお気に入りが、この『スカッとしたい時用』のアストンマーチンだった。
シルヴァンがハルヤの様子に気付く。
黙ったまま、アイヴィーのことをぼうっと見つめていた。
「どうしたんですか? ハルヤ」
「アイヴィー、カッコイイな、って思って」
「ええっ!?」
「この車バカが!?」
「バカまで行ってねえっつの!」
「いてっ!」
「ちょっと、ハルヤ! アイヴィーの、ドコが、カッコイイんですかっ!?」
「車のこと詳しいのって、なんか『大人の男』ってかんじでさ。俺、車って全然知らないし、運転もできないし」
シルヴァンがハルヤの両肩に手を置く。
「大丈夫です、ハルヤ! ハルヤはハルヤのままで、サイコーに! カワイイですからっ!」
アイヴィーの左肩が下がる。
「……どんなフォローだよ。まあ、間違ってはねーけど」
アルフレッドは一人用のソファに座る。オレンジの缶ジュースを開ける。
「で、アイヴィー。その車、欲しいのか?」
「アストンマーチンのファンなら、欲しいに決まってるって」
アルフレッドにつられて、シルヴァンとハルヤがロングソファに座る。
「じゃあ、そんなに言うなら、買っちゃえばいいじゃないですか、one-77」
「買っちゃえばって……そうカンタンに言ってくれるけどなあ。
限定77台だし、まー、カンタンには買えねえお値段だぞ、こいつは」
「お幾らなんですか?」
「聞いて驚くなよ? なんと、100万ポンドだ!」
アルフレッドとハルヤは同時に首を傾げた。
「イギリスの通貨じゃ解んねえよ。ドルで言えよ、ドルで」
「そーだなあ、ドルだと……140万ドルくらいか」
ハルヤは反対側に首を傾げた。
ドルで言われても、金額が大き過ぎて、どのくらいなのか計算できなかったのである。
シルヴァンの服をちょいちょいと引っ張る。
「ね。日本円だと、どのくらいか解る?」
「んー。そうですねえ。ちょっと待って下さい」
人差し指を立て、空中に数字を書きながら、計算をする。
「お待たせしました。ざっとですけど、1億4000万円くらいですね」
「うそ……宝くじの1等でも当てないとダメじゃん」
「やっと解って貰えたかー。one-77はスペックだけじゃなくて、価格も世界一なわけよ。
な? 欲しくてもカンタンには買えねえだろ?
けど、既に100人以上、手を挙げてる奴が居るらしいんだよなー。どんだけセレブなんだっつーの」
「なら、俺が誕生日にでもプレゼントしてやろーか? その、oneなんだか、っていう車」
皆の視線が一気に集まる。アルフレッドはオレンジジュースを飲みながら、
「そーいや、アイヴィーの誕生日っていつ? てか、今何歳?」
アイヴィーが頭を押さえている。
「……忘れてた。お前さん、ハリウッドスターだったな」
ハルヤは日本人の微笑みを見せている。
「なんか、レッドのこと、すごく遠い存在に感じちゃった。俺なんかが友達でいいのかな……」
「何言ってんだよ、ハルヤ! 俺達、一緒にバンドやる仲だろ!?」
「そうだけど……俺、皆と違って、一般庶民だからさ」
「お前だって、人間国宝の孫だろ! スゲーじゃん!」
「それは、じいさまが凄いだけで、俺は違うし」
シルヴァンがハルヤの両肩に手を置く。
「大丈夫です、ハルヤ! ハルヤは僕よりも、ニッポンの漫画に詳しいじゃないですかっ!」
「……日本人だからね。でも、昔の作品はシルヴァンのほうが詳しいけど」
「ああっ、すみません、ハルヤ!」
「自信失くすとこじゃねえし、謝るとこじゃねえし。
で、お前さん達は俺んちに何しに来たんですかー? 俺、オフなのにー」
「あ?」
「ああ、そうでした!」
「俺達、アイヴィーにご飯を作って貰いに来たんだったね」
「ま、そんなこったろーと思ったけどな。パスタの材料しかないが。文句はねえな?」
「ないでーす!」
アイヴィーはPCをシャットダウンして、キッチンに向かう。
アルフレッドはソファに座ったまま、声を掛けた。
「なあ。マジでプレゼントしてやろーか? oneなんだかっていうヤツ」
アイヴィーはパスタを手にしながら硬直した。
one-77の艶めかしいボディが思い出される。
けど、ひと回り年下のガキに車を買って貰うなんて。
オトナのお兄さんとしてどうなんだ、俺。
てゆうか、100万ポンドだし。
でも、自分じゃ買えねえし。
頭の中でちっちゃな天使と悪魔のアイヴィーが戦う。
時間にして三秒。
オトナのお兄さんは、迷った。
fin
■アイヴィー5年前
■囚われ人8 続編
■囚われ人8 続編
追憶の塔の1階は、その昔、天然の水牢として機能していた。
潮の満ち引きを利用して、生きたまま、囚人を海水に浸けたという。
冷たい海水は、体温を奪いながら、呼吸困難に陥れる。罪を吐かせる為、もしくは。
もちろん、今は使われていない。グロテスクで非効率的な手段だからだろう。
2階には室内射撃場がある。隊員の特殊訓練用であり、ここで実弾を人に当てることはないが、
かつてはここも処刑場だった、とか、ジョークとは言い切れない噂もある。
警備の人間には各自のレベルに見合った特殊訓練が義務付けられている。
司令官も定期的に品質のチェックを受ける。
合格ラインに満たなければ降格。最悪の場合、この島から放り出される。
俺は今日、訓練日でもないのに室内射撃場に来ていた。自主練という名目で。
照準を合わせ、引き金を引く。乾いた音。
その時、俺の頭の中には何もない。身体が勝手に動いてくれる。
目は自動的にターゲットを狙い、人差し指は機械のように曲がる。破裂音と共に人型の的に穴が空く。
「全弾、心臓に命中ですか。流石ですね、司令」
「クロイツか……こんなこと、褒められてもな」
一度身に付いたテクニックは、例えブランクがあっても、そう簡単に消えてくれない。
この腕は、何より、人の命を奪うことに長けている。
「有用な特技ですよ、この組織に居る限りは」
クロイツは、俺の手から銃をそっと取る。
「辺境の王子達を守れます」
背を向けたまま、静かに言った。
「司令のスケジュールが変わりましたので、お知らせに参りました」
「何?」
「すぐに学院へ向かう準備をして下さい。ドライバーの予約が入りました」
今日、俺を呼んでくれたお客さんは、この前の坊ちゃん。
ジョシュア・グラント、中等部一年、ウーティス寮。おし、もう覚えた。
どうやら、俺を指名してくれたらしい。何がお気に召されたのか解んないけど。
待ち合わせの正門前に行くと、もう待ってた。この前も早かったな、そう言えば。
ジョシュアに呼ばれる時は、今度から早めに来よっと。
俯いて待ってたジョシュアは、俺の車を見ると、ほっとしたような顔になった。
「よっ、ジョシュア。今日は俺を指名で呼んでくれたんだって?」
「はい。あ、もしかして、ご迷惑でしたか?」
「まーさか。ご指名頂き、ありがとさん」
頭をぽんっと撫でてやる。
「さ、乗りな?」
ジョシュアは、俺が触ったトコを自分で触れながら、「はい」と答えた。
今日の行き先は『新市街のほう』だった。
ハンドルを握りながら、テキトーに話を振ってみた。
「もうすぐ文化祭なんだってな?」
「あ、はい。そうですね」
「仮装行列とかもあるんだろ? お前さんは何の仮装するの?」
「いえ、僕は参加しないので……」
「え? あ、全員参加じゃないんだ?」
「はい。自由参加です」
「じゃあ、仮装行列の間は何してんの?」
「休講日なので、部屋で本を読んでいると思います」
「そ、そっか」
なんか俺、聞いちゃいけないこと聞いたかな?
みんながお祭り騒ぎしてる間も一人なのか、こいつは。
でも、一匹狼ってかんじじゃねえんだけどなあ。
新市街の真ん中ら辺でジョシュアを落とした。
二時間後に同じ場所で待ち合わせて、学院に連れて帰る約束をした。
あと二時間、どうやって過ごそうか。本部に戻って雑事をしてもいんだけど、
街のパトロールと称して、のんびりすることにした。
サボれる時はちゃんとサボる。コレ、俺のモットー。
「応答願います」
車内の無線機が喋り出した。クロイツの声だ。
「今、新市街ですね? ジョシュア様の送迎は終了していますよね?」
「あ、あー、うん……」
学院所属のタクシーは全てGPS搭載車両。
どの車がどこでサボってるのかバレバレなんだった。
「でもさ、二時間後にまた迎えに来てくれってジョシュアに言われてっから」
「二時間もあれば十分です」
「チンタラしてないで、早く戻って来いってことね、ゴメンゴメン」
「いいえ。次は旧市街に向かって下さい。今、学院まで送って欲しいと連絡がありました」
旧市街は、どちらかと言えば夜の街だ。
こんな放課後の時間じゃ、飲食店にはまだ明かりが点いていない。
人通りの少ない広場で、ジブリールは待っていた。
近くに公衆電話がある。あそこから学院に電話したのかもしれない。
これがウワサのジブリール・アブル・アルファマード。実際に会うのは初めてだ。
高等部二年、アルファルド寮。産油国の第三王子。
車から降りた俺は、すぐに砂漠の王子様に見付かった。
一瞬、ガンを飛ばされてるのかと思ったくらい、目付きが悪い。変声期がとうに終わっている声で言った。
「学院のドライバーか? 名前は?」
「アイヴィー。お前さんがジブリールだな?」
「ああ。学院まで頼む」
送迎の予約時には、ドライバーに生徒の名前が知らされるように、生徒にも、ドライバーの名前が知らされる。
「アイヴィーという者がお迎えに参ります」と教えておくのだ。
間違いなく学院専属のドライバーであるか確認する為だ。
双方の名前の確認は、通常、ドライバーが行うものだが、ジブリールは自分から俺の名前を確認してきた。
俺は運転しながら、後部座席に話し掛けてみた。
「もうすぐ文化祭なんだよな、ガッコ。お前さんは参加すんの? 仮装行列」
「……ああ」
「へー。じゃあ、親御さんとかも見に来んのー?」
「よく喋るドライバーだな」
「あ、そう? 俺、まだ入ったばっかだから、その辺よく解んないんだよねー」
「では静かにしていてくれ、学院に着くまでだ」
それ、一言も喋れねーじゃん。
けど、今のかんじでは、親御さんからの連絡は来てるっぽいな。
一日のお勤めが終わり、家に帰ると、またハガキが届いていた。ピコからだ。
今度は土産屋の端っこで売ってそうな、風景写真のポストカードだった。
裏面は、海に面した土地に白い石が立ち並んでる写真。
右上にはカルタゴと書いてある。ググってみたらカルタゴ遺跡のことらしいと解った。
宛先の下に書かれた数行のメッセージは、嫌味なまでの、旅の土産話だった。
差出人のところには『チュニジア、ガルマタにて』ってかんじで、旅先の国の名と、街の名が書いてあるだけ。
やっぱりピコの住所がないので、返事が書きたくても、こっちからは一言も送れやしない。
そうして、俺の元にピコからポストカードが届くようになった。
全くの不定期に、ただ一方的に送り付けられるハガキ。
それでも、ピコがどこかで元気にしてると知れて、悪い気はしなかった。
→
潮の満ち引きを利用して、生きたまま、囚人を海水に浸けたという。
冷たい海水は、体温を奪いながら、呼吸困難に陥れる。罪を吐かせる為、もしくは。
もちろん、今は使われていない。グロテスクで非効率的な手段だからだろう。
2階には室内射撃場がある。隊員の特殊訓練用であり、ここで実弾を人に当てることはないが、
かつてはここも処刑場だった、とか、ジョークとは言い切れない噂もある。
警備の人間には各自のレベルに見合った特殊訓練が義務付けられている。
司令官も定期的に品質のチェックを受ける。
合格ラインに満たなければ降格。最悪の場合、この島から放り出される。
俺は今日、訓練日でもないのに室内射撃場に来ていた。自主練という名目で。
照準を合わせ、引き金を引く。乾いた音。
その時、俺の頭の中には何もない。身体が勝手に動いてくれる。
目は自動的にターゲットを狙い、人差し指は機械のように曲がる。破裂音と共に人型の的に穴が空く。
「全弾、心臓に命中ですか。流石ですね、司令」
「クロイツか……こんなこと、褒められてもな」
一度身に付いたテクニックは、例えブランクがあっても、そう簡単に消えてくれない。
この腕は、何より、人の命を奪うことに長けている。
「有用な特技ですよ、この組織に居る限りは」
クロイツは、俺の手から銃をそっと取る。
「辺境の王子達を守れます」
背を向けたまま、静かに言った。
「司令のスケジュールが変わりましたので、お知らせに参りました」
「何?」
「すぐに学院へ向かう準備をして下さい。ドライバーの予約が入りました」
今日、俺を呼んでくれたお客さんは、この前の坊ちゃん。
ジョシュア・グラント、中等部一年、ウーティス寮。おし、もう覚えた。
どうやら、俺を指名してくれたらしい。何がお気に召されたのか解んないけど。
待ち合わせの正門前に行くと、もう待ってた。この前も早かったな、そう言えば。
ジョシュアに呼ばれる時は、今度から早めに来よっと。
俯いて待ってたジョシュアは、俺の車を見ると、ほっとしたような顔になった。
「よっ、ジョシュア。今日は俺を指名で呼んでくれたんだって?」
「はい。あ、もしかして、ご迷惑でしたか?」
「まーさか。ご指名頂き、ありがとさん」
頭をぽんっと撫でてやる。
「さ、乗りな?」
ジョシュアは、俺が触ったトコを自分で触れながら、「はい」と答えた。
今日の行き先は『新市街のほう』だった。
ハンドルを握りながら、テキトーに話を振ってみた。
「もうすぐ文化祭なんだってな?」
「あ、はい。そうですね」
「仮装行列とかもあるんだろ? お前さんは何の仮装するの?」
「いえ、僕は参加しないので……」
「え? あ、全員参加じゃないんだ?」
「はい。自由参加です」
「じゃあ、仮装行列の間は何してんの?」
「休講日なので、部屋で本を読んでいると思います」
「そ、そっか」
なんか俺、聞いちゃいけないこと聞いたかな?
みんながお祭り騒ぎしてる間も一人なのか、こいつは。
でも、一匹狼ってかんじじゃねえんだけどなあ。
新市街の真ん中ら辺でジョシュアを落とした。
二時間後に同じ場所で待ち合わせて、学院に連れて帰る約束をした。
あと二時間、どうやって過ごそうか。本部に戻って雑事をしてもいんだけど、
街のパトロールと称して、のんびりすることにした。
サボれる時はちゃんとサボる。コレ、俺のモットー。
「応答願います」
車内の無線機が喋り出した。クロイツの声だ。
「今、新市街ですね? ジョシュア様の送迎は終了していますよね?」
「あ、あー、うん……」
学院所属のタクシーは全てGPS搭載車両。
どの車がどこでサボってるのかバレバレなんだった。
「でもさ、二時間後にまた迎えに来てくれってジョシュアに言われてっから」
「二時間もあれば十分です」
「チンタラしてないで、早く戻って来いってことね、ゴメンゴメン」
「いいえ。次は旧市街に向かって下さい。今、学院まで送って欲しいと連絡がありました」
旧市街は、どちらかと言えば夜の街だ。
こんな放課後の時間じゃ、飲食店にはまだ明かりが点いていない。
人通りの少ない広場で、ジブリールは待っていた。
近くに公衆電話がある。あそこから学院に電話したのかもしれない。
これがウワサのジブリール・アブル・アルファマード。実際に会うのは初めてだ。
高等部二年、アルファルド寮。産油国の第三王子。
車から降りた俺は、すぐに砂漠の王子様に見付かった。
一瞬、ガンを飛ばされてるのかと思ったくらい、目付きが悪い。変声期がとうに終わっている声で言った。
「学院のドライバーか? 名前は?」
「アイヴィー。お前さんがジブリールだな?」
「ああ。学院まで頼む」
送迎の予約時には、ドライバーに生徒の名前が知らされるように、生徒にも、ドライバーの名前が知らされる。
「アイヴィーという者がお迎えに参ります」と教えておくのだ。
間違いなく学院専属のドライバーであるか確認する為だ。
双方の名前の確認は、通常、ドライバーが行うものだが、ジブリールは自分から俺の名前を確認してきた。
俺は運転しながら、後部座席に話し掛けてみた。
「もうすぐ文化祭なんだよな、ガッコ。お前さんは参加すんの? 仮装行列」
「……ああ」
「へー。じゃあ、親御さんとかも見に来んのー?」
「よく喋るドライバーだな」
「あ、そう? 俺、まだ入ったばっかだから、その辺よく解んないんだよねー」
「では静かにしていてくれ、学院に着くまでだ」
それ、一言も喋れねーじゃん。
けど、今のかんじでは、親御さんからの連絡は来てるっぽいな。
一日のお勤めが終わり、家に帰ると、またハガキが届いていた。ピコからだ。
今度は土産屋の端っこで売ってそうな、風景写真のポストカードだった。
裏面は、海に面した土地に白い石が立ち並んでる写真。
右上にはカルタゴと書いてある。ググってみたらカルタゴ遺跡のことらしいと解った。
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宛先の下に書かれた数行のメッセージは、嫌味なまでの、旅の土産話だった。
差出人のところには『チュニジア、ガルマタにて』ってかんじで、旅先の国の名と、街の名が書いてあるだけ。
やっぱりピコの住所がないので、返事が書きたくても、こっちからは一言も送れやしない。
そうして、俺の元にピコからポストカードが届くようになった。
全くの不定期に、ただ一方的に送り付けられるハガキ。
それでも、ピコがどこかで元気にしてると知れて、悪い気はしなかった。
→
■アイヴィー5年前
■囚われ人7 続編
■囚われ人7 続編
警備の人間は、必ずしも良いモンに味方するとは限らない。
守るものは、『依頼者が誰か』による。
警備ってのは結局、誰と契約を結んだか、どこに所属してるのか、で変わってくる。
例えば、国と国がケンカしてる時。
どっちの軍服を着ているかによって、俺の任務は変わる。
俺は味方国を守る為に、敵国を攻撃しなきゃならない。
例え、味方国のせいで、敵国が甚大な被害を被っていても。
例え、味方国が敵国に対して、どんなに極悪非道な振る舞いをしていても。
そこに正義や悪なんて観点は存在しない。
どんな矛盾を感じても、ただ、依頼者の味方をするだけだ。
俺達は、正義の名の下に動いてるわけじゃない。
俺は、正義のヒーローなんかじゃない。
こんな、軍に入ったばっかの新人みたいな感情が、未だにふっと湧く時がある。
それは大抵、昔の夢を見たせい。
『地獄』の日を境に、何度も何度も見る、真っ赤な夢。
昨日見ちった。この島に来てからは初めて。マイクの話を聞いたせいかもしれない。
あれから、ジェフの店には行っていない。あいつはまだ知らされていないから。
マイクがこの島に、ジェフに、会いに来ることはないことを。
偶然とは言え、事実を知った俺は、それをジェフに教えてやるべきなんだろうか。
組織に残っていた記録によると、マイクが殉職したのは、やっぱり、侵入者との戦闘中だった。
場所は北東部の海岸。でも、マイクの犠牲によって、島の内部への侵入を阻止できたって書いてあった。
当時の司令官は、俺の前任者、ジークフリート・フォン・ゲーテ。
彼は、クロイツに一度だけ、こう零したことがあるそうだ。
「マイクを死なせたことが悔やみ切れない」と。
かなりの強敵が相手だったらしく、マイク本人は、ジェフには二度と会えないかもしれないのを解った上で、
「また会いに来る」と言い残した気がしてならない。
それでも、ジェフには言わなきゃいけないんだろうか。
マイクの遺志を、俺なんかが覆して良いんだろうか。
「司令、司令。何度呼べば聞こえるのですか?」
俺は監視室でぼうっとしていたようだ。副司令官の冷たい眼差しに当てられる。
「え、何? クロイツ」
「司令。今朝から気になっていたのですが、今日は顔色が優れませんね」
「ああ、平気ヘーキ」
「そうですか? では生徒代表室へ向かいましょう。ミーティングの時間です」
生徒代表室に入るのは、もう初めてじゃないけど、相変わらずの異空間だ。
壁一面に歴代の生徒代表だとかいう肖像画が並んでる。
この異様な部屋について「最初はビックリしたけど、慣れたら壁の模様みたいなものですから」
なんて言った、当代の生徒代表が、まだ来ない。
「ヤン様、お見えになりませんね。会議開始時刻は過ぎているのに、何かあったのでしょうか?」
「友達に捕まってお喋りでもしているんだろう。気にすることはないよ、クロイツ」
「意外と、楽天的なことを仰るんですね、ドクター。もっと慎重な方かとお見受けしましたが」
「君達、警備の目から見ると、他の人間は危機意識を欠いているように見えるのかもしれないね。
そうだ、クロイツ。時間があればそのうちに、保健室へ来てくれないかな?」
「保健室へ? 何故でしょうか?」
「君はこのところ、以前より疲れが溜まっているように見える。だから一度、カウンセリングの機会を」
「生憎ですが、予定が詰まっておりますので」
「無理にとは言わないよ。ただ、身体を壊してからでは遅いからね。
心身の不調を感じたら、遠慮なく、私のところに来なさい?」
「ご親切に、ありがとうございます、ドクター」
この二人、ピリピリしてんなー、相変わらず。
つーか、苛々してんのはクロイツだけで、ドクターのほうは楽しそうでコワイ。
なんでクロイツに、つっかかってくるんだろ。
「遅くなってごめんなさい」
生徒代表は老紳士を連れてやってきた。あまーい香りと一緒に。
「手伝ってくれて、ありがとう、バトラー」
「いえ。では私はこれで失礼致します」
老紳士は優雅に礼をして退室した。
テーブルに乗せられたのは、人数分のマグカップ。
「ヤン様? それは…」
「あれ? ラインハルトさんも知りませんか? これは『天使も惑う悪魔の誘惑』です」
「なんだそれ?」
「アイヴィーさんはやっぱり初めて見るよね。ホットチョコレートのこと、
この島では『天使も惑う悪魔の誘惑』って呼ぶんです」
どんなセンスしてんだ、それ考えた奴。悪魔ドリンクなのか、これは。
「今日はこれ飲みながら会議しようかなーと思って」
「どうしてですか、ヤン様?」
「僕、好きなんです、これ」
場が静まる。
「あっ、ダメでしたか? 会議中に飲み物飲んじゃ……あの、ダメなら、片付けます、ごめんなさい」
「いいえ、ヤン様。そのような決まりは無い、筈です。生徒代表がお望みなら、私共は構いません」
「そうだね。良いよ、ヤン。たまにはホットチョコレートを飲みながら会議をしてみよう。
固定観念に囚われない自由な発想だ。全く、君の頭脳には驚かされてばかりだよ」
なんで、そんなにウケてんの、あのドクター。今の爆笑ポイント?
「ヤン様は、これをご用意していたから、遅くなったのですね。何かあったのかと心配してしまいました」
「あ、いえ。遅くなっちゃったのは、さっき、テオに捕まっちゃって。
宿題で解んないとこあるから教えてって言われて、今はダメだから夜にねって約束してきたんです」
クロイツはドクターを見る。予想が当たったドクターは一人でちょっと笑ってた。
「じゃ、皆さんも飲んで下さいね、甘くて美味しいですから」
ヤンは猫背をもっと丸めて飲み始めた。
生徒代表に勧められた大人達もホットチョコレートに口付ける。
甘っ。ちょ、コレ、あまっ。
あったかいせいで、とんでもなく甘くなっちゃってる。こんなん久し振りに飲んだ。
てゆうか、チョコの香りに包まれた会議って、気が抜けるんですけど。ドコ行った、緊張感。
悪魔ドリンクを飲んだクロイツはちょっとむせてた。甘いの、苦手なのかもしれない。
ドクターはどうかなと思って、盗み見ると、割と美味しそうに飲んでた。
「じゃ、会議、始めたいと思いまーす」
少し間延びした生徒代表の声で、ミーティングが始まった。
なんだか、ガッコのホームルームが始まるみたいだ。
でも、ホットチョコレートのおかげか、クロイツとドクターの険悪な雰囲気はいつのまにかなくなっていた。
生徒代表は今日のレジュメを読み上げた。
「今日は文化祭について、ですね」
俺にとっちゃ、初めてのお祭りが近付いてきた。
引き継ぎの時にも言われたが、このお祭りが警備にとっちゃ一番の『稼ぎ時』だそうだ。
もちろん、たくさん捕まえたら、ボーナスが出たりすることはないんだけど。
聖アルフォンソ祭は、学院が主催するお祭りだが、
島民だけでなく、卒業生や、島の外からのゲストも集まる一大イベント。
お祭り騒ぎに乗じて、王子達を狙う外敵も、たっぷりやって来ちゃうってわけだ。
前の司令官も言ってた。「この日だけは気を抜くな」って。
「僕達生徒のほうでは、毎日、文化祭の準備をしています。
仮装行列の衣装を考えたり、劇をする子達も楽しそうに練習してて。
みんな、今年もお祭りを楽しみにしてるんで、色々よろしくお願いします。
あと、えっと、当日のイベントや、会場とかは、
この前メールでお知らせした通りで、変更はないです」
「畏まりました。ヤン様、警備側から最初に一点、お知らせがございます」
「何ですか?」
「ジブリール様の件について、詳細な報告が届きました。
結論から申し上げますと、ヤン様のご心配が的中する内容です」
クロイツは咳払いして、調査報告書を読み上げた。
「近頃、ジブリール様の兄上と父上、つまり第一王子と国王が頻繁に接触していることが解りました」
「ジブリールのお兄さんとお父さん、仲良しなんですか?」
生徒代表の言葉に、クロイツは首を横に振る。
「いえ。第一王子と王の変貌振りを、関係者は不思議がっています。
王家のご子息は三人。誰に王位を継がせるか、まだ正式に決定していないのです。
その為、ご兄弟の内外で、様々な思惑が錯綜し、王家の仲は元々険悪でした。
加えて、父上は文化祭の日に島へやってくるようです」
「となると、ヤンのお手柄だね」
メモを取り終わったドクターが言う。
「ジブリールの様子が可笑しかった、とヤンが気付いた頃。
父上達からジブリールに連絡があったかもしれないね、文化祭の日に会いに行くと」
→
守るものは、『依頼者が誰か』による。
警備ってのは結局、誰と契約を結んだか、どこに所属してるのか、で変わってくる。
例えば、国と国がケンカしてる時。
どっちの軍服を着ているかによって、俺の任務は変わる。
俺は味方国を守る為に、敵国を攻撃しなきゃならない。
例え、味方国のせいで、敵国が甚大な被害を被っていても。
例え、味方国が敵国に対して、どんなに極悪非道な振る舞いをしていても。
そこに正義や悪なんて観点は存在しない。
どんな矛盾を感じても、ただ、依頼者の味方をするだけだ。
俺達は、正義の名の下に動いてるわけじゃない。
俺は、正義のヒーローなんかじゃない。
こんな、軍に入ったばっかの新人みたいな感情が、未だにふっと湧く時がある。
それは大抵、昔の夢を見たせい。
『地獄』の日を境に、何度も何度も見る、真っ赤な夢。
昨日見ちった。この島に来てからは初めて。マイクの話を聞いたせいかもしれない。
あれから、ジェフの店には行っていない。あいつはまだ知らされていないから。
マイクがこの島に、ジェフに、会いに来ることはないことを。
偶然とは言え、事実を知った俺は、それをジェフに教えてやるべきなんだろうか。
組織に残っていた記録によると、マイクが殉職したのは、やっぱり、侵入者との戦闘中だった。
場所は北東部の海岸。でも、マイクの犠牲によって、島の内部への侵入を阻止できたって書いてあった。
当時の司令官は、俺の前任者、ジークフリート・フォン・ゲーテ。
彼は、クロイツに一度だけ、こう零したことがあるそうだ。
「マイクを死なせたことが悔やみ切れない」と。
かなりの強敵が相手だったらしく、マイク本人は、ジェフには二度と会えないかもしれないのを解った上で、
「また会いに来る」と言い残した気がしてならない。
それでも、ジェフには言わなきゃいけないんだろうか。
マイクの遺志を、俺なんかが覆して良いんだろうか。
「司令、司令。何度呼べば聞こえるのですか?」
俺は監視室でぼうっとしていたようだ。副司令官の冷たい眼差しに当てられる。
「え、何? クロイツ」
「司令。今朝から気になっていたのですが、今日は顔色が優れませんね」
「ああ、平気ヘーキ」
「そうですか? では生徒代表室へ向かいましょう。ミーティングの時間です」
生徒代表室に入るのは、もう初めてじゃないけど、相変わらずの異空間だ。
壁一面に歴代の生徒代表だとかいう肖像画が並んでる。
この異様な部屋について「最初はビックリしたけど、慣れたら壁の模様みたいなものですから」
なんて言った、当代の生徒代表が、まだ来ない。
「ヤン様、お見えになりませんね。会議開始時刻は過ぎているのに、何かあったのでしょうか?」
「友達に捕まってお喋りでもしているんだろう。気にすることはないよ、クロイツ」
「意外と、楽天的なことを仰るんですね、ドクター。もっと慎重な方かとお見受けしましたが」
「君達、警備の目から見ると、他の人間は危機意識を欠いているように見えるのかもしれないね。
そうだ、クロイツ。時間があればそのうちに、保健室へ来てくれないかな?」
「保健室へ? 何故でしょうか?」
「君はこのところ、以前より疲れが溜まっているように見える。だから一度、カウンセリングの機会を」
「生憎ですが、予定が詰まっておりますので」
「無理にとは言わないよ。ただ、身体を壊してからでは遅いからね。
心身の不調を感じたら、遠慮なく、私のところに来なさい?」
「ご親切に、ありがとうございます、ドクター」
この二人、ピリピリしてんなー、相変わらず。
つーか、苛々してんのはクロイツだけで、ドクターのほうは楽しそうでコワイ。
なんでクロイツに、つっかかってくるんだろ。
「遅くなってごめんなさい」
生徒代表は老紳士を連れてやってきた。あまーい香りと一緒に。
「手伝ってくれて、ありがとう、バトラー」
「いえ。では私はこれで失礼致します」
老紳士は優雅に礼をして退室した。
テーブルに乗せられたのは、人数分のマグカップ。
「ヤン様? それは…」
「あれ? ラインハルトさんも知りませんか? これは『天使も惑う悪魔の誘惑』です」
「なんだそれ?」
「アイヴィーさんはやっぱり初めて見るよね。ホットチョコレートのこと、
この島では『天使も惑う悪魔の誘惑』って呼ぶんです」
どんなセンスしてんだ、それ考えた奴。悪魔ドリンクなのか、これは。
「今日はこれ飲みながら会議しようかなーと思って」
「どうしてですか、ヤン様?」
「僕、好きなんです、これ」
場が静まる。
「あっ、ダメでしたか? 会議中に飲み物飲んじゃ……あの、ダメなら、片付けます、ごめんなさい」
「いいえ、ヤン様。そのような決まりは無い、筈です。生徒代表がお望みなら、私共は構いません」
「そうだね。良いよ、ヤン。たまにはホットチョコレートを飲みながら会議をしてみよう。
固定観念に囚われない自由な発想だ。全く、君の頭脳には驚かされてばかりだよ」
なんで、そんなにウケてんの、あのドクター。今の爆笑ポイント?
「ヤン様は、これをご用意していたから、遅くなったのですね。何かあったのかと心配してしまいました」
「あ、いえ。遅くなっちゃったのは、さっき、テオに捕まっちゃって。
宿題で解んないとこあるから教えてって言われて、今はダメだから夜にねって約束してきたんです」
クロイツはドクターを見る。予想が当たったドクターは一人でちょっと笑ってた。
「じゃ、皆さんも飲んで下さいね、甘くて美味しいですから」
ヤンは猫背をもっと丸めて飲み始めた。
生徒代表に勧められた大人達もホットチョコレートに口付ける。
甘っ。ちょ、コレ、あまっ。
あったかいせいで、とんでもなく甘くなっちゃってる。こんなん久し振りに飲んだ。
てゆうか、チョコの香りに包まれた会議って、気が抜けるんですけど。ドコ行った、緊張感。
悪魔ドリンクを飲んだクロイツはちょっとむせてた。甘いの、苦手なのかもしれない。
ドクターはどうかなと思って、盗み見ると、割と美味しそうに飲んでた。
「じゃ、会議、始めたいと思いまーす」
少し間延びした生徒代表の声で、ミーティングが始まった。
なんだか、ガッコのホームルームが始まるみたいだ。
でも、ホットチョコレートのおかげか、クロイツとドクターの険悪な雰囲気はいつのまにかなくなっていた。
生徒代表は今日のレジュメを読み上げた。
「今日は文化祭について、ですね」
俺にとっちゃ、初めてのお祭りが近付いてきた。
引き継ぎの時にも言われたが、このお祭りが警備にとっちゃ一番の『稼ぎ時』だそうだ。
もちろん、たくさん捕まえたら、ボーナスが出たりすることはないんだけど。
聖アルフォンソ祭は、学院が主催するお祭りだが、
島民だけでなく、卒業生や、島の外からのゲストも集まる一大イベント。
お祭り騒ぎに乗じて、王子達を狙う外敵も、たっぷりやって来ちゃうってわけだ。
前の司令官も言ってた。「この日だけは気を抜くな」って。
「僕達生徒のほうでは、毎日、文化祭の準備をしています。
仮装行列の衣装を考えたり、劇をする子達も楽しそうに練習してて。
みんな、今年もお祭りを楽しみにしてるんで、色々よろしくお願いします。
あと、えっと、当日のイベントや、会場とかは、
この前メールでお知らせした通りで、変更はないです」
「畏まりました。ヤン様、警備側から最初に一点、お知らせがございます」
「何ですか?」
「ジブリール様の件について、詳細な報告が届きました。
結論から申し上げますと、ヤン様のご心配が的中する内容です」
クロイツは咳払いして、調査報告書を読み上げた。
「近頃、ジブリール様の兄上と父上、つまり第一王子と国王が頻繁に接触していることが解りました」
「ジブリールのお兄さんとお父さん、仲良しなんですか?」
生徒代表の言葉に、クロイツは首を横に振る。
「いえ。第一王子と王の変貌振りを、関係者は不思議がっています。
王家のご子息は三人。誰に王位を継がせるか、まだ正式に決定していないのです。
その為、ご兄弟の内外で、様々な思惑が錯綜し、王家の仲は元々険悪でした。
加えて、父上は文化祭の日に島へやってくるようです」
「となると、ヤンのお手柄だね」
メモを取り終わったドクターが言う。
「ジブリールの様子が可笑しかった、とヤンが気付いた頃。
父上達からジブリールに連絡があったかもしれないね、文化祭の日に会いに行くと」
→
■アイヴィー5年前
■囚われ人6 続編
■囚われ人6 続編
毎日、外食してたから『俺的 美味いメシ食えるとこマップ』は完成度が上がってきた。
これも島の地理を覚えるのに役に立っただろう、ちょっとは。
大体の店を一周したので、今日はあの店に行こうと思った。
前に、誰かと人違いされた店だ。赤毛のお兄さん、今日も居るかな。
あの時のナチョス、ウマかったから、今日はアレ食べて帰ろ。
新市街と旧市街の中間にある駐車場に車を停める。今日は月がキレイ。
おぼろげに覚えてる道順を辿っていくと、ステンドグラスで出来たドアを見付けた。
けど、透けて見える店内は真っ暗だ。ドアには『CLOSE』と彫られたプレートが引っ掛けてあった。
「あちゃー。もしかして、今日はお休みの日?」
だけど、俺は料理しないから、冷蔵庫の中もほぼ空だし。こんな時間にスーパーもやってない。
家に帰っても、あったかい料理で迎えてくれるヒトなんかも居ないわけで。
「……非常食用の缶詰、なんかあったかなあ」
仕方なくナチョスを諦めて、帰ろうとした時。
店の裏で、しゃがんでる男が見えた。ちょっと結んだ赤毛に、黄色いTシャツ。
黒猫に何かご飯をあげてるみたいだ。
「美味しい? ベル」
チリン、と首許で小さなベルが鳴る。黒猫が俺を見た。
「ベル? どうしたの?」
その声を無視して、猫はこっちに歩いてきた。
俺の前まで来て、ニャアと鳴いた。お兄さんが俺に気付く。
「あっ、お客さん、この前の」
「覚えててくれた?」
「うんっ。また来てくれたんだ。嬉しいな」
俺も嬉しかった。お兄さんの隣に、しゃがむ。
「このにゃんこ、お兄さんが飼ってんの?」
「一応ね。でも、お腹が空いたら、うちに来てくれるってかんじだよ。もう大分おじいちゃん猫なんだ」
「へえ。おじいちゃんにしては、カワイイじゃん?」
なんとなく手を差し出してみると、寄ってきた。
「ちょ、くすぐったいよ。人見知りしない奴なんだね」
手をペロペロされてる俺を見て、お兄さんは驚いてるみたいだった。
「ベルも解るんだ……」
「何が?」
「あ、ううん。あの、お客さん、ご飯食べに来たんですよね? 店、入ろ」
「でも、今日はお休みなんじゃないの? また来るよ、俺」
「ま、待ってっ!」
腕を掴まれた。お兄さんのブレスレットがシャラシャラと鳴った。
「ご、ごめんなさい」
パッと手を離される。
「あ、あの。俺ね、ここに住み込みで働いてんだ」
お兄さんは店のてっぺんを指差した。
「屋根裏部屋が俺んち。だから、あの、ヘーキだからさ、ご飯食べて行ってよ」
誰かが足音を忍ばせ、俺の背後に近付いて来る気配がした。
振り向くと、黒いロングコートの男。
「ドクター……、なんで、あんたが、こんなトコに」
カウンセラーは人の好い笑みを浮かべた。
「私が外食しては可笑しいかい? どこかで夕食にしようと思ったら、
君の姿が見えたものだからね。君もこれからなんだろう? ご一緒して良いかな?」
「どうぞどうぞ」と、店員のお兄さんが勝手に答えた。
俺はドクターと二人っきりでメシなんて、イヤだったのに。
お兄さんは猫に「おやすみ、ベル。またあしたね」と言った。
黒猫は、首輪のベルを鳴らしながら、のそのそと立ち去って行った。
お兄さんに勧められるまま、俺とドクターは、店の中へ入った。
真っ暗なバー。客が一人も居なくて、BGMもかかっていないバーは見慣れないせいか、
なんだか少し不気味で、ゴーストハウスのように見えた。
お兄さんがパチパチと照明を付けてくれて、店内が丁度良い薄明かりになる。
手際良くレコードを回してくれた。最近じゃCDが専らなのに、レトロな店だ。
「好きなところに座って下さいね、今日はお二人の貸し切りですから」
俺はテーブル席に座る気にはなれなかった。
まだよく知りもしないドクターと二人きりでお食事なんて、なんかやだし。
俺はドクターが動く前に、お兄さんが居るバーカウンターの席に座った。
ドクターの足音がして、俺の隣に座った。
カウンターの向こう側から、お兄さんがメニュー表を差し出す。
「何にしましょう?」
「あ、俺はナチョス。この前のウマかったから」
「ホント? ありがとう」
「では私も同じものを貰おうかな」
「はい、畏まりました」
ドクターに真似された。お兄さんは目の前でナチョスを作り始める。
俺はドクターと話すのが嫌で、赤毛のお兄さんに話し掛けた。
「この前さ、俺の顔見て『マイク』って呼んでたよね?
俺がそいつに似てたんだろ? ゴメンな、紛らわしい顔しててさ」
「ううん。お客さんが謝ることじゃ……」
「マイクってのは、お兄さんのトモダチ?」
「あ、うん。まあ、そんなかんじ」
「もしかしてさ、マイクって、元マージナルプリンスだったりする?」
あの学院に居られるのは高等部三年まで。
やんちゃな王子様なら、バーくらいには遊びに来てたかもしれない。
「惜しいな。マイクはタクシードライバーだよ、マージナルプリンスのね」
「え、ソッチ!? マジで?」
「うん。マイクは、俺がここに住んでるのも知ってたから、『酔い潰れても泊まっていける』って、
うちの店によく来てくれてさ。酒癖は悪いし、すげえ音痴なんだけど、面白い奴でさ。
でも、急に『転勤になった』って言いに来て。それっきり会えなくなっちゃった。
もう二年くらい昔の話なんだけどね」
なら、転勤というより、多分、契約切れだったんだろう。
警備の任期は三年から長くて十年。いつかは俺も、この島と、おさらばする時が来る。
「でも、マイクは、『休暇が取れたら島に遊びに来る』って言ってたからさ。
だから、この前、お客さんが来た時、マイクが帰ってきてくれたのかと思っちゃって……ごめんなさい」
「謝んなよ、気にしてないって言ったろ?」
「ん。ありがと」
島を出ていく時に寂しがられるのは、マージナルプリンスだけじゃないらしい。
俺がいつか出ていく時も、誰かがこんなふうに悲しんでくれるんだろうか。
二年経っても、いつ遊びに来るかって待ってて貰えたりするんだろうか。
「意外と自己評価が低いんだね、君は」
俺の頭ん中を読んだように、ドクターは言った。
「な、何のこと、言ってんだよ?」
「それより、彼に教えてあげたらいいんじゃないのかい? 君の職務を」
お兄さんに見つめられて、俺は答えることにした。
「えと、俺、この島に新しく来たドライバーなんだ、マージナルプリンスの」
「ほ、ほんとですか!?」
「ああ。新人ドライバーのアイヴィー。よろしくな」
「そうなんだ! 俺はジェフです! よろしく」
なんだかスゴク喜んでくれて、俺も少し嬉しくなった。
ジェフが作ってくれたナチョスは、期待通りの味がしてウマかった。
帰る時は「また来てね、アイヴィー」って言ってくれた。
新しい土地で、行きつけの店第一号ができたみたい。
店を出た後。
ドクターに「次の店に行こう」とか言われたらヤダなと思ってたら、こんなことを言われた。
「この後は、君と二軒目に行こうかと思っていたのだが、今日は帰るよ。
少し用事ができたのでね。また今度、ご一緒できる日を楽しみにしているよ」
二軒目なんて行きたくなかったけど、なんか肩透かし。用事ができたって、いつできたんだよ。
休み明け。出勤してすぐ、俺はクロイツに聞いてみた。
「砂漠の国の王子様については、その後、調査に進展あった?」
「ジブリール様のことですか」
「石油を巡る、国レベルの陰謀とかに巻き込まれてたりしないよね?」
「もちろん、その方向でも調べさせてはいますが、現地に送ったスタッフからは、
もう少しで確定情報が掴めそうなので、それまで待って欲しいとのことです」
「よっし。その情報、楽しみに待ってるよ、って伝えて」
「了解しました」
「あ、それからー、こっちは関係ない話なんだけどさ」
「手短にお願いします」
「……ハイ。えと、マイクって奴が、昔、うちに居たって聞いたんだけどー、
あ、でも、クロイツが来たの去年なんだっけ。知らないか」
「共に仕事をする機会はありませんでしたが、彼の件なら司令から伺っています」
「司令、って、前の?」
「あっ、失礼致しました。そうです、ゲーテ元司令から」
クロイツは俺の前任者のことを、司令、と呼んだ。
名前はジークフリート・フォン・ゲーテ。ピコ曰く、いつも威張り散らす、嫌なドイツ人。
クロイツからはそんな評判は聞いてないけど。
「司令。貴方はどこで、彼のことを?」
俺はマイクを知った経緯を簡単に説明した。
話を聞き終わったクロイツは、そうでしたか、と呟いた。
「では間違いありませんね、二年前まで在籍していた、マイク・キャンベルのことでしょう。
確かに、彼と貴方は髪型が似ています」
「そうなんだ? マイクの写真、どっかにあるかな?」
「ええ」
「やった」
じゃあ見たいなー、と言おうとした時、クロイツと目が合った。
「ん? どした?」
「司令も、そのジェフさんも、ご存知ではないようなので、申し上げますが」
「なに?」
「マイク・キャンベルは、殉職しています、この島で」
→
これも島の地理を覚えるのに役に立っただろう、ちょっとは。
大体の店を一周したので、今日はあの店に行こうと思った。
前に、誰かと人違いされた店だ。赤毛のお兄さん、今日も居るかな。
あの時のナチョス、ウマかったから、今日はアレ食べて帰ろ。
新市街と旧市街の中間にある駐車場に車を停める。今日は月がキレイ。
おぼろげに覚えてる道順を辿っていくと、ステンドグラスで出来たドアを見付けた。
けど、透けて見える店内は真っ暗だ。ドアには『CLOSE』と彫られたプレートが引っ掛けてあった。
「あちゃー。もしかして、今日はお休みの日?」
だけど、俺は料理しないから、冷蔵庫の中もほぼ空だし。こんな時間にスーパーもやってない。
家に帰っても、あったかい料理で迎えてくれるヒトなんかも居ないわけで。
「……非常食用の缶詰、なんかあったかなあ」
仕方なくナチョスを諦めて、帰ろうとした時。
店の裏で、しゃがんでる男が見えた。ちょっと結んだ赤毛に、黄色いTシャツ。
黒猫に何かご飯をあげてるみたいだ。
「美味しい? ベル」
チリン、と首許で小さなベルが鳴る。黒猫が俺を見た。
「ベル? どうしたの?」
その声を無視して、猫はこっちに歩いてきた。
俺の前まで来て、ニャアと鳴いた。お兄さんが俺に気付く。
「あっ、お客さん、この前の」
「覚えててくれた?」
「うんっ。また来てくれたんだ。嬉しいな」
俺も嬉しかった。お兄さんの隣に、しゃがむ。
「このにゃんこ、お兄さんが飼ってんの?」
「一応ね。でも、お腹が空いたら、うちに来てくれるってかんじだよ。もう大分おじいちゃん猫なんだ」
「へえ。おじいちゃんにしては、カワイイじゃん?」
なんとなく手を差し出してみると、寄ってきた。
「ちょ、くすぐったいよ。人見知りしない奴なんだね」
手をペロペロされてる俺を見て、お兄さんは驚いてるみたいだった。
「ベルも解るんだ……」
「何が?」
「あ、ううん。あの、お客さん、ご飯食べに来たんですよね? 店、入ろ」
「でも、今日はお休みなんじゃないの? また来るよ、俺」
「ま、待ってっ!」
腕を掴まれた。お兄さんのブレスレットがシャラシャラと鳴った。
「ご、ごめんなさい」
パッと手を離される。
「あ、あの。俺ね、ここに住み込みで働いてんだ」
お兄さんは店のてっぺんを指差した。
「屋根裏部屋が俺んち。だから、あの、ヘーキだからさ、ご飯食べて行ってよ」
誰かが足音を忍ばせ、俺の背後に近付いて来る気配がした。
振り向くと、黒いロングコートの男。
「ドクター……、なんで、あんたが、こんなトコに」
カウンセラーは人の好い笑みを浮かべた。
「私が外食しては可笑しいかい? どこかで夕食にしようと思ったら、
君の姿が見えたものだからね。君もこれからなんだろう? ご一緒して良いかな?」
「どうぞどうぞ」と、店員のお兄さんが勝手に答えた。
俺はドクターと二人っきりでメシなんて、イヤだったのに。
お兄さんは猫に「おやすみ、ベル。またあしたね」と言った。
黒猫は、首輪のベルを鳴らしながら、のそのそと立ち去って行った。
お兄さんに勧められるまま、俺とドクターは、店の中へ入った。
真っ暗なバー。客が一人も居なくて、BGMもかかっていないバーは見慣れないせいか、
なんだか少し不気味で、ゴーストハウスのように見えた。
お兄さんがパチパチと照明を付けてくれて、店内が丁度良い薄明かりになる。
手際良くレコードを回してくれた。最近じゃCDが専らなのに、レトロな店だ。
「好きなところに座って下さいね、今日はお二人の貸し切りですから」
俺はテーブル席に座る気にはなれなかった。
まだよく知りもしないドクターと二人きりでお食事なんて、なんかやだし。
俺はドクターが動く前に、お兄さんが居るバーカウンターの席に座った。
ドクターの足音がして、俺の隣に座った。
カウンターの向こう側から、お兄さんがメニュー表を差し出す。
「何にしましょう?」
「あ、俺はナチョス。この前のウマかったから」
「ホント? ありがとう」
「では私も同じものを貰おうかな」
「はい、畏まりました」
ドクターに真似された。お兄さんは目の前でナチョスを作り始める。
俺はドクターと話すのが嫌で、赤毛のお兄さんに話し掛けた。
「この前さ、俺の顔見て『マイク』って呼んでたよね?
俺がそいつに似てたんだろ? ゴメンな、紛らわしい顔しててさ」
「ううん。お客さんが謝ることじゃ……」
「マイクってのは、お兄さんのトモダチ?」
「あ、うん。まあ、そんなかんじ」
「もしかしてさ、マイクって、元マージナルプリンスだったりする?」
あの学院に居られるのは高等部三年まで。
やんちゃな王子様なら、バーくらいには遊びに来てたかもしれない。
「惜しいな。マイクはタクシードライバーだよ、マージナルプリンスのね」
「え、ソッチ!? マジで?」
「うん。マイクは、俺がここに住んでるのも知ってたから、『酔い潰れても泊まっていける』って、
うちの店によく来てくれてさ。酒癖は悪いし、すげえ音痴なんだけど、面白い奴でさ。
でも、急に『転勤になった』って言いに来て。それっきり会えなくなっちゃった。
もう二年くらい昔の話なんだけどね」
なら、転勤というより、多分、契約切れだったんだろう。
警備の任期は三年から長くて十年。いつかは俺も、この島と、おさらばする時が来る。
「でも、マイクは、『休暇が取れたら島に遊びに来る』って言ってたからさ。
だから、この前、お客さんが来た時、マイクが帰ってきてくれたのかと思っちゃって……ごめんなさい」
「謝んなよ、気にしてないって言ったろ?」
「ん。ありがと」
島を出ていく時に寂しがられるのは、マージナルプリンスだけじゃないらしい。
俺がいつか出ていく時も、誰かがこんなふうに悲しんでくれるんだろうか。
二年経っても、いつ遊びに来るかって待ってて貰えたりするんだろうか。
「意外と自己評価が低いんだね、君は」
俺の頭ん中を読んだように、ドクターは言った。
「な、何のこと、言ってんだよ?」
「それより、彼に教えてあげたらいいんじゃないのかい? 君の職務を」
お兄さんに見つめられて、俺は答えることにした。
「えと、俺、この島に新しく来たドライバーなんだ、マージナルプリンスの」
「ほ、ほんとですか!?」
「ああ。新人ドライバーのアイヴィー。よろしくな」
「そうなんだ! 俺はジェフです! よろしく」
なんだかスゴク喜んでくれて、俺も少し嬉しくなった。
ジェフが作ってくれたナチョスは、期待通りの味がしてウマかった。
帰る時は「また来てね、アイヴィー」って言ってくれた。
新しい土地で、行きつけの店第一号ができたみたい。
店を出た後。
ドクターに「次の店に行こう」とか言われたらヤダなと思ってたら、こんなことを言われた。
「この後は、君と二軒目に行こうかと思っていたのだが、今日は帰るよ。
少し用事ができたのでね。また今度、ご一緒できる日を楽しみにしているよ」
二軒目なんて行きたくなかったけど、なんか肩透かし。用事ができたって、いつできたんだよ。
休み明け。出勤してすぐ、俺はクロイツに聞いてみた。
「砂漠の国の王子様については、その後、調査に進展あった?」
「ジブリール様のことですか」
「石油を巡る、国レベルの陰謀とかに巻き込まれてたりしないよね?」
「もちろん、その方向でも調べさせてはいますが、現地に送ったスタッフからは、
もう少しで確定情報が掴めそうなので、それまで待って欲しいとのことです」
「よっし。その情報、楽しみに待ってるよ、って伝えて」
「了解しました」
「あ、それからー、こっちは関係ない話なんだけどさ」
「手短にお願いします」
「……ハイ。えと、マイクって奴が、昔、うちに居たって聞いたんだけどー、
あ、でも、クロイツが来たの去年なんだっけ。知らないか」
「共に仕事をする機会はありませんでしたが、彼の件なら司令から伺っています」
「司令、って、前の?」
「あっ、失礼致しました。そうです、ゲーテ元司令から」
クロイツは俺の前任者のことを、司令、と呼んだ。
名前はジークフリート・フォン・ゲーテ。ピコ曰く、いつも威張り散らす、嫌なドイツ人。
クロイツからはそんな評判は聞いてないけど。
「司令。貴方はどこで、彼のことを?」
俺はマイクを知った経緯を簡単に説明した。
話を聞き終わったクロイツは、そうでしたか、と呟いた。
「では間違いありませんね、二年前まで在籍していた、マイク・キャンベルのことでしょう。
確かに、彼と貴方は髪型が似ています」
「そうなんだ? マイクの写真、どっかにあるかな?」
「ええ」
「やった」
じゃあ見たいなー、と言おうとした時、クロイツと目が合った。
「ん? どした?」
「司令も、そのジェフさんも、ご存知ではないようなので、申し上げますが」
「なに?」
「マイク・キャンベルは、殉職しています、この島で」
→
■テオ×アンリ 王×側近 ソクーロフ×アイヴィー
聖アルフォンソ学院に、今日最後のチャイムが鳴る。
情報学の教室からも、教授が立ち去っていった。
生徒達は友達と話したり、大きく伸びをしたりと、放課後の緩やかな雰囲気になる。
デッド・プリンスの三人組は同じ長机に着いていた。
その真ん中で、高等部二年のシルヴァンは、堂々と腕枕をしていた。
両脇に座っている高等部一年のアルフレッドとハルヤが声を掛ける。
「おい、シルヴァン」
「授業終わったよ?」
ハリウッドスターと人間国宝の孫に起こされ、両腕を伸ばす。
首を左右に曲げると、ポキ、ポキと良い音が鳴った。
「ん、うーん。あっという間でしたねー、今日の授業は」
「そりゃ、お前が寝てたからだろっ」
アルフレッドに頭を叩かれ、シルヴァンは笑う。
後ろの席では、高等部二年のジョシュアが苦笑していた。
テキストを綺麗に揃え、隣を向く。
「アンリ。この後、時間を貰えるかい?」
高等部一年のアンリは、テキストにブックバンドを掛けながら、
「なに?」
「体育館で、一戦、お相手願えないかなと思ってね?」
「フェンシング? 今日はあんまり気分じゃないな、眠たいし」
校内放送のチャイムが鳴った。
教室の生徒達は話を止めて、ふっと顔を上げる。
「愛しいマージナルプリンス諸君、今日も一日、授業お疲れ様! 生徒代表のテオです!」
マイクに近付き過ぎの大きな声がスピーカーから聞こえてきた。
アンリは溜め息を漏らし、額を押さえる。
叫ばないで済ませる為にマイクというものがあるのに、あの人は地声からして大き過ぎる。
「今日、私が放送室をジャックしたのには、他でもない訳があるのだよ!
私から愛しい皆へ、大切な、大、切、な、連絡があります!」
声量に耐えられなかったマイクがハウリングを起こし、キーンと鳴る。
「ああ、失礼、失礼」
生徒代表の声がマイクから少し遠くなる。
「えー、全校生徒は、至急、噴水広場へ集合して下さい!
ああ、他に急ぎの用事がある人はその限りではないけれどね?
それから、いつもお世話になっている先生方、
職員の皆さんも、よろしければ手を止めて、是非お集まり下さい。
では、みんな、噴水広場で待っているよ!」
放送終了のチャイムが鳴り、スピーカーは静かになった。
同時に、教室や廊下が、ガヤガヤと騒がしくなる。テオと同類のお調子者は歓迎ムードだ。
「テオったら、また面白いことを思い付いたみたいですね!」
菫色の目はパッチリ覚めたようである。眼鏡の東洋人は困り顔だ。
「なんか、めんどくさそうじゃない?」
「何言ってんだよ、ハルヤ。ほら、行ってみようぜっ!」
テオと親しいデッド・プリンスは駆け足で教室を出て行った。ジョシュアも席を立つ。
「アンリ、俺達も行こう。噴水広場って言っていたよね?」
「君、フェンシングしたいんじゃなかったの?」
「でも生徒代表が全員集合するようにって。ほら、皆も移動しているし。早く行かなきゃ」
アンリは重い腰を上げる。
「あーあ。行きたくない」
生徒達が噴水広場に到着する。
そこは英国式ローズガーデンと化していた。
赤い薔薇の花で敷き詰められた、華やかな庭園。
真っ白なテーブルクロスの上には、焼き立てのお菓子や飲み物が勢揃いしている。
まるで貴族が集う、立食式のティパーティのようだ。
「集まってくれてありがとう、マージナルプリンス諸君!」
胸に赤い薔薇を差した生徒代表が白の燕尾服で登場した。
制服の白バージョンである。おそらく色だけを変更し、
デザインは忠実に制服を再現した特注品なのだろうと一般生徒達は思った。
生徒代表と同じシュヌーシア寮の生徒達が、「テオー!」と歓声を上げている。
テオは手を振って声援に応える。そしてマイクを手にした。
「ようこそ! テオプレゼンツ・バレンタイン・パーティへ!
今日は2月14日! 愛するプリンス諸君へ、ささやかながら愛の広場を提供させて貰ったよ。
ここで、美味しいお菓子と紅茶を片手に、皆それぞれの、友情や愛を深め合って欲しい!」
バッと左手を伸ばして、大きなモニュメントを指し示す。
「そして! 二人で鳴らすと親睦が深まる『ラブラブ・ベル』も用意してみました!
みんな、自由に鳴らして、新しい伝説を作っておくれ!」
シルヴァンが手を挙げて、大声で質問する。
「テオー! ところでー! 放送で言っていた、僕達への大切な連絡って何ですかー?」
生徒代表は大きく息を吸い込み、マイクに向かって叫ぶ。
「愛しているよ、みんなっ!!」
キーンと再びマイクが鳴った。
全校生徒を巻き込んでのティタイム。
嫌々付いて来たアンリは、紅茶を飲みながら、パーティ会場を観察する。
生徒代表からの連絡はさておき、『授業が終わった放課後』、
という絶妙のタイミングで用意されたお菓子は、生徒達の小腹に収まっていった。
今日テーブルに並んでいるのは、世界各国から集めたおやつ。
祖国の菓子を見つけた生徒は懐かしんだり、友人に説明したり、自然と話が弾んでいた。
生徒達も『テオのお戯れ』に付き合わされることに慣れつつあった。
テオは、海運王と呼ばれるメネシス家の子息。父親も祖父もこの学院の卒業生である。
ギリシャでも有数の資産家であり、その財力は聖アルフォンソ学院の中でもトップクラスに位置する。
テオが住むシュヌーシア寮は、メネシスの寄付で建築された寮だ。
テオは度々、突拍子もなくイベントを開催するが、
自己満足だけではなく、皆を楽しませる作りになっている。
テオのパーティはいつも、彼が時折口にするモットー『私も楽しい、みんなも楽しい』を形にしたものだ。
アンリ自身も何度か必要に迫られて、パーティを開催したことがある。
それは常に「自分のプライドが許すパーティであるか」が基準になる。
参加者が喜ぶかどうか、などを気にしようとも思わない。
テオと自分では、生まれた環境、考え方、好みの全てが異なる。違う星の下に生まれた生き物にしか思えない。
しかし、テオはアンリを見つける度に、好意の感情をぶつけてくる。
シュヌーシア寮に住んでいるくせに、ウーティスにもしょっちゅう遊びに来て、
「今日も美しい!」とか、「また学年トップの成績を修めたんだって? 素晴らしいね!」などと言ってくる。
彼の辞書には、褒め言葉しか載っていないのかと思うほどだ。
アンリは陰でテオのことを『初代褒め殺し用生物兵器』と呼んでいた。
まるで、自分の周囲には嫌いな人間など一人も居ない、とでも言うように。
息を吸うかの如く、誰にでも、称賛や感謝の言葉を浴びせることができる人。
いつでも大勢の友人の囲まれ、太陽のようなテオが、アンリはどうしても苦手だった。
このバレンタイン・パーティ中でも、テオは生徒達の間を縫って移動しながら、皆に愛を撒き散らしている。
愛の安売りもいいところだ。甘い言葉を囁いたり、肩に触れたり、ハグしたり。
相手によって、コミュニケーションの度合いを適切に使い分けているように見えた。
それが、試行錯誤の末に導かれた結論であるのか、天性の才能であるのかは、
アンリには知り得ないことだったし、どうでもいいことだった。
ウーティス寮生が揃っているテーブルにも、生徒代表は褐色の手をブンブン振ってやってきた。
「ああ、居たっ! 東洋の黒い真珠!!」
大袈裟な愛称の名付け親は、それを大声で叫んだ。
周りの生徒達に笑われ、ハルヤは頬を染めた。
今年入ったハルヤ・コバヤシ。出身は日本。
元々、東洋文化に興味を持っていたらしい生徒代表は、この新入生を大層可愛がっていた。
テオがウーティス寮に顔を出した時、アンリより先にハルヤを構うようになったので、
アンリが褒め殺される頻度は、前年と比べて随分減ったものだ。
今もテオは一目散に東洋人の傍へ向かった。
「東洋の黒い真珠、お菓子はたくさん食べてくれたかい?」
「あ、うん。和菓子まであったし」
「気付いてくれたのだねっ! キョートからお取り寄せしてみたのだよ!
ああ、君に気に入って貰えて良かった! ありがとう! とても嬉しいよ!」
思わずと言わんばかりに抱き着いた。ハルヤが目を丸くする。
「テ、テオっ……」
「ハッピー・バレンタイン、東洋の黒い真珠。
私の溢れんばかりの愛は受け取って貰えたかな?」
「う、うん。苦しい、くらいに……」
嬉しそうに笑った生徒代表は、ハルヤの耳許に唇を寄せ、何か囁いた。
NOと言えない日本人は、抱擁されたまま、耳まで赤くした。
――嫌なら嫌と言えば良いのに。
アンリは何故か無性に腹が立って、口を出した。
「お気に入りの東洋人で遊ぶのは、そのくらいにしたら?」
生徒代表がハルヤから離れる。
「ああ、私としたことが」
微笑みながらアンリに近付いてくる。テオの背後でハルヤのほっとした顔が見えた。
アンリの目の前まで来たテオは、冷たい手を取り、ゆっくり囁く。
「すまない、アンリ。淋しい思いを、させてしまったね?」
アンリは冷笑する。
「勘違いも、貴方のレベルまで行くと、いっそ清々しいよね」
「おやおや。氷の微笑までキレがない。ごめんね、アンリ」
アンリが一歩あとずさるより先に、テオの腕はその細身を捕まえていた。
うんざり、といった表情をして、顔を逸らす。その様子はテオの目には入っていない。
「案ずることはないよ、アンリ。私はハルヤだけではなく、君のことも」
「僕、別にハルヤの身代わりになろうと思ったわけじゃないんだけど」
「またそんな強がりを言って、可愛らしい! 大好きだ!」
きつく抱き締められる。テオがよくする、加減を知らない全力の抱き着き方だ。
アンリは、いつもの冷笑を見せる。
「僕の骨が折れそう」
「ああ、ごめんごめん!」
いつのまにか憤りが消えていることに、アンリは気付かなかった。
首を傾げたハルヤが、こそっとシルヴァンに尋ねる。
「ねえ、シルヴァン」
「なんですか?」
「テオってさ、ここが男子校だって解ってる……よねえ?」
「ああ、ハルヤはまだご存じありませんでしたか。今年来たばかりですもんね」
「ん? どういうこと?」
「先輩方の中には、聖アルフォンソ学院で出会ったことをキッカケに、
本当に結ばれたカップルも居るんですよ? 一組や二組の例ではありません。
意外と、というか必然ですよね、この環境では」
「……えっ、うそ。冗談だよね?」
「いえいえ。フツーに本当ですよ? あっ、ニッポンはまだ同性同士のカップルは、
法律で認められていないんでしたっけ? まあ、世界的にも寛容な流れになってきましたので、
ニッポンでも、そのうちに法改正されると思いますけど」
「へ、へえ。こういうことでも、カルチャーショックがあるんだね……」
「というわけで、ハルヤ! 一緒に『ラブラブ・ベル』、鳴らしに行きましょう!」
「えっ!? ちょ、ちょっと、シルヴァン!」
同日夜、ロレート公国。
王の寝室では、側近が退室するところだった。
「それでは、おやすみなさいませ、陛下」
「ラル」
「何か?」
「お前、今日が何の日だか」
「聖バレンタイン氏の命日、でしょうか?」
「何だ、その色気のない言い方は」
「私は事実を申し上げたまで。陛下こそ、ロレート全土のご婦人方から、
バレンタインの贈り物を頂いて、まだ何かご不満でも?」
マスコミには様々なことを書かれるカーディス1世も、
その容貌や功績から、国内の女性には圧倒的な支持を受けている。
「国民からのプレゼントは、俺の元に届かんじゃないか」
「ええ。貴方がお決めになったことですからね」
王室に届いたお菓子は、国営の児童福祉施設へ送られる。
そこに住む身寄りの無い子供達は、王からのお菓子を毎年楽しみにしている。
「ラル。俺は、お前からまだ貰っていないのだが?」
「毎年同じことを申し上げて恐縮ですが、私は何も用意していませんよ。
王と従者の間で、そのような行事は相応しくないかと」
「では、毎年言うようだが、その身体で……」
「お断り致します、今年こそ」
「無駄な足掻きを。そう俺を楽しませるな」
同時刻、聖アルフォンソ島。
追憶の塔から、司令官とカウンセラーが出てくる。
「今日も結局、遅くなっちゃったねー」
アイヴィーとソクーロフは仕事が終わったところだった。
建物から駐車場までの海辺を、肩を並べて歩いている。
「ソクちゃん、メシまだだよね? これから食いに行こ?」
「ほう。どうしてまた?」
「べ、別に理由なんかないよ? 毎日ハラは減るもんでしょ?」
「今日がバレンタインだから、じゃないのか?」
「え、今日14日だっけー? 気付かなかったー」
「白々しい。この私に嘘を吐こうとした無謀な勇気だけは認めてやろう」
「ウ、ウソじゃないもん! バレンタインなんて知らなかったっ!」
「まあ、いい。今宵は、寂しい男に付き合ってやるか」
「ちょ、寂しい男はあんたもでしょ!」
「そうか。すまない。お前にはまだ言っていなかったな」
アイヴィーの足が止まる。
「え? な、何なに?」
「私達がよく行く中華料理屋があるだろう? 旧市街の」
「あ、うん。俺の好きな『パリパリ海鮮おこげ』があるトコ?」
「ああ。来月なのだがな、私は、あの店の娘さんと挙式を上げる予定なんだ」
「えええーっ!? あのチャイナドレスの子とソクちゃんが!? いつのまにそんなことに!?」
「初めて会った時から惹かれ合っていた。お前、傍に居ながら、全く気付かなかったのか?」
「い、いや。でも、そんな…てゆうか、あの片言の子と、どうやって気が合ったの?」
「フッ。愛があれば、言葉など」
「うっわ。変態鬼畜ドS眼鏡から、そんな言葉を聞く日が来るなんて……どうしよう、明日、島が海に沈むかもしれない……」
「何故、本気でそんな心配をする?」
「あんた、あの店、通ってたの、チャイナっ娘が目当てだったのかよ!?
あー、サイアクだー。ソクちゃんのエッチ! スケベ! ヘンタイ!」
「失礼な。私の目当ては『プリプリエビチリ』だ」
「やっぱあのスリットのチラリズムが……って、エビチリ?」
「挙式など上げるわけないだろう」
「ウソかよっ! ウソがなげえよ!」
「本当にダマされ易いな、お前は」
「あ、あんたが真顔で淡々とウソ吐くからだろっ!」
「私はチャイナドレスになど興味はない、お前と違ってな」
「お、俺だって興味ありませんっ!」
「では何だ、さっきのスリットがどうのって言うのは」
「いいい、言ってませんよ、そんなこと!」
「アイヴィー、脈が上がり過ぎだぞ。大丈夫か、色んな意味で」
「あんたのせいでしょうが! てか、ナチュラルに脈を取るな!」
「お前の手に触れたくてな」
「えっ……」
「面白いように上がってくれる」
「俺の脈で遊ぶなっ!」
fin
情報学の教室からも、教授が立ち去っていった。
生徒達は友達と話したり、大きく伸びをしたりと、放課後の緩やかな雰囲気になる。
デッド・プリンスの三人組は同じ長机に着いていた。
その真ん中で、高等部二年のシルヴァンは、堂々と腕枕をしていた。
両脇に座っている高等部一年のアルフレッドとハルヤが声を掛ける。
「おい、シルヴァン」
「授業終わったよ?」
ハリウッドスターと人間国宝の孫に起こされ、両腕を伸ばす。
首を左右に曲げると、ポキ、ポキと良い音が鳴った。
「ん、うーん。あっという間でしたねー、今日の授業は」
「そりゃ、お前が寝てたからだろっ」
アルフレッドに頭を叩かれ、シルヴァンは笑う。
後ろの席では、高等部二年のジョシュアが苦笑していた。
テキストを綺麗に揃え、隣を向く。
「アンリ。この後、時間を貰えるかい?」
高等部一年のアンリは、テキストにブックバンドを掛けながら、
「なに?」
「体育館で、一戦、お相手願えないかなと思ってね?」
「フェンシング? 今日はあんまり気分じゃないな、眠たいし」
校内放送のチャイムが鳴った。
教室の生徒達は話を止めて、ふっと顔を上げる。
「愛しいマージナルプリンス諸君、今日も一日、授業お疲れ様! 生徒代表のテオです!」
マイクに近付き過ぎの大きな声がスピーカーから聞こえてきた。
アンリは溜め息を漏らし、額を押さえる。
叫ばないで済ませる為にマイクというものがあるのに、あの人は地声からして大き過ぎる。
「今日、私が放送室をジャックしたのには、他でもない訳があるのだよ!
私から愛しい皆へ、大切な、大、切、な、連絡があります!」
声量に耐えられなかったマイクがハウリングを起こし、キーンと鳴る。
「ああ、失礼、失礼」
生徒代表の声がマイクから少し遠くなる。
「えー、全校生徒は、至急、噴水広場へ集合して下さい!
ああ、他に急ぎの用事がある人はその限りではないけれどね?
それから、いつもお世話になっている先生方、
職員の皆さんも、よろしければ手を止めて、是非お集まり下さい。
では、みんな、噴水広場で待っているよ!」
放送終了のチャイムが鳴り、スピーカーは静かになった。
同時に、教室や廊下が、ガヤガヤと騒がしくなる。テオと同類のお調子者は歓迎ムードだ。
「テオったら、また面白いことを思い付いたみたいですね!」
菫色の目はパッチリ覚めたようである。眼鏡の東洋人は困り顔だ。
「なんか、めんどくさそうじゃない?」
「何言ってんだよ、ハルヤ。ほら、行ってみようぜっ!」
テオと親しいデッド・プリンスは駆け足で教室を出て行った。ジョシュアも席を立つ。
「アンリ、俺達も行こう。噴水広場って言っていたよね?」
「君、フェンシングしたいんじゃなかったの?」
「でも生徒代表が全員集合するようにって。ほら、皆も移動しているし。早く行かなきゃ」
アンリは重い腰を上げる。
「あーあ。行きたくない」
生徒達が噴水広場に到着する。
そこは英国式ローズガーデンと化していた。
赤い薔薇の花で敷き詰められた、華やかな庭園。
真っ白なテーブルクロスの上には、焼き立てのお菓子や飲み物が勢揃いしている。
まるで貴族が集う、立食式のティパーティのようだ。
「集まってくれてありがとう、マージナルプリンス諸君!」
胸に赤い薔薇を差した生徒代表が白の燕尾服で登場した。
制服の白バージョンである。おそらく色だけを変更し、
デザインは忠実に制服を再現した特注品なのだろうと一般生徒達は思った。
生徒代表と同じシュヌーシア寮の生徒達が、「テオー!」と歓声を上げている。
テオは手を振って声援に応える。そしてマイクを手にした。
「ようこそ! テオプレゼンツ・バレンタイン・パーティへ!
今日は2月14日! 愛するプリンス諸君へ、ささやかながら愛の広場を提供させて貰ったよ。
ここで、美味しいお菓子と紅茶を片手に、皆それぞれの、友情や愛を深め合って欲しい!」
バッと左手を伸ばして、大きなモニュメントを指し示す。
「そして! 二人で鳴らすと親睦が深まる『ラブラブ・ベル』も用意してみました!
みんな、自由に鳴らして、新しい伝説を作っておくれ!」
シルヴァンが手を挙げて、大声で質問する。
「テオー! ところでー! 放送で言っていた、僕達への大切な連絡って何ですかー?」
生徒代表は大きく息を吸い込み、マイクに向かって叫ぶ。
「愛しているよ、みんなっ!!」
キーンと再びマイクが鳴った。
全校生徒を巻き込んでのティタイム。
嫌々付いて来たアンリは、紅茶を飲みながら、パーティ会場を観察する。
生徒代表からの連絡はさておき、『授業が終わった放課後』、
という絶妙のタイミングで用意されたお菓子は、生徒達の小腹に収まっていった。
今日テーブルに並んでいるのは、世界各国から集めたおやつ。
祖国の菓子を見つけた生徒は懐かしんだり、友人に説明したり、自然と話が弾んでいた。
生徒達も『テオのお戯れ』に付き合わされることに慣れつつあった。
テオは、海運王と呼ばれるメネシス家の子息。父親も祖父もこの学院の卒業生である。
ギリシャでも有数の資産家であり、その財力は聖アルフォンソ学院の中でもトップクラスに位置する。
テオが住むシュヌーシア寮は、メネシスの寄付で建築された寮だ。
テオは度々、突拍子もなくイベントを開催するが、
自己満足だけではなく、皆を楽しませる作りになっている。
テオのパーティはいつも、彼が時折口にするモットー『私も楽しい、みんなも楽しい』を形にしたものだ。
アンリ自身も何度か必要に迫られて、パーティを開催したことがある。
それは常に「自分のプライドが許すパーティであるか」が基準になる。
参加者が喜ぶかどうか、などを気にしようとも思わない。
テオと自分では、生まれた環境、考え方、好みの全てが異なる。違う星の下に生まれた生き物にしか思えない。
しかし、テオはアンリを見つける度に、好意の感情をぶつけてくる。
シュヌーシア寮に住んでいるくせに、ウーティスにもしょっちゅう遊びに来て、
「今日も美しい!」とか、「また学年トップの成績を修めたんだって? 素晴らしいね!」などと言ってくる。
彼の辞書には、褒め言葉しか載っていないのかと思うほどだ。
アンリは陰でテオのことを『初代褒め殺し用生物兵器』と呼んでいた。
まるで、自分の周囲には嫌いな人間など一人も居ない、とでも言うように。
息を吸うかの如く、誰にでも、称賛や感謝の言葉を浴びせることができる人。
いつでも大勢の友人の囲まれ、太陽のようなテオが、アンリはどうしても苦手だった。
このバレンタイン・パーティ中でも、テオは生徒達の間を縫って移動しながら、皆に愛を撒き散らしている。
愛の安売りもいいところだ。甘い言葉を囁いたり、肩に触れたり、ハグしたり。
相手によって、コミュニケーションの度合いを適切に使い分けているように見えた。
それが、試行錯誤の末に導かれた結論であるのか、天性の才能であるのかは、
アンリには知り得ないことだったし、どうでもいいことだった。
ウーティス寮生が揃っているテーブルにも、生徒代表は褐色の手をブンブン振ってやってきた。
「ああ、居たっ! 東洋の黒い真珠!!」
大袈裟な愛称の名付け親は、それを大声で叫んだ。
周りの生徒達に笑われ、ハルヤは頬を染めた。
今年入ったハルヤ・コバヤシ。出身は日本。
元々、東洋文化に興味を持っていたらしい生徒代表は、この新入生を大層可愛がっていた。
テオがウーティス寮に顔を出した時、アンリより先にハルヤを構うようになったので、
アンリが褒め殺される頻度は、前年と比べて随分減ったものだ。
今もテオは一目散に東洋人の傍へ向かった。
「東洋の黒い真珠、お菓子はたくさん食べてくれたかい?」
「あ、うん。和菓子まであったし」
「気付いてくれたのだねっ! キョートからお取り寄せしてみたのだよ!
ああ、君に気に入って貰えて良かった! ありがとう! とても嬉しいよ!」
思わずと言わんばかりに抱き着いた。ハルヤが目を丸くする。
「テ、テオっ……」
「ハッピー・バレンタイン、東洋の黒い真珠。
私の溢れんばかりの愛は受け取って貰えたかな?」
「う、うん。苦しい、くらいに……」
嬉しそうに笑った生徒代表は、ハルヤの耳許に唇を寄せ、何か囁いた。
NOと言えない日本人は、抱擁されたまま、耳まで赤くした。
――嫌なら嫌と言えば良いのに。
アンリは何故か無性に腹が立って、口を出した。
「お気に入りの東洋人で遊ぶのは、そのくらいにしたら?」
生徒代表がハルヤから離れる。
「ああ、私としたことが」
微笑みながらアンリに近付いてくる。テオの背後でハルヤのほっとした顔が見えた。
アンリの目の前まで来たテオは、冷たい手を取り、ゆっくり囁く。
「すまない、アンリ。淋しい思いを、させてしまったね?」
アンリは冷笑する。
「勘違いも、貴方のレベルまで行くと、いっそ清々しいよね」
「おやおや。氷の微笑までキレがない。ごめんね、アンリ」
アンリが一歩あとずさるより先に、テオの腕はその細身を捕まえていた。
うんざり、といった表情をして、顔を逸らす。その様子はテオの目には入っていない。
「案ずることはないよ、アンリ。私はハルヤだけではなく、君のことも」
「僕、別にハルヤの身代わりになろうと思ったわけじゃないんだけど」
「またそんな強がりを言って、可愛らしい! 大好きだ!」
きつく抱き締められる。テオがよくする、加減を知らない全力の抱き着き方だ。
アンリは、いつもの冷笑を見せる。
「僕の骨が折れそう」
「ああ、ごめんごめん!」
いつのまにか憤りが消えていることに、アンリは気付かなかった。
首を傾げたハルヤが、こそっとシルヴァンに尋ねる。
「ねえ、シルヴァン」
「なんですか?」
「テオってさ、ここが男子校だって解ってる……よねえ?」
「ああ、ハルヤはまだご存じありませんでしたか。今年来たばかりですもんね」
「ん? どういうこと?」
「先輩方の中には、聖アルフォンソ学院で出会ったことをキッカケに、
本当に結ばれたカップルも居るんですよ? 一組や二組の例ではありません。
意外と、というか必然ですよね、この環境では」
「……えっ、うそ。冗談だよね?」
「いえいえ。フツーに本当ですよ? あっ、ニッポンはまだ同性同士のカップルは、
法律で認められていないんでしたっけ? まあ、世界的にも寛容な流れになってきましたので、
ニッポンでも、そのうちに法改正されると思いますけど」
「へ、へえ。こういうことでも、カルチャーショックがあるんだね……」
「というわけで、ハルヤ! 一緒に『ラブラブ・ベル』、鳴らしに行きましょう!」
「えっ!? ちょ、ちょっと、シルヴァン!」
同日夜、ロレート公国。
王の寝室では、側近が退室するところだった。
「それでは、おやすみなさいませ、陛下」
「ラル」
「何か?」
「お前、今日が何の日だか」
「聖バレンタイン氏の命日、でしょうか?」
「何だ、その色気のない言い方は」
「私は事実を申し上げたまで。陛下こそ、ロレート全土のご婦人方から、
バレンタインの贈り物を頂いて、まだ何かご不満でも?」
マスコミには様々なことを書かれるカーディス1世も、
その容貌や功績から、国内の女性には圧倒的な支持を受けている。
「国民からのプレゼントは、俺の元に届かんじゃないか」
「ええ。貴方がお決めになったことですからね」
王室に届いたお菓子は、国営の児童福祉施設へ送られる。
そこに住む身寄りの無い子供達は、王からのお菓子を毎年楽しみにしている。
「ラル。俺は、お前からまだ貰っていないのだが?」
「毎年同じことを申し上げて恐縮ですが、私は何も用意していませんよ。
王と従者の間で、そのような行事は相応しくないかと」
「では、毎年言うようだが、その身体で……」
「お断り致します、今年こそ」
「無駄な足掻きを。そう俺を楽しませるな」
同時刻、聖アルフォンソ島。
追憶の塔から、司令官とカウンセラーが出てくる。
「今日も結局、遅くなっちゃったねー」
アイヴィーとソクーロフは仕事が終わったところだった。
建物から駐車場までの海辺を、肩を並べて歩いている。
「ソクちゃん、メシまだだよね? これから食いに行こ?」
「ほう。どうしてまた?」
「べ、別に理由なんかないよ? 毎日ハラは減るもんでしょ?」
「今日がバレンタインだから、じゃないのか?」
「え、今日14日だっけー? 気付かなかったー」
「白々しい。この私に嘘を吐こうとした無謀な勇気だけは認めてやろう」
「ウ、ウソじゃないもん! バレンタインなんて知らなかったっ!」
「まあ、いい。今宵は、寂しい男に付き合ってやるか」
「ちょ、寂しい男はあんたもでしょ!」
「そうか。すまない。お前にはまだ言っていなかったな」
アイヴィーの足が止まる。
「え? な、何なに?」
「私達がよく行く中華料理屋があるだろう? 旧市街の」
「あ、うん。俺の好きな『パリパリ海鮮おこげ』があるトコ?」
「ああ。来月なのだがな、私は、あの店の娘さんと挙式を上げる予定なんだ」
「えええーっ!? あのチャイナドレスの子とソクちゃんが!? いつのまにそんなことに!?」
「初めて会った時から惹かれ合っていた。お前、傍に居ながら、全く気付かなかったのか?」
「い、いや。でも、そんな…てゆうか、あの片言の子と、どうやって気が合ったの?」
「フッ。愛があれば、言葉など」
「うっわ。変態鬼畜ドS眼鏡から、そんな言葉を聞く日が来るなんて……どうしよう、明日、島が海に沈むかもしれない……」
「何故、本気でそんな心配をする?」
「あんた、あの店、通ってたの、チャイナっ娘が目当てだったのかよ!?
あー、サイアクだー。ソクちゃんのエッチ! スケベ! ヘンタイ!」
「失礼な。私の目当ては『プリプリエビチリ』だ」
「やっぱあのスリットのチラリズムが……って、エビチリ?」
「挙式など上げるわけないだろう」
「ウソかよっ! ウソがなげえよ!」
「本当にダマされ易いな、お前は」
「あ、あんたが真顔で淡々とウソ吐くからだろっ!」
「私はチャイナドレスになど興味はない、お前と違ってな」
「お、俺だって興味ありませんっ!」
「では何だ、さっきのスリットがどうのって言うのは」
「いいい、言ってませんよ、そんなこと!」
「アイヴィー、脈が上がり過ぎだぞ。大丈夫か、色んな意味で」
「あんたのせいでしょうが! てか、ナチュラルに脈を取るな!」
「お前の手に触れたくてな」
「えっ……」
「面白いように上がってくれる」
「俺の脈で遊ぶなっ!」
fin
■王子達×姉貴
■ジョシュアのバレンタインコール■
うん。生徒代表室の電話だよ。
ここなら、皆にも気付かれずに、君と電話できるし。
今日はどうしても、二人きりで話したかったんだ。2月14日だからね。
ハッピー・バレンタイン。
愛してるよ。
驚いた顔も可愛いね。
■アルフレッドのバレンタインコール■
俺、今までは好きな女優とか、アイドルとか、居なかったんだぜ?
やっぱ自分が世界一の役者だと思ってたからさ。
けど、今は違う。
世界最高の存在は、君だ。
これからも、ずっと、俺は君だけのファン。
君の為なら、何度だって言ってやる。
愛してる。愛してる。愛してるぜっ!
■アンリのバレンタインコール■
ねえ。S社とM社、どちらが好き? 勘でいいから、答えてみて。
そう。じゃあ、そちらの株を買ってみようかな。
二社とも条件は変わらないから、どちらでも良かったんだよね。
だから、僕の天使が微笑んだほうにしようと思って。
もし、その株で、僕が損をしたら、責任、取ってね?
お金なんか取らないよ。弁償できないでしょう?
君には罰ゲームを受けて貰うだけ。
内容? 当日まで内緒。
逆に、株値が上がって、僕が得をしたら、
ご褒美に、君の言うこと、何でもひとつ、聞いてあげる。
結果は1か月後、3月13日の値で決定する。
どう? 面白いギャンブルでしょう?
え? 僕には失うところがないんじゃないかって?
それの、どこが不満なの?
■シルヴァンのバレンタインコール■
ええ。日本では女性から男性にチョコを送る日だとは知っていたのですが、
今年は『逆チョコ』が流行の最先端だとニュースサイトで見ましたので。
それはもう。知ってますよ、大好きな貴女の居る国のことですからね。
好きな人に関係することを、知りたいと思うのは、当たり前でしょう?
それに僕、待っているだけでは我慢できなくて。
僕から言いたかったんです。すみません、もう何度もお伝えしているのに。
だけど、今日はバレンタインということで、許して下さいね?
愛してます。僕の全てを知っていても、僕を愛してくれる貴女のことを。
僕も貴女の全てが好きです。
貴女のことが好きになり過ぎて、もう、可笑しくなりそうですよ。
■ハルヤのバレンタインコール■
君んとこの梅はもう咲いてるんだ。いいなあ。
うん。こっちは、まだ蕾。もうすぐ咲きそうだから、最近、植物園に見に行ってるんだ。
なんか、卵から孵る瞬間を見たい気分っていうか、鳥じゃなくて、花なんだけどね。
えっとね、ちょっと、話変わってもいいかな?
あのね。あの……今日、ばっ、バレンタインだから君に言いたいことあって……
外国式のバレンタインは、男から言ってもいいって、聞いたから……
……すきだよ。俺、君がすき。
ありがと。なんか、まだ信じられないや。
俺なんかが、君に好きって言って貰えるなんて。
■ソクーロフ博士のバレンタインコール■
君は、インフルエンザの予防注射をしたのかい?
まだしていないのか。それは心配だな。
傍に居るのなら、その可愛い腕に、針を刺してあげられるのに。
注射は嫌いかい? 私なら、痛くないように、してあげるよ?
また、そんな顔をして。あまり私を煽らないでくれたまえ。
衝動が抑えられなくなってしまう。
ん? 今日はバレンタイン? ああ、そんな時期なのか。
すまない。学院では風邪気味の生徒が出てきたから、君は大丈夫だろうかと、
最近は、そんなことばかり気にしていたよ。
よく言えたね。自分の気持ちを素直に伝えることは、君自身の心にも良いことだよ。
ありがとう。女性にだけ、言わせるのはフェアではないね。私も言葉にしよう。
その可愛らしい身体も、ステンドグラスのような心も、愛しているよ。
君に触れて良いのは、私だけだ。解っているね?
■エンジュのバレンタインコール■
先程、ユウタから、お前が作ったというチョコレートを受け取った。
ああ。食べた。ハーシーズに引けを取らない味だった。
また作ってくれるか?
これからも、ずっと。
■アイヴィーのバレンタインコール■
ああ、今日はバレンタインだからさ。
やっぱ、言うこと言っとかないと、と思ってね?
スキだよ。世界で一番、キミがスキ。
ほんと、ケッコンしちゃいたいくらい。
俺もイイ歳だしさ。一緒になるなら、キミじゃなきゃヤダし。
でも、俺みたいなオシゴトしてる人の奥さんになるのは……
自分で言うのもなんだけど、勧められないんだよね。
だけど、俺、キミがうちに居てくれたら、
どんなシゴト任されても、キミの傍に帰って来れそうな気がするんだ。
俺は他にできることもないから、今のシゴト、変えるつもりない。
もし、こんな超不良物件でも許してくれるなら、俺と、結婚して下さい。
ゴメンね、急にこんなこと言って。でも、俺はマジだから。
返事は、また今度教えて? いつでもイイから。
それじゃ、今日は電話切るよ。おやすみ。
愛してる。
fin
■アイヴィー5年前
■囚われ人5 続編
■囚われ人5 続編
俺が警備の仕事を大体把握して、島の地理をそこそこ覚えると、
タクシードライバーとしての仕事も始まることになった。
今日が記念すべき、初めてのタクシーのお兄さん。
海を眺めながら、待ち合わせの正門前へ向かっている途中だ。
送迎用タクシーとして使うことにしたのは、黒塗りの車。30年代のベントレーを改造した物だ。
いかにもイギリスのヴィンテージなツラと、オーナメントの翼が気に入って、コレにした。
警備の手が空いている時、俺達は生徒や学院関係者の送迎を務める。
ピコも俺の送迎をしてくれた。ピコは無愛想でコワそうなかんじが生徒にウケなかったらしく、
警備や学院の人間の送迎に回されていたそうだ。
俺は早く生徒全員の顔を覚えられるように、と副司令官に言われて、当面、生徒担当になった。
ただ、ドライバー全員が、警備組織の人間であることは、生徒代表以外の生徒には伏せられてる。
俺という存在は、警備スタッフではなく、生徒の目には、あくまでタクシーのお兄さんとして映る。
表の顔はタクシードライバー、裏の顔は警備責任者ってことだ。
誰が警備の人間かなんてことは、知られていない方が、こっちも何かと動き易い。
どんな仕事をしているか、表立っては言えず、誰に称賛されるでもなく、
いつ殺されるか解らないのが、警備というお仕事だ。
学院の正門前で車を止める。待ち合わせ場所に相手はまだ来ていない。
車内の時計を見たら、まだ20分も早かった。
車から降りて、ちょっと休憩。車に凭れて、空の色を見る。
今日も聖アルフォンソ島は、イイお天気です。あー、タバコ吸いたい。
今日、俺の初めてのお客さんになるのは、まだ13歳のお坊ちゃん。
そいつの生徒資料は、ちゃんと見てきた。
今年入学したばっかの中等部一年生で、ジョシュア・グラントってヤツ。
なんか、どっかで見た顔だなと思ったら、あのプリンス・エドワードの息子だった。
『世紀の恋』と騒がれた二人が両親だって書いてあるから、資料を二度見しちった。
ジブリールといい、ジョシュアといい、このガッコはガチで王子様がゴロゴロしてやがる。
そういや、今まで、子供相手に仕事したことは殆どない。
俺がこれから相手していくのは、13歳から18歳までの子供。
生徒とタクシーのお兄さんは、どんなかんじで付き合えばいんだろ?
生徒が正門前に来た時は、何て挨拶すればいいのかとか、考えてなかった。
一応、マージナルプリンスの運転手だから「お迎えに上がりました、ジョシュア様。
わたくしが本日運転手を務めますアイヴィーでございます」とか言ったほうがいいんだろうか?
いーや、ムリムリムリ。そんな執事キャラ、他をあたってくれ。
でも、他の皆はどうしてんだろ? お手本になりそうな副司令官の顔が浮かぶ。
あいつなら言いそうだ。てゆうか、絶対言ってる。
生徒代表のことも「ヤン様」って当たり前のように様付けで呼んでたし。
けど、このガッコの存在意義から言って、例えマジで王子様だからって特別扱いする必要はないんだと思う。
外の世界から切り離された場所で、ガキがガキらしく自由に暮らす為のガッコ。
生徒は学年に関係なく、ファーストネームで呼び合うって習慣もある。
だからやっぱり、子供も大人も、王子様も運転手さんも、きっと関係ない。
みんなタダの人間。俺も無理にキャラ作ったりしないで、フツーにしてりゃイイんだと思う。
てゆうか、王子様への接し方とか、実際よく解んないし。やりたくないし。
新しい土地に来ても、俺は、俺でしかない。
「あ、あの……」
ちっこい声がした。背の低いガキが俺を見上げてた。
「あっ。お前さんが、タクシーを呼んでくれたジョシュア、だよな?」
「は、はい。そうです」
声ちっさ。人見知りするタイプの奴なのかも。
タクシーのお兄さんはちょっと腰を屈めてみる。すると、瞳の色がよく見えた。
赤い。
今まで見たことない瞳の色を、生で見て、少しぎょっとしてしまった。
「あ。えっとー、俺が、お前さんを迎えに来た、ドライバーのアイヴィー。今日はよろしくな」
「はい。よろしくお願いします」
うわ、めちゃ礼儀正しいな、こいつ、ガキのくせに。
細くて小さい肢体に、学校の制服を真面目に身に付けてる。
ガキに燕尾服って、着せられてる感があって、正直あんま似合ってない。
なんか、もうちょいラフな服にしてやればイイのにな、ガッコも。つーか、なんで燕尾服よ。
ジョシュアが「あっ」と小さな声を上げた。
学院のほうから誰か来た。紺色のカーディガンを着た猫背。生徒代表のヤンだ。
ヤンは空を見上げながら、いや、飛んでる蝶を追い駆けているらしい。
このままじゃ、道路に飛び出しちまう。おい、と俺が口を開こうとした時、背の高い生徒が走ってきた。
生徒資料では見た顔だ。けど。あー、名前出てこねえっ。
「バカ! 止まれ、ヤン!」
奴は背後からヤンを抱き留めた。
ガタイが良く、短い金髪の生徒。その腕の中にヤンはすっぽりと収まった。
やっと停止したヤンを見て、金髪が手を離す。ヤンが振り向いた。
「エド? どうし」
金髪がヤンの両肩を掴む。
「急に走り出してんじゃねえよ! こんな時だけ足早いな、お前は!」
「あ、ごめん。珍しいちょうちょ飛んでたから、羽の点々、幾つあるのかなと思っ」
「何でもかんでも数えようとすんな! この数学バカが!
それで車に轢かれたら、いち、にい、ドーンだぞ!
つーか、俺と話してる時に、虫に気ぃ取られてんじゃねえよ、バーカ!」
「ご、ごめん」
子供のケンカ的な場面に遭遇して、俺とジョシュアがポカンとしていると、
そいつらが、やっとコッチの存在に気付いた。ヤンは俺を見て、そっと会釈した。
「あ、ジョシュアじゃねえか、よっ」
金髪の生徒に叫ばれ、ちっこいのが、ちっこい声で挨拶を返す。
「こんにちは、エドガー」
あ、そうそう。あいつの名前はエドガー・ラッセルだ。ウーティス寮の高等部三年。
じゃあ、エドガーとヤンは同い年になる。今の見てると、仲も良さそうだ。
友達と話してる生徒代表の姿は、今初めて見た気がする。
そういや本人も「友達には怒られてばっかり」って言ってたけど。なんつーか、尻に敷かれてる?
エドガーはジョシュアに向かって、兄貴風を吹かせていた。
「ジョシュア、これから出かけんだ? 俺達もなんだよ。あ、そうだ、外出届書いたか?」
「はい。書きました。この前、エドガーに教えて貰った通りに」
「よーしよし。真面目だなー、お前は」
先輩は後輩の頭を撫でた。18歳と13歳が並ぶと、背丈も顔付きも大分違うもんだ。
エドガーは制服のリボンタイを付けず、首許は大きく開けている。
ブレザーのボタンも開け放し、中のベストを着ていないのが丸解りだ。
これ以上ない程正しく制服を着ている一年生と比べると、
だらだらに着崩している最高学年達のほうが、制服を着こなしているように見えた。
エドガーがジョシュアを構ってる間に、ヤンが俺の隣に来ていた。
友人達に視線を向けたまま、俺の腰んとこをちょっと掴んで、呟いた。
「あの件、どうかな?」
ジブリールのことだろう。俺も前を向いたまま答える。
「ワリィ。まだ調査中」
「ん。ありがと」
ワイシャツから手が離れる。
エドガーとジョシュアは、俺達の短い会話に気付いた様子なく、話を続けてる。
「でー、ジョシュアは、どこ行くんだ?」
「えっと、ちょっと街のほうを見てみたくて……」
消えていく語尾をヤンがさり気なく補う。
「お散歩?」
「ええ。あの、夕食までには、ちゃんと戻りますから」
ジョシュアは、自信なさそうに、俯きながら、必死に返事してた。
さっきからずっと肩に力が入ってるみたいだし、先輩と話すのイヤなんだろうか?
なんだか、一刻も早くこの場から離れたいってかんじだ。
エドガーは突然、指を鳴らして、ヤンを振り向いた。
「なあ、この車に俺達も乗せて貰わねえ? イイだろ、ジョシュア?」
俺は赤い瞳を覗く。一瞬だったが、ジョシュアは困っていた。どうやら先輩の意見を歓迎していないようだ。
それにヤンも気付いたのか、友人にこう言った。
「だめだよ、エド。それじゃあ、僕達を迎えに来てくれる運転手さんはどうするの?」
「ああ、そっか」
ヤンはジョシュアに向き直る。
「帰ってくる時間は少しくらい遅くなっても大丈夫だよ、ジョシュア。
ただ、外泊する時だけは学院に教えてね? アイヴィーに――その運転手さんに言えば、学院に電話してくれるから」
ね、と振られて、俺は「ああ」と答えた。金髪の生徒が俺を見る。
「あんた、アイヴィーって言うんだ? てかヤン、よく知ってたな?」
「あ、うん。僕は彼の車に乗せて貰ったことあるから」
「ふうん。俺は初めて見る顔だな。新しく入ったドライバーじゃねえの?」
「ああ。新人ドライバーのアイヴィー。よろしくな」
「俺はエドガー・ラッセル。ジョシュアと同じ寮の高三、よろしく」
大人と同じくらいの大きな手を差し出された。
握手を求められてるのか、と気付いて、一瞬遅れて生徒の手を握った。
「へえ。良い手してんじゃん。今度はあんたの車を呼ぶよ、アイヴィー。じゃあ、うちの新入りをよろしく頼むぜ」
エドガーがジョシュアの背中を叩く。
後輩は驚いたみたいで、肩がビクってなってた。ヤンはジョシュアに向かって、
「ここは小さい島だけど、良いところはいっぱいあるから、いろいろ見ておいで」
二人の先輩に見送られて、奴等の大事な後輩を車に乗せた。
俺はシートベルトを締めながら、ルームミラーを見上げる。
「街のほうに行けば良いんだよな? んと、どこら辺?」
「あ、ごめんなさい。詳しくは、よく、解らないんですけど……」
申し訳なさそうに語尾が消えていく。
「オッケ。お任せコースね」
サイドブレーキを下ろし、アクセルを踏み出した。
この島は少し車を走らせると、海が見えてくる。学院周辺の道路は車の通りも少なく、走るには快適だ。
目に入った時計は、まだ待ち合わせの10分前だった。
ルームミラーを覗く。鏡の中の少年は、窓の外を眺めてた。
真っ白な、幼い横顔。
先輩達と離れてほっとしているようにも、一人で淋しそうにも見えた。
→
タクシードライバーとしての仕事も始まることになった。
今日が記念すべき、初めてのタクシーのお兄さん。
海を眺めながら、待ち合わせの正門前へ向かっている途中だ。
送迎用タクシーとして使うことにしたのは、黒塗りの車。30年代のベントレーを改造した物だ。
いかにもイギリスのヴィンテージなツラと、オーナメントの翼が気に入って、コレにした。
警備の手が空いている時、俺達は生徒や学院関係者の送迎を務める。
ピコも俺の送迎をしてくれた。ピコは無愛想でコワそうなかんじが生徒にウケなかったらしく、
警備や学院の人間の送迎に回されていたそうだ。
俺は早く生徒全員の顔を覚えられるように、と副司令官に言われて、当面、生徒担当になった。
ただ、ドライバー全員が、警備組織の人間であることは、生徒代表以外の生徒には伏せられてる。
俺という存在は、警備スタッフではなく、生徒の目には、あくまでタクシーのお兄さんとして映る。
表の顔はタクシードライバー、裏の顔は警備責任者ってことだ。
誰が警備の人間かなんてことは、知られていない方が、こっちも何かと動き易い。
どんな仕事をしているか、表立っては言えず、誰に称賛されるでもなく、
いつ殺されるか解らないのが、警備というお仕事だ。
学院の正門前で車を止める。待ち合わせ場所に相手はまだ来ていない。
車内の時計を見たら、まだ20分も早かった。
車から降りて、ちょっと休憩。車に凭れて、空の色を見る。
今日も聖アルフォンソ島は、イイお天気です。あー、タバコ吸いたい。
今日、俺の初めてのお客さんになるのは、まだ13歳のお坊ちゃん。
そいつの生徒資料は、ちゃんと見てきた。
今年入学したばっかの中等部一年生で、ジョシュア・グラントってヤツ。
なんか、どっかで見た顔だなと思ったら、あのプリンス・エドワードの息子だった。
『世紀の恋』と騒がれた二人が両親だって書いてあるから、資料を二度見しちった。
ジブリールといい、ジョシュアといい、このガッコはガチで王子様がゴロゴロしてやがる。
そういや、今まで、子供相手に仕事したことは殆どない。
俺がこれから相手していくのは、13歳から18歳までの子供。
生徒とタクシーのお兄さんは、どんなかんじで付き合えばいんだろ?
生徒が正門前に来た時は、何て挨拶すればいいのかとか、考えてなかった。
一応、マージナルプリンスの運転手だから「お迎えに上がりました、ジョシュア様。
わたくしが本日運転手を務めますアイヴィーでございます」とか言ったほうがいいんだろうか?
いーや、ムリムリムリ。そんな執事キャラ、他をあたってくれ。
でも、他の皆はどうしてんだろ? お手本になりそうな副司令官の顔が浮かぶ。
あいつなら言いそうだ。てゆうか、絶対言ってる。
生徒代表のことも「ヤン様」って当たり前のように様付けで呼んでたし。
けど、このガッコの存在意義から言って、例えマジで王子様だからって特別扱いする必要はないんだと思う。
外の世界から切り離された場所で、ガキがガキらしく自由に暮らす為のガッコ。
生徒は学年に関係なく、ファーストネームで呼び合うって習慣もある。
だからやっぱり、子供も大人も、王子様も運転手さんも、きっと関係ない。
みんなタダの人間。俺も無理にキャラ作ったりしないで、フツーにしてりゃイイんだと思う。
てゆうか、王子様への接し方とか、実際よく解んないし。やりたくないし。
新しい土地に来ても、俺は、俺でしかない。
「あ、あの……」
ちっこい声がした。背の低いガキが俺を見上げてた。
「あっ。お前さんが、タクシーを呼んでくれたジョシュア、だよな?」
「は、はい。そうです」
声ちっさ。人見知りするタイプの奴なのかも。
タクシーのお兄さんはちょっと腰を屈めてみる。すると、瞳の色がよく見えた。
赤い。
今まで見たことない瞳の色を、生で見て、少しぎょっとしてしまった。
「あ。えっとー、俺が、お前さんを迎えに来た、ドライバーのアイヴィー。今日はよろしくな」
「はい。よろしくお願いします」
うわ、めちゃ礼儀正しいな、こいつ、ガキのくせに。
細くて小さい肢体に、学校の制服を真面目に身に付けてる。
ガキに燕尾服って、着せられてる感があって、正直あんま似合ってない。
なんか、もうちょいラフな服にしてやればイイのにな、ガッコも。つーか、なんで燕尾服よ。
ジョシュアが「あっ」と小さな声を上げた。
学院のほうから誰か来た。紺色のカーディガンを着た猫背。生徒代表のヤンだ。
ヤンは空を見上げながら、いや、飛んでる蝶を追い駆けているらしい。
このままじゃ、道路に飛び出しちまう。おい、と俺が口を開こうとした時、背の高い生徒が走ってきた。
生徒資料では見た顔だ。けど。あー、名前出てこねえっ。
「バカ! 止まれ、ヤン!」
奴は背後からヤンを抱き留めた。
ガタイが良く、短い金髪の生徒。その腕の中にヤンはすっぽりと収まった。
やっと停止したヤンを見て、金髪が手を離す。ヤンが振り向いた。
「エド? どうし」
金髪がヤンの両肩を掴む。
「急に走り出してんじゃねえよ! こんな時だけ足早いな、お前は!」
「あ、ごめん。珍しいちょうちょ飛んでたから、羽の点々、幾つあるのかなと思っ」
「何でもかんでも数えようとすんな! この数学バカが!
それで車に轢かれたら、いち、にい、ドーンだぞ!
つーか、俺と話してる時に、虫に気ぃ取られてんじゃねえよ、バーカ!」
「ご、ごめん」
子供のケンカ的な場面に遭遇して、俺とジョシュアがポカンとしていると、
そいつらが、やっとコッチの存在に気付いた。ヤンは俺を見て、そっと会釈した。
「あ、ジョシュアじゃねえか、よっ」
金髪の生徒に叫ばれ、ちっこいのが、ちっこい声で挨拶を返す。
「こんにちは、エドガー」
あ、そうそう。あいつの名前はエドガー・ラッセルだ。ウーティス寮の高等部三年。
じゃあ、エドガーとヤンは同い年になる。今の見てると、仲も良さそうだ。
友達と話してる生徒代表の姿は、今初めて見た気がする。
そういや本人も「友達には怒られてばっかり」って言ってたけど。なんつーか、尻に敷かれてる?
エドガーはジョシュアに向かって、兄貴風を吹かせていた。
「ジョシュア、これから出かけんだ? 俺達もなんだよ。あ、そうだ、外出届書いたか?」
「はい。書きました。この前、エドガーに教えて貰った通りに」
「よーしよし。真面目だなー、お前は」
先輩は後輩の頭を撫でた。18歳と13歳が並ぶと、背丈も顔付きも大分違うもんだ。
エドガーは制服のリボンタイを付けず、首許は大きく開けている。
ブレザーのボタンも開け放し、中のベストを着ていないのが丸解りだ。
これ以上ない程正しく制服を着ている一年生と比べると、
だらだらに着崩している最高学年達のほうが、制服を着こなしているように見えた。
エドガーがジョシュアを構ってる間に、ヤンが俺の隣に来ていた。
友人達に視線を向けたまま、俺の腰んとこをちょっと掴んで、呟いた。
「あの件、どうかな?」
ジブリールのことだろう。俺も前を向いたまま答える。
「ワリィ。まだ調査中」
「ん。ありがと」
ワイシャツから手が離れる。
エドガーとジョシュアは、俺達の短い会話に気付いた様子なく、話を続けてる。
「でー、ジョシュアは、どこ行くんだ?」
「えっと、ちょっと街のほうを見てみたくて……」
消えていく語尾をヤンがさり気なく補う。
「お散歩?」
「ええ。あの、夕食までには、ちゃんと戻りますから」
ジョシュアは、自信なさそうに、俯きながら、必死に返事してた。
さっきからずっと肩に力が入ってるみたいだし、先輩と話すのイヤなんだろうか?
なんだか、一刻も早くこの場から離れたいってかんじだ。
エドガーは突然、指を鳴らして、ヤンを振り向いた。
「なあ、この車に俺達も乗せて貰わねえ? イイだろ、ジョシュア?」
俺は赤い瞳を覗く。一瞬だったが、ジョシュアは困っていた。どうやら先輩の意見を歓迎していないようだ。
それにヤンも気付いたのか、友人にこう言った。
「だめだよ、エド。それじゃあ、僕達を迎えに来てくれる運転手さんはどうするの?」
「ああ、そっか」
ヤンはジョシュアに向き直る。
「帰ってくる時間は少しくらい遅くなっても大丈夫だよ、ジョシュア。
ただ、外泊する時だけは学院に教えてね? アイヴィーに――その運転手さんに言えば、学院に電話してくれるから」
ね、と振られて、俺は「ああ」と答えた。金髪の生徒が俺を見る。
「あんた、アイヴィーって言うんだ? てかヤン、よく知ってたな?」
「あ、うん。僕は彼の車に乗せて貰ったことあるから」
「ふうん。俺は初めて見る顔だな。新しく入ったドライバーじゃねえの?」
「ああ。新人ドライバーのアイヴィー。よろしくな」
「俺はエドガー・ラッセル。ジョシュアと同じ寮の高三、よろしく」
大人と同じくらいの大きな手を差し出された。
握手を求められてるのか、と気付いて、一瞬遅れて生徒の手を握った。
「へえ。良い手してんじゃん。今度はあんたの車を呼ぶよ、アイヴィー。じゃあ、うちの新入りをよろしく頼むぜ」
エドガーがジョシュアの背中を叩く。
後輩は驚いたみたいで、肩がビクってなってた。ヤンはジョシュアに向かって、
「ここは小さい島だけど、良いところはいっぱいあるから、いろいろ見ておいで」
二人の先輩に見送られて、奴等の大事な後輩を車に乗せた。
俺はシートベルトを締めながら、ルームミラーを見上げる。
「街のほうに行けば良いんだよな? んと、どこら辺?」
「あ、ごめんなさい。詳しくは、よく、解らないんですけど……」
申し訳なさそうに語尾が消えていく。
「オッケ。お任せコースね」
サイドブレーキを下ろし、アクセルを踏み出した。
この島は少し車を走らせると、海が見えてくる。学院周辺の道路は車の通りも少なく、走るには快適だ。
目に入った時計は、まだ待ち合わせの10分前だった。
ルームミラーを覗く。鏡の中の少年は、窓の外を眺めてた。
真っ白な、幼い横顔。
先輩達と離れてほっとしているようにも、一人で淋しそうにも見えた。
→
■アイヴィー5年前
■囚われ人4 続編
■囚われ人4 続編
起きて、お仕事して、寝て。また起きて、仕事。
島での新生活が始まってから、慌ただしく毎日が過ぎていく。
余計なことを考えずに済むのなら、忙しいほうがまだマシ。
「司令? まだいらしたんですか」
俺が職場で残ってると、クロイツの声がした。
「もう貴方の勤務時間は終了しているでしょう?」
「え? ああ。もうそんな時間か」
椅子から身体を起こす。掛け時計は、もうかなり深夜だと告げていた。
「生徒資料を熱心に読み込んで下さるのは有難いのですが。
そのせいで体調を崩され、業務に支障が出ては、結果的に組織には損害です」
「ハイ……」
「司令は明日、非番でしょう。今日はさっさとお帰りになれば、よろしいじゃないですか」
さっさと、って。クロイツ、俺が居るとジャマなのかな。
「あー、じゃあ、コレさ、うちに持って帰って読んでもイイかな?」
「一般資料であれば構いませんが、貴方が今手にしているのは極秘資料ですので、
司令と言えども、持ち出しは一切禁止です。以前も、そう申し上げた筈ですが」
「……だよ、ね」
追い出されるように職場を出た。夜勤の皆はちょっと笑いながら「お疲れ様です」と言ってくれた。
警備組織は24時間365日動いてる。これからの時間は、夜勤組が監視を続けてくれるのだ。
暗い紺青の海辺。夜中でも波は絶えず揺れている。
俺の職場、警備組織本部は、海に佇む『追憶の塔』の中にある。
建物から駐車場まで行くのに、海岸沿いを少し歩かなきゃならない。夜の海は静かだ。
明日はお休み。仕事のない日って、逆に何していいか解んなかったりする。
休みって言っても、引っ越し道具と一緒に友達連れてきたわけでもないから、
一緒に遊びに行ってくれる奴なんか、当然居ない。
仕事仲間とは、まだプライベートで遊ぶ仲でもないし、第一、皆は明日仕事だ。
「生徒資料があれば、暇潰しになったのにな」
お休み当日。身体は勝手に起きる。少しくらい遅く起きてくれても良かったのに。
身体は、この島での新しい習慣をちゃんと覚えたらしい。
なんとなくラジオ付けてみたりする。なんでか、この島は音楽番組がやたら豊富だ。
唯一の趣味が音楽作りな俺には、ありがたいことだ。
そう言えば、島に来てから一曲も作ってない。引っ越し荷物にも大事に梱包してきた音楽機材。
「今日は、お前さんに付き合って貰おっかな」
お休みの予定が決まったところで、空腹を覚えた。まずは腹ごしらえ。
普段はトーストだとか、シリアルを、かっ込むだけだから、
お休みの日くらい、街のカフェでも行ってブランチってのもたまにはイイかもしれない。
そういや、昼間の街って、あんまり見たことないし。
車を気持ち良く飛ばして、フィンシャルという中心街まで来た。
明るくて健康的な街だ。学院のおかげでそこそこ潤ってるこの島には、スラム街もないらしい。
島民の奥様方は楽しく立ち話なんかしちゃったりして。
なんか、会う人会う人、知り合いみたいに挨拶してて、ド田舎臭が漂ってる。
だから、かな? 島民の皆さんにチラ見されんのは。
「あら、イイ男ね」なーんて、振り向いてくれてんなら嬉しいんだけど。
ヨソモノの顔が珍しいだけなんだろうな、やっぱ。
街灯の下に、なんか、人だかりが出来てる。
誰かを囲んでお喋りしてるみたいだ。
「昨夜の『スタンド・バイ・ミー』は最高だったよ」
「次はどこで歌うんだい?」
なんて話し声が聞こえた。誰か人気者の歌手でも来てんのか?
輪の中心を覗こうとしたら、その人と目が合った。
浅黒くて大柄のお姉さんだった。俺の二倍くらい年上の。
「なんだい、お兄さん? おや、若くてイイ男じゃないか」
「えと、どうも」
ダレなんだろ、このおばちゃん。
「自己紹介しとこうか。この島の歌姫シニョーラ・マルタってのはあたしのことさ。覚えておきな?」
つぶらな黒い瞳。その時は、すごく人懐っこい目に見えた。
「夜は大抵、どこかのバーで歌ってるから、お兄さんも一度、聞き惚れにおいで?」
男勝りに笑いながら去っていく。確かに声量はありそうだけど。
このヒト、自分のこと『姫』って言った?
メシ食って家に戻ってきた。うちのポストを覗いたら、一枚のハガキが入ってた。この住所を知る人間はかなり限られてる。
だから、どうせおシゴト関係のつまんないお手紙だろうと思って手に取った。
表面には俺んちの住所と名前が、随分テキトーに書いてある。
『聖アルフォンソ島 崖っぷちのコテージ アイヴィー様』
それでよくここまで届いたな、コレ。
裏面は真っ白な無地。その上に、いかにもお年寄り独特の文字でこう書いてあった。
ピコから手紙が来た。
けど、わざわざハガキに書いて送ってくる意味があるとは思えないメッセージだ。
言われなくても、この家は自由に使ってたし。
「好きに使え」的なニュアンスは家を貰う時にも聞いてた気がする。
なんで、今になって、こんなお手紙、俺に寄越したんだろ?
差出人のとこには、ピコの住所が書かれていなかった。
「にしても、きったない字」
ポストカード入れに差し込んだ。キッチンに向かい、お湯を沸かす。
その間に、茶色い粉が入ってる、大きなボトルの黒い蓋を回す。
インスタントコーヒーを飲みながら、音楽作りとシャレ込む為に。
ザラザラと粉をマグカップに入れながら、俺は口笛を吹いていた。さっきのアレの影響らしい。
独り暮らしの利点は家で熱唱したって誰にも迷惑を掛けないことだ。
ご近所さんも居ない、崖っぷちのコテージなら、尚更。
「ダーリン、ダーリン、スターンド、バイ、ミー」
→
島での新生活が始まってから、慌ただしく毎日が過ぎていく。
余計なことを考えずに済むのなら、忙しいほうがまだマシ。
「司令? まだいらしたんですか」
俺が職場で残ってると、クロイツの声がした。
「もう貴方の勤務時間は終了しているでしょう?」
「え? ああ。もうそんな時間か」
椅子から身体を起こす。掛け時計は、もうかなり深夜だと告げていた。
「生徒資料を熱心に読み込んで下さるのは有難いのですが。
そのせいで体調を崩され、業務に支障が出ては、結果的に組織には損害です」
「ハイ……」
「司令は明日、非番でしょう。今日はさっさとお帰りになれば、よろしいじゃないですか」
さっさと、って。クロイツ、俺が居るとジャマなのかな。
「あー、じゃあ、コレさ、うちに持って帰って読んでもイイかな?」
「一般資料であれば構いませんが、貴方が今手にしているのは極秘資料ですので、
司令と言えども、持ち出しは一切禁止です。以前も、そう申し上げた筈ですが」
「……だよ、ね」
追い出されるように職場を出た。夜勤の皆はちょっと笑いながら「お疲れ様です」と言ってくれた。
警備組織は24時間365日動いてる。これからの時間は、夜勤組が監視を続けてくれるのだ。
暗い紺青の海辺。夜中でも波は絶えず揺れている。
俺の職場、警備組織本部は、海に佇む『追憶の塔』の中にある。
建物から駐車場まで行くのに、海岸沿いを少し歩かなきゃならない。夜の海は静かだ。
明日はお休み。仕事のない日って、逆に何していいか解んなかったりする。
休みって言っても、引っ越し道具と一緒に友達連れてきたわけでもないから、
一緒に遊びに行ってくれる奴なんか、当然居ない。
仕事仲間とは、まだプライベートで遊ぶ仲でもないし、第一、皆は明日仕事だ。
「生徒資料があれば、暇潰しになったのにな」
お休み当日。身体は勝手に起きる。少しくらい遅く起きてくれても良かったのに。
身体は、この島での新しい習慣をちゃんと覚えたらしい。
なんとなくラジオ付けてみたりする。なんでか、この島は音楽番組がやたら豊富だ。
唯一の趣味が音楽作りな俺には、ありがたいことだ。
そう言えば、島に来てから一曲も作ってない。引っ越し荷物にも大事に梱包してきた音楽機材。
「今日は、お前さんに付き合って貰おっかな」
お休みの予定が決まったところで、空腹を覚えた。まずは腹ごしらえ。
普段はトーストだとか、シリアルを、かっ込むだけだから、
お休みの日くらい、街のカフェでも行ってブランチってのもたまにはイイかもしれない。
そういや、昼間の街って、あんまり見たことないし。
車を気持ち良く飛ばして、フィンシャルという中心街まで来た。
明るくて健康的な街だ。学院のおかげでそこそこ潤ってるこの島には、スラム街もないらしい。
島民の奥様方は楽しく立ち話なんかしちゃったりして。
なんか、会う人会う人、知り合いみたいに挨拶してて、ド田舎臭が漂ってる。
だから、かな? 島民の皆さんにチラ見されんのは。
「あら、イイ男ね」なーんて、振り向いてくれてんなら嬉しいんだけど。
ヨソモノの顔が珍しいだけなんだろうな、やっぱ。
街灯の下に、なんか、人だかりが出来てる。
誰かを囲んでお喋りしてるみたいだ。
「昨夜の『スタンド・バイ・ミー』は最高だったよ」
「次はどこで歌うんだい?」
なんて話し声が聞こえた。誰か人気者の歌手でも来てんのか?
輪の中心を覗こうとしたら、その人と目が合った。
浅黒くて大柄のお姉さんだった。俺の二倍くらい年上の。
「なんだい、お兄さん? おや、若くてイイ男じゃないか」
「えと、どうも」
ダレなんだろ、このおばちゃん。
「自己紹介しとこうか。この島の歌姫シニョーラ・マルタってのはあたしのことさ。覚えておきな?」
つぶらな黒い瞳。その時は、すごく人懐っこい目に見えた。
「夜は大抵、どこかのバーで歌ってるから、お兄さんも一度、聞き惚れにおいで?」
男勝りに笑いながら去っていく。確かに声量はありそうだけど。
このヒト、自分のこと『姫』って言った?
メシ食って家に戻ってきた。うちのポストを覗いたら、一枚のハガキが入ってた。この住所を知る人間はかなり限られてる。
だから、どうせおシゴト関係のつまんないお手紙だろうと思って手に取った。
表面には俺んちの住所と名前が、随分テキトーに書いてある。
『聖アルフォンソ島 崖っぷちのコテージ アイヴィー様』
それでよくここまで届いたな、コレ。
裏面は真っ白な無地。その上に、いかにもお年寄り独特の文字でこう書いてあった。
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ピコから手紙が来た。
けど、わざわざハガキに書いて送ってくる意味があるとは思えないメッセージだ。
言われなくても、この家は自由に使ってたし。
「好きに使え」的なニュアンスは家を貰う時にも聞いてた気がする。
なんで、今になって、こんなお手紙、俺に寄越したんだろ?
差出人のとこには、ピコの住所が書かれていなかった。
「にしても、きったない字」
ポストカード入れに差し込んだ。キッチンに向かい、お湯を沸かす。
その間に、茶色い粉が入ってる、大きなボトルの黒い蓋を回す。
インスタントコーヒーを飲みながら、音楽作りとシャレ込む為に。
ザラザラと粉をマグカップに入れながら、俺は口笛を吹いていた。さっきのアレの影響らしい。
独り暮らしの利点は家で熱唱したって誰にも迷惑を掛けないことだ。
ご近所さんも居ない、崖っぷちのコテージなら、尚更。
「ダーリン、ダーリン、スターンド、バイ、ミー」
→
■アイヴィー5年前
■囚われ人3 続編
■囚われ人3 続編
警備組織司令官の俺と副司令官のラインハルト・クロイツが正門前に立つ。
門番の二人は、俺の顔、というよりクロイツの顔を見て敬礼した。ビビリ気味に。
副司令官は部下達に「ご苦労様です」と声を掛けていた。
そんな気はしてたけど、クロイツは他の奴等から恐れられてるかんじだ。
規則に厳しいところあるし、色々ガミガミ言われたりするんだろう。
「司令? 行きますよ?」
「あ、ああ」
正門を抜け、校舎まで続く月桂樹の道を歩いていく。今日もいい天気で、木洩れ陽があったかい。
今日は学院の生徒代表室で警備ミーティングだ。
俺はクロイツの数歩後ろを付いていく。クロイツはノートPCを入れたシルバーのバッグを抱えている。
「本来であれば、警備に関するミーティングは、学院から一名、警備から一名で行われます」
クロイツは空を見ることもなく、真正面を向きながら話してる。
「現状、貴方はまだ就任されたばかりなので、暫くは私も補佐役として出席致しますが、
いずれは司令お一人で参加して頂くことになりますので、そのおつもりで」
「ハーイ」
おっ、変な色のちょうちょ。あ、ガかな?
「今回から、あのドクターもミーティングに参加されますので、ご注意下さい」
「注意?」
「あ、いえ」
「まあ、言いたいことはなんとなく解るよ。まだ、気を許すな、ってことでしょ?」
「ええ」
「やっぱ、なんかアヤシイもんなー、あのセンセ」
「司令もそう感じましたか」
「まあね。でも、前科とか、経歴に詐称、なんてのは、なかったんだろ?」
「ええ。彼の過去は洗いざらい調査致しましたが、経歴書通りの裏が取れました」
「そ。じゃあ、なんで……」
「何です?」
「あ、ううん。何でもない」
なんで、あのセンセのこと考えると、こんなにザワザワするんだろ。
学生課の前を通って、一番奥の部屋に着く。
ここが生徒代表室。今日のミーティングルームだ。クロイツが扉に手を伸ばす。
「それでは、司令。気を引き締めてミーティングに臨んで下さい」
俺達二人が顔を見せると、生徒代表が、もさっと会釈した。
トレードマークは、紺色のカーディガン。なんで、制服のブレザー着ないんだろ。
猫背気味だし、眼鏡のデザインが古いし。ピチピチの18歳には見えないけど。
こいつが俺の上司、聖アルフォンソ学院の生徒代表ヤン・ハシェクだ。
ヤンの後方から白衣の男が近付いてくる。今日も笑顔が妖しげなドクターだ。
俺の身体が、少し緊張するのが解った。生徒代表はのんびりと、自分の手首を覗く。
「えっと、まだちょっと早いですけど、揃ったんで、ミーティング、始めましょうか」
四角いテーブルに四人が向かう。最初に座ったのはヤン。その隣をドクターが取る。
俺はヤンの向かいに座る。俺の隣にクロイツ。学院組と警備組が向かい合う形で座った。
今日は、新メンバー、ソクーロフ先生の挨拶から始まった。
この前正式に、ドクターが警備組織に力を貸してくれることになったので、
警備ミーティングへの参加も決まった。ドクターの強い要望で、だ。
これで俺はドクターとは本格的に、同僚という深いカンケイになっちまったというわけだ。
ミーティングは基本的に、学院側、警備側による情報交換の場だ。
学院側の近況、近々の行事予定が、警備側に報告され、
警備側も近況、つまり、どの生徒を狙う輩を捕まえただとか、生徒の祖国についての調査報告を行う。
ミーティングで何かを決める場合は多数決などではなく、生徒代表一人の意思によって決定する。
言わば、この小さな島は絶対王政。その王様が生徒代表だ。
ミーティング中、警備組織からの報告はクロイツに任せ、俺はドクターを見てた。
ドクターはノートPCではなく、何かファイルを持ってきている。
筆記用具は、白衣の胸ポケットから出した赤いボールペンだけ。
しょっちゅうメモを取ってたけど、そのタイミングから見て、
話の内容について書いているわけじゃないみたいだった。
もしかして、ラクガキでもしてんのか? 誰かの似顔絵とか。
今日のミーティングが型通り終わり、そろそろお開きかなと思った時、
ドクターはファイルから何かプリントを取り出し、俺とクロイツの前にそれを置いた。
「最後に、この生徒のことなんだがね」
カルテの一部をコピーした物らしい。
なんか、所々、黒く塗り潰されてるのが、めっちゃ気になるんですけど。
端には顔写真。シャープな顔立ちで、すっげ目付きが悪い生徒。俺は知らない顔だ。
生徒の資料は読み始めたばかりで、顔を見て名前が当てられる段階じゃなかった。名前欄には長い文字。
「えと、ジブ……」
クロイツが少し抑えた声で教えてくれる。
「ジブリール・アブル・アルファマード様。高等部二年、アルファルド寮の生徒です」
「ふうん」
ドクターはわざとらしく「おや?」と首を傾げた。
「司令官は、ジブリールをご存知ではないようだね?」
「ああ、まだ会ったこともないし」
てゆうか、面識なんてあるわけない。
俺は島に着いてから、ほぼ毎日、司令室に閉じ込められてお勉強の日々だった。
「司令官には、早急に、全生徒の顔と氏名、バックグラウンドまで記憶して貰いたい。
守るべき対象が誰なのか判別できなければ、話にならないからね」
「……ハイ」
センセに怒られた。クロイツが俺を庇うように割って入る。
「申し訳ありません、ドクター。司令は警備業務の引き継ぎに追われておりましたので」
「生徒のデータを把握することも、重要な引き継ぎ事項だと思うがね」
尤もな理由で、うちの副司令官を黙らせたドクターは、生徒について説明を始めた。
「ジブリールは、祖国では第三王子の地位にある生徒だ」
話には聞いてたけど、ホントに王子様とか居るんだ。
俺がちょっと驚いていると、もっと驚くことをドクターは口にした。
生徒の祖国として、某中東大国の名前を出したのだ。
世界でも上位の産油国であり、治安が良いとは決して言えない、何かとキナ臭いお国だ。
「それで、ジブリール様が、何か?」
「ヤン、君から説明したほうが良いだろう。昨日、私に相談してくれた通り、
彼等にも教えてあげなさい。ゆっくりでいいからね?」
語り手を譲られた生徒は「はい、先生」と返事して、こう言った。
「ジブリール、最近ちょっと、様子がヘンなんです。だから、僕、心配で……」
話が途切れた。クロイツが続きを促す。
「ヤン様? その『ヘン』というのは、何が、どのように、でしょうか?
恐れ入りますが、もう少し具体的にお願い致します」
「あ、具体的に、ですか? えっと、いろいろ、なんです」
生徒代表は、持ち前のぼそぼそとした声で話し始めた。
「ジブリールって週に五回、決まった時間にジムに行ってるんですけど、
最近、行ってない日があったり、時間がズレたりしてるみたいで、
あと、聖堂に来て、ぼうっとしてたり、とか。
そういうの、今まではなかったことだから、どうしたのかなって思って。
でも、本人に聞いても、『お前には関係ない』としか言ってくれないし」
ドクターは赤いボールペンをクルリと回す。
「それがどうした、と言う顔をしているね、警備チームは」
言い当てられた。さすが、カウンセラー様。
いや、待て。今の話聞いた後なら、誰でもそういう顔するだろ。
「確かに、ヤンの話を聞いた限りでは、皆『それが?』と思うかもしれないが」
ウソ。また心の中を読まれた。俺、そんなに、思ったこと顔に出てんの?
「人には多かれ少なかれ、日常のリズムというものがある。
それが崩れるのは、何らかの非日常が起こった時だ。ヤンが見つけた、不自然なリズムを、
ただの偶然として、ないがしろにすることは早計ではないかな? それに」
ドクターが生徒代表の頭に手を置く。
「この子は、素晴らしい洞察力と記憶力を持っている。こと、数値に関しては、
ヤンに敵う者はなかなか居ないと思うよ。学院の間だけではなく、世界を見回してもね」
「ヤン様は、数学の学力検査で、世界トップクラスの成績を修めておいでです」
「マジかよ。お前、スゴイんだな、ヤン」
「えっ? あの、皆、止めて下さい。僕は、数字を見るのが、
好きなだけで……友達にはいつも怒られてばっかりだし……」
なんか、すげー照れてる。
「解りました。ヤン様は我々に、ジブリール様の周辺に注意せよ、と仰りたいのですね?」
クロイツが話を元に戻した。ヤンは、うんうん、と頷く。
「はい。僕の思い過ごしかもしれませんけど、お願いしてもいいですか?
ジブリールに何かあったら、嫌だから」
ぼそっと言われた「嫌だから」という理由を聞いて、俺は俄然やる気が出てきた。
「任せろよ、ヤン。そういうのが俺達の仕事なんだからさ? な、クロイツ?」
「ええ。警備強化に努めましょう。ジブリール様の周囲、及び、祖国の状況を調査し、
結果は解り次第お伝えします。これでいかがでしょうか、ヤン様?」
「はい。ありがとうございます、お願いします」
この島の王様が、臣下である俺達に頭を下げた。
軍人特有の奇妙なまでに折り目正しい礼などではなく、ヤンらしい、もさっとした礼。
それで充分、18歳が18歳なりに、自分の仲間を守ろうとしてるのが伝わった。
「司令、本部に戻ったら、早速ミーティングを」
「だな」
保健室のセンセが、生徒に優しく声を掛ける。
「良かったね、ヤン。彼等ならきっと、ジブリールを守ってくれるよ」
「はい」
何だよ、あのセンセ。たまにはイイこと言えんじゃん。
→
門番の二人は、俺の顔、というよりクロイツの顔を見て敬礼した。ビビリ気味に。
副司令官は部下達に「ご苦労様です」と声を掛けていた。
そんな気はしてたけど、クロイツは他の奴等から恐れられてるかんじだ。
規則に厳しいところあるし、色々ガミガミ言われたりするんだろう。
「司令? 行きますよ?」
「あ、ああ」
正門を抜け、校舎まで続く月桂樹の道を歩いていく。今日もいい天気で、木洩れ陽があったかい。
今日は学院の生徒代表室で警備ミーティングだ。
俺はクロイツの数歩後ろを付いていく。クロイツはノートPCを入れたシルバーのバッグを抱えている。
「本来であれば、警備に関するミーティングは、学院から一名、警備から一名で行われます」
クロイツは空を見ることもなく、真正面を向きながら話してる。
「現状、貴方はまだ就任されたばかりなので、暫くは私も補佐役として出席致しますが、
いずれは司令お一人で参加して頂くことになりますので、そのおつもりで」
「ハーイ」
おっ、変な色のちょうちょ。あ、ガかな?
「今回から、あのドクターもミーティングに参加されますので、ご注意下さい」
「注意?」
「あ、いえ」
「まあ、言いたいことはなんとなく解るよ。まだ、気を許すな、ってことでしょ?」
「ええ」
「やっぱ、なんかアヤシイもんなー、あのセンセ」
「司令もそう感じましたか」
「まあね。でも、前科とか、経歴に詐称、なんてのは、なかったんだろ?」
「ええ。彼の過去は洗いざらい調査致しましたが、経歴書通りの裏が取れました」
「そ。じゃあ、なんで……」
「何です?」
「あ、ううん。何でもない」
なんで、あのセンセのこと考えると、こんなにザワザワするんだろ。
学生課の前を通って、一番奥の部屋に着く。
ここが生徒代表室。今日のミーティングルームだ。クロイツが扉に手を伸ばす。
「それでは、司令。気を引き締めてミーティングに臨んで下さい」
俺達二人が顔を見せると、生徒代表が、もさっと会釈した。
トレードマークは、紺色のカーディガン。なんで、制服のブレザー着ないんだろ。
猫背気味だし、眼鏡のデザインが古いし。ピチピチの18歳には見えないけど。
こいつが俺の上司、聖アルフォンソ学院の生徒代表ヤン・ハシェクだ。
ヤンの後方から白衣の男が近付いてくる。今日も笑顔が妖しげなドクターだ。
俺の身体が、少し緊張するのが解った。生徒代表はのんびりと、自分の手首を覗く。
「えっと、まだちょっと早いですけど、揃ったんで、ミーティング、始めましょうか」
四角いテーブルに四人が向かう。最初に座ったのはヤン。その隣をドクターが取る。
俺はヤンの向かいに座る。俺の隣にクロイツ。学院組と警備組が向かい合う形で座った。
今日は、新メンバー、ソクーロフ先生の挨拶から始まった。
この前正式に、ドクターが警備組織に力を貸してくれることになったので、
警備ミーティングへの参加も決まった。ドクターの強い要望で、だ。
これで俺はドクターとは本格的に、同僚という深いカンケイになっちまったというわけだ。
ミーティングは基本的に、学院側、警備側による情報交換の場だ。
学院側の近況、近々の行事予定が、警備側に報告され、
警備側も近況、つまり、どの生徒を狙う輩を捕まえただとか、生徒の祖国についての調査報告を行う。
ミーティングで何かを決める場合は多数決などではなく、生徒代表一人の意思によって決定する。
言わば、この小さな島は絶対王政。その王様が生徒代表だ。
ミーティング中、警備組織からの報告はクロイツに任せ、俺はドクターを見てた。
ドクターはノートPCではなく、何かファイルを持ってきている。
筆記用具は、白衣の胸ポケットから出した赤いボールペンだけ。
しょっちゅうメモを取ってたけど、そのタイミングから見て、
話の内容について書いているわけじゃないみたいだった。
もしかして、ラクガキでもしてんのか? 誰かの似顔絵とか。
今日のミーティングが型通り終わり、そろそろお開きかなと思った時、
ドクターはファイルから何かプリントを取り出し、俺とクロイツの前にそれを置いた。
「最後に、この生徒のことなんだがね」
カルテの一部をコピーした物らしい。
なんか、所々、黒く塗り潰されてるのが、めっちゃ気になるんですけど。
端には顔写真。シャープな顔立ちで、すっげ目付きが悪い生徒。俺は知らない顔だ。
生徒の資料は読み始めたばかりで、顔を見て名前が当てられる段階じゃなかった。名前欄には長い文字。
「えと、ジブ……」
クロイツが少し抑えた声で教えてくれる。
「ジブリール・アブル・アルファマード様。高等部二年、アルファルド寮の生徒です」
「ふうん」
ドクターはわざとらしく「おや?」と首を傾げた。
「司令官は、ジブリールをご存知ではないようだね?」
「ああ、まだ会ったこともないし」
てゆうか、面識なんてあるわけない。
俺は島に着いてから、ほぼ毎日、司令室に閉じ込められてお勉強の日々だった。
「司令官には、早急に、全生徒の顔と氏名、バックグラウンドまで記憶して貰いたい。
守るべき対象が誰なのか判別できなければ、話にならないからね」
「……ハイ」
センセに怒られた。クロイツが俺を庇うように割って入る。
「申し訳ありません、ドクター。司令は警備業務の引き継ぎに追われておりましたので」
「生徒のデータを把握することも、重要な引き継ぎ事項だと思うがね」
尤もな理由で、うちの副司令官を黙らせたドクターは、生徒について説明を始めた。
「ジブリールは、祖国では第三王子の地位にある生徒だ」
話には聞いてたけど、ホントに王子様とか居るんだ。
俺がちょっと驚いていると、もっと驚くことをドクターは口にした。
生徒の祖国として、某中東大国の名前を出したのだ。
世界でも上位の産油国であり、治安が良いとは決して言えない、何かとキナ臭いお国だ。
「それで、ジブリール様が、何か?」
「ヤン、君から説明したほうが良いだろう。昨日、私に相談してくれた通り、
彼等にも教えてあげなさい。ゆっくりでいいからね?」
語り手を譲られた生徒は「はい、先生」と返事して、こう言った。
「ジブリール、最近ちょっと、様子がヘンなんです。だから、僕、心配で……」
話が途切れた。クロイツが続きを促す。
「ヤン様? その『ヘン』というのは、何が、どのように、でしょうか?
恐れ入りますが、もう少し具体的にお願い致します」
「あ、具体的に、ですか? えっと、いろいろ、なんです」
生徒代表は、持ち前のぼそぼそとした声で話し始めた。
「ジブリールって週に五回、決まった時間にジムに行ってるんですけど、
最近、行ってない日があったり、時間がズレたりしてるみたいで、
あと、聖堂に来て、ぼうっとしてたり、とか。
そういうの、今まではなかったことだから、どうしたのかなって思って。
でも、本人に聞いても、『お前には関係ない』としか言ってくれないし」
ドクターは赤いボールペンをクルリと回す。
「それがどうした、と言う顔をしているね、警備チームは」
言い当てられた。さすが、カウンセラー様。
いや、待て。今の話聞いた後なら、誰でもそういう顔するだろ。
「確かに、ヤンの話を聞いた限りでは、皆『それが?』と思うかもしれないが」
ウソ。また心の中を読まれた。俺、そんなに、思ったこと顔に出てんの?
「人には多かれ少なかれ、日常のリズムというものがある。
それが崩れるのは、何らかの非日常が起こった時だ。ヤンが見つけた、不自然なリズムを、
ただの偶然として、ないがしろにすることは早計ではないかな? それに」
ドクターが生徒代表の頭に手を置く。
「この子は、素晴らしい洞察力と記憶力を持っている。こと、数値に関しては、
ヤンに敵う者はなかなか居ないと思うよ。学院の間だけではなく、世界を見回してもね」
「ヤン様は、数学の学力検査で、世界トップクラスの成績を修めておいでです」
「マジかよ。お前、スゴイんだな、ヤン」
「えっ? あの、皆、止めて下さい。僕は、数字を見るのが、
好きなだけで……友達にはいつも怒られてばっかりだし……」
なんか、すげー照れてる。
「解りました。ヤン様は我々に、ジブリール様の周辺に注意せよ、と仰りたいのですね?」
クロイツが話を元に戻した。ヤンは、うんうん、と頷く。
「はい。僕の思い過ごしかもしれませんけど、お願いしてもいいですか?
ジブリールに何かあったら、嫌だから」
ぼそっと言われた「嫌だから」という理由を聞いて、俺は俄然やる気が出てきた。
「任せろよ、ヤン。そういうのが俺達の仕事なんだからさ? な、クロイツ?」
「ええ。警備強化に努めましょう。ジブリール様の周囲、及び、祖国の状況を調査し、
結果は解り次第お伝えします。これでいかがでしょうか、ヤン様?」
「はい。ありがとうございます、お願いします」
この島の王様が、臣下である俺達に頭を下げた。
軍人特有の奇妙なまでに折り目正しい礼などではなく、ヤンらしい、もさっとした礼。
それで充分、18歳が18歳なりに、自分の仲間を守ろうとしてるのが伝わった。
「司令、本部に戻ったら、早速ミーティングを」
「だな」
保健室のセンセが、生徒に優しく声を掛ける。
「良かったね、ヤン。彼等ならきっと、ジブリールを守ってくれるよ」
「はい」
何だよ、あのセンセ。たまにはイイこと言えんじゃん。
→
■アイヴィー5年前
■囚われ人2 続編
■囚われ人2 続編
遅いお仕事帰り。お外は当然真っ暗だ。
年中温暖な気候だとかで、夜中でもそんなに寒くはない。
晩メシを食いに旧市街に寄った。料理ができない男の日課だ。
島に来て、まだ日が浅いので、初めての店に入ってみるのが、ちょっと楽しみ。
適度に猥雑な街並みをブラブラ歩いていると、変わったドアを見つけた。
上半分がステンドグラス、下は木で出来たドア。
傍らに立て掛けてある縦型のブラックボードには、
チョークでビールや料理のメニューが書かれてる。
店の全体の外観はログハウス調。内装も焦茶色っぽいかんじなんだろうと想像が付いた。
全体的に気に入って今日はココで食べて行くことにした。
『OPEN』と彫られたプレートがドアに引っ掛けてある。
ドアを開けるとイイかんじに、カランコロンカラーンとベルが鳴った。
「いらっしゃいませー」
お兄さんが明るい声で迎えてくれた。
赤みがかった髪、ちょこっと後ろで結んでる。年は俺より下、二十歳前後、かな。
俺の好きなビールメーカーのTシャツに腰巻きエプロン。
黒地に白字でビールのロゴ。シンプルでイイ。
あのTシャツ欲しいなあ、なんて見てたら、目が合った。
途端に若いお兄さんは、大きな目をパチパチした。
「マイク? いつ戻って……」
えと。マイクって、どちらさん?
店内の薄汚れた壁は、ビールのポスターや看板が貼り巡らされ、
天井には三角のフラッグが、ぶら下がってる。俺の好きなアイルランドパブ式の酒場だ。
席に付いた俺は早速、ポケットから煙草を取り出す。
テーブルの隅にあった灰皿の三段タワーから、頂上をいっこ取る。
毒の煙が身体に回り、人心地が付いた。今日もお仕事お疲れ様、俺。
「さっきはスミマセン」
料理を持った店員さんが俺の席に来た。俺を誰かと人違いしちゃった、赤毛のお兄さんだ。
そんな頭下げられることじゃないので、「あー、もう全然気にしてないよ?」と返した。
ま、確かにビックリはしたけど。
「あの、初めてのお客さん、ですよね?」
「うん。島に来たばっかなんだ」
「そっか。そうだよね」
赤毛のお兄さんは、ちょっと俯いた。
左腕にジャラジャラとブレスレットが巻かれているのが見えた。
「あ、コレ、サービスです。良かったら食べて下さい」
持ってた皿をテーブルに乗せる。ナチョスだ。
「え、サービスって……貰っちゃってイイの?」
「はい。さっき驚かせちゃったお詫びです。マスターにはナイショだけど」
「マジで。じゃあ、なんか悪ぃけど、ありがたく頂くわ。丁度、腹減ってたんだ」
「良かった。じゃあ、どうぞごゆっくり」
見た目は、トルティーヤチップスがはみ出したグラタン。
三角のチップとグリンピースとクリーム色の豆がサルサソースと混ざってる。
それにチーズを掛けて焼いた物だ。パセリが振ってあってキレイなかんじ。
焼いたチップから、香ばしいトウモロコシの匂い。
チップは安くて薄べったいのじゃなくて、厚みのあるちょっとリッチなタイプだ。
端の焦げてるトコが苦くてウマかった。
→
年中温暖な気候だとかで、夜中でもそんなに寒くはない。
晩メシを食いに旧市街に寄った。料理ができない男の日課だ。
島に来て、まだ日が浅いので、初めての店に入ってみるのが、ちょっと楽しみ。
適度に猥雑な街並みをブラブラ歩いていると、変わったドアを見つけた。
上半分がステンドグラス、下は木で出来たドア。
傍らに立て掛けてある縦型のブラックボードには、
チョークでビールや料理のメニューが書かれてる。
店の全体の外観はログハウス調。内装も焦茶色っぽいかんじなんだろうと想像が付いた。
全体的に気に入って今日はココで食べて行くことにした。
『OPEN』と彫られたプレートがドアに引っ掛けてある。
ドアを開けるとイイかんじに、カランコロンカラーンとベルが鳴った。
「いらっしゃいませー」
お兄さんが明るい声で迎えてくれた。
赤みがかった髪、ちょこっと後ろで結んでる。年は俺より下、二十歳前後、かな。
俺の好きなビールメーカーのTシャツに腰巻きエプロン。
黒地に白字でビールのロゴ。シンプルでイイ。
あのTシャツ欲しいなあ、なんて見てたら、目が合った。
途端に若いお兄さんは、大きな目をパチパチした。
「マイク? いつ戻って……」
えと。マイクって、どちらさん?
店内の薄汚れた壁は、ビールのポスターや看板が貼り巡らされ、
天井には三角のフラッグが、ぶら下がってる。俺の好きなアイルランドパブ式の酒場だ。
席に付いた俺は早速、ポケットから煙草を取り出す。
テーブルの隅にあった灰皿の三段タワーから、頂上をいっこ取る。
毒の煙が身体に回り、人心地が付いた。今日もお仕事お疲れ様、俺。
「さっきはスミマセン」
料理を持った店員さんが俺の席に来た。俺を誰かと人違いしちゃった、赤毛のお兄さんだ。
そんな頭下げられることじゃないので、「あー、もう全然気にしてないよ?」と返した。
ま、確かにビックリはしたけど。
「あの、初めてのお客さん、ですよね?」
「うん。島に来たばっかなんだ」
「そっか。そうだよね」
赤毛のお兄さんは、ちょっと俯いた。
左腕にジャラジャラとブレスレットが巻かれているのが見えた。
「あ、コレ、サービスです。良かったら食べて下さい」
持ってた皿をテーブルに乗せる。ナチョスだ。
「え、サービスって……貰っちゃってイイの?」
「はい。さっき驚かせちゃったお詫びです。マスターにはナイショだけど」
「マジで。じゃあ、なんか悪ぃけど、ありがたく頂くわ。丁度、腹減ってたんだ」
「良かった。じゃあ、どうぞごゆっくり」
見た目は、トルティーヤチップスがはみ出したグラタン。
三角のチップとグリンピースとクリーム色の豆がサルサソースと混ざってる。
それにチーズを掛けて焼いた物だ。パセリが振ってあってキレイなかんじ。
焼いたチップから、香ばしいトウモロコシの匂い。
チップは安くて薄べったいのじゃなくて、厚みのあるちょっとリッチなタイプだ。
端の焦げてるトコが苦くてウマかった。
→
■アイヴィー5年前
■囚われ人1 続編
■囚われ人1 続編
聖アルフォンソ学院、バカでっかい正門前。
聞いていた通り、ここには常に二人のガードマンが立ってる。
俺が現れると、すぐに敬礼してくれて、顔パスで通してくれたけど。
品定めするような目で、爪先から頭まで見られた。
やっぱ、二十そこそこの新人司令官じゃ、信用ないっぽい。
お約束の13時前、俺は聖アルフォンソ学院の敷地内をぶらぶら歩いてた。
キャンパスは意外と静かで、生徒の姿は殆ど見えない。
昼休みが終わり、午後の授業が始まっている頃なのかもしれない。
そう言えば、時間割とか学院の日常的な部分をまだ知らない。あとで誰かに教えて貰ったほうが何かとベンリだろう。
それにしても、ガッコの敷地内は酸素いっぱいだ。まるで森ン中を歩いてるみたい。
実際、向こうには広大な森が見える。この緑な香りが多分、月桂樹なんだろう。
――月桂樹の森は、僕達生徒にとって『学院のハート』なんです。
この前、俺を連れて学院案内してくれた生徒代表はそう言っていた。
高等部三年の、名前は、ヤン・ハシェクって言ったっけ。
生徒には大事なもんらしいけど。俺にはまだその感覚がよく解らなかった。
ただ、空気は澄んでる。
排気ガスなんて匂いが全く感じられないくらい、光合成されまくってる。
空気ひとつとっても、世俗から隔絶された場所だ。
このガッコには13歳から入学できるという。
こんなキレイな場所で育って、外に出た時、ダイジョブなんだろうか。
「それはそれとして、っと」
副司令官に貰ったプリントをポケットから出す。
表題は『定期健診のお知らせ』だ。よく解んないけど、俺も受けなきゃいけないらしい。
プリントに載ってる案内図を見ながら、待ち合せの保健室に辿り着いた。
ここに誰が居るのかは解ってる。
もちろん、保健室のセンセだ。彼の資料は昨日ちょこっと見た。
名前はスタニスラフ・ニコライエヴィッチ・ソクーロフ、って舌噛みそ。
ロシアの人って、こんくらいの長さがデフォルト?
普通、保健室のセンセは、医師免許までは持っていないものだけど、
この学院では伝統的に、本物のお医者さんを選んでいるらしい。
生徒の学び舎だけでなく、住居も備えている為、
保健室には最新の医療設備が整っていて、診療所としての役割も果たせるそうだ。
何から何まで至れり尽くせりなガッコだ。
このソクーロフ先生も、赴任してきたのは結構最近で、
俺が島に来る、ちょい前くらいだったらしい。
何でも、自白・洗脳のエキスパートさんだそうで。
んなテクがあるんなら警備組織にもお力を貸してくれませんか、って話が組織内にある。
正式な打ち合わせは今度する予定だけど、今日はその辺について、
「我々にご協力願えるかお伺いを立てて来て下さいね」って副司令官に頼まれてる。
「ドクターにはくれぐれも失礼のないようにお願いします」って念まで押されて。
だから俺は、センセのゴキゲンを伺いつつ、
どんなかんじのヒトなのかも探り探り接しなくちゃならない。
あーあ、と心の中でボヤき終わってから、保健室をノックした。
中から「入りたまえ」と偉そうな声が聞こえた。
「失礼しまーす」
部屋に居たのは白衣の男が一人。
でもPCを見ていて、顔が見えない。そのオトコは俺に背を向けたまま、
「新しい司令官だね?」
「ハイ、一応」
センセは、まだこっちを振り向かない。
「では早速、定期健診を始めよう。その台に乗って」
なーんか、上から目線なSボイス。
でも、ここで逆らっても意味わかんないから、センセの言うことを聞く。
「去年より体重が少し減っているね。身長が変わりないのは、二十代では当たり前か」
PCに数値が出ているらしい。体重計もハイテクになったもんだ。
俺がガッコ行ってた時の体重計はフツーのアナログだったけど。
てゆうか、今『去年』って言った。軍に在籍していた時のデータもお持ちのようだ。
「台から降りていいよ。次は、上の服を脱いで」
ドクターが初めてこっちを向いた。
白衣に眼鏡で、長髪で美人と来た。
これで女医さんだったら、この前引っかかりそうになったスパムメールとおんなじシチュエーションだ。
「聞こえなかったかな? 自分で、ボタンを外してくれるかい、司令官?」
「『もしもし』もするんだ?」
「当然、胸部診察もさせて貰うよ。隈なく、全身を診たいからね」
「入学後の身体検査とカウンセリング、ってのは生徒だけかと思ってた」
「学院関係者は例外なく、全員受診することになっている。それとも、どうしても脱ぎたくない理由でもあるのかな?」
保健室のクスリっぽい匂いが鼻に付く。
「ないよ、別に」
俺はネクタイの結び目に人差し指を掛けて、緩いネクタイを更に緩める。
ドクターがじっとりと俺の一挙一動を見守っている。イヤな気分だ。
ワイシャツのボタンをプツプツと外していく。
ドクターは聴診器を首に掛けながら、
「気を悪くさせたらすまない。君が今日初めて、拒絶的な反応をしたものだから、つい気になってね」
全てのボタンを外し終わる。首許から腹まで晒されて、少し肌寒い。
保健室の先生は、ぐっと俺に近付いた。
銀色の聴診器が俺の胸に当たる。ヒヤリとした。
「アッ」
思わず変な声が出てしまった。ドクターは嫌らしい笑みを浮かべた。
「ちょっと冷たかったかい? 脈が早くなってしまったね」
どうしよ。このセンセ、ヘンタイさんカモしれない。
もう服を着ていいよ、と言われ、ワイシャツのボタンを留めていく。
普段は服が覆ってくれている古い傷。
それを見ても、このドクターは、何も聞かなかった。
身体検査が終わると、白衣のセンセは机上からファイルを手にした。
「では、隣のカウンセリングルームへ移動しよう」
「やっぱカウンセリングもするの?」
「ああ。君の前任者から、メンタルチェックは念入りにと頼まれている」
「へえ。俺がどっかのスパイかどうか、検査するってわけ?」
少しトゲのある言い方になっていた。
ドクターは気にならなかったのか、優しく言った。
「後輩への気遣いに過ぎない。前の司令官は自己表現が苦手なタイプだったからね」
隣の部屋に案内される。落ち着いた応接室みたいなとこだ。
それにしても、やたら白衣の似合うドクターだ。なんつーか、頭がめちゃめちゃ良さそう。
ちょっと足を組んで、膝にカルテを乗せてる格好もめちゃサマになってる。
ドクターは雑談みたいに、ところで、と話し始めた。
「司令官の部屋は他より広いと聞くが、引っ越しの片付けは大体終わったかい?」
「いや、そこも引っ越して、ピコのコテージ貰ったんだ」
「ほう。あの気難しいご老人か。よほど気に入られたんだね?」
「っていうより、自分の家を、処分するのが嫌だったんだと思うよ」
成程、と言って、俺の言葉を否定せず、肯定的に頷いた。
「ピコとはどんな話をしたんだい?」
ピコは、俺の先輩になる人だ。
この島で30年も警備の仕事をして、俺と入れ違って退職していった。
俺が島に初めて来てから一週間、宿舎と職場の送り迎えを務め、
島の伝説や、学院関係者や島民のことイロイロ、俺が島で生きてくのに、困らないだけの知識をくれた。
話ができたのはたった一週間。ピコは先週、島を発った。
本当はこの島を終の住み家にしたかったのに、島で生まれた者ではないからと追い出されちまった。
きっと、この先、俺はもうピコには会えない。
長い人生のうちで、短い間しか関われなかったけど重大なヒト、って時々居る。
俺にとってピコは、そういうヒトだ。
そんなことを頭の隅で考えながら、俺はピコから聞いた話をカウンセラーに語った。
眼鏡のセンセは相槌を打ちながら興味深そうに聞いてくれた。ピコの話を誰かにしたことはなかった。
勤務中は、お仕事の話が盛りだくさんだし。
そもそも、仕事以外の話をこんなに喋ったのは島に来て初めてかもしれない。
新しい土地、新しい職場になって、パタパタと二週間終わってたせいもあるだろう。
だけど、会ったばっかの相手なのに、俺もなんでこんなペラペラ話してんだか。
なんだか異常に話し易い人間だと気付いた。いつのまにかセンセへの警戒心も薄れてる。
俺は自白のエキスパートの術中にハマってたんだろうか。
このままじゃ、余計なことまで、くっちゃべっちまいそうな気がして。
「ねえ、ドクター。俺にもドクターに質問させてくれないかな? お仕事のお話とかしたいんだけど」
「駄目だよ」
まさかの焦らしプレイ。どーしてダメなの、と俺が聞く前に。
「今日は君のカウンセリングだ。仕事の打ち合わせなら、
違う日が設定されているだろう? その時にじっくりと伺うよ」
カウンセラーが、すっと席を立つ。
「以上で、定期健診は終わりだ。ご苦労様。仕事に戻っていいよ」
→
聞いていた通り、ここには常に二人のガードマンが立ってる。
俺が現れると、すぐに敬礼してくれて、顔パスで通してくれたけど。
品定めするような目で、爪先から頭まで見られた。
やっぱ、二十そこそこの新人司令官じゃ、信用ないっぽい。
お約束の13時前、俺は聖アルフォンソ学院の敷地内をぶらぶら歩いてた。
キャンパスは意外と静かで、生徒の姿は殆ど見えない。
昼休みが終わり、午後の授業が始まっている頃なのかもしれない。
そう言えば、時間割とか学院の日常的な部分をまだ知らない。あとで誰かに教えて貰ったほうが何かとベンリだろう。
それにしても、ガッコの敷地内は酸素いっぱいだ。まるで森ン中を歩いてるみたい。
実際、向こうには広大な森が見える。この緑な香りが多分、月桂樹なんだろう。
――月桂樹の森は、僕達生徒にとって『学院のハート』なんです。
この前、俺を連れて学院案内してくれた生徒代表はそう言っていた。
高等部三年の、名前は、ヤン・ハシェクって言ったっけ。
生徒には大事なもんらしいけど。俺にはまだその感覚がよく解らなかった。
ただ、空気は澄んでる。
排気ガスなんて匂いが全く感じられないくらい、光合成されまくってる。
空気ひとつとっても、世俗から隔絶された場所だ。
このガッコには13歳から入学できるという。
こんなキレイな場所で育って、外に出た時、ダイジョブなんだろうか。
「それはそれとして、っと」
副司令官に貰ったプリントをポケットから出す。
表題は『定期健診のお知らせ』だ。よく解んないけど、俺も受けなきゃいけないらしい。
プリントに載ってる案内図を見ながら、待ち合せの保健室に辿り着いた。
ここに誰が居るのかは解ってる。
もちろん、保健室のセンセだ。彼の資料は昨日ちょこっと見た。
名前はスタニスラフ・ニコライエヴィッチ・ソクーロフ、って舌噛みそ。
ロシアの人って、こんくらいの長さがデフォルト?
普通、保健室のセンセは、医師免許までは持っていないものだけど、
この学院では伝統的に、本物のお医者さんを選んでいるらしい。
生徒の学び舎だけでなく、住居も備えている為、
保健室には最新の医療設備が整っていて、診療所としての役割も果たせるそうだ。
何から何まで至れり尽くせりなガッコだ。
このソクーロフ先生も、赴任してきたのは結構最近で、
俺が島に来る、ちょい前くらいだったらしい。
何でも、自白・洗脳のエキスパートさんだそうで。
んなテクがあるんなら警備組織にもお力を貸してくれませんか、って話が組織内にある。
正式な打ち合わせは今度する予定だけど、今日はその辺について、
「我々にご協力願えるかお伺いを立てて来て下さいね」って副司令官に頼まれてる。
「ドクターにはくれぐれも失礼のないようにお願いします」って念まで押されて。
だから俺は、センセのゴキゲンを伺いつつ、
どんなかんじのヒトなのかも探り探り接しなくちゃならない。
あーあ、と心の中でボヤき終わってから、保健室をノックした。
中から「入りたまえ」と偉そうな声が聞こえた。
「失礼しまーす」
部屋に居たのは白衣の男が一人。
でもPCを見ていて、顔が見えない。そのオトコは俺に背を向けたまま、
「新しい司令官だね?」
「ハイ、一応」
センセは、まだこっちを振り向かない。
「では早速、定期健診を始めよう。その台に乗って」
なーんか、上から目線なSボイス。
でも、ここで逆らっても意味わかんないから、センセの言うことを聞く。
「去年より体重が少し減っているね。身長が変わりないのは、二十代では当たり前か」
PCに数値が出ているらしい。体重計もハイテクになったもんだ。
俺がガッコ行ってた時の体重計はフツーのアナログだったけど。
てゆうか、今『去年』って言った。軍に在籍していた時のデータもお持ちのようだ。
「台から降りていいよ。次は、上の服を脱いで」
ドクターが初めてこっちを向いた。
白衣に眼鏡で、長髪で美人と来た。
これで女医さんだったら、この前引っかかりそうになったスパムメールとおんなじシチュエーションだ。
「聞こえなかったかな? 自分で、ボタンを外してくれるかい、司令官?」
「『もしもし』もするんだ?」
「当然、胸部診察もさせて貰うよ。隈なく、全身を診たいからね」
「入学後の身体検査とカウンセリング、ってのは生徒だけかと思ってた」
「学院関係者は例外なく、全員受診することになっている。それとも、どうしても脱ぎたくない理由でもあるのかな?」
保健室のクスリっぽい匂いが鼻に付く。
「ないよ、別に」
俺はネクタイの結び目に人差し指を掛けて、緩いネクタイを更に緩める。
ドクターがじっとりと俺の一挙一動を見守っている。イヤな気分だ。
ワイシャツのボタンをプツプツと外していく。
ドクターは聴診器を首に掛けながら、
「気を悪くさせたらすまない。君が今日初めて、拒絶的な反応をしたものだから、つい気になってね」
全てのボタンを外し終わる。首許から腹まで晒されて、少し肌寒い。
保健室の先生は、ぐっと俺に近付いた。
銀色の聴診器が俺の胸に当たる。ヒヤリとした。
「アッ」
思わず変な声が出てしまった。ドクターは嫌らしい笑みを浮かべた。
「ちょっと冷たかったかい? 脈が早くなってしまったね」
どうしよ。このセンセ、ヘンタイさんカモしれない。
もう服を着ていいよ、と言われ、ワイシャツのボタンを留めていく。
普段は服が覆ってくれている古い傷。
それを見ても、このドクターは、何も聞かなかった。
身体検査が終わると、白衣のセンセは机上からファイルを手にした。
「では、隣のカウンセリングルームへ移動しよう」
「やっぱカウンセリングもするの?」
「ああ。君の前任者から、メンタルチェックは念入りにと頼まれている」
「へえ。俺がどっかのスパイかどうか、検査するってわけ?」
少しトゲのある言い方になっていた。
ドクターは気にならなかったのか、優しく言った。
「後輩への気遣いに過ぎない。前の司令官は自己表現が苦手なタイプだったからね」
隣の部屋に案内される。落ち着いた応接室みたいなとこだ。
それにしても、やたら白衣の似合うドクターだ。なんつーか、頭がめちゃめちゃ良さそう。
ちょっと足を組んで、膝にカルテを乗せてる格好もめちゃサマになってる。
ドクターは雑談みたいに、ところで、と話し始めた。
「司令官の部屋は他より広いと聞くが、引っ越しの片付けは大体終わったかい?」
「いや、そこも引っ越して、ピコのコテージ貰ったんだ」
「ほう。あの気難しいご老人か。よほど気に入られたんだね?」
「っていうより、自分の家を、処分するのが嫌だったんだと思うよ」
成程、と言って、俺の言葉を否定せず、肯定的に頷いた。
「ピコとはどんな話をしたんだい?」
ピコは、俺の先輩になる人だ。
この島で30年も警備の仕事をして、俺と入れ違って退職していった。
俺が島に初めて来てから一週間、宿舎と職場の送り迎えを務め、
島の伝説や、学院関係者や島民のことイロイロ、俺が島で生きてくのに、困らないだけの知識をくれた。
話ができたのはたった一週間。ピコは先週、島を発った。
本当はこの島を終の住み家にしたかったのに、島で生まれた者ではないからと追い出されちまった。
きっと、この先、俺はもうピコには会えない。
長い人生のうちで、短い間しか関われなかったけど重大なヒト、って時々居る。
俺にとってピコは、そういうヒトだ。
そんなことを頭の隅で考えながら、俺はピコから聞いた話をカウンセラーに語った。
眼鏡のセンセは相槌を打ちながら興味深そうに聞いてくれた。ピコの話を誰かにしたことはなかった。
勤務中は、お仕事の話が盛りだくさんだし。
そもそも、仕事以外の話をこんなに喋ったのは島に来て初めてかもしれない。
新しい土地、新しい職場になって、パタパタと二週間終わってたせいもあるだろう。
だけど、会ったばっかの相手なのに、俺もなんでこんなペラペラ話してんだか。
なんだか異常に話し易い人間だと気付いた。いつのまにかセンセへの警戒心も薄れてる。
俺は自白のエキスパートの術中にハマってたんだろうか。
このままじゃ、余計なことまで、くっちゃべっちまいそうな気がして。
「ねえ、ドクター。俺にもドクターに質問させてくれないかな? お仕事のお話とかしたいんだけど」
「駄目だよ」
まさかの焦らしプレイ。どーしてダメなの、と俺が聞く前に。
「今日は君のカウンセリングだ。仕事の打ち合わせなら、
違う日が設定されているだろう? その時にじっくりと伺うよ」
カウンセラーが、すっと席を立つ。
「以上で、定期健診は終わりだ。ご苦労様。仕事に戻っていいよ」
→
■アンリ オーギュスト ディーノ
■アンリの日記「タロット」ベース
■アンリの日記「タロット」ベース
僕のタロットは、サン・ジェルマン家の物置で見つけた。
埃を被った木製の小さな箱に入ってた。
箱の底には、女性の名前が刻まれてる。
ルイーズ。サン・ジェルマン伯爵夫人。僕の遠い母。
彼女についての詳しい資料は、何故か残されていない。
伯爵の正確な生年は不明だが、17世紀と18世紀の狭間に生まれたとされる。
ならば彼女も、その時代を生きた人間だろうと推測はできる。
けれど、当時のルイーズという女性を調べてみても、どこの誰なのか確証が得られなかった。
そもそも、いつの時代か、なんて限定することは、あまり意味をなさないかもしれないし。
錬金術師だった伯爵について詳しそうな人間なら知っている。
錬金術のみならず、世界のあらゆる神秘について、人に教えられるだけの知識を保有している人。
そんな神秘学の権威が、かなり近くに――この教室の、教壇に居るのだけれど。
「そう言えば、17世紀には、こんな錬金術師が居るんだ。
諸君が日頃お世話になっている人と同じ名前のね」
教科書は、ただ手持ち無沙汰で持っているだけ。
資料に全く頼らずとも、授業を進めることができる教師。
「バトラーという名前なんだよ?」
そう言って、一人で微笑んでいる紳士。
聖アルフォンソ学院、神秘学担当教師、オーギュスト・ボージェ。
「錬金術師バトラーは、たくさんの病人を救った。
例えば、小さな石にちょっと浸した、スプーン1杯のアーモンド・ミルクを飲ませて、
瀕死の患者を治したり。彼も賢者を石を持っていたとされる錬金術師の一人だ」
穏やかで単調な語り口は眠気を誘うもの。
神秘学に興味のない者ならば、授業が始まってすぐにうとうと来るだろう。
だけど、僕の頭の中には、彼の言葉はすうっと沁み入る。乾いた黄土に降る雨水のように。
夕焼けが教室を染める頃、この授業は終わる。今日もまた決められた時刻に鐘は鳴った。
講師がパタリと教科書を閉じる。
「ではまた来週。ごきげんよう、諸君」
生徒達が静かに退室していく。これで今日の時間割は終わりだ。
僕は席を立たずに、黒板を消す背中を眺めてた。
チョークの痕を丁寧に拭き取った後、彼は僕を見た。
「おや、アンリ。何か質問かい?」
「うん」
そこで何故か、よくできました、とでも言いそうな顔をした。
僕と二人きりになると、どうしてこの講師はこういう優しい顔をするんだろう。
「勉強熱心だね、アンリは。では私の研究室で紅茶を飲みながら聞こうか?」
今日のはすぐに済む質問だ。
なのに、僕は少し迷った。彼が淹れる紅茶の味を思い出していた。
「ここでいい」
「それは残念」
何故、残念がるのか解らない。
「ボージェ教授、『ルイーズ』という名を持つ女性を挙げてみて」
謎の女性について、何か少しでも手がかりになることが掴めれば。
そう思って、伯爵の名は出さずに尋ねると、
講師は、僕の思惑を知ってか知らずか、楽しそうに応じてくれた。
「おや。歴史のクイズかい? それとも、もっとプライベートな質問なのかな?
心配しなくとも、今の私に懇意にしている女性が居ないことは、アンリも知っているだろう?」
「君のプライベートなんか知らないし、どうでもいい。歴史上の人物からだよ」
「地理的にはフランスに多い名前だね。時代は?」
「17世紀か、18世紀生まれ、かな」
「結構、最近だね。どうして、その時代なんだろう?」
「生徒の質問には、迅速に答えてくれる? ボージェ教授」
「はいはい。では先ず、17世紀から行こうか。ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール嬢。
おしとやかで、実に優雅に踊れる女性だった。
彼女は、フランス王ルイ14世の寵姫(ちょうき)、つまり愛人となるけれども、
放蕩家のルイ14世は、後に、他の女性に心奪われてしまう」
「知ってる」
「同じ時期に、ルイーズ・ケルアイユ嬢という、なかなか野心的な女性が居るね。
ご両親は、娘をルイ14世の寵姫にしようと画策していたんだ。
けれど、先程言った、ラ・ヴァリエール嬢、奇しくも、同じ名を持つ女性が既にルイ14世の寵姫だった。
そこでルイ14世は、弟の妃の侍女に、ケルアイユ嬢を据える。
それが縁で、彼女はイングランド王チャールズ2世の寵姫となるんだ」
「知ってる」
「スウェーデン王妃となった、ルイーズ・マウントバッテン嬢。
けれど、彼女は生まれが19世紀になってしまうから、対象外かな?」
「いや、対象外とも言えないな。全く別の時代かもしれない」
その後もボージェ教授は、まるで歴史の教科書を読んでいるかのように、何名ものルイーズを挙げてみせた。
僕が何日もかかって調べた名前が、何も見ていない彼の口からすらすら出てくる。
「ねえ。君って、神秘学の研究者だよね? 西洋史を専攻していた時期でもあるの?」
「おやおや。アンリに褒めて貰えるとは光栄だね。ありがとう」
むかつく。
「もういい。同じ名前ばかりで、飽きてきた」
やはり、伯爵に繋がりそうなルイーズは居なかった。
どうして、親族である僕にでさえ、解らないのだろう。何か訳があるのだろうか。
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないのかい、アンリ。
どうしてアンリは、どこかのルイーズ嬢を探しているんだい?」
「僕の勝手でしょ」
問い詰められる前に、違う話題を出す。
「そう言えば、僕、来週の神秘学、休むから。先に言っておくね」
「おや。風邪を引く予定なのかね?」
「商談に行くの」
「それはお疲れ様。では、来週知らせるつもりだった宿題を今伝えておこうかな?」
「宿題?」
「神秘の宿る場所をひとつ選んで、自由に思ったことをレポートにまとめて欲しいんだ。枚数は任せるよ」
「提出期限は?」
「今月末の講義で回収する予定だよ」
「あと二週間か。じゃあ面倒だから、商談の場所から手近な所にしようかな」
「またシチリアかい?」
「ううん。同じ国だけど、もう少し北」
「気を付けていっておいで。お友達のマフィア君と仲良くするんだよ?」
「友達じゃない」
商談を無事に終えた僕は、イタリアの首都ローマに来た。
隣を歩かせているのは、この国在住のマフィア。ディーノ・マンゾーニ。
今日の装いは、白のロングコートにハット。
首には母親からのプレゼントだと言うピンクのマフラーを巻いている。それから、
「ねえ、ディーノ」
「ああん?」
「そのサングラス」
「ああ。俺様に似合うだろ?」
「似合い過ぎて目立つから、今すぐ外して貰えない?」
「なんだ、また惚れ直したんなら、そう言えよ、え?」
ただでさえ善人顔ではないのに、サングラスのせいで余計怪しさを醸し出している。
自ら、極悪人です、と名乗っているようなものだ。
そのせいだろう。僕達二人の周りだけ人が近寄らず、変な空間があるのは。
おかげで、人混みの中でも悠々と歩けるのは有難いけれど。
観光客はマフィアを遠くから物珍しそうに見ているし、
中には、このマザコンに頭を下げてきた者も居た。
おそらく彼と同じ世界に住む人間か、マンゾーニ家の恩恵に肖っている者なのだろうが。
その度に、マフィアは僕を見てニヤつきながら、何かイタリア語を喋る。僕への誹謗中傷に違いない。
今日、僕達が訪れているのは、バチカン美術館。
歴代ローマ法王が集めたコレクションを見せびらかしている世界最大規模の美術館だ。
僕の頭上から、マフィアの声が降ってくる。
「宿題ねえ。学生さんはご苦労なこった。ここに来ることが宿題なのか?」
「そんなわけないでしょ。どこか神秘に関わる場所に行ってレポートを書けって、神秘学の課題なの。
丁度、ローマに来る用事があったから、僕はここに決めただけ。
バチカン美術館は行って損はない所だって聞いていたし」
「おいおい、神秘学って何だよ。図工の宿題じゃないのか? ここ美術館だぞ」
「『神秘』って言葉を付ければ何でもいいんだよ。イタリアルネッサンス期の神秘、毒薬カンタレラの神秘、とかね」
「テキトーだな。で、イタリアーノの俺様に観光ガイドを頼んだってわけか」
「君に頼んだのは、ボディガードと通訳」
美術館のガイド役まで期待したわけではなかったのだが、
彼はある場所においてのみ、ガイド以上の知識を持っていた。
「さあ。ここがお待ちかねの『ボルジアの間』だ」
ここには、ボルジア家の父、ロドリーゴ・ボルジアが愛した芸術が展示されている。
毒殺魔として知られるボルジア家は、芸術家達のパトロンでもあったのだ。
「1492年から1503年の間、ボルジア家のパパが、ここに住んでた。
お気に入りの芸術家ピントゥリッキオに壁画装飾させてな。ほら、アレ。
お前、そのちびっこい背で見えるか? なんなら肩車してやるぜ、リトル・プリンセス?」
「見えるから」
僕達は『ボルジアの間』に展示された芸術をゆっくりと見て回った。
マフィアは展示品や、ボルジア家の歴史について、ペラペラと解説した。
「この部屋では、ボルジア家による暗殺も行われたらしいし、
晩年はボルジア家の者にとって牢獄のような使われ方もした」
僕は文化祭でボルジア家の末弟アンジェロを演じたこともあり、
ボルジア家については一通り学んだつもりでいたのだが、
マフィアの口から語られる話には、初めて聞く情報もあった。
「そういや、チェーザレも『悪魔の子』って呼ばれてたんだぜ?」
「彼が?」
「ま、チェーザレだけじゃなくて、ロドリーゴの子供は全員、そう呼ばれてたんだけどな」
彼には多くの子供が居た。
ロドリーゴ・ボルジアとシャルロット・ダルブレの間に生まれた子供が、
チェーザレ、ホアン、ルクレツィア、ホフレ。他の女性二名に産ませた子供が五人。
それにアンジェロを加えれば、計十人。
「どうして、全員が『悪魔の子』なの?」
「パパのロドリーゴ・ボルジアがローマ法王だからに決まってんだろ。
聖職者は結婚できない決まりだったから、全員庶子扱い。悪魔の仕業でできた子供なのさ」
ディーノにとっては自国の歴史とは言え、ルネッサンス期のイタリア史について、
これほど知っているとは思わなかったので、僕は率直な感想を述べた。
「意外だな。君がボルジア家に詳しいなんて」
「何言ってんだ、お前。ボルジア家はイタリアが誇るヒーローだぜ?
イタリア犯罪史上、最強最悪の親子だかんなあ。
もしタイムマシンがあったら、俺はぜってえ15世紀行って、チェーザレと握手だなあ」
「ヒーロー、ね」
「チェーザレは、パパのロドリーゴと力を合わせて、イタリア統一を目指したんだ。
当時の科学では確実に足が付かない、毒薬カンタレラを使いこなした毒殺魔。
ボルジア家の完全犯罪は、美学の極みだ。ガキの頃は、パパにもよく言われたもんさ。
我々もボルジア家のような悪の華になろうってな」
「成程。犯罪組織の間では、ボルジア家は見習うべきお手本、というわけか」
「んでさ、シャルロット・ダルブレのような美人を見付けて、
ルイーズのような美人な孫を見せてくれとか言うんだぜ、俺のパパが。
うちのママ以上のイイ女が居るわけねーよなー」
「ディーノ、今何て言ったの」
「うちのママ以上のイイ女が居るわけねえ」
「違う」
「違わねえよ! うちのママはなあ!」
「そうじゃなくて、その前」
「ルイーズのような美人な孫を」
「誰なの、それ」
「だから、ルイーズ・ボルジアだよ。チェーザレの娘に決まってんだろ。
お前、アンジェロのカッコしときながら、そんなことも知らなかったのか?」
沈黙がマフィアの言葉を肯定する。得意げにマフィアは語った。
「ルイーズが、フランスの男爵と結婚したことで、チェーザレの血は今も受け継がれてるのさ。
美しき犯罪者の遺伝子は、時代を超えて、まだ息をしてんだぜ? そう考えるだけで血が騒ぐだろ?」
寮に戻ってから、僕はボルジア家の血の行方を調べてみた。
マフィアが言っていたことは正しかった。
ボルジア家の家系図を見て、僕は短く息を呑んだ。
目に飛び込んでくる、名前。
「だから、何だと言うの」
知らぬ間に自分の腕を抱いていた。血の流れがいつもより早い気さえする。
この身体に流れる血。疑惑がちらりと脳裏を掠める。
「ただの偶然だ」
まるで自分に言い聞かせるように声に出していた。
フランスでは珍しくない名前だと解っているけれど。
紛れもない史実として、その名前は載っていた。
チェーザレ唯一の嫡出子の名はルイーズ、
彼女と夫の間には、男の子が生まれていた。
アンリ、という名の。
fin
埃を被った木製の小さな箱に入ってた。
箱の底には、女性の名前が刻まれてる。
ルイーズ。サン・ジェルマン伯爵夫人。僕の遠い母。
彼女についての詳しい資料は、何故か残されていない。
伯爵の正確な生年は不明だが、17世紀と18世紀の狭間に生まれたとされる。
ならば彼女も、その時代を生きた人間だろうと推測はできる。
けれど、当時のルイーズという女性を調べてみても、どこの誰なのか確証が得られなかった。
そもそも、いつの時代か、なんて限定することは、あまり意味をなさないかもしれないし。
錬金術師だった伯爵について詳しそうな人間なら知っている。
錬金術のみならず、世界のあらゆる神秘について、人に教えられるだけの知識を保有している人。
そんな神秘学の権威が、かなり近くに――この教室の、教壇に居るのだけれど。
「そう言えば、17世紀には、こんな錬金術師が居るんだ。
諸君が日頃お世話になっている人と同じ名前のね」
教科書は、ただ手持ち無沙汰で持っているだけ。
資料に全く頼らずとも、授業を進めることができる教師。
「バトラーという名前なんだよ?」
そう言って、一人で微笑んでいる紳士。
聖アルフォンソ学院、神秘学担当教師、オーギュスト・ボージェ。
「錬金術師バトラーは、たくさんの病人を救った。
例えば、小さな石にちょっと浸した、スプーン1杯のアーモンド・ミルクを飲ませて、
瀕死の患者を治したり。彼も賢者を石を持っていたとされる錬金術師の一人だ」
穏やかで単調な語り口は眠気を誘うもの。
神秘学に興味のない者ならば、授業が始まってすぐにうとうと来るだろう。
だけど、僕の頭の中には、彼の言葉はすうっと沁み入る。乾いた黄土に降る雨水のように。
夕焼けが教室を染める頃、この授業は終わる。今日もまた決められた時刻に鐘は鳴った。
講師がパタリと教科書を閉じる。
「ではまた来週。ごきげんよう、諸君」
生徒達が静かに退室していく。これで今日の時間割は終わりだ。
僕は席を立たずに、黒板を消す背中を眺めてた。
チョークの痕を丁寧に拭き取った後、彼は僕を見た。
「おや、アンリ。何か質問かい?」
「うん」
そこで何故か、よくできました、とでも言いそうな顔をした。
僕と二人きりになると、どうしてこの講師はこういう優しい顔をするんだろう。
「勉強熱心だね、アンリは。では私の研究室で紅茶を飲みながら聞こうか?」
今日のはすぐに済む質問だ。
なのに、僕は少し迷った。彼が淹れる紅茶の味を思い出していた。
「ここでいい」
「それは残念」
何故、残念がるのか解らない。
「ボージェ教授、『ルイーズ』という名を持つ女性を挙げてみて」
謎の女性について、何か少しでも手がかりになることが掴めれば。
そう思って、伯爵の名は出さずに尋ねると、
講師は、僕の思惑を知ってか知らずか、楽しそうに応じてくれた。
「おや。歴史のクイズかい? それとも、もっとプライベートな質問なのかな?
心配しなくとも、今の私に懇意にしている女性が居ないことは、アンリも知っているだろう?」
「君のプライベートなんか知らないし、どうでもいい。歴史上の人物からだよ」
「地理的にはフランスに多い名前だね。時代は?」
「17世紀か、18世紀生まれ、かな」
「結構、最近だね。どうして、その時代なんだろう?」
「生徒の質問には、迅速に答えてくれる? ボージェ教授」
「はいはい。では先ず、17世紀から行こうか。ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール嬢。
おしとやかで、実に優雅に踊れる女性だった。
彼女は、フランス王ルイ14世の寵姫(ちょうき)、つまり愛人となるけれども、
放蕩家のルイ14世は、後に、他の女性に心奪われてしまう」
「知ってる」
「同じ時期に、ルイーズ・ケルアイユ嬢という、なかなか野心的な女性が居るね。
ご両親は、娘をルイ14世の寵姫にしようと画策していたんだ。
けれど、先程言った、ラ・ヴァリエール嬢、奇しくも、同じ名を持つ女性が既にルイ14世の寵姫だった。
そこでルイ14世は、弟の妃の侍女に、ケルアイユ嬢を据える。
それが縁で、彼女はイングランド王チャールズ2世の寵姫となるんだ」
「知ってる」
「スウェーデン王妃となった、ルイーズ・マウントバッテン嬢。
けれど、彼女は生まれが19世紀になってしまうから、対象外かな?」
「いや、対象外とも言えないな。全く別の時代かもしれない」
その後もボージェ教授は、まるで歴史の教科書を読んでいるかのように、何名ものルイーズを挙げてみせた。
僕が何日もかかって調べた名前が、何も見ていない彼の口からすらすら出てくる。
「ねえ。君って、神秘学の研究者だよね? 西洋史を専攻していた時期でもあるの?」
「おやおや。アンリに褒めて貰えるとは光栄だね。ありがとう」
むかつく。
「もういい。同じ名前ばかりで、飽きてきた」
やはり、伯爵に繋がりそうなルイーズは居なかった。
どうして、親族である僕にでさえ、解らないのだろう。何か訳があるのだろうか。
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないのかい、アンリ。
どうしてアンリは、どこかのルイーズ嬢を探しているんだい?」
「僕の勝手でしょ」
問い詰められる前に、違う話題を出す。
「そう言えば、僕、来週の神秘学、休むから。先に言っておくね」
「おや。風邪を引く予定なのかね?」
「商談に行くの」
「それはお疲れ様。では、来週知らせるつもりだった宿題を今伝えておこうかな?」
「宿題?」
「神秘の宿る場所をひとつ選んで、自由に思ったことをレポートにまとめて欲しいんだ。枚数は任せるよ」
「提出期限は?」
「今月末の講義で回収する予定だよ」
「あと二週間か。じゃあ面倒だから、商談の場所から手近な所にしようかな」
「またシチリアかい?」
「ううん。同じ国だけど、もう少し北」
「気を付けていっておいで。お友達のマフィア君と仲良くするんだよ?」
「友達じゃない」
商談を無事に終えた僕は、イタリアの首都ローマに来た。
隣を歩かせているのは、この国在住のマフィア。ディーノ・マンゾーニ。
今日の装いは、白のロングコートにハット。
首には母親からのプレゼントだと言うピンクのマフラーを巻いている。それから、
「ねえ、ディーノ」
「ああん?」
「そのサングラス」
「ああ。俺様に似合うだろ?」
「似合い過ぎて目立つから、今すぐ外して貰えない?」
「なんだ、また惚れ直したんなら、そう言えよ、え?」
ただでさえ善人顔ではないのに、サングラスのせいで余計怪しさを醸し出している。
自ら、極悪人です、と名乗っているようなものだ。
そのせいだろう。僕達二人の周りだけ人が近寄らず、変な空間があるのは。
おかげで、人混みの中でも悠々と歩けるのは有難いけれど。
観光客はマフィアを遠くから物珍しそうに見ているし、
中には、このマザコンに頭を下げてきた者も居た。
おそらく彼と同じ世界に住む人間か、マンゾーニ家の恩恵に肖っている者なのだろうが。
その度に、マフィアは僕を見てニヤつきながら、何かイタリア語を喋る。僕への誹謗中傷に違いない。
今日、僕達が訪れているのは、バチカン美術館。
歴代ローマ法王が集めたコレクションを見せびらかしている世界最大規模の美術館だ。
僕の頭上から、マフィアの声が降ってくる。
「宿題ねえ。学生さんはご苦労なこった。ここに来ることが宿題なのか?」
「そんなわけないでしょ。どこか神秘に関わる場所に行ってレポートを書けって、神秘学の課題なの。
丁度、ローマに来る用事があったから、僕はここに決めただけ。
バチカン美術館は行って損はない所だって聞いていたし」
「おいおい、神秘学って何だよ。図工の宿題じゃないのか? ここ美術館だぞ」
「『神秘』って言葉を付ければ何でもいいんだよ。イタリアルネッサンス期の神秘、毒薬カンタレラの神秘、とかね」
「テキトーだな。で、イタリアーノの俺様に観光ガイドを頼んだってわけか」
「君に頼んだのは、ボディガードと通訳」
美術館のガイド役まで期待したわけではなかったのだが、
彼はある場所においてのみ、ガイド以上の知識を持っていた。
「さあ。ここがお待ちかねの『ボルジアの間』だ」
ここには、ボルジア家の父、ロドリーゴ・ボルジアが愛した芸術が展示されている。
毒殺魔として知られるボルジア家は、芸術家達のパトロンでもあったのだ。
「1492年から1503年の間、ボルジア家のパパが、ここに住んでた。
お気に入りの芸術家ピントゥリッキオに壁画装飾させてな。ほら、アレ。
お前、そのちびっこい背で見えるか? なんなら肩車してやるぜ、リトル・プリンセス?」
「見えるから」
僕達は『ボルジアの間』に展示された芸術をゆっくりと見て回った。
マフィアは展示品や、ボルジア家の歴史について、ペラペラと解説した。
「この部屋では、ボルジア家による暗殺も行われたらしいし、
晩年はボルジア家の者にとって牢獄のような使われ方もした」
僕は文化祭でボルジア家の末弟アンジェロを演じたこともあり、
ボルジア家については一通り学んだつもりでいたのだが、
マフィアの口から語られる話には、初めて聞く情報もあった。
「そういや、チェーザレも『悪魔の子』って呼ばれてたんだぜ?」
「彼が?」
「ま、チェーザレだけじゃなくて、ロドリーゴの子供は全員、そう呼ばれてたんだけどな」
彼には多くの子供が居た。
ロドリーゴ・ボルジアとシャルロット・ダルブレの間に生まれた子供が、
チェーザレ、ホアン、ルクレツィア、ホフレ。他の女性二名に産ませた子供が五人。
それにアンジェロを加えれば、計十人。
「どうして、全員が『悪魔の子』なの?」
「パパのロドリーゴ・ボルジアがローマ法王だからに決まってんだろ。
聖職者は結婚できない決まりだったから、全員庶子扱い。悪魔の仕業でできた子供なのさ」
ディーノにとっては自国の歴史とは言え、ルネッサンス期のイタリア史について、
これほど知っているとは思わなかったので、僕は率直な感想を述べた。
「意外だな。君がボルジア家に詳しいなんて」
「何言ってんだ、お前。ボルジア家はイタリアが誇るヒーローだぜ?
イタリア犯罪史上、最強最悪の親子だかんなあ。
もしタイムマシンがあったら、俺はぜってえ15世紀行って、チェーザレと握手だなあ」
「ヒーロー、ね」
「チェーザレは、パパのロドリーゴと力を合わせて、イタリア統一を目指したんだ。
当時の科学では確実に足が付かない、毒薬カンタレラを使いこなした毒殺魔。
ボルジア家の完全犯罪は、美学の極みだ。ガキの頃は、パパにもよく言われたもんさ。
我々もボルジア家のような悪の華になろうってな」
「成程。犯罪組織の間では、ボルジア家は見習うべきお手本、というわけか」
「んでさ、シャルロット・ダルブレのような美人を見付けて、
ルイーズのような美人な孫を見せてくれとか言うんだぜ、俺のパパが。
うちのママ以上のイイ女が居るわけねーよなー」
「ディーノ、今何て言ったの」
「うちのママ以上のイイ女が居るわけねえ」
「違う」
「違わねえよ! うちのママはなあ!」
「そうじゃなくて、その前」
「ルイーズのような美人な孫を」
「誰なの、それ」
「だから、ルイーズ・ボルジアだよ。チェーザレの娘に決まってんだろ。
お前、アンジェロのカッコしときながら、そんなことも知らなかったのか?」
沈黙がマフィアの言葉を肯定する。得意げにマフィアは語った。
「ルイーズが、フランスの男爵と結婚したことで、チェーザレの血は今も受け継がれてるのさ。
美しき犯罪者の遺伝子は、時代を超えて、まだ息をしてんだぜ? そう考えるだけで血が騒ぐだろ?」
寮に戻ってから、僕はボルジア家の血の行方を調べてみた。
マフィアが言っていたことは正しかった。
ボルジア家の家系図を見て、僕は短く息を呑んだ。
目に飛び込んでくる、名前。
「だから、何だと言うの」
知らぬ間に自分の腕を抱いていた。血の流れがいつもより早い気さえする。
この身体に流れる血。疑惑がちらりと脳裏を掠める。
「ただの偶然だ」
まるで自分に言い聞かせるように声に出していた。
フランスでは珍しくない名前だと解っているけれど。
紛れもない史実として、その名前は載っていた。
チェーザレ唯一の嫡出子の名はルイーズ、
彼女と夫の間には、男の子が生まれていた。
アンリ、という名の。
fin
■ソクーロフ×アイヴィー
■アイヴィー5年前
■原作コミック、小説ベース+オリジナルキャラ
■アイヴィー5年前
■原作コミック、小説ベース+オリジナルキャラ
新しい職場で気に入ってることは。
ここで飲めるコーヒーがやたら美味いこと。
これを飲む為に職場に来てるかんじすらする。
この島に入ってくるコーヒー豆の殆どはアフリカ産の最高級だとかで、そう聞いてからは余計に美味く感じる。
うちではインスタントコーヒーしか作らないし。
俺は職場に着いたら最初に、コーヒーサーバーに向かう。
誰かが既に淹れてくれたコーヒーをマイカップに注いで、自分の席に戻る。
んで、コーヒー飲みながら、メール見たり、書類読んだりして、一日が始まる。
そんなかんじでコーヒーが飲める時は、平和な日ってことだ。
二週間前から始まった、俺の新しいお仕事は、『辺境の島』の警備。
もうちょい具体的には、マージナルプリンスと呼ばれる学院の生徒達を守ること。
島の人口はたった三万人。そのうち生徒は百五十人ぽっち。
軍に残るよりはラクそうだ、と思って来たのに。
今日も俺はコーヒーを飲みながら、PC画面上のリストを眺めてた。
学院の生徒を狙ってるヒトがこんなに居る。
「やっぱ、あのオジサン達にダマされたっぽいなー、俺」
俺の背後から靴音が近付く。
「司令だけではなく、皆、騙されて来るものですよ、ここには」
副司令官のラインハルト・クロイツ。ドイツから引き抜かれてきた、すげー優秀な軍人。
島に来たのは去年。新しい司令官、つまり俺を補佐する為に、一年前から着任したそうだ。
軍人のワールドカップがあったら、そのドイツ代表みたいなオトコ。
こいつの上司が俺なんかでイイのか、ちょっとギモン。
「あのさ、クロイツ。いっこお願いあんだけど」
「はい?」
「俺のこと、司令って呼ぶの止めてくんないかな? 名前で、アイヴィーでイイから、全然」
「嫌です」
「嫌って、なんで」
「では逆にお尋ねしますが、司令を司令とお呼びして、何が問題なのでしょう?」
「や。だって、よそよそしいしさ、俺、司令ってガラじゃないし」
「それなら、自覚を持って頂く為にも、司令と呼ばせて頂きます。
貴方をどう呼ぶかくらいは、私の好きにさせて頂きたく思いますが」
「じゃー、もうイイです」
「ありがとうございます、ご理解頂いて」
なんかホント、どっちが上司かわかんね。
クロイツは扱い難いが優秀な男だから、って前の司令官が言ってたっけ。
「司令」
「あ、ハイ?」
「明日13時に学院の保健室に行って下さい」
「保健室? 俺、どこもケガしてないよ?」
見れば解りますよ、とつまらなそうに言いながら、プリントアウトしたらしい物を手渡す。
B5の紙には、簡潔な文章と学院の案内図が載っていた。
→
ここで飲めるコーヒーがやたら美味いこと。
これを飲む為に職場に来てるかんじすらする。
この島に入ってくるコーヒー豆の殆どはアフリカ産の最高級だとかで、そう聞いてからは余計に美味く感じる。
うちではインスタントコーヒーしか作らないし。
俺は職場に着いたら最初に、コーヒーサーバーに向かう。
誰かが既に淹れてくれたコーヒーをマイカップに注いで、自分の席に戻る。
んで、コーヒー飲みながら、メール見たり、書類読んだりして、一日が始まる。
そんなかんじでコーヒーが飲める時は、平和な日ってことだ。
二週間前から始まった、俺の新しいお仕事は、『辺境の島』の警備。
もうちょい具体的には、マージナルプリンスと呼ばれる学院の生徒達を守ること。
島の人口はたった三万人。そのうち生徒は百五十人ぽっち。
軍に残るよりはラクそうだ、と思って来たのに。
今日も俺はコーヒーを飲みながら、PC画面上のリストを眺めてた。
学院の生徒を狙ってるヒトがこんなに居る。
「やっぱ、あのオジサン達にダマされたっぽいなー、俺」
俺の背後から靴音が近付く。
「司令だけではなく、皆、騙されて来るものですよ、ここには」
副司令官のラインハルト・クロイツ。ドイツから引き抜かれてきた、すげー優秀な軍人。
島に来たのは去年。新しい司令官、つまり俺を補佐する為に、一年前から着任したそうだ。
軍人のワールドカップがあったら、そのドイツ代表みたいなオトコ。
こいつの上司が俺なんかでイイのか、ちょっとギモン。
「あのさ、クロイツ。いっこお願いあんだけど」
「はい?」
「俺のこと、司令って呼ぶの止めてくんないかな? 名前で、アイヴィーでイイから、全然」
「嫌です」
「嫌って、なんで」
「では逆にお尋ねしますが、司令を司令とお呼びして、何が問題なのでしょう?」
「や。だって、よそよそしいしさ、俺、司令ってガラじゃないし」
「それなら、自覚を持って頂く為にも、司令と呼ばせて頂きます。
貴方をどう呼ぶかくらいは、私の好きにさせて頂きたく思いますが」
「じゃー、もうイイです」
「ありがとうございます、ご理解頂いて」
なんかホント、どっちが上司かわかんね。
クロイツは扱い難いが優秀な男だから、って前の司令官が言ってたっけ。
「司令」
「あ、ハイ?」
「明日13時に学院の保健室に行って下さい」
「保健室? 俺、どこもケガしてないよ?」
見れば解りますよ、とつまらなそうに言いながら、プリントアウトしたらしい物を手渡す。
B5の紙には、簡潔な文章と学院の案内図が載っていた。
→
■ウーティス寮の愉快な仲間達
凧揚げを終えたウーティス寮生達は、揃ってサロンに戻ってきた。
「ニッポンの正月遊びも、やり尽くしたってかんじだなー」
どかっとロングソファにレッドが凭れた。向かいのハルヤは疲れた笑顔を見せる。
「凧揚げ、羽根付き、花札、独楽にお手玉、福笑いまでやってみたもんね」
「姉貴がダンボール送ってきた時はどうしようかと思ったけど、全部できちゃったね」
年末、ユウタの姉から『日本のお正月遊びセット』が送られてきた。
カードには『良かったら、皆さんで遊んで下さいね』とあったので、
ウーティス寮生達は、年明け後、早速喜び勇んで遊んだのだ。
最初にやった羽根付きは、テレビ電話を通して、生中継で試合を姉に見せた。
「どれも面白かったですー! ニッポン最高です!」
レッドの隣で、一人ハイテンションでいるのはシルヴァンだ。
相変わらず、日本が大好きな友人を見て、ジョシュアは苦笑する。
「シルヴァンが本当に楽しそうで良かったよ」
レッドは、面白くないと言わんばかりに膨れている。
「でもさー。さすがに次はなんか違うことしよーぜ?」
暖炉の傍に凭れていたアンリが、こんなことを言い出した。
「じゃあ、次はフランスの遊び、する?」
「するするっ! フランスの正月ってどんなことすんだ!?」
アンリが、入って、と呼び掛ける。すると、サロンのドアが開いた。
その人物を見て、最初に声を上げたのは、ハルヤだった。
「あれ、カミーユ?」
「はい。改めまして、あけましておめでとうございます、皆様」
誰もが認める、世界一コック服が似合う男。
割れた顎に四角い顔が特徴的な、ウーティス寮専属シェフ、カミーユ・ルブラン。
「お待たせ致しました、アンリ様。こちらがお言い付けのものです」
ローテーブルに、1ホールのケーキを置く。
螺旋状の美しい模様が描かれた、黄金色のパイのようだ。
パイの傍らには、金色の紙でできた王冠が添えられている。
専属シェフはコック帽を取って料理名を紹介した。
「フランスの伝統菓子『ガレッド・デ・ロワ』でございます」
「メルシー。新年早々、仕事を増やして悪かったね」
「とんでもございません。珍しくも、アンリ様から、
しかも『ガレッド・デ・ロワ』のご用命、カミーユは嬉しゅうございました。
入学時のアンリ様なら、きっとこれをご所望にはならなかったでしょう」
他意のないシェフの笑顔を見て、アンリは視線を外した。
「ああ、差し出がましいことを申し上げ、失礼致しました。
また何かご入り用の際は、何なりとお申し付け下さい。心を込めて最上の料理をお作り致します」
「うん。後は自分達でやるから」
「畏まりました。では皆様、どうぞ楽しいエピファニーをお過ごし下さいませ」
正統派フランス料理を得意とする真面目な男は、一礼して退室した。
ユウタは首を傾げる。
「アンリ、エピファニーって?」
「フランス語で、公現祭のことだよ」
「こうげんさい?」
「日本人の君は初めて聞く言葉だろうね。1月6日は公現祭というお祭りがある。
これはキリスト教の行事で、まあ、クリスマスの続きのようなものだね。
1月6日は、ベツレヘムで生まれたばかりのイエスの元に、東方の三博士が辿り着いた日。
それにより、人の子だったイエスが神性を現した。この世に神が現れたことを祝うお祭りなんだよ。
フランスでは、1月6日か、1月最初の日曜日、つまり今日、
ガレッド・デ・ロワを食べる習慣がある。ちょっとしたゲームをしながらね」
「ゲーム?」
「ガレッド・デ・ロワの中には、ひとつだけ、フェーヴと言う陶器の小さな人形が入っている。
自分の分にフェーヴが入っていた人はこの紙でできた王冠を被って、
一日、王様、女王様になれる。そして、幸福な一年を過ごせると言われてる」
「じゃあ、アンリは、フランスでよくこれを食べてたんだね?」
ハルヤの問い掛けにアンリは冷笑で返した。
「君が想像しているような、楽しい思い出ではないけれどね」
シルヴァンが手を合わせた。フランス語の菓子名を英訳してみせる。
「あ! だから、ガレッド・デ・ロワ。『王様のお菓子』というわけですね?」
「直訳ではね。だけど、このケーキのロワは、王様ではなく、
東方の三博士を示しているという説もあるらしいよ」
「ねえねえ、一日王様って、一日偉そうにしてて良いってこと?」
「なーに、生ぬるいこと言ってんだよ、ユウタ。誰にでも好きに命令できるってことだろ!」
「わお。『王様ゲーム』みたいですね! 日本に、そういうゲームありましたよね、ハルヤ」
「あるけどさ。ほんとヘンなことばっかり知ってるね、シルヴァンは」
「俺が王様になったら何するかなー。まずアンリには一日俺の下僕になって貰うだろー?」
「イイですねー。僕はアンリと錬金術について語り合いたいです!」
「それから、ハルヤは踊らせる!」
「僕もハルヤには踊って欲しいです! できれば僕だけの為に!」
「あっ、ズリィぞ、シルヴァン!」
「ズルくないですよ、王様なんですから」
白熱する二人の傍で渦中のハルヤが肩を下げる。
「二人とも、まだ王様に決まったわけじゃないじゃん」
「ハルヤは王様になったら何したいんだよ?」
「うーん。そんな、急に言われても、思いつかないよ」
「ここは欲張りに行こうぜ! なんか、あんだろ、なんか!」
「えー? んーっと、あ、じゃあ、俺だけ今日の晩ご飯、一品多い、とか?」
「普段と変わんなくねー? おめーは、いっつもおかわりしまくってんじゃん。なあ、ユウタは何したい?」
「俺は、あの、レッドに、ジェイミーの名場面やって欲しいな」
レッドは一呼吸置いて、腕を広げた。
「太陽の光! 風! 海! この腕に触れたものは全て、イーグルアイのジェイミーが頂きだ!」
「わー、ジェイミーだー! ありがとー!」
アンリがレッドの脇腹を肘で突く。
「ちょっと。まだ王様も決まってないのに、命令を聞いてどうするの?」
「とか言ってー、お前も、俺様の名台詞が聞けて、結構嬉しかったんじゃねーのー?」
「僕を彼と一緒にしないで」
「で、アンリは? 何がしたいんだ?」
「僕と、朝までオカルトトーク! ですよね!?」
「ない」
「そんなー」
「僕はアルフレッドと面白い話がしたい」
「えっ? 俺と?」
「うん。面白い、ビジネスの話」
「なんだ、ソッチ系かよ。俺はてっきり」
「てっきり、何」
「いやー、何でもねえわ」
「ジョシュア。さっきから全然喋ってませんけど、ジョシュアは何がお望みですか?」
「俺は特にないから、俺以外の人にフェーヴが入っていればいいな」
「ダメですよ。これはそういうゲームなんですから、ジョシュアも当たりを引いたら、ちゃんと命令してくれなくっちゃ」
「そうか、すまない」
レッドはハルヤに囁く。
「よく考えたら、ジョシュアが当たり引きそうじゃね?」
「うん。なんか、俺もそんな気がしてきた」
「とにかく、切り分けてみましょうよ。あたたかいパイが冷めないうちに頂きましょう」
アンリが止めに入る。
「その前に、ユウタ」
「え、何?」
「君は、一人で、テーブルの下に入っていてくれる?」
「な、なんで?」
「おい、アンリ! 正月からユウタだけノケモンかよ!」
レッドが興奮すると、ジョシュアがすかさず止めた。
こういう時のスピードは誰より早い。
「落ち着いて、レッド。アンリ、何か理由があるんだね?」
アンリは頷いた。
「ガレッド・デ・ロワのルールなの。一切れごとに『これは誰の分?』って聞いて、
一番小さな子に決めさせるんだよ。そのほうがゲームも盛り上がるし、
万一、フェーヴがナイフに当たる、という最悪の事態が起こったり、
フェーヴがどこに入っているか、切り口から見えてしまった場合でも、公平に配れるからね」
「なんだ。それなら、そう言えよ」
「言う前に君が、やいやい言ってきたんでしょ?」
シルヴァンが手を挙げる。
「じゃあ、僕がサーブしてもイイですか? ユウタ、テーブルの下に入って下さい」
「うん。解った」
ユウタは四つん這いになり、もぞもぞと入っていく。ハルヤが身を屈める。
「これ、ローテーブルだけど、下になんか入れる?」
「だいじょぶ。身体を小さくすれば、なんとか。俺、目も瞑っとくね」
「ユウタ、僕とアンリによる世紀のオカルトトークがかかっているので、よろしくお願いしますねっ!」
「シルヴァンにだけは当てないでね、ユウタ」
「ユウタ! 俺に当てろよ、俺に!」
自分勝手なプレッシャーが浴びせられる。
テーブルの下からは、小さな呟きが漏れた。
「……俺は、俺に当てたいよ」
「じゃあ、切り始めますよー」
シルヴァンがパイにナイフを入れていく。
サクサクと香ばしいパイの音とともにアーモンドクリームの甘い香りがする。
あっ、と小さく声を上げたジョシュアは、アンリの肩に手を置いて、そっと囁いた。
「解ったよ、アンリ」
「何が?」
「小さい子だけ目隠しさせるのは、その子の分に、フェーブを入れる為なんだね?」
サンタクロースと似たようなものなんだ、とジョシュアは理解した。
子供が眠っている間にプレゼントを贈るのと同じ。
大人から子供へのプレゼントは、双方にとって楽しいものだ。
子供の笑顔は、大人にとって、何にも替え難いプレゼントとなるのだから。
「君って、年が明けても嫌な奴だね、ほんと」
アンリは自分の肩に乗せられた手を払った。
囁き声ではなく、ユウタにも聞こえるように言った。
「そんなに、自分が当たりを引くのが、嫌?」
「えっ? そういう、わけじゃ…」
「確かに、幼児に当たりが行くように仕向ける、アンフェアで偽善的な家庭もあるだろうけど、
高等部にもなった僕達に、下手な小細工が必要かな?
言っておくけれど、『この位置でフェーブを入れろ』だとか、小細工は一切してないよ?
誰が2009年の幸運を手にするか。これは極めてフェアかつ純粋な、ギャンブルなの」
レッドがジョシュアの肩に腕を回す。
「そう、そう。年明け一発目の運試しさ。2009年の幸運は全て、俺様が頂きだ、ってな」
シルヴァンがナイフを置く。
「六個に切り分けましたー!」
フェーヴにナイフが当たることもなく、六等分に切り分けることができた。
どの切り口からもフェーヴは見えない。
ユウタ以外の五人は顔を見合わせ、全員にとってフェアな状況であることを確認した。
「くぅー! おっしゃー! こいつは面白くなって来たぜー!」
「じゃあ、ひとつめ行きますよー!」
シルヴァンが皿に一切れ乗せて、掲げる。
「ユウタ、これは誰の分ですか!?」
「んー。じゃあ、最初はジョシュアの!」
レッドが笑いながらテーブルの下を覗く。
「イイのか~? ホントにジョシュアでイイのか~?」
「え? え? 変えたほうがイイの?」
fin
「ニッポンの正月遊びも、やり尽くしたってかんじだなー」
どかっとロングソファにレッドが凭れた。向かいのハルヤは疲れた笑顔を見せる。
「凧揚げ、羽根付き、花札、独楽にお手玉、福笑いまでやってみたもんね」
「姉貴がダンボール送ってきた時はどうしようかと思ったけど、全部できちゃったね」
年末、ユウタの姉から『日本のお正月遊びセット』が送られてきた。
カードには『良かったら、皆さんで遊んで下さいね』とあったので、
ウーティス寮生達は、年明け後、早速喜び勇んで遊んだのだ。
最初にやった羽根付きは、テレビ電話を通して、生中継で試合を姉に見せた。
「どれも面白かったですー! ニッポン最高です!」
レッドの隣で、一人ハイテンションでいるのはシルヴァンだ。
相変わらず、日本が大好きな友人を見て、ジョシュアは苦笑する。
「シルヴァンが本当に楽しそうで良かったよ」
レッドは、面白くないと言わんばかりに膨れている。
「でもさー。さすがに次はなんか違うことしよーぜ?」
暖炉の傍に凭れていたアンリが、こんなことを言い出した。
「じゃあ、次はフランスの遊び、する?」
「するするっ! フランスの正月ってどんなことすんだ!?」
アンリが、入って、と呼び掛ける。すると、サロンのドアが開いた。
その人物を見て、最初に声を上げたのは、ハルヤだった。
「あれ、カミーユ?」
「はい。改めまして、あけましておめでとうございます、皆様」
誰もが認める、世界一コック服が似合う男。
割れた顎に四角い顔が特徴的な、ウーティス寮専属シェフ、カミーユ・ルブラン。
「お待たせ致しました、アンリ様。こちらがお言い付けのものです」
ローテーブルに、1ホールのケーキを置く。
螺旋状の美しい模様が描かれた、黄金色のパイのようだ。
パイの傍らには、金色の紙でできた王冠が添えられている。
専属シェフはコック帽を取って料理名を紹介した。
「フランスの伝統菓子『ガレッド・デ・ロワ』でございます」
「メルシー。新年早々、仕事を増やして悪かったね」
「とんでもございません。珍しくも、アンリ様から、
しかも『ガレッド・デ・ロワ』のご用命、カミーユは嬉しゅうございました。
入学時のアンリ様なら、きっとこれをご所望にはならなかったでしょう」
他意のないシェフの笑顔を見て、アンリは視線を外した。
「ああ、差し出がましいことを申し上げ、失礼致しました。
また何かご入り用の際は、何なりとお申し付け下さい。心を込めて最上の料理をお作り致します」
「うん。後は自分達でやるから」
「畏まりました。では皆様、どうぞ楽しいエピファニーをお過ごし下さいませ」
正統派フランス料理を得意とする真面目な男は、一礼して退室した。
ユウタは首を傾げる。
「アンリ、エピファニーって?」
「フランス語で、公現祭のことだよ」
「こうげんさい?」
「日本人の君は初めて聞く言葉だろうね。1月6日は公現祭というお祭りがある。
これはキリスト教の行事で、まあ、クリスマスの続きのようなものだね。
1月6日は、ベツレヘムで生まれたばかりのイエスの元に、東方の三博士が辿り着いた日。
それにより、人の子だったイエスが神性を現した。この世に神が現れたことを祝うお祭りなんだよ。
フランスでは、1月6日か、1月最初の日曜日、つまり今日、
ガレッド・デ・ロワを食べる習慣がある。ちょっとしたゲームをしながらね」
「ゲーム?」
「ガレッド・デ・ロワの中には、ひとつだけ、フェーヴと言う陶器の小さな人形が入っている。
自分の分にフェーヴが入っていた人はこの紙でできた王冠を被って、
一日、王様、女王様になれる。そして、幸福な一年を過ごせると言われてる」
「じゃあ、アンリは、フランスでよくこれを食べてたんだね?」
ハルヤの問い掛けにアンリは冷笑で返した。
「君が想像しているような、楽しい思い出ではないけれどね」
シルヴァンが手を合わせた。フランス語の菓子名を英訳してみせる。
「あ! だから、ガレッド・デ・ロワ。『王様のお菓子』というわけですね?」
「直訳ではね。だけど、このケーキのロワは、王様ではなく、
東方の三博士を示しているという説もあるらしいよ」
「ねえねえ、一日王様って、一日偉そうにしてて良いってこと?」
「なーに、生ぬるいこと言ってんだよ、ユウタ。誰にでも好きに命令できるってことだろ!」
「わお。『王様ゲーム』みたいですね! 日本に、そういうゲームありましたよね、ハルヤ」
「あるけどさ。ほんとヘンなことばっかり知ってるね、シルヴァンは」
「俺が王様になったら何するかなー。まずアンリには一日俺の下僕になって貰うだろー?」
「イイですねー。僕はアンリと錬金術について語り合いたいです!」
「それから、ハルヤは踊らせる!」
「僕もハルヤには踊って欲しいです! できれば僕だけの為に!」
「あっ、ズリィぞ、シルヴァン!」
「ズルくないですよ、王様なんですから」
白熱する二人の傍で渦中のハルヤが肩を下げる。
「二人とも、まだ王様に決まったわけじゃないじゃん」
「ハルヤは王様になったら何したいんだよ?」
「うーん。そんな、急に言われても、思いつかないよ」
「ここは欲張りに行こうぜ! なんか、あんだろ、なんか!」
「えー? んーっと、あ、じゃあ、俺だけ今日の晩ご飯、一品多い、とか?」
「普段と変わんなくねー? おめーは、いっつもおかわりしまくってんじゃん。なあ、ユウタは何したい?」
「俺は、あの、レッドに、ジェイミーの名場面やって欲しいな」
レッドは一呼吸置いて、腕を広げた。
「太陽の光! 風! 海! この腕に触れたものは全て、イーグルアイのジェイミーが頂きだ!」
「わー、ジェイミーだー! ありがとー!」
アンリがレッドの脇腹を肘で突く。
「ちょっと。まだ王様も決まってないのに、命令を聞いてどうするの?」
「とか言ってー、お前も、俺様の名台詞が聞けて、結構嬉しかったんじゃねーのー?」
「僕を彼と一緒にしないで」
「で、アンリは? 何がしたいんだ?」
「僕と、朝までオカルトトーク! ですよね!?」
「ない」
「そんなー」
「僕はアルフレッドと面白い話がしたい」
「えっ? 俺と?」
「うん。面白い、ビジネスの話」
「なんだ、ソッチ系かよ。俺はてっきり」
「てっきり、何」
「いやー、何でもねえわ」
「ジョシュア。さっきから全然喋ってませんけど、ジョシュアは何がお望みですか?」
「俺は特にないから、俺以外の人にフェーヴが入っていればいいな」
「ダメですよ。これはそういうゲームなんですから、ジョシュアも当たりを引いたら、ちゃんと命令してくれなくっちゃ」
「そうか、すまない」
レッドはハルヤに囁く。
「よく考えたら、ジョシュアが当たり引きそうじゃね?」
「うん。なんか、俺もそんな気がしてきた」
「とにかく、切り分けてみましょうよ。あたたかいパイが冷めないうちに頂きましょう」
アンリが止めに入る。
「その前に、ユウタ」
「え、何?」
「君は、一人で、テーブルの下に入っていてくれる?」
「な、なんで?」
「おい、アンリ! 正月からユウタだけノケモンかよ!」
レッドが興奮すると、ジョシュアがすかさず止めた。
こういう時のスピードは誰より早い。
「落ち着いて、レッド。アンリ、何か理由があるんだね?」
アンリは頷いた。
「ガレッド・デ・ロワのルールなの。一切れごとに『これは誰の分?』って聞いて、
一番小さな子に決めさせるんだよ。そのほうがゲームも盛り上がるし、
万一、フェーヴがナイフに当たる、という最悪の事態が起こったり、
フェーヴがどこに入っているか、切り口から見えてしまった場合でも、公平に配れるからね」
「なんだ。それなら、そう言えよ」
「言う前に君が、やいやい言ってきたんでしょ?」
シルヴァンが手を挙げる。
「じゃあ、僕がサーブしてもイイですか? ユウタ、テーブルの下に入って下さい」
「うん。解った」
ユウタは四つん這いになり、もぞもぞと入っていく。ハルヤが身を屈める。
「これ、ローテーブルだけど、下になんか入れる?」
「だいじょぶ。身体を小さくすれば、なんとか。俺、目も瞑っとくね」
「ユウタ、僕とアンリによる世紀のオカルトトークがかかっているので、よろしくお願いしますねっ!」
「シルヴァンにだけは当てないでね、ユウタ」
「ユウタ! 俺に当てろよ、俺に!」
自分勝手なプレッシャーが浴びせられる。
テーブルの下からは、小さな呟きが漏れた。
「……俺は、俺に当てたいよ」
「じゃあ、切り始めますよー」
シルヴァンがパイにナイフを入れていく。
サクサクと香ばしいパイの音とともにアーモンドクリームの甘い香りがする。
あっ、と小さく声を上げたジョシュアは、アンリの肩に手を置いて、そっと囁いた。
「解ったよ、アンリ」
「何が?」
「小さい子だけ目隠しさせるのは、その子の分に、フェーブを入れる為なんだね?」
サンタクロースと似たようなものなんだ、とジョシュアは理解した。
子供が眠っている間にプレゼントを贈るのと同じ。
大人から子供へのプレゼントは、双方にとって楽しいものだ。
子供の笑顔は、大人にとって、何にも替え難いプレゼントとなるのだから。
「君って、年が明けても嫌な奴だね、ほんと」
アンリは自分の肩に乗せられた手を払った。
囁き声ではなく、ユウタにも聞こえるように言った。
「そんなに、自分が当たりを引くのが、嫌?」
「えっ? そういう、わけじゃ…」
「確かに、幼児に当たりが行くように仕向ける、アンフェアで偽善的な家庭もあるだろうけど、
高等部にもなった僕達に、下手な小細工が必要かな?
言っておくけれど、『この位置でフェーブを入れろ』だとか、小細工は一切してないよ?
誰が2009年の幸運を手にするか。これは極めてフェアかつ純粋な、ギャンブルなの」
レッドがジョシュアの肩に腕を回す。
「そう、そう。年明け一発目の運試しさ。2009年の幸運は全て、俺様が頂きだ、ってな」
シルヴァンがナイフを置く。
「六個に切り分けましたー!」
フェーヴにナイフが当たることもなく、六等分に切り分けることができた。
どの切り口からもフェーヴは見えない。
ユウタ以外の五人は顔を見合わせ、全員にとってフェアな状況であることを確認した。
「くぅー! おっしゃー! こいつは面白くなって来たぜー!」
「じゃあ、ひとつめ行きますよー!」
シルヴァンが皿に一切れ乗せて、掲げる。
「ユウタ、これは誰の分ですか!?」
「んー。じゃあ、最初はジョシュアの!」
レッドが笑いながらテーブルの下を覗く。
「イイのか~? ホントにジョシュアでイイのか~?」
「え? え? 変えたほうがイイの?」
fin
■アイヴィー×ソクーロフ
■追加シナリオクリア推奨
■追加シナリオクリア推奨
会場は、聖アルフォンソ島南西部、海岸側の崖っぷちにあるコテージ。
メンバーは、保健教師兼カウンセラーと、家主の警備責任者兼ドライバーだ。
二人とも、それほど空腹を感じていなかったので、
金髪の警備責任者は「じゃ、なんか軽いツマミみたいなの作んね」とリビングの奥に向かった。
身軽にキッチンに立つようになった男を見送り、カウンセラーは煙草を取り出した。
ロングソファには、自分の物とは違う紫煙が染み着いている。
この家から見える景色は、森ではなく、黒い海だ。ここから微かに聞こえる波音は、心地好い。
「できたよ~ん」という間の抜けた声を聞くまで、
カウンセラーは無心で煙草を吸っていた。
テーブルに乗った、質素なメインディッシュは、
馴染みのバーにあるメニュー『オイルサーディンの缶焼き』だ。
これウマイ、と正直な感想を言ったら、店のボーイが、アイヴィーでも作れるよ、と作り方を教えてくれた。
イワシの缶詰の蓋を開け、塩、ブラックペッパー、レモンなどでテキトーに味付けた後、
缶ごとオーブンに突っ込むだけ。大雑把なレシピながら、手早く作れてウマイ。
今日はソクーロフが来ているので、オマケにチーズも乗せた。
あとは、家にあったトルティーヤチップスやナッツが無造作にテーブルに置かれている。
アイヴィーは自分で用意したメニューを眺めて首を傾げた。
「ボウネンカイってー、こんなかんじでイイのかなー? 一緒にメシ食って、来年もヨロシクね、っていう会なんだよね?」
「ああ。『年の最後に仲間内で飲食し、一年の労苦を忘れることを目的とした会』だそうだ」
アイヴィーは、デッドプリンスが自宅に遊びに来た時に忘年会というものを知った。
彼等は「ウーティス寮でも今年は忘年会をするんだ」と、はりきっていた。
仕事帰り、その話を思い出したアイヴィーは、手近のソクーロフに話を持ち掛けたのだ。
ソクーロフもウーティス寮生達から忘年会の話を聞いていたので、
大人達は生徒達に倣い、異文化を体験してみることになった。
アイヴィーはソクーロフの隣に座る。安いメニューをつまみながら二人は話した。
「ま、ぐだぐだ話したり食べたりすればイイんなら、いつもとあんま変わんないけどね」
「忘年会では、一年を振り返ったりするとハルヤは言っていたが?」
日舞の家元だった祖父の家では、毎年、年末になると弟子達を一同に集め、
ささやかな宴が行われていたそうだ。当時、まだ幼かったハルヤは、
兄と一緒に瓶のオレンジジュースを飲んだと懐かしそうに話していた。
「一年を振り返っといて、スパッと忘れるってこと?」
「日本には何かと忘れ去りたい出来事が多いんだろう。いや、日本に限ったことではないか」
ソクーロフはゆっくりと紫煙を吹かせながら、
相手の反応を注視したが、何も喋らず、トルティーヤチップスに手を伸ばした。
「ソクちゃんは? どんな年でした?」
「興味深い年だった」
「でしょうねー」
「お前は今年、どんな一年だったんだ?」
アイヴィーは三角のチップスに、
サルサソースをちょんちょんと付けて口に運んでいる。
「色々あったよねー。なんたって『当たり年』だったから」
パリパリと香ばしい音が鳴る。
「ジョシュア・グラントが、生徒代表になったことが大きかったな。まあ、当然、選ばれるだろうとは思ったが」
「ソクちゃんは予言してたもんねー、何年も前から」
「そう言えば、ロレートの様子は?」
「ん。目立った異常なし、今んとこは」
「そうか」
「つーか、ジョシュアのお友達も『当たり』だらけだったよね」
「シチリアのマフィアには、易々と侵入されたしな?」
「また、そのネタでいぢめる…」
「ここでは罪を犯さないマフィアだったから良かったようなものの、
この島の警備レベルも、大したことはないな。精進することだな、司令官」
「あ、あれはしょーがなかったんだってば! 生徒がマフィアを密輸入したようなもんじゃん!
つーか、俺達は生徒をお守りしたいだけなのにさ、なんで生徒に、敵に回られるわけ? 俺達の敵はダレなの?」
「あの子は、あれを自分のゲストとして招待するのが嫌だったんだろう? 彼等の作戦勝ちだな。
警備組織をまんまと騙す、マフィアといい、あの子の頭脳といい、実に優秀な犯罪グループだ」
「…ソクちゃんは、ダレの味方なわけ?」
「おイタをする子は一度ゆっくりお説教をしたいものだ」
「それは止めてあげて。そこまで悪いことしてないから」
「あとは…」
「ソクちゃんソクちゃん。俺のダメ出し会になってる」
「面白いじゃないか」
「あんただけだよ。ね。もう振り返んのは、そのくらいにしない?」
「次は?」
カウンセラーの手から煙草を抜き取り、灰皿に置く。
「忘れさせてよ」
警報音が鳴り響く。アイヴィーの手首に視線が集まる。
腕時計型端末は、侵入者情報を伝えてくれた。
「もー。こんな年末まで来てんじゃねー」
「今年の客人は仕事熱心だな」
「熱心過ぎるって。年末年始くらい、おうちでゆっくりしよーぜ」
変わった着信メロディが鳴る。
「お前、なんだ、その曲は?」
「いや、わかんね。シルヴァンに勝手に変えられるんだよ」
携帯のサブディスプレイを見る。
「うわー、クロちゃんから電話だ。ちょっと出るね」
ソクーロフも知っている人物だ。副司令官のラインハルト・クロイツ。ドイツ出身の有能な軍人だ。
司令官が携帯を耳に当てる。
「どーしたー? アラートなら確認してるよ? 行ってきなさいって言うんでしょ?」
「いえ。そちらは手配済みですので、司令は本部に向かって下さい。
それから、お近くにドクターは、いらっしゃいますか?」
「な、なんで解んの? ちょ、まさか、うちに盗聴器とか…」
電話を持ったまま、キョロキョロする。耳許から吐息が聞こえた。
「貴方のご自宅を盗聴して、私にどんな得があるんです?
ドクターにご連絡を取ろうとしたのですが、保健室とメルキュール館にはご不在でしたので、
もしかしたら、貴方とご一緒ではないかと思っただけです。
ドクターのお力が必要になりそうなので、貴方からご同行をお願いして頂けますか」
「あー、そゆこと。了解。じゃ、あとで」
電話をポケットに仕舞う。
「ソクちゃんも一緒に来て欲しいってさ」
自白・洗脳のプロフェッショナルは立ち上がって、
「人気者はツライな」
アイヴィーが、ひひ、と歯を見せる。
「イイ男の宿命だから、しょーがないよ。じゃ、俺、車出してくるわ」
車のキーを握って、ガレージに続く螺旋階段に向かう。
「あっ、ソクーロフ! 言い忘れてた」
ひょいと笑顔を覗かせ、
「来年もヨロシクね?」
タンタン、と螺旋階段を駆け下りていく。
ソクーロフは部屋の電気を消して、ゆっくりとガレージに向かった。
fin
メンバーは、保健教師兼カウンセラーと、家主の警備責任者兼ドライバーだ。
二人とも、それほど空腹を感じていなかったので、
金髪の警備責任者は「じゃ、なんか軽いツマミみたいなの作んね」とリビングの奥に向かった。
身軽にキッチンに立つようになった男を見送り、カウンセラーは煙草を取り出した。
ロングソファには、自分の物とは違う紫煙が染み着いている。
この家から見える景色は、森ではなく、黒い海だ。ここから微かに聞こえる波音は、心地好い。
「できたよ~ん」という間の抜けた声を聞くまで、
カウンセラーは無心で煙草を吸っていた。
テーブルに乗った、質素なメインディッシュは、
馴染みのバーにあるメニュー『オイルサーディンの缶焼き』だ。
これウマイ、と正直な感想を言ったら、店のボーイが、アイヴィーでも作れるよ、と作り方を教えてくれた。
イワシの缶詰の蓋を開け、塩、ブラックペッパー、レモンなどでテキトーに味付けた後、
缶ごとオーブンに突っ込むだけ。大雑把なレシピながら、手早く作れてウマイ。
今日はソクーロフが来ているので、オマケにチーズも乗せた。
あとは、家にあったトルティーヤチップスやナッツが無造作にテーブルに置かれている。
アイヴィーは自分で用意したメニューを眺めて首を傾げた。
「ボウネンカイってー、こんなかんじでイイのかなー? 一緒にメシ食って、来年もヨロシクね、っていう会なんだよね?」
「ああ。『年の最後に仲間内で飲食し、一年の労苦を忘れることを目的とした会』だそうだ」
アイヴィーは、デッドプリンスが自宅に遊びに来た時に忘年会というものを知った。
彼等は「ウーティス寮でも今年は忘年会をするんだ」と、はりきっていた。
仕事帰り、その話を思い出したアイヴィーは、手近のソクーロフに話を持ち掛けたのだ。
ソクーロフもウーティス寮生達から忘年会の話を聞いていたので、
大人達は生徒達に倣い、異文化を体験してみることになった。
アイヴィーはソクーロフの隣に座る。安いメニューをつまみながら二人は話した。
「ま、ぐだぐだ話したり食べたりすればイイんなら、いつもとあんま変わんないけどね」
「忘年会では、一年を振り返ったりするとハルヤは言っていたが?」
日舞の家元だった祖父の家では、毎年、年末になると弟子達を一同に集め、
ささやかな宴が行われていたそうだ。当時、まだ幼かったハルヤは、
兄と一緒に瓶のオレンジジュースを飲んだと懐かしそうに話していた。
「一年を振り返っといて、スパッと忘れるってこと?」
「日本には何かと忘れ去りたい出来事が多いんだろう。いや、日本に限ったことではないか」
ソクーロフはゆっくりと紫煙を吹かせながら、
相手の反応を注視したが、何も喋らず、トルティーヤチップスに手を伸ばした。
「ソクちゃんは? どんな年でした?」
「興味深い年だった」
「でしょうねー」
「お前は今年、どんな一年だったんだ?」
アイヴィーは三角のチップスに、
サルサソースをちょんちょんと付けて口に運んでいる。
「色々あったよねー。なんたって『当たり年』だったから」
パリパリと香ばしい音が鳴る。
「ジョシュア・グラントが、生徒代表になったことが大きかったな。まあ、当然、選ばれるだろうとは思ったが」
「ソクちゃんは予言してたもんねー、何年も前から」
「そう言えば、ロレートの様子は?」
「ん。目立った異常なし、今んとこは」
「そうか」
「つーか、ジョシュアのお友達も『当たり』だらけだったよね」
「シチリアのマフィアには、易々と侵入されたしな?」
「また、そのネタでいぢめる…」
「ここでは罪を犯さないマフィアだったから良かったようなものの、
この島の警備レベルも、大したことはないな。精進することだな、司令官」
「あ、あれはしょーがなかったんだってば! 生徒がマフィアを密輸入したようなもんじゃん!
つーか、俺達は生徒をお守りしたいだけなのにさ、なんで生徒に、敵に回られるわけ? 俺達の敵はダレなの?」
「あの子は、あれを自分のゲストとして招待するのが嫌だったんだろう? 彼等の作戦勝ちだな。
警備組織をまんまと騙す、マフィアといい、あの子の頭脳といい、実に優秀な犯罪グループだ」
「…ソクちゃんは、ダレの味方なわけ?」
「おイタをする子は一度ゆっくりお説教をしたいものだ」
「それは止めてあげて。そこまで悪いことしてないから」
「あとは…」
「ソクちゃんソクちゃん。俺のダメ出し会になってる」
「面白いじゃないか」
「あんただけだよ。ね。もう振り返んのは、そのくらいにしない?」
「次は?」
カウンセラーの手から煙草を抜き取り、灰皿に置く。
「忘れさせてよ」
警報音が鳴り響く。アイヴィーの手首に視線が集まる。
腕時計型端末は、侵入者情報を伝えてくれた。
「もー。こんな年末まで来てんじゃねー」
「今年の客人は仕事熱心だな」
「熱心過ぎるって。年末年始くらい、おうちでゆっくりしよーぜ」
変わった着信メロディが鳴る。
「お前、なんだ、その曲は?」
「いや、わかんね。シルヴァンに勝手に変えられるんだよ」
携帯のサブディスプレイを見る。
「うわー、クロちゃんから電話だ。ちょっと出るね」
ソクーロフも知っている人物だ。副司令官のラインハルト・クロイツ。ドイツ出身の有能な軍人だ。
司令官が携帯を耳に当てる。
「どーしたー? アラートなら確認してるよ? 行ってきなさいって言うんでしょ?」
「いえ。そちらは手配済みですので、司令は本部に向かって下さい。
それから、お近くにドクターは、いらっしゃいますか?」
「な、なんで解んの? ちょ、まさか、うちに盗聴器とか…」
電話を持ったまま、キョロキョロする。耳許から吐息が聞こえた。
「貴方のご自宅を盗聴して、私にどんな得があるんです?
ドクターにご連絡を取ろうとしたのですが、保健室とメルキュール館にはご不在でしたので、
もしかしたら、貴方とご一緒ではないかと思っただけです。
ドクターのお力が必要になりそうなので、貴方からご同行をお願いして頂けますか」
「あー、そゆこと。了解。じゃ、あとで」
電話をポケットに仕舞う。
「ソクちゃんも一緒に来て欲しいってさ」
自白・洗脳のプロフェッショナルは立ち上がって、
「人気者はツライな」
アイヴィーが、ひひ、と歯を見せる。
「イイ男の宿命だから、しょーがないよ。じゃ、俺、車出してくるわ」
車のキーを握って、ガレージに続く螺旋階段に向かう。
「あっ、ソクーロフ! 言い忘れてた」
ひょいと笑顔を覗かせ、
「来年もヨロシクね?」
タンタン、と螺旋階段を駆け下りていく。
ソクーロフは部屋の電気を消して、ゆっくりとガレージに向かった。
fin
■ディーノ×アンリ
■追加シナリオクリア推奨
■追加シナリオクリア推奨
待ち合わせ場所は聖アルフォンソ島のとあるカフェ。
アンリが着いた時、髭面の男は苦い顔でコーヒーを飲んでいた。
「ここのエスプレッソ、まじぃ」
シュガーポットを引き寄せて、たっぷり二杯入れた。
あの茶色の液体は今チョコレートに似た味がするのだろう。
アンリはテーブルに近付いた。
「無事に侵入できたようだね? ディーノ」
「当たり前だろ。生徒の物に、警備のチェックは入らねえからな」
「事前に君の船を僕の所有物として登録しておく。それに乗って君が来る」
「チョロいモンだぜ」
「ほんと。こんなカンタンに侵入させるなんて。この島の警備組織は極めて優秀だね」
「俺様とお前が組めば敵ナシだな。次は、いっちょ、世界征服でも企んでみっか?」
「それは僕の気が向いたらね」
「ゴーサイン待ってるぜ、お姫様」
へへへ、とマフィアが薄汚く笑う。
今日二人が島で会うことにした理由は、ビジネスパートナー同士の『会議』の為である。
アンリは電話で充分だと言ったのだが、
「愛やビジネスについて話す時は顔を合わせないとな」というマフィアの主張により、こうなったのだ。
「さあ、移動するよ」
「へいへい。仰せのままに、お姫様」
マフィアはエスプレッソを一気飲みし、「やっぱ、まじぃ」と呟き、水を流し込んだ。
二人は人通りの少ない裏道を歩いていく。
周りに人が居ないのをいいことに、マフィアはアンリの肩に腕を回した。腰を屈めて無駄に耳元で囁く。
「今日はどこのベッドで密会するんだ?」
「くっつくな」
腕を払う。道を曲がると、向こうに単細胞とお調子者の顔が見えた。アルフレッドとシルヴァンだ。
翻って、マフィアを押し戻そうとする。
「おっと。お前から抱き付いて来るとはな?」
一瞬のうちに背に腕を回されていた。
「我慢できなくなっちまったか? 素直になってきたな、お姫様?」
アンリは胸板を押して距離を取る。
「同じ寮の生徒が居たから少し待って、と言いたかったの」
「お前のオトコかあ? なら、そのツラ拝ませて貰わねえとな」
ひょいと顔を出す。通りの向こうには、アンリと同い年くらいのガキが二人。
片方の眩しい笑顔には見覚えがあった。
「お、おい。あれ、コリンじゃねえのか!?」
「そうだけど?」
マフィアが言っている『コリン』とは、アルフレッドが5歳の時に主演したドラマ『わんぱくコリンといたずらジミー』のことだろう。
本人でさえ「子供と動物で泣かせようってドラマさ」と言っている作品だが、
主役の演技力はその嫌らしい企画を大成功に導き、世界中のファンに愛された作品だ。
あそこを歩いているのがコリン本人だと、アンリが肯定すると、
マフィアは興奮して、スターを発見したミーハーなファンと化した。
「俺、泣いた! あのドラマ、すげー泣いた!」
「君…ホームドラマで泣くの?」
この強面がテレビの前でおんおん涙を零している姿を思い描く。
おそらく父親も隣で泣いていたのではないだろうか。
仕事では血も涙もない残虐な顔を持つくせに。
泣かせるドラマには激弱なマフィアの親子が意外と容易に想像できて、アンリはぐったりした。
命を預ける相手を間違えただろうかと時々真剣に思い悩む。
「おい、アンリ!」
マフィアに両肩を掴まれる。アンリは顔を歪めた。
「痛っ…」
ドスの聞いた声でマフィアが脅す。
「コリンからサイン貰ってこいや」
「僕が? アルフレッドの?」
「あれ、本物なんだろ? 同じガッコに居んだろ? サイン貰ってこいや。『ディーノさんへ』って名前入りで!」
「冗談じゃない。お断りだね」
「じゃあ俺達、もう終わりだな」
「そんなことで?」
fin
アンリが着いた時、髭面の男は苦い顔でコーヒーを飲んでいた。
「ここのエスプレッソ、まじぃ」
シュガーポットを引き寄せて、たっぷり二杯入れた。
あの茶色の液体は今チョコレートに似た味がするのだろう。
アンリはテーブルに近付いた。
「無事に侵入できたようだね? ディーノ」
「当たり前だろ。生徒の物に、警備のチェックは入らねえからな」
「事前に君の船を僕の所有物として登録しておく。それに乗って君が来る」
「チョロいモンだぜ」
「ほんと。こんなカンタンに侵入させるなんて。この島の警備組織は極めて優秀だね」
「俺様とお前が組めば敵ナシだな。次は、いっちょ、世界征服でも企んでみっか?」
「それは僕の気が向いたらね」
「ゴーサイン待ってるぜ、お姫様」
へへへ、とマフィアが薄汚く笑う。
今日二人が島で会うことにした理由は、ビジネスパートナー同士の『会議』の為である。
アンリは電話で充分だと言ったのだが、
「愛やビジネスについて話す時は顔を合わせないとな」というマフィアの主張により、こうなったのだ。
「さあ、移動するよ」
「へいへい。仰せのままに、お姫様」
マフィアはエスプレッソを一気飲みし、「やっぱ、まじぃ」と呟き、水を流し込んだ。
二人は人通りの少ない裏道を歩いていく。
周りに人が居ないのをいいことに、マフィアはアンリの肩に腕を回した。腰を屈めて無駄に耳元で囁く。
「今日はどこのベッドで密会するんだ?」
「くっつくな」
腕を払う。道を曲がると、向こうに単細胞とお調子者の顔が見えた。アルフレッドとシルヴァンだ。
翻って、マフィアを押し戻そうとする。
「おっと。お前から抱き付いて来るとはな?」
一瞬のうちに背に腕を回されていた。
「我慢できなくなっちまったか? 素直になってきたな、お姫様?」
アンリは胸板を押して距離を取る。
「同じ寮の生徒が居たから少し待って、と言いたかったの」
「お前のオトコかあ? なら、そのツラ拝ませて貰わねえとな」
ひょいと顔を出す。通りの向こうには、アンリと同い年くらいのガキが二人。
片方の眩しい笑顔には見覚えがあった。
「お、おい。あれ、コリンじゃねえのか!?」
「そうだけど?」
マフィアが言っている『コリン』とは、アルフレッドが5歳の時に主演したドラマ『わんぱくコリンといたずらジミー』のことだろう。
本人でさえ「子供と動物で泣かせようってドラマさ」と言っている作品だが、
主役の演技力はその嫌らしい企画を大成功に導き、世界中のファンに愛された作品だ。
あそこを歩いているのがコリン本人だと、アンリが肯定すると、
マフィアは興奮して、スターを発見したミーハーなファンと化した。
「俺、泣いた! あのドラマ、すげー泣いた!」
「君…ホームドラマで泣くの?」
この強面がテレビの前でおんおん涙を零している姿を思い描く。
おそらく父親も隣で泣いていたのではないだろうか。
仕事では血も涙もない残虐な顔を持つくせに。
泣かせるドラマには激弱なマフィアの親子が意外と容易に想像できて、アンリはぐったりした。
命を預ける相手を間違えただろうかと時々真剣に思い悩む。
「おい、アンリ!」
マフィアに両肩を掴まれる。アンリは顔を歪めた。
「痛っ…」
ドスの聞いた声でマフィアが脅す。
「コリンからサイン貰ってこいや」
「僕が? アルフレッドの?」
「あれ、本物なんだろ? 同じガッコに居んだろ? サイン貰ってこいや。『ディーノさんへ』って名前入りで!」
「冗談じゃない。お断りだね」
「じゃあ俺達、もう終わりだな」
「そんなことで?」
fin
■ハルヤ ジョシュア アンリ
時は春。
放課後、寮に戻る前にジョシュアはアンリを誘って月桂樹の森を散歩していた。
緋色の瞳に色とりどりの花が映る。
「この季節はたくさんの花が咲いてるね。どれも綺麗だな」
アンリは肯定も否定もしない。
足下の花に視線を落としながら、ジョシュアの後ろを歩いていた。
すると、彼の背中にぶつかった。
「すまない、アンリ。大丈夫かい?」
「何なの、急に立ち止まって」
「あそこに居るの、ハルヤだよね? どうしたんだろう?」
向こうに後ろ姿が見えた。背格好、髪型から見て、あのシャイな日本人に間違いない。
しゃがんで何かしているようだ。
ジョシュアは名前を呼び掛けながら彼に近付いていく。
放っておけばいいのに、と思いながらアンリも仕方無く付いていった。
眼鏡の東洋人が顔を見上げる。
「あ、ジョシュア…に、アンリ」
お人好しは心配そうに尋ねた。
「しゃがみこんで、どうしたんだい? もし、具合が悪いなら保健室に連れて行こうか?」
「あ、ううん。二人に会えて丁度良かったよ」
「えっ?」
「ちょっと花を見てたんだ、ほら」
ハルヤの傍に、赤紫色の小さな丸い花が咲いていた。
葉の部分は三つ葉のクローバー。シロツメクサの色違いだ。
「これ、日本ではアカツメクサって呼ぶんだけど、英語では何て言うのかなって思って」
ああ、とジョシュアは納得する。それで、自分達と会えて丁度良かった、のだろう。
世界各国から生徒が集まるこの学校では、英語が共通言語だが、
英語圏以外から来る少年達は最初から完璧に話せるわけではない。
言語に関して不自由を感じないよう、親切に教え合うことが礼儀とされていた。
英国から来ているジョシュアが代表して質問に答える。
「英語では、レッド・クローバー、だよ。アンリ、ちなみにフランスでは何て言うんだい?」
不機嫌そうにしているアンリも、拒否せず答える。
「トレフル・ヴィオレ。君達とは色が違うね。紫のクローバー、という意味だから」
ジョシュアは改めて花を見る。
「そうか。紫なんだね、フランスでは」
「あ、日本も別名では紫だよ。ムラサキツメクサって呼ばれることもあるから」
三人がそれぞれ知識を提供したことにより、
この小さな花について、三か国語の知識が身に付いた。
「これってさ、美味しいんだよね」
何を思ったか、ハルヤはアカツメクサの花弁をひとひら取って、唇に咥えた。
ちゅ、と蜜を吸う。
「あ、アタリだ。甘い。懐かしいな。
小学校の帰り道とか、通学路に咲いてるのを吸ってたよ。二人もしたこと…」
顔を上げると、呆然としているジョシュアとアンリと目が合った。
「あ、あれ? 二人はしたことない?」
「ないよ。蝶や蜂じゃあるまいし」
即座にアンリが否定した後、ジョシュアは控えめに「俺も、ないなあ」と言った。
アンリは怪訝な表情をしている。
「日本の小学生って、学校帰りに花を食べる習慣があるの?」
「あ、あの。日本人全員がそうってわけじゃ…」
「彼女も、したことあるのかな」
そう呟いたジョシュアに視線が集まる。
「あ、ユウタのお姉さんや、ユウタも日本人だから」
「二人ならしてるかも。あとは、赤詰草と白詰草で花の冠を作ったりね。俺は兄様とだけど」
「良いね、そういう思い出がある人は」
アンリがそう言うと、三人の間を沈黙が通り過ぎた。
「あの、アンリ。作ってあげよっか、俺」
ハルヤは花を幾つか摘んで、冠作りを始めた。
ジョシュアとアンリは顔を見合せた後、ハルヤの手元を見守る。
赤詰草と、近くに咲いていた白詰草を組み合わせ、赤、白、赤、白となるように結びたいようだ。
「あれ? どうするんだったかな…」
作り方を忘れてしまったようで、なかなか先に進まない。
「日が暮れそう」
アンリが率直過ぎる感想を述べると、ハルヤは諦めたように、花を地面に置いた。
「ごめん…作り方、兄様に教えて貰ったのにな…」
すると、ジョシュアが赤詰草と白詰草を一本ずつ拾った。
「じゃあ、こうするのはどうかな?」
ジョシュアは花を二人の耳許に飾った。
赤い花はハルヤの右耳に、白い花はアンリの左耳に。
満足げに二人を見つめる。
「可愛いよ、二人とも。このまま寮まで帰ろう?」
ハルヤの頬が色付く。
「ジョシュア…俺、恥ずかしいよ…。もう、外しても良いでしょ?」
持ち上がったハルヤの手を、ジョシュアが止める。
「待って、ハルヤ。みんなに見せてから、ね?」
fin
放課後、寮に戻る前にジョシュアはアンリを誘って月桂樹の森を散歩していた。
緋色の瞳に色とりどりの花が映る。
「この季節はたくさんの花が咲いてるね。どれも綺麗だな」
アンリは肯定も否定もしない。
足下の花に視線を落としながら、ジョシュアの後ろを歩いていた。
すると、彼の背中にぶつかった。
「すまない、アンリ。大丈夫かい?」
「何なの、急に立ち止まって」
「あそこに居るの、ハルヤだよね? どうしたんだろう?」
向こうに後ろ姿が見えた。背格好、髪型から見て、あのシャイな日本人に間違いない。
しゃがんで何かしているようだ。
ジョシュアは名前を呼び掛けながら彼に近付いていく。
放っておけばいいのに、と思いながらアンリも仕方無く付いていった。
眼鏡の東洋人が顔を見上げる。
「あ、ジョシュア…に、アンリ」
お人好しは心配そうに尋ねた。
「しゃがみこんで、どうしたんだい? もし、具合が悪いなら保健室に連れて行こうか?」
「あ、ううん。二人に会えて丁度良かったよ」
「えっ?」
「ちょっと花を見てたんだ、ほら」
ハルヤの傍に、赤紫色の小さな丸い花が咲いていた。
葉の部分は三つ葉のクローバー。シロツメクサの色違いだ。
「これ、日本ではアカツメクサって呼ぶんだけど、英語では何て言うのかなって思って」
ああ、とジョシュアは納得する。それで、自分達と会えて丁度良かった、のだろう。
世界各国から生徒が集まるこの学校では、英語が共通言語だが、
英語圏以外から来る少年達は最初から完璧に話せるわけではない。
言語に関して不自由を感じないよう、親切に教え合うことが礼儀とされていた。
英国から来ているジョシュアが代表して質問に答える。
「英語では、レッド・クローバー、だよ。アンリ、ちなみにフランスでは何て言うんだい?」
不機嫌そうにしているアンリも、拒否せず答える。
「トレフル・ヴィオレ。君達とは色が違うね。紫のクローバー、という意味だから」
ジョシュアは改めて花を見る。
「そうか。紫なんだね、フランスでは」
「あ、日本も別名では紫だよ。ムラサキツメクサって呼ばれることもあるから」
三人がそれぞれ知識を提供したことにより、
この小さな花について、三か国語の知識が身に付いた。
「これってさ、美味しいんだよね」
何を思ったか、ハルヤはアカツメクサの花弁をひとひら取って、唇に咥えた。
ちゅ、と蜜を吸う。
「あ、アタリだ。甘い。懐かしいな。
小学校の帰り道とか、通学路に咲いてるのを吸ってたよ。二人もしたこと…」
顔を上げると、呆然としているジョシュアとアンリと目が合った。
「あ、あれ? 二人はしたことない?」
「ないよ。蝶や蜂じゃあるまいし」
即座にアンリが否定した後、ジョシュアは控えめに「俺も、ないなあ」と言った。
アンリは怪訝な表情をしている。
「日本の小学生って、学校帰りに花を食べる習慣があるの?」
「あ、あの。日本人全員がそうってわけじゃ…」
「彼女も、したことあるのかな」
そう呟いたジョシュアに視線が集まる。
「あ、ユウタのお姉さんや、ユウタも日本人だから」
「二人ならしてるかも。あとは、赤詰草と白詰草で花の冠を作ったりね。俺は兄様とだけど」
「良いね、そういう思い出がある人は」
アンリがそう言うと、三人の間を沈黙が通り過ぎた。
「あの、アンリ。作ってあげよっか、俺」
ハルヤは花を幾つか摘んで、冠作りを始めた。
ジョシュアとアンリは顔を見合せた後、ハルヤの手元を見守る。
赤詰草と、近くに咲いていた白詰草を組み合わせ、赤、白、赤、白となるように結びたいようだ。
「あれ? どうするんだったかな…」
作り方を忘れてしまったようで、なかなか先に進まない。
「日が暮れそう」
アンリが率直過ぎる感想を述べると、ハルヤは諦めたように、花を地面に置いた。
「ごめん…作り方、兄様に教えて貰ったのにな…」
すると、ジョシュアが赤詰草と白詰草を一本ずつ拾った。
「じゃあ、こうするのはどうかな?」
ジョシュアは花を二人の耳許に飾った。
赤い花はハルヤの右耳に、白い花はアンリの左耳に。
満足げに二人を見つめる。
「可愛いよ、二人とも。このまま寮まで帰ろう?」
ハルヤの頬が色付く。
「ジョシュア…俺、恥ずかしいよ…。もう、外しても良いでしょ?」
持ち上がったハルヤの手を、ジョシュアが止める。
「待って、ハルヤ。みんなに見せてから、ね?」
fin
■追加ストーリー後日談(ネタバレ含)
■シハル姉さんとのコラボ作品
write
【Party】:シハル姉さん
【Crown】:呉羽
【PAINT】:シハル姉さん
■シハル姉さんとのコラボ作品
write
【Party】:シハル姉さん
【Crown】:呉羽
【PAINT】:シハル姉さん
【Party】
ユウタの開催したパーティが終わり夜も更けてきた頃、興奮のため眠りにつけない者たちが集まっていた。
「すっごいよなー。ジョシュアってマジで『王の生まれ変わり』だったんだぜ。」
「本当、本当。すごいよねー。」
興奮さめやらぬ様子で語るレッドと同じく興奮状態で相槌を打つユウタ。
「でも、僕が一番驚いたのはジョシュアよりもハルヤのお祖父様ですよ。
お祖父様が『王の生まれ変わり』で彼の孫であるハルヤもこの学院に来ていて
次の王であるジョシュアに出会ったなんて不思議な縁ですよね。」
「うん。それは俺も本当にびっくりした。祖父さまは王だったって言うし、ジョシュアとは同じ寮になるし。
本当、すごくびっくりしたよ。」
「だよなー。俺だってジイさんから何も聞いてなかったし。」
「実はさ、俺達がここで出会ったのは最初から決められて、そのことに気がつかなかっただけなのかもね。」
「どうだろうな。けど、王であるジョシュアに惹かれてやってきた、っていう説だったら当たってるかもな。」
ユウタの呟きにレッドが便乗する。
「確かに、それはあるよね。多分、ジョシュアがいたから俺達こうして同じ場所に集まったんだと思う。」
「では今夜はこの不思議な集まりと王の生まれ変わりに出会えたことを祝してミニパーティでもやりましょうか。」
「ミニパーティ?」
「いいじゃん!それ。」
「うん。俺も賛成。」
不思議そうな顔のユウタと賛成意見のレッドとハルヤ。
「普段のパーティより随分小さいですけど、お菓子などを持ち寄って騒ぐんですよ。眠れない夜はこれに限ります!」
「シェフが起きていれば何か頼んだり、バトラーに飲み物を頼んだりしてサロンで騒ぐこともあるし、誰かの部屋で騒ぐこともあるよ。」
シルヴァンとハルヤがユウタのために説明する。
「そうなんだ・・・。じゃあ、今日はこのサロンでやろうよ!」
「いいじゃん。サロンのが広いしな。」
「じゃあ僕はバトラーに言って飲み物をもらってきますね。」
言ってサロンを出て行くシルヴァン。
「ここに飾ってある絵ってパーティの絵なんだよね。皆すっごい楽しそうでさ、俺好きなんだよね。この絵。」
ユウタが壁に飾ってある複数の絵を見て言う。
「今日のパーティも楽しかったよ、ユウタ。」
「ホント。お前もこれで立派なマージナルプリンスだな。」
「そうかな。へへっ。あ!じゃあさ、シルヴァンが戻ってきたらこのミニパーティの様子を絵に残そうよ!俺、残したいんだ。」
「うん。いいんじゃない?ね、レッド。」
「もちろん!あーなんか、俺も何かに残しておきたい気がしてきた。」
今日のパーティの様子、この身で体験した不思議な出来事。
それをどういった形であれとにかく残しておきたいというのは皆同じであった。
「じゃあ俺、部屋からキャンパスと絵の具持ってくる!」サロンを出て行くユウタ。
「お待たせしましたー!」
飲み物を持って現れたシルヴァン。
「ごめん、シルヴァン。すぐ戻るから!」
「どうしたんですか?ユウタは。」
「絵を描きたいから道具を持ってくるってさ。」
「そうなんですか。楽しみですね!ユウタの絵。」
「そうだ!俺もジイさんみたく映画としてフィルムに残してやる。」フィルムにってことは俺達も何かやるの?」
「もちろん!」
「わあ、楽しみです。」
「それにしても、さすがレッド。血は争えないってことだね。おじいさんと同じことをやろうとするなんてさ。」
「ま、あんなすごいもん見ちまったら誰だってあれを形として残したいって思うだろ。
俺とジイさんはそれがたまたま同じ形だったってだけだよ。」
レッドの祖父もまた『王の生まれ変わり』に出会い、先程レッド達が体験したのと同じものを体験し、フィルムに残したのだ。
「お待たせー!持ってきたよ。」
「あ、お帰り。」
「ただいま、ハルヤ。それじゃ、皆グラス持って。」
言われるままに3人はグラスを持つ。
ユウタは真っ白なキャンパスに彩(いろ)を載せ始める。
下書きはなく、そのまま描く。オレンジ、ピンク、紫、緑、様々な色を使い描いていくユウタ。
そしてしばらく後、絵は出来上がった。
「できたー!!」
「どれどれ。」
絵を覗き込むレッド。
キャンパスに描かれていたのはグラスを持って楽しそうに微笑む3人の姿だった。
このミニパーティがどれほど楽しいものなのかが一目で分かる作品に仕上がった。
「すごいじゃん、ユウタ。」
「ユウタは絵がお上手ですね。」
ハルヤとシルヴァンの賛辞を受け、ユウタは照れくさそうに微笑む。
「ユウタ、お前すげぇよ。俺イメージ湧いてきた!部屋戻って台本書いてくる!また明日な!」
バタバタと自分の部屋へ戻るレッド。
「行っちゃった・・・。」
「レッドの台本、楽しみですね。」
「え、レッドが台本書くの?」
「うん。何か、今日のことをフィルムに残したいとか言ってた。」
「うわー!楽しみだな~!!あのアルフレッド・ヴィスコンティの台本か~。」
とそこへ時計の鐘が鳴る。
見ればもう普段であれば当に寝ている時間帯だった。
「もう夜も遅いですし、そろそろ部屋に戻って休みましょうか。」
「そうだね。」
3人は部屋に戻り、それぞれ床(とこ)についた。
明くる朝、サロンには一枚の絵が追加されていた。
昨晩ユウタが描いた絵だ。
一方、レッドの台本はというと・・・こちらも完成して第一稿を皆で回して読むことになった。
タイトルは「PAINT」王とその仲間達の物語である。
後にこの絵とフィルムは学院の宝として大切に保管され、後輩達に語り継がれていった。
【Crown】
「ちょっと、いいかな」
ジョシュアが人の部屋を訪ねるにしては、少し遅い時刻だった。
どんな用事か察したアンリは、追い返すことなく、彼を中に通した。
机にはタロットカードと、読み掛けだったらしい一冊の本が置かれていた。
アンリは「セイロンで良いよね?」と言って紅茶の用意を始めた。
待つ間、ジョシュアは窓際に立っていた。
宵闇には細い月が見えた。月齢一日目。新月は終わったのだ。
「無事に帰れたかな、三人とも」
その背中を見て、アンリは溜め息を吐いた。
「君、他に思うことないの?」
「えっ?」
ジョシュアが振り向く。アンリはティーポットを傾ける。
「帰れたんじゃない? 君に泣きついて来ないんだし」
テーブルにセイロンで満たされたカップが二つ並ぶ。
ジョシュアは、ありがとう、と言って窓辺からソファに向かった。
昨日、三人の男がジョシュアの前に現れ、「貴方が王の生まれ変わり」だと告げられた。
ジョシュアに伝えるべき言葉を伝え、彼等は帰っていった。ここではない、別の世界に。
ジョシュアのソーサーがカチャリと鳴る。
「不思議な、体験だったよね」
アンリは自分のカップに赤いジャムを入れていた。金色の匙で攪拌しながら「そう?」と異論を唱える。
「僕はもう今更何が出てきても驚かなくなってしまったな。
ここに初めて来た時から、可笑しなもの被ってる人に会ってるし」
そう言って、ジョシュアの額を見上げる。
彼の瞳には映っているという『月桂樹の王冠』を見ているのだろう。
「でも、今回のことで、どうして君がそんなもの被ってるのか、その理由らしいものは解ったね?」
「俺が、王の生まれ変わりだから、なのかな」
「多分ね」
「そう言えば、彼等は、サン・ジェルマン伯爵のことも知ってるみたいだったね?」
「うん。伯爵とあの三人の祖先が顔見知りになっても不思議じゃないから」
「どうして?」
「新約聖書『マタイによる福音書』には、
生まれたばかりのイエスを『ユダヤの王』だと崇める占星術師が三人登場する。これが東方の三博士。
彼等の名前はギリシア語では、ガルガラト、マガラト、ダマスクスだけど。
ラテン語では、ガスパル、バルタザル、メルヒオルだ。代々、その名を受け継ぐ部族なんじゃないの? 知らないけど」
ジョシュアは赤い瞳をぱちくりさせている。アンリは冷静な口調で続けた。
「伯爵は『キリストとも友人』だとか言ってる人だからね。三博士とも知り合ってる可能性はないとは言えない」
ジョシュアは困った顔で苦笑した。
「なんだか、スケールが壮大だね。俺、夢でも見てたのかなと思えてくるよ」
「王冠被ってる人に不思議だとか夢みたいだとか言われたくない」
アンリは席を立って、机に向かった。手に取ったのはタロットカード。
カードを撫でるように、ベッドの上に散らした。
「ジョシュア。引いてみて、一枚。どれでもいいから」
「えっ。アンリ、占いしてくれるのかい?」
正式な占い方は知らないから、と言ってアンリは今まで人に頼まれても占いをしてこなかった。
「占いじゃないよ。ただ、君が引いたカードの意味を、僕が教えてあげるだけ」
「それは…」
占いって言うんじゃないか、そう言おうとすると、
「僕の気が変わるまで、あと5秒。4、3…」
カウントダウンが始まってしまったので、ジョシュアは慌てて一枚選んだ。
描かれていたのは葉でできた輪の中に一人の人間が居る絵。ナンバーは21。
カードの名前はフランス語で書いてある。アンリはカードを見て、微笑した。
「さすがだね。君なら、それを選び出しそうな気がした」
ジョシュアの手からカードを抜き取る。
「Le Monde(ル・モンド)、大アルカナ最後の、最高のカード『世界』だ」
アンリはベッドにカードを置く。
「この、人間を囲んでいる葉、何の葉だと思う?」
ジョシュアは、はっとする。
「月桂樹、なのかい?」
アンリは頷いた。白い指がカードを丸くなぞる。
「葉のリングは輪廻転生を意味してる」
「輪廻、転生…」
「終わりじゃない。これから始まるんだ」
人差し指はカードから離れ、ジョシュアの額に触れた。
「君が創る、新しい『世界』がね」
【PAINT】
月桂樹の森に佇む一人の青年。
彼の名はジョシュア・グラント。王の生まれ変わりである。
彼は全てのものに愛されている。森へ訪れれば木々が、風が、小鳥がざわめいて歓迎する。
彼は小鳥達と共に歌を歌い始める。
その歌に惹かれるようにやってきた一人の男。
ジョシュアの友人であり、彼に仕える占い師でもあるアンリ・ユーグ・ド・サンジェルマン。
「やあ、アンリ。」
「何をしているの、こんなところで。」
「小鳥達と一緒に歌を歌っていたんだ。」
アンリは軽く溜め息を吐き、言った。
「占いでは森に近づくと良くないことが起こる、と出ていると教えたはずだけど?」
「ごめん。でもアンリがいつも言っているだろう?」
「何?」
「占いを信じすぎるなって。」
アンリは占い師であるが、自分を占いに頼られることを嫌う。
「それに、ここに居れば君も来るかと思って。」
「・・・。」
憮然とした表情で黙るアンリ。
そんなアンリを見て微笑み、ジョシュアはアンリを連れ城へ戻る。
その頃城では雇われ舞手のハルヤがジョシュアに会いにきたアルフレッドに頼まれ、舞を披露していた。
和服を着て片手に扇を持っている。
彼の視線の先には美しき梅の木。そして落ちてくる花びらを扇で受け止める。
美しい花を切なげな表情で見つめるハルヤ。
舞は静かに始まり、静かに終った。
観客のアルフレッドから感嘆の息が零れる。
「やっぱすげぇな、お前。」
「すごくなんてないよ。これくらいなら踊れる人他にも沢山いるよ?」
「そうか?俺はニッポンのことよく知らねぇけどこんな綺麗に踊れるやつ見たことないぜ。」
「そうかな。ありがとう。」
実際、舞っているときのハルヤはとても美しかった。
強くしなやかに。緩やかな動きの中にある激しさ。
舞うハルヤはいつもの彼からは想像できないほど艶やかで色香を漂わせている。
舞のことなど何も知らないアルフレッドが見ても思わず感嘆の息を漏らしてしまうほどだ。
彼の舞を見て虜にならないものはこの世に存在しないのではないかと思ってしまう。
「なあ、お前さ、もっと大勢の前で踊りたいとか思わないわけ?
こんな小さな城の中で俺やジョシュアに頼まれて踊るだけじゃ物足りないとかないわけ?」
「俺、大勢の前だと緊張するしこのくらいの方がちょうどいいよ。」
「お前って欲がねぇよな。」
「そういうわけじゃないけど、俺はこうして踊っていられるだけで充分幸せなんだよ。」
「ふーん。」
「レッドとも知り合えたしね。」
「ま、そこは同感だな。お前と知り合えたことは幸運だったと思ってるぜ。」
「ありがとう、レッド。」
王の帰りを待つ二人の居る部屋が突然開け放たれた。
大きな音を立てて開けられた扉。この開け方は王でないことは二人共わかっていた。
「ジョシュアー!!大変ですー!!」
「シルヴァン。ジョシュアなら出かけてるぜ。」
シルヴァン・クラーク。王の身辺警護役。要するにボディガードである。
「え?そうなんですか?」
「お前、ボディガードなんだからもっとジョシュアの側についてろよ。」
「でもジョシュアって気がつくと居ないんですよねー。
まあ、ジョシュアにはアンリがついているでしょうし、大丈夫ですよ。」
「よくそれでボディガードやってられるな、お前。」
「この島は平和ですからねー。」
「シルヴァン、それでジョシュアに何か用だったの?」
ハルヤが話を促す。
「あ、そうなんです。大変なんですよ!何と!!絵描きさんが来ているんです!」
「絵描き?」
「はい。ちょっと頼りなさげな人なんですが絵は上手でしたよ。僕、簡単な似顔絵描いてもらっちゃいました♪」
「うわ、マジかよ。」
「二人共落ち着いて。っていうか、その絵描き信用していいの?」
「大丈夫ですよ。僕、人を見る目には自信があるんです。」
「シルヴァン・・・。」
ボディガードがカンで人を信用して良いものか悩むところだがハルヤを連れてきたのもシルヴァンであるためこの場合は信用に値するだろう。
「で、その絵描きは今どこにいるんだよ。」
「あ、忘れるところでした。 ユウタ、入ってきてください。」
開け放たれたままの扉からそっと顔を覗かせたのはハルヤ達と同じくらいの年齢の東洋人だった。
「君、もしかして日本人?」
ユウタを見てハルヤが言う。
「あ、はい。日本から絵の修行のため来ました。ユウタです。」
「お前、絵描きなんだろ?俺のことも描いてくれよ。」
「レッド。ユウタはジョシュアを描くために来たんだって言ってたじゃん。」
「ああ、そっか。悪ぃ。」
「そんな!全然大丈夫です!!ところで、王様はどこに行ったんですか?」
「そういえば、どこに行ったんでしょうね。」
シルヴァンが辺りを見回す。
そこへ、廊下の方から話し声が聞こえてきた。
「帰ってきたみたいだよ。」
「ジョシュアー!遅かったじゃないですか。僕待ちくたびれちゃうところでしたよ。」
「ごめん、どうしても森へ行きたくなってね。」
謝るジョシュアと隣で不機嫌そうな表情のアンリ。
「そうだったんですか。今、ジョシュアにお客様が来てるんですよ。」
「初めまして、ユウタです。あなたの肖像画を描かせてもらうために来ました。」
「え、俺の肖像画?」
「はい。」
「困ったな。あまりそういうのは得意じゃないんだ。」
「一人が苦手だったら二人でも大丈夫です!」
「そうかい?なら、アンリと一緒に描いてもらえるかな。」
「ジョシュア。勝手に僕を巻き込まないでほしいのだけど?」
「ごめん。でもアンリと一緒ならじっとしているのも耐えられると思うんだ。
それに、占い師としては森へ行ったことで良くない事が起きるかどうか確かめないといけないだろう?」
「・・・・・・。」
「それじゃあ、ユウタ。お願いできるかな。」
「はい!」
そうしてジョシュアはアンリと共にユウタによって肖像画として残された。
「ジョシュアとアンリで描いてもらえるんだったら俺らも3人で描いてもらおうぜ。」
「え!?」
「いい案ですね♪」
提案者のアルフレッド、途惑うハルヤ、乗り気のシルヴァン。
「ユウタ、お願いできますか?」
「もちろん!」
中央にハルヤ。向かって右側にシルヴァン。左側にアルフレッド。
ハルヤは両側から肩や腕を組まれている。
かくして城には2枚の肖像画が残された。
1枚は王と占い師、もう1枚は仲睦まじい3人の姿が。
後にこの肖像画は欲しがる者が後を絶たず、とても高価なものとなったが誰の手に渡ることもなかった。
END
ユウタの開催したパーティが終わり夜も更けてきた頃、興奮のため眠りにつけない者たちが集まっていた。
「すっごいよなー。ジョシュアってマジで『王の生まれ変わり』だったんだぜ。」
「本当、本当。すごいよねー。」
興奮さめやらぬ様子で語るレッドと同じく興奮状態で相槌を打つユウタ。
「でも、僕が一番驚いたのはジョシュアよりもハルヤのお祖父様ですよ。
お祖父様が『王の生まれ変わり』で彼の孫であるハルヤもこの学院に来ていて
次の王であるジョシュアに出会ったなんて不思議な縁ですよね。」
「うん。それは俺も本当にびっくりした。祖父さまは王だったって言うし、ジョシュアとは同じ寮になるし。
本当、すごくびっくりしたよ。」
「だよなー。俺だってジイさんから何も聞いてなかったし。」
「実はさ、俺達がここで出会ったのは最初から決められて、そのことに気がつかなかっただけなのかもね。」
「どうだろうな。けど、王であるジョシュアに惹かれてやってきた、っていう説だったら当たってるかもな。」
ユウタの呟きにレッドが便乗する。
「確かに、それはあるよね。多分、ジョシュアがいたから俺達こうして同じ場所に集まったんだと思う。」
「では今夜はこの不思議な集まりと王の生まれ変わりに出会えたことを祝してミニパーティでもやりましょうか。」
「ミニパーティ?」
「いいじゃん!それ。」
「うん。俺も賛成。」
不思議そうな顔のユウタと賛成意見のレッドとハルヤ。
「普段のパーティより随分小さいですけど、お菓子などを持ち寄って騒ぐんですよ。眠れない夜はこれに限ります!」
「シェフが起きていれば何か頼んだり、バトラーに飲み物を頼んだりしてサロンで騒ぐこともあるし、誰かの部屋で騒ぐこともあるよ。」
シルヴァンとハルヤがユウタのために説明する。
「そうなんだ・・・。じゃあ、今日はこのサロンでやろうよ!」
「いいじゃん。サロンのが広いしな。」
「じゃあ僕はバトラーに言って飲み物をもらってきますね。」
言ってサロンを出て行くシルヴァン。
「ここに飾ってある絵ってパーティの絵なんだよね。皆すっごい楽しそうでさ、俺好きなんだよね。この絵。」
ユウタが壁に飾ってある複数の絵を見て言う。
「今日のパーティも楽しかったよ、ユウタ。」
「ホント。お前もこれで立派なマージナルプリンスだな。」
「そうかな。へへっ。あ!じゃあさ、シルヴァンが戻ってきたらこのミニパーティの様子を絵に残そうよ!俺、残したいんだ。」
「うん。いいんじゃない?ね、レッド。」
「もちろん!あーなんか、俺も何かに残しておきたい気がしてきた。」
今日のパーティの様子、この身で体験した不思議な出来事。
それをどういった形であれとにかく残しておきたいというのは皆同じであった。
「じゃあ俺、部屋からキャンパスと絵の具持ってくる!」サロンを出て行くユウタ。
「お待たせしましたー!」
飲み物を持って現れたシルヴァン。
「ごめん、シルヴァン。すぐ戻るから!」
「どうしたんですか?ユウタは。」
「絵を描きたいから道具を持ってくるってさ。」
「そうなんですか。楽しみですね!ユウタの絵。」
「そうだ!俺もジイさんみたく映画としてフィルムに残してやる。」フィルムにってことは俺達も何かやるの?」
「もちろん!」
「わあ、楽しみです。」
「それにしても、さすがレッド。血は争えないってことだね。おじいさんと同じことをやろうとするなんてさ。」
「ま、あんなすごいもん見ちまったら誰だってあれを形として残したいって思うだろ。
俺とジイさんはそれがたまたま同じ形だったってだけだよ。」
レッドの祖父もまた『王の生まれ変わり』に出会い、先程レッド達が体験したのと同じものを体験し、フィルムに残したのだ。
「お待たせー!持ってきたよ。」
「あ、お帰り。」
「ただいま、ハルヤ。それじゃ、皆グラス持って。」
言われるままに3人はグラスを持つ。
ユウタは真っ白なキャンパスに彩(いろ)を載せ始める。
下書きはなく、そのまま描く。オレンジ、ピンク、紫、緑、様々な色を使い描いていくユウタ。
そしてしばらく後、絵は出来上がった。
「できたー!!」
「どれどれ。」
絵を覗き込むレッド。
キャンパスに描かれていたのはグラスを持って楽しそうに微笑む3人の姿だった。
このミニパーティがどれほど楽しいものなのかが一目で分かる作品に仕上がった。
「すごいじゃん、ユウタ。」
「ユウタは絵がお上手ですね。」
ハルヤとシルヴァンの賛辞を受け、ユウタは照れくさそうに微笑む。
「ユウタ、お前すげぇよ。俺イメージ湧いてきた!部屋戻って台本書いてくる!また明日な!」
バタバタと自分の部屋へ戻るレッド。
「行っちゃった・・・。」
「レッドの台本、楽しみですね。」
「え、レッドが台本書くの?」
「うん。何か、今日のことをフィルムに残したいとか言ってた。」
「うわー!楽しみだな~!!あのアルフレッド・ヴィスコンティの台本か~。」
とそこへ時計の鐘が鳴る。
見ればもう普段であれば当に寝ている時間帯だった。
「もう夜も遅いですし、そろそろ部屋に戻って休みましょうか。」
「そうだね。」
3人は部屋に戻り、それぞれ床(とこ)についた。
明くる朝、サロンには一枚の絵が追加されていた。
昨晩ユウタが描いた絵だ。
一方、レッドの台本はというと・・・こちらも完成して第一稿を皆で回して読むことになった。
タイトルは「PAINT」王とその仲間達の物語である。
後にこの絵とフィルムは学院の宝として大切に保管され、後輩達に語り継がれていった。
【Crown】
「ちょっと、いいかな」
ジョシュアが人の部屋を訪ねるにしては、少し遅い時刻だった。
どんな用事か察したアンリは、追い返すことなく、彼を中に通した。
机にはタロットカードと、読み掛けだったらしい一冊の本が置かれていた。
アンリは「セイロンで良いよね?」と言って紅茶の用意を始めた。
待つ間、ジョシュアは窓際に立っていた。
宵闇には細い月が見えた。月齢一日目。新月は終わったのだ。
「無事に帰れたかな、三人とも」
その背中を見て、アンリは溜め息を吐いた。
「君、他に思うことないの?」
「えっ?」
ジョシュアが振り向く。アンリはティーポットを傾ける。
「帰れたんじゃない? 君に泣きついて来ないんだし」
テーブルにセイロンで満たされたカップが二つ並ぶ。
ジョシュアは、ありがとう、と言って窓辺からソファに向かった。
昨日、三人の男がジョシュアの前に現れ、「貴方が王の生まれ変わり」だと告げられた。
ジョシュアに伝えるべき言葉を伝え、彼等は帰っていった。ここではない、別の世界に。
ジョシュアのソーサーがカチャリと鳴る。
「不思議な、体験だったよね」
アンリは自分のカップに赤いジャムを入れていた。金色の匙で攪拌しながら「そう?」と異論を唱える。
「僕はもう今更何が出てきても驚かなくなってしまったな。
ここに初めて来た時から、可笑しなもの被ってる人に会ってるし」
そう言って、ジョシュアの額を見上げる。
彼の瞳には映っているという『月桂樹の王冠』を見ているのだろう。
「でも、今回のことで、どうして君がそんなもの被ってるのか、その理由らしいものは解ったね?」
「俺が、王の生まれ変わりだから、なのかな」
「多分ね」
「そう言えば、彼等は、サン・ジェルマン伯爵のことも知ってるみたいだったね?」
「うん。伯爵とあの三人の祖先が顔見知りになっても不思議じゃないから」
「どうして?」
「新約聖書『マタイによる福音書』には、
生まれたばかりのイエスを『ユダヤの王』だと崇める占星術師が三人登場する。これが東方の三博士。
彼等の名前はギリシア語では、ガルガラト、マガラト、ダマスクスだけど。
ラテン語では、ガスパル、バルタザル、メルヒオルだ。代々、その名を受け継ぐ部族なんじゃないの? 知らないけど」
ジョシュアは赤い瞳をぱちくりさせている。アンリは冷静な口調で続けた。
「伯爵は『キリストとも友人』だとか言ってる人だからね。三博士とも知り合ってる可能性はないとは言えない」
ジョシュアは困った顔で苦笑した。
「なんだか、スケールが壮大だね。俺、夢でも見てたのかなと思えてくるよ」
「王冠被ってる人に不思議だとか夢みたいだとか言われたくない」
アンリは席を立って、机に向かった。手に取ったのはタロットカード。
カードを撫でるように、ベッドの上に散らした。
「ジョシュア。引いてみて、一枚。どれでもいいから」
「えっ。アンリ、占いしてくれるのかい?」
正式な占い方は知らないから、と言ってアンリは今まで人に頼まれても占いをしてこなかった。
「占いじゃないよ。ただ、君が引いたカードの意味を、僕が教えてあげるだけ」
「それは…」
占いって言うんじゃないか、そう言おうとすると、
「僕の気が変わるまで、あと5秒。4、3…」
カウントダウンが始まってしまったので、ジョシュアは慌てて一枚選んだ。
描かれていたのは葉でできた輪の中に一人の人間が居る絵。ナンバーは21。
カードの名前はフランス語で書いてある。アンリはカードを見て、微笑した。
「さすがだね。君なら、それを選び出しそうな気がした」
ジョシュアの手からカードを抜き取る。
「Le Monde(ル・モンド)、大アルカナ最後の、最高のカード『世界』だ」
アンリはベッドにカードを置く。
「この、人間を囲んでいる葉、何の葉だと思う?」
ジョシュアは、はっとする。
「月桂樹、なのかい?」
アンリは頷いた。白い指がカードを丸くなぞる。
「葉のリングは輪廻転生を意味してる」
「輪廻、転生…」
「終わりじゃない。これから始まるんだ」
人差し指はカードから離れ、ジョシュアの額に触れた。
「君が創る、新しい『世界』がね」
【PAINT】
月桂樹の森に佇む一人の青年。
彼の名はジョシュア・グラント。王の生まれ変わりである。
彼は全てのものに愛されている。森へ訪れれば木々が、風が、小鳥がざわめいて歓迎する。
彼は小鳥達と共に歌を歌い始める。
その歌に惹かれるようにやってきた一人の男。
ジョシュアの友人であり、彼に仕える占い師でもあるアンリ・ユーグ・ド・サンジェルマン。
「やあ、アンリ。」
「何をしているの、こんなところで。」
「小鳥達と一緒に歌を歌っていたんだ。」
アンリは軽く溜め息を吐き、言った。
「占いでは森に近づくと良くないことが起こる、と出ていると教えたはずだけど?」
「ごめん。でもアンリがいつも言っているだろう?」
「何?」
「占いを信じすぎるなって。」
アンリは占い師であるが、自分を占いに頼られることを嫌う。
「それに、ここに居れば君も来るかと思って。」
「・・・。」
憮然とした表情で黙るアンリ。
そんなアンリを見て微笑み、ジョシュアはアンリを連れ城へ戻る。
その頃城では雇われ舞手のハルヤがジョシュアに会いにきたアルフレッドに頼まれ、舞を披露していた。
和服を着て片手に扇を持っている。
彼の視線の先には美しき梅の木。そして落ちてくる花びらを扇で受け止める。
美しい花を切なげな表情で見つめるハルヤ。
舞は静かに始まり、静かに終った。
観客のアルフレッドから感嘆の息が零れる。
「やっぱすげぇな、お前。」
「すごくなんてないよ。これくらいなら踊れる人他にも沢山いるよ?」
「そうか?俺はニッポンのことよく知らねぇけどこんな綺麗に踊れるやつ見たことないぜ。」
「そうかな。ありがとう。」
実際、舞っているときのハルヤはとても美しかった。
強くしなやかに。緩やかな動きの中にある激しさ。
舞うハルヤはいつもの彼からは想像できないほど艶やかで色香を漂わせている。
舞のことなど何も知らないアルフレッドが見ても思わず感嘆の息を漏らしてしまうほどだ。
彼の舞を見て虜にならないものはこの世に存在しないのではないかと思ってしまう。
「なあ、お前さ、もっと大勢の前で踊りたいとか思わないわけ?
こんな小さな城の中で俺やジョシュアに頼まれて踊るだけじゃ物足りないとかないわけ?」
「俺、大勢の前だと緊張するしこのくらいの方がちょうどいいよ。」
「お前って欲がねぇよな。」
「そういうわけじゃないけど、俺はこうして踊っていられるだけで充分幸せなんだよ。」
「ふーん。」
「レッドとも知り合えたしね。」
「ま、そこは同感だな。お前と知り合えたことは幸運だったと思ってるぜ。」
「ありがとう、レッド。」
王の帰りを待つ二人の居る部屋が突然開け放たれた。
大きな音を立てて開けられた扉。この開け方は王でないことは二人共わかっていた。
「ジョシュアー!!大変ですー!!」
「シルヴァン。ジョシュアなら出かけてるぜ。」
シルヴァン・クラーク。王の身辺警護役。要するにボディガードである。
「え?そうなんですか?」
「お前、ボディガードなんだからもっとジョシュアの側についてろよ。」
「でもジョシュアって気がつくと居ないんですよねー。
まあ、ジョシュアにはアンリがついているでしょうし、大丈夫ですよ。」
「よくそれでボディガードやってられるな、お前。」
「この島は平和ですからねー。」
「シルヴァン、それでジョシュアに何か用だったの?」
ハルヤが話を促す。
「あ、そうなんです。大変なんですよ!何と!!絵描きさんが来ているんです!」
「絵描き?」
「はい。ちょっと頼りなさげな人なんですが絵は上手でしたよ。僕、簡単な似顔絵描いてもらっちゃいました♪」
「うわ、マジかよ。」
「二人共落ち着いて。っていうか、その絵描き信用していいの?」
「大丈夫ですよ。僕、人を見る目には自信があるんです。」
「シルヴァン・・・。」
ボディガードがカンで人を信用して良いものか悩むところだがハルヤを連れてきたのもシルヴァンであるためこの場合は信用に値するだろう。
「で、その絵描きは今どこにいるんだよ。」
「あ、忘れるところでした。 ユウタ、入ってきてください。」
開け放たれたままの扉からそっと顔を覗かせたのはハルヤ達と同じくらいの年齢の東洋人だった。
「君、もしかして日本人?」
ユウタを見てハルヤが言う。
「あ、はい。日本から絵の修行のため来ました。ユウタです。」
「お前、絵描きなんだろ?俺のことも描いてくれよ。」
「レッド。ユウタはジョシュアを描くために来たんだって言ってたじゃん。」
「ああ、そっか。悪ぃ。」
「そんな!全然大丈夫です!!ところで、王様はどこに行ったんですか?」
「そういえば、どこに行ったんでしょうね。」
シルヴァンが辺りを見回す。
そこへ、廊下の方から話し声が聞こえてきた。
「帰ってきたみたいだよ。」
「ジョシュアー!遅かったじゃないですか。僕待ちくたびれちゃうところでしたよ。」
「ごめん、どうしても森へ行きたくなってね。」
謝るジョシュアと隣で不機嫌そうな表情のアンリ。
「そうだったんですか。今、ジョシュアにお客様が来てるんですよ。」
「初めまして、ユウタです。あなたの肖像画を描かせてもらうために来ました。」
「え、俺の肖像画?」
「はい。」
「困ったな。あまりそういうのは得意じゃないんだ。」
「一人が苦手だったら二人でも大丈夫です!」
「そうかい?なら、アンリと一緒に描いてもらえるかな。」
「ジョシュア。勝手に僕を巻き込まないでほしいのだけど?」
「ごめん。でもアンリと一緒ならじっとしているのも耐えられると思うんだ。
それに、占い師としては森へ行ったことで良くない事が起きるかどうか確かめないといけないだろう?」
「・・・・・・。」
「それじゃあ、ユウタ。お願いできるかな。」
「はい!」
そうしてジョシュアはアンリと共にユウタによって肖像画として残された。
「ジョシュアとアンリで描いてもらえるんだったら俺らも3人で描いてもらおうぜ。」
「え!?」
「いい案ですね♪」
提案者のアルフレッド、途惑うハルヤ、乗り気のシルヴァン。
「ユウタ、お願いできますか?」
「もちろん!」
中央にハルヤ。向かって右側にシルヴァン。左側にアルフレッド。
ハルヤは両側から肩や腕を組まれている。
かくして城には2枚の肖像画が残された。
1枚は王と占い師、もう1枚は仲睦まじい3人の姿が。
後にこの肖像画は欲しがる者が後を絶たず、とても高価なものとなったが誰の手に渡ることもなかった。
END
■エドガー×ヤン
■追加シナリオクリア推奨
■追加シナリオクリア推奨
14歳の俺は、その日も退屈凌ぎにジムに来ていた。
いつものようにジムからウーティス寮サロンに戻ってきた。
バトラーに飲み物を頼む時、この島では『竜の涙』と呼ばれてる物を、
わざとぶっきらぼうに『レモンソーダ』と言って、端っこにあるソファに不満げに座った。
ウーティスの同級生が二人、近寄ってきた。
同じ顔をした、一卵性双生児。マックとリックだ。
「エドガー、シュヌーシアに新入生が来たらしいよ」
「ふうん」
「中二だって。珍しいよね、14歳で入学なんて」
「ふうん」
「その新入生の為に、数学の特別講師も来るんだって」
「ふうん」
「なんだよ、興味なし?」
「そりゃあ、誰かが来て、誰かが去っていくだろうが。
しかも他の寮だろ? 俺には関係ない」
「もー。新入生が来たらワクワクしろよ」
二人は俺の身体を揺すって「ワクワクしろよー」と声を合わせる。
「いちいちハモんなよ、双子」
一日の授業が終わって、俺は校舎から寮に帰るところだった。
ウーティス寮の前には、月桂樹の森がある。
今日は課題も出てねえし、晩メシまでちょこっとシエスタでもしようかと思った。
俺のお気に入りの昼寝スポットは泉の傍だ。
そこには一本だけ場違いな木がある。月桂樹の森なのに違う木が生えているのだ。
棕櫚という亜熱帯植物らしいと上級生に聞いていた。
棕櫚の周りだけ、スポットライトを浴びてるように日当たりが良くて好きだった。
そこに行ったら、先客が居た。
艶のない灰色の髪。眼鏡のデザインがあんまり古かったから、
まだ見たことない先輩が居たのかな、と思ったくらいだ。
手に持ってる本がちらりと見えた。
なんか如何にも数学の教科書っぽい表紙だったのを覚えてる。
それで、新任の先生かもと思った。双子に数学の先生が来るって聞いてたから。
まさかこれが、同い年の新入生とは思わなかった。
俺、結構近くまで来てるのに、俺の存在に気付いてない。
なんか、ずっと木を見上げてるから、何を見てるんだろうと思って、
俺も木の上を見てみたけど、別に何もない。
もう一度そいつを見ると、唇が小さく動いてた。何かぶつぶつ言ってる。
半端な長さの、ぼさぼさの灰色の髪なのに、木洩れ陽のせいで、銀髪に見えた。
ぱさっ、と音がした。本が地面に落ちている。
そいつの身体が、ふっと後ろ向きに傾いた。
「おいっ!」
俺は気が付くと駆け出していて、そいつの背中を受け止めながら、地面に倒れ込んだ。
腕の中に抱えた身体は、見た目より華奢だった。
「おい、大丈夫か、あんた」
顔を覗き込むと、苦しそうに顔を歪め、目を瞑っていた。
か細い声で、呻くように言った。
「はい…ちょっと、頭がぐるぐるして…」
「ぐるぐるって、めまい?」
「たぶん…もう少し休んだら、治ると、思います…」
そいつは地面の上でうずくまるように横になった。放っておくわけにも行かねえし、俺も座った。
あれ、と言う声が聞こえた。
「なんだ?」
そいつは棕櫚の木のほうを指差した。
「あの木、今、なんか、ゆらっとした…みたいに見えて…」
急に倒れたかと思えば、次に意味が解らないことを言い出した。
呼吸が荒いし、ドラッグでもやってんのか、こいつ。
立てるようになってから、遠慮を押し切って保健室に連れて行った。
うちの学校には医師免許をもつ先生が居る。眼鏡で、柔らかそうな茶髪。
40代に入ったようには見えないお兄さん顔の先生だ。
俺から状況を聞いた先生は、ヤンをベッドに寝かした。
横になっている顔からはさっきの苦しさは見受けられない。
俺は傍の丸椅子に座る。
「先生、こいつ、大丈夫なのか?」
「ええ。起立性低血圧による立ち眩みのようですね」
「なんすか、それ」
「ああ、すみません。急に立ち上がった時や、ずっと立っている時に、ふらっと目眩に襲われる症状です。
君達の年代には時折見られることです。大丈夫、一時的なものですから、心配ありません」
にこっとした笑顔ができる大人だ。生徒からの評判は滅法良い。
だけど、その真っ白な笑顔に、漂白剤のように人工的な清潔感を感じるのは気のせいだろうか。
「あ、眼鏡をお預かりするのを忘れていましたね」
患者から静かに眼鏡を外し、綺麗に畳んで、サイドテーブルに置いた。
優しい笑顔で患者を愛でる。
「改めまして。ようこそ、聖アルフォンソ学院保健室へ。
初回カウンセリングの前にお会いできて嬉しいですよ、ヤン・ハシェク君」
「どうして、僕の名前…」
「新入生は入学から二週間後に身体検査とカウンセリングを受けることになっていますからね、
僕の元にも事前に新入生の資料は来ているんですよ。
さて、ヤン君はここでもう少しゆっくりしていって貰おうかな。水分補給が必要ですし。
何か温かい飲み物でも用意しましょう。エドガー君もご一緒にどうですか?」
「ちょ、ちょっと待った!」
「はい。どうしました、エドガー君」
「こいつ、新入生なんですか? 新任の先生じゃなくて?」
「おや。エドガー君は知らないで連れて来たんですね。彼は新入生ですよ。
ヤン君は14歳ですから、エドガー君とは同じ学年になりますね」
同い年かよ、これで。
「そう言えば、ヤン君はどうして、棕櫚の木を長い間見ていたんですか?」
「数えてたんです、葉っぱ」
「数えてた?」
「キラキラして綺麗だったから。あ、あの木って、何か特別な木なんですか?」
「特別、というのは?」
「あそこ、月桂樹の森なのに、一本だけ他の木で、
僕が倒れちゃった後、ゆらっとしたんです、木のとこ。あれ、なんだったのかなあ?」
またなんか変なこと言ってる。
見間違いに決まってるのに、先生は丁寧に聞き直していた。
ヤンはもう一度同じことを語っていた。
「あっ、本がない」
突然ヤンが大きな声を上げた。ベッドから起きようとしている
「ヤン君、待って下さい。君はもう少し安静に」
それまでぼうっとしてたヤンが急に慌て始める。
「僕、本を森に置いてきちゃったんです。どうしよう。汚れちゃったかも、誰かに持っていかれちゃったかも」
「落ち着けよ。俺が持ってるから」
俺はブレザーのポケットから本を取り出す。
ヤンを木の下で休ませてる時に拾っておいたのだ。
「コレだろ?」
ヤンはパッと本に飛び付いた。汚れてないか確かめた上で、
「ありがとう。あ、えっと…」
「俺はエドガーだ。いや、エドでいい」
ヤンは笑う。
「ありがとう、エド」
老けて見える奴だけど、眼鏡を外した笑顔は年下に見えた。
俺の長閑で優雅な学生生活は、終わりを告げた。
それからというもの、俺は危なかっしいヤンの世話を焼かされることになる。
ヤンはフラフラ歩いては迷子になったり、眼鏡を割ったりしやがる。
おかげでヤンが来てからの五年はあっという間だった。
ただ、生徒代表になっても、ヤンのぼうっとしたところは変わらない。
棕櫚の下で俺達は寝そべっている。ヤンは根に触れながら、
「やっぱりここ、なんか特別な場所なんじゃないかなあ」
五年前から変わってない。
「まだ言ってんのかよ、ヤン」
「なんか、宝物が埋まってたりして」
「んなわけあるかよ」
俺は目を閉じる。もう眠たくなってきた。
「んじゃ、俺はもう寝るぜ?」
「あ、うん。おやすみ、エド」
ヤンは眼鏡を外した。
俺達が静かになると、鳥達も静かになったみたいだ。
月桂樹の葉が擦れる音。遠くから生徒の声がなんとなく聞こえた。
そっと目を開ける。胎児のような寝姿。
案外、俺は見つけたのかもしれない。
棕櫚の木の下で、宝物を。
fin
いつものようにジムからウーティス寮サロンに戻ってきた。
バトラーに飲み物を頼む時、この島では『竜の涙』と呼ばれてる物を、
わざとぶっきらぼうに『レモンソーダ』と言って、端っこにあるソファに不満げに座った。
ウーティスの同級生が二人、近寄ってきた。
同じ顔をした、一卵性双生児。マックとリックだ。
「エドガー、シュヌーシアに新入生が来たらしいよ」
「ふうん」
「中二だって。珍しいよね、14歳で入学なんて」
「ふうん」
「その新入生の為に、数学の特別講師も来るんだって」
「ふうん」
「なんだよ、興味なし?」
「そりゃあ、誰かが来て、誰かが去っていくだろうが。
しかも他の寮だろ? 俺には関係ない」
「もー。新入生が来たらワクワクしろよ」
二人は俺の身体を揺すって「ワクワクしろよー」と声を合わせる。
「いちいちハモんなよ、双子」
一日の授業が終わって、俺は校舎から寮に帰るところだった。
ウーティス寮の前には、月桂樹の森がある。
今日は課題も出てねえし、晩メシまでちょこっとシエスタでもしようかと思った。
俺のお気に入りの昼寝スポットは泉の傍だ。
そこには一本だけ場違いな木がある。月桂樹の森なのに違う木が生えているのだ。
棕櫚という亜熱帯植物らしいと上級生に聞いていた。
棕櫚の周りだけ、スポットライトを浴びてるように日当たりが良くて好きだった。
そこに行ったら、先客が居た。
艶のない灰色の髪。眼鏡のデザインがあんまり古かったから、
まだ見たことない先輩が居たのかな、と思ったくらいだ。
手に持ってる本がちらりと見えた。
なんか如何にも数学の教科書っぽい表紙だったのを覚えてる。
それで、新任の先生かもと思った。双子に数学の先生が来るって聞いてたから。
まさかこれが、同い年の新入生とは思わなかった。
俺、結構近くまで来てるのに、俺の存在に気付いてない。
なんか、ずっと木を見上げてるから、何を見てるんだろうと思って、
俺も木の上を見てみたけど、別に何もない。
もう一度そいつを見ると、唇が小さく動いてた。何かぶつぶつ言ってる。
半端な長さの、ぼさぼさの灰色の髪なのに、木洩れ陽のせいで、銀髪に見えた。
ぱさっ、と音がした。本が地面に落ちている。
そいつの身体が、ふっと後ろ向きに傾いた。
「おいっ!」
俺は気が付くと駆け出していて、そいつの背中を受け止めながら、地面に倒れ込んだ。
腕の中に抱えた身体は、見た目より華奢だった。
「おい、大丈夫か、あんた」
顔を覗き込むと、苦しそうに顔を歪め、目を瞑っていた。
か細い声で、呻くように言った。
「はい…ちょっと、頭がぐるぐるして…」
「ぐるぐるって、めまい?」
「たぶん…もう少し休んだら、治ると、思います…」
そいつは地面の上でうずくまるように横になった。放っておくわけにも行かねえし、俺も座った。
あれ、と言う声が聞こえた。
「なんだ?」
そいつは棕櫚の木のほうを指差した。
「あの木、今、なんか、ゆらっとした…みたいに見えて…」
急に倒れたかと思えば、次に意味が解らないことを言い出した。
呼吸が荒いし、ドラッグでもやってんのか、こいつ。
立てるようになってから、遠慮を押し切って保健室に連れて行った。
うちの学校には医師免許をもつ先生が居る。眼鏡で、柔らかそうな茶髪。
40代に入ったようには見えないお兄さん顔の先生だ。
俺から状況を聞いた先生は、ヤンをベッドに寝かした。
横になっている顔からはさっきの苦しさは見受けられない。
俺は傍の丸椅子に座る。
「先生、こいつ、大丈夫なのか?」
「ええ。起立性低血圧による立ち眩みのようですね」
「なんすか、それ」
「ああ、すみません。急に立ち上がった時や、ずっと立っている時に、ふらっと目眩に襲われる症状です。
君達の年代には時折見られることです。大丈夫、一時的なものですから、心配ありません」
にこっとした笑顔ができる大人だ。生徒からの評判は滅法良い。
だけど、その真っ白な笑顔に、漂白剤のように人工的な清潔感を感じるのは気のせいだろうか。
「あ、眼鏡をお預かりするのを忘れていましたね」
患者から静かに眼鏡を外し、綺麗に畳んで、サイドテーブルに置いた。
優しい笑顔で患者を愛でる。
「改めまして。ようこそ、聖アルフォンソ学院保健室へ。
初回カウンセリングの前にお会いできて嬉しいですよ、ヤン・ハシェク君」
「どうして、僕の名前…」
「新入生は入学から二週間後に身体検査とカウンセリングを受けることになっていますからね、
僕の元にも事前に新入生の資料は来ているんですよ。
さて、ヤン君はここでもう少しゆっくりしていって貰おうかな。水分補給が必要ですし。
何か温かい飲み物でも用意しましょう。エドガー君もご一緒にどうですか?」
「ちょ、ちょっと待った!」
「はい。どうしました、エドガー君」
「こいつ、新入生なんですか? 新任の先生じゃなくて?」
「おや。エドガー君は知らないで連れて来たんですね。彼は新入生ですよ。
ヤン君は14歳ですから、エドガー君とは同じ学年になりますね」
同い年かよ、これで。
「そう言えば、ヤン君はどうして、棕櫚の木を長い間見ていたんですか?」
「数えてたんです、葉っぱ」
「数えてた?」
「キラキラして綺麗だったから。あ、あの木って、何か特別な木なんですか?」
「特別、というのは?」
「あそこ、月桂樹の森なのに、一本だけ他の木で、
僕が倒れちゃった後、ゆらっとしたんです、木のとこ。あれ、なんだったのかなあ?」
またなんか変なこと言ってる。
見間違いに決まってるのに、先生は丁寧に聞き直していた。
ヤンはもう一度同じことを語っていた。
「あっ、本がない」
突然ヤンが大きな声を上げた。ベッドから起きようとしている
「ヤン君、待って下さい。君はもう少し安静に」
それまでぼうっとしてたヤンが急に慌て始める。
「僕、本を森に置いてきちゃったんです。どうしよう。汚れちゃったかも、誰かに持っていかれちゃったかも」
「落ち着けよ。俺が持ってるから」
俺はブレザーのポケットから本を取り出す。
ヤンを木の下で休ませてる時に拾っておいたのだ。
「コレだろ?」
ヤンはパッと本に飛び付いた。汚れてないか確かめた上で、
「ありがとう。あ、えっと…」
「俺はエドガーだ。いや、エドでいい」
ヤンは笑う。
「ありがとう、エド」
老けて見える奴だけど、眼鏡を外した笑顔は年下に見えた。
俺の長閑で優雅な学生生活は、終わりを告げた。
それからというもの、俺は危なかっしいヤンの世話を焼かされることになる。
ヤンはフラフラ歩いては迷子になったり、眼鏡を割ったりしやがる。
おかげでヤンが来てからの五年はあっという間だった。
ただ、生徒代表になっても、ヤンのぼうっとしたところは変わらない。
棕櫚の下で俺達は寝そべっている。ヤンは根に触れながら、
「やっぱりここ、なんか特別な場所なんじゃないかなあ」
五年前から変わってない。
「まだ言ってんのかよ、ヤン」
「なんか、宝物が埋まってたりして」
「んなわけあるかよ」
俺は目を閉じる。もう眠たくなってきた。
「んじゃ、俺はもう寝るぜ?」
「あ、うん。おやすみ、エド」
ヤンは眼鏡を外した。
俺達が静かになると、鳥達も静かになったみたいだ。
月桂樹の葉が擦れる音。遠くから生徒の声がなんとなく聞こえた。
そっと目を開ける。胎児のような寝姿。
案外、俺は見つけたのかもしれない。
棕櫚の木の下で、宝物を。
fin
■エドガー×ヤン
さやさやと風が月桂樹を撫でていく。
俺――エドガーは、ヤンと一緒に森の泉へ来ていた。
俺達の気に入りの場所で、ヤンがごろりと横になる。
「あったかい」
そこには、亜熱帯植物にも十分な日光が当たっていて、
俺達生徒がシエスタするにも気持ちの良い場所だった。バカみたいな平和な午後だ。
この島に流れてる時間は特別だ。安全で、ゆっくりで、優しい退屈。
それも今年で終わりなのに、俺は祖国に帰らなくちゃいけないのに。
ここでカフェでもやって、じーさんになるまでマスターとかできねえかと夢想する時がある。
「ね、エド。まだ起きてる?」
「んな、すぐ寝れるかよ」
「二人でお昼寝するの、久し振りだね」
「そりゃあ、お前が生徒代表になったからだろ?」
「あ、そっか。僕のせいなのか。ごめん」
「いや、謝ることじゃねーだろ?」
俺達はもう高等部三年。今年が聖アルフォンソ島に居られる最後の年だ。
その一年間、ヤンには重要な責務が課せられた。学院の全てを司る生徒代表に選ばれたのだ。
生徒代表は、マージナルプリンスの中のマージナルプリンスが選ばれるって言われてるけど、
今年の選抜は多分間違ってると俺は思う。
数学にしか興味がなくて、クセみたいに物の数を数えては、
転んだりぶつかったりして、あちこちアザを作ってるこのバカに。
なんで、そんな重い役目を背負わせたのか。
「平気なのか? ヤン」
「ん? なあに?」
「生徒代表って、なんか色々大変なんだろ? 辛いことあったら言えよ?」
ヤンは少し笑って、うん、と軽く頷く。
「エドは、いっつも優しいなあ」
俺のことを優しいなんて言うのは、こいつくらいだ。
「うるせーよ」
上空で鳥達も何か喋ってる。ヤンは眠そうな声で呟いた。
「エドと初めて会ったの、ここだったよね」
「ああ、そうだっけか」
それは、俺が聖アルフォンソ学院に入学してから丁度一年くらい。
島での穏やかで単調な暮らしにもすっかり慣れた中等部二年。
14歳ともなれば、気持ちはもう擦れた大人。子供扱いされることが何より嫌で、
いっこ下の中一どもが、やたらガキに見えて、高等部の野郎どもは、やたら大人に見えた時期だった。
俺はガキでも大人でもない気がして、なんとなく落ち着かず、いつも機嫌悪そうに見えたと思う。
『この学院に入れられた理由』も原因だったかもしれない。
俺はあいつらにとって邪魔者だった。
だから、ヘンピな孤島に捨てられた。
そんなことを、うだうだ気にしてた頃だった。
→
俺――エドガーは、ヤンと一緒に森の泉へ来ていた。
俺達の気に入りの場所で、ヤンがごろりと横になる。
「あったかい」
そこには、亜熱帯植物にも十分な日光が当たっていて、
俺達生徒がシエスタするにも気持ちの良い場所だった。バカみたいな平和な午後だ。
この島に流れてる時間は特別だ。安全で、ゆっくりで、優しい退屈。
それも今年で終わりなのに、俺は祖国に帰らなくちゃいけないのに。
ここでカフェでもやって、じーさんになるまでマスターとかできねえかと夢想する時がある。
「ね、エド。まだ起きてる?」
「んな、すぐ寝れるかよ」
「二人でお昼寝するの、久し振りだね」
「そりゃあ、お前が生徒代表になったからだろ?」
「あ、そっか。僕のせいなのか。ごめん」
「いや、謝ることじゃねーだろ?」
俺達はもう高等部三年。今年が聖アルフォンソ島に居られる最後の年だ。
その一年間、ヤンには重要な責務が課せられた。学院の全てを司る生徒代表に選ばれたのだ。
生徒代表は、マージナルプリンスの中のマージナルプリンスが選ばれるって言われてるけど、
今年の選抜は多分間違ってると俺は思う。
数学にしか興味がなくて、クセみたいに物の数を数えては、
転んだりぶつかったりして、あちこちアザを作ってるこのバカに。
なんで、そんな重い役目を背負わせたのか。
「平気なのか? ヤン」
「ん? なあに?」
「生徒代表って、なんか色々大変なんだろ? 辛いことあったら言えよ?」
ヤンは少し笑って、うん、と軽く頷く。
「エドは、いっつも優しいなあ」
俺のことを優しいなんて言うのは、こいつくらいだ。
「うるせーよ」
上空で鳥達も何か喋ってる。ヤンは眠そうな声で呟いた。
「エドと初めて会ったの、ここだったよね」
「ああ、そうだっけか」
それは、俺が聖アルフォンソ学院に入学してから丁度一年くらい。
島での穏やかで単調な暮らしにもすっかり慣れた中等部二年。
14歳ともなれば、気持ちはもう擦れた大人。子供扱いされることが何より嫌で、
いっこ下の中一どもが、やたらガキに見えて、高等部の野郎どもは、やたら大人に見えた時期だった。
俺はガキでも大人でもない気がして、なんとなく落ち着かず、いつも機嫌悪そうに見えたと思う。
『この学院に入れられた理由』も原因だったかもしれない。
俺はあいつらにとって邪魔者だった。
だから、ヘンピな孤島に捨てられた。
そんなことを、うだうだ気にしてた頃だった。
→
■ソクーロフ×ディーノ×ソクーロフ
■陛下と殿下と24 続編
■陛下と殿下と24 続編
「ん。じゃ、各自ヨロシク。お疲れさんっ」
追憶の塔 第一会議室。
警備組織と学院スタッフによる、定期ミーティングが終了した。
議長を務めていた金髪の男がやって来る。警備組織の司令官アイヴィーだ。
「お疲れ、ソクちゃん。ガッコまで送ってくよ」
「ああ」
司令、と後方から声を掛けられる。ドイツから引き抜かれた軍人。
副司令官のラインハルト・クロイツだ。
「司令は、この後、理事会とのネットミーティングですよ」
「え? それ、明日じゃなかった?」
「ですから、変更になりましたと今朝お伝えしたじゃないですか。やはり聞いてなかったんですね」
「あれ。ゴメンゴメン。んー。ねえ、クロちゃんさ、代わりに出といてくんない?」
「嫌ですよ、この忙しいのに面倒臭い」
「俺だって面倒臭いよっ」
「お偉方のお相手は貴方の役目でしょう。違いますか?」
司令官を黙らせた眼鏡の男はソクーロフに尋ねる。
「ああ、すみません、ドクター。お帰りの車をご用意します」
「構わないよ。ありがとう、クロイツ」
「いえ。ご足労頂き、ありがとうございました、ドクター」
「あっ、送ってけなくてゴメンな、ソクちゃん」
「そう残念そうな顔をするな」
「してないっ!」
学院までの帰り道。旧市街の辺りでソクーロフは知った顔に出会った。
さながら美女と野獣だ。一人は、学院で姫扱いされている男子生徒。
隣に居るのは部外者だ。彫りの深い顔に、ダンディズムな髭。
高等部二年のアンリと、彼のボディガードだと言うシチリアマフィアだ。
ソクーロフにとってはどちらも興味深い人物だった。
身を潜めて様子を覗う。二人は話をしているが、遠くて聞こえない。
野獣が姫の肩に腕を回した。姫はその手を振り払う。何か言い放ち、去って行った。
アンリの後ろ姿が見えなくなったのを確認し、ソクーロフは男に近付いた。
「また、警備の穴を擦り抜けたのかい、ディーノ・マンゾーニ?」
顔見知りのソクーロフを見たマフィアは、ニヤリと笑った。
「ああ。面倒だからな、来る度にいちいちチェックされんのは」
聖アルフォンソ島の警備レベルは世界でもトップクラスの筈だが、
このマフィアは、それを度々破って上陸してくる。
流石は犯罪のスペシャリスト。警備網のどこに綻びがあるか、貴重な指摘をしてくれる。
彼等のいたちごっこは、互いのスキルアップに役立つだろう。
「俺が来てるってアイヴィーにチクんのか? 先公さんよ」
「君を捉えられず悔しがる顔を見るほうが面白いよ」
「この変態眼鏡が」
「君には言われたくないね」
「俺は眼鏡じゃねえもん」
渋い声で幼いことを言う。
「じゃあ、お前でもいいや。どっか晩メシ食えるとこ案内してくんねえ?
あのクソガキにも店教えろっつったんだが、逃げられちまってな」
ソクーロフは、兼ねてよりこのマフィアとゆっくり話したいと願っていた。
断る理由などなかった。マフィアの好みを尋ねる。
「イタリアンが良いのかい?」
「冗談。どうせママのペペロンチーノには敵わないだろうからな」
「中華料理はどうかな?」
「おっし。中華にするか」
「少し遠回りになるが、こちらの道から行こう」
「俺とゆっくり散歩を楽しみたいのか?」
「警備組織の監視カメラに映らないようにする為だよ」
「こりゃあいいナビゲーターだ」
ソクーロフは愛用している中華料理店に案内した。
内装は薄暗く、アジアンテイストなインテリアで統一されている。
店に入ったところで、すぐに顔見知りの若い店員が来た。
「あ、センセ、いらっしゃーい。あれ、今日はアイヴィーと一緒じゃないんだ?」
「ああ。新しい、友人でね」
「ふーん」
「奥の席は空いているかな?」
「うん。どうぞー」
店内には、中国の伝統的な弦楽器、二胡を用いた楽曲が流れている。
この音楽がなければ、ソクーロフは度々通うようにはならなかっただろう。
壮大な川を思わせる、緩やかな曲調。ここで紫煙を燻らすひとときは、日常を忘れさせてくれる。
「うめえな、このプリプリエビチリ」
連れの男は、音楽に耳を傾ける様子もなく、一心にガツガツと料理を平らげていた。
本当に空腹だったようだが、食事をしている姿は妙に子供っぽい。
この男は見た目が強面なので、幼さの残る中身とのギャップが凄まじい。
加えて彼の持つ肩書きは、幾度も完全犯罪を成し遂げてきた、マンゾーニ家の次期ボス。
犯罪者を相手に面談を重ねてきた研究者の観察対象として飽きない人物だった。
ソクーロフは早々に食事を休止し、さり気無く、自分の手をテーブルの下に移動させる。
店内の時計を見ながら、人差し指と中指で手首の動脈に触れた。
やはり標準値より早い。
犯罪者を前にした研究者は、獲物を発見したハンターの如く、血が騒いでいた。
研究者の血を落ち着かせる為にポケットから煙草を出す。
自分でも可笑しい程の職業病だ。頭の中で止めどなく質問事項が浮かんでくる。
マンゾーニ家とサン・ジェルマン家ではどんな契約を交わしたのか。
以前あった、コルシカマフィアの変死事件は、君達の仕業ではないか。
一体どんな手を使って、完全犯罪を行ってきたのか。
今後、狙う標的は誰なのか。
質問を取捨選択することさえ、もどかしい。
誰にも監視されずに、有能な犯罪者と話ができる。この貴重な機会を有効活用しない手はない。
「おい、ソクちゃん」
「ああ、何だい?」
「なんか気持ち悪ぃぞ、急にニヤニヤして」
「そうかい? すまない」
「なあ。もうエビチリ要らねえのか? 俺、全部食うぞ?」
「良いよ、口に合ったようで良かった」
赤い料理が乗った大皿を、マフィアのほうへ押してやる。
「けれどきっと、そのプリプリエビチリより、お母さんのペペロンチーノのほうが美味しいんだろうね?」
「そりゃ、ママの料理が世界一に決まってる。うちのママに敵う女なんか、この世に居やしねえ」
イタリア国民は一般的に、家族を何より大切にしていると言われる。それはこの男にも当て嵌るらしい。
マフィアという裏の道を歩きながらも、心根が曲がっていないのは、
ご両親から注がれた愛情故なのかもしれない。
「自慢のお母さんなんだね。お父さんのカルロ・マンゾーニ氏とも仲が良いんだろう? 君は」
「当たり前だろ。そういや、お前の親父は医者なのか?」
質問された研究者は、トンと灰を落とした。
「そうだよ」
「なら、俺と一緒じゃねえか。パパのことが好きで同じ医者になったんだろ?」
「医師を親に持った子供はね、少なからず、暗黙のプレッシャーを感じるものなんだよ。
自分も医師にならなくてはいけない、というね」
「なあ、お前のママは何が得意?」
「何だい、突然」
「お前、ロシア出身だっけ? なら、やっぱボルシチか? ピロシキか?」
「そうだねえ…」
研究者は煙草を口にする。
医師である父と、リトアニア貴族出身であることだけが誇りだった母。
己のことしか見えていなかった両親。彼等は互いに、保身の為、同じ家に住んでいた。
あの女性は、自分に何を作ってくれただろう。
答えを探している間に、吹かした筈の紫煙は、綺麗に消えていた。
「どうした、ソクちゃん。そこ、焦らしプレイするところか?」
「いや。もう覚えていないよ。母の味なんて」
「はあ?」
「私は一人暮らしが長いから」
「つまんねえオトコ。フツーはこの話で盛り上がらないことねえぜ?」
「ここはシチリア島じゃないからね。君の国から遠く離れた、聖アルフォンソ島だ」
「お前も、あのクソガキと同じだな」
「アンリと、私が?」
「あー。腹いっぱい食ったら眠くなってきた」
その台詞も、ごしごしと目許を擦る仕草も、子供なのに。
見上げてくる目は、人を小馬鹿にしている。
食事の終わったマフィアは背広からシガーケースを取り出した。
三本入りの革箱から一本抜き取っていた。
葉巻の頭部には、銘柄を示すシガーリングが巻いてある。
マフィアの物は赤地のラベルに白十字。
「その葉巻、デンマークで随分前に廃番になったものと似ているね」
ソクーロフが、あるシガーメーカーの名前を口にすると、
マフィアは、あっさり「それだ」と言った。
「では、どうして君が持っているんだい?」
「数が少ねえから、オールドファンだけに売ってんのさ。
うちのパパと、シガーメーカーの社長が、古い付き合いなんだ」
「成程」
「詳しいじゃねえか、ソクちゃん。お前は葉巻もやるのか?」
「若い頃、興味本位で少し手を出したことがあるだけだよ」
マフィアは、手にしていた葉巻を差し出した。
「一本、やろうか?」
「いや、いいよ。私にはこれがあるから」
煙の昇るメンソールを見せると、
マフィアは「あっそ」と言って差し出した葉巻を引っ込めた。
二枚刃のギロチンカッターで、葉巻の頭を切り落とす。
シガーライターはゴールド。
彼の浅黒い手に握られていると、不思議とそう嫌味な色に見えない。
葉巻の足と火は45度角。回しながら炙り、黒く焦がす。
均一に炭化させたら、葉巻の頭を咥える。
ゆっくりと吹かしながら、遠火で燃やす。
一連の動作を、マフィアは実にスマートにこなした。
「ああ、そうそう、聞きたかったんだけどよ」
「どうぞ?」
「あんた、自白・洗脳のプロフェッショナルなんだろ?
ヒトの記憶ってヤツは、どこまで操作できるモンなんだ?」
「そんなことを聞いて、どうするんだい?」
「あんたが手に入れば、俺達の仕事もやり易くなんじゃねえかと思ったわけよ」
「面白いことを言うんだね、マンゾーニ」
「ああ、面白いだろ? サイコーにな」
「君達の犯罪に手を貸せと言うのかい? この私に」
「ガキの相手を六年も続けてりゃ、いい加減、研究職に復帰したいだろ?」
「私の職歴を調べたのか」
「保健室の優しいセンセ役にも、疲れてきたんじゃねえのか?
俺達なら、好きなだけ研究させてやるぜ、どんなに非合法なやり方でもな」
「生憎だが、無謀な勧誘だよ、マンゾーニ。仮に、私が君達の元で研究を始めたとしても、
そんな非合法なデータを用いた論文は発表できないんだよ、どの学会にもね」
薄く開いた口から白煙が覗いた。
「発表したいから研究してんのか? お前の場合は、研究したいから研究してんだろ?」
マフィアは、なあ、と眠たげな声を出す。
「どっか泊まれるトコねえ? サイアク、お前の家でもイイ」
「私が住んでいるのは学院の宿舎だ。門番が君を通す筈がない」
「んなもん、ブッ倒せばイイじゃねえか」
「そんなことをしたら、警備組織が飛んでくるよ」
「飛んできたアイヴィーも一緒に部屋に連れ込もうぜ?」
「自己中心的な発想だね」
「自由なのさ。法も常識も俺達には必要ない」
「では、君達が必要としているのは、何なんだい?」
「美学」
マフィアが吹かす煙は、煙草のそれより重い。
ゆっくりと研究者のほうに流れてきた白煙は、
コーヒーとキャラメルのような、甘い甘い香りがした。
「マンゾーニ」
「ん?」
「その葉巻、私にも一本貰えるかい?」
fin
追憶の塔 第一会議室。
警備組織と学院スタッフによる、定期ミーティングが終了した。
議長を務めていた金髪の男がやって来る。警備組織の司令官アイヴィーだ。
「お疲れ、ソクちゃん。ガッコまで送ってくよ」
「ああ」
司令、と後方から声を掛けられる。ドイツから引き抜かれた軍人。
副司令官のラインハルト・クロイツだ。
「司令は、この後、理事会とのネットミーティングですよ」
「え? それ、明日じゃなかった?」
「ですから、変更になりましたと今朝お伝えしたじゃないですか。やはり聞いてなかったんですね」
「あれ。ゴメンゴメン。んー。ねえ、クロちゃんさ、代わりに出といてくんない?」
「嫌ですよ、この忙しいのに面倒臭い」
「俺だって面倒臭いよっ」
「お偉方のお相手は貴方の役目でしょう。違いますか?」
司令官を黙らせた眼鏡の男はソクーロフに尋ねる。
「ああ、すみません、ドクター。お帰りの車をご用意します」
「構わないよ。ありがとう、クロイツ」
「いえ。ご足労頂き、ありがとうございました、ドクター」
「あっ、送ってけなくてゴメンな、ソクちゃん」
「そう残念そうな顔をするな」
「してないっ!」
学院までの帰り道。旧市街の辺りでソクーロフは知った顔に出会った。
さながら美女と野獣だ。一人は、学院で姫扱いされている男子生徒。
隣に居るのは部外者だ。彫りの深い顔に、ダンディズムな髭。
高等部二年のアンリと、彼のボディガードだと言うシチリアマフィアだ。
ソクーロフにとってはどちらも興味深い人物だった。
身を潜めて様子を覗う。二人は話をしているが、遠くて聞こえない。
野獣が姫の肩に腕を回した。姫はその手を振り払う。何か言い放ち、去って行った。
アンリの後ろ姿が見えなくなったのを確認し、ソクーロフは男に近付いた。
「また、警備の穴を擦り抜けたのかい、ディーノ・マンゾーニ?」
顔見知りのソクーロフを見たマフィアは、ニヤリと笑った。
「ああ。面倒だからな、来る度にいちいちチェックされんのは」
聖アルフォンソ島の警備レベルは世界でもトップクラスの筈だが、
このマフィアは、それを度々破って上陸してくる。
流石は犯罪のスペシャリスト。警備網のどこに綻びがあるか、貴重な指摘をしてくれる。
彼等のいたちごっこは、互いのスキルアップに役立つだろう。
「俺が来てるってアイヴィーにチクんのか? 先公さんよ」
「君を捉えられず悔しがる顔を見るほうが面白いよ」
「この変態眼鏡が」
「君には言われたくないね」
「俺は眼鏡じゃねえもん」
渋い声で幼いことを言う。
「じゃあ、お前でもいいや。どっか晩メシ食えるとこ案内してくんねえ?
あのクソガキにも店教えろっつったんだが、逃げられちまってな」
ソクーロフは、兼ねてよりこのマフィアとゆっくり話したいと願っていた。
断る理由などなかった。マフィアの好みを尋ねる。
「イタリアンが良いのかい?」
「冗談。どうせママのペペロンチーノには敵わないだろうからな」
「中華料理はどうかな?」
「おっし。中華にするか」
「少し遠回りになるが、こちらの道から行こう」
「俺とゆっくり散歩を楽しみたいのか?」
「警備組織の監視カメラに映らないようにする為だよ」
「こりゃあいいナビゲーターだ」
ソクーロフは愛用している中華料理店に案内した。
内装は薄暗く、アジアンテイストなインテリアで統一されている。
店に入ったところで、すぐに顔見知りの若い店員が来た。
「あ、センセ、いらっしゃーい。あれ、今日はアイヴィーと一緒じゃないんだ?」
「ああ。新しい、友人でね」
「ふーん」
「奥の席は空いているかな?」
「うん。どうぞー」
店内には、中国の伝統的な弦楽器、二胡を用いた楽曲が流れている。
この音楽がなければ、ソクーロフは度々通うようにはならなかっただろう。
壮大な川を思わせる、緩やかな曲調。ここで紫煙を燻らすひとときは、日常を忘れさせてくれる。
「うめえな、このプリプリエビチリ」
連れの男は、音楽に耳を傾ける様子もなく、一心にガツガツと料理を平らげていた。
本当に空腹だったようだが、食事をしている姿は妙に子供っぽい。
この男は見た目が強面なので、幼さの残る中身とのギャップが凄まじい。
加えて彼の持つ肩書きは、幾度も完全犯罪を成し遂げてきた、マンゾーニ家の次期ボス。
犯罪者を相手に面談を重ねてきた研究者の観察対象として飽きない人物だった。
ソクーロフは早々に食事を休止し、さり気無く、自分の手をテーブルの下に移動させる。
店内の時計を見ながら、人差し指と中指で手首の動脈に触れた。
やはり標準値より早い。
犯罪者を前にした研究者は、獲物を発見したハンターの如く、血が騒いでいた。
研究者の血を落ち着かせる為にポケットから煙草を出す。
自分でも可笑しい程の職業病だ。頭の中で止めどなく質問事項が浮かんでくる。
マンゾーニ家とサン・ジェルマン家ではどんな契約を交わしたのか。
以前あった、コルシカマフィアの変死事件は、君達の仕業ではないか。
一体どんな手を使って、完全犯罪を行ってきたのか。
今後、狙う標的は誰なのか。
質問を取捨選択することさえ、もどかしい。
誰にも監視されずに、有能な犯罪者と話ができる。この貴重な機会を有効活用しない手はない。
「おい、ソクちゃん」
「ああ、何だい?」
「なんか気持ち悪ぃぞ、急にニヤニヤして」
「そうかい? すまない」
「なあ。もうエビチリ要らねえのか? 俺、全部食うぞ?」
「良いよ、口に合ったようで良かった」
赤い料理が乗った大皿を、マフィアのほうへ押してやる。
「けれどきっと、そのプリプリエビチリより、お母さんのペペロンチーノのほうが美味しいんだろうね?」
「そりゃ、ママの料理が世界一に決まってる。うちのママに敵う女なんか、この世に居やしねえ」
イタリア国民は一般的に、家族を何より大切にしていると言われる。それはこの男にも当て嵌るらしい。
マフィアという裏の道を歩きながらも、心根が曲がっていないのは、
ご両親から注がれた愛情故なのかもしれない。
「自慢のお母さんなんだね。お父さんのカルロ・マンゾーニ氏とも仲が良いんだろう? 君は」
「当たり前だろ。そういや、お前の親父は医者なのか?」
質問された研究者は、トンと灰を落とした。
「そうだよ」
「なら、俺と一緒じゃねえか。パパのことが好きで同じ医者になったんだろ?」
「医師を親に持った子供はね、少なからず、暗黙のプレッシャーを感じるものなんだよ。
自分も医師にならなくてはいけない、というね」
「なあ、お前のママは何が得意?」
「何だい、突然」
「お前、ロシア出身だっけ? なら、やっぱボルシチか? ピロシキか?」
「そうだねえ…」
研究者は煙草を口にする。
医師である父と、リトアニア貴族出身であることだけが誇りだった母。
己のことしか見えていなかった両親。彼等は互いに、保身の為、同じ家に住んでいた。
あの女性は、自分に何を作ってくれただろう。
答えを探している間に、吹かした筈の紫煙は、綺麗に消えていた。
「どうした、ソクちゃん。そこ、焦らしプレイするところか?」
「いや。もう覚えていないよ。母の味なんて」
「はあ?」
「私は一人暮らしが長いから」
「つまんねえオトコ。フツーはこの話で盛り上がらないことねえぜ?」
「ここはシチリア島じゃないからね。君の国から遠く離れた、聖アルフォンソ島だ」
「お前も、あのクソガキと同じだな」
「アンリと、私が?」
「あー。腹いっぱい食ったら眠くなってきた」
その台詞も、ごしごしと目許を擦る仕草も、子供なのに。
見上げてくる目は、人を小馬鹿にしている。
食事の終わったマフィアは背広からシガーケースを取り出した。
三本入りの革箱から一本抜き取っていた。
葉巻の頭部には、銘柄を示すシガーリングが巻いてある。
マフィアの物は赤地のラベルに白十字。
「その葉巻、デンマークで随分前に廃番になったものと似ているね」
ソクーロフが、あるシガーメーカーの名前を口にすると、
マフィアは、あっさり「それだ」と言った。
「では、どうして君が持っているんだい?」
「数が少ねえから、オールドファンだけに売ってんのさ。
うちのパパと、シガーメーカーの社長が、古い付き合いなんだ」
「成程」
「詳しいじゃねえか、ソクちゃん。お前は葉巻もやるのか?」
「若い頃、興味本位で少し手を出したことがあるだけだよ」
マフィアは、手にしていた葉巻を差し出した。
「一本、やろうか?」
「いや、いいよ。私にはこれがあるから」
煙の昇るメンソールを見せると、
マフィアは「あっそ」と言って差し出した葉巻を引っ込めた。
二枚刃のギロチンカッターで、葉巻の頭を切り落とす。
シガーライターはゴールド。
彼の浅黒い手に握られていると、不思議とそう嫌味な色に見えない。
葉巻の足と火は45度角。回しながら炙り、黒く焦がす。
均一に炭化させたら、葉巻の頭を咥える。
ゆっくりと吹かしながら、遠火で燃やす。
一連の動作を、マフィアは実にスマートにこなした。
「ああ、そうそう、聞きたかったんだけどよ」
「どうぞ?」
「あんた、自白・洗脳のプロフェッショナルなんだろ?
ヒトの記憶ってヤツは、どこまで操作できるモンなんだ?」
「そんなことを聞いて、どうするんだい?」
「あんたが手に入れば、俺達の仕事もやり易くなんじゃねえかと思ったわけよ」
「面白いことを言うんだね、マンゾーニ」
「ああ、面白いだろ? サイコーにな」
「君達の犯罪に手を貸せと言うのかい? この私に」
「ガキの相手を六年も続けてりゃ、いい加減、研究職に復帰したいだろ?」
「私の職歴を調べたのか」
「保健室の優しいセンセ役にも、疲れてきたんじゃねえのか?
俺達なら、好きなだけ研究させてやるぜ、どんなに非合法なやり方でもな」
「生憎だが、無謀な勧誘だよ、マンゾーニ。仮に、私が君達の元で研究を始めたとしても、
そんな非合法なデータを用いた論文は発表できないんだよ、どの学会にもね」
薄く開いた口から白煙が覗いた。
「発表したいから研究してんのか? お前の場合は、研究したいから研究してんだろ?」
マフィアは、なあ、と眠たげな声を出す。
「どっか泊まれるトコねえ? サイアク、お前の家でもイイ」
「私が住んでいるのは学院の宿舎だ。門番が君を通す筈がない」
「んなもん、ブッ倒せばイイじゃねえか」
「そんなことをしたら、警備組織が飛んでくるよ」
「飛んできたアイヴィーも一緒に部屋に連れ込もうぜ?」
「自己中心的な発想だね」
「自由なのさ。法も常識も俺達には必要ない」
「では、君達が必要としているのは、何なんだい?」
「美学」
マフィアが吹かす煙は、煙草のそれより重い。
ゆっくりと研究者のほうに流れてきた白煙は、
コーヒーとキャラメルのような、甘い甘い香りがした。
「マンゾーニ」
「ん?」
「その葉巻、私にも一本貰えるかい?」
fin
■テオ四歳
■背景:かいぞくごっこ
■背景:かいぞくごっこ
四歳児はぷにぷにの頬を両手で支えている。
うーん、などと言いながら、物思いな溜め息を吐いていた。
海運王メネシス家に生まれ、後に当主となるテオ・メネシス。
普段は明るい子なのだが、今日はアンニュイなご様子。
世話係の青年は小さな主人に尋ねた。
「テオ様、何かお悩みですか?」
「うん。こまってるんだー」
「何です?」
「おおきくなったら、なにになろっかなーって、まよってるの」
「大きく、なったらですか?」
「てお、けーきやさんがいいかなー? そしたら、まいにち、けーき、たべられるよね!」
「そう、かもしれませんね」
でもなー、とテオは首を傾げる。
「てお、おえかき、じょーずだから、おえかきやさんもいいしー。
おうたもじょーずだから、おうたやさんもいいしー」
テオの姉は弟の行動を何でも褒めていた。また、家人も可愛い盛りのテオには甘い。
絵を描けば「お絵描きがお上手」、歌を歌えば「お歌がお上手」と讃えていた。
「あとね、てお、おふねもすきだから、かいぞくもいいなー。
ねえ、ぜのは、てお、なにがいいとおもうー?」
世話係は自らの腕を抱く。
「それは、困りますね」
「うん。ておもね、こまってるんだー。まよっちゃうよね。
あ、でもね、いっこは、きまってるよ!」
「何ですか?」
「てお、おおきくなったら、あねうえのおよめさんになるの!
およめさんと、けーきやさん、いっしょになれるよね? だいじょぶだよね?」
「テオ様は、お姉様のお嫁さんにはなれませんよ」
「えっ! てお、あねうえ、あいちてるよ!?」
「お嫁さんになれるのは女性です。テオ様は男性ですからお婿さんですよ…なれるとしても」
「そっか。まちがっちゃった。じゃあ、おむこさんになるー!
でね、『いつまでも、しあわせにくらしましたとさ、めでたしめでたし』になるのー!」
「テオ様」
「なーに?」
「いえ。そろそろシエスタの時間ですね。今日の絵本は何にしましょうか?」
「んー。あ、あれ。おはなの、おひめさまのおはなし!」
「親指姫ですね、畏まりました」
世界中の童話が揃った本棚から、ひとつの背表紙に指を伸ばす。
世話係は絵本を持ち、もう片方の手を主人に差し出す。
「ではベッドに参りましょう」
「うんっ」
小さな手を握った。
fin
うーん、などと言いながら、物思いな溜め息を吐いていた。
海運王メネシス家に生まれ、後に当主となるテオ・メネシス。
普段は明るい子なのだが、今日はアンニュイなご様子。
世話係の青年は小さな主人に尋ねた。
「テオ様、何かお悩みですか?」
「うん。こまってるんだー」
「何です?」
「おおきくなったら、なにになろっかなーって、まよってるの」
「大きく、なったらですか?」
「てお、けーきやさんがいいかなー? そしたら、まいにち、けーき、たべられるよね!」
「そう、かもしれませんね」
でもなー、とテオは首を傾げる。
「てお、おえかき、じょーずだから、おえかきやさんもいいしー。
おうたもじょーずだから、おうたやさんもいいしー」
テオの姉は弟の行動を何でも褒めていた。また、家人も可愛い盛りのテオには甘い。
絵を描けば「お絵描きがお上手」、歌を歌えば「お歌がお上手」と讃えていた。
「あとね、てお、おふねもすきだから、かいぞくもいいなー。
ねえ、ぜのは、てお、なにがいいとおもうー?」
世話係は自らの腕を抱く。
「それは、困りますね」
「うん。ておもね、こまってるんだー。まよっちゃうよね。
あ、でもね、いっこは、きまってるよ!」
「何ですか?」
「てお、おおきくなったら、あねうえのおよめさんになるの!
およめさんと、けーきやさん、いっしょになれるよね? だいじょぶだよね?」
「テオ様は、お姉様のお嫁さんにはなれませんよ」
「えっ! てお、あねうえ、あいちてるよ!?」
「お嫁さんになれるのは女性です。テオ様は男性ですからお婿さんですよ…なれるとしても」
「そっか。まちがっちゃった。じゃあ、おむこさんになるー!
でね、『いつまでも、しあわせにくらしましたとさ、めでたしめでたし』になるのー!」
「テオ様」
「なーに?」
「いえ。そろそろシエスタの時間ですね。今日の絵本は何にしましょうか?」
「んー。あ、あれ。おはなの、おひめさまのおはなし!」
「親指姫ですね、畏まりました」
世界中の童話が揃った本棚から、ひとつの背表紙に指を伸ばす。
世話係は絵本を持ち、もう片方の手を主人に差し出す。
「ではベッドに参りましょう」
「うんっ」
小さな手を握った。
fin
■テオ三歳
■背景:かいぞくごっこ
■背景:かいぞくごっこ
12月初め、ギリシャ。
お城のようなこの建物が、海運王メネシスの自宅だった。
広い玄関ロビーでは三人のメイドがクリスマスツリーのデコレーションをしていた。
ゲストの多いメネシス家では、この時期になると毎年巨大ツリーでゲストをお出迎えするからである。
「うわあ、おっきいー!」
歓声を上げたのは、小さな男の子。
誰にもよく撫でられる柔らかな金髪。くりくりの瞳が見上げている。
「それ、おなまえ、なあにー?」
この家のお坊っちゃんテオ・メネシス。
数十年後はメネシスの当主となるご子息だが、今はまだ三歳。だんだんお喋りを覚えてきたところだ。
「これはクリスマスツリーですよ、テオ様」
「くりしゅまー?」
「ええ。もうすぐクリスマスなのでツリーの飾り付けをしていました。綺麗でしょう?」
「きれー! あれ? あ、おふねだっ!」
ツリーの傍には、クラシックな帆船の模型が飾られていた。それに派手な電飾やモールが巻き付けられている。
テオは父親が所有する船やヨットに乗ったことがあり、おもちゃの船はお気に入りだった。
「このおふね、おしゃれしてるー」
「そうですよ。クリスマスにはお舟も綺麗に飾るんです」
かつて国民の多くが船乗りだった海運国ギリシャ。
約100年程前から、クリスマスには船を飾るという特有の慣習がある。
ツリーは第二次大戦後に外国から取り入れた文化だ。
「テオ様、見てて下さいね?」
メイドは手にしたスイッチを入れる。ツリーと船が同時に光り出す。三歳児は目をキラキラさせて魅入った。
「あっ! ピカピカしたっ!」
うちゅくちー、と感嘆しながら巨大ツリーを眺めていた。
テオは自分の部屋に戻った。
「ぜのー!」
困り顔を見せたのは眼鏡の男。
「テオ様…これから探しに行くところでしたよ。どちらに行っていたんですか?」
世話係のゼノ・エリティス。二十代に入ったばかりの男だ。
長い金髪を高いところでひとつに結わえている。
シエスタ前のホットミルクを用意している間に、テオが部屋から消えていたのだ。
すぐに戻りますから待っていて下さいね、と言ってあったのだが。
小さな主人は、ぽちゃぽちゃのほっぺを少し膨らませる。
「だって、ぜの、おそいからー。ておが、おむかえにいったの。あ、それでね!」
さっき見た光景を興奮気味に語った。
「ぜの、くりしゅま、みたっ!?」
「はい?」
「あのね、くりしゅまと、おふねがね、ピカピカで、うちゅくちーの!」
「ああ、クリスマスツリーと船の模型のことですね。私はまだ見てませんが」
今年は、という意味であり、毎年見ている物だ。
このメネシスに仕えて長い世話係にとっては最早珍しくもない。
ぬるめに作ったホットミルクを差し出しながら、
「テオ様は、今日ご覧になったのですか?」
「うんっ。ピカピカすごくてね、くりしゅま、ておより、おっきいのー」
こーんな、と両手を伸ばそうとした。
その小さな手がホットミルクのカップにぶつかる。
「あっ」
カップが倒れ、ミルクがテーブルに零れる。
世話係は持っていたハンカチで素早く押さえ、さっと拭き取った。心配そうな視線が向けられる。
「ぜの、ごめんね」
「大丈夫ですよ」
笑顔を見せると、子供も安心した様子だった。
「確かクリスマスの絵本があった筈ですね。シエスタの前にお読みしましょうか?」
「うんっ」
三歳児は首を左右に揺らしながら、作詞作曲のクリスマスソングを歌い出す。
「くーりーしゅーま、くーりーしゅーま。ピーカピーカ、おーふねっ」
世話係は微笑んで、本棚に向かった。
fin
お城のようなこの建物が、海運王メネシスの自宅だった。
広い玄関ロビーでは三人のメイドがクリスマスツリーのデコレーションをしていた。
ゲストの多いメネシス家では、この時期になると毎年巨大ツリーでゲストをお出迎えするからである。
「うわあ、おっきいー!」
歓声を上げたのは、小さな男の子。
誰にもよく撫でられる柔らかな金髪。くりくりの瞳が見上げている。
「それ、おなまえ、なあにー?」
この家のお坊っちゃんテオ・メネシス。
数十年後はメネシスの当主となるご子息だが、今はまだ三歳。だんだんお喋りを覚えてきたところだ。
「これはクリスマスツリーですよ、テオ様」
「くりしゅまー?」
「ええ。もうすぐクリスマスなのでツリーの飾り付けをしていました。綺麗でしょう?」
「きれー! あれ? あ、おふねだっ!」
ツリーの傍には、クラシックな帆船の模型が飾られていた。それに派手な電飾やモールが巻き付けられている。
テオは父親が所有する船やヨットに乗ったことがあり、おもちゃの船はお気に入りだった。
「このおふね、おしゃれしてるー」
「そうですよ。クリスマスにはお舟も綺麗に飾るんです」
かつて国民の多くが船乗りだった海運国ギリシャ。
約100年程前から、クリスマスには船を飾るという特有の慣習がある。
ツリーは第二次大戦後に外国から取り入れた文化だ。
「テオ様、見てて下さいね?」
メイドは手にしたスイッチを入れる。ツリーと船が同時に光り出す。三歳児は目をキラキラさせて魅入った。
「あっ! ピカピカしたっ!」
うちゅくちー、と感嘆しながら巨大ツリーを眺めていた。
テオは自分の部屋に戻った。
「ぜのー!」
困り顔を見せたのは眼鏡の男。
「テオ様…これから探しに行くところでしたよ。どちらに行っていたんですか?」
世話係のゼノ・エリティス。二十代に入ったばかりの男だ。
長い金髪を高いところでひとつに結わえている。
シエスタ前のホットミルクを用意している間に、テオが部屋から消えていたのだ。
すぐに戻りますから待っていて下さいね、と言ってあったのだが。
小さな主人は、ぽちゃぽちゃのほっぺを少し膨らませる。
「だって、ぜの、おそいからー。ておが、おむかえにいったの。あ、それでね!」
さっき見た光景を興奮気味に語った。
「ぜの、くりしゅま、みたっ!?」
「はい?」
「あのね、くりしゅまと、おふねがね、ピカピカで、うちゅくちーの!」
「ああ、クリスマスツリーと船の模型のことですね。私はまだ見てませんが」
今年は、という意味であり、毎年見ている物だ。
このメネシスに仕えて長い世話係にとっては最早珍しくもない。
ぬるめに作ったホットミルクを差し出しながら、
「テオ様は、今日ご覧になったのですか?」
「うんっ。ピカピカすごくてね、くりしゅま、ておより、おっきいのー」
こーんな、と両手を伸ばそうとした。
その小さな手がホットミルクのカップにぶつかる。
「あっ」
カップが倒れ、ミルクがテーブルに零れる。
世話係は持っていたハンカチで素早く押さえ、さっと拭き取った。心配そうな視線が向けられる。
「ぜの、ごめんね」
「大丈夫ですよ」
笑顔を見せると、子供も安心した様子だった。
「確かクリスマスの絵本があった筈ですね。シエスタの前にお読みしましょうか?」
「うんっ」
三歳児は首を左右に揺らしながら、作詞作曲のクリスマスソングを歌い出す。
「くーりーしゅーま、くーりーしゅーま。ピーカピーカ、おーふねっ」
世話係は微笑んで、本棚に向かった。
fin
■アンリ ユウタ ジブリール ジョシュア
ユウタはトーマス・ミルドの作品を気に入っているらしい。
そこを通る度、絵をチラチラ見ているから。
ウーティスにはミルドの作品が二枚ある。
サロンにあるボート遊びの絵、
階段の壁には湖の前に人が集まっている絵。
独特の柔らかいタッチで描かれたそれは、日常的な光景でさえも、幻想的な夢物語の一場面に見せる。
まるで理想郷、シャングリラが描かれたような絵。
だから僕も、この絵を初めて見た時、足が止まった。
「気に入ったか、アンリ」
当時の生徒代表、ジブリール・アブル・アルファマードは、僕の視線に気付いた。
目付きが鋭く、冷徹という第一印象を持たせる人だが、
時が経つうちに、中身は案外普通らしいと解った。
「これは19世紀スカンジナビアの風景画家、トーマス・ミルドの作品だ」
生徒代表はミルドについて軽く解説した。
これは近年、遺族から寄贈された絵であり、
風景画で有名なミルドが描いた人物画は、世界でもこの学院にある二枚だけだという。
「ミルドが人物画を描いたのは、在学時だけだそうだ」
僕は黙って聞いていた。
目付きの悪い生徒代表は、絵画に背を向ける。
「この学院には他にも貴重な作品が数多くある。これから至る所で目にするだろう、嫌でもな」
次の場所に行こう、と言われ、僕達はサロンを後にした。
休み時間。今日もユウタは、サロンに入ってくると、ミルドの絵を見た。
僕は隅の席で本を読みながら、盗み見る。
後に人物が描けなくなった画家の絵を。
「アンリ、そろそろ次の授業が始まるよ」
今年の生徒代表に声を掛けられた。家が敵同士になるジョシュア・グラント。
「一緒に行こう、アンリ」
同じ講義を受けているからと言って、どうして行動を共にしたがるのか解らないけれど。
特別断る理由もないので、僕は席を立った。
「アンリ、気に入ってるんだね、ユウタのこと」
教室に向かう途中、彼は唐突にそう言った。
「ジョシュアって、どこに目を付けてるの?」
「サロンに居る時、ユウタのこと、気にしてるだろう?」
「してないよ。見ているとしたら、絵のほうだ」
教室に着く。
ジョシュアは周囲の生徒に挨拶され、挨拶を返していた。
僕が席に座ると、ジョシュアは隣に座った。
「アンリ、ユウタが最近、絵画の特別授業で何の絵を描いているか知ってるかい?」
「僕が知るわけないでしょ」
「課題でミルドの作品を模写しているそうだよ。放課後、ちょっと見学に行こうか?」
放課後。僕は無理矢理アトリエに連れて行かれた。
ジョシュアは「中には入らないで、外から覗くだけにしよう」と言った。
窓越しに絵描き姿のユウタの背中が見える。
覗く為に、近くにあった空のペンキ缶に乗ってまで。
「なんで僕がコソコソしなきゃならないの?」
ジョシュアが人差し指を立てる。
「俺達が見てるって知られたら、邪魔になってしまうだろう?」
「じゃあ来なきゃいいのに」
「まあまあ。ほら、見てごらん? ユウタ、上手だよね」
「模写だからでしょう?」
僕はユウタの周りを見る。
「ねえ、手本の絵が見当たらないんだけど」
「ああ、もう覚えてしまったそうだよ、毎日寮で見てるからって」
一枚の絵を覚えるなんてことができるのだろうか。
ユウタはこの寮に初めて来た時も、ミルドが描いた二枚の絵を「なんとなく似てる」と言いのけた。
人間は、カメラで写真を撮るように、目に映ったものを記憶することもできるが。
ユウタの場合、その能力が特別に高いということか。
「あっ、アンリ、しゃがんで」
「え?」
この三秒間の出来事はこうだ。
ユウタが席を立つのを見て、こちらに向かってくるのを怖れたジョシュアが、「しゃがんで」と僕の肩を押した。
その拍子に僕が乗っていたペンキ缶のバランスが崩れる。
ジョシュアもつられて、二人で転んだ。
fin
そこを通る度、絵をチラチラ見ているから。
ウーティスにはミルドの作品が二枚ある。
サロンにあるボート遊びの絵、
階段の壁には湖の前に人が集まっている絵。
独特の柔らかいタッチで描かれたそれは、日常的な光景でさえも、幻想的な夢物語の一場面に見せる。
まるで理想郷、シャングリラが描かれたような絵。
だから僕も、この絵を初めて見た時、足が止まった。
「気に入ったか、アンリ」
当時の生徒代表、ジブリール・アブル・アルファマードは、僕の視線に気付いた。
目付きが鋭く、冷徹という第一印象を持たせる人だが、
時が経つうちに、中身は案外普通らしいと解った。
「これは19世紀スカンジナビアの風景画家、トーマス・ミルドの作品だ」
生徒代表はミルドについて軽く解説した。
これは近年、遺族から寄贈された絵であり、
風景画で有名なミルドが描いた人物画は、世界でもこの学院にある二枚だけだという。
「ミルドが人物画を描いたのは、在学時だけだそうだ」
僕は黙って聞いていた。
目付きの悪い生徒代表は、絵画に背を向ける。
「この学院には他にも貴重な作品が数多くある。これから至る所で目にするだろう、嫌でもな」
次の場所に行こう、と言われ、僕達はサロンを後にした。
休み時間。今日もユウタは、サロンに入ってくると、ミルドの絵を見た。
僕は隅の席で本を読みながら、盗み見る。
後に人物が描けなくなった画家の絵を。
「アンリ、そろそろ次の授業が始まるよ」
今年の生徒代表に声を掛けられた。家が敵同士になるジョシュア・グラント。
「一緒に行こう、アンリ」
同じ講義を受けているからと言って、どうして行動を共にしたがるのか解らないけれど。
特別断る理由もないので、僕は席を立った。
「アンリ、気に入ってるんだね、ユウタのこと」
教室に向かう途中、彼は唐突にそう言った。
「ジョシュアって、どこに目を付けてるの?」
「サロンに居る時、ユウタのこと、気にしてるだろう?」
「してないよ。見ているとしたら、絵のほうだ」
教室に着く。
ジョシュアは周囲の生徒に挨拶され、挨拶を返していた。
僕が席に座ると、ジョシュアは隣に座った。
「アンリ、ユウタが最近、絵画の特別授業で何の絵を描いているか知ってるかい?」
「僕が知るわけないでしょ」
「課題でミルドの作品を模写しているそうだよ。放課後、ちょっと見学に行こうか?」
放課後。僕は無理矢理アトリエに連れて行かれた。
ジョシュアは「中には入らないで、外から覗くだけにしよう」と言った。
窓越しに絵描き姿のユウタの背中が見える。
覗く為に、近くにあった空のペンキ缶に乗ってまで。
「なんで僕がコソコソしなきゃならないの?」
ジョシュアが人差し指を立てる。
「俺達が見てるって知られたら、邪魔になってしまうだろう?」
「じゃあ来なきゃいいのに」
「まあまあ。ほら、見てごらん? ユウタ、上手だよね」
「模写だからでしょう?」
僕はユウタの周りを見る。
「ねえ、手本の絵が見当たらないんだけど」
「ああ、もう覚えてしまったそうだよ、毎日寮で見てるからって」
一枚の絵を覚えるなんてことができるのだろうか。
ユウタはこの寮に初めて来た時も、ミルドが描いた二枚の絵を「なんとなく似てる」と言いのけた。
人間は、カメラで写真を撮るように、目に映ったものを記憶することもできるが。
ユウタの場合、その能力が特別に高いということか。
「あっ、アンリ、しゃがんで」
「え?」
この三秒間の出来事はこうだ。
ユウタが席を立つのを見て、こちらに向かってくるのを怖れたジョシュアが、「しゃがんで」と僕の肩を押した。
その拍子に僕が乗っていたペンキ缶のバランスが崩れる。
ジョシュアもつられて、二人で転んだ。
fin
■オーギュスト×アイヴィー ショート
アイヴィーが夜の緊急召集から帰宅した時、オーギュストはまだ起きていた。
「センセ…寝てて良かったのに」
「おかえり。こんな寒空の下、ダンスパーティとはね。お疲れ様」
センセが俺の右手を取った。
なんだ? と思った時には、センセの唇が俺の人差し指に触れていた。
「外はかなり寒いようだね?」
「いや、手で触った時点で解るでしょ、それ」
成程、とセンセが笑う。
「葡萄酒を常温にして待っていたのだけどね。今宵はグリューにしよう」
センセは「鍋をお借りするよ」と言ってキッチンに入った。
「お待たせ。どうぞ」
マグカップに紫色の液体が入っているのは、なんだかフシギだ。
センセは鍋で温めた赤ワインを出してくれた。
テーブルに置かれたカップから、ワインの香りに当てられる。
「うわ、凄い香りするね」
「温まるよ」
温めてアルコールが飛んだせいか、口当たりが軽くて飲み易い。
空っぽの胃に沁み込むようだ。
「少しは温まったかな?」
「うん」
「では今宵はもう休んだほうが良い。過酷な肉体労働の後なのだし」
「えっ?」
「何だね?」
「あ、いや、何でも…」
「そんな顔を見せられては、期待に応えないわけにはいかないね」
fin
「センセ…寝てて良かったのに」
「おかえり。こんな寒空の下、ダンスパーティとはね。お疲れ様」
センセが俺の右手を取った。
なんだ? と思った時には、センセの唇が俺の人差し指に触れていた。
「外はかなり寒いようだね?」
「いや、手で触った時点で解るでしょ、それ」
成程、とセンセが笑う。
「葡萄酒を常温にして待っていたのだけどね。今宵はグリューにしよう」
センセは「鍋をお借りするよ」と言ってキッチンに入った。
「お待たせ。どうぞ」
マグカップに紫色の液体が入っているのは、なんだかフシギだ。
センセは鍋で温めた赤ワインを出してくれた。
テーブルに置かれたカップから、ワインの香りに当てられる。
「うわ、凄い香りするね」
「温まるよ」
温めてアルコールが飛んだせいか、口当たりが軽くて飲み易い。
空っぽの胃に沁み込むようだ。
「少しは温まったかな?」
「うん」
「では今宵はもう休んだほうが良い。過酷な肉体労働の後なのだし」
「えっ?」
「何だね?」
「あ、いや、何でも…」
「そんな顔を見せられては、期待に応えないわけにはいかないね」
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